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(1)

社会や国家に対する焦点を絞って清沢満之の発言をたどると、その軌跡が必ずしも一様な姿を描いていないことが分る。むしろ、清沢の態度は矛盾しているともいえる。清沢は、自らが主唱した精神主義の実践において、社会や国家に言及しており、その中のいくつかを時系列的に取り上げてみよう。 はじめに

(一一) ()

(|) 清沢満之における宗教と社会についての試論

若し外物又は他人と交際して、自他の幸楽を増進することに至りては、精神主義は決して此事を排斥せず、寧ろ反て之を歓迎するなり。故に精神主義は決して隠遁主義にあらす、亦退嬰主義にもあらさるなり。協共和合によりて、社会国家の福祉を発(一)達せしめんことは、寧ろ精神主義の奨励する所なり。社会が出来たり国家が出来たりするのは文明進歩の結果であるとする以上は、吾人は決して共同とか公共とか云うことを忘れてはならない、吾人は寧ろ全力を尽して共同公共の精神を発揚せねばならない…吾人の生存が根本的に公共的である以上は、吾人は社会公共の利害を以て自家の利害とし社会公共の責(一一)任を以て自家の責任とすべきである。宗教は社会上の利益や倫理上の行為の外に、一種の別天地を有するもの…故に精神主義は、門外を標準とせずして、門内に標

 ̄、

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(一ハ)  ̄、

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準を置き、客観的構成に着目せずして、主観的心地を主要とす(『一一)るもの[。]真面目に宗教的天地に入らうと思ふ人ならば、釈尊がその伝記もて教へ給ひし如く、親も捨てねばなりませぬ、妻子も捨てねばなりませぬ、財産も捨てねばなりませぬ、国家も捨てねばな(囚)りませぬ[。]精神主義の観歩は物質主義を去り動物主義を去り、社会主義を去り、国家主義を去り、個人主義の中にも、肉体主義、不足主義、競争主義を去りて、精神主義、満足主義、自由主義に就く会巫)にあり。世間では義務責任のことを八釜敷く云ふが、………或る所に於ては之も云はなければなりますまいが、他力によりてするのであるから、私共は何んでも、かくせなければならぬという云ふ、(一〈)義務責任は持たぬのであります。私共の言ふ所は、社会を忘れたる如く、自分のみ為す所であるとする故、動もすると隠遁主義である、非社会主義であると、攻撃する人がありますが、別に私共は、社会を忘れたのでもなく、社会より離れて隠遁したのでもない、只絶対無限の力のみ、社会を云々し得るのであるが、私共には此の力の無きことを知(と)った故、為さんとせぬのである。 国際日本学インスティテュート政治学研究所政治学専攻博士後期課程三年鈴村裕輔

(2)

それぞれの発一一一一口がなされた時期は、(|)が明治三四年(’九○|)|月、(二)が同年一一一月、(一一一)が同年七月、(四)が同年十一月、(五)が明治三五年(一九○二)一一月、(六)から(八)が明治三五年(一九○一一)六月である。宗教は社会の外部に別種の価値体系をもつのであり、信仰の確立のためには家族や社会、国家を捨てねばならないとし、他力による以上、自力的な義務などとは係わり合いがないと述べながら、そのような態度は決して社会を忘れたことによるのではなく、無限という社会での事柄を議論できる唯一の力の前では人間は無力であるということを理解するからこそ、社会に対する働きかけをしないのである、それ以上に、各人がおのおのの心のあり方を正しくすれば、社会は自ずと正しいものになる。一方で国家社会の福祉の増進と精神主義の合致を説きながら、他方で精神主義は社会に対して無力であり、それゆえに社会的な義務、責任を担うことはない。わずか一年の間に示された清沢の社会や国家についての発言を瞥見するだけでも、そこにある種の論旨の錯綜と矛盾を看取することができる。このようにゆらぐ発言が何に由来し、どのような性格をもつのか。まず、清沢の発言を元に考察を進めることとしよう。

右にみた八つの発言の中で、とりわけ問題となるのが、(六)と(八)であろう。ここにおいて、清沢はあたかも宗教が世間から隔絶され、実社会に対してあまりに楽観的な見方をなしているかのように話すが、「人は本性的に社会を形成することを欲する」というアリストテレスの言葉を待つまでもなく本性的に社会的であ (八)

