A Group of Noble Dames について 宮本義久
On A Group of Noble Dames
Yoshihisa MIYAMOTO
I
A GroupofNobleDamesはWessex Talesに次ぐバーディの第2番目の短篇集で、
10の物語から成っているR.L.パーディによれば、この短篇集は1冊本の体裁で、
現在のタイトルのままでGraphic誌のクリスマス特集号として1890年に出版された が、その内容は現行本中の第2話から第7話までの6篇のみを、現在とは異なった 配列で、含むものであったが、 1891年に第1話(1889年Harper's New Monthly Magazine)、第8話(1890年Longman's Magazine)、第9話(1878年Light Magazine)及び第10話(1881年Bolton Weekly Journal)の4篇が加えられて、最終 的に10篇にまとめられ、 Osgood, Mcllvaine & C0.から出版されたことになってい る。又、パーディは、バーディはこのうち少くとも5つの物語一第1、 2、 6、 7、
8話‑の材料をジョン・ハッチンズのThe Histo秒andAntiquities of the County of Dorsetから得ているとして、モデルとなった婦人たちの名前を挙げている。 1)
この短篇集の特色は、まず第1に、その時代背景が17・18世紀と古いことである。
Wessex Talesが、土地の古老たちから聞いた口伝であるのに比べ、更に古い。第2 には、第6話を例外として、貴婦人を題材としていることである。第3は、チョ‑
サーのThe Canterbury Talesや、ボッカチオの//Decameroneを模倣した、いわゆ る枠組物語の形式を採っていることである。南ウェセックス博物野外・古物研究会 が予定していた町の建物・近郊巡りという野外活動が雨のためお流れとなり、会員 たちが博物館内の一室で、交代に物語りをすることになるが、そこは男性だけの集 まりのこと、題目は女性、特に博物・古物研究会にふさわしく、 ̀the legends and
traditions of gentle and noble dames, renowned in times past in that part of
England, whose actions and passions were now‥.buried under the brief inscription
onatomb oran entryofdates inadrypedigree (150)に落ち着く。語られる物語
2
宮本義久
は、この研究会で読まれる̀deformed butterflies, fossil‑oxhorns, prehistoric dung一 mixens and such like'(48‑49)に関する論文の代りになるのであり、貴婦人たち は論文の題材となる古物とほとんど同一化され、 ̀curious (50)な対象として、姐 上に載せられる. (因みに、バーディはド‑チェスターの自宅Max Gate着工に当 って家の土台作りの際に古い壷や頭蓋骨がいくつも出てきて、 1884年に「ド‑セッ
ト博物野外研究会」の会合で、その遺物について報告書を読んだ、と伝えられてい る。2))
バーディはA Group of Noble Damesを̀Romances and Fantasiesの中に入れた
が、3)この短篇集中の各物語はいかにも昔話にふさわしく、暖炉を囲んで、和気藷 々とした雰囲気に包まれて語られるのであり、長篇小説家バーディとは違った、英 国の伝統的なバラット的物語の要素を多分に含んだ短篇の作者としてのバーディ ー̀the fire‑side tale‑teller'4‑> ‑の姿が浮び上がってくる.
本稿は、各物語の問題点の検討と、この枠組物語全体の構造の考察を試みるもの である。
Ⅱ
第1話のTheFirstCountessofWessexは女主人公のベティ・ド‑ネルが、真の愛 と幸福な結婚を獲得するという、ハッピー・エンドの物語である。彼女は無邪気な、
世間知らずの少女から、親の権威への反抗を通して女性として成熟して行くのであ り、登場人物が発展・変化することの少ないバーディの物語の中では、例外的と言 える。
ベティの両親は口論が絶えない。単純・粗野な痛療持ちの田舎地主の夫に対し、
ウェセックス州最大の相続人の妻は冷静で都会風、その上に夫は妻の大邸宅住まい とくれば、劣等感に悩む夫の、 ̀masterful (13)な妻への反擬心のくすぶりは当然 と言える。まだ13才の一人娘ベティには̀a perfect match (4)として、母親は、30 才の宮廷人で将来は男爵に叙せられる可能性もあるレナードを持出す。娘にかける 母親の野心である。 13才は̀marriageableintheviews ofthosedays ( 7 )であり、
そのことは̀the small count taken of the happiness of an innocent child in the social strategy of those days (48)を示すものであれば、母親としては世間の因習
に従っているに過ぎないことになる。まだ早すぎると反対する父親の方にも、実は 亡き親友の息子という対立候補がある。母親の方は、初対面同志の娘とレナードを、
5 ・ 6年間は同居しない条件で、密かに結婚させ、夫を出し技くが、ベティにとっ
ては、レナードは̀ratheruglyandformidable (14)な印象であった。
数年後、学校を卒業した娘に父親は、あれは道義的には結婚とは言えぬ、自分の 選んでいた若者の方が似合いだった、と自由な考え方を述べるが、それは彼女には
̀asortof awakening'(16)であった。父親はその̀tooattractive'(17)な青年フ ェリブスソを連れて来て、ベティに、その青年に心惹かれた振りをさせ、妻に自分 の候補の方が娘に相応しいことを認めさせようとする。彼はこのように、常時、又、
死の床での最后の言葉まで、妻との勝ち負けに執念深く拘泥する。ベティの両親は、
娘の幸福のためという口実にかこつけて、それぞれの野心・対抗意識の具に彼女を 利用するのである。
This child, their only one, Betty[was]beloved ambitiously by her mother, and with uncalculating passionateness by her father,... ( 5 )
という語り手の説明文の後半部は、文字通りには受取れない。
ベティの「目覚め」、つまり異性意識の目覚め、によって物語は第2段階に入り、
彼女は親の言いなりになる操り人形的存在から自分の意志によって行動する女‑
