西
山
派
の
勅
撰
歌
僧
上
田
良
準
勅撰
和 歌 集 は、
延 再 五 年 ( 九 〇 五)
の 古 今 集 に は じ ま り、
永 享 元 年 (一
四 三 九)
新 續 古 今 集 ま で、
五 三 〇餘
年 の あ い だ に 、 い わ ゆ る 二 十→
代
集 か ぞ え る が 、 こ こ で 閣 諡 す る の は、
そ の 後 期 の 績 古 今(
文
永 二年
・
一
二 六 五 ) か ら新
續
古 今 に い た る一
七 〇 餘 年 間 の 、一
〇 集 に 入 集 し て い る 淨 土 宗 西 山 振 の 歌 僭 に つ い て で あ る 。 そ の 數 二 四 名 五一
首
は 、 さ し て 注 意 を ひ く 數 で は な い が 『 作 者 部類
』 の 上 人 の 呼稱
で 入 集 す る も の 、 全 勅 撰 ( 二 十一
代)
集 を 通 じ て 六 六 名、
當 の一
〇 集 で 五 九 名 の 中 に 占 め る 比 率 か ら い う と、
そ れ は 決 し て 少 な い數
で は な い 。 い わ ゆ る 「 上 入 」 の 呼 稱 は、
『 諸 門 跡 譜 』 に 六 波 羅 蜜 寺 の 開 基 空 也 を も つ て 「 日 域 の 上 人 是 れ 始 め 也 」 と す る 點 か ら み る と 、 上 人 す な わ ち 聖 人 で、
も と は 聖 系 の隱
遁 僣 に 鉗 す る 稱 で 、 勅 撰 集 が お な じ 櫓 侶 で も 、 上 入 を、
僣 正・
僭都
等
の 僭綱
位 を も つ 官鱈
と 區 別 し 、 全 勅 撰 集 を 慂 じ 始 め げ 丶 空 也 が 拾 遺 集(
長 保 四 年・
】
OO
二)
に た だ一
名
上 人 の 呼稱
で 入集
し て い る 事 實 と 符 会 す る 。 以來
、 後拾
遺 ( 延 久 五 年・
一
〇 七 五)
に 法 圓 、 金葉
(
大 治 二年
・=
二 七 ) と 詞 花 (天
養 二 年・
一
]
二 七 ) と に瞻
西 と 、 各集
に一
名 つ つ の 上 人 が 入 集 し 、 千 載(
文 治 四 年・
】
一
八 八 ) で は 瞻 西・
覺 鑁・
空 也 の 三 上 人、
新古
今(
元久
二 年・
=一
〇 五 ) で は 日 藏・
瞻 西・
性 空・
法 圓・
櫓 賀 の 五 上 人 が 入 集 し、
以 下瓢
勅 撰 か ら 親續
古 今 ま で の =一
集 で は、
少
な い と き で 四名、
多 い と き は一
七 、 八名
の 上 人 作 者 西 山 派 の 勅 撰 歌 僧一
1一
Kyoto Seizan College
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西 山 学 報 が 入 集 し て い る 。 こ れ は 單 に 上 人
作
者 の 人 數 だ け の 問 題 で は な い 。 新 古 今 集 か ら 「 釋 教 」 の 部 立 が 獨 立 し て い る こ ど を 考 え る ヒ 、當
時 よ う や く 釋 教 の 題 詠 が盛
ん に な り 、 そ の 詞 書 に み ら れ る 經釋
の 知 識 が 、 上流
砒 交 界 で の 必須
の 教 養 で あ つ た こ と が 知 ら れ 、 そ の 背 景 ど し て、
祗 交界
へ の 僭 侶 の 進 出・
接 觸 と い う こ と も 容易
に 想 像 さ れ る 。 鎌 倉 佛 教 の 展 開 と と も に、
聖 系 の 僭 侶 は 飛 躍的
に 多 く な る 。「 凡 そ 上 人 は 、
藤
澤 遊 行 派 は代
々阿
字 を 用 て 何 阿 上 人 ど號
し、
淨 土 宗 は譽
字 を 用 て 何 譽 上 入 と 號 し 、 本 願寺
は 如 字 を 用 て 何 如 上 人 と 號 し、
法 華 宗 は 日 字 を 用 て 日 何 上 入 と 號 」 す る か ら、
上 人 歌 僭 も 淨 土 宗、
眞宗
、 時 宗 か ら 日 蓮宗
に も わ た る は ず で あ る 。 そ う し た 上 人作
者 の 中 に 占 め る 西 山 僭 の 數 は 別 表OD
の 通 り で あ る 。 し か し こ れ は一
つ の 資 料 に す ぎ ず 、 そ の 數 字 の 意 味 は、
今後
種 々 の 面 か ら 解 き 明 か さ れ ね ば な ら ぬ で あ ろ う 。 い ま 勅 撰 入 集 の 歌 僭 と は い つ て も、
入 集 總 數 三 九 首 を數
え る 宇都
宮 蓮 生 等 に は は る か に 及 ぼ ぬ、
殆 ん ど が一
、 二 着 入 集 の、
む し ろ、
歌 人 と し て よ り も 、 寺 か 撰 者 か 伺 か の 關 係 か ら 、 撰 入 圈 内 に つ な が る 僭侶
で 、 そ う い う 僭 侶 が 西山
派 に は ヒ く に 多 か つ た ど い う こ と に な る 。 た と え ば、
淨 金剛
院 の 道 觀 が、
自 身 で は た だ一
回一
首、
二 尊 院 の 湛 空 と と も に、
源 空 ( 法 然)
門
下 で は じ め て 入 集 す る續
古 今 は 、 後 嵯 峨 院 の 院 宣 に よ り 爲 家等
四 人 が 撰 進 し た も の だ が、
こ の と き 師 の 源 空 上 人 は ま だ 入 つ て い な か つ た 。 こ こ で 見 逃 せ な い の は、
道 觀 が 後嵯
峨院
勅願
淨 金 剛院
の 開 基 で あ り、
ま た 撰 者 爲 家 の岳
父 宇 都 宮 蓮 生 が 隨 逾 し た 西山
上 人 の 高 弟 で あ つ た と い う 人間
關 係 で は な か ろ う か 。 ま た 源 空 上 入 の 歌 が は じ め て 入 集 す る の は、
建 暦 二 年(
= 二 二 ) の 入 滅 か ら ち よ う ど 百年
あ と の 玉 葉 ( 正 和 元 年・
= 二 =一
) で 、 撰 者 は 京 極 爲 靈 で あ る。
こ の と き 入 集 の 上 人 作 者 七 名 中 、 淨 土 宗 は た だ 源 空 上 人 と 眞 宗 院 圓 空 ( 滅後
二 八 年)
の 二 名 那 丶 そ れ よ り 十 年前
の 新 後 撰 に、
三 福 寺・
淨 金 剛 院・
眞宗
院 か ら 西山
僭
八 名 が 入 集 し一 2 一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloeた の に く ら べ る ヒ 封 蹠 的 で あ る 。 が 、 淨 土 宗 か ら は 現 存 者 を さ け
