Memoirs of the Faculty of Science Kochi University (Information Science) Vol. 26 (2005), No. 6
量子エンタングルメントによる量子情報処理
鄭 琳琳 松枝 秀明
高知大学理学研究科数理情報科学専攻
概要
量子コンピュータにおける計算
(量子コンピューティング
)の高速性のために、エンタングルメント状 態は重要な役割を演じている。また、エンタングルメント状態は量子通信
(量子テレポーテーションや 量子暗号など
)を行うために必要不可欠な物理的なリソースである。現在までに、
2量子ビットのエンタ ングルメント状態は深く研究され、明確に理解されている。しかし、量子ビットの数が増えると量子状 態は複雑になって、エンタングルメントの判定が困難になる。本研究においては、 「
k−subsystem total semi-separability (T SS)」と「
k−subsystem partial semi-separability (P SS)」と呼ばれる二つの判定基 準を使って、多粒子系エンタングルメント状態の判定と分類を行った。
1
はじめに
1.1
量子コンピュータの原理と意義
量子ビットは、量子コンピュータにおける情報の 基本単位であり、
|0i、
|1iという
2つの状態以外に、
|0i
と
|1iを重ね合せた状態も保持することができ る。量子コンピュータが従来のコンピュータより 桁違いに高速な計算ができる理由の
1つが、この重 ね合わせ状態を利用することである。一般に、
n個 量子ビットの重ね合わせ状態を用いると、
|00| {z }…
00n
i
から
|11| {z }…
11n
i
まで、全部で
2n個の状態を一度に表 現することができる。古典コンピュータが
2n回の 計算で実行することを、量子コンピュータは、たっ たの
1回で実行することができる。つまり、量子 コンピュータは、重ね合わせ状態を利用して、超並 列計算を行うことができる超高速コンピュータで ある。
この超並列計算ができる量子コンピュータは、従 来のコンピュータが、現実的な時間で解くことがで きない因数分解を、数分で解いてしまう。このこと
は、
1994年にショアが発見した量子アルゴリズム によって証明された。現在、インターネットが情報 通信に使っている公開鍵暗号は、大きな数の因数分 解を利用している。従来のコンピュータでは、大き な数の因数分解は事実上計算不可能といわれ、この 事実が公開鍵暗号の安全性を保証している。しか し、ショアのアルゴリズムを量子コンピュータ上で 動かすと、数分間で因数分解を実行することができ る。これは、現在のセキュリティに対してとても大 きなインパクトを与えた。
1.2
エンタングルメントを判定する意義
量子レジスタの状態は各々の量子ビットが分け られるかどうかで、分離可能な状態か分離不可能 な状態かに分類できる。分離不可能な絡み合い状 態はエンタングルメント状態と呼ばれる。現在ま でに、
2量子ビットのエンタングルメント状態は 明確に理解されている。しかし、量子ビットの数 が増えると量子状態は複雑になって、エンタング ルメントの判定が困難になる。本研究においては、
「
k−subsystem total semi-separability (T SS)」と
「
k−subsystem partial semi-separability (P SS)」
と呼ばれる二つの判定基準
[5]を使って、多粒子系 エンタングルメント状態の判定と分類を行った。
2
エンタングルメントの相関理論
2.1
量子ビットと重ね合せ状態
2.1.1
古典ビットと量子ビット
従来のコンピュータは、すべての情報を「
0」か
「
1」で表現している。この情報を担うのがビット
(古典ビット
)と呼ばれるもので、物理的にはトラ ンジスタのオン・オフ、メモリセル中の電荷の有 無、ハードディスク中の磁性体の磁化方向などの状 態を用いて表されている。ビットはある瞬間に「
0」 また「
