Title
グローバル化と多文化主義の中のアメリカAuthor(s)
有賀, 貞Citation
聖学院大学総合研究所紀要, No.29, 2004.3 : 13-45URL
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=4143Rights
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グローバル化と多文化主義の中のアメリカ
有 賀
自
グローバル化と多文化主義
グローバル化と多文化主義の時代におけるアメリカ合衆国について考察するに当たり︑まずグローバル化という言葉
の意味を定義し︑現代のアメリカについて︑グローバル化とともに多文化主義との関連でも考察する理由について述べ
かなり長くなるので︑﹁はしがき﹂とはせず︑第一節とした︒たい︒この部分は﹁はしがき﹂に相当するが︑
地球の諸地域の人々の接触が深まるという意味では︑グローバル化は一六世紀から始まったといってもよい︒過去五
世紀の聞に世界諸地域の接触と結び付きとは次第に発展し︑深化してきたのである︒しかしグローバル化といわれる現
象が急速に進行するのは過去数十年︑
一九
年代以降であり︑そして︑グローバル化という言葉が世界で普及し現代を八
0
議論する際の流行語になったのは最近十五年ほどのことである︒グローバル化とは輸送手段︑通信手段の急速な発達に
より︑人・﹁もの﹂・﹁かね﹂そして情報の移動が容易になり︑とくにかねと情報の移動は瞬時に行うことができるよう
になって︑空間的な距離の意味が薄れたこと︑それにより経済活動が特定の地域や国を越えて世界的規模で世界市場を
相手におこなわれるようになったことを指す︒グローバル化を可能にした技術的革新はいろいろあるが︑まず通信衛星
グローパル化と多文化主義の中のアメリカ
1 3
の発達による遠距離通信の瞬時化・大量化があり︑
それがコンピューター技術の発達と結び付いて︑情報の収集・処
理・伝達の速度に革命的な変化をもたらし︑グローバル化を促進したといえよう︒経済活動のグローバル化は人やもの
た情報通信革命の成果を企業が活用することによって発展した︒すなわち﹁世界資本主義﹂ の輸送手段の発達にも促され︑またGATTやWTOを舞台とする世界的な貿易自由化の推進により助長されたが︑ま
の発
達で
ある
︒
グローバル化は経済面の変化に留まるものではない︒世界諸地域︑諸国間の人的文化的接触と交流が盛んになり︑あ
る地域ある国の人々の生活が外の世界から影響され︑また外の世界に影響を及ぼす程度が増大したことを意味する︒世
界の諸地域︑諸国は地理的に遠く隔たる場合でも相互に関係し相互に依存する度合いを深めている︒グローバル化は国
境を越えた情報の伝達と経済的相互依存の増大によって︑国家の国民生活を管理する能力を弱めた︒そしてまた国単位
それらのことをもって﹁主権国家の終意﹂
( 3 )
を語るのは尚早であり︑今日の国際関係において国家が主要な行為者であることには変わりはない︒しかし相互依存性 では有効に対処できない地球環境保全の問題が次第に重要性を増している︒
の増大と地球的問題の発生という事実に直面して︑現代の人類は一国主義思考ではなく︑地球的な思考を必要とするの
であり︑世界の諸国家は国際公益のために協力することが求められ︑そして人類は国家という枠でのみ行動するのでは
なく
︑
一方では国際機関を活用し︑他方では国際的市民活動を強化することが要請される︒実際︑通信革命は組織的な
国際的市民活動
(N
GO
活動)を容易にする条件を生み出した︒グローバル化の時代には︑市民社会は国を越えて地球
的なものになっていくこと︑つまりグローバル市民社会となることが求められ︑個々人はそれぞれの国への帰属意識と
ともに︑世界市民的帰属意識をもつことが求められる︒
そのような市民社会ができるためには︑世界の人々が価値観を共有することが必要になる︒しかしグローバル化は既
存の経済社会構造を揺るがし︑人々の生活を不安定にする面があるから︑現実には世界各地でさまざまなグローバル化
反対の動きを生む︒
それはグローバル化に取り残された途上国にみられるばかりではなく︑先進国にも見られる︒実
際︑グローバル化は工業生産を先進国から中進国に移す動きを促進しており︑先進諸国のリベラル・デモクラシーを支
えてきた幅広い中流階級の分解をもたらす恐れもある︒現在の世界では一番進んでいる経済のグローバル化にはいろい
そして国際協調︑グローバル市民社会︑グローバルな価値観の共有に向かう動きよりは︑排外主義や宗ろ問題があり︑
教的原理主義が台頭して︑国際的に先鋭な対立が目立っているだけでなく︑多くの国の内部でも対立が生じているのが
現状
であ
る︒
多文化主義は文化の多様性の承認とその共存を求める理念であるから︑価値観の共有を求めるグローバル化とは矛盾
するようにも見える︒しかし世界に多様な文化が存在しており︑価値観の相違があるのが現実であり︑そのような現実
の中でグローバル化が進んでいるのである︒したがって世界諸地域の交流が増大し︑異文化との遭遇が増大する際に
は︑相互に排他的になることなく︑相互の文化を尊重しつつ相互に影響し会うことが要請されるのであり︑そのような
過程を経ることによってのみ︑価値観のグローバルな共有は可能となる︒価値観の共有を進めて行く過程において︑
のような過程に必要な態度を多文化主義と呼ぶならば︑グローバル化は多文化主義を伴わねばならない︒
本稿では︑グローバル化とともに多文化主義ないしは多文化化との関連において現代アメリカの問題を取り上げる︒