̀more womanthan girl (40)へと成長を始める。この親離れ行動は、口先では娘 の̀development into womanhood'(20)を待っていると言う母親には面白くない ことである。フェリブスソと密会しているベティを目にして、 ̀duplicity (20)、 ̀a forward minx (20)、 ̀the treacherous girl'(21)などと、内心で娘を批判する。自 分を連れにやって来るレナードを近づけさせないための窮余の試みである天然痘感 染の策略には、 ̀wicked girl', ̀the rebellious daughter and wife', ̀her wilfulness (25)という評を下す。
フェリブスッとの駆け落ち中、天然痘が発病した時の男の見せる臆病さ、ベティ の顔の後遺症による醜悪化への懸念による逃げ腰の姿に、自分なら彼が病気にな ろうが醜くなろうが気にはしないと、 ̀…his Love was only skin‑deep‑‑'(41)と 知るべティである。一方レナードは、彼女からの死を覚悟のキスの挑戦に̀a deliberate kiss full upon her mouth (42)をして、その勇気と愛情のほどを示す。
夫を近づけないための軽率な天然痘感染策は、彼と結びつく手段となるという、皮 肉な結果となったのである。
母親は父親の急死後、後悔して、夫の遺志に宗旨変えして、ベティが夫と同居す ることは素より、会うことも禁止するが、ベティは守りはせず、妊娠に気づいた母 親の̀disobedience (46)、 ̀deceitful'(47)の批難の言葉に、私を彼と結婚させた のはお母さんだし、母親より夫に従わねば、と母親をやりこめる。母親は̀Iwash my hands of the whole matter as between you two;…'(48)とベティへの干渉を放 棄し、親の支配からの独立が達成される。
ベティはレナードの忍耐と雅量に助けられ、母親と共に教会の再建の監督の仕事
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などをしながら、思慮深く責任感のある女性へと成長し、夫の男爵叙任を機に同居 し、子宝にも恵まれ、遂には初代ウェセックス伯爵夫人になるという、ハッピー・
エンドの物語である。子の成長を妨げる親の支配、社会的野心を最優先する結婚観、
愛情の基盤を専ら外見のみに置くこと、これらはいづわも、悲劇的因子となり得る ものであり、この物語集の中の殆んど全てに共通する主題である。
第2話のBarbara oftheHouse ofGrebeは、第1話で幸いに転じた悲劇的因子が、
そのまま悲劇に通じる物語である。 K.プレイディが指摘する如く、5)、第二話は、
結果は全く異るが、第一話の登場人物の配置を繰り返す。准男爵家の世間知らずの 一人娘のバーバラ、血筋・身分意識の強い両親、ハンサムな平民の恋人エドモンド
・ウィローズ、求婚者アブランドタワーズ伯爵。物語はこの若い伯爵の、バーバラ 獲得の決意でもって始まる。両親に̀agoodmatch (56)として伯爵を押しつけら れるのを恐れるバーバラの、エドモンドとの駆け落ち結婚。しかしやがて熱もさめ、
金もなくなり、両親に詫びを入れての若夫婦の帰宅。バーバラの反抗もこれで終り で、以後は全く親の言いなりで、 ̀almost infantine (63)の状態から成熱すること はない。
無教育な娘婿に、娘のようなレディの夫として恥づかしくない教養をという男爵 の意向で、エドモンドが1年間の予定の大陸旅行に出ている間に、バーバラは自分 の身分違いの結婚に対する周囲の侮蔑に気づき、エドモンドに対して冷却の度を増 す。誠実で正しい妻として夫を愛さなければ、という気持はその裏返しである。互 いの心の交流のための文通では不足で、彼の肖像画を送るよう頼むのは、彼女の彼 への愛の視覚的性質を示す。彼のハンサムな容貌こそ、彼へのバーバラの愛を支え
るものであるからである。
やがてエドモンドはヴェニスの劇場火災で、身の危険も顧みず観客たちを救出中 に大火傷を負い、二目と見られぬ顔となるJ. R.ブルックスの言う通りに、 ̀Ed一 mond emerges physically disfigured but morally a hero.'6)なのであるが、バーバ
ラという̀thisslavetomereeyesight,likeachild (76)には、美か醜かという見方 しかなく、精神面の崇高さに思いを致すことはない。従って、帰宅した夫のマスク の下を目にした時、その恐ろしい穀損ぶり‑ ̀this human remnant, this ecorche ,
̀a thing of the charnel‑house'、 ̀a specimen of another species (74) ‑への恐
怖と嫌悪で身震いし、逃げ出してしまう。彼女の̀Adonis'(74)も今は̀…this new and terrible form, that was not her husband's. (75)と転じるのである。しか し、 ̀His beauty‑was theleastofhisrecommendations. (91)と語り手は付け加え るのである。第1話で見た親の社会的野心と女主人公の外見のみに基づく愛がここでも繰り返 されるのであるが、ベティが天然痘事件で外見よりも人間の̀intrinsic worth (91) が大切と悟ったのに対し、バーバラはこの火傷事件を通して遂に̀onlyskin‑deep の愛から成長することはない。そしてこのことが彼女の悲劇と深く結びつく。
虎視耽虻とチャンスを待っていて、再び接近を始めたアブランドタワーズ伯爵と 彼女が愛を感じないにも拘らず結婚するのは、彼の社会的地位を考える父親の准男 爵の指示による。一つには、すがるべき支えが必要な彼女の弱い性質のためでもあ り、もう一つは社会的に見て、夫は名門の家柄の出の人の方がただの平民よりも望 ましいという身分意識が年と共に育ってきていたからでもある。
愛を示さぬ妻にいらつき、爵位を譲るべき後継ぎ息子を産む兆しのないままに、
夫はバーバラを役立たずと責める始末となる。そこに、火傷を負う前のエドモンド の、実物大の大理石製の彫像がとどく。それはエドモンドへの愛の回復を願って、
バーバラが以前に依頼した肖像画の代りに送るべく前夫が注文していたものであっ た。それは̀Edmond in all his original beauty (81)そのものであり、 ̀his living presence (77)となって、彼女のエドモンドへの愛情を軽らせる.これはAn I‑
maginative WomanやOn the Western Circuitにおいて見られる不幸な結婚生活を送 る繊細な女性が逃避する幻想と現実の境界が消失した̀ecstasy (80)の世界であ る。バーバラの意識の中では、夫としてのアブランドタワーズは希薄化し、エドモ ンドがそれに取って代わる。連夜、その彫像を本人そのものの如く抱擁してキスし ながら、甘い愛の言葉を噴くバーバラの姿に、伯爵の残酷な対抗手段‑ ̀correc‑
