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日本の国立大学における留学生受入れ施策に関する考察 -全国国立大学の中期目標・中期計画に基づいて- [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)日本の国立大学における留学生受入れ施策に関する考察 -全国国立大学の中期目標・中期計画に基づいて- キーワード:留学生政策、留学生受入れ理念、大学の国際化、国立大学、中期目標・中期計画. 教育システム専攻 梶原 健司. 2.概要 2.概要. 1.章構成 序章 研究の目的と方法 第1節 本研究の目的. 序章 研究の目的と方法 本研究は、日本の国立大学における留学生受入れ施策. 第2節 研究の方法. の特質とその課題を、特に全国国立大学の中期目標・中. 第3節 先行研究の検討. 期計画に焦点をあて、 我が国における留学生受入れ政策、. 第4節 研究の構成. 及びその際の受入れ理念の変容の視座から、その歴史的. 第1章 日本における留学生受入れの萌芽 第1節 明治から第2次世界大戦まで 第2節 第2次世界大戦終了後から 「留学生受入れ10万人計画」まで 第2章 日本における留学生受入れの展開. 展開と今日的動向の分析を通して明らかにすることを目 的とした。 筆者は、文部科学省等から下りてくる留学生受入れに 関する政策を、言わば具現化する現場である大学におい て、 「留学生受入れ業務」 に従事している。 その経験から、. 第1節 「留学生受入れ10万人計画」の概要. 大学においては「なぜ留学生を受入れるのか」という明. 第2節 前期計画期間(1983年~1992年). 確な理念なしに諸政策を受身的に行っている印象がぬぐ. の実態. えない。それは、大学自身に問題があることなのかもし. 第3節 計画の見直し. れないが、政府主導で次々に打ち出される政策やそこか. 第4節 後期計画期間(1993年~2000年). ら発生する施策に対応するだけで精一杯といった状況で. の実態 第3章 日本における留学生受入れの発展 第1節 ポスト「留学生受入れ10万人計画」の 概要と実態. あるように実感している。 独立行政法人日本学生支援機構「留学生受入れの概況 (平成 24 年版) 」によれば、現在、日本には 137,756 人 の留学生がいる。これは、1983 年当時、わずか 1 万人. 第2節 「留学生30万人計画」の概要と実態. 程度しかいなかった留学生を、20 年かけて 10 万人にま. 第4章 日本の国立大学における留学生受入れ施策. で増加させた国の政策の結果である。さらに、2008 年に. の現状と課題 第1節 調査概要 第2節 第1期中期目標・中期計画(2004年~ 2009年) 第3節 第2期中期目標・中期計画(2010年~ 2015年) 第4節 日本の国立大学における留学生受入れ施策 の現状と課題 終章 本研究の成果と今後の研究課題 第1節 本研究における成果と限界 第2節 今後の研究上の課題. は、その留学生数を 2020 年を目処に 30 万人にしようと いう政策が開始され、現在進行中である。 江淵(1990)は、「留学生10万人計画」に対して、「方 法論議に比し理念論議があまりにも少ない」と苦言を呈 しており、さらに、 「大学等受入れ機関の方でも、留学生 受入れの意義や理念を深く掘り下げる議論を重ねる機会 は少なく、むしろ「大学の国際化」の一環として、 “自明 の理”とされ、一種の“暗黙の了解”のもとに進められ てきた」と述べているが、横田・白土(2004)によっても、 我が国の政策理念の不明確さが指摘されている。 江淵(1990)は留学生受入れの意義・理念を考える視点 として、以下のように留学生受入れの理念モデルを整理 している。①「個人キャリア形成モデル」 、②「外交戦略.

