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高度経済成長期以前の 農業生産・農業経営の実態

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(1)

香 川 大 学 経 済 論 叢

75

巻 第

2

2002

9

225‑255

高度経済成長期以前の 農業生産・農業経営の実態

手 J

4 1  

は じ め に

本稿の課題は,高度経済成長期以前,すなわち終戦後から

1955

年までの日 本の農業牛産・農業経営の実態を明らかにすることである。

終戦後から

1955

年までの日本は,政治・経済・社会において激動の時期で あった。農業においてもその例外ではなく,絶対的な食糧供給不足卜.にあって 食糧増産が追求され,

it

産された食糧については供出制がとられていた。また,

地~}:_制を打破すべく農地改革が実施され,自作農体制が確立した。変化があっ たのは制度的側面だけにとどまらず,終戦にともない,戦災者,復員者,引揚 者などの大贔の帰農によって農村では膨大な過剰人口を抱えていた。同時に化 学肥料や機械などの農業生産資材は圧倒的にイ<足していた。このような状況に あって農業生産・農業経営が行われていたのである。そして,後に詳しくみる ように,この時期農業生産は着実に増大を続け,戦前水準に圃復し,やがては それを凌罵したのであった。このような生産の[ □ ]復,増産を実現した要囚は何 であったのだろうか。この時期の農業生産・農業経 常の実態はどのようなもの であったのだろうか。

これまで,この時期についての研究は,現状分析,歴史分析を間わず,その

大部分が農地改革,もしくは食糧問題に関するものであっ

f

こ 戦 前 の 地 じ 制 の

影響や'½ 時の食糧供給イサ足を考えると当然であるが,そのことはこの時期の農

業生産・農業経党の実態についての分析をともすればなおざりにしてしまった

きらいがある,,農業生産・農業経営の実態の解明によって,はじめて食糧増産

(2)

‑226‑

香川大学経済論叢

422 

を実現した内実が明らかになると考えられる。さらに,結論を先取りすれば,

この時期の農業生産・農業経営は戦前から続く多労多肥型農業の最後の姿であ り,いわばその集大成であった。高度経済成長期になると,労働力不足陥調の もと機械化が進展し,農業生産・農業経党の姿は大きく変貌することになった のであり,その意味でもこの時期の農業生産・農業経営の実態を明らかにする

ことは重要である。

以下,本稿では

1

で高度経済成長期以前,すなわち終戦から

1955

年までの 農業生産の概況を確認し,

2

ではこの時期の農業牛産構造の特徴について,戦 後日本農業のその後の展開と対比させながらみていく。

3

では生産体系に組み 込まれた山林・原野まで視野に入れて,この時期の農業経営の実態を明らかに する。さらに

4

では,農業経党・農家牛活をみた

1

農家の事例分析によって,

この時期の農業経営の実態解明を補足し,最後にまとめを行う。

農業生産の概況

先 ず , 終 戦 後 か ら

1955

年 ま で の 農 業 生 産 の 概 況 か ら 確 認 し よ う 。 第

1

表 は ,

50

年から

56

年までの農業生産指数の変化をみたものである。この表によ ると,総合では

50

年代初めには戦前水準

(193335

年)に回復し,さらに

55

年以降では

20

ポイント以上も生産指数を延ばしていることが確認できる。こ の時期は供出制のもと食糧増産が政策基調であったが,

55

年以降は戦前と ^ 

線を画する農業生産を実現したといえる。総合農業生産指数のこのような動き と ほ ぼ 期 を 一 に し て い る の が 米 で あ る 。 米 も

50

年 代 初 め ま で に 生 産 を 同 復 し ,

55

年 に は 空 前 の 豊 作 を 迎 え る こ と と な り , そ の 後 も ほ ぽ 順 調 に 生 産 量 を 増大させていく。米以外についてみても,養蚕以外は全て生産を増大させてい ることがわかる。なかでも畜産の伸びはとくに著しく,

