第1章 社会保障制度とは何か
本論文は、計画経済体制から市場経済体制への移行過程において転換した中国の社会保 障制度を研究対象としている。計画経済から市場経済への移行において特に特徴的であっ た国有企業に深くかかわる失業・年金・医療という 3 つの社会保険に焦点を絞って分析を 行う。これらの社会保険を総合的に考察することによって、現代中国の社会保障制度の基 本的性格を捉えることができよう。
本論に入る前に、まず 2 つの異なった経済体制のもとでの社会保障の基本性格および同 制度を検討する必要がある。そこで、本章の前半では、資本主義国における社会保障の概 念を確認し、社会保障制度における財源政策の一般論を検討する。続けて後半では、中国 における社会保障の基本性格を検討し、計画経済期の社会保障(特に社会保険)が就業・
生活保障型のものであり、市場経済期の社会保障が資本主義国でいう社会保障の性格を備 えたものであることを指摘する。最後に、現代中国の社会保障制度を説明し、その変革の 時期区分を行う。
第1節 資本主義国における社会保障制度
社会保障制度は産業化の進展を契機として、資本主義国家で誕生し、第二次世界大戦後 に急速に普及してきた。これは社会保障制度の生成に関する一般的な見解である。とはい え、国と時代の違いによって、社会保障制度の概念もさまざまである。
日本では、1950 年に社会保障制度審議会勧告において示された社会保障制度の定義が最 も正統的なものとなっている。今日まで、日本の社会保障制度の範囲および定義はこの勧 告に従っているといわれている。1950 年の社会保障制度審議会勧告によれば、「社会保障 制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他の困窮の原因に対し、
保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥ったものに対し ては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生および社会福祉の 向上を図り、もってすべての国民が文化的成員たるに値する生活を営むことができるよう にすることをいうのである」[社会保障制度審議会(1950)、総理府社会保障制度審議会事 務局監修(1980)、p.253]。この定義に従えば、社会保障制度の概念は次のように理解する ことができる。第 1 は、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子などの理由で、
生活困窮になりかねない者に対して、社会保険か租税負担の形で対応するような防貧的政 策理念が含まれていることである。第 2 は、すでに生活困窮になってしまった者に対して、
公的扶助(国家扶助・生活保護制度)で対応し、最低限度の生活を保障するような救貧的 政策理念が読み取れる。第 3 は、公衆衛生および社会福祉を含めた広義の社会保障制度に 関する全国民に対する国家責任が明確に提示されていることである。
日本の 1950 年の社会保障制度審議会勧告の前に、イギリスでは著名なベヴァリジ報告 が発表された。第二次世界大戦の最中に出されたベヴァリジ報告によれば、「社会保障とは、
失業、疾病もしくは災害によって収入が中断された場合にこれに代わるための、また老齢 による退職や本人以外の者の死亡による扶養の喪失に備えるための、さらにまた出生、死 亡 お よ び 結 婚 な ど に 関 連 す る 特 別 の 支 出 を 賄 う た め の 、 所 得 の 保 障 で あ る 」 [Beveridge,1942,para300;山田監訳(1969)、p.185]。同報告は社会保障制度の実施方法と して、次の手段を考えていた。それは、①基本的なニーズに対する社会保険、②特別なケ ースに対する国民扶助である[Beveridge,1942,para302;山田監訳(1969)、p.185]。ベヴァ リジ報告から、イギリスにおける社会保障の考え方を次のように理解することができる。
第 1 は、社会保障制度は所得の中断および喪失を補うために行われる所得保障の制度であ る。第 2 は、社会保険による社会保障はナショナル・ミニマムに限定され、「均一拠出・均一 給付」の原則で行われることである。第 3 は、社会保障制度は社会保険と公的扶助とが統 合されたものである。
資本主義国において、社会保障制度が果たしている所得保障という機能は所得再分配を 通して実現されているものである。つまり、資本主義社会では、生産段階において賃金や 利潤の形で所得分配が行われているが、低所得者や職に就いていない者などは十分な所得 分配を得られていない。こうした所得分配の問題が貧困問題や失業問題として社会化した ときに、大きな社会不安を引き起こす。市場の失敗を調整し、社会体制を維持するために、
所得再分配の機能を有する社会保障制度を実施する。後に検討するが、計画経済期の中国 において、社会保障は所得再分配の機能を持っていなかった。このことはまさにその期の 中国の社会保障の特徴である。
異なる国や異なる時代において社会保障制度に対する理解は必ずしも一致していない。
国際比較をしやすくするために、ILO は社会保障の基準を次のように定めている。すなわ ち、以下の3基準を満たすすべての制度を社会保障制度と定義する。①制度の目的が、(1) 高齢 (2)遺族 (3)障害 (4)労働災害 (5)保健医療 (6)家族 (7)失業 (8)住宅 (9)生活困窮
