奥能登珠洲方言の主部助詞の諸相 愛 宕 八郎康隆
はじめに
この小稿は、石川県珠洲方言の主部助詞の諸相と主部助詞運用上の特徴傾向について述 べようとするものである。
ここに「主部助詞」というのは、藤原先生の御命令によるもので、主話部に用いられる
「が」 (格助詞)、 「は」 (係助詞)などの総称である。
珠洲方言の主部助詞の現象形態は多様多彩であるが、およそ次のように整理される。
〔1〕主部助詞顕在形 〔2〕主部助詞無形 〔3〕主部助詞内在形 〔4〕「〜ナ」連声形 〔5〕特珠慣用形
以下、順に各項について見ていくことにする。
〔1〕主部助詞顕在形
珠洲方言の主な主部・助詞としては、
ム ○アイブ ツキワ ワルイ ワイ。歩くかっこうは悪いわよ。(老女→中男)
〈▲印は筆者を示す〉
ム ○ヒヨッサマカ。ヨイサカイニ。 日和がよいから。 (老女→中男〉
コ ニ ム
○ツノノ アル ゾーリヤ トコトー。角がある草履ですってば。(老男→中男)
などの「ワ」(は)、「ガ」(が)、「ノ」(が)が見られる。が、珠洲方言の全体傾向 としては、これらの主部助詞が明確に顕在の形をとることは比較的すくないように見受け られる。その「ワ」、「ガ」、「ノ」三者の中では、「ノ」がもっとも劣勢で、多く次の ような慣用語法に見い出される。
○ヒョーシノ ワルイ 運が悪い (老女)
○シンダイノ ヨイ 身代がよい (中女)
○タバエノ エー 貯えのよい (中女)
○リョーケンノ チヨー 料簡が違う (老女)
○ヤクノ アガッタ 役が終った (老女)
○メーノ グワンノ アガル 目の玉がだめになるく見えなくなる〉(老女)
これらは、慣用語法の中に見い出されることから、 「ノ」(主格)の支配力は低く、文中 での、修飾部内の範囲にとどまるのが常で、一文全体での素話部の主部助詞としては、「ワ」
が「ガ」をしのいでいるように見える。
なお、慣用語法での「ノ」は、老人層に聞かれやすく、一種の古風さが感得される。
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〔2〕主部助詞無形 主部助詞無形とは、
○ナッス*イラズ カッテヤー。 茄子はいらないかよお。(中男→中女)
○オイツキ ダイツギ シヨト*アル ワネ。 次から次へと仕事があるわね。
ム
(老女→二男)
などのように、ふつう、主話部にあらわれる主部助詞が、*で示したように無形である事 象をさす。
主部の表現における、このような主部助詞無形の現象は、当方言を特色づける注目すべ き事象の一つである。
このような主部助詞無形は、当該二丁部が、
へ ム
○マイ ワケー。ソバダゴワー。 おいしいわね。蕎麦だんごは。 (老女→中高)
○オマエ カー。ツレテッタノワ。お前か。連れていったのは。 (三男→老女)
などのように、いわゆる補充の形で文を仕立てる場合を除いては、文頭、文中の位置を選 ばず生起する。
どのような場合、条件下において、「ワ」、「ガ」などの主部助詞が顕在形をとり、無 形をとるのかの訴因については、今なお、これをじゅうぶんに明らかにしえていないが、
すくなくとも、次下の条件にはかかわりはないように思われる。
(1)主面部のアクセント形態
魚子部のアクセント形態が、いわゆる拾頭型であれ、後起型であれ、中高型であれ、そ れらの形態的条件にかかわりなく生起する。
(2)主部助詞のおかれる音環境
主部助詞のおかれる音環境にも、かかわりは見い出し難い。
(3)主部助詞が従える語種
主部助詞が従える語種 名詞・代名詞・数詞、漢語・和語一などにもかかわりは認 め難く、それらの音節数の多少にもかかわりはないように見受けられる。
(4)性別・年層
主部助詞の顕在形・無形は、性別や年層差にもかかわりはないように思われる。
上にあげたのは、顕在形、無形には、ほとんどかかわりを持たないと考えられる条件で あるが、それでは、かかわりを持つと思われる条件としてはどんなことが考えられるであ ろうか。これは、先にも断ったように、いまだに明らかにしえていないが、諸例を検討し た、一つの感想としては、主部助詞が顕在形をとるか(この場合は、無形の場合に比べて 乏しいが)、無形に実現するかは、社会習慣的に、かなり浮動的であるということができ
