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自然をめぐって ─ 一九〇二~九年

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Academic year: 2021

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The fiction of TAYAMA Katai : Atomosphere and Representation

       葛  綿  正  一

      KUZUWATA Masakazu

はじめに ― 自然主義の可能性

  これまで日本の自然主義文学は、あまりに歴史的コンテクストに縛られて解釈されてきたように思われる。自然主義の問題はしばしばモデル論に還元されてしまった。しかし、自然主義は神話と歴史の点で様々な豊かさを秘めている。自然主義には歴史的側面とともに、神話的側面があるといってもよい。本試論では自然主義を狭義の歴史主義から解き放ち、その可能性を考えてみたい。日本の自然主義を代表するのは田山花袋、島崎藤村、徳田秋声だが、泉鏡花も取り上げる。自然主義の問題をより鮮明にするためである。「自然主義はリアリズムに対立せず、反対に、リアリズムのいくつかの特徴を、或る特殊なシュールレアリスムに引き延ばすことによって強調している」というジル・ドゥルーズの指摘は重要であろう(財津理、齋藤範訳『シネマⅠ』法政大学出版局、二〇〇八年)。

  鉄道に着目した「ゾラと裂け目」もまたすばらしい自然主義論だが(小泉義之訳『意味の論理学』河出文庫、二〇〇七年)、それに倣って、まず鉄道とのかかわりを素描しておきたい。風俗史家である花袋において鉄道は空気を震わすものであり、風俗史的な役割を果たす。「危いと車掌が絶叫したのも遅し早し、上りの電車が運悪く地を撼かして遣つて来たので、忽ち其の黒い大きな一塊物は、あなやと言ふ間に、三四間ずるずると引摺られて、紅い血が一線長くレイルを染めた。/非常警笛が空気を劈 つんざいてけたたましく鳴つた」(『少女病』)。

  詩人である藤村において鉄道は大地から立ち上がらせるものであり、詩的な役割を果たす。「過ぐる七年のさびし

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い嵐は、それほど私の生活を行き詰つたものとした。/私が見直さうと思つて来たのも、その墓地だ。そして、その墓地から起き上る時が、どうやら、自分のやうなものにもやつて来たかのやうに思はれた。その時になつて見ると、『父は父、子は子』でなく、『自分は自分、子供等は子供等』でもなく、ほんたうに『私達』への道が見えはじめた。(中略)『次郎ちやん、停車場まで送りませう。末子さんもわたしと一緒にいらつしやいね。』とお徳が言ひ出した」(『嵐』)。『ある女の生涯』の場合は大地からヒロインを引き離している。「汽車は黒い煙をところどころに残し、旧い駅路の破壊し尽された跡のやうな鉄道の線路に添うて、その町はずれをも離れた。/おげんはがつかりと窓際に腰掛けた」。

  小説家である秋声において鉄道は火を撒き散らすものであり、散文的な役割を果たす。「火のやうに見える件の隧道の小口から、塊の真黒の烟を絶 したたか吐出して、轟々と出て来た列車がある」(『気まぐれもの』)、「日暮里へ来ると、灯影が人家にちらちら見えだした。昨日まで、瀑などの滴垂りおちる巌角に佇んだり、緑の影の顔に涼しく揺れる白樺や沢胡桃などの、木立の下を散歩したりしてゐたお増の頭には、長いあひだ熱鬧のなかに過された自分の生活が、浅猿しく振顧られたり、兄や母親達と一緒に、田舎に暮してゐるお柳の身のうへが、憐れまれたりした」(『爛』三十)。

  劇作家である鏡花において鉄道は水を招き寄せるもの、自然を縫い取るものであり、演劇的な役割を果たす。「北陸線は、越前敦賀から起つて、福井を越え、当国大聖寺を通つて、今や将に手取川に臨んで居る。二條の鉄線は蜒々として、名だたる嶮峻、中の河内、木芽峠を左右に貫き、白鬼女、九頭龍の流を渡り、牛首を枕にして、ずるずると連続して居る、山は巻いては、恰も高き黒き虹の如く、川に横つては大いなる白き蛇の如きものだ」(『続風流線』三十六)。詳しくは後述するが、自然主義とは鉄道によって呼び覚まされた自然の轟きであるかのようだ。

  以下、自然主義文学を神話性と歴史性という観点から読み解いてみたいと思う。もちろん、自然主義とは神話批判の試みであろう。しかし、新たな神話を再創造してもいる。はなはだ簡便な定義ではあるが、とりあえずイメージの凝集を神話性と呼び、イメージの分散を歴史性と呼んでおくことにする。できるだけテクストに密着したリテラルな分析をめざしたい。

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自然をめぐって ─ 一九〇二~九年

  まず最初、田山花袋の自然主義について考える。代表作を年代順に取り上げるが、自然、家族、女性、時間、歴史に分けて検討してみよう。引用は『定本花袋全集』全二八巻(臨川書店、一九九三~五年)による〔1〕。

空気・放火・自然

  『重右衛門の最後』

(一九〇二年)では少女を唆して放火させた男が村人たちに殺害される。藤田重右衛門について次のような解釈が示される。「人間は完全に自然を発展すれば、必ずその最後は悲劇に終る。則ち自然その者は到底現世の義理人情に触着せずには終らぬ。さすれば自然その者は、遂にこの世に於て不自然と化したのか」と自分は独語した。(十一)人間の欲望を自然のままに発展させると、義理人情と衝突して、ついには不自然になるということであろう。だが、少女の報復で村は灰燼に帰す。結末は次の通りである。それからもう七年になる。/其村の人々は自分は今も猶交際して居るが、つい、此間も其村の冒険者の一人が脱走して自分の家を尋ねて来たから、あの後は村は平和かと聞くと、「いや、もうあんな事は有りはしねえだ。あんな事が度々有つた日には、村は立つて行かねえだ。御方便な事には、あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの時分より富貴に為つただ」と言つた。そして重右衛門とその少女の墓が今は寺に建てられて、村の者がをりをり香花を手向けるといふ事を自分に話した。/諸君、自然は竟に自然に帰つた!(十二)

  あたかも荒ぶる男を犠牲にして共同体は豊かになったかのようだ。自然は不自然になるが、再び自然に帰るのである。不自然から自然へ、これが本小説のテーマといえるかもしれない。冒頭「五六人集つたある席上で」の話から始まり、フローベールの『ボヴァリー夫人』冒頭を踏まえた新入生の場面があり、「静かな村!」に至るのが前半である。五年は夢の如く過ぎ去つた。/其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘ぎ喘ぎ伝つて行くので、前には僧侶の趺坐したやうな山が藍を溶したやうな空に巍然と

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して聳えて居て、小山を開墾した畑には蕎麦の花がもうそろそろその白い美しい光景を呈し始めようとして居た。空気は此上も無く澄んで、四面の山の涼しい風が何処から吹いて来るとも無く、自分の汗になつた肌を折々襲つて行くその心地好さ!(四)

  「空気」の一語に注目してみたいが〔2〕

、作品の前半は雑然とした人事から、村の自然へと推移している。後半が荒ぶる男の所業から自然への回帰である。このように不自然から自然へというのが花袋の小説テーマになっている。

  だが、「静かな村!」の一語にすべてが収まるかにみえたとき、実は決定的なものが目に映る。「と思つた途端、ふと自分の眼に入つたものがある。大杉の陰に簇々と十軒ばかりの人家が黒く連つて居て、その向ふの一段高い処に小学校らしい大きな建物があるが、その広場とも覚しきあたりから、二道の白い水が、碧なる大空に向つて、丁度大きな噴水器を仕掛けたごとく、盛に真直に迸出して居る」と続く。静かだと思われた村には放火があったのであり、「噴水器」たるポンプは静かな表象を破る機械だったのである。「これは必ず不自然な事があつたに相違ないと自分は思つた」。この不自然が解消されるのが後半の展開であり、それは表象からはみ出ていた荒ぶるものが自然の表象に収まる展開でもある〔3〕。花袋の小説の真のテーマは、この透明な表象の獲得ではないだろうか。以下、そうした点を確認してみたい。