1」のどちらかの状態を取ることである。
量子コンピュータではビットの代わりに量子ビッ ト
(qubit)というものを用いる。量子ビットは、上 向きスピンと下向きスピンの
2量子状態を持つ量 子系で表すことができる。しかし、量子系は上向き スピンと下向きスピンの重ね合わせ状態も表現で きる。その重ね合わせ状態は、
1つの量子ビットの 場合で説明すると、ある瞬間に同時に上向きスピン と下向きスピンを持ち合わせているような状態で ある。光子の分極の方向や励起原子の離散的エネ ルギー準位など、任意の
2状態量子系は量子ビット を表すことができる。
数学的に、量子系の状態はヒルベルト空間上の
1つの列ベクトル
(状態ベクトル
)で記述できる。状 態ベクトルは通常
|ψi(ケット・ベクトル
)と呼ばれ る特殊な括弧表示を用いて書かれる。このケット という言葉はディラック
(Paul Dirac)によって考 案された。列ベクトルと複素共役なベクトルはブ ラ・ベクトルと呼ばれ、
h |と表記する行ベクトル である。数式で列ベクトルと行ベクトルの関係を 表すと
hψ|= (|ψi)†になる。行ベクトルと列ベク トルの積は、
Diracが
hψ|ψiと書いた
[3]。その表 記を使って、量子ビットの状態は
|0i、
|1iと表すこ とができる。重ね合わせ状態は、
|ψi=α|0i+β|1iになる。
α, βは複素数であり、確率振幅である。た だし、
|α|2+|β|2= 1。
|α|2は
|0i状態の存在確率 で、
|β|2は
|1i状態の存在確率である。
2.1.2
重ね合せの原理および重ね合せの意義
一度に
1つの許される状態にしか存在しないの ではなく、同時にすべての許される状態が混ぜ合わ されて存在するという量子系の性質は、重ね合わせ の原理として知られている
[3]。古典論的にはこの ようなことは不可能である。この重ね合わせ状態 にある量子ビットを
n個集めると、
|ψi=
2Xn−1
i=0
ωi|φii (1)
になる。重み係数
ωiは複素数であり、確率振幅と 呼ばれる。
2Xn−1
i=0
|ωi|2= 1
で、
|ωi|2は基底状態
|φiiの存在確率である。
量子コンピュータでは、このような重ね合わせ状 態を入力として用いることにより、同時に表現され た
2n個の値に対して一度に並列して処理を進める ことができる。図
2.1に表しているように、従来の コンピュータがデータ入力を
2nステップで行うの に対し、量子コンピュータは、それを
1ステップで 実行することができる。
P㊂ሶࡆ࠶࠻
UVGR
UVGR UVGR
PUVGR PUVGR
㊂ሶࠦࡦࡇࡘ࠲ߩജ=? ᓥ᧪ߩࠦࡦࡇࡘ࠲ߩജ
㊂ሶࡆ࠶࠻ߩ㊀ߨวࠊߖ⁁ᘒ
図
2.1データの入力
2.2
波動関数
ミクロな粒子の
3次元空間での運動を表す波 動関数
(wave function) ψは、座標ベクトル
r = (x, y, z)と時間
tの関数として
ψ(r, t)と表される。
波動関数
ψは確率振幅と呼ばれる場合もあり、そ の絶対値の
2乗
|ψ(r, t)|2=ψ∗(r, t)ψ(r, t) (2)
は、全空間で積分が
1に規格化されているとき、あ る時間
t、ある位置
rにおける粒子の確率密度を与 える。また、波動関数
ψは、
|ψiという記号でも表 される。波動関数は規格化条件
hψ|ψi= 1 (3)
を満たす。
2.2.1
時間に依存する波動関数
波動関数
ψの時間変化を決定する運動方程式は、
シュレディンガー方程式
(Schr¨odinger equation)と呼ばれ、以下の式で与えられる
[1]。
i~∂
∂tψ(r, t) = ˆHψ(r, t) (4)
ここで、
Hˆはハミルトニアンと呼ばれ、運動エネル ギーとポテンシャルエネルギーの和で表現される。
ハミルトニアンが時間に依存しない場合は、
dψ(t)
dt = lim
∆t→0
ψ(t+ ∆t)−ψ(t)
∆t (5)
に注目すると、
(4)から微小な時間
∆tに対して、
波動関数の時間変化は
ψ(t+ ∆t) =Ã
1− iH∆tˆ
~
!