よう。
これは、後述するが、珠洲人が、しばしば口にする、
○アミャ(時にアメア) フッテ キタ。の「アミャ」(主部助詞内在形)について、
「雨が」か「雨は」かの弁別意識が、かならずしもはっきりしていないという意識のルー ズさにも関連することとして注目したい。
さて、主部助詞無形の表現は、以下の三つの場合を区別することができようか。
(1)「は」助詞無形の場合
○アンタ ドコ イッテラシタ ケー。あなたはどこへ行って来られたかねえ。
(中締→中男)
○オレ ナンモ シランナヨー。 わたしはちっとも知らないわよお。 (雪男→同)
○オイソ コレ ワレノ ハヤ ワネー。おおかたこれは(義歯ではなく〉自分の歯で
ム
すわねえ。 (老女→中男)
ム
○センセー オラズヤロ カネヤ。 先生はおられないでしょうかね。 (老男→中男)
これらは、表現事実としては、そこにただ主部助詞無形を見るばかりであるが、その、助 詞無形部分に、当該表現の文脈に添って、解釈者としての筆者は、そこに「は」を予想す ることができる。そういう意味あいで、『「は」助詞無形の場合』として、今は取り立て るのである。
(2)「が」助詞無形の場合
ム
○テラガタ ゴザリャー ノケヤ。 お寺さんがおいでになればねえ。 (老女→止男)
○ダレ ヨゴイタガヤー。 誰がぬらしたのだ。 (中之→少女)
○ソーユー オモシロイ コト アッタ ゾキャー。 そういうおもしろいことがあっ たよねえ。 (老女→中富)
これらもまた、表現事実としては、そこにただ主部助詞無形を見るばかりであるが、その 助詞無形部分に、当該表現の文脈に添って、解釈者としての筆者は、そこに「が」を予想 することができるものであるにすぎない。今これらを『「が」助詞無形の場合』と呼ぶこ
とにする。
(3)対応の曖昧な主部助詞無形の場合
6ア寿イット・帝リアッ夘一.桓く鶴斗ばかりあったでしょう.(老男
→中女)
硬ンアルケヤ.お金礁あるかね.(中女→糊)
○オ▽ヒトリシテ乏ンパイスルガデヨー。わたくし耀ひと幡ひ酉呵するのです
よお。 (老女→立話)
これらの諸例にもまた、そこにただ主部助詞無形を見るばかりであり、しかも、その助詞 無形部分について、当該表現の文脈に添って、対応の主部助詞を求めても、それが曖昧で 判然としないものである。
今、上に、主部助詞無形を便宜、(1)、(2)、(3)と区別立てて見てきたが、それぞれの場合 に、そこに主部助詞の「は」、あるいは「が」を予想したり、対応の助詞の曖昧で定めが たいことを述べてきた。しかしこれは、解釈者としての筆者の立場からの指摘であって、
主部助詞無形の事象に裏打ちされる、珠洲人の表現意識を推しはかってみるに、おそらく・
その無形部分に、一々、「は」、「が」の弁別の意識はないものと思われる。それは、言 わば、「は」、「が」未分化のルーズな意識とでも言えようか。当該事象について、その 話者に、いろいろと、幾度も内省してもらって得た、多くの結果からも、筆者は、「は」、
「が」未分化のルーズな意識を思わせられることである。
かつて(昭和39年秋、日本言語学会 広島大会、筆者発表題目『奥能登珠洲方言の準体 助詞「ガ」について』)、泉井久之助博士は、珠洲方言の主部助詞無形の事象に目をとめ
られ、旧い日本語のおもかげが見られるようで、たいへん興味深い。 という意味のこ とを述べられた。今ここに思い返される。
ちなみに、当方言にあっては、主部助詞無形の現象にとどまらず、次下の諸例のように
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話平絹の助詞、なかんずく格助詞の無形が目立ち、主部助詞無形とともに、当方言の文表 現を特徴づけることにもなっている。
○オレ コレ コーヒギューニュー ゼンハローワケヤー。 わたしはこれコーヒー 牛乳の代金を払うわねえ。 (青女→老女)
○イーダコーコー イットル コ ダレ オッ ケヤー。 飯田高校岱行っている子は