tives'(88), ̀treatment'(88)、 ̀cure (90)が開始される。その美しい彫像
‑彼には̀the hated image (86) ‑を火傷を負った顔をした彫像‑バーバ ラには̀the hated statue (89) ‑に変えるという̀fiendish'(85)なことをし、
彼女が癒痛の発作を起すまで、幾夜もそれを見つめさせる。そして遂にバーバラに
伯爵を愛し、エドモンドと彼についての記憶を嫌悪させること‑ ̀aversion
therapy'7) ‑に成功する。そこにはバーバラを苦悶させることに喜びを見出す
彼のサディズムが明確に看取される。彼女は夫に奴隷的に愛着するようになったの
は良いが、ひどい焼き餅で夫のそばを離れたがらず、 ̀a burden (90)となるとい
う皮肉な結果となる。以後のバーバラは夫への̀obsequious amativeness (90)の
生活を送り、その後9年間に11人もの子供を生んだが、成人になったのは女の子1
人だけというほとんど実りなき結婚生活で、夫の渇望した爵位を継承する息子はな
いまま、心身共に疲れ果てて死ぬ。折角の父娘の野心の達成も、結果はこんなもの
であった。悲劇的因子である社会的野心によるベティの結婚は忍耐強く寛容な夫に
より幸福な結婚へと転じたが、バーバラの場合、貴族の夫は嫌人症の残酷なサディ
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ストであった。
BarbaraoftheHouseofGrebeについて語る場合、必ずと言ってよいほどに言及さ れるのは、 T.S.エリオットによるこの物語への批判である:
In Barbara of the House of Grebe we are introduced into a world of pure Evil.
The tale would seem to have been written solely to provide a satisfaction for some morbid emotion. 8)
エリオットのいう「病的感情」とはエドモンドの大理石の彫像と関わる場面を指 すのであろう。グロテスクなもの、超自然的なもの、悪魔的なものは,バーディの 物語の一系列をなすものであるが、 D.セシルはこの点について次の様に述べてい
る:
The grotesque is an essential of Hardy's imaginative make‑up. It is a marked characteristic of the plots of his stories. Here, of course, it can be explained partly in terms of his philosophy of life. He wants to stress the strange irony of
Fate. Also,…he thought that fiction ought to be odder than life…But gro‑
tesqueness is also a feature oHlis taste. 9 )
̀morbidというのは否定的含みを持つ、多分に主観的単語であり、それを用い る人の芸術的・神学的、等々の考えを反映するもであり、このことに関して云々す るのはあまり実りのあることとは思えないが、 ̀pure Evil'の世界というのは、こ の物語に対する一面的すぎる見方であろう。エリオットはこの物語と、ソフォクレ ス、ジョセフ・コンラッド、ヘンリー・ジェームズの作品を対照させ、後者の作品 にはGoodとEvilの両方が入っている、と言うのである。そうであれば、この批 難に対しては、この物語には̀the polarized forces of Good and Evil in the persons of Barbara's two suitors, Willowes and Uplandtowersが描かれているのだ、とい うプレィディの反論、 10)、又は̀…since this story is an exposure, not a condona‑
tion of cruelty and manipulation, Goodness is there by implication, as well as being
explicit inthe voice of the narrator.というR.サムナ‑の明快な反論の言葉11)で充 分であろう。
第3話TheMarchionesso/Stonehengeも、前の2つの物語同様に、階級意識と関 わるものである。尤も、第1話は親の、第2話は親と女主人公両方の、第3話では 女主人公単独の、を扱うという違いがあり、この相違は、女主人公たちの出自の相 対的上下と関係がありそうである。
伯爵令嬢のキャロラインは、若い貴族・紳士にちやほやされるがやがて食傷し、
食指を購しい生まれで地位もない若者に動かす。この若者と村娘ミリーの間柄への
嫉妬も、彼への情熱を掻き立て、又、身分の違いという障害への思いは、禰が上に も彼女の気拝を煽り、遂に密かに結婚して、何食わぬ顔をしている。しかし、間も なく激しい情熱は冷め、夫に対する情熱よりも、自分の地位と行く末のことを考え るようになる。伯爵邸の彼女の部屋へ忍んで来ていた夫は、彼女の心変わりを知り 興奮して持病の心臓発作を起こして死ぬ。キャロラインは悲しむが、直ぐに伯爵の 娘としての自分の立場を考え、秘密の結婚が露顕してスキャンダルになるのを恐れ る。その死体を夫の田舎家の戸口まで運び、彼がそこで死んだように見える工作を
し安緒しているが、目撃者の出現に、夫に深い片思いを寄せていたミリーを巧みに 且つ̀peremptorily (102)に説いて、彼との秘密の結婚、彼の自宅での死、その 死体運搬すべてはミリーに起ったことと世間に告白させる。ミリーは彼の姓を名乗 り、未亡人の喪服を着、毎日の墓訪を欠かさない。彼女の曽ての恋人は、完全に彼 女の亡夫となる。
やがて自分の妊娠を知ったキャロラインは、庶出子出産という、より大きいスキ ャンダルを恐れて、本当のことを公表することをミリーに̀peremptory'(105)な 態度で迫るが、.ミリーは今回は従わない。
̀‥.1 am truly his widow. More truly than you, my lady ! for I love him and
mourn for him, and call myself by his dear name, and your ladyship does neither. (105)