ψ(t) (6)
と表すことができる。ここで、波動関数の時間発展 を表すオペレータ
U(∆t)を
U(∆t)ψ(t) =ψ(t+ ∆t) (7)
と定義すると、
U(∆t) = Ã
1−iH∆tˆ
~
!
(8)
と求まり、ハミルトニアン
Hˆはエルミート演算子 で
Hˆ† = ˆHであるから
U(∆t)は
∆tの一次のオー ダーで
U(∆t)U†(∆t) = Ã
1−iH∆tˆ
~
! Ã
1 +iH∆tˆ
~
!
∼= 1 (9)
となり、ユニタリ演算子である。時間変化を
t+∆t→t0
と書き換えて
U(∆t) = u(t0, t) (10)
と表す。ここで
t0−t = ∆tは微少な時間変化で ある。時間発展の演算子により、波動関数
ψを
t0 → t= t0+ ∆t→ t0 = t+ ∆tと時間発展させ ると
ψ(t0) = U(t0, t)ψ(t) = U(t0, t)U(t, t0)ψ(t0)
= U(t0, t0)ψ(t0) (11)
から
U(t0, t0) = U(t0, t)U(t, t0) (12)
と、
U(t0, t0)は微少な時間発展の演算子の積として 表される。さらに、
U(t0, t0) = Ã
1−iHˆ
~ ∆t
!
U(t, t0) (13)
から
U(t0, t0)−U(t, t0)
∆t =−iHˆ
~ U(t, t0) (14)
となり、
∆t→0の極限で
1 U(t, t0)
dU(t, t0)
dt =−iHˆ
~ (15)
と表される。この両辺を積分すると
U(t, t0) = e−~iH(t−tˆ 0) (16)
が求められる。ここで
U(t0, t0) = 1の規格化条件 を用いた。
t1から
t2への有限な時間変化もこのユ ニタリ演算子
(16)を用いて
ψ(r, t2) = U(t2, t1)ψ(r, t1) (17)
と表すことができる。
2.2.2
時間に依存しない波動関数
ハミルトニアン
Hˆが時間に依存しないとき、
ψを時間に依存しない部分
φ(r)と時間に依存する部 分
f(t)の積
ψ(r, t) =φ(r)f(t) (18)
と表すと、シュレディンガー方程式
(4)から
i~φ(r)∂f(t)
∂t = ˆHφ(r)f(t) (19)
となる。
(19)を
ψ(r, t)で割ると
i~ 1 f(t)
∂f(t)
∂t = 1
φ(r)Hφ(r)ˆ ≡E (20)
となり、時間に依存する部分と位置に依存する部分 が分離できて、あらゆる時間と位置で両者が一致す るのは
(20)式が定数であるときのみである。この 定数を
Eとおくと、
f(t)は積分できて
f(t) =e−iE~t (21)
と求めることができる。一方、位置に依存する
φ(r)に対しては
Hφ(r) =ˆ Eφ(r) (22)
となり、
Eはハミルトニアン
Hˆの固有値であり、
φ(r)
は固有状態を表していることがわかる。シュ レディンガー方程式
(4)の解は、ハミルトニアンが 時間に依存しないとき、
ψ(r, t) =φ(r)e−iEt~ (23)
波動関数は空間部分と時間部分に分離できる。
(23)から見ると、系は時間
t変数より位相因子
e−iEt~し か違わない、全く同じ状態である。つまり、系が
1つのエネルギー固有状態にあれば、系が閉じている 限りは、同じ状態にとどまり続ける。即ち、エネル ギー固有状態は、定常状態
(steady state)である。
図
2.2で示しているように、波動関数が有限な領 域に局在するとき、時間に依存する場合、波動関数 は時間
t、位置
rにおける粒子の確率振幅を表して いる。波動関数が時間に依存しない場合、例えば、
時間変数
tがある時間
t0であるとき、波動関数は 各々の基底状態の確率振幅を表している。
ȀTV
V V
V࿕ቯ
^ ^ ^ ȀTV
T
⏕₸ ⏕₸
C D
図
2.2波動関数の表現
(a)時間に依存する場合
(b)時間に依存しない場合
2.3
エンタングルメントの定義
エンタングルメントの発見は、
1935年にアイン シュタインらにより問題提起された「
EPRパラドッ クス」である。エンタングルメント
