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新たな感染症の時代の弔いとケア

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(1)

一 感染症の犠牲者の追悼

バイデン大統領のコロナ犠牲者追悼

  ﹃朝日新聞﹄は︑アメリカの新大統領が就任する二〇二一年一月二〇日にこう伝えている

︒ ﹁

就任式を翌日に控え

たバイデン次期米大統領が一九日︑首都ワシントンに到着し︑リンカーン記念堂で開いた新型コロナウイルスの犠

牲者の追悼式に出席した

︒ ﹁

癒やすためには︑思い出さなければいけない︒思い出すことがつらいときもあるが︑ 論文要旨 新型コロナウイルス感染症の世界的流行で多くの犠牲者が出た犠牲者を看取り葬儀で送ることもしにくい状況

が続いたふだんの宗教行事を行うことも慎まざるをえなかった十分な医療を受けられずに死亡する人や仕事を続けられず

に貧窮に陥る人自死せざるをえない人も生じた人類社会を襲う最大級の災害といってよい東日本大震災では多くの犠牲者

をともに慰霊追悼するあるいはともに偲ぶ機会が少なくなかったが新型コロナウイルス感染症では日本ではその機会が

乏しい世界的には政治的な動機をも含めてさまざまな形で犠牲者を偲ぶ行事も行われた他方伝統的な宗教的応答とは異

なり苦しむ人をケアする行為や仕事の意義が見直された理不尽な苦難に対してケアする行為で応答する人々への感謝リス

ペクトにある種の宗教的意義を見てもよいだろう

キーワード 慰霊追悼感染症エッセンシャルワーカーアルベールカミュ

『宗教研究』95巻2輯(2021年)

新たな感染症の時代の弔いとケア

││ 宗教的なものの新たな様態 ││

島  薗    進

(2)

それが癒やしになる︒国としてそれをすることが重要だ﹂と述べた 1

﹂ ︒   米国では︑この段階ではまだワクチンが広く接種されてはいない︒新型コロナウイルスの苦難が大きい国として

目立っていた

︒ ﹃

朝日新聞﹄は﹁この日︑新型コロナで亡くなった人が四〇万人を超えた︒感染者数も二四〇〇万

人に上り︑世界最悪の感染状況となっている﹂と伝えている︒

  分断されている国を再統合する︒これはコロナ禍の米国でバイデン新大統領が掲げる大きなヴィジョンである︒

そして︑新たな統合のために︑犠牲となった死者を偲ぶ︒こうした犠牲の思い起こしは﹁アメリカの市民宗教﹂の

重要なテーマである︑と論じたのはロバート・ベラーである

︒ ﹁

南北戦争とともに︑死︑犠牲︑再生という新しい

テーマが市民宗教に入ってくる︒それはリンカーンの生と死に象徴される︒ゲティスバーグにおけるほど︑それが

生き生きと述べられたところはない 2

﹂ ︒

続いて︑ベラーは詩人のロバート・ローウェル一九一七七七の演説の

一節を引いている︒

ゲティズバーグ演説は︑象徴的︑聖礼的な行為である︒その言語上の質は︑論理的で即物的︑散文的な簡潔さ

と結びついた共鳴である⁝⁝彼の言葉の中でリンカーンは︑連邦軍兵士が本当に死んだのと同様││そして彼

自身が間もなく本当に死ぬのと同様︑象徴的に死んだ︒彼の言葉によって︑彼は戦場にそれまで欠けていた象

徴的意味を与えた︒われわれとわが国にとって︑彼はキリスト教的な死と再生の犠牲的行為と結びついたジェ

ファーソンの自由と平等の理想を残した︒私は︑これは宗派や宗教︑平和と戦争を越えた意味であり︑今では

挑戦︑障害︑希望としてわれわれの生活の一部となっていると信じている 3︒   ベラーの論文は︑公民権運動の高まりに先立つ時期の白人中心史観が問い直される前の時代の︑また植民地主義

(3)

新たな感染症の時代の弔いとケア

が相対化される前の時代に書かれたものであるが︑それから五〇年以上を経た今も︑その捉え方が遠くはずれてい

るようには思われない︒

公的・私的な追悼の結合

  このような伝統を強く意識したかどうかわからないが︑バイデン新大統領は就任式に先立って︑公的にも私的に

も死者の追悼に時を過ごそうとした︒

追悼式は大統領就任式の実行委員会が主催︒バイデン氏はジル夫人と︑副大統領になるハリス夫妻と出席し

た︒ハリス氏は﹁離ればなれでも︑米国の人々は魂でつながっている﹂と述べた︒バイデン氏が﹁暗闇に明か

りをともすことで︑失った人全てを思い出すことができる﹂と話すと︑リンカーン記念堂前の池の周りに四〇

〇個のランタンが点灯した︒ニューヨークのエンパイアステートビルやフィラデルフィアの市庁舎などもライ

トアップされた︒中略

  バイデン氏はこの日昼過ぎに東部デラウェア州ウィルミントンの自宅を出発し︑チャーター機でワシントン

に着いた︒デラウェアでは︑二〇一五年に脳腫瘍で亡くした長男ボー氏の名が付けられた州兵施設で出発式を

行い︑半世紀近い政治家生活を振り返った︒三度目の挑戦で大統領に就任するが

︑ ﹁

ワシントンへの次の旅は

ここから始まる︒米国人としての私たちを定義する最高の場所だ︒今は暗闇にあるが︑常に光はある﹂と述べ

た︒演説の最後に民主党のホープだったボー氏に言及し

︑ ﹁

彼がいないことが唯一残念だ︒彼を大統領として

紹介したかった﹂と述べ︑涙を流した 4︒   バイデン大統領は就任後一ヶ月余り経った二月二二日の夜にも︑コロナ感染症の国内の死者が五〇万人を超えた

(4)

