維新史研究の理論的
n
貫践的要請山
下
夫
英 日 ヨ た
(五〉〈四〉(三〉(二〉〈ー〉
序論
本
論
。
内
廿"*・
Cコ
三足
猪俣氏によっで代表される維新史観の批判:−
j i− − : :
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j
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一只
櫛田氏によって代表される地代論の批判:::−
ji
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一五
小野H土屋氏に土って代表される小作料二重性論目新地主論︒批判::::ji
− − : 一
日 一 回
't± ii'日
語
ニ四ct.
(ー)
維新史研究は︑一最廷に於ける吾闘皐界の新興部門たる日本経済史研究の愉脳陣結として︑最も
魅カに富める好題目を提供してゐる︒最近の日本経済史研究が単なる珂論的興味として着手さ
論
議
維新史研究の理論的H賃践的要請
0 五
Jttj
論
一O六 議
第 十 二 銃
E昼
れたものではなくて︑日本容一本主義社舎の自己批判とし℃︑かの世界的恐慌の開始以来の吾岡
﹁歴
史
階級運動の握頭に遮臆せるものであることは裁如の事貫である︒従って維新史研究も︑
の領域に於℃今日の階級関係の最も尖鋭に集約せる題目﹈として把握することが︑開論的にも
賞践的にも要請せられる︒これを日本主義の復活と見るが如き見地は︑問論的には歴史の接展
の一一般性の放棄︑従ってその反卦に日本の特殊性への偏執を招来し︑又賓践的には現貨の階級
闘係を歪曲するものである︒
頁文序版
部ち具髄的には明治維新は如何なるプYジヲア的整早であったかと云よ問題が提示志れた︒こは
れに野する営時の支配的見解は︑維新に於けるプYジヲア的務革はその中心的内界たる農業上仰
ゆ日
明
伊川叫著
抽叫
之部
︑3J n M 除 の獲革を完了せず︑従って﹁封建的H絶針主義的遺制﹂がその物質的基礎を﹁大士地所有﹂に の分析を必要とし︑それは叉明治維新民於ける襲草の性質を明確に規定する必要に迫られた︒ 以降の乙とである︒営時吾園の階級運動の殺展はそのストラテギーの規定のために﹁現段階﹂ 事買に於℃維新史研究が切宜なる問題として要求苫れるに至ったのは一九二七年︵昭和ニ年︶
於て有し依然とし℃勢力を有するものとした︒乙れに卦立する見解は︑維新の務草を以℃プy
ジヨア的援革の完了と見るものであって︑邸ちそれは封建的大土地所有を撤巌し︑従つ℃今日
残存する﹁封建的H絡調主義的勢力﹂は車にイデオロギーとしての存在に過ぎずとするもので
あった︒後者の見解は﹁勢農波﹂はょっ
τ
主張3れた︒二者は草なる理論的見解の相建を以て終る如
3
ものでなく︑買に嘗面のストラアギTの規定に於℃杢く相反する結果を招来する黙に於て賓践的に重大なる意義を有した︒維新史研究が切賃なる問題として要求3れるに至ったの
は寅にこのためである︒
爾来維新史研究は﹁封建的遺制﹂の問題︑従ってその階級的H物質的根擦としての﹁士地所
有﹂形態の問題がその中心論結をなした︒而して﹁勢農仮﹂的見解は︑﹁士地所有﹂は於ける封
建性の解韓を主張し︑従つ℃﹁封建的遺制﹂を抹消するか叉は過少評債する之とをその本質と
した︒既に一九二七年に於けるストラアギT
に関
する
議論
に於
℃︑
吾ム
干は
それ
を見
たが
︑か
︑︑
る﹁弊農波﹂的見解は︑その後に於
τ
も種々なる扮装をこらして立現はれ℃ゐる︒即ち一九三一年ハ昭和六年︶には解黛探地代論の形態を以
τ
︑又一九三二年から三三年︵昭和七年から八年﹀にかけては小作料ニ貫性論日新地主論の形態を以て︒前者は吾困の小作料を以て︑﹁封建的
地代
でも
なく
︑又
資本
主義
的地
代で
もな
いと
云ム
意味
に於
℃・
・・
・・
・概
し
τ
前費本主義地代の範時に入る﹂となし︑今日の小作地に封する地主的士地所有が封建的土地所有でなく﹁近代的士
地所有﹂である乙とを論詰せんとする試みである︒後者は解山嘉源地代論の﹁修正的救済者﹂と
し
τ
立現はれたものであって︑同じく吾闘の小作料を以τ
﹁近代性﹂と﹁封建性﹂の二重性を論
叢 維新史研究の斑論的日貨践的要請一O七
前i 拳
一O八
論 費生 第 十 三 狭
乗ね備へるものとなし︑徳川時代の﹁町人請負新田﹂及び﹁土地乗併地主﹂の小作料に於てそ
の﹁近代性﹂の﹁茄芽﹂を論謹せんvとする試みである︒何れも﹁土地所有﹂の封建性の抹消又
