西方諸師の『発智論』
―有部の聖典伝承についての一考察―
石 田 一 裕
1.はじめに
これまでの先行研究でJPに二つのバージョンが存在したことは周知の事実と なっている.山田[1956],西[1934]は『発智論』と『八犍度論』との差異を 考察し,その事実を指摘した.河村[1974]はそれを批判的に継承し,『発智論』 と『八犍度論』は異なる系統ではあるが,両書はともにカシュミールに伝えられ たものと結論付けている.佐々木[2007]はこれらの研究の要点をあげる中で 「複数の異なる 発智論 の存在が認められていたことがわかる」と指摘してい る.同一名称のテキストに異なるバージョンが存在した事実は,JP以外の有部 論書にも確認できる.坂本[1935]はAPに複数のバージョンがあったことを指 摘し,佐々木[2003]はその改編の過程を考察した.石田[2009]は両者の指摘 を検討しながら,『大毘婆沙論』の記述をもとに複数のバージョンのAPが並立 して伝承されていたことを指摘し,またその成立にガンダーラが影響を与えた可 能性を指摘した.これらの先行研究に基づけば,少なくとも有部においては同一 の論書であっても,伝承された地域,あるいは時代によって,その細部が異なっ ていたことは間違いない.また論書の分析によって,このような相違が経典にも 生じていたことを石田[2012]は指摘した.本稿では『大毘婆沙論』の記述の分 析をもとに,同様の事例を指摘する.さらに近年議論が進む有部の聖典観につい て,先行研究を踏まえつつ,本稿の分析に基づきながら有部の聖典伝承という観 点から考察を加える. 2.『大毘婆沙論』における『発智論』を通じた経典の引用
『発智論』は契経を引用し,その解釈を通じて議論を展開することがある.こ の場合,『発智論』を引用し注釈する形式をとる『大毘婆沙論』は『発智論』を 引用することで契経を間接的に引用することとなる.また『大毘婆沙論』は『発智論』の「異誦」や「別誦」を紹介し,これによって異説があったことが判明す るが,この異説が『阿毘曇八犍度論』と一致することがあり,『阿毘曇八犍度論』 が『発智論』と異なる系統の伝承であることが理解できる1). さて,ここで考察するのは『大毘婆沙論』に紹介される『発智論』の異説につ いてである.これは『発智論』が引用する経典についてのものである.以下にそ れを提示する.(T27.955b1–3) 「世尊は不動寂静定に依りて而して般涅槃し,世間の眼滅す」と説くが如き,此れ定に在 りて〔般涅槃したもう〕と為すや,定より出でて〔般涅槃したもう〕と為すや.答う,定 より出でたもうなり. これは『発智論』見蘊念住納息(T26.1024a2–3)の一文である.この中の「世尊 は不動寂静定に依りて而して般涅槃し,世間の眼滅す」とは,『大毘毘婆沙論』 の当該箇所に対する注釈から「涅槃経」2)の一文と判断できる.『大毘婆沙論』は この『発智論』の一文を紹介したのちに,「西方健馱羅国の諸師は,是くの如き 説を作す」と述べて,異説を提示する(T27. 955b9–11). 「世尊は第四静慮に入りて而して般涅槃し,世間の眼滅す」と説くが如き,此れ定に在り て〔般涅槃したもう〕と為すや,定より出でて〔般涅槃したもう〕と為すや.答う,定よ り出でたもうなり. これは「西方健馱羅国の諸師」が受持したJPの一文と考えられる.これを現 存する『発智論』と比較すると,「涅槃経」の引用部分である「不動寂静定に依 りて」という箇所が,「第四静慮に入りて」となっていたことがわかる.なお 『阿毘曇八犍度論』の当該所は「入不移動三昧如来般涅槃」となっており,これ は『発智論』と一致しており,河村[1974]の指摘通り,この論書がカシュミー ルで伝承されたことを裏付けている.この『大毘婆沙論』の記述は,第一にJP に異読があった可能性を示し,さらに「涅槃経」そのものにも異読があった可能 性を推測させる.資料の制約上,JPについての分析はこれ以上行うことができ ないが,現存する涅槃経文献群について,この相違が確認できるかを調査したの で,以下それについて述べる. 3
.「涅槃経」の当該箇所の記述
結論から述べると,『根本説一切有部毘奈耶』「雑事」,またチベット語訳の当該箇所,ならびにこれらに基づき校訂されたMP(S)が,『発智論』『大毘婆沙論』 が引用する「涅槃経」と類似する文章を保持していることが判明した.そこで 『根本説一切有部毘奈耶』「雑事」の一文(T24.399b12–14)を確認しておこう. 初禅より出でて還って第二,第三,第四静慮に入り,寂然不動にして,便わち無余妙涅槃 界に入る. ここでの「寂然不動」,またチベット語当該箇所(MP (S).p. 397)の ཞི་བ་མི་གཡོ་བའི་ སྤྱནは『発智論』が引用する「涅槃経」と類似するといえよう.これは『根本説一 切有部毘奈耶』「雑事」にカシュミールに伝えられた「涅槃経」の影響が,わず かではあるが,あったということである.佐々木[2017]は「有部におけるアビ ダルマの系統と律の系統は,かなり複雑な状況で関係していたことが予想され る」と指摘し,「根本有部律」と経部の関連を提示した.本稿ではそれとは異な るつながりを提示したこととなろう.その意味で,確かに,有部におけるアビダ ルマと律の系統の関連は複雑なものであることが理解される. 4
.有部の「涅槃経」の特徴
