色彩の現前 : ゲーテ『色彩論』とニュートン『光 学』の図版におけるイメージの物質性
著者 濱中 春
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会志林
巻 66
号 3
ページ 131‑151
発行年 2019‑12
URL http://doi.org/10.15002/00022514
1.屈折の法則をめぐる図像論争
ニュートンは『光学』(1704)の冒頭で,自分の理論の前提となる命題の一つとして,「入射の 正弦は屈折の正弦にたいして,正確に,あるいはほぼ正確に,あたえられた比をなす」(O5)1とい う公理五をあげている。光が一つの媒質から別の媒質へと進む際に,入射角の正弦と屈折角の正弦 がそれぞれの媒質に固有の比をなすことは,17世紀初頭にスネルが発見し,デカルトが『屈折光 学』(1637)でくわしく論じて以降,屈折の法則として知られるようになった2。反射や回折と並ぶ 光の基本的な性質である屈折を数学的に説明する法則は,17世紀の光学における最も重要な発見 の一つであり,ニュートンの光学もそれを基盤として成り立っている。
ただし,ニュートンは,屈折の法則を自分の光学理論にもとづいてより正確に記述することを試 みている。ニュートンは『光学』の第一篇第一部で,一連の実験を通して,太陽光(白色光)は屈 折性と色彩の異なる光線が複合して構成されていることを明らかにした後,命題六でふたたび屈折 の法則をとりあげている。ニュートンは公理五でもすでに,「ほぼ正確に」という言葉によって,
屈折性の異なる光線のそれぞれによって正弦の比も異なることを示唆しているが,「その差は非常 に小さいので,考慮に入れる必要はほとんどない」(O6)としていた。それにたいして命題六では,
ニュートンはこの問題に焦点をあてて,「各光線の入射の正弦は,個別に考えれば,屈折の正弦に たいしてあたえられた比をなす」(O75)という定理を掲げ,屈折の法則が太陽光にふくまれる各 光線にあてはまることを明確に指摘している。
一方,光はそれ以上分解することも,また合成することもできない不変の統一体であり,色彩は 光と闇の相互作用によって生じると考えるゲーテは,『色彩論』(1810)の論争篇で,『光学』の命 題六も当然ながら批判の対象としているが,その際にゲーテが具体的に問題にしているのは,屈折 の法則を説明する図である。デカルト以降,17・18世紀の光学の文献では,屈折の法則は一般的に,
光線の入射と屈折を幾何学的に表した図で図解されており(図 1),ニュートンも『光学』冒頭の
1 以下,ニュートンの『光学』(Opticks)からの引用はNewton1979により,括弧内にOという略号とペ ージ数を示す。
2 屈折の法則の歴史については,Lohne1963;Sabra1981,S.69-135.
色彩の現前
─ゲーテ『色彩論』とニュートン『光学』の図版におけるイメージの物質性―
濱 中 春
公理五や,それに先だつ『光学講義』(1670-72,1729年刊行)では,そのような図(図 2・3)を 用いて屈折の法則を説明している。一方,太陽光を構成する各光線の屈折の法則性を論じた『光 学』の命題六には図は添えられていないが,ニュートンはやはり『光学講義』でもこのテーマをあ つかっており,そこには図(図 4)も掲載されている。
ゲーテが『色彩論』論争篇で『光学』の命題六に反論する際にとりあげているのは,こういった 図である。ゲーテはここで図版XI(図 5)を用意し,そのなかで屈折の法則を説明する従来の図 とニュートンの理論にもとづいた図を再現して,後者を批判し,自分自身の理論にそくした図をそ れに対置している。ゲーテによれば,「ここに描かれた図にはきわめて大きな意味があり,それら
図1 デカルト『屈折光学』における屈折の法則の説明図
図2 ニュートン『光学』第一篇第一部 図1
は客観的な屈折に際して問題になることを,教示的にも論争的にも非常に明瞭に明るみに出す」
(F1032)3のであり,「現象の真のあり方を自分自身と他の人のために明らかにしようと思う人々す べてにこの図版を薦める」(F1033)という。それどころか,ゲーテは「特にこれらの図は,学説 と反対意見を最も適切かつ簡潔に示すことができるので,今後,概説書にとり入れてもらいたい」
(F409)とさえ述べている。
このように,『光学』の命題六にたいするゲーテの反論は,ニュートンの図にたいする批判とし て展開されており,その際にゲーテは相手の図に自分の図を対置して反論している。つまり,命題 六にたいするゲーテの反論は,『色彩論』論争篇のなかでも特に明確に「図像論争」の性格をもつ ということができる4。ここでは図像が批判の対象であると同時に,その手段にもなっているので
3 以下,ゲーテの『色彩論』(Zur Farbenlehre)からの引用はFA,I.Abt.,Bd.23/1により,括弧内にFと いう略号とページ数を示す。
4 ゲーテのニュートンにたいする「図像論争」については,濱中2017を参照。
図3 ニュートン『光学講義』第一部 図13
図4 ニュートン『光学講義』第一部 図14
あり,しかもゲーテ自身もそのことを明言しているのだ。
以下ではまず,屈折の法則にかんするニュートンの説明と図を確認した後,ゲーテの図版にそく して批判の内容を整理し,その論点を把握する。そして,その上で,ゲーテの批判の客観的な妥当 性を検討するとともに,ゲーテによって提起された論点について,両者の図にもとづいてあらため て考えてみたい。それを通して,ゲーテのニュートンにたいする図像論争の内実の一端を明らかに することが,本論の目的である。
