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平成24年度県外研修
報告書
1 研修の目的
東日本大震災から 1 年半以上が経過し、危機管理意識が徐々に薄れてきてい
るのではないかという指摘が全国各地で聞かれるようになっている。災害への
備えは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということのないよう万全を期していか
なければならず、災害が発生した際は緊急事態への対処が迅速にできることが
重要である。
今年度は、東日本大震災被災地の被災・復興状況を視察研修し、地域のつな
が り の 重 要 性 や 被 災 地 支 援 の 必 要 性 等 を 市 民 の 視 点 か ら 考 え る た め 、 古谷館
こやだて
八幡
はちまん
神社 の 熊 谷 正 之
くまがい まさゆき
氏及び 面瀬
おもせ
中学校住宅自治会長の 尾形修也
おがた しゅうや
氏による講演
を聞き、今後の自治会活動、地域活動に活用する。
2 研修のテーマ
『東日本大震災被災地の現状(被災・復興状況)』
3 研修概要
①研修日時 平成24年11月12日(月)午後3時45分~4時45分
②参加人数 199人
③会 場 気仙沼プラザホテル コンベンションホール飛天(宮城県気仙沼市)
④内 容 古谷館
こやだて
八幡
はちまん
神社 の 熊 谷 正 之
くまがい まさゆき
氏及び面瀬
おもせ
中学校住宅自治会長の
尾形修也
おがた しゅうや
氏による講演
4 講演概要
Ⅰ 古谷館
こやだて
八幡
はちまん
神社の 熊 谷 正 之
くまがい まさゆき
氏による講演
気仙沼市の沿岸部は東日本大震災の津波により大きな被害を受けた。 古谷館
こやだて
八幡
はちまん
神社は気仙沼市街から南に位置し標高23~24m程のところにある。東
日本大震災で発生した大津波は境内下の500軒程の家々を飲み込み、木造家
屋は音を立ててつぶれ流されてしまった。津波で流れ着いて助かった人もいた
が、瓦礫にもまれ押し流されてきたため骨を折るなどケガを負っている人も多
数いた。
境内には200名近くの人が避難してきた。急遽、古谷館八幡神社は避難所
となったが、お祭りなどで力を発揮する地域の青年団の人達がテントの設営や
仮設トイレの設置等、素早い対応をしてくれた。食べ物は、翌々日のお祭りの
ために準備をしていた食料があり、それをいただいてしのいだ。広間を解放し、
座布団を敷布団代わりにし、引き出物の毛布を使って不安な夜を切り抜けた。
夜、内湾の重油や軽油のタンクについた火が瓦礫に燃え移って海を漂ってい
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山に火を付けてしまったが東 京消 防 庁から駆け付けた消防隊が火を消してくれた。
震災翌日、地元の自治会長に避難所の責任者をお願いし、避難所のみんなで
役割を分担した。その後、行方不明者を探す人への対応や常備薬のなくなった
避難者のための医師団派遣要請等、またたく間に1週間以上が経過した。する
と、トイレや水の供給に支障が出始めた。また、裏方で頑張り過ぎた自治会長
の奥さんが体調を崩してしまった。このため、公設の大きな避難所に移る必要
があると感じ3月20日に避難所の解散式を行った。災害時には自治会長だけ
ではなく補佐役の何人かで責任を分担し合っていくことが大切である。
震災を振り返り大切と感じたことは、地域の行事を積み重ねることである。
みんなが顔を合わせる機会を持つと、自然と緊急時にも機能する人間関係が作
られていくと確信した。
Ⅱ 面瀬
おもせ
中学校住宅自治会長の尾形修也
おがた しゅうや
氏による講演
尾崎地区は東日本大震災前まで90世帯、304名の地域であったが津波に
より家は1軒も残らなかった。
地震がおさまってすぐ家族を安全な場所に逃がし、消防団の活動へと向かっ
た。消防団は水門を閉めなければならず、閉鎖の後、地域を周り高台への避難
を呼びかけた。逃げ遅れたおばあさんをバイクに乗せ避難所へ向かっている途
中、川を逆流する津波を目撃した。津波はバイクの後ろまで迫ってきたが、間
一髪のところで逃れることができた。
一方で海から標高10mの高さにある尾崎神社には33名が避難し全員無事
であった。海水が足元まで達したがお宮の屋根や杉の木によじ登りしのいだと
のことであった。
「大丈夫」、「ここまで津波が来たことがない」と油断した人や、物を取りに
戻った人など、初動に甘さがあった人は津波の犠牲となった。危機感を感じた
ら人一倍臆病になり、一度逃げたらむやみに戻ってはならないと強く感じた。
また、災害時に人を助けるというのは大変難しいことなので、何よりも優先し
て自分の身は自分で助けるという自覚を染み込ませておいてほしい。
我々の教訓をぜひ災害に強い地域づくりや防災体制の整備に役立ててほしい。
5 研修参加者の感想
・住民の視点から被災体験を聞くことができ大変参考になった。
・東北地方を官民あわせて日本全体で支えていくことが大切と思う。
・東日本大震災の記憶を風化させることなく、これからも被災地を支える気持
ちを持ち続けなければならないと感じた。
・震災復興の支援に何が必要でどういう支援ができるかなどを考えていく一助
となった。
・熊谷と気仙沼では地理的条件が異なるが、防災に対する心構えを大いに学ぶ