経営財務と企業理論回
岡 部 政 昭
三︑﹁制度﹂としての企業
近年︑ウィリアムソンやチャンドラー等が提唱する新しい制度学派のこ七では︑階層制組織︑即ち︑内部組織
のもつ管理的調整機能の効率性が積極的に主張されている︒彼等は︑近代的企業のもつ経済活動の効果的統制を
歴史的事実として承認し︑しかも︑それが市場メカニズムに対してもつ優位性を明らかにしようとした︒企業を
論じ︑その政策や意思決定の意味を解明しようとする試みは︑いまや︑このような新しい展望の中で再検討を迫
られているともいえる︒政策決定のための体系的な決定ルールの探究という経営財務論の検討課題も︑以上のコ
ンテクストの下では︑市場の働きの解明ということの中にすべて解消してしまうことはできない︒理論的なレベ
ルではともすれば軽視されがちであった企業の管理システムの研究が︑ここに改めてその重要性を再認識される
べき契機が生じたのである︒
内部組織による資源配分の効率性は︑計画と統制という管理システムによって保証される︒管理システムこ
そ︑管理機構の運営を決定づける基本的な枠組である︒内部組織の経済学は︑階層制組織に固有の以上のような
経営財務と企業理論 ㈹
−33−
管理的調整機能が市場システムに優位することの理由を取引コストという概念の下に包括的に説明しようとし
た︒階層制組織を利用した場合の取引コストが︑市場を利用した場合のそれより小さければ︑経済活動の内部化
は明らかに有利であろう︒このような文脈の中では︑内部組織化の根拠は︑取引コスト要因に還元された効率性
の基準に基づいている︒
しかし︑内部組織の管理的調整機能をこのように効率性基準によって理解しようとする見方は︑市場の経済分
析に支配的な見方というばかりでなく︑﹁管理﹂の思想そのものに独特な基本的性格であり特徴でもある︒管理
の思考は︑企業活動を計画と執行に分離し︑計画過程による執行活動の徹底した統制を意図する︒管理における
こうした計画と統制という調整的機能は︑他方における経営諸活動の分化と統合と相俟って︑経営過程の合理化
を推進し︑その効率性を飛躍的に高めようとする︒産業発展の歴史は︑この意味で︑正しく︑経営過程の徹底し
た管理化によって︑能率向上と合理化に資するとする古くからの管理思想の主張を︑歴史的︑実践的に実証する
ものであった︒
ところで︑この管理思想については︑更にその基礎に︑正統的な経済理論ときわめて類似する概念の存するこ
とにも留意する必要がある︒例えば︑企業活動を細分化することにより︑全体としては︑却って︑その統制を効
果的たらしめようとする分権化の原理は︑企業内の自律的な個々の活動が︑自由な裁量の下に︑それぞれの部分
的に卓越した知識に照らしてその能力を最大限に発揮しようとするとき︑全体としてのパフォーマンスが高まる
ことを述べている︒これは︑自由企業体制を全般的な枠組として成立する完全競争の理論のアナロジーに他なら
ない︒管理の思考は︑稀少資源の効果的配分を意図した問題解決方法という意味では︑市場機構分析と方法論的
一34 一一
な背景において軌を一にしているのである︒
近年における企業理論の展開は︑企業というものを大海に浮かぶ一点の小島としてではなく︑それ自身対象と
なるべき一つの組織体として捉える見方を確立してきた︒このような企業観の転換は︑それ自体として評価され
るべき重要な問題提起であり︑また︑優れた洞察を与えるものであった︒しかし︑管理機構の経済分析という性
格上︑ある意味では当然とはいえ︑そこで展開される企業理論は︑余りにも効率の論理にのみ支配され︑整然と
した組織と効率的な管理技術をのみ強調するものであった︒要するに︑企業理論の枠組での組織の理論は︑多く
の場合︑問題解決における合理的側面のみを一面的に強調するきらいがあったのである︒こういった効率の論理
へのより一層の傾斜は︑既述のサイモンの組織理論の中に端的に窺うことができる︒彼は︑﹁限定された合理性﹂
