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ドノー・ド・ヴィゼの「喜劇『人間嫌い』について書かれた手紙」 : その意義と翻訳

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Academic year: 2021

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ドノー・ド・ヴィゼの

「喜劇『人間嫌い』について書かれた手紙」

―その意義と翻訳―

はじめに

1666年6月4日,モリエール(Molière,本 名 Jean-Baptiste Poquelin, 1622―1673)は,本拠地のパレ・ロワイヤル劇場で『人間嫌い』(Le Misan-thrope)を初演する。それを見たドノー・ド・ヴィゼ(Jean Donneau de Visé,1638―17101)は「喜劇『人間嫌い』について書かれた手紙」を書 き,それは翌年出版された『人間嫌い』初版の巻頭に,出版者による「読 者へ3」と共に載せられる。本稿ではこの「手紙」を全訳するが,それ に先立ち,本「手紙」の意義がどこにあるか,見ておこう。

「手紙」

グリマレ(Jean-Léonor Le Gallois de Grimarest,1659―1713)によれば,

『人間嫌い』初版本に「手紙」が掲載されたことは,「モリエールの知らぬ

うちで,しかも彼は大変不満であ5」り,ブロセット(Claude Julien Bros-sette,1671―1743)によれば,モリエールは「彼(=ヴィゼ)を訴えるよ りは,満足ではなかったが,この『手紙』がモリエール自身が出版させた

*専修大学商学部兼任講師

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を最初に告発し17『ゼランド』(Zélinde, ou la véritable critique de l’École des

Femmes et la Critique de la critique,1663)で「喜劇戦争」の口火を切る18 と同時に,同作で初めてモリエールをエロミール(Elomire)のアナグラ ムで指し示した19のである。これらは,ジャーナリストとしてのヴィゼの 面目躍如といったところである。また『ヌーヴェル・ヌーヴェル』には「手 紙」の文体,それに議論の進め方と同じものが,紛れもなく見られるので ある。即ち,彼はものごとの核心を見出し,それを突いて議論を進める術 をすでに心得ていたのである。 『ヌーヴェル・ヌーヴェル』には,モリエールに対してだけでなく,コ ルネイユ(Pierre Corneille,1606―1684)の『ソフォニスブ』(Sophonisbe, 1663)に対する厳しい批判もある20。同作におけるヴィゼを,モングレディ ヤンは「一言で言えば,話題にしてもらい,社交界に押し上げてもらう」 ことに専心と評して,『ソフォニスブ』批判のヴィゼの「意図」は「コル ネイユに対して好意的,もしくは批判的な立場をとることよりも,話題に してもらい,読んでもらうことであった21」と指摘している。 『ヌーヴェル・ヌーヴェル』とほぼ同時期に,アベ・ドービニャック (François Hédelin, Abbé d’Aubignac,1604―1676)が『コルネイユ氏の悲 劇「ソフォニスブ」に関して R 公爵夫人に送られた考察』(Remarques sur la tragédie de Sophonisbe de Mr Corneille envoyées à Mme la Duchesse de

R***,1663)において『ソフォニスブ』攻撃を始めると,ヴィゼは一転

して『ソフォニスブ』を擁護する。この豹変に対する弁明22をモングレディ

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これほど大きな主題についてほんのわずかな語で語るのは難しいと思いま したので,止めることができなかったのです。この長い話が廷臣たちのお 気に召さないことはないでしょう。といいますのも,彼らは拍手喝采する ことによって,この喜劇が素晴らしいものだと思われたのですから。それ はともかく,私はあなたのためだけに書いたのですから,これを公にする 価値がないと判断なされたのであれば,しまっておかれることを希望いた します。私がそれを非難するなどご心配無用です。私は,オロントが人間 嫌いの意見を従ったのとは別な風にあなたのご意見に従いますから。 1 以下,ヴィゼと表記する。 2 以下「手紙」と略す。

