ジョンソンとワルシュの善と正をめぐって : 徳倫 理学覚書(一)
その他のタイトル Johnson and Walsh on Good and Right : A Remark on Virtue Ethics (1)
著者 品川 哲彦
雑誌名 關西大學文學論集
巻 68
号 4
ページ A17‑A38
発行年 2019‑03‑18
URL http://hdl.handle.net/10112/16614
ジョ ンソ ンと ワル シュ の善 と正 をめ ぐっ て
︱︱ 徳倫 理学 覚書
︵一
︶︱
︱
品 川 哲 彦
はじ めに 自然 科学 と違 って
︑は るか 昔に 問わ れた 論点 がつ ねに 繰り 返し て問 いな おさ れる 哲学 や倫 理学 にお いて
︑ア リス ト テレ スが 今な お論 じら れ続 けて いる 現役 の哲 学者 であ るこ とは 驚く にあ たら ない
︒そ れで もこ こ数 十年 のあ いだ
︑ア リス トテ レス にさ かの ぼる 徳倫 理学 が注 視さ れて いる よう すは
︑何 か新 しい 倫理 理論 が登 場し たか のよ うに すら みえ る︒ 以下 は︑ 論者 が現 時点 で徳 倫理 学に たい して 問い とし て懐 いて いる 論点 を示 し︑ その とく にひ とつ の論 点︵ 善と 正︶ につ いて
︑ふ たり の論 者の 論考 を手 がか りに して 論じ たも ので
︑一 種の 覚書 を出 ない
︒し かし なが らと りあ えず
︑一 節で は︑ 徳倫 理学 につ いて 論者 の懐 く疑 問を 三点
︵細 かく 分け れば 四点
︶に 整理 する
︒こ のう ち第 二︑ 第三 の論 点に 関連 ある もの とし て︑ ジョ ンソ ンの 論稿
﹁徳 と正
﹂と それ にた いす るワ ルシ ュの 論駁
﹁目 的論
︑ア リス トテ レス 的徳
︑ 正﹂ とを 二節
︑三 節に 順に まと め︑ 四節 で両 者の 争点 につ いて の現 時点 にお ける 論者 の立 場を 明ら かに した い︒ ジョ
ンソ ンと ワル シュ の善 と正 をめ ぐっ て
︱︱ 徳倫 理学 覚書
︵一
︶︱
︱︵ 品川
︶
一七
一︑ 徳倫 理学 にた いす る問 い 徳倫 理学 の一 種の 復﹅ 権﹅
︱︱ とい うの は︑ 冒頭 に記 した よう に︑ アリ スト テレ スは 哲学 史の 長き にわ たっ て大 半の 期 間に おい て現﹅ 役﹅ だっ たが
︑他 方で 徳倫 理学 が目﹅ 新﹅ し﹅ さ﹅ をも って 再登 場し たか のよ うに みえ るか らだ が︱
︱に は︑ リベ ラリ ズム にた いす る共 同体 主義 の批 判が あず かり あっ た︒ 一・
一 サン デル の﹁ 負荷 なき 自我
﹂︵ サン デル
:
︶は その 批判 のな かの ひと つの 鍵概 念で ある
︒こ の概 念は
︑さ しあ たり はロ ール ズの
﹃正 義論
﹄に おけ る原 初状 態の 設定 にた いす る疑 念を 表わ すた めに 用い られ た︒ 原初 状態 につ いて 説明 する のは 贅言 かも しれ ない が記 して おこ う︒ これ から 自分 たち が作 り出 す社 会の 構成 員と なる 人び とが
︑正 義に かな った 社会 を構 築す る原 理に つい て提 案し 討議 する
︒社 会契 約論 の前 提上
︑人 びと はた がい に利 己的 だか ら︑ 各人 が自 分に 有利 な主 張を 出し 合う こと が予 想さ れる が︑ それ では 合意 に到 達で きな いた めに
