はじめに
本稿では,開高健(1930-1989)の作品『輝 ける闇』(1968)および,『夏の闇』(1)(1972)の 二作について考察する。
開高は1964年11月から1965年2月までベト ナム戦争を取材している[浦西
1990
:
511](2)。 1965年2月14日午後,南ベトナム政府軍と南ベ トナム解放民族戦線(以下,解放戦線)との戦 いに遭遇し,九死に一生を得る。帰国後,ルポ ルタージュ『ベトナム戦記』を発表した。その 後,1968年にベトナム戦争を舞台とした書き下 し小説『輝ける闇』を発表,同年に二度目のベ トナム取材後,1971年に二作目の小説「夏の闇」を『新潮』に発表,翌1972年に単行本として刊 行された。
『輝ける闇』の主人公である「私」は,ベト ナム戦争を取材する過程で,戦争を「私のため の戦争」(3)としてとらえようとする。しかし物 語終盤でそれは崩れそうになるが,続編とされ る『夏の闇』でふたたびベトナムに向かおうと する。
本稿では,『輝ける闇』で崩れつつある「私 のための戦争」が『夏の闇』で回復される経過
を追いつつ,二作品の「私」が,ベトナム戦争 をどのように言葉で表現しようとしたかについ ての過程を明らかにする。
先行研究においては,両作品の「私」と作者 の開高を同一の存在として論じたものが多い。
本稿では両作品の主人公の「私」のありよう を,作家自身とは切り離してあくまで作品論と して考察する。
1-1 当事者性と非当事者性
『輝ける闇』の「私」は日本の新聞社の特派 員としてベトナムにおもむいた。したがって 戦闘員ではない。米兵や南ベトナム政府軍は
「私」の立場と対照的である。夜間の輸送パト ロールについていったとき,長身の米軍大尉は 標的になりやすいことから「私」は大尉から離 れて歩いていく。戦闘員である彼らと距離を置 いて移動する「私」は大尉を見捨てた,と感じ る。ベトナム政府軍も,「私」と米兵の寝る場 所として塹壕を確保するために,そこから抜け 出る。「私」は,「私が寝るだけで二人の兵が死 ぬ」[開高
1968
:
55]と感じる。戦闘員ではない「私」は,武器を取ることを 選択できる立場にある。「私」は米兵に銃を渡
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程4年(指導教員 内藤 明)
論 文
開高健『輝ける闇』『夏の闇』に関する一考察
稲 村 聡
*されても,「この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯 せぬ」[開高
1968
:
44]と思い,銃は持たなかっ た。だが米兵,政府軍は武器を持たざるを得 ず,戦うことも避けられない。ここで「私」は,自分が安全な立場でベトナムに来ているという 認識をあらたにする。
軍と行動している場面以外でも,この認識を 読みとることができる。「私」と親しくなる人 物に,ベトナム人のチャンと,その妹の素娥が いる。チャンは日本の通信社のサイゴン支局で 通訳として働いている。彼は,「私」と戦況の 話はするが,戦争の正義や南北政府のどちらが 正しいかは話さない。自身が南ベトナムと解放 戦線のうち,どちらにつくかを言わない。
ベトナムにとっては外国である日本の新聞社 の特派員として取材に来ている「私」に対して も,チャンは自分の立場を明らかにしようとし ない。「今日の友がいつ明日の敵となるか知れ ないこの国で生きのびていくための知恵であ る」[開高
1968
:
78]と「私」は考える。戦争の当事者は,「誰かの味方をするには誰 かを殺す覚悟をしなければならない」[開高
1968
:
90]立場にあると「私」は考えている。南か北かのどちらにあるかを選択することは,
反対の立場にいる誰かを殺すことにつながる。
これは非当事者には得られない認識だろう。
「私」は取材中に見た戦死者についても考え る(4)が,この時点の「私」は目の前で人が殺さ れるところは目撃していない。「私」が回想す るのは,殺されたあとの人びとの遺体である。
