︿論
説﹀
日 韓 の 新 公 開 外 交 文 書 に 見 る 日 韓 会 談 と ア メ リ
( )
カ ︵ 一
)︱︱ 朴正 熙軍 事政 権の 成立 から
﹁大 平・ 金メ モ﹂ まで
︱︱
李
鍾 元
一 は じ め に
︱︱ 日韓 会談 関連 外交 文書 の公 開 二 朴正 熙軍 事政 権の 成立 と日 米の 対応
︱︱ 池田
・ケ ネデ ィ会 談︵ 一九 六一 年六 月︶ 三 ソウ ルか らの 期待 四 政治 決着 の前 史
︱︱ 張勉 政権 期の 日韓 折衝 と請 求権 問題
︵以 上本 号︶ 一
は じ め に
︱︱ 日韓 会談 関連 外交 文書 の公 開 一九 六五 年に 成立 した 日韓 国交 正常 化交 渉に 関す る日 韓両 国の 外交 文書 が近 年相 次い で公 開さ れた
。一 九五 一年 一〇 月の 予備 会談 から 始ま り、 一九 五二 年の 本会 談の 公式 開始 から も一 三年 以上 の長 きに わた った 外交 史上 の難 交
渉に つい て、 よう やく 本格 的な 歴史 研究 が可 能に なっ たの であ る。 また
、そ の交 渉過 程の 実証 的な 解明 は、 戦後 補 償や 日朝 交渉 など
、現 在的 課題 にも 直結 する もの であ り、 その 意義 は極 めて 大き い。 日韓 両国 とも に、 外交 文書 につ いて
、原 則と して
﹁三
〇年 ルー ル﹂ に基 づく 公開 制度 をと って いる
。し かし
、日 韓会 談関 連文 書に つい ては
、交 渉終 了か ら三
〇年 以上 が経 過し たに も拘 わら ず、 日朝 交渉 への 影響 を懸 念し た日 本 政府 の反 対で
、日 韓と も公 開が 見送 られ て
( )
きた
。し かし
、近 年、 韓国 にお ける 政治 的民 主化 の進 展、 日韓 両国 にお
2
ける 情報 公開 や戦 後補 償を 求め る運 動の 高ま りの 中、 市民 団体 の資 料請 求が きか っけ とな って
、外 交文 書の 公開 が 実現 した ので ある
。 先に 資料 公開 に踏 み切 った のは 韓国 政府 であ った
。戦 後補 償を 求め る市 民団 体の 情報 公開 請求 がき っか けで あ
( )
った
。二
〇〇 二年 一〇 月、 韓国 にお ける 戦時 強制 動員 被害 者一
〇〇 名が 日韓 会談 文書 の開 示を 求め て、 ソウ ル行 政 法 3
廷に 訴訟 を起 こし た。 その 結果
、原 告側 が要 求し た五 七件 中五 件の 文書 につ いて
、原 告が 自ら の個 人請 求権 の消 滅如 何を 判断 でき る資 料で ある とし て、 公開 を命 じる 判決 が下 され た。 被告 側の 韓国 外交 通商 部は いっ たん 控訴 し たも のの
、勝 訴の 見通 しが ない と判 断し
、二
〇〇 五年 一月
、五 件︵ 約一
〇〇
〇枚 の︶ 文書 公開
︵第 一次
︶に 踏み 切 った
。さ らに
、盧 武鉉 政権 は、
﹁歴 史清 算事 業﹂ の一 環と して
、日 韓会 談関 連文 書を
﹁全 面公 開﹂ する 方針 を
( )
決め
、
4
二〇
〇五 年八 月、 一五 六件 約三 万六
〇〇
〇枚 の第 二次 公開 が行 わ
( )
れた
。一 三年 以上 の長 期交 渉と して は、 決し て量
5
的に 多く なく
、﹁ 全面 公開
﹂へ の疑 問も 呈さ れて いる