空気・少女・表象

  『少女病』

(一九〇七年)は少女に恋心を抱き電車に轢かれる男の話である。「山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木の電車停留場の崖下を地響させて通る頃、千駄谷の田畝をてくてく歩いて行く男がある。此男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘の深い田畝道に古い長靴を引ずつて行くし、風の吹く朝には帽子を阿弥陀に被つて塵埃を避けるやうにして通るし、沿道の人々の家々の人は、遠くから其姿を見知つて、もうあの人が通つたから、あなたお役所が遅くなりますなどと春眠いぎたなき主人を揺り起す軍人の細君もある位だ」(一)。ここで男は空気になっているのである。あるいは通勤の表象になっているといってもよい。もちろん、その空気はしかるべきときには風となって吹き付けている。

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電車は代々木を出た。/春の朝は心地が好い。日がうらうらと照り渡つて、空気はめづらしくくつきりと透徹つて居る。富士の美しく霞んだ下に大きい櫟林が黒く並んで、千駄谷の凹地に新築の家屋の参差として連つて居るのが走馬灯のやうに早く行過ぎる。けれど此無言の自然よりも美しい少女の姿の方が好いので、男は前に相対した二人の娘の顔と姿とに殆ど魂を打込んで居た。けれど無言の自然を見るよりも活きた人間を眺めるのは困難なもので、余りしげしげ見て、悟られてはといふ気があるので、傍を見て居るやうな顔をして、そして電光のやうに早く鋭くながし眼を遣ふ。(四)

  何よりも透明な「空気」に注目したい。『重右衛門の最後』は不自然から自然へと推移する作品であったが、『少女病』も同様の作品といえる。自然から人間へ、そして再び自然へと推移するからである。少女に執着をみせた主人公は電車に轢かれ、自然へ帰ることになる。電線のうなりが遠くから聞えて来て、何となくあたりが騒々しい。ピイと発車の笛が鳴つて、車台が一二間ほど出て、急にまた其速力が早められた時、何うした機会か少くとも横に居た乗客の二三が中心を失つて倒れ懸つて来た為めでもあらうが、令嬢の美に恍惚として居たかれの手が真鍮の棒から離れたと同時に、其の大きな体は見事に筋斗がへりを打つて、何の事はない大きな毬のやうに、ころころと線路の上に転り落ちた。危いと車掌が絶叫したのも遅し早し、上りの電車が運悪く地を撼かして遣つて来たので、忽ち其の黒い大きな一塊物は、あなやと言ふ間に、三四間ずるずると引摺られて、紅い血が一線長くレイルを染めた。/非常警笛が空気を劈いてけたたましく鳴つた。(五)

は少女小説を書き続ける。 作品のキーワードは何よりも「空気」なのである。花袋が執着した少女とは甘い空気だったといえる。だから、花袋   「一二」「二三」「三四」の数字がなんとも律儀であろう。甘い空気が一変して緊張した空気になっているが、花袋

空気・スキャンダル・表象

  花袋自身をモデルにした『蒲団』(一九〇七年)では妻子ある中年作家が女弟子に思いを寄せるのだが、冒頭から

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それが不可能であることが強調されている。「兎に角時機は過ぎ去つた。彼の女は既に他人の所有だ!」/歩きながら渠はかう絶叫して頭髪をむしつた。/時は九月の中旬、残暑はまだ堪へ難く暑いが、空には既に清涼の秋気が充ち渡つて、深い碧の色が際立つて人の感情を動かした。肴屋、酒屋、雑貨店、其の向うに寺の門やら裏店の長屋やらが連つて、久堅町の低い地には数多の工場の煙筒が黒い煙を漲らしてゐた。(一)

つた。取り残した芋の葉に雨は終日降頻つて、八百屋の店には松茸が並べられた。(五) の森を鳴らして、空の色は深く碧く、日の光は透通つた空気に射渡つて、夕の影が濃くあたりを隈どるやうにな ても、此の恵深い師の承認を得さへすればそれで沢山だとまで思つた。/九月は十月になつた。さびしい風が裏 で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母に此の恋を告ぐる時、旧思想と新思想と衝突するやうなことがあつ になることはない。女弟子には若い恋人がいたからである。 関係も一挙にして破れて了ふであらう」と男は思い込んでいた。だが、決定的に時機を逸する。空気が波立って暴風 れるものを求めていた。「機会に遭遇しさへすれば、其の底の底の暴風は忽ち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の   「だらだらと坂を下りて行く」のが主人公の人生ということになるだろう。そんな中で主人公は空気を震わせてく

  ここにも透明な「空気」が出現するのだが、旧思想と新思想の衝突は透明な空気の中で起こる抽象的な出来事でしかない。秋になって松茸が並べられるというのも律儀な表象である。二人を別れさせるため中年作家は女弟子を汽車で故郷に送り返す。時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思つた。別れた後其の儘にして置いた二階に上つた。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残つた其の人の面影を偲ばうと思つたのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るやうな音が凄じく聞えた。別れた日のやうに東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるやうに射し込んだ。(十一)

  中年作家は女弟子から届いた手紙を目にして感傷に耽るのだが、重要なのは光線が流れる空気であろう。立ち上る匂いは空気中の現象だからである。中年作家は女弟子の蒲団の匂いを嗅ぐのだが、花袋にとって蒲団とは空気の塊で

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はないか。女のなつかしい油の匂ひと汗のにほひとが言ひも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立つて汚れて居るのに顔を押付けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂ひを嗅いだ。/性欲と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲つた。時雄は其蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞の襟に顔を埋めて泣いた。/薄暗い一室、戸外には風が吹いて居た。(十一)

  確かに、性的な真実の告白というべき場面ではあろう。しかし、それは苛烈な意志を貫徹させるといったものではない。花袋はことさらに戸外の風を強調をしているが、あくまでも室内の微温的な現象にすぎない。花袋においてスキャンダルは微温的に空気中に消えてしまうだけなのである〔4〕。

空気・結核・自然

  義兄の寺で知った代用教員をモデルにした『田舎教師』(一九〇九年)は田舎に埋もれまいとするが、結核で亡くなる教師の物語である。花袋はいつもの通り、空気に言及し、美しい表象を提示している。一月二月と経つ中に、学校の窓から覗いた人生と実際の人生とは何処となく違つて居るやうな気が段々して来た。第一に、父母からして既にさうである。それは周囲の人々の自分に対する言葉の中にもそれが見える。常に往来して居る友人の群の空気もそれぞれに変つた。(一)

  学校から実社会へ、そこでは空気が変わるという。また別に「家庭の空気」が存在する。四時頃から雨は霽れた。路はまだグシヤグシヤして居る。父親が不成功で帰つて来たので、家庭の空気が何となく重々しく、親子三人黙つて夕飯を食つて居ると、「御免なさい」といふ声を先に立てて、建付の悪い大和障子を明けようとする人がある。(五)

  次もまた家庭の空気である。「二三日前までは老母が夕毎に其処に出て、米かし桶の白い水を流すのが常であつたが、娘が帰つて来てからは、其の色白の顔がいつも分明と薄暮の空気に見えるやうになつた。其頃には奥で父親の謡がいつも聞えた」(十七)。

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  花袋が得意とするのは「秋の晴れた日の空気」であり、そのため利根川が作り出した関東平野の広がりが必要とされる。発戸の村はづれの八幡宮に来ると、生徒はばらばらと駆け出して其裏の土手に馳せ上つた。先に登つたものは、手を挙げて高く叫んだ。ぞろぞろと跟いて登つて行つて手を挙げて居るさまが、秋の晴れた日の空気を透して疎らな松の間から見えた。其の松原からは利根川の広い流が絵を展げたやうに美しく見渡された。(二十)

  空気に敏感なのが花袋の主人公といえる。「一日、学校の帰り道を一人さびしく歩いた。空は晴れて、夕暮の空気の影濃かに、野には薄の白い穂が風に靡いた。ふと、路の角に来ると、大きな包を背負つて、古びた紺の脚絆に、埃で白くなつた草鞋をはいて、さも労れ果てたといふ風の旅人が、ひよつくり向うの路から出て来て、「羽生の町へはまだ余程ありますか」と問うた」(二十)。