ことを受けて︑ホワイトハウスで追悼式を催した︒

バイデン氏は式典で︑家族をみとる瞬間や︑食卓で空いたままの席を見つめる時のつらさに言及し︑遺族らに

寄り添う姿勢を示した︒同氏は最初の妻と娘を交通事故で︑息子を病気で亡くした経験を持つ︒/バイデン氏

はそのうえで︑国民に﹁私たちがこれを乗り越えることを約束する

﹂ ﹁

この国が笑顔を取り戻し︑晴れた日々

が戻り︑また喜びを知る日が来るだろう﹂と語り掛けた︒/一方で︑パンデミックの長期化で感覚がまひして

しまうことを戒め︑一つひとつの命を統計やニュースの話として片付けてはいけないと強調した︒/続いてバ

イデン夫妻とハリス副大統領夫妻がホワイトハウス前で︑五〇〇本のろうそくとともに黙とうをささげた︒こ

れに先立ち︑バイデン氏は同日午後︑すべての連邦機関と国内外の米軍施設に五日間の半旗掲揚を指示した 5︒

日本と中国での集合的追悼

  この記事は︑阪神淡路大震災や東日本大震災の際︑またその後にさかんに行われた慰霊・追悼の催しを思い起こ

させる︒このような慰霊・追悼の催しを重視するのは日本文化の特徴のように感じていた人も少なくないだろう︒

では︑振り返って︑日本では新型コロナウイルス感染症の苦難を経て︑このような慰霊・追悼の催しが行われただ

ろうか︒まったくないわけではない︒だが︑あまり目立たない︒まして政府や国家の政治指導者がそのような催し

をするということはなされていない︒

  もっとも米国と日本では新型コロナウイルス感染症の犠牲者の数が異なる︒米国のコロナ死者が五〇万人を超え

たのは二〇二一年二月だが︑日本でコロナ死者が一万人を超えたのは二〇二一年四月二六日のことである︒では︑

中国ではどうか︒中国で報告されている死者数が正確なものかどうかについては疑念を示す報道があるが︑公式の

(5)

新たな感染症の時代の弔いとケア

発表では二〇二一年五月初めの段階で︑四千六百人余りとされている︒

  だが︑中国政府は早くも二〇二〇年の四月四日に︑新型コロナウイルスの犠牲者を追悼する活動を全国規模で行

っている︒

北京の天安門広場を含む中国各地で半旗が掲げられ︑習近平国家主席ら最高指導部メンバーが黙とうをささげ

た︒四日の政府発表によると︑中国本土の死者は三三二六人で︑湖北省武漢市が二五六七人と八割近くを占め

る︒午前一〇時に各地で追悼の意を表するために防空警報のサイレンが鳴らされ︑多くの人が足を止めて死者

の冥福を祈った︒主要メディアはホームページを白黒にして追悼の意を示し︑共産党機関紙﹁人民日報﹂は題

字を普段の赤から黒色に変えた︒/四日は︑中国の祝日﹁清明節﹂で先祖の墓参りをする伝統がある︒ただ︑

武漢市は感染対策として個別の墓参を禁じており︑インターネット上には﹁心の中で墓参りしています﹂など

と死者へのメッセージが投稿された 6︒

集合的追悼の政治的動機

  このような国家的な慰霊・追悼の催しの背後に︑政治的な動機があることは容易に想像できるところである︒二

〇二一年二月七日︑NHKは次のように報じている︒

新型コロナウイルスの感染拡大をめぐって︑中国政府の発表前からいち早く警鐘を鳴らしていた武漢の医師︑

李文亮氏が亡くなってから七日で一年です︒中国国内では李氏の功績を伝える報道はほとんど見られず︑中国

政府は初期対応の遅れなどへの批判が再び高まらないよう神経をとがらせているものとみられます︒/武漢の

眼科医︑李文亮氏はおととし末︑複数のウイルス性肺炎の患者が出ていることをSNSのグループチャットに

(6)

投稿したあと﹁デマを流した﹂などとして警察に処分され︑その後︑みずからも感染して去年二月七日に三四

歳で亡くなりました︒/李氏が亡くなってから七日で一年となりますが︑中国国内では李氏の功績を伝える報

道はほとんど見られません︒/先月末まで武漢で開かれていたウイルスとの闘いをテーマにした展覧会では︑

李氏はウイルスとの闘いに身をささげた﹁烈士﹂の一人として紹介されていますが説明文には簡単な経歴しか

なく︑感染拡大にいち早く警鐘を鳴らしたことには触れられていません︒/会場では習近平国家主席の指導力

を誇示するパネル写真がひときわ目立ち︑李氏とは対照的な展示となっています 7︒   李氏の追悼のために花を捧げようとする市民がいるが︑それが目立たないようにする措置がとられていたこと︑

また︑上記のNHKの報道が中国では政府によって消されていたことも報道され

︑ ﹁

共産党の指導で感染拡大に歯

止めをかけたと主張する中国当局は︑李氏を﹁英雄﹂とする動きに神経をとがらせている﹂

︵ ﹃

産経新聞

﹄ ︶とされて

いる 8︒

追悼でもあるブラック・ライブズ・マター

  アメリカのバイデン大統領の慰霊・追悼の催しも︑政治的な意図を読み取ってもよいと思われる︒トランプ大統

領がそのような行為を行ったことは報じられていない︒米国の新型コロナウイルス感染症では︑アフリカ系やヒス

パニック系などエスニックなマイノリティが犠牲になる割合が多かった︒新型コロナウイルス感染症の蔓延と同時

期に起こったBLM︵ブラック・ライブズ・マター︶の運動は︑被差別の立場に苦しむ人々の死を悼み抗議すると

いう意味で︑新型コロナウイルス感染症の犠牲者を思う心情とも重なっていたと考えるのは︑まったく的はずれと

いうわけでもないだろう︒

(7)

新たな感染症の時代の弔いとケア   英国公共放送BBCは二〇二〇年九月一〇日に次のように報じている︒

テニスの大坂なおみ選手︵日本︶が︑米ニューヨークで開催中の全米オープンで試合のたび︑異なる名前が記

されたマスクを着けて登場し︑注目を集めている︒マスクに書かれているのは︑アメリカで警察の人種差別的

な暴力の被害に遭った黒人犠牲者たちの名前だ 9︒   大坂なおみのパフォーマンスは明らかに政治的社会的な抗議の意思を表しているが︑同時に慰霊・追悼の意義を

含んでいる︒ミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが警察官に殺害されたのは五月二五

日であるが︑それから数ヶ月にわたって全米各地で抗議と追悼のデモが続いた︒そのなかで︑過去に過剰取締りや

リンチなどで不当に殺されたアフリカ系アメリカ人のことが思い起こされていった︒大坂なおみ選手はそれら七人

の名前を書いたマスク七枚を順番に付けてコートに立ったのだった︒

  犠牲者の追悼は共鳴をよび連帯感をよびさます︒それが希望に通じ︑変革への期待へと道を開くこともある︒阪

神・淡路大震災や東日本大震災における犠牲者の追悼には︑そのようなトーンが伴っている︒バイデン大統領や大

坂なおみ選手の追悼のパフォーマンスにもそのようなトーンが含まれていた︒中国の場合︑そのような追悼の場が

生じないように︑政府主導の追悼の催しがなされたと言える︒

  ところが︑日本では二〇二一年の夏に至るまで︑そのような催しが報道されておらず︑広く人々に知られていな

い︒なされていたとしても︑小さなものにとどまっている︒日本の場合︑その理由の一端は︑そもそも宗教活動が

行いにくくなっているということに求めることができるかもしれない︒日本では慰霊・追悼と宗教は不可分と考え

られ︑ふだんからひんぱんに行われているが︑仏教と結びついたものが多い︒しかし︑新型コロナウイルス感染症

(8)