(2) モデルないし国際協力・途上国援助モデル」 、③「国際理. とは、文部科学省等が行う、留学生を我が国の教育機関. 解モデル」 、 ④ 「学術交流モデルないし研究活性化モデル」. に受入れるにあたっての教育、研究、生活の支援等の施. ⑤「パートナーシップ・モデルないし互恵主義モデル」 、. 策の総体を指すものとする。. ⑥「顧客モデル」 、⑦「地球市民モデル」である。さらに 横田・白土(2004)は、江淵(1990)の「顧客モデル」を発 展させ、⑧「高度人材獲得モデル」⑨「留学立国モデル」 を追加した。. 第1章 日本における留学生受入れの萌芽 第1章では、日本における留学生受入れの萌芽期とし て、 明治から第2次世界大戦を経て、 「留学生受入れ10. 一方、横田ほか(2006)や米澤(2008)の調査によれば、. 万人計画」成立までの期間を考察対象とした。第1節で. 日本の国立大学における留学生受入れは「途上国援助モ. は、朝鮮半島、中国、ベトナム、フィリピン、インドネ. デル」 、 「学術交流モデル」の理念に基づいて行われてお. シアからの留学生受入れの特徴とその際の留学生受入れ. り、 「高度人材獲得モデル」や「留学立国モデル」といっ. の理念について考察した。. た新しい留学生受入れ理念があまり見られないことが示 唆された。. 明治 14 年(1881 年)に朝鮮半島から受入れたのが日 本の留学生受入れのはじまりとされるが、この頃はまだ. 以上の先行研究を踏まえて、本研究では、第1章から. 国として日本が留学生受入れに取り組んでおらず、福沢. 第3章において、文部科学省等による報告書及び統計デ. 諭吉が個人的に関与していた。日本が留学生受入れに国. ータ、日本の文献、紀要、雑誌論文等をもとに、日本に. として関与するのは、明治 29 年(1896 年)に中国から. おける留学生受入れ政策の歴史的展開を考察するととも. の留学生を受入れて以降で、文部省から受入れにあたっ. に、江淵(1990)及び横田・白土(2004)の留学生受入れの. ての意見書が出されたり、中国政府に配慮した規則が制. 理念モデルを参照して、これまでの留学生受入れ政策の. 定されたりした。明治 38 年(1905 年)には、ベトナム. 際の受入れ理念の変容について考察した。これらの章か. からの留学生を受入れたが、朝鮮半島、中国からの留学. ら導き出される仮説を軸に、第4章では、日本の国立大. 生同様、大国ロシアを破り、また植民地化を免れた日本. 学における留学生受入れ施策の事例として、全国国立大. に学び、列強支配から脱出し母国の近代化を押し進めた. 学の第1期及び第2期中期目標・中期計画の中から留学. いというのが、彼らの留学動機であったが、日本の受入. 生受入れ施策に関する項目を取り上げ、そこから見えて. れ体制の不備や、国家間の関係を重視し留学生への配慮. くる留学生受入れ理念について考察するとともに、過去. がなかったことにより、留学生を逆に反日家にする結果. から現在に至る日本の留学生受入れ政策と、国立大学に. となった。一方、昭和 18 年(1943 年)から終戦までの、. おける留学生受入れ施策の整合性について考察した。. 国家的政策として占領地の優秀な若者を日本へ留学させ、. なお、本研究では国立大学に焦点をあて、その留学生. 親日にし、 間接的に統治の一翼を担わそうとした、 「南方. 受入れ施策の事例として、全国国立大学の中期目標・中. 特別留学生制度」による留学生として、フィリピンとイ. 期計画を取り上げたが、その理由については以下の 2 点. ンドネシアから受入れたが、国際学友会の手厚い受入れ. である。①全国国立大学の中期目標・中期計画を分析す. 支援により、帰国後の留学への評価が高いことが各種の. ることにより、全国の国立大学が同一期間中に目標設定. 調査などで報告されている。以上から、この時期の留学. した留学生受入れ施策として、網羅的に把握することが. 生受入れ理念モデルとしては 「個人キャリア形成モデル」 、. できる、②設立の趣旨の異なる国公私立大学を一度に分. 