図5 ゲーテ『色彩論』図版XI
(図 3・4・5 では,屈折された光と影のあいだの部分が彩色(図 3 と 5 は黄 と橙,図 4 は青と紫)されている。)
2.ニュートンによる屈折の法則の説明
先に述べたように,ニュートンは『光学』の冒頭の公理五で,従来的な屈折の法則を図1(図 2)にそくして説明している。ただし,ここでは屈折だけではなく反射もあわせてとりあげられ ているため,図も説明もやや複雑になっている。それにたいして『光学講義』では,屈折のみを対 象としたシンプルな図を用いて説明がおこなわれているため,まず,そちらで一般的な屈折の法則 の説明を確認しておきたい。
この図13(図 3)では,IHが屈折面,つまり二つの異なった媒質の境界を表しており,DCEは それにたいして垂直な線である。両者の交点Cで光線ACが上の媒質から下の媒質へ入射し,Rの方 向へ屈折される。Cを中心,ACを半径とする円を描き,それが光線と交差する点AとRからDCEに 垂直な線ADとREを引くと,正弦ADとREの比はつねに同一になる5。
以上が,ニュートンがデカルトの発見として解説している屈折の法則であり,そこで用いられて いる図も基本的にデカルトのもの(図 1)と同様の構造をしている。しかし,デカルトがこの法 則を提示したのは,ニュートンが,太陽光は屈折性の異なる光線が複合したものであることを明ら かにするより以前のことであり,そこではいうまでもなく,各光線の屈折性の違いは考慮されてい ない。そのため,ニュートンは『光学』の命題六で,従来の屈折の法則のあつかい方の問題点を次 のように指摘している。
光学にかんする最近の著者たちは,公理五で説明したように,入射の正弦は屈折の正弦にたい してあたえられた比をなすと教えている。また,屈折を測定するのに適した器具,あるいはそ の他の方法で,実験によってこの比を調べ,そのとおりであることがわかったと告げる者もい る。しかし,彼らはそれぞれの光線が異なった屈折性をもつことを理解していないので,すべ ての光線が同一の比にしたがって屈折されると考えたため,屈折光の中央だけを測定したと推 定される。その結果,彼らの測定からわれわれが結論づけられるのは,中間の屈折性の光線,
つまり,他の光線から分離されると緑に見える光線は,あたえられた正弦の比にしたがって屈 折されるということだけである。したがって,これから,他のすべての光線にも同じようなあ たえられた比があることを示そう(O76)。
『光学』では,この後,実験15でこの命題が証明されるのだが,先述したように,ニュートンは
5 Newton1729,S.35f.;Newton1984,S.310f.正確には,ニュートンはここでは「正弦」という言葉は 用いておらず,それは次にとりあげる図14にそくした説明のなかで,弦の長さという意味で使われている。
デカルトも屈折の法則を説明する際に正弦という言葉は用いておらず,入射光と屈折光の弦の長さの比の 一定性を指摘しているだけである。LAII5A,S.301も参照。「正弦(sinus)」という語は,本来は円の弦 を意味しており,三角比における角の関数を指すようになったのは18世紀以降であるという。片野2003,
177-182頁。
この問題についても,推論的にはやはり『光学講義』で図を用いて論じているので6,ふたたびそ ちらの図と説明を見ておくことにしよう。
この図14(図 4)は,先ほどの図13に似ているが,屈折した後の光線が複数の線で描かれてい る点が異なる。ニュートンの説明によると,ここでは,複数の種類の光線がACに沿って入射し,
面IHで屈折される。すると,中間の屈折性の光線はCRへ,屈折性が最小の光線はCTへ,最大の光 線はCPへ,他の無数のさまざまな屈折性の光線はCTとCPのあいだへ屈折される。屈折面に垂直に 直線DCGを引き,図13と同様にCを中心,ACを半径とする円を描くと,円はA,P,R,Tで各光線 と交差する。これらの点からDCGに垂線を下ろすと,正弦ADとPGの比は入射角の大きさにかかわ らずつねに同一であり,それはADとTF,REおよび他の中間の種類の光線の正弦との比にもあて はまる7。
こうしてニュートンは,屈折の法則は太陽光を構成するそれぞれの光線に適用され,各光線にお いて入射と屈折の正弦が一定の比をなすこと,そしてそれは光線によって少しずつ異なることを指 摘した。その際にニュートンは,『光学講義』では,従来の屈折の法則の図をアレンジして,それ が各光線にあてはまることを示している。そして,ゲーテが『色彩論』の図版XIで批判している のは,後者のような図である。
3.ゲーテの批判
『色彩論』の図版XI(図 5)には五点の図が掲載されており,上段に図1と2,下段に図3と4,
中央に図5が配置されている。いずれも,屈折の法則の説明図の習慣にしたがって,円のなかに十 字に直線が引かれ,左上から入射した光が円の中央でやや下向きに屈折されるという基本的なフォ ーマットは統一されている。ゲーテはこれらの図について論争篇と図版集の解説の両方で論じてお り,重複する部分もあるため,以下ではそれらを一本化してゲーテの論述の内容を整理しておく。
図1は,『光学講義』の図13のように,17・18世紀の光学の文献によく掲載されている屈折の法 則の図,ゲーテの言葉では,「あらゆる教科書に掲載されている図で,入射角の正弦と屈折角の正 弦の比についての考え方を表したもの」(F1032)である。「円を描き,それを一本の水平線で分割 する。上の半円は密度の薄い媒質,下の半円は濃い媒質を示す。両者をさらに垂直線で分割する。