の下での選択もしくは意思決定プロセスが︑如何に論理的かつ一貫性あるものとして構成されるかに関心をもっ
た︒彼の研究方法は︑主著﹃経営行動﹄︵Administrative Behavior。 1945︶において詳述されたように︑意思決定
における価値前提と事実前提の徹底的な分離にょって︑手段と目的との分離を促し︑価値の問題を管理の﹁科
学﹂の枠外に追いやることであった︒この管理の科学化は︑合理性と効率という相関連する原理に基づく﹁理念
的﹂組織モデルの構築に繋がっていく︒しかし︑その反面︑そこで見られるような手段と目的との分離の中で
は︑目的や価値の選択が不当に軽視される一方で︑合理的な手段の選択という技術的論理ばかりが優先的なもの
となってくる︒政策決定が政策目的と無関係ではあり得ない以上︑技術的論理の強調は︑本来︑価値判断に晒さ
なければならない複雑な経験的事象の多くを余りにも短絡的に︑また性急に没理性的な世界へと追いやってしま
うとの批判を免れないであろう︒かくして︑技術の偏重と効率の論理の強調は︑組織をますます手段視し︑一つ
−35−
の使い捨て可能な道具という見方を強めていく︒組織は︑ここでは︑﹁特定の仕事をするために︑特別に設計さ
れた合理的器械﹂として理解される︒それは︑伝統的管理論における器械的組織観を装いを新たに一層洗練され
た枠組の中に再構築したものに他ならない︒
組織の経済分析における効率性基準の強調という問題については︑やや異なる角度からこれを再検討してみる
必要がある︒ウィリアムソンは︑﹃市場と企業組織﹄︷MarketandHierarchies。1975}の中で︑経済活動を統制す
る取引様式の選択に際しては︑取引コストのような金銭的尺度では計りきれないような価値が付随すると述べて
いる︒彼は︑それを﹁雰囲気﹂というよく馴染まない言葉で表現したが︑取引様式の選択が効率性の基準でのみ
評価され得ないことを鋭く指摘した点で注目されよう︒市場に対する内部組織の優位性を指摘するに際して︑効
率性と幸福感とが内在的に分かち難く結びついている︑とした彼の指摘は重要である︒ここには︑企業について
の一つの独特な視点がある︒効率性のみを実現すべく設計された管理機構として企業を眺め︑その合理的運営に
のみとらわれるなら︑各種経済組織のとる異なる形態が異なる交換関係を提供するという問題はでてこない︒ま
た︑そのような交換関係が︑それ自体として評価されるべきであるという認識もでてこない︒理想化された純粋
に経済的な理論モデルからは︑市場の残滓として見られ︑非本質的なもの︑取るに足らないものと見られていた
各種組織形態や慣行が︑ここでは︑その存在意義や機能を問われることによって︑研究上の正当な地位を回復し
てくる︒これは︑まさに︑﹁制度の復権﹂という文脈においてクローズアップされる問題に他ならない︒ウィリ
アムソンは︑組織の有効性というものを評価する際には︑通常の効率性計算が命ずるよりももっと広い視野が必
要になる︑と述べている︒彼は︑﹃市場と企業規織﹄の中でこの﹁広い視野﹂を必ずしも明瞭に示してはいない︒
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しかし︑それにも関わらず︑彼の描く新しい制度の経済学は︑こ0視点をその展望の中に明確に織り込まなくて
はならないであろう︒
経営者が現実に直面する諸問題に対して適切な処方を施し得るための論理は︑恐らく︑効率の論理にのみ縛ら
れた狭隘な管理分析の概念的枠組を超えるものであろう︒それは︑既に古く︑セルズュク︵p. Selznik︶が﹃経
営におけるりIダーシップ﹄︵Leadership in Administration。 1957︶の中で指摘したような方針と管理の概念的区
別にも関連している︒セルズニクにょれば︑方針は︑経営上の枢要な価値の創造に関わるもので︑言わば︑経営
環境の基本的な性格を決定づける問題である︒これに対し︑管理は︑方針の遂行に関連した技術的︑執行的諸機