宗教と社会の対立 私共は、社会の不足弊害等に対して、之れを満たし、之れを正さんとも敢えてせんのである。精神主義より云へぱ、如来の光明は無限であって、社会に満ちたるのであるから、それに不足や弊害のあらうとは思ひませぬ。之れに不足弊害のあるやうに見るのは、私共の心の至らないのであります。其れ故私共の心(八)さへ立派になれば、自ら社〈麦は立派になる[。] る人間によって支えられる宗教が、果たして世間と無関係でありえるのだろうか。このとき、われわれは、例えば『宗教哲学骸骨』における有限と無限の議論を想起せねばならない。清沢は有限を規定して、全体との対比では部分とし、また、完全との比較では(几)不一元全とする。もとより人間は有限な存在者であり、人間によって構成される社会も有限である。それゆえ、社会における義務や責任を負い、行おうとしても、完全に成し遂げることはむつかしい。より正確に述べるなら、完全とは無限の属性である以上、不完全を本性とする人間はどれほどの努力を積み重ねたとしても無限に到達することができないのである。信仰上の立場に置き換えて考えるなら、(一○)このように、有限者が無限にいたるための努力を重ねることは、「自力門」ということになる。清沢の精神主義は「有限の外部に存在する存在者に導かれることで無限に至る一という他力門の立場による。他力門は自力門の対極にあるから、「社会的な義務や責任を果たすこと」が自力門の態度になるというのであれば、精神主義が自力門的なあり方の対蹴点とならねばならないのは、論理的にも当然のことである。つまり、有限者の有限性を認める点に特徴をもつ他力門のあり方を知ることで、はじめてわれわれは「義務責任は持たぬ」という清沢の真意が分るのである。同様のことは、「社会の不足や不満を解消することをしない」という精神主義の態度を理解するうえでも重要である。確かに、社会は有限である。しかし、一切の不平や不満、不足のない、「完全な社会」の実現は、「完全」が無限の属性であり、社会の構成員である人間が有限者である以上、達成されえない。そのため、社会のあり方について何かをいい、何らかの変化を与えうるのは、無限者のみである。そして、無限者である「如来の光明」は、その無限性ゆえに社会の隅々にまで届いているのであって、そのような偏ることのない光に不足があるということは、無限者の本性から考えてもありえないことである。したがって、もし社会に対して何らかの不足を覚え、不満を感ずるのであれば、それは「如来の光明」が不足し、偏頗しているためではなく、光明を受ける側の、有限者としての人間の心のありように問題があるのだ。それゆえ、人々が心のあり方を正しくすれば、社会を満遍なく照らし出している「如来の光明」に気づき、社会に不足や不満があるという考えが誤りであることが分り、最終的に社会そのものが正しい方向へ

(3)

清沢によって描かれる、社会や国家に対する有限者のあり方は、絶対無限の境地への到達の前後で正反対の動きを示す。すなわち、すでに見たとおり、絶対無限に至るまでは、有限者は国家や既成の秩序に対する挑戦の態度をもつが、阿弥陀如来の救済を受けて絶対無限の境域に達すると、有限者は絶対無限者の中に吸 と進むことになる。清沢の考えに従えば、「なぜ、精神主義は社会の不足や不満を解消することをしないのか」という答えは右の通りとなろう。それでは、たとえば(このような、「他人と交際して自他の幸福を増進することを精神主義は排斥しない」「社会国家の福祉を発達させることは精神主義の奨励するところだ」という主張との間に矛盾は生じないのであろうか。このような問いは、起るべくして起るものといえる。そして、その答えは、一宗教と社会は矛盾を生ずる」である。ここで重要なのは、清沢が宗教に対する態度と社会に対する態度を別様のものと前提して議論を行なっていることである。「他力門哲学骸骨試稿」において有限無限論を探求した清沢は、第四項目にあたる「根本の撞着」の中で有限と無限がもつ根本的な性格を論ずる。すなわち、有限と無限は「同一体なりと云うが抑根本の撞着なり絶対相対、自立依立に就て云うも亦然り」なのであり、カントの二律背反やヘーゲルの「実在は非存在で〈一一〉ある」という一一コ目葉は、すべて根本の撞着なのである。そして、有限と無限は同一なのではなく、互いに対立しており、われわれはこの対立において「根本の撞着」(一一一)が存在することを「明知せざる可からざるなり」というのである。つまり、壱示教と社会は個別の領域をもっており、それぞれ別様の原理に従うのである。それゆえ、ときに両者は各々の領域において相手と正反対の態度をとり、行動することが起きる。それは、あたかもカントが「純粋理性批判』の中で示したように、「世界は空間と時間において限界をもつ」という命題と「世界は空間と時間において無限である」という命題が同時に成り立つのと同じ現象なのである。このように、理論の上では宗教と社会は領域を異にするがゆえに背反する結果を導くこともありうるのである。

二還相の不在と他者への倫理的配慮

これに対し、絶対無限者による救済に与るということは、人が絶対無限者の中に吸収され、主体性と自立性を放棄することになる。人はもはや自らの足で大地に立つことをやめ、あたかも無限者の見えざる手に動かされる自動機械であるかのどとく行動するようになる。救済を受けたものにとって絶対無限者はよそよそしいもの、他なるものではなくなり、可知的なもの、理解可能なものとなり、すべては絶対無限者によっておのずから与えられるのである。このとき、もはや他者は存在しなくなるのだ。 収され、主体性と自立性を失い、社会や国家での行動とその結果は、もはや自らとは関係がなくなるのである。マックス・ウェーバーの表現にならうなら、絶対無限者に到達する前には存在した「宗教と社会ないし国家との緊張関係」が、到達(一一『一)後トトは溶解するということになるだろう。ところで、倫理とは行動の規範であり、われならざる他者との相互関係の中で何をなすべきで、何をなすべきでないかが規定される。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』において愛や友愛を議論したのも、倫理が人間の領域において成(一四)り立つことを示している。そして、相互の関係が明確化してはじめて意味をもつゆえに、倫理は慣習に由来する。つまり、ある倫理が成立するのは、相互の関係が明確だからであり、その関係に入らない他者は最初から倫理の対象から排除されているのである。ところが、どのような振る舞いをなすか分からない他者が現れるとき、自明の法則である習慣としての倫理は、効力を失う。つまり、倫理とは既知なる他者との間に成り立つ限りにおいて有効なのである。それでは、絶対他者による救済を考える清沢の場合、倫理はどのような形を示すのであろうか。全責任主義は、人が自らの行為のもたらす現実的結果について責任を取らなければならないという限りにおいて、ウェーバーのいう責任倫理のひとつとみなすことができる。そして、行為のもたらす現実的結果に責任を取るために、全責任主義の中に絶対無限者との関係は入り込む余地はない。なぜなら、有限な世界にいる以上、絶対無限者は人間にとって不可知的なものであり、非現実的、非合理的な形で現れ、人間に迫るからである。絶対無限者が存在するか否かを合理的に説明することはできないからこそ信ずることが必要なのだが、それゆえに、有限な世界にあって絶対無限者が誰かの行為の責任をその人の代わりに背負うことはないのである。無限者は有限者の倫理の枠外に存在するのである。負うことはないのである。無限者は有限者の倫理の枠外に存在するのである。これに対し、絶対無限者による救済に与るということは、人が絶対無限者2