。し かし
、民 間委 員と して 公開 作業 に関 わっ た田 鉉秀 は﹁ 韓 国政 府が 保有 して いる 韓日 会談 文書 はす べて 公開 され た﹂ と証 言し
、資 料の 貧弱 さに つい ては
、文 書管 理保 存制 度 の不 備、 事務 的判 断に よる 文書 の廃 棄な どの 制度 的・ 行政 的な 要因 を上 げて
( )
いる
。他 に、 政権 交代 期な どの 政治 的
6
判断 や混 乱に よる 資料 の逸 失や 廃棄 に関 する 証言 など もあ る。 一方
、日 本側 外交 文書 の公 開は
、こ うし た韓 国側 の動 きに 触発 され た市 民団 体の 開示 請求 によ って 実現
( )
した
。吉
7
澤文 寿や 太田 修ら の研 究者 と戦 後補 償を 求め る市 民団 体を 中心 に結 成︵ 二〇
〇五 年一 二月
︶さ れた
﹁日 韓会 談文 書・ 全面 公開 を求 める 会﹂ が、 二〇
〇六 年四 月、 情報 公開 法に よる 日韓 会談 文書 の開 示請 求を 外務 省に 対し て行 った の を皮 切り に、 部分 開示 や非 開示 決定 につ いて
、外 務省 を相 手取 って 提訴 した 結果
、日 本外 務省 は二
〇〇 六年 八月 か ら二
〇〇 八年 五月 まで
、七 回に わた って 合計 一三 六九 件約 六万 枚の 文書 を公 開し た。 外務 省に よる と、 公開 審査 の 対象 とな った 日韓 会談 関連 文書 一九 一六 件の うち
、開 示一 三六 九件
、不 開示 二三 件、 部分 開示
︵﹁ 黒塗 り﹂ によ る削 除︶ 五二 四件 であ り、 開示 対象 の文 書の うち 二八
・五
%が 不開 示ま たは 部分 開示 とい う結 果と なっ てい る。 外務 省 はこ れで 日韓 会談 関連 文書 はす べて 公開 した とし てい る。 公開 され た日 韓の 外交 文書 は、 会談 の議 事録 や内 部の 検討 資料 が中 心で あり
、国 交正 常化 交渉 のプ ロセ スを 解明 する ため の公 式の 基本 資料 がそ ろっ たこ とに なる
。量 的に は日 本側 文書 の方 が多 いが
、公 開さ れた 文書 の部 分削 除
︵い わゆ る﹁ 黒塗 り﹂
︶が 目立 ち、 事実 の解 明を 阻ん でい る。 とり わけ
、日 韓交 渉の 焦点 であ った
﹁請 求権
﹂問 題と の関 連で 日本 側が 検討 もし くは 提示 した 金額 につ いて は、 ほと んど
﹁黒 塗り
﹂さ れて おり
、請 求権 をめ ぐる 交渉 経 緯の 完全 な解 明は 不可 能で ある
。日 本側 の削 除は 徹底 して おり
、人 名に つい ても
、政 府関 係者 以外 は原 則と して す べて
﹁黒 塗り
﹂で 不開 示と なっ てい る。 たと えば
、朴 正熙 大統 領の 訪日
︵一 九六 一年 一一 月︶ に同 行し た韓 国側 新 聞記 者や 財界 代表 など の名 前も すべ て伏 せら れて いる
。そ の点
、韓 国側 の外 交文 書に は、 政治 的に 敏感 な情 報を 提 供し たア メリ カ大 使館 員や 日本 の財 界人
、ジ ャー ナリ スト の実 名が その まま 公開 され てお り、 興味 深い 対照 をな し てい る。 こう した 日韓 の外 交文 書公 開を 受け て、 日韓 会談 研究 は新 たな 局面 を迎 えて いる