52

年 に は 早 く も 戦 前 水準の

1.6

倍に,

54

一年にはほほ

2

倍 に 増 大 し て い る 。 こ の 動 き を 農 業 粗 生 産 額の構成比をみた第

2

表で補足すると,戦前の

7.4%

から年々構成比を卜}昇さ せ ,

53

年には

11.2%

までじ昇させており,その後も

10%

前後であることが確

(1) 

この時期の農梨

lj

汀年の動向については,大内)

[1960],  pp.368370

を参照。

(3)

423 

高度経済成長期以前の農業生産・農業経常の実態

‑227‑

第 1 表 農 業 生 産 指 数 の 動 向 ( そ の 1) (1933~35年 =100)

総合 米 米以外の

まめ類 果実 野 菜 工芸作物 養蚕 畜産

穀物

1950  98  107  116  121  119  130  91  23  97  1951  100  100  l27  132  104  135  105  27  144  1952  111  110  129  156  155  140  125  30  164  1953  96  91  120  123  122  124  123  27  173  1954  106  101  139  116  153  127  126  29  199  1955  128  132  135  161  154  156  150  34  230  1956  122  116  128  142  188  156  156  32  253 

責 料 : 加 用 信 文 監 修

[1958], p. 219

より作成。

2

表 農 業 粗 生 産 額 の 構 成 比 (単位: %)  米 麦 雑 穀 豆 類 いも類 野 菜 果物 工芸作物 繭 畜 産 藁製品

193335  51. 2  8.4  1. 1  2.4  3.4  6.0  2.6  4.3  12.2  7.4  1.0 

1950  49. 1  10.8  1. 2  4.7  8.7  6.4  3.7  4.7  2.8  7.4  0.5  1951  46.4  11. 4  1. 2  4.5  8.2  6.7  3.3  5.3  3.9  8.3  0.8  1952  48.6  11. 1  1. 3  4.6  6. 1  6.2  3.3  5.3  4.2  8.7  0.6  1953  45.9  10.4  1. 2  4. 1  6. 1  7.0  3. 7  5.5  4.3  11. 2  0.6  1954  46.6  11. 2  1.0  4.3  6.6  6.7  4.0  5.2  3.2  10.7  0.5  1955  52.7  8.7  0.7  3.6  5.5  6.3  3.7  5.7  3.0  9. 7  0.4  1956  48.7  8.7  1.0  3.4  4.5  7. 1  5. 1  6.2  3.3  11. 6  0.4 

資料..加用信文監修

[1958], pp.222‑223

より作成。

認できる。畜産に次いで伸びが顕著なのがまめ類と果実であり,多少落ち込む 年もあるものの,

52

年 に は 戦 前 水 準 の

1.5

倍 に 伸 び て お り , 構 成 比 で も 約

1

~2 ポイント上昇している。また,野菜,上芸作物についても畜産やまめ類,

果実ほどではないにせよその伸びは順調であったといってよい。米以外の穀物 は主に麦・雑穀であるが,これらは当初食糧難のため急速に伸びたが,

55

年 以降減少しており,他の農産物とは趣を異にしている。このような生産増大局 面にあって,戦郎と比較して著しく生産を減退させたのは養蚕である。養蚕の 凋落傾向はすでに昭和恐慌期から始まっていたが,終戦後は食糧増産の必要性 から優先順位が卜→がり,より

J

曽衰退していくことになった。

50

年 で は 戦 前 水準の

4

分の

1

弱まで落ち込み,その後かろうじて回復したものの,それでも 戦前水準の

3

分の

1

前 後 で あ る 。 粗 生 産 額 の 構 成 比 で み て も , 戦 前 に

12.2%

を占めていたのが,

55

年では

3.0%

まで落ち込んでいる。

以上にみてきたことから,農業生産の動向は食糧増産が強く求められていた

なかで,養蚕を除いて

1950

年代前半には戦前水準を回復し,

55

年 以 降 は 戦 前

と画する農叢生産を実現したことがわかる。さらに,その後の生産動向も確認

(4)

‑228‑

香川大学経済論叢 第 3 表 農業生産指数の動向(その 2)