、
と お い 故 人 二 人 に し ぼ つ た 、 そ の 嚴 選 ぶ り に は、
三 寺 の 繪 と接
觸 の 多 い 二 條 諏 の 爲 世 に 對 立 す る京
極 爲 靈 の 反 撥 の 色 が う か が わ れ る 、 そ れ が 、次
の 續 千 載 ( 元應
二 年・
一
三 二 〇)
を ふ た た び 爲 世 が 漢 す る と き に は、
上 人 作 者一
四 名 中 に 、西
山 僭 は 七 名 ヒ は ね 上 る の も 意 味 あ り げ で あ る 。 爲 世撰
進 の 二 集 と な ら ん で 、 西出
僭 が 多 數(
八)
入集
し た 新 千 載 は 、 延 文 四 年 ( = 二 五 九 ) 後光
嚴院
の 院 白 且 で 御 子 左 爲 定 の 撰 と な つ て い る が、
實 際 は 頓 阿 が 撰 ん で い る 。 頓 阿 は後
に も 觸 れ る よ う に 、 翼 宗院
の經
空 に 私 淑 し 兼 空 と 交 つ た 蒔 宗 僣 で 、 西 山 證 空 上 人 の 歌 も こ の と き→
首 入 集 す る が、
滅後
一
一
二 年 に あ た る 。 以 上 は =一
の 事 例 に す ぎ な い が 、 こ う し た 歌 よ む こ と を 教養
と す る 祗 會 に 接 觸 す る僭
侶 が 、 西 山 浤 に は 多 か つ た ど い う こ と は、
裏
返 し で い え ば 、鎌
倉 末 期 か ら南
北 朝 に か け て の、
在京
西 山 派 の 在 り方
を 示 唆 す る も の と い う こ ど が で き る 。 偶 々 の 作 者 の 身 邊 か ら ど の よ う な 歌 況 が 賜 ら か に な る か は、
後 に ゅ ず り、
い ま は と り あ え ず 〔作
者 部類
の 註 〕 に多
少 の 私 見 を 補 足 し て 資 料 に 供 し た い 。一 3 一
租師
塰
〔夫
黒
陰
蒼
〕 宗墾
人 の 和 歌晦
二 。 首警
傳 わ つ て い ・ が ・ 入 集警
吾
。 ら一
首 つ つ 五 回 の 入 集 は、
歌 人 ヒ い う よ り、
淨 土門
の 鼇 師 と い う 理 由 に よ る よ う で あ る。
〈 王 葉小
〉 四 樺 教(
二 六 二 二)
、 柴 の 戸 に 闘 け く れ か か る 自[
璽 試 を い っ 紫 の 色 に み な さ 掛)
光 明 遍 照 十亠
力 世界
と い へ る 心 を く 續 千V
釋
教 ( 九 八 九 )月
影 の い た ら ぬ 里 は な け れ ど も な が む る 人 の 心 に ぞ す む 〈 續 後 拾 〉釋
教 ( = 二 〇 八)
我 が 心 池 水 に こ そ 似 た り け れ 濁 り 澄 む こ そ 定 め な く し て 西 山 派 の 勅 撰 歌 僧 滅 後 百 年 を す ぎ て かKyoto Seizan College
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西 山 学 報 〈 新 千
V
釋 教 ( 八 九 〇 )む ま れ て は ま つ 思 ひ 出 む 故 郷 に 契 り し 友 の 深 き 心 を 釋 教 の 歌 と て よ み け る 八
新
後 拾 〉 釋 教(
一
四 七 四)
我 は た だ 佛 に い つ か あ ふ ひ 草 心 の つ ま に か け ぬ 間 ぞ な き 證 空 〔 上 人 〕派 祀 善 惠 房 西 山 上 人 の 新 千 載 へ の
一
首 入 集 も 、 滅 後一
一
二 年 で あ る か ら 、 宗 詛 の 場 合 と お な じ 事 情 に よ る も の で あ ろ う。
こ の 「 白 河 の 關 」 の 歌 は、
寛
喜 年 間 に 信 州 善 光 寺 を へ て 、 關 東奥
州 へ 族 せ ら れ た と き の 作 で、
蓮 生 の ほ か に 觀 鏡・
淨 音 も 同 道 し た 。 陸 奥 へ ま か り け る 時 關 を 越 え て後
「 自 川 の 關 は い つ く そ 」 と 尋 ね 侍 り け れ ば、
「 過 ぎ ぬ る所
こ そ 彼 の 關 に 侍 り つ れ 」 と 蓮 生 法 師 申 し 侍 り け れ ば、
光 臺 の 不 見 も 思 ひ 出 さ れ て 〈 新 千 〉 鑄族
(
七 七 九 ) 光 臺 に 見 し は 見 し か は 見 ざ り し を 聞 き て ぞ 見 つ る 臼 川 の 關 白 河 の 關 は、
遠 い奥
州 の 歌 枕 と し て、
畿 内 に 近 い 容 易 に 行 つ て 見 る こ と の で き る 名 所 と ち が い 、 當 時 の 歌 の 世 界 で は 、 幻 想 の 名 所、
話 で聞
く 名 所 で も あ つ た。
從 つ て 、 能 因 法 師 の 和 歌 傳 詭 の よ う に、
白 河 の 關 を 過 ぎ ず に 、 だ た 聞 い た 知 識 で 見 て き た よ う な 歌 を よ む も の が 多 か つ た。
そ う い う 歌 の 世 界 の 現 實 を、
こ の 和 歌 の 發 想 の 背 景 に お い て み る と、
單 な る 教 義 を 詠 ん だ 歌 で は な く、
そ の 基 調 を な す 旅 の 感懐
に も ふ れ る こ と が で き る 。一 4 一
N工 工
一
Eleotronio Library Servioe證 空 西
山
上 人 の 門 流 は、
直 弟 の 系 統 を ひ く 東 山・
嵯 峨・
深草
・
西 谷 の 四流
に 、 西 谷 義 か ら 分 か れ た 六 角 義 と 後 に 三 鈷 寺 で 自 立 し た本
山 義 を あ わ せ て、
六 流 を 數 え る 。 が、
勅 撰 に 入 集 し て い る の は、
別 表 の 如 く、
東 山・
嵯 峨・
深草
の 三 流 と 三 鈷寺
の 僭 で、
西 谷 義 の 系 統 か ら は一
名 も 入集
し て い な い 。 こ の こ ど は 、 逆 に 西 谷 義 の 生 い 立 Kyoto Seizanち を 暗 示 す る も の の よ う で も あ る が 、 そ れ に つ い て は 別 の 機
會
に ゆず
り た い 。 東 山 義 東 山義
の 名稱
は、
證
空 上 人 の 門 弟 で こ の 流 を 開 い た、
證 入 が 住 し た 阿 彌 陀院
の 所 在 地 、 東 山 宮 の 辻 子 の 地 名 に 由 來 す る 。 證 入 は 西山
門 下 に お け る 孔 門 の 顔 回 に も 比 せ ら れ た 法 器 で、
觀 日・
由 願.
證 佛.
