都市‑農村関係と都市移住者 : 石川県小松市出身者 を中心として
著者 鯵坂 学, 湯浅 俊郎, 星 眞理子, 吉原 千賀, 杉本 久未子
雑誌名 同志社社会学研究
号 5
ページ 1‑68
発行年 2001‑03‑31
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011949
同志社社会学研究 NO.5,200 1
【共同研究】
都 市一農 村 関 係 と都 市 移 住 者
石川県小松市 出身者 を中心 として
鯵坂 学 湯浅 俊郎 星 真理子
AJISAKA Manabu YUASAToshiro HOSHIMariko
吉原 千賀 杉本久末子
YOSHIHARATika SUGIMOTO Kumiko
目 次
は じめに :共同研究の経過 第 4章 神社寄進 と都市同郷団体
第 1章 都市 一農村関係 と都市移住者 - 小松市今江の事例一
第2章 小松市 と京阪神都市圏への移住者 第 5章 交差する二つの同郷団体
- 大阪加賀浴友会の関連団体を中心として - 小松市矢崎の事例-
第3章 通過儀礼 と都市移住者 おわ りに :共同研究の今後
- 小松市向本所の事例-
は じめに :共同研究の経過
鯵坂 学
この研究 は、戦前 ・戦後期 を通 じて農 山村か ら い う企図がある。 かつて、鯵坂 は中国山地の過疎 都市、 とりわけ大都市へ移動 した都市移住者 とそ の村の調査 で、村 出身の都市移住者 -他 出者が こ の出身地域 との関係 を明 らかに しようとす る試み の過疎の集落-足繁 く通い、地域農業や老父母の である。 大学院のゼ ミナールの フィール ドワーク 生活 を支 えてい る こ とを明 らか に した (鯵坂 を契機 と して、98年 の秋 よ り本年 の春 までお こ 199262-65)。また、東京都市圏で形成 された東北 なって きた共同研究の成果である。具体的 には大 地方や甲信越地方出身者の同郷団体 の会合や行事 阪都市圏に形成 された石川県小松市 出身者の同郷 な どへ、出身地域の町村長や議貞、農協 の役員が 会-の聞 き取 りや、それ らの出身地域である小松 参加 し、故郷への支援 を要請 していることを明 ら 市の旧集落への調査 を共同で 3回、小松市立図書 か にす る こ とに よって (鯵坂 1995、1997)、都市 館や金沢市 にある石川県立図書館 な どへの資料収 一農村関係 の相互浸透の位相 を指摘 した。
集 を個別的に数回ずつお こなった。 今回 とくに焦点 を当てたのは、都市移住者の出 以下の諸論稿 にみ られるように、 これ らの共同 身地域 の集落 における結節 的機 関 (鈴木栄太郎) 調査研究の基礎 には近代以降の都市社会形成過程 である宗教施設 [神社や寺院、墓地 な ど] をめ ぐ
における都市移住者 -地方出身者 による同郷 団体 る関係行為や、そこにおける宗教行事 において取 の意味づけや、移住者 -他 出者 と出身地域 との関 り結ばれる都市移住者の共同行為お よび移住者 と 係、都市 一農村関係の現代 的位相 をとらえようと 出身地域住民 との共同行為である。 具体的には、
1
同志社社会学研 究 NO 001
移住者の故郷 の祭 りへの帰郷や参加、出身地域で 執 りお こなわれる通過儀礼- の参加、そ して神社 やお寺-の寄進、出身地域のお寺の僧侶 を招 いて の大阪市内 における報恩講の開催 な どである。
なお、特別の断 りが ない限 り市町村やそれ よ り も狭域 (例 えば旧行政村や 自然村 ・集落)の出身
52 .,
者が移住 した都 市 で結 成 してい る団体 を 「同郷 使用す る (鯵坂
会
」
とい う用語 で表 し、県 レヴェルで形成 されて いる県人会 とは区別す る。 そ して同郷会 と県人会 を総称す る用語 として 「同郷 団体」
を用 い、 さら に故郷性 とで もいえる地域性 (-場所性) をもつ)
小 ・中学校 (町村 部 や地 方都 市 の高等 学校 を含
1
む)の同窓会 を含 む用語 として 「同郷諸団体
」
を 997。′ 第 1章 都市一農村関係 と都市移住者
鯵坂 学
1 都市移住者 と同郷 団体 せ て きたが、 この都市化 の過程、都市社会形成の 近年、農山漁村や地方出身者 によってその移住 過程 を
L.
ワースを代表 とす るシカゴ学派の見解 としてイメージされて きたアーバニズム :都市性 先 の都市 圏で形成 されている同郷 団体 (Locality-d Asso )に関す る研究の蓄積がみ られ
る。 具 体 的 には、松 本 通 晴、石 原 晶家、安 斎 伸 な関係 の優位 として とらえて よいのか とい うこと ions
it ca
base ・都市的生活様式の一方的展 開や浸透、第 2次的
[社会学]、岡橋秀典、篠原重則、田島康弘 [地理 である (鈴木広 1987)。つ ま り移住先 の都市 にお 学]の 日本 の都市 同郷団体 についての研究や、加
藤剛、山下晋司、松 田素二、和崎春 日、吉原和男 [社会人類学] らの海外 における同郷 団体 やエ ス ニ ック集団、都市 一農村関係 の研究がある。
小論 はこれ らの諸研究 をふ まえ、都市移住者お よびこれ らの人々が形成 している同郷 団体 と、出 身地 との関係 に焦点 を当て、現在 における都市 一 農村関係 を検討 しようとす る ものである。
都市移住者 と同郷 団体 に関す る筆者の基本 的視 点 は、第1に国際的、国内的な移動や定住 あるい
ける同郷的関係 [さらにエスニカルな関係]や家 族 ・親族 関係 な どの1次 的関係の もつ意味 を位置 付 けたいのである (鯵坂 200 0)。第 3に、移住先 の都市での社会関係 とは裏腹 のベ ク トル として、
都市移住者 とその出身地域 :農 山村 との関係 の意 味 について検討 を加 えようとす る ものである。 同 郷 的関係 やその結晶である同郷 団体 は都市 におけ る都市社会形成の媒体 となっているだけでな く、
都市移住者 と出身地域 との媒体 にもなっているの である。 つ ま りそ こには都市 一農村 関係 の一つの は 「土 着 と流 動」の あ りよ うを、普 遍 的 でGe 媒体 としての同郷 団体 の存在が浮かび上が って く
るのである。
- ihc
l t ll hf
sesca な関係 か らだ け で は な く特 殊 的 な il
soca i
sozal・ な要因や、 さらに個別的な状況か ら