(entanglement)状態は複数の量子ビット間に形成される量子力学 特有の絡み合い状態である。この状態は「非局所 性」と「分離不可能」な性質を持っている。 「非局 所性」は個々の量子ビットが相互作用し、量子ビッ トが空間的に離れても量子力学的な一体性を保つ、
このような性質を非局所性と言う。 「分離不可能」
とは、ビット間に量子力学特有の相関関係
(量子相 関
)が存在することであり、個々の量子ビットの状 態の積で表現できない性質である。
2.3.1
古典相関と量子相関の関係
先述したように、エンタングルしている量子ビッ ト間に量子相関が存在し、これは一般の相関関係
(古典相関
)と区別される。古典相関は、
2つ以上の 要素間に存在する関係である。例えば夫婦が一人 ずつ東京と大阪に旅行したとすると、大阪に行った 人が女性と分かったとき、東京に行ったのは男性と 瞬時に分かる。この相関は、人がどちらに行くかを 決めた時点で、すでに決まっていた。これは初めか ら決まっていたことを今知ったというだけのこと であり、大阪の人が何かを制御してその影響を同時 に東京に伝えることはできない。
量子相関
(quantum correlation)は個々の量子 ビット間に存在する量子力学的な相関関係である。
例えば、粒子
Aと
Bのスピンの向き
(上
:|0i,下
:|1i)を測るという実験を行うとする。まず、エンタング ルメント状態を用意する。このとき、エンタングル している粒子間には量子相関が存在し、
Aが上向き なら
Bは必ず上向き、
Aが下向きなら
Bは必ず下 向きになる。これを数式で表すと
|0A0Bi,
|1A1Biになる。従って、粒子
Aと
Bのエンタングルメン ト状態は
|ψi = √12(|0A0Bi+|1A1Bi)
になる。エ ンタングルメント状態は観測される前は、
|0A0Biあるいは
|1A1Biに定まっていない状態で、
|0A0Biと
|1A1Biという重ね合わせになってる。観測した とき、
Aが
|0Ai状態なら、その情報を同時に
Bへ 伝え、
Bは同時に
|0Bi状態に決まる。あるいは、
A
が
|1Ai状態と分かった瞬間に、
Bは同時に
|1Bi状態と決まる。量子相関とは、観測されたとき決定 される状態の間に存在する相関関係である。
2.3.2
エンタングルメントと量子相関の関係
複数の量子ビット間に量子相関が存在し、かつ分
離できない重ね合わせ状態はエンタングルメント
状態である。エンタングルメントは量子相関と同
じと思われているが、両者には異なる点がある。エ
ンタングルメント状態には必ず量子相関が存在す
るが、量子相関が存在してもエンタングルメントと 言えない状態がある。例えば、量子ビット
Aと
Bの関係が
|ψi = √12(|0A0Bi+|1A1Bi)
とき、この 状態はテンソル積で分離できない。つまりエンタ ングルメント状態であり、量子相関が存在する。こ のエンタングルメント状態を観測する。
^Ȁ㧪
л
ⷰ
᷹
^Ȁ ^#$ ^#$
^#$
^#$
14
図
2.3エンタングルメントと量子相関の関係 図
2.3のように、この状態を観測した後、
|0A0Biあるいは
|1A1Biの状態になる。
|0A0Biあるいは
|1A1Bi
状態には量子相関が存在するが、もはやエ ンタングルメント状態ではない。
2.3.3
エンタングルメントと重ね合わせの関係
エンタングルメントと重ね合わせは量子系に特 有の状態であるが、類似点と相違点がある。ここ では具体的に、量子ビット
Aと量子ビット
Bを含 む
2粒子の状態を使って、エンタングルメントと 重ね合わせの関係を説明する。仮に今、
α|0A0Bi+ β|0A1Biという状態がある。これは
|0A0Biとい う状態と
|0A1Biという状態の重ね合わせ状態を 表している。しかしよく見るとこの重ね合わせ状 態では、量子ビット
Aは常に
|0Ai状態であり、
α|0A0Bi+β|0A1Bi =|0Ai(α|0Bi+β|1Bi)
と書 き直すことができる。 (ちなみに、このとき量子 ビット
Bは
α|0Bi+|1Biという重ね合わせ状態を とっていることになる)。つまり、
2つの量子ビッ トの状態を分離できる。したがって、この状態はエ ンタングルメント状態ではない。
それでは、