ム へ
誰がおるかねえ。 (中男→同)
○ソヤサカイニ ヤマ アルク トキ・カマー コシ サイテ……。 そうだから山を 歩く時には鎌を腰にさして……。 (老男→中男)
全体として、主部助詞無形をはじめとして、助詞無形の表現は、それの顕在形の場合に 比べて、なにがしかのくだけた気分を醸しがちである。
〔3〕主部助詞内在形 主部助詞内在形というのは、
○ババー モッターモッターット スルサカイ ネヤ。 ばあさんはもたもたとするか らねえ。 (老女→少男)
ム
○ヘワ オリャ スルッ テ。 世話をわたしがするよ。 (老女→中男)
などの主話部に見られる「ババー」(ばあさんは)、「オリャ」(わたしが)のような事 象をさす。「ババー」には、その長音部に、「オリャ」には、その拗音部に、それぞれ主 部助詞の内在が考えられる。
当方言では、またこの主部助詞内在形の現象が広く行なわれている。
(1)「〜は」にあたる場合
○アンター ドッカラ キタッタ。 あなたはどこから来られた。 (三男→青女)
○イマノ コドモァ ケッコナ ノケ。 今頃の子供はめぐまれているねえ。 (老女→
ム
下男)
○アシタノ テンキャー ジャマナイ ワケー。 あしたの天気はだいじょうぶですわ
ム
ねえ。 (中女→中男)
ヘ ム
○ソリャ マワケデァ。 それはほんとうだ。 (老女→中男)
(2)「〜が」にあたる場合
○アンカノ カネァ サガッサカイ。 兄の金(遺族年金)がおりるから。 (老女→
ム
中男)
○サトァー タラン ガヨー。 砂糖がたらないのよお。 (中女→老女)
へ ム
○アッシャ イトテー ノー。 足が痛くてねえ。 (老女→中男)
○ハラノ ナカニ ムッシャ タツ ゾヤ。 腹のなかに虫がわくわね。 (老女→中
ム
男)
(3)「〜は」「〜が」対応の曖昧な場合
これは、下記の例のように、主部助詞内在形に、「〜は」、「〜が」のいずれをも考え うる(解釈者としての筆者の立場で)ものであり、換言すれば、「〜は」、「〜が」対応 の曖昧なものである。これは筆者においてそうであるばかりでなく、珠洲人にあってもま たそうである。
〇三τ一ニウ下7一評アルガ奔・一。仁江にはうど喋たくさんあるので
「は」の内在によってもた 「が」の内在によってもたらされたものであるにせよ、幽幽二面.で、
「が」を、筆者が見立てるのは、先の〔2〕主 部助詞無形の場合と同様、あくまで共時的に、表現の文脈に即して(=意味上から)のこ
とであるにすぎないことを明記しておかねばならない。珠洲人の表現意識に即して言えば、
主部助詞内在形に裏打ちされる意識もまた、先の〔2〕の場合と同様、 「は」、「が」の 明確な弁別を欠く、未分化的なものに近いと思われる。
ちなみに、当珠洲方言では、
○オラ ハンドラン。 わたしは持っていない。
○オラ バッキーリ ユー ゾ。 わたしははっきり言うよ。
などの「オラ」は、通時的には「オレ・は」であるにせよ、現共話語では、「わたし」に 対応する、一回忌人代名詞として存立している。そのことは、
○オラガ シンマイオ ハンデッテ ノケー。 わたしが新米を持って行ってねえ。
○オラモ コンダー ワクラエ イコーッテー。 わたしも今度は和倉へ行こうよ。
などの用例によっても明白であろう。ここに注目されるのは、「オラ」を「オレ・は」か らのものとするならば、「オレ」が主部助詞「は」を抱きこんで、そこに新たに「オラ」
を生成存立せしめている事実である。同似のものに
○ワッチャ メシ クテマイタ カヨー。 お前(は)ご飯を食べてしまったかよお6 などの「ワッチャ」がある。この「ワッチャ」が「お前は(が)」にあたるのか「お前」に あたるのかについては、話者の答えに出入りがあるが、「ワッチャ」を「お前」にあたる 一個の人代名詞と意識している珠洲人は多い。「ワッチャ」が「ワチ・は」、「ワッチ・は」
からのものであるとするならば、ここにも、「オラ」の場合同様、主部助詞「は」の抱き こみの事態を指摘することができる。
つワッ弄うッチャワンヤゾ4お前たち(はが)損だよお.