︑各 人が これ から 作ら れる 社会 にお いて 有利 ない し不 利な 地位 につ く原 因と なる 各人 の諸 性質
︱︱ 出自
︑階 級︑ 人種
︑健 康︑ 才能 等々
︱︱ につ いて は知 らな いも のと する 無知 のヴ ェー ルを かけ られ る︒ その うえ で︑ 各人 は自 分が 善い と思 う生 き方
︱︱
﹁善 の構 想﹂
︵ロ ール ズ:
︶︱
︱を 追求 する のに 好都 合な 原理 を模 索す る︒ 無知 のヴ ェー ルの おか げで
︑人 びと は︑ 自分 18 が社 会の なか でど のよ うな 地位 を占 める にし ても
︑受 容で きる 原理 を考 え出 すで あろ う︒ その 結果
︑社 会の 構成 員の すべ てが 支持 でき る︑ その 意味 で正 義に かな った 原理 が合 意さ れる わけ であ る︒ さて この 論理 構成 にた いし て︑ サン デル は︑ 原初 状態 の当 事者 はな るほ ど自 分の 善の 構想 を選 ぶ権 利は 与え られ てい るが
︑し かし 彼ら は自 分の 出自 等を 知ら ない ゆえ に︱
︱一 般化 すれ ば自 分が 何者 であ るか を知 らな いゆ えに
︱︱ 実質 的に は選 択す るこ とが でき ない と指
關西 大學
﹃文 學論 集﹄ 第六 十八 巻第 四号
一八
摘し た︒ なぜ なら
︑あ る生 き方 を選 ぶに は︑ すで に何 らか の価 値観 を必 要と して おり
︑そ の価 値観 は個 々人 が生 まれ 育っ た共 同体 のな かで 形成 され るの にも かか わら ず︑ 無知 のヴ ェー ルは その こと を捨 象し て当 事者 たち を負 荷な き自 我に 変容 して しま うか らで ある
︒ とは いえ
︑原 初状 態の 設定 が抽 象的 であ るこ とそ れ自 体は
︑批 判の 対象 たり えな いだ ろう
︒な ぜな ら︑ 原初 状態 は 社会 契約 論が 用い る思 考実 験に すぎ ない から だ︒ むし ろサ ンデ ルが 懸念 を抱 いた のは
︑そ の思 考実 験が
︑抽 象的 な思 考実 験で ある 以上 に︑ 現代 にお いて 社会 を思 い描 こう とす ると きに あま りに リア リテ ィに 富ん だ発 想だ から にほ かな らな い︒ とい うの も︑ 現代 の価 値多 元社 会で は︑ 社会 の構 成員 それ ぞれ が自 分の 生ま れ育 った 共同 体の 文化 的伝 統を 捨象 して いる かの よう に生 きる こと がで き︑ 場合 によ って は︑ 自分 の生 まれ 育っ た共 同体 の文 化的 伝統 を脱 ぎ捨 てて 別の それ に乗 り換 える こと さえ でき そう に思 われ るか らだ
︒そ れゆ え︑ サン デル の疑 念は
︑直 接に はロ ール ズの 原初 状態 の論 理構 成に 向け られ てい るに せよ
︑間 接的 には 価値 多元 主義 に進 んで きた 近代 へ︑ とく に近 代が 懐胎 して きた リベ ラリ ズム に向 けら れて いる
︒そ うで ある 以上
︑こ の文 脈で の徳 倫理 学へ の回 帰は
︑人 びと は自 分の 生ま れ育 った ある 特定 の時 代と 地域 にお いて 伝統 的に 培わ れて きた 諸規 範を 尊重 すべ きで ある とい う主 張を 含ん でい る︒ 徳倫 理学 の源 泉で ある アリ スト テレ スそ のひ との
﹃ニ コマ コス 倫理 学﹄ にさ かの ぼれ ば︑ 徳の 修得 は技 術の 習得 と似 ると 説明 され てい る︒ 大工 の手 習い が兄 弟子 や棟 梁の 所作 をま ねる よう に︑ 未熟 な人 間は 有徳 な人 物に なろ うと する なら