(4)

清沢の他者論については、|方に「他者論が不徹底である」という意見があり、他方に「他力門とは自己への配慮と他者への配慮である」という見解が提出され(一五)ている。こうした一息見の相違は、清沢にすなわち絶対無限者に到達するための方途としての往相と、到達後に有限な世界に対してどのように働きかけるかという還相の原理を見出しうるか否かにかかっている。確かに、清沢は「在床戯悔録」において法蔵菩薩の四十八願の第十八噸「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚」を取り上げ、阿弥陀如来が「衆生の為」に(一一ハ)救済を行い、人々を彼岸に導こうとするありさまを描いている。しかし、ここには救う阿弥陀如来の姿はあり、救われた人間が阿弥陀如来の恩に感謝する姿はあ(一七)るが、救われた人間がいまだ救われない人間とどのように交わるべきか、あるいは、この世界をいかにして救済するかという点への言及はない。このあり方が「清沢満之の精神主義においては、週相による斯土救済の側面は、必ずしも明らかで(一八)はないし、むしろ稀薄でさえある」という指摘を生むが、これは正鵠を射る見解といえよう。有限な世界から絶対無限者に到達した人間にとって、関係を取り結ぶ対象は阿弥陀如来のみであり、決して有限者ではないのである。全責任主義によってあらゆる事柄に対する責任を負いながら、その責任を全うし得ない点に、有限的存在としての人間の限界が存する。責任に関する義務と現実の矛盾的なあり方は、絶対無限者による救済によって無責任主義という形で調停されるが、その調停はほかならぬ「私」という個別的存在者を対象とする。

人を殺し、盗みを働くものは、世に殺人者といわれ、強盗犯といわれる。だが、そのような殺人者が私を殺そうとし、強盗犯が私の所有物を盗もうとするとき、 自分を殺しに来た者があるにしても、其殺されん〔と〕した為に悟を開いたとしたならば、其殺さんとして来た罪人は、自分にとりて善知識である、如来の大命を奉じた使であるのであります。又私共の家へ盗賊が這入っても、其盗まれたことに就いて、私共が自覚す

二九)第であります。 又私共の家へ盗賊が這入っても、其盗まれたことに就いて、私共が自覚」る所があり、啓示を蔚らしたならば、世間では縦令罪人であると云はるふも、私にとりては決して罪は認めぬのであります、却って善知識であると喜ぶ》却って善知識であると喜ぶ次 それらの行為によって私が悟りを開き、あるいは何らかの啓示を受けたのであれば、たとえ世間の人々が彼ら、彼女らを犯罪者と呼ぶとしても、私にとっては阿弥陀如来の大いなる命をもたらす使者であり、善きものである。ここにも、犯罪者が善きものとなる、逆説的な構造が横たわるが、犯罪者が善きものとなるためには、「私」に悟りをもたらし、あるいは啓示を厨さねばならない。「私に救済をもたらす限りにおいて他者が矛盾と逆説を乗り越えて私に受け入れられる」ということは、「絶対無限者に到達すればあらゆる存在者との境域が融解する」ということと同義であろう。この過程は、信念の獲得には必要かもしれないし、常に「私」が問題とされるのも、精神主義が「自家の精神内に充足を求むる」という内観主義ないし主観主義である以上、当然のことといえるかもしれない。だが、このとき、他者は「私」に絶対無限者への到達をもたらすという条件の下でのみ意義のある存在となり、それ以外の局面では顧慮の対象とならない。あるいは、自己への配慮はあっても他者への配慮はない。いみじくも清沢自身が指摘したように、他者の救済を誓うのは、阿弥陀如来の修行時代の姿である法蔵菩薩だけなのである。救済の対象としての「私」を重視することは全体の中における個人の存在を際立たせる役割をもつ。そして、「個人の存在を際立たせる」という点は宗教と社会、宗教と国家の緊張関係をもたらす。この図式は、例えば「信仰と社会」といった問題を考えるとき、大きな意味をもつといえるだろう。だが、「全責任主義の原理に従う有限者が、絶対無限者への到達によって無責任主義に転ずる」という限り、精神主義の描く構図は、有限者と絶対無限者、「私」と阿弥陀如来との限定的な関係に終始せざるを得ない。しかし、それでは、なぜ清沢はそのような問題をはらむ「私」を強調したのか。そこには、実は浄土真宗の祖である親鷲がもつ他力信仰と主体性の問題が背景として存在したのである。