もとらえようとす る ものである。 第 2には ヒ ト、 題 については、別項 で も触 れてい るので (鯵坂 ところで、同郷団体 と都市移住者 の理論 的な問
モ ノ、 カネ、情報 な どの移動 ・流通 ・伝播 による 1995)、以下 で は全 国調査 において判 明 した同郷
。
都市化 の進展 は、その都市 自体の社会構造 ・社会 会の状況 と、石川県 を中心 とした北陸三県の同郷 諸団体 の状況 について鳥轍 してお く
関係 ・社会的性格 ・社会的ネ ッ トワークを変化 さ
2
2 全 国の同郷会 の現状一全 国市区町村調査 を中 心 に-
全 国市 区町村調査 (以下、全 国調査 と呼ぶ)は 1995年の夏か ら97年 の秋 にかけてア ンケー ト票 を郵送す る とい う方法 でお こなわれ、2654の市 区町村か ら回答 (回答率8.%)15 をえた。出身者 に よる同郷 会 (県 人 会 ・同窓会 は含 まない)が
「有 る」 こ とを把握 してい る 自治体 は41.% 5 [市 部 :3.%00 町村 部 :4.%]で あ り、町村 部 を46 中心 にかな りの 自治体 の出身者が移住先の都市で 同郷会 を結成 していることが判明 した。そ して、
別稿 で明 らか にす る予定 で あ るが、1890もの 同
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都市一農村関係 と都市移住者
郷会の存在が確認 された。地域的には偏在 をみせ てお り、比率が高い ところをあげる と、北海道、
東北 (青森 を除 く)、信越、北 陸、中国の 島根、
四国の高知、南九州の諸県が際立 っている (図表 1-1)。 ところで、後 述 す る石 川県 の事例 や石原 昌家 に よる沖縄 県 那 覇 市 にお け る研 究 (石原 1986)、筆者 の新 潟県 や沖縄 県八重 山地方 の 出身 者の調査 か ら見 て も、実際 には もっ と多 くの市町 村 の出身者が移住先の都市で同郷団体 を結成 して いることが判明 している。 調査票 による郵送調査 の限界であるが、 自治体側 の姿勢 な どによ り同郷 会の有無の把握がなされていない場合がかな りあ
・
」ノ
図表 1 -1 都道府県別 にみた市区町村出身者の同郷会の結成率同志社社 会学研 究 NO.5,200 1
図表ト7市町村別の団体数の分布
実数
(市部 ) (%) の県庁所在都市や山村町村部の出身者が金沢市 な ど
1つ 2つ 3つ 4つ
富 山 1
(14.3) (42.39) (28.26 以上 1 ) (14.3)(100.7 石 川 (40.20) (20.0) 1 (20.01) (2 1 0 5 )
福 井 (25.0)1 (50.20) ( 1 0.0)
0
(100.0 4)3県 合 計 4 (25.0) 6
(37.5) 25.04 (25. ) (0.0 )
2 (100.0 )
16
である石川郡鶴来町 の諸集落の最寄 りの結節地 形成 していることをとい った町村部で も同郷会 を
確認 してお きたい。
同郷会が どの範域 の出身者
を見 る と (図表 1-9)、市 で形成 されているか の一部 を除い て、市全 域 で部 で は富 山 ・石 川両県 い。 こ 形 成 され た ものが多 であるが、町村域 よ り狭域 の出身者で会れに対 して、町村部では特 に石川県 に顕著
1つ 2つ 3つ 0) (12.5) (100.0 )
富 山 5
(33.3) (60.0) 9 (6.71 4つ以上 ) (0.
0
0) (100. 15石 川 (35.70) (40.0) 8 (15.30) (10.20 20 )0 福 井 (77.78) (ll.11) (ll.1) 1 (0. (00)) (1l 00.09 3県 合 計 19
(43.2) 18 (40.9) 5
(ll.4) (4.25 oo.0 )
44 ) (1
ている ものが 2割弱 もあることは注 目にを形成 し これは、旧行政村や集落単位 で同郷会が値す る。
4ていることを推測 させ る。 形成 され 石川県出身者 の同郷 団体-加能 入社 編県人会連合会芳名録
』
よ り- 『石川 石川県出身者の同郷諸 団体 を束ねた組織 とし )図表 1-8同郷会 が 全 国石川県人会連合会があ り、その事務局が東京て 東衷圏 京阪神都市 圏 中京圏 都道府県庁所在地どの都市 圏にあるかその他の都市圏 町 村
富 山 10
(58.8) *6
(35.3) -
- -- - 1 17
石 川
4
(36.) 4 (54.65) 1 - -
- (5.9)
- (100.0) ll
福 井 3
(37.5) 4
(50.0) (9.1) 1
(12.5) --- - -
- -
-
-
(
10 0 . 0
) 8 (100.0)3県 合 計 17
(47.2) 16
(44.4) 2
(5.6) -
- -- (2.8 1 36
東衷圏 京阪神都市 圏 中京圏 都道府県庁所在地その他の都市圏 町 村) (100.0)
富 山 14
(53.8) *10
(38.5) 1
(3.8) 1
(3.8) -
- -- 26
石 川 (40.189) (38.176) -- (13.) 66 1 2 ( 10044 .0 )
6(市部 ) 00.0 ) る。 また、石川県の
鯵坂 ・湯 浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都 市 一農村 関係 と都 市移住 者
図表ト9 どの地域 の出身者 で結成 され てい るか 実数
(市 部 ) (%)
市全 域 市域 の一部 広 範 囲 域 よりN.
富 山 13 2 A
(76.5) (ll.8) (5*.91) (5.91.)(100107 .
石 川 (81.98) (9.11) -- ( 1 ll)
福 井
( 1 ( 泊.
8 - - 9.-1) (100.0 )8 3県 合 計 30
0)
-3 - - (1000
.)8.3 .
(3) (83) (2.81) (.) ( 06 562 103.
町村
全域 町村域の一部 町村域り広範囲よ N 0 )
富 山 21
(80.8) (7.27) (3.*18) .A 2 (7.7.)
( 1 0
026.0石 川 32 (72.7 8
) (18.2 1
) 3 44
福 井
(
10
01.20) -- (2.3 -) (6.8-)
( 1 0
0.012 3県 合 計 65
(79.3) (12.102 - 2
) (2.4) ( -5 ( 100.0 )
82 )
)
富 山県 黒 部 市 と 6.)
