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シエースの憲法思想とその評価

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シエースの憲法思想とその評価

著者 山本 浩三

雑誌名 同志社法學

巻 60

号 3

ページ 1‑87

発行年 2008‑08‑31

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011457

(2)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号

シエースの憲法思想とその評価

山 本 浩 三

︵九一一︶ 一 シエースの生涯と思想

二 ﹁第三身分とはなにか﹂

三 シエースと人権宣言

四 憲法陪審

五 カレ・ド・マルベールのシエース論

六 バスティドのシエース論

(3)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号︵九一二︶

一 シエースの生涯と思想

 1シエースの生涯   エマニエル・シエース︵Emmanuel Joseph Sieyès

Frejus︶は一七四八年五月三日南仏のフレジュス︵︶で生まれた︒ 1︶

父親は郵便局長であった︒シエースは蒲柳の質であったので︑将来聖職者になることを期待され教会に預けられた︒か

れはパリのサンシュルピースの神学校︑サンフィルマンの神学校︑そしてソルボンヌで神学を学んだ︒一七七二年七月

二 八 日 司 祭 叙 階︵

Prêtrise

︶ を う け た︒ か れ は 高 位 聖 職 者 で あ り

︑ 哲 学 者 で も あ っ た リ ュ ベ ル サ ッ ク︵

J. B. J.

Lubersac︶の庇護をうけ︑その秘書となり︑リュベルサックが一七八〇年シャルトルの司教︵Evêque︶となると︑シ エースは助任司祭︵Vicaire︶に任命された︒

  シエースは一七八六年フランスにおける聖職者の最高会議へ司教区の委員として任命され︑一七八七年にオルレアネ

スの地方議会に聖職者の代表者として選ばれた︒この地方議会の議員であったときシエースの政治思想が特権者に敵対

するものとなった︑とシュバリエはいう

2︶

  シエースは聖職者としては名誉ある地位に昇進したが︑それはあくまでも名誉職であったにすぎない︒というのは一

八世紀において司教職につけるのは貴族出身者にかぎられており︑平民出身のシエースには聖職者としての出世の途が

閉ざされていたからである︒

  野心家のシエースは宗教界以外の分野に関心を持ち︑哲学︑経済学︑政治学などの社会現象を対象とする書物を耽読

した︒かれは特権階級の体制を憎悪し︑啓蒙時代の知識人として︑知識と理性の支配する社会の実現を夢みていた︒か

れはいろいろなサークルやサロン︑フリーメーソンの集会あるいは各種の団体をおとずれ︑知識人と交流し多くの知識

(4)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号 や示唆を受けることによって︑その思想を確立していったのである︒  かれはパリ高等法院の裁判官であったデュポールの家を集会所とする﹁三十人会﹂にも属していた︒この会はのちに

﹁憲法クラブ﹂と称するようになる︒タレーラン︑ミラボー︑タルジェ︑ラファイエット︑コンドルセなどもこの会の

会員であり︑パンフレットなどの作成の指導︑全国三部会の陳情書のモデルの散布︑その候補者の推薦︑地方工作員の

派遣などをおこなっていた

3︶

  ルイ一六世の政府は︑その財政的危機の打開を全国三部会︵États-généraux︶におけるブルジョワジーの協力により はかろうと計画し︑八月八日の国王顧問会議︵Conseil du Roi︶で一七八九年五月一日全国三部会を召集することを決

定した

4

  一七八八年七月五日︑国王顧問会議は布告で︑すべての教養ある人士に︑全国三部会の召集に関する情報や覚書など を提供することを求めた

︒これらの覚書きは国王の求めによって印刷されるので検閲にかけられないことになり︑この 5

布告は事実上フランスに出版の自由をもたらしたといわれている︒

  フランスでは一八世紀に入り多くのパンフレットや風刺文が流布していたが︑一七七〇年以降はその数が増大してい

た︒そしてこのような政府の勧誘は︑その流布を勇気づけ︑一七八八年の七月から三月間で三〇〇点以上のパンフレッ

トや出版物が氾濫した︒

  それらの中にはムーニエ︑ヴォルニー︑ミラボー︑ロベスピエールの名の出版物もあった︒

  なかでもタルジェ︵Target︶の﹁ルイ一六世によって召集されたエタ・ジェネロへの手紙﹂︒アントレーグ︵Antraigues︶

の﹁全国三部会に関する覚書﹂などは全王国に深いセンセーションをまきおこした作品である︒

  しかしシエースの﹁第三身分とはなにか﹂のパンフレットに匹敵するほど多くの人びとの人気を博したものはなかっ

︵九一三︶

(5)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号

た︒  シエースは︑全国三部会にかんしてかねてから研究をしていたのである︒かれが一四八四年︑一五八八年︑一六一四 年の全国三部会の諸身分の組織︑ORDRESの構成にかんしておこなった研究ノートは現存している︒

  シエースは︑政府の勧誘もあり︑いそいで﹁フランスの代表者が一七八九年に処理することができる執行の諸手段に ついての覚書﹂︵Vues sur les moyens d’exécution dont les représentants de la France pouront disposer en 1789︶を作 成したが

︑その出版を一時的に停止し

︑一七八八年一二月に匿名で

﹁特権にかんするエッセイ﹂

Essai sur les

privilèges︶を出版し︑ついで﹁第三身分とはなにか﹂を一七八九年一月に出版した︒

  ﹁第三身分とはなにか﹂は公刊されると飛ぶように売れ︑数週間で三万部以上が売れた︒第一版と第二版は匿名であ

ったが︑第三版はシエースの名がでており︑全文一八〇ページで全面的に修正されていた︒

  人びとはカフエでこの本のことを語り合い︑読書会をもったりした︒ラファイエットは﹁シエースのパンフレットは

そのときに出版されたたくさんの文書の中では第一級のものである﹂と評価していた︒

  この書物についてのちに︑歴史家のトクヴィルは﹁アンシァン・レジームと革命﹂の中で事実に誤りがあり︑表現に 誇張があると批判している

6

  しかしこの本は︑特権階級とくに貴族に対する闘争を指導するという実践目的をもって書かれたものであり︑貴族身

分を法の外におくこと︑国民を具現する第三身分の主権をドグマとして確立し︑第三身分の会議が国民議会となるよう

激励することを狙っていた︒かれは第三身分にいくつかの原則を提供し︑戦術を教示する︒このようにしてこの本は世

論に受け入れられたのである︒

  マルー︵Maloud︶はこの文書の最初の簡潔かつ驚くべき表現が﹁公衆の精神﹂を堕落させたと非難した︒宮廷は興 ︵九一四︶

(6)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号 奮し︑次席検事はこのパンフレットをグレーブ広場で焼却することを申し出たが︑Chamfortがこの本をアカデミーに 協力する有益な作品に入れることを提案しその計画をくじいた