『発智論』『大毘婆沙論』が引用する「涅槃経」のについて,もう一つ情報を与 えてくれる.それは「涅槃経」を引用したのちの「此れ定に在りてと為すや,定 より出でてと為すや.答う,定より出でたもうなり」という問答によってもたら されるものである.カシュミールに伝承された「涅槃経」も,西方諸師の伝承と されるそれも,靜慮から出て,般涅槃したと明確に述べられていない.それゆえ 『発智論』はこのような問答を設けた,と『大毘婆沙論』は指摘している.もし 「涅槃経」がMP(P)や『遊行経』と類似した記述3)であれば,この問答は不必 要なものである.そうではなかった故に,この問答が生まれたと推測できる.そ こで漢訳涅槃経のうち,特に『大般涅槃経』と『般泥 経』との類似を見てみた い.この両経の内うち『般泥 経』の所属部派について,岩松[1988]は諸涅槃 経の比較検討を通じて「〔根本〕有部の涅槃経を基盤に」して,編纂されたもの と推測しているが,『大毘婆沙論』における西方諸師の伝承とされる「涅槃経」 の引用と両経の当該箇所を並べてみよう. 『大毘婆沙論』: 世尊は第四静慮に入りて而して般涅槃し,世間の眼滅す.(T27. 955b10) 『大般涅槃経』: 第四禅に入り,即わち此の地に於いて般涅槃に入る.(T1. 205a15)『般泥 経』: 便わち四禅より無知に反って受くるところの余・泥 の情を棄て,便わち般 泥 す.(T1.188c4–5) まず『大般涅槃経』は不動寂静に言及せずカシュミールに伝承された「涅槃 経」と一致しないが,第四禅を出て涅槃に入ったといわない点で西方諸師の伝承 した「涅槃経」と類似している.『般泥 経』は「受くるところの余・泥 の情 を棄て(棄所受余泥 之情)」の意味が不明瞭であるが,第四禅を出るとは述べな い.MP(P)や『遊行経』と比較すると,西方諸師の伝承に近いものと指摘でき よう.上記の岩松[1988]の指摘が,『大毘婆沙論』の引用からみても支持され るといえる. 5
.有部の聖典伝承について
有部の論書が伝承される地域によって異なる文言を保持していたことは,先行 研究によって明らかにされている.『大毘婆沙論』は,そのような異本であって も論書としての価値を認め,場合によってはカシュミールに伝授される論書より も正しい記述であることを指摘する(石田[2009]).『大毘婆沙論』はある批判か ら教理の解釈を求められる際に,その批判を「三蔵に非ざるが故に」(T27.105b3, 357b1など)と指摘して,取り合わないことがあり,三蔵という枠組みを自覚して いる.その中で他地域に伝承された異本にも,論蔵としての価値を認める立場を とっているといえよう.このような相違は経典にも存在した.『大毘婆沙論』は 『発智論』の作者の態度を「経によって,論を造る(依経造論)」(T27. 5c28など)と 述べるが,カシュミール有部とガンダーラ有部が多少文言の相違する「涅槃経」 をそれぞれ伝承していたことが,JPの伝承にも差異が生まれたと推測できる. また本稿で考察した「涅槃経」の一文は,JPに引用されるという点で明確に有 部の伝承と考えることができ,現存する諸涅槃経の部派帰属を考察するための重 要な資料となりうるものである.有部では同一名の経典や論書が様々な地域で伝 承され,それらには異同があった.しかし『大毘婆沙論』はそのような文言の相 違を他地域の伝承として認めていた.また,本稿が考察した引用では,『大毘婆 沙論』編纂者がそのような違いを承知しつつ,文言を統一しようしていないこと がわかる. 従来の研究によって同一名の論書が,異なる部分を有しながら伝承され,『大 毘婆沙論』が編纂される時期には,それらがともに聖典として受け止められていたことは明らかである.本稿の考察では,そのような相違が経典にもあり,それ が論書の伝承にも影響したと推測できる.馬場[2017]は上座部と有部の正典観 を比較し「説一切有部には 構成と範囲の確定した排他的な文献リスト という 意味での正典(canon)は存在していなかった」と指摘し,清水[2018]はこれに 経典の隠没という観点を取り入れながら,同様の結論に至っている.本稿は,個 別の経典のごく一部の異同を取り上げただけではあるが,両氏の有部が「排他的 な文献リスト」としての正典を持たないという指摘に,同一名の経論における文 言の異同を容認していたという点を加えるものであり,有部は上座部と比較して 緩やかな聖典理解をしていたと結論付けるものである. 1)『大毘婆沙論』が『発智論』雑蘊愛敬納息の「云何無学慧蘊.答,無学正見智」(T26. 923c28–27)という一文を注釈する際に,「無学作意相應極簡択法最極簡択,広説乃至毘 鉢舍那」(T27.171b1–2)という別誦を紹介する.『八犍度論』の当該箇所は「云何無学慧 身.答曰,無学思惟相應縁択法択観種種観分別,此謂無学慧身」(T26.778b3–4)とあり, 『大毘婆沙論』に紹介される別誦と対応するといえよう.このように,『大毘婆沙論』に 示される別誦はJPの異読を示す場合がある.本稿で考察する「作如是説」という表現に ついても,このような例に類似するものとみなして,以下論を進めていく. 2)「涅槃経」と涅槃経を「」で括った表記は,現存はしないが『発智論』や『大毘婆沙論』 が引用した,有部が伝承したと考えられる個別の涅槃経を示すものである.