総合 米 麦 類 雑穀 まめ類 いも類

1955  90  96  109  109  92  114  1956  85  85  100  84  77  110  1957  89  89  93  93  89  111  1958  93  93  88  94  88  110  1959  97  97  101  84  95  129  1960  100  100  100  100  100  100  1961  103  97  96  71  97  101  1962  107  102  85  60  82  96  1963  105  100  30  62  83  97  1964  111  98  65  47  61  97  1965  112  97  69  45  69  93 

資料:

lJllfll

イ合文監修

[1977], pp.48‑49

より作成,

果実 野菜 工芸作物

58  81  101  76  79  107  81  84  107  85  83  107  91  87  101  100  100  100  102  98  106  103  106  110  106  112  106  118  111  132  123  116  125 

424  (1960

=100)

養蚕 畜産

102  70 

96  77  107  81  104  91  100  97  100  100  104  129  98  148  100  156  101  176  95  187 

しよう。第

3

表は,

60

年を

J

森準として

55

年 以 降 の 農 業 生 廂 指 数 の 変 化 を み た ものである。これによると,農業総合ではその後もはぼ順瀾に牛廂を増大させ ていったことが確認できる。米は増加基調にあるものの,

55

年 の 生 廂 贔 を や や超える水準で停滞気味である。伸びが順調なのは畜廂,呆実,野菜であり,

前の

u

か期から引き続いて牛産を増大させていることがわかる。

Ji, 

伸びが減 退,もしくは停滞しているのが友類,雑穀,まめ類,いも類である。かんしよ,

ばれいしょを中心としたいも類は,終戦後の食糧難に対するカロリー作物の増 産の必要性から生

r

危 が な さ れ た も の で あ り , 食 紺 難 が

55

年以降解消するとカ ロリー作物の需要も後退し,牛廂量も低ドした。友類,雑穀,まめ類について は,国内需要は増加していたにもかかわらず,輸人の自由化により

[t]

内牛産贔 は低下していくこととなった。また,養蚕は戦前から終戦直後にかけての落ち 込みは激しかったが,この時期では戦後の水準で安定している。

2. 

農業生産構造の特徴

それではこの時期の農業生産構造はどのようなものであったのだろうか。先 ず,戦前からの労働生産性,土地牛産性,

t

地装備中(労働投人贔酋たり耕地 面積)の成長率の推移をみることによりこの時期の特徴をつかむことにする。

それをみた第 4 表によると, 1945~55 年の時期は労働生産性については全期

間平均鼎み,

t

地牛産性については非常に高く,逆にじ地装備率については非

(2) 

' j ・:佐芙繁

[1982], pp. 66‑67

を参照{

(5)

425  閥度経済成長期以前の農業生廂・農業経 貨の実態

4

労働生産性,土地生産性の成長

労慟生産性 土地生産性 18801900  1. 6  1.  1  19001920  2.6  1. 3  19201935  1.  1  0.8  19351945  ‑2.2  ‑1.5  19451955  2.3  3.0  19551965  6.7  3.5  全期間 2.0  1. 3 

ft料:速水佑次郎 I1973 l.  p.  41,  2‑9より作成,う

1 )

成長率は年平均複利;がである。

(単位:%)

土地装備率 0.5  1. 3  0.3 

0. 7 

0. 7  3.2  0.7 

2 )

成長率は各指定年次を中、点とする

5

カ年平均相!J'.について叶算している。

3)  1. 地装備索は労働投人贔 りたりの耕地/(!i柏である(

‑229‑

常 に 低 く マ イ ナ ス に な っ て い る こ と が わ か る 。 戦 災 者 , 復 且 者 , 引 揚 者 な ど の 帰農による過剰労働力の濡留のもと,労働})多投によって土地

4

咽伶))を増大さ

せる方向でこの間:期の農業什:.廂が行われたのである。このことを念頭におき,

以 ド で は こ の11;、『期の農業牛産構造の特徴について,戦後fl本 農 党 の そ の 後 の 展 開と対比させながらみていくことによって明らかにしていく。

