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西アフリカにおけるアラビア語資料調査 苅谷康太

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Academic year: 2021

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20 Field+ 2012 07 no.8

西アフリカ、イスラーム、アラビア語  「イスラーム」と聞いて、聖地メッ カ(マッカ)や、この聖地があるア ラビア半島、もしくは西アジアを最 初に連想する人は少なくないと思 う。確かに、7世紀前半の発祥以来、

イスラームの「中心地」は西アジア であったといっても誤りではないだ ろう。しかし、この「中心地」から 遥か西の彼方、アフリカ大陸西部に も、ムスリム(イスラーム教徒)は いる。いるどころではない。例え ば、大西洋に面したサハラ沙漠西端 の国、モーリタニアは、その正式名 称を「モーリタニア・イスラーム共 和国」とし、イスラームを国教に定 めている。また、モーリタニアの南 に接するアフリカ大陸西端の国、セ ネガルは、人口のおよそ9割がムス リムであるといわれる。そして、西 アフリカのムスリムは、イスラーム の聖典『クルアーン』(『コーラン』)

の言語、つまりアラビア語で、そ してアラビア文字を使った現地語で、

今日に至るまで膨大な量の書物を著 してきた。

満ち溢れる書物

 セネガルのような「サハラ以南ア フリカ」と「アラビア語著作」とい う取り合わせ、もしくは、そもそも

「アフリカ」と「文字資料」という取 り合わせに違和感を覚える人がいる かもしれない。学部生の頃、先行研

究を通じて西アフリカに大量のアラ ビア語資料があることを知った私も、

そうした違和感を覚えた一人であっ た。しかし、その違和感は、「この 取り合わせは一体どういうことなの か」という好奇心へと徐々に変化し ていった。

 そこで初めて訪れたのがセネガ ル。今日のセネガルは、植民地統治 の「遺産」たるフランス語を「公用 語」、ウォロフ語やフルベ語といった 複数の現地語を「国語」としている。

しかし、19世紀後半に始まる植民地 期の遥か以前から現在に至るまで、

この地域のイスラーム知識人が宗教 的知識の獲得のために学ぶ最重要言 語は、西アフリカの他の多くの地域 と同様、アラビア語である。

 私が最初に興味を持ったのは、セ ネガルに複数存在するイスラーム神 秘主義教団(スーフィー教団)の一 つ、19世紀末にセネガル西部で成立 したムリッド教団であった。人口に 膾炙した伝説によると、この教団の 開祖アフマド・バンバ(1927年歿)

は、7.5トンもの著作をアラビア語で ものしたとされる。この数字は些か 大袈裟であるとしても、彼が驚異的 な数のアラビア語散文および韻文を 書き残したのは確かである。バンバ の3代目の後継者の指導で1970年代 に編纂された「公式」の著作集だけ で9巻(写真1)。いずれの巻も大部 で、中にはおよそ800頁に及ぶもの もある。こうした著作集に収められ た彼の作品の数々は、首都ダカール でも、教団の聖都トゥーバでも、路 上や書店で、広く販売されている。

その多くは、色とりどりの紙に書写 生の手書き文字が印刷された小冊子 で、一般的な活字の刊本とは異なる 独特の外観を呈する(写真2)。

 勿論、このようにして売られてい るのはバンバの著作だけではない。

数多の宗教知識人がものした夥しい 数のアラビア語著作が、日常の光景 に満ち溢れているのである。そして、

こうした刊本として流通する著作群 の向こう側には、各地の図書館など に写本の形でのみ存在する、更に膨 大な量の著作群が控えている(写真 3)。このような著作の山に分け入る ことで、西アフリカの宗教的・知的 世界の一端を描き出せないか。そう イスラームとアラビア語の世界。

それは、アラビア半島の遥か西方、西アフリカの大地にも広がっている。

この地に残る大量のアラビア語著作群から、そして今日の人々の語りから、

過去と現在の声が聞こえてくる。

フ ィ ー ル ド ノ ー ト

2つの声を聞く旅

西アフリカにおけるアラビア語資料調査 苅谷康太

かりや こうた / AA 研

写真 1 教団の聖都トゥーバの図書館には、大量に 印刷されたアフマド・バンバの 9 巻の著作集が並ぶ。

写真 2 手書きの文字を印刷した刊本の数々。

西アフリカでは一般的にマグリブ書体という 北アフリカ由来の書体が使用される。アラビ ア語の著作だけでなく、アラビア文字を使っ た現地語の著作も見られる。

写真 3 写本の多くもマグ リブ書体で書かれている。

モ ー リ タ ニ ア セ ネ ガ ル

モロッコ

西サハラ

ガンビア ギニア・ビサウ

ギニア ブルキナ・ファソ ナイジェリア ニジェール マリ

アルジェリア

(2)

21 Field+ 2012 07 no.8 間の中に――自らを位置づけてきた 歴史に気づき始めた。書物に刻まれ た過去の声は、今日当然のように語 られる「西アフリカ」や「サハラ以 南アフリカ」といった地域区分もし くは地域間の垣根を易々と越えてい く。その声に耳を傾けながら「西ア フリカ」の書物を繙ひもとくことで、「西ア フリカ」にとどまらない、より広大 な空間を見通すことが可能になる。

