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『存在』に対する直感 : ワーズワースとコウルリ ッジの詩におけるエピファニー

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『存在』に対する直感 : ワーズワースとコウルリ ッジの詩におけるエピファニー

著者 西川 久里

雑誌名 主流

号 46

ページ 52‑72

発行年 1985‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014965

(2)

52 

『存在 j に対する直感

一一ワーズワースとコウルリッジの詩におけるエピファニ一一一

西 川 久 里

ワーズワース (Wil1iamW ordsworth)とコウルリッジ (SamuelTaylor  Coleridge)の詩には,エピファニー(Epiphany)一一人生と芸術は一瞬のう ちにその本質を開示するーの考え方が,共通して見られる.ニの考え方 は,産業革命以降の物質主義の台頭により人々が精神的拠り所や精神的調和 を失ってしまった時代において,神への信仰と確信とを見い出すべく行なわ れた不断の努力の結果生まれたものである.確実なものを持たなくなった人 間の社会において,この両詩人は,自らの感覚と直惑を頼りに,深く自らの 内面の世界への探究を続けた.それは絶対的存在(absoluteexistence)に対 する直感としてあらわれ,内界と外界をつなぎ,宇宙の内に組み込まれた存 在(existence)である自己を支える極めて重要な役割を果たすことになる.

本論においては,このようなエビファニーの瞬間を可能ならしめる存在につ いての捕え方と想像力についての考え方を踏まえながら,作品を分析し,両 詩人にとってエピファニーがどんな意味を持っているかを追求していきた し¥

コウjレリッジは TheFriendの第11章において,

I

自己意識

J

(self‑ consciousness)と「崇高

J

(the sublime)の経験との関係について述べてい るが,そこでは,存在を,単に「存在する」という「行為

J

(act")として 捕え,特別な様式や形状に関与することなしに事物を捕えることの重要性を 説いて,

(3)

『存在jに対する直感 53  opening of the inward eye to  the glorious vision of that existence  which admits of no question out of itself, acknowledges no predicate  but the  1 A M  IN THAT 1 AM!

としている.この見方は,

r

我ある故に我存す」以外のいかなる属性をも認 めない態度である.この見方によって,

r

内なる目」は,

r

絶対的存在に対す

る直感j(an intuition of absolutexistence)に支えられた「輝かしい光景

J

へと聞かれる.この「直感」において,

r

内なる目 j は,宇宙が「エッセン スj(essence)3によって構成されているという見方から解放される.

コウルリッジは BiograρhiaLiterariaの中で,この「エッセンス」を次 のように定義している.

Essence, in its  primary signification, means the principle of individ

ω‑

tion, the inmost principle of the possibility of any thing, as  that pa

ticular thing. It  is  equivalent to the idea of a thing.

意識は,この「エッセンス j,すなわち,

r

個別化の原理」から解放されるの に対応して,

r

絶対的存在に対する直感jへと移行する.この「絶対的存在」

は,コウルリッジにとっては,

r

神j に匹敵するものとして考えられている ようである. しかし,この「絶対的存在」の活動は,決してあの世的なもの ではなく,あくまでも現世における不連続的な現象を通じて,そこに内在す る活動なのである.この「絶対的存在」の活動は ,The Friendの中で、は,

r

命のほとばしる流れ」として表現されている.

life‑ebullient  stram which  breaks  through  every  momentary  embankmnt,again, indeed,呂ndever more to  embank itself, but with‑ in no banks to stagnate or be imprisoned.

この「生命のほとばしる流れjのイメージで表現されている「絶対的存在

J

(4)

54  f存在』に対する直感

の活動は,意識が個別の事物の「概念

J

,すなわち,

r

エッセンス」によって せき止められる時失われる.ところが,この「エッセンス」によるせき止め が解かれる時には,この「絶対的存在jの活動は,力強く自由なものとなる.

「絶対的存在

J

,あるいは,

r

崇高」への直感は,先にも述べたように,あ くまでも,意識があるがままの外界の事物と接触することによって実現され るのである.これは,現代の実存主義者たちの「知覚」に対する考え方と一 致する.J. M.エデイ氏によると,実存主義者たちにとっては「知覚j とは 次のように説明されるものである.

Perception is, rather, the area of transcendental" experience, and ulti.  mately all structures of consciousness are founded on the primary per‑ ceptual contact of consciousness with the world.