( 0
.)* 1 100
「関西黒部 会」 と宇 奈 月 町 出 身 者 で 作 られ て い る 計 の両 方 で二重 にい う団体 が 、市 部 集計 、町村 部 集
都 中央区にある。 会長 は加賀百数 え られ てい る。
た前 田家の当主である、前 田利万石の大名であっ 連合会の名簿である 『芳名録』祐氏であるが石川県金。 この ある加能入社1)よ り出 されてい る。 この 沢市 に は、東京 をは じめ各地で活躍す る石川県芳名録 に 名簿が掲載 され、その後 ろに全 国石川県人出身者の 会 をは じめ292の同郷諸団体の名簿があ 会連合
いる加能入社の協力 をえてこれ らの諸団体 を、県人。 げ られて 会、同郷会、同窓会、その他 [ほ とん どは、
の会]の 4つ に種別 してみ る と、図表11-0の趣味 うになる。 その内、同郷 会 は合計 で
8 7
団体 が認よ図表 1-10
県 人会 84 (芳 名鐘 の分類全 国連 合会 を含 む)
同 同郷 会窓会
その他 11875
図表 計1-11芳名銀 に あ る同郷会2962
東京 ..関東地方
大 阪 京都 .近畿地 の所在 地34 方
中
中部 地方国 .四国 .九 502
州
北海道 .東北 地方計 8
0 1
芳名録 の把撞図表 87-11 2 芳名 7
録 と全 国調査 の布置 図 め られ、 これ らの会が形成 され
大阪や京都 な ている都市圏は、
どの近畿地方が4 (90 、中部 地方 が
5 0(75
2、東京、北 や関東 地 方 が 3 3.%)5.%)
海 道が 1となってお り、地域的構成比 は全 国調査の もの よ り、京阪神 圏の比重が よ り高 い (図表1- 11
同志社社 会学研 究 NO.5,200 1
把 握 され て い る もの が48団体 もあ る。 こ う し て、両方の資料 か ら、石川県 には少 な くとも103 の同郷会が形成 されていることが判明 した。その うち、約15%の会 は全 国県 人会連合会 には加盟 していない2)。
5 おわ りに
全国調査以降 に取 り組 まれたこれ らの共同研究 の現地調査 や資料収集 によって、後述す る小松市 周辺地域 に形成 された 「小原会」や北海道帯広市 における 「加賀団体
」
(加賀 開拓 100 年記念事業協 賛 会、1998)な どさまざまな集 団 ・同郷 的 ネ ッ トワ-クが存在 していることが明 らか となった。 この ように、移住 した都市圏 [少数であるが、農村地 域 にもある]で、多 くの地方出身者が同郷的な関 係や集団 を維持 していることが分かる。
[注]
1)加 能 入社 [社 長 :高 島誠] は石 川県 に根 ざ した 出 版社 で、戦前 1937 (昭和 12)年 か ら月刊 の地域誌
『加能人』 を発刊 してい る。
2) この こ とは同郷 会 と県 人会 は親和 的 な関係 を持 ち なが ら も、別 々 の 集 団 的 形 成 の 契 機 を持 っ て お り、同郷 会 は必 ず しも県 人会 の下位 団体 ・構 成 団 体 で は ない こ と示 して い る。 この よ うな こ とは、
関東新 潟県 人会 で もみ られた (鯵坂 1997)0
第
2
章 小松市 と京阪神都市圏への移住者一大阪加賀浴友会の関連団体 を中心 として -
1 は じめに
本章 は、農 山漁村や地方都市か ら大都市 圏へ の 移住者 について、移住先 において、同郷 であるこ とを契機 に して結成す る同郷会 を中心 に次の視点 か ら捉 える ものである。
まず、人 口移動の動 向について見てみ る と、戦 前 の 1920年 か ら 1940年 までの 20年 間 にお け る 純増加 は、南 関東で は 259万人、京阪神 で は 212 万人であった。その動 向は、戦後 になる と、1947 年か ら 1970年 に至 る 23年間で、南関東 は 623万 人、京阪神 では321万人 と激増 してい る (黒田 1979)0
宮本憲一 は、 この ように大都市社会が進 んだ戦 後 の都市化 の背景 として 「高度成長の過程ですす ん だ産 業構 造 の変 化 と農 業 の機 械 化 ・省 力 化
」
(1980: 205)をあげている。 周知 の こ とと して、
戦後の 日本社会 は、産業構造の大転換 を達成 して
8
湯浅 俊郎
い る。 その大転換 は、「戦後 の 日本 で は、農業従 事 者 の急速 な減少 とそれ に代 わ る被 雇 用 者 の増 大、産業構造の側 か ら見れば、第 1次産業か ら第 2次、第3次産業- の急速 な構造変動 が高度経済 成長 を通 じて進行 した
」
(苅谷 2000 : 9)もので ある。 この構造変動 は 「農村 か ら都市への地域 的 な人口移動 と、農業出身者か ら雇用者への社会 ・ 職業的 な移動 との同時進行 に よって もた らされ た」
(苅谷 2 X: 1)∝
) 0 のである。 その ような状況 のなかで、「日本全 国の 中で一方 におい て人 口 を 他地域か ら奪 い取 る有力 な地域があ り、その反面 において人口を排 出 しなければな らない弱体 な地 域が存在す る とい う実態があ った」
(総務 庁統計 局1990:8)ことが指摘 されている。
この ような、産業構造の変動のなかで、大都市 圏 において は、1960年代 前 半 まで、重化 学 工業 の先端 を走 って生産的労働者 を増大 したが、それ
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都市一農村関係 と都市移住者
以後、 と くに 70年代 にはい って工場 の分散 が は じま り、それ にかわって、中枢管理機能の集 中に ともなうホワイ トカラーが増大す るのである (宮 本 1980)。
1980年代 以 降、 日本経 済が世界 シス テ ムの 中 核 としての位置 を確立す る と、 日本経済の グロー バル化 を通 じて、中枢管理部 門の東京への一極集 中が進展す る。 また、 この グローバ リゼーシ ョン の進展 によ り、外 国人労働者の流入が増加す るの である。
本章 は、 まず、都市移住者の出身地域 の地域編 成 に焦点 をあてて、対象 とす る都市移住者が大都 市圏へ移住 した時代 の出身地域 における背景 につ いて分析す る。 次 に、対象 とす る都市移住者が移 住 した出身地域 における背景 と、その都市移住者 を受 け入れた時代 の移住先 における背景 を重ねあ わせて、農 山漁村や地方都市 か ら、大都市圏への 移住者 が移住 した要 因 につ い て考 察 す る。 そ し て、対象 とす る都市移住者 によって結成 された同 郷会の実態 について説明す る。
対象事例 として、京阪神都市圏における小松市 出身の都市移住者 をと りあげる。 その都市移住者 による同郷会の対象事例 として、京阪神都市 圏に おける同郷の公衆浴場業者が 中心 となって結成 し た大阪加賀浴友会 と、その下位単位 (旧集落)の 同郷会 をと りあげる。
2 小松市の地域編成 2.1小松市の地域編成 について
まず、小松市の合併経緯 について見 てい くこと にす る。 図表 2-1を見 る と、1940年 に能美 郡小 松 ・安宅町 と粟津 ・自江 ・苗代 ・御幸 ・牧 ・板津 6ケ村 が合併 し、市 制 施 行 に よ り小 松 市 とな る