̀the poor nominal widow'(106)の方が、本物の未亡人よりも、心は本物の未亡 人であるというアイロニカルな状況であるが、ミリーは又世間の評判の大切さは、
キャロラインも自分も同等だ、と主張する。生まれる子はミリーが生んだ子にして 育てるよう相談がまとまる。 「代理」の未亡人は、 「代理」の母親ともなるのである。
キャロラインはストンへンヂ侯爵と結婚し、ミリーが養母になっている男の子の ことは忘れてしまうが、ミリーは今だに未亡人の喪服姿で、 「息子」を心から愛し、
「息子」もそれに応えつつ、職業軍人として異例の昇進を見せる。侯爵が死んで淋 しくなったキャロラインはそれを耳にして、息子をミリーから取り戻そうと思う。
息子は田舎家の母親より貴族の自分の方を選ぶと確信し、ミリーに血肉を分けた生 みの母親の自分に返せと迫る。公爵夫人の身勝手さにミリーは、今回は、軽蔑の色 を見せる。ここでミリーは完全にキャロラインを見下す立場にあるのである。息子 による生みの母親と育ての母親という2人の母親からの本当の意味での母親選び は、養ての母親に軍配が挙げられる。
̀…you were once ashamed of my poor father, who was a sincere and honest
man; therefore, I an now ashamed of you.'(110)
夫をその階級の低さ故に恥じて、死に至らしめた妻は、捨てた子に、自らの地位の
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誇りを否定されるだけでなく、その非人間性を恥じて捨てられ、 ̀a broken heart'(111)のため死ぬ。
本物は偽物、偽物は本物、貴いは賎しく、購しいは貴い、とMacbethの魔女の 言葉を擬えた文句が浮かんでくるはどのアイロニカルな状況が連続するが、階級意 識の悲劇性を強烈に示す物語りである。
第4話Lady Mottisfontには、身分は高いが身勝手な生みの親、献身的な愛を注 ぐ養母という、第3話を思い出させる2人の女性が登場する。
地主オークホールの娘フイリッパはあまり美人ではないが、モテイスフォント准 男爵の後妻にと望まれ、玉の輿とばかりに喜こぶが、准男爵は捨て子の幼女を村の ある親切な妻女に育てさせている。そのドロシーという幼女は夫の庶出の子と薄々 察してはいるが、 ̀extremely amiable and affectionate'な彼女はその子を邸に引き 取り、実の母子の様な愛情で結ばれている。数年後、イタリヤ人伯爵の若く美しい 未亡人が近くの邸に一時的に引越して来る。フイリッパは知らないが、その伯爵夫 人はドロシーの生みの母親であり、准男爵と生れたばかりの子を捨てていたのであ るが、今、淋しさの余り、ドロシーを取りもどそうと、機会を窺っているのである。
そして准男爵はそれに手を貸して、本当のことは知らぬままの妻にその子を返させ ようと図る。やがてその秘密を発見したフイリッパは、ドロシーに母選びをさせる。
この点までは、第3話とよく似ている。ドロシーは̀pretty mamma'(131)であ る伯爵夫人との同居を望み、その子を伯爵夫人に返したフイリッパは悲しみの余り 入水自殺を図るが未遂に終る。が、伯爵夫人が再婚することになり、ドロシーが邪 魔になり、親切ごかしな口実でその子を返そうとするが、後継ぎ息子を出産した准 男爵夫人は拒絶する。彼女の身勝手さは、これまでの経過を考慮すれば、ある程度 許さざるを得ないであろう。曽ては実母・養母の両方からあんなにも欲しがられて いたドロシーは、一転して、都合により、両方の母親から不要とされる。結局、村 のあの妻女の田舎家で貧しい生活へ逆戻りする。
…Dorothy married…a respectable road‑contractor...and in the heart of this
worthy man of business the poor girl found the nest which had been denied her by her own flesh and blood of higher degree. (132)
第4話の養母が准男爵夫人で実子が誕生するという設定のため、結びに相違が生じ ているが、ドロシーに幸福を与えてくれたのは、地位の高い肉親でなく、平民であ
る他人の心の温かさであったというのは、同じである。
第5話The Lady Icenwayの女主人公マリアは̀imperious (137)なところがあ
り、彼女への恋の奴の如きアンダリングの姿に̀the pleasure of power (138)を 感じ、それほど愛してもいない彼と結婚する。尤も、南米ギアナの農園主である彼 の豊かな資産にも魅力を感じなかった訳ではない。南米へ渡る船中で、夫には醜聞 のため別居中の妻がいると告白され、 ̀proud and masterful'(139)であるマリアは、
自分の帰国、彼のマラリヤによる死亡の公表、未亡人として喪服の着用、という3 点の許可を求め、又、二度と自分に言い寄らぬこと、故郷の近辺に来ないこと、を 誓わせる。マリアが本当のことを隠す理由は、彼女の自尊心である:
For though she had been innocent of wrong, Maria's pride was of that gram
which could not brook the least appearance of having been fooled, or deluded, or nonplussed in her worldly aims. (141)
彼女が、年長で風采も上らぬアイセソウェイ男爵と喜んで結婚したのも、自尊心を 守るためであった。
…for she discerned in a second marriage a method of fortifying her position
against mortifying discoveries. (141)
妻が死んで、結婚し直したいと会いに来たアンダリングと会ってみると、自分には まだ彼を魅惑する力があるのを知る。彼女の美しさと物腰のために彼は重婚の罪を 犯したのであったが、今、その美しさは一層開花し、貴族夫人となることで物腰は 一層̀haughty (142)なものになり、彼は耐えられないほどの魅力を感じたので ある。アンダリングに尊大な態度を取り、支配の喜びを味わうマリア、尊大に扱わ れることに耐えられない魅力を感じるアンダリングという関係が見られる。彼女へ の罪を後悔する彼は̀selトdenying (142)になり̀devote himself to her ser‑
vice'(142)の覚悟なのである。
彼への魅力を全く感じないマリアは、貴族との再婚を伝え、彼が生きていること が知られたら、自分の地位上、被害が大きいから、外国へ行くよう過去への償いと
して、彼に要求する。
アンダリングが大陸でギャンブルで破産して、息子会いたさにやって来た後も、