以下がその全訳である。テキストは Molière, Œuvres complètes, édition dirigée par Georges Forestier, avec Claude Bourqui, Gallimard, 2010, Bibliothèque de la Pléiade, Tome I, P. 635(以下,同書を Forestier と略す)を使用した。『人間嫌い』は初日か ら劇場で賞賛を受けましたが,それは読者も否定することができないでしょうし,そ の初演日に宮廷はフォンテーヌブローにおられましたので,私は初演の翌日にこの喜 劇の主題についてさる高貴な方に宛てて書かれたこの「手紙」を大衆に供することよ り大衆にとって快いことは何もできないと思いました。その「手紙」を書いたのは, 徳も才気もいたく知られた方の上,その「手紙」は宮廷の大多数の方々に見られ,こ ういったことに関しては最も明るいすべての方々の間でかくも正しいと評価されまし たので,私はこのように確信しました。その方々のお気に召したからには読者も,私 が苦労して探し出したその写しを私にせがんで提供させ,そしてかくも多くの最も高 貴な生まれの方々がその「手紙」に下した評価を読者もまた下すことであろうと。 4 テキストは Forestier, PP.635―644による。解説の都合上,段落を丸数字で示した。 なお臨川書店から出版された『モリエール全集』には様々な資料や論文の翻訳もある が,「手紙」の意義を認めていないためか,その翻訳はない。

Œuvres de Molière, Les Grands Écrivains de la France Nouvelles Éditions publiées sous la direction de M. Ad. Regnier, Tome V, Hachette, 1880, P. 369(以下,同書を GEF. と略す)

6 Ibid., P. 370

7 Ibid., P. 370 この「手紙」については,例えばクートンが「凡庸な」と評する(Molière,

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1971, Bibliothèque de la Pléiade, Tome II, P. 124(以下,同書を Couton と略す))な ど研究者からの評価も低い。Forestier, P. 1437も,「このテキスト(=「手紙」)は概 して批評からは無視されている」と評している。

8 モリエールは『才女気取り』(Les Précieuses ridicules, 1659)の「序文」で出版がや むを得なかったことを表明している。即ち自分の作品が誤った形で流布させられるの を黙っていられなかったのである。長いこと温めていた『人間嫌い』にしても同じこ とが言えよう。もしヴィゼの「手紙」に『人間嫌い』解釈を誤るような内容が含まれ ていたとすれば,どんな手を使っても掲載を差し止めたのではなかろうか。逆に言え ば,モリエール自身,その「手紙」を評価していたと考えられないだろうか。 9 Forestier, P. 1453 10 Ibid., P. 1435 11 例えば第!段落に「この巧みに作り上げられた驚嘆すべき喜劇は人間嫌いの登場に よって始まります。彼はその行為で,口を開く前にすら,みんなに彼がそうなのだと 知らしめます。彼はそのことを初めから非常にうまく見せますので,彼はその性格を 保ち続けるであろうと思わせるのです」とある。 12 同作の興行については,例えば GEF . PP.362―365を参照。

3 ヴィゼについては,La Querelle de L ’École des Femmes, édition critique par Georges Mongrédien, Marcel Didier, 1971, Tome I, PP. 3―10(以下,同書を Mongrédien と略 す)や Couton, PP. 1380―1に簡単な紹介がある。

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有名になろうとする若者」との評がある。このように,コルネイユからモリエールへ と至る彼の一連の批判活動も「売名のため」という見方で一致しているようである。 25 Ibid., P. 6 26 Ibid., P. XXXIII 27 Ibid., P. XIII 28 註14参照。 29 第4幕第4場で,セリメーヌに対峙するアルセストの姿が悲劇的になりすぎたため に,敢えて愚鈍な召使いデュ・ボワを登場させ,笑劇的笑いによって悲劇性を捨象し ていると一般に評される場面であるが,初演を見たヴィゼはそのような捉え方はせず, アルセストの性格をより鮮明にするためにデュ・ボワを登場させたと見ている(第! 段落)。 30 アルセストに対しては5回,セリメーヌに対しては1回「性格を保つ」という性格 の一貫性を示す表現がある。 31 しかし見落としてはならないのは,冒頭に述べられる「彼(=モリエール)は楽し ませ」たという評価である。モリエールは『女房学校批判』(La Critique de l’École des

Femmes, 1663)第6場で「規則の中で最も重要な規則は楽しませることである」と 述べているが,これは言うまでもなく,古典主義規則の肝である。

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