多文化主義はアメリカの場合︑直接的には︑歴史的に移民受容国であり︑また長い間差別されてきた黒人やそのほかの
マイノリティが存在したという国の性格からでてきたものである︒しかしアメリカの多くの人種・エスニック集団を国
民とする国家としての性格が強まったのは︑その供給先が世界的になり︑ラテンアアメリカへの移民の流入が増大し︑
メリ
カ︑
アジ
ア︑
アフリカからの移民が急増した結果であり︑それは一九七
0
年代から八0
年代にかけて目立ってきたその出身地や文化的背景が多様化すること(多文化化)も︑またそうした移民を差別なく
受け入れようとすること(多文化主義)も︑グローバル化の一つの現れということができる︒ 現象である︒移民が増加し︑
さまざまな文化的背景をもった移民が多数流入しているという意味では︑さらなる多文化化が続いており︑多様な文
そ
グローパル化と多文化主義の中のアメリカ
1 5
化的背景をもっ移民の受け入れはアメリカの政策となっている︒それはグローバル化する世界に指導国としての立場を
ル派の先鋭な対立があり︑ その面ではアメリカ人は文化的寛容さをもち︑
しばしば﹁文化戦争﹂と呼ばれる保守派とリベラ
その対立における保守派の態度は多様性に対する不寛容さを示している︒ 維持しようとするアメリカに相応しい世界に開かれた政策といえよう︒多文化主義を受け入れている︒しかしアメリカ国内には︑他方では︑
グローバル化および多文化主義という用語が普及したのは一九八
0
年代以降であるが︑八0
年代からのアメリカで
は︑レーガン大統領の登場以降︑保守主義が強くなっている︒アメリカの保守主義はグローバル化および多文化化とは
どのように関わっているのであろうか︒レーガンはグローバル化の時代におけるアメリカの経済的優位を維持するため
の改革を保守派の革命として実行しようとした︒他方︑彼は社会生活上の問題については︑多様なライフスタイルの許
容による伝統的な道徳理念の衰退を恐れる保守的な人々の立場に同調した︒レーガンは市場原理第一主義的な保守主義
と社会問題について保守主義とを結び付け︑それによって大統領選挙での多数を得ょうとしたのである︒八
0
年代以来
の保守主義の台頭はグローバル化および多文化化という現象と関連しているといえよう︒
最後に本稿では︑そのような保守派の台頭の下での世界的指導国アメリカの対外政策が単独行動主義(グローバル・
ユニラテラリズム)傾向を強めた理由を論じ︑またアメリカにも世界にも︑大きな衝撃を与えた九/一一事件の意味を
グローバル化の文脈で考察し︑その事件がアメリカの内政外交に与えた影響について簡単に述べることにしたい︒
グローバル化はアメリカ化︑だといわれることがある︒たしかにグローバル化を可能にした技術的革新はアメリカから
始まったものであり︑総合的に世界最強の力をもっ国であるアメリカは︑グローバル化過程において最大の影響力を振
るってきた︒アメリカは自国の利益と矛盾しない形で国際公益の実現にも努力し︑
( 4 )
ルを形成した︒その意味では︑グローバル化は多分に世界のアメリカ化であった︒ アメリカ主導で国際レジームのルl
しかし他方では︑グローバル化の進
展はアメリカ経済にもアメリカ社会にも大きな影響をもたらしたのであり︑アメリカの保守化は一面ではグローバル化
への適応であるが︑他の面ではグローバル化への反発である︒保守派の台頭はアメリカの最近の対外政策を特徴づける
グローバルな単独行動主義に反映している︒アメリカにおいても︑グローバル化に伴うべき国際協調や多文化主義では
なく
︑
それに対する反作用が表れているのである︒
本稿は近年のアメリカの対外政策の変化について言及するが︑グローバル化の中でアメリカ(政府・企業・市民)が
世界の他の地域に対してどのような影響を及ぼしているかという問題は扱わない︒
( 5 )
に改めて扱うべき問題であると思うからである︒ それは大きな問題であり︑別の機会
先進諸国間の経済競争への対応
アメリカが福祉国家としての看板を高く掲げていたのは︑
一九
六
0
年代までである︒六0
年代半ばはジョンソン大統領カま
﹁偉
大な
社会
﹂
の旗印の下に人種差別撤廃を進めた時期であり︑
また
﹁貧困に対する戦争﹂を唱えて福祉政策の新
たな推進に力を入れようとした時期である︒ジョンソンがベトナム戦争に敗れるとともに︑﹁貧困に対する戦争﹂も叫
ばれなくなった︒ベトナム戦争で挫折したアメリカ人は︑七
0
年代初頭には石油危機を契機として高度成長時代が終わるとともに︑国内の貧困を無くすということも無理なことだと思うようになった︒七
0
年代には民主党の政治指導者も﹁大きい政府﹂が国民の面倒を見るという考え方を排除するようになる︒カ1タ!大統領は七八年の年頭教書で政府が
できることは限られているから︑市民は政府に期待しすぎることなく︑自分の生活はまず自分で守らねばならないと述
( 6 )
べた
一 ︒
九七
0
年代末には第二次石油危機が到来し︑アメリカは再び不景気を経験する︒その後一九八一年に登場したのがグローパル化と多文化主義の中のアメリカ
1 7
レーガン大統領であり︑彼は﹁保守革命﹂によってアメリカ経済を活性化させようとした︒それまで強力だったアメリ
カの製造業は日本製品のアメリカ市場を含む世界市場への進出で苦境に立っていた︒八
0
年代は七0
年代の再度の石油危機を乗り越えてエネルギーの効率化を進めた日本の生産企業が世界市場を席巻する勢いを見せ︑大幅な国際収支の黒
字を背景にジャパン・マネーが世界に進出した時代であった︒そのため︑日本の興隆が喧伝され︑アメリカの衰退が盛
