〈研 究 ノ ー ト〉
第1次 世界大戦 中の名古屋俘 虜収 容所
に お け る救'血活 動 に つ い て
赤 十 字 国 際 委 員 会 駐 日代 表
プ リ ッ ツ ・パ ラ ヴ ィチ ー 二 報 告 を も と に し て
大 川 四 郎
1.は じめ に
2.第1次 世 界 大 戦 当 時 の 捕 虜 救 仙 体 制 3.fl露 戦 争 以 来 の 名 古屋 市 民 の 捕 虜 観
4.ICRC駐ll代 表 ブ リ ッ ッ ・パ ラ ヴ ィチ ー 二 博 一 ト 5.パ ラ ヴ ィ チ ー 二 報 告 と 日本 赤 卜字 社 編 「俘 虜 視 察 報 告 」 6.お わ りに
1.は じ め に
第1次 世 界 大 戦 終 結 時 に 日 本 国 内 に は,計7ヶ 所 に 捕 虜1収 容 所 が 置 か れ, 約5,000名 の ドイ ツ ・オ ー ス トリ ア 兵 捕 虜 が 抑 留 さ れ て い た 。 期 せ ず して,こ れ らの 捕 虜 収 容 所 は,日 独 間 の 国 際 交 流 の 場 と な っ た 。 例 え ば,徳 島 県 に 所 在
した 板 東 俘 虜 収 容 所 は,ベ ー トー ベ ン作 曲 「交 響 曲 第9番 』 が 初 演 さ れ た場 所
と し て つ と に 有 名 で あ る2。 そ れ ば か りで は な い 。 当 時 の ド イ ツ ・オ ー ス ト リ
ア 兵 捕 虜 の 中 に は 高度 な 技 術 保 持 者 が 多 か っ た た め,我 国 に 多 くの 技 術 が 伝 え
られ,地 域 産 業 の 発 展 を 促 す こ と に もつ な が っ た 。 久 留 米 の ゴ ム 産 業,そ して,
名 古 屋 市 の 製 パ ン業,金 鍍 金 業 は そ の 好 例 で あ る{。
こ の よ う に,第1次 世 界 大 戦 中 の 捕 虜 収 容 所 に 対 して,近 年,文 化 交 流 と い う観 点 か ら,多 くの 関 心 が 向 け られ て い る1。
こ れ に 対 して,本 稿 で は,捕 虜 に対 す る こ の よ うな 人 道 的 待 遇 を 可 能 に した, 当 時 の 捕 虜 救 位 体 制 お よ び そ の 実 態 は い か な る も の で あ っ た か を,国 際 人 道 法 史 の 観 点 か ら検 討 して い く。 そ の 理 由 は次 の2点 に よ る 。
第1点 と して,日 本 国 内 に お い て,日 露 戦 争,第1次 世 界 大 戦 に 見 られ る 捕 虜 厚 遇sが,第2次 世 界 大 戦 で は 総 じて 捕 虜 虐 待 へ と転 じて い くr,0こ の 転 換 を 論 ず る 前 に,捕 虜 厚 遇 期 の 制 度 的 ・社 会 的 背 景 を整 理 検 討 して お き た い か ら で あ る 。
第2点 と して,2004年6月,我 国 は,有 事 立 法 整 備 の 一 環 で,捕 虜 な ど の 処 遇 を 定 め る ジ ュ ネ ー ブ 条 約 の2つ の 追 加 議 定 書 を 承 認 す る と 同 時 に,「 捕 虜 の 取 扱 い に 関 す る法 律 」,「国 際 人 道 法 違 反 処 罰 法 」 を も制 定 した 。 戦 争 と い う 事 態 は 避 け るべ き もの で あ る 。 しか し,万 が 一,有 事 の 場 合 に,我 国 の 権 内 に 入 っ た捕 虜 を い か に 処 遇 す べ き か と い う 時 に,そ の 反 省 材 料 と な る の は,過 去 の 捕 虜 救'ill活動 に つ い て の 記 録 を 批 判 的 に 検 討 す る こ と を お い て 他 に な い の で は な い か,と 筆 者 は 考 え て い る か ら で あ る。
以 下 で は,第1に,第1次 世 界 大 戦 当時 の 救 血 体 制 を 概 観 した 上 で,第2に, 日露 戦 争 以 来 の 名 古 屋 市 民 の 捕 虜 観 に つ い て 触 れ る。 第3に,こ の 制 度 の 枠 内 で,日 本 国 内 の 捕 虜 収 容 所 を 赤 十 字 国 際 委 員 会(以 下,ICRC)駐 日代 表 と し て 視 察 に あ た っ た ブ リ ッ ツ ・パ ラ ヴ ィ チ ー 二 博 士 の 経 歴 を 振 り返 り,第4に, パ ラ ヴ ィチ ー 二 博 士 の 収 容 所 視 察 報 告 の う ち,名 古 屋 俘 虜 収 容 所 に 関 わ る 部 分 を,当 時 の 日赤 側 記 録 と対 照 さ せ つ つ,検 討 す る 。
2.第1次 世 界 大 戦 当時 の捕 虜 救 並 体 制
史 上 初 め て 世 界 的 規 模 で の 総 力 戦 と な っ た 第1次 世 界 大 戦 で は,捕 虜 問 題 が
複 雑 化 した 。 と こ ろ が,既 存 の ジ ュ ネ ー ブ2条 約(「 戦 地 軍 隊 に 於 け る 傷 者 及
病 者 の 状 態 改 善 に 関 す る1864年8月22日 の ジ ュ ネ ー ブ 条 約 」,「戦 地 軍 隊 に 於
け る傷 者 及 病 者 の 状 態 改 善 に 関 す る1906年7月6日 の ジ ュ ネ ー ブ条 約 」)で は,
第1次 世 界大 戦 中の 名古 屋 俘虜 収容 所 に お け る救 位 活動 に つい て
捕 虜 に 関 して わ ず か な 規 定 しか 置 い て い な か っ た。 捕 虜 に 関 す る 詳 細 な 条 約 と し て は,「 陸 戦 の 法 規 慣 例 に 関 す る 規 則 」(1907年(明 治40年)10月18日 の ハ ー グ第4条 約 附 属 書)し か な か っ た 。 こ の 「規 則 」 に は,次 の よ う な 規 定 が 置 か れ て い る。
第4条 〔 俘 虜 ノ抑 留 〕 俘 虜 ハ 敵 ノ政 府 ノ権 内 二 属 シ之 ヲ 捕 ラ エ タ ル 個 人 又 ハ 部 隊 ノ権 内 二 属 ス ル コ トナ シ。
俘 虜 ハ 人 道 ヲ以 テ 取 扱 ハ ル ヘ シ。
俘 虜 ノ ー 身 二 属 ス ル モ ノハ 兵 器,馬 匹 及 軍 用 書 類 ヲ 除 ク ノ外 依 然 其 ノ所 有 タ ル ヘ シ。
第6条 〔 俘 虜 労 働 〕 国 家 ハ 将 校 ヲ 除 ク ノ外 俘 虜 ヲ其 ノ階 級 及 技 能 二 応 シ労 務 者 トシ テ 使 役 ス ル コ トヲ 得 。 其 ノ労 務 ハ 過 度 ナ ル ヘ カ ラ ス。 又 一 切 作 戦 行 動 二 関 係 ヲ有 ス ヘ カ ラ ス。
〔 俘 虜 ヘ ノ給 与 〕 俘 虜 ハ 公 務 所,私 人 又 ハ 自 己 ノ為 二 労 務 ス ル コ ト ヲ許 可 サ レル ル コ トア ル ヘ シ。 国 家 ノ為 ニ ス ル 労 務 二 付 テ ハ 同 一 労 務 二 使 役 ス ル 内 国 陸 軍 軍 人 二 適 用 ス ル 現 行 定 率 二 依 リ支 払 ヲ 為 ス ヘ シ。 右 定 率 ナ キ トキ ハ 其 ノ 労 務 二 対 ス ル 割 合 ヲ以 テ 支 払 ウ ヘ シ 。
公 務 所 又 ハ 私 人 ノ為 ニ ス ル労 務 二 関 シ テ ハ 陸 軍 官 憲 ト協 議 ノ 上 条 件 ヲ定 ム ヘ シ。
俘 虜 ノ労 銀 ハ 其 ノ境 遇 ノ 顛 苦 ヲ 軽 減 ス ル ノ用 二 供 シ剰 余 ハ 解 放 ノ時 給 養 ノ 費 用 ヲ控 除 シ テ之 ヲ俘 虜 二 交 付 ス ヘ シ。
第7条 〔俘 虜 ヘ ノ扶 養 〕 政 府 ハ 其 ノ 権 内 二 在 ル 俘 虜 ヲ給 養 ス ヘ キ 義 務 ヲ有 ス 。 交 戦 者 間 二 特 別 ノ 協 定 ナ キ 場 合 二 於 テ ハ 俘 虜 ハ 糧 食,寝 具 及 被 服 二 関 シ之
ヲ捕 ヘ タ ル 政 府 ノ 軍 隊 ト対 等 ノ取 扱 ヲ受 クヘ シ。
第14条 〔 俘 虜 情 報 局 〕 各 交 戦 国 ハ 戦 争 開 始 ノ 時 ヨ リ又 中 立 国 ハ 交 戦 者 ヲ 其
ノ領 土 二 収 容 シ タ ル 時 ヨ リ俘 虜 情 報 局 ヲ設 置 ス。 情 報 局 ハ 俘 虜 二 関 ス ル ー
切 ノ問 合 二 答 フ ル ノ任 務 ヲ 有 シ俘 虜 ノ留 置,移 動,宣 誓 解 放,交 換,逃 走,
入 院,死 亡 二 関 ス ル 事 項 其 ノ他 各 俘 虜 二 関 シ銘 銘 票 ヲ作 成 補 修 ス ル 為 二 必
要 ナ ル通 報 ヲ各 当 該 官 憲 ヨ リ受 クル モ ノ トス。 情 報 局 ハ 該 票 二 番 号,氏 名,
年 齢,本 籍 地,階 級,所 属 部 隊,負 傷 並 捕 獲,留 置,負 傷 及 死 亡 ノ 日付 及 場 所 其 ノ他 一 切 ノ備 考 事 項 ヲ記 載 ス ヘ シ。 銘 銘 票 ハ 平 和 克 復 ノ 後 之 ヲ他 方 交 戦 国 ノ政 府 二 交 付 ス ヘ シ。
情 報 局 ハ 又 宣 誓 解 放 セ ラ レ交 換 セ ラ レ逃 走 シ又 ハ 病 院 若 ハ 包 帯 所 二 於 テ 死 亡 シ タル 俘 虜 ノ遺 留 シ 並 戦 場 二 於 テ 発 見 セ ラ レ タ ル ー 切 ノ 自用 品,有 償 物, 信 書 等 ヲ 収 集 シ テ 之 ヲ関 係 者 二 伝 送 ス ル ノ 任 務 ヲ 有 ス。