7

  ルソーの社会契約論は難解でそれほど普及しなかったのに反し︑シエースの﹁第三身分とはなにか﹂は文章も平易で

扇動的でもあったので︑全国三部会において第三身分の権利を主張するために準備していた人びとを元気づけ︑奮いた

たせたのである︒

  この本は︑アンシァン・レジームと近代社会の間の区切りとなる本質的な原則︑近代公法を基礎づけた原則を明確に

している︒すなわち︑国民の統一と主権︑その選出された代表者による国民全体の代表︑憲法制定権力と憲法によって

組織された権力の区別など︑いずれも近代デモクラシーに役立つ道具を提供している︒

  一七八九年五月一九日シエースはパリの第三身分の代議士として選出され︑五月二〇日全国三部会に合流する︒

  第三身分の代表者は六月一七日シエースの勧めによって国民議会となり︑他の身分たちに結合することをうながす︒

これにより六月一七日合法的革命によってアンシァン・レジームを生きてきた絶対君主政︑諸身分の社会は破壊される

ことになった︒

  国民議会は憲法制定国民議会となり︑シエースは人権宣言︑国民主権を確立する憲法制定に大活躍する︒

  憲法制定議会において華々しい活躍をしたシエースは︑国民公会議員としても選出され︑一七九三年一月一七日の国 王ルイ一六世の死刑に賛成票を投じている︒それによりシエースは国王弑逆者︵Régicide︶となり︑王政復古のときに

亡命をよぎなくされるのである︒

  ロベスピエールの恐怖政治の下でシエースは﹁革命のもぐら﹂とロベスピエールに嘲笑されながらも︑地下に潜行し てしまう︒のちに恐怖時代になにをしていたかと聞かれたとき︑シエースは﹁私は生き延びた﹂︵J’ai vécu︶とこたえ

︵九一五︶

(7)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号

ている︒シエースのロベスピエールに対する恐怖心は生涯つきまとったようである︒かれの死の直前もうろうとなった

意識のうちに召使に﹁ロベスピエール氏が尋ねてきたら留守だと言ってくれ﹂とたのむほどである︒

  ロベスピエールの処刑後かれはふたたび政界に現れる︒

  一七九五年制定の執政府憲法の成立には参与しなかったが︑憲法思想史上重要な意味をもつ憲法陪審制案を発表して いる︒  一七九五年一〇月二八日に執政府憲法の下で五百人会議の議員に選挙されたが︑議長選挙では落選した︒三一日五百

人会議は五〇人の候補者を選び元老会議がその内から行政府の五人の執政を選んだ︒シエースも選ばれたが︑かれは自

分の改正案が無視されたので辞退し︑カルノがかれに代わって選ばれた︒

  シエースはしかし執政政の下では外交官として華やかな舞台に登場する︒一七九七年プロイセン国王フリードリヒ・

ヴィルヘルム三世の戴冠式において︑美しいかつらをつけた貴族や金ぴかの軍服を着た将軍たちのけばけばしく飾り立

てた人びとのあいだに︑青白い顔色のシエースが執政府から派遣されてきており︑フランス革命を代表する人物として

ヨーロッパの人びとの視線をあつめることになる

8︶

  シエースは一七九八年五月八日プロイセンのベルリン駐在フランス大使に任命される︒かれはプロイセンをフランス

との同盟に引き入れるか︑そうでなくとも新対仏大同盟に加盟することを阻止する任務を帯びていたのである︒

  シエースは一七九九年にふたたび権力に接近する機会に恵まれる︒すなわち︑四月一六日にふたたび五百人会議の議

員に選ばれ︑五月一六日に執政に選ばれる︒

  シエースは軍隊を懐柔して権力を獲得し憲法の改正を計画する︒ジュペールイタリア遠征軍司令官を軍剣として利用

することを考えたが︑ジュベールが戦死したためナポレオン・ボナパルトに接近する︒ナポレオンもシエースの利用を ︵九一六︶

(8)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号 考え︑シエースとクーデタの計画を練ることになる︒  一一月九日︵ブリュメール一八日︶シエース︑バラス︑ロジェ・デュコは執政を辞職する︒

  一一月一〇日ナポレオン・ボナパルトが軍隊を指揮して五百人会議に侵入しクーデタに成功し︑元老会議は﹁執政府

の執政の四名が辞任し︑五人目の執政が軟禁されているので︑三名の臨時執行委員会が指名される﹂という命令を出し︑

ボナパルト︑シエース︑ロジェ・デュコが統領になる︒

  一二月一三日シエースはボナパルト︑カンバセレス︑ルブランを統領に指名する︒

  一二月一五日新しい憲法が人民投票にかけられる︒

  三人の統領は﹁革命は終わった﹂の宣言を出す︒革命に火をつけたシエースによって革命の火は消された︒

  かれの憲法陪審の構想は︑ナポレオン憲法で元老院の権限として生かされている︒

  シエースはナポレオンからは敬遠されたが︑元老院議長に遇され︑多額の年金を支給され︑レジオン・ド・ヌール勲

章を授けられ一八〇八年には伯爵となる︒かっての貴族制の破壊者がみずから貴族となるのである︒

  しかしかれの栄華は永続きはせず︑一八一四年のルイ一八世の王政復古により国王弑逆者として訴追されることを恐

れ︑ベルギーのブリュッセルに亡命し︑一八三〇年︑ルイ・フィリップ・ド・オルレアンの七月王政のフランスに帰国

する︒シエースの晩年について︑革命歴Ⅲ年憲法︑Ⅷ年憲法制定時期においてかれのライバルであったドヌー

がきびし 9︶

くつぎのように書いている︒シエーエスの﹁人生の後半はその肘掛椅子︑安逸︑贅沢︑瞑想︑人間の軽蔑︑エゴイズム︑

えこひいき︵népotisme︶に過ごしていた

10

﹂ ︒   一八三六年六月二〇日シエースは八八歳で天寿をまつとうすることになる︒

  シエースに対し︑その栄誉を確保するためにその晩年に回想録を書くことを薦めた人がいたが︑かれは誇らしげに﹁そ

︵九一七︶

(9)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号

んなことをしてなんになろうか︵à quoi bon ?︶﹂とこたえている︒

  かれは自信家でタレーラン家から出るときに﹁政治とは私が成し遂げたと信じる科学﹂であるといつている︒デュモ ンはこれはすこしうぬぼれの感があるが︑﹁かれは第三身分の御託宣︵oracle︶であり︑ミラボーもかれを先生とよん