などの「ワッチャラッチャ」 (複数形)生成の中に「ワッチャ」(ワッチでなく)ままの 関与の見られることは、「ワッチャ」の一語性を語りかけるものであろう。
このように、「オラ」や「ワッチャ」などの人代名詞が、その生成過程の中で、主部助 詞「は」を抱きこむ事態のあったことは、当社会の言語習慣上での、主部助詞意識のルー
ズさ、ゆるやかさを語るものとは言えないだろうか。
主部助詞内在形の出丸について言えば、主部助詞直前の音が、ア段音の場合は長音に、
オ民音、ウ字音の場合は/a/に、一段音の場合は、多く拗音に(一部/a/に)、イ段音 の場合は、多く拗音に実現されやすい。
ム しょう。 (中小→中男)
○ウッ耳オヲンガンナッテマイタ・牛く勲らな・・ようになってしまった・
(老女→中心)
○マッスギシタ コト ユートッタラ ハナシャ オモッショ ナラン トコトー。
まじめなことを言っていたら話く馳もしろくならないって1ま.(老女→同)
これら((1)、(2)、(3))主部助詞内在形のものが、通時的には、
らされたものであれ、
は、形態上同形を示すため、今そこに「は」
〔4〕「〜ナ」連声形
これは、いわゆる連声現象によって、主話部末が「〜ナ」に実現されるもので、中・老
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年層でよく聞かれる。連声現象ということでは、「〜ン・ほ」のように、主部助詞「は」
の関与が考えられるが、現共時面では、意味的に「〜は」にあたる場合にも、「〜が」に あたる場合にも、同形態「〜ナ」に実現される点が注目される。
○ダンナサンナ ジドシャクワイシャニ オルガデスッ テヤー。 ご主人さんは自動
ム へ
車会社にいるのですよ。 (老男→中男) の ○ジロエモンナ イクサンガヤロー。 次郎衛門は(金を)よこさないのでしょう。
(老女→同)
○ゴエンジョサンナ オラッシナンダ カ。 お坊さんはおられなかったか。 (中男
ム
→同)
などは、「〜は」にあたるものであるが、
○キモノデモ ハキモンデモ ダンサンナ アッテ。 着物でも履物でも段差があって。
ム
(老女→年男)
○ゴエンナ アラシタラ マタ イラシテ クサイセ ノー。 ご縁がありましたらま
ム
たおいで下さいねえ。 (老女→中男)
○オテラエ クル トキニ オサイセンナ ナイガヤー。 お寺へ行く時にお寮銭がな いのです。 (中毒→同)
などは、 「〜が」にあたるものである。
が、一方には、
○下一キ・一ノ京一サンナヤアヲニコーテクレタカ・東京の姉さん喋た
くさん(土産を)買ってくれたか。 (中男〈父〉→少女)
○シャ天ノ王ンナキワルガヤサカイ・姿婆の縁く繁切れるのですかち.(老女
→中男)
などのように、土地人はもとより、筆者も、「〜は」、「〜が」いずれとも定めがたいも のが認められる。この事態は、これまでに見てきた〔2〕の(3)、〔3〕の(3)などと相通う
ものである。
三浦地方の清水小学校の丹保栄作先生(昭和40年8月当時)によれば、
○パンナ アル ケヤー。
などの「〜ナ」は、小学生の多くが、「パンが」のように、「が」に言いかえるという。
このように見てくると、連声形「〜ナ」にあっても、先の〔2〕、〔3〕で見たのと同 様、珠洲人の「〜は」、「〜が」の弁別の意識は弱く曖昧であるように思われる。
〔5〕特殊慣用形
特殊慣用形というのは、主話部末が、特異な慣用形をえがくもので、これには、
(1)「〜ノコトワ」類 (2)「〜ノコソワ」類
の2類が区別される。これらもまた、当方言の主話部表現を特色づける注目事象と言うこ とができる。
(1)「〜ノコトワ」類
この類には、「〜ノコトワ」を原形態として、「〜ノコター」、「〜コター」など一連 のものが見られるが、いずれも、ほとんど「〜は」にあたるものである。