  「夕暮の空気」の広がりにおいて「かれも旅人、われも同じく他郷の人!」という感傷が生まれている。

「半孕んだ帆が夕日を受けて緩かに緩かに下つて行くと、洋々として大河の趣を成した川の上には初秋でなければ見られぬやうな白い大きな雲が浮んで、川向うの人家や白壁の土蔵や森や土手が濃い空気の中に浮くやうに見える。土手の草むらの中にはキリギリスが鳴いて居た」(三十一)。

  「濃い空気」こそ田舎教師が必要としたものであったといえる。だが、主人公は空気から拒まれていく。

「さびしい寒い宿直室の生活はやがてまた始まつた。昨年の十一月から節約に節約を加へて、借金の返却を心懸けたので、財嚢は常に常に冷かであつた。胃が悪く気分がすぐれぬので、努めて運動をしようと思つて、生徒を相手に校庭でよくテニスを遣つた。かれの蒼白い髪の生えたすらりと痩せた姿はいつも夕暮の空気の中に鮮かに見えた」(四十一)。

  空気に敏感なせいであろうか、主人公は結核となって肺を病む。「『矢張、肺でせうか。』/『肺ですな……もう両方共悪くなつてゐる!』」(五十九)。主人公は結核で亡くなるが、いわば自然に帰るのである。『あの娘は林さんが弥勒で教へた生徒だとサ、』と上さんは何処かで聞いて来て和尚さんに話した。/秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡つて、寺の裏の森は潮のやうに鳴つた。その森の傍を足利まで連絡した東武鉄道の汽車が朝に夕に凄じい響を立てて通つた。(五十九)

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  戸外の風は自然を代表している。東武鉄道が足利まで開通したというところに歴史性がうかがえるのだが、それも律儀な表象に収まっている。同じく教師を主人公とした藤村の『破戒』と花袋の『田舎教師』を比較していえば、前者には大地の意志があるだろう。しかし、後者には空気の感傷しかないのである。花袋の兄が「肺空洞」になることも主題論的な必然にみえる(『兄』一九〇七年)。

二   家族をめぐって ─ 一九〇八~一〇年

  ここでは家族を描いた『生』『妻』『縁』を取り上げる。藤村における『春』(一九〇八年)や『家』(一九一〇年)に相当するものだが、父親を描くところに藤村の特質があり、母親を描くところに花袋の特質があるだろう。

自然・母・表象

  『生』

(一九〇八年)は花袋自身の母親をモデルにしている。若くして夫に先立たれた母親は息子や嫁に当たり散らす。長男は薄給で甲斐性がなく、次男の小説家は売れるかわからず、三男の軍人は遠く離れているからである。もう日は暮れた。客が一人入つて来た。/『入つしやい』といふ番台の女の声が高く四 辺に響く。戸 外を荷馬車の通る音ががたがたと聞える。五月は下旬、空気の湿つぽい暖かな晩であつた。(一)

  まず銭湯で兄の何度目かの再婚が噂されている。「空気」を描くところからはじまるのが花袋の小説といえる。前の嫁は幼児を窒息させてしまったため、母親によって離縁させられたのである。次に弟の初々しい新婚が描かれるが、そこで空気が変わる。門前の低地に霧は微白く沈んで、空にはをりをり星が見える。夜風は顔を撫でるやうに軽く吹いて、草木の茂りの薫がしつとりとした空気にそこはかとなく伝はると、大地からは物の生育する気が四 辺一面に緩く暖かくしめやかに満ち渡つた。(十二)

  次男の嫁の出産を描くが、そこでまた空気が変わることになる。「四時近く、それでも少しは落附いて、病人も横

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になつて寝ることの出来る頃には、夏の空の明け易く、黎 しののめ明の新しい光が既に四辺に充ち渡つて居た。銑之助は暁の新鮮なる空気を吸ふべく前の雨戸を手づから繰つたが、ふつと見ると四畳半の開きが少し明いて居るので、何の気も無く覗いて見ると、暗い洋 燈の一室には、蒲団、掻巻、嫁の晴着やら帯やらのぬぎ捨てたのがその儘になつて居た」(十六)。

  三男の結婚が話題になると、また空気が変わる。「不図、気が附くと、低い田を隔てた彼方の丘陵の上に、銑之助が立つて此方を手招きして居る。夕日の余照が晴れた空気に射し渡つて、後に並んで立つ榛の樹の葉が常よりも黒く見えた。其丘陵は此地がなにがし侯の下邸であつた頃の築山で、今は萱や薄や雑草に埋められてあるが、それでも一条の細い路はついて居て、其処からは早稲田の低地を隔てて目白台が一目に指さされる、時には水彩画家が三脚を立てて居ることなどもあつた」(五十四)。

  誰かが結婚するたびに「空気」を描く花袋ははなはだ律儀で勤勉な作家といえるだろう。母親が不治の病で亡くなるのが、結末である。序 ついでに写真を蔵つて置く小箱が其処に展げられる。明治の初年に大阪で撮つたといふ大小を差した父親の写真はもう黄いろく薄くなつて居た。それに兄弟三人揃つて撮した少年時代の写真、誰れだれか解らぬ丸髷の女と一所に撮つた中年の頃の母親の写真、死んだ叔母の写真、嫂の写真、総領の姉の写真は其頃流行つた種板其ままの硝子製で、木の框の壊れて取れたのを丁寧に母が白紙に包んで蔵つて置いた。其の他に昨年英男と一緒に写した母親の写真が一枚あつた。兄弟は皆なそれを手に取つて見た。(八十)

  すべては表象としての写真に収まるのである。『記念会』(一九一一年)の写真師の指示に従えば写真は空気の振動を伴うものだが(「ボツと音がして、マグネシウムが明るく燃えた」)、透明な空気を物質化したのが写真であろう。興味深いことに、この写真に沁みや擦れは見られない。花袋は平面描写における「皮剥の苦痛」を強調しているが、それは空気を描こうとする作家の苦しみということになる。

自然・妻・表象

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  『妻』

(一九〇九年)は妻を中心に家庭生活を描く。作家の中村勤と妻のお光には表象をめぐる差異がみられる。箱根に行つた時、大地獄といふ処へ伴れられて行つたが、夫の愉快さうなのに引かへてお光は恐れ慄いて顔を真蒼にして了つた。面白いどころか、珍らしいどころか、駕籠に取付いて一刻も早く山を下ることをお光は望んだ。其時夫は『駄目だなア、怖いことは一つもありやしないぢやないか、かうして己も立つてるぢやないか。』と叱るやうに言つた。夫は雲が美しいと謂つては佇立み、水が綺麗だと言つては駕籠を停め、湖水が面白いと言つては其処に一泊しようとした。けれどもお光にはさうした、自然の景色よりも賑かな東京の街の方が面白かつた。

  (四)

に手足を縮めて眼を閉じて丸くなつて居た。人間の子と謂ふよりも小さな肉の塊と謂つた方が適当であつた。(九) の新しい啼声が朝の静かな空気に震へて聞えた。(中略)生児は初めて触れた世の中の空気を怕るるもののやう 雨は止んで居たが、靄が茫と一面に屋敷町を籠めて居た。/気にしながら、下の家の門前に来ると、突然、赤児 抱かない。それは空気に対する感度といってもよい。夫の弟は軍人だが、その嫁お孝が出産する場面をみてみよう。   「自然の景色」が観光地的な表象であることは明らかであろう。夫は表象にすぐさま同調するが、妻は違和感しか

  花袋にとって誕生とは空気に触れることなのである。次の場面は妻の次兄が結婚するところだが、花袋は律儀に空気を変えている。「裏の高窓を明けると、冷たい十月の空気が入つて来て、向うの家の庭の高い梧桐の葉ががさがさと夜風に鳴る。明神山の常夜燈がポツツリ見えて、黒い大銀杏の上に星が光つた。/貞一と勤とは尽きざる話に耽つた。二人は政次の結婚の席に列するといふよりも、かうして語り合ふ機会を得たのを一層うれしく思つたのである。貞一は田舎寺の方丈さんになつて了つた」(十四)。

