博士論文要旨
保険による環境リスク管理の有効性に関する研究
A Study of the Effectiveness of Environmental Risk Management through Insurance
2010 年 1 月
滋賀大学大学院経済学研究科
経済経営リスク専攻
八頭司 彰久
Akihisa Yatouji
指導教員 酒井 泰弘
指導教員 阿知羅 隆雄
指導教員 近藤 學
環境保険は、環境汚染事故を引き起こした場合、企業の安定化に寄与する。ついで、被 害者の救済に寄与し、環境紛争の早期解決にも寄与する。さらに、加入の際の厳しい審査 や保険料割引制度等を通じて、企業に対して環境配慮行動を促すインセンティブを与え、 その結果、社会的には、環境配慮型システムへの転換を誘導するという機能を有している。 上記のような機能を有した保険であるにも拘らず、我が国では環境保険はほとんど普及し ていない。そこで、我が国においてなぜ普及しないのか、いかにして環境保険を普及させ うるかを検討すること、換言すれば、普及させるための制度的諸条件は何かを探る。 一方で、制度的諸条件成立に向けての社会的環境はどの程度成熟しているかを探る。 他方で、損害保険会社の側ではどのような工夫が可能となるかを探る。これらのことを検 討することが本論文の目的となる。また、そのような制度的諸条件とミックスされた環境 保険による環境リスク管理体制の一般的な形姿はどのようなものと展望されるかをも明ら かにしていきたい。その際、本論文では、環境保険による土壌汚染問題への対処可能性に 関心を寄せている。この分野は、代表的な環境保険の対象を構成している。さらに、この 分野において環境保険を普及させる契機となった制度的条件の整備、すなわち、スーパー ファンド法は、近年軽視できない規模に上っているブラウンフィールド問題を派生した。 この問題をクリアしうるような制度設計にも触れていきたい。このことは、環境問題に対 する公的介入の在り方についても具体的に探ることにもなる。のみならず、環境問題がさ まざまな領域にわたる多様で複雑な諸契機の相互作用を内包した、すぐれて有機的な性格 を備えていることに着目したとき、ある問題の解決を図るためにはどこまで視野を広げる かといった論点も問われるところである。土壌汚染問題への環境保険による対処を可能と するには、この問題を取り巻く諸契機のどこまでが、そしてどのような改革を迫られるこ とになるのか、この点に一定の展望を与えるのも本論文の目指すところである。 そこで、第 1 部において本論文の理論的、実証的前提作業として、先行研究のサーベイ 及び我が国における環境保険普及状況の概観について考察した。 すなわち、序論において本論文の背景、目的、さらに方法及び構成について略述した。 第 2 章では、一方で、環境保険論にとっての基礎的カテゴリーや基礎認識を確認すると同 時に筆者による環境リスクの定義を提示した。また、環境保険の諸機能の中では、とくに 事前対策機能の考察について立ち入った考察を行った。他方で、筆者による主要損害保険 会社への販売状況の調査の分析を提示した。 第 3 章では、環境保険をめぐる先行研究を概観した。環境問題が上記のようにすぐれて 有機的な性格であることから環境保険を研究する場合、環境保険論にのみ視野を限定して いては対象に十分迫れないことから環境保険に関わる周辺分野の基礎理論を概観した。そ の面から環境経済学においては宮本憲一氏の研究が注目された。ついで、米国及び我が国 における研究史の概観を行った。環境保険論の代表的な先駆的研究者である P.フリーマン 及び H.クンルーサーの業績から「保険可能性」及び「市場性」という分析枠組みに注目す ると共に米国の先行研究を通じて、スーパーファンド法が環境保険をめぐる制度的条件の