α|0A0Bi+β|1A1Biという状態は重 ね合わせ状態であることに変わりはないが、今回は 上のように個々の量子ビットの状態に分離するこ とはできない。したがって、これはエンタングルメ ント状態である。
つまり、エンタングルメント状態は必ず重ね合わ せ状態である。しかしながら、重ね合わせ状態であ るからといって、必ずしもエンタングルメント状態
であるとは限らない。エンタングルメント状態と いうのは、量子ビット間に量子相関がはたらいたと き、初めて実現される状態である。
2.3.4
重ね合せと量子相関とエンタングルメント
の関係
図
2.4示しているように、エンタングルメント状 態は重ね合わせ状態で、量子相関も存在する。量子 相関が存在することはエンタングルメントである ための必要条件になる。重ね合わせはエンタング ルメントであるための必要条件である。
㊂ሶ
⋧㑐
ࠛࡦ࠲ࡦࠣ࡞
ࡔࡦ࠻
㊀ߨ วߖ
図
2.4重ね合せと量子相関とエンタングルメン トの関係
量子ビット
Aと
Bを含む
2粒子系において、
√1
3(|0A1Bi+|1A0Bi+|1A1Bi)
のような状態は、
個々の基底状態の重ね合わせになっている。これ は量子ビット間に相関関係が存在し、かつ各々の量 子ビットの状態に分離できない、エンタングルメン ト状態である。この
2粒子系において、量子相関が 存在する
|1A1Biのような状態は積状態である。こ の積状態は重ね合わせでもエンタングルメントで もない。
1粒子系における量子ビット
Aの重ね合 わせ状態は
|ψAi= √12(|0Ai+|1Ai)
のような状態 である。この重ね合わせ状態はエンタングルメン ト状態ではなく、量子相関関係が存在しない状態で ある。エンタングルメントは複素粒子系における 量子力学的な絡み合いであり、量子相関は複素粒子 状態間に存在する量子力学的な相関関係のことで ある。
2.4
量子回路
2.4.1
電気回路と量子回路
一般に電気回路は、多数の論理ゲートから構成さ
れている。通常のコンピュータを実現するのに用
いられている論理ゲートには、
AND, NOT, OR, NORなどがある。それぞれの論理ゲートは非常に
単純なものだが、例えば
ANDと
NOT、または
ORと
NOTの二種類のゲートを用いれば、チュー リング機械のどんな動作も模倣する回路を構成す ることができる。実際、従来のコンピュータはこの ような回路から構成されている。一方、量子コン ピュータとは、時間に依存したシュレディンガー方 程式に従う量子系をコンピュータとして使うもの である。入力された量子状態が時間経過して出力 側の量子状態になる。シュレディンガー方程式が 時間反転可能であるため、量子状態を扱う量子回路 は可逆回路でなければならない。つまり、量子回路 は可逆ゲートで構成される。可逆ゲートでは、出力 から入力が再現できるために、出力端子の数は入力 端子の数と同じでなければならないことは明らか である。また、量子コンピュータの特徴は、論理値
0と論理値
1の重ね合わせがありうるということで ある
[1]。
古典的な論理回路では、
AND等の素子には入力 側の配線から入ってきた値が素子の中で処理され、
出力側に出ていく。これに対して、量子回路では 必ずしも入力側と出力側の位置の区別がない。す なわち、ある入力状態にあるスピンが、磁場等に よる相互作用により、一定時間の後に出力状態に 変わる、という仕組みになっている場合がある
(図
2.6)[1]。
⋧↪
ജ⁁ᘒ ജ⁁ᘒ
ᤨ㑆
図
2.5量子ゲートの仕組み
量子論理ゲートにもさまざまなタイプが存在し、世 界中で量子回路のシミュレーションの研究が行なわ れているが、特にユニタリ変換ゲートと制御
NOTゲートが有名である。原理的には、この二種類の量 子論理ゲートで量子チューリング機械のすべての 動作を模倣することができると考えられている。
2.4.2
ユニタリ変換ゲートと制御ユニタリ変換
ゲート
量子状態間の遷移行列はユニタリ行列で表すこと ができる。量子コンピュータにおける
n量子ビッ
トの各状態の複素振幅の遷移行列は
2n×2nのユニ タリ行列で表現することができる。
1量子ビットの ユニタリゲートと
2量子ビットの制御
NOTゲート の組み合わせは任意のユニタリ変換を実現するこ とができる。
1量子ビットの基底状態は行列で表す と、
|0i=Ã1 0
!