などのリスクやニーズのいずれかに対する給付を提供するものであること、②制度が法律 によって定められ、それによって特定の権利が付与され、あるいは公的、準公的、若しく は独立の機関によって責任が課せられるものであること、③制度が法律によって定められ た公的、準公的、若しくは独立の機関によって管理されていること、あるいは法的に定め られた責務の実行を委任された民間の機関であることである[植村(2003)、p.25]。ILO の 基準にまとめられているように、社会保障制度の実行や管理は公的、準公的、若しくは、
たとえ民間であったとしても、法律によって委ねられた機関によって行われるものとされ ている。
第 2 節 社会保障制度における財源政策
1.なぜ政府(公的)主導なのか
上記した ILO の基準にもあったように、社会保障制度はなぜ公的に行わなければならな いのか。ここで、失業・老齢年金・医療を例に取り、公的介入の必要性について考えてみ よう。公的介入には、強制加入、公的運営・管理という2つの要素がある。まず強制加入 について考えよう。
年金・医療をはじめ社会保険制度に関する強制加入の必要性を論じた先行研究はたくさ んある。そのなかで、Diamond (1977)やAtkinson (1987)は、①個人が自らのニーズを判 断するには必要な情報を十分に持っていない、②個人が遠い将来のことに関して有効な意 思決定を行うことができない、③個人が意思決定を行う際に近視眼的になりかちである、
というような事柄を指摘した上で、パターナリズム(温情主義)の視点から強制加入に正 当性があると主張した。
(1) 失業保険の場合
雇用のリスクに対して公的な失業保険で対応する必要性を検討してみる。加齢と比べ、
失業というリスクの発生率はより予測不可能であり、かつ大規模となった場合は、私的保 険のように事前に拠出した保険料で給付を賄うことが困難である。また、大量失業の発生 は雇用されている労働者の労働条件の悪化圧力となり、労働問題と社会不安を引き起こす 可能性がある。労働問題や社会不安を鎮静化し、個人レベルの問題を超える失業リスクを 保障するために、民間の私的保険に頼ることは正当性がなく、公的失業保険が必要となる。
(2) 年金保険の場合
年金保険に関する公的介入の必要性を検討してみる。第 1 として、仮にインフレーショ ンのような経済変動がなくとも、予測されない長生きリスクが実現した場合には、私的年 金保険では、すべての人に老後に十分な年金給付を行うことができない可能性がある。私 的年金保険では、予測した生存確率に基づいて拠出された保険料の積立金の元利合計が、
受け取る年金期待額の合計と等しくなるように設計されている。積立方式に基づいている ため、老後の生活に対応できない場合も発生すると考えられる。私的年金保険の多くは終 身保険ではなく一定期間の給付を行う形をとっている。そのため、予測したよりも長生き し、十分に拠出をしていなかった者は、受給できずに、貧困に陥ることになる。もちろん 公的扶助による最低生活保障という方法もあるが、貧困に至る前の所得再分配機能をとも なった公的年金が必要となる。
第 2 として、インフレーションや一般生活水準の上昇のようなリスクが存在するため、
私的年金保険では、将来の受取額の実質価値を必ずしも保障できない可能性がある。保険 料を支払う現役時期と年金給付を受け取る老齢期を合わせると数十年にも及ぶことになる が、その長い期間中で物価上昇率や賃金上昇率などが必ずしも予測通りに変動するとは限 らない。予測できなかったインフレーションや一般生活水準の上昇というリスクが発生す るため、年金の実質価値が低下してしまう可能性がある。このようなリスクにも対応させ ようとするならば、公的年金が必要となる。
(3) 医療保険の場合
逆選択の阻止のため、公的な医療保険が必要とされる。もしも病気にかかるリスクの高 い人に対してもそれほど高くない保険料拠出で対応させようとするならば、その分、リス クの低い人の保険料を引き上げなければならない。もしも加入を自由にさせるならば、リ スクの低い人はその保険から脱退し、そこにはリスクの高い人だけしか残らなくなる。そ うなると、保険会社の経営が成り立たなくなり、リスクの高い人には保険への適用がなく なってしまう。そのため、リスクの高い人に対してもそれほど高くない保険料拠出で対応 させようとするならば、公的医療保険が必要となる。
公的な医療保険制度がなければ、所得の制限によって、個人が妥当な医療サービスを受 けられないことがある。病気にかかった者は診療を受ける際に、その費用と診療によって 得られる便益とを考え、受ける診療の内容を決めるだろう。診療の費用を十分に負担でき
ない患者は、より安い診療サービスを求めるようになろう。しかし、それは医学的な望ま しい診療サービスではないかもしれない。一方、医者も医学的な望ましい診療水準を目指 すが、診療サービスを提供する際に患者への負担を考慮するだろう。患者と医者の両方に とっては、公的な医療保障制度が整備されるならば、患者の自己負担が軽減されることが でき、医者も患者の負担能力への心配は不要になり、より医学的な望ましい診療サービス を提供することができる。それによって、早期発見早期治療に結びつき、悪化してから診 療を受けるより費用が節減されるだろう。資源配分の効率性が高められるこの点からも、
医療に対する公的関与の必要性が論じられている。