は過少評債︑従つ℃その所謂﹁近代性﹂の主張に於て︑﹁勢農探﹂的本質が一聯の服を引いてゐ
かくの如︿維新史研究は︑一九二七年︵昭和二年︶のストラアギーに闘する議論を以℃始ま る
b︑その後常に﹁勢農涙﹂的見解との論戦の形に於て展開苫れ℃ゐる︒かくてその理論的研究
は常にその背後に貫践的要求と密接に関聯してゐる︒以下の小論に於℃はこの維新史研究の過
程を三期比分ち︑第一期を一九二七年︵昭和二年︶の勢農仮ストラアギI論︑第二期を一九三
一年︵昭和六年︶の解山県波地代論︑第三期を一九三二
i
三年︿昭和七l八年
︶
の小作料二重性
論H新地主論との論戦のうちに︑その詳細なる展開を示当んとするものである︒
(ニ)
吾岡階級運動の稜展がそのストラアギーの規定の確立を要求するに至った時︑勢農蹴の理論
﹁吾図階級運動のストラアギI
及 川
ωタクチックに科皐的基礎を供す
る﹂
之と
を目
的と
して
︑﹁
現代
日本
プ
Yジヨアジーの政治的地位﹂在る論文を綾表した︒その内 的代表者猪俣控南雄氏は︑
I)雑誌『太陽』、昭和2年11月競所哉、後に問題の単行本に収録。
容は菩困の封建的H絶封主義的勢力は既に明治維新に於℃その物質的基礎売る大土地所有制を
失って車にイデオロギーとして残存するに過ぎず︑従つ℃経済的H政治的支配者は草濁に帝闘
主義
プ
UY
ジヨアジーである之とを論誼し︑その上に立って猫特の勢農源的ストラアギーを主張
・す
るに
あっ
た︒
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然に
明治
維新
市民
の解
懇に
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τ一
長附
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かっ
た︒
然るにその論文に於ても︑その他の形に於℃も︑特別にまとまれる維新史の科事的研究は乙
の波からは金く提示苫れ−なかった︒提示されたのは逆に︑濁特のストラテギTに関する問題に
あてはめるために勝手に作b上げられた所謂﹁勢農振維新史観﹂であって︑それは何ら史準的
謹明を件はぎる濁断であっ免︒而かもかくの如き科串的分析を繰如せる努農況維新史観が︑蛍
時に於℃もその後に於℃も︑精粗の差之そあれ︑如何に多くの貫践家並に理論家によっ℃無批
剣に踏襲忌れ︑その限bに於℃吾闘のストラアギーに闘する問題の科準的に正確なる認識に障
碍を
輿へ
たか
は︑
既に
一一
般の
熟知
する
と乙
ろで
ある
︒
猪俣氏の右の論文は︑﹁特に所謂封建的絶調主義勢力との関係﹂と副題3れ℃ゐる︒従つ℃勢
農仮維新史観の中核をなす内容も︑封建的H絶封主義的勢力の階級的H物質的基礎の問題をめ
円︑
って
述べ
られ
てゐ
る︒
印ち
︑
﹁吾
闘の
プ
Yジヨアジーは︑封建的絶封主義勢力から政権を戦以とる過程に於℃先進諸闘の
論
言 長 維持柿史研賓の理論的日貨践的要請
一
O九正証 尋圭
一 一
O
叢 第 十 三 貌 論
同僚が演じたゃう在激烈な政治的衝突の場面に自らを見出したととがなかった︒それは如何
−なる歴史的接展の経路によって可能であったか?極めて概観的には弐のやうに一再ムことが
出来
る︒
封建的絶封主義を倒した明治維新の襲革運動の先頭に立ったのは︑プY
ジヲ
アジ
ーで
なく
︑
武士階級の下層であった︒後者によって組織活れた維新政府の厩史的使命は︑資本制生産の
移植及び授展の極度の促進によって︑念遮に︑後準間日本をば︑競争に運命づけられた資本
主義世昇の一環たらしめることにあった︒維新政府の土地政策は︑乙の使命に忠買に︑封建
的絶封主義の基たる封建制農業の土地制度を撤践し︑乙の制度に固有なる醤諸特樫ど寅質的
に破壊し︑半封建的なる大土地所有の成立殻展を不可能ならしめた︒かく℃前代からの残存
物として︑資本主義的接展と封立する根本的矛盾となるべきものが取除かれた︒それと共に
封建的組封主義勢力を強大なる政治的残存物たらしむべき物質的基礎も亦取除かれ︑前者と
プYジヨアジーとの激烈なる衝突の必然性も従って叉消滅した︒﹈
﹁維新政府の歴史的任務の一つは︑封建的土地制度主撤蹴服して資本主義的議展の大遣を掠以
清めた乙とにある︒大士地所有の費展を不可能ならしめるやうな土地政策をとったこの政府
は︑地主階級の政府ではあb持主かったJ
前掲書、 28‑9!To 前掲書、 18J'j。̲"
2) 3)
と︑で主張せんと意園してゐるのは明治維新によるプYジヨア的措煙草の完了であるのに︑そ