の蔓延状況では

︑ ﹁

お寺に人が集まる﹂ことはなかなかしにくくなっている︒

二 パンデミックと宗教性と社会問題

宗教活動継続の困難

  欧米諸国やインドなどと比べると東南アジア︑東北アジアは感染流行が抑えられており︑日本でも死者数が爆発

的に増えるような事態には至っていないが︑それでも娯楽活動や教育環境に︑そして飲食店や観光運輸産業などに

及ぶ影響は大きい︒じわじわと苦境が続き深刻化する人々も少なくない︒日本でも二〇二〇年の夏以降︑女性の自

殺が増えてきていることが知られている︒二〇二一年になってワクチン接種の遅れもあって︑日本は世界的にも状

況の好転が遅れ︑新型コロウイルス感染症による死者数がじわじわと増えていくととともに︑中小事業者と従業

員︑臨時雇用者らの生活の悪化がさらに深まっていった︒

  零細な事業所でサービス業務を担当して生計を立てていた女性たちの経済的困難はきつい︒加えて住居や家庭で

の困難も増している人が多い︒どちらかといえば男性が自殺に向かいやすいというのが通常なのだが︑コロナ感染

症の影響下では女性にきつい負荷がかかっていることが察せられる︒

  こうした状況の下で︑宗教活動も限定されざるをえない︒信徒が集まって礼拝したり︑教えを学んだりする機会

がもちにくくなっている︒儀礼の場にともにいることは宗教活動において重要性が高い︒ところがまさにそのよう

な活動が行えなくなっている︒しかも︑その期間が半年︑一年︑さらにそれ以上と長引いていく︒そうなると︑信

仰集団や集いの場から人々が離れてしまうことも懸念される︒

(9)

新たな感染症の時代の弔いとケア   葬儀や法事など︑弔いの行事が簡素化せざるをえなくなったり︑できなくなったりする例も増えている︒死者と

の別れの儀礼にともに参加することができないことは︑近しい遺族にとってたいへん寂しいことだ︒しかし︑宗教

者はそのことがわかっていても儀礼を執行することを躊躇せざるをえない︒この点でも宗教教団には辛い時期が続

く︒

葬儀の簡略化

  これは世界の多くの地域で起こっていることだが︑日本でも新型コロナの影響による葬儀の簡素化が確認されて いる A︒終活関連サービスを展開する︵株︶鎌倉新書が二〇二〇年三月に全国の葬儀社を対象に行ったアンケート調査

では︵有効回答数一二八

︶ ︑

新型コロナにより﹁参列者が減少した﹂と回答した葬儀社は四七・七%

︑ ﹁ 変化はない

が︑今後減少すると思う﹂と回答した葬儀社は四一・四%にのぼる︒すでに減少しているか減少する可能性を感じ

ている葬儀社がおよそ九割に達するとのことだった︒

  また︑大正大学地域構想研究所・BSR推進センターが五月に仏教寺院を対象に行ったアンケート︵有効回答数 五一七︶では B

︑ ﹁

葬儀についてどのような変化がありますか﹂を複数回答で尋ねたところ

︑ ﹁

会葬者の人数が減っ

た﹂が八八・六%

︑ ﹁

一日葬など葬儀の簡素化﹂が四一・〇%

︑ ﹁

打ち合わせ時間の短縮﹂が一二・二%と︑約九割も

の寺院が葬儀参列者の減少を感じていたという︒また自由記述からは

︑ ﹁

湯茶提供・会食がなくなった

﹂ ︑ ﹁

火葬の

み︵いわゆる炉前読経もなし︶で葬儀を実施せず︑忌明・納骨法要から行いたいという依頼があった﹂など︑葬儀

の一部を省略する傾向も増加していることがうかがわれる︒

  葬儀等の簡素化はこれまでのところ大都市と地方でだいぶ事情が異なるようだが︑地方にも及ぶようになるとそ

(10)

の打撃はさらに大きくなる︒二一世紀に入って葬儀の簡略化や参加者の減少は続いていた︒それが新型コロナ感染

症により一段と加速されていく気配がある︒

見捨てられるいのち

  一般の人々にとっても宗教性をはらんだ人と人との交わり︑とりわけ生者と死者の交わりが十分に行えなくな

り︑深い情感を宿した時間をともに過ごす機会が失われている︒こうした抑圧的な時間が長く続くことは︑心の資

源を枯渇させる︒うつに近い状態に苦しむことにもなる︒自殺が増加する一因ともなっている︒

  死にゆくプロセスと死者との別れが悲惨なものになる例が多数発生している

︒ ﹁

見捨てられた母⁝米死者﹁命の

格差﹂高齢者施設に集中﹂という﹃朝日新聞﹄の二〇二〇年六月の記事を見てみよう︒ニュージャージー州アンド

ーバーの介護施設に住んでいた母のリリーさん︵当時八四歳︶を三月二三日に見送った︑リー・レパシュさん︵五

五歳︶は﹁母は見捨てられた﹂と声を震わせたという C︒   三月中旬から家族も施設内に入れなくなった

︒ ﹁

だが︑職員は﹁感染者は出ていない﹂と答えるばかり︒心配を

募らせた姉が建物に近づき︑一階の窓から部屋の中を見ると︑母は痩せこけ︑テーブルの上で突っ伏したままだっ

た︒二日後︑容体が悪化したとの連絡を受け︑間もなく息を引き取った

﹂ ︒

この施設は約七〇〇床と州内でも最大

級︒職員の多くは︑マスクや手袋を支給されていなかった︒地元警察が通報を受けて立ち入ると︑四人を収容する

遺体安置所に一七人の遺体が放置されていた︒六月上旬までに入居者七八人︑職員二人が亡くなった︒

  同様の事態は日本でもいくつも発生している︒二〇二一年の四月から五月にかけて︑神戸市の高齢者施設では︑

一三三人が集団感染し︑このうち二五人が亡くなった︒同じ時期︑大阪府でも門真市の有料老人ホームで六一人の

(11)