、
|1i= Ã01
!
、となる。また、これ
らの重ね合わせ状態は
|ψi=α|0i+β|1i= Ãαβ
!
で ある。ただし、
αと
βは複素数で、
|α|2+|β|2= 1である。
■ ユニタリ変換ゲート
ユニタリ行列
U ≡µh0|U|0i h0|U|1i h1|U|0i h1|U|1i
¶
(24)
を使えば、出力側の状態ベクトル
=U×入力側の 状態ベクトルと書ける。図
2.6にはユニタリ変換 ゲートの回路記号を表している
[1]。
7
^# ^#
図
2.6ユニタリ変換ゲート
■ 恒等変換
(単位行列
)|0i → |0i
、
|1i → |1iで単位行列:
I =
µ1 0 0 1
¶
(25)
で表される。
■
NOTゲート
|0i
と
|1iが入れ替わるので、
µ0 1 1 0
¶
(26)
行列で表すことができる。
µ0 1 1 0
¶
|0i= µ0 1
1 0
¶ µ1 0
¶
= µ0
1
¶
=|1i µ0 1
1 0
¶
|1i= µ0 1
1 0
¶ µ0 1
¶
= µ1
0
¶
=|0i (27)
図
2.7量子
NOTゲートの回路記号 図
2.7の入力側から量子ビット
Aの状態
|0Aiを 入力すると、出力側に
|1Aiを得ることができる。
|1Ai
状態を入力したら、
|0i状態を出力する。量子
NOTゲートの真理値表
(表
1)は以下である。
|Ai |Ai0
0 1
1 0
表
1量子
NOTゲートの真理値表
■ アダマール・ゲート
(Hadamard Gate)下の行列
(28)は、アダマール・ゲートを表して いる。
H≡ 1
√2
µ1 1 1 −1
¶
(28)
このゲートは重ね合わせ状態を作るときに利用さ れ、
2度作用すると恒等変換になる行列である。
H|0iˆ = 1
√2
µ1 1 1 −1
¶ µ1 0
¶
= 1
√2(|0i+|1i) H|1iˆ = 1
√2
µ1 1 1 −1
¶ µ0 1
¶
= 1
√2(|0i − |1i) (29)
下の図
2.8はアダマール・ゲートの回路記号である。
*
ǩ^ Ǫ^ ^ ^
ǩ л 㧗Ǫ^ л^
図
2.8アダマール・ゲートの回路記号
■ 制御ユニタリ変換ゲート
(Controlled Unitary Gate)2
量子ビットゲートで、
1量子ビットユニタリ変 換を伴う制御ユニタリ変換ゲートは次のように定 義される。
|Ai=|0i → |Ai0=|Ai=|0i , |Bi0 =|Bi
|Ai=|1i → |Ai0=|Ai=|1i , |Bi0=U|Bi
行列で表すと以下のようになる。
1 0 0 0
0 1 0 0
0 0 h0|U|0i h0|U|1i 0 0 h1|U|0i h1|U|1i
(30)
下の図
2.9は制御ユニタリ変換ゲートの回路記号を 表している。
^#
^$
^#
7 ^$
図
2.9制御ユニタリ変換ゲートの回路記号 特に、
Uが
NOTゲートのとき、制御
NOTゲート と呼ばれる。
■ 制御
NOTゲート
(Controlled Not Gate)^#
^$
^#
^$
図
2.10制御
NOTゲート
制御
NOTゲート
(CNOT)とは
2入力
2出力の ゲートである。回路図
2.11において、上のビット
|Ai
が制御ビット、下のビット
|Biが標的ビットと 呼ばれる。制御ビット
Aの状態はそのまま出力し、
|Ai0 =|Ai
である。出力側の
|Bi0について、制御 ビット
Aが
|0iのとき、標的ビットにそのまま出力 し、制御ビット
Aが