乙に論断されてゐるのはプYジヨアぬきの下層武士宮ヤ命である︒何らの科撃的分析をも件はぎ
る現象形態の草なる追跡︒維新政府が資本主義殺展の大道を掃ひ清めると云ム歴史的任務を途
行するためにとった方策は果して﹁封建的土地制度の撤駿﹂であったか︒何らの史的詮明を件
は︑ぎる草なる濁断︒叉そ乙では大土地所有制のみが﹁封建的絶針主義の基たる封建的農業の士
地制度﹂であるかの如く論断してゐる︒ロジア及伏ドイツの特殊なる歴史的事例からの草なる
公式
的類
推︒
殊に最後の宇封建的土地所有︑郎︑大土地所有なる命題の樹立は︑大土地所有が明治維新に
よって撤廃せられた乙とを理由として︑五口闘の封建的日絶卦主義的勢力の階級的
NH物質的基礎
を否定せんとする意固の下にな苫れたものであって︑最も重大なる謬論である︒大土地所有は
却つ℃近代的であって︑近代の大土地所有権それ自躍が︑近代商業及び近代工業の結果であb
叉近代工業を農業に庭用せる結果である場合があることは︑肢に撃者の指摘せるところである︒
従つ℃土地所有の性質を規定するものはその所有の大小ではない︒それに鰭現せられた生産様
式H股取様式の性質である︒換言すれば生産手段としての士地の所有者が直接生産者に劃し
τ
占むる闘係の差異である︒その判定の基準を明確に規定すれば次の如くである︒
音百 叢 維新史研究の理論的H賃践的要請
il'fi 準 論 叢
第 十 二 擁
﹁直接の生産者達から不梯剰飴枇労働が波みつく吉れる特殊なる経済形態は︑それが直接に生
産そのものから知何に成長するかに従つ
τ
︑支配と従属との関係を決定し︑而かもそれが叉生産そのものに決定的に反作用する︒と乙九で生産諸関係そのものから成長する艇決上の共
同躍の杢形成と︑それと同時に又去の共同樫の特殊なる政治的形委とは︑叉乙kに立脚して
ゐる︒吾ムザが杢祉曾的構造の︑それ故に又統治と従属との闘係の政治的形態の︑約言すれば
その時々の特殊在る闘家形態の︑最も内部的な秘密︑阻隠蔽せられたる基健を日比出すのは︑常
に︑
生産
部品
保件
の所
有者
休息
接の
件出
産本
L
艶する忠弘的風m m
l l
乙の関係のその時々の形態
が常に自然と勢働の種類並に様式と︑従って又その一枇曾的生産力との︑一定の楼詰段階に艶
臆してゐると乙ろの闘係
1
1・
に於
℃ピ
ある
︒﹂
部ち吾闘の地主階級が封建的H絡調主義的勢力とし℃の階級的H物質的基礎を喪失し℃ゐる
か否かは︑土地所有者たる地主に直接封立する者が︑資本家とし℃の小作農業者であるか︑又
は直接的生産者とし℃の小作農であるかの差異にかLってゐる︒若しも前者であるとするなら
ば︑彼等は資本主義的利潤を目的とし℃賃銀鋳働者を牧取する企業家である︒地主は彼等から
近代的地代
i
!印ち単に平均利潤を超過する剰飴債値部分のるすそわけに奥かるに過ぎない︒従つ℃地主は既に経済上︑従って又政治上の支配地位から引下志れた草なる封建的残存勢力に
過ぎない︒然し今日吾闘の地主に直接野立せる者がかくの如き資本家的農企業者でない乙とは
云ムまてもない︒それは生活のために主として自家の勢働を以て耕作に従事する小生産者とし
ての小作農である︒地主は直接生産者たる小作農民に直接針立して︑彼等から高卒者る小作料11即ちその全剰鈴債値を︑否︑屡冷その再生産に必要なる部分にまで喰込んで︑而かも生産
物形態に於て取立て︑ゐる︒而かも地主がかやうに直接生産者たる小作農民から牧取するのは︑
何ら合理的なる経済的基礎に立脚せるものではないのである︒地主と小作農との閲係は︑﹁成文
法の確定せる規定に従って決定せられる契約上の純貨幣闘係﹂
1
1自由契約の如き外観を呈す
るとは云へ︑決して自由なる闘係ではないのである︒それは封建的H惇統的なる﹁経済外的強
制﹂民基︿牧取闘係である︒猪俣氏はかくの如き闘係を隠蔽するために︑吾闘の地主を以て或
は﹁消極的民地代を牧得するに過ぎず︺とし︑或は﹁副次的な牧取者階級﹈と論断してゐるσ
それは成心を以てなせる史的詮明ぬきの濁断であb︑骨つての現象形態の草なる追跡とは建の︑
事賓の隠蔽である︒吾園の地主は積極的H直接的な宇封建的牧取階級である︒彼等は未だ経済
上︑従って叉政治上の支配的地位を喪失せるものではない︒現賃に強力なる一の支配勢力であ
物質的基礎は最存し℃ゐる︒乙れを喪失したと見る猪俣封建的H絶封主義的勢力の階級的H る
論
維新史研究の理論的H貿践的要請
一一一 一
一
叢
4)前掲書、 17,20頁0
5) 前掲書、 59頁。
陶 製 論 議
第 十 ニ 銃