1960、70年代以降、「自由」と「市場」を尊重する経済学者は、社会保障が個人の自助 努力を無駄にし、政府による経済運営が非効率になるという理由で社会保障をミニマムに 抑えることを主張し続けてきた。Friedman (1962)は公的年金の属性を分析した上で公的 年金が不要と主張し、老齢というリスクによって貧困に陥った者に対しては負の所得税で 救済すべきだと提言した。さらに、Friedman (1979)は、社会保障のみならずほぼすべて の分野における政府の関与を批判し、自由経済の考え方を強調した。Feldstein(1974)は、
公的年金が家計貯蓄を減少させ、資本蓄積にはマイナス効果をもたらすと分析し、賦課方 式の公的年金制度に多くの問題があると指摘した。しかし、社会保障をミニマムに抑える ことを主張してきた経済学者といえども、社会福祉の向上には家族や共同体および慈善組 織による互助体制が望ましいと指摘している。これは実は興味深い指摘である。つまり、
「自由」と「市場」を尊重する経済学者でさえ、個人の力だけではリスク回避に限界があ ると意識しているのである。
2.財源政策
資本主義国において所得再分配というように捉えられている社会保障制度であるが、そ れが十分に機能を果たして運営されるためには、財源が確保されなければならない。従っ て、社会保障制度のあり方にとって財源調達ということは極めて重要である。本論文が社 会保障制度における財源政策ということを重視するのもそのためである。
社会保障制度の財源政策として、どのようなことに留意する必要があるのか。まず、社 会保障の財源調達方式として保険方式と租税方式のどちらに依拠したらよいかということ である。そのことについて論じよう。
(1)保険方式と租税方式のメリット・デメリット
一般的に、社会保障制度の財源調達には保険料か租税かという 2 つの選択肢しかない。
保険料を徴収して年金や医療などの財源を賄う方法は保険方式と呼ばれている。保険方式 は、みんなでお金を出し合ってリスクに備える保険原理(リスクの分散)に基づくもので ある。一方、租税方式とは、租税を用いて社会保障を行う方法である。ただし、現行社会 保障制度では、保険方式で行われていても、一部分であるが、租税を財源として用いてい る場合もある。双方のメリットとデメリットを検討する必要がある。
保険方式のメリットとして次のような点が挙げられる1。①受益と負担の関係が明確で財 政規律が働く、②財源を相対的に増やしやすい、③権利性が強いので、利用しやすい心理 状態になる、④自助と自立の精神を基本とするので、モラル・ハザードの発生が少ない、
などである。しかし、①未加入者・滞納者が増える可能性が高い、②徴収するための費用が 多いなどのデメリットも存在する。
一方、租税方式に関しては、①所得再分配機能の効果が大きい、②給付から漏れる人が 少ない、③相対的ではあるが、財源の徴収には滞納などの心配が小さい2、④徴収するため の費用が少ない、などというメリットがあるといわれている。その反面、デメリットとし て、①給付が税収によって左右されやすい、②巨額の税財源を確保することは容易ではな い、③使い道が不明確なので増税への国民の合意が得にくい、④自己責任・自助努力やコ スト意識が希薄でモラル・ハザードが発生しやすいなどが挙げられる。
(2)負担の範囲を明確に
どのような保障を租税を財源とした方法で行い、どのような保障を社会保険方式に委ね るべきかを検討してみよう。日本の財務省や厚生労働省は保険方式と租税方式の理念を以 下のように解釈している。すなわち救貧政策には公助が求められており、それゆえ租税方 式で対応すべきである。他方、防貧政策には、共助=保険方式で対応すべきであると指摘 している3。
ところが、救貧の範囲はどこまでであろうか。それは生存権の保障ではなかろうかと筆 者は理解している。筆者の理解においては、所得がある水準(通常は貧困線を基準にして いる)以下になると、その人が最低限の生活を維持できなくなる。最低限の生活を維持す
1 これについて、地主(1994)、堀(1994)などが詳しい。
2 租税方式の場合にも脱税や滞納などのリスクがあるといわれている。
3 http://www.mof.go.jp/singikai/zaisin/siryou/syou011a.htm#01を参照。
るという権利は生存権である。社会保障制度が生存権の国家的保障であるべきという生存 権論は社会保障における1つの理論として以前から議論されてきた。日本において、その 理解をいち早く主張していたのは平田冨太郎氏である。平田(1950)は「社会保障は国民 生存権の実現を意図して、所得の再分配を通じ、国家がすべての国民の最低生活を全体と して確保する措置の総体である」と指摘した[平田(1950)、p.46]。生存権を保障するた めに、租税方式による公助がよりふさわしいと考えられる。救貧に類型される典型的な社 会保障制度として、日本の生活保護制度が挙げられる。なぜなら、生活保護制度の趣旨は、
生活困窮者に対して最低限度の生活を保障するからである。
一方、最低生活を維持できる生存権以上の保障は救貧の範囲を超えており、防貧に類型 されるべきである。貧困線を基準にしてみれば、防貧は救貧の直面しているリスク以外の リスクに対応しなければならない。そのようなリスクとは加齢による労働能力の喪失や疾 病確率の上昇というものである。このようなリスクは普遍的なものであり、社会的な共助 が求められている。そのため、保険方式は妥当な財源調達手段であると考えられる。勤労 者の年金・医療・介護などの社会保険は防貧に類型されるべきであろう。なぜなら、その 趣旨は広く国民に所得やサービスを保障し、老齢や疾病などにより貧困に陥ることを防止 するからである。