能を表すものである︒両者は︑概念上区別しなければならないものではあるが︑現実的な経営問題の理解に際し
ては︑決して︑分離することのできないものである︒枢要な価値の選択がなされ︑それを体現した社会構造を創
造することにょって︑初めて︑管理効率の基準が重要な役割を演じるようになるのである︒曾て︑GMの組織づ
くりと管理運営に多大の貢献をしたアルフレッド・P・スローン︵Alfred P. Sloan Jr.︶は︑彼の経営哲学の表
明に際して︑計画過程と管理技術の意義を強調する一方で︑経営の価値的側面に関わる問題の重要性に触れるこ
とを決して忘れなかった︒彼の示した方針と管理の統合という問題は︑経営管理の実践上はともかく︑理論的な
レベルの議論においては︑しばしば︑論理的な関連を示されないままに放置されるか︑或いは︑等閑に付される
のが常であった︒こういった方針と管理の統合を阻む一端の原因が︑組織或いは企業についての狭隘な見方に起
因することは明白であろう︒既に見たような管理の科学化に象徴されるような展開は︑目的に対する手段の重視
を促し︑企業を経済効率の基準からのみ評価する分析枠を設定しているのである︒方針と管理の一体化した概念
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的枠組を確立し︑より﹁広い視野﹂に立った管理分析の可能性を探るためには︑企業を﹁合理的器械﹂としての
組織と捉える見方から︑自律的な社会制度として捉える見方への転換が必要である︒今日︑近代的企業は︑内部
および外部に向けての強大な権力にょって特徴づけられるとともに︑組織的には︑多くの利害者集団から構成さ
れる社会結合体となっている︒この社会結合体を一定の方向に向けて指導していくためには︑内部の集団的諸過
程のもたらす価値を組織の中に体現させていかねばならない︒ここには︑企業を単なる公式組織を超えたある一
定の価値を体現した存在として説明することの必要性が生まれている︒それは︑企業を制度として捉える見方で
ある︒制度とは︑ウィリアムソンの言葉を借りるなら︑ある独持な雰囲気を伴う取引様式を具体的に体現するも
の︑と定義できるであろう︒こういった制度理解は︑しかし︑決して新しいものではなく︑先のセルズニクの古
典的な研究が︑既に優れた示唆に富む考察を試みている︒セルズニクは︑組織がその集団の一貫性と志望を表明
するために︑それ自体価値をもった存在になるとき︑これを﹁制度﹂と呼ぶ︒彼の研究は︑社会学的な問題意識
の鮮明な基礎の上にたつものであるが︑企業をそのような制度概念に照らして検討しようとする分析視点が︑経
営管理のみならず経営財務の研究に対してもつ意味は︑決して小さなものではない︒
一38一
四︑経営財務における企業概念
前節で論じた企業における枢要な価値の創造に関わる問題は︑今日︑企業文化の問題として広く関心を集めて
︵1︶ いる︒営利原則と経済合理性の観点から論ぜられる企業も︑それが︑本来︑人間営為の範囲を超えるものではな
い以上︑人間の本性に適った価値観︑文化の問題と無関係に論ぜられないことはいうまでもない︒人間活動ない
−39一
し人間活動の場を研究の対象とする企業・経営の学が︑企業文化の問題をその論理体系に正当に位置づけようと
する努力は︑その学問発展の言わば当然の道筋であった︒もとより︑経営財務論としては︑そのような価値観の
中味や文化のあり様を直接考察することは︑研究の対象外にある問題である︒しかし︑経営風土の形成に関わる
企業価値の創造や文化の形成過程が︑財務決定の問題と︑表面上はともかく︑その実まったく無関係であり得る
ことはない︒その問題が︑経営財務の問題ととりわけ密接な関わりをもつのは︑企業を社会結合体としての制度
と捉える場合に︑そこで不可欠な利害調整の問題においてである︒この言わば組織的な調整過程を通じて︑既に
論じてきたような財務決定のルールが問題となり︑また影響を受けるであろうことには十分な注意が払われなけ