そして,中心点で上からの入射角と下からの屈折角がぶつかるようにすると,それらの相互のあり 方を表すことができる」(F406)。
ゲーテは,「この図は,学説をわかりやすくし,事態を抽象的に表すには適切かつ十分である」
と述べている。「しかし,経験において向かいあった二つの角度を実際に測定するためには,この
6『光学』第四版(1730)では,命題六に,「このことは著者の『光学講義』第一部第二節で十分に論じ られている」(O77)という注がつけられている。
7 Newton1729,S.36f.;Newton1984,S.312f.
線描図では示されていない装置が必要である」というゲーテは,教示篇でも光の屈折を説明するた めにとりあげたある簡単な装置をもちだす。「太陽が空の容器に射しこみ(教示篇第187節),影が 反対側の壁にちょうど届き,底面全体を覆うようにする。そして容器に水を注ぐと,影は光がやっ てきた側へ後退するだろう。第一の場合には入射した光の方向がわかるとすれば,第二の場合には 屈折された光の方向がわかる。だが,この二つの方向のあり方を,影,しかも影の境界以外からど うやって知るのだろうか。経験において屈折の程度を見いだすためには,境界のある媒質が必要な のだ」(F406f.)。
このように,影を設けて光と闇の境界を可視化することによって,はじめて屈折の程度が視覚的 に認識可能になるとすれば,図1の描写は不十分である―「それほど完全でも詳細でもない」
(F407)―が,ゲーテはその点は容認している。「これまでは便宜的に一本の光線が想定されて いたが,それは抽象的な線は何百万本もの光線を代表するからである。また,当該の図では制約に はふれられていないが,それは制約があることが前提になっていたからである」(F408)。ここで ゲーテのいう「制約」とは,上記のように,屈折の程度を把握するために光を影で境界づけること を指すと考えられる。また,ゲーテは,図1には屈折に際して生じる色彩現象が描かれていないこ とについても,「平行な媒質では色彩現象はきわめてわずかしか生じないことによる」(F407)と 許容している。
一方,図2についてのゲーテの見解は完全に否定的である。図2は,「ニュートンとその学派が,
色彩を帯びた光線に分かれて屈折した光線と入射した光線との関係を表す仮説的な図」(F1032)
である8。この図は『光学講義』の図14に類似しており,屈折した光線は5本に分かれ,そのうち 中央の光線の正弦が,図1の屈折光線の正弦にあたる。
「ここでは一つの正弦の単純な比が生じるのではなく,光線の屈折の大きさに応じてより大きな,
あるいはより小さな正弦が生じざるをえないということがわかる。ニュートンの考え方では,中央 の緑の光線が標準正弦とみなされている。だが,これは間違いである。屈折の程度はけっして像の 真ん中ではなく,端で測らなければならないからだ」(F1032)。
また,屈折の程度を実際に観察するための条件も,図2あるいはニュートンの図では描写されて いない。「さてニュートンも制約には言及していないが,それを前提にもしておらず,無視し,排 除して,図2に見られるような図を描いている」(F408)。
「しかし,上述したように,これらの図においても自分が経験する場合をよく考えてみてほしい。
無数の太陽光線が,上の半円の密度の薄い媒質を通って下の半円の濃い媒質に45度で入射すると しよう。だが,いったいどうすれば,密度の濃い媒質のむき出しの水平線あるいは表面に射しこん だ光線が,屈折後にどのような状態になるのかを観察することができるというのだろうか。入射角 と屈折角の関係をどのようにして見つけようというのか。そのためには,まず両者がはっきりとぶ
8『色彩論』の図版VIIの図1も,このような図をより簡略化したものであり,ゲーテは「経験のあずかり 知らないこと」を表した「仮説的な図」(F1021)と述べている。
つかる点を定めなければならないだろう」(F408)。
「光,あるいは何百万本もの光線は,ここでは円の上半分として表されている密度の薄い媒質か ら,下の半円が表す濃い媒質へと進み,非常に強く屈折されるかもしれない。しかし,この屈折を 測定することはできないだろうし,ましてや色彩現象に気づくことなど不可能だろう」(F1033)。
このようにゲーテは,単に光が一つの媒質からもう一つの媒質へと射しこんだだけでは,屈折現 象を正確に観察することはできないと,くりかえし指摘している。そして,そこで導入されるのが,
先述したように影をつくる,つまり,下側の媒質の表面の一部を覆って光を遮断し,それによって 屈折した光と闇との境界を可視化するという方法であり,それを描いたのが図3・4・5である。
図3は,下側の媒質の表面で光が射しこむのと反対側を遮蔽物で覆った場合,図4はそれと逆の 側を覆った場合に見られる光の屈折現象を示している。どちらも円を上下に分割する線の右半分あ るいは左半分の上に引かれた数本の横線が覆いを表しており,それによって生じた影が黒い面とし て示され,それと光に相当する白い部分との境界が,それぞれ二色で彩色されている。「前者[こ こでは図4]の場合は光が闇のほうへ近づき,後者[図3]の場合は闇が光のほうへ近づく。した がって,前者の場合は青と青赤のふちとへりが,後者の場合は黄と黄赤のふちとへりが現れる」
(F408)。
このように,屈折によって光という明るい像,あるいは闇という暗い像が「ずらされ」,明暗の 境界に特定の色彩が生じるという理論は,ゲーテの色彩論の基本的な考え方として教示篇でくわし く論じられているものであり9,ここでもそれにしたがって光あるいは影の領域が移動し,両者の 境目に色彩が現れるのだ。そして,屈折光の正弦は,図3では影と橙(黄赤),図4では光と青の 境界にあたる位置に引かれている。「これが,学説と屈折の法則にそくした色彩現象の事実であり,
どちらの場合も標準正弦は[ずれの方向と]反対側の色彩にあたる」(F1033)。
なお,図5は,媒質の素材の化学的な成分の違いによって色彩現象が大きくなることを示したも ので,図3と同じ構図だが,彩色された部分の幅が広くなっている。
こうしてゲーテは,太陽光を構成する各光線の屈折性の違いをふまえて屈折の法則を説明したニ ュートンの図を「仮説的な図」として否定し,それにたいして自分自身の理論にもとづいた図を
「自然な描写」(F1032)として対置している。ニュートンの図にたいするゲーテの批判は,屈折に よって太陽光が屈折性と色彩の異なる光線に分解されるとする前者の理論と,光あるいは闇という 像の「ずれ」によってその縁に色彩が現れると考える後者の理論との対立を反映している。光と色 彩をめぐるニュートンとゲーテの根本的に異なった考え方の対立は,『色彩論』論争篇において何 度もくりかえされており,ここでもその一つが見られるということになる。