社会保障制度はおおむね社会保険、公的扶助(生活保護制度)、社会福祉、公衆衛生と いう 4 つから構成されている4。以上の解釈に基づくと、生存権にかかわる公的扶助、社会 福祉、公衆衛生におけるナショナル・ミニマムの保障に対しては、租税方式が最も適切で あろう。租税方式という財源調達を選択する場合は、ナショナル・ミニマム以上の保障は 行わないことが重要である。そうでなければ、社会保障制度は救貧から防貧への拡大路線 に入り、結局財政難に直面することになってしまう。経済学でいう資源配分の非効率的な 問題が生じる。
現実の社会保障制度において、保険方式をとっている社会保険財源の一部は租税を用い ている場合もある。社会保険料や租税を財源として選択するときに、次のような観点で検 討することもできる。
(3)社会保険料について
社会保障が普遍主義と防貧志向を目標として追求してきた結果、先進諸国における社会
4 1950年、社会保障制度審議会が提出した「50年勧告」において定められた規定である。
保険の規模は拡大してきた。社会保険の拡大とともに、社会保険料は社会保障における最 も重要な財源となっている。ちなみに、日本の社会保障の財源構成のうち、社会保険料負 担は約 60%である。ここで社会保険について応能原則、逆進性と保険料の転嫁という 3 つの側面から検討してみよう。
一般的に、社会保険の場合は公費負担を含めて収支相等の原則が大前提としながら、保 険料の徴収は応能原則に基づかなければならない。被保険者の所得などの負担能力に応じ て保険料を徴収する。応能原則を徹底するには、定額保険料より定率保険料を被保険者に 負担させることが妥当だと考えられる。イギリスの年金保険制度は 1942 年のべヴァリジ報 告を受け、保険料を定額負担にしていたが、それは給付との関係を無視し、応能原則にも 反している。結局、制度は維持できなくなり、報酬比例の負担に切り替えたのである。世 界において、保険料徴収の代わりに所得税をベースに社会保障税を徴収する国も少なくな い。一見、両者の間にはさほどの相違がないように見えるが、「社会保険料の場合は所得税 における基礎控除、扶養控除のような人的控除がなく、被保険者の負担能力が十分に反映 されていない」[地主(1994)、p.28]という点では、社会保険料と社会保障税とは必ずしも 同様ではない。
次に、社会保険料の賦課ベースの設定は逆進性という問題をもたらす点に注意すべきで ある。例えば、日本の場合は、標準報酬が賦課ベースとなっているが、それは被保険者の 資産所得を含む実際の所得額より狭い。そのため保険料は逆進的であるといわれている。
また、被保険者の賦課ベースにはしばしば上限が設定される。それは、保険料負担が一定 額を超えると報酬の上昇とともに増加していくことはないことを意味する。そのため、保 険料が逆進的になりがちである5。賦課ベースの設定は財源収入に大きな影響を与える。巨 大な財源を確保したいのならば、賦課ベースを合理的な範囲内で大きくしなければならな い。
保険料の負担について、事業主と被保険者が半々となっている場合もあれば、事業主の ほうがより負担する場合もある。両者における保険料負担の理由については社会保障研究 所編(1994)に詳しい。ここで、注目されたいのは保険料率の引き上げから発生する負担 増が労働者へ転嫁される問題である。保険料率を引き上げる場合は、事業主はその負担増 を生産物価格の引き上げによって消費者に転嫁させるか、それとも労働者の賃金の引き下 げによって労働者に転嫁させる。労働者も消費者であるため、結局消費者への転嫁分は労
5 逆進性について、地主(1994)、p.31を参照。また、同様な指摘は八田・小口(1999)にもある。
働者の負担となる6。このような事態が生じるとマクロ経済への影響も出ると考えられる。
(4)租税について
財源調達の方法として租税方式を選択する場合は、普通税なのか目的税なのかがよく議 論される。目的税議論の場合には、その課税ベースは所得税か、それとも消費税かという 議論に焦点を当てている。そこで、所得税と消費税について検討してみる。
一般的に、所得税は累進税率の構造を持っているため、個々人の状況に柔軟に対応でき るというメリットがあるといわれている。このようなメリットを持つ所得税はより垂直公 平を実現することができ、社会保障における所得再分配の機能を大いに発揮できると思わ れる。他方、消費税は単一税率を通して、広く薄く課税することができるというメリット がある。一律の税率はより水平的な公平を実現することができるといわれている。また、
社会保険財源調達に関しては、一律の消費税の徴収によって、社会保険料の滞納・未納問 題を一掃することができ、財源を確保することが容易になると強く期待されている。
ところが、所得税にしても、消費税にしても、それぞれのデメリットもある。例えば、
所得税の場合は、所得を完全に捕捉することが難しい。消費税の場合は、逆進の問題が発 生する。また、政策目的によって税制を歪めてしまうこともあり得る。例えば、所得税に おける所得控除・税額控除などの特例を廃止し、単一税率で総合課税するならば、所得税 にある累進性のメリットをなくしてしまう。
上記の事柄を考えれば、所得税か消費税かという選択論のとき、片方にすることはなく、
両者を総合して税率の設定をも含めた議論が有意義ではないかと思う。
第 3 節 中国の社会保障制度の基本性格
1.計画経済期の社会保障制度の基本性格
中国の社会保障制度はどのようなものか。実は、1980 年代半ばまでの事実であるが、中 国では社会保障という用語がほとんど使われていなかった。また、保険と保障がしばしば 混用されていたことも事実である7。社会保障という言葉が一般的に使われるようになった のは、1980 年代後半か 1990 年代に入ってからのことである。つまり、市場経済体制に入