覺 入 等多
く の 門 弟 が あ り・
阿靉
院
は腎
霜
續k
そ の あ ど謝
北 朝頃
ま で つ づ婁
愚
わ れ ・ 。 ・ の 流 か ら ・ 勅 撰礬
、
觀 日 の 門 下 で 三 幅 寺 を 開 い た 漸 空 以 下 示 證、
示 空 の 師 資 と 、 ほ か に 由願
の弟
子 素 觀、
證 佛 の 弟 子 彰 空 、 及 び 見性
等 が 入 集 し て い る 。鏨
〔 上 人゜
蓮 光 院 了 觀 坊 〕 松 殿 宰 相 入導
い わ墾
。績
千 載・
釋 教 (一
・ 二 四 ) の 詞 書 に琵
努
山 を 出 で て 淨 土 の 門 に 入 り 侍 り け る 頃 月 を 見 て 」 と い う ら 、 は じ め 天 台宗
で出
家 し 、 後 に 淨 土 門 に 轉 じ た も の と 思 わ れ る 。 蓮 光 院 は、
或 は い つ の 時 期 に か 寄 寓 し た 天台
系 の 寺 で は な い か 。 同流
の 「 觀 明 が 初 宮 辻 子 中 岡 後 大 谷 」 に 住 し た と い う、
そ の 中 頃 の 岡 ど は 神 樂 岡 の こ と、
従
つ て 當 時 そ の 東 麓 に あ っ た 眞 如 堂 か と 推 定 さ れ る か ら 、 蓮光
院 も そ の一
坊 で は な い か と 考 え ら れ る 。 そ う す れ ば、
漸 空 が宴
曲 の 作 者 ど し て 、 或 は 天 台 系 の 人 物 か ど も い わ れ る 調 曲 者 明 空 と、
交 渉 を も つ た 場 所 と し て ま た 別 な 問 題 を 提 起 す る こ と に な ろ う。
彼 は ま た 霾 山 上 皇 の 勅 を う戦
永
三
年
(
三
九 四 )蠢
山 殿 で、
翌 三 年 冬 河髏
で 、 深草
義 。 顯 意 と 三 心 に つ い誦
籥
議 、 、 途 に 顯 意 の 論鋒
に 屈 し た と い わ れ る。
む し ろ 文 藝 の 人 で あ つ た 漸 空 は 勅 撰 入 集 三 首 の ほ か に、
宴
曲
「 廓 公 」一
篇 と 、 醍 醐 報 恩院
憲 淳 が 監 修 す る 『續
門 葉 和 歌 集 』 に も 、 爲 氏・
爲 世・
爲 兼 や一
遍 聖繪
の 作 者 聖 戒 ら に 互 し て、
鱠 答 歌 を の こ し て い る 。嘉
元 二 年 四 月 二 十 六 日 歿 、 年 六 十 六一 5 一
西 山 派 の 勅 撰 歌 僧Kyoto Seizan College
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西 由 学
報
ゴ
八 月 十 五夜
に 月 を な が め て 十 五 首 の 歌 を よ み て し れ り け る 人 の も と へ つ か は し侍
り け る 申 に 法 印 憲 淳 ひ ど り 獪 な が む る 影 や つ け ぬ ら し 心 に 月 の す み う つ る ま で か へ し の 中 に 幾 秋 も な か め て あ か ぬ 月 そ わ か 山 の 端 ち か き 影 と な る ら ん 〈 纃 門 葉 〉 秋 其 佛 本 願 力 は な の な を そ れ ど き き て も ゆ ふ が ほ の 光 は 露 の 秋 ぞ ま た る る〈 正 應 五 年 嚴 島 耐 頭 和 歌 〉 花 の こ ろ ま う で 來 て 侍 り け る 人 の も と に つ か は し け る 八
新
後 撰 〉 雜 上(
一
二 五一
)
今 よ り の 心 か よ は ば 思 ひ 出 よ か な ら ず 花 の を り な ら ず ど も 比叡
の 山 を 出 で て 淨 土 の 門 に 入 り 侍 り け る 頃 月 を 見 て 〈續
千 〉釋
教 (}
〇 二 四 )共 に こ そ 山 は 出 で し が お な じ く ば 西 に も さ そ へ 秋 の 夜 の 月 ( 台 ) 各 留 孚 座 乘 花 葉 待 我 閻 淨 同 行 人 と い ふ 事 を 〈
新
千 〉 釋 教 ( 八 九「
)見 せ ぼ や と 花 の 牛 ば を 殘 し て も 誰 ふ る 癰 の 我 を 待 つ ら む 示 證 〔 上 人 〕 字 は 頓 惠 、 漸 空 の 門 弟 で 三 輻 寺 を つ ぎ 、 貞 和 三 年
(
一
三 四 四)
十一
月 晦 日 歿・
年 七 十 四 。一
時 蓮 光院
に も住
し た と い う 。 二 條 派 法 體 歌 人 と し て 爲 世 等 と 往 來 し、
勅 撰 集 に 四 首 の ほ か、
『 續 現 葉 』 に】
首 み え て い る。
彼
は ま た 、 當時
の 富樓
那 の 辨 読 を 圭、
っ て 聞 こ え た 安 居 院 の 澄 俊 と と も に、
そ の 名 を 知 ら れ た 唱 導 の 達 者一 6 一
N工 工一
Eleotronio Libraryで あ つ た
。
即
ち 文 保 元 年(
=一
= 七 ) 九 月、
伏 見 上 皇 臨 絡 の善
知 識 を つ と め、
そ の 中 陰 の 間 に、
高 座 を っ と め 念 佛 衆 を 催 し た の を は じ め 、時
に は 菊 亭・
中 園 亭 等 で、
法 事 讃 を 修 し 當 麻 曼 荼 羅 の 談 義 を 行 な つ て い る 。 さ を 鹿 の を の か 妻 と ふ 聲 に さ へ 秋 の あ は れ の い か に そ ふ ら ん く 續 現 葉V
題 し ら ず 〈 續 千 〉雑
下 ( 二 〇]
二)
あ り と て も う き 身 は よ し や 吉 野 河早
く 此 の世
を厭
ひ 果 て な む 釋 教 歌 の 中 に 〈 風 雅 〉釋
教 ( 二 〇 七 九)
沈 み こ し 憂 き 身 は い つ か 淨 ぶ べ き
誓
ひ の 舟 の 法 に あ は ず ぱ 前 大 納 言 爲 世 三 福 寺 に て聽
聞 の つ い で に 歌 よ み 侍 り け る 時 述 懐 〈 新 千 〉 雑(
一
九 八 三 )名 を か け し 跡 を 尋 ね て 藻 鹽 草 又 も
洩
ら す な 和 歌 の 浦 浪 想 於 西 方 く 新 後 拾V
釋 教(
一
四 八 九 )入 る 月 の 名 殘 を 添 へ て 慕 ふ か な
嶺
よ り 西 の 雲 の 還方
示 空 〔 上 人 〕『 法 水 分 流 記 』 や 『 蓮 門 宗 派 』 等 の
系
譜 に 、 示 空 の名
は 見 え な い が、
三 福 寺 を 菩 提 寺 と し た 關 白 近 儒 道 嗣 の 『 愚 管[
記 』 に 、 示 空 に 關 詭 し て 「 彼 祀 師 示證
上 人 云 々 」 と い つ て い る か ら、
示
證 の 弟 子 か 法孫
か で 、 三 輻 寺 の 長 老 で あ つ た こ ど が わ か る 。 證 入 の 教 學 が、
齟 跡 阿 彌 陀 院 に 繼 承 さ れ た か 否 か は 別 と し て、
顯 門 の出
入 か ら、
い わ ゆ る 俗 縁 の ふ か い 三 輻 寺 で は 、 開 山 漸 空 は 文藝
に 、 二 世 示 證 は 唱 導 に と、
そ れ ぞ れ 個 性 を 發 揮 し た が、
示 空 は ま た 盛 ん に聲
明 法 會 を 修 し た 。 『 愚 管 記 』 に よ れ ば、
當 時、
一
三 碣 寺 の 法 會 に は、
佛 經 供 養 、 法 事 讃、
冖
念 衆、
禮 讃 、 二 十 五 三昧
等 が 修 せ ら れ 、 二 世 の 示 證 は 、 と き に 「 談 法 事 讃 」 「 論 法 事 讃 」 の 談 義 を 併 せ 行 な っ た が 、 示 空 は あ ま り 談義