新たな感染症の時代の弔いとケア

集団感染が発生し︑一三人が死亡するなど高齢者施設でのクラスター発生が相次ぎ︑一カ月で四九件に及んだとい

う D︒

  高齢者や療養者が見捨てられるように死んでいくこうした悲惨な事態は︑多くの国々で発生している︒米国のバ

イデン大統領が新型コロナウイルス感染症の死者を追悼する催しを繰り返し行った背後には︑こうした悲しい事態

を経験したという意識を多くのアメリカ人が分かち持っていたという事実があるのではないか︒それに対して日本

では︑こうした意識が少し弱いように感じられる︒

人間の無力さの自覚と宗教

  新型コロナ感染症はこれほどまでに人間が無力であることを痛感する機会ともなっている︒そこから助け合いの

気持ちが喚起されてもいる︒欧米では︑エッセンシャルワーカーとかキーワーカーという言葉がよく使われるよう

になった︒対人ケアやサービス産業に従事する人々で︑感染リスクを背負わざるを得ず︑リモートワークはできな

い人たちだ︒医療従事者や介護・保育従事者︑店のレジや配達などの仕事に携わる人々が入る︒

  これらの人々への感謝の念とリスペクトが表現される機会が増えた︒感染者や孤立する高齢者のケアにあたる医

療・介護従事者のために︑人々がともに感謝の拍手をするなどの新たな儀礼の形も生み出された︒そこに特定宗教

の要素は組み入れられていないが︑新たな助け合いの気持ちと祈りが形をとっているとも言える︒スピリチュアリ

ティの新たな形と見ることもできる︒

  英国に在住する日本女性ライター︑ブレイディみかこは︑あるインタビュー記事で︑このあたりの消息を伝えて

くれている E

︒ ﹁

多くの人の間で︑毎週木曜の夜八時に外に出て﹁キーワーカー﹂に感謝の拍手を送ることが五月末

(12)

まで習慣になっていました

﹂ ︒

キーワーカーとは︑医師や看護師など医療従事者のほか︑地域社会のライフライン

を担う運送業者︑小売業者などを指す

︒ ﹁

彼らの仕事は︑ロックダウン下でも休みにならない︒私の夫もダンプの

運転手をしていますが︑テレワークもできない仕事で︑むしろ現場で働くことを求められている人たちです

︒ ﹂   そんなブレイディみかこが驚いたのは︑ジョンソン首相が感染判明直後に﹁本当に﹁社会﹂は存在する﹂と発言

したことだった

︒ ﹁

これは明らかに︑八〇年代当時のサッチャー首相が﹁社会などというものはない﹂と言ったこ

との裏返し﹂だ

︒ ﹁

頼りにできるのは自分自身と家族だけという﹁自己責任論

﹂ ︑

市場原理にのっとった新自由主義

を推し進めていったサッチャリズムを象徴するフレーズとして知られてきた﹂のだが︑それを否定したことにな

る︒

  新たな感染症の大流行を招いたのは︑人間の側に何か大きな過ちがあったのではないかという思考も見えがくれ

している︒環境を破壊してきたことが新たなウイルスの活性化を招いたともされる︒大都市への集住が進んできた

が︑まさに過密地帯こそ感染症の被害を受けやすい地域である︒文明を見直し︑謙虚さを取り戻し︑あらためて宗

教の知恵を求めるという心の動きが形を取り始めているようでもある︒

高齢者︑貧困層︑マイノリティ

  中国の武漢から始まった新型コロナウイルス感染症の流行だが︑その後︑東アジア諸国は死亡者数が比較的少な

く抑えられているのに対して︑欧米諸国やブラジル︑インドなどでは感染者数︑死亡者数とも数十倍あるいはそれ

以上︑多くなっている︒これはどういう要因によるのかよくかわからない︒

  ここでは︑国ごとに算出される感染者数や死亡者数の違いという点にではなく︑各国でどのような人たちが死亡

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新たな感染症の時代の弔いとケア

したり病苦に苦しんだか︑また経済的な困難を被ることになったかという点に注目したい︒高齢者や基礎疾患のあ

る人々が死亡する傾向が高いことは度々報道されている︒これは世界共通の傾向だ︒だが︑東アジアではあまり注

目されないが︑欧米ではしばしば報道されているのは︑貧困層に死者が多く︑人種やエスニシティーで少数派の

人々の死者数が多いということだ︒米国︑イギリス︑スウェーデン︑ブラジルなどで︑アフリカ系︑アラブ系︑ア

ジア系などの非白人に死亡者が多いことが報告されている︒経済的基盤の弱い人々︑差別的な処遇を受けがちな

人々が︑感染症の被害を受けやすく︑あるいは感染症からの回復のための措置を受けにくい傾向があるとされる︒

  植民地主義から現代のグローバル経済に至る道を切り開いて来たのは︑英米のアングロサクソン文明である︒と

ころが︑その英国と米国で新型コロナウイルス感染症は猛威を振るい︑両国は人口当たりで多数の死者を出した

国々のリストの上位に位置している︒そして︑この両国で差別と格差に由来する国の分断と混乱は︑深刻さを深め

ている︒新自由主義を牽引してきた両国で︑福祉や医療が届かず死んでいく人々が多数出た︒

  一九八〇年代に米国のレーガン大統領︑英国のサッチャー首相によって先導された新自由主義が掲げてきた﹁小

さな政府﹂の政治の破綻が露わである︒市場経済にできるだけ多くを委ね規制をしない︒医療や福祉にできるだけ

公費を投入しないなどが基本的な理念である︒日本も中曽根首相の時代からその傾向を強めており︑小泉首相や安

倍首相の時代にそれが徹底されていった︒

経済的社会的な弱者が目立ちにくい中国や日本

  では︑東アジアでの新型コロナ感染症の影響は︑こうした問題にどう関わっているのだろうか︒格差の拡大︑貧

困層やマイノリティの苦難という事態が進行しているのだろうか︒韓国や日本や台湾では︑そのような事態はさほ

(14)