アイセソウェイ夫人は̀the haughty severity which had grown part of her
character, and which her elevation to the rank of a peeress had rather inten‑
sified'(144)をもって息子の姿を見る以上のことは決して許さない。彼女の仕打は 正に̀punishment (146)であり、 ̀torture'(146)なのだが、
…his attachment〔to her〕seemed to increase in proportion to her punitive
treatment of him. (146)
とか、
He sunned himself in her scornfulness as if it were love, and his ears drank in
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her curt monosyllables as though they were rhapsodies of endearment. (147)
という文に出会うと、サディストのアイセソウェイ夫人、マゾヒストのアンダリン グという構図すら見えてくる。プレイディは2人の関係を̀perversely symbiotic
と見て、 ̀…his humility and her haughtiness feed on each other.'と述べる12)
第2話でアブランドタワーズ伯爵が、後継ぎ息子を生む兆しのないバーバラを役 立たずと責めたように、アイセソウェイ男爵も、マリアをなじるようになる。追い こまれた彼女は窮余の策としてアンダリングの子を、夫の子にして生むことを思い つき、丁度瀕死の床に伏せている彼を励まして、彼の子を、とささやくのであるが、
彼の方は結婚の提案としか解せられず、もう遅すぎる、何故もっと早く言ってくれ なかったと言って、死ぬ。彼女の方も、夫が後継ぎ息子の無いのをふきげんにこぼ すたびに、あの手を考えつくのが遅すぎた、と後悔しきりである。
マリアとアンダリングの当初の関係において、マリアは彼が愛ゆえに行なった重 婚という欺晴的行為のことで彼を最后まで許さず、支配の喜びの対象としたが、ア イセソウェイ夫人としての彼女は、愛してもいない彼を利用して庶子を生むという 欺楠的行為を試みる。詰まるところは、称号と財産の保持という目的のためである。
第4話同様に、地位の誇りの外面的発現である尊大な態度は、内面の道義性・人間 性の欠如と著しい対照を示している。
第6話Squire Petrick's Ladyはこの短篇集の中で唯一つ、主人公が貴婦人でなく、
平民、しかも男性である物語であるが、平民の抱く貴族の血への崇敬という点では、
貴族と関わりがある。
ペトリックは、産後瀕死の病床に伏す妻のアネッタから、生まれた男児は彼の子 ではないと告白される。彼の高令の祖父はその大財産を彼と彼の男の子に譲るとい
う遺言状を作成していたが、ペトリックは死の間近い祖父に新生児から相続権を奪 う遺言状を別に作成してもらう。そして彼は死を目前にした妻がルパートと命名し た子供をほとんど構はないでいたが、このさげすまれ受入れてもらえないでいる子 供が不慨になり、やさしい心遣いをするようになる。この時点では、ペトリックは 正常な人間性を示す。
しかし、妻が結婚前に、サウスウェスタ‑ランド公爵の息子の、クライストミソ スター侯爵に熱を上げており、その洗礼名はルパートであることを知り、又、瀕死 の妻のうわ言まじりの告白から、子供の父親は若い侯爵と確信した時から、ペトリ
ックの息子に対する感情は奇妙な転回を示しはじめる。子供に愛憎の交錯した気拝
から、次第に愛着は深まり、息子は彼の唯一の生き甲斐となるが、それはその子が
自分の子でなく、侯爵の子であるが故にである。息子のルパートの出生の秘密を知
らぬ弟が、子爵令嬢との結婚を自慢するのを耳にしても、こっちの方が身分は上だ、
と満足を覚えるのである。そして妻に対する見方も、平民の妻が、英国‑の名門と も言える程の貴族を愛し、高貴な血を引く息子を生んで、ペトリックの血筋を高め てくれたとは、彼女の好みは高尚であった、妻は̀a woman of grand instincts (158) であった、と妻の不義に感謝する。そして実子でもない子を愛することを自分の
̀weakness'(158)と思っていたペトリックは、この子がそんな血筋の子であると 考えることで、その子を愛する口実が出来た、と思うのである。それが可能なのは 彼の盲目的王侯貴族崇敬‑ ̀good old beliefs in the divinity of kings and those about'em'(158)があったからであり、又、それと対照的なペトリック1族に ついて彼が抱く劣等感の故である: ̀ugly, idle, hard‑drinking scamps…miserable
scriveners, usurers, and pawnbrokers (158‑ 159) ,
ペトリックはサウスウェスタ‑ランド公爵家の年代記を読み、その一族の肖像画 の複写をじっくりと眺め、その歴史的顔立ちが、ルパートの顔に現われるのを待ち、
遺言状の変更を後悔し、遂に最初の遺言状の日付を第2の遺言状の日付の後の日付 に書きかえるという重罪を犯す。
数年後、妻の実家の掛付の医師から、妻の一家が妄想にかかりやすい家系である と聞き、色々と調査の結果、妻の告白は妄想の所産であり、ルパートは自分の実子 と判明し、彼の幻覚の世界は粉砕される。自分の息子には平民の血しか流れていな いのだ。何代も昔から息子が受けついだと思っていた̀gloryandhalo (162)は、
今や失せ、息子への態度は、実子でないと知った頃のように冷たいものに逆もどり して行く。息子の顔にペトリック1族の顔立ちが現われるのを苦々しい思いで見る のである:
Instead of the elegant knife‑edged nose, so typical of the Dukes of Southwesterland, there began to appear on the face the broad nostril and hollow bridge of his grandfather Timothy. (162)
そして、ペトリックは息子を̀impostor (163)呼ばわりするのである。
ここには、貴族に対する平民の崇拝に基づく2重の幻想がある。 1つはアネッタ の貴族の子を生みたいという願望から生じた幻想であり(物語の題名はこれで一部 は正当化されうる)、もう一つはペトリックのものであるが、彼はその幻想の中で 妻の不義に感謝し、実子よりも貴族の庶子を願い、遺言状の書き換えという重罪を も犯すのである。この物語は、この馬鹿げた崇敬の心理を探究したものであり、 A.