リノ ム
○コメノコトワ タクサン アレドー。 米はたくさんあるけれども。 (老女→中男)
ム
○タバコノコター アル ワケー。 たばこはあるわねえ。 (中女→中男)
「〜ノコトワ」、「〜ノコ面一」には、多少とも取り立てて言う意識が感得される。「〜
ノコトワ」はあまり聞かれず、「〜ノコター」が多用されている。
○ソノコター ソーヤッテ。 それはそうですよ。 (老男→中女)
は、同意共鳴の慣用的表現としてよく用いられる。
「〜コター」ともなると、取り立てて言う意識はほとんどないという。以下の例(◎印)
のように先行語との承接も自在な姿を見せる。
ム ○サカナコター ナイ ワケー。 魚はないわねえ。 (老女→中皮)
ム
○ウラコター シラン ゾケヤー。 わたしは知らないよねえ。 (老男→中男)
へ リノ
◎ユッキャーコター フルコタ フレドー ノロストアー ツモラン ゾネー。
ム 雪は降ることは降るけれども狼煙部落とは積らないよねえ。 (老男→中男)
上に取りあげてきた「〜ノコトワ」類による表現は、他の主部助詞による表現に比べて ややきれいなことばだと土地人は言う。これは、この類の、一種の丸面な表現法に負うて
もいようカ・。
平岡伴一氏は、 『方言研究の一方面一富山方言の係助詞「のことは」』 (近畿方言双 書 第一冊、昭和34年4月)で、この種の事象を取りあげられ、「主題提示」にまさる「
対比」の用法の盛んな傾向を指摘しておられる。が、当方言では、同似の傾向は認めにく
い。
(2)「〜ノコソワ」類
「〜ノコトワ」類と同似の事象に、「〜ノコソワ」類のものがある。
リノ へ
○イミノコソワーベツニ チゴーッチュコトワー……。 意味は別に違うというこ ム
とは……。 (中出→同)
○コ7ノコ弄∠ ツクットワド∠ ……。 米は作っているけれども…。 (老女→中男)
ム
○タバコノコソー アル ワケー。 たばこはあるわねえ。 (老女→中男)
これらのものは微弱で、老年層中心に聞かれるにすぎない。用法面では、先の「〜ノコト ワ」類のものとほとんど変らないように見受けられる。両面とも説明的表現にあらわれや すいと言えようか。
おわりに
以上、珠洲方言の主部助詞について、その諸相と運用上の特徴傾向を見てきた。
諸相ということでは、
「〜ノコソー」)
などのように多様多彩な姿が見られた。このような諸相を見せる当方言の主部助詞である
〔1〕主部助詞顕在形(「ワ」、 「ガ」、 「ノ」)
〔2〕主部助詞無形(「は」、「が」にあたる場合 「は」対応の曖昧な場合)
〔3〕主部助詞内在形(「〜一」、「〜ア」、「〜ヤ」などの諸形態があり、 「は」、
「が」にあたる場合 「は」、「が」対応の曖昧な場合)
〔4〕「〜ナ」連声形(「は」、「が」にあたる場合 「は」、「が」対応の曖昧な場合)
〔5〕特殊慣用形(「〜ノコトワ」、「〜ノコター」、「〜コター」/「〜ノコゾワ」、
「〜ノコサー」、
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が、それの運用状況をつぶさに見るとき、そこに興味ある一つの特徴傾向を指摘すること ができる。それは、すでに〔2〕、〔3〕、〔4〕の項で指摘してきたが、主話部表現における、
珠洲人の「は」、「が」弁別意識の、むしろ未分化に近いとさえ言えるルーズさである。
これは、共通語生活者のそれとは趣を異にする言語生活の一局面と言わねばならない。そ れが、奥能登珠洲方言の方言色を支える、注目すべき一辞項をなすことは言うまでもない。
(本稿は、日本方言研究会第9回研究発表会〈昭和44年10月27日金沢市〉での発表稿「奥能登珠洲方言の 主部助詞について」を改稿したものである。)