でいた﹂という︒しかしミラボーはシエースをからかって先生とよんでいたのであり︑﹁革命のマホメット﹂とよんだ

りしていたが︑シエースはそれをまじめにうけとっていたようである︒

  一七八九年においては﹁すべての人びとがかれを尊敬し︑栄誉をたたえ︑感嘆するためにかれのまわりにあつまって

いた﹂とアンドレ・シェニーエはいう︒いずれにしても大革命前と初期にシエースが人びとに影響力をもっていたこと

はだれも無視することができない︒

  この影響力についてマロウェ︵Maloue︶は﹁シエースが大衆をその形而上学によって誘惑し︑理解しがたい領域にお

けるその深さによって大衆を誘惑していた﹂と信じていた︒しかしシャンピオンはこれは﹁誤解であって抽象または夢

想によって革命の地獄の中に大衆がひきこまれたと想像することは間違いであり︑大衆は良識をもっており︑過度の野

心や無謀な学説から距離を保つていたことは︑その当時の陳情書を読むことによってあきらかになる﹂という︒シャン

ピオンは︑シエースの中の﹁高くかつ厳しい熱狂︑公共善の愛︑人間性を改良する欲望を率直にもっていた精神を無視

することはできない﹂という

11

  ミシュレー︵Michelet︶もシエースを評価してつぎのようにいう︒

  ﹁かれは思想家と政治家の深奥な相違を確認している︒書斎の中で十分に時間をかけて思索する思想家の使命と大国

民の出来事に責任ある市民の使命との相違について﹂︒﹁哲学者は真理の限界を超えない限り︑あまりにも遠くへ行くこ

とで告発されない︒反対に行政官の義務は困難な出来事の性質にしたがってその歩みを漸増させることである

12

﹂ ︒

︵九一八︶

(10)

シエースの憲法思想とその評価 同志社法学六〇巻三号

 2シエースの思想   バスティドはシエースの生涯には二つの局面があった︒すなわち最初の時期においては非妥協的な革命家としての生 涯であり︑その後は秩序と安定に心を使う保守主義者としての生涯であるという

13

  かれの思想は歴史の進行におうじて体系的に展開されている︒

  ルフェーヴルはいう︒﹁シエースは﹃憲法制定権力﹄の理論家であり︑法律革命の魂であった﹂︒﹁七月一四日をすぎ

ると︑彼は議会のなかですら急速に聴衆を失った︒というのも︑民衆革命の社会的側面がかれをおびえさせ︑彼が封建

的諸権利や教会財産を弁護したからであった﹂︒﹁奇妙な運命にあやつられて︑政治的自由の名付親であったシエースは︑

その墓堀人となったのである﹂︒しかしその学問的な能力を評価し︑﹁彼は特異な知能の持ち主で︑憲法学を一箇の科学

しかも抽象的な

に仕上げたり︑統治の精緻複雑な体系を孜々として構築するのに務めた﹂という

14

  本論文では大革命前のシエースの思想を表現する代表的なものとして︑﹁第三身分とはなにか﹂をとりあげ︑国民議

会での業績として﹁人権宣言案﹂を翻訳し︑後年のかれの思想を代表する︑憲法学上貴重な遺産として﹁憲法陪審﹂を

紹介する︒

  フランス憲法学者のシエースの評価については︑革命前の思想だけを評価するミルキーヌ・ゲツェヴィチの論文を紹

介し︑シエースを近代公法学の創立者の一人とし︑フランスの伝統的学説の国民の全権理論の創造者とするカレ・ド・

マルベールの学説とバスティドのシエース論について論究する︒

1︶ シエースの憲法思想については︑浦田一郎教授の力作﹁シエースの憲法思想﹂を参照されたい︒本論文も同書に教示をうけている︒仏書 ではポウル・バスティドの﹁シエースとその思想﹂Paul Bastid, Sieyès et sa pensée︶が公法学者の著書として参考になり︑ジャンーデニス・

ブレダンの﹁シエース︑フランス革命の鍵﹂Jean-Denis Bredin, Sieyès, Le clé de la Révolution française.︶は歴史学者の著書として興味ふか

︵九一九︶

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シエースの憲法思想とその評価 一〇同志社法学六〇巻三号

いものがある︒

Jean-Jacques Chevallier, Les grandes œvres politiques. p. 176.2︶  3︶ ルフェーヴル﹁一七八九年フランス革命序論﹂高橋︑柴田︑遅塚訳︶︵岩波文庫︶一七頁

4︶ 当時のルイ王朝の財政事情については︑山本浩三﹁フランス革命における近代租税原則の確立﹂現代財政法の基本問題︶三四九頁以下参

.

Bredin, Sieyès, p. 77.5︶ 

Jean-Denis Bredin, Quiers État? p. 21. note 1.’est-ce que le T6︶ 

op. cit., p, 21.7︶ 

Jean Tulard, Qu’est-ce que le Tiers État ? p. 1.8︶  Daunou P. C. F.176118409︶ ︶は国民公会議員に選出され︑国王の死刑に反対し投獄され︑革命暦三年︑革命暦八年の憲法制定に活躍する︒

10Jean Bourdon, La constitution de l’an VIII. p,16.︶ 

11Edme Champion, Introduction, p. II et s. Tulard, Qu’est-ce que le Tiers État?.︶ 

12Ibid., p. IV.︶ 

13Bastid, op. cit., p. 7.︶ 

14︶ ルフエーヴル﹇前掲書﹈一三一一三二頁 ︵九二〇︶

(12)

シエースの憲法思想とその評価 一一同志社法学六〇巻三号 二 ﹁第三身分とはなにか﹂

  シエースは革命の前に﹁執行の手段﹂と﹁特権論﹂と﹁第三身分とはなにか

﹁特権論﹂において︑﹂を出販している・ 1︶

シエースは封建的な特権階級の横暴︑不正義︑不公正を抉り出し︑特権階級者二〇万人のために二千五百万人の国民が

塗炭の惨苦を嘗めている不合理を法学的に冷静にして客観的な態度で糾弾している︒

  ﹁第三身分とはなにか﹂はこの﹁特権論﹂の論理的結果であるといえるが︑﹁特権論﹂はその竣烈な体制批判にもかか

わらず﹁第三身分とはなにか﹂の爆発的人気によってほとんど忘れられてしまったのである︒

  つぎに﹁第三身分とはなにか﹂の内容を要約する︒

 1﹁第三身分とはなにか﹂の内容

⑴ 執筆の目的

  シエースは﹁第三身分とはなにか﹂の執筆計画は︑ひじょうに簡単でつぎの三つの問題を取り扱うことであるという︒

  第三身分とはなにか?すべて︵tout

︶ ︒   今日までの政治的秩序においてなにであったか?無︵rien

︶ ︒   なにを要求するか︑そこでなんらかのもの︵quelque chose︶になること︒

  第三身分とはなにか︒すべてである︒

  しかし束縛されたすべてである︒特権階級がなければ第三身分はどうなるか︒すべてである︒しかも自由で生き生き

したすべてである︒

︵九二一︶

(13)