∫.ゲラードはこれを̀asymbolicdramaoftheevilofclassfeeling'13)と定義して
いる。
12
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第7話Anna, Lady Baxbyは17世紀半ばの清教徒草命中の王党派と議会派の争い に巻き込まれたアンナが主人公である。セヴァ‑ン伯爵の長男でアンナの夫の守る 王党派の城を、議会派側貴族でアンナの兄のウィリアムが率いる軍が攻めるという、
夫婦の杵と肉身の杵の板挟状況の中で、アンナはまず兄の王への不忠を責める。兄 は議会派の正義を主張し、 ̀Blood is thicker than water‥‥'(169)と血肉の杵の優位 を説いて、城脱出を妹に勧める。
アンナは、なつかしい兄の声と姿に接し、その肉親の杵を説く言葉に動かされ、
議会派へと傾いてゆく。夫が兄の勇気について誘る言葉に、本来議会派であった夫 の変節を責め、王党派の不正を詰る。夫の̀Long and reposeful breathings in his comfortable bed (171)と対照的に、退却して初霜の冷たい地面に眠る兄を想像し、
アンナは兄のところへ行こうと、夫の帽子つき外套に男装して城のテラスに出る。
ここでバーディのお得意の偶然の一致が生じる。アンナの夫と逢引の約束をして、
そこで待っている娘に、夫と間違えられるのである。
She changed from the home‑hating truant to the strategic wife in one mo‑
ment. (172)
これまで誠実そのものの人と思っていたのに何とひどい夫か。しかし、アンナは決 心を変えて、テラスへ出るドアにもどり、錠をおろし、夫の部屋へと、城内一番の 王党派となって、戻り、ドアに施錠し、鍵を隠し、コルセットの紐で夫の髪をベッ ドの柱に結びつける。夫を結婚にしぼりつけ、その不貞防止の決心を示す行動で ある。プレイディはアンナのこの夫の部屋への引返しを、 ̀a symbolic gesture, representing her determination to protect the fortress of her marriage'14)と要約し ている。
感情がすべての決定の根幹をなすマリアにとって、議会派か王党派かという政治 的信条も、肉親の杵か夫婦の杵かという個人的問題も、彼女の最も強力な感情のジ ェラシーが一気に解決してしまい、意外なほど呆気ない幕切となるが、ジェラシー の女性の行動への影響は、 The Return of the Nativeでのユースティシアのワイル ディ‑ヴへの情熱と冷却の繰り返しをはじめ、多くの短篇に描かれているところで ある。又、夫のバクスピーの後年の公的生活の末路‑長い追放生活‑は、彼の 性格から意外とするに当らないが、それは後日譜である。
第8話The LadyPenelopeの女主人公ペネロピィには求婚者は数知れないほどい たが、中でも熱心なのは3人のナイト爵のジョン・ゲイル、ウィリアム・バーヴィ、
ジョージ・ドレングハードであった。彼等の決闘になりかねない激しい張り合いに、
ペネロピィは最初に平和を乱す人は自分に会うことを許さない、と言った後、一寸
薬が効きすぎたと、冗談に言う:
̀Have patience, have patience, you foolish men! Only bide your time quiet‑
ly, and, in faith, I will marry you all in turn ! (179)
彼等はこの冗談を親類・知人に吹聴して回ると共に、決して忘れないのである。
この冗談の約束は実現され、ペネロピィは二人の夫に死別した後、意中のウィリ アムと結婚し、ハッピー・エンドになりそうになるが、世間は二番目の夫ジョンの 彼女に対する虐待と、三番目の夫ウィリアムに対する彼女の愛から、これを予言の 単なる偶然の実現と考えず、彼女がジョンを毒殺したという疑惑を噴き始め、噂を 立ち聞いたウィリアムは理由を言わず外国へ去り、やがて全てが分ったペネロピィ の死産と死へと続く。帰国したウィリアムはジョンの死が毒殺ではなく、妻の死は 根も葉もない卑劣な中傷によるものと知ると共に、自分が妻の不幸に加担したこと を後悔する。
ペネロピィの悲劇は、あの冗談の約束をしたこと、と、ウィリアムとの結婚を望 みながら̀the backwardness of him she secretly desired to be forward (180)に気 分を損じてジョンと2度目の結婚をした、という彼女の二つの軽率な行為とある程 度関係がある。又、ウィリアムの求婚の遅れ、妻にかけられた毒殺の噂を立聞いて 真偽を妻に質しもせぬままの外国への退去、などに見られる意思の疎通を妨げるよ うに働く彼の̀reticence (184)も関わりがある。しかし最大の原因は、陰険なゴ シップの持つ破壊性ということになろう。この物語は、第6話で見られた平民の、
貴族に対する盲目的崇敬によって起った人間性の喪失とは反対に、高貴で美しいが ために世間の興味を惹いた女性が、悪意あるゴシップを立てられたための悲劇と解 せられよう。貴族側が被害者となるのである。
しかしながらこの物語の主たる興味は、ペネロピィの冗談のことばが、本人たち は勿論、それを知る人々の心の中で予言の如く働き、期待感を生み、その実現を促
したところにある、と言える。
第9話The Duchess ofHamptonshireは第2話同様に、女主人公エメリンに対し 2人の求婚者が配されている。 1人はハンサムな副牧師のアルウィン・ヒル、もう 1人は粗野なバンプトンシャ‑公爵である。父親である牧師は娘と副牧師の仲を裂 いて、公爵と結婚させる。アルウィソは村を去る。妻の悲嘆の理由を知っていて、
嫉妬する公爵は、妻の愚かさを罵るだけでなく、アルウィソとの仲を邪推し、白状 せよと、彼女を虐待するようになる。エメリンは、 2、 3日後アメリカ移住の船旅 に出る予定のアルウィソを呼び出し、‑諸に連れて行ってくれと必死に哀願するが、
彼は、バーディの措くほとんどの牧師同様に、個人の自然の感情を社会の硬直化し
m
宮本義久