意識と世界との「最初の知覚上の接触」が,結局 ,

r

意識のすべての構造」

の基礎である,というのである.そして,

r

絶対的存在に対する直感」もまた,

知覚しようとする意識の「直感的経験」 transcendentalexperience"に負う ている.意識が捕えようとする対象が,無限の不可解さを示すにつれて,意

識は,それ自体の無限の深みへと浸透し,そこで,無限のエネルギーとして 自らを直感する.すなわち,意識が,全現象界のあるがままの「存在

J

を捕 えようとする時,自らの「存在jの無限のエネルギーを直感する.意識自体 が,無限の動的な行為者(agent)として,自らを認識することによって,心 はその「内なる目」を,

r

絶対的存在に対する直感

J

という「輝かしい光景j へと開くのである 7

このように無限の動的な行為者とLて自らを認識する意識,

r

自己意識

J

を, コウルリッジは notcakindofbeing, but a kind of knowing. . . the highst and farthest that exists for us . . ."と説明し,さらにそれを次のように敷街

している. Inthis, and in this alone, object and subject, being and know‑

ing, are identical, each involving and supporting the other.必この「自己意

(5)

『存在jに対する直感 55  識」においてのみ,主体と客体が,互いに巻き込み,互いに支え合いながら,

一体化するのである.次のコウルリッジの手記は,動的な行為者である「自 己意識」と,

r

象徴」とのかかわりを知る上で重要である.

In  looking  at  objects  of  Nature, while 1 am thinking, as  atyonder  moon dim‑glimmering through the dwywindow‑pane; 1 seem rather  to  be seeking, as it  were asking, a symbolical languag'e for something  within me that  already and for  ever exists, thanobserving anything  new.  Even when that  latter  is  the  case, yet still  1 have always an  obscure feeling as if  thtnew phenomenon were the dim awaking of a  forgotten or hidden Truth of my inner N ature.

この場合,詩人は自然の中に自分の内なる真理を写し出しうる対象を求めて いる.このような自然に投影される内面の真理を表現する「象徴的な言葉」

は,

r

自己意識j の深みへと浸透することによって見つけ出される.

「自己意識」の無恨の深まりを保ち,それを自然の与える個々の事象と結 ぴつけるのは,想像力に他ならない.コウルリッジによれば,想像力によっ て,個別の不連続の事物が, [存在jへと練り上げられる.彼は,その手記 に, Irnagination[is]  the laboratory in which Thought elaborates Essence  into Existence"lOと記じている.すなわち,個々の事物それ自体は,

r

本質

的には,固定した,死んだ、もの

J

(essentiallyfixed and dead"ll)であるが,

想像力によって,生きた有機的統一体へと再創造され得る.自らの無限の動 的なエネルギーを直感する「自己意識」に,

r

固定した,死んだ

J

個々の事 物を結び、つけ,それを,有機的統一体へと「練り上げていく」というのであ る.コウルリッジによれば,想像力は単に「人間の知覚作用の第一の行為者」

であるばかりではなく,

r

再創造するために,融解し,拡散し,消散する」

(6)

56  『存在jに対する直感 という,再創造力を伴うものである.

Biographia Literariaの第13章に,有名な二つの想像力についての記述があ る.

TheI.mginationthen 1 consider either as primary, or secondary. The  primary lmagination 1 hold to be the 1iving power and prime agent of  all  human perception, and as  a repetition in  the infinite  1 AM. The  secondary  lmagination  1 consider  as  an  echo  of  the  former, co‑ existing with the conscious will, yet sti11 as identical with the primary  in the kind of its  agency, and differing only in degree, and in the mode  of its  operation. 1t  dissolves; diffuses, dissipates, in  order to recreate:  or where this process is  rendered impossible, yet still  at  all  events it  struggles to idea1ize and to unify12 

この再創造力を持つ「第二の想像力 j は,

I

意識的な意志」と共存しながら,

それ自体,

I

融解,拡散,消散し」つつ,

I

固定した,死んだ」個々の事物,

すなわち,

I

エッセンス」を,

I

存在」へと練り上げる.たとえ,

I

この過程 が不可能と見なされる」場合でも,

I

とにかく,理想化,あるいは,統一化 するために闘う」のである.

このコウルリァジの想像力についての記述は,ワーズワースの『序曲j (The Prelude),第6巻にある TheSimplon Passのエピソードにおける想像 力についでの記述と呼応している.次の引用は,内界と外界を結びつける想、

{象力の働きと,その象徴的意味あいを理解する上で重要である.

Imagination‑here the Power so clled Through sad incompetence of human speech,  That awful Power rose from thmind'sabyss  Like an unfathered vapour that enwraps, 

(7)

f存在j に対する直感 At once, somelonely traveller. 