  ここに「空気」の描写が出てくるのは結婚場面だからであり、勤が妻の長兄と親しく語り合う場面だからであろう。それと同じ空気の中で、妻は出産する。…勤が里の母親を迎への車を頼みに行つて帰つて来ると、門の処で小やかな性急な生児の啼声が朝の鮮かな冷たい空気を劈いて鋭く聞えた。/勤の胸には今まで経験したことの無い新しい喜悦が漲り渡つた。/生れた子は女の子であつた。新しい世の空気に触れるのを恐れるやうに手足を縮めてひた啼に啼く。(十五)

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  空気に触れること、それは花袋にとって小説の誕生と同じ出来事ではないだろうか。子供の泣き声が「家の空気」を一変させたという(十六)。近所の工場に通う労働者に同情していると、汽笛が「朝の空気」を劈いて響く。主人公は田舎の寺に住む義兄のもとを訪れる。道路が町から四方に車の輻 のやうに通じて、其外に、乗合馬車の継立場が三箇所まであつて、町の静かな空気を賑かにした。/寺は町の裏にあつた。山門の白壁は半崩れて、舗石道はでこぼこと歩み難く、本堂は低く見すぼらしかつた。昔栄えた寺の衰残

杉山の大きいのと、境内の広いのと、周囲に溝を取廻してあるのとが、昔の栄えと今の衰へとを語つた。(三十)

  「空気」

の描写は再び主人公と義兄の語り合いを導いている。そして花袋は「昔の栄えと今の衰へ」に関心を寄せる。「五年前に西さんが作つた詩で、若い連中は当時よく歌つたものである。夕日の野に林から出ようとする坂の上などに来ると、西さんはやさしい声で、眉を昂げて、胸に染みわたるやうな歌ひ方をした。向うには利根川が一筋白く、帆が色ある雲に映つた。それが、今、秋雨の降頻る田舎寺の薄暮の侘しい空気に震へるやうに聞えた」(三十)。西は柳田国男をモデルとするが、歌声と「空気」は美しい表象を演出している。世間といふものが解つたやうな気がすると共に、栄ゆるものの上にも、衰ふるものの上にも、動かすべからざる力が行はれて居ることをつくづく思つた。/『労働!労働!』/と自ら叫んで、ゾラのことなどを考へて見た。/妻といふことが頭脳を衝いて来た。恋といふも愛といふも皆な生殖の為である。複雑した人間の生活も皆な種の継続の為であるといふやうに考へても見た。けれどさういふ風に見るよりも、恋は恋、愛は愛、妻は妻、生活は生活といふ風に、その中心に連絡した思想を置かずに考へる方が事実に近いと思つて見た。(三十一)

  大袈裟にゾラのことを考えたりするのは、単に家庭の問題を忘れたいためである。「動かすべからざる力」も「中心に連絡した思想」も花袋には無縁にみえる。花袋に理解可能なのは力ではなく表象であり、しかも、その都度その都度の表象である。

  主人公は女の弟子を家に引き取ることにする。家庭に疎外感を覚えた夫が若い女弟子に惹かれていくのは、若い女性が新時代の表象だからであろう。「東京の空ツ風て今が一番気候のわるい時ですから」と主人公は風を気にしてい

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る(三十八)。勤の家の空気が頻りに動揺した。下女がまた出て行つた。/新しい婢 をんなが目見えに来て、一日働いて見て、居ることに定ると、お菊は荷物を白い大きな風呂敷に包んで、お別れの言葉を述べた。(四十三)

  女弟子を迎えた主人公の家は空気が変わって揺らぎはじめるが、そうした動揺をすべて戦争が飲み込む。騒がしい号外の声を聞流して、勤は日比谷公園に入つた。午後は暖かであつたが、夕暮から風が出て、雲が出て、赤煉瓦の大きな建物の上に残つた日影は厭に黄色かつた。戦端が開かれたといふ日、『そんな大きな戦争を始めて日本は何うするんだらう。』といふ不安があつたが、愈々敵が復仇に来たと思ふと、人々と同じやうに烈しく血が躍つた。国の為

かういふ思を起したことはかれには稀であつた。/津軽海峡の怒濤が絵のやうに眼の前に浮んで通つた。(四十六)

  戦争がはじまって主人公は高揚する。しかし、いかにも律儀な表象であろう。津軽海峡の怒濤が「絵のやうに」浮かぶのは、そのためである。平凡なる自己の生活

寧ろ平凡なる人間の生活。/揺籃から死に至るまで、殆ど判を捺したやうな無意味で、平凡でつまらないのは、此の人間の生活だと勤は繰返した。/親と子の関係、兄と弟の関係、夫と妻の関係、友人と友人の関係、それが目の細かい網のやうにかれの心に織込まれて見えたが、それがすべて意味のない空しき現象としか映らなかつた。(四十六)

  ここでは「平凡な自己」を忘れるために戦争が必要とされているのではないだろうか。「絵のやうに」浮かんだ表象が、今度は「活動写真のやうに」展開する。過ぎ去つたさまざまの舞台やら、人間やら、感情やらが、活動写真のやうにかれの前に展げられてそして消えた。笑つたり泣いたり悔んだり嘆いたりしたかれが其処にも此処にも見える。/『曾て種々の現象の過ぎ去つたと均しく、此今の現象も忽ちにして過ぎ去るのだ。津軽海峡の怒濤も、此今の自己の境遇も、妻に対する考も、てる子に対する考も、何も彼も忽ちにして過ぎ去つて了ふのだ!』(四十六)

  家庭の小さな問題はすべて戦争の表象に飲み込まれていく。主人公は従軍記者として戦地へ赴く覚悟をする。ゾラ

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の小説をなぞっているが、「戦地へ、戦地へ」というのが結末である。「勤」という主人公の名前はいかにも勤勉な作家にふさわしかったことになる。

自然・女性・表象

  『縁』

(一九一〇年)は『蒲団』の後日譚に当たる。花袋自身をモデルにした主人公の服部清は女弟子に惹かれていく。『もう我々には、青年といふ心持が全くなくなつたね。』/『さうだねえ。』/かう言つて、二人は今更のやうに顔を見合はせた。随分いろいろな話もした。三年前には顔を赤らめずには言はれないやうなことも言つた。/『兎に角、かういふことを平気で言はれるんだからねえ……それだけでも、もう我々は青年ではない。』/さすがに其頃が思はれるといふ風で、都から来た男は言つた。何となくあたりが振返られるといふやうな気分が一室に充ち渡つた。戸外には秋雨が蕭々と降つて居た。(一)

  フローベール『感情教育』の結末をあからさまに模倣しているが、回顧的な視線はすべてを自然なものとみなす花袋にふさわしい。「大きな庫裡の天井は高かつた。二人の坐つて居る室の向うには、田舎寺に特有な広い勝手が見えて、其処に鶏が二三羽餌をひろひながらココと声を立てて居た。明放した勝手の大和障子からは青々とした畠が見えた。/木犀の匂ひが古い室の空気に微かに交つた」(一)。

  女弟子の敏子は馬橋との間に子供を儲ける。二人の仲はうまくいかないが、別れようとしない敏子から手紙が届く。「初冬の晴れた朝であつた。日影が半明けた窓障子から明るくさし込んで、机の上に取ひろげられたこの手紙を鮮かに照した。庭の垣の縁にある茶の花や、紅白の山茶花や、薄霜にぬれた椿の葉や、処々紅葉した楓や、それがすべてくつきりと晴れた空気の中に見えて居た」(四十五)。

  透明な空気の中に真実が露呈するというのが花袋の筆法であろう。本作では人間の根底にある盲目的な意志を「縁」として描こうとしたらしいが、意志的な「縁」は自然へと解消されている。かれはまた周囲を振返つて見た。其前に展けられた人生のパノラマ