6 これについて、地主(1994)が詳しい。
7 衛編(1994)は、社会保障と社会保険の混用問題を指摘し、これまで使われてきた保険を保障に直す べきであると主張している[衛編(1994)、pp.1-2]。
り始めた頃からのことである。中国の社会保障制度を考察する際に、計画経済期と市場経 済期に分けて考える必要があろう。
日本において、社会保障制度は資本主義国に特有のものであり、社会主義国にはないと 考えている研究者が少なくない。そのため、計画経済期の社会主義中国には、社会保障制 度がなかったという認識が主流であろう。そのような主張を持つ最近の研究として、田多
(2004)が挙げられる。田多(2004)は、計画経済期の中国に「肝心の失業保険制度と公 的扶助制度とを整備しておらず、資本主義社会と同じ意味での社会保障制度があったと考 えることはできない」と指摘している[田多(2004)、p.15]。失業保険がなかったことは、
社会主義計画経済体制をとっていた中国では、低賃金・高就業の雇用制度によって、完全 雇用、終身雇用が確保されていたためである。
社会主義計画経済体制をとっていた中国での社会保障制度に対してどのように理解す ればよいか。これに答えるために、生存権論的社会保障論の観点や所得再分配のための社 会保障という観点を通して分析することが有効ではないかと考える。前記したように、日 本において最も早く生存権論的社会保障論を示した平田(1950)は、「社会保障は国民生存 権の実現を意図して、所得の再分配を通じ、国家がすべての国民の最低生活を全体として 確保する措置の総体である」と生存権論的社会保障論を論じていた[平田(1950)、p.46]。
1980 年代以前の中国では、低賃金・高就業の雇用制度によって、完全雇用、終身雇用が 確保されていた。つまり、国民生存権が国民皆就業=就業保障という形で保障されていた。
そのため、計画経済期の中国では資本主義国で行われている生存権を保障する社会保障制 度を必要としなかったと考えられる。また、平田(1950)が言及した所得再分配は、第 1 次分配から生じた諸問題を緩和するために行われている。社会保障とはそれを実行するた めの制度の 1 つである。社会主義中国には再分配という考え方が基本的にはなかった。後 の章で詳しく検討するように、社会主義中国の計画経済体制において、国有企業などでは 賃金と一緒に年金や医療の費用を利潤上納前に先取り、国民生存権の保障が第 1 次分配の 段階で行われていた。資本主義国でいう社会保障が所得再分配の手段であるという観点か ら考えれば、第 1 次分配に組み込まれた計画経済体制における生存権の保障は、資本主義 国でいう社会保障と同様な意味を持っているとはいいがたい。
しかし、1969 年までに「労働保険条例」に従い、政府からの生産資金から先取りされた 保険料の 30%が中華全国総工会(全国労働組合)に上納され、保険給付の調整基金(社会
プール基金8)が作られていた9。この点から考えると、計画経済期の社会保障システムの なかに保険的な再分配の要素も存在していたと考えられる。後の章で分析するように、計 画経済期の社会保険等の負担費用は資本主義社会でいう第 1 次分配後の所得や利潤ではな く、政府財政資金であった。再分配の要素があったといっても、結局政府財政資金を用い て行われていたことになる。
これまで検討してきたように、計画経済期の中国社会保障はすべて第 1 次分配のなかに 組み込まれ、政府財政資金で支えられていた。また、後の分析に示すように計画経済期の 中国社会保障制度は完全雇用と連動しており、就業・生活保障の性格が強かった。
2.市場経済期の社会保障制度
1980 年代以降、経済改革の進展につれて、市場経済体制が次第に形成されてきた。社会 的・経済的変化によって、社会保障の基本性格も変わってきた。1980 年代半ばから始まっ た社会保険改革は、従来の就業・生活保障を資本主義国で行われている社会保障制度に転 換しようとしている。まず、失業保険制度が創設されたことは重要な意味を持っている。
市場取引においては、淘汰された労働者が失業者となり、国民生存権の保障が従来の社会 保険(労働保険)で確保できなくなってしまった。そのような現実は、就業・生活保障の 時代が終了したことを意味する。また、新たな社会保険制度には、①非国有・非集団企業 とその従業員まで適用対象が拡大されたこと、②政府・企業・従業員による三者負担の財 源調達の仕組みに改編されたこと、③「個人口座」(年金保険、医療保険)が導入されたこ と、が現れた。三者負担は政府財政のみで負担した仕組みをなくし、従来の第1次分配を 第 2 次分配に変えた。このような変化によって、市場経済期の社会保障制度は資本主義国 でいう社会保障の性格に近づくようになった。就業・生活保障から社会保障への転換につ いて、後の章でより詳しく検討する。
3.中国人学者による社会保障の定義
1990 年代に入ってから、社会保障改革が加速されていくにつれて、社会保障に関する定
8 社会プールとは少数者が被るリスクが保険に加入している全員に分担させ、リスクを解消するための負 担額を小さくすることである。簡単にいえば、社会プール機能は一種の平準化機能である。
9 1969年以降、財政部の通達により、それまでに企業の労働保険基金から拠出してきた保険料が、企業
の営業外支出になり、調整金として全国労働組合への上納もなくなった。それは社会プールの機能が失わ れたことを意味している。