The immeasurable height  Of woods decaying, never to be decayed,  The stationary blasts of waterfalls,  And in the narrow rent at every turn 

Winds thwarting winds, bewildered and for1orn,  The torrents shooting from the clerblue sky,  The rocks thtmuttered close upon our ears,  Black drizzling crags that spake by thway‑side As if  a voice werinthem, the sick sight  And giddy prospect of the raving stream,  The unfettered clouds and region of thHeavens, Tumult and peace, the darkness and the light

Were alllike workings of one~mind , the fatures Of the same face, blossoms upon one tree;  Characters of the great Apocalypse  The type and symbols of Eternity, 

Of first, and last, and midst, and without endY 

57 

「畏敬すべき力」である「想像力」は,

r

心の深淵jから,

r

どこから生じた ともわからぬ霧

J

の如く突然生じ,

r

孤独な旅人」を包む.ここで示されて いる「心の深淵」とは,

r

自己意識

J

の深淵である.

r

想像力

J

は,この意識 の「目に見えぬ世界

J

から,自然の無限の高みと深みへと浸透し,自然が,

意識の「日に見えぬ世界」の象徴となる.The Simplon Passの黙示的な様 相は,

r

想像力」が,崇高なる「自己意識」と外的な現象界との間で、保って いるこ面価値(ambivalence)を示している

. r

想像力jが理想とする永遠性と,

(8)

58 

r

存在j に対する直感

同じく「想像力

J

が統合化を試みる現象界における動的な動きとの関で矛盾 し合う二面性である.このことは,前の引用の中の「腐朽するが,決して朽 ち果てない森j,

r

静止Lている爆布

J

r

激動と平安j,

r

暗黒と光」といった 静と動,滅亡と不滅,明と暗の相反するイメージに表現されている.

「想像力

J

を取り巻くこのような相反するイメージの並存は,コウルリッ ジの言う次のような想像力の出現の舞台と合致している.

[Imagination) reveals itself in the balance or reconciliation of opposite  or  discordant qualities:  of  sameness with difference;  of  the general,  with the concrete; the id with the image; the individual, with the 

14 

representahve 

死すべき運命にある現世のすべての事物が,想像力によって永遠性の内にす くい取られ9 均衡と調和を得るのである.同様に,ワーズワースの The Simplon Passにおいては,崇高なる「自己意識」と現象界の問の驚くべき 均衡が,想像力によって支えられている.詩人は「狭い裂け目」と「自由な 雲と天空」の開で,自らの均衡を保っている.黙示に向かう動きの中で自然 が無限に支えられ,深淵の上にのしかかっているかのようになりながらも実 は均衡が保たれているのである.また,この均衡には,ある種の脅威,危険 がはらまれていることも見逃しではならない.

r

水滴をしたたらす黒く険し い岩山j,

r

荒れ狂う水流の吐き気や目まいを催させる光景

J

といった表現の 中に,脅威や危険が潜んでいることを読み取らずにはおれない.最後に,相 反する静と動,滅亡と不滅,明るさと暗さのすべてのイメージが,

r

一本の 木に花をつける」ものとして,一つの統合体,一つの有機的統一体に組み込

まれて結ぼれている.

想像力によって再創造され,均衡と調和を得た有機的統一体は,コウルリッ

(9)

f存在Jに対する直感 59  ジの「イオリアの竪琴

J

(The Eolian Harp")の中では,

I

我らの内と外なる 一つの生命」として示されている.

. . . the one Life within us and abroad,  Which meets all motion and becomes its sou ,l A light in sound, a sound‑like power in light,  Rhythm in all thought,品ndjoyance every where̲15 

喜び、を伴った,遍在的な光と,音の融合として示されているこの「我らの内 と外なる一つの生命

J

は,

r

万物の動きに合致」し,

r

その魂となる」もので ある.さらにこの oneLif,ぜ'は,

r

宗教的思想

u

(Religious. Musings")にお いては,

r

遍在し,万物を造る一つの心,その至高にして聖なる名は愛jで あり,さらに

Soaring aloft 1 breathe the empyreal air  Of Lov omnific,omnipresent Love,  Whose day‑spring rises glorious in my soul  As the great Sun, when he his influence 

Sheds on the frost‑bound waters‑The glad stream  Flows to the ray and warbles as it  flows.16 

と語られている.ここでも,光と音の融合のイメージを伴って, OneLife" 

が,言葉を変えて, Love"として描かれ,それが,

r

私の魂」の内に生じ,

万物の上に存在することが示されている.

