中部支部巡検会の報告 : 藁科川の源流を訪ねて
著者 松本 みつ子
雑誌名 静岡地学
巻 79
ページ 51‑54
発行年 1999‑06‑27
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025154
静問地学
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号( 1 9 9 9 )
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の源流を訪ねて松 本 み つ
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名と高校生2
名は牧ケ谷に集合、清流とし の源流、福養の滝を目指しながら、流域の地質や壁史を探る巡検に出発した。I1
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の砂岩が富沢、富厚皇、小瀬戸で採掘され駿府城の石垣に使用されたというO るさとと亥U
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駿府城の ダンプカーや掘削機等の大型機械類、の無い慶長の昔に、家康の命令 けた のもと、膨大な数し
ら駿府に集められ、夜も昼も激しい労働を強いられ、
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が知恵を出し合い、大がかり かな砂岩のJf
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岸にも約390を入れ、
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に切り取り、ような大型のかつぎ棒に石をくくり 時の人々 に描かれているO この静 ちのくさび穴をうがつ音や右を諮る音が饗き、
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ヒイラギは、新しい若いは葉には トゲがあるけど、古い木になると、トゲがなく なり丸くなるのではj と言う兼高さんり、古木を見上げると小校の若い葉には、確か にトゲがあり、普通に見られるヒイラギ / 恥った。
巡検案内閣
⑥ 鍵 穴 @
八 幡 1Iの本流をさかのぼるO コンクリートが吹き付け
静 問 地 学 第
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られいるので見えないが、こ の東端あたりを笹山断屠が通っているというO
⑦ 寺 島 、 坂 /
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は渓谷状になってきた。見たo この発電所の水は上流の坂ノ は
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の水路を通り、水圧管を下っ坂ノ上でも中部電力大j11発電所を外かち 関鉄道)が静関市から水利権を買い取り
は昭和3 された中部電力清沢発電所とその水圧管を にダムがあり、その左培に取り入れ口があって水 に使われるo
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部の電力を供給しているOは明治
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年 (後の静 って大正9
年に静簡の茶町から ま出力
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で大jI を山々された。ここは
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四方の建物で無人化されており、している。
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年程前に、この山奥に発電所を建設し、そ る設備を造るとは、昔の人々の熱意に驚かされるOも
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流域の人々の生活を古く からきたこのJl
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また、日向の も当時のまま
も、山間地の人々が自
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