シエースの憲法思想とその評価 一二同志社法学六〇巻三号

  貴族身分はその私法上および公法上の特権によってわれわれの中にある異邦人にほかならない︒

  国民とはなにか︒共通の法律の下に生活し︑同じ立法機関によって代表される共同生活体である︒

  第三身分は国民に属するすべてのものを包含するものであり︑第三身分でないものは︑すべて国民だとはみなされな

い︒第三身分とはなにか︒すべてである︒

  今日まで第三身分はなにであったか︒無︵nuls︶である︒

  人は特権によって自由なのではなく︑すべての人間に属する権利によつて自由なのである︒

  もし全国三部会が総意︵volonté générale︶の代表者であり︑その資格で立法権をもつものであるとするならば︑そ の全国三部会がたんに聖職者︑貴族︑法官︵clérico-nobili-judicielle︶の会議にすぎないという場合︑それが真の貴族政

治であることは確かである︒

ようするに

︑ 第三身分はこれまで真の代表者を全国三部会に送っていなかった

︒したがってその政治的権利は無

︵nuls︶である︒

  第三身分はなにを要求するか︒なんらかのものになること︒

  人民は︑全国三部会で真の代表者をもつことを願っている︒すなわち︑自分の身分から出て︑かれらの希望を代弁し︑

かれらの利益を擁護することに熟練している代議士︒

  第三身分は他の二つの身分全体の代表者と同数の代表者を要求する

2

  もし各身分の会議が別々に票決するならば︑この代表者の平等は完全に空しくなるであろう︒だから第三身分は︑投 票は頭数︵têtes︶によって行われ︑身分別に行われないことを要求する

3

  第三身分の真の意図は︑全国三部会で特権身分と同等の影響力をもつことである︒ ︵九二二︶

(14)

シエースの憲法思想とその評価 一三同志社法学六〇巻三号   この法律的特性は︑各個人の財産とか収益とかを産む財産の所有権の大小にかかわらず︑万人に平等なものである︒

選挙人たるべき条件を備えた市民はすべて︑自己を代表せしめる権利をもっているのであって︑その代表権は︑他人の

分数ではありえない︒この権利は一である︒すべての人が平等にこれを行使するのであつて︑それはあたかも︑かれら

がその制定に協力する法律によって平等に保護されるのと同じことである︒

  シエースは大革命前の人口は聖職者の総数が八〇︑四〇〇人︑貴族が一一〇︑〇〇〇人で特権者の数は二〇万人である

のに対し︑第三身分は二千五百万人から二千六百万人であるというが︑のちにその誤算が指摘される︒

  第三身分は︑かつては影︵ombre︶にすぎなかったのに︑今日は国民的実在︵réalité nationale︶であるということを

忘れてはならない︒

  貴族はもはや封建的実在ではなくなり︑一つの影にすぎなくなってしまった︒この影がいまなお︑国民全体を威嚇し

ようと努めているけれども︑何の効果もないのだ︑ということを第三身分は忘れてはならない︒

⑵ 政府の失政

  シエースは政府が今までその財政的危機をのりこえるために種々の努力をしてきた︑地方議会や名士会議の招集であ

る︒しかしいずれも危機打開に失敗したという︒

  とくに名士会議が第三身分のために提案し︑おこなってきたことを批判する︒

  名士会議は︑カローンが一七八七年二月二二日招集したが︑土地上納金などの要請が拒否され︑五月二五日に解散さ

れている︒

  第二回目の名士会議は︑ネッケルが一七八八年一一月六日に招集し︑全国三部会の議決方法などについて協力を得よ

︵九二三︶

(15)

シエースの憲法思想とその評価 一四同志社法学六〇巻三号

うとしたが︑頭数による投票について賛成を得られず一二月一二日に散会した︒

  シエースはこれを皮肉っていう︒﹁王は二度も名士会議を招集された︒一七八七年の名士会議では名士たちは国王に 背いて自己の特権を防御した︒一七八八年には国民に背いて自己の特権を防御した

4

﹂ ︒

⑶ イギリス憲法の模倣

  当時新しい体制はイギリスの議会制度を模倣するべきだとの意見があった︒シエースこれに反論する︒

  ﹁もしフランスにおいて三つの身分を一つに結合しようとするなら︑その前に︑あらゆる種類の特権を廃止しなけれ

ばならない︒貴族も聖職者も共同利益以外の利益をもたず︑法律の力によって単純な市民の権利しか享受しないことが

必要である﹂︒

  ﹁特権によって︑これらの身分を現実に分離させておき︑名目だけでこれらの身分を混同すること以上に︑ひどい不

幸はない﹂︒

  ﹁公共の福祉は︑社会の共同利益が純粋に︑なんらの混合物もなく維持されることを要求する︒三つの身分がいわゆ

る庶民院に混同することに対して︑第三身分が決して賛同しないのは︑この唯一の正当な国民的見解に基づくものであ

る﹂︒

⑷ 憲法制定権力論

  この章においてシエースは有名な憲法制定権力論を展開する

5

  ﹁国民は何よりもまず存在し︑あらゆるものの起源である︒その意志はつねに合法的であり︑その意志は法そのもの ︵九二四︶

(16)

シエースの憲法思想とその評価 一五同志社法学六〇巻三号 である︒それに先立ち︑その上にあるものは︑ただ自然法︵le droit naturel︶だけである﹂︒

  ︷憲法はそのいかなる構成部分も︑憲法によつて組織された権力︵pouvoir constitué︶によって作られたものではなく︑

憲法を制定する権力︵pouvoir constituant︶によつて作られたものである︒いかなる種類の委任された権力も自己の代 理権の条件をすこしも変更することができない︒憲法︵lois constitutionnelles︶が基本的であるというのはこの意味に

おいてである﹂︒

  ﹁国民は唯一の自然法によって自らを形成する︒反対に政府は実定法だけに依存する﹂︒   ﹁政府は憲法に従う場合だけ現実の権力を行使する︒政府はそれに課せられている法律に忠実である場合だけ合法的

である︒反対に︑国民意志はつねに合法的であるためにはその実在のみが必要である︒それはすべての合法性の起源で

ある﹂︒

  ﹁国民は一つの憲法に従わせられないのみならず︑そうありえないものであり︑そうあってはならないものである﹂︒   ﹁国民の意志の実行は自由で︑あらゆる民事上の諸形式から自由かつ独立している︒その意志は自然秩序の中にだけ