ればならない︒このことは︑例えば︑株主関係における安定配当政策の追求や︑対債権者関係としての負債契約
問題︑それに組織および製品市場関係が資金フローに及ぼす影響などの具体的な財務問題について明らかであろ
う︒それらは︑いずれも︑株主指向の企業財務モデルの中では︑原理的に︑その政策的意味を否定或いは軽視さ
れるか︑その種の問題の存在それ自体が疑問視されているのである︒
ところで︑経営財務と企業理論との整合的な関連を明示的に取り扱い︑論議しようとする問題意識は︑従来の
経営財務研究にあってはきわめて稀薄であった︒本来︑経営財務の諸問題が企業活動の一貫として発現する以
上︑﹁企業とは何か﹂という問題は︑絶えず︑財務決定や財務行動を理解するための前提になければならない︒
財務決定の有効性︑従ってその正当性も適切な企業概念を基礎として初めて保証されるものである︒しかし︑既
に第二節で論じたように︑従来の研究がすべて企業理論の理解に十分努めてきた訳ではなく︑多くの場合︑それ
はアド・ホックな形で論及されるか︑先験的な前提として示されるにすぎなかった︒もっとも︑近年の資本市場
−40−
理論については︑そのような批判がストレートに当て嵌まる訳ではないが︑この新しい理論展開の中では︑企業
或いは企業行動は余りにも限定的かつ観念的に捉えられたため︑そこでは別の新たな問題が代わって浮かび上が
ってくる︒資本市場理論が前提とする新古典派の企業理論は︑周知のように︑企業をブラック・ボックスとして
扱い︑それをインプットーアウトプット間の転換という技術的関係において問題にしたにすぎない︒これは︑経
済システムの予定調和を前提にして︑資源の社会的な効率配分を意図する市場機構分析に適合した企業概念であ
る︒しかし︑市場システムに独特なその素朴な予定調和の世界観が現実的に必ずしも妥当しなくなるに及んで︑
企業活動に固有の多様性︑特異性︵−diygM局︶が次第に顕在化する︒そこでは︑インパーソナルな市場の働き
の背後にあって効率的な資源配分の役割を主体的︑意図的に担う企業活動の仕組がクローズアップされ︑企業の
論理それ自体に対する関心が増大してくる︒経営財務の問題を真に認識でき︑財務の論理の展開が可能となるの
は︑正しく︑こういった文脈においてなのである︒
以下では︑これまでの考察を前提として︑そのような財務の論理の課題に答えるための企業概念︑企業モデル
とはどのような内容のものか検討しよう︒その際︑経営財務問題がその企業モデルとどのような関係にあるかに
ついても明らかにしよう︒
さて︑企業を定義する場合には︑まず︑そこに次元を異にする二つの概念を見ておくことが必要であろう︒新
古典派的な企業理論に見られる生産関数として表出された企業概念は最も典型的な企業の定義を提供するもので
あろうが︑それは︑それ自体が対象となるべき企業概念としては狭きにすぎる︒ここでは既に検討したような近
︵4︶ 代的企業の諸特質を踏まえた上で︑企業を﹁組織構造を伴う生産資源の集合体﹂と理解しよう︒企業についての
−41一
この純粋に定義上の解釈から︑更に二つの概念的問題が派生する〇第一に︑この定義に含まれる﹁生産資源の集
合体﹂とは︑それを更に敷行していえば︑﹁財・サービスの生産並びに交換過程を通じて生産資源を結合する活
動の総体﹂と解される〇これは︑通常︑ビジネスという用語で表現されている意味内容に一致大社︒企業のこの
ビジネスとしての側面を強調するとき︑それは︑伝統的な企業概念にきわめて近似した意味となる︒企業の定義
に含まれるいま一つの要素としての組織の概念は︑その定義づけの難解さばかりでなく︑分析それ自体への影響
力という点から︑重大かつ困難な問題を含んでいる︒ここでは︑定義の一貫性を保持する必要から︑組織を︑既
に述べたように︑目的達成の手段としての﹁合理的器械﹂と捉えておこう︒手段志向的で︑効率誘導的な過程と
してのこの組織観は︑企業をより現実的な次元で考察するときには︑新たな意味内容を包含したより高次の見方