しかし,そのような理論的な対立以上に,そして根底ではそこにつながる事柄として,ゲーテが 問題にしているのは,ニュートンの図が光の屈折という自然現象の表象として経験から過度に乖離 しているということである。ゲーテはこの点にかんして,先に見たように,図1のように屈折の法
9 濱中2017,38頁および濱中 2018,66頁も参照。
則を説明した従来の図は容認しているが―「これまでは便宜的に一本の光線が想定されていたが,
それは抽象的な線は何百万本もの光線を代表するからである。また,当該の図では制約にはふれら れていないが,それは制約があることが前提になっていたからである」(F408)―,図2あるい はニュートンの理論にもとづいた図は否定する。その判断の分かれ目は,それらの図における「経 験」と「抽象」の関係にある。
図1が経験にそくした事態を抽象的な線で表しているということは,なんとか大目に見ること ができた。しかし,図2では,現象が必要な条件なしに,非常に抽象化されたやり方で示され ているとすれば,われわれとしては自然にそくさない理論を信じこまされるおそれがある
(F1033)。
これは次のことを述べておくにふさわしい機会だと思う。たしかに経験を通して突き止めた普 遍的な自然法則を線で象徴的に表現し,その際に根本にある現象が生みだされる状況を前提に することはできるだろう。しかし,そのような紙の上の図を自然に反してさらに操作してはい けないし,特定の条件によってのみ生みだされる現象を描写する際に,これらの条件を無視し たり,黙殺したり,排除したりしてはいけないだろう。そうではなく,それらの条件も同じよ うに普遍化して言い表し,象徴的に描写するように努めなければならない。われわれはこのこ とを図版XIでなしとげ,われわれが教示篇で苦労して構築したことをそれによって仕上げて,
事態に最終的な決着をつけたと思う(F409)。
図1は,光を一本の線で表し,屈折の程度を観察するために必要な条件である影を描写していな いという点では抽象的である,つまり実際の経験からは乖離しているが,光の屈折という現象を象 徴的に表しているとみなせば許容できる。しかし,図2,つまりニュートンの図は,一本の入射光 線にたいして屈折光線を複数の線で表すことによって,図1で抽象化されていた描写をあたかも現 実の現象であるかのようにあつかっている。他方で,もしこのような経験から逸脱した描写を現実 にそくしていると主張するのであれば,影にかんする描写が欠けていることは,その必要性を無視 し,黙殺する態度とみなさざるをえない10。それにたいして,ゲーテの理論にもとづいた図3・4・
5は,光の屈折の程度を経験的に知るために必要な影を描写し,かつその際には光あるいは闇とい う像の「ずれ」によって明暗の境界に色彩が生じるという「普遍的な自然法則」を表しているので ある。
10ゲーテは教示篇第310節でも,日光が暗室に平行に入射するという描写を「つくり話(Fiktion)」と呼び,
「それはつくり話と真実の現象との断絶がとるにたらない場合には許される」が,「このつくり話を再び現 象とみなし,そのようにしてつくられた偽りの現象をさらに操作することのないように用心してもらいた い」と述べている(F120)。
―ゲーテの主張をかみくだいて説明すれば,このようになるだろうか。経験から乖離した抽象 的な思弁や人工的な操作は,ゲーテの自然研究からは最もかけ離れた態度である11。直接的な知覚 経験を通して個々の具体的な自然現象にアプローチすることを何よりも重視するゲーテにとって,
ニュートンの屈折の法則の説明図は,「紙の上の図を自然に反してさらに操作」し,抽象に抽象を 重ねた,いわば机上の空論であり,にもかかわらず,ニュートンはそれが実際に経験される現象で あるかのように振る舞っていることになる。ゲーテはニュートンの図に,光と色彩にかんする理論 の対立だけではなく,自然の認識のしかたにかんしても,自分とは対照的な姿勢を見いだして,批 判しているのだ。そしてそれは,ひるがえって,ニュートンの理論の仮説性あるいは反自然性を意 味することにもなるのである。
しかし,客観的に見れば,表象とその対象とのあいだのずれという点では,ゲーテの図とニュー トンの図,そして一般的な屈折の法則の説明図をへだてているのは程度の差にすぎない。ゲーテ自 身も認めているように,図3・4・5においても,影を生じさせる実験装置も,また屈折によって 生じる色彩現象も,写実的にではなく「象徴的に」表されている。ここでは影をつくる装置は数本 の線で示唆されているだけであり,図版に塗られた色も,もちろん実際の屈折光の色彩とは異なる
12。だが,そもそも図像によって自然現象を完全にリアルに再現することは不可能である。ゲーテ が『色彩論』の緒言で述べているように,自然科学の文献に付された図は「きわめて不十分な代用 品」にすぎず,本当は「何ものにも束縛されず全方向へ作用する物理的現象は,線で把握したり断 面図で暗示したりすることはできない」。そして,「この点では,われわれの著作がこの種のすべて の著作と共有している不十分さと不完全さを想起させられざるをえない」のである(F18f.)。この ように,図像による現象の再現には必然的に不完全性がともなうかぎり,ゲーテの図とニュートン の図とは,光の屈折現象の表象としては,結局は同じ地平に属していることになる。
だが,ゲーテのテクストから離れて,あらためて両者の図を見比べてみると,ゲーテの図はニュ ートンの図―屈折の法則の従来的な説明図であれ,新しい理論にもとづく図であれ―とは違っ て彩色されているだけではなく,そこにはそれらの色彩がそのものとしてリアルに存在していると いう印象をあたえる。線描によるニュートンの図の高度な抽象性にたいして,ゲーテの図において は,色彩が物質的な実体性をもって見る者に迫ってくるのだ。そして,このような経験は,そこで 用いられている彩色技法の多様性によってもたらされている。
11ゲーテとニュートンの自然科学の原理的な違いについては,多くの先行研究がある。たとえば Heisenberg1980,Bothe1986,河本1984,高橋1988,Sepper1988,Böhme1993など。Höpfner1990, S.194-215も参照。
12ゲーテは『光学論考』第一巻では,図版の色彩が実際にプリズムによって生みだされる現象の色彩とは 異なることをことわっている。FAI23/2,S.44f.