を 行 な わ か つ た よ う で あ る 。 近 儒 道 嗣 は 談 義 講 説 に は、
西 山 三 鈷 寺 の 惠 仁 (仁
空)
上 人 西 山 派 の 勅 撰 歌 僧一 7 ・
一
Kyoto Seizan College
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西 山 学 報 を 招 い て い た 。 な お 『 愚
管
記 』 は、
近 衞 道 嗣・
二 條 三 位・
飛 鳥 井 雅 氏 等 が 三 輻 寺 に 集 り、
纃 歌・
和 漢 聯 句・
當 座 千 首等
に 興 じ た こ と を 記 し 、 當時、
歌 仙 の よ き 集 い の 場 で あ つ た一
面 を 傳 え て い る 。 入 集 歌一
首 。 〈新
後 拾 〉 戀 五 (一
二 四 七 ) 言 の 葉 の 枯 れ に し 後 は 眞葛
原 う ら む る 程 の な ぐ さ め も な し素
觀 〔 上 人 〕尊 阿 順 觀 と 稱 し
、
由 願 の 門 弟 で 長樂
寺 に 住 し た 。 永 仁 六 年 (一
二 九 八 V 五 月 十 四 日 歿、
年 七 十 四 。 題 し ら ず 八 新後
拾 〉 雑 秋(
七 三 四)
湊 田 の 稻 葉 に 風 の 立 ち し よ り 鴈 鳴 き 渡 る 秋 の 浦 波 彰 空 〔 上 人 、 阿 月 ( 日
)
房 〕『 法 水 分 流 記 』 は
、
蓮宿
の 下 と 深 草 義圓
空 の 下 と に彼
の 名 を 列 ね て い る 。 が 、 彼 が 住 し た安
養 寺 過 去 帳 に は 、 證 佛 の 門 弟 と な つ て い る 。 彼 は 證 佛 が 京都
樋 口 に 中 興 し た 安 養 寺 の 第 三 世 を つ ぎ、
延慶
三 年 (;
= ○ ) 七 月 六 日 歿 。 正 應 五年
( =一
九 二)
眞 宗 の 覺 如 に 五 部・
大 經・
註 論・
念 佛鏡
等 を 講 じ 、 更 に 徳 治 二 年 ( = 二 〇 七 ) 十 月 か ら 十 二 月 に か け て 、 同 じ く 存 覺 に 善 導 の 五 部 を 講 じ た、
當 時、
西 山 振 で の代
表 的 な 學 匠 で あ つ た 。 西 山系
の鈔
物 と さ れ る 『 安 心 決 定 鈔 』 の名
が 、 眞 宗 資料
に 最 初 に あ ら わ れ る の は 、 乘 専 が 覺 如 に 懇 望 し て 寫 傳 し た と い う 記 事 で あ る が、
そ の 覺 如 へ の徑
路 の冖
つ と し て 、 こ の 阿 日 の 講 學 が 注 意 さ れ る 。 入集
歌 二首
尊 経 閣 本A
新後
撰V
釋 教(
六 六 九 a)
一
聲 も か か る う き 身 に う れ し き は す て ぬ 佛 の ち か ひ な り け り 題 し ら ず 八 續 千 〉 釋 教(
一
〇 二 五)
さ の み よ も 入 る 月 影 も
慕
は れ じ 西 に 心 を か け ぬ 身 な ら ば 見 性 〔 法 師 〕 ま た 顯 性 ど も 書 か れ る 。 長 門 の 出 身 で 、 覺 入 の 門 弟 。嘉
碌 の 法 難 に 際 し て 、 同 三年
八 月 、 逮 捕 す べ き 念佛
の 餘 黨 と し て 指 名 さ れ た 四 十 餘 名 の 中 に、
東 山 義 の 證 佛・
觀 明 と と も に 、 彼 の 名 も み え て い る 。『 法
一 8 一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe水 分 流 記 』 で は
、
後 に備
後 蓮 臺 院 に 赴 い た こ ヒ に な つ て い る が、
『;
西 芳 談 抄 』 に よ れ ば、
彼 は 「我
は 高 野 に ほ じ め も 中 比 も ひ さ し く あ り し か ど も」
と い つ て い る か ら、
そ れ は 晩 年 の こ と で は な い か と 思 わ れ る 。 彼 は、
た だ師
説 を 傳 え る だ け で な く ・ 新砂
三 心 所 廢 の義
噂者
奉
他 力義
と い わ れ る義
を た て て 異 彩 を 放 つ た 。 そ の 三 心 所 廢 の 義 は・
〕
遍 上 人「 三 心 所 廢 の 法 門 は よ く 立 て ら れ た り
・
さ れ ぼ 往 生 を 途 げ ら れ た り 」 と稱
し て や ま な か つ た も の で・
そ の 行薇
し嚢
勢 は・
『 ご一
=
。 芳 談 抄 』所
収藷 に も う か が わ れ る ・ 入
叢
音
。 題 し ら ず〈
新 後 撰 〉 神 ( 六 九 七 ) 言 の ほ も お よ ぼ ぬ 法 の 誠 を ば 心 よ り こ そ つ た へ そ め し か 嵯 峨 義 嵯峨
義 の 名稱
も 淨 金 剛 院 の所
在 に 由 來 す る が 、 こ の 流義
は、
義 禝 證 惠 以 下 淨 金 剛 院 に 繼 承 さ れ た 法 系 で 、 そ の 系 譜 は、
南北
朝中
頃 の 應安
八年
(
一
三 七 五 ) 、 第 六 世 融 観 で 絡 つ て い る 。 勅 撰 集 入 集 者 は 證 惠.
禪 空.
貞 空.
尊 空・
清
空 の 五 名 で、
み な 淨 金剛
院 の、
歴代
で あ る 。 證 惠 〔 上 人・
淨 金 圜 院 邁 觀坊
Ψ文 章 博 士 孝 範 の 獪 子 で
、
は じ め東
山 義 の 租 證 入 の 門 に 入 つ た が 、 師 の 早 世 に あ い 、 直 接 西 山 上 人 に つ い て 淨 土 教 を 究 め 、 途 に一
流 を成
す に い た つ た 。 後 嵯 峨 上 皇 の 歸 依 あ つ く 康 元 元 年 (一
二 五 六)
十 月、
檀 林 寺 の 跡 を お こ し て 淨 金 剛 院 を 建 て ら れ る や、
召 さ れ て 開 山 第一
世 ど な る 。 弘長
二 年 ( =一
六 二 ) 十一
月 二 十 日、
院 の 命 を う け て 撰 し た 『 當 麻 曼荼
羅 縁 起 』一
卷 は、
自 筆 の 卷 子 が 現 在 永 鸛 堂禪
林
寺 に 秘 藏 さ れ て い る、
西 山 門 下 の 曼 荼 羅 抄 ど し て は 最 古 の も の で あ り、
當
時 の 講説
の内
容 を 知 る 貴 霓 な 資料
で も あ る 。 ま た 『 淨 土 宗 名 目 』 二 卷 が あ る が 、 文 字 通 り 名 目 の 配 列 だ け で 、 欷 義 を窺
う こ と は で き な い。
文 永 元 年 (冖
二 六 四 )一
一 9 一
西 山 派 の 勅 撰 歌 僧Kyoto Seizan College
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西 山 学 報 五
月
三 日 歿、
年 六 〇 。 西 山 僭 と し て 最 初 の 入 集 歌一
首 が あ る 。 無 量 壽 經 卅 八 願 の 心 を よ み侍
り け る に供
養 諸 佛 〈續
古
今 〉 釋 教 ( 八 五一
)
い ろ い ろ の 花 の 匂 を 朝 ご と に よ も の ほ と け に
手
向 す る か な 禪 空 〔 上 人・
覺 導 ( 道 )坊
・
大納
言 伊 李 子 〕證 惠 の 門 弟 で 淨 金 剛 院 二 世 。 鷹 司
伊
卒
の 子 で、
兄 の 伊 頼.