考究にとって鍵を持つものであることを確認した。 第2 部では、我が国の環境汚染事故を取り巻く社会的環境を事例研究により検証した。 第 4 章では、本論文で取り上げた手法である事例研究の方法論的考察を行った。さらに、 質的な分析手法の長所と限界についても確認を行った。 第 5 章では、橋本市及び青森・岩手県境産業廃棄物の不法処理による土壌汚染事件を素 材に、行政の姿勢の推移に焦点を置いて両事件を比較した。橋本市の事例では、トップの リーダーシップや専門家の役割、住民運動が大きな行政の転換のカギになった。青森・岩 手の事件では、岩手が措置命令等の積極的な行使や、国(環境省)の後押しによる排出者 責任の徹底追及等を行った。上記のことから,社会的環境の検証を行い社会的環境の一定 の成熟を確認した。しかし、石渡氏は、最終処分場に依存するという現在の産業廃棄物処 理システムに不法処理問題に対する構造的問題があることを指摘している。この問題を解 決しないとせっかく成熟しつつある社会的環境及びそれに支えられた法制度が成立したと してもうまく機能しないであろう。 第 6 章では、蓄積性の環境汚染の代表であるアスベスト問題を取り上げている。米国保 険業界の経験より蓄積性の汚染に対しては保険対応が困難である。しかしながら、P.フリー マン及び H.クンルーサーは、厳しい法律の成立を前提とすれば、こうした環境汚染に対し ても環境保険を開発できることを証明した。そこで、我が国では、それを支える社会的環 境がどこまで成熟しているかを検証した。アスベスト問題への対応を経年的に考察するこ とで検討した。その結果、我が国においても遅ればせながらそれなりに成熟が果たされて いることが明らかになった。但し、過去の活動に起因するアスベスト災害への対応を環境 保険に求めることは困難であり、この問題は我が国において、今後深刻になっていくであ ろうことも明らかにした。 第 3 部では、環境保険を普及させるための制度的諸条件を具体的に探究し、環境保険を 活用した環境リスク・マネジメントの一般的形姿を明らかにしようとした。いわば結論的 考察の部である。 第 7 章では、なぜ我が国において環境保険が普及しないか、普及を妨げてきた要因は何 かを具体的に探り、それを克服するための検討を行った。理論的にはP.フリーマン及び H. クンルーサーの「保険可能性」と「市場性」が手掛かりとなる。さらに、桑名氏は、損害 保険会社へのアンケート調査を分析し、公的支援が必要であると提言した。しかし、桑名 氏の説明を深めるための課題として「公的支援」の類型を整理する必要性に迫られた。 第 8 章では、まず公的支援のあり方について検討した。その手掛かりをなしたのがスー パーファンド法の閲した変容過程であった。公的支援のあり方については、枠組み作りと それを超えたところで、一定程度、参加をするという組み合わせが重要である。我が国の 土壌汚染対策法はスーパーファンド法ほどに厳しい責任原理を備えていないが、自主的な 土壌汚染調査を促しているという意味では制度的条件の整備としてそれなりに機能してい ることを確認した。さらに、保険加入時の環境監査に伴う企業の負担感を軽減させ、環境
格付けや ISO14001 を利用して環境監査を簡便化する工夫や損害保険会社による商品の工 夫・開発を検証した。最後に、環境保険を利用した環境リスク・マネジメント体制の全体 像を提示した。 第 9 章では、上記のいわばマクロ的モデルを効果的に具現化していくために、土壌汚染 対策法実施の実質的主体である自治体ではどのような問題点と改善策が工夫されているか を検討した。掘削除去という高コストの手法が濫用されていることに注目し、それへの対 応として欧米で一般化されているリスク・アセスメントの導入に基づく当該土地の立地条 件や使途に照応した対策に目を向けた。ついで、自治体における先進的な取り組みを紹介 した。さらに、東京都環境局の報告書により、土壌汚染対策における中小企業への支援に も目を向けた。ブラウンフィールド問題の発生を防止するためには、事業者に経済的イン センティブを与えることが重要であることを検証した。加えて、米国のウィチタ市の事例 に基づき、TIF を巧みに活用して地方自治体がイニシャティブをとって問題解決に至った例 を紹介した。最後に、米国の事例により上記のような工夫・改善を前提として活用されて いる環境保険について再確認した。 第10 章では、結びとして、まず環境問題が多様な領域にわたる様々な契機の相互作用を 内包した、すぐれて有機的性格を帯びた事象であることに立ち戻り、環境保険を普及させ るために視野を広げて見えてくる問題をも再確認した。具体的には、金融のグリーン化に ついて検討すると共に、産業廃棄物処理について、エンド・オブ・パイプ方式からリサイ クル方式へ構造転換を行う必要性があることを検証した。最後に、総括として、本論文の 研究成果を振り返り、その意義を確認した。 以 上