「私」は,残忍な光景ばかりが気になるという。
だがそれは,残忍と感ずるのは私が当事者でな いからであり,「当事者なら死体が乗りこえら れよう。私は殺しもせず,殺されもしない」[開
高
1968
:
90]という。そして自身は「視姦者」[開高
1968
:
90]であるという認識に達する。「視姦」する人間には「見たい」という欲求 がある。見られる対象は,見る主体にとっては 欲求を満たすものという意味しかもたないだろ う。自らを「視姦者」としたのは,「私」がベ トナムのひとびとを「見たいように見た」こと になるのではないか。これは非当事者の立ち位 置を端的に表している表現である。
このような当事者と非当事者という関係性の なかで物語は展開される。チャンは徴兵を逃れ るために指を包丁で切り落とすが,それを「私」
が見舞った際,チャンは政治にたいする恐怖と 不信感を口にする。
断食闘争をしている仏教僧もチャンと似た態 度をしめす。「彼ら(筆者注:解放戦線)がイ ニシヤティヴをとるまでは友人だ。それから われわれは奴隷となる。」と僧はいう。[開高
1968
:
120]。この高僧を取材した「私」は,「政 府に対しては断食,焼身までして対決しようと するのに戦線に対してはただ冷暗の瞑目がある ばかりだった。」[開高1968
:
121]という印象 をもつ。島田昭男は,「非戦闘員の特派員である以上,
主人公の「私」が個々の将校,兵士のように己 の全生活を賭けた「行為者」たりえないのは自 明である」[島田
1977
:
116]としている。非戦 闘員であり,特派員であり,ベトナム人でもア メリカ人でもない「私」が当事者ではないのは 当然のことであろう。チャンとの会話や仏教僧の取材をとおして,
「私」にとっての戦争は,思想や政治,正義と いった大きな単位で展開されるものではなくな る。身近なチャンや素娥,僧といった,顔の見
えるひとびとが巻き込まれていくものとしてあ らわれる。戦争の当事者である彼らは,生きて ゆくために政府,解放戦線のどちらにつくかと いう立場を明らかにしない。どちらかにつくと いうことは,敵となる相手を殺害することにも つながるからだ。しかし「私」は非当事者で,
「視姦者」でしかないと自覚している。
では「行為者」になりえない非当事者の「私」
は,「視姦」するしかないのだろうか。取材を 続けるうちに,ある出来事がおこる。
1-2 戦争を表現する言葉
サイゴンで取材をつづけていた「私」がある 朝,解放戦線の少年の処刑を目撃した際の描写 は下記のようなものだった。
おびただしい疲労が空からおちてきた。私は寒 気がして膝がふるえ,それでいて全身を熱い汗に ぐっしょり浸されていた。汗はすぐ乾いたが,寒 さはまさぐりようのない体の内奥からやってきて,
波うった。胃がよじれて,もだえ,嘔気(はきけ)
がむかむかこみあげた。私は闇のなかで口をひら いたが嘔く物は何もなかった。[開高 1968: 162- 163]
しかし,翌日の朝にべつの公開処刑を見たあ との「私」は正常で,動揺すらなくなる。「古 池の藻の林のように私は静かである。私は視姦 した」[開高
1968
:
167]という。川西政明は,第一回目と二回目の処刑の表現 のちがいを,「誤解をおそれずにいえば,殺人 の拒否から殺人の肯定にいたるほどの変化の 幅」[川西
1993
:
247]がある,とする。処刑を 目撃しても,その出来事に慣らされてゆくのだ ろう。だが「私」の身近にいて,戦闘員ではない人
物が,殺すか殺されるかという立場に立たざる をえない戦場に行くことになる出来事がおこ る。それはチャンが入営することだった。検査 をうける日に「私」は,「いいか。これはもう 無駄な戦争になっちまった。ほかのやつはどう いうか知らない。おれはそう思う― 中略― 戦 闘になったら鉄砲を捨てろ。逃げるんだ」[開 高
1968
:
182]という。丸谷才一は,素娥やチャンは「いわゆる外国 人としてではなく,もっと直接的な存在とし てとらえられている」[丸谷