んに論じられた︒ポール・ケネディの﹃大国の興亡﹄がベストセラーになったのは一九八八年であ託︒
レーガン政権はアメリカ市場への自動車輸出の自主規制を日本に要求したが︑日本はじめ諸外国に対してそれぞれの
圏内市場の開放を要求し︑競争力あるアメリカ産業部門の海外市場進出を促進することにより︑衰退した産業分野で生
じた国内の失業者を吸収しようとした︒またホlム・マーケットを広げるために︑カナダとの間に自由貿易協定(八八
年調印︑翌年発効)を結んだのも︑彼の経済戦略の一環である︒彼は大幅な減税を行い︑とくに富裕層の税負担を軽減
することで彼らの投資意欲を刺激し︑新産業部門の発達を促そうとした︒彼は﹁小さい政府﹂を唱え︑国民の税負担の
軽減と政府による規制の撤廃を行い︑国民の利益は︑大きい政府による市民の経済活動の規制によってではなく︑市場
原理のもとで企業が競うことによって︑
よりよく守られると主張した︒彼は気前よく金をばらまく福祉政策が貧しい
( 8 )
人々の勤労意欲を減退させていると論じ︑福祉政策の見直そうとした︒﹂うした政策が施政方針として提示されたの
は︑アメリカではレーガンの時代であるが︑規制撤廃の方向はすでにカ1タl時代から始まっていた︒それまで政府の
規制の下にあった民間航空輸送の規制撤廃を始めたのはカlタl大統領である︒政府は公共の利益のために企業の活動
を監督し規制すべきだというこ
O
世紀初頭以来のアメリカのリベラルの立場がリベラルな政治家自身によって︑見直され始めたのである︒
イギリスでもサッチャl首相が登場し︑レーガンと同じ発想によってイギリス経済を活性化しようとしていた︒彼ら
はともに福祉政策を整理縮小し︑民営化あるいは規制撤廃を推進し︑市場原理を徹底させる政策をとった︒彼らは保守
派であったが︑彼らの政策は現状維持の保守主義ではなく現状変革を目指す保守主義であったから︑彼らの政治は五十
嵐武士の言葉のように﹁政策革新の政治﹂なのであり︑しばしば﹁保守革命﹂と呼ばれたのであれ)︒高度成長時代が終
アメリカの中流階級の中で福祉見直し論に賛成し︑﹁小さい政府﹂論を支持する者が増えていたから︑わった後では︑
レーガン革命は有権者多数の支持を受けた︒第二次大戦の後︑福祉国家を発展させっつ︑経済的には生産性の高さによ
り世界市場で優位にたっていたアメリカも︑日本など他の産業国家の追い上げにより︑それまでの体制を見直さざるを
得なくなった︒第二次大戦後︑社会民主主義国家を作り上げてきたイギリスも︑長い経済の停滞に直面して︑﹁揺り篭
から墓場まで﹂と言われた公的サービスの多くを民営化して︑競争力の回復による経済活性化を目指したのである︒こ
のような市場原理の重視は西欧の社会民主主義政党にも影響を及ぼした︒フランスのミッテラン政権も発足当初は固有
化案をもっていたが︑政権半ばに市場経済重視へと方針を変え︑
E
C域内市場の完全自由化を促進する方向に転じたの
であ
お︒
一九
八
0
年代はソ連︑東欧︑中国など社会主義体制の国々においても市場原理の導入が進められた時代であった︒かつては共産主義世界は西側市場経済の外にあり相互の経済関係は極めて限定されていたが︑八
0
年代には膨大な人口をもつ中国は社会主義市場経済と称して世界市場に参入を開始し︑そして八
0
年代末から九0
年代始めにかけてソ連東欧圏の政治的崩壊があり︑それら諸国も市場経済を採用して世界市場経済に統合された︒また独立以来︑民主主義を採用
しつつ基幹産業を固有とする政策をとり︑外国資本の進出には厳しい制限を課していたインドも︑開放政策に転換する
とともに︑世界市場に参入するようになる︒こうして八
0
年代末から九0
年代にかけて︑世界市場の領域が急激に拡大した
ので
ある
︒
アメリカ市場に外国製品が流入し︑アメリカ企業が圏内の工場を閉鎖したり︑縮小したりしたため︑鉄鋼産業や自動
車産業などのさまざまの在来産業の熟練労働者が雇用を失った︒市場が広域化すれば︑それによって利益を得る人々と
グローパル化と多文化主義の中のアメリカ
1 9
不利な立場に立たされる人々が出るが︑
また技術革新により利益を得る人々と不利な立場に立たされる人々とが生じ
る︒それまで安定した職をもっていた人々が職を失ったのは︑グローバル化そのものよりも︑むしろグローバル化と同
それを促進したコンピューターの発達のためである場合が多い︒日本の家電機器や自動車の生産企業がア時に進展し︑
メリカに工場を設立して雇用を増やしたという事実もある︒アメリカが圏内の雇用防衛のための制裁手段を発動する可
能性があったから︑魅力的なアメリカ市場へのアクセスを確実にするために︑外国の多国籍企業がアメリカ圏内に生産
拠点を設けたこと少なくない︒したがって︑グローバル化はアメリカの労働者から仕事を奪ったが︑外国からの投資に
よって雇用が増えるという面もあった︒またアメリカ製品の幾つかの部品を海外の工場で調達することにより︑アメリ
カ製品の競争力が増大し︑完成品を生産するアメリカの工場が生き残り︑雇用が確保されたという面も無視できないで
あろう︒少なくとも一九九
0
年代半ばまでの時期については︑アメリカの労働経済学者ロバ1ト・ローレンスは︑技術的変化に伴うリストラの方が海外への生産活動の移転よりも︑
数量的に論証してい弱︒ アメリカ国内の雇用を減らした大きな原因であることを
グローバル資本主義の発展がアメリカにもたらす問題
コンピューターによるオートメーション化はブルーカラーの労働者から多くの職を奪ったが︑同様にコンピューター
化は多くのホワイトカラーの職を奪った︒管理職であっても︑企業が競争の激化に対処して規模のメリットを求めて合