(人 口 50977人 〔国勢 調 査〕)。1955年 に、江 沼 郡那谷 ・矢 田野2ケ村 と月津村 の一部、能美郡 中 海村 を (人 口 72378人 〔国勢調査
〕 )
、1956年 には能美郡新九 ・大杉谷 ・金野 ・西尾 4ケ村 と国府 村 の一部 を、近年 で は 1979年 に能美郡寺井 町の 一部 を編入 している。
1995年 の国勢調査 に よれ ば、小 松 市 の人 口は 107965人で、そ の人 口の動 向 は、各年代 の時点 の市域 では、戦後 か ら増加傾 向 にある (図表 2-2 -A)。特 に、 1950年 (人 口 63201人 〔国 勢 調 査
〕 )
か ら60年 (人 口 89085人 〔国勢 調 査〕 )
に か けて、小松 市 の人 口増 加 は顕著 で あ る。 しか し、1953年 か ら 1959年 の人 口の転入 ・転 出の動 向 を見 る と (図表 2-2-B)、 どの年 も転 出が やや 多い とい う状況である。 その ことか ら、その顕著 な人口の増加 は、主 に市町村合併 による ものであ る。小松市 の人口移動 について転 出動 向 を見 る と次 の とお りになる。小松 市市制 20周年記念誌 に よ り、1959年 において転 出先 と して多 い都 道府 県 を順 に並べ る と、大阪府、東京都、京都府、福井 県、富 山県、兵 庫 県、愛 知 県 とな る。 図 表2-3 よ り1965年 と 1970年 において、小松市 か ら大阪 府-の転 出者が最 も多い。 しか し、小松空港の東 京- の定期便 の就航 (1963年 に就航、1973年 に は、ジェ ッ ト機就航) と、東京への一極集 中の進 展 に よ り、1975年以 降、東 京都 へ の転 出者 が最
も多 くなる。
次 に小 松 市 の産業 の動 向 につ い て、小 内類 型 (小内 1996)による と、次 の ような展 開 を してい る。 小松 市 の産業構 造 は 1955、60年 におい ては 価値生産部 門複合型 で あ ったが、1965年 か ら90 年 においては工業主導型へ と展 開 している。 1995 年の国勢調査 における小松市 の産業別就業者の割 合 は、第 3次産業の就業者の割合が最 も多 くを占
5. ( 7
め (51%)、次 い で 第 2次 産 業 の就 業 者 41.
%)、第 1次産業 の就業者 (.%)の順 となって32 いる。その中で も、小松市 においては第2次産業 である製造業の就業者が もっ とも多 く全産業の就
9
同志社社 会学研 究 NO.5,200 1
図表 2-1 市町村沿革表
(「角 川 日本地名大辞 典」 編纂委 員会竹 内理三 、 1981『角 川 日本 地名大辞典 17 石 川県』角 川書 店 よ り作 成 ) 有GU・町村激務行以静 1889 (労r D 2 tL2)卒 4月 IB 合併超 過
能美郡 小松 町 安宅 町 12村 が合併
- 江 ノ島村へ (根上) 1950.10
回 ・串茶屋 ・村松 串 村
松 崎
・ 直丞
・匿 要 ・浜佐 美- 末佐 美村 5村が合併 今江村沖杉村.
10自江村- 自木村 .1:.2,1' 97.
6
4村が村が合併合 日江村-(金8.5
5村 が合併 千針村高 田 板 屋 )
8村 併 田川村村 1907 8津粁-..5 8村 がが合併 本所村
向本所
浅井
蓮江 村 木津村村
19
1900粟津苗代 村77858 5村 14.9小松 市0 島 ・符津 ・合併合合併併 木馬 ・津波倉 ・ 粟津村 連 語 *8霊 1御 幸0...
.
4村 が村 が 11 97 8村..
5
9蓑輪 地方 言
江 沼郡 よ り那谷 村 ・矢 田野村 ・月津村 (柴 山 を除 く) 1955.4.112.1
<他 9村 > 1956.9.30
(977.9.1
91加 賀市5.5 5 1 加 蛋市1(一部 )797加19(7賀市一部)7一部) 9 1 .. 虜 有町. . 村
1 京都 にお い て も、 日末 身の公 衆浴場 業者 に よって結 成 され た同郷 会が あ る (現在 活動休止 中) ) 出
*口 でか こんだ ところ は、大 阪加 賀 浴 友 会 の下位 単位 の 団体 の会 員 の 出 身地域 で あ る。 ( 6.1
図表 2-2-A 小松 市 の
人口数 人 口動 向
120000
6
5
9
142 006800000000000000000000 S
1947年1950年1955年1960年1965年1970年 1975年1980年1985年 1990年1995年
1953年 出生7 10 死亡397自然増340 1転 入,171転 出16 1,2 社会増-510増加-14 1954年 994 526 468 2,40 1 2,224 -18 1955年 1,407 535 512 1,855 1, ,3 28 1956年 1,119 631 488 924 -69 433 1957年 1,435 844 50 21 2,,49077 2,8 31,316 -39 44 1958年 1,05 1 789 7122,270 07 -629 -12
T-
系列 j l
注)小松 市 市 制 50周 年 記念 誌
、 1995年 の 国税 調査 よ り作 成 (各年代 の時点
の市域 の人 口) 業
者総数 の内 32.7%を占めてい る とい う現状 で あ
る。
10 図表 2-2-8 小 松 市 に お ける人 口 の 自然 動 態 と社 会動態
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都市一農村関係 と都市移住者
機械 の鉄工業 な どが地場産業 として発展 している (東洋経 済新 報社 1998)。 また、石川県 の補助対象 をハ イテ ク産業等 とした企業誘致政策
(
「先端産 業 等 の立 地 の促 進 に関す る条例」
1983年 制 定) によ り、小松市周辺地域 においてI C
関連、電子 部 品関連 な どの工場が新規 に進 出 してい る (佐々 木 1992)。また、小松市 においては、空港 ・高速 道路 (北陸 自動車道)・JR線 な どの交通網 をいか して、産業団地の造成事業 などが推進 されている (東洋経 済新報社 1998)。この ように小松市の産業構造が展 開 してい く中 で、1980年代 以 降の グローバ リゼ ー シ ョンの進 展 とともに、次 の ような動 向が見 られる。 その動 向 とい うのは、近年 において、 日系 ブラジル人 を 中心 に外 国人労働者が、製造業 (機械 や電子部 品 な どの加工組立型工業) に就 いて、小松市 に流入
しているのである (横浜市立大学 1999)。
この地方都市である小松市 の外 国人労働者 の流 入 は、中枢管理部 門の東京へ の一極集 中の展 開 と
ともに、東京や大都市 圏 (管理営業部 門、研究部 門等 の中枢管理部 門 を担 う部 門)一地方 (生産部 門 〔工場
〕 )
とい うヒエ ラ リヒ ッシュな地域編成 が強め られてい った結果である と考 え られる。つ ま り、その地域編成 によ り、全般的 に地方 に おいては、東京や大都市圏な ど中央の大企業系列 の工場が立地 し、地場 の企業 はこれ らの下請 け企 業 となった。その ような動 向のなかで、 グローバ リゼーシ ョンの到来 によ り、地方 において、安価 な労働力 (外 国人労働者)が求め られるようにな ったのである。