第15条 〔 俘 虜 救 血 組 織 〕 慈 善 行 為 ノ媒 介 者 タ ル 目 的 ヲ以 テ 自国 ノ法 律 ノ従 ヒ 正 式 二 組 織 セ ラ レ タ ル 俘 虜 救 価 協 会 ハ 其 ノ 人 道 的 事 業 ヲ 有 効 二 遂 行 ス ル 為 軍 事 上 ノ必 要 及 行 政 上 ノ 規 則 二 依 リ テ定 メ ラ レ タル 範 囲 内 二 於 テ 交 戦 者 ヨ リ自 己 及 其 ノ 正 当 ノ 委 任 ア ル代 表 者 ノ為 ニ ー 切 ノ便 宜 ヲ受 ク ヘ シ。
〔 救'ill組織 代 表 者 〕 右 協 会 ノ 代 表 者 ハ 各 自陸 軍 官 憲 ヨ リ免 許 状 ノ 交 付 ヲ受 ケ 且 該 官 憲 ノ定 メ タ ル 秩 序 及 風 紀 二 関 ス ル ー 切 ノ 規 律 二 服 従 ス ヘ キ 旨 書 面 ヲ以 テ 約 シ タ ル 上 俘 虜 収 容 所 及 送 還 俘 虜 ノ途 中 休 泊 所 二 於 テ 救 位 品 ヲ 分 与 ス ル コ トヲ許 サ ル ヘ シ。
ま ず,ハ ー グ 「規 則 」 第4条 第1項,第2項 が 示 す の は 次 の 点 で あ る。 ジ ャ ン ージ ャ ッ ク ・ル ソ ー が 説 く よ うに,戦 争 と は 個 人 間 の 関 係 で は な く,国 家 間 の 関 係 で あ る。 個 人 は た ま た ま戦 闘 員 で あ る か ら,戦 場 で 向 か い 合 って い る相 手 国 戦 闘 員 と 敵 対 関 係 に あ る 。 戦 闘 員 と して 武 器 を 手 に し,戦 闘 能 力 が あ る 間 は,相 手 国 戦 闘 員 を 殺 傷 す る 権 利 が あ る。 しか し,戦 闘 員 が 武 器 を 捨 て て 捕 虜 とな った 場 合,戦 闘 能 力 の な い 個 人 で あ っ て,戦 闘 員 で は な くな る 。 従 っ て, 捕 虜 と な った 者 を,尊 重 しな け れ ば な ら な い7。 しか し,戦 闘 が 終 結 し,一 方 戦 闘 員 又 は 部 隊 が 他 方 戦 闘 員 を 捕 虜 と して 捕 獲 す る場 合 に,抑 留 国 側 と な る一 方 戦 闘 員 が,個 人 的 に は 酬 氣心 に駆 られ る こ と が あ る の で,個 人 的 な 制 裁 を 捕 虜 に 加 え る こ と が で き な い よ う に しな け れ ば な ら な い。 そ こ で,捕 虜 を 捕 虜 収 容 所 で 抑 留 ・保 護 す る こ とが 必 要 に な っ て く る 。
ハ ー グ 「規 則 」 第7条 は,抑 留 国 が 捕 虜 を 収 容 所 に抑 留 す る際 の 義 務 を 述 べ
て い る。 捕 虜 の 所 属 国 ま た 人 道 団 体 か ら の 援 助 が あ る場 合 を 除 い て,抑 留 国 は
捕 虜 を 絶 対 的 に 扶 養 しな け れ ば な ら な い と理 解 さ れ たn。
第1次 世界 大戦 中 の 名古 屋俘 虜収 容 所 にお け る救位 活動 につ いて
こ れ らの 規 定 に 従 って 救 位 活 動 を 組 織 的 に 実 施 す る た め に,俘 虜 情 報 局 を 設 置 す る こ と が 必 要 に な っ た 。 そ こ で,ま ず,ICRCは,1914年8月21日 に,
ジ ュ ネ ー ブ に 中 央 捕 虜 情 報 局 を 設 置 す る と と も に,各 交 戦 当 事 国 政 府 及 び 各 国 赤 十 字 社 に 対 して,救ln'1'組織 を そ れ ぞ れ の 国 内 に 設 け る こ と を 要 請 した 。
こ う して,我 国 で は,ハ ー グ 「規 則 」 第14条 を受 け て,大 正3年(1914年) 9月19日 に 勅 令 第192号 の 俘 虜 情 報 局 官 制 で,東 京 に俘 虜 情 報 局 が 設 置 さ れ, 陸 軍 大 臣 の 管 理 下 に 置 か れ た 。 この 機 関 は,長 官1名(陸 軍 将 官 又 は 陸 軍 大 佐) と 事 務 官(陸 海 軍 佐 尉 官 又 は 奉 任 文 官),判 任 の 書 記5名 か ら構 成 さ れ た 。 そ の 主 た る 任 務 は,捕 虜 の 「留 置,移 動,宣 誓 解 放,交 換,逃 走,入 院,死 亡 二 関 ス ル 事 項 其 ノ他 各 俘 虜 二 関 シ 銘 銘 票 ヲ作 成 補 修 」(俘 虜 情 報 局 官 制 第1条 第 1号)し,「 宣 誓 解 放 セ ラ レ,交 換 セ ラ レ,逃 走 シ又 ハ 病 院 若 シ ク ハ 包 帯 所 二 於 テ 死 亡 シ タ ル 俘 虜 ノ遺 留 品 及 遺 言 書 ヲ保 管 シ且 之 ヲ遺 族 其 他 ノ関 係 者 二 送 付 」 (同 官 制 第1条 第3号)す る こ と で あ っ た 。 こ れ に 伴 い,日 露 戦 争 当 時 の 俘 虜 収 容 所 条 例(明 治38年2月2日 勅 令 第28号),俘 虜 取 扱 規 則(明 治37年2月 14日 陸 達 第22号),俘 虜 取 扱 細 則(明 治37年5月15日 陸 達 第97号 ノ1),俘 虜 取 扱 規 則(明 治37年2月17日 海 軍 大 臣 達 第33号),俘 虜 取 扱 細 則(明 治 37年5月15日 陸 達 第97号 ノ2)に 所 要 の 修 正 を 加 え た 上 で,俘 虜 情 報 局 事 務 取 扱 規 程(大 正3年9月21日 陸 達 第30号),を 整 備 した 。
注 目 す べ き は,ハ ー グ 「規 則 」 第4条 第2項 で 俘 虜 を 「人 道 ヲ以 テ 」(avec humanite)処 遇 す る よ う に 規 定 して い る こ と か ら,俘 虜 取 扱 規 則 第2条 で,
「俘 虜 ハ 博 愛 ノ 心 ヲ以 テ 之 ヲ取 扱 ヒ決 シテ 侮 辱 虐 待 ヲ加 フ ベ カ ラ ズ」(傍 線 は 引 用 者)と,類 似 の 規 定 を 置 い て い る こ と で あ る 。 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 内 務 細 則 (大 正8年3月20日 改 正)で も,「 衛 生 部 員 ハ 寛 容 ナ ル 博 愛 的 観 念 ト厳 格 ナ ル 態 度 ヲ以 テ 俘 虜 二 接 ス ヘ シ 」(同 細 則65条 。 傍 線 は 引 用 者)"と 規 定 して い る。
と こ ろ で,俘 虜 情 報 局 を 管 理 す る 陸 軍 省 は,戦 時 に あ って は,戦 闘 に 従 事 す る こ と が 主 務 で あ る 。 そ こ で,俘 虜 情 報 局 と緊 密 な 連 絡 関 係 を と り な が ら,具 体 的 な 捕 虜 救 価 活 動 に従 事 した の は,日 本 赤 十 字 社 で あ った 。
西 南 戦 争 時 の 負 傷 者 救 護 に あ た っ た 博 愛 社 を 前 身 とす る 日本 赤 十字 社 は,明
治19年(1886年)に 日 本 政 府 が 赤 十 字 条 約 を 加 入 し た こ と に よ り,正 式 に 発
足 し た 。 翌 明 治20年(1887年)に 万 国 赤 卜字 に 加 盟 し た 。 そ の 後,民 法 上 の 社 団 法 人(日 本 赤 十 字 社 定 款 第1条,明 治43年7月 改 正,大 正 元 年12月 一 部 改 正)と して 組 織 され た 日本 赤 十字 社 は,日 本 赤 十 字 社 条 例(明 治34年12月 勅 令 第223号,明 治43年5月 改 正 勅 令 第228号)第1条 に 「日本 赤 十 字 社 ハ 救 護 員 ヲ 養 成 シ救 護 材 料 ヲ準 備 シ 陸 軍 大 臣,海 軍 大 臣 ノ定 ム ル 所 二 依 リ陸,海 軍 ノ戦 時 衛 生 勤 務 ヲ 帯 助 ス」 と規 定 さ れ て い る よ う に,主 務 官 庁 で あ る陸 海 軍 省 の 監 督 を 受 け,「 国 家 ノ 公 務 」 と して 「赤 十 字 ノ 事 業 」 を 行 う こ と と な っ たIU。
ハ ー グ 「規 則 」 第15条 に 対 応 して,日 本 赤 十 字 社 で は,大 正3年(1914年) 12月5日,陸 海 軍 大 臣 の 認 可 の 下 に,日 本 赤 十 字 社 俘 虜 救 位 委 員 規 定 を 定 め, 次 の 規 定 に あ る よ うな 業 務 を 担 当 す る こ と に な っ たII。
第3条 俘 虜 救 位 委 員 ハ ヂ ュ ネ ー ブ 国 際 委 員 ノ開 設 セ ル 俘 虜 二 関 ス ル 中 央 事 務 局 ト連 絡 ヲ取 リ(中 略)俘 虜 二 関 ス ル 事 務 ヲ 行 フ。 其 ノ事 務 ノ 重 ナ ル モ
ノ左 ノ如 シ。
