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匿名は倫理的配慮か
Is anonymity an ethical consideration in research?
前田 樹海
1Jukai MAEDA 1
キーワード:倫理的配慮、看護研究、匿名、プライバシー権
Key words
:ethical consideration, research in nursing, anonymity, right to privacy
1 東京有明医療大学看護学部 Faculty of Nursing, Tokyo Ariake University of Medical and Health Sciences
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日本看護倫理学会誌oa[) ^a$ '"$$
1 .看護研究における匿名
人を対象とする看護分野の研究において、研究対 象者の個人情報の保護に関する「倫理的配慮」が研 究論文の中に記述されることは最近ではごく一般的 となった。研究論文の中で、研究対象者個人が特定 できないような「倫理的配慮」は言うに及ばず、固 有名詞の使用自体を倫理的配慮に欠く論文として取 り扱う査読手引きをもつ学術誌もある。もちろん、
無節操に特定の個人や組織が識別できるような書き 方は厳に慎まなければならない。しかしながら、な んでもかんでも匿名にすることが果たして倫理的配 慮なのかということについては議論が必要と考え る。本稿では、看護研究における「匿名」にかかわ るいくつかのケースを挙げ、研究参加者の権利尊重 の観点から、匿名が本当に倫理的配慮なのかどうか について検討する。
匿名とは「実名をかくして知らせないこと(広辞 苑第六版)」であるが、看護分野の研究において、
匿名が取りざたされる場面には主として次のような ものがある。1)研究計画書(例:研究参加者の個 人情報の保護について文書および口頭で説明し承諾 を得る)、2)研究参加者を募集したり、研究参加者 に研究方法などを説明したりする場合(例:「デー タは統計的に処理され個人が特定されることはあり ません」)、3)論文内で倫理的配慮を記述する場合
( 例:「 研 究 対 象 者 の プ ラ イ バ シ ー の 保 護 に 努 め た」、4)査読ガイドライン(例:提出された論文内 に固有名詞を使用していないか)などである。これ
らの文言ひとつひとつは至極ごもっとものように思 えるものばかりであるが、ともすれば、匿名=固有 名詞の排除=個人情報の保護=プライバシーの保護
=倫理的配慮のように考えられているのではないか という懸念がある。
たとえば、男性が1人しかいない看護学科のある学 年で行なった無記名式の調査結果を男女別に集計す れば、たとえ実名は尋ねていないとしても、男性の結 果は誰かということは容易にわかってしまう。つま り、固有名詞を排除してもなお個人が特定されるケー スは存在し、固有名詞の排除が必ずしも個人情報の 保護にならないことは火を見るより明らかである。
また、研究における行きすぎた固有名詞の排除に は別の問題もある。看護系の論文タイトルには「X 県における生活習慣病罹患患者の受診行動に関する 研究」のようなものを多数見かけるが、都道府県名 などの固有名詞を排除することによって、当該都道 府県の地域特性を検証する際の重要な情報が失われ るだけでなく、将来的に同じような研究が別の地域 で行なわれた場合の比較対照やメタ研究の対象とし て利用しづらく、せっかくの研究の価値が損なわれ かねない。
2 .匿名はプライバシーを保護しているのか
では、匿名はプライバシーを保護していると言え るのだろうか。個人のもつプライバシーの権利に は、そっとしておいてもらうという意味での古典的 プライバシー権と、自分に関する情報の流通範囲を 自分でコントロールできるという積極的プライバ
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シー権(自己情報コントロール権)があるとされて いるが、これまでの検討から必ずしも匿名が前者の 古典的プライバシー権を保護しているとは言えな い。では後者の積極的プライバシー権(自己情報コ ントロール権)についてはどうだろうか。
ここで参考になるのは、米国人類学会の倫理綱領