「外交戦略モデル」 、 「援助モデル」とした。. 析するのではなく、国の政策に対して最も忠実に対応す するであろう国立大学を調査対象として選定することは、 その整合性を考察するにあたり、その関連性が明確であ ると予想されるからである。. 第2節では、第2次世界大戦終了後から「留学生受入 れ10万人計画」の成立に至る過程について考察した。 サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、国際社会へ の復帰を果たすことになった日本は、平等互恵の精神か. また、本研究における「留学生」とは、「出入国管理. ら、 留学生を受入れる国家的要請が生まれたことにより、. 及び難民認定法」別表第1に定める「留学」の在留資格. 昭和 29 年(1954 年)から「国費外国人留学生招致制度」. (いわゆる「留学ビザ」 )により、わが国の大学(大学院. を、昭和 35 年(1960 年)からはインドネシア共和国と. を含む。 ) 、短期大学、高等専門学校、専修学校(専門課. の賠償協定に基づいて、 「賠償留学生制度」も開始した。. 程)及びわが国の大学に入学するための準備教育課程を. やがて、日本は高度経済成長期に入り、急激な経済成長. 設置する教育施設並びに日本語教育機関において教育を. を遂げる。昭和 58 年(1983 年)には「留学生受入れ 10. 受ける外国人学生を指すものとし、 「留学生受入れ政策」. 万人計画」が開始されるが、先進諸国の仲間入りをした.

(3) 日本の留学生受入れ数が、他国に比べて際立って少なか. 欧米等先進諸国も含めた「相互交流」という理念モデル. ったために、発展途上国支援において応分の負担が求め. の追加がされた。. られていたという背景もあった。以上から、この時期の 留学生受入れ理念モデルとしては「賠償留学生」の受入 れに見られるように、 「外交戦略モデル」とした。この時. 第3章 日本における留学生受入れの発展 第3章では、日本における留学生受入れの発展期とし. 期は、 留学生受入れ理念や意義が議論されることはなく、. て、 「留学生受入れ10万人計画」 終了後から進行中の 「留. 受入れの環境整備について、提言がなされるのみであっ. 学生30万人計画」までを考察対象とし、具体的な計画. た。. の内容と実際にとられた施策について考察した。 「留学生受入れ 10 万人計画」は期間内に目標達成す. 第2章 日本における留学生受入れの展開. ることはできなかったが、その後、留学生受入れ数は急. 第2章では、日本における留学生受入れの展開期とし. 激に増加し、たった 3 年後の平成 15 年(2003 年)に. て、 「留学生受入れ 10 万人計画」の計画策定時点から計. 109,508 人となり、数値目標を突破した。この急増の背. 画終了までの 17 年間を考察対象とし、具体的な計画の. 景の一つとして「留学生受入れ 10 万人計画」前期の際. 内容と実際にとられた施策について考察した。. と同様に、再び法務省により、アルバイトについての緩. この計画は長期的展望に立った計画で、昭和 58 年. 和が行われたことと、入国手続きの簡素化が行われたこ. (1983 年)から、18 歳人口が増加から減少するとされ. とが挙げられる。この期間の留学生受入れ理念モデルと. た平成 4 年(1992 年)までを前期計画期間とし、その. しては、これまでと同様にだが、 「知的国際貢献」と定義. 後 21 世紀を迎える平成 12 年(2000 年)までを後期計. したり、地方公共団体、民間団体、企業、地域社会など. 画期間とされた。前期計画期間では、受入れ体制、基盤. のすべての国民が一体となった留学生支援を要請したり、. の整備に重点を置き、受入れ数については着実な増加を. 大学の構造改革の一環として、グローバルな教育体制の. 期待、後期計画期間では、受入れ体制、基盤の整備の上. 充実・強化を求め、また、単に留学生を受入れるのでは. に立って、受入れ数の大幅増を見込むとしていた。具体. なく、優れた留学生を「惹きつける」という新たな視点. 