1,外 国 赤 十 字 社 ノ救 価 委 員 ヨ リヂ ュ ネ ー ブ 中 央 事 務 局 ヲ 介 シ テ 日本 政 府 ノ権 内 二 在 ル 外 国 人 ノ俘 虜 二 対 シ救 価 金 品 ヲ送 リ来 リ タ ル トキ ハ 陸 軍 省 ノ指 示 ヲ得 テ 交 付 手 続 ヲ為 シ又 同 俘 虜 ノ所 在 安 否 二 関 シ 問 合 セ ヲ受 ケ タ ル トキ ハ 俘 虜 情 報 局 二 就 キ 必 要 ノ 問 合 セ ヲ為 シ 中 央 事 務 局 二 回 報 ス ル コ
ト。
2,日 本 二 在 ル 有 志 者 ヨ リ外 国 二 在 ル 日本 人 ノ俘 虜 二 宛 テ 救 位 金 品 ヲ寄 贈 セ ン トス ル モ ノ ア ル トキ ハ ヂ ュ ネ ー ブ 中 央 事 務 局 二 向 ケ 発 送 ノ手 続 ヲ為 ス コ ト。
そ して,俘 虜取 扱 細 則第14条 に 「病室 ノ衛生 勤 務ハ 所在 地 陸軍 病 院 ノ職 員
ヲ シテ之 ヲ担任 セ シム。 但 シ 日本 赤 十字社 救護 員 ヲシテ陸軍 医官 ノ指 揮 ノ下二
治 療 セ シ ム ル コ トヲ 得 」(傍 線 部 は 引 用 者 。 明 治37年5月15日 陸 達 第97号 ノ
2,大iE3年9月21日 陸 達 第32号)12と あ る よ う に,疾 病 状 態 に あ る 捕 虜 へ の
医 療 も,陸 軍 軍 医 官 の 指 揮 を 受 け な が ら,日 本 赤 十 字 社 看 護 婦 が あ た っ た 。
第1次 世 界 大戦 中 の名 占屋 俘 虜収 容所 にお け る救 価 活動 につ いて
ハ ー グ 「規 則 」 第6条 に 規 定 す る 捕 虜 労 働 は,抑 留 国 側 の 経 済 的 利 益 を 目的 と して い る の で は く,適 度 な 労 働 に よ り,捕 虜 が 身 体 的 に も精 神 的 に も良 好 な 状 態 を 維 持 す る こ とを 目的 と して い る1'iOこ の 規 定 に 対 応 して,俘 虜 労 役 規 則 (明 治37年9月10日 陸 達 第139号,明 治38年8月24日 陸 達 第40号,大 正3 年9月21日 陸 達 第34号)が 制 定 さ れ た 。
そ して,ハ ー グ 「規 則 」 を は じ め とす る捕 虜 関 係 の 関 連 法 規 は,俘 虜 情 報 局 に よ り 「俘 虜 二 関 ス ル法 規 」 と題 した 冊 子 に編 集 され,各 俘 虜 収 容 所 お よ び 関 連 諸 機 関 に 配 布 さ れ たll。
3.日 露戦 争 以 来 の 名 古 屋 市 民 の 捕 虜 観
名 古 屋 に捕 虜 収 容 所 が 設 置 され た の は,第1次 世 界 大 戦 が 初 め て で は な い 。 日露 戦 争 中 に も,市 内 東 別 院 内 に 設 置 さ れ て い る15。
当 時 の 東 京 帝 国 大 学 法 科 大 学 大 学 院 で 国 際 法 を 研 究 した 蜷 川 新 は,開 戦 壁 頭 に あ っ て,陸 軍 予 備 中 尉 と して 召 集 さ れ,朝 鮮 半 島,満 州 の 戦 場 を 転 戦 した 。 彼 の 任 務 は,黒 木 為 禎 大 将 指 揮 下 の 第1軍 司 令 部 付 国 際 法 顧 問 と して,日 本 軍 の 軍 事 行 動 が ハ ー グ 条 約 に 違 反 しな い よ う に,監 視 す る こ と で あ っ た。 内地 に 帰 還 後,名 古 屋 俘 虜 収 容 所 に 明 治38年3月25日 か ら 同 年6月24日 ま で 副 官 と して 勤 務 した 。 こ の 間 に,「 俘 虜 自 由 散 歩 及 民 家 居 住 規 則 」 に 対 応 して,「 俘 虜 自 由 散 歩 及 民 家 居 住 者 取 締 二 関 ス ル 細 則 」 を 整 備 し,ロ シ ア 兵 俘 虜 の 待 遇 改 善 に 尽 力 し たIfi。蜷 川 は,そ の 回 顧 録 『興 亡 五 十 年 の 内 幕 』 の 中 で,次 の よ う に 記 して い る。
日本 の 古 い 歴 史 に 依 れ ば,俘 虜 と な る こ と は,武 人 の 一 大 恥 辱 と信 じ られ て い た 。 名 古 屋 で,俘 虜 の た め に,自 由 居 住 や,自 由 散 歩 を 許 した こ と は, 国 際 法 学 者 に は,好 くわ か る け れ ど も,一 般 の 人 に は,好 くわ か らな か った 。 恰 も囚 人 を 優 遇 す る 非 常 識 の よ う に 思 っ た 人 が 多 数 い た。 憲 兵 や,巡 査 や, 下 級 軍 人 に そ の 思 想 が あ った 。(後 略)
名 古 屋 の 新 聞 記 者 に も 分 か ら な い 人 が い た 。 私 は,そ れ らに 接 して,俘 虜
の 待 遇 論 を 説 い て や っ た が,一 時 は や た ら に,俘 虜 の 行 動 を 非 難 した も の で あ る 。 そ れ は 取 締 が 悪 い の で あ る と い う の で あ っ た 。 私 は,陸 軍 省 の 参 事 官 で あ っ た,秋 山 雅 之 介(博 上)氏 か ら,或 日 書 面 を 受 取 っ た。 披 て 見 た 所 が, そ の 中 に 「俘 虜 は 賓 客 に あ らず 」 と い う 語 が あ っ た 。 私 は 直 ち に 返 事 を 認 め て,「 勿 論 で あ る。 唯 だ 国 際 法 に 基 き,又 陸 軍 省 の 定 め た 法 規 に 依 って,俘 虜 を 取 扱 って い る の み 」 と 書 い て 出 した こ と が あ る。(後 略)
名 古 屋 の 婦 人 連 は,価 兵 事 業 に,大 い に 努 め て い た が,俘 虜 の 救 価 事 業 に も,同 情 心 を 持 って い た。 或 日 音 楽 会 を 催 して,俘 虜 を 慰 め られ た こ とが あ っ た 。 新 聞 の 批 評 が う る さ い た め に,後 に は 俘 虜 の 慰 問 は1ヒめ られ た が,俘 虜 は,日 本 の 家 庭 婦 人 の 慰 問 を 受 け る の を,大 い に 期 待 して い た 。 私 は そ の こ と を 国 交 止 有 利 と 考 え て い た が,妨 げ られ て 行 わ れ な か った 。 当 時 名 古 屋 の 社 交 界 に は,有 名 な 美 しい 社 交 婦 人 が い た 。 和 達 瑛 子 女 史 は,そ の 明 星 で あ っ た が 賢 明 な 夫 人 で あ った 。 今 の 気 象 台 長 和 達 博 士 の 母 君 で あ っ た 。 名 古 屋 の 花 柳 界 に も,技 藝 の 優 れ た 美 妓 が 幾 多 い た。 そ の 舞 技 は,頗 る優 れ た も の で あ った 。 俘 虜 は,日 本 の 芸 術 に,甚 大 の 敬 意 を 払 って い た 。 当時 舞 技 を も っ て 有 名 で あ っ た 名 妓,浅 子 の 如 き は,そ の 技 と共 に,そ の 才 能 の 優 れ て い る の を,彼 らは 敬 服 して い た(傍 線 部 は 引 用 者)且丁 。
こ の 引 用 か ら もわ か る よ う に,日 露 戦 争 当 時 の 名 占屋 市 民 は,ロ シ ア 兵 捕 虜 に 対 し て 概 ね 好 意 的 で あ ったIN。
第1次 世 界 大 戦 中 に も,当 初 は,捕 虜 収 容 所 は 日 露 戦 争 時 と 同 じ く,名 古 屋
市 内 中 区 大 谷 派 東 本 願 寺 別 院 内 に 開 設 され た 。 しか し,風 紀 や 衛 生 上 の 点 か ら,
名 占 屋 市 内 東 区 内 の 陸 軍 作 業 場(現 在 の 名 古 屋 市 東 区 古 出 来 町 。 愛 知 県 立 旭 丘
高 等 学 校 の 敷 地)に 移 転 さ れ たis。 ドイ ツ兵 捕 虜 らは,日 露 戦 争 当 時 の ロ シ ア
兵 以r̲に 「洗 練 され た 文 化 人 」 と して 名 占 屋 市 民 の 目 に 映 った よ う で,歓 迎 さ
れ た こ と が 伝 え られ て い る0
第1次 世界 大戦 中 の名 占屋 俘 虜収 容所 にお ける救1血活動 につ いて
4.ICRC駐 日 代 表 ブ リ ッ ツ ・パ ラ ヴ ィ チ ー 二 博 士
日 本 が 文 明 国 で あ る こ と を 示 さん が た め に,日 本 軍 部 は 国 際 法 の 遵 守 に つ と め た 。 そ して,国 民 も捕 虜 に 対 して 同 情 的 で あ った 。 しか し,収 容 所 に 充 て ら れ た 芋院 内 に 多 数 の 捕 虜 が 収 容 され た た め に,捕 虜1人 あ た りの 空 間 が 狭 か っ た 。 こ れ に 加 え て 様 々 な 制 約 が 科 せ られ た こ と に よ り,日 本 側 と の 間 で しば し ば 紛 争 が 生 じた 。 特 に,久 留 米 俘 虜 収 容 所 で は,所 長 の 真 崎 甚 三郎 中 佐 に よ る 捕 虜 将 校 殴 打 事 件 さえ 生 じた 。 捕 虜 将 校 ら は,直 ち に 日 本 陸 軍 大 臣 宛 に 訴 願 書 を 出 して,抗 議 す る と 共 に,当 時 に 日本 国 内 に あ って ドイ ツの 利 益 代 表 で あ っ た ア メ リ カ 大 使 館 宛 に 事 件 を通 報 した 。 ま た,丸 亀 俘 虜 収 容 所 の 一 捕 虜 兵 止:は, 匿 名 の 書 簡 で,ド イ ツ 外 務 省 宛 に 日 本 側 の 捕 虜 取 扱 を 告 発 さえ し た。 更 に は, 逃 亡 事 件 さ え 報 告 さ れ て い る21。