5表 は 自 小 作 別 農 家 率 と 専 廉 菓 別 農 家 率 の 推 移 を み た も の で あ る 。 こ れ に よ る と 自 小 作 別 農 家 率 で は 46年と 50年 の 間 の 変 化 が 顕 著 で あ る こ と が わ か る 。 も ち ろ ん , 農 地 改 革 の 影 響 に よ る 。 農 地 改 芋 に よ っ て 小 作 農 家 率 は 46 28.7%から 50年 に は 5.1%,  55年 に は 4.0%ま で 低 ド し , 自 作 農 家 率 は 46

年 の 32.8%から 50 61.9%,  5569.5%ま で 増 加 し た 。 こ れ を 耕 地 面 積 に 占める「

1

作地・小作地の割合をみると, 46年 で 自 作 地 率 56%,小 作 地 率44%

であったのが, 49年 で 白 作 地 率87%,小 作 地 率 13%, 55年 で は 自 作 地 率

91%, 小 作 地 率 9 %となり,耕地の 9割以上が自作地となった()戦後自作農体 制 と も 称 せ ら れ る 自 作 農 家 に よ る 農 業 生 産 休 制 が こ の 時 期 に 形 成 さ れ た の で あ 方 , 専 樅 叢 別 農 家 年 を み る と , 専 業 農 家 来 が 閥 く , 専 業 農 家 が 牛 産 の 中

心であったことがわかる。戦前の 1938 年から 50 年までは専菜農家率が 45~

54%と 最 も 比 率 が 高 く , 農 叢 が 中 心 の 第 1種 樅 業 農 家 率 が そ れ に 次 ぎ , 両 力 を あわせると 8割 前 後 を 占 め た 。 し か し , 戦 後 経 済 復 興 が な さ れ 高 度 経 済 成 長 が (3) 

加 )

11

い文監修

r1977 

p .  

66を参照。

(6)

‑230‑

香 川 大 学 紆 済 論 叢

426 

5

表 自小作別農家率と専兼業別農家率の推移

自小作別農家率 専兼業別農家率

総農家数 家自作農 率 農 自 小 家 作 率 小作農 家

専家業農 率 業 第 農家率

1

種兼 第 業 農

2

種 家 兼 率

(千戸) ( % )   (%)  ( % )   ( % )   ( % )   ( % )  

1938  5,356  29.3  44.6  26. 1  45.2  30.6  24.2  1946  5,698  32.8  38.4  28.7  53.6  29.3  17. 1  1950  6,176  61. 9  32.4  5. 1  50.0  28.4  21. 6  1955  6,043  69.5  26.4  4.0  34.8  37.6  27.5  1960  6,057  75.2  21. 6  2.9  34.3  33.6  32. 1  1965  5,665  80. 1  17.9  1. 8  21. 5  36. 7  41. 8  1970  5,342  79.4  18. 8  ,. 6  15.6  33.7  50.7  1975  4,905  84. 1  14.6  1.  1  12.4  25.4  62.2 

責料:)

JIIHliil

文監修

[1977], pp. 1();110

りより作成

注:

1)  1946

年および1950 年の総農家数には,

1

足企,蒼畜衿を菜とする

IL

地を耕作せざる 農家

J(46

年3

,246Ji,  50

8,102! i)

が含まれており,耕地規校別/閃家数には』 I ・ . さ れてしヽなし

'o

2 )   ! ・ .   地を耕作しない例外規定農家が{{介するため, ! ' I 作・小作別農家数割合の合壮は

100%

にならない。

3)  1950

年は紆貸農用地の f Y ] " , t f 関係による

Ix:

分であり,他の年代は経 料;耕地の所打関係 による悩分である。

開始する時期の

55

年 で は 専 菜 農 家 率 が

50

年の

50.0%

から

34.8%

ま で 低

f

す る の に 対 し て , 第

1

種 兼 業 農 家 率 は

50

年の

28.4%

から

55

年の

37.6%

へ,第

2

種 兼 業 農 家 率 で も

50

年の

21.6%

から

55

年の

27.5%

へ 顕 著 に 増 加 す る と い う新たな動きも確認することができる。このような専業農家率低 f , 兼業農家 率上昇ーとくに第

2

種兼業農家率の上昇ーという動向はその後の農業の桔調と

なるが,この時期にその萌芽をみることができる。だが,その後の時期と比較 してこの時期の専業農家率は依然として高く,専業農家が牛陥の中心であった ということには変わりがなかったのなお,総農家数はこの時期

600Jj

戸を超え,

戦前戦後を通じて最も多かった()

次に農業労働力の状況をみてみる。第 6表は農家の就業状態別軋俯員数の推

移 を み た も の で あ る が , こ れ に よ る と 農 業 従 巾 者 数 は

46

年 で

1,849

万 人 お

り,戦後を通じて最も従事者数が多い。

60

年では

1,766 Jj

(46

年 の 従 事 者

数の

96%)

と 減 少 し て い る も の の 依 然 と し て 多 い が , 高 度 経 済 成 長 期 の

65

年 ,

70

年では

1,540

万人台

(rnl84%)

まで減少し,さらに

75

年には

1,361

人(同

74%)

まで減少した。農業就業状態をみると,「悶業専従

J

46

年 で

(7)

427 

闘 度 経 済 成 長 期 以 前 の 農 業 牛 産 ・ 農 業 経 党 の 実 態

‑231 ‑

6

表 晨 家 の 就 業 状 態 別 世 帯 員 数 の 推 移 世

(16

帯歳員以総上数)  農業従事者

兼業専従 非 就 業 ヽ

C

コ 計 農業専従 兼業(農業が主) 兼業(兼業が主)

(千人) (千人) (千人) (千人) (千人) (千人) (千人)

1946  34,137  18,486 100.0  14,471  78.3  1,850  10.0  2165 11. 7  927  14,724  1960  22,486  17,656 100.0  13,096  74.2  1,446  8.2  3, 114  17. 6  1,806  3,024  1965  20,599  15,443 100.0  9,614  62.3  1,900  12.3  3,929  25.4  1,952  3,203  1970  19,604  15,466 100.0  8,428  54. 5  1,824  11. 8  5,214  33.7  1,545  2,594  1975  17,925  13,610 100.0  6,498  47. 7  1,334  9.8  5,778  42.5  1,486  2,829 

脊料:り

flfll

化 文 監 修

[1977],

p p .  

126‑127

より作成。

礼:

1)  1916

年:だけは

Ill

・・、悶員総数について就染状態区分を行っており,

1960

年 以 降 は

16

歳 以

Ufl 

幣員総数につし、て就業状態区分を行っている

c

1,147

ガ人(令体の

78%), 60

年で

1,310

万 人

(la]71 

%)と非常に多く,「兼 業(農業がい」とあわせると全体の

80%

以上が嬰菜中心である。しかし, 「 農 叢専従」が

65

年に

961)j

人 ,

75

年に

650fj

人と

65

年 以 降 大 き く 減 少 し , そ の 比 率 も 低 I くする

u

ま た そ の .

Jj

で,「枇業(兼業が

iJ

」が比率を上昇させて し,ヽる。悶家

l

戸 りたり農業従巾者数は

46

3.24

人 ,

60

2.92

人 ,

65

2.73 

人 ,

70

2.90

人 ,

75

2.77

人と

60

年以降では大きな変化はないが,

l

戸刈 たり農叢専従者数でみると

46

2.54

人 ,

60

2.16

人 ,

65

年 l .

70

人 ,

70

年 l .  

58

人 ,

75

年 l .