ど注目されていないようだ︒だが︑これらの地域でも︑ロックダウンやそれに準ずる経済活動の停止や抑制が行わ

れたことにより︑さまざまな形で損失を被り︑これまで以上に社会的に周辺的な地位に追いやられた人々が出てい

る︒

  東アジアとは言えないが︑シンガポールでは外国人出稼ぎ労働者の間で感染が広まり︑死者数が増大したとされ

る︒一方︑中国では農村部から出稼ぎ労働者である億単位の農民工が職場を離れたとされる︒これと似たことは日

本でも起こっているのではないか︒零細な事業者や非正規雇用の人たちは︑これまでにも増して厳しい環境に置か

れることになった︒倒産企業は増大しているが︑それは零細企業に集中しており︑失業による苦難も低賃金層に厳

しく作用しているようだ︒

  ただ︑中国や日本では︑欧米やシンガポールと違って︑このような経済的社会的な弱者が目立ちにくい構造にな

っている︒そのような立場の人が連携し合って︑地位向上のための声を上げるということも起きにくい︒欧米社会

では植民地主義の過去を背負って︑国内の格差が典型的には人種・エスニシティの違いとつながって明確に現れ

る︒そしてそれは是正すべき社会的公正の課題として意識されやすい︒これに対して︑東アジアでは格差により被

抑圧的な立場に置かれている人たちが可視化されにくい︒コロナウイルスによってもたらされる経済的な打撃はリ

ーマンショック後のそれを超え大きいとされるが︑東アジアではそれが是正すべき社会的公正の課題として意識さ

れる度合いも弱くなると考えられる︒

ホセ・ムヒカの洞察

  ウルグアイの元大統領︑ホセ・ムヒカは二〇二〇年六月のインタビュー記事

﹁ ﹁

人生は富を築くだけのものなの

(15)

新たな感染症の時代の弔いとケア

か﹂〝世界一貧しい〟元大統領がコロナ禍で問う価値観﹂で︑以下のように述べている F

︒ ﹁

コロナ危機で最も影響を

受けるのは︑中間層の下層に位置する人たちだ︒彼らは貧困層に転落して生活が苦しくなり︑貧困人口全体が増え

るとみられている︒近い将来︑格差是正を求めたフランスの反政府デモの象徴﹁黄色いベスト﹂を着け︑声を上げ

る動きが各国で強まるだろう

﹂ ︒   また︑以下のようにも述べている

︒ ﹁

中南米各国は世界的に見ても貧富の格差が激しい︒しかし︑コロナ禍を機

に貧困層を中心に強い連帯感が芽生え︑助け合いの精神が広がった︒その日の食事に困らないよう炊き出しや食料

配給などの取り組みが貧困層の中で自発的に行われている

︒ ︵

理由の一つは︶コロナ禍で自宅にいることが増え︑

今まであまり考えなかったことを考える時間が増えたからだ︒自分は幸せなのか︑人生や運命とは何か︑と自らを

見つめ直す時間だ︒以前は仕事や睡眠に時間を費やし︑自分の存在意義について振り返る余裕はあまりなかった人

が多いだろう︒思索を通じ︑個人が社会や集団での役割を認識し直し始めている

﹂ ︒   このインタビューが行われたときには︑ブラック・ライブズ・マターBlack Lives Matterの悲しみと怒りのデ

モが世界に広がる前の段階だったはずだ︒この声は

︑ ﹁

弱い立場のいのちを見捨てるな﹂というコロナ禍の中から

湧き上がってきた声とも重なり合っている︒こうしたときこそ︑政府が﹁いのちを守る﹂立場で力強い政策を打ち

出すべきときである︒人口わずか三五〇万ほどの国の格差是正に努めてきた元大統領の発言が︑世界の未来を照ら

すように感じられる時代となっている︒東アジアは先頭を走っているつもりで︑実は大きく遅れをとっていたのか

もしれない︒二〇二一年春以降︑今度はアジアの新型コロナウイルス感染症被害の増大が目立つようになってもい

る︒

(16)

三 宗教的な問いと新たなケアによる応答

閉ざされるいのちの空間と喪失

  多くの人々が病に倒れ︑亡くなっていく人の知らせも次々入ってくる︒やがてロックダウンや緊急事態宣言を行

うに至り︑閉じこもって生活せざるをえなくなる︒ふだんの活動ができないために生活が成り立たなくなってしま

う人たちも出てくる︒将来への不安も広がる︒何とか切り抜けたかと思うと︑新たな変異株が広がってきて︑次の

アウトブレイクがやってきてしまう︒ワクチンで何とか食い止めることができたとしても︑そのワクチンをすり抜

ける変異株が出てくるのではないか︒その間に死者の数は増えていく︒

  実際に親しい人や敬愛する人を死によって失った人だけではない︒経済的基盤や人間関係も脅かされていく︒あ

るいはそのように感じる︒これまで自分を支えていた希望が細くなり︑やがて見失うように感じる人も少なくない

だろう︒経済的なダメージが大きくはなくても︑生活の幅が狭められていき︑今後の人生でできることの展望も変

わらざるをえない︒何とかもとへ戻ることを願っているが︑長期化するに従って︑失っていくものがだんだんと重

く感じられていく︒

  高齢者は死も早く来るかもしれないし︑閉ざされた環境では︑ますます自分の居場所が狭くなっていくように感

じる︒生活基盤が脅かされている人だけではない︒多くの人が従来の他者とのつながりが弱くなってしまうのを感

じる︒それだけ孤独であり︑寂しく感じる機会が多くなる︒感染に対する不安とともに生活全体のあり方が重苦し

くなっている︒

(17)