た因習やドグマで律して省みない傾向のある牧師であり、結婚している場合、慣習 的に守るべき行いから考えて、それは̀sin ̀wrongであり、公爵夫人という社 会的立場を考えなさい、と碧めた後、
̀…Though I die, though you die, we must not fly together. It is forbidden in
God's law.…'(197)
と断言して去る。彼のこの行動を、彼は̀the whisper of his conscience'(198)に 従ったものであると確信するのである。
渡米の船中で、熱病で亡くなった一人の女性乗客の葬式の司式を頼まれ、祈祷文 を読むようなことがあったあと、アメリカでは牧師を止め‑その理由は
̀Distracted and weakened in his beliefs by his recent experience'(199)と述べられ るだけである‑バンプトン公爵の死を知って甘い夢を抱いて10年振りに帰国する が、会いに行った公爵夫人はエメリンとは別人であった。誰も皆、彼女は10年前副 牧師と駆け落ちしたと信じている。
これからあと、この短篇の約3分の1のスペースは、アルウィソによるエメリン 失院の謎解明のプロセスに関する平板な説明に当てられ(バーディの初期小説に見
られる一つの特徴である)、物語の興味は変質する。アルウィンは遂に、エメリン は彼に駆け落ちを拒否された後、そのまま後を追って同じ船に乗っていたのであり、
彼が船中で水葬の式を執り行なった女性は、エメリンその人であったことを発見す るのである。
エメリンの悲劇は、まず父親の階級意識による結婚の強制に始まり、駆け落ちに 関する倫理的問題では、エメリンはアルウィンの取った因習的・ドグマティックな 態度の犠牲者となったということで、一応の説明はなされ得るが、この結婚と駆け 落ちは、むしろ、アルウィンの執り行なった水葬の式が、エメリンのためのもので あった、というアイロニカルな偶然へ導くために必要な単なるステップに過ぎない 印象が強い。
第10話The Honourable Lauraは登場人物間の関係を説明するのに一風変った方 法を取っていて、第9話の謎解明を思い出させる。場所柄、冬場は全く泊り客のな
いホテルにクリスマス・イヴの夕方、馬車で外国人らしい風貌の青年と若い娘とい う奇妙な取合わせの、何となく落着かぬカップルが、次いで老若二人の紳士がこれ も馬車で現われ、段々と4人の関係が明らかになって行く。これが物語全体の3分 の1以上を占める。
クウォントン卿の令嬢ローラがイタリヤ人オペラ歌手と駆け落ちし、父親とその
規のジェームズ・ノースブルック大尉が追っかけて来たのであり、大尉とローラは
密かに結婚していることが分ってくる。夫への愛情も冷め、何となく不幸なローラ は、彼女を人妻とは知らぬオペラ歌手の駆け落ちの誘いに乗ったのである。父親は 娘と規の欺臓に立腹して去り、大尉とオペラ歌手は、大尉の用意していたピストル で決闘の場に向うが、イクリヤ人は隙を見て、大尉を滝の上から突き落とし、ロー ラには、大尉は2人の結婚を許して帰宅したと嘘を言う。しかし彼女はオペラ歌手 の嘘を知るようになり、又、夫の大尉も奇跡的に死を免れる。自分の責任を痛感し、
深く後悔するローラは何週間も熱心に夫を看護し、罪深い愚行の許しを乞うが、夫 は許さず外国へ去る。父のクウォントン卿も死に、その大邸宅も称号も他の人の手 に渡る。 12年間̀a lonely, repentant, depressed being (231)の生活が続いた後、
又、クリスマスが近づいた時、夫が帰ってくる。クリスマスのローラの家は光と陽 気さにあふれ、ノースブルック家はもう貴族ではなくなっていたが、活気あふれる ままに1年が経たないうちに、男児が加わっていた、とこのメロドラマは終る。第 1話のハッピー・エンドで幕を開いたこの短篇集は、この最后の物語のハッピー・
エンドで幕を閉じる。
Ⅲ
第1話の、親の野心的目論見による結婚という潜在的不幸状況の克服を可能にし た女主人公の成熟、第10話の、未熟な考えによる駆け落ちとそれに伴う重大な結果 への後悔を通して達成された女主人公の成熟、という二つの成熟によるハッピー・
エンドの物語に挟まれた8つの物語は、内容は様々であるが、大部分は主として、
階級意識、社会的野心が人間の自然な本能や感情を抑圧し、人間を非人間的にし、
自他の不幸・悲劇を招く物語である、と要約し得る。その観点からすれば、元々6 篇だけであったこの短篇集の配列順序を変更し、新たに第1、第8、第9、第10の 物語を追加して、第1話の女主人公を初代伯爵夫人に昇進させ、続く第2から第9 までの物語で、階級意識による非人問化の不幸の物語を展開し、最後の第10話で貴 族の身分を脱し、幸福を達成するという構図を読み取るのは、あながち牽強附会と
も思えない。
A GroupofNobleDamesの話の順序は、語り終えられた話に内容が関連した話を 思いついた会員が次の話を語るという体裁になっているが、この枠組物語の特徴は、
バーディとしては他に類を見ない、二重構造を持っていることである。まず第1に クラブ会員たちによる古物的、 ̀curiousな対象としての往時の貴婦人たちについ ての品定めがあり、次には、その会員たちを品定めする別の存在、つまり、作者、
があるのである。クラブの性格は̀inclusive and intersocial (49)であるとされ、
16
宮本義久
ウェセックスを世界一の場所にして下さったと神を讃える会員たちは、暖炉を囲ん で和気諸々と物語を語り継いでゆくが、やがて彼等に共通するあるゆがみが露にな ってくる。それは女性に対する因習的偏見である。例えば、第2話の語り手の老外 科医はこの物語の締め括りとして、クライストミンスターの首席司祭の意見と同じ く、バーバラが外面的美しさだけに夢中になったことの愚かしさを挙げ、それを嘆 くのみである。親の野心も社会の因習も、又、 T.S.エリオットが̀pureEvilと指 摘するアブランドタワーズの残酷さでもない。バーバラは実際はそれらすべての犠 牲者であるにも拘らず、彼女の不幸は自らの浅薄さのせいにされるのである。第6 話では、専らペトリックの妻のアネッタの妄想にのみ関心は向けられる。そして決 定的な例は、第8話に見られる。次々と3人の夫を持ったペネロピィに世間の疑惑 がかけられたのは、彼女の放縦への天罰であるとするのである。 W.ミソトーはこ の短篇集には女性を語る̀a collection of monkish chronicles'15)の様子が出すぎて いる、と評しているが、それはこれら男性会員たちの古物研究的且偏見的姿勢の現 われである。