同したり︑冒(収されたりすれば︑職を失った︒人々が中年になって職を失ったという悲話は多く語られている︒アメリ
カでは︑企業と地域社会とが密接な関係をもち︑その企業は地域社会の誇りであり︑企業の繁栄が地域社会の繁栄と一
体化しているようなところは珍しくはなかったが︑
(日 )
そういう企業形態は姿を消していった︒
今日でもアメリカ企業は拠点をもっ地域のためには何らかのサービス
はし
てお
り︑
それは企業にとって
(地
域貢
献)
重要なことであるが︑企業がいつまでその地域に止まっているかは不確かになった︒その意味で︑企業と地域社会との
関係の希薄化は否めない︒グローバル化と
I
T革命の波にのって繁栄するグローバル化・エリートは地域社会との結び
付きを弱め︑地域社会の福祉に対する責任感を失うことになる︒歴史学者のクリストアァl・ラッシュが﹃エリートの
反逆ーーデモクラシーの裏切り﹄という本をすでに一九九五年に著しているが︑それはこのような状況の危険性に警鐘
( ロ )
を鳴らすためであった︒グローバル化の進展の中で︑従来︑安定した職場で比較的高い給料を得ていた中流の人々がダ
ウンサイジング(日本でいうリストラ)により職を失い︑その後は低い収入の職しか得られないことになった︒その結
果 ︑
一九七四年から九
0
年代始めにかけて︑中流階級の不安定化︑中流階級の分解傾向が生じた︒それとともに︑中流階層の有権者は政府の福祉政策に対して次第に財布の紐が引き締めたのである︒生活が年と共に上向くとか︑今の仕事
に熟練すればよい収入が得られる︑子供達にはよりよい教育を受けさせることができるというような︑明るい未来を描
く見通しが失われた︒経済学者で時事評論家のポ
1
ル・クルlグマンが﹃期待が小さくなって行く時代﹄という本を書いたのは九
O
年であ的︒実際には︑この間に失われた雇用に勝る数の雇用が生み出されていたことは確かである︒八O
年代のアメリカには不法移民を含めれば一千万を越える移民が流入していた︒それでも失業率はそれほど増えなかった
のであるが︑新たに創出された雇用は失われた雇用に比べて賃金の低いものが多かったのである︒
しかし一九九
0
年代後半のアメリカ経済は好況であり︑これはアメリカ経済がグロ!バリゼ1ションとI T革命の時
代に適した構造改革を行った成果と見られた︒経済的繁栄が持続した九
0
年代末までの時期には︑アメリカ政府の経済白書は貧困層の比率の低下を強調した︒そうであれば︑九
0
年代の経済好況期には中流階級の分解が進まず︑むしろ新しい産業分野で再創出されたということができる︒ハーバード大学の社会学者ウィリアム・ジュリアス・ウィルソンは
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アフリカ系アメリカ人の著名な社会学者で貧困問題研究の権威であるが︑彼によれば︑九
0
年代の経済好況時にはアメリカ系の貧しい人々の生活も上昇したので期待がもてたが︑二
OO
一年以降は経済状況がよくないので︑彼らの生活水
(日
)
準はまた下がっているとのことである︒
アメリカ政府は共和党の政府であれ︑民主党の政府であれ︑グローバル化の中で︑自国の経済の繁栄をはかり︑世界
における立場を維持していかなくてはならないと考えてきた︒しかしグローバル化については︑右翼ナショナリストの
反対があり︑民主党支持の労働組合にも︑また左翼の緑の党などにも反対がある︒一九九二年の大統領選挙で共和党の
ジョージ・プッシュが敗れたのは︑右翼ナショナリストのロス・ペロ1が独立の候補者として彼の票をある程度奪った
からであり︑二
000
年の選挙で民主党のアル・ゴアが敗れたのは︑消費者運動などで著名なラルフ・ネイダ1が緑の
党の候補者として出馬し︑彼の票をある程度奪い︑共和党のG・W・ブッシュを有利にしたからである︒
クリントン大統領時代にはアメリカ経済が好況を維持し︑失業者も少なく︑貧困率も低下したにも拘わらず︑アメリ
カの労働組合には強い不満があった︒労働組合の立場からみれば︑工場閉鎖により雇用が失われたことはグローバル化
のた
めで
あり
︑
さらなるグローバル化は︑アメリカの労働者の雇用をさらに奪うに違いないと考えられるから︑彼らは
グローバル化には反対の立場をとる︒一九九九年二一月の世界貿易機構
(W
TO
)
のシアトル会議に際して︑グロ
1
パル化反対の大規模のデモ隊をシアトルに送り込んだのは︑アメリカの労働組合連合の
AFLCIO
である︒クリント
ン大統領は労働組合への説得を試みつつ︑北米自由貿易協定
(N
AF
TA
)
の実現に成功したが︑メキシコを越えて他
のラテンアメリカの国々をその中に取り込むことには踏み切らなかった︒その政策を推進することには議会に強い反対
があ
り︑
それを推進する権限が与えられなかったからである︒
輸送や通信手段が発達してグローバル化が進展する世界では︑多国籍化した企業は︑もっとも低廉で良質の原料・部
品を世界で発注し︑それらを世界の中でもっとも適当な場所に集めて製品化し︑世界市場で販売するようになる︒工業
製品あるいは部品のみならず︑先端的な情報処理業務であっても︑安上がりにできる国があれば︑業務をその国に移転
するのである︒グローバル化と
I
1T革命によりアメリカの少なからぬ熟練労働者とオフィスワカ!が職を失ったこと
はよく知られてところであり︑在来産業は新興工業国からの挑戦を受け続けている︒しかし最近はそれに留まらず︑
らに先端技術に関わる高学歴高所得の被雇用者も海外に仕事を奪われる不安に直面するようになっている︒