寛 伊 と と も に、
幼 少 の こ ろ か ら 歌 の 稽 古 を さ せ ら れ た と い う 。 勅 撰 入 集 二 十 七首
の 兄 實伊
を は じ め、
一
族 に は 歌 入 が 多 い。
入 集 歌 三 首。
後 嵯 峨 院 か く れ さ せ 給 ひ て 又 の 年 の春
御 は て に あ た り け る 日 く 續 拾V
雑 下 (…
三 二 四)
め ぐ り き て 形 見 と な ら ば 慰 ま で 同 じ 月 日 は 獪 ぞ か な し き 九 品 の 歌 よ み 侍 り け る 中 に
、
下 品 下 生 をA
御拾
V
釋
教 ( 二 二 〇 九)
夕 日 影 さ す か と 見 え て 雲 間 よ り ま が は ぬ 花 の 色 ぞ 近 づ く 釋 教 の 心 を く
新
後
撰V
釋
教 ( 六 七一
)
一
か た に た の み を か く る 白 糸 の く る し き す じ に 亂 れ ず も が な貞
空 〔 上 人・
淨 金 剛 院定
觀 坊 〕 禪 空 の 弟 子 で、
淨 金 剛 院 三 世 で あ る が、
つ づ く 四 世 尊 空.
五 世 淨 道 と と も に、
出 自 は 不 明 で あ る。
入 集 歌 二首
。 大 宮院
か く れ さ せ給
ひ て後
{
咼 野 山 に を さ め た て ま つ ら れ け る時
よ み 侍 り け る 〈 新 後撰
〉 雜 下(
}
五一
二)
君 も 又 契 り あ り て や 高 野 山 そ の 嶢 を と も に 侍 つ ら む 〈 風 雅 〉
雜
上 (一
五一
七 ) 岩 間 つ た ふ 泉 の 聲 も さ 夜 更 け て 心 を 洗 ふ 牀 の 凉 し さ一
Io一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe尊 空 〔 上 人
・
本 道 坊・
淨 金 剛 院 貞 空 上 人 門 弟 〕 淨 金 剛 院 四 世 と し て 禁 裡 と 縁 ふ か く 、 文 保 元 年 (}
三一
七 ) 九 月 三 日、
伏 見 上 皇 臨絡
の 善 知 識 を つ と め た の を は じ め、
花 園 上 皇 の 歸 依 あ つ く、
し ば し ば、
淨 土 の 法 門.
當 痲 曼 荼 羅 を 進 講 し て い る 。『 花 園 宸 記 』 に よ れ ぼ
、
元 應 元 年 (;
= 九 ) 九 月 八 日 と 十 八 日 の 條 に、
本 道 上 人 を 召 し て 念 佛 の 法 文 を 談 ぜ し め ら れ た 記 事 が あ り、
そ の つ づ き に、
上 皇 み ず か ら の 感 懐 を次
の よ う に 記 さ れ て い る 。 卸 ち 「 當 時 流 布 の 念 佛 宗 は一
向 專 修 ど 稱 し て、
偏 へ に 餘 行 を 捨 て 只 念 佛 を 事 と す 。 他 力 の 義 尤 も 然 る べ し と 雖 も、
大小
權 實 顯密
の 教 法 徒 ら に 以 て廢
す べ し。
悲 哉 悲 哉 。 朕 殊 に 眞 言 天 台 の 兩 宗 を 興 さ ん と 欲 す 。 而 も 五 相 三 密 の 觀 行 、 獪 未 だ 成 ぜ ず。
止 觀 申 道 の智、
定 力 未 だ 發 せ ず 。 故 に 暫 く 念 佛 を 以 て 往 生 の業
と 爲 し、
彌 陀 に 遇 ひ て 甚 深 の 法 を 行 ず べ き 也 。 然 し て 全 く錬
行 を捨
て ず 、 觀 念 成 就 の 上 は 念 佛 を 捨 つ べ き 也 」 ヒ 。 當 時、
上 皇 は 禪 觀 の 道 に 精 進 さ れ て い た の で あ る が 、 本 道 の 講 詭 に は 、 深 い 感 銘 を う け ら れ た の で あ る 。 元 亨 元 年 (一
三 =一
) 九 月 二 十一
日 か ら 七 日 間、
本 道 を 衣 笠 殿 に 召 し て の 當 廨 曼荼
羅 聽 講 を へ て、
翌 二 年 五 月 十 二 日 の 條 に は、
「 本 道 上 人 參 る。
持佛
堂 に 於 て 念 佛 の 法 文 を 談 ず 。 良 や 久 し く し て 退 出。
法 文 の 大 綱一
宗 の 趣、
誠 に 以 て義
有 り 、 他 流 に 似 ざ る か 。 尋 常 只 下 愚 の 者 の 所 知 の 念 佛 は、
偏 へ に 淺 略 の 義 也。
往 生 に 於 て は 不 足 無 し と 雖 も 、 義 理 に於
て は 誠 に 蘯 さ ざ る 有 り。
所 證 に 於 て は 、 大 乘 と 差 異 有 る べ か ら ざ る か 」 ヒ 評 さ れ て い る 。 「 他 流 に 似 ざ る 」「 大 乘 」 の 歸 結 と し て の 實 踐 的 念 佛
義
は、
派 組 以 來 の 傳 統 で あ る が、
こ の 點 に ふ か い 思 索 を こ ら さ れ る、
上 皇 の 意 に 契 つ た 本 道 の 己證
が し の ぼ れ る・
語
應 元年
三 月 +詈
夸
傳 え ら れ る置
馨
抄 』蓉
が あ る渠
見 で あ る 。 勅 撰 入 集青
の ほ か 、 『 綾 現 葉 』 に一
首 み え て い る 。 汝 若 不 能 念 者 應 稱 無 量 壽 佛 の こ こ ろ を き え や す き露
の 命 の 限 り ま で こ ゑ を ば の こ せ の べ の 秋 風 〈續
現 葉 〉 西 山[
派 の 勅 撰 歌 僧一
11一
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西 山 学 報 八 纃 千
V
雑 上(
一
七 〇 八 )ま ど ろ ま で 待 ち つ る も の を
時
鳥夢
か と 聞 き き て 驚 か れ ぬ る溝
空 〔 上 人・
淨 金 剛院
覺勸
( 觀 ) 坊 〕淨 金 剛 院 の 相 續 次 第 を 中 心 に 記 し た と 思 わ れ る 『 法 水 分 流 記 』 で は 、 同 寺 の 五 世 は 尊 空 の 門 弟 淨 道 が つ ぎ
、
清
空 は 六 世 と な つ て い る 。 が 、 そ れ 以 外 の 系 譜 で は、
淨 道・
潘 空 を 同 輩 ど し て い る 。 お そ ら く、
淨 道 が 早世
し た あ と を 、 清 空 が っ い だ の で あ ろ う 。 淨 金 剛 院 長 老 の 淨 道 に、
勅 撰 入 集 歌 が な い の も そ の た め で あ ろ う か 。清
空 は 三 條 公 秀 の 弟、
入 集 歌 二 首 。 後 伏 見 院 か く れ 給 ひ て 後 仙 骨 を 從 三 位 守 子 の 墓 所 に な ら べ て 置 き 奉 る べ き よ し 御 邏 誡 に 任 せ て を さ め奉
る と て 八 風 雅 〉 雜 下2
九 九 五 )お く 露 も ひ と つ 蓮 に む す べ と や 煙 も お な じ 野 べ に 淌 ゆ ら む 題 し ら ず 〈
新
續 古 〉戀
三 ( =一
八 八 ) 後 の 世 と や が て 今 宵 や 契 ら ま し 逢 ふ に か へ む と所
り 來 し 身 を 良 空 〔 上 人 二}
尊 院 融 覺 ( 觀)
二 二 條 公 秀 子 〕 公 秀 の 子 で あ れ ば 清 空覺
觀 の 甥 に あ た る 。 し か も 新 千 載.