一一 四
氏の根擦は︑氏の所謂﹁維新政府の土地政策﹂と稽するものである︒氏によれば︑﹁維新政府の
土地
政策
は・
・・
・・
・封
建的
絶封
主義
の基
たる
封建
制農
業の
土地
制度
を撤
麗し
︑乙
の制
度に
固有
一な
る奮諸特躍を賓質的に破壊し︑宇封建的な大土地所有の成立殺展を不可能ならしめた﹂と一五ふ
のである︒乙︑に牛封建的土地所有︑即︑大士地所有なる命題樹立の謬論なることは︑既に前
段に於て指摘した︒維新政府が土地の封建的領有闘係を藤除したと一五ふ之とは︑直ちに氏の云
ょが如く﹁封建的土地制度を撤巌﹂した乙とを意味するものではない︒維新政府が幕府始め三
百諸侯の封建的土地領有関係を撤協同したのは︑買は乙れに代ふるに中央集権的園家による金岡
的H統一的土地領有を以てしたものに過ぎない︒封建的土地制度はその生産様式H牧取様式に
何ら本質的接化を来す乙となしに︑単なる形態麓化を衣し途げたのである︒猪俣氏の史的分析
の繰
如は
︑か
くの
如︑
3維新政府の土地政策の特殊なる歴史的意義を理解する乙とを杢く阻めて
しま
った
ので
ある
︒
;維新政府は封建的土地領有闘係を藤除すると同時に︑それに附随せる諸制限をも一躍撤躍し
たJ
即十
円/
明治
元年
十二
月の
布告
に於
τ
︑肢に土地に訴する私有櫨を認め︑従って土地の寅買も一定の制限の下に消極的に黙認したのである︑が︑明治五年一一月十五日に殺した﹁自今四民共貰
買致し所持候儀差許候事﹂なる地所永代責頁解禁九市民於て︑寛永二十年以来の土地永代資買の
制約は完杢に解かれτ
︑ 乙
巴
Lに土地の私有権とその責買の自由とが完全に立法的に確認された
のである︒越へて明治八年五月には限旧法が藤止遣れ︑従来の土地の分割及川ω乗併の制限を解
き︑且つ士地を自由に抵常に入れ又は小作地となす乙左を許した︒かくて維新政府は明かに士
地集中のための自由なる道を聞いたのである︒﹁大土地所有の接展を不可能ならしめるやうな
士地政策をとった﹂と一五ふが如きは︑み一︿史賓の無鵡又は無理解に基く︒然しながらかくして得
たる士地所有の自由が︑賞は土地底分のための自由であったことも事買である︒それは士地の
貰買︑分割並に乗併︑賃貸借並に質λれの白白であっ
τ
︑宜質は於τ
は封建的牧坂闘係を闘民的規模に瞭大再生産するための自由︑従って維新を契機とする資本の原始的蓄積の遂行のため
の自由であった︒何故ならばかくの如き土地庭分の白由の異質の目的は︑明治四年九月大蔵省
よb太政官に提出せる﹁地所貢買放禁分一牧税法施設之儀正院伺﹂なる士地翼民解禁問白書に
よって明かなる如く︑近代的租税制度の確立にあb而し℃近代的租税制度の確立こそは﹁封
建的生産方法の資本家的生産方法への轄化過棋を温室的に助長し︑その推移を早める﹂ための
﹁睦
系的
に綜
れた﹂原始的蓄積の諸要議合3
ll
植民制度︑闘償制度︑近代的租税制度︑保護制
度等
i
!のうちでも︑最も基本的なものだからである︒維新政府は︑一方に多数の官吏群とE大なる常備軍とを擁し︑他方に間断なく増大する公債制度を維持し︑更に費本主義方法の移植
論
主主 維新史研究の理論的H賃践的要請
一一 五
高 号主 論 議 第 十 二 掠
一一 六
並に礎展のために保護政策を遂行するために︑絶ゑずその財政は膨脹を告げ︑乙れを維持する
ために遅代的租税制度の確立の必要に迫られたのである︒そ乙で明治六年七月の地租改正によ
って︑営時政府の財政牧入の約八割を占め℃ゐた地租牧入の安定を確保したのである︒即ち土
地所有の自由︑即ち底分の自由とは︑それによって地租を農産物の豊凶並は債格捜動による不
安から﹁自由﹂比する乙とに異質の目的があったのである︒
明治維新に於ける土地改革の極軸をなせるものは地租改正であるが︑それは直ちに封建的地
代を階除し℃乙れに代ムるは近代的地代を以てした乙とを意味し在い︒叉地租改正の中心をな
せるものは︑従来の物納地租ど金納地租に轄化した乙とである︒然るに之の地租の物納よb金
納への轄化を以τ地租そのものL﹁迂代性﹂を認むる根擦たらしめんとするもの︑がある︒然し
それは草民生産物地代の貨幣地代への単なる形態轄化に過ぎず︑雨者はその本質に於て同一な
る牧取様式に立脚するものである︒﹁乙の種の地代の基礎は︑たとへそれがその基礎の分解民向
って並行し℃おるとは云へ︑依然とし℃その出礎知を在せる生産物地代記於け忍と同一である︒
直接の生産者は従前遁b相績又はその他の惇統による土地の占有者であって︑彼は之の彼の最
も重要なる生産保件の所有者とし壬の地主に︑飴分の強制勢働を︑即ち支捕をうけず又等債を