新たな感染症の時代の弔いとケア   他方︑多くの人が早く平常に戻るのを待ち望んでいる︒行動制限が早く解除されないかと思う︒街へ出たいと思

う︒この危機によって失ったものを取り戻したい︒仕事や学びの場に帰りたい︒それは生きていくための糧を得︑

未来のための力を養おうということだけではない︒交わりと絆を取り戻したいということでもある︒死の影に怯え

る今を脱して︑生と愛に向かっていきたいのだ︒では︑死の影のもとでどのような生と愛が望まれるのだろうか︒

弱い立場の人々のいのちの危機

  二〇二一年の春までの段階では︑犠牲者が多いのは高齢者や基礎疾患をもつ人たちだ︒比較的年齢が若い著名人

やスポーツ選手でも︑がん治療を受けていたとか︑糖尿病があるとかいうひとがいのちを失った︒介護施設や障害

者施設で集団感染が起こり︑死者が多数出る例が各国で報告されている︒だが︑二〇二一年の春以降︑比較的若い

人たちが重症化する例が増えてきた︒

  すでに述べたように︑貧富の差も危険の度合いと関わりがある︒比較的豊かな人たちは︑感染しないための対策

をとる余裕があることが多い︒安全ではない場所に出かけたり︑多数の人と接することなしに仕事や生活を継続で

きる割合が高い︒他方︑貧しい人たちはそうもしていられないために感染の危険を被りやすい︒エッセンシャルワ

ーカーと言われるような職種の人々は︑テレワークに転じることができる要素はごくわずかである︒そうした職種

の人たちの給与が高くないのがふつうだ︒

  医療によって手厚い治療や看護を受けることができるのも富裕層である︒貧困層は新型コロナ感染症にかかって

もできるだけ医療機関にかかり︑出費を迫られることをしないですまそうとする︒それだけ病状の悪化を避けるこ

とがしにくくなってしまう︒治療を受けても高額の治療措置を受けにくく︑限界ある措置に甘んじざるをえなくな

(18)

る︒このような差は国によって現れ方が違うが︑日本でも確かにこうした差が看て取れる︒エスニック・マイノリ

ティはいっそう厳しい境遇に置かれやすい︒

  基礎疾患をもつ人や障害者や難病患者も不安が大きい︒医療体制が逼迫してきた場合︑治療効果が大きいと判断

されない場合︑十分な治療をしてもらえないかもしれない︒たとえば︑人工呼吸器を回してもらえないかもしれな

い︒そのように考えている人が多数いる︒そうなれば︑こうした人々を助ける側の人々も高いリスクにさらされる

ことになる︒このような社会であってよいのかと問わざるをえない︒

  これに関連して考えるべきことは︑対人援助やサービスに関わる仕事の見直しということだ︒新型コロナウイル

ス感染症により医療や介護従事者は大きなリスクに見舞われ︑また過酷な仕事をこなさなくてはならない事態が生

じた︒医療従事者に対する感謝の気持ちが世界各地でさまざまな形で表出されたのは印象的だった︒

対人援助やサービスに関わる仕事の見直し

  介護・教育・保育も大きな負担を負うことになった︒介護施設で新型コロナ感染症が出た場合︑悲劇的な事態に

追い込まれる︒治療できずに最期まで看取らなくてはならない人がいる︒医師や看護師が見放してしまう人を介護

者がケアし続けなくてはならない例も出てくる︒

  教育や保育の現場では︑距離︵ソーシャル・ディスタンス︶をとりたくてもとれないような状況で︑長時間にわ

たる仕事を続けなくてはならない場合も出る︒いったん複数の感染者が出た場合︑そうした現場は過剰な労働に輪

をかけるようなことにもなり︑閉鎖に追い込まれるようなことも生じかねない︒

  他方︑ホテルや飲食業︑理髪・美容︑エンタテインメントに関わる仕事︑また顧客接遇の仕事に携わる人たちは

(19)

新たな感染症の時代の弔いとケア

経済的な苦境に追い込まれたり︑リスクを負った過酷な作業に多くの時間を費やすこととなる︒消毒や清掃や換気

など︑これまで以上に多くの負担を負わざるをえない場合も少なくない︒

  これら対人援助やサービスに関わる仕事から人間同士の身体接触・接近を減らそうとする動きは︑今後ますます

強まるだろう︒ICTの活用やロボットによって︑対人援助やサービスが身体的な接触・接近を介さずにできるよ

うな方向へと進むだろう︒しかし︑それがどこまでも進むのか︒それによって感染症の危険を抑えることが可能に

なるのは確かだとしても︑それが人間の幸福の増進を保証するのだろうか︒

  ここで考えなくてはならないことは多い︒新型コロナウイルス感染症蔓延時には自宅滞在stay homeが強く唱

えられたが︑自宅にいることは多くの場合︑家族とともにいることである︒同居家族のいない自宅待機は子供には

できないし︑高齢者やからだが不自由な人︑またその同居者には辛いことだ︒自宅待機しつつ同居家族のいない単

身者のなかには︑心細い思いをした人は少なくないことだろう︒子供とともに長期間自宅待機するのが容易でなか

った人たちも多い︒

ケアと共苦共感を育む社会へ

  今世紀に入り

︑ ﹁

無縁社会﹂と言われるように孤立する人が増えていく現代社会の動きを踏まえ

︑ ﹁

ともにいる

場﹂の構築が求められていた︒パンデミックのもとで﹁家庭﹂にかわる﹁ともにいる場﹂の意義がさらに強く認識

されるようになっている︒感染症対策でICTやロボットを活用する方向に向かうのはよいが︑これまで以上に

﹁ともにいる場﹂が得にくくなることが懸念される︒

  ここで思い起こされるのは︑この数十年にわたって﹁ケア﹂への関心が強まっていることだ︒宗教に近いところ

(20)

でスピリチュアルケアが関心を集めているのもそれと関わっている G︒宗教者も﹁寄り添う﹂ケアの姿勢を尊ぶ傾向

が見られる︒ところが︑新型コロナウイルス感染症により︑ケアを求めざるをえない人々もケアに携わる人々も︑

いくつかの意味でたいへんつらい立場に置かれることになった︒だが︑この困難を通してケアの仕事やケアの場の

重要性は︑これまで同様︑あるいはこれまでにもまして認識されていくだろう︒ボランティア活動はますます盛ん

になってきているが︑そのなかではケアの要素が小さくない︒

  ケアの活動では

︑ ﹁

いのちを守り育む﹂働きをもつものが大きな要素をなしている︒パンデミックは一方で︑こ

うしたケアの意義が高く評価される機会ともなった︒死に脅かされる状況では︑危機にさらされた目の前のいのち

を助ける共苦共感の心︵コンパッション︶の大切さが痛切に認識される︒感染拡大の危機的局面では︑ケアの仕事

の報われなさが痛切に感じられる︒だが︑同時にケアの仕事の意義深さの認識も深まっていると考えたい︒当然︑

将来的には報酬面待遇面での改善も視野に入れる必要があるだろう︒

カミュ﹃ペスト﹄が示唆するケアの力

  こうした新たな状況での人間の生き方を考えるとき︑アルベール・カミュの﹃ペスト﹄という小説は大いに参考 になる H︒この作品は一九四七年に公表されたものだが︑主人公のベルナール・リウーは医師である︒ペストの蔓延