4.図版の彩色技法と色彩の現前
屈折の法則を描いたニュートンの図とゲーテの図を比較したときに,真っ先に目につく差異は,
前者が白黒の銅版画で印刷されているだけなのにたいして,後者は彩色されていることではないだ ろうか。これは『光学』や『光学講義』の図版と『色彩論』の図版の全般的な違いであり,ひいて は17・18世紀の光学の文献の図版とゲーテの『色彩論』のそれとの違いでもある。ゲーテが論争 篇の末尾で,「従来は,最も直接的にそれ自体を提示することができる色彩のような現象を線と文 字だけで示そうとしたことによって,あまりにも著しい弊害がもたらされていた」のにたいして,
『色彩論』の図版の多くが彩色されていることに注意を促しているように(F512),ニュートンの
『光学』をふくめて17・18世紀の光学の文献の図版は,ほとんどが無む彩さい色しきであり,ゲーテの図版の ようにカラフルに彩色されているものは非常に少ない。
ただし,ゲーテの図版の彩色という場合,正確にはいわゆるカラフルな色,つまり有彩色以外の 色彩も考慮に入れる必要がある。図版XIの図3・4・5では,屈折光の色彩が橙や青などの有彩 色で彩色されているだけではなく,下側の媒質の表面を覆うことによって生じた影も黒く着色され ている。また,これらの円形の図の内側の白い部分は,光を表している。つまり,ゲーテの図版は 有彩色と無む彩さいしょく色の両方によっていろどられているのであり,これも『色彩論』の図版の多くにあ てはまる事柄である。
そして,図版XIの図3・4・5において特徴的なのは,有彩色と黒と白がそれぞれ異なった技 法で彩色されていることである。ここでは屈折光の色は水彩で彩色されているのにたいして,影の 黒は銅版画の技法の一つであるアクアチントによって表されている。そして,光の白は紙の色その ものである。
アクアチントは18世紀半ばに発明された銅版画の技法で,銅板の表面を腐食させて凹版を得る 化学的な方法である。アクアチントを作成する際には,まず,銅板の表面に樹脂や瀝青の粉末をふ りかけ,裏面から加熱して定着させる。すると,粉末のあいだの細かなすき間をともなった防食剤 の層によって銅板がコーティングされる。次に,それを腐食剤に浸すと,銅板の表面でコーティン グにすき間がある部分だけが腐食され,微細な凹凸のある面ができる。その後,銅板の表面からコ ーティングを取り除き,インクをつけて刷ると,腐食された部分が黒く印刷される。アクアチント は,粉末の大きさやふりかけ方,その定着のさせ方や腐食の時間によって,腐食の度合い,つまり 版画の黒さの濃淡を変化させることができる。また,粉末を利用することによって,完全に黒い面 ではなく,不規則な細かな粒子状のむらやざらつきのある面となることも特徴である。そして,こ のような特性によって,アクアチントは水彩で描かれた絵のような印象をあたえるため,18世紀 後半には特に水彩画の複製に好んで用いられた13。
『色彩論』の図版では,有彩色はかならず水彩で彩色されているが,黒や灰色の面は,多くの場
13Koschatzky1999,S.131-135;Rebel2009,S.151-154;Wiebel2007.
合,図版XIと同様にアクアチントで着色されている14。濃淡の調節やエッチングなど他の版画技法 との併用も容易であることにくわえて,上記のように水彩との近似性が高いことも,アクアチント が選ばれた理由であったのかもしれない15。とはいえ,アクアチントはあくまでも水彩画の擬似的 な代替手段である。図版XIのようにアクアチントと水彩が併用されている図版を見ると,両者の 類似性よりもむしろ差異のほうが目立つ。『色彩論』の図版には,黒や灰色も水彩で着色されてい るものもあるが16,それらと比べても,アクアチントによる黒は,やはり水彩とは異質である。ア クアチントに特有の粒子状のむらのある面は,水彩のなめらかさとは明らかに異なる質感をもって いるのである。
そして,同じことは白にもいえる。図版XIをふくめて『色彩論』の図版では,白という色を提 示する場合には支持体の紙の色がそのまま利用されているが,紙の色もまた,その上に塗られた水 彩や印刷されたアクアチントとは異なった質感をそなえているのだ17。
このように,図版XIの図3・4・5では,光の白,影の黒,そして屈折光の色は,三種類の異 なった技法で表現されており,それによって,それぞれ異なった質感を見る者にあたえる。そして,
このような質感の差異を通して,それらの色彩は,光や影や屈折光を再現するための透明で中立的 な媒体であることをやめて不透明化し,物質性をそなえた色それ自体として立ち現れてくる。これ らの図は,光の屈折現象の表象であるだけではなく,紙という支持体に,さまざまな技術を用いて 絵具やインクが定着させられた物質でもあるのであり,そこで光や影や屈折光とみなされているの は,それらの物質の色なのだ。複数の技法で彩色されたゲーテの図においては,それらの差異が契 機となって,そのようなイメージの物質性が前景化され,色彩の表象機能が背景に退く。そこでは,
描写の対象を再現するための媒体としての色彩にかわって,物質的存在としての色彩そのものが現 前してくるのである18。
『色彩論』の「著者の告白」によれば,ゲーテが色彩研究を始めたそもそものきっかけは,絵画 の彩色への関心にあったとされているが(F971-974),西洋の絵画においては,ルネサンス以降,
色彩は対象の物質的特性を再現するための媒体として,それ自体の物質性をできるかぎり消し去る
14図版I,II,IIa,III,IV,X,XI。
15Grave2012によると,ゲーテは晩年になってはじめて版画の表現手段に表象機能を超えた意味があるこ とを認識したとされているため,『色彩論』の図版にアクアチントを用いることにゲーテの意志が関与し ていた可能性は低い。
16図版V,VI,XIII。また,図版XIの下絵のなかにも影が水彩で着色されているものがあり(Klassik StiftungWeimar,Museen,Inv.-Nr.:GFz259),それと比べても,最終的な図版における彩色技法による 質感の差異を確認できる。
17絵画や版画の紙にかんする研究は多くないが,Bower1990および1999は,ターナーにおける紙の色調 や質感の重要性を実証的に考察している。