1968
:
62]とする。チャンの入営は,彼が戦場での死に近づくこと を意味する。だがこの段階においても,「私」
自身が「死」と隣り合わせになるには至ってい ない。むろんサイゴンはテロに見舞われている が,「私」はこの時点で,顔の見える相手がい る現場にはいない。戦争の当事国の出来事に慣 らされていく「私」が描かれる。
ところで,この作品には勤労奉仕員としてベ トナムに来ているアメリカ人のクェーカー教徒 の老人が登場する。老人は,ベトナム戦争前の フランスとの戦争について話し,ジュネーブ協 定もなく,そのあとアメリカが介入しなければ 南ベトナム政府もベトナム戦争もない,とい う。「私」には老人が,「鞭打行者のように自 身を責めたてて恥じ入っていた」[開高
1968
:
202,
202]ように見えた。「私」はアメリカがベ トナムに対して行っていることを,自らの責任 のように恥じ入っている老人の「身ぶりだけで もして」みたかったと回想するが,実際の「私」は,「冷血でにぶい永遠の無駄だ。ハイエナで はない。のぞき屋でもない。」[開高
1968
:
202]と自分と老人を比較する。老人はベトナム戦争 の当事国のアメリカ人だが民間人である。老人
にとっての戦争は,自らを恥じ入らせる要素で あるが,「私」にとって戦争は見る対象でしか ないということだろう。
一方の当事国であるアメリカの民間人である 老人の「ふり」も「私」はできず,「のぞき屋」
ですらない。視姦者の「私」は「見たいもの」
しか見ていない,ということだろう。老人は戦 争に反対するという言葉を口にし,態度として 示しているが,「私」はどちらにもつかない。
公開処刑にも慣らされ,チャンには逃げろとし か言えない「私」は戦争を未だ言葉によって現 わすことができないのだ。
「私」の非当事者性は,自身が少年時代に経 験した戦争の記憶を回想する箇所でもあらわれ る。この回想は,日本人にとっての戦争である よりも,戦争中に「私」という一人の少年がど のように戦争をとらえ,生きてきたかを語るも のであった。
戦争中の「私」は空襲をうけるのみで,「“敵”
を肉眼で見たことがない」[開高
1968
:
207]と いう。「私」にとって戦争で死ぬことは「冒険 小説や漫画のように輝かしく,また易しく思わ れ」[開高1968
:
206]た。勤労動員された「私」は汽車の操車場,パン焼見習工,旋盤工等のさ まざまな仕事をしたが,手を使う労働によっ て,彼は「手の私は不動の確信にみちて物を移 し,形をつくり,値を生みだした」という。そ して教義にひざまずかず,「物にひざまずいた」
[開高
1968
:
210]。手を動かす労働は彼を「物と一体化」させ,
「形をあたえてくれる」ものだった。敵の顔が 見えない戦争に巻き込まれるなかで,「私」は 確実なものをものとふれあう労働によって得 た。だが,サイゴンにいる「私」は,たとえば
公開処刑の光景を思い起こそうとしても,「ど れもきびしくはありながらもついに靄のよう で」[開高
1968
:
215]しかない状態にある。「私」は少年時代を回想しつつも,「或る晴れ た日,空に閃光があっても,私には何事も起り そうにない。」[開高
1968
:
211]という。戦争 が起っている国にいながら,私自身には何も 起らない,影響されないとさえいう。「私」の 回想は,少年時代の「私」にあるものと,今 の「私」にないものを峻別するのみに終ってし まっている。だがもう一つの転機がおとずれ,彼は行動しようと決意する。
1-3 「私のための戦争」へ
「私」は,取材に同行した際に出会ったアメ リカの軍医であるパーシーが戦死したことを知 る。その記録を合衆国情報部の資料室でたしか めたあと,食堂でパーシーのことを思いだしつ つ,店をでていくときに,「(……!)私は妊娠 していた」[開高
1968
:
217]と,自分自身の変 化に気づく。その足で「私」は情報部へ向かい,最前線へ行く手続きを頼んだ。
当事者であるひとびとは死と隣り合わせで生 きている。「