的な数値目標としては、昭和 58 年(1983 年)10,428 人. からが追加された。また、さらに「大学の国際化」とい. だった留学生数を、前期終了時には 40,000 人に、後期. うキーワードへ発展し、 「国際的視野をもった日本人の育. 終了には 100,000 人とした。結果的には、前期では予想. 成」としての「日本人学生の海外留学」が留学生政策の. を大幅に上回り、予定を 2 年前倒して目標である 4 万人. 中に盛り込まれ、 「高度人材育成モデル」の端緒が確認で. を達成したが、後期になると伸び率が鈍化し、後期終了. き、これまでの途上国援助、国際理解、学術交流という. の平成 12 年(2000 年)時点では 64,011 人で、結果と. 従来型のモデルから徐々に自国の利益を優先するモデル. しては計画期間中に 10 万人を達成できなかった。. へと舵が切られたことが明らかになった。. 前期の留学生数の急増の背景には、文部省による留学. 平成 20(2008)年には「留学生 30 万人計画」が開始. 生に対する経済的な支援策が矢継ぎ早にとられたことや. され、2020 年を目途に留学生受入れ 30 万人を目指すこ. 法務省により留学生のアルバイトが認められたことによ. ととされた。この計画では、これまでの従来型のモデル. る。それにより私費留学生及び専修学校(専門課程)が. から大きく方針転換を図り、我が国のヒト、モノ、カネ、. 増加したといえる。前期の留学生受入れ理念モデルは、. 情報の流れを拡大する「グローバル戦略」を展開する一. 提言及び報告書から「途上国援助モデル」 、 「国際理解モ. 環であると、 その趣旨について明言されている。 やはり、. デル」 、 「学術交流モデル」とした。. これまでと同様の流れを踏まえつつも、留学生受入れ理. 後期の伸び率の鈍化の理由としては、留学生が急増し. 念モデルとしては、 「高度人材獲得モデル」及び「留学立. たことに伴い、 留学生の質を重視する方向に見直された。. 国モデル」を標榜しているといえる。さらに、現在進め. 具体的には、留学生のアルバイトについて厳格化が行わ. られている、 日本人学生のグローバル化を目的とした 「大. れた。また、行財政改革により ODA 予算をはじめとす. 学の世界展開力強化事業」や「グローバル人材育成事業」. る政府支出が削減されたことやアジア通貨危機の影響も. に見られるように、新たな理念モデルとして「高度人材. あった。基本的には前期と同じく「途上国援助モデル」 、. 育成モデル」も挙げられる。. 「国際理解モデル」 、 「学術交流モデル」 を踏襲しつつも、 その受入れる留学生の「質的充実」を図り、アジアを中 心とした開発途上国への一方通行的な援助交流ではなく、. 第4章 日本の国立大学における留学生受入れ施策の 現状と課題.

(4) 第4章では、日本の国立大学における留学生受入れ施. 重視しており、またそれは第1期及び第2期の計画期間. 策の事例として、全国国立大学の第1期及び第2期中期. を通して変化することなく継続されており、総花的で戦. 目標・中期計画を取り上げ、そこから見えてくる留学生. 略性にかける、新たな取り組みを掲げている大学は目立. 受入れ理念について考察するとともに、過去から現在に. たなかったことが明らかになった。. 至る日本の留学生受入れ政策と、国立大学における留学 生受入れ施策の整合性について考察した。 まず、第1期については、 「国際交流等に関する目標」. さらに、我が国の政策と突き合わせた際には、ほとん ど国に追従する内容の施策となっており、国の政策から 逸脱したような奇抜な目標や計画は見受けられなかった。. 及びその「目標を達成するための措置」を、第2期につ. こういった横並び状態からは、特色ある取組や、今まで. いては、 「国際化に関する目標」及びその「目標を達成す. 我が国に目を向けてこなかったような質の高い留学生を. るための措置」を抽出した。さらに、芦沢(2006)の「大. 惹きつけることは困難であるといえる。. 学国際化評価指標(チェックリスト) 」に従い、抽出した 内容を分類した。