グローバル化のさらなる進展と後発国の
I
Tテクノロジー水準の高度化によって︑
I
Tテクノロジーの技術者のよう
な所得の高い上層中流階級の人々も失業の危険にさらされ始めた︒中国やインド︑とくに後者における
I
Tテクノロジ
ーの最近の発達は注目されているであるが︑これらの国々では︑はるかに安い費用でアメリカの多国籍企業が求める仕
事をこなすことができる技術者集団が登場している︒そうなれば︑企業は企業収益を上げるために︑経費を節約しよう
として︑海外に
I
Tテクノロジー関連の仕事を海外に委託すること︑
1
いわゆる﹁オフショア・アウトソシン
グ﹂
行が予想される︒
二
OO
三年末には︑IBM
は経費削減のため中国とインドなどに業務を移転し約四七
OO
人の米国内の技術者など高
給被雇用者を解雇するを計画中で︑同社の役員は他社と競争するためのやむを得ない措置だと弁明していることが報じ
られ
た︒
ニューヨークのある大手証券会社も向こう三年間に八
OO
人のアメリカのソフトウエア技術者を段階的に解雇
して︑彼らの仕事をインドのソフトウエア会社に委託する計画であると言われている︒これらは一社だけの動きではな
く︑それぞれの業界各社における同様の計画の一例を示すものであろう︒またアメリカの医療機関のためのMRI
情報
(磁気共鳴映像法によって得られた人体内情報)を海外に伝送して︑外国人のデータ解析技術者に解析を委託すること
(げ
)
ができるようになれば︑MRI
情報解析のアメリカ国内技術者が多く失業にさらされるであろうとも言われている︒距 離を越えた瞬時の情報の大量伝達が可能になることで︑賃金の安い国の先端技術者が賃金の高い先進国の同業者から仕
事を奪うようになる︒先進国の比較的古い時期に発展した産業分野に関連する仕事が新興工業国に移転したように︑先
の え ﹄
流
グローパル化と多文化主義の中のアメリカ
2 3
端技術分野の仕事も新興工業国に移転する可能性が大きくなっている︒
最近アメリカ経済は好況を回復したが︑それは雇用なき回復とも呼ばれている︒企業の収益は増大したが︑失業率は
変わらず︑労働賃金は上昇していないからである︒ブッシュ政権はアメリカ企業によるアウトソlシングを支持し︑
そ
れは企業の世界的競争力を強めるために必要であり︑やがて失われた雇用を上回る雇用を生み出すことになると弁護し
ているが︑二
OO
四年の選挙では政治問題になりつつある︒
ことができるであろうか︒ アメリカはグローバル化の中で中流階級を再創出し続ける
それができなければ︑長期的にはアメリカの経済的繁栄を脅かし︑アメリカの誇るリベラ
ル・デモクラシーの魅力は失われる︒
IT テクノロジーとグローバル化が先進国の熟練労働者やオフィスワ!カ
lの職を減らしたように︑
I
Tテクノロジ
!とグローバル化のさらなる発展は先進国の先端技術者の職をも脅かすことになる︒先進国のリベラル・デモクラシー
は幅広い中流階級の形成により安定を維持してきた︒
I
T
1
バリゼlションとはそのような先進国テクノロジーとグロの社会構造を動揺させ︑リベラル・デモクラシーを不安定化する︒その問題にどのように対処すべきか︑アメリカを含
めて先進諸国はまだ答えを出していない︒経済のグロ1パリゼlションを突き詰めていけば︑近未来はアメリカにとっ
ても必ずしもパラ色ではないのである︒
四
アメリカの多文化主義
アメリカで一般に受け入れられている多文化主義はアメリカにおける多様な人種およびエスニック・グループの存在
との関連で用いられるものであり︑それは一般的定義として次のように言うことができよう︒アメリカにいるさまざま
な人種エスニック・グループは一方的にアングロサクソンのアメリカ文化を受容したのではなく︑それぞれがもってい た文化によってアメリカ文化の再形成に貢献したのであり︑そのことがアメリカ文化に豊かな多様性をもたらしてい
る︒したがって︑それらの多様なグループがそれぞれの言語や文化的伝統を維持することはむしろ奨励されるべきであ
り︑いかなる民族的文化的背景をもっ人も差別されるべきではなく︑平等に受け入れられるべきであり︑アメリカのさ
まざまな機関や団体はアメリカのそのような多様性を反映すべきである││このような考え方としての多文化主義は今
(日 )
日のアメリカでは広く受け入れられている︒
そのような多文化主義は多人種エスニック国家アメリカの統合のための多文化主義であるといってよい︒しかし一九
八 0
年代には急進的な多文化主義の提唱者は︑ヨーロッパ系白人のアアメリカには共通のアメリカ文化は存在しない︑メリカ文化はアメリカ文化ではない︑アフリカ系アメリア人はアフリカ系アメリカ文化を︑メキシコ系アメリカ人はチ
カlノ文化を学習すべきであり︑それぞれの先住民はそれぞれの文化を︑女性は男性中心の文化ではなく女性が創造し
た文化について学習すべきだ︑ヨーロッパ系白人男性文化を学ぶ必要はない︑と主張したことがある︒それは前記のよ
うな多文化主義では白人男性文化の傘の下でマイノリティ文化の存在が容認されるだけであって︑自らの文化的自尊心
が満たされないという強い不満が︑アメリカの非白人マイノリティとくにアフリカ系知識人および女性知識人の中にあ
ったからである︒彼らの反発をもっとも雄弁に語ったのはテンプル大学のアフリカン・アメリカン研究科長モレフ・ケ
ーテ・アサンテである︒このような多文化主義の主張は︑白人保守派のみならずリベラルな知識人からもアメリカの国
(四 )
民的統合を解体する多文化主義であるとみなされた︒
多文化主義を突き詰めて行けば︑国民共通のアメリカ文化の存在を否定しアメリカの国民的統合を脅かしかねないと