へと転換されることが必要である︒しかし︑企業の本質的要件を規定する以上の定義のレベルでは︑そのような
組織概念は︑公式的︑合理的な論理に即して︑先のビジネス概念と整合的な関係におかれているのである︒かく
して︑企業は︑定義上︑﹁ビジネス﹂と﹁組織﹂という同一次元の二つの活動の統合︑として理解されることに
なる︒ 企業についての第二の見方は︑より現実的なものである︒先の企業概念を現実に活動している企業に当て嵌め
ようとするとき︑現実の企業は余りにも多彩な様相を呈しており︑そのような単純な定義によってはとてもその
全貌を的確に捉えきれぬ存在であることが分る︒現実の企業を対象とする場合︑とくに留意しなければならない
のは︑﹁組織﹂をどう捉えるかということであろう︒定義上︑公式的な目的追求の手段としての組織も︑実際に
は︑それが︑人間の協働行為として現われてこざるを得ないものである以上︑合理的で公式的な論理ばかりに追
−42−‑
随する訳ではない〇前節で論じたように︑組織の存統︑維持のためには︑構成メンバーの集団的価値を組織の価
値にまで高め︑組織に生命の息吹を与えねばならない︒そのことが︑企業にとってより大きな活力を生み出す企
業文化の創造に繋がることになる︒即ち︑組織は︑単なる公式組織を超えて集団的な価値を体現した﹁制度﹂と
なることが︑その存続︑発展の必要条件である︒従って︑現実の企業を見る場合にも︑その基本的な特質を単な
るビジネスの組織としてではなく︑ビジネスの制度と捉える視点への転換が重要である︒しかし︑ビジネスと企
業の意味上の区別が︑組織的観点の相違に関係し︑また︑近代的企業が内外環境への支配力をもつ大規模組織で
あることを勘案するとき︑現実の企業は︑単なるビジネス活動の担い手という意味を超えた企業制度として理解
されることが必要である︒この﹁企業制度﹂は︑ある意味で︑近代的企業を見る場合の一つの理想型であり︑規
範的なモデルとなり得るものである︒
現実の企業は︑それが如何なる形態や活動に関わるにせよ︑その存続︑発展のためにはこの﹁企業制度﹂とい
う要件を必要条件とするという意味で︑それは︑現実の企業もしくは企業活動を分析するための一つの有用なモ
デルを提供している︒図は︑企業の定義と活動範囲についての簡単な類型を示すものである︒二つの座標軸は︑
機軸に︑﹁ビジネス﹂と﹁企業﹂︑縦軸に︑﹁組織﹂と﹁制度﹂という区分が示されている︒横軸はまた︑ビジネ
ス活動に対する単純・閉鎖型か︑複雑・開放型かの区分を︑縦軸は︑合理的思考と創造的思考の区分を示してい
る︒この簡単な類型からは︑企業の定義についての四つの可能性が示唆されている︒象限Ⅳに対応した﹁企業制
度﹂が︑先に示した理想型の企業の行動モデルであるが︑他に﹁ビジネス組織﹂︑﹁企業組織﹂そして﹁ビジネス
制度﹂の三つの定義が可能である︒象限Iの﹁閉鎖的・合理的﹂企業モデルは︑ほぼ伝統的企業概念に相当する
−43一
もので︑企業についての第一の見方に対応する︒ところで︑図は︑企業
の定義に重ねて︑同時にまた︑企業活動の方向や管理方式のあり方をも
分類している︒横軸は組織的観点の相違を示すものであるから︑それ
は︑まず第一に組織活動としての複雑さの程度を示している︒更に︑そ
れはその複雑さに対応した企業の外部環境の多様性︑不確実性の増大を
も意味している︒縦軸もまた︑合理的な公式組織から︑独特の価値を体
現した制度への移行という点で︑やはり︑組織・管理システムの複雑性
の程度を暗示している︒この軸はまた︑組織を問題解決の手段と看做す
観点から︑合理的︑公式的思考と適応的︑創造的思考の区分をも示すも
のである︒このように︑機軸︑縦軸の区分は︑企業活動の現実的な性質
を反映する多様な意味合いを同時に含んでいる︒それぞれの区分を相互
に組み合わせることにょって︑企業活動の方向と領域を規定する四つの可能性が見出せる︒即ち︑そこには︑単