ドイ ツ外 務 省 か らの 要 請 に よ り,ア メ リ カ 国 務 省 は,在 日 ア メ リカ 大 使 館 の 一 等 書 記 官 サ ム ナ ー ・ウ ェ ル ズ にFI本 国 内 の 捕 虜 収 容 所 の 視 察 を 命 じた 。 ウ ェ ル ズ は,1916年(大 正5年)3月2‑151]に か け て 視 察 を 行 い,報 告 書 を 在 日 ア メ リカ 大 使 グ ー ス リー に 提 出 した 。 グ ー ス リー は こ の 報 告 書 に 基 き,日 本 政 府 外 務 大 臣 と 会 見 した 。 この 結 果,口 本 国 内 の 捕 虜 収 容 所 で は,多 くの 点 が 改 善 され た 。 しか し,ウ ェル ズ視 察 後 も,久 留 米 収 容 所 で の状 況 は 改 善 さ れ な か っ た22。 ち な み に,当 時,林 田 一 郎 歩 兵 中 佐 が 所 長 を つ と め て い た 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 に つ い て,ウ ェ ル ズ は,「 私 が 収 容 所 の 立 地 と運 営 に 関 して 気 付 き 得 た こ とか ら 申 しま す と,こ こ の 事 情 に は 文 句 を つ け る余 地 が ほ と ん ど な く,俘 虜 達 が 一 般 的 に 満 足 して い る 状 態 に も同 様 に 苦情 を 述 べ る 理 由 が あ り ま せ ん 」?:{,
と記 して い る 。
そ こ で,中 立 国 側 に よ る 捕 虜 収 容 所 視 察 が な お も必 要 と さ れ た の だ が,1917 年(大 正6年)4月 に は,ル シ タ ニ ア 号 事 件 を 原 因 に 参 戦 した ア メ リ カ 自 体 が, 交 戦 当 事 国 と な って し ま った 。
1917年(大IE6年),ICRCは,日 本 国 内 に 抑 留 中 の ドイ ツ ・オ ー ス トリ ア
兵 捕 虜 の 状 況 を 視 察 さ せ るた め に,ト ル メ イ ヤ ー(Thormeyer,F.)他3名 の
ICRC委 員 を 日本 へ 派 遣 した 。 と こ ろ が,い ず れ も個 人 的 事 情 に よ り,こ れ ら 3名 は,日 本 到 着 前 に ス イ ス 本 国 へ 帰 国 を 余 儀 な く さ れ た 。 こ の た め,ICRC
か ら要 請 を 受 け た 駐 日 ス イ ス 公 使 サ ー リス が 在 日 ス イ ス 人 の 中 か ら適 任 者 の 人 選 に あ た っ た 。 そ の 結 果,ICRC駐 日代 表 に 任 命 さ れ た の が,横 浜 市 山 手74 番 地 に 居 住 し,同 市 本 牧772番 地 で 医 院 を 開 業 して い た ス イ ス 人 医 師 ブ リ ッツ ・ パ ラ ヴ ィ チ ー 二 博 士 で あ っ た21。
ブ リ ッ ツ ・パ ラ ヴ ィチ ー 二 博 士(Dr.FritzParavicini,1874‑1944)は ス イ ス 東 部 の グ ラ ー リス 州 に 生 れ た 。 チ ュ ー リ ッ ヒ,ロ ー ザ ン ヌ各 大 学 で 医 学 を 修 め た 後,チ ュ ー リ ッ ヒ郊 外 の 温 泉 療 養 所 ア ル ビ ス ブ ル ム で 医 師 と して 勤 務 した 。 1905年 に 来 日 し,横 浜 で 外 科 医 と して 開 業 し た 。 日 本 事 情 に 通 じ,各 国 駐 日 大 使 館 の 嘱 託 医 を もつ と め た 。 第1次 世 界 大 戦 中 に,ICRCか らの 要 請 に よ り 同 委 員 会 駐 日代 表 部 首 席 に就 任 し,日 本 国 内 の 捕 虜 収 容 所 を 視 察 した 。 そ の 報 告 書 「第1次 世 界 大 戦 中 の 救 位 活 動 記 録 第20分 冊 在 横 浜 医 師 ブ リ ッ ツ ・ パ ラ ヴ ィチ ー 二 博 士 に よ る 日本 国 内 俘 虜 収 容 所 視 察 報 告(1918年6月30日
同 年7月16日)』(InternationalesKomiteevomRotenKreuz,。Doku‑
menteherausgegebenwahrenddesKrieges1914‑1918‑BerichtdesHerrn Dr.F.Paravicini,inYokohama,uberseinenBesuchderGefangenlagerin Japan(30.Junibis16.Juli1918‑zwangisteFolge",VerlagGeorg&CIe,
BaselundGenf,Januar1919,43S.)は,第1次 世 界 大 戦 中 の 日 本 に お け る
救 憧 活 動 へ の 国 際 的 評 価 に つ な が っ た 。 太 平 洋 戦 争 の 勃 発 に よ り,ICRCは 口
本 政 府 の 同意 の 下 に,パ ラ ヴ ィチ ー 二 を 同 委 員 会 駐 日代 表 部 首 席 に再 任 命 した 。
マ ッ ク ス ・ペ ス タ ロ ッ チ(MaxPestalozzi,ク リ ス トフ ・ル ドル フ商 会 日 本 駐
在 員),ハ イ ン リ ッ ヒ ・ア ン グ ス ト(HeinrichAngst,シ ー ベ ル ・ヘ グ ナ ー 社
日本 代 理 店 総 支 配 人)を 代 表 補 佐 に して,当 時 の 日 本 赤 十字 社 内 に 設 置 さ れ た
俘 虜 救'ill委員 部 と 協 力 しつ つ,日 本 権 内 の捕 虜 収 容 所 お よ び 民 間 人 被 抑 留 者 収
容 所 を 視 察 し,救 仙 活 動 を 行 った 。 高 齢 と過 労 に よ り,1944年1月,パ ラ ヴ ィ
チ ー 二 は 疎 開 先 の 横 浜 市 内 弘 明 寺 で 急 死 したss。 な お,太 平 洋 戦 争 中 の 日本 権
内 の 捕 虜 収 容 所 で 起 こ っ た 捕 虜 虐 待 の 責 任 の 一・ 端 を パ ラ ヴ ィチ ー 二 に求 め る 見
解 が あ る26。
第1次 世界 大戦 中 の名 古屋 俘 虜収 容所 にお け る救血 活動 につ いて
5.パ ラ ヴ ィ チ ー 二 報 告 と 日本 赤 十 字 社 編 「俘 虜 視 察 報 告 」
博 愛 社 に始 ま り,明 治 大 正 か ら第2次 世界 大 戦 直 前 ま で の 日本 赤 十字 社 の 文 書 は,1974年(昭 和49年)以 来 博 物 館 明 治 村 に よ っ て 所 蔵 され,日 本 赤 十 字 社 文 庫 と して 日 本 赤 十 字 豊 田 看 護 大 学 図 書 館 内 赤 十 字 史 料 室 に よ っ て 管 理 さ れ て い る?i。 こ の 中 に,「 赤 一 卜字 国 際 委 員 在 本 邦 独 懊 俘 虜 視 察 関 係 」(分 類 記 号 B/1132/3130)と 題 した 分 厚 い 書 類 綴 りが あ る 。 タ イ トル が 示 す よ う に,第
1次 世 界 大 戦 中 の 日 本 国 内 に 所 在 した 捕 虜 収 容 所 をICRC駐 日代 表 パ ラ ヴ ィ チ ー 二 が 視 察 した,前 後 の 関 連 文 書 を 一 括 収 録 して い る。 以 下 の 叙 述 は,こ れ ら の 関 連 書 類 の う ち,パ ラ ヴ ィチ ー 二 自 身 が 視 察 後 に ま と め た 報 告 と,口 本 赤 十 字 社 側 で 編 纂 した 「俘 虜 収 容 所 視 察 報 告 」28を も と に す る。
1918年(大IE7年)6月28日 に 横 浜 を 出 発 し た パ ラ ヴ ィチ ー 二 は,6月30 日 に 久 留 米(所 長:林 銑 十 郎 歩 兵 大 佐),7月2日 に 大 分(所 長:西 尾 糾 夫 工 兵 大 佐),7月4日 に 広 島 湾 沖 の 似 島(所 長:菅 沼 来 歩 兵 大 佐),7月7日 に 青 野 原(所 長:宮 本 秀 一 歩 兵 中 佐),7月9日 に 板 東(所 長:松 江 豊 寿 歩 兵 大 佐),7月13日 に 名 古 屋(所 長:中 島 鉄 之 助 歩 兵 大 佐),7月14日 に 静 岡(所 長:西 郷 寅 太 郎 歩 兵 大 佐 侯 爵)の 各 収 容 所 を 視 察 した 。 陸 軍 省 か ら は,田 巾 稔 陸 軍 歩 兵 大 尉(陸 軍 省 軍 務 局 軍 事 課 課 員 参 謀 。6月28日 か ら7月11日 ま で 同 行),記 録 勇 助 陸 軍 砲 兵 中 佐(俘 虜 情 報 局 事 務 官 。7月11日 か ら 同 月16日 ま で 同 行)が,日 赤 側 か ら は ドイ ツ語 通 訳 岡 倉 一 郎(俘 虜 救 価 委 員),書 記 歌 原 兼 良,書 記 大 澤 勇 が,随 行 した.,,,。 視 察 旅 行 中 の 旅 費 ・宿 泊 費 は 日赤 側 が,捕 虜 収 容 所 内 の 接 待 費 は 陸 軍 が,そ れ ぞ れ 負 担 し たf° 。