|1iのとき、標的ビットを反転 させる。数式で表すと、
|Bi0 =|Ai ⊕ |Biとなる。
CNOT
ゲートはエンタングルメント状態を作るた めに必要なゲートである。
CNOTゲートは行列で 表現すると以下の行列になる。
1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0
(31)
2
量子ビットにおける任意の量子状態を、この回路
に入力した場合の出力状態を以下の真理値表
(表
2)に示している。
|Ai |Bi |Ai0 |Bi0
|0i |0i |0i |0i
|0i |1i |0i |1i
|1i |0i |1i |1i
|1i |1i |1i |0i
表
2制御
NOTゲートの真理値表
2.4.3
エンタングルメントの生成回路
●
2量子ビット・エンタングルメント生成回路 アダマール・ゲートは
1量子ビットの重ね合わせ 状態を生成することができる。制御
NOTゲートに ついて、制御ビットが
|1i状態のとき、標的ビット の状態を反転させる。この
2つのゲートの組み合 わせることで、エンタングルメント生成回路を構成 することができる。
*
^#
^$
^#
^$
図2.11 2量子ビットのエンタングルメント生成回路
図
2.11で表しているように、まず、制御ビット
|Aiにアダマール・ゲートが作用することで、重ね合せ 状態が生成される。そして、制御が量子状態の重ね 合わせで行われるため、制御ビットと標的ビットが 互いに絡みあった状態になる。この生成回路を行 列で表すと、
√1 2
1 0 1 0
0 1 0 1
0 1 0 −1 1 0 −1 0
(32)
となる。制御ビット
Aと標的ビット
Bのすべての 入力状態に対して、出力状態は以下の真理値表
(表
3)で示している。
|Ai |Bi |ABi0
|0i |0i √1
2(|0A0Bi+|1A1Bi)
|0i |1i √1
2(|0A1Bi+|1A0Bi)
|1i |0i √12(|0A0Bi − |1A1Bi)
|1i |1i √12(|0A1Bi − |1A0Bi)
表
3真理値表
●
3量子ビット・エンタングルメント生成回路 アダマール・ゲートと制御
NOTゲートの組み合 わせ回路は
3量子ビットのエンタングルメント状 態を作ることも可能である。図
2.12は
3量子ビッ トのエンタングルメント生成回路である。
*
^#
^$
^#
^$
^% ^%
図2.12 3量子ビットのエンタングルメント生成回路
この生成回路は行列で表すと、
√1 2
1 0 0 0 1 0 0 0
0 1 0 0 0 1 0 0
0 0 0 1 0 0 0 1
0 0 1 0 0 0 1 0
0 0 1 0 0 0 −1 0
0 0 0 1 0 0 0 −1
0 1 0 0 0 −1 0 0
1 0 0 0 −1 0 0 0
(33)
となる。入力側に
|Ai, |Bi, |Ciのすべての状態
|0A0B0Ci. . .|1A1B1Ci
を入力したときの出力状態 を、以下の真理値表
(表
4)に示す。
|Ai |Bi |Ci |ABCi0
|0i |0i |0i √12(|0A0B0Ci+|1A1B1Ci)
|0i |0i |1i √1
2(|0A0B1Ci+|1A1B0Ci)
|0i |1i |0i √1
2(|0A1B1Ci+|1A0B0Ci)
|0i |1i |1i √1
2(|0A1B0Ci+|1A0B1Ci)
|1i |0i |0i √12(|0A0B0Ci − |1A1B1Ci)