芦沢は、日本の大学における国際化に. 終章 本研究の成果と今後の研究課題. 関わる評価手法と指標が発展していないことに着目し、. 終章では、本研究を総括し、成果と今後の課題につい. 海外の事例との比較研究を通じて日本型の評価手法と指. て述べた。本研究の知見をあえて今日の我が国の留学生. 標のプロトタイプを提案しようと試みている。「大学国. 受入れ政策への示唆とするならば、留学生受入れ施策に. 際化評価指標(チェックリスト) 」は 8 つの大項目に分. ついて、独自性をもった戦略的な大学を支援するような. 類し、その中をさらに 24 の中項目に分け、更に 49 の小. 政策が求められる。例えば現在進められている、 「留学生. 項目に分類している。. 30万人計画」では、多くの留学生を抱える大規模大学. 結果としては、国際化に関しては、第2期では、大学. が支援の対象だが、例えば、かつて行われたGP事業の. 内の授業におけるカリキュラムの国際化という新しい傾. ような、特色ある留学生受入れ施策を掲げる地方大学や. 向があるものの、第1期、第2期ともに、国際的な大学. 単科大学を継続的に支援することが求められるのではな. 間連携、研究及び教育の国際化、実施組織の確立、支援. いだろうか。また、今後の研究上の課題としては、. 体制の整備が目標と計画として重視されていることが明. ①国立大学のみを対象としたため、公立・私立大学の留. らかになった。また、留学生受入れに関しては、第1期. 学生受入れ施策の今日的動向を精査できていない点であ. では「途上国援助モデル」 、 「国際理解モデル」 、 「学術交. る。 設立目的の異なる公立・私立大学を考察することは、. 流モデル」 を踏まえながら、 「大学のグローバルな教育体. 我が国の留学生受入れ政策を検討する上で重要な視点で. 制の充実・強化」や「日本人学生の海外留学」を重視し. あるといえる。②大学における留学生受入れ施策の変容. ているが、第2期では「途上国援助モデル」 、 「国際理解. を明らかにすることである。大学における留学生受入れ. モデル」 、 「学術交流モデル」を踏まえながら、 「高度人材. 施策の歴史的な変容の検証が課題として残った。. 獲得モデル」及び「高度人材育成モデル」に近づきつつ あることが明らかになった。. 3.主要参考文献. 以上、第1章から第4章までの考察から、日本の留学. ・江淵一公『留学生受入れと大学の国際化:全国大学にお. 生受入れ政策の理念や意義は、当初からすると大きく様. ける留学生受入れと教育に関する調査報告』広島大学. 変わりしてきたものの、実際に打ち出された提言や報告. 大学教育研究センター、1990 年. 及びそれに基づく諸施策は、「留学生受入れ10万人計. ・古城紀雄(研究代表者)米澤彰純(実施担当者) 「大学. 画」以降、その内容や種類は新たに追加されるものが出. の国際化の評価指標策定に関する実証的研究」文部科. てきているものの、依然として積み残しで登場するもの. 学省科学研究費補助金(基盤研究 A)平成 16 年度~. も多いことがわかった。日本の大学の留学生受入れ施策. 平成 17 年度調査報告書、2008 年. は、日本の留学生受入れ政策と同様に、従来から変わら. ・横田雅弘・白土悟『留学生アドバイジング-学習・生. ない内容のものと、新たに追加された政策に従って行わ. 活・心理をいかに支援するか』ナカニシヤ出版、2004. れる内容のものであることが明らかになった。. 年. 日本の国立大学における留学生受入れ施策の現状とし. ・横田雅弘(研究代表者) 「岐路に立つ日本の大学-全国. ては、国際的な大学間連携を行いながら、研究及び教育. 四年制大学の国際化と留学交流に関する調査報告-」. の国際化を推し進めること、そしてその際には、実施組. 文部科学省科学研究費補助金(基盤研究 B) 平成 15. 織を確立し、支援体制も整えることが目標と計画として. 年度~平成 17 年度最終報告書、2006 年.

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