存在するのであるから︑すべてのその効果から自由になるためには︑その意志は意志の自然的な諸性格をもつことだけ

が必要であるにすぎない︒国民がたとえどんな意志をもつても︑国民が欲するということだけで十分なのである︒その

あらゆる形式はすべて善くその意志はつねに最高の法である﹂︒

  ﹁国民はあらゆる形式から独立している︒いかなる方法によって意志を形成しても︑その意志が表明されれば十分で

ある︒あらゆる実定法は︑国民の前ではすべての実定法の源泉および最高の支配者の前に出たように︑まったく消えて

無力となるからである﹂︒

︵九二五︶

(17)

シエースの憲法思想とその評価 一六同志社法学六〇巻三号

⑸ 特別代表

  シエースは全国三部会ではなく特別代表団が憲法を制定するべきであるという︒

  ﹁人民の普通代表者は︑憲法上の諸形式において︑良き行政の維持のために必要な︑共通の意志のすべての部分を行

使する任務をもつ︒その権限は政府の事務に限られている︒

  特別代表団は︑国民がかれらに与えることを好む新しい権力をもつであろう︒大国民は普通の秩序がそれを必要とす

ることができる以外の状況のたびに︑現実にそれ自体が集まることはできないので︑国民は特別代表者にこれらの場合

に必要な権力を与える必要がある﹂︒

  ﹁特別代表団は︑この国民の会議に代わるものである︒もちろんそれは︑国民意志のすべてを負わせられる必要はない︒

それはまれな場合に︑特別な権力だけを必要とするのである︒それは国民に代わりすべての憲法上の形式から独立して

いる︒この場合︑権力の濫用を妨げるための多くの予防策を講じる必要はない︒これらの代表者は︑一定の時期のあい

だ︑唯一の事項のためにだけの代表者であるにすぎない﹂︒

  ﹁特別代表団は普通の立法府とは似ていない︒それは異なった権力である︒普通の立法府は︑それに課せられた形式

と条件においてだけ活動することができるにすぎない︒特別代表団は特別ないかなる形式にも従わない︒それは国民が

少数の個人だけで構成されているときに︑国民がその政府にたいして憲法を制定することを欲するならば国民それじた

いが行うように︑集会し︑審議をする﹂︒

  ﹁来るべき全国三部会について混乱と紛争の渦中にあつてなすべきことはなにであるか︒特別代表団という大方策

︵grand moyen︶に訴えねばならない︒相談しなければならないのは国民である﹂︒

  ﹇全国三部会は︑それが召集されても憲法についてなにも決定する権限をもっていない︒この権利は国民だけに属し ︵九二六︶

(18)

シエースの憲法思想とその評価 一七同志社法学六〇巻三号 ている︒国民は︑くりかえして言うがすべての形式とすべての条件から独立している﹂︒

  ﹁今日︑われわれは憲法をもつているのみならず︑憲法は優れたかつ非の打ちどころのない二つの規定を含んでいる︒

  第一は市民たちの身分による区分︑第二は国民意志の形成における各身分のための影響力の平等である﹂︒   ﹁つぎのことは確かである︒通常の国民代表と特別国民代表において︑影響力は︑代表される権利をもつ人数に応じ

てだけ存在することができる︒代表団はつねに︑かれがおこなわねばならないことについて︑国民そのものの代わりで

ある︒その影響力は同じ性質︑同じ比率︑同じ規則を保持しなければならない︒

  つぎのことを決定するためには︑すべての原則のあいだに完全な一致があると結論しよう︒すなわち︑第一に特別代

表だけが憲法を改正あるいは憲法を制定することができ︑第二にこの憲法制定代表は身分の区別に関係なく形成されね

ばならないということ﹂︒

  ﹁人びとはなにをなすべきかの問題について悩むことはない︒人びとは国民が首都に特別代表を派遣するために国民

を召集しなければならない︒この特別代表は︑通常の国民議会の組織を規律するという特別の代理権をもつ﹂︒

⑹ 国民代表議会とその原則

  ﹁かって第三身分は︑農奴︵serf︶であり︑貴族身分は︑すべてであった︒今日︑第三身分はすべてであり︑貴族は

一つの言葉である︒しかしこの言葉のもとで︑新しくかつ許すことのできない貴族政治が忍び込んできた︒人民が貴族

政治を望まないのはまったく正しいことである︒このような立場で第三身分が︑国民に対して有益な方法で︑その政治

的権利をもつようになることを望むならば︑第三身分はなにをおこなうべきか﹂︒

  ﹁それに成功するには二つの方法がある︒第一の方法によると第三身分は貴族や僧職と協力してはならない︒身分と

︵九二七︶

(19)

シエースの憲法思想とその評価 一八同志社法学六〇巻三号

頭数によってもかれらに協力しつづけてはならない︒人びとが第三身分の会議と二つの他の身分の会議との間には大き

な相違があることに気がつくことを望む︒

  第一の会議は二千五百万人を代表し︑そして国民の利益について審議する︒他の二つの会議は約二十万人の権力だけ

をもち︑そしてかれらの特権だけを考える︒第三身分だけでは全国三部会を構成することができないと人はいうであろ

う︒ああ願ってもないことだ︒第三身分は国民議会を構成するであろう﹂︒

  ﹁僧職と貴族の代議士は︑国民代表と共通なものはなにももたない︒全国三部会において三つの身分の間にいかなる

同盟も可能ではない︒それらは身分によっても頭数によっても同盟することができない﹂︒

  ﹁来るべき全国三部会における第三身分の会議が王国の特別代表を召集する確実な権限をもつことは否定されない︒

フランスの偽憲法について市民の全体に知らせることは第三身分の会議の仕事である︒全国三部会は組織が悪く国民的

な職務を履行することが出来ないことを第三身分は公然と非難する︒そして同時にいくつかの法律によりその立法府に

構成的形態を規整するための特別の権限を特別代表に与える必要性を第三身分は明らかにする﹂︒

  ﹁なによりまず憲法上の大事件を規整するために︑特別代表を派遣するか︑あるいはすくなくとも一つの新たな特別

の権力を許可することは︑現実の論争と将来起こりうる国民の混乱とを解決する真の方策のように思われる﹂︒

  ﹁一つの国民代表議会の対象または目的がなにであるかを明確に理解しなければならない︒それは︑国民自身が同じ

場所に集会し討議することができるならばその国民そのものが意図するものと異なるものであることはできない︒一つ

の国民意志とはなにか︒国民が個人の集合体であるように︑それは個人意志の結果である﹂︒

  代表会議を組織するための基本的原則︵maximes

︶ ︒

  ﹁代表団は毎年︑第三身分によって更新されねばならないこと︑および任期満了の議員は︑市民のできるだけ多数の ︵九二八︶

(20)