各年度 の国勢調査 によれば、石川県全体 の外 国 人数が、3087人 (1980年)、3268人 (1985年)、
3834人 (1990年)、4942人 (1995年) と増 加 し ているなかで、小松市 にお ける外 国人数 は、354 人 (1980年 )、366人 (1985年 )、343人 (1990 午)、640人 (1995年) とい う動 向 を示 して お
り、入管法が改正 され た 1990年以 降、小松市 の 外 国人数の増加 は著 しい ことが分かる。 小松市 に 流 入 してい る外 国人の国籍 の 中で も、1995年 の 国勢調査 によれば、小松市 におけるブラジル人の 割合 は、石川県全体 のブラジル人 698人の内 296 人 (244.%)を占めてお り、小松市 において、ブ ラジル人が集 中 して労働移動 していることが うか が える とい う現状 である。
2.2 小松市 の産業構造 にお ける工業主導型 の展 開 につ いて
小松市 の地域構成の転換点 は、その産業構造が 価値 生産部 門複 合型1)か ら 1965年 に工 業 主導型 へ と展 開 した時期である と考 え られる。 その理 由 として 1965年か ら 1990年 まで、小松市 の産業構 造 は工業主導型 の まま推 移 してお り、1995年 の 産業別就業者 においては、全産業のなかで製造業 の従事者が 占めている割合が多いか らである。 そ の ことか ら、 この産業構造 の変動が、現在 の小松 市の地域構成 に も、ある程度の影響 を与 えている
といえる。
まず、小松市 の産業構造 の価値生産部 門複合型 か ら工業主導型への展 開においては、次 の ような 背景があ る。 その背景 とい うのは、「もともと石 川県で機械工業がぼっ興 したのは、繊維工業の発 展 による もので、 これが繊維機械 の育成 を促 した のだ。その後、鉱 山機械 か らブル ドーザ ー に転 進、建設産業機械 では大手 にの し上が った小松製 作所や、 自転車チェー ンの全 国生産の半分 を押 さ える大 同工業や、オ リエ ンタルチェン工業 などを 生 んだ。特 に著 しい傾 向 として注 目されるのは、
繊維機械工業の非繊維機械部 門への進出である。
これは大手、中小企業 を問わず、近年その方向 を 強化 してい る
」
(『週 間東 洋経 済 第 3172号』 臨時増 1964年 6月 18日 : 80)とい う動 向である。特 に、繊維工業 の展 開 について、佐 々木(1992)
ll
同志社社 会学研 究 NO.5,2(氾1
片
は本稿 の対象地域 (大 阪加賀浴友会 の会員 の出身地域)
⊂
)◎
は大 阪加賀浴友会 の会員 の出身地域
れる。
3.2 出身地域 にお ける移住要 因 について
先述 した地域 において、京阪神都市圏への移住 者が多い中で、それ らの地域出身の都市移住者 に よって結成 された大阪加賀浴友会 (京阪神都市圏 の公衆浴場業者 による同郷会)3)の会員数 の動 向 を見 てみ る と、戦後復 興期 (1950年)か ら高度 経済成長期が始 まる時期 (1962年) にか けて会 員数の増加が著 しいことが分かる (図表 2-5)。
14
つ まり、小松市の産業 においては技術革新がお こっている時期 に、大阪加賀浴友会の会員が急増 しているのである。 そのことか ら、小松市 におけ る当時の雇用状況なども考慮 しなければならない が、大阪加賀浴友会の会員が、京阪神都市圏へ移 住 した要因の一つ として、小松市の産業構造の工 業主導型への展開過程のなかでおこった技術革新 があげられる。
′
この技 術 革 新 につ い て、氏 原 ・高 梨 (1971) は、生産技術の進歩 によ り、技術の変化 は急速で
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本:都市一農村関係 と都市移住者
図表 2-5 大阪加賀浴友会会員数の推移
1950年 1962年 1974年 1983年 1988年
総会員数 76 248 319 3 1998年
浴場業に従事 している会員 67
(88.2) 240
(96.8) (92880.3 361 02 355
281 305 223 浴場業以 ) (83.7) (79.2) (73.1)
外の職業に従事 してい
る会員 (7.69) (3.2) 8 (620.3) (ll4. 41 54 78 職業不明 (敬) 3 - ll 18 ) (15.22)0 (25.6)4 注)各年度の大阪加賀浴友会の会員名簿より作
大 きくなった こ とか ら、「たえず それ に適応 成 して い くための よ り大 きな適応力、 また複雑 な生産技 術 の体系 と巨大 な管理機構 のなかで労働す るため
の規律 と責任 が必 要 とされて きた
」
(32)と指 し、「この ような能力 は、旧来 の短期 間の簡 摘基礎教育 と長い徒弟的訓練 によってではな く、長 素養 を前提 として獲得 され教養 と基礎 的な技術 的 32)と述べ てい る
」
(氏原 ・高梨 1971:る。
い基礎教育 による高い一般 単 な
小松市の産業 における技術革新が、移住 の要因 であることは、次の対象者の話か らうかが え
る。
加賀浴友会 の会貝 であ る Y氏 は、大 阪の公衆浴 場業へ参入す る時の話 として、「思 えば父 が大 阪
に来 たのが昭和33年、52歳 の時。 ガラ紡 と 撚糸業が時代 とともに衰退 し、 日雇い労務 をい う
な くされ た頃 〔下線 -筆者補注〕、親戚 か ら余儀 子 にフロヤ をどうか
』
と話 しがあった--が 『息 心のつかない息子 に 『ワシで もいいか』 と頼 、決んでの上阪だった。その後脱サ ラで父の後 を追 っ 頃 だ った
」
(大阪加賀浴友会 19 長 の は し りの 念』: 50)と述べ てい 98帽I J立 50周年記る。
て来 たのが昭和35年。高度経 済成 み込
したが って、大阪加賀浴友会の会貞が移住 した
要
要因 として、次 の ことがあげ られる覧24 。 小松市市勢 面積 は 3,(3991204町で、 この上 に)年版 にお い て、小 松 市 の農 用 地4,839の農家 が零細
7反 6畝 とい う狭隆 さで農業 に専従す るには積 は りに耕地が不足 であ り仝 農家 中 54%が兼業 あ ま 農家 である とい う報告がある。その ことか ら、移住
す る要因の一つ として、農業の経営規模 の拡大が困 難であ った こ とが あげ られ る。 また、「小松 で
もうけ
と夏苦労 して野菜 をつ くって も高 くて 7、8万 円ひ るだけ。 しか し、ふ ろ屋 は 1ケ月で楽 に 8 万 円の利益 が あ った
」
(北 国刊)ことか ら、産 新 聞 1991.1.21朝 の衰退があげ られ業構造 の変動 による第 1次産業
る。
そ して、前述 したように、産業構造 の変動 いてお こった技術革新 によ り、長い基礎教育 ににおよ る高い一般教養 と基礎 的な技術 的素養 を前提 と る (氏原 ・高梨 1971)専 門的知識が必要 と す
ように される
な った こ とか ら、社 会 的上 昇移動 にお い て、学歴 な
考 え られる どによ り一定の機会 一制約 を受 ける と これ らの ことか ら、地方都市 ・。 小松市 におい 大都市圏 との地域格差 と、小松市の地域 内に て、
る格差 とい う 2つの格差が生 じた と捉 え られおけ 大阪加賀浴友会の会員の場合、家 ・屋敷地 る。