|1i |0i |1i √1
2(|0A0B1Ci − |1A1B0Ci)
|1i |1i |0i √1
2(|0A1B1Ci − |1A0B0Ci)
|1i |1i |1i √1
2(|0A1B0Ci − |1A0B1Ci)
表
4.3
量子ビットのエンタングルメント生成回
路の真理値表
一般に、アダマール・ゲートと
(n−1)個の制御
NOTゲートを組み合わせることで、
n量子ビット
のエンタングルメント状態を生成することができ
る
(図
2.14)。
^ *
^
^
^
^ ^
^P
^P
^P
^P
図2.14n量子ビットのエンタングルメント生成回路
3
純粋状態と混合状態
3.1
純粋状態と混合状態の定義
量子状態には「純粋状態」と「混合状態」が存在す る。どんな物理量を測っても他の二つ以上の状態 に関する測定値を混合したような確率分布が得ら れる状態が混合状態
(mixed state)であり、そうで はない状態が純粋状態
(pure state)である。数式 を用いて定義を繰り返しておく。一般に、用意され た状態
|ψiについて、どんな物理量
Aを測っても、
その測定値の確率分布
Pψ(a)が、別の
n (n >2)個の状態
|ψ0i、
|ψ1i、
. . .、
|ψn−1iにおける測定値 の確率分布
Pψ0(a), Pψ1(a), . . . , Pψn−1(a)の「重み をつけた平均値」に等しいとき、すなわち
Pψ(a) =
n−1X
j=0
λjPψj(a)
for all a (0≤λj ≤1,
n−1X
j=0
λj = 1) (34)
を満たす
n個の異なる状態
|ψ0i、
|ψ1i、
. . .、
|ψn−1iと定数
λj (0≤j ≤n−1)が存在するとき、混合 状態
(mixed state)という
[2]。他方、純粋状態は、
混合状態の理想極限
(λ → 1)とも見なせる。純粋 状態と混合状態の関係は下の図
3.1に示している。
^Ȁ
dz
^Ȁ
dz
^ȀP
dzP
図
3.1純粋状態と混合状態の関係
3.2
密度演算子と密度行列
—純粋状態と混合状 態の行列表現
3.2.1
密度演算子
量子力学で、混合状態や純粋状態を扱うとき、密 度演算子
ρˆを用いる場合がある。純粋状態の密度 演算子
ρˆ1は、波動関数
|ψiを使って表すことがで きる。
ˆ
ρ1=|ψihψ| (35)
混合状態の場合、
|ψji (j ≥2)を完全系とし、
ˆ
ρ2=X
j
λj|ψjihψj| (36) ˆ
ρ2
はその状態の密度演算子である。ただし、
λjが 状態
|ψjiの統計的確率であり、 その総和は
X
j
λj = 1
である。
3.2.2
密度行列
密度演算子のハイゼンベルク行列力学的な表現 は密度行列と言う、記号は
ρである。用意された状 態の基底を具体的に決めると密度行列が書け、異な る基底を決めれば異なる密度行列が書ける。
以下は粒子
A, Bを含む
2粒子系の純粋状態に対 して、異なる基底から得た異なる密度行列の例で ある。
基底
1:
|0A0Bi=
1 0 0 0
|0A1Bi=
0 1 0 0
|1A0Bi=
0 0 1 0
|1A1Bi=
0 0 0 1
(37)
基底
2:
|0A0Bi0= 1
√2 0 BB
@ 1 0 1 0
1 CC
A |0A1Bi0= 1
√2 0 BB
@ 0 1 0 1
1 CC A
|1A0Bi0= 1
√2 0 BB
@
−1 0 1 0
1 CC
A |1A1Bi0= 1
√2 0 BB
@ 0
−1 0 1
1 CC A (38)