して︑この言葉の使用を保留する人々も少なくないのである︒アメリカの保守主義は︑多様な生活様式を許容する一九
七 0
年代の社会傾向に不安を感じ︑多文化主義の相対主義に反発して︑家族の重視︑伝統的信仰と倫理の復興を主張しグローパル化と多文化主義の中のアメリカ
2 5
て勢方を回復した︒また多文化主義にはアメリカのさまざまな機関は多様な民族人種グループをその中に含むべきだと
いう主張があり︑これはアファ1マティヴ・アクションの要求︑人種エスニック・グループを考慮した機会の配分の要
求につながるので︑アファ1マティヴ・アクションによって不利な立場に立たされる白人男性の中に反発が生じた︒
ア
ファ
lマティヴ・アクションは人種エスニック・グループや性別の考慮による新たな差別﹁逆差別﹂であると彼らは非
難し
た︒
その意味でもアメリカの保守派は︑多文化主義をアメリカの原則とすることに鷹陪がある︒隣国のカナダでは
一九七二年以来多文化主義担当の閣僚クラスの高官が任命され︑﹁二言語多文化主義﹂多文化主義は連邦の政策となり︑
は国の統合のための原則として位置づけられているが︑アメリカでは穏健な多文化主義は広く受容されているものの︑
カナダの多文化主義はケベック州のフランス国の方針を多文化主義という言葉で表現することには抵抗がある︒他方︑
系住民の中の分離主義を封じ込めようとするカナダの主流派の立場を表すものとして公式化されたのである︒
アメリカの知識人の間で多文化主義を巡る論争が盛んに戦わされたことがある︒それは一九八九年にスタンフォード
大学が学生運動家たちの要求をいれて︑大学が従来︑人種主義と性差別主義に毒されていたことを認め︑教養科目の西
洋文明研究を廃止することを決めたことが発端になった︒他の多くの著名な大学も同じような自己批判を行いマイノリ
ティ!研究や女性研究の科目を充実させることを約束した︒そしてこのような傾向を受容すればPC(政治的に適切な
立場)であるけれども︑それを批判して︑アメリカ的な価値の源泉は西洋文化の中で発展したものであるが︑それは人
類共通の遺産と考えるべきであり︑それを教える教養教育を﹁ユ!ロセントリシズム﹂というのは偏狭であるとか︑文
学には文化や性別を越えた共通の評価基準があることを認めるべきだと主張すれば︑﹁レイシスト﹂﹁セクシスト﹂など
と糾弾される雰囲気がアメリカの大学社会に存在した時期があっ抗日)O
多年リベラルな知識人として行動してきたア1サ1・シュレシンジャ1は一九九一年に﹃アメリカの分裂﹄を書いて︑
そのような傾向に憂慮の念を表明したのである︒彼は統合のための多文化主義を支持したが︑アメリカを分裂と解体に
導くと彼が恐れた多文化主義を唱えるものとしてアサンテらの言説に反対した︒アフリカ系の著名な学者の中からも︑
例えばヘンリ1・ルイス・ゲイツがそうであるが︑シェイクスピアは人類共通の遺産であり︑アフリカ系作家も多くを
学ぶことができる︑音楽にしても白人音楽と黒人音楽とは相互に影響を与えたのであり︑さまざまな文化の接触交流こ
(泣
)
アサンテを批判する意見が出た︒その後はアサンテも︑アメリカ人が共有する価値があることは否そが重要であると︑
定しないと言い︑人種民族グループが互いに相手の文化的伝統を学習し相互作用を起こすことが必要だと言うようにな
(お )
った
この種の論争はもう現在ではあまり行われない︒大学における多文化主義の実践は穏やかにカリキュラムの中に定着 ︒
したからである︒その一方で︑近年は知識人の世界でも保守派はかなりの影響力をもつようになり︑とくに公共問題に
発言する知識人の間で︑勢力を強めている︒アメリカ政治における保守派の勢力は一般のアメリカ人の間の保守的心情
に支えられているだけでなく︑保守系シンクタンクを拠点として公共問題に発言する保守的な知識人の台頭によって支
えられているのである︒九
0
年代半ばに下院議長になり︑共和党のイデオロlグ兼共和党下院議員の司令塔として活躍したニュlト・ギングリッチも歴史学博士であり︑大学教授から政治家に転身した人物であった︒
近年のアメリカにおける﹁文化戦争﹂と呼ばれる目立った文化的対立は︑人種エスニック・グループがらみの多文化
主義をめぐる対立ではなく︑多様なライフスタイルに寛容なリベラル派と伝統的道徳観念を固守しようとする保守派と
の対立である︒これは主として白人市民の間での対立であり︑マイノリティの諸グループはその双方に代表されてい
る︒両者の対立は性差別禁止修正条項(平等な権利修正
UE
RA
)
の批准を巡る対立としてまず現れたが︑七
0
年代以来︑妊娠中絶問題が最大の争点であった︒宗教的保守派は妊娠中絶に反対であり︑妊娠中絶を行うクリニックを襲撃す
るというような暴力的行動にも出た︒彼らは妊娠中絶を認めれば道徳の退廃につながると考えて強く反対する︒中絶支
持派は妊娠の一定期間の女性の中絶選択権を人権として尊重しようとするが︑反対派はいかなる理由であれ︑受胎して
グローパル化と多文化主義の中のアメリカ
ウ / ヲ‑
生命を得たものを抹殺することは殺人に等しいと主張する︒ただしこの問題の研究者荻野美穂が指摘する通り︑個人の
人権を主張する点では両者の論理は共通しており︑両者はアメリカ的価値に依拠しながら︑戦っているのであ弱︒
﹁ 理
念の
共和
国﹂
アメリカでは︑文化戦争の当事者たちはともにアメリカ的理念に基づいて衝突するのである︒保守派とリ
ベラル派の争点はそのほか︑同性愛者の権利を巡る対立︑公立学校における宗教教育の可否をめぐる対立などがある︒