で閉鎖された都市で︑リウーは死に直面している人々のために働く仕事に没頭する︒わけもなく襲ってくるペス

ト︑その不条理な死の脅威と戦う日々の仕事こそが︑生きる意義を支える︒戦争と同様︑生きる意味を奪ってしま

うような死の影に脅かされても︑ともに生きる他者へのケアに生きる力の大きな源泉があることが示唆されてい

る︒

(21)

新たな感染症の時代の弔いとケア   ﹃ペスト﹄は︑多数の人が感染症に脅かされて日々を過ごした経験から書かれたものではない︒むしろ︑第二次

世界大戦中のフランスで︑ナチスに支配された傀儡政権の下︑閉ざされた生活環境のなかで結核の再発に怯えつつ

構想され︑感染症を隠喩として用いて絶望的状況での抵抗を描いた作品と言えるだろう︒だが︑今読むとほとんど

違和感なく︑感染症に襲われた閉鎖社会の下での生き方を照らし出す作品として受け止めることができるものだ︒

  この物語で︑感染のリスクを負いながら︑人を救う仕事に献身する医師が主人公︑ベルナール・リウーである︒

実は最後に︑主人公であるリウー自身がこの物語の語り手でもあるという種明かしがある︒リウーは日々︑苦しむ

人に向き合う現場の医師である︒他の医師も登場するが︑彼らは病因や治療について語り︑解決を目指す研究系の

医師だったり︑政策に関わる官僚的役割の医師だったりする︒この現場の医師こそが︑見捨てられるように人々が

死んでいく絶望的な状況で︑それに抗う生き方を体現する存在として描かれていく︒カミュの言葉で言うと

︑ ﹁

条理﹂な世界での﹁反抗﹂ということになる︒

ケアする医師が応答する宗教的な問い

  宗教を受け入れないと発言する作家だが︑苦難を受け止める思考においてキリスト教が強く意識される︒アルジ

ェ大学でのカミュの卒業論文は

︑ ﹁

キリスト教哲学とネオプラトニズム﹂だったことを思い起こしてもよいだろう︒

物語ではイエズス会士のパヌルー神父が登場する︒ペストが流行し始めて間もない頃の神父の説教は自信に満ちて

いる︒その説教には︑悪の原因を人間の側に求める根深い心性が宿っている︒それが特定の人に向けられることが

多い︒忌避され差別される人たち自身に苦難の責任を自覚させることにもなる︒戦争でも感染症でも平等に苦難を

背負うと感じられがちだが︑実はそうではない︒リウーとの対話を通してパヌルー神父はこのことに気づいていっ

(22)

たようだ︒   リウーが思想的対話を行うもう一人の人物は︑副主人公ともいうべきジャン・タルーである︒タルーは旅人であ

り︑よそ者であり︑とくに仕事があるわけではない︒だが︑ものごとをよく観察して記録することに情熱をもって

いる︒学者のようでもあり︑作家のようでもあり︑記者のようでもあるが︑世捨て人のようでもある︒そんなタル

ーこそが分断を超えるべく自発的なケアの集団

︑ ﹁ 保健隊﹂を始めた︒次第に信頼と友情を深めていくリウーとタ

ルーの﹁神﹂をめぐる対話は以下のようなものだ I︒

タルー﹁神を信じていますか︒先生?﹂

リウー﹁信じていません︒しかし︑それは一体どういうことか︒私は暗夜のなかにいる︒そうしてそのなかで

なんとかしてはっきりみきわめようと努めているのです︒もうとっくの昔に︑私はそんなことを別に変った

ことだとは思わなくなっていたのですがね

︒ ﹂

タルー﹁つまりそこじゃありませんか︑あなたとパヌルーの違いは?﹂

リウー﹁そうは思いませんね︒パヌルーは書斎の人間です︒人の死ぬところを十分見たことがないんです︒だ

から︑真理の名において語ったりするんですよ︒しかし︑そんなつまらない田舎の司祭でも︑ちゃんと教区

の人々に接触して︑臨終の人間の息の音を聞いたことのあるものなら︑私と同じように考えますよ︒その悲

惨のすぐれたゆえんを証明しようとしたりする前に︑まずその手当をするでしょう﹂

タルー﹁なぜ︑あなた自身はそんなに献身的になれるんですか︑神を信じていないのに?  あなたの答えによ

って︑あるいは私も答えられるようになるかもしれないんですがね

︒ ﹂

(23)

新たな感染症の時代の弔いとケア

不条理に苦しみつつ生きる

  以上︑二つの対話はカミュが神義論 Jに関わるような次元︑限界状況とスピリチュアルペインをめぐる問いに強い

関心をもっていたことを示すものだろう︒ニーチェやトルストイやドストエフスキーを尊敬していた作家だとすれ

ば︑不思議なことではないだろう︒そもそも﹁不条理﹂と﹁神義論

﹂ ﹁

スピリチュアルペイン﹂は類縁をもつ言葉

である︒

  新型コロナウイルス感染症のパンデミックは︑この﹁不条理﹂という語を思い起こさせるものだった︒津波や地

震︑水害などの気候災害もいくらかはそのような効果をもっただろう︒だが︑新型コロナウイルス感染症は︑全人

類的な災害でありその影響が大きいこと︑人間が対処に苦しむ時期が続くこと︑対処の是非が審問され責任が問わ

れることなどによって︑その問いは深刻度を増すように思う︒

  ここで思い起こされるのは︑物語の末尾近くで行われるリウーとタルーの対話の場面である︒ここで︑タルーは

彼がなぜ世捨て人になったのかについて語っている

︒ ﹁ タルーの告白﹂と名づけてもよい箇所だ K︒

話を簡単にするためにまずいっておくがね︑僕はこの町や今度疫病に出くわすずっと前から︑すでにペストに

苦しめられていた︒

  どういう意味か︒私なりに勝手に解釈すると︑人はこの世に満ちている理不尽な出来事に関与者とならざるをえ

ない︒それをあえて避けようとすれば

︑ ﹁

追放﹂されたものとして生きるしかない︒だが︑その﹁追放﹂された者

であるタルーが︑友情を尊び︑人々に連帯を表す保健隊を始めることになったのだ︒

(24)

