文 化 四 年 ・ 秋 田 藩 の 桧 前 出 兵
‑外庄と藩制‑
はじめに
文化四(一八〇七)年五月'秋田藩は'箱館への出兵を命ずる箱館奉
行の達しをうけ'六百余名におよぶ援軍を蝦夷地に派遣した。この事件
は'寛政四(一七九二)年のラクスマンの根室来港に始まる'北方にお
ける外圧の展開と深‑関り'また'それに対する幕府の海防政策の一
端を構成する点で'重要な意義をもっていた。すなわち'すでに現実の
ものとなっていた津軽・南部両津への蝦夷地出兵命令に続いて'会津・
仙台の諸藩とともに'幕府の軍役動員の対象とされたのであった。
この事件は'幕府の海防政策あるいは対蝦夷地政策を構成するものと①して位置づけられてはきたものの'出兵という事実自体が藩政あるいは
地域社会におよはす影響などについてはtかならずLも具体的な検討が
行われてきたわけではなかった。それは幕府の海防政策や対蝦夷地政莱
に関する研究が'多‑の場合'国家史研究という巨視的な観点からなさ
れる傾向をもつ限り'当然であったかもしれない。
しかし'この出兵の問題は'個別藩制史の観点にたってみても'外氏
という対外的インパクトと'海防という国家的次元の政策が'藩という
個別額主権に直接関って‑る問題であるという点で'重要な意味をもっ 金森正也
ていると思われる。本稿では個別薄制史研究の視角から'外圧の問題を②考察してみることの重要性を主張したいのである。
いうまでもな‑'この出兵令は'藩権力に対しても'武士や民衆に対
しても、きわめて大きな衝撃を与えた。そのことは'例えば、この文化
四・五年に集中して「松前御加勢記」と称する類の1件記録が残されて
いる事実に端的に示されている。通常'藩制期における政治的記録の多③‑は'藩の公職にある者としての日記なのであるが、出兵に関するもの
の多‑が'いわば1兵卒として関った藩士の私的な記録であるという点
でも特徴的なのである。④本稿は'主にこれらの諸記録を手掛かりに秋田藩制史における'文化
四年松前出兵の意義を考察する。その際'特に意をはらっておきたい点
は、第7に'出兵とそれに関連する海防政策の実態を、具体的事実にそ6;6)‑して明らかにすること'第二に、藩の対応のありかたを'できるだけ
幕府の海防政策との関りのなかで検討すること、の二点である。その
ことに.よって'これまで不問にふされてきた秋田地方史の課題にこたえ
るとともに'対外危機をむかえた幕藩制国家史の問題に'わずかの論点
を供したいと思う。
一、文化四年「出兵」の実態
(‑)出兵経過の概要
ロシア人によるエトロフ騒擾のあった文化四年の五月二四日'蝦夷也⑥への出兵を要請する箱館奉行の達吉が、秋田藩に届いた。この急報に接
して'藩主義和は'藩の重職をただちに登城させて協議する一方'領内
各地の大身給人を久保田に召喚した。翌二五日'早‑も第1陣の軍割を⑦行って出兵させ'二六日には第二陣の軍割を完了Ltさらに'久保田に⑧召喚した戸村十太夫・佐竹左衛門両名の組下給人の領内配置を行った0
このように'緊急事態への対応としては意外なほどすみやかに軍割を
終えているのは'おそら‑'すでに動員が行われていた津軽・南部両津
の動向・情報をふまえてのことと考えられる。しかし'寛文九(一六六
九)年のシャクシャイン蜂起以降'実際の軍事行動を想定した軍役動員
が皆無であった藩および家臣団にとって'この出兵令は明らかに「火急
の変事」であった。家臣団は'平時の状態から一転して'「一夜の内に
従者を集め'質入の兵器を取り入る1」というあわただしい状況にまき⑨こまれた。
第二陣の軍割の完了をみたその翌二七日'出兵の一件を伝える領内一
統の仰渡しが出された。そのなかで'「下々之もの風聞等承り掌りに動⑲揺不致俣様'吃度可被申付侯」とあるように'この時藩が恐れたことの
ひとつに民心の動揺が招‑不穏な状況の出来という問題があった。当時'「巷説紛々として津軽領なとほおとしいられ'能代男鹿辺大変なりなと' ⑪女童へなと苦り回る」状況であり'しかも'「異船三厩渡口まて残らす
取切り渡海ならす'南部領滴々是又然りなり'津軽領深浦辺まて見えめ⑫れは'今はとは能代辺へも来りつらん」という情報がもたらされるに及
んで家臣団内部においても'事態に対する動揺はか‑せなかったのであ
る。したがって'非常事態における領内での異変勃発の危険性は'実態
としてはともか‑'藩側の認識としては無視できない問題としてあった
のであり'その意味でも'なによりもすみやかな対応を行うことが急務
であった。
それでは'以下において'「出兵」の経過と実態について具体的に検
討していきたい。
(2)第一・第二陣の実態
2
箱館奉行の出兵要請に対応して編成された軍団は'その出兵の時期と
任務の内容から'文化四年五月二五日に出発したグループ(第一陣)'
同年同月二九日に出発したグループ(第二陣)'領内の要所の警備にあ
てられたグループ(第三陣)の三つに大別できる。ただし'第二陣とし
て編成されたものの一部は後述のように、藩の方針の変更により国もと
に残留することとなり'ここではそれを第三陣に含めておきたい。
さて'第一陣は'幕府より出兵の要請があったその当日に軍割が行わ