︑手 本と なる 人物 をま ねる べき であ る︒ その 手本 とな る人 物は 同じ 共同 体に 属す 人物 であ ろう
︒だ とす れば
︑そ こか ら︑ 徳倫 理学 とは 伝統 的な 価値 観の 継承 を賞 揚す る倫 理理 論で ある とい う解 釈を 引き 出す こと はで きる
︒し かし
︑共 同体 主義 がま さに そう 主張 する とし ても
︑徳 倫理 学は 伝統 の保 守に 与す るの だろ うか︵︶
︒も し︑ そう なら ば︑ 徳倫 理学 は︑
1
現代 社会 が価 値多 元主 義を めざ すと する かぎ りア ンチ テー ゼと して 補完 的な 役割 を果 たす とし ても
︑リ ベラ リズ ムに ジョ ンソ ンと ワル シュ の善 と正 をめ ぐっ て
︱︱ 徳倫 理学 覚書
︵一
︶︱
︱︵ 品川
︶
一九
代わ る倫 理理 論と いう 位置 を占 める こと はな いの では ない か︒ これ が徳 倫理 学に たい して 私の 懐く 第一 の問 いで あ る︒ 一・
二 サン デル の批 判は また
︑倫 理理 論の 立脚 する 規範 をめ ぐる 争点 を指 摘し てい る︒ ロー ルズ の原 初状 態が
︑︵ 近 代の 思想 信条 の自 由を 樹立 した リベ ラリ ズム の系 譜か らは 当然 だが
︶各 人の 善の 構想 の内 容に は立 ち入 らず に善 の構 想を 追求 する 権利 を各 人に 平等 に分 け与 える 正義 を尊 重す るの にた いし て︑ サン デル の﹁ 負荷 なき 自我
﹂は 善が 先行 すべ きこ とを 指摘 して いる
︒そ れは たん に時 間的 な先 行を 意味 して いる だけ では ない
︒﹁ 共通 の企 図や 目的 に言 及せ ずに は︑ われ われ は︑ 政治 的調 整を 正当 化で きず
﹂︵ サン デル
:
︶と 語ら れる よう に︑ 社会 の構 成員 のあ いだ で何 18 をど のよ うに 分け 与え るべ きか とい う分 配的 正義 は︑ その 社会 全体 にと って の共 通善 を根 拠と して 確定 しう ると 主張 され てい る︒ それ ゆえ
︑共 同体 主義 によ る徳 倫理 学へ の回 帰は
︑権 利や 正義 にも とづ く倫 理理 論に 代わ って 善に もと づく 倫理 理論 をい っそ う根 底的 だと する 評価 を含 意し てい た︒ さて
︑権 利︵ ri gh t︶ や正 義︵ ju st ic e︶ は倫 理的 に尊 重す べき 複数 の存 在者
︱︱ 通常 は人 間の こと が考 えら れて い る︱
︱の あい だに おい ての み成 り立 つ規 範で ある
︒こ の複 数の 存在 者の あい だの 関係 の適 切さ を﹁ 正︵ ri gh t︶
﹂と 呼 ぶな らば
︑正 の規 範の グル ープ には
︑権 利や 正義 のほ かに
︑平 等︵ eq ua li ty
︶︑ 公平
︵i mp ar ti al it y︶
︑公 正︵ fa ir ne ss
︶ を数 え入 れる こと がで きる
︒こ れに たい して
︑善
︵g oo d︶ は関 係に おい て成 立す る︱
︱す べて の当 事者 のた めに な ると いう
︱︱ 以前 に︑ その 行為 者本 人だ けの ため
︵b en ef it
︶に なる 場合 もそ の行 為の 影響 が及 ぶあ る特 定の 他人 だ けの ため にな る場 合も ある
︒善 の規 範の グル ープ には
︑他 人の ため にな る行 為を する とい う意 味の 善行