。こ れま でも 非公 式に 流出 した 公式 記録 や外 交文 書を 部分 的に 利用 した 研究 はあ った が、 当時 の新 聞や 雑誌
、関 係者 の回 顧録 など の間 接的 な資 料 に大 きく 依存 せざ るを えな かっ たた め、 交渉 に関 わる 基本 的な 事実 関係 をめ ぐっ て誤 解や 混乱 が多 く、 両国 政府 の
交渉 戦略 や政 策決 定過 程に つい ては 基本 的に 推測 の域 を超 えな いの が実 状で あっ た。 今回 の外 交文 書公 開で
、本 来 の意 味で の実 証的 な研 究が よう やく 可能 にな った とい
( )
える
。二
〇〇 五年 の韓 国外 交文 書の 公開 を受 けて
、韓 国で は
8
日韓 会談 研究 が新 たに 触発 され
、外 交文 書に 基づ く実 証研 究の 成果 が相 次い で発 表さ れて
( )
いる
。
9
本稿 では
、日 韓の 外交 文書 を土 台に
、日 韓会 談に おけ るア メリ カの 役割 につ いて 実証 的な 解明 を試 みる 作業 の一 環と して
、一 九六 一年 六月 の朴 正熙 軍事 政権 の成 立か ら、 最大 の障 害だ った 請求 権問 題に 政治 的な 突破 口を 開い た 大平
・金 鍾泌 会談
︵一 九六 二年 一一 月︶ まで の期 間に 焦点 を合 わせ る。 この 期間 が、 朴正 熙軍 事政 権の 誕生 を受 け て、 アメ リカ が日 韓交 渉の
﹁短 期決 着﹂ に向 けて
、も っと も精 力的 に関 与を 試み た時 期で あり
、そ の結 果、 アメ リ カ側 の動 きに 関す る資 料の 密度 がも っと も高 い時 期で もあ るか らで ある
。 筆者 はか つて アメ リカ 側外 交文 書に 基づ いて
、日 韓会 談に おけ るア メリ カの 役割 につ いて
、一 連の 分析 を行 った こと が
( )
ある
。日 韓会 談と いう 二国 間交 渉の 分析 にお いて
、ア メリ カと いう 第三 者的 なフ ァク ター に注 目し たの は、
10
当時
、日 韓の 公式 資料 が公 開さ れず
、ア メリ カの 外交 文書 を用 いざ るを えな かっ たと いう 資料 的制 約も
( )
ある
。し か
11
し、 それ に加 えて
、日 韓会 談は 日米 韓の 三か 国間 の交 渉と 言っ てい いほ ど、 その 開始 から 妥結 に至 るま で、 アメ リ カが 交渉 過程 に深 く関 与し てい たと いう 実態 があ った から であ る。 日韓 会談 が終 盤に 差し 掛か った 一九 六四 年一
〇 月に 作成 され た韓 国政 府の 報告 書は
、﹁ 今や 明ら かに 会談 の重 点︵ 中心 地︶ は、
﹃ソ ウル
﹄で も東 京で もな く、
﹃ワ シン トン
﹄に 移っ た﹂ と記 して いる が、 日韓 交渉 の実 態か らみ て、 決し て誇 張で は
( )
ない
。後 述す るよ うに
、日 韓会
12
談の 中心 的な 争点 の一 つで あっ た請 求権 の金 額の 決定 にお いて
、ア メリ カの 関与 が大 きな 役割 を果 たし た。 しか し、 その 半面
、実 際の 関与 の過 程で は、 アメ リカ の﹁ 力の 限界
﹂も 露呈 した