このような対立は多様な文化の共存という多文化主義の難しさを示している︒
五
ますます強まる多文化的な状況
アファ1マティヴ・アクションの方策として︑特定の少数人種エスニック・グループの雇用や入学にある比率を割り
当てることとか︑少数人種エスニック・グループの業者に公共事業のある比率を割り当てるように︑数値目標を設定す
るこ
とは
︑
一九七八年の連邦裁判所の判決以来︑違憲とされるようになった︒あらゆるアファlマティヴ・アクション
を禁止する州もでてきた︒アフリカ系の人々の一般の間ではまだアファ1マテイヴ・アクションの継続を望む人々が多
アフリカ系知識人の間では一九八
O
年半ばにはアファ!マテイヴ・アクションをいつまでも継続するのはアフリ(お
)
カ系のためにもよくないという意見も出てきた︒これは公正さということをどう考えるかという問題であり︑だれにで ︑A
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︑
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も平等に機会を与えるのか︑過去に差別されたグループには優遇措置をとるのがよいのかといえば︑前者が本筋であ
り︑後者は一時的な措置としてしか認められないということになるが︑現状がすでにそうした措置をまったく不必要に
する段階に達しているかといえば︑議論の別れるところである︒
いず
れに
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︑
アファ
1
マティヴ・アクションは︑ア
フリカ系の人々について言えば︑彼らの中のエリートに機会を提供したにすぎず︑所詮﹁アンダークラス﹂と呼ばれる
ような最下層に沈殿した人々の向上には影響を及ぼさないものであった︒アファ!マティヴ・アクションの後退は︑
つには︑経済のグローバル化により中流階級の地位が不安定化したために︑白人中流階級の中に︑よい収入や社会的敬
(お )
意が得られる職を逆差別によって奪われまいとする利害の意識が生じたためであるとみることもできよう︒
しか
し︑
アファ1マティヴ・アクションの特別措置がなくなっても︑地域の住民の人種エスニック構成をある程度反
映するように役所の職員︑企業の社員や学校の学生生徒が構成されていれば︑
﹁デ
ィヴ
ァ
1
シティ﹂││人種エスニックの多様性尊重ーーの原則に照らして︑望ましいことであり︑マイノリティに属する人が極めて少ないことは会社とか学
校のイメージにとってよいことではない︒したがって︑優秀な能力をもっ少数民族人種の人材には多くの企業や学校︑
公的機関などから誘いがかかることは今日でも変わらない︒クリントン政権は女性や少数人種エスニック集団の人々を
政権幹部に入れたが︑プッシュ政権も女性や少数人種エスニック集団の人々を要職につけている︒国務長官はコリン・
パウエル元将軍であり︑国家保障担当補佐官はコンドリ
1
ザ・ライスである︒元下院議員のノ
lマン・ミネタはクリ
ントン政権末期に商務長官になり︑プッシュ政権では運輸長官を務めている(アジア系では初めての長官級の行政職)︒
ヒスパニック系市民もプッシュ政権に登用されている︒また国立保健研究所の所長のゼルフ!ニ博士はアルジェリア出
身のイスラム教徒である︒連邦政府のみならず︑州や地方自治体も︑企業も学校も︑あらゆる人種エスニック集団の有
能な人々を抜擢している︒そのようにして多民族国家アメリカは国民的統合を維持しているのだといえよう︒
宗教は文化のなかの中核的な構成要素であるが︑アメリカのイスラム教徒はアメリカの宗教事情も多様化している︒
かつてはアフリカ系アメリカ人のイスラム教徒が大部分を占め︑その総数は僅かだったが︑近年は南アジア︑中束︑東
南アジアからの移民の増加とともに急速に増え︑最近では︑宗教問題を専門とするジャーナリスト︑グスタフ・ニ
i
パーの推測によれば︑約五
OO
万人と推定されている︒モスクの数はまだ少ないが︑
一 二
OO
を越えており︑その大部分
は最近二
O
年に建てられたものである︒またアジア各地からの移民の増加で︑ヒンズー教徒および仏教信者の数も増えグローパル化と多文化主義の中のアメリカ
2 9
(鈎 )
そういう点ではアメリカはますます民族的に多様化し︑そして宗教的にも多様化している︒保守的なキリスト
教やユダヤ教の指導者の中にはイスラム教を邪教として排斥する人々もおり︑アメリカをキリスト教の国として維持し て
いる
︒
たいと望む人々がいることは確かである︒しかし宗教面での多文化化はますます進行しているのが現実なのである︒プ
アメリカの宗教的多様化に対処して︑強固なプロテスタ
( ω )
ント信仰を守ろうとする衝動の表れであると解釈することができる︒ ロテスタントの中に原理主義が復興してきたのは︑
一面
では
︑
しかしアメリカの多文化化を促進している移民の流入を原則禁止せよとかあるいは厳しく制限せよという意見は少な
し ユ
一九
九
0
年代前半には移民制限強化が議会で議論されたことがあったが︑しかし移民受け入れ数を減らすような提案は採用されなかった︒九四年にカリフォルニア州で提案一八七号が人民投票により採択されたときは同州における反
移民感情のがもっとも高まった時であった︒これは不法移民に社会的サ1ヴィスを提供しないことを決めたもので知事
はそれを支持したが︑連邦司法部の介入により︑その提案一八七号の大部分の項目の実施は阻止された︒二OOO年に
は外国生まれ人口は過去最大で二五OO万に近く︑全人口に占める比率も一O%を越え︑その大部分はラテンアメリカ