浄土の主宰者としての阿弥陀如来に対する信仰」という伝統の延長線上にある。だが、親鱒は『歎異抄』において「悪人こそが阿弥陀如来の本願による救済の目 親鴬の阿弥陀如来信仰は、平安時代に浄土教が定着して以来続く、「浄土および

三親鷲と清沢満之における他力信仰と主体性の問題

(5)

こうして、親鷲は発想の逆転によって阿弥陀如来信仰に新境地をもたらし浄土真宗を開くことになる。だが、悪人正機説のような、いわば人目につきやすい点のみが親鷲の新しさではなかった。本章とのかかわりでみれば、主体の問題を提示することで、親瀞はそれまでの阿弥陀如来信仰に新たな側面を付け加えたのだ。つまり、阿弥陀如来とはいかなる存在であり、いかなる意味で真理であるのかを根本的に問い直すことで、親鱒は自らがいかにして阿弥陀如来と関わりうるのかという主体の問題を提起したのである。(一一》)「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親驚一人がためなりけり」という「歎異抄』の序における一文が端的に示すように、阿弥陀如来信仰における主体の問題は、阿弥陀如来の誓願と親鷲とがいかに浸透し合っているかという点にある。(一一一一)浄土信仰の本質は、「本願を信じ、念仏をもうさば仏になる」という一口葉に集約される。すなわち、阿弥陀如来が衆生救済のために立てた四十八の請願である本願を信じ、誓願によって保証された行である念仏を唱えることで、念仏の行者は仏としての生を得ることができることを意味する。このとき、阿弥陀如来を信ずるということは、阿弥陀如来の本質的な属性である四十八願を信ずるということであり、それゆえ、親鴬にとって、阿弥陀如来といかに関わるかという問題は、阿弥陀如来の本性である誓願をどのように理解するかという問題でもあった。そこで、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鷲一人がためなりけり」と「本願を信じ、念仏をもうさば仏になる」という二文をあわせて考えるとき、われわれは、次のことに気づく。すなわち、本願を信ずるのは他ならぬ 標である」という、いわゆる悪人正機説を唱えることで、従来の阿弥陀如来信仰に新たな境地を開いたことは周知の通りである。悪人であっても往生できるのに、どうして善人が往生できないことがあろうか、すなわち「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」という、往生についてのそれまでの正統的な考え方を「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、すなわち善人であっても往生できるのに、どうして悪人が往生できないことがあろうか、とさかしまに捉えたのが親鴬であり、その態度はある意味で「居直り」であるとすることもできる。だが、その居直りによって、仏教を単なる外来宗教の地位から解き放つことができたの(二○)『」ある。

この一節が示すのは、阿弥陀如来は誓願に報いた「報身」であり、われわれに救済を知らせる「方便法身」、つまり、「法身」から現れた、手立てとしての「方便」であるということである。これは、「法身」という実体なき働き、あるいは働きそのものであるとともに、「方便」という人格的存在であるという阿弥陀如来の存在がもつ二重の構造を表している。人が本願を信ずるということが意味するのは、単に人格的な超越的存在に帰依することでもなく、形なきものの働きへの畏敬でもなく、むしろ、方便が法身として成り立つということへの信仰とすることができるだろう。ところで、阿弥陀如来の誓願に対する親鷺の独自の理解が示されているのは、「教行信証』の「三顧転入」の記述である。親鷲の「一一一願転入」は、親鷲自身がどのような内的段階を経て信仰を固めたかという過程を示すものであり、親鷲は阿弥陀如来の四十八願の中から自らの重視する第十九願、第二十願、第十八願の三つを選び、自己の内面を第十九願から第一一十願へ、そして第二十願から第十八願へと発展させることで再構築する。その過程は、親鴬自身の言葉によれば、「ここをもって、愚禿釈の鷲、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を雛る、善本・徳本の真門に回入して、 親鷺その人であり、親鱒は信ずる主体としてよくよく案じた上で阿弥陀如来を受け入れるのである。このとき、誓願はあらゆる人に対して向けられているのではない。阿弥陀如来の誓願は、「ひとえに親鴬一人がため」になされるものであり、誓願を媒介として誓願行為の主体としての阿弥陀如来と、誓願を受け入れる主体としての親鴬とが主体という項において相互に関わることを意味するのである。ここで問題となるのが、『一念多念文意』に見られる次の一文の扱いである。

この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたれとして、阿弥陀仏と、なりたまうがゆえに、報身如来ともうすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とももうすなり。この如来を方便法身とももうすなり。方便ともうすは、かたちをあらわし、御なをしめして衆生にしら(『一一一一)しめたまうをもうすなり。すなわち、阿弥陀仏なり。

(6)

ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の 願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。