ワーズワースにおいても,この人間の内と外の世界に遍在する有機的統一 体としての「一つの生命jの思想は,同じ《喜びゃ光のイメージとともに,

「 テ イ ン タ ー ン 僧 院

J

(Lines  Composεd a Few Miles  above Tintern  Abbey")の中で語られている.

(10)

60  『存在jに対する直感 And 1 have felt 

A presence that disturbs me with the joy  Of elevated thoughts; a sense sublime  Of something far more deeply interfused,  Whose dwelling is  the light of setting suns,  And the round ocean and the living air,  And the blue sky, and in thmindof man:  A motion and a spirit, that impels 

All thinking things, al1 objects of al1 thought,  And rol1s through all things17 

自然と人間の心の内に住む「深く深くしみ込んだ何ものか」は,万物を駆り たて,万物の中を流れる「一つの動きであり,一つの精神」である.これは,

先に引用したコウルリッジの「イオリアの竪琴

J

の中の「すべての動きに合 致し,その魂となる我らの内と外なる一つの生命

J

に匹敵する.さらに,

r

曲』においては,この「深く深くしみ込んだ、何ものか」は,

r

喜び」や「歌」

を伴った「一つの生命

J

OneLife"として説明され,コウルリッジとワ}

ズワースをつなぐ重要な接点としての「一つの生命jの思想、を浮かび上がら せる.

FromNature and her overflowing soul  1 had rceiv'dso much that al1 my thoughts  Were steep' d in feeling; 1 was only then  Contented when with bliss ineffable  1 felt the sentimntof Being spread 

O'er al1 that moves, and all出atseemeth sti ,1l O'er all, that, lost beyond the reach of thought  And human knowledge, to the human eye 

(11)

f存在Jに対する直感 Invisible, yet liveth to the heart, 

O'er all that leaps, and runs, and shouts, and sings,  Or beats the gladsome air, o'er all that g1ides  Bneaththe wave, yea, in the wave itself  And mighty depth of waters. W onder not  If such my transports were; for in all  things  1 saw one life,品ndfelt that it was joy  One song they sangandit  was audible,  Most audible then when the fleshly er, O'ercome by grosser prelude of that strain,  Forgot its functions, and slept undisturb'd.18 

61 

万物の内にある「一つの生命

J

に対する直感が,強い調子で語られている.

自然から非常に多くのものを受け取ったので,詩人の思考は「感情の中に浸 された」と書いている.それはまるで,詩人自身の魂が,彼の意識を支配し ている感情とともにあふれ出したかのようである.詩人が感じた

r r

存在

J

の感情」それ自体が,現象界に広がる詩人の感情の如くにも受けとめられる.

ワーズワースの

r r

存在

J

の感情

J

,thεsentimentof Being"に対する直感と は,コウルリッジによれば,

r

絶対的存在に対する直感

J

(an intuition of  absolute existence)と呼ばれているものである.

ワーズワースとコウルリッジの「一つの生命」について,さらに共通して いえることは,それが常に「喜び

J

を伴うということである.コウルリッジ が,直感された「絶対的存在

J

は,それ自体,

r

計り知れない喜ひ守と,すべ てを理解する愛を伴い,永遠,無限に自らを喜び,愛するもの

y 9

であると 述べていることからも,これが裏打ちされている.

(12)

62  f存在jに対する直感

以上,考察してきた,

I

我らの内と外なる一つの生命

J

の思想は,想像力 によって可能となった主客合ーの思想の一つの表現である.次にこのような 主客合ーの思想に支えられた「究極的真実

J

(the Supreme Reality)の啓示 の瞬間であるエピファニーの瞬間を捕えた作品を検討してゆきたい.

都市の雑踏と孤独の中にあって,詩人の脳裏に,かつて見た色鮮やかな群 なす水仙の光景がよみがえる.この瞬間は,詩人ワーズケースにとって,

つのエピファニーの瞬間として,重要な意味を持つ.

For oft, when on my couch 1 lie  In vacant or in pensive mood,  They flash upon that inwardeye  Which is the bliss of solitude; 

And then my heart withpleasure fills,  And dances with the daffodils.20 

孤独の内にある詩人の「内なる目」にひらめき映った水仙の光景は,彼にとっ て,調和と秩序の新しい啓示を経験したことの一つの証,一つの象徴なので ある.かつて見た金色の群なす水仙の光景は,詩人によって,時間と空間を 経て修正され,調和と秩序の象徴として置き換えられたのである.花々の中 に見い出された生命と詩人の内なる生命が結びつけられ,

I

一つの生命

J

と して再創造されたのである.詩人の「内なる目」に映った水仙の光景は,単 に詩人が実際に見たもの,すなわち,コウルリッジの言葉を借りれば,

I

第 一の想像力」によるものではなくて.