純もしくは複雑な事業活動に対する︑合理的もしくは創造的な統制方式の様々な対応︑組合わせを見出すことが
でき︑その結合様式から︑持株会社や事業部制組織︑或いは垂直統合等々の種々の具体的な展開と管理方式を考
えることができるのである︒
企業の第一の次元における定義は︑企業を象限Iに対応した﹁ビジネス組織﹂と捉えるものであった︒これ
は︑生産主体としての企業の本質的要件をその意味内容に含むものとして︑企業についての一つの原モデル
一一44−
︵prototype︶と考えることができる︒実際の企業の活動方向や管理方式が多様であり︑図のどの象限に対応した
方向の追求が可能であるとしても︑企業は︑原モデルである﹁ビジネス組織﹂としての制約から完全に自由とい
う訳ではない︒それにも拘らず︑現実の企業がこの原モデルからの逸脱︑転型を余儀なくされるものである限
り︑結果的に︑その活動の桎梏となる矛盾︑緊張関係の発生は必然となる︒現実的な経営問題︑従って経営財務
問題の原因を見出すことができるのは︑正しく︑この矛盾︑緊張関係においてなのである︒これは︑経営財務の
問題の認識が︑﹁ビジネス組織﹂としての企業概念にょってではなく︑﹁企業制度﹂としての企業概念によって
初めて可能となる︑という意味で重要である︒現実問題は︑抽象的な企業概念とは絶えず一定の隔たりをもって
おり︑両者が決して交わることはない︒即ち︑抽象概念としての原モデルが現実問題と直接対峙することはあり
得ず︑況してその中に解決への途を見出すことはきわめて困難といわざるを得ないのである︒これに対して︑行
動モデルとしての﹁企業制度﹂は︑それが原モデルから免脱した形態であり︑その理由にょってこそ︑その現実
的存在の内に既に緊張関係を孕んだ存在である︒この企業モデルの下では︑問題はまず第一に組織の内部的な調
整問題として発現し︑更に︑この行動モデルを基盤として展開される企業活動が︑外部の変化に直面せざるを得
ないとき︑内部の組織的軋轢や摩擦ばかりでなく︑外部環境への適応という新たな困難との遭遇をも余儀なくさ
れているのである︒これは︑バーナード的な意味での組織の内的︑外的均衡に繋がる問題でもある︒問題は︑以
上のように︑企業が内部に緊張関係をもつ﹁企業制度﹂として既に存在することであり︑また同時に︑方向と性
格を異にする新たな諸領域に︑問題解決の可能性を見出そうとする点なのである︒この企業概念と図の各象限の
組合わせにょって示される現実の企業活動との関係は︑そこに調和ある一貫した関連性を見出せない限り︑企業
−45−
の成果ばかりか︑その存続すらも危うくするに違いない︒新しい活動の場をどこに選定するかということは︑そ
れ独自の論理をもつにしても︑行動モデルたる﹁企業制度﹂が抱えるその制約からの規制を完全には免れること
はできない︒企業活動に対する調整の必要が一層明確に自覚されるのは︑正しく︑この企業モデルと各種活動領
域との間の適合的な関係についてである︒そして︑財務の論理が問題にされ︑財務基準の明確化を要求されるの
も︑以上の調整過程においてなのである︒
−46−
−47−
五︑経営財務論の方向
近代的な経営財務論の課題が︑資本の調達と運用の統一的処理にあることは︑今日︑広く容認されている︒こ
の課題に答えるためには︑資本の調達の論理と運用の論理を統合する原理が必要である︒資本市場理論は︑その
ような﹁統合の原理﹂へ向けての精力的な探究の試みであった︒経営者の意思決定に有用な企業評価の理論を提
起することによって︑このアプローチは︑経営財務論の理論的発展に多大の貢献をなすことを期待されたのであ
る︒しかし︑既に見たように︑この理論は余りにも限定的な企業概念を基礎とする点で問題の多いものであっ
た︒この閉鎖的で︑本質的に静態的なフレームワークの中では︑本来︑非反復的︑非定型的な性格の経営財務問
題が取り扱われる余地はない︒結局︑それは︑企業に内在する論理を解明する契機をもたない市場の論理にすぎ
なかったのである︒