18イメージにおける表象と現前の問題にかんする卓越した論考としては,ディディ=ユベルマン2001が あげられる。
ように努められてきた19。『色彩論』で彩色という主題がとりあげられているのは,教示篇の第六 部「色彩の感覚的・精神的作用」と,歴史篇の第二部の「彩色の仮説的歴史」の章および第五部の
「芸術復興以来の彩色の歴史」の章だが,教示篇では,主に絵画における明暗や色彩の調和,対象 の色彩の再現などの問題が論じられており,彩色の技法や顔料などの色彩の技術的・物質的側面に かんする言及は少ない(F267-282)20。それにたいして,彩色技術がくわしく論じられているのは,
歴史篇の「彩色の仮説的歴史」の章である。「芸術復興以来の彩色の歴史」とあわせて,ゲーテの 友人で画家のヨーハン・ハインリヒ・マイアーが執筆したこの章では,古代の絵画における彩色が 技術的な面を中心としてとりあげられており,とくに古代ローマの壁画《アルドブランディーニの 婚礼》における彩色技術についてくわしい考察がおこなわれている(F570-596)21。
マイアーは《アルドブランディーニの婚礼》について,「彩色,色調,調和」,「芸術家によって 使用された絵具」,「手法」(F589)の三つの観点から論じており,後者の二点が彩色の技術にかか わるものである。そこでマイアーは,この壁画で用いられていると思われる顔料の種類を推測して いるほか,「手法あるいはこの絵に見られる技術的な方法」(F593)を,グアッシュやにかわ絵具,
油絵具,水彩絵具を用いた近代の絵画と比較しながら考察し,下地の色や絵具の媒剤,絵具の塗り 方などを推測している。また,マイアーはゲーテの『色彩論』と同じ1810年に出版され,《アルド ブランディーニの婚礼》を考古学的に研究したカール・アウグスト・ベティガーの著書にも,この 壁画についての美術史的な観点からの考察を寄稿しているが,そこでは顔料や彩色の手法について より詳細に論じられており,画家が用いたであろう筆の種類にまで考察が及んでいる22。
《アルドブランディーニの婚礼》の彩色技術にかんするマイアーの考察は,この壁画を模写する という経験を反映していると考えられる。マイアーはイタリア滞在中の1796年に,ローマで見た
《アルドブランディーニの婚礼》の複製を水彩で制作し,ゲーテに贈った23。1810年の論考は,模 写の作業と並行して書かれたメモにもとづいているが,そこでは絵の内容にかかわる問題はほとん どとりあげられず,もっぱら技術的・形式的な観点からの記述に占められている24。つまり,模写 という実践的な行為を通して,マイアーは絵画を,そこに何が表されているかという表象機能の面 からとらえるだけではなく,それがどのように表されているかという技術的・物質的側面にも注意 を向けることになったのだ。「模写のプロセスによってもたらされた知覚の減速によって,技術や
19Wagner2013,S.17f.
20『色彩論』教示篇の第六部における彩色技術にかんする記述のあいまいさについては,Pietsch2008も 指摘している(S.28-34)。
21《アルドブランディーニの婚礼》は教示篇の第六部でも言及されているが,そこでは古代絵画における 明暗の表現の例としてとりあげられている(F269)。ゲーテの色彩論にとってのこの壁画の重要性につい ては,Wyder2013,S.68f.;Rößler2016.
22Meyer1810.
23マイアーによる《アルドブランディーニの婚礼》の複製については,Handryck1963;Rößler2016.
24Rößler2016,S.155.
彩色の細部にたいする感覚がとぎすまされた」25のである。また,マイアーはフレスコ画の原画を 模写するにあたって,1796年には水彩という技法を選んだのにたいして,1808年または1809年頃 には,この壁画の油彩による複製も制作しており,それを通しても技法の差異が意識化されたと考 えられる26。
このようにマイアーは,画家という実践者の立場から古代壁画《アルドブランディーニの婚礼》
にアプローチすることによって,彩色技術という絵画の物質性にかかわる要素に光をあてることに なった27。そして,『色彩論』の図版もまた,マイアーと同様の実践者によって作成されたもので ある。『色彩論』の図版は,マイアーが校長をつとめていたヴァイマル自由絵画学校の教師ヨーハ ン・クリスティアン・エルンスト・ミュラーが銅版画を製作し,同じく自由絵画学校で教鞭をとっ ていた建築家のカール・フリードリヒ・クリスティアン・シュタイナーが彩色を担当した28。図版 XIの図3・4・5は,これらの芸術家の技芸の産物あるいは痕跡であり,彼らが用いた彩色技法 の違いが色彩の質感の違いを生みだし,それを通して観者は色彩を物質的存在として認識すること になる。マイアーが《アルドブランディーニの婚礼》の模写を通して古代の芸術家の彩色技術を意 識化したとすれば,『色彩論』の図版は,そこで用いられている彩色技法の差異によって,イメー ジの物質性を前景化し,色彩をそれ自体としてリアルに経験させるのである。
5.ニュートンの白い紙
このように,『色彩論』の図版XIで光の屈折現象を描いたゲーテの図3・4・5が,複数の技法 を用いて彩色されているのにたいして,ニュートンの『光学』や『光学講義』の図では,この現象 は銅版画のエングレーヴィングやエッチングの技法による線のみで描写されている。ここでは屈折 光が彩色されていないだけではなく,光線は一本または複数の線で表されており,ゲーテの図のよ うに光や影が白や黒の面で表現されるということもない。このようにニュートンの図は,屈折現象 を線のみを表現手段として高度に図式化・抽象化しているが,しかし,その再現表象であることに は違いない。そして,そこでは黒い線はその透明な表現媒体,白い画面はそのような図にたいする 地であって,それらの物質としての側面は,表象機能の背後に退いている。
ただし,ニュートンの図でも,描写の対象が完全に抽象化されず,その物質性が表現されている 場合もある。『光学』の冒頭の公理五で屈折の法則を図解した図1(図 2)をもう一度見てみよう。
この図は空気から水へ入射する光線の屈折(と反射)を示しており,光線が線で図式的に表されて
25Rößler2016,S.154.