7月12日 午 後6時30分 に 名 古 屋 駅 に到 着 し た パ ラ ヴ ィ チ ー ニ ー 行 は,上 野 録 二郎 口赤 愛 知 支 部 主 事,衛 戌 副 官 岡 本 大 尉,名 占屋 俘 虜 収 容 所 所 員 三 浦 國 雄 中 尉 の 出 迎 え を 受 け,自 動 車 に 乗 車 の 後,名 古 屋 ホ テ ル に 投 宿 し11。
翌7月13日 午 前8時 に,一 行 は ホ テ ル を 出 る と,自 動 車 で 名 古 屋 収 容 所 に 到 着 し た 。 門 外 で 中 島 所 長 ら所 員 が,門 内 で 捕 虜 将 校 らが,一 ・ 行 を 出 迎 え た。
事 務 室 で,中 島 所 長 が パ ラ ヴ ィ チ ー 二 に対 して,次 の よ う な 概 況 報 告 を して い
る 。
本 収 容 所 ハ 独 逸 人494名 ヲ収 容 シ居 リ,内 将 校 ハ ケ ウ シ ン ゲ ル 中 佐 以 下12 名 ナ リ。
準 士 官 以 上 及 下 士 ノー 部 ニ ハ 各 別 室 ヲ与 へ,其 他 ハ 概 ネ30名 宛1室 二 置 キ 1人 平 均 ノ広 サ 約2.9平 方 米 ナ リ。
尚 将 校 及 準 士 官 以 下 ノ希 望 者 ニ ハ 庭 内 二 「ラ ウ ベ 」 ノ 設 備 ヲ許 可 シ ア リ。
所 内 ニ ハ 炊 事 場,浴 室,洗 濯 場,患 者 治 療 ノ為 メ 医 務 室,給 養 室 ヲ,又 低 廉 ナ ル 日 用 品 及 飲 食 品 ヲ購 入 セ シ ム ル 為 メ 酒 保 ヲ設 備 シ娯 楽 ノ為 メ庭 園 栽 培, 家 禽 飼 育,音 楽 等 ヲ 許 可 シ運 動 ハ 午 前6時 ヨ リ午 後5時 半 マ テ,散 歩 ハ 午 後 9時 マ テ 随 意 二 之 ヲ 行 ハ シ ム。
給 養 ハ 将 校 ハ 同 一 階 級 ノ 日本 将 校 ノ俸 給 ト同 一 ノ金 額 ヲ以 テ 自治 セ シ メ食 事 ハ 将 校 炊 事 ヲ特 設 シ市 内 料 理 店 「コ ッ ク」 ヲ シテ 調 理 セ シ メ 居 リ,準 士 官 以 下 ハ 手 当 ヲ 給 セ ス。 被 服 其 他 ノ 日用 品 ハ 現 品 ニ テ 支 給 シ食 事 ハ 彼 等 ノ希 望 ニ ヨ リ献 立 ヲ作 ラ シ メ之 ニ ョ リ現 品 ヲ 交 付 シ俘 虜 ヲ シテ 合 同 炊 嬰 ヲナ サ シ ム。
衛 生 二 就 テ ハ 軍 医,看 護 長,看 護 卒 各 々1名 ヨ リ成 ル 機 関 ヲ置 キ 診 療 衛 生 防 疫 等 二 従 事 セ シ メ,休 養 室 ヲ設 ケ テ 静 養 二 便 ナ ラ シ メ,尚 入 院 ヲ要 ス ル モ ノ ハ 当 地 衛 戌 病 院 二 依 頼 ス 。 而 シ テ 其 ノ 状 態 ハ 益 々 良 好 ニ シ テ 前 月 平 均 体 重 18貫329匁 ア リ。
患 者 ハ 目下 入 院 中 ノ モ ノ1名 モ ナ ク,精 神 病 者 及 「ヒ ス テ リー 」 症 ノ 者1名, 胃 腸 疾 患3名 其 他 軽 徴 ナ ル モ ノ3名 ア リ。 希 望 ニ ョ リ収 容 所 内 外 ノ 」 二場 其 他 二 於 テ 労 役 二 従 事 ス ル モ ノ11ヶ 所163名 ア リ。 其 中134名 ハ2個 ノ陶 器 会 社 二 雇 ワ レ タ ル モ ノニ シ テ 陶 器 製 造 補 助,運 搬 等 二 従 事 シ 其 他 ハ 特 種 技 能 者 ニ シ テ 鉄 工 場,製 粉 所,楽 器 製 造 所 二 働 キ ツ ツ ア リ。 其 労 銀 最 低60銭 最 高 1円 ナ リ。 此 外 使 用 主 二 於 テ25銭 乃 至50銭 ノ昼 食 ヲ給 ス ㌔
次 い で,中 島 所 長 の 案 内 で,パ ラ ヴ ィチ ー 二 は,捕 虜 将 校 室 に 始 ま り炊 事 場,
洗 面 所 に 至 る ま で 所 内 施 設 を 隈 な く視 察 した 。 事 務 室 に戻 っ て 休 憩 の 後,「(通
訳 以 外 ノモ ノ ハ 立 会 フ コ ナ ク)知 己 俘 虜 数 名 ト会 談 シ 且 ツ ー 般 俘 虜 ヲ シテ 」
第1次 世 界大 戦 中の 名 古屋 俘虜 収容 所 に お ける救 位 活動 につ い て
「陳 述 ス ル 所 」 を 自 由 に聴 取 し たi:+。
俘 虜 取 扱 規 則(大 正3年9月21日 陸 達 第32号)第10条 で は,「 俘 虜 二 面 会 ヲ許 ス 場 合 二 於 テ ハ 其 ノ面 会 ノ場 所,時 間 等 二 関 シ取 締 上相 当 ノ 制 限 ヲ 為 シ 且 監 視 者 ヲ シ テ 之 二 立 会 ハ シ ム ヘ シ 」 と 規 定 され て い た 。 こ れ に 反 す る 措 置 が 取
られ た の は,「 国 際 条 約 ヲ遵 守 シ其 ノ 範 囲 内 二 於 テ 出 来 得 ル 限 リ人 道 上 ノ 義 務 ヲ尽 」wす と い う姿 勢 か ら,俘 虜 情 報 局 と 日赤 側 との 間 で,「 俘 虜 トノ 談 話 ハ 之 ヲ拘 束 セ サ ル コ ト。 但 シ代 表 委 員 単 独 ニ テ俘 虜 トノ 談 話 ヲ 申 出 ル 場 合 ニ ハ 立 会 ハ サ ル モ 差 支 エ ナ キ コ トisJと の 申 合 が 為 さ れ た か ら で あ る 。 ち な み に,第2 次 世 界 大 戦 中,ICRC派 遣 員 が 日 本 軍 権 内 の 捕 虜 収 容 所 を 視 察 した 際 に つ い て, 次 の よ う に 報 告 さ れ て い る。
収 容 所 視 察 時 間 は2時 間 に 限 定 さ れ て い た。 最 初 の1時 間 は 収 容 所 管 理 当 局 と の 会 見 に,続 く30分 間 は 所 内 施 設 視 察 に,最 後 の30分 間 は,日 本 軍 将 校 立 会 の も と に,こ れ ら将 校 が 指 名 した 信 任 者 ら との 会 見 に そ れ ぞ れ 充 て られ た{liO
あ らか じ め パ ラ ヴ ィチ ー 二 が 書 面 で 送 付 し た 設 問 に関 して,収 容 所 側 か ら次 の よ うな 回 答 が 為 され た 。
(1)総 面 積 ハ 幾 坪 ア リヤ。
1万2千 坪 。
(2)兵 舎 ノ総 面 積 幾 坪 ア リヤ 。 430坪(廊 下 ヲ 除 ク)。
(3)畳 何 枚 ヲ敷 キ 得 ル ヤ 。 860枚 。
(4)食 品 ハ1食 二 何 品(朝 何 品 昼 夕 何 品)添 エ ル ヤ。
普 通1皿(品 種 ハ 普通2,3種,時 ニ ヨ リ不 同)。
(5)飲 料 水 ハ 河 水 力 湧 出 水 ナ リヤ 。
水 道 。
(6)ビ ー ル,ア ル コ ー ル性 飲 用 ヲ許 シ ア リヤ 。 将 校 無 制 限,準 士 官 以 下 麦 酒 ノ ミ。
(7)便 所 ハ1週 何 回 掃 除 セ ラ ル ル ヤ 。 毎 日(但 シ 朝,日 本 掃 除 人 ニ ョ リ)。
18)台 所 ノ近 クニ 便 所 ア リヤ 。 無 シ。
(91紙 屑 類 ハ1週 何 回 取 出 去 ル ヤ 。 毎 日(但 シ朝,日 本 掃 除 人 ニ ョ リ)。
(10)襯 衣 ハ 毎 週 何 回 洗 濯 ス ル ヤ 。 洗 濯 屋 ハ1週2回 来 所 其 他 ハ 随 意 。 (lD藁 布 団 ハ 毎 週 何 回 取 替 エ ル ヤ。
随 意 干 燥 及 補 修 材 料 ハ 請 求 ノ都 度 支 給 ス。
(12)入 浴 ハ1週 何 回 ナ リヤ 。 1週2回 温 浴 水 浴 随 意 。
(13}何 月 何 日 ヨ リ 「ス トー ブ 」 ニ テ 室 ヲ温 ム ル ヤ。
12月1日 ヨ リ3月20日 迄 。
q4)何 時 二 起 キ テ 何 時 二 仕 事 ヲ 始 メ 何 時 二 寝 ル ヤ。
起 床6時,就 寝9時,冬 期 ハ6時 半 一8時 半。
!15)労 役 賃 金 幾 何 ナ リ ヤ。
日60銭 一1円(外 二 昼 食25銭 乃 至50銭 位)。
(16)収 容 所 ニ テ 運 動 ヲ許 可 サ レ ア ル ヤ。
時 々 郊 外 散 歩 ハ 近 来1週1回 ノ予 定 。 (m音 楽 ノ本 等 ハ 読 ム コ トヲ許 サ レ ア リヤ 。
読 書 ハ 制 限 セ ズ。
(18)郵 便 物 ハ 毎 週 当 人 二 渡 サ ル ル ヤ。
殆 ト毎 日。
(19)伝 染 病 不 治 病 例 ヘ ハ 結 核 癌 腫 精 神 病 患 者 ア リヤ 。
伝 染 病 ハ 収 容 当 時 二 於 テ 腸 チ ブ ス2名,赤 痢1名 ヲ 出 セ シ モ 爾 後 発 生 ヲ 見
ズ。 結 核 患 者 ハ3名,内1名 死 亡 シ,他 ハ 治 癒 ス。 精 神 病 者 ハ 今 日迄 早 発
第1次 世 界大 戦 中の 名 古屋 俘虜収 容 所 に お ける救仙 活 動 につ い て
痴 呆1名 ヲ 出 シ,目 下 休 養 室 二 収 容 中 。 他 二 現 時 ヒ ス テ リー 患 者1名 ア リ。
②0)眼 病 患 者 幾 人 ア リヤ 。