。ア メリ カ側 の資 料に 基づ いた 分析 から 得ら れる 印象 とは 違っ て、 日韓 の外 交文 書か らは
、日 韓両 国が それ ぞれ
、ア メリ カの 圧力 を受 けつ つも
、 自ら の利 害を 確保 すべ く、 むし ろア メリ カの 影響 力を
﹁活 用﹂ し、 場合 によ って は、
﹁抵 抗﹂ また は﹁ 無力 化﹂ し
てい くと いう 立体 的で ダイ ナミ ック な国 際政 治の 構図 が浮 かび 上が る。 また
、ア メリ カ側 の外 交文 書は
、主 とし て ワシ ント ンに おけ る政 策決 定過 程に 関連 する もの が多 いの に対 して
、日 韓の 外交 文書 は、 いわ ばア メリ カの 政策 の
﹁現 場﹂ とで もい うべ き、 ソウ ルや 東京 の大 使館 と日 韓政 府と の間 のや りと りに 関す る資 料を 豊富 に含 んで おり
、 アメ リカ の対 韓・ 対日 外交 の﹁ 実態
﹂を 示し てく れる
。以 下で は、 一九 六一 年五 月朴 正熙 軍事 政権 の成 立か ら、 一 九六 二年 一一 月の
﹁大 平・ 金メ モ﹂ に至 るま での 期間 を対 象に
、ア メリ カの 関与 に焦 点を 合わ せ、 日米 韓の トラ イ アン グル の外 交の 力学 につ いて 考察 する こと にし たい
。
︵
︶ 本稿 は、 日本 国際 政治 学会 二〇
〇八 年度 研究 大会
︵つ くば 国際 会議 場、 二〇
〇八 年一
〇月 二四 日~ 一〇 月二 六日
︶で の部 会報 告論 文に 大幅 な 1 加筆
・修 正を 加え たも ので ある
。
︵
︶ 韓国 の外 交通 商部 関係 者は
、二
〇〇 四年 一月 に開 かれ た日 韓会 談関 連外 交文 書の 公開 をめ ぐる 裁判 で、
﹁一 九九 三年 一〇 月、 日韓 会談 文書 の 2 公開 を検 討し たが
、外 交通 商部 アジ ア太 平洋 局が
﹃日 本と の外 交紛 争が 発生 する 可能 性が ある ので
、関 係国 との 協議 の後
、公 開す るか どう かを 決定 すべ き﹄ とい う見 解を 示し た﹂ ため
、﹁ 日本 の外 務省 と公 開に つい て協 議し たが
、日 本側 は﹃ 関連 文書 が日 本の 外交 に関 する 重要 な情 報を 含ん でい る﹄ と主 張し
、公 開し ない よう 求め た﹂ と証 言し た。
﹃聯 合ニ ュー ス﹄ 二〇
〇四 年一 月一 一日
。韓 国政 府は 金泳 三政 権期 の一 九九 七年 にも 日韓 会談 関連 文書 の一 部を 公開 する 方針 を固 めた が、 日本 外務 省が
﹁た とえ 一部 公開 でも
、日 朝交 渉や 日韓 の信 頼関 係へ の影 響を 強 く懸 念す る﹂ と事 実上 の﹁ 非公 開要 請﹂ を行 った こと を受 けて
、再 度公 開を 見送 って きた 経緯 があ った
。﹃ 朝日 新聞
﹄一 九九 七年 二月 二〇 日、 太田 修﹁ 日韓 財産 請求 権問 題の 再考
︱︱ 脱植 民地 主義 の視 角か ら﹂
﹃文 学部 論集
﹄︵ 仏教 大学 文学 部︶ 九〇 号︵ 二〇
〇六 年三 月︶
、二 頁か ら再 引 用。
︵
︶ 韓国 外交 文書 の公 開に 至っ た経 緯や 文書 の概 要に つい ては
、金 昌祿
*﹁
﹃韓 日請 求権 協定
﹄関 連文 書公 開の 意味
﹂﹃ 歴史 批評
﹄七
〇号
︵二
〇
〇 3 五年 春︶