シエースの憲法思想とその評価 一九同志社法学六〇巻三号 ものが公務に参加する能力を与えられることができるような間隔をおいた後に︑再選されねばならない︒  公務は一定数の家族に固有の事務とみなされるうるならば︑それは︑もはや公務とはなりえない︑などの原則﹂︒   ﹁市民に共通の資格をもたないものは︑すべて政治的権利に参加することができないというのが原則である︒人民の

立法府は︑一般利益のみを配慮する任務だけを与えられうる︒しかし法にはほとんど無関係な単純な差別の代わりに︑

身分上共通の状態によって敵となる特権者が存在するとすれば︑かれらは積極的に排除されねばならない︒かれらがそ

の憎むべき特権を持続するかぎり︑選挙人にも被選挙人にもなることができない﹂︒

  ﹁だから非特権者の人びとだけが国民議会の選挙人と代議士となることができることは確かである︒第三身分の希望

はつねに市民全体のために善いものであり︑特権者のそれは︑かれらが個人的利害を無視し単純な市民すなわち第三身

分そのものとおなじように投票しようとのぞまないかぎり︑つにに悪である︒だから第三身分は国民議会に期待するこ

とができるもので十分である︒それゆえ︑この身分だけが全国三部会において当然に約束されるべきあらゆる利益を獲

得することができるのである﹂︒

 2﹁第三身分とはなにか﹂の評価

⑴ ミルキーヌ・ゲツェヴィチのシエース論

  ボーリス・ミルキーヌ・ゲツェヴィチはシエースの憲法思想において﹁第三身分とは何か﹂だけを高く評価し︑その 後の業績について評価していない︒つぎにその評価を紹介する

6︶

  シエースは唯一の著作の人であり︑その唯一の著作がかれに栄光を与え︑その不朽の名声を与えた︒﹁第三身分とは

なにか﹂このパンフレットがシエースを近代文献のパンテオンに入らしめたのである︒﹁第三身分とはなにか﹂と同じ

︵九二九︶

(21)

シエースの憲法思想とその評価 二〇同志社法学六〇巻三号

ように︑昨日はまだ著者は無であった︒今日はかれはすべてであった︒シエースの﹁第三身分とはなにか﹂の観念︵idées︶ は著者のみならず︑フランス全体に属している︒その推論︑論理︑論証の力は著者のものであるが︑その思想︵pensée︶

は共同のものである︒一七八九年のはじめに全フランスはシエースのように考えていた︒シエースのその後の著作が﹁第

三身分とはなにか﹂ほど成功しなかったのはそのためである︒

  シエースは憲法制定議会にかれの指示︵directives︶によってのみならず︑かれの反感︵antipathie︶によって影響を

あたえた︒たとえばかれは英国の制度を厳しく批判しており︑ミラボーの讃歎した議院内閣制をうけいれなかった︒そ

して憲法制定議会は︑シエースの影響の下で議院内閣制を採用しなかった︒

  シエースはその著作の中に憲法制定権力の教義︑成文憲法の理論を描いている︒かれはフランスのみならず近代の全

世界に役立つ憲法的骨組をのこしている︒

  ﹁第三身分とはなにか﹂はかれの完全なプログラム︑政治的︑憲法的︑行政的そして社会的プログラムである︒

  ミルキーヌ・ゲツェヴィチは︑シエースは一八世紀の政治著作家のなかでもつとも反歴史的傾向を代表していたとい

う︒シエースにとっては歴史は誤りにすぎず︑現代が過去によって説明されることをみとめない︒ルソーも反歴史的で

あったが︑シエースはなお一そう大胆にも歴史と断絶している︒かれははつきりと言っている︒歴史は無益であり︑政

治家にとつて有害であると︒そして歴史的概念のかわりに論理的概念を置いているのである︒ここにシエースが近代法

学とりわけ一九世紀の反歴史的なドイツの学問の精神的父とよばれる理由がある︒ドイツの学問は歴史的進化を考慮に

いれず︑国家主権︑権力の抽象的概念で展開されており︑要するに生きた歴史を法学的論理で置きかえていた︒

  シエースの政治哲学の知的源泉は︑モンテスキュー︑ルソー︑マーブリーらの思想ではなかった︒これらの人びとは︑

アンシァン・レジームの思想家である︒ ︵九三〇︶

(22)

シエースの憲法思想とその評価 二一同志社法学六〇巻三号   シエースは︑一八世紀に哲学者の権威は認めない︒シエースは歴史の敵であり︑モンテスキューの歴史的社会学を拒絶する︒かれはルソーに対しても好意的ではない︒ルソーの諸理論はあやまりであり︑誤解であると考えている︒  シエースのパンフレットは全国三部会の前夜に書いている︒かれは実践的目的をもっている︒それは政府と人民の性質にかんする一般的な考察ではない︒それはアピールであり︑助言であり︑第三身分の代議士に提案されたプログラムである︒それゆえ︑シエースの作品はオリジナルなのである︒  シエースは哲学者の弟子ではない︒かれは新しい概念を創り出している︒それは一般に広まっていたものであり︑すべてのフランス人が共有しており︑しかも以前のいかなる人も表明しなかったものである︒それは革命的なものであり︑

かれは近代的︵moderne︶である︒かれはすでに一九世紀に属している︒

  大革命の人びとは二つのグループに分かれていた︒一つは一八世紀の人びとであり︑その知的著作はルソー︑マーブ

リー︑モンテスキューの引用でみたされていた︒かれらは多数派であった︒少数派は︑新しい教義︑革命的理論を形成

することを試みる国民的天才の近代的政治家によって構成されていた︒ミラボー︑ダントン︑シエースがそれである︒

  憲法制定議会のシエースの価値の乏しい演説は﹁第三身分とはなにか﹂の続きを期待していた人びとを失望させ︑か

れの﹁憲法陪審案﹂は︑無益であるのみなず︑馬鹿げたものであり︑危険なペダンチスムであると︑ゲツェヴィチはい

う︒⑵ j・J・シュヴァリエの評価

  シエースの伝記作家ニイトン︵A. Neton︶は﹁第三身分とはなにか﹂についてつぎのように賞讃している︒

  ﹁第三身分は状況から生れ︑そして精神と心の中にぼんやりと沸きたつすべてのものの総合にあった︒そのときまで

︵九三一︶

(23)

シエースの憲法思想とその評価 二二同志社法学六〇巻三号

ちらばりかつ結合のなかったすべての情熱︑すべての欲情︑沸騰しているすべての思想が︑シエースのおかげで唯一の

中心︵Foyer︶の周辺に結合され︑集まり︑たがいによりそっていた﹂︒   ジャン・ジャツク・シュヴァリエは︑ニイトンを引用したのち︑﹁第三身分とはなにか﹂をつぎのように評価してい