(Code of Ethics of the American Anthropological Association1)に記載されている「人類学の研究者 は、情報提供者が匿名のままでいたいのか認知され たいのか前もって決定するとともに、情報提供者の 希望に応じられるよう最大限の努力を払わなければ ならない(筆者訳)」という文言である。つまり、米 国人類学会は、匿名なのかそうでないのかの選択権 を研究対象者に委ねることによって、その対象者の 積極的プライバシー権(自己情報コントロール権)
を担保しているわけである。翻って、看護の研究で 一般に行われている、研究者が予め決めた「匿名」
では、対象者の積極的プライバシー権(自己情報コ ントロール権)を保護していることにならない。
分野の違いこそあれ、研究対象者の意思や権利を 尊重するという基本的な姿勢は看護学も人類学も根 は同一と思われる。にもかかわらず、個人を匿名に することが倫理的配慮を実現するためのいわば金科 玉条と化している看護分野とは大きな隔たりがある。
研究参加の可否はもとより、個人情報をどの範囲 まで流通させるかまで含めて対象者自身に決定権を 委ねるという米国人類学会の理念に対し、看護分野 の研究で行われている、匿名を無条件に是とする方 法は、一見対象者を守っているようでいて実はその 対象者の選択権を奪っているという見方も可能であ る。少し乱暴ないい方をすれば、予め研究者の意思 で決定した匿名を対象者に押し付けるパターナリズ ムと言えなくもない。「匿名でなければならない」
と研究者が考える、もしくはそう思い込んでいるこ と自体が、対象者の意思の尊重や対象者の権利の保 護という倫理的配慮のコンセプトとは相容れない可 能性がある。
3 .匿名は必ずしも倫理的配慮とは言えない
これまでの検討から、つぎのことが言えよう。
・匿名は必ずしも固有名詞の排除によって実現 しない。
・匿名は必ずしも個人情報の保護ではない。
・匿名は必ずしもプライバシーの保護ではない。
・したがって、匿名は必ずしも倫理的配慮ではない。
もちろん、現時点において看護分野の研究で対象 者を匿名にすることが無難であることは否定しな い。しかしながら無難であることと、それを無条件 に是としてしまうこととはまったく別の問題であ る。先にも述べたように、匿名は必ずしも倫理的配 慮ではないので、匿名であるかどうかで倫理的配慮 がなされているかどうかを判断することはできな い。たとえば、匿名という大義名分のもとに匿名化 された患者情報が無節操に研究に利用されるとした ら由々しき事態である。
4 .提案
以上の検討を踏まえ、匿名を金科玉条とする倫理 的配慮から一歩踏み出すための提案としてつぎのよ うなものが考えられる。まず、データ収集や成果の 普及段階において、現在無難とされている「匿名」
を採用する場合には、「匿名である」という記述以 外に、その匿名が研究の全プロセスを通じてどのよ うに対象者を保護するのかを明確にすることであ る。また、対象者の積極的プライバシー権(自己情 報コントロール権)を尊重する立場からは、研究者 が決めた匿名を対象者に押し付けるのではなく、研 究参加者を募集する際に、対象者の個人情報の共有 範囲について対象者自身が決定するというプロセス を加えることも、十分に検討の価値があると考え る。さらには、比較対象やメタ研究などの後利用を 考慮した論文執筆、および、その論文の意図を妨げ ないような査読ガイドラインの策定が望まれる。
もっとも、査読ガイドラインは、当該学術誌の編集 委員と査読者しか知りえない場合が多いので、投稿 者や読者がその学術誌の倫理的配慮に対する考え方 を理解するために、査読ガイドラインの公開を行な うことが先決かも知れない。
個人情報の保護に関する法律の施行や相次ぐ個人 情報の漏洩事件などを背景に、個人情報やプライバ シーに対する意識が高まっている今こそ、匿名=倫 理的配慮という思考停止状態から脱し、匿名を含め た倫理的配慮について看護界で率先して議論を進め ていくべき事項ではないかと考える。
文献
1 . American Anthropological Association. Code of Ethics of the American Anthropological Association
[インターネット].1998.[検索日2010年8月20日].
Available from: http://www.aaanet.org/committees/
ethics/ethcode.htm