重 症 ニ モ ノ ナ ク 「トラ ホ ー ム 」 患 者 亦 皆 無,今 日迄 単 二 軽 症 ノ急 性 結 膜 炎 及 眼 瞼 麦 粉 腫 等 ア リ シ ノ ミ。
el)自 殺 者 ハ 何 人 ア リヤ 。 無 シ。
⑳ 今 日迄 二 死 亡 者 数 。
4名(腸 チ プ ス1名,脳 充 血1名,糖 尿 病1名,喉 頭 及 肺 結 核 兼 肺 炎 兼 ヒ ス テ リー1名)。
⑳ 営 倉 ノ掃 除 ハ 毎 週 何 回 行 フ ヤ。
毎 日。 但 シ,入 倉 者 ア ル トキ ハ 入 倉 者 自 身,然 ラ ザ ル トキ ハ 日本 衛 兵 訂。
午 前10時50分,中 島 所 長 は パ ラ ヴ ィ チ ー ニ ー 行 を,収 容 所 を 出 る と,名 古 屋 製 陶 会 社 の 工 場 に 案 内 した 。 こ こ で の 労 働 は特 殊 技 能 を 必 要 と しな か っ た が, 捕 虜 ら は 愉 快 に 就 労 して い た 。11時30分,一 行 は こ こ を 退 出 した 。 正 午 に 名 古 屋 ホ テ ル に も ど り,昼 食 を摂 っ た'4H。
午 後2時,名 古 屋 駅 に お い て,松 井 茂 日 赤 愛 知 県 支 部 長,中 島 所 長,上 野 主 事,岡 本 衛 戌 副 官 に 見 送 られ,パ ラ ヴ ィ チ ー ニ ー 行 は,次 の 視 察 先 で あ る 静 岡 に 向 か っ た:i!3。
ICRC駐 日代 表 に よ る 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 視 察 の 日程 は,以 上 の よ う に して 終 わ っ て い る 。 以 上 の 見 聞 を も と に して,パ ラ ヴ ィ チ ー 二 は,ICRCに 宛 て た 報 告 書 の 中 で,名 古 屋 俘 虜 収 容 所 の 視 察 状 況 を 次 の よ うに 記 して い る。
当収 容 所 は1914年11月14日 に 開 設 さ れ ま し た 。 私 が 当 収 容 所 を 視 察 し
た の は1918年7月13日 で す 。 当収 容 所 は,日 本 で は 第4番 目 に 大 き い 大 都
市 で あ り,京 都 と 東 京 と の 間 で は 最 重 要 の 拠 点 で もあ る,名 古 屋 市 の 北 東 方
向 の 一 角 に位 置 して い ま す 。 当 収 容 所 は,古 くか らあ る収 容 所 の 一 つ で あ り,
多 くの 点 に 於 い て,青 野 ヶ原 お よ び 板 東 両 収 容 所 に と っ て 模 範 と な っ て お り
ま し た 。
士官 用 兵 舎1棟 と兵 士 用 兵 舎4棟 の 中 に,士 官12名 を も含 ん だ ドイ ツ 兵 捕 虜494名 が 居 住 して い ま す 。 居 住 区 は,収 容 所 全 面 積40,000平 方 メ ー ト
ル 中 の 約20分 の1を 占 め て い ま す 。 そ の 他 に,事 務 室,管 理 棟 等 々 が あ り ま す が,大 運 動 場1面,テ ニ ス コ ー ト6面,そ して,捕 虜 ら に よ って 設 営 さ
ラ ウ へ
れ た 園 亭 が そ こ か し こ に あ る,約 半 ダ ー ス ば か りの 大 小 の 丘 に よ って 残 りの 面 積 が 占 め られ て い ま す 。 兵 舎 内 に お い て 捕 虜1名 あ た り3平 方 メー トル の 面 積 で す 。
当 収 容 所 所 長 は,「 で き る だ け捕 虜 ら を 手 厚 く処 遇 す る が,規 律 に従 わ な い捕 虜 は 厳 し く制 裁 す る 」,と い う方 針 を 明 らか に して い ま し た。
当 収 容 所 で は 名 古 屋 市 の 給 水 管 を 引 い て い ま す 。
便 所 掃 除 と ゴ ミの 回 収 と が,朝,日 本 人 ら の 手 に よ って 為 さ れ て い ま す 。 約170名 の 捕 虜 が,毎 日,名 古 屋 市 内 の 製 鉄 工 場,染 色 工 場,磁 器 製 造 工 場 で の 労 働 に い そ しん で い ま す 。 ち な み に,磁 器 製 造 工 場 の 工 場 長 は ドイ ツ 語 を 話 し,私 ど もは 当 該 工 場 を 視 察 しま した 。 捕 虜 は こ の 気 分 転 換 を 喜 び, 彼 ら の う ち の 多 く は,60銭 乃 至 は1円 の 日 当 を 得 て い ます 。 そ の ヒ,捕 虜
ら は,幾 つ か の 工 場 で,約25銭 に 相 当 す る 昼 食 さ え 提 供 さ れ て い ま す 。 中 休 み を も含 め る と,捕 虜 ら は 約8時 間 就 労 して い ま す 。 日本 人 雇 用 主 ら は, 捕 虜 らが 勤 勉 で あ る こ と と,日 本 人 よ り もは る か に 優 れ た 彼 ら の 労 働 力 を, 賞 賛 して い ま す 。
当収 容 所 内 に は パ ン焼 き工 場 が あ り ま す 。 調 理 に 必 要 な 原 材 料 は 所 外 か ら 供 さ れ て い ま す 。 但 し,家 禽 類 は 別 で す 。 な ぜ な ら ば,家 禽 類 は 所 内 で 飼 育 され て い るか らで す 。
捕 虜 の 中 に は 腕 の 良 い 職 人 が い ま す 。 事 実,ま だ 完 成 して は い ま せ ん で し た が,所 内 で 制 作 中 の パ イ プ オ ル ガ ンや,数 名 の 捕 虜 ら を 要 して 組 み 立 て ら れ か つ 見 事 に 稼 動 中 の ボ イ ラ ー を さえ,私 ど もは 日 に した の で す 。
所 内 で の ス ポ ー ツ に つ い て 申 しま す と,テ ニ スの 他 に,特 に サ ッ カ ー が 好 まれ て い ます 。
収 容 所 内 図 書 室 に は 約4,000冊 の 図 書 が 所 蔵 さ れ て い ます 。
所 内 診 療 室 に は,胃 腸 疾 患 患 者2名 と精 神 病 患 者2名 が 治 療 を受 け て い ま
第1次 世 界大 戦 中の 名 古屋 俘虜収 容 所 にお け る救並 活 動 につ いて
し た。 当収 容 所 で は2名 の 結 核 患 者 が 全 治 し ま した 。 当収 容 所 で の 重 病 人 は 名 古 屋 衛 戌 病 院 に 移 送 され て い ます 。 私 ど もが 視 察 した 時 点 で は,そ の よ う な 重 病 人 は 皆 無 で し た。 大 戦 が 勃 発 して か ら1年 目 の 折 に,合 併 症 を も併 発 して 深 刻 な 状 態 に あ っ た,チ フ ス患 者1名 を 当病 院 で 診 察 す る こ と を,私 は, 電 報 で 要 請 され た こ と が 一 度 あ り ま し た。 そ の 時,医 師 らが 当 該 患 者 の た め に 可 能 な 限 り の 措 置 を 講 じて い る こ とを,私 は 確 認 す る こ とが で き ま した 。 こ れ ら以 外 に,当 収 容 所 で は な お も3件 の 死 亡 例 が あ り ま し た。 死 因 は,脳 内 出 血,糖 尿 病,肺 と 喉 頭 部 の 結 核 で す 。1週 間 に2度 ば か り,名 古 屋 の 歯 科 医 が 当 収 容 所 を 訪 れ て い ま す 。
兵 卒 らの 側 か ら は,特 記 す る ほ ど の 愁 訴 は 来 て お り ま せ ん 。 将 校 ら は,次 第 に 無 気 力 に な り体 力 が 低 下 して き て い る こ と を,訴 え て い ま す 。 将 校 らは,
こ の と こ ろ 以 前 に 比 べ る と,兵 卒 らか ら は よ り厳 格 に 隔 て られ て お り,「 だ か ら こ そ 自分 達 に と って 精 神 的 に刺 激 と な る よ う な も の が 無 く な っ て し ま っ た 」 と不 満 を 述 べ て い ます 。 な ぜ な ら ば,将 校 と兵 卒 らが 互 い に 話 し合 う こ とが あ ま りで き な く な っ て い る か らで す 。 収 容 所 所 長 は,以1,の 措 置 に 対 し て 懲 戒 上 の 理 由 を 挙 げ て い ま す(傍 線 は 引 用 者)1°。
総 じて,名 古屋 で の 捕 虜 処 遇 に 対 して,パ ラ ヴ ィチ ー 二 か ら は 好 意 的 な 評 価 が 与 え られ て い る。 事 実,衣 食 住 に 十 分 な 配 慮 が 払 わ れ て い る た め に,「 平 均 体 重18貫329匁 」 を 記 録 して お り,ハ ー グ 「規 則 」 第7条 の 規 定 が 満 た され て い る 。 第6条 に 規 定 す る 捕 虜 労 働 に つ い て も,当 時 の 日本 人 の 平 均 給 与 と比 べ て も,や や 高 い水 準 の 金 額 が 支 払 わ れ て い る。 これ は ,捕 虜 の 中 に,技 術 者 等 熟 練 労 働 者 が 多 か っ た た め で あ る。 ま た,パ ラ ヴ ィチ ー 二 が 捕 虜 ら と会 見 す る 際 に,通 訳 を 例 外 と して,日 本 側 関 係 者 全 員 が 席 を 外 した こ と も,パ ラ ヴ ィ チ ー 二 に,名 古 屋 で の 捕 虜 救 血 に つ い て,良 い 印 象 を 与 え た の で あ ろ う。