やアジアからの移民であるが︑近年はむしろ移民増加に対する反感は弱まっている︒例えば︑ギャラップの世論調査で
は︑移民減少を望む意見は九
0
年代前半には六五%に達したが︑九0
年代後半には低下して二OO一年には四一%となり︑他方現状維持が四二%︑移民増大を可とする意見が一四%に上昇し問︒アメリカの世論は移民流入の現状について
はむしろ肯定的であり︑その点では多文化主義を受容しているといえる︒
アメリカが保守化しているにもかかわらず︑移民受け入れを減らせという意見が少ないのはなぜか︑政府が永住権の
ない労働ヴィザの発給をさらに増やそうとしているのはなぜかといえば︑それは保守勢力の重要な支柱である中小企業
主や農場主が低廉勤勉な労働者の供給を望んでいることと関連している︒多国籍企業が海外に工場を移転して低廉な労
働者を求めるように︑中小企業は国内で低廉な移民労働者を確保しようとするのである︒移民国家と福祉国家とが相互
矛盾の関係にあることは古矢旬が鋭く指摘した通りである︒歴史を回顧すれば︑アメリカで福祉の充実が進んだ一九三
0
年代から六0
年代まで︑移民受け入れ数は限定されていた時期であり︑七0
年代以降移民受け入れが増大するとまもなく福祉政策の見直しないしは切り詰めが始まるのであれか)︒
二
OO
一年の九/一一テロ事件直後︑イスラム教徒︑とくにアラブ系の人々に対するハラスメントが起こった︒また
政府はアメリカ国籍のない何人かのイスラム教徒を拘束して国外に追放することも行った︒しかしアメリカ人としてす
でにアメリカに住んでいるイスラム教徒︑アラブ系の人々も実際には大勢おり︑新たな移民への門戸も開かれているの
であるから︑政府としてもアメリカ人主流としても︑彼らを忠誠なアメリカ人としてアメリカ社会に統合して行かねば
なら
ない
︒
かつて一九五
0
年代にウィル・ハlパlグという著述家が﹃プロテスタントlカトリックlジュ
l﹄という
本を
書い
て︑
かつてはカトリックやユダヤ教徒に対する差別があったが︑今日では彼らの宗教もプロテスタンテイズム
アメリカの宗教として受け入れられている︑アメリカには国民が宗教の相違を越えて共有するアメリカ的信
(お )
条があると述べた︒今日では︑アメリカはその他の宗教をも︑とくに信徒人口の増大しつつあるイスラム教を︑アメリ と
同じ
く︑
カの宗教として受け入れていく必要が生じている︒それゆえ︑九/一一テロ事件の後︑この事件の犠牲者を追悼する式
典がワシントンで行われた時には︑ユダヤの神とともに︑イスラム教徒の聖職者も参列し︑キリストの神︑ムハンマド
の神の名において祈りが捧げられた︒プッシュ大統領はその後まもなく︑ワシントンのイスラム教寺院を訪問し︑また
イスラムの祭日にはアメリカのムスリム市民にメッセージを送るなど︑アメリカ市民としてのイスラム教徒に好意的発
言をしている︒上下両院のチャプレンはプロテスタント聖職者から任命されるのが普通であるが︑一九九九年には下院
ではじめてカトリックのチャブレンが任命された︒特定日の議事開始に際して祈りを捧げる祈祷者には︑近年はユダヤ
教の聖職者のみならず︑先住民の祈祷師やイスラム教聖職者が招かれている︒イラク戦争ではムスリムの兵士のために
イスラム教聖職者の従軍チヤブレンが任命されている)︒
グロ」パル化と多文化主義の中のアメリカ
3
1そういうアメリカを統合していくためには︑﹁統合のための多文化主義﹂はますます不可欠なものになっている︒
ア
メリカのアメリカ史教育は︑多様な民族的文化的背景をもっ生徒たちに︑アメリカ市民としての意識︑国民としてのア
イデンティティを持たせるために行われるのであるから︑歴史叙述の中にかれらそれぞれの場所を与えて行かなければ
なら
ない
︒
そのような配慮をもって書かれている︒アメリカ人が先住民およびヨーロッパを始め世界各地から移住して
きた人々から成り立っているので︑彼らの歴史的背景に触れるとすると︑世界各地の歴史にも言及しなければならな
い︒極端にいえば︑アメリカ人の歴史を知るには世界史を知らなければならないのである︒そのような市民教育はグロ
ーバリゼ1
ションの過程にある世界の中心国の国民としてのアメリカ人にとってまことに相応しい教育であるといえ
族人種集団の る︒大津留(北川)智恵子が多文化主義について用いている言葉﹁文化的尊厳﹂を借りるならば︑これはそれぞれの民
の承認が定着してきたことを物語るものといえよ滞︒
﹁文
化的
尊厳
﹂
しかし他方ではアメリカの最近の対外政策は世界について開明的なものになっているとは言いがたい︒それはなぜで
あろ
うか
︒
アメリカで受け入れられている多文化主義は国民として統合していくための多文化主義であり︑アメリカの
リベラル・デモクラシーの基本理念を共有することが前提になっている︒それを世界に適用すれば︑アメリカは多文化
世界を許容するが︑文化的背景の相違を越えて︑世界がリベラル・デモクラシーの基本理念を共有することを求めるわ
けである︒第二次大戦時の国際主義もそのようなものであり︑その国際主義は国連憲章の前文の中によく表明されてい
る︒世界がそのような方向に進むことは︑民主主義者の立場からは望ましいことであり︑占領期の日本もその恩恵を受
けたと言える︒
アメリカ外交がデモクラシー‑プロモーションを推進しようとすることは︑それ自体はよいことであるが︑多様な文
化が存在する世界で性急にリベラル・デモクラシーを押し付けようとすればかえって反発を招き混乱を生じさせる︒デ
モクラシl・プロモーションには慎重さが必要であるが︑その点で
﹁ネ
オコ
ン﹂
と呼ばれる人々はアイディアリストで