32

人と

2

人以

t

を確保しているのが

60

年 ま で で あ る こ と が わかる。このように戦後の時期で比較すると,

1946

年から

60

年にかけては大 部 分 の 農 架 従 ' M 者が専従であり,豊富な農業労働))によって農業生産が行われ ていたことがわかる。

また,扉

m

労働については,それをみた第 7 表によると,農業年雇の雇入農 家数は

55

年で

13JJ 8,000

戸とピークを形成しその後は減少していくが,なか でも

60

年の

11Jj 4,000

戸から

65

年の

3

7,000

戸 へ の 減 少 は 際 立 っ て い る

ことがわかる()農叢臨時雇については,

70

年 ま で は 雇 人 農 家 数 で

200

万戸,

延人数で

6,000Jj

人を超えていたが,

75

年 で は 雇 人 農 家 数 で

130

万戸,延人

数で

3,400h

人余りと激減した。このように

600

万戸余りの農家のうち年雇を

人れているのはピークでも

13

8,000

戸と全体の数%にすぎず,ほとんどの

農 家 は 家 族 労 働 力 の 年 間 就 労 の み か 農 繁 期 に 臨 時 雇 を 人 れ る 程 度 の 自 作 農 で

(8)

‑232‑

香 川 大 学 経 済 論 叢

428 

第 7 表 農 業 雇 用 労 働 の 推 移

農業年雇 農業臨時雇 手間替え・ゆい 手 伝

雇入農家数 雇入農家数 延べ人数 雇入農家数 延べ人数 雇入農家数 延べ人数

(千戸) (千戸) (千人) (千戸) (千人) (千戸) (千人)

1950  130 

1955  138  2,097  67,766  1,503  15,793  1,  101  13148 1960  114  2,718  80, 231  1,694  18,644  1,245  11,089  1965  37  2,402  69,114  1, 741  20,805  817  7,021  1970  18  2,241  64,135  1,763  25,636  819  8,209  1975  1,343  34,462  1,010  11,411  558  5,147 

賽料.:  悶林水産省統』情報乳 I I

[19921, pp. 412‑417

より竹成。

注:

1)  1955

年および1960 年の[悶農菜臨時)

11U

は 1 1 府のみて季節扉は五 ! ・ I ・ . していない。

8

表 肥 料 消 費 量 の 推 移

販 売 肥 料 自 給 肥 料 自給肥料の占める割合

窒素 燐酸 加里 窒素 燐酸 加里 窒素 燐酸 加里

(千トン) (千トン) (千トン) (千トン) (千トン) (千トン) ( % )   ( % )   ( % )  

1930  273  193  67  304  115  243  52.7  37.4  78.4  1935  356  231  122  367  146  300  50.8  38.8  71. 1  1940  412  269  77  407  168  339  49.8  38.5  81. 5  1945  100  13  478  196  401  82.7  94.0  98.2  1950  423  233  85  501  191  390  54.2  45.0  82. 1  1955  561  392  395  550  208  427  49.5  34.7  52.0  1960  665  493  535  603  239  234  47.6  32.7  30.4  1965  691  574  601 

1970  688  653  606  1975  638  623  518 

脊料:

1JLI r!l1

け文監修

ll977J,  p.  177

より作成ぃ

注:

1)  1965

年以降の白給肥料のデータはとらオしてしヽなし\

あった。だが,後の時期と比べると,農業年雇,臨時雇とも

60

年までは多く

の農家で屈い人れていたのであり,農業労働力は屈用労働についても•豊富で

あった。

次に資本財についてみよう。肥料消費鼠についてみた第

8

衣によると,この

時 期 の 肥 料 消 費 の 特 徴 に つ い て 以 F のようなことが指摘できる。

1

つは肥料消

費 羅 が 戦 後 急 激 に 増 加 す る こ と で あ る 。 終 戦 直 後 の

45

年 で は 肥 料 消 費 贔 は 販

売肥料の不足により非常に少ないが,戦前

i

30

年では販売肥料,自給肥料を

あわせて窒索, リ ン 酸 , カ リ の 消 竹 址 が

58Jj

トン,

31)j

トン,

31}j

トンで

あったのに対して,化学肥料の統制配給制度が廃止された

50

年では

92Jj

トン

(30

年 の

1.6

倍 ) ,

42h

トン

([ii]1. 4 1

脊 ) ,

48

万 ト ン

(lri]1. 5

倍 ) ,

55

年 で は

参照

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