名 占 崖 収 容 所 視 察 記 録 を も含 め た こ の 報 告 書 を,視 察 旅 行 か ら も ど った パ ラ
ヴ ィ チ ー 二 は,1918年9月 に 横 浜 で ま と め 上 げ る と,直 ち に ジ ュ ネ ー ブ の
ICRCに 送 付 した 。 カ ー ボ ン紙 に 転 写 さ れ た 原 稿 写 し を も と に,彼 に 随 行 した
岡 倉 一 郎 嘱 託 通 訳 が,1918年(大 正7年)10月14日 付 で 「ドク トル ・パ ラ ヴ ィ
チ ー 二 氏 ヨ リ国 際 委 員 二 提 出 シ タ ル 日本 俘 虜 収 容 所 視 察 報 告 書 」 と して 翻 訳 し た 。 ウ ェ ル ズ 報 告 と は 異 な り,こ の パ ラ ヴ ィチ ー 二 報 告 は,石 黒 忠 恵 日赤 社 長 か ら 山 梨 半 造 陸 軍 次 官 宛 に送 付 回 覧 され た 。
と こ ろ で,1920年(大 正9年)4月1日,名 古 屋 に 駐 屯 す る 第3師 団 司 令 部 か ら,『 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 事 業 報 告 書 』(以 下,「 報 告 書 」)と 題 す る 公 文 書 が 出 さ れ て い るn。1914年(大 正3年)3月 に 開 設 さ れ て か ら1920年4月 に 閉 鎖 さ れ る ま で の 名 古 屋 収 容 所 で の 業 務 を 総 括 して い る 。 この 中 に は,ICRC駐 日 代 表 パ ラ ヴ ィチ ー 二 に よ る 視 察 の こ と は 言 及 さ れ て い な い 。 参 謀 本 部 課 員 が 随 行 す る な ど,も の も の しい が,随 員 数 が 少 な く,視 察 時 間 も約7時 間 に過 ぎ な か った 視 察 に 対 して,異 な っ た 文 化 を 背 景 に した ドイ ツ 人 捕 虜 らを 相 手 の 膨 大 な 用 務 で,忙 殺 さ れ て い た の で あ ろ う 。 「俘 虜 二 関 ス ル 法 規 」 の 具 体 的 規 定 は 一 度 も 引 用 さ れ て い な い が ,次 の よ うな 文 面 が 注 目を 引 く。
俘 虜 ノ待 遇 ハ 我 国 古 来 武 士 道 ト国 際 法 規 ノ 示 ス 所 二 遵 拠 シ博 愛 人 道 ノ 精 神 ヲ 以 テ ス ル ト同 時 二 極 力 我 威 信 ヲ保 持 シ テ 其 隙 ヲ窺 フ 能 ハ サ ラ シ メ 終 始 厳 正 ナ ル 監 視 ノ下 二 於 テ 応 分 ノ 生 活 ヲ営 マ シ ム ル ヲ以 テ 方 針 トシ … …(傍 線 は 引 用 者,「 報 告 書 」,p.3)
… … 吾 人 ノ 好 意 ト思 想 二 対 シ表 面 感 謝 ノ意 ヲ 表 ス ル モ 真 実 吾 人 ヲ徳 トス ルニ 至 ラ ザ リシ ハ 彼 等 ノ言 動 二 於 テ機 徴 ノ間 二 窺 知 ス ル ヲ得 タ リ。 然 ル ニ 平 和 条 約 二 於 ケ ル 厳 酷 ナ ル 条 件 ト連 合 国 ノ独 逸 俘 虜 ノ待 遇 等 漸 次 判 明 ス ル ニ 及 ヒ我 官 民 ノ終 始 一 貫 セ ル 人 道 的 待 遇 二 照 ラ シ … …(傍 線 は 引 用 者,「 報 告 書 」,p.
58)
ハ ー グ 「規 則 」 の 実 現 に つ と め て い る こ と が う か が え る。 反 面,次 の よ う な 記 述 に も注 目 した い。
俘 虜 二支給 スル被 服陣 営 具等 ヲ本邦 軍 隊 ヨ リ保 管転換 セ シムル場 合ニ ハ 大小
文数 及程度 ヲ厳 重 二指 示 スル ヲ要 ス。
第1次 世界 大 戦 中の 名 古屋俘 虜 収容 所 に おけ る救 仙 活動 につ い て
理 由 本 邦 兵 卒 ト俘 虜 トノ 体 格 ハ 非 常 二 相 違(将 来 モ 然 ラ ン)ア リ。 然 カ モ 只 保 管 転 換 ノ ミヲ 命 セ ラ レ タ ル 時 ハ,受 命 部 隊 ハ 普 通 大 小 号 文 数 ヲ考 慮 セ ス 且 ツ 劣 等 品 ヲ交 附 ス ル ハ 自然 ナ リ。 故 二 支 給 品 ハ 俘 虜 ノ身 体 二 適 合 セ ス … … (「報 告 書 」,pp.65‑66)
要 す る に,ハ ー グ 「規 則 」 第7条2項 の 機 械 的 な運 用 に 反 対 して い る の で あ る。 こ の 他 に も,「 報 告 書 」 は,最 終 的 に ドイ ツ 人 捕 虜 が 総 て 退 所 して,収 容 所 が 閉 鎖 さ れ る ま で の6年 間 の 実 務 に 基 づ き,今 後 も し捕 虜 収 容 所 が 設 置 さ れ
る場 合 に 備 え て,幾 つ か の 提 言 を 述 べ て,終 わ っ て い る。
6.お わ り に
以 上,本 稿 で は,第1次 世 界 大 戦 中 の 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 に 対 象 を 限 定 して, 当 時 の 捕 虜 救 仙 体 制 と そ の 実 態 に つ い て,日 本 赤 十 字 社,ICRC,旧 日本 陸 軍 の 文 書 を 援 用 しつ つ,検 討 し て き た 。 当 時 の 国 際 基 準 に照 ら して,遜 色 の な い 救 仙 活 動 が 名 古 屋 俘 虜 収 容 所 で 実 施 され た,と 筆 者 は 考 え て い る。
松 江 豊 壽 大 佐 の 板 東 収 容 所 が 「模 範 収 容 所 」(ム ス ター ・ラ ー ゲ ル)と して, ドイ ツ人 捕 虜 ら か ら 評 価 され た こ と は つ と に 有 名 で あ る。 で は,同 じ 日本 国 内 で は あ っ て も,そ れ 以 外 の 収 容 所 で の 救 位 体 制 は どの よ う に 構 築 さ れ,運 営 さ れ た の か 。 ま た,逆 に,こ れ らの 収 容 所 間 で は,運 営 上 の 情 報 を 相 互 に 交 換 す る こ と は な か っ た の だ ろ う か 。
更 に,第1次 大 戦 当 時 の 捕 虜 収 容 所 運 営 上 の 経 験 は,以 後 の 日本 赤 十 字 社,
日 本 陸 軍 そ して 日本 海 軍 に どの よ う に継 承 され て い くの だ ろ うか 。 一 般 に,こ
う し た 知 識 は,当 事 者 を 介 して,次 世 代 に 伝 え られ る も の で あ る。 「規 則 に 違
反 し な い 限 り は,捕 虜 を 厚 遇 す る」 と い う 方 針 を と って い た 名 古 屋 収 容 所 所 長
の 中 島 鉄 之 助 大 佐 は,1922年(大 正11年)に 少 将 昇 進 後,1925年(大 正14
年)に 予 備 役 に退 く。 パ ラ ヴ ィチ ー 二 視 察 に 若 く して 随 行 した 田 中 稔 大 尉 は,
そ の 後,順 調 に 昇 進 す る が,1935年(昭 和10年)に 中将 に 昇 進 後,予 備 役 に
編 入 さ れ,第2次 世 界 大 戦 中 に は 陸 軍 市 政 長 官 を つ と め て い る12。中 島,田 中
ら は,ICRC駐 日代 表 に よ る 捕 虜 収 容 所 視 察 に つ い て,何 ら か の 記 録 を 残 して い な い の だ ろ うか 。 そ して,本 稿 の 主 人 公 で あ る パ ラ ヴ ィ チ ー 二 自身 は,第2 次 世 界 大 戦 が 太 平 洋 に ま で 戦 火 を 広 げ る と,請 わ れ て 再 びICRC駐 日代 表 に 就 任 した 。 だ が,老 齢 の 身 で あ っ た 彼 は,期 待 さ れ た ほ ど の 働 きが で き な い ま ま,横 浜 で 客 死 した 。
い ず れ も,今 後 の 課 題 と して 取 組 ん で い き た い 。
〔 後 記 〕 本 稿 の 原 型 と な っ た の は,「 東 海 シ ス テ ム を 再 評 価 す る 」 と い う共 通 テ ー マ で 開 始 さ れ た 愛 知 大 学 大 学 院 リ レー 講 演 で,2005年2月511に 筆 者 が 行 った 第2回 講 演 「第 1次 世 界 大 戦 中 の 名 占 屋 俘 虜 収 容 所 」 で あ る 。 こ の 講 演 は,当 時 のT=1Rい 捕 虜 処 遇 が 東 海 地 ノ ∫で の 「物 作 り」 の 基 盤 の 一つ に も な った と い う趣 旨 で あ っ た 。 本 稿 で は,同 じ 内 容 と は い え,救 仙 体 制 に 焦 点 を 絞 っ て い る 。'塵 〜日,聴 講 ドさ っ た ノJ々 に 御 礼 申 ヒげ る 。 日 本 赤 卜字 社 文 庫 の 利 用 に あ た っ て は,桝 居 孝 氏(III赤 卜字 社 本 社 参 与)の 御 紹 介 で, 中 野 裕 」 烈 氏(博 物 館 明 治 村 学 芸 員),河 合 利 修 氏(日 本 赤 卜字 豊 田 看 護 大 学 講 師)に 御11t 話 に な っ た 。 更 に,ヒ 野 利 三氏(モ 敵 中 京 大 学 教 授)が 通 中 京 大 学 地 域 社 会 研 究 所 で 組 織 さ れ る研 究 会 の 場 で,L野 氏,桝 居 氏,河 合 氏,加 藤 順 一・ 氏(星 城 大 学 助 教 授),久
