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青 森 県 指 定 文 化 財 解 説
その三(天然記念物)
本県指定天然物は青森県文化財保護条令施行規則(昭和二
十九年六月二十二日公布)に基き、動物、植物および地質鋳
物のうち学術上貴重で'わが郷土の記念となるものを選定し
たので、昭和三十年1月から宇十四年1月現在で植物関係十
件'鉱物'地質関係二件、動物園係はな‑合計十二作の記念
物が保存されている。
天然記念物の指定基準は昭和二十六年五月十日文化財保護
委員会告示第二号に嘩均した.この基準の植物の部に十二項
目あり、そのEに名木、玉樹'老樹、崎形木.栽培植物の原
木、並木、杜叢と出ている。そしてbf樹とは樹種に園係な‑
甚大な幹国を有し稀有の生長をとげたもので'軍馬は左程間
鴎にしない,低木でも特に太‑生長したものは指定4tlれる。
老木は正確な樹令のもの稀なので'老樹として指定されたも
のは極まれであるO名木とは著し5横形を呈Ltまた特異の 田干蔵
発生を遂げ'あるSは診稀の種類にぞ‑するもので、多‑は
栽柿され、まれには野生のものもある。崎形とは帯化輩の協
木のようなもQで'本県で指定された物件の大部分は互樹で
並木と崎形も加わっている.r北金ケ茸のイチョウ(J株)
所在西津軽郡深浦町北金ヶ沢
指定昭和三十年7月七日(管理者深浦町)
樹相異常発育をとげた宜樹のTつで'本幹Q太さは枝か
ら乗れさがった気根(俗称ナチ)の繁茂によって測れ
ないが、本幹を取‑まく気根と7括して測定した周囲
は7九・川○米、あるから本幹は少くともTT米余と
推定している。
附並には折骨の園の伝承もあり'麿応‑応永(T三四〇〜T四〇1年)間の苫碑もあ‑'山城の遺跡を持つ
所から、鎌倉時代以来の老木と推考されてSる.梯勢
旺盛のTpl牌であるのと附正の史跡と関れんして貴重な
記念物として保存すべきである。
二銀青木(一株)
所在上北郡七戸町字銀南木五奄河原
指定昭和三十7年五月十四日(管理者七戸町銀南木部
落)
樹相本幹の太さ二・六米幹直径三・七〇米'樹高二〇米の堆木で'枝が四方に茂‑樹冠7地積約四・九ア
ールに及び'枝よSLさがってSる気根も見事なもので
ある。
由緒法心国師本州最北端の都.倉岡に絵島瑞がん寺よ‑
移住'御庵を結んだ門前に植えつけたもので'推定横
合約七百年の大イチョウである。四荘部落民に乳乞樹
として崇挿され、且つ将来性に富む記念物であるぐ
以上二伸は県指定の大イチョウであるが、お葵附公孫樹(葉
上にギンナン即ち実がつ‑)とSう診品の見つからなSのは
不思議であるっなお国の指定をうけてSる大公孫樹は、上北
郡十和田町法量字淵択'善止寺跡にある。樹高三〇米余、帝
国711Ji米余.幹直径四・四〇米で'日本第二の大公孫樹であ
る(第L位は岩手県久慈市長泉寺のもので幹図7四米余)0
国の指定をうける公孫櫛の賓格は、幹図八米以上となってS るから.本県には多数の有資格樹がある。日本で天然記念物
の指定をうけてSるイチョウは二十六件もあ‑、北に進むと
そのP]樹が多‑なるが北海道には7件もなSoイチョウは中
国原産で日本には鎌倉時代から移入栽増されたとSわれてS
る。この植物は地質時代には繁栄をきわめ種類も多かった
が'現在ではただ一種中生代の遺留植物として東亜の7角に
残存し、生きた化石というべき貴重なものである.因みにイ
チョウは火事に対し非常に抵抗力が強SとSうことを71TlBし
てお‑0
三うつぎ(l株)
所在三戸郡階上村大字赤保内字赤保内五蛭子安三宅地内
指定昭和三十7年五月十EI日(管球者蛭子安二二
樹相地上約十七糎の幹図一・五四米'この部分より三重
幹を派出し、各麦幹は高さ約二米に達し'枝毛を豊か
につけ六月の開花時には壮観を呈する。
由緒別に記録もなく、所有者蛭子家の組先が庭のかきね
に植えたと伝えられてSる。現在はかきねとはなれた
宅地内にある。
ウツギはユキノシタ(虎耳草)科の落葉低木で、北海道.杏
州、九州の山野に普通なもので二向き二米内外枝は申基でよ
‑茂‑、薬は対生で卵形乃至広S披針形、ふちに鋪鋸歯があ
り表面はざらつき、裏面には星形の小宅がある〇五、六月の
‑ 7 ‑
侯枝先きに白S五弁花k.絵状につける、陰暦四月(卯月)に
開花するので卯の花の名もある.
ウツギの大木は日本では記録がなS.所在地の環境がよく
現在に至らしめたもので.全国的な診木の1つとして保存の′要がある.