畑 を売 り、それ を資本 に して、公衆浴場業のや田 者 として移住先の都市 に参入す る場合 と、同郷者経営
な農業活動 をお こなってお り、1戸平均 の面
NO
業資金 を貯め、独立 して公衆浴場業の経営者 とな る場合がある。 そのことか ら、個人差 はあるが、上 述 した要因が組み合わさって、大都市圏 と地方都 市 ・小松市 との地域 間連関におけるヒエ ラリヒッ シュな地域編成の進展のなかで、社会的上昇移動 の手段 として、大阪加賀浴友会の会貝 においては、
大都市圏の公衆浴場業へ参入 した と捉 えられる。
また、戦後、その都市移住者が、大都市圏の職 業の中で、公衆浴場業 を選択 した要因 として、衰 退化の傾向にある農業や撚糸業等か ら他業種-の 転業の場合で も、公衆浴場業 においては、仕事 に
5 . 同志社社会学研究 ,200 1
は、大都市住民の 日常生活のなかで、公衆浴場の 需要が高 く、移住先 において対象 とす る都市移住 者の定住 を促進 させ る状況 にあったことは、次の ことか ら言 える。
大阪の人口動向を見てみると、戦後復興期 にお いて、大阪の人口は急増 して 1955年 に戦前 の水 準 に回復 してい る (図表 2-6)。特 に、戦後復 興 期 における大阪の住 宅難 については、
「 3
畳 以下 のいわゆる過密住宅は、戦前の 16年 に 24万 2000 戸、23年 に16万5000戸、28年 に24万5000戸と推移 し、総戸数 に占める割合 はそれぞれ戦前の 要する技術 の習得の問題が次の ように容易 に解決 .%、50 1.9%に増大 した。一方、バ で きた か らで あ る と考 え られ る (湯浅 1999、 ラック家屋が林立 し、スラム化 につながる不良住
6 .
39 %か ら50
2
まず、公衆浴場業の場合、1ケ月かあるいは数 が、29年 には649地区 とほぼ2倍 に増 えた
」
(新 ヶ月 とい う比較的短期 間で、仕事 に必要な技術 を 修大阪市史編纂委員会 1992F新修大阪市史 第8巻』(X氾)。 宅地 区 は、戦前 の 12年 に 333地 区 に数 えていた
習得す ることがで きた4)。 さらに、公衆浴場業 に おいては、条例 による施設の立地条件 として、地 域の偏在 を避けるために、公衆浴場の施設間は、
ある程度離れていなければならない とい う距離制 限があ り、入浴料金 は物価統制令の適用 (都道府 県知事が権限を持つ) を受 けている。 そのことか ら、公衆浴場業 は過当競争が避け られ、営業面 に おいて駆引 きをあま り必要 としない業種である。
また、先程述べ た距離制限や、物価統制令の適 用 に加 えて、公衆浴場業 は 日銭商売であることか ら、大都市 圏 に移動 して期待 され る収 入 に関 し て、ある程度 目途が立 った と言 える。
3.3 移住先 における移住要因について
大阪加賀浴友会の会貞が、戦後、京阪神都市圏 の公衆浴場業-参入 した要因 として、戦前 におい
大阪市:
ら、公衆浴場 は、大都市住民の 日常生活 における 社会的共同消費手段の機能 ・役割 を持つ もの とし
て必要 とされ、その需要は高かったのである。
また、移住先 において、大阪加賀浴友会の会貞 の定住 を促進 させた もの として次の要因があげ ら れる。 その要因 とい うのは、「敗戦直後 の イ ンフ
図表 2-6大阪にお ける人口動向
142)とい う状 況 で あ った。そ の こ とか
∝〉
(… 10
00棚
て も、出身地域か ら京阪神都市圏の公衆浴場業へ 930 1
25 1935 1947 195
940 1598 1690 1 大阪大阪府市域 96
5 1 5 97 7910 95 1810 985 11990 19
1920 1
の就業移動があったことがあげ られる。 また、大 阪加賀浴友会の会貞の主 な移住先である大阪の状
注)F第 84年代回大阪市統計書 995
況 について見てい くと、特 に戟後復興期 において 度 大阪府統 平成 8年版』、r平成八年
16
レ対策の一環 として実施 された地代 ・家賃 の統制 や、土地 ・家屋 に関す る税負担 の増大が、貸家経 営 を絶 望 的 に した
」
(新修大阪市史編纂委員会 1992:142)ことか ら 「貸家経営 を してい る場合 で も採算割れ による経営難や生活難か ら貸家 を手放 す 人 もあ っ た」
(新修大 阪市 史編纂委員会 1992:142)とい う事象である。
特 に戦前 、大都市 圏の公衆浴場業へ の参入 にお いては、現業労働 である釜焚 きな どか ら始 めて、
そ こで創業資金 を貯 めて独立す る場合 や、最初 か ら経 営 してい く場 合 で も、地 主 が所 有 して い た
「貸 し風 呂 (借 り風 呂)」を借 り、そのなかで資金 を貯 めて 自己所有 の公衆浴場 を経営す ることが多 か った。
しか し、上 述 した よ うに、戦後復 興 期 にお い て、地 主 が、所 有 して い た 「貸 し風 呂 (借 り風 呂)」を手放す ようになる と、事例 にあ げてい る 都市移住者が、出身地域 の家 ・屋敷地や田畑 を売 却 して、それ を創業資金 とし、最初 か ら自己所有 の公衆浴場 の経営 を始 めた事例がかな りあった。
大 阪加 賀浴 友 会 の会 員 で あ るS氏 は、戦後復 興期 に、大阪-移住 して きた時 の話 と して、「親 せ きの反対 を押 し切 って先祖伝 来の田畑 とねん糸 工場 を売 り払 い、 ドンゴロス袋 に詰 め込 ん だ 75 万 円で池 田市 に銭湯 を買 った。燃料不足 をみて と るや近 くの山を月 3万円で契約 し、弟 たちの銭湯 に も次 々手付 けを打 った。銭湯が空 き家 だ らけだ ったこの時代 、家主 は競 って 1等地 の物件 を売 っ たのである
」
(F北国新聞』
1991.1.20 朝刊)と述べ ている。大 阪市 にお け る住 宅 の所 有 関係 の推 移 を見 る と、戦後 、大阪加賀浴友会の会貝が急激 に増加 し ている戦後復興期 か ら高度経済成長が始 まる時期 にお い て、借 家 は減 少 してい る (図表 2-7)。事 例 にあげている都市移住者 の動 向か ら、その時代 において、都市化 とともにお こった社会層 の分化
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都市一農村関係 と都市移住者
所有関係別住宅 住宅総数 持家 借 家 数 1941年 631,863
(100.0 )
55,685 (8.8 566,6
92
) 給与住宅
94,491 1948年 333,
( 1 0
210.50) 82,9 72 236,(8399.70) (15.013,853 1950年 392,729
(24.9 140,003
) 229,(70.6799
) 23,(054.24 1953年 472,
( 1 0
0000 .0(100.0 )
(35.6 208,000 (44.1
) ) 24(158.,0005
) (51.1) (5.9 23,000 ) ( 1955年 502,
( 1 0
780.60)227,(45.1722) 251,436 4.924,178 1958年 580,000
(100.0
264,000
) (45.5 287,(5000 0.0
) (49.5) 29,(0 4.8 00 ) (5.