うける乙主なしに給付せらるべき弊働を︑貨幣に轄化せられた剰鈴生産物の形態で支梯はねば
地租の金納化がその負携額に於て醤来の封建的士地領有者への物納貰租と殆んど異
ると乙ろなさ乙とは︑地租改正保例に於ける検査第二則ド
l
小作地の地租算出法を示せるものなら
ぬ︒
﹂
!ーによって明かである︒地砲の金納化は依然として本質的に封建的地代史る性質を殿除せる
ものではないのである︒
更に叉︑地租改正は物納地祖の金納地租への轄牝と共に︑土地所有者と現貨の耕作者との闘
係を饗草した︒元来生産物地代の貨幣地代への轄化は︑﹁他の趨嘗なる一般的生産諸関係の下
に於ては︑奮来の農民的士地占有者を漸究牧奪して乙れは代ふるに資本家的小作農を以℃ずる
乙とに利用せられる﹂ものであるが︑吾固に於τ
はか︑︑る棲展形態を見なかった︒蓋し吾闘に
於ては地租改正に於て士地所有者たる資格が暦倒的に優位を占め︑地主の牧得する小作料は小
作震の金剰飴勢働を吸牧し︑克に必要勢働部分民全で喰ぴ込むために︑利潤の成立を許苫ず︑
従って利潤を目標とする資本家的小作農の成立する飴地がなかったからである︒而し℃土地所
有の自由︑即ち庭介の自由を獲得した蓄来の農民的七地占有者の多数は︑物納地租の金納地祖
への轄化を契機として土地を取立℃ちれ︑それが少数の富農︑商人︑高利貸等の貨幣所有一者の
手民集中せられたのである︒彼等は利潤を目標とする資本家的借地農たるよbは︑むしλ
高率
なる小作料
11
1 宇封建的地代を目標とする寄生地主となったのである︒土地を取立てられた農
論
維新史研究の理論的H賃践的要請
一一 七 議
主後局『地租関係書類葉集』、大藤省縞築『明治前規財政経済史料集成』第7巻所
載。fむとの駄については111悶盛太郎氏の詳細なる分析がある。同氏著『日本資本主 義分析J、189‑193頁。
6)
祭
告;o.
百pg
議 第 十 二 擁 P勾
一 一
A
民は士地所有からは自由に遣れたが︑依然として土地に緊縛せられ︑小作農として寄生地主の
手に帰した士地の耕作に従事せしめられた︒而かも地租改正は納税義務者を直接の生産者たる
小作農よb士地所有者たる地主に轄化したが︑然しそれは単に形式に止まb︑現買に負携する
ものは依然として直接生産者たる小作農であった︒かくて吾闘の小作農は﹁二居一の従属規定﹂!
ー﹁即ち一は線牧穫高の三四
v m を徴牧する地租の線︑二は娘牧穫高の六八%を徴牧する地代の
線﹈から免れることが出来なかった︒吾闘の小作料が世界に類例君主高率である乙とは賞記乙
︑に
臨胎
する
ので
ある
今︒
猪俣氏が明治維新によって封建的士地所有は撤腐3れたとする論断が︑土地所有の性質を決
定すべき基準
1 1
生産様式n枚取様式に本質的接化な主乙とに照して謬論である乙と︑従って
それに基い℃封建的H絶封主義的勢力の階級的H物質的基礎の喪失を論断する乙とも根擦なさ
乙と︑維新政府の土地改革の枢軸をなせる地租改正は小作料を半封建的地代売る本質に繋縛せ
る乙と︑乙の小作料の上に寄生する吾閣の地主階級は依然として経梼上︑政治上に於ける現賞
に強力なる一支配階級である乙と︑は以上の論詮によbて明かである︒然し問題は草なる理論
的闇明氏よbて解決しない︒それは問題提出の動機が一政治上のストフアギーの規定に最密に闘
聯し壬ゐるからである︒士地所有に於けるp封
建一
性の
問題
をめ
ぐ種子なる扮襲をとb
b τ
︑執劫
7) Lll悶盛太郎氏.前損害、 193真。
め fill書、 188頁。津村康者『日本の農業及び農業問題』〈改造市上版経済築会集第四十二 谷、『宛代日本経済の研究』下、所載)653頁Q
に勢農渡的見解の基礎づけが繰返3れる︒その最も代表的−なるものは菩岡小作料の近代性を詮
明せ
λとする企固であるι
{主)
吾闘に於ける経済的︑政治的︑並比一耽舎的諸関係のうちに向ほ強度に且つ虞汎一代残存し℃ゐ
る卦建的関係︑就中地主と小作農をの問に最も強く且つ虞く残存しJしゐる封建的闘係主故意に
隠蔽抹消する之とが︑
一九ニ七年代於ける勢農抵の重要在る任務であっカ乙とは既に日比免と乙
ろであるが︶それは一九二二年に於τ︑五口園階級運動に拭ふべからまる汚姑をしるした解譲渡
民ょっ℃そのま︑継承せられた︒勢農旗︑が表面からストラアギーに関する議論をふbかぎして
所謂勢農混雑新史観を全面的に
l
!と
一五
ふ之
とは
勿論
史的
介析
を伴
って
と一
五ム
意味
でば
ない
l
展開したのに聾して︑解議波は﹁吾闘の小作料﹂を前面に押し立て︑その﹁封建性﹂の抹消と従つ