7︶

  特権階級は全国三部会にその特権が保護されること︑その是認を期待していた︒

  ブルジョアジーは︑もはや存在理由のないゴシック的差別を全国三部会が絶滅させることを期待していた︒それは憲

法制定へ突進できる終結点であると第三身分には思われた︒

  モンテスキュースタイルの憲法︑あるいはモンテスキューとルソーを結合したようなアメリカ風の憲法︑国民的理性

から引き出された憲法︑ブルジョアジーはフランスに憲法はないといい︑その制定を希望する︒しかし特権階級は︑戰

術上一つの憲法︑基本法が存在しているという︒しかしこの幻想的な憲法の正確な内容については特権階級の中でも意

見が一致しなかった︒

  新しい全国三部会は封建的全国三部会ではなくて平等を原理とするブルジョアジー的全国三部会であることを第三身

分は希望した︒すなわち︑第三身分の議員数が他の二つの特権階級の議員数と平等になること︒さらに身分ごとの投票

ではなく頭数による投票︑それこそが倍加された第三身分の見解に勝利を導く方法である︒

  公然たるペンによる戦争が︑冊子︑パンフレット︑風刺文の形で印刷物の波となっておこなわれた︒

  最初人びとは︑﹁第三身分﹂のなかに︑同じ時期に現れた無数のパンフレットに共通な二つの性質を見ていた︒すな

わち︑トクヴィルが信じていたように﹁歴史の無視﹂と﹁数量的議論の信仰﹂︒ついでシエースのパンフレットは︑そ

の当時支配していた二重の感情を辛辣に表現していた︒すなわち︑﹁特権の嫌悪﹂と﹁非特権者の熱狂︵Exaltation

︶ ︒ ︵

︵九三二︶

(24)

シエースの憲法思想とその評価 二三同志社法学六〇巻三号 スティドは礼賛︵Apothéose︶という︶﹂︒

  これらの無味乾燥なかつ緊張した文章を読むと︑第三身分の上層部︑かなり進歩的な者だけが︑かれらの歴史的状況

と直接的行動の義務を意識していたことがわかる︒

  かれらにおいてそしてかれらだけに︑国家の統一が現実性を帯ていたのである︒この統一は︑ルソーから借り入れた

博識の形而上学によって︑しかしオリジナルな文章でシエースによって再思考され︑生き生きした個人の全体によって

構成される団体としての人民の中ではなく︑国民の中に実現されていた︒国民︑それは社会的全体の新しい抽象的な顔

であり︑かなり不可解な新しい実体であった︒

  シエースは﹁第三身分とはなにか﹂という簡潔な表現で︑サント・ブーブの表現を借りると大革命の予備的段階に﹁洗

礼を施していた﹂のである︒

Qu’est-ceque le Tiers État ?1︶ ﹁第三身分とはなにか﹂︶は一七九六年︑一七九九年︑一八二二年︑一八三九年に再編集され出版されている

そして一八八八年シャンピオンとオーラールらの﹁フランス大革命の歴史学会︑一七八九年の百年の歴史的準備のための研究委員会﹂が校

訂本を出し︑一九八二年再編集されている︒これには﹁特権にかんするエッセイ﹂も収録している︒この本ではJ. Tulardが緒言

préface︶を書き︑Edme Championが序文︵introduction︶を書いている︒

   ﹁シエース︑フランス大革命の鍵﹂の著者ブレダンも﹁第三身分とはなにか﹂の新書版を一九八八年にFlammarionから出版しており序文を

書いている︒その他の版もある︒

   翻訳書は大岩誠﹁第三階級とはなにか﹂が岩波文庫から出ている︒これには﹁特権論﹂と﹁信仰の自由﹂が収録されている︒五十嵐豊作

訳﹁第三身分とは何か﹂もある︒

2︶ 一七八八年一二月二七日顧問会議決議で第三身分が聖職身分・貴族身分の合計と同数の議員数を持つことが決定された︒

3︶ 全国三部会で第三身分は各身分の議員資格の頭数制投票による共同審査を要求したが︑国王らの反対にあい︑第三身分だけで球戯場で集

会を持ち国民議会となり憲法制定を誓った︒

︵九三三︶

(25)

シエースの憲法思想とその評価 二四同志社法学六〇巻三号

Emmanuel Sieyès, Quiers État?Preface de Jean Tulard. p. 5253.’est-ce que le T4︶ 大岩訳﹁第三階級とは何か﹂︵岩波文庫︶六二頁

5︶ 山本浩三﹁憲法制定権力論﹂同志社法学二一三号参照

B. Mirkine-Guetzévitch, L’abbe Sieyès La Revolution Française, revue de la histoire contemmporaine. 1936 p. p. 227236 .6︶ 

Jean-Jacques-Chevallir, Les grandes œuvres politiques. p. 183.7︶ 

三 シエースと人権宣言

⑴ 人権宣言の成立

  人権を成文法によって保障することはすでに全国三部会の陳情書によつて要請されていたものである

1

  国民議会は一七八九年七月六日︑憲法制定の作業に入ることとし︑﹁憲法の対象にかんする事項の配分委員会﹂を設

置することを決定し︑三〇人の委員を任命した︒しかしシエースはムーニエと意見が対立しており︑その委員には選ば

れなかった︒

七月一四日国民議会は憲法には人権宣言を含むべきであると決定し

︑第三身分代表四名

Mounier, Sieyès, Le

Chapelier, Bergasse, 僧職身分代表二名︑Talleyrand, Champion de Cicé, 貴族身分代表二名 Clermont-Tonnerre, Lally- Tollendal 合計八名による第一次憲法委員会が選出された︒

  七月一六日委員会の要求により︑シエースは七月二〇日と二一日に﹁理論的解説﹂を議会で読み上げた︒これは二二

日に印刷局に送られ︑その後数日して全議員に配布された︒

  ムーニエは七月二七日に一六条の人権宣言案を発表し︑シエースに反論している︒ ︵九三四︶

(26)

シエースの憲法思想とその評価 二五同志社法学六〇巻三号   国民議会は︑国王派の反革命の脅威に対抗するために︑憲法制定の作業を単純化し︑迅速に仕事を成功させるために︑

八月一二日に討論の基礎となるべき原案を作成する五人委員会︵Desmeuniers, évêque de Langres, Tronchet, Mirabeau,

Rhédon︶が設置された︒

  八月一七日五人委員会の作成した原案がミラボーによって本議会に堤出されたが却下され︑議会内の第六部会︵le sixième bureau︶の作成した草案が原案とされ︑八月二〇日から二六日にかけて本議会で逐条審議された︒