それがある処は分明と見え、ある処はボ

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ンヤリと霞に包まれて見えた。ある人の心理とある人の心理とがある場合に相触れて、其処に一種の空気が出来て来るといふことも考へた。馬橋が敏子に別れてさびしく暮して居る間の煩悶は、少なくとも嫉妬憎悪の煩悶であつたことを想像してかれは微笑した。(五十八)

  この一節によれば、花袋の「空気」は人の心理と心理が触れ合ったとき生まれるものなのである。『縁』の結末では女弟子の生んだ子供のことを心配していたが、『幼きもの』(一九一〇年)にはその死が描かれる。若い母親は子育てに悩み、父親は「さうした間に起る空気に悶えながら、益々鬱を酒に遣るやうになつた」という(三)。

三   女性をめぐって ─ 一九一一~一六年

  ここまで、いささか不用意に「表象」なる言葉を繰り返してきたが、『花袋文話』(一九一一年)の一節と照らし合わせてみよう。そこで花袋は「芸術は現象の再現なり」と述べている。その「再現」を表象と呼ぶことができるように思われる。「真の従軍記者としての使命は、前後左右何等の顧慮を費さずして、ただ軍のありの儘の真相を伝へることであらう」というのだが、しかし「前後左右」に顧慮することでのみ文章は書きうるのではないか。「ありの儘の真相」が素朴に提示できるわけではないだろう。

  花袋自身、「感じとか情緒とか空気とか言ふことは、唯其感じたままを直接に言つたばかりでは決して出て来るものではない」と述べている。「必ず手帳を其隠袋から離したことがなく、其印象の消え去らぬ間に、

丁度画家がスケツチをするやうに、其調子、会話、行為、空気を写生した」フローベールやゴンクール兄弟が花袋の目標である。「隠袋」こそ花袋のアナグラムかもしれない。「平凡なる一事象でも、其行為と空気とを描き得れば、それで立派な小説である」という。したがって、「空気」を描くことが花袋の課題となる。たとえば、帰省した大学生が失恋する『野の花』(一九〇一年)である。「夏の暑い日影がきらきらと澄んだ空気に漂つてゐて、深く生茂つた樫や櫟などの若葉の薫が、かをるといふ程でもなく、静かな穏かな空気の中に交つてゐた」と書き、印象派の絵画を連想している(一)。

  花袋のもう一人の目標は西鶴である。「西鶴が利己、打算、軽い遊び、さういふものの空気の中に一度は浸つた人

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であることは首肯かれる。又一方幇間らしい軽佻な気分の中にはしやぎ切つた人だとも思はれる。しかしそこに満足してゐることの出来る人ではなかつたことだけは確かである」。近世の作家を比較して「近松は女に持てた男、西鶴は持てなかつた男」と評価している。そこから二人の作家の相違が生まれる。「近松が西鶴に比して、同じ時代に生れ、同じ空気を吸ひ同じ人物を見ながら、今日から見ると余り深く其時代と其人間とを描いて居ず、何だか附焼刃のやうな気がする」と述べ、客観化を問題にしている(『インキ壺』一九〇九年)。

  花袋には花柳界の女性を主人公にした小説があるが、はたして、そこでは十分な客観化がなされているのであろうか。

  長篇『髪』(一九一一年)は芸者への耽溺を描く。「八月の末にはもう山には秋が立つて居た。朝晩は山の空気が肌に冷々した。二人はもう都に帰る準備に取掛つて居た」(十八)。二人は山の中で夏を過ごすのだが、冷たい空気が二人の関係を冷やしていく。「ライフの中の無数の男と女との関係が不思議なやうにかれには思はれて来た。何処まで行つて尽きるのか、それが解らなかつた。逢へば恋人、離れれば路傍の人、さういふところがあるかと思へば、切つても切つても切れずに、終には身を亡して了ふやうな烈しい強いところもあつた。それは肉体まで行かなければ解釈の出来ないやうなものであつた。/不思議な人生

かれはぢつと空間を見詰めて居た」(二十八)。何もない空間を見詰めることが花袋の主人公にふさわしい身振りなのである。そして男は次のような「空気」の中に連れて行かれる。「暫く経つた後には、親しみ易い気の置けないやうな空気の中に男は居た。『まアお宜しいでせう、別にお構ひも出来ませんから、此方にいらつしやいまし。』かういふ風に母親からも女からも言はれて、無理に居間の長火鉢の側に連れて行かれた」(三十二)。

  いくつか短篇についてみていきたい。『楽園』(一九一三年)は二人の女との関係を描く。『俺の女だ。』/私はまた心に叫んだ。/月の明るい夜などもあつた。さういふ時には、私達も少し早く家を出て、田舎町をブラブラ歩いた。もう十三夜を過ぎた後なので、夜の空気は肌に沁みた。

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  ここには女と結ばれたときの興奮が出ている。だが、女のもとから逃れたいとも思う。「女の肖像は私を見てゐた。/窓を明けると、外はよく晴れてゐた。霜が屋根に白い。

私は急いで空気の沈滞した女の匂ひの満ち渡つた私の楽園から遁れ出た。私は新しい空気を吸ひたいと思つた」。

  女を所有したと思っても実は女に所有されていただけかもしれない。それが「楽園」の真実であろう。「冷たい空気が私の熱い心に沁み透るやうに呼吸された」とあるが、楽園の外に気づくのである。「……気が附くと、娘と自分との間に段々醸されて来た空気を頭に浮べてゐた。同じ顔を毎日十年見てゐても何の反応を起さないやうなものもあれば、見てゐる中に段々一種の気分を醸して行くやうなものもある。そしてある機会が来て、その醸された気分にぱつと火が点く」。

  恋愛とはいわば空気が発火する出来事である。その結果、女を奪われるのではないかと主人公は嫉妬に苦しめられる。だが、別の娘と関係をもつと、二階の楽園は姿を変えていく。「私の二階の空気は不思議な色彩を著つけて来た」という。

  『赤い肩掛』

(一九一三年)は死に近づく話である。母親と娘は赤い肩掛をまとって寒い中を電車に乗り、父親のいる山の温泉場に行く。母親は今迄乗つて来た電車を下りて、洋服を着た男に案内されて奥の暗い室の中に入つて行つた。其処には赤い火が活々と起つて、暗い夕暮の空気を明るく見せてゐた。

  この赤い火も次の温かい芋も消えていく。「火燵に当つてゐる父親のところに持つて来た。……お甘藷のふかし立て!といふ声が、また朝の冷たい空気の中を行く」。これら暖かいものは最後にすべて失われる。赤い肩掛も失って家族三人は雪の中に取り残されるのである。

な空気の中に……」とあるが、主人公は「空気」に魅入られている。 やがて襖の隅の方がすうと静かに開いた。と思ふと、背の高い、スラリとした女の姿が其処に現はれる。薄暗い静か の一間に満ち渡つたその懊悩……。/何処かで風呂の湯を汲み出す響が微かに聞えてゐた。/軽い足音も何もせずに、   『椿の花』(一九一三年)は女への耽溺を描く。「期待……期待から起る懊悩……うす暗い静かな空気で包まれたそ

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気を作ることが大変だ」とあるが、「細い長い間の空気」が二人を作り上げている。題名の小鳥は飛び去った昔を表す。   『鶯に』(一九一三年)は女との別れを描く。「細い長い間の空気がこれだけの感じを作つたのだ。その長い間の空

  長篇『春雨』(一九一四年)は家族を養うため芸者となった玉子を描き、長篇『残る花』(一九一四年)は待合の女中お粂を描く。結末では空気が振動している。「工場の汽笛の音が川に鳴り響いて聞えた。大きな鼠色をした帆が樹と樹との間から見えた。女工と男工とが夜おそく戯談を言ひながら窓の下を通つて行く気勢がした」。

  随筆集『泉』(一九一六年)には一九一三年五月から十月にかけて日光の医王院に籠もったときの文章が収められている。冷たい空気、骨に徹するやうな空気、魂を冷却しなければ止まないやうな空気、さういふ空気は何時文壇に漲るやうに流れて来るでせうか。(「ある友に寄する手紙」)町に漂つた衰残の空気