τ
﹁道代性﹂の主張とに問題を限定した︒然し問題が﹁封建性﹂に関する限b︑む
しろ
﹁吾
閣の
小作料﹂はそれの集中的表現であb︑論戦の舞牽はそれだけ決定的在性質を帯びぎるを得ない︒
その
騎か
ら見
れば
勢両
足探
よ
b
解黛蹴へと論戦は次第に迫撃戦に移b
つ弘
︑あ
ると
も見
られ
る︒
之の振の理論的代表者は櫛田氏誠氏であ
b
ーそ
の論
文﹁
わ︑
が園
小作
料の
特質
につ
い℃
﹂︵
一九
昔話
叢
維新史研究の理論的H賃践的要請
一 一 丸
1コ『大原社曾問題肝究所雑誌』第8巻第1験所載、後iご『櫛国民夜会集』第3愈
「農業問題jiて軟録。
商 望事
一 一
一
O
論
第 十 二 駿 叢
三一年六月11昭和六年Vは︑その意味に於て重大なる役割をつとめた︒之の論文は営時解黛
振の理論的機闘力る﹁日本経済研究曾﹂の機関誌﹁日本経梼研究﹂第二輯︿一九三一年六月﹀
に載録され︑又一年後には復活弊農振の機関誌﹁前進﹂第五競の巻頭論文に於℃引用造れた︒
氏によって代表3れる見解が乙れらの政治的関係を表示する意味で解業疎地代論と呼ばれる所
以で
ある
︒
櫛田氏の論文は今日の小作地に卦する地主的土地所有が封建的士地所有ではなくて﹁︸近代的﹂
土地所有である乙・とを論詰する根壌として︑耳目闘の小作料が封建的地代でも怠く叉資本主義的
地代でもないと云よ意味に於
τ
﹁前資本主義的﹂地代である乙とを規定したものである︒かくの如き見解は決して櫛田氏を以
τ
晴矢とするものではない︒それは過去に於τ
一聯
の殺
建史
を
持つ℃ゐる︒泣くは一九二六年︵大正十五年︶に高橋亀吉氏にょっ
τ
︑﹁
明治
維新
の土
地制
度の
改革﹂が﹁地主を従来の束縛よb解放して資本家化した﹈とする在方法的な見解から︑近︿は一
九三二年︵昭和六年︶に再び猪俣氏によっ
τ
︑吾闘の現物小作料を﹁貨幣小作料﹂に解臆せしめ︑その高率を人口過剰による小作人間の競守に蹄せしめ︑﹁封建地代ではない︒資本主義地
代では儲吏らない︒それは別個の経済的範時である﹂とし℃﹁高利地代﹂識を打ち樹てられた見
解ピ至るまでの健史がそれである︒殊に後者の如き櫛田氏の見解と金く符節を令する如く一致
2)東洋経済碗究部編纂f明治大正農村経済の鑓選』30頁。
:ひ『改造』昭和6年4月続。所載同氏論文、 300頁。
4) 同氏著『&¥喜資本主義の「第三期」』、 288,292頁0
5)『改造」昭和6年4月畿、301頁。
して
ゐる
︒
吾L年は櫛田氏の見解を知る前に︑それが草なる理論的意義以上に︑如何に営時の賓践に深3
関心を有せる試みであったかを知らねばならぬ︒それについて櫛田氏自身が弐の如く語ってゐ
﹁わが日本に於ても都市プロ る
νタ9アと農民との同盟の必要及び乙れに関聯し農民層の一定
の部分を勢資の闘華民於て好意的中立にゐく乙との必要がプロνタヲアの側から要望せら
れ︑現に之の恐慌を契機とし
τ
貧農の組織が問題とせらる︑と主に於℃︑わが小作料の特質︑地主小作人の闘採如何と云ふが如きは恐らくは既に云日古3れた乙とを繰返すに過ぎぬであ
らう
︒け
れど
も問
題は
時間
主れ
℃あ
b︑乙の方面の開論家の聞に於ても意見必しも一致しない︒
賓践は何程かづ︑意見の不一致を一訂正し接近せしめっ︑あるやうであるが︑向ほ開3
があ
地代の現象形態たる小作料が地主小作人の枇ム曹関係の表象としτ一般に一定の牧取闘係を る
表すと云ム乙とに異論はない︒然しわが闘に於てはそれが如何なる牧取閥係を表すか或は封
建的
牧取
関係
︑芦
と一
五ぴ
︑或
は牛
封建
的な
枚取
関係
︑た
と云
ふ︒
封建
的と
宇封
建的
とで
は歴
史の
段階を異にするであらうから︑地主小作人の関係︑従って又農村の現肢に劃する観方も建つ
論
叢
維新史蹴川究の到論的H賃践的要請
前j
接
論
一
一
一一 一
叢 第 十 二 貌
τ来る︒例へばわが小作料が封建的地代芦とすれば︑それによって表さるL地主と小作人と
の閲係は︑主として身分的な階級閥係と見怠ければ在らね︒然るにそれが牛封建的若くは費
本家地代への過渡だとすれば︑雨者の闘係は主として貨幣闘係であAY︑最早や身分的な階級
関係でなく︑従ってプロレタヲアの側からとるべき封策も自づから異るであらう︒
宇封建的左か資本家地代への過渡など一五ふ乙とは一一般には念にのみ込み悪く︑やは
b封
建
的牧取が普及し︑現に有力な農民組合もその宣言書には年冷﹃封建的牧取関係﹄として規定
して来たゃうである︒大衆に剣かh
ノ易
くも
のを
