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フリードリヒ・フい「ベノレの学校教育学に関する一考察 ーカイノレハウ時代 (18171831)の教育実践に着目して一

学校教育専攻 人間形成基礎コース 松 野 下 良 子

1 .

はじめに

フ レ ー ベ ル

( F r i e d r i c hW i l h e l m  A u g u s t   F r o b e l  

17821852) は 幼 稚 園

(Kin

d e r g a r t e n )  

Jの創始者,創設者として世 界的に名声を博した。しかしフレーベルの幼稚 園に関する活動は,実にフレーベル晩年の大成 である。恩物論,遊戯論そして幼児教育といっ た就学前教育に従事する以前に彼は, 1805年以 赫~ 30年間にわたり学校教育に取り組んで、い た。フレーベルと言えば,これまで幼稚園に関 心が集中し,寸車の幼児教育に焦点が当てられ てきたために,フレーベルの学校教育に関する 構想、は,世界的に等関されてきた傾向にある。

すなわち学校教育に従事したフレーベル像は,

これまでほとんど解明されてこなかったと言え よう。それはなぜか。日本におけるフレーベル 研究においても,すでに上述した傾向は否めな い。それは,要因の一端として,フレーベルの 資料上の問題,制約があげられよう。

そこで論者は,フレーベルの学校教育学を解 明するために,フレーベルのカイルハウ時代に 着目した。 1817年から 1831年までの約 14年 間,フレーベルは,ノいードノレシュタットのカイ ルハウにて「一般ドイツ教育施設Jを創設し,

学校教育の実践を開始した。フレーベルの構想 した学校教育学の基盤は,彼が独自に考案した 球体哲学にある。これまで日本のフレ)くル研 究において,球体哲学が基調となったフレーべ

指 導 教 官 木 内 陽 一

ルの学校教育論lこついては,資料上の問題から も十分に検討されてこなかったといえよう。

フレーベルの学校教育学を考察するにあたり,

論者は, ドイツ・フレーベル研究の第一人者で、

あるハイラントの論究を参照し,フレーベルの 学校教育学の展開を跡づけ,その特徴を示すこ とを試みた。ハイラントにより初めて,球体法 則に員Ijったフレーベルの学校教育学の全体像が,

これまでに未刊行の資料により,体系的かっ組 織的に明らかにされた。それゆえ本研究の新し さは,プレーベルのカイノレハウ時代の学校教育 を,彼独自の球体哲学を基調とした観長から考 察し,究明を試みた点に見出せよう。本論文は,

学校教育に取り組んだ新たなフレーベル像を再 構成することを目的とした。

2 .

論文の概要

一章では,諸構想、の基底をなす,フレーベル が学問(科学)の新概念として位置づけた球体 哲学・球体法則の成立過程に着目し,それを具 体的に吟味した。プレーベルに依れば,

r

球体法 則は,すべての,真に満足できる人間形成の原 則であるJ。それゆえフレーベルは,球体法則を 基盤とした教育プログラムを考案する。フレー ベルの学校教育学は,簡潔に言えば,イヴェル ドンのペスタロッチ学園に滞在した際影響を受 けたペスタロッチの基礎的メトーデとプレーベ ノぱ虫自の球術去則を組み合わせ,実践で試みる というもので、あった。またフレーベルが 1809

(2)

年に執筆した「ペスタロッチに関する建白書j

も,その後のフレーベルに大きな影響を与えた と言えよう。フレーベルの学校教育理論を理解 するために,哲学(自然,多様性)・宗教榊,

統寸生)・教育(人間,個別聞が,いわば三位 一体となった教育実践であったことは見逃せな い白つまり三つの視点が,常に球体法則の中に 暗示されていたと考えられる。

二章においては,前章で明らかとなった球体 哲学を基盤とした教育実践,とりわけカリキュ ラム論は一体どのようなものだ、ったかを,カイ ルハウ学園の実践報告に即して検討した。カイ ルハウ時代にフレーベルが,カイノレハウ学校案 内という彼の球体法則に基づ、いた教育プログラ ムを外在化した小論文集があるが,論者はその 諸論文を徹底的に吟味することにより,彼の構 想する学校教育案を,より理論的,実践的両面

にわたり解明を試みた。

三章では,1826年に出版されたフレーベルの 著書『人間の教育』を通して,フレーベルの学 校・教授概念,基礎教授の基盤をなす球体法則 とその教授内容,そして教擬晶程の構造を明ら かにした。フレーベルの不朽の名著といわれる

『人間の教育』は,フレーベルがカイノレハウ時 代に執筆した諸論文の集大成として位置づけら れる。ここでは前章で論究したこととの比較か ら,フレーベルの構想した学校教育の内容が,

より具体的に明らかになったといえよう。

最後に四章では,一般に学校教育学の重要論 文と言われる,フレーベルが 1826年に出版し た週刊誌「教育的家庭Jの中から三つの論文を 考察の対象として取り上げた。そこで、論述され ている教授の内容をもとに,さらなるフレーベ ルの学校教育理論を探った。こうして学校教育 に従事した全体のプレーベル像が,体系的に明

らかになったと言えよう。

3.おわりに

以上,本研究における考察の結論は,つぎの ようにまとめられよう。

フレーベルは,ベスタロッチの基礎的メトー デに不足する何かを探究し,その結果球体法則 を獲得するに至った。フレーベルの据える球体 法則とは,神が表出される過程そのものであり,

それが「球体jを通して,すなわち外界と内界 の統ーを通して起こるとしづ定義であった。フ レーベルに依れば,あらゆるもののカは,神か ら発せられている。これを生徒たちが認識する ことをフレーベルは教育の使命とし,外的なも のを内化することを真に実践の中で試み,最終 的に神へと再帰する合ーへの道をめざした。そ のために例えば教育の形態としてフレーベルは,

当学園を寄宿制とし,すべての構成員が一つの 家族をなす関係を創りだし,教授の中では特に 労作を劃見した。こうして球術去則を彼の学問 の基礎を確立する新概念と据え,これを実践と 著書の中に外在化したのであった。

そういった球体哲学観からフレーベルは,五 つの基礎教授の科目を演緯し,それを宗教,自 然,数学,言語そして芸術とした。これに則っ てさらに基礎的教授と古典的教授の時間割が編 成されていたが,カイルハウ時代にフレーベル は基礎的教授にのみ特に詳述したことがうかが えた。教授過程は, fGmgjによって行われる というものであった。その際,身近なものから 考察を出発した直観が重要であり,さらに抽象 概念の獲得が重要となる教授内容だ、った。

カイルハウ時代からの遺稿により,すでに思 物の原形を説明する構想、も明らかとなったが,

フレ}ベルがこれをこの時代の図画教授を基礎 に理解していたことは輿味を引く結果となった。

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