 ただ、こうした書物の渉猟が私 の現地調査の全てというわけではな い。現地の人々との出会いに支えら れた調査過程が、そして彼らとの語 らいが、研究の貴重な糧となる。資 料の中に登場する土地を彼らととも に旅しながら、その資料に記された 内容を話し合い、更に、文字資料に は記されていない様々な伝承を彼ら から聞く(写真6)。

 著作に記された過去の人々の声 と、調査の過程で聞こえてくる現在 の人々の声。慌ただしい現地調査の 最中に、これら2つの声が重なり合っ て響くことはあまりない。しかし、

調査を終えて、独り資料を読み返し ていると、時折、それらがすっと重 なり合って聞こえることがある。そ して、その声が私を次の調査へと誘いざな うのである。

思い立った時から、書物という「宝」

探しの旅が私の現地調査の大部分を 占めるようになった。

「宝物庫」の扉

 西アフリカには、数多くの図書館 が点在している。私は、それらを訪 れるため、すし詰め状態の乗合バ スや乗合タクシーに乗り(写真4)、

人々と他愛もない話をしながら、あ ちらの町、こちらの町へと長距離移 動を繰り返す。一口に図書館といっ ても、その様相は極めて多様で、国 立図書館や研究機関の附属図書館 のような所謂「公」の図書館もあれ ば、スーフィー教団が所有する図書 館や、宗教知識人の一族が運営する 図書館のような「私」の図書館もあ る(写真5)。一概にはいえないもの の、蔵書閲覧のために必要な手続き が見えにくい「私」の図書館におけ る調査の方が「起伏」に富んでおり、

予期せぬ事態――現地調査の醍醐味 ともいえる――に遭遇するのは、大 体この「私」の図書館での調査中で ある。

 目指す町に着いたら、まずは図書 館を探す。所在地が分からなければ 人に尋ねるしかない。通りがかりの 一人に聞けば、その辺りにいた人々 が知らぬ間に集まってきて、あっち

だ、いやこっちだ、まずは誰某に会 いに行け、どこそこに行け、と知っ ている限りのことを教えてくれる。

こうして人から人へと伝わって方々 を巡っていると、大抵、いつの間に か目的の図書館に辿りついている。

 図書館で私が探し求める「宝」は、

無論、それを所有する宗教知識人の 一族や教団にとっての「宝」でもあ る。否、より正確にいえば、知識人 たる彼らにとっての本当の宝は、知 識そのものであろう。従って、その 宝が詰まった書物はさしずめ「宝 箱」、図書館は「宝物庫」とでもいえ ようか。宝物庫の主が、ふらりとやっ てきた素性の分からぬ旅人を庫内に 通すはずがない。そこで、旅人であ る私は、まずはその主、つまり図書 館の責任者を探し、彼の許を訪れる。

そして、自分が何者で、何故その図 書館の書物を渉猟したいのかをで きる限り丁寧に伝える。図書館の責 任者となるような人物は、ほぼ例外 なく、優れた宗教知識人であり、多 くの場合、流暢なアラビア語で、そ の図書館の歴史から、イスラームの 教義や思想、西アフリカのイスラー ム史、果ては今日の世界情勢まで、

様々な話を聞かせてくれる。そうし た話の中には、往々にして、私がそ れまで耳にしたことのなかった貴重

な情報が散りばめられている。それ らを拾い集めながら会話を積み重ね ていく中で、私の目的や意図、願い が彼らに伝われば、宝物庫の扉は自 然と開かれるのである。

 勿論、常に私の望み通りの結果が 得られるわけではない。つまり、種々 の理由によって扉が開かれなかった こともあるし、開かれるのを1ヶ月間 待ち続けたこともある。しかし、知 識に対する、そして知識を刻みつけ た書物に対する、彼らの並々ならぬ 情熱や敬意を考えれば、図書館の扉 が開かれるという事態はまさに僥ぎようこ う であって、決して調査の当然の成り 行きなどではない。知識と書物に対 する彼らの情熱ゆえに、扉は重いの である。

過去と現在の声を聞く

 調査を始めた当初、私は、「西ア フリカ」のアラビア語著作群の読解 によって、「西アフリカ」の宗教的・

知的世界を描写しようと考えていた。

しかし、調査が進展するにつれ、そ うした著作群を著した多くのムスリ ムが、師弟関係や書簡のやりとり、

書物を媒介とした知識の授受などを 通じて、北アフリカや西アジアをも 包含する広大な空間の中に――そし て、イスラーム発祥以来の長大な時

写真 6 ムスリムは、礼拝前に水を使って身を浄めるが(ウドゥー)、水を 得られない状況では、砂や石などを使った浄め(タヤンムム)を行う。調 査で訪れたとある家の床に置かれていたタヤンムム用の石を使ってその様 子を再現してもらい、同時にその石にまつわる逸話を聞かせてもらった。

写真 5 モーリタニアのシンキート(シンゲッ ティ)という町の図書館。サハラ沙漠交易の中継 地の一つとして知られるこの町は歴史的な学問都 市でもあり、旧市街には 10 以上の図書館が存在 する。

写真 4 セットプラスと呼ばれる乗 合タクシーの内部。セネガルにおけ る重要な長距離移動手段の一つ。

参照

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