哀 傷 ( 二 二 二 五)
の 入 集 歌 の 詞 書 に、
「 先 師 覺觀
云 云 」 と い う か ら、
清 空 と は 叔 父 甥 の 師 弟 と い う こ と に な る 。と こ む
む
ろ で 『 蓴 卑 分 版 』 に よ れ ば 、 三 條 公 秀 の 子 ぼ 椎 野 融 觀 で、
『 法 水 分 流 記 』 の ( 清 空 ) 覺 觀 に つ づ く 融 觀 と
一
致 す る か ら 、 淨 金 剛 院 七 世 は 良 空 融 觀 で あ る は ず 。 ま た 「 二 尊院
」 も、
淨 金 剛 院 が 延 元 四 年(
一
三 三 九 ) 天 龍 寺 創 建 の た め に 移 轉 し た 地 名 を、
先
在 す る 寺 の 名 で 呼 ん だ も の か 。 『 愚 管 記 』 の 應 安 元 年 ( 二 二 六 八 ) 四 月 六 日 の 條 に ゜°
°°
は や は り、
「 淨 金 剛 院 融 觀 上 人 本 房 に於
て 如 法 念 佛 す 」 ど あ る 。 良 空 は 應 安 八 年 正 月 十 七 日 五 十 七 歳 で、
落 馬 入 滅 と い う 事 故 死 に 果 て、
嵯 峨 義 の 系 譜 は そ こ で 終 つ て い る 。 入 集 歌一
首 。 先 師 覺 觀 上 人 身 ま か り け る時
よ め る一
一12 一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe〈 新 千 〉 哀 傷
(
二 二 二 五)
あ り 果 て ぬ 習 ひ は 詣・
」 ぞ と 知 り な が ら 別 れ に 堪 へ ぬ 我 が 涙 か な ま れ に み し 人 め も 今 は む か し に て 野 と な り は つ る 深草
の 里 深 草 義 深草
義 の 名 稱 も、
義 租圓
空 が 眞 宗院
を 開 創 し た、
洛 南 深 草 の 地 名 に よ る が 、 深 草義
か ら の 勅 撰 入 集 者 は 九 名 あ り 、 そ の う ち 圓 空・
如 圓 ∵顯
立 思・
兼 空・
騨み
救・
境 空 の 六名
が 眞 宗 院 の 長 老 で 、 照 空・
耀
空・
的
買 殊 の 三 名 は、
そ の 衞 星寺
院 に 住 し た 僭 で あ つ た 。圓
空 〔 上 人 〕字 は 立 信
、
極
樂 房 と 號 し 、 二 十 年 に わ た り 西 山 上 人 に 隨 途 し た 面 授 の 直 弟 で、
師 跡 三 鈷 寺(
西 山 往 生 院 ) を 相 績 し た一
事 を も つ て も、
門 流 の 大 器 で あ つ た こ と が わ か る 。 そ の 行實
は 周 知 さ れ て い る か ら 、 こ こ に は 省 略 す る が、
寳 治 年 問 、 洛 南 深草
に 眞 宗 院 を 開 創 し、
後 深 草 天 皇 の 歸 依 を う け て 堂 塔 を 完 備 し 、 ま た 久 我内
大 臣 の 播 州 小 松 邑 三 百 石 の 寺 領 施 入 に よ つ て 經 濟 的 基 盤 を と と の え る な ど、
講 學 の 道 場 と し て の 要 件 を 完備
し て 多 數 の 學 徒 を 擁 し 、 そ の 門 か ら如
圓・
顯 意・
照 空・
本
空 等 幾 多 の 逸 材 を 輩 出 し た 。 ま た 上 述 の 三 鈷 寺 の ほ か、
白 川 遣 仰 院・
龍 護 田 歡 喜 心 院 等 の師
跡 も 盆 帶 し た、
在京
淨 七 門 の 巨 匠 で あ つ た 。 他 面 歌 人 と し て も す ぐ れ、
そ の 交 友 も多
く 。 勅 撰 入 集 歌 五 首 の ほ か、
贈
答 歌 等 が の こ つ て い る。
険 な ば と 契 し 日 よ り 深 草 の 花 や み や こ の 人 を 待 つ ら ん 八 夫 木 集 〉 深 草 の 露 の か ご と を 忘 れ ず ぼ 同 じ 蓮 の契
か は ら じ く 土御
門 前 内 大 臣宛
に 法文
の 事 に そ え た 歌。
返 歌 は 新 續古
・
釋・
八 二 八V
雙 林 入 滅 西 山 派 の 勅 撰 歌 僧一 13 一
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西 山 学 報 八 續 拾 〉 釋 教 (
;
一
六 四 )二 月 や た き 木 醗 き に し 春 を へ て 殘 る け ぶ り は
霞
な り け り 在 世 韋 提 後 凡 夫 同 被 レ 照 攝 取 光 明 の 心 を 〈 〃 〉 釋 教 (一
三 八 九 ) く も り 行 く 人 の 心 の す ゑ の よ を 昔 の ま ま に て ら す 月 か げ 〈 新 後 撰 〉 釋 教 ( 七 〇一
)
身 を 思 ふ 人 こ そ げ に は な か り け れ 憂 か る べ き 世 の 後 を し ら ね ば 題 し ら ず 〈 玉 葉 〉 釋 教 ( 二 六 八 八 ) も ろ と も に 行 く べ き 道 の し る べ と て 月 も か た ぶ く 西 の 山 の 端 〈 新 拾 〉 雜 中 (
一
八 七 三 )憂 世 に は 覺 む る 現 の あ ら ば こ そ 見 し を 夢 と も 人 に 語 ら め
如
圓 〔 法師
・
深 草寺
・
如
信 上 人 子 ( ?)