I

第二の想像力

J

によるものである.

すなわち.

I

融解,拡散,消散する

J I

恐るべき力」によって,再創造され,

理想化された調和と秩序の象徴なのである.

調和と秩序の啓示を示した,視覚的に色鮮やかな詩である「水仙

J

(The 

(13)

『存在』に対する直感 63  Daffodil")と関連して思い出すのは,

r

竪琴」の聴覚的イメージを伴ったコ ウルリッジの「ナイチンゲ」ル

J

(The Nightingale")である.

r

ひとしきり の沈黙」の後の自然の悦惚とした目覚めの瞬間を歌っている.

. and oft, a moment's space, 

What time the moon was lost behind a cloud,  Hath heardpauseof silence; til1 the moon  Emerging, hath awakened erthand sky  With one sensation, and those wakeful birds  Have all bi1rst forth in choral minstrelsy,  As if  some sudden gale had swept at  once 

A hundred airy harps' And she [th gentleMaid"J hath watched  Many a nightingale perch giddily 

On blossomytwig still  swinging from the breeze,  And to that motion tune his Wanton song 

Like tipsy 

oy that reels with tossing head.21 

このナイチンゲールの沈黙を破った突然の躍動の瞬間は,全宇宙の躍動の瞬 間であるかのようである.詩人自らの詩歌への思いとあいまって,ナイチン ゲールの奏でる「百の軽快な竪琴

J

は,読者の耳にも,全宇宙にみなぎる生 命の奔流の啓示として,開こえてくるのである.

また, ThisLime‑Tree Bower My Ptison"において,詩人コウルリッジ は,友人と共に散歩に出かけることが許されず,一人庵にあって友人達の道 すがらを思い浮かべている.自分がかつて,広大な景色に「目まいを覚え,

沈黙を守っていたj ことを思い出し,友人であるラム (CharlesLamb)もま た,自分が経験したようなJ防惚の瞬間を経験することを期待し,次のように

,書いている.

(14)

64  f存在』に対する直感 . So my friend 

Struck with deep joy may stand, as 1 have stood,  Silent with swimming sense; yea, gazing round  On the wide landscape, gaze till  all doth seem  Less gross than bodily; and of such hues  As veil the Almighty Spirit, when yet he makes  Spirits perceive his presenceZ2 

詩人は,友人が,万物の目に見える形体から解放され,ついには,万物の内 に潜む「全能者の精神」に触れることを望んでいる.ここでも,全宇宙を支 配する「精神」との避遁の瞬間が語られている.

Hymn before Sunrise in the Vale of Chamouni"では,このような「全 能者の精神j との避遁による悦惚の瞬間と同時に,それが主客合ーの統一体 の内に象徴されて語られている.この詩は,モンプランへの呼び、かけの形で、

展開される.

r

松林の静寂の大海原jから浮かぴ上がった「畏るべき姿」を 見つめているうちに,詩人は,つねに自らを神の聖なるヴィジョンへと導く 悦惚とした喜びを経験する.

dread and silent Mount! 1 gazed upon thee,  Till thou, still present to the bodily sense,  Didst vanish from my thought: entranced in prayer  1 worshipped .the Invisible alone 

Yet, like some sweet beguiling melody,  So sweet, we know not we are listening to it, 

Thou, the meanwhile, wast blending with my Thought,  Yea, with my Life and Life' s own secret joy: 

Till the dilating Soul, enrapt, transfused, 

(15)

f存在Jに対する直感 Into thmightyvision passing‑there 

As in her natural form, swelled vast to Heaven' 

Awake, my soul! not only passive praise  Thou owest' not alone these swe11ing tears,  Mute thanks and secret ecstasy' Awake,  Voice of sweet song! Awake, my hartawake'  Green vales and icy cliffs,品11join my HymnZ3 

65 

「恐るべき沈黙の山

J

が,遂には ,

I

私の思想

J I

私の生命と生命そのものの 秘密の喜び」と入り混じり,詩人の内なる思想,生命と一体化し,詩人の内 なる真理の象徴として表出されている.詩人はモンプランに神への称賛を命

じ,この詩を結んでいる.

Rise like a cloud of incense from thεEarth!  Thou kingly Spirit throned among the hi11s,  Thou dread ambassador from Earth to Heaven,  Great Hierarch! te11 thou the silent sky,  And tell the stars, and tell  yon rising sun  Earth, with her thousand voices, praises God. 