それが不思議にも私の心をある離れたアーチスチツクな境につれて行つた。(「人生の一宿駅」)私達は明るい湖水を前にした室で、早くも三味線の棹をつないだ。冴えた撥の音は静かな空気の中に際立つて鮮かに響いて聞えた。実際明るい感じがした。紅葉に照つた日影は、鏡のやうに澄んだ湖水の周囲を取巻いてゐた。(「僧房にわかるるとて」)

  このときのユイスマンスへの関心と改心が『時は過ぎゆく』『残雪』などにつながっていくことはいうまでもない。

  再び短篇についてみていこう。『合歓の花』(一九一五年)の娘は芸者で母親から離れようとするが、諍いとなる。「一家の動揺した空気は二三日経つても容易に静まらなかつた。娘は黙つてひとりでお座敷着を着てお座敷へ出て行つた」。甲斐性のない父親は頼りにならないが、「黙つて顔を見合せてゐる辛さから、何方から解けるともなくその厭な重苦しい空気は段々晴れて行つた」という。男との関係が「合歓の小さな鉢」に表象されている。

  『Imageをばさんの』(一九一六年)は老師への恋を描く。「その頃はおばさんは、髪を銀杏返しに結つて、派手な

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襟をして、暁の空気の中にぬけ出すやうなさまをして静かに裏道を通つて家の方へと帰つて来た。夏は道の畔の池の中に紅い白い蓮の花の美しく咲いてゐるのを見たことなどもあつた。/あの時分は老師はまだ三十八九だつた」。美しい蓮の花は老師への恋の表象であろうが、「Image」には「age」が籠められている。

別れたいと考えるが、「夕暮の静かな空気が唯燃える私の心に染みた」というところに迷いが現れている(九)。 る事実、さういふものを詳しく知つてゐた。女に関して私の知らないこともかれ等は皆な知つてゐた」(七)。女とは に取るやうに知つてゐる中年の女、さういふ人達は、皆な私と女との細かい空気、女と私との間に触れずに残つてゐ いての話などをした」(四)。女と私との間にはかつて「細かい空気」があったという。「…芸者屋の内部の秘密を手 しかし、一種の不思議な空気は依然としてこの一室に漲つてゐた。青年達は頻りに明日何処かに遊びに行く計画につ 時間、何んな話をしたか、私ははつきりと覚えてゐない。また、女が何んな風にしてゐたか、それも覚えてゐない。   『山荘にひとりゐて』(一九一六年)は日光に滞在している主人公のもとに女が訪ねてくる話である。「一時間、二

もなかつた」(三)。 て行つたあとはしんとして、をりをり鳥の翼が晴れた障子を掠めて通つて行くばかり、誰も二階にあがつて来るもの 気」である。「…行火と、友禅縮緬の派手な蒲団と、一間に漲つた世離れた空気とに満足した。父親が役所に出かけ あんくわ ぽつんやつてゐるのが、朝の朗らかな空気に際立つてきこえ出して来た」(一)。そこに漲っていたのは「世離れた空   『女の留守の間』(一九一八年)は留守の間に女の家に上がる話である。「隣の芸者屋の仕込み子が、長唄をぽつん

(二)。この女と別れて汽車から眺めた「黄い麦畠」が悲哀の表象となっている。 ずに寝てゐる男と綺麗におつくりをしてこれから見物に出かけようとしてゐる女づれとを較べるやうにして見た」 処かそぐはないやうな空気があるのをいくらか不思議にしてゐたが、始めてわかつたといふやうにして風呂にも入ら るが、女は別の男に会うため急行で東京に帰りたいと考えている。「上さんはこの人達が突然入つて来て、そして何   『黄い麦畠』(一九一八年)は女連れの主人公が岡山駅で降車する話である。「何となく陰気な空気」の旅館に上が

  後述する通り秋声の女は太々しく男の表象からはみ出してしまうが、花袋の女は従順に男の表象に収まる。とはいえ、女が抵抗を示す『合歓の花』『黄い麦畠』などは味わい深い短篇である。『合歓の花』の芸者にとって「皆な自分

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の前には従順な羊のやうであった」というが、従順ではない何かが立ち現れている。『黄い麦畠』の感傷に浸っていた男と違って女の眼には「獣」が動いている。

  女たちの住む下界の空気と対比されるのが、山の空気であろう。この時期の花袋は山の空気ばかり描いている。「高原の朝の空気は晴れやかに私の周囲に展げられた」(『山村』一九一六年)、「つく呼吸は朝の空気を透して其処此処に白く見えた。かれ等は山から山へと長い間を越えて来たことを思つた」(『帰国』一、一九一六年)、「花の匂ひがそことなく静かな夜の空気に雑つてゐた(中略)山の霧がしつとりとした空気を重くした」(『丘の上』一九一六年)。「空気の割合に澄んだと思ふ晴れた日には、ぼんやりと薄白く山の雪が霞に包まれて見えるばかりで…」(『河ぞひの家』一九一七年)。こうした山の空気が下界の空気と対比されるのである(「卑屈の空気の満ちた役所の一間」『山の悲劇』七、一九一七年)。

四   時間をめぐって ─ 一九一六~二七年

  ここでは大正期以後の作品『時は過ぎゆく』『一兵卒の銃殺』『残雪』『百夜』などを取り上げる。回想記『東京の三十年』に前後する作品および昭和期の作品である。

自然・親族・時間

  花袋の叔父をモデルとして士族の没落を描く『時は過ぎゆく』(一九一六年)は藤村の『夜明け前』(一九三二年)に相当する。青山良太は藩主から下げ渡された主家の屋敷を管理しているが、巡査となった妻の兄が西南戦争で戦死したため遺児の面倒も見ている。良太の息子は外国で行方知れずとなり、娘は若死にする。

  本作品のテーマは自然の変貌であろう。次の場面をみると、自然が変貌を受容することで自然になることがわかる。自然は不自然をも受容することで自然たりうる。「何も大変だ。」あたりを見廻すと、良太はかう太息しない訳には行かなかつた。垣根は壊れてゐるし、畠は捨て

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たままになつてゐるし、草藪は容易には入つて行けないほどに深く深く繁つてゐた。奥の築山のあるあたりは、それでもいくらか秩序立つてはゐるけれども、何年にも手を入れたことのない松やら高野槙やらが繁りたい放題に繁つて、昔の大きな邸の址は、人工から再び自然に帰らうとする趣を見せてゐた。(一)

  人工から自然へ、すべては自然へと回帰するのであり、それが花袋の自然主義にほかならない。「段々光線は薄く薄くなつて行つた。あたりの空気は、最早薄暮に近い位になつて来てゐた。/「ああ、もう星が見える。」/「すつかり夜と同じだ。」/かういふ声が外からきこえた。老祖父は、「年寄なんか見たつて仕方がない。役に立たない。これからは若い者はさういふことを研究して、えらくならなければならないけれど

」かう言つて、勧められても、出て見ようとはしなかつた。/暫くすると光線は次第に明るくなつて来た」(二十一)。

  ここにみられるのは宗教的な視線などではない、日食に対する科学的な視線である。やや曲りかけた太い幹が、少し傾いたと思ふと、やがて凄じい音がして、つづいて、大地に横たはる地響が地震か何ぞのやうに四辺に轟き渡つた。/其処に離れて立つて、この光景を見てゐた良太の顔を夕日が赤く彩つた。/伐り倒された後の野は、さびしく空しく見えた。いつでも裏に行くと、きまつてその梢を仰いだ良太は、殊にさういふ感が深かつた。伐り倒したのを忘れて、良太はまたしてもその方を仰ぎ見た。(三十七)

  太い木を切り倒すこと、それが近代というものであろう。広い平面が開かれるからである。しかし、それによって風に曝されることは否定できない(「裏が急に一面に展けたので、其冬の西風は、殊に烈しく凄じく奥の邸を襲つた」三十八)。木陰があれば保護されていたのだが、近代はそうしたものを取り払ってしまったといえる。「で、何うかすると、その技師や技手達は、そこから裏門を入つて、その近くにある井戸に水を貰ひにやつて来ることなどがあつた。邸の内は樹木が深く、蔭が多く、涼しい風があたりに満ちた。蝉などが静かに鳴いた」(三十九)。