〕 諱 ほ 眞 空 、 圓 空 の 門 弟 で 眞 宗院
二 世 で あ る が、
『作
者部
類 』 の 註 に 「如
信 上 人 の 孑…
と い う の は 誤 り で あ る。
新 拾 還・
哀傷
( 八 六一
)
の 詞書
に 「 信 實 朝 臣 み つ か ら の影
尋 二 五 云 」 と い う の が 、『 法 水 分 流 記 』 『 蓮 門 宗 涙 』 の 如 圓 の 註 「 左 京 太 夫 信
實
獪 子 」 と一
致
す る 。「 深 草 ノ 寺 」 ヒ い う の は
、
當時
の 歌 よ み の 闘 で の 眞 宗院
の 遞 稱 で 、如
圓 は そ の 長 老 に ふ さ わ し く 歌 を よ く し、
入 集 歌 四首
を の こ し て い る 。 正 應 三年
(
=一
九 〇 ) 三 月 二 日 歿 、 年 六 十 八。
〈 續 拾 〉 春(
四 九 三)
吹 迭 る 嵐 を 花 の に ほ ひ に て か す み て の ほ る 山 櫻 花 〈 新
後
撰 〉 雑 下(
一
五 五 八 )な ぞ も か く 露 の
命
と い ひ 置 き ザ 、滄
ゆ れ ば 人 の 袖 ぬ ら す 覽 述 懐 〈 風 雅 〉 雜 下(
一
八 二冖
)
な れ ぬ れ ば 思 ひ も わ か ぬ 身 の う さ を わ す る 、 も の は 涙 な り け り 信
實
朝臣
み つ か ら 影 を 寫 し 置 き て 侍 り け る を 身 ま か り て 後 見 侍 り て よ め る一 14 一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe〈
新
拾V
哀 傷 ( 八 六一
) 思 ひ 出 て 見 る も 悲 し き 面 影 を 伺 中 々 に う つ し お き け む 顯意
〔 竹 林 寺・
邁 教 坊 上 人 〕 師圓
空 の 衣 鉢 を つ い だ 深 草 義 の 大成
者 で、
眞 宗 院 五 世 。 そ の 生 涯 は 甑 に 周 知 さ れ て い る。
「 竹 林 寺 」 は、
三 十歳
の こ ろ か ら そ こ に 住 み、
楷 定 記 三 十 六 卷 を は じ め 、 多 く の 疏 抄 が 撰 述 さ れ た 嵯 峨 の 住 坊 で あ る 。 後 深草
・
蠡 山 兩 上 皇 の 歸 依 こ ヒ に あ つ く、
永 仁 三 年 (一
二 九 四)
後 深 草 上 皇 の 勅 に ょ り、
東 山 義 漸窖
三 心 問 答 を 行 な い艘
し た こ ヒ は 上 述 し た が・
。 ま た と き に 嵯繋
ら 洛 南 の驃
に 赴 い て隻
を 談 ず ・ ・ と も あ っ た。
そ の 間、
深 草 眞 宗院
ぽ、
如 圓 の あ ヒ を 道 光 ( こ の 代 に 災 上)
、
そ の あ と を 生智
と師
資相
承 し た が 、塑
智 の 代 に な っ て、
顯 意 の 有 力 な 支 持 者 で あ る 、 義 山 上 皇 の 中 宮 今 出 川 女院
の 秘 計 で 、 眞 宗 院 後 薫 へ の 顯 意 の 擁 立 が 、 強 引 に 推 し す す め ら れ、
顯 意 は 途 に 翼 宗院
に 晋 み、
龍
護 田 ( 歡 喜 心院
)
を 景 帶 す る こ と に な っ た 。 し か し、
久 我 家 の 出 身 で あ る 先 住 生 智 は、
さ き に 圓 空 の 代 に 久我
家 か ら 寄 進 し た 播 州 小 松 邑 三 百 石 を、
そ の ま ま知
行 し て一
坊 に 居 住 し、
兩 者 双 方 か ら 大 御 堂 の給
仕 を 行 な つ た と い う 。 た だ一
首 の 入 集 歌 ほ 、 そ の 眞 宗 院 晋 住 問 題 の 曲 折 す る 當時
の 複 雜 な、
心 境 を よ ま れ た も の で あ ろ う か 。 山 家 の 心 を八
新後
撰 〉 雜 中(
= 二 七 五)
今 は よ し 淨 世 の さ が と り ぬ れ ば 又 こ と山
に 宿 は も と め じ 深 草 眞 宗 院 は 顯 意 の あ と 、 門 弟 の 經 空 良 惠 が つ い だ 。 彼 は一、
粟 田 口一
晶 良 數 の 息 」 で 、 そ う だ と す れ ば、
『 續 現 葉 』 監 修 者 の 醍 醐 の 憲 淳 の 兄 弟 で、
歌 の 交 り も 廣 か つ た で あ ろ う が、
勅 撰 に は 入 集 し て い な い 。一
読 に は 、 頓 阿 も は じ め は 經 空 の 門 に 入 つ た と い う 。 正 和 五 年 (;
= 六 ) 經 空 が 年 八 十 四 で 歿 し た あ ど、
頓 阿 ( 年 十 八 ) は 「 良 惠 上 人 經 空 入 滅 の後
四 十 九 日 な ど 過 ぎ て お も ひ づ け 侍 り し 」 ヒ 題 し て 今 は は や 宿 に は ち す も ひ ら く ら む 別 れ し 後 も 日 數 へ ぬ れ ば く 草 庵 集V
一 15 一
西 山 派 の 勅 撰 歌 僧Kyoto Seizan College
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西 山 学 報 と 詠 ん で い る 。 歌 の
姿
寺 の ゆ か し曇
圍 氣 が し の ぼ れ る・
深 草(
眞 宗院
)
・ 。 龍藤
の 長 老讐
・ 經 空 の あ と ・ 門 弟 の雙
空 か ら そ の 門 弟 兼 空 へ ど 師 資 相 承 さ れ た 。 景 空 〔 上 人・
深 艸・
大 納 言師
重 子 〕字 は 禪 智 、 雙 空 の 門 弟 で 深
草
・
龍
護 殿 の 長 老 を つ い だ 。『 蓮
門
宗 派 』 に は、
彼 と 同 輩 雙 救 と に つ い て 、 次 の よ う に 記 し て い る 。即
ち 、 「 道 惠 は 良 惠 に 學 ん で、
深 草 と 龍 護 殿 ど の 兩 寺 の 長 老 に な っ た が 、 こ の 四 五 年前
に 歿 し た 。 そ の 道 惠 に は 二 人 の 弟 子 が あ り、
一
人 は 北 畠 大 納 言 の 甥、
今 の 深 草 の 長 老 で 、 こ れ は無
智 の 人 で あ る 。 い ま一
人 は龍
護 殿 の 道 宗 ( 雙 救)
で、
こ れ は 學 匠 で あ る 。 と こ ろ が、
こ の 聖 は 、尊
氏將
軍 が 鎭 西 に 向 う と き 同 道 し、
入 洛 す る ま で お 俘 を し た 入 物 で あ る が 、 歸 洛 し て か ら 、 師 跡 の 兩 寺 を 相 續 し た く て 訴 訟 を 企 て 、 そ の と き 、 公家
武 家 の 沙 汰 が あ つ て 兩 寺 の 長 老 に補
せ ら れ た 」 ヒ 。 こ の 記 事 は 、 道 惠 の 歿 し た(
建
武 二 年・
一
三 三 五 ) 四・
五 年 後 、 す な わ ち 、 廷 元 四・
五 年 に 書 か れ た も の で、
そ の と き 既 に 道 宗 ( 雙 救 ) は 「兩
寺 長 老 」 に 補 せ ら れ て い た の で あ る 。 と こ ろ が、
深 草 の 前 任 者 で あ る は ず の 象 空 を 「 今 の 深 草 の 長 老 」 と い う の は お か し い。
が 、 現 住 者 の 道 宗 (雙
救)
を 「 龍 護 殿 」 と い う と こ ろ か ら み る と、
兩
寺 長 老 の實
權 を 握 つ た も の の、
深草