云ふ
ため
︑叉
は牧
取関
係を
深刻
比云
以表
すわ
凡
め か
−
Kる表現を用ゆる乙とは嘗然であるが1然し事貫それによって闘争の目標を示したもの
とすれば︑そ乙には種ムザ在る疑問がある財閥賭は引用者︶
こ︑には﹁封建的﹂︑﹁宇封建的﹂又は﹁資本家地代への過渡﹂なる規定が問題と3
れて
ゐる
︒
吾々
が﹁
宇封
建的
﹈と
一京
ふの
は
j櫛田氏の如︿﹁一般には念にのみ込み惑い﹂と否とに拘はる
ものではない︒同じく﹁封建的﹂と云ふ場合にも︑勿論﹁大衆に剣b易くものを云ふため︑又
は牧取闘係を深刻に云以表はすため﹂でもない︒科皐的分析の究明の必然が各冷かLる表現を
用ひしめるのである︒言葉の用法ではなくて︑生産様式H牧取様式の性質に基︿差異である︒
吾冷が﹁封建的﹂と一広ふのは︑乙の見地代基いて吾闘の小作地に射する地主的土地所有が本質
6) 「雑誌J、63‑5頁。「全集j、第3巻、 328‑9頁。
に於て封建的土地所有であると云
A
意味であb︑叉
﹁半
封建
的﹂
と栴
する
のは
︑か
︑︑
る封
建的
七
地所有が高度に礎達せる資本家的生産方法の支配の下に残存せる一の被支配的生産関係を一不し
てゐ
ると
一疋
ふ限
bで宇封建的と指示するに過ぎない︒然し三れらの規定句は土地所有に関係
し︑従って又その上に於ける牧取闘係に閥聯し︑結局ストラアギーの規定に連繋を有する︒右
の引用句に於℃﹁プロν
タリアの側からとるべき封策﹂と云ぴ又は﹁闘争の目標﹂と一五ムのは︑
勿論その意味比解樺3れなければなら向︒五円閣の小作料の性質の規定が貫践に関聯し︑叉櫛田
氏がその意闘の下に議論を行はれた乙とは右によって明かである︒
突は吾々は櫛田氏の見解の内容を氏自身の要約によって見ょう︒
﹁わが闘現在の小作料は︑現物納及拭剰徐勢働の杢部を吸牧する駄に於て封建的物納地代と
共通する︑が︑その観念的に貨幣化ヨれてゐる織に於℃直別せられる︒封建的物納地代の草な
る轄形たる封建的貨幣地代とは︑観念的にもせよ貨幣化潰れてゐる結に於℃共通する︒然し
その料率は︑後者に於ては物納封建地代左同じく封建的士地所有によって︑従って又身介的
従属闘係によっ
τ
支配せらる︑に反し︑前者に於ては近代的士地所有によって︑従って又小作地に封する競事によって支配せらる︑貼に於て直別せられる︒
かくてわが闘小作料が現物納であb高率である乙とは︑一封建地代たる詮壌ではない︒然ら
論
叢
維新史研究の理論的日貨践的要請
一一
一一→
ぬ 愚 論 議
一二 四 第 十 二 掠
ば資本家地代かと云ふに無論芯うではない︒資本家地代は土地生産力の差等にもとづく差額
地代
にせ
よー
乃豆
地主
及川
ω資本家の濁占にもとづく紹封地代にせよ︑すべて平均利潤を差引い
た剰齢債格である︒然るにわが小作料としての地代は︑平均利潤はおろか勢賃部分まで喰ひ
込んでゐる︒然らばそれは如何なる範時比属するか︒外闘の皐者は高利地代だと一五った・・・・
日本では地主高利地代の代bに宇封建的地代とも云はれる︒乙︑に半封建的とは高率な地代
が宇ば経済外の強制によって然らしめられると云ふのでは在く︑経済上の強制によって恰も
ぞれが経済外の強制によると同じ殻果をもっ左云よほどの意味であらう︒主要黙は封建的攻
経済外強制にあるのではなく経済的強制にある︒だビ純特に資本家的法則氏従はぎる意味に
於て前資本主義的であると云ょに過ぎ在い︒封建的地代でなく叉資本家的地代でもないと云
ふ意味に於て︑わが闘の高率攻現物納小作料は概し
τ
前資本主義的地代の範時に入る︒然し一一般に農業が小生産者の農業を存緩せしむる限AY︑範閣の大小はあれ︑前資本主義的
地代は現今何れの費本家枇曾にも共通する︒わが園小作料の特質は︑むしろその前資本主義
的地代︑が貨に支配的である乙と︑及川い特に現物納形態を保存する乙左である︒そして乙れは
過小農制が向ほ一般的に支配的であって資本家的経替のないため︑否その過渡的経替3
へ少
設い
ため
であ
る︒
﹂
7)『雑誌ム 94‑5頁。「全集』、第3巻、 353‑4頁。
﹁わが園小作料が概して前資本主義的地代であるならば︑それ江ょっ
τ
表は苫るL地主小作人の関係は封建的でもなく費本主義的でもなくして︑同じ︿前資本主義的でなければなら
ね︒高率ま現物納小作料は封建的従属関係の下に於τ立はなく︑士地賃貸借関係の下に於て
行はれる乙とは肢は遮べたと乙ろである︒﹂ 8
︵閤
結は
引用
者︶
吾A吋は先づ総括的批評として櫛田氏の方法論的設謬を指摘しよう︒先に勢農慌の土地所有に