3)MP(P)は Catutthajjhānā vuṭṭhahitvā samanantarā Bhagavā parinibbāyi.(p. 156),『遊行
経』は「入第四禅,従四禅起,仏般涅槃」(T1.26c7–8)となっている.それぞれに第四 静慮から出て,般涅槃したことが明確になっている. 〈一次資料・略号表〉 『遊行経』 『仏説長阿含経』「遊行経」大正1, No. 1. 『般泥 経』 『般泥 経』大正1, No. 6. 『大般涅槃経』 『大般涅槃経』大正1, No. 7. 『発智論』 『阿毘達磨発智論』大正26, No. 1544. 『八犍度論』 『阿毘曇八犍度論』大正26, No. 1543. 『大毘婆沙論』 『阿毘達磨大毘婆沙論』大正27, No. 1545. 『根本説一切有部毘奈耶』「雑事」 『根本說一切有部毘奈耶雑事』大正24, No. 1451. AP Abhidharmaprakaraṇaśāstra. JP Jñānaprasthānaśāstra.
MP(P) Mahāparinibbāṇasuttanta. The Dīgha Nikāya vol. 2. Eds. T.Y.Rhys Davids and J. Estlin
Carpemter. Oxford: Pali Text Society, 1995.
MP(S) Das Mahāparinirvān·asūtra: Text in Sanskrit und tibetisch, verglichen mit dem Pāli nebst
einer Übersetzung der chinesischen Entsprechung im Vinaya der Mūlasarvāstivādins, Teil III. Ed.
Ernst Waldschmidt. Abhandlungen der Deutschen Akademie derWissenschaften zu Berlin. Klasse für Sprachen, Literatur und Kunst, Jahrgang 1950 Nr 3, Berlin: Akademie-Verlag, 1951.
〈参考文献〉
石田一裕2009「〈品類論〉と西方諸師」『三康文化研究所年報』40: 171–209.
Ishida Kazuhiro 石田一裕2012. The Contrast in Two Sects of the Sarvātivādin School: From the Viewpoint of the Two Types of Requirements to Become an upāsaka. IBK 60(3): 1194–1199.
岩松浅夫1988「古訳〈涅槃経〉の部派帰属問題」『印仏研』36 (2): 778–784. 河村孝照1974「阿毘達磨論書の資料的研究」中村元編『自我と無我―インド思想と仏教 の根本問題―』日本学術振興会. 坂本幸男1935「大毘婆沙論に引用されたる品類足論に就て」『宗教研究』新12(15): 58–75. 佐々木閑2003「六足と 婆沙論 」『印仏研』52(1): 353–348. ―2007「 婆沙論 諸本の相互関係」『印仏研』56(1): 350–344. ―2017「学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類」『印仏研』65(2): 809–802. 清水俊史2018「三蔵の結集と隠没―上座部と説一切有部の三蔵観を比較して―」『仏 教文化研究』62: 17–35. 馬場紀寿2017「小部の成立を再考する―説一切有部との比較研究―」『東洋文化研究 所紀要』171: 304–348. 西義雄1934「有部宗内における発智系,非発智系等の諸種の学説及び学統の研究(承前)」 『宗教研究』新11 (5):38–59. 山田龍城1956「有部ガンダーラ系論書の特色」『日本仏教学会年報』22: 353–348. (平成30年度科学研究費補助金「若手研究(B)漢訳仏教文献によるガンダーラ仏教研究」 (課題番号17K13332)による研究成果の一部) 〈キーワード〉 説一切有部,西方諸師,涅槃経,カシュミール,ガンダーラ (大正大学非常勤講師,博士(仏教学))