即 ち 眞 宗 院 に は 依 然 と し て前
任 者 が 住 み、
現 任 者 は 龍 護 殿 印 ち歡
喜 心 院 に 住 ん だ と み る べ き か 。 そ れ に し て も、
生 智・
顯 意 の 場合
と い い 兼 空・
道 宗 の場
合 と い い 、 眞 宗院
・
歡 喜 心 院 の 長 老 職 が 爭 わ れ る 原 因 は ど こ に あ つ た で あ ろ う か 。 と も か く も 票 空 は、
實
質的
な 在 住 期 間 わ ず か 三・
四年
と い う 、 悲 劇 の 入 で あ る 。 北 畠 師 重 の 甥 で あ る 彼 は 、 親 房 の 從 兄弟
に あ た る 。 そ の彼
が、
尊 氏 の 覺 え め で た き 道 宗 の 策 に か か つ て 長 老 の 座 を 虫 る 。 こ れ も 南 北 朝 の 政 變 が 描 い た波
紋 と い う べ き か 。 「 無 智 の 人 」 と は 、 本 格 的 に佛
教 の 學 を 修 め て い な い と い う意
で あ ろ う 。 學 生 骨 に な ら ず 、 深 草 上 人 ヒ 呼 ば れ て 、 本 格 的 な 歌 を よ ん だ 彼 の 作 品 は 、 勅 撰 集 に 五首
の ほ か、
膾 答 歌 が 頓 阿 の 『 草 庵集
』 に の こ つ て い る。
一
16一
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloeま れ に み し 人 め も
今
は む か し に て 野 と な り は つ る 深 草 の 里 〈草
庵 集 〉 秋 の 歌 に く 風雅
V
雜 上 (一
五 七 五 )う ら 枯 る 尾 花 が 末 の 夕 つ く 日 う つ る も 弱 き 秋 の 暮 が た く 新 千
V
雜
下 ( 二 〇 六 八 )秋 果 つ る ひ た の
掛
繩
た え し よ り 山 田 の 庵 に く る 人 も な し 九 品 往 生 の 心 をく
新拾
V
釋 教 (一
四 九 六 )よ し あ し の 人 を 分 か じ ヒ 蓮 花 九 品 ま で 膜 き か は る な り 〈 〃
V
雜 上 (一
五 九 九 )世 の う き め 見 え ぬ 山 路 の 奥 ま で も 秋 の あ は れ は の が れ ざ り け り 八 新
績
古 〉 春 下(
→
七 五 )木 の 下 の 庭 の 通 ひ 路 吹 き 分 け て 風 に 跡 あ る 花 の し ら 雪
雙
救 〔 上 人・
嵯 峨 竹 林 寺 長 老 〕字 は 道 宗
、
初
め 嵯 峨 竹 林 寺 に 住 し た が、
上 述 の よ う に、
足 利 尊 氏 に 從 軍 し、
そ の 權 勢 を か り て、
兄 弟 子 景 空 か ら 師 跡 長 老 の 座 を奪
つ た彼
と 、 尊 氏 と の 間 柄 は ど う で あ つ た か 。 貞 享元
年 (一
は な は だ あ つ し ノ テ タ シ ス 六 八 四)
に 成 っ た 『 淨 土宗
派 承 繼 譜 』 は「、
征夷
大 將 軍 源 尋 氏 崇 信 太 渥 延 元 春 奪 氏 與 二 官 軍一
戰 不 レ 脇 乃 敗 二 北 乎 關ニ
ロ
フ
ル
ノニ
シ テニ
ノ ト 西一
道宗
時相
二 從 之一
尊 氏 還 レ 洛 之 後 奏 二 暦 應 帝一
爲二
深 草 龍 護 主 位一
」 ヒ、
崇 信 の 念 か ら の 論 功 行賞
の よ う に記
し て い る が、
尊 氏存
命 中 に 書 か れ た 筈 の 『 蓮 門 宗 派 』 の 記 事 の 筆 致 は、
む し ろ 逆 で あ る 。 し か し、
『圓
太暦
』 觀 應 二 年 ( = 二 五一
) 正 月 廿 三 日 の 條 に 「 竹 林 寺 長 老 雙救
上 人 來 り 之 に 謁 す 。 雜 談 良 や 久 し 。武
衡 禪 門 ( 直 義)
と 將 軍 と 和 談 の事
、 去 る 十 七・
八 日 の 問 、 夢 窓 國 師 御 媒 介 に て 等持
院
砠 曇 和 筒 示 し 申 さ る 由、
入 道 種 々 告 文 有 り 云 云 」 と あ り、
彼 が 將 軍 の 信 頼 を え、
機 密 に 關 與 す る 立 場 に あ つ た こ ヒ が わ か る か ら、
そ の 從 軍 も 單 な る 陣 僭 ヒ し て で は な く 、和
議 工作
の 要 員 と し て で あ つ た の か も 知 れ な ψ 。 貞 和 四 年 ( = 二 四 八 V 七 月 六 日 、前
關 白 九 條 道 教 臨 絡 の 西 山 派 の 勅 撰 歌 僧一 17 一
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西 山 学 報 善 知 識 を つ と め
、
そ の と き の 和 歌 は 新 千 載・
哀 傷 ( 二 二 五 二)
に 入 集 し 、 そ の 臨絡
の こ と も、
後 日、
中
園 公 賢 太 政 大 臣 を 訪 れ て、
こ ま ご ま と 語 っ て い る 。 九 條 道 教 は 、 も と 三 鈷 寺 の 康 空 示 導 に 歸 依 し、
康 永 元 年 (一
三 四 二 ) か ら 同 四 年 に か け て 毎 夏 、 大 慈 恩 寺 に 示 導 を 招 請 し て、
い わ ゆ る 『 康 永 鈔 』 の 講 席 に 毛 列 し た 人 で あ る が、
そ の 示 導 は 道 教 に 先 立 っ て、
貞 頼 二年
九 月 に 歿 し て い る 。 雙 救 と の 法 縁 は、
そ の 後 に 深 ま つ た の で あ ろ う 。 延 文 五年
( = 二 六 〇 ) 八 月 廿 九 日 歿 。 入 集 歌 二 首 三 縁 院 入 道 關 白 左 大 臣 か く れ け る 時 知 識 に て 侍 り け る 事 を 思 ひ て よ め る 八 新 千 〉 哀傷
(
二 二 五 二)
し る べ せ ぱ 同 じ 道 に も 俘 は で
憂
世 に 殘 る 我 ぞ 悲 し き 般 舟 讃一
到 彌 陀安
養 國 元 來 是 我 法 王家
の 心 を 〈 新 拾 〉 釋 教(
一
四 九 四)
更 に 又 蕁 ね 來 つ れ ど 住 み な れ し 昔 の 花 の 都 な り け り 境 空 〔 上 人
・
後 山本
左 大臣
貴 泰 子(
孫 ) 〕 洞 院 實 泰 の 孫、
公 賢 の 患 で 、 秉 空.
雙 救 と 同 様、
雙
空 の 門 弟 で あ る 。 雙 救 の あ と を 追 つ て、
竹 林 寺・
眞 宗 院 と 晋 住 し 、 同 時 に 歡 喜 心 院・
淨 橋 寺・
遒 仰院
ど 國 師 建 立 の 三 寺 を 兼 帶 し た が・
纃
來
こ の 三 寺 と 西 山三
鈷寺
)
の 間 に あ つ た 確 執 を 改 め 、 三寺
を西
山 の 長 老 仁 空 に 讓 附 し た 。 入叢
三 首 。申
園 入 道前
太 政 大 臣 か く れ 侍 り て 二 奪 院 に て 後 の わ ざ 侍 り し 時、
あ ま た の は ら か ら の 中 に ひ と り 迭 り 侍 り し 事 を 思 ひ て よ め る 〈新
拾 〉 哀 傷 ( 八 七 九 ) 思 は ず よ 夜 牛 の 煙 と の ぼ る ま で ひ ど り 立 ち そ ふ 契 り あ り と は 新 王 津 島 の 肚 の 三 十 首 の 歌 に、
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