近世徳島藩山村社会の家と女性 一名西郡上山村上分の場合一 教科・領域教育専攻
社会系コース 門田万寿美
はじめに
近世社会の構造上、女性はどこにどのように 位置づけられるのか、
1980
年代に入り「暗黒jだけでない近世女性の存在が示された。近年ジ ェンダーアプローチからの歴史学の見直しゃ個 々の女性のライフサイクルと公権力との関わり など、新しい研究段階へと進みつつある女性史 は、歴史学の中で市民権を得たと言えるだろう。
本研究は、全国的な先行研究を念頭におきな がら、近世徳島藩の百姓女性の公的把握と村や 家の中での実態を、一次史料に即して具体的に 検討することを目的としている。
第 1章 文 化 期 棟 付 帳 に み る 女 性 相 続 1藩政の百姓女性把握
徳島藩では、
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世紀にも百姓の家の後家は中 継相続をしており、藩も実質的にそれを認めてし、る。
棟付帳作成の際、隠しゃ不正が多く、また女 性名を煽る者もあり、藩は棟付!援に女性を含む すべての人を記載せざるを得なくなった。しか し、その付けられ方は性別によって区別されて いる。また、棟付作成時の基本となる「蝦証文
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や「居証文jの取り方は、やはり男性と女性で は違いがある。女性という観点で見ると、藩の相続把握は
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壁 書J
の方針を踏襲しており、棟付作成の目的は 夫負人の確定という初期の方針を失つてはいな し102 r
上山村上分文化期棟付帳j にみる女性相続指 導 教 官 町 田 哲
この節は、「名西郡上山村上分文化期棟付帳j
を 素 材 に 女 性 相 続 に つ い て 分 析
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た結果でさ る。女性名筆頭入、後家の家とも暮らしの厳し さが感じられ、家族との離男IJ・死別で筆頭人に ならざるを得なかった状況である。一方、中継としての女性相続人の数は多く、
この意味での女性の役割は大きい。しかし男性 筆頭人の娘への相続の形と、後家の娘への形は 棟付の付け方が異なる。実際の棟付でも、後家 相続を認めた「壁書jの趣旨が反映されている
と考えられる。
養女は特に近隣や親戚内から取っている場合 が多く、中継相続の観が強い。証文・棟付とも、
男性養子とは異なる付けられ方である。
3
養子に出される惣領上山村上分では、惣領、長子であっても養 子に出されることもあり、その数は養子総数の
2
割に達するD 村の相続形態は、多彩で柔軟で ある。まとめ
藩は、近世後期の社会の変動に対処するため、
女性相続をどのような形でも認めている。事実、
上山村上分では、さまざまな女性の中継相続が みられ、惣領を養子に出すことも養女相続も希 とは言えない。しかし、藩は公的な帳簿記載や 証文については、藩政初期の根本原理を貫こう
としており、記載方法にその意向が表れているO
第
2
章上山村上分の女性と村社会 1上山村上分の「父不知jρhu n同dnノ山
「父の分からない子jが証文なしで母の家督 を相続し、村でもそれを認めている。「父不知j
の父は村人であり、「父不知j とは棟付上の記 載形式である。
2 r粟飯原家文書j内 縁 出 入 り (1 )
内縁関係出入りにおける村役人の内済は、男
性側に優位に働いている。人間関係の秩序維持
のため男女の関係を絶ち、できた子は「父不知j
にする傾向が強い。
3 r粟飯原家文書j内縁出入り (2)
村役人は、「家j の存続のため、内縁関係を 既成事実として認めることもある。その内済は、
村内完結型で弾力性がある。
4
村役人の論理村の出入りを担うのは、庄屋とその補佐役の 五人組である。上山村上分は、行政区分として
4
つの谷に分かれており、その谷ごとに五人組 が存在し受持地域を管轄していた。村役人は、厳しく道徳を説き社会秩序の回復 をねらうが、時には現実的な対応も迫られてい た。近世後期の村の実状は、風俗の乱れや散田 の増加などでたいへん厳しい。
まとめ
上分の女性は、公的役は担っていない。しか し、女性にとって家の中継相続人としての役割 は大きい。結婚、出産、相続と続く村の女性の ライフサイクルの中で、行動的に大胆に自分の 位置を決めていく女性の姿が見える。
村役人は、弛緩していく村社会の現実の中で、
村人の行動を冷静に判断し、村内で完結させる ことを目的としている。
第 3章庄屋の家の人々
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粟飯原家の危機
代々上分の庄屋を勤めてきた粟飯原家には、
家存続の危機が
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度あった。その危機を粟飯原家系図と棟付帳から検証し、同族団の協力によ って近世を生き抜いた庄屋当主の家の姿を検討 する。
2 r
伊 輪j という存在公的立場がなかった上分の女性の中で、「墓 誌下書きjが残され庄屋の妻として顕彰された
「伊輪Jの存在は特筆すべき例である。庄屋の 家の存続に生きた「伊輪jの生き方を考察する。
3
庄屋の家を取り巻く人々荒廃する社会の波は、庄屋本家周辺の上層農 民の男性にも及んでいる。これらの男性と「家j
存続を支えた女性の存在を検討する。
まとめ
庄屋の家と本家周辺の家は、同族団の結束や 女性の存在によって成り立ってきたといえるだ ろう。
おわりに
藩の正式な女性把握は「嫁入りjだけであり、
女性相続はあくまで中継ぎの認識でしかない。
棟付改めの趣旨は、「夫負人確定J の意味合い を失つてはいない。しかし、村の実質的な家の 相続は多種多様で数も多く、家の確保を考えれ ば、藩は女性相続をどのような形でも認める必 要があった。
村の女性は、公的役は担わないが、家の相続 には大きな役割を果たしている。また女性は、
内縁という形ではあるが、家の制約から解き放 たれる力も持っていた。さらに、近世後期の荒 廃する村の中で、家にとって女性は欠かせない 存在になっていた。
しかし、「父不知jや村の女性の実際の姿が、
どこまで判明したかは疑問が残る。今後の課題 は、多く残されている。
付論「後藤家文書j 内縁出入りにみる女性
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