26Rößler2016,S.167-172.
27Wyder2013は,色彩研究において,学問的内容に関心をもっていたゲーテと,もっぱら絵画,とくに その実践的な問題にかんして寄与したマイアーとのあいだの役割分担を指摘している。
28Goethe1985,S.39.ヴァイマル自由絵画学校におけるマイアーの活動については,Rosenbaum2013.
いる点は,『光学講義』の同様の図(図 3・4)と同じである。だが,ここでは下側の媒質,つま り水が,その物質性を表すように描写されている。図1ではRSが静水の水面にあたるが,その下に,
それと平行に細い線が十数本,下に向かって少しずつ間隔を広げながら引かれており29,それによ って,水という媒質が空気とは異なる固有の質感をもつ物質であることが表現されているのだ。
屈折の法則の説明図において二種類の媒質を描きわけることは,デカルトがすでにおこなってお り(図 1),同様の表現は17・18世紀の光学の文献の図版でも見られる。ただし,デカルトの図で は,下側の媒質に均一に引かれた斜線によって,上の媒質と区別されているだけで,その物質に固 有の質感が表されているとはいえない30。それにたいして,ニュートンの図1で下の媒質の上部に のみ,不均一な間隔で平行に引かれた線は,静水の質感の表現であると考えられる31。とはいえ,
この図における水の表現は,記号的である。これらの線は,それによって表されているものが静水 であることを象徴的に示す記号であり,ここにあるのは,ゲーテの図に見られたような,図像の表 現媒体そのものにそなわった物質性ではない。ニュートンの図では,版画のインクやそれが印刷さ れている紙はあくまでも透明な表現媒体であり,不均一に引かれた平行線によって水という物質が 記号的・象徴的に表象されているのである。
しかし,紙,正確には白い紙は,ニュートンの『光学』でも重要な役割をはたしている。光の屈 折をあつかった『光学』第一篇第一部において最も重要な実験器具は,いうまでもなくプリズムだ が,ニュートンの実験でプリズムに次いでよく用いられる器具は,白い紙である。『光学』第一部 の実験3,つまり「基本実験」では,ニュートンはスペクトルを壁にとめられた「一枚の白い紙」
(O28)に投影して観察していたが32,その後も紙はスペクトルを映しだすスクリーンとしてニュー トンの実験にたびたび登場する33。スペクトルが壁に直接に投影される場合もあるが34,大半の実 験でスクリーンの役割をはたすのは紙であり,しかもほとんどの場合,「白い紙」と色も指定され ている。その他にも白い紙は,レンズを用いて対象の像を投影したり35,スペクトルから反射され た光を映したり36するためのスクリーンとして用いられることもある。
また,ニュートンの光学において,紙は白い物質の代表,紙の白さは白という色の基準とされて
29『光学』初版の場合。第二版以降では,水の描写はかなり簡略化されているが,それでも横線が何本か 描かれている。
30『屈折光学』のテクストによれば,この図では,上の媒質は空気,下の媒質はガラスとされている。デ カルトの著書でも,水にテニスボールを打ち込むという例を使って光の屈折を説明した図や,下側の媒質 を水と限定した図では,水の質感を表していると思われる描写が見られる。Descartes1637,S.17-19,23.