)
) )
)
) 荏)新修大阪市史に掲載の住宅所 0)
成、1941、48 有関係の推移より作 編 、50年の数字は 1950年に大阪市に
入 され る 6ケ町村 を含 まない。
のなかで、都市移住者 (地方 出
家屋 を所有 し、都市 身者)が、土地 ・
と 自営業者層 として台頭 したこ
でが うかが えることは留意 しなければな らない点
4ある小松市 出身者 による都市同郷 団体 5)。
4.大阪加賀浴友1 大阪加賀浴友会について
部 の 9旧集落出会 は、主 に小松市南部 と加賀市北 に よって結 成 さ身の京阪神都市 圏の公衆浴場業者 照)。大 阪加賀 れ た 同郷 会 で あ る (図表 2-4参 浴友会 は、現在 にお い て も、会員 の中か ら大阪府公衆浴場
員 を輩 出 しているように業環境衛生 同業組合へ役 の公衆浴場業界 において、その同郷会が大阪府下
まず、大阪加
賀浴友会が結成 された経緯 につい える。 占める地位 は大 きい と言 て見 てい くことにす る
同志社社会学研究 NO.5,200 1
あ り小学校 の同期で もある 0氏 (矢崎地域 出身) 身同業者、若 しくは賛助者 を以 って組織 し、会貞 と串地域 出身である M氏が 中心 になって、1949 相互の親睦、融和 を図 り、併せて斯業の興隆 ・改 年 1月 18日に大阪加賀浴友会が結成 され たので 善 に努 め ます
」
(大阪加賀浴友会 創立 35周年記 あ る (大 阪 府 下 にお け る小 松 市 矢 崎 地 域 〔10 念) と記 されている6)。名〕、串地域 〔2名〕、今江 地域 〔1名〕出 身者 の 大阪加賀浴友会の活動 は、同郷者の親睦 を深め 公衆浴場業者 と、矢崎地域 出身の大阪府府会議貞 ることは勿論 の こと、融資事業 (頼母子講) と火 の 1名 を含 む総勢 14名)。 災の共済 を中核 としている。 月 1回、大阪市北区 初代 会長 には K氏が選任 されてい る。 入手 し にある太融寺で親睦 と情報交換の場 である定例集 た資料 の中で初期の会則 を見 てみる と、会の 目的 会が、頼母子講 を兼ねて開かれている。 会の年 中 として 「本会 は大阪府 ・市 に居住す る加賀地区出 行事 として郷土訪問 を兼 ねた春の懇親総会、1月
図表 2-8 大阪加賀浴友会 の関連 団体 の構成
大阪北友会 ●■-●■----I-●-■
加賀親友会 大
諏訪会 阪
小松銀 窓会 加
柴 山親友会 賀
向友会 浴
大阪 日末会 友
潮津会 会
加賀浴親会 I-一一■ -一一● -----I
加能親友会 関西石川県高松会 吹 田市石川県人会
関西石川県人連合会 白山会
東大阪石川県人会 関西松任会 大 阪穴水 会
・親友会 ・
・能登親友会
・大阪ふ るさと会 能
・能親会 壁
・友愛会 互
・浴進会 助
∠ゝ
・御祖会 7ミ
・柳和会
・良川会
・黒民会
・-青能親会
・能登部睦会
・朋友会
・親盛会
・協和会 了
18
鯵坂 ・湯浅 ・星 ・吉原 ・杉本 :都市 一農村 関係 と都市移住者
には新年懇親総会が催 されている。 あ るN氏 (加賀浴友会会貞)か らの聞 き取 りに 会の創立 10周年、5周年7)ごとには、故郷 にあ よ れ ば 組 合 加 入 率 は 99%で あ る (1997年 時 る随一のホテルで大阪加賀浴友会の創立記念式典 点)。同組合加盟 の浴場業者 は 1970年 の 2346軒 を開演 してい る。 1998年 の5月27日に開かれた が ピークであった とい う。
大阪加賀浴友会の創立50周年記念式典 には石川 また、公衆浴場業界 においては、大阪加賀浴友 県知事や大阪府知事、大阪市長、小松市長か らの 会 と同様 に関西石川人連合会 に入 っている能登出 祝辞 (全 て代理 によって読 まれた)が送 られ大阪 身者 の 同郷 会 である能登互助 会が あ る (図表 2- 府議会議員や守 口市市長、守 口市議会議貞、堺市 8)。能登互助会 は 1952年 5月 24日に結成 された 市議会議員、北 囲銀行頭取、石川銀行頭取か ら祝 同郷 会 であ る。 1996年 の時点 にお い て会員 名簿 電が送 られ てい る。 祝 宴 の時 には石 川県 知事 が によれば、能登互助会の会貞数 は 986名である。
直 々に祝辞 を述べ にきてお り、出身地域の町内会 大阪加賀浴友会の会員 は主 に公衆浴場業の経営者 長 も招 いているのである。 で構成 されているが、能登互助会では豆腐屋 の経 次 に、公衆浴場業界 における大阪加賀浴友会 に 営者 と公衆浴場 の経営者 とい う 2種 の業種が主流 関連す る組織 を見 てい くことにす る。 まず、公衆 で構成 されている。 大阪府下全体の公衆浴場 にお 浴場業者の同業者組合 として大阪府公衆浴場業環 いて大阪加賀浴友会の会員の公衆浴場業者が占め 境衛生 同業組合がある。 その同業組合の理事長で る割合 は 1.% 60 (9197年 の時点)、一方、能登互
図表 2-9大阪加賀浴友会 にお ける下位単位の団体
・大阪加賀浴友会 : 1949(昭和 24)年 に結成 [1998(平成 10)年 5月 27日の時点で会員数 304名]
(旧集落)
27)年 に結成
「佐
② 串町美 町
(∋大阪北進会 (戟争 によ り自然解散) 1922(大正11)年 に結成 1944(昭和(参加賀親友会 ②加賀親友会