財務決定の基準とその正当性をめぐる問題が︑財務統合の原理の中核にある問題である限り︑それは︑適切な
企業概念︑企業モデルを基礎として考究されなければならない︒企業を﹁制度﹂と捉える視点は︑かかる要請に
答えるための優れた分析装置を提供するものとして検討された︒それは︑何よりも︑企業を各種別害者集団から
構成される社会結合体と見︑そこで必然化する利害調整の過程に︑財務問題の一つの解決の途を見出そうとする︒
この枠組の中では︑資本市場は︑重要ではあるが一人の構成母体と看做されるにすぎず︑従って︑財務決定を規
制する存在たり得ない︒株価極大化原理は︑ここでは︑もはや唯一絶対の﹁統合の原理﹂ではなく︑より複雑な
調整の原理にその座を譲ることになる︒本来︑この調整の原理は︑企業モデルの基礎たる﹁企業制度﹂が抱える
−48一
矛盾︑緊張関係の解消への内在的な要求を背景とするところに︑その正当性を主張し得る根拠をもつものであ
る︒しかし︑この原理は︑単に企業内部の限定された調整問題にのみ関わっているのではない〇それは︑外部環
境への適応という一層の困難に絶えず晒されている︒企業を﹁制度﹂と捉えることのメリットは︑もともと企業
の外部環境の一つに認定される市場を︑社会結合体の一員として加え︑財務的統制の内に内部化することによっ
て︑その困難な問題への接近の可能性をつくり出していることであろう︒かくして︑企業活動におけるこの調整
の過程を︑財務的に統一的に表現し︑更にそれを規制し得るなら︑そのとき︑財務的な﹁統合の原理﹂が得られ
たことになる︒それはまた︑組織の内的均衡と外的均衡を財務的な意味において同時に実現するものである︒
財務の統合の原理を求めようとする以上の視座は︑資本市場理論を中心に展開されてきたこれまでの経営財務
論に対して新しい展望を切り開くものである︒新しい展開は︑資本市場の論理にのみ規制されるものではない
が︑その論理を包摂し得る点でより広い視野を提供している︒この方向に沿った研究がより大きな実りを上げる
ためには︑少なくとも次の三点についての一層の掘り下げが必要である︒第一に︑内外環境への企業の適応行動
は︑既存活動の継続という消極的側面だけでなく︑余裕資源の活用を含めた経営資源の新たな展開という積極的
意味をももつ︒この環境に応じた経営資源の様々な結合は︑企業活動そのものの多様性︑特異性を規定すること
になる︒ここでは明らかに財務決定に対する戦略的意味合いが重要性を帯びてくる︒経営財務問題に対する解決
の途も︑従って︑この戦略決定への取組みというパースペクティブの中で追求されることが必要となろう︒とこ
ろで︑戦略問題は同時にまたその決定を担う経営者職能の重要性をも窺わせている︒企業モデルを抽象的な﹁ビ
ジネス組織﹂に代えて︑現実的な﹁企業制度﹂モデルを軸として論ずることにょって︑経営者職能は初めて顕在
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化する︒財務の論理をこの経営者職能における調整機能の中に見出そうとする展開は重要である︒かかる第二の
視点は︑経営者的観点からする経営財務論の基本的な枠組を形成する︒財務の論理を︑経営者の観点から︑戦略
決定の問題と絡めて議論するためには︑財務職能或いは財務の概念についての一層の検討を要することはいうま
でもない︒先のモデルに照らせば︑それは企業活動の展開をその内に取り込めるような概念的拡張の必要性であ
る︒この第三の問題点は︑財務職能を資金フローの管理というより広範な問題に関わらせることになる︒しか
し︑それは︑財務統合の原理を︑資本の調達のみならず運用の観点からも適切に扱い得るようにするための必要
不可欠な要件なのである︒
︵付記︶ 本研究は︑昭和五十九年度成城大学特別研究助成にもとづく共同研究﹁企業経営の革新﹂における研究成果の一
部を成す︒
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