(二四)果遂の誓い、良に由あるかな」というものである。それでは、その三つの誓願の内容はどのようなものであろうか。

つまり、「三顧転入」とは、「様々な修行を重ねたものに来迎を約束した誓願」(第十九願)から「名号と道徳的行為による往生を約束した誓願」(第二十願)を経て「念仏の内面的な信仰を重視する誓願」(第十八願)へと至るものである。これは、自力で功徳を積み、絶対善に到達したいとする自立的な立場が、名号を聞くということで絶対に対する自覚に変わり、最後に念仏往生という他力的な態度になると換言できるであろうし、そこに、われわれは親鷲が自力的な行為のあり 第十九願設我得佛、十方衆生、蕊菩提心、修諸功徳、至心發願、欲生我國。臨壽終時、假令不與大衆園繰現其人前者、不取正魔。(たとい我、仏を得んに、十方衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、心を至し願を発して我が国に生まれんと欲わん。寿終わる時に臨んでたとい大衆と囲繰してその人の前に現ぜずんぱ、正覚を取らじ。)

第二十願第十八願設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念。若不生者、不取正覺。唯除五逆誹誇正法。(たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹(二五)誇せんをぱ除く。) 十方の衆生、我が名曰ろの徳本を植えて、$んに、果遂せずんぱ、 設我得佛、十方衆生、聞我名號、係念我國、殖諸億本、至心回向、欲生我國、不果遂者、不取正覺。(たとい我、仏を得んに、十方の衆生、我が名号を閏きて、念を我が国に係けて、もろもろの徳本を植えて、心を至し回向して我が国に生まれんと欲わ正覚を取らじ。) 方から他力的なあり方へと信仰の様相を変えながら、阿弥陀如来の誓願を受け入れた過程、すなわち誓願の内面化の道筋を看取することができる。親鴬は、『仏説無量寿経』にある「諸有衆生、聞其名號、信心歓喜、乃至一念。至心回向。願生彼國、即得往生、住不退縛」という一文の「至心回向」の句を「心を至し回向したまえり」と読むことで、信心や念仏が衆生の側から発せられるもの(一一一ハ)ではなく、回向という阿弥陀如来の側の配慮に基づくということを一示すのである。つまり、念仏は修行者が阿弥陀如来に対する帰依を表明するために発するものではなく、阿弥陀如来自らが発した言葉なのであり、念仏を唱えるのも仏になさしめるのも全て阿弥陀如来の配慮であるとすることで、信仰にかかわる決定的な行為の主体が阿弥陀如来にあるというのだ。もしここで、人が誓願を違うことなく内在化し、完全に信ずることができるなら、そのとき信ずる我という自己は消え去り、阿弥陀如来の誓願と一致するということができるだろう。しかし、誓願はあくまで衆生としての自己が捉えた限りでの阿弥陀如来であって、方便の背後には衆生である自己の知にはおよびもつか(一一七)ない法が広がっている、ということに親彌は自覚的であった。それは、次のような親鷲自身の述懐からも看取されうる。

浄土真宗に帰依し、本願を信じ、念仏を唱えるとしても、真実の心であることは難しく、真実の心であることが難しいわが身であるからこそ、清浄の心でもありえない。これは、阿弥陀如来の回向によっても解消されることのない、「衆生である自己の〈主体〉の個別的な問題」であるばかりでなく、阿弥陀如来の誓願と

向き合うことは、親鷲にとって「救済の唯一の途であると同時に、被救済の衆生

である自己の〈主体〉の重みを痛感させるもの」でもあり、阿弥陀如来の誓願に信仰で対時すると言うことは、このような「被救済の衆生である自己の〈主体〉として対時すること」であり、その意味で「阿弥陀仏の〈主体〉と、親鷲の〈主 浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし虚仮不実のわが身にて(二八)清浄の心もさらになし

(7)

「私の所信は如来である」という言葉が示すように、清沢が問題とするのは、

信念と如来の関係そのもの、あるいは、阿弥陀如来を信ずる「機」と信ぜらるる

「法」との区別である。清沢は、阿弥陀如来について「私の信ずる所の本体であ

る」とするのみで、その内実についてはそれ以上の追求を行わないものの、「能信」

と「所信」、もしくは「機」と「法」の間には戴然とした区別が存在するが、能信

から離れた所信はなく、機と無関係な法はありえないことを、この一文において明示しているといえよう。如来を信ずることは「私が一切のことに就いて、私の自力の無効なることを信

ずる」ということであり、「此自力の無効なることを信ずるには、私の智慧や思案

(|『一一)の有り丈を尽して其頭の挙げようのない様になる」ということが必要である。換

言すれば、自らの力が至らぬものであることを了解することで、阿弥陀如来を信 ずることができるのであり、阿弥陀如来を信ずるとは全てを阿弥陀如来にゆだね

ることになるのだ。また、全てをゆだねるということは自力的な態度を保持したままでは不可能であるから、信念は生れない。それゆえ、信念は自らの無力さを (二九)体〉との相互の緊張関係は解消するこし」はなかった」のである。

これに対し、近代に至って『歎異抄』を再発見したのが清沢であるが『歎異抄』

を発見したということは、その序にいう「親鷲一人」を発見したと換言できる。

それでは清沢は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鷺一人が

ためなりけり」という阿弥陀如来信仰における主体の問題の提起をどのように受け止めたのであろうか。あるいは、誓願を阿弥陀如来の本性と捉えた親鷺に対し、清沢は何をもって阿弥陀如来の本性と理解したのであろうか。