そして、この自己満足的会員たちを観察するもう一つの目がある。それは読者に、
会員たちの偏見、見当違いの所見を気づかせ、 10の物語が終了し、会が散会後の会 員たちの、他の会員たちについての思いを覗かせてくれるが、それはあの和気諾々
は表面的なその場限りのものに過ぎず、各会員間には̀social ̀intellectual'
̀moral , (235)な理由による相互の差別意識が厳然と存在していることを示して いる。そして第6話のペトリックの貴族崇拝は、彼と同じく因習的で且同階級に属 する会員たちとしては、過去の無縁の問題ではあり得ない事なのであるJ. I. M.
スチュアートは、
. ‥the absurdity of Petrick s successive attitudes constitutes a mordant ironic
anatomy of a type of English social consciousness by no means confined to the Late Victorian age. 16)
と述べているが、会員たちは貴婦人たちを一段高い所から品定めしながら、実際は 何等両者に違いは無いのであり、バーディは過去、現在、男・女にバランスを持た せたと考えるべきである。バーディはこのような手の込んだ二重構造の手法を用い
た理由は、
̀ ‥.to guard against the infliction of"a hideous and hateful fantasy, " ‑the ac‑
tion is thrown back into a second plane or middle distance, being described by a character to characters, and not point‑blank by author to reader.'17‑>
と、対読者対策であったと説明している18)
最後に2つの事柄について触れておきたい。一つは主題としての階級の問題で、
それはバーディにとって終生のオブセッションであった。未発表のまま幻の処女作 に終ったThePoorManandtheLadyに始まり、最終小説ルdetheObscureまで、こ の問題は常に彼の最大の関心事であったし、又、家庭生活においても、夫より高い 身分の出身であることを忘れぬ妻の階級意識に悩まされたと伝えられる。
もう一つはバーディの物語創作の方針である。彼は物語は語るに価するだけの異 例なものでなければならないということを創作の鉄則とした:
'The real, if unavowed, purpose of fiction is to give pleasure by gratifying
the love of the uncommon in human experience, mental or corporeal‥‥ The un‑
commonness must be in the events, not in the characters....'19)
この短篇集でも、顕著なバラッド的工夫が用いられ、プロットが支配的である。興 味は人物によりむしろ状況に、又、人物たちが異常な事情の圧力の下で行う方向転 換にあるA GroupofNobleDamesは、この点、異常な出来事、偶然の一致、ア
イロニカルな展開等に事欠かず、バーディの特徴と面白さを更めて痛感させる短篇 集である。
読
(TextはMacmillanのTheGreenwoodEditionを使用)
1)RichardLittlePurdy,ThomasHardy:ABibliographicalStudy(London:OxfordUniversityPress,1954), pp.62‑67
2)FlorenceEmilyHardy,TheLifeofThomasHardy(London:Macmillan,1962),p.163 3)HaroldOrel(ed.).ThomasHardy'sPersonalWritings(London:Macmillan,1967),xi 4)LanceStJohnButler,ThomasHardy(Cambridge:CambridgeUniversityPress,1978),p.160 5)KristinBrady,TheShortStoriesofThomasHardy(London:Macmillan,1982),p.57 6)JeanR.Brooks,ThomasHardy(NewYork:CornellUniversityPress,1971),p.146 7)RosemarySumner,ThomasHardy‑
.PsychologicalNovelist(London:Macmillan,1981),p.23 8)T.S.Eliot,AfterStrangeGods(London:FaberandFaber,1934),p.58 9)LordDavidCecil,HardytheNovelist(London:Constable,1943),p.53 10)K.Brady,TheShortStoriesofThomasHardy,p.60
11)R.Sumner,ThomasHardy:PsychologicalNovelist,p.28 12)K.Brady,TheShortStoriesofThomasHardy,p.71
13)AlbertJ.Guerard,ThomasHardy(NewYork:NewDirections,1964),p.107 14)K.Brady,TheShortStoriesofThomasHarめ',p.77
15)R.G.Cox(ed.),ThomasHardy.TheCriticalHeritage(NewYork:Barnes&NobleInc.,1970),p.176
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