「天空に到るまで高くそぴて立つ」モンプランの姿は,

I

地から天への恐る べき使者」の姿として描かれている.このモンプランの姿は,

I

究極的真理

J

である神の存在を示し,ほめたたえる一つの象徴的な姿である.

以上,想像力によって支えられた主客合ーの「究極的真理」が,ある光景 の内に啓示されている例について考察してきた.次にこの「究極的真実jが, 人間の姿を通じて表現されている例を検討してみたい.

『序曲

J

の中で,ロンドン滞在について書いている第7巻に,

I

盲のもの

(16)

66  f存在jに対する直感

乞い」についての記述がある.都会の雑踏の中で,突然,詩人は一人の「盲 のもの乞い

J

に出会う.

Amid the moving pageant, 'twas my chance  Abruptly to be smitten with the view  Of a blind beggar, who, with upright face,  Stood propp'd against a Wall, upon his Chest  Wearing a written paper, to. explain 

The story of the Man, and who he was  My mind did at this spectacle turn round  As'¥.vith the might of waters, and it  seem'd  To 'me that in this Label was a type  Or emblem, of the utmost that we know,  Both of ourselves and of the universe .町・ 24 

胸に自分の素姓を示した札をつけた「盲のもの乞い」の姿を見て,

I

私の心 は・・・・・・波立つ水の力にでも突き当たったかのようにくらくらとしたj と 語られている.そして,詩人は,この視力を失ったもの乞いのつけている「ラ ーベル」のうちに「我々自身と同時に全宇宙のうちで我々の知りうる最高のも のの象徴があり, しるしがあるjことを直感している.すなわち,最も深遠 なる自己認識と宇宙認識の象徴を,この名札の内に見い出している.詩人は 想像力の働きによって,自らを見定め,自らとそれを取り囲む外界との関係 を確立する.過去の経験を自らの活動的な心によって再創造し続ける不断の 努力の過程においてのみ,詩人は自己認識と宇宙認識の高次のレベルへと移 行しうるのである.

しかし,自らの素姓をしるした紙を胸につけた盲目のもの乞いの光景は,

[波立つ水の力にでも突き当たったかのような」衝撃を詩人の心に引き起こ した.このように詩人が心に衝撃を受けたのは,このもの乞いの姿が象徴的

(17)

f存在Jに対する直感 67  に次のことを物語っていたためではなかろうか.つまり盲目のもの乞いのつ けていた札とは,自己に対する認識の象徴であり,この認識が一度 label"

としてなされてしまえば,もう次の瞬間には,現実とのかかわりを失い,新 たな自己認識が必要となるということをである.

「決意と独立

J

(Resolution and lndependence")における蛭集めの孤独 な老人の姿は,盲のもの乞いの姿と同様に,ある強い存在感と伴に,高次の 自己認識,宇宙認識へと詩人を引き上げる.一人の旅人として荒野をさすら う詩人は,浮世の空虚さと憂欝をしばL忘れ,散策を楽しむ.

1 was a Traveller then upon the moor;  1 saw the hare that raced about with joy;  1 heard the woods and distant waters roar;  Or heard them not, as happy as a boy  The pleasant season did my heart employ:  My old remembrances went from me wholly; 

And all the ways of rrien, so vain and melancholyz

この寂しい場所で,詩人は,一人の蛭を集める孤独な老人と出会う.その老 人の姿が,詩人の眼には,感覚を備えているように思える一つの巨大な石と 二重写しになって映る.

As a huge stone is  sometimes seen to lie  Couched on the bald top ofan eminence;  Wonder to all who do the same espy, 

By what means it  could thither come, and whence; 

So that it  seems a thing endued with sense 

Such seemed this Man, not all alive nor. dead, 

(18)

68  f存在

J

に対する直感 Nor al1 asIeep ‑ in his extreme old age: 

蛭集めの老人から,話を聞き,その話とその人物に,深く心動かされ,勇気 をもって人生に直面する決意を述べて詩を締めくくっている. しかし,真に 詩人の心を打ったのは,この蛭取りの老人が,石や木や荒地と同様に,自然 の中に位置づけられでいるその驚くべきありさまなのである.

Upon the margin of that moorish flood  Motionless as a cloud the old Man stood  τhat heareth not the loud winds when they call;  And moveth all together, if  it  move at al1 

In my mind's eye 1 seemdto see him pace  About the weary moors continually,  Wandering about alone and silently 

詩人の「内なる目

J

Iこ映る老人は,一個の事物である以前に,宇宙の内に組 み込まれ,位置づけられた, 1A M  IN THAT 1 AM"以外のいかなる属性 によっても表わし得ない存在なのである.彼は一つの事物である以前に,宇 宙の内に組み込まれた存在, abeing‑in"Z6なのである.この老人と寂しい 場所の光景は,ワーズワースを高次の宇宙認識のレベルへとヲ│き上げ,後に

も彼を支えるものとなる.