清沢は、その絶筆である論文「我は此の如く如来を信ず」いわゆる「我信念」

において、次のように述べる。

私の信念とは、ドンナ}」とであるか、如来を信ずることである、私の云ふ所の如来とは、ドンナものであるか、私の信ずる所の本体である、分けて云

へぱ、能信と所信との別があるとでも申しませうか、即ち、私の能信は信念

でありて、私の所信は如来であると申して置きませう、或は、之を信する機(三○)と信せらる出法との区別であると申してもよろしい

「信仰」の語を用いず「信念」という表現を用いることから、清沢に「自力の響き」を感じ取り、「清沢は如来信を説きながら、如来を仰ぎ見るとはいわない」「(三五)とみなす論者がいる。そのような論者は、信念の雪叩がいくばくか自我性を含んでおり、真に念仏者であっただろうかと問い、彼は実は自力主義に立っていたので 阿弥陀如来の誓願を突き詰めて考究した結果、親鷲は方便の背後に存する法の存在に気づき、そこに、決して解消されない阿弥陀如来と自己との緊張関係を発見した。一方、清沢は、宗教が主体としてのあり方に依存するという観点から出発し、ついには自らの知性では把握されえない存在者を認めることで、自力では達し得ない境域の存在を知り、そこに至ることを可能にする阿弥陀如来の威力を受け入れるのである。阿弥陀如来を救済の主体として捉える親鱒と、主観の作用を認めることで阿弥陀如来のもつ主体としての作用を背景へと押しやる清沢。われわれは、ここに、清沢と親鷲の他力に対する理解の共通性と、清沢の他力に対する態度の独自性を認めることができるのである。 知ることから生ずるといえるである。しかも、清沢の信ずる如来は、「来世を待たず、現世に於て既に大いなる幸福を私に与へたまふ」存在であるために「信念の幸福は、私の現世における最大幸福」であって、信念の幸福は「私が毎日毎夜に(一一一一一)実験しつシある所の幸福」となる。そして、実験という点からすれば、「来世の幸(一一一一一一)福のことは、私はマダ実験しないことであるから、此処に陳ることは出来ぬ」のである。さて、親鷲は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鴬一人がためなりけり」というように、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ず」る結果、「親鷲一人」を見出した。逆に、清沢は二人」から出発して、阿弥陀如来の誓願に至る。それは、次のような発言からもうかがうことができる。

四自力と他力を超えて 此意義に於て親鷲聖人の啓示し玉へる他力の教義味は箕言々生命あり、(一一一四)句々事実なり我等に安心を与へ、歓喜を与へ、永遠の生命を与ふるものなり

(8)

(一一ヱハ)はないか、という疑問を投げかけるとともに、「{曰力の無効」が「私の智慧や思案の有り丈を尽して其頭の挙げようのない様になる」ことのみを意味するのであれば、清沢における自力の限界はあまりにも知的にのみ考えられ、罪悪の意味にお(三七)いては考璋えられていないといわざるを得ないとする。清沢の弟子であった多田鼎は、この点を指して、清沢における自力の理解にはある種の限界があることを指摘する。

「我信念」に象徴される清沢の態度をみるかぎり、行安茂や多田鼎が呈した疑義はある種の妥当性をもつようにみえる。あるいは、「来世の幸福のことは、私はマダ実験しないことであるから、此処に陳ることは出来ぬ」として、阿弥陀如来が本来的に保証するはずの往生や来世について述べることをあえて避ける清沢から、現世主義的態度や経験的知識の偏重という姿を描き出すことも可能であろう。しかし、清沢は、「来世」ではない、まさに自らが拠って立つ「現在」の重要性を説いているのである。つまり、清沢は、自己がこの世界の限界内にあることを自覚しつつ、その範囲内での幸福を述べたのであり、その意味で「この世界の限界(三九)内における信仰の充実こそがかれの課題の全て」であるとすることができるのである。

同時に、親鴬の登場以来、常に愚夫愚婦の宗教として知識人から無視され続け

てきた浄土真宗を「近代知識人の宗教にひきあげること」を「出生の本懐」とし(四○)

たという、清沢が担った独特の役割も重要な見逃すことができない。清沢の教団

師の所謂如来は、西洋の近世哲学者の神であり、又天命であって、阿弥陀仏ではない阿弥陀仏の救済は、単に私共の責任を負ひたまふことではなく、又現在に満足と自由とを与へたまふだけでなく、その全真実を、其の御名によって、私共に加へたまふ事である。即ち私をして私たらしめたまふ事ではなく、この私に仏自ら新たに其の生命をさづけ、私をば其の浄土にむかへて私をして菩提を完うせしたまふ事である。……師が来世は実験の外であるからとて、之をロにせぬといはる出処に、師が如何に仏祖よりも自分の実験を重んぜられたか夏分る。されば師は廻向廻施を語りつふ、罪悪の自分に対す〈三人)る本願の大行の廻向廻施を認められなかった。 改革運動や精神主義運動はこのような愚夫愚婦の宗教の近代化の現れであり『宗教哲学骸骨』を頂点とする哲学的思索の営みも、仏教、とりわけ浄土真宗に理性の批判に耐えうるだけの理論的な基礎付けを与えようとする努力という側面を有していたのである。もし清沢の他力に対する態度にもの足りなさを感ずるとすれ(四一)ぱ、それは、清沢が「他力と自力との間を揺れ動」き、「他力の本義をまちが』え」たためではなく、実は批判を加える者たちが清沢の引き受けた歴史的な意味を見落としたために生じた感覚であるというべきだろう。|方、綱島梁川は、「見るも