19)午 (戦争 により解散)
①大阪北友会 1952(昭和
1922(大正11)年 に結成 1944(昭和 19)午 1953(昭和 28)年 に結成 (勤矢崎町 ③諏訪会 (終戦後一時中断) (卦諏訪会
1937(昭和 12)年 に結成 1956(昭和 31)年 に再興
④今江町 ④小松銀窓会
1956(昭和 31)年 に結成
(9向本所町 (9向友会
1965(昭和 40)年 に結成
⑥大阪 日末会
SL ⑥ 日末町 1955(昭和 30)年 に結成
■-
む柴 山町 (む柴 山親友会
1948(昭和 23)年 に結成 (参潮津
幸
加を
(潮 津 町
市 ⑨片 山津町 ⑨加賀浴親会
(大阪加賀浴友会 1998『創立 50周年記念誌』か ら作成)
19
同志社社会学研究 NO.5,2001
れてお り、年 中行事 として、懇親総会 も開いてい る。 また、北友会 (創 立 10、20、30、40)、加 賀 親 友 会 (創 立20、30、40)、小 松 銀 窓 会 (創 立 10、20、30、35、40)、向 友 会 (創 立 10、20、 30)において創立記念式典 または創立記念総会が 郷土の近 くにある粟津温泉、山代温泉 な どで開演
されている。
各下位単位 の同郷会 における会員の職業構成 を 見 てい くと、図表 2-10の とお りとなる。 下位 単 位 の会の会貝 における職業構成 において、加賀浴 友会 と同様 に公衆浴場業者の割合が圧倒 的 に占め る同郷会 もある。 しか し、加賀親友会や柴山親友 会の ように、ホテル経営が飲食業 な ど公衆浴場業 以外の職業の従事者1Dも多 く入会 している同郷会
もある。
次 に、各下位単位 の同郷会の会員 における大阪 加賀浴友会の入会者の割合 を見てみる。図表 2-ll の ように、公衆浴場業以外 の職業従事者が入会 し ている場合 もあるが、公衆浴場業者であって も加 賀浴友会 に入会 していない会員 も見 られる。
つ ま り、事例 として と りあげる大阪加賀浴友会 の会員である都市移住者 は、公衆浴場業界へ参入 す るの に直接 、大阪加賀浴友会 に入会 したわけで はない。血縁 ・姻戚 関係 、地縁 な ど同郷者 とのパ ーソナルな社会的ネ ッ トワークを通 して大阪加賀 浴友会 を利用す ることがで きるようにな り、公衆 浴場業界 に参入 して きたのである (湯浅 1999)。 この ように、彼 らが都市移住 を した際 に利用 した 社会的 ネ ッ トワークを基盤 として加賀浴友会 にお ける下位単位 (旧集落)で構成 される同郷会が生 成 された と捉 え られる。
現状 では大阪加賀浴友会、その下位単位 の同郷 会 ともに会員数 は減少の傾 向にあるが、両者 を移 住先 (都市) と出身地域 (農村) とのつ なが りと い う視点か ら、見 る と次 の ことが言 える。
大阪加賀浴友会 は、公衆浴場業が斜 陽化 してい
22
る現在 において も、公衆浴場経営 においては、浴 場施設の立地条件、入浴料金の物価統制令 の適用 等、行政 による規制があることや、公衆浴場の レ ジ ャー施設化 な どに よる同業 者 間の競 争 の激化 (高度経済成長期以 降、各家庭 に 自家風 呂が普及 した) な どか ら、圧力団体 としての機能 ・役割 を 持 っている。 つ ま り、大阪加賀浴友会 は都市 同業 者団体 とい う性格 を有 してお り、下位単位 の同郷 会 と比べ て、出身地域 の開発発展 よ りも、主 に都 市移住者の移住先の ビジネスに向け られた都市志 向の団体 である。 その同郷会 における出身地域 と のつ なが りは、郷土で春の懇親総会や創立記念式 典 を行 うな ど、親 睦 中心 の 表 出 的 (expressive)
な側面が強い ことが指摘 で きる。
大阪加賀浴友会 に対 して、下位単位 の同郷会 に おいては、京阪神都市圏の公衆浴場業-参入す る リクルー トや技術教育、 また出身地域 の寺社、学 校への寄付 な どヒ ト、モ ノ、 カネや情報、文化 を 介在 として、歴史的 に都市 と出身地域 との手段 的 な (instmmental)意見合いの強いつ なが りが見 ら れる。
[注]
1)価値 生 産部 門 とは、第 1次、第 2次 産業 の各 部 門 と第 3次 産業 に分類 され てい る運輸 ・通信 業及 び 電気 ・ガス ・水道 ・熟供給 業 を価値 生 産部 門 と し ている (小 内 1996)。
2)大 阪加賀浴友 会 は主 に、 この小松 市南 部 の 6旧集 落 に加 えて加賀市北部 の 3旧集落 出身の公衆浴場 業者 によって結成 されている。
3)大 阪加賀浴友 会 は、主 に、小松 市南 部 の向本所 地 域、今江 地域、矢 崎 地域、串地域 、 日末 地域、佐 美 地域 と、加賀市北部 の柴 山地域 、潮津 地域、片 山津地域 の合計 9旧集 落 出身の京 阪神都 市 圏 にお ける公衆浴場業者 によ り結成 されている。
4)筆者 の聞 き取 りに よれ ば、叔 父 の浴場 で 1ケ月程 働 いて 自己の浴場経営 を始 めた人 や、知 人 の浴場 で 2、3カ月程働 いて 自己の浴場 の営業 を始 めてい る。 この よ うに、経 営資金 が あれ ば、比較 的短期 間で、 自己の公衆浴場経営 を始めている。