  この原案二四ヶ条は一七ヶ条に圧縮され︑﹁原案よりもより一そう簡潔でその措辞もまたさらに適切かつ雄勁になっ ている﹂とルフェーヴルはいう

2︶

  稲本教授はシエースの人権案が︑﹁八九年の権利宣言第一七条︑第一一一六条の文言に直接・間接の影響をあたえ

ているとともに︑其れ自体としては体系的でない八九年権利宣言の背後に一つの平均化された共通の思想を形成するに

際して決定的な影響をあたえたと考えられる﹂という

3

  浦田教授はシエースの人権案には社会権的なものが含まれると指摘し︑これは︑革命前の救貧事業と共通する面もあ

り︑﹁シエースの社会権構想は︑豊かな生活を求める民衆の必然的な要求を背景にしつつ︑その要求を変質させて︑貧

困者の労働力の組織化をとおして︑本源的蓄積の要求に応えようとしたブルジョワジーの構想ということができよう﹂

という

4︶

  人権宣言は憲法の完成された暁には︑あらためて再検討され補足されるであろうという了解があって︑暫定的に八月

二六日に採択された︒

  しかし憲法が完成に近づくと人権宣言の再検討には反対意見が強くなってくる︒そのころには﹁人権宣言は︑人民の

眼にはすでに﹃宗教的で神聖な性質﹄を帯びたものと映じており︑すでに﹃政治的信条の象徴﹄にもなってしまったの

︵九三五︶

(27)

シエースの憲法思想とその評価 二六同志社法学六〇巻三号

であるから︑それに手を触れることは慎むべきである﹂というトゥーレの反対もあり

︑人権宣言のわずかな字句の修正 5

にとどまり︑そのあとに憲法の前文と第一編﹁憲法によって保障された基本的諸規定﹂が追加され人権宣言を補足する

こととなったのである︒

⑵ シエースの人権宣言七月案

6

シエースは七月二〇日と二一日に

﹁憲法の前文

︑人間と市民の権利の承認と理論的解説﹂

préliminaire de la

constitution. reconnaissance et exposition raisonnée des droits de l’homme et du citoyen.︶を堤出しこれを朗読した︒

  これは﹁第三身分とはなにか﹂とともにシエースの革命的憲法思想を表明するものであり︑ここに全訳する︒

﹁考察﹂︵observations︶   人間に対して大きな真理を提示するのに二つの方法がある︒第一は︑信仰箇条としてそれらに強制する方法であり︑

理性よりもむしろ記憶をそれらにおわせる方法である︒多くの人びとは︑法律がつねにこの性質をもたねばならないと

主張する︒そのようなことがおこなわれるときに︑市民の権利の宣言は︑一連の法律ではなくて︑一連の原則である︒

  真理を提供する第二の方法は︑それからその本質的性質︑理性︑明白さを奪わないことである︒人びとは真にその理

性をもって知っていることだけを知っている︒私は信じる︒このようにして一八世紀のフランス人の代表者はかれらの

委任者に語らねばならないと︒

  明晰であるためには二つの方法がある︒第一はその主題から注意を必要とするすべてのもの︑すべての人びとが前も ︵九三六︶

(28)

シエースの憲法思想とその評価 二七同志社法学六〇巻三号 って知っている陳腐なことから出るすべてのものを断ち切ることである︒つぎのことを認めねばならない︒いかなることもこの計画にもとづいて行われる仕事以上に読者の大衆にとって単純でかつ明晰なものはないということ︒しかし人びとがその主題を取り扱おうとするならば︑それをその性質がそれを要求するようにそれを提示し︑それに属しているすべてのことを語り︑そしてそれに属していないものをすべて避けることである︒熱望されねばならないものは︑他の種類の明晰さである︒  その上︑この小さな仕事の終わりに︑人びとは社会における人間の関係に反映されることに慣れていない大多数の市民に固有で︑すでに知られている権利宣言の好み︵goût︶の中に一連の格言を見出すであろう︒

人間と市民の権利の承認と理論的解説

  国民議会に結集したフランス国民の代表者は︑かれらがその委任︵mandats︶によって国の憲法を再生させる特別の

任務をもつことを承認する︒

  結果として︑代表者たちは︑この資格において︑憲法制定権を行使する︒しかしながら現在の代表者は︑厳格には︑

そのような権力の性質を必要とするものに適合していないので︑つぎのように宣言する︒かれらが国民に対して与えよ

うとする憲法は︑すべての人びとにたいして一時的に拘束力があるとはいえ︑この唯一の目的のために臨時に召集され

た新しい憲法制定権力が︑原則の厳格さが要求する同意を与えたのちにはじめて決定的となる︒

  このとき以来憲法制定権力の諸作用を行使するフランス国民の代表者は︑すべての社会的結合そして結果としてすべ

ての政治的憲法は︑人間と市民の権利を表明し︑拡大し︑そして保障すること以外の対象をもつことができないことを

︵九三七︶

(29)

シエースの憲法思想とその評価 二八同志社法学六〇巻三号

考慮する︒

  だから代表者たちは︑かれらが最初にこれらの権利の承認に専心しなければならないと判断する︒その理論的解説は︑

不可欠な前提として︑憲法案に先立たねばならない︒そしてすべての政治的憲法に対して︑すべてのものは︑差別なし

に︑達成するよう努力しなければならない目標または目的を提示することであると判断する︒

  結果として︑フランス国民の代表者は︑実定的かつ厳粛な審署によって︑人間と市民の権利の次のような宣言を承認

しかつ確定する︒

  人間は︑その性質により︑欲求に従う︒しかしその性質により︑それを満たす手段を所有する︒

  人間はあらゆる場合において︑幸福の欲求を感じる︒しかし知識︑意志と力を受けている︒認識するための知識︑決

定するための意志︑それを行うための力︒

  このようにして︑幸福は人間の目的である︒その精神的︑肉体的能力は︑その人格的手段である︒それらをもって人

間は財産とそれらに必要である外的手段をわがものとすることができ︑または手にいれることができる︒

  自然の環境におかれて︑人間はその贈り物を獲得する︒人間はそれを選択する︒人間はそれを増殖させる︒人間はか

れの労働によってそれを改良する︒同時に︑人間はかれを害するものを避け予防することを学ぶ︒人間はいわば︑自然

から受けとった力をもって自然から身を守る︒人間は自然とあえて戦いさえする︒その勤勉さは︑つねに自己を改良し

ようとする︒そしてますますその欲求に対し自然のすべての権力を従わせる︑その進化において無限な人間の権力を見

る︒  その同胞の真ん中に置かれて︑人間は新しい多数の関係で圧迫されているのを感じる︒個々の他人は︑必然的に︑又

は手段として︑又は障碍として現れる︒だからその同胞との関係以上に人間にとって大事なものはない︒ ︵九三八︶

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