の、聞くものはすべてこれ三切皆善』として受容される。そこには矛盾もなけ に残っていることをうかがわせるのである。(四二)

れば不調和もない。すべてはリズミカルな音楽に似ているとみられる」という態度を取っていた。このことは、清沢の同時代人である綱島の他力に対する観点や如来信仰の中にも、清沢が改めようとした「愚夫愚婦の宗教」という要素が多分

また、キリスト教信仰から出発し、晩年には法然や親鷲に関心を寄せ、念仏行に傾いた綱島は、いわゆる「見神の実験」によって自らは神の子であるという自(四三)覚を得るとともに他力と自力の融ムロを唱えた。そこには情緒的側面が強く現れてはいるが、知的側面への考察は乏しい。これに対し、清沢は明治三四年(一九○二の論文「心機の発展」において宗教意識の発展を三段階に分けて説明し、第一段階である主観主義、第二段階である客観主義を経て、第三段階である、いわば宗教の極致について、吹のように述べている。

この第三の段階は、主観主義と客観主義の融合ではなく、両者を超越したとこ 利を求むるにつき、名を求むるにつき、交際法につき、倫理につき、宗教について、御話したように、総ていかなる事をやるも、その事に注意して、やって行けば、遂には利にありて利を見ざるに到り、名に処して名を見ざるに到り、交際場裏にありて交際を思はぬに到り、倫理を行ふて善悪を見ざるに到り、宗教に入りて心仏を見ざるに至るのである。どの道から行ったにしろ、この第三番目の境界に達した人は平和なんで、自由の人である。それでこの何れの場合でもかまはいが、この第三の境界に到った人ならば、真の宗(四四)教の妙味を味ふた人と一五ふてよるしい。

(9)

清沢における宗教と社会との関係は、一見すると迷走しているかのようであるし、そのような振幅の大きさの背景には、往相はあるものの還相への観点が不足するかにみえる清沢の態度が存在するとも思われる。しかし、そこには実は清沢独自の信仰のあり方があったのである。信仰を獲得するまでは社会における既存の枠組みや秩序に対する全面的な否定の態度をとりながら、ひとたび信を得ると否定されるべき対象を全て許容する。それは、現世ないし俗世の単なる肯定ではなく、実は俗生活に自らを浸すことのない人間が現世の超越を行うことはできないという、いわば逆説的な論理の現れなのである。現実の生活からの隠遁や孤立をもって自らの非世俗性を誇示するものがしばしば最も偽善的な存在になることが多い。つまり、非世俗性とは世俗的なものを足場としてそれを乗り越えることによって達成されるものであり、超越も超越されるべきものの上に足を置きつつ、超越される世界を規制し統制する別種の世界を精神の力によって創造することなのである。清沢にとって、真の宗教とは社会を全て否定することで満足するのではなく、現実的な生活との絶えざる緊張関係において、つまり、現実という事実の中にこそかかわりを持つべきものなのであった。「宗教は主観的事実なり、心霊的経験な(四五)り」という指摘こそ、清沢における社会とは、宗教と隔絶するものではなく、宗 ろに生まれる、名利を超えた世界を楽しむ境地を意味する。それは、|見すると人間関係のわずらわしさからの解放であるようにもみえよう。しかし、それは、「真の宗教の妙味」に何らかの楽しみや充実といった側面を求めるものの考え方である。猜沢の論法に従えば、「真の宗教の妙味」とは味を得て味を思わぬ有様なのであり、具体的な楽しみや充実といった要素はおのずから問題とはならなくなるのである。救済の主体を自分自身に置く主観主義は自力主義の変種であり、逆に、自己を越えた存在による救済を説く客観主義は他力主義のもうひとつの姿である。このふたつの主義を超え出た、いわば宗教の極致というべき第三の段階の段階こそが、絶対自力と絶対他力とを経た後に至る境域なのである。

おわりに

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(一一)

(一一一)

(四)

(五)

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(七)

(八)

〈九)

二○)

(一一)(一一一)

(一一一一) 教がそこに立脚しつつ、乗り越えるべきものだということを示すのである。凡例

本研究における清沢満之の著作からの引用は、すべて大谷大学編『清沢満之全集』全九巻(岩波書店、一一○○二、一一○○三年)による。また、たとえば「清沢満之全集』第一巻二五ページの「宗教哲学骸骨」から引用した場合は「「宗教哲学骸骨」『全集』第一巻、二五頁」というように、「「論文名」『全集』巻数、頁数」の形式で引用箇所を示すものとする。本研究では、文献からの引用に際し、旧漢字をすべて新漢字に改め、圏点、傍点、傍線、振り仮名はすべて省略した。本研究では、文献の欠落を〔〕で、省略部分あるいは補足部分を[]で示した。

「精神主義」『全集』第六巻、四頁。「心霊の諸徳」『全集』第七巻、二九六、二九七頁。「糊神主義〔明治三十四年講話〕」『全集』第六巻、二九七頁。「宗教的信念の必須条件」、同、七七頁。

