私は、2019年2月24日から3月2日まで、関西国際大学坂中尚哉先生が携わっておられる
「カンボジアの内戦体験者の語り」を聴き取る在外研究に共同研究者として参加しました。調 査の目的は坂中尚哉先生が10年間続けているカンボジア内戦の外傷体験のフィールドワークを 行いながら、異文化研究の基礎資料を収集することです。主に、1970年代初頭のポルポト派に よる大量虐殺の被害が最も大きかったタケオ州やカンダル州をフィールド対象として、生存し ている体験者の心理的特徴を把握するために被害体験者の描画的特徴の分析を実施することも 目的のひとつになっています。関西国際大学では、このカンボジアでの調査を授業として位置 付けしているため、20名の元気な学生さんも一緒でした。
アンコールワットで有名なカンボジアはインドシナ半島の付け根に位置した熱帯の国です。
国土は日本の約2分の1。私が訪れた2月末から3月の初頭にかけては、乾季(11月上旬~5 月中旬)の時期にあたっており、日中の気温は35度~40度近くに上がる日もありました。その うえ、湿度が高く、決して過ごしやすい環境とは言えませんでしたが、強い太陽を浴びながら も街頭の花々は眩しく輝き、人々の屈託のない笑顔や温かさ、子どもの笑い声などが、その環 境をしてもなお、私を惹きつけてやまない国になりました。しかしそんな人々が生き生きと暮 らすその国で、わずか40年ほど前には、200万とも300万ともいわれる人々が飢餓により、過重 な労働により、虐殺により命を落とした事実があったのです。そこで何が起こったのか。なぜ、
それほど多くの人々が命を落とさなければならなかったのか。調査を終えて帰国した今でもそ の問いの答えはみつかりません。たぶん、その答えは生涯得ることはできないと思います。た だ一つだけ言えるとすれば、ある日突然、家族や親と強制的に引き離され、当たり前に続いて いた日常が奪われ、いわれもない罪に問われた末に残虐な拷問によって恐怖と悲しみの中で死 んでいった多くの子どもや人々がいたということを忘れてはいけないということ。そして、そ れでもなお、夢に向かって進もうとしているカンボジアの人々の今の姿を伝えていくことだと 思いました。
紀行文:カンボジアでの研究を終えて
山 本 智 子*
*近畿大学教職教育部准教授 〔キーワード〕カンボジア、内戦体験者、ナラティヴ
1.当時(1 9 7 5年~1 9 7 9年)カンボジアで何が起こっていたのか
クメール・ルージュとは
1975年4月17日、原始共産主義の旗のもと、ポルポト派(クメールルージュ)がプノンペン に侵攻しました。プノンペンを手始めに都市や町に住む市民を農村に強制移住させ、通貨や学 校、私有財産、裁判所、市場などを廃止し、宗教を禁止し、農業を主体とした労働に人々を追 いやっていきました(David Chandler, 1999=山田寛訳、2002)。農業を主体とした国づくりを 目標にしていたため、医師や教師をはじめとする知識教養があると考えられた人々はすべて処 刑の対象になりました。最終的には「眼鏡をかけている」「掌が柔らかい」人々も処刑の対象 となったのです。ポルポトが掲げる政策によって、家族は解体され、子どもは親から引き離さ れ年齢ごとの集団生活を強いられ、国民を監視するための組織もつくられました。言動に対し ての過酷な弾圧も始まっていったのです(新川加奈子、2008)。誰かが誰かを密告する。その 密告は処刑に直結することだと誰もが知りながらも、自分の命を守るためにそうせざるを得な いような構造がつくられていったといえます。1979年にベトナム軍が首都のプノンペンを占領 するまで続いたこの4年間で、200万とも300万ともいわれる人々が命を落としていったのです。
これはその当時の人口の三分の一にあたるといわれています。
トゥルー・スレン(大量虐殺博物館)」・「キリングフィールド(刑場)」とは
私はカンボジア滞在中にプノンペンにある S21 と呼ばれる「トゥルー・スレン(大量虐殺博 物館)」と「キリングフィールド(刑場)」を訪れました。トゥルー・スレンは革命以前には高 校だったそうですが、クメールルージュのもと秘密警察の尋問センターとなりました。そこで は、敵とみなされた人々が拷問を受け、その苦しさから身に覚えのない反革命の罪を自白させ られ、キリングフィールドに移送され殺されたそうです。あまりの飢えから地上に落ちている マンゴを盗った罪で殺された人もいます。当時、「人の命はマンゴやバナナより安い」と言わ れていたそうです。この場所には拷問で使われた様々な道具や、足枷、数百枚に及ぶ囚人たち の写真が展示されていました。番号札を胸にかけカメラを見つめる彼らの顔からは、絶望や恐 怖が伝わってきました。
トゥルー・スレンに残された膨大な文書から、そこで何が行われていたのかが明らかになっ ています。ここに収容された人々は、手かせ、足枷をはめられて、いくつもの房に仕切られた 小さな部屋に監禁されました。終りのない拷問に耐えきれず、無実の罪を認めた人々はキリン