四茨島のト手ノキ(︼株)
所在三戸郡階上村大字赤保内字茨島二茨島豊載宅地内
指定昭和三十年一月七日(管理者茨島豊蔵)
樹相樹高的二川米、幹困約六米、樹勢よ‑枝葉繁茂Lt
樹冠下の地積約二二・二アールに達する。そして'枯
損部もな‑毎年多量の実を探る.南側の枝(径四五
・四糎)は垂れて地表につSてSる。推定樹令は約六
百年から八百年位で、東北地方でまれに見るトチの官
樹である。
由緒茨鳥蒙の組先がこの地に落着Sた際、宅地にィチョ
ウかカツラの大木があ‑、これは自然に枯死したのち
家中に不祥が続き、神意に実のなる木を植えよとあっ
たので、植つけたのは現在のトチノキである0
‑チノキはトチノ千科の日本特産落草高木で、七草樹、栃、
橡、糊の漢字が用Sられ、北海道、本州および中国に分布す
る.日本では高三二〇米幹径二米に達する発育を見るもので
あるが、国の指定をうけてSるトチノキは四件(富山二件、 兵庫丁件'広島丁件)あるにすぎなS。日本1の大栃は富山
県東砺波(Lとなみ)郡利賀村脇谷のもので'幹囲約二・
八米'ここよ‑上方一・五〇米の幹園で九・七米もある。な
お本県には各地にトチノキの互樹があ‑、その二・三Q例を
示すと二二戸部新郷村西鶴宇検久保ハ民有林)の逆橡(サカサ
ーチ)は樹高二〇米、幹図四・五二米'幹径一・四四米'推定
横合約三百年、下北郡大畑町深山沢.(国有林)の深山の大検
蛙二TL株あり'そのTは樹高7九米、幹囲五・三〇米、幹径
;・六九米'推定樹令約五百年.その二は樹高二1米'幹図
六・四二米、幹径二・〇四米、推定樹令約五百年とされてS
る.本県茨島家のトチノキは樹木崇葬の念J‑栽植され、全
国的大検に近‑生育し将来性も多分に存するため県指定となった。
五重の木(l株)
所在三戸郡三戸町六日町二九番地似鳥倫夫宅地内
指先昭和三十7年五月十四日(管甥者似鳥倫夫)
観相桑の大木で高さ九・二七米.主幹図二・七二米、枝
張‑の勢よく東西にT六・七〇米をQばし、葉は良質
のもので約五六7敬二五〇貫)余を着けてSる。こ
の桑の品種は山中高助である。
由緒栽楠の記録は明かで明治七年二八七四二描島県で
育威した苗木を、璽八年三戸町役場で取寄せ、翌九年
先代似鳥新六が自宅裏の畠に植付けた1本が現在の大
桑である。以前三戸地方は養蚕中心地帯で栽桑も盛ん
であったことの記念ともなJsa、このような大桑は稀に
できるので極めて貴重な記念物である。
桑はクワ科の落筆向木または低木で中国および日本に分布
しまれ誓二百年余の横合を保つものもある(下北郡大間町
に切株の年輪百五十以上に達したものもあった).三戸の大
桑は現在八十五年になり将来性に富んでSる0日本で国の指
定をつけてSるもの二件ある.調書の大桑(新潟県両津市)
と薄根の大桑(群馬県沼田市石墨)とはそれであるが二二戸
の大桑よりは大き‑なSように記憶している。昭和二年天然
記念物調査報告に'(植物之部第七輯)zII本7の大桑として
隔岡県筑紫郡山口付の二本を取上げてS・花が'枯揖したのか
指定にはなっていなS.当時三戸の大桑と比較してみたが'
高さ太さ共に三戸の桑はまきつておっ,冗(測定比較表省暑)
三戸の大桑は延伸生長は止まり'稽端は枯れて低くなって
Sるが'幹の太さは年毎に増してSる.昭和十7年の樹高は
一二・二〇米であったが、現在は九・二七米で約三米近‑上
方の枝が枯指したo幹囲竺1・三〇米であったのが二・七二
米になっている.管理を怠ちなSとまだまだ肥大生長が行わ
れる。管理者似馬偏夫が周到に守護していることは喜ばしい
ことである〇 大法光等参道松並木(二十三珠)
所在三戸郡名川町字法光寺の参道
指定昭和三十三年1月二十二日(管理者法光寺)
現場は法光寺の参道(坂道)で並木の主要素はアカマツの優
雅な容姿の批木二十三株である。その母体格のl株は地方名
枝垂橡と呼ばれ参道入口に坐を占め'高三二元米幹図四米の
立派な大木である。場所は水田に5'く常風の環境で、幹はや
や斜南方に傾き風成樹形を示してSる。枝坂は上部に繁り恰
も天女の舞うが如き容姿実に愛らしSoこの寿命は法光等
記録「伝功記」によると'法光寺は鎌倉時代の建設で、延宝
四年(ハ七六)この寺の十二代任職が、寺の内項として枝
垂桧四百二十七本を参道に栴えたとあ‑'その後伐探され現
在の枝重松7本だけ残ったので'約二百八十三年を軽過して
Sる。他の松は伐採跡地に構えられたもので'樹高約二〇米
位に生長し枝振も雅致にとむ将来性をもつ寺閣林の要素と認
め県指定としたO法光寺は北条時頼と因縁洋か‑'四周の山
岳景観も雄大で県立公開の指定もうけてSる.日本で松の天
然記念物は二十九件あるが'単なる宜樹としてではなく名木
の格で指定されてSるものが多いo名木としては高さよ‑ち
幹の太さと枝振‑が菅格とな‑'幹の太さは七米以上が選ば
れ、四米以下では失格になってSるのが普通である.三保松原、気比の松原などは記念物の名除に指定されてSる。
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