義付けも盛んに行われるようになった。ここでは、中国人学者による社会保障の定義付け を紹介しておきたい。
政府に比べ、研究者らはいち早く自らの社会保障に対する見解を示した。代表的な研究 者による定義を見てみよう。まず陳主編(1990)は、「社会保障とは、国家や社会は法律に 基づき、国民所得の分配と再分配を通してすべての社会構成員に対して、基本的な生活を 営む権利を保障する社会安全制度である」[陳主編(1990)、p.5]と定義した。陳主編(1990)
の定義は国が制度の実施主体と認識し、全国民を適用対象としている。また、社会保障制 度は法律に依拠し、全国民の最低生活を保障するように考えている。これらの点において、
先進諸国の定義に比べてさほどの差がない。しかし、先進諸国で解釈されているように、
所得再分配が社会保障制度であると捉えるならば、計画経済期の中国で行われていたもの が社会保障とはいえないであろう。所得の第 1 次分配を通しての社会保障制度に関する理 解は、社会主義国家にしか存在しない国家による保障を意識しているように思われる。社 会保障に対する理解の曖昧さが陳主編(1990)に残っているように思える。また、所得再 分配の手段として社会保険か租税かをも明言していない。興味深いところは社会保障制度 を社会の安定措置として鮮明に捉えている点である。それは、体制移行期における中国の 社会保障制度の持つ安定措置の役割が強調されているように読み取れる。
侯(1991)は、「社会保障とは福祉の促進を実現させ、社会の安定を確保させ、すべて の国民に生活の安定を感じさせるような社会システムである。それは、貧困者や弱者に対 して救助制度を通して最低生活を保障し、労働能力を失った労働者に対して生活保護制度 を通して基本的な生活を保障する」[侯(1991)、p.11]と定義付けた。陳主編(1990)の 定義に比べ、侯(1991)の定義は不十分であるように思われる。第 1 の理由としては、社 会保障制度の実施主体が明確にされていない点が挙げられる。第 2 としては、社会保障制 度の構成および財源が明らかではない点である。そして第 3 としては、貧困者、弱者およ び労働能力を失った労働者に対する定義が曖昧で適用対象が明確ではないことである。
1990 年代初め頃の定義と対照的に、鄭(2000)の定義はきわめて細かい。鄭(2000)は、
6 つの側面から社会保障を定義している。すなわち、第 1 は、社会保障制度は国家が最終 責任を負うべきであり、国家の統一管理によって実施されるべきである。第 2 は、社会保 障制度は法律に基づき、強制的な制度を通して、社会の安定を目的にするべきである。第 3 は、社会保障制度の目標はすべての社会構成員の基本的な生活権利を保障し、特定な事 故による生存権の破壊を防ぎながら、公平性を保つべきである。第 4 は、社会保障制度は
財政支出を中心に、企業と個人からも財源調達を行うべきである。第 5 は、社会保障の構 成には、特定の社会問題に対する変動可能の対応措置を設けるべきである。第 6 は、社会 保障制度に所得再分配の機能を明確に持たせるべきである。鄭(2000)はこの 6 つの側面 を総合的にまとめ、「社会保障とは経済厚生的な要素を有する各種の国民生活保障制度の統 合である」と発展させた。また、社会保障制度に各種の社会保険、社会救済、社会福祉、
軍人保障、政府と企業による各種の手当などが含まれると主張している[鄭(2000)、pp.9
-12]。鄭(2000)は社会保障制度に対して、はじめて公的かつ強制的な制度であると指摘 し、社会保険と公的扶助を統合した制度であると明らかにした。また社会保障制度改革の 過程において、社会保障に必要な費用は企業と従業員に負担させ、政府による財政支出を 大幅に減らすべきという主張が多い状況のなかで、「財政支出が社会保障制度の主要な財源 である」ように政府機能を正当に主張した点を筆者は高く評価したい。
しかし、諸外国の定義に比べ、中国の研究者による定義には、社会保障の対象となる生 活困窮を引き起こす原因が明言されていない。そのため、社会保障制度に対する具体像が 浮かんでこない。これをクリアしたのは 2002 年に出版された『領導幹部社会保障知識読本』
である。この本は、行政機関の役人を対象にした社会保障知識の普及教材である。そのな かに、政府による社会保障制度に対する最新の定義が収録されている。それによれば、「国 家は法律に基づき、さまざまな財源を用いて、無所得、低所得および各種の災害に遭遇し た国民の生存権を保障し、高齢、失業、疾病、労災、分娩などの原因で労働者の基本生活 に影響を及ぼすことのないように保障する。それと同時に、経済と社会の発展に従い、社 会福祉の水準を高め、国民生活の水準を向上させる」[張主編(2002)、p.4]。一見、この 定義はかなり包括的なものに見えるが、財源を明確にしていないことや、社会保険と公的 扶助を区別していないことから考えると、大きな欠陥があるといわざるを得ない。多くの 先行文献において、「社会保障制度は法律に基づくべき」と強調しているが、残念ながら、
いまだに社会保障に関する法律が作り上げられていない。
第 4 節 中国の社会保障制度の内容および時期区分
社会保障制度の形成過程においては、1601 年に実施されたイギリスの「エリザベス救貧 法」が社会保障制度、特に公的扶助の起源といわれている。それは血縁共同体や地縁共同 体による生活の支えを超え、貧困者を公的に救済する最初の制度として評価されている。
その後、産業化が進み、資本主義社会が成熟した。その過程のなかで、労働力を保護する ための社会保険制度は 1880 年代のドイツで誕生した。ドイツでは、1883 年に疾病保険法、