、二 二~ 三八 頁︵
*は 韓国 語文 献、 以下 同様
︶; 太田 修﹁ 日韓 財産 請求 権問 題の 再考
︱︱ 脱植 民地 主義 の視 角か ら﹂
、一
~一 一頁; 李 元徳
﹁歴 史と して の日 韓基 本条 約研 究︱
︱日 韓外 交文 書公 開の 意義
﹂︵ 日本 国際 政治 学会 二〇
〇八 年度 研究 大会 報告 論文
、二
〇〇 八年 一〇 月二 五日
︶; 吉澤 文寿
﹁二
〇〇 五年 に韓 国で 公開 され た日 韓会 談関 連外 交文 書﹂
﹃N ew sl et te r﹄
︵近 現代 東北 アジ ア地 域史 研究 会︶ 一八 号︵ 二〇
〇六 年一 二月
︶、 五二
~五 九頁;
同﹁ 公開 され た日 韓会 談関 連外 交文 書に つい て﹂
﹃戦 争責 任研 究﹄ 四九 号︵ 二〇
〇五 年秋 期号
︶、 一四
~二 一頁; 同
﹁韓 国政 府に よる 日韓 会談 文書 全面 公開 と日 本の 課題
﹂﹃ イン パク ショ ン﹄ 一四 九号
︵二
〇〇 五年 一〇 月︶
、三 八~ 四三 頁な どを 参照
。
︵
︶ 二〇
〇五 年の 文書 公開 決定 過程 で、 韓国 政府 内に も意 見の 対立 があ り、 外交 通商 部は
、日 本政 府の 反対 や日 韓関 係へ の影 響へ の憂 慮か ら、 4
文書 公開 に消 極的 であ った が、 青瓦 台︵ 大統 領府
︶の 主導 で、 包括 的な
﹁対 日歴 史清 算プ ロセ ス﹂ の一 環と して 関連 外交 文書 の全 面公 開に 踏 み切 った とい う。 堀山 明子
﹁韓 日協 定の 文書 公開 と盧 武鉉 政権 の被 害補 償政 策﹂
﹃日 本空 間﹄ 二号
︵二
〇〇 七年 一一 月︶
、二
〇三
~二 一〇 頁; 同*
﹁盧 武鉉 政権 の韓 日過 去事 処理
︱︱ 韓日 協定 文書 公開 と被 害者 救済 の決 定過 程を 中心 に﹂
︵韓 国国 民大 学校 大学 院国 際地 域学 科修 士学 位論 文、 二〇
〇八
︶、 一五
~一 八頁
。
︵
︶ 公開 され た韓 国外 交文 書は ソウ ル市 所在 の外 交史 料館 で一 般公 開さ れて いる
。ま た、 韓国 の日 刊紙
﹃東 亜日 報﹄ のウ ェブ サイ トに も全 文書 が 5 掲載 され てお り、 ダウ ンロ ード でき る︵ ht tp :/ /w ww .d on ga .c om /n ew s/ d_ st or y/ po li ti cs /K _J _a gr ee me nt 65 /d at a. ht ml
︶。 日本 語に よる 韓国 公 開外 交文 書の リス トの 紹介 や解 題と して は、 李洋 秀編
・訳
﹁資 料紹 介・ 韓国 側文 書に 見る 日韓 国交 正常 化交 渉﹂
︵一
︶~
︵四
︶﹃ 戦争 責任 研究
﹄ 五三 号︵ 二〇
〇六 年秋 期号
︶~ 五七 号︵ 二〇
〇七 年秋 期号
︶; 福原 裕二
﹁資 料・ 日韓 会談 文書 目録
﹂﹃ 北東 アジ ア研 究﹄ 一〇 号︵ 二〇
〇六 年一 月︶
、一 四一
~一 五四 頁な どが ある
。韓 国で は、 韓国 国民 大学 日本 学研 究所 が公 開外 交文 書す べて に目 次や 要旨 を付 けた 解説 資料 とし て、 国民 大学 校日 本学 研究 所*
﹃韓 日会 談外 交文 書解 題集
﹄全 五巻
︵ソ ウル
:東 北ア ジア 歴史 財団