保 田 浩 二 朗 氏 ら との 研 究 会 が 有 益 で あ っ た 。 な お,「 名 占 屋 製 陶 所 」 に 関 す る 文 献 ・検 索 で は,豊 岡 文 英 氏(名 占 屋 大 学 大 学 院 経 済 学 研 究 科 附 属 国 際 経 済 動 態 研 究 セ ン タ ー)に 御 助 言 を 賜 っ た 。 こ こ に 記 して 御 礼 申1げ る 。
注
1「 捕 虜 」 に つ い て は,「 俘 虜 」 と い う 表 記 が あ る 。 前 者 は 第2次11f大 戦 前 か ら 一 般 的 に 使 わ れ て い た 。 こ れ に 対 し,後 者 は,1三 と して,公 文 書 で 使 わ れ て い た 。 本 稿 で は,例 え ば,「1929年7月27日 の 俘 虜 条 約 」 の よ う な 法 令 用 語 や,第1次 世 界 大 戦 当 時 の 「名 占 屋 俘 虜 収 容 所 」 の よ う に 表 記 が 確 立 して い る場 合 を 除 き,一 ・ 般 に
「 捕 虜 」 と 表 記 す る。
2才 神 時 雄(さ い か み と き お)著 『松 山 収 容 所 一 捕 虜 と 日 本 人 』,1969年,中
公 新 書,PP・175‑176。 棟m博 著 「桜 と ア ザ ミ ー 板 東 俘 虜 収 容 所 』,光 人 社,1974
年 同。 林 啓 介 著 『坂 東 俘 虜 収 容 所 一 第9交 響 曲 の ル ー ツ 』,阿 波 文 庫 ⑥.南 海 ブ ッ
ク ス,1978年 。C・ バ ー デ ィ ッ ク/U・ メ ー ス ナ ー/林 啓 介 共 著 「板 東 ドイ ツ 人 捕
虜 物 語 』,1982年,海 鳴 社lil。 中 村 彰 彦 著 『 二つ の 山 河 』,1997年,文 春 文 庫,文 藝
春 秋 社ill,pp.9‑87。 富 田 弘 著 『板 東 俘 虜 収 容 所 一 日 独 戦 争 と 在 日 ドイ ツ 俘 虜 』,
第1次 世界 大 戦中 の 名古 屋俘 虜収 容 所 にお け る救愉 活動 につ いて
1991年,法 政 人 学 出 版 局 刊 。
3久 留 米 市 教 育 委 員 会 編 「久 留 米 俘 虜 収 容 所 」,久 留 米 市 文 化 財 調 査 報 告 書 第153集, 1999年,名 占 屋 鶴 舞 中 央 図 跨館 所 蔵,請 求 番・ 号219/26,問 合 せ 番r;9819015472, p.18,36,94‑95Q岡 戸 武 平 著 『パ ン 半 世 紀 シ キ シ マ パ ン の 歩 み 」,昭 和45年 (1971年),中 部 経 済 新 聞 社 。 安 保 邦 彦 著 「敷 島 製 パ ン80年 の 歩 み 』,2002年,敷 島 製 パ ン株 式 会 社 。 校 條 義 夫(め ん じ ょ う よ し お)「 名ilf崖 俘 虜 収 容 所 覚 書H」
(後 掲 「育 島 戦 ドイ ツ 兵 俘 虜 収 容 所 」 研 究 会 編 「 『肖 島 戦 ドイ ツ 兵 俘 虜 収 容 所 』 研 究 」, 第2号,nn65‑70)。 池 山 弘 「名 占 屋 ドイ ツ 俘 虜 収 容 所 」(大 石 慎{郎 監 修 「新 修 名 llf屋市 史 第6巻 』,平 成12年(2000年),名 占 屋 市,第1章 第3節,pp.92‑97に 所 収)。
4例 え ば,「 青 島 戦 ド イ ツ 兵 俘 虜 収 容 所 」 研 究 会 編 「『背 島 戦 ドイ ツ 兵 俘 虜 収 容 所 』 研 究 」,創 同 号(改 定 版),2003年12月,同 「研 究 」 第2号,2004年1017"‑I」,名 占 i鶴 舞 中 央 図 書 館 所 蔵,請 求 記%;3296/57/1及 び3296/57/2,問 合 せ 番}}
9914002279及 び9914062269。 「も の 作 り の 礎 独 兵 捕 虜 に 光 」,2003年12月20日 付 朝H新 聞 日 同名 古 屋 本 社 版 記 事 。
5第2次 大 戦 末 期 の ス イ ス ・ベ ル ンでli本 側 の 和 平 一i二 作 に ドイ ツ 人 実 業 家 フ リー ド リ ッ ヒ ・ハ ッ ク(1887‑1949)が 協 力 す る の は,第1次 大 戦 中 の 福 岡 俘 虜 収 容 所 で 厚 遇 さ れ た こ と に よ る(坂 田 卓 雄 著 『ス イ ス 発 緊 急 暗 号 電 一 笠 信 太 郎 と 男 た ち の 終 戦is作 』,1998年,西 日本 新 聞 社,pp.15‑27,72)。
6第2次 世 界 大 戦 終 結 時 に,元 捕 虜 ら か ら 連 合 国 軍 に 対 し て 嘆 願 書 が 出 さ れ た 元 捕
虜 収 容 所 長 は 稀 で あ っ た 。 例 え ば,本 稿 で 論 じ る パ ラ ヴ ィ チ ー 二 博Lの 後 任 と して
日 本 に 赴 任 した,ICRC駐ll代 表 部 首 席 マ ル セ ル ・ジ ュ ノ ー 博1:は,そ の 報 告 爵 の
中 で 次 の よ う に述 べ て い る。 「現 在 は ア メ リ カ 軍 が 戦 争 犯 罪 人 ら を 収 容 す る た め に 使
用 して い る 大 森 収 容 所 を 視 察 に 訪 れ た こ と は,か つ てII本 国 内 の 連 合 国 軍 戦 争 捕 虜
収 容 所 で 看 守 と して 勤 務 し た 多 く の 日 本 軍 将 校 らが,今 で は こ こ に 収 容 さ れ て い る
だ け に,興 味 深 い も の で し た 。 彼 らの 中 に は,私 ど も や 連 合 国 軍 捕 虜 に 対 して は 好
意 的 に ふ る ま った 旨 の 証 明 を ど う か 書 い て く れ な い か,と 頼 み 込 む 者 も あ り ま し た 。
現 在 の と こ ろ,た だ 一 つ の 場 合 を 例 外 と す れ ば,そ の よ う な 書 面 を 交 付 しな い よ う
に と私 は 協 力 者 ら に 言 い ま した 。 た だ 一 つ の 例 外 と は,か つ て 監 視 を 担 当 した 連 合
国 軍 捕 虜 ら か ら 「 収 容 所 で は1̀1分 た ち の た め に 骨 折 って く れ た こ と を 感 謝 す る 』 旨
の 何 通 も の 書 面 を 受 取 り,そ れ ら を ペ ス タ ロ ッ ツ ィ派 遣 員 に ゆ だ ね た,fL1本 軍 収
容 所 所 長 の 場 合 で した 。 ペ ス タ ロ ッ ツ ィ派 遣 員 は こ れ ら の 書 面 を 紛 失 し て しま い ま
した が,私 と して は,同 派 遣 貫 に こ のH本 軍 将 校 の た め に 次 の よ う な 趣 旨 の 証tll
を 書 く こ と を 認 め ま した 。 す な わ ち,『 連 合 軍 捕 虜 らか ら の そ れ らの 書 面 は ペ ス タ ロ ッ
ツ ィICRC駐EI代 表 部 派 遣 員 の 手 元 に 保 管 され て お り,同 派 遣 員 に 対 す る'1看 該II本
軍 収 容 所 所 長 の 対 応 は 常 に 道 義 に 適 っ た も の で あ っ た 』,と い う 趣 旨 の 証 明 書 で す 。」
(傍 線 部 は 引 用 者 。LesvisitesauCampd'Omoriactuellementtransformeparles americainspouryhebergerdeswarcriminelsestd'autantplusinter°essanteque danscecampsontdetenusunegrandepartiedesofficiersjaponaisquiont fonctionnecommegardesdanslescampsdePGauJapon.Pleusieursd'entreeux nousontdemanded'intervenii°enleurfaveurpardescertificatsdisantleui°bonne conduiteenversnousetlesPG.Pourlemomentj'aideconseilleames
collaborateursdedelivrerdetelsdocumentssaufdansuncaspourMr.Pestalozzi aquiuncommandantjaponaisavaiti°emisdeslettresdesespropresPGle