︵b en ef ic en ce
︶︑ 善行 を施 そう と意 図す る善 意︵ be ne vo le nc e︶ が属 す︒ 慈愛
︵c ha ri ty
︶も この グル ープ に入 れる こと
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二〇
がで きる
︒多 くの 倫理 理論 にお いて
︑正 の規 範の グル ープ と善 の規 範の グル ープ との あい だに は︑ 原則 的に
︑一 面で は対 立し
︑他 面で は相 補的 な関 係が 成り 立っ てい る︒ 自分 自身 のた めで あれ
︑他 のひ との ため であ れ︑ なさ れる 善行 がそ れ以 外の 人び とに とっ ての 善を 損な うお それ があ るな らば
︑正 の規 範が 提示 する 規準 によ って 規整 され なく ては なら ない し︑ 正の 規範 それ 自体 が正 当化 され るの は︑ それ をと おし て全 体に とっ ての 善が 実現 され るか らだ とい う関 係で ある
︒ とこ ろが
︑徳 倫理 学に おい ては
︑善 と正 はそ れほ ど鋭 い対 比を なし てい ない よう にみ える
︒と いう のも
︑ア リス ト テレ スの 徳の リス トの なか には
︑他 人が 関わ って いる とこ ろで 自分 の私 有財 産を 処理 する とき に発 揮さ れる
﹁寛 厚﹂
︵ア リス トテ レス
:1 11 9b
︶や 他人 をも てな すと ころ で自 分の 私有 財産 を処 理す ると きに 発揮 され る﹁ 物惜 しみ のな さ﹂
︵ア リス トテ レス
:1 12 2a
︶と いっ た徳 は数 えら れて いる もの の︑ 一般 的な 意味 での 利他 的な 善意 や善 行︑ とり わけ
︵ユ ダヤ
―キ リス ト教 の伝 統で は重 視さ れる
︶貧 しく 困窮 して いる 者を 救う 善意 や善 行は 数え 入れ られ てい ない から であ る︒ だが だか らと いっ て︑ 徳倫 理学 が自 分自 身に とっ ての 善の 実現 をめ ざす
︑自 己利 益に もと づく 倫理 理論 であ ると いう わけ では ない
︒な るほ ど︑ 徳を 具え た状 態は そう では ない 状態 より もそ の本 人に とっ て善 い状 態だ が︑ それ だけ には 終わ らな い︒ とい うの も︑ 有徳 な人 物は 自分 一己 の幸 福の みな らず
︑自 分の 家族 や友 人や
︑さ らに は自 分と 同じ ポリ スに 属す る人 びと の幸 福な しに は真 の意 味で は幸 福で ない から であ る︒
﹁究 極的 な﹃ 善﹄ は自 足的 であ ると 考え られ る︒ もっ とも
︑自 足的 とい って も自 分だ けに 充分 であ ると いう 意味 では ない ので あっ て︑
︵中 略︶ 親や 子や 妻や
︑ ひろ く親 しき ひと びと とか
︑さ らに 国の 全市 民を も考 慮に いれ たう えで 充分 であ るこ とを 意味 する
﹂︵ アリ スト テレ ス: 10 97 b︶
︒現 代の 幸福 概念 は一 個人 の幸 福と それ 以外 の人 びと の幸 福と を独 立に 考え
︑し たが って その あい だの 相剋 を強 調す る傾 向に ある
︒こ れに たい して
︑ア リス トテ レス のい う幸 福︵ eu da im on ia
︶は 魂が 善い 状態 にあ るこ ジョ ンソ ンと ワル シュ の善 と正 をめ ぐっ て
︱︱ 徳倫 理学 覚書
︵一
︶︱
︱︵ 品川
︶
二一