、二
〇〇 八︶ を刊 行し た。 韓国 の外 交文 書管 理公 開 制度 の一 般的 な仕 組み
、日 韓会 談関 連資 料の 管理 状況 や公 開の 現状 を解 説し たも のと して は、 田鉉 秀*
﹁外 交文 書管 理制 度の 改善 方向
﹂﹃ 記録 学研 究﹄ 一三 号︵ 二〇
〇六 年四 月︶
、二
〇五
~二 三一 頁が ある
。韓 国の 外交 文書 およ び公 開制 度の 概略 につ いて の解 説と して は、 木宮 正史
﹁韓 国外 交史 料館
﹂﹃ 現代 韓国 朝鮮 研究
﹄八 号︵ 二〇
〇八 年︶
、七
~一 一頁 が便 利で ある
。
︵
︶ 田鉉 秀*
﹁外 交文 書管 理制 度の 改善 方向
﹂、 二〇 七頁
。
︵ 6
︶ 日本 側外 交文 書の 公開 に至 った 経緯 や内 容の 紹介 につ いて は、 吉澤 文寿
﹁日 本に おけ る日 韓会 談関 連外 交文 書の 公開 状況 につ いて
︱︱ 一般 請 7 求権 問題 を中 心に
﹂﹃ 外交 文書 の公 開と 韓日 会談 の再 照明
﹄︵ 国民 大学 日本 学研 究所
・韓 国政 治外 交史 学会 主催 国際 シン ポジ ウム
、ソ ウル
、 二〇
〇八 年一 一月 七日
︶、 四五
~四 七頁;
﹃日 韓会 談文 書・ 全面 公開 を求 める 会ニ ュー ス﹄ 一一 号︵ 二〇
〇八 年五 月二 三日
︶、 一頁 など を参 照。
﹁日 韓会 談文 書・ 全面 公開 を求 める 会﹂ のウ ェブ サイ ト︵ ht tp :/ /w ww 7b .b ig lo be .n e. jp /~ ni kk an /︶ には
、経 緯の 説明 や内 容の 紹介 とと もに
、日 本側 公開 外交 文書 の全 文が 掲載 され てい る。
︵
︶ 日韓 にお ける 日韓 会談 研究 の状 況に つい ては
、吉 澤文 寿﹁ 日韓 会談 研究 の現 状と 課題
﹂﹃ 歴史 学研 究﹄ 八一 三号
︵二
〇〇 六年 四月
︶、 四八
~ 五 8 五︵ 六四
︶頁 が簡 潔に 整理 して いる
。
︵
︶ 韓国 側外 交文 書を 包括 的に 利用 した 本格 的な 研究 とし ては
、今 のと ころ
、朴 鎮希
*﹃ 韓日 会談
︱︱ 第一 共和 国の 対日 政策 と韓 日会 談展 開過 程 9
﹄︵ ソン イン
、二
〇〇 八︶
、張 博珍
*﹁ 韓日 会談 にお ける 植民 地関 係清 算研 究︱ 清算 消滅 の政 治論 理を 中心 に﹂
︵韓 国外 国語 大学 校国 際地 域大 学院 博士 学位 論文
、二
〇〇 七︶ が代 表的 であ る。 金斗 昇﹃ 池田 勇人 政権 の対 外政 策と 日韓 交渉
︱︱ 内政 外交 にお ける
﹁政 治経 済一 体路 線﹂
﹄
︵明 石書 店、 二〇
〇八
︶に も二
〇〇 五年 に公 開さ れた 韓国 外交 文書 が一 部使 われ てい る。 その 他、 具体 的な 争点 に関 する 実証 研究 の論 考と して は、 金栄 美*
﹁兪 鎮午 の日 本出 張報 告書
︵一 九五 一年 九月 一〇 日︶ と交 渉準 備﹂
﹃日 本空 間﹄ 一号
︵二
〇〇 七年 五月
︶、 二九 六~ 三一 二頁; 同
*﹁ 韓日 会談 韓国 代表 団と 会談 主導 者︱
︱予 備~ 三次 会談 を中 心に
﹂﹃ 外交 文書 の公 開と 韓日 会談 の再 照明
﹄︵ 国民 大学 日本 学研 究所
・韓 国政