グフィールドに運ばれ処刑されることになるのです。当時は、「一度、この収容所に入れられ たならば、拷問を免れた人も死を免れた人もいない」といわれていたそうです。実際に生き 残った人はベトナム軍の侵略により、プノンペンが崩落した後、発見された7名でした。その 中の一人(78歳)にお話を伺うことができました。「自分が生き残ったこと。それはこの事実 を伝えていくこと。生きる喜びを伝えていくこと」と笑顔で語られていたことが印象に残りま す。また、「笑顔で出迎えるのはカンボジアの一つの礼儀であって、お客さんが泣いていると 私も泣いてしまいます。たくさんの家族が殺されました。今、生きていても心から楽しいとい うことはない。でも、私の話を聴きに来てくれる人々には笑顔で出会いたいと思っています」
とおっしゃっていました。
次に訪れたのは「キリングフィールド」です。キリングフィールドと呼ばれる処刑場はカン ボジア各地に存在します。それほど、多くの人々が各地で理由なく殺されたということです。
プノンペンにあるキリングフィールドはその規模の大きさで多くの人々が訪れる場所です。
トゥルー・スレンで有罪と宣告された人々は、そこから一時間ほど離れたキリングフィールド に移送されます。処刑の対象になった人々は「新しい住処に移る」と言われ移送され、多くは その日に処刑されました。当時、次から次への移送されてくる人々の処刑に直接携わった兵士 の平均年齢は15歳とも17歳ともいわれています。また、処刑の方法も銃弾は貴重なものであっ たため、斧やハンマーなどを用い、乳児は母親の前で木に打ち付けられ殺されたといいます。
なぜ、乳児までと思われるかもしれませんが、今回の聴き取り調査でもよく語られたことに
「ポルポトは、草をとったら草の根もとらなくてはいけないと考えていた」ということがあり ます。そこにポルポト個人としての弱さがあり、こうした大虐殺を引き起こした一つの要因が みえるような気がしました。いずれにしろ、クメールルージュの支配のもと、飢餓にあえぎ、
過酷な労働に苦しみ、言われなき罪を問われ、多くの人々が亡くなっていったことは事実なの です。亡くなった人々の悔しさや無念さは想像を絶する事実として受け止めながらも、その一 方で、受け入れがたい出来事をどのように受け入れながら内戦体験者は「今」を生きているの かについて、今後も引き続き調査を行っていくつもりです。
2.赦しと癒し、そして光
「カンボジアは今、癒しの時代にいる」と語った人がいます。ポルポトの時代を知らない若 い世代に敢えてその当時の出来事を教えない理由には、政治的な背景もあるかもしれませんが、
彼らがもつ宗教観や、若い世代に復讐の心を持たせないという配慮もあるもかもしれません。
カンボジアは、被害者と加害者がともに暮らす国でもあります。彼らは、被害者も苦しんだが、
加害者も苦しんだだろうと言います。同胞で殺しあう。できれば忘れてしまいたい出来事だと は思いますが、まだまだ歴史にするにはそれを体験した人々が負った傷が大きすぎます。内戦 の体験者の語りからは、いまだ続く問いと苦しみを過去のものとして捉えているとは考えられ ませんでした。これは当たり前のことで、これからカンボジアが真に自立し、自分たちが生き たい現実を迎えるまで、この苦しさが消えることはないと思います。その中で、私たちに出来 ることは、彼らがどのような国を作っていこうとしているのかを内側の視点から眺め、彼らへ の自立のための援助を続けていくことだと思います。シェムリアップやプノンペンでみた物乞 いの子どもたち。夜の街であかちゃんを抱き、ミルク代を乞う母親。障がいがある子どもを乳 母車に乗せ治療費を求める父親。これもひとつのカンボジアの姿ではあるのですが、やはりそ れではいけない。こうした現状を変えるためには、他者に頼るのではなく、自分で考え、自分 で判断し生きていく力を養うための教育を充実させること、それが早急に求められることでは ないかと感じました。
シェムリアップからプノンペンに移動した日、宿泊するホテルの前にあった地元の学校を参 観させてもらうことができました。そこでは、屈託なく笑う子ども達の声が響き、その子ども を叱る厳しいけれども温かい先生の姿があり、校庭を明るく照らす太陽とブーゲンビリアの 花々が咲き誇っていました。そしてそれらの光景が「きっと大丈夫」と筆者に語りかけている ように感じました。ここでは、調査の内容からカンボジアの闇の部分に焦点を当てた報告にな りましたが、その一方で、こうした光の部分もたくさん体験しました。この光の部分が今後の カンボジアを照らし続けることを祈り、今後も継続的に関わっていきたいと思っています。
引用文献
新川加奈子(2008)「カンボジア 今」、燃焼社:34-35.
Allan Young. 1995, The Harmony of illusions(=2001、中井久夫・大月康義・下地明友他(訳)
PTSD の医療人類学、みすず書房)
David Chandler, 1999,Terror and History in Pol Pot’s Secret Prison(=2002、山田寛(訳)ポル ポト死の監獄 S21、白揚社)