以上検討してきたように,ワーズワースは,多くの場合ある光景や人物と いう実際に感覚によって捕えられた事物の経験を基にして,これを再創造し,

象徴化する.この意味で,彼ワーズワースは,感受(reception)から投影 (projection)へのパターンを持つ詩人であるといえる.一方,コウルリッジは,

このパターンに加えて,まず自らの内面の真理を,探し求め,これを想橡力 によって外界に投影し,象徴化し,その意義を読者に読み取らせるという意

(19)

f存在jに対する直感 69  味で,投影から感受へのパターンが特椴的な詩人であるといえる.コウルリッ ジの場合,純粋に内なる真理を投影し,象般化した世界は,超自然的な世界 となり得る.このような超自然的世界に投影された主客合ーの聖なる啓示の ヴィジョンの最もすぐれた例は, w老 水 夫 行j(The Ryme of the Ancient  Mariner)における海蛇の光景である.

あほう鳥殺しによって,自己の無意識に潜む悪が発覚し,自らの内にも,

また自分を取り囲む外界にも,核となるものを発見することが出来ないまま,

老水夫は孤独の海をさまよう.人間存在への狂気の如き渇きの真中にあって,

老水夫は,突然,金色の光を放っ海蛇の群に遭遇する.

Beyond the shadow of the ship,  1 watched the water‑snakes: 

They moved in tracks of shining white,  And when they reared, the elfish light  Fell off in hoary flakes. 

Within the shadow of the ship  1 watched their rich attire: 

Blue, glossy green, and velvet black,  They coiled and swam; and every track  Was a flashof golden fire 

happy living things' no tongue  Their beauty might declare: 

Aspring of love gushed from my heart,  And 1 blessed them unaware: 

Sure my kind saint took pity on me, 

(20)

70  f存在jに対する直感 AndI blessed them unawareP 

この 海蛇の光景は,老水夫が,自らの内面の深み,自己存在の深淵へとさま よった後に,許された主客合ーの OneLife"の聖なるヴィジョンなのであ る.この老水夫の姿,それ自体が,自ら「融解,拡散,消散し」創造する「第 二の想像力

J

そのものの象徴であるかのように感じられる.海蛇の聖なるヴィ ジョンは,

r

絶対的存在に対する直感

J

(an intuition of absolute Existence)  の瞬間として,読者自身の自己認識,宇宙認識を,高次のレベルへと引き上

1げる.これは,ある種の戦'探を伴う追体験によって,読者自身の内面の真理 が,

r

究極的真実

J

として,表出された瞬間なのである.

コウルリッジの超自然的な詩における聖なるヴィジョンの表現は,確かに,

すでに見てきたワーズワースのエピファニーの瞬間の表現とは,自と性格を 異にするものである.ワーズワースにおいては,エピファニーは,時間的空 間的事物の経験を基礎にし,それが, spotsof time"28として,記'憶を媒介 にして再創造された時に可能となる.しかし,、両詩人の詩に共通して言える ことは,詩人の意識の深みにおいて見い出された内面の真理が,想像力によっ て「象徴的な言葉」として,外界に結びつけ られ,再創造されている点であ る.このようにして結合され,、再創造された主客合ーの瞬間は, Stephen  Prickett氏の言葉を借りれば, razor‑edgedbalanceofproje.ction and re‑ ception29の上に成り立っているといえる.

「絶対的存在に対する直感

J

が,瞬間的なエピtファニーという形によって しか表現され得ないということは,極めて現代的な背景を暗示しているもの と言える.エピファニーの瞬間における自己認識,ひいては,宇宙認識は,

確かに,高次の認識のレベルへと我々を持ちょげはするが,その後には,連 綿たる意識のさらなる浸透,自己存在,宇宙存在へのさらなる探究が必要と

(21)

f存 在jに対する直感 71 

されるのである.このことは,盲のもの乞いの姿,さまよい続ける老水夫の 姿を通じて,詩の中で語られ,晩年においても,

r

序 曲 』 等 の 自 伝 的 詩 を 書 き続けた,あるいは,哲学思想によって自らの内的体験に光をあて続けた各々 の詩人自身の生涯にわたる真理追究の姿勢を通じて暗示されている.自己の 内面の真理,

r

究 極 的 真 理

J

が,外界に投影され,具現化したエピファニーは,

不断の自己存在への探究の過程の中で,新たに獲得され得るのである.

i主

ノ)スロップ・フライは,

r

純粋な束の間の直感,美や永遠の瞬間的感得J,と説 明する.