れ'翌日に出兵したグループである(義‑)。陣場奉行金易右衛門は'出
兵当時能代奉行の職にあり、その後郡奉行'勘定奉行などの重職を歴任⑬した典型的な役方の能吏であり、注目すべき人選である。すなわち'こ
の人選はtかならずLも戦闘という軍事的要
請にそったものではな‑'ほとんど能吏とし
ての金の個人的資質を評価してのものといっ
てよい。・また'全体として鉄砲方の比重が大
であるのは、「重‑火砲を以争奪致侯付'弓
鑓等よりも鉄砲人数多き方相当地理に侯間'⑭右之心得を以用意致し可然侯」という箱館奉
行の指示に対応したものである。
第7陣は'五月二五日に久保田を出発し'
能代・大館・碇が関経由の陸路をとって津軽
領に入り'三厩より渡海して'六月10日に
箱館に到着している。その後'任地の変更を
指示されたことから'箱館奉行との数回にわ
たる折衝ののち一九日にいたって'七重浜が⑮秋田軍の駐屯地と決定した。
第二陣の軍割が終了したのは五月二七日で
ある(表2)。第1陣と比較してみた場合'
その員数が大幅に上回る。しかし'鉄砲隊は
根本庄右衛門の率いる7隊のみでありtAJの
軍割の中心は'向帯刀組・牧野茂右衛門組・
梅津与左衛門組の'各「戦士」隊にあるとい
ってよい。この点は'第一軍にみられない特
徴である。しかし反面'第1陣にみられる大
表1 第1陣軍 割
役 職 各 員 数 従者 とも 足 軽 備 考
陣 場 奉 行 1 11 金 易右 衛 的
鎚(小荷駄 奉 行 兼 帯)大 将
鉄 砲 大 将 11 99 3030 井 上 清 右衛 門高 垣 彦右 衛 門
鉄 砲 大 将 1 9 30 今 村清 五郎
弓 大 将 1 9 15 信 太瀬 兵 衛
物 見 1 7 大 山矢 五郎
吟 味 役 2 6 大 井丈 助、 小野 崎五兵 衛
物 書 2 6 菅 又蔵 人 ,戸 嶋文蔵
割 役 1 3 岡 崎嘉 左 衛 門
兵 具 役 2 6 小 室伊 織 、 奈 良 円太
鎚 与 力 2 6 高 根仁 右 衛 門、茂 木 勘 四郎
鉄 砲 与 力 6 18 長 沢文 蔵他5名 、高 垣彦 右南 門組
大 筒 役 人 4 12 中 川友 右 衛 門他3名
鉄 砲 与 力 6 18 後 藤九 歳 他5名 、今 村清 五郎 組
大 筒 役 人 4 12 村 野 儀 右衛 門他3名
弓 与 力 3 9 ′ト松三 左衛 門他2名,信 太 清兵 衛 組
歩医 行 目 付師 22 6 2 石 川忠 四郎 他1名
小 計 158 107 計 265
′J、 人 13
兵 具 組 足 軽 22
通 夫 31
大 工 20
木 挽 4
鍛 冶 2
人 足 30
厩 者 3
・東 山文 庫 「箱館 江 御 加 勢被仰 付 候 ㈲ 諸事 覚 」 よ り作 成。 ′ト計 お よ び計 は試 算 であ るC
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表2 第2陣 軍 創
軍 将
※ 番 頭 11 8319 ) 302020155 横 手 野 扶 持 足軽 、手 付 、夫 丸 等向帯 刀 、歩 行 、 中 間 等松 野茂 右 衛 門 82人 、30人
番 頭 1 25 梅 津 与 左 衛 門
※ 組 頭 1 7 林 庄 兵 衛 、松 野 組
※ 戦 士 25 125 信 太 留 治他24名
組 頭 1 7 小 貫 九 兵 衛 、 梅 津 組
戟 士 25 99 望 月信 太 夫 他24名
戟 士 15 48 伊 藤助右 衛 門他14名 、 向組 、 横手 給 人
※ 鉄 砲 大 将 1 9 根本 庄 右 衛 門
※ 鉄 砲 与 力 4 8 菅 生 三 治他3名
鉄 砲 与 力 4 10 近 藤文 五 郎 他3名
※ 大 筒 役 6 12 田名 部平 八 他5名
長 柄 大 将 1 9 梅 津 徳 左 衛 門
横 手 組 頭
鉄 砲 大 将 兼 帯 1 7 宮 木 九兵 衛
与 力 4 9 吉 成 重 大 他3名
横弓 大 将 兼 帯手 組 頭 1 7 上 遠野 監物
与 力 1 2 落 葉 助 内
旗同 奉付 行添
大 馬 印 付 添 311 1073 142 滑 川 伊兵 衛助 川清 右 衛 門
中 馬 印 付 添 1 3 2 折 打 周太
大 鼓 付 添 2 7 21 高橋 勝 五 郎 他1名
※ 番 頭 金 鼓 付 添 1 1 磯部 久 右 衛 門
※ 旗 付 添 1 3 梅 津 藤左 衛 門
※ 目 付 1 8936332 石 井 永 治
※ 歩 行 目 付
※ 小歩小船 上 乗 歩 行目 行人人 目目目 付付付付 224153 、斎 藤伝 拾他藤木 野 内小 人1名 1名
物 見 4 4 手 付1名
※ 勘勘′医馬ト 荷 駄 支 配定定 賄賄 方方医師 21111 ) 53 茂 木 団右 衛 門厩者3名 馬 乗 馬 医 兼 帯 1 2 10 厩者7名 、小者3名
東 山文 庫 「松 前 御加 勢 記」に よ り作 成。 ※ 印 は実 際 に出兵 した もの で、 「箱館 江 勧 加 勢 被 仰 付 侯 槻 諸事 覚 」 で補 った。 計 は試 算 。
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