  『時は過ぎゆく』を締めくくるのは飛行機観戦の場面である。

「表の広場には、大勢人達が集つて、夜の空を仰いでゐた。空は暗く、また何も見えなかつたが、飛行機の機械の音が凄じくあたりに響き渡つてきこえた。良太は既に何遍も飛行機の飛ぶのを見てゐた。「人間が鳥の真似をするやうになつた。不思議なことがあればあるもんだ、」などと思つて、高く飛んで行く飛行機を夕暮の空に見送つたことも、一度や二度ではなかつた。しかし、今夜のは外国人が

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やるので、世界にもめづらしい宙返りをするといふことであつた。良太もしよぼしよぼした眼を見張つて、大勢の人のやうに空を仰いだ」(五十七)。

  花袋が飛行機を描くのは律儀な必然性があるだろう。空気に魅入られているからであり、近代のテクノロジーの透明な表象を真っ先に提示したいからである。良太はその薄暗いランプの下で、遠い昔のことなどを繰返しては考へてゐた。髷に結つて大小を挟んだ時代や、下に下にと言つて大名の行列の通つて行つたさまや、日本橋の大通りが夜になるとすつかり闇で、往来する提灯がちらちらと花火のやうに見えた時のことなどを良太は思つた。今でも良太は、何うかすると、外国に行つた息子の帰つて来た喜悦の夢から覚めた。おかねの命日にはいつもきまつて花を買つて来て供へた。(五十八)

  歴史もまた自然に回帰する。それを描くのが風俗史家としての花袋の姿勢にほかならない。近代のテクノロジーもやがて回顧的な視線によって表象されるのである。

  なお、短篇『二人の最期』(一九一六年)は天守閣で最期を遂げる士族を描く。「五年前までは、種々の武器や太鼓や器具が置かれて、足軽や徒士が頻りに往来したが、今は些の物の具もなければ、人気もなく、徒らに蜘蛛の巣や鼠や鼬の住むところとなつて了つた。停滞したままの空気には、埃の匂ひが微かに雑つた」。死に場所には「停滞したままの空気」が漂っている。

空気・兵士・時間

  初期の『一兵卒』(一九〇八年)に女性の表象と時間の表象を付け加えたとき生まれた作品が『一兵卒の銃殺』(一九一六年)であり、いわば『一兵卒』の重刷である。入営しても社会に適応できない姿は『重右衛門』に似ている。気が付くと、要太郎はいつか兵営の柵の側近く来てゐた。もうすつかり夜だ。それは星のない曇つた夜で生温かい人を焦慮させるやうな空気があたりに満ちてゐた。ぼやけた夜風が圧すやうに不愉快に塵埃を吹いた。(二)

  要太郎は門限に遅刻してしまうが、「生温かい人を焦慮させるやうな空気」が破滅へと導くのである。もちろん、蒲団もまた花袋の主人公を苛立たせずにはおかない(「女郎部屋の赤い蒲団が、さながらかれに昔の夢でも呼び起す

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やうに、または一度癒つた傷のうづきを微かに感ぜさせるやうに、または自分とは無関係でそして何処かに深い関係があるやうにくつきりと明かに午後の日影の中に現はれて見えてゐた」八)。入営前の生活は次のように回想されている。執念深く纏り着きからみ着いたこの山裾の町の空気、温泉宿の匂ひ、明るい賑やかな灯のかがやき、乗合馬車の喇叭の音、夕日にかがやく色硝子の窓、軒を並べてゐる小料理屋の酌婦の白い顔、さういふものは、かれに取つて大抵は苦悶と懊悩と焦燥を与へたものではあるけれども、それでも猶ほ此処を離れて、広い別の社会に入つて行くといふことは、かれには名残惜しく感じられた。(九)

  軍隊という「別の社会」に適応できない主人公は、脱走し、銃殺されるのである。「生温かい」空気と正反対の鋭い空気が迫る。夜はまだ全く明け離れなかつた。山近い暁の空気は鋭く人々の肌に染みた。かれ等はかれ等の前に既に適当の距離を隔てて置かれてあるある黒い標的を見た。/『折敷け!』/ばたばたと兵士達の蹲つて、銃を構へ装填する気勢が微かに暁の空気の中に見えた。/暫くしんとした。/『狙へ!』/つづいて第二の声がぬぬつた。又しんとした。/暁の明星がきらきらした。/『撃 !』/凄じい一斉射撃が起つた。(三十一)

  これもまた空気の振動ではないか。花袋の作品のほとんどは空気の振動で閉じられるのである(『少女病』『蒲団』『一兵卒』『田舎教師』『東京の三十年』など)。『拳銃』(一九一〇年)は発砲による空気の振動を描いていたが、『ある死』(一九一一年)に描かれた感電死もまた一種の振動による死であろう。「法被に半股引を着けた整次の姿は、朝の晴れた空気の中に鮮かな輪郭を見せて、長い坂を勇ましく向うへと走つて行つた」というように、空気の中に鮮やかな姿を定着させていたからである。

空気・宗教・時間

  『残雪』

(一九一七年)は主人公が宗教的な境地に辿り着く作品で、藤村の『新生』(一九一八年)に相当する。「かれは為方なしに其処に坐つて、女が火を運んで来るのを待つた。かれはかうした此地方の女達の生活に熟してゐた。

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またかうした旅舎の濁つた汚い空気にもかなり深く浸つてゐた」。

  主人公は女たちの世界の「濁つた汚い空気」に浸っていたというが、そこから逃れようとする。「かれは逃れるやうにして黎明の冷たい空気の中に出て行つた。//冷たい朝の空気は刺すやうにかれの肌に染み通つた。かれは林間を透して来る黎明の光を眺めながら、静かに、御堂の方ヘと行つた。(中略)この静かな朝の読経と、刺し透るやうな朝の空気と、朗かな生々とした黎明の光とが、何故人間には長く続いて行かないのであらうか、何故生温い心や暖かい空気や妥協し易い雰囲気が午前よりは午後、午後よりは暗い夜といふ風に混濁して行かなければならないのか」。

  主人公は「生温い」「暖かい空気」から「冷たい空気」の世界に移行する。そして女たちの世界の「空気」が回想される。「長襦袢姿で女のソツと静かに入つて来るやうな深夜の空気に、さういふ風にして段々深みへ入つて行つたのであつた。(中略)いつとなく引摺られて、次第に賑かな色町の空気がその身から心から離れることが出来なくなるやうになつた。(中略)一廉さうした世界の空気に通じてゐるやうな言葉を表面に言ふ…」。

  主人公は「原始の空気の漲つてゐる原野」から激しいSocialistが出てきたことに驚いたりする。その真剣な心に相手の女もついに心を動かす。「その頃哲太の遊蕩は益々募つた。家を明けることも段々多くなつて行つた。初めは容易に信じなかつたかげにゐる女も、いつかかの女の心と体に交渉を持つて来てゐるのを感じた。かの女は次第にかの女の呼吸してゐた今までの空気が破れて、そこに更に深い全く変つた世界のあることを思はずにはゐられなくなつた」。

自分はこれまでに何一つしつかりしたものを持つたことのないのを思はずにはゐられなかつたのである」。 さうした社会に生ひ立つて来たかの女は、淫蕩な空気の中にのみ盲目に日を送つて来て、さて翻つて考へて見ると、   「淫蕩の空気の漲つた社会」に女は育ってきたが、それが破れる。「夙くから一家の没落の為の犠牲とのみなつて、

  花袋は島崎藤村と思われる人物に手紙を送り、この間の事情を告白している。S君、君に別れてから、君が外国の文化の空気に触れ、新しい果実を劈くやうな芸術の空気を嗅ぎ、新興理想派のすぐれた作品に親まれてゐる間、私は性の濁つた溝買の泥に塗れ、火と水のやうな地獄の釜の中に漂ひ、冷熱の往来する心の巷に戦慄しつつ、其時分はまだいくらか持つてゐた精神をも半は失つて了ふやうな心の境遇に陥