宗教とスピリチュアリティの役割   ケアと共苦共感を育むということでは︑これまでの人類社会では宗教が大きな役割を果たしてきた︒歴史上︑宗

教は差別を増幅する役割を負うことも︑差別される人︑身寄りがなく孤立していく人を守り支える働きをすること

もあった︒感染症に苦しむ人たちが差別と排除に苦しむ時代は長かった︒排除されるハンセン病の人たちを進んで

助ける宗教者はキリスト教の歴史にも日本の仏教の歴史にも見られる︒

  他方︑新型コロナウイルス感染症もそうだが︑現代の感染症の脅威に抗うには︑人と人との接触・接近を減らす

ことが求められ︑ケア活動の抑制を強いる側面がある︒いくつかの国では宗教の集会で多くの人が集まり︑感染が

拡大してしまった例が伝えられた︒日本でも海外で新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の葬送に︑近しい人

たちが立ち会えないケースが増えている︒カトリックの日曜のミサやモスクでの金曜の礼拝のように︑もっとも重

要な定期的な礼拝集会を開くのを控えている宗教共同体も多いが︑これらは宗教活動の根本に関わる事柄とも言え

る︒

  身近な人との死別の悲嘆︑感染症の打撃を受ける怖れ︑暮らしの先が見えない苦難に苦しむ人が多い︑まさにそ

のときにケアがしにくい︒だが︑こうした困難のなかから︑ケアと共感の精神をどう伝え育てていくのか︒宗教伝

統︑宗教団体だけではない︒人々の間に受け伝えられてきたケアの心︑共苦共感のスピリットがどのような形をと

って引き継がれていくのか︒まだよく見えない︒

  ただ︑弔いという側面からもケアという側面からも

︑ ﹁

排除しない

﹂ ﹁

見捨てることがない﹂宗教性が求められて

いることは確かだ︒ホセ・ムヒカが示唆しているように︑格差がもっと小さく人を孤立させない社会が望まれる

(25)

新たな感染症の時代の弔いとケア

し︑共苦共感のケアのスピリットがますます必要になるだろう︒死者への弔いのあり方もそうした動きにそったも

のになるだろう︒

  1バイデン氏コロナ犠牲者の追悼式出席就任式を前に

﹂ ︵

朝日新聞デジタル二一年一月二一日

︶ ︒

  2ロバートベラーアメリカの市民宗教

﹂ ︵ 河合秀和訳社会変革と宗教倫理未来社一九七三年論文原著一九六七年

︶ ︑

三五八頁

  3同前三五八三五九頁

  4バイデン氏コロナ犠牲者の追悼式出席就任式を前に

﹂ ︵

前掲

︶ ︶

  5バイデン米大統領コロナ死者

50万人を追悼

﹂ ︵CNN二一年二月二三日

︶ ︒

  6中国政府全国で半旗新型コロナ犠牲者を追悼

﹂ ︵

毎日新聞年四月四日

︶ ︒

    7中国李文亮医師死去功績伝える報道ほとんど見られず

﹂ ︵NHK年二月七日

︶ ︒

  8中国李文亮医師の死去年を警戒NHKニュースが数分間も中断

﹂ ︵

産経新聞二一年二月七日

︶ ︒

  9大坂なおみ選手がマスクでアピールする米黒人犠牲者たち

﹂ ︵BBC年九月一

︶ ︒

10  宮澤安紀尾角光美死をめぐる新型コロナウイルス感染症の影響││葬送文化と死別グリーフサポートの観点から

﹂ ︵

代宗教2021国際宗教研究所二一年二月

︶ ︒

11  https://chikouken.org/10879/寺院における新型コロナウイルスによる影響とその対応に関する調査結果報告

一年五月三一日最終閲覧

12  見捨てられた母米死者命の格差高齢者施設に集中

﹂ ︵

朝日新聞年六月八日

︶ ︒

13   25 人が死亡した高齢者施設現場医師が語る実態

﹂ ︵

テレ朝ニュース二一年五月九日

︶ ︒

14  社会回復英国の転機コロナ禍から見えたブレイディみかこさん

﹂ ︵

毎日新聞年六月八日

︶ ︒

15  

﹁ ﹁

人生は富を築くだけのものなのか〝世界一貧しい〟元大統領がコロナ禍で問う価値観

﹂ ︵

毎日新聞年六月二

︶ ︒

(26)

16  拙論スピリチュアルケアと宗教

﹂ ︵ 鎌田東二編講座スピリチュアル学  スピリチュアルケアビイングネット

プレス一四年

︶ ︑拙著ともに悲嘆を生きる││グリーフケアの歴史と文化朝日新聞出版一九年

17  以下のペストについての考察は拙論カミュペスト││カミュが描く危機的状況の死生と希望

﹂ ︵

現代思想九月

臨時増刊号コロナ時代を生きるための六青土社年八月に基づいている

18  アルベールカミュ宮崎嶺雄訳

︶ ﹃

ペスト新潮文庫一九六九年一八四一八五頁

19  神義論についてはマックスウェーバー大塚久雄生松敬三訳

︶ ﹃宗教社会学論選みすず書房一九七二年

︑ ﹁限界

状況についてはカールヤスパース草薙正夫信太正三訳

︶ ﹃

哲学Ⅱ 実存解明創文社一九九三年原著一九三二

︶ ︑

宇都宮芳明ヤスパース清水書院一九六九年

︑ ﹁スピリチュアルペインについては窪寺俊之スピリチュアルケア

入門三輪書店〇〇〇参照

20  前掲

18︶ ︑

三六二三七八頁

(27)

Mourning and Caring Amid the New Pandemic Age

A Rising Mode of the Religious

S

HIMAZONO

 Susumu

All over the world, many people died of COVID-19 during the past years. 

Caring for the patients proved to be very difficult, and funeral ceremonies  could  not  be  conducted  as  normal.  Everyday  religious  events  and  rituals  had  to  be  canceled  or  limited  in  scope.  Some  dying  patients  could  not  receive sufficient medical help and religious care. Others lost their income  and  livelihood,  and  some  even  saw  no  other  way  but  to  commit  suicide. 

This pandemic is a catastrophic disaster that threatens the human commu- nity.  After  the  Great  East  Japan  Earthquake  in  2011,  there  were  many  opportunities to mourn the loss of human lives together through religious  rituals and other practices of commemoration. However, facing the disaster  of  COVID-19,  in  Japan  there  have  not  been  many  occasions  for  collective  mourning. In some other countries, ritual events have been performed for  those who died of COVID-19. In contrast to traditional religious responses  to  disasters,  a  new  perspective  on  religion  emerges  in  reevaluating  the  practice of medical workers. Expressions of respect and gratitude honoring  medical  workers  and  others  involved  in  providing  care  in  the  face  of  unbearable suffering may resemble a religious response.

参照

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