31ニュートンの『光学』でこのように対象の物質性が表現されている図としては,他に虹の色彩を説明し た第一篇第二部の図15がある。この図はデカルトの『気象学』の図をモデルにしていると思われる。
32「基本実験」については,濱中2018を参照。
33第一篇第一部実験3,7,9,10,11,12,13,16,第二部実験1,2,3,7,10,12,13,命題八,十一。
34第一部実験5,6,7,10,15,第二部実験9,11。
35第一部実験2,8。
36第二部実験9。
いる。たとえば,ニュートンは『光学』第一篇第二部の実験6で,さまざまな色の物質に均質光,
つまり太陽光をプリズムを通して分解して生じた単純光をあてて,その色彩を観察しているが,そ の際にニュートンが白い物質の例としてあげているのは,紙である(O123)37。また,同じく第二 部の実験15では,ニュートンは,粉末の顔料を混ぜ合わせても「紙のような強く濃い白」にはな らず,「人間の爪,ネズミ,灰,ありふれた石,モルタル,街道の塵や泥の灰色,焦げ茶色,茶褐 色」が生まれるとしており(O150f.),やはり紙は白さを代表する物質とみなされている。さらに,
ニュートンは,このようにしてつくった灰色の粉末と白い紙とを,明暗の条件を変えて比較する実 験もおこなっており,前者を太陽に照らされた部屋の床に厚く塗り,そのそばの陰のなかに同じ大 きさの白い紙を置いて,離れたところから見ると,顔料の粉末は,「白さにおいては紙さえしのぐ ほど濃い白」に見えたと,ここでも紙の色を基準として白さを判断している(O152)。
そして,このように光を投影するスクリーンであるとともに,白さをはかる基準ともされている 白い紙は,ニュートンの光学の核心にふれる実験においても重要な役割をあたえられている。太陽 光(白色光)は屈折性と色彩の異なる光線の複合体であるというニュートンの理論は,屈折によっ て分解された光線を混合するとふたたび白色光が合成されることによって証明される。ニュートン は『光学』第一篇第二部の後半のいくつかの実験で白色光の合成を試みているが,その際には,合 成された光の色は,白い紙に投影して確認される。たとえば,実験9ではニュートンは,スペクト ルから反射された色光で白い紙を照らし,どの色彩からも等距離の位置では紙が白く見えることか ら,そこではすべての色の光線が混合することによって白色光が合成されたと結論づけている
(O134f.)。また,実験12では,スペクトルを櫛形の器具を通して白い紙に投影し,櫛を上下に速く 動かしたり,紙をプリズムから遠ざけたりすると,それが白く見えることからも,すべての光線の 色彩の混合によって白色光が合成されたことを確認している(O144-147)38。つまり,これらの実 験では,紙という物質の色がそこに投影された光の白さを判断する基準となっているのであり,ニ ュートンが白色光というときには,実際には紙の色が観察されているのだ。
そして,『光学』の図版では,スクリーンとしての白い紙もまた図像化されている。紙は断面図 として一本の直線で表されていることが多いが39,投影図で紙の面が描かれている場合もある40。 白色光の合成をおこなう実験9と実験12に対応した図5と図9(図 6・7)でも,白い紙が投影図 で描かれている。ここで思い出したいのは,これらの図が印刷されているのもまた,白い紙だとい うことである。ゲーテの『色彩論』と同様にニュートンの『光学』でも,図版の支持体は白い紙な のだ。そして,それによって,紙の図像は,白い紙の表象であるだけではなく,紙そのものでもあ
37第二篇第三部の命題七でも,「大半の白い物質」の代表例の一つとして紙があげられている(O258)。
38その他,実験10では,ニュートンはプリズムで分解した光をレンズで収束させ,白い紙に投影して,紙 がレンズの焦点の位置にあるとき,色彩が完全に混合して光が白くなることを観察している(O135-139)。
39第一部図21,22,第二部図1,2,3,6,7,10,12,16。
40第一部図12,13,第二部図5,9。
ることになる。これらの図像は,輪郭線で囲われ,投影図で描かれていることによって,記号的に 紙を表している。しかし,同時に,ここで輪郭線に囲われた面の色は,この図像の支持体である紙 の色である。つまり,ここでは記号表現と記号内容とが一致しているのであり,紙の図像には,ニ ュートンの光学において光の白さの判断基準となる色彩が現前しているのである。
こうしてニュートンの『光学』の図版でも,白い紙の図像において,イメージの物質的側面が姿 を現す。それらの図像は紙の表象であるだけではなく,紙という物質でもあり,それによってその 色彩それ自体を提示している。ニュートンの光学実験において特権的な地位をあたえられている白 い紙が,同時に図版の支持体でもあることによって,紙の図像にはイメージの表象機能と物質性と が並存しており,観者はそこにニュートンの「白」をそのものとして経験することになるのである。
さらにいえば,紙の図像にかぎらず,『光学』の図版はすべて,白い紙を支持体としていることに よって,つねにひそかに白という色彩を現前させているといえる。これらの図版を太陽光のなかに 置けば,観者はそこに,ニュートンが分解し,また合成する白色光の色を見ることになるのだ。
『光学』の図版には,その支持体である紙という物質の色として,ニュートンの光学における白と いう色彩が潜在しており,それは,この著作に頻出する白い紙の存在を契機として,つねに顕在化
図6 ニュートン『光学』第一篇第二部 図5
図7 ニュートン『光学』第一篇第二部 図9
する可能性を秘めているのである。
第3章で見たように,ゲーテは屈折の法則を光と色彩にかんする新しい理論にもとづいて説明す るニュートンの図について,経験から乖離した表象の過度の抽象性を批判していた。それは,たん なる図像表現の問題にとどまらず,ニュートンの光学理論―屈折性と色彩の異なる光線による白 色光の複合性―そのものがはらむ反自然性や抽象性にかかわる問題として認識されている。『色 彩論』において,ゲーテはくりかえし,ニュートンの理論がいかに実際に知覚を通して経験される 現象から離反しているか,その鍵となる「屈折性」や「光線」といった概念がいかに抽象的なもの であるかを批判している。図の抽象性は,そのようなニュートンの光学そのものの抽象性を意味す るのであり,だからこそゲーテは屈折の法則を描いたニュートンの図を厳しく批判するのだ。しか し,ニュートンの『光学』は,その理論の要となる,屈折性と色彩の異なる光線から合成された白 色光が,紙というきわめて具体的な物質の色として経験されるものであることを明かしている。こ の点でニュートンの図はかならずしも抽象的な表象ではなく,そこでは白という色が図版の支持体 の色として,観者の知覚を通して経験されうるのである。
ニュートンの屈折の法則の説明図にたいするゲーテの批判は,図像を表象機能という観点からと らえたものであり,経験や現実の再現という意味では,ゲーテ自身の図も,程度の差はあれ,ニュ ートンの図と同様に光の屈折現象の不完全な表象である。それにたいして,両者の図版を物質とし てとらえると,それらはいずれも色彩のリアルな経験をもたらすといえる。ゲーテの図は彩色技法 の多様性,ニュートンの図は実験と図版における白い紙の特別な役割を通して,色彩を物質的存在 として観者に提示している。両者の図版においてはいずれも,それぞれに固有の図像のあり方や学 問的実践を契機としてイメージの物質性が前景化し,色彩が現前してくるのである。
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図版出典
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図6Newton1966,BookI,PartII,Pl.I,Fig.5
図7Newton1966,BookI,PartII,Pl.III,Fig.9.
※本研究はJSPS科研費JP18K00461の助成を受けたものである。