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つて了つたのです。

  「外国の文化の空気」

に触れ「芸術の空気」を嗅ぐ友人に羨望の念を抱いている。そんな主人公に改心が訪れる。「船も、帆も、水の流れも、唯都会の郊外の風景としてのみかれの眼に映つた。/狭斜街に住んでゐる人達、女達、またそれを取巻いてゐる空気、さういふものの中にも、かれは昔のやうな憧憬と好奇心とを持たずに、唯、さういふ人達の生活としてのみそれを見た」。

  「空気」にはもはや関心を持たない。これまで主人公は散々「空気」に振りまわされてきたからである。

「Oの細君は、哲太が鬚の深い顔を薄暗い一間の空気の中に浮き出させて、少し微笑を含んで此方を向くさまをいくらか気味わるくすらも思つた。/しかもかれはその薄暗い一間に全く心と体とを凭せたやうにしてゐた」。

  この第三者の視点は重要であろう。第三者の視点が主人公の「空気」を捉えているからである。主人公はいまや新しい空間と一体になっている。かれはこの寺が、苦難を免れるための幽棲としてのみやつて来たこのさびしい田舎の寺が、大きいがらんとした本堂が、雨ざらしになつて板も半ば朽ちてゐる廊下が、潮のやうに西風の押寄せて来る裏の林が、かれにかうした新しい心の世界を齎して来る場所とならうとは思はなかつた。

  こうして残雪の野をさ迷った主人公は改心を遂げるが、そのとき空気や空間が律儀な役割を果たしていたのである。それゆえ、小説家としての花袋が「空気」なしにやっていけないのは明らかであろう。

  短篇『ある僧の奇蹟』(一九一七年)は荒れ果てた寺が信者で賑わうに至る奇蹟を描く。「その心が、そのやさしい心が、又は男を思ふ心が、今だに、二十五六年を経過した今だに、そこに残つてゐて、その窓の下の空気の中にちやんと残つてゐて、そしてそれが自分の心に迫つて来たのではないか。かう思ふと、かれは不思議な一種の恐怖を感じた」(三)。

  荒れ果てた寺に新しい僧がやって来るが、前の住職の気配がまだ残っている。「かれは思はず手を合せて、口に経文を唱へた。/次第に幼い頃の空気がかれの心の周囲に集り且つ醸されて来るのを覚えた。最早始めに来た時に感じ

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たやうな『孤独』と『寂寥』とをかれは感じなかつた。また華やかな面白い『世間』に向つて引戻さるるやうな心をもろ感じなかつた」(八)。

  恐ろしい幻覚に襲われた僧は「幼い頃の空気」に包まれて救われる。フローベール『聖アントワーヌの誘惑』の一節に近い。「かれの姿はをりをり寺の境内の中に見えた。幾日も頬に剃刀を当てたことがないので、鬚は深く顔を蔽つた。誰が見ても、かれが此処にやつて来た時の姿を発見することが出来なかつた。かれは夥しく変つた。/かれの立つてゐる垣の傍には、紅白の木槿の花が秋の静かな澄んだ空気を彩つて咲いてゐた」(九)。この「秋の静かな澄んだ空気」が僧の改心を表象しているというべきであろう。

  さらにいくつか短篇に触れておくが、『遺伝の眼病』(一九一八年)には「何うしても養父母の冷めたい家庭の空気の中に帰つて行く気にはなれなかつた」とある(一)。だからこそ、実の父母を失った主人公は秋の晴れた日の空気に惹かれるのであろう。「秋の晴れた日の空気の中に、小さな仏像を無数に背負つて、周囲に大勢の子供を集めて鉦を鳴らしてゐる僧の光景などは、ことにかれにかれの前世を思はせずには置かなかつた」(九)。

重荷を忘れさせている。 朝の空気の中を歩いた」という(四)。それは「朝の海近いしつとりした空気に包まれた市街」であり、朝の空気が 女の幻影』(一九一九年)では「身を離れずに絡みついてゐる重荷も暫しは忘れられたやうにして、静かに茫とした ガヤガヤと広いその一間の空気に満ちた」(六)。病院に入れられた順吉は、この空間に号泣を響かせるのである。『彼   『号泣』(一九一八年)の主人公は心中に失敗し相手を死なせた男である。「いろいろな声や、話声や、笑声がまた

めして気が滅入つて為方がない」というが(四)、夫婦が同時に雷に打たれるからである。それに対して、夕方の空 とその妻』(一九一九年)においても雷鳴が轟く。「何うも、僕の家の空気がわるい。あそこにゐると、イヤにじめじ 議な動揺と空気とを四辺に齎らした」。生仏が出現するが、雷鳴とともに消える。家庭の「重苦しい空気」を描いた『S なされる。「その老婆は今までいつも山の上の堂の中に見出されたすぐれた渇仰者の一人であるといふことが、不思 見せて、怒号して空に向つて迸つてゐる噴泉は、をりをりかれ等にある暗示を与へた」という。そして老婆の予言が   『山上の震死』(一九一八年)には花袋の振動への拘りが見て取れる。「澄んだ空気の中に、白いくつきりした色を

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気ははなはだロマンチックといえる。「村はさびしくそこに横はつて、夕炊の烟を丘の上に靡かせてゐるだらう。一帆の影がホワイトスワンのやうに静かに暗い空気の中に動いて行くであらう」(『一つの空想』一九二〇年)。

  長篇『弓子』(一九一八年)は夫の海外留学中に姦通を犯した女の物語である。「逸早く半は碧い空になりつつある空気は、嵐の後でなければ見ることの出来ないやうな透徹と清浄とを持つて、まだ濡れてゐる葉や幹にさやかな夕日の光線を浴せかけた」(二十一)。花袋は野分の後の空気、そして秋の空気を描く。「野分の後にはさびしい秋が来た。碧い空に白い雲が流れ、日影は晴れやかに射し、深く冴えた空気は人の心に染み通つた」(二十二)。青木博士の妻でありながら園田と姦通を犯した弓子は夫の帰国に動揺する。「かの女は其処にも此処にも不自然な空気が、または不適当な調子が、秘密を持つたものの辛さが、罪が、報酬が細かに微妙に動いてゐるのを感ぜずにはゐられなかつた。(中略)しかし、そのプラツトフオムの混雑の空気の中をも、やがてかれ等は脱却することが出来た」(六十二)。

  長篇『新しい芽』(一九一九年)は女と決別して生きようとする男を描く。「かれの幼い頃の一つの記憶では、ある冬の霜の白い朝に、家老格の人の住んでゐるなまこしつくいの塀を透して、凄じい銃声が聞えて、やがて人々が大騒ぎをしたことを覚えてゐるが、さうした悲劇は沢山に沢山にあつたのであつた。かれはその当時の敗滅の空気が、今のかれの心と体の中に続いて来てゐるやうな気がした」(十七)。

  主人公の記憶に残っているのは空気の振動だったことになる。「何処まで行つても尽きないのは恋だ……。また何処まで行つても際限なく新しい力を持つてあらはれて来るのは恋だ……。/しかも、恋の廃墟にさまよつてゐるやうなかれが、かうして古い町の空気の中に、ひとりぽつねんと相手もなしに彷徨してゐるといふことに思ひ到つた時には、堪らなく悲しい哀愁が胸をつくやうに烈しく強く集つて来るのをかれは感じた。そしてその哀愁は次第に暮れて行く夕暮のさびしい空気に雑り合つた」(二十三)。

  恋の観念に付きまとわれる主人公は「古い町の空気」から疎外されている。「何としても忘れられないそのもとの轍

その轍の中に彼等は次第に入つて行くのであつた。かれ等は離れた色彩の次第に静かに近寄つて来るのを見た。消えかけた草の火の漸く再び燃え出して来るのを見た。眼と眼とが互ひに深く触れ出して来るのを見た。ある空気と

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