1884 年に災害保険法、さらに、1889 年に障害老齢保険法が制定され、世界ではじめて全国 的な社会保険制度が成立したといわれている。アメリカでは、1935 年にニューディール政 策の一環として社会保障法が成立した。その法律のなかで、社会保障という言葉がはじめ て使われ10、不十分でありながら社会保険と公的扶助の統合が見られた。1942 年、イギリ スでベヴァリジ報告が刊行された。それは普遍的な社会保険と公的扶助を統合させた社会 保障制度を計画していた。日本では、健康保険法が 1922 年、国民健康保険法が 1938 年、
厚生年金保険法が 1944 年に成立した。そして、1961 年に「皆保険・皆年金」が達成され、
福祉国家並みの普遍的な社会保障ステムが形成された。先進諸国の社会保障制度の成立に 比べて、中国の社会保障制度の形成は遅れていた。
1.中国の社会保障制度
(1)計画経済期の社会保障
中国の歴史において、各時代に社会保障制度に準ずるものはあった。しかし、それらの 大部分は官吏に対する優遇措置や、災害のときに対応する救済策であった。現代中国の社 会保障制度は、1951 年 2 月に公布された「労働保険条例」を契機に正式に登場した。労働 保険制度は、年金保険、医療保険、死亡保険、出産育児保険、労災保険から構成され、国 有企業(集団企業も含む)の従業員を適用対象としていた。
1950 年代半ばまでに、政府機関・事業単位・社会団体などの職員(公務員に相当するの で、以下、「公務員」とする)に対しては、公費医療制度と公務員年金制度が創設され、都 市部の労働者のほとんどは社会保険制度に包含されるようになった。この 2 種類の社会保 険制度は 1958 年に一度統合されたが、1978 年から再び分離した。
国有企業従業員と公務員に対する職域別の社会保険制度は、主に「単位」11で行われて いた。単位に属している現役従業員・公務員だけではなく、定年退職者の社会保険も、そ の単位で行われることになっていた。これはいわゆる「単位ルートの社会保障」である。
保険料に関しては、従業員からの拠出がなく、企業が賃金総額の 3%を拠出し、その 70%
10 田多(2004)に紹介されたように、世界では社会保障という言葉が旧ソ連において最初に使われてい た[田多(2004)、p.3]。
11 単位とは企業、政府機関、事業単位、社会団体のような経済活動や社会活動にかかわる組織である。
実際、それぞれに予算を配分されていて運営するようになっている。
を保険財源として企業内の労働組合に保留する。残りの 30%は、全国労働組合に上納され、
調整基金として使われていた。保険料は年金・医療・労災などすべての保険とその他の福 利事業に使われていた。このような仕組みは 1980 年代までに維持されていた。一方、公務 員の社会保険財源は財政支出によって賄われている。それは予算項目の行政管理費から支 給され、不足の場合には財政補填で補うようになっている。
(2)市場経済期の社会保障
中国の社会保障制度は、これまでの 50 数年の歴史において、さまざまな変革を経験し てきた。今日の中国の社会保障制度は、狭義の社会保障制度と広義の社会保障制度に分け ることができる。
図表Ⅰ-1 中国社会保障制度の体系
社会保険
(国庫補助)
年金保険制度 医療保険制度 失業保険制度 労災保険制度 出産育児保険制度 社会扶助
(国庫負担)
農村養老保険制度 農村医療保険制度
個人積立貯蓄 都市住宅共済制度 社会救助制度
社会福祉制度 軍人保障制度
社会保障制度の体系
出所:張紀潯(2001)、p.19、図 0-2 を参考にして作成。
図表Ⅰ-1 を参照されたい。政府主導の社会扶助と社会保険は狭義の社会保障制度であ る。社会扶助には社会救助制度、社会福祉制度、軍人保障制度が含まれている。社会保険 には年金・医療・失業・労災・出産育児保険制度がある。社会救助制度とは、最低生活保障を はじめ、貧困扶助や自然災害救済などを行う制度である。社会福祉制度には、価格補助、
社会扶養事業、障害者福祉、職業福祉などが含まれている。軍人保障制度は、軍人および その家族、革命烈士の遺族への生活保障や退役軍人の就職斡旋などの優遇措置を行う制度 である。この制度は日本の軍人恩給制度や軍人援護対策の性格に似ている。広義の社会保 障制度とは、前述した狭義の社会保障制度に図表Ⅰ-1 の右の欄に書き込まれている 4 つ
を加えたものを指している。そのなかには、農村部において行われている各種の保険制度 や都市部の住宅共済制度などが含まれている。住宅共済制度が広義の社会保障制度に含ま れたことは、イギリスの社会保障制度に似ている12。
現行社会保険制度は 1990 年代末に新たに創設されたものであり、都市部のすべての企 業の従業員を適用対象としている。現行社会保険制度のほかに、従来の公務員社会保険が 依然として機能している。現行社会保険制度は従来の労働保険と大きく異なっている。な お、本論文では、狭義の社会保障制度、とりわけ社会保険制度を研究対象としているため に、農村部における各種の社会保険制度や、都市部の住宅共済制度、社会福祉等について は触れないこととする13。
2.中国の社会保障制度の時期区分
社会保障制度は、社会・経済の変動と緊密に関連している。社会・経済の発展および政 治変革・経済政策の影響は社会保障制度に反映されるはずである。そこで、まず社会保障 制度に関しての時期区分を行うことにしよう。