闘する浅科事的方法を批評するに際し佐に再三指摘したやうに︑土地所有の性質を規定するも
のは生産手段としての士地の﹁所有者が直接の生産者に封する直接的関係﹂の差異であb︑換
言すれば土地所有者たる地主に直接封立するものが直接的生産者としての小作農であるか︑叉
は費本家としての小作農業者であるかの差異にか︑ってゐる︒か︿の如く生産様式H牧取様式
民基く科皐的基準に立脚して士地所有闘係を具腫的に分析し℃始めて︑地主にもたらす地代の
性質が規定詰れるのである︒地代の性質が先づ規定3れて︑それから謹に地主と直接的生産者
との
関係
︑が
決定
3れるのではない︒況んや﹁地代の現象形態﹂たる小作料||それは種
Lq
なる
爽雑物によって修正された地代の形態である
il
の規定から出殺するが如さは全く方法的課謬
である︒櫛田氏は問題の論文の冒頭に於℃︑既にかくの如き謀れる方法を手短かに要約して云
はれる︒﹁わが園小作料の特質は何庭にあ忍か︑地主と小作人との関係は何であるか︑乙れ乙の
事量
総務史研究の理論的目賃銭的要請
一二 五 叢
8コ「雑誌、J、96ー7頁。「全集j、第 3袋、 355頁。
商
議
日一 一六 第 十 ニ 競 準 論
小論の目的色ある﹂と︒﹁小作料の特質﹂が先で︑﹁地主と小作人との闘係﹂が後である︒事責
行論の順序もさうである乙とは先の引用によって明かである︒かくの如き謀れる方法によっτ
は問題は解決3れ攻い︒解決3れないど乙ろか︑﹁前資本主義的地代﹂なる新範時の創造にょっτ︑問題の積極的解決を回避する結果に立至ってゐる︒小作料規定の基準をもたず︑又諸地代
形態の公式的尺度を以℃しては測定出来ず︑乙の迷路から股れ出るためにはかくの如3
﹁濁
創﹂
を就
寝揮
する
よ
AY
外はなかったのである︒
次に部分的批評に移らラ︒先づ土地所有の性質を規定する基準たるべき地主と小作人との闘
係の問題を論じ︑突いでそれに立脚せる小作料の問題に入らう︒
櫛田氏によれば︑﹁わが園小作料が概して前資本主義的地代であるならば︑それによって表は
さる︑地主小作入の闘係は︑封建的でもなく資本主義的でもなくして︑同じく前資本主義的で
なければならぬ︒﹂然らば氏によって地主・小作人の関係を決定すべき前提
E
して提示昌れる所謁﹁前資本主義的地代﹂とは如何なる性質を有するものであらうか︒櫛田氏によればそれは︑
﹁近
代的
土地
所有
にょ
っτ︑従って又小作地に針する競守によって支配せられる﹂ものである︒
乙︑に﹁︸近代的﹂と云ふ規定詞を︑吾ん咋が遁常観念する如く﹁資本主義的﹂の意味に解するな
らば
Mそれは事貨に舎はず︑又論理に反する︒そ乙で櫛田氏は特に﹁近代的﹂なる言葉に註を
9)『雑誌』、 94頁。『全集ム第3巻、 353頁。
10) 服部之総著『維新史0方法論』、 85頁、及び小林良延着『日本産業の構成』54‑7 頁参照。
の
商口
口口
化
t
と基 自 由 な 契 約 闘 係 で あ る
解と
し 又 他 方 小 作料 の 高 率 を 小 作人 相 互 間 の 小 作
地l乙
『雑誌』、 70頁の註。『全集IJ,第 3絵、 333頁。
『雑誌、J、93頁。『全集』、第 3巻、 352頁。
附して︑﹁﹁近代的﹄とは平均利潤の支配下にある土地所有の意に非ず︑草に土地商品化の意﹈で
あると説明し︑又他の箇所に於ては﹁近代的土地所有︑従って士地の商品化﹈なる表現も用ひ
てゐる︒従つ℃氏が地主・小作人の闘係を﹁前資本主義的でなければならね﹂と云ふ場合の異
意は︑地主・小作入の関係を以℃﹁土地の商品化︵によって︑従って又小作地に訴する競事によ
って支配せられ−なければならぬ﹂ものとする之とが分る︒
単に言葉の解轄が苫うあるばかh
ノで
なく
︑事
賞氏
は︑
一方に於℃地主・小作人の閥係を土地
針する競争によると主張する貼に︑その議論の特徴があるのである︒
地主・小作人の関係を土地の商品化に基く自由な契約闘係であるとする櫛田氏の見解を︑氏
自身の言葉によっτ
見ょ
う︒
﹁ 乙
Lに封建的支配闘係とは所謂経済外強制のことである︒・・・・・・わが小作料が封建的地代
だと
一去
FA
乙とは︑その種類及び料額決定につい℃事賃上かLる経掛外強制の支配を受けてゐ
ると一五ふ乙とである︒然るにわが園小作の種類は︑前越の如く賃貸契約による普通小作が支
配的であb︑そし℃か︑る小作関係は少くとも名目上封建的支配関係からは離れたものでな
ければ在らね︒何となればそれは財産の自由︑従つ℃又士地寅買の自由を侠件とするからで
論
議
維新史研究の理論的H賃践的要請
一一 一七
11) 12)