( r

批評の解剖j第一エッセイ)次のワーズワースの spotsof time"につい ての記述は,エピファニーの瞬間の特徴を知る上で重要で、ある.

r

我々の人生には,

[かけがえのない]瞬間がある.その際だ、った特徴は,そこに秘められた世界を一 新する魔力……そのために喜びは高められ,我々の内部に浸透し,我々を高く,

ますます高くたかめるようにしてくれ,たとえ転落しでも必ず我々を救い上げてく れる力J.(The Prelude, X ,I1l. 257‑259, 265‑268,ワーズワースからの引用はすべ ThePoetical  Work of Willi~m Wordszrth5 Vols.  ed.  E.  de Selincourt  and  Helen Darbishire, 2nd ed. [Oxford: Oxford Univ. Press, 1954]に依る).

2  The Friend, 4th ed. (London: Rest Fenner, 1850), III, pp.  192̲193. 

3 コウルリッジのいう essence"とは,個別の事物として物を掃えること,その考 えを指しているため,単純に「本質

J

と訳せないので以降「エッセンス」のまま用 いる.

4 Biographia Literariム ~d. J. Shawcross(Oxford: Oxford Univ. Press, 1907), II, p.  47 

5 The Friend, III, p. 201. 

6 J ames M. Edie,Transcendental Phenomenology. and Existentilism,"Philoso

ρhy and Phenome'(wl.o幻calResearch, XXV (No.1, 1964), pp. 60‑61 

7 Albert O. Wleckeはその Word:畑 町thand the Sublime (Los Angeles:University  of California Press, 1973), p.  92,において,コウルリッジの「崇高」を直感する「意

J

の働きについて詳述している.

8 Biogr,aρhia Literaria, Vo l.III  of  The Complete Works of Samuel Taylor Coleria民 ed. G. T. Shedd (New York: Harper, 1853‑1854), p.  349. 

9 Note  of  April  14, 1805.  Coleridgnotebook in  the  British  Museum (Add  47496‑47550), 17.  69‑69vこれは,J. B. Beer, Coleridge the  Visionary (London:  Chatto & Windus, 1959), pp. 139‑140に引用されている.

(22)

72  f存在jに対する直感

10  The Notebooks of Samuel Taylor Coleridge, ed.  KthleenCohurn (London: Rout  ledge & Kegan Paul, 1957‑1973), II, 3158 

11  Biograplria Literaria, ed. Shawcross, 1, p. 202.  12  Ibid., 1, p. 202. 

13  The Prdude, VI, 11. 592‑596, 624‑640. 

14  Biographia Literaria, ed. Shedd, III, p. 374. 

15  The Eolian Harp," 1. 126‑29コウルリッジの詩作品からの引用はすべてCole‑ ridge Poetical  Works, ed.  Ernest Hartley Coleridge (Oxford:  Oxford Univ. Press,  1980)に依る.

16 Religious Musings," 1. 1414‑419 

17 Lines Composed a Few Miles aboveTintern Abbey" 1 1.93‑102  18  The Prelude, II,l1. 416‑434. 

19 an eternal and infinite  self‑rejoicing, self‑loving, with joy unfathomable, with  a love all‑comprehensive." The Fn'end,  III, p. 202 

20 1 wandered lonely as a cloud," 1. 119‑24  21 The Nightingale," 1. 175‑86. 

22 This Lime‑Tree Bower My Prison," 11. 37‑43. 

23 Hymn before Sunrise in  the Vleof Chamouni," 11.  13‑28これに続く引用は 同詩の11.80‑85 

24  The Prelu

VII11. 609‑619 

25  Resolution and Independence," 1 .115‑21これに続く引用は各々, 11. 57‑61,  64‑65. 75‑77. 129‑131. 

26  William Barrett, L'atio 1Man: A Stu

inExistential Philosophy (New York:  Doubleday Anchor Books, 1962), p. 126ここでBarretはワーズワースの蛭取りの 老人を例にとり,宇宙に組み込まれた存在, abeing‑in"について言及している.

27  The Ryme of tルAncientMari耐 久 1.1272‑287 

28  注1の spotsof time"についてのワーズワースからの引用を参照.

29  Stephen Prickett, Coleridge and Wordsworth (London: Cambridge Univ. Prss, 1970), p. 74. 

参照

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