衛編(1994)は、中国の社会保障の時期区分に関して、4 段階説を打ち出している。す なわち、①社会保障制度の創設期(1951-57 年)、②社会保障制度の発展期(1958-66 年)、
③社会保障制度の停滞期(1966-76 年)、④社会保障制度の改革初期(1976-84 年)、であ る[衛編(1994)、pp.58-71]。1984 年以降について、衛編(1994)は言及していなかっ た。それは社会保障制度改革が行われていた最中であるため、適切な判断を下しがたかっ たのではないかと思われる。
日本で出版された先行研究のなかで、中国研究所編(2001)は、①1949-66 年の国家保 障期、②1966-90 年代初期の企業保障転換期、③1990 年代初期から 2000 年までの社会保 障の確立期、という時期区分をしている[中国研究所編(2001)、pp.16-21]。
最近の有力説として、鄭他(2002)が取り上げられる。鄭他(2002)は、中国の社会保 障制度を 6 段階に分けている。つまり、①社会保障制度の創設期(1949-56 年)、②社会 保障制度の調整期(1957-68 年)、③社会保障制度の責任転換期(1969-85 年)、④社会保
12 イギリスの社会保障が所得保障を中心においているが、住宅給付は住居に対する特別な費用という意 味で所得保障の一環としているようである[武川(1999)、pp.7-8]。
13 計画経済期に農民のための年金制度はまったくなかった。農村協力医療保健制度があったが、それに ついて第5章で簡単に紹介する。90年代末から農民のための年金保険制度が試行され始めたが、全国に 普及されるまでには至っていない。資料不足のため、または議論を行いやすいため、本論文は研究対象を 都市部の社会保険に限定した。
障制度の改革実験期(1986-93 年)、⑤新旧社会保障制度の並存期(1993-97 年)、⑥新社 会保障制度の成長期(1998 年-)である[鄭他(2002)、pp.3-15]。
以上、3つの時期区分を紹介したが、それらとは異なる筆者なりの中国社会保障制度の 時期区分を行いたい。それは、①1949-85 年の計画経済型の社会保障期、②1986-92 年の 改革模索期、③1993-97 年の改革強化期、④1998-現在までの新制度並存期の 4 段階であ る。第 1 段階(①)を 1985 年までにした理由は、それまでの社会保障制度が計画経済体制 に従った制度の継続であったと認識しているからである。多くの先行文献は、経済改革の 始まる年である 1978 年を境として社会保障制度の時期区分を行っている14。筆者の意見と しては、1978 年は経済改革の始まった年であるが、社会保障制度改革の始まる年ではない。
経済体制にかかわる変革が社会保障制度の変革を促すことに異議はないが、社会保障制度 における変革は制度自身に起こる制度的な変化をきっかけにするべきであろう。そのよう な大きなきっかけは、1986 年に失業問題に対応するために創設された「待業保険」(1999 年に失業保険に変わった)である。計画経済体制のもとで、機能していた就業・生活保障 は、失業者を出さないという前提に実施された制度であった。失業保険制度の登場は、そ のような前提がなくなり、就業・生活保障の内容を変えた。上述の事柄によって、1980 年 代半ば、とりわけ 1985、86 年が中国の社会保障制度の境であると主張したい。もし第1段 階のなかを細かく分けるならば、鄭他(2002)とほぼ同様のように考えている。すなわち、
1949-56 年までが創設期、1957-68 年までが調整期、1969-77 年までが停滞期、1978-
85 年までが再建期であると考えている。鄭他(2002)と異なっているのは、1977、78 年に 対する認識である。筆者にとって、1977 年ないし 78 年から 1985 年までは、文化大革命15 によって中断された計画経済型社会保障制度の再建時期であるように理解している。第 2 段階(②)以降の分け方は鄭他(2002)とほぼ一致している。第 2、3 段階の分け目を 1992 年にした理由は、その年から鄧小平氏の南巡講話16によって経済改革がより前進したこと である。経済改革の強化は社会保障制度改革を加速させ、さまざまな改革実験が各地域で 行われるようになった。1998 年を第 3、4 段階の境とした理由は 1998 年以降、新たな基本 年金保険制度、基本医療保険制度および失業保険制度などが続々と実行されてきたからで ある。このような時期区分は中国の経済体制の移行と緊密に関連している。社会保障制度
14 代表的なものとして、衛編(1994)、宋他(1998)、成主編(2000)などがある。
15 1966年から1976年までの10年間は文化大革命の時代であった。その時代において、社会・経済の秩
序が乱れてしまい、社会保障制度も機能しなくなっていた。
16 1992年1、2月に、鄧小平氏が湖南省、広東省、上海市を視察した際に行われた談話を指している。
と経済体制の移行との関係は、後の章において詳しく検討する。
1978 年に改革開放政策の実施を契機に、中国の経済体制は計画経済から市場経済へと移 行し始めた。経済体制と緊密な関係を持つ社会保障制度は、経済改革政策の影響を受けて 自らの改革が余儀なくされ始めた。前述したように、その始まりは「待業保険」(事実上の 失業保険)が登場した 1986 年であると考えている。すなわち、1980 年代半ばまでの社会 保障制度は基本的に計画経済体制に対応して行われてきたものであったが、1980 年代半ば、
特に 1990 年代初頭以降、市場経済への移行に応じるために、社会保障制度には変革が起こ ったのである。