「糖神主義と三世一、同、九二頁。「精神主義〔明治三十五年講話〕」、同、一六七頁。

同。同、’六七、一六八頁。「宗教哲学骸骨」『全集』第一巻、九頁。

同、二頁。

「他力門哲学試稿」『全集』第二巻、四六頁。

同。周知の通り、ウェーバーは『世界宗教の経済倫理』の「中間考察」において、救済財の希求が、素朴なものから、合理的なもの、自覚的なもの、知識によっ

(10)

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て昇華されたものへと、変化すると、諸領域の緊張関係が生まれることを明らかにしている。只乏:⑥詞三・・□一⑪ミヨ⑫。冨評⑪量丙旦⑰『一斎一耳⑥一一m一・口①P】員。§ミミ⑮焉曽房赴両図ミ評侍ご冒目・冨討》田」」βP路・田⑦‐巴]・アリストテレスの愛ないし友愛に関する議論については、『一ヨマコス倫理学』第八、九巻(]こい平】]己⑭)を参照せよ。近年の研究において、前者の立場を代表するのが末木文美士であり、後者の態度による主要な論者は今村仁司である。末木は「絶対無限者に到達するや、もはや他者の不透明性は消えうせ、他者の他者性がなくなってしまう」とし、清沢の他者論を不徹底なものとする。同時に、末木は他者論の不徹底は消沢だけの問題ではなく、「近代日本の仏教系の思想には、まさしくこの弱点が共通する」と指摘し、そのような他者論の不徹底がもたらす弊害を挙げている。参照、末木文美士「近代日本の仏教と国家」(日本宗教学会編『宗教研究』第七九巻第二号、二○○五年)三二八~三三一頁。これに対し、今村は「自己配慮すなわち自利は、それだけでは充足・完結しないで、他者配慮をその成就のための絶対条件として要求する。あるいは、他者配慮のなかでのみ、自利としての自己配慰が実現する」と指摘する。そして、「清沢の議論は、人類の思想の歴史の文脈のなかに置いてはじめて、その深い意味を取り出すことができる」とし、「二十世紀の西欧思想を参照するとき、十九世紀の清沢満之の仕事がどれほど画期的で先駆的であったかがわかることであろう」とする。参照、今村仁司、『清沢満之と哲学』(岩波書店、二○○四年)’六七~’八二頁。今村の研究の特徴が宗教哲学上の課題を受け継ぎつつ、さらに歩を進めることで、清沢が達し得なかった境域を射程に収める点にあるというのは、すでにわれわれの見たとおりである。二十一世紀の目をもって十九世紀の思想を読み替えるのであれば、二十世紀の哲学に比べ「画期的で先駆的であった」という点を指摘することはそれほど難しくなく、大仰な驚きを示す必要はない。むしろ、問題なのは、そのような内的な豊かさをもった、「画期的で先駆的であった」構沢の思想が二十世紀の人々から忘れ去られていた、ということだろう。「在床織悔録」「全集』第二巻、六、七頁。

同、一○頁。

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(三九)(四○) 宮川透『日本精神史の課題』(紀伊国屋書店、’九七四年)一五○頁。「精神主義講話〔明治三十五年〕」、『全集』第六巻、一七○頁。親鴬における「居直り」の意味については、長尾龍一が簡潔ながら示唆に富む指摘をなしている。参照、長尾龍一二居直り」について」『純粋雑学』(信山社出版、一九九八年)七○頁。「歎異抄」(真宗聖典編纂委員会編、『真宗聖典』東本願寺出版部一九七八年)六四○頁。同、六三一頁。二念多念文意」、同、五四三頁「教行信証」化身士巻、「真宗聖典』三五六頁。「仏説無量寿経」巻上『真宗聖典』’八頁。「仏説無壁寿経」巻下『真宗聖典』四四頁。角田玲子「信仰における〈主体〉の問題」『実存思想論集』第二期第九号、実存思想協会、二○○二年、’九八、一九九頁。「愚禿悲嘆述懐」『真宗聖典」五○八頁。角田、前掲論文、’九九頁。「我は此の如く如来を信ず一『全集」第六巻、三三○頁。同、一一一一一一一、三三二頁。同、一一一一一一三頁。同右。「親鷲聖人の御誕生会に」『全集』第六巻、一○四頁。行安茂「綱島梁川と清沢満之」(加藤尚武編『他者を負わされた自我知』晃洋書一房、二○○一一一年)、六二頁。行安、前掲書、六二、六三頁。行安、前掲書、六五頁。多田鼎「清沢満之師の生涯及び地位」(武田清子、吉田久一編「明治文学全集』第四六巻、筑摩書房、一九七七年)四○九頁。角田、前掲論文、二○四頁。橋本峰雄「精神と霊性」(橋本峰雄編「清沢満之・鈴木大拙』中央公論社、一九七一年)’三頁。

(11)

(四四)

〈四五) -- ̄、

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綱島梁川「子が見神の実験」(梁川会編『綱島梁川集』第五巻岡大空社、 同、六四頁。 行安、前掲論文、七三、七四頁。

五年)「親鴬聖人の御誕生会に」『全集』第六巻 「心機の発展」『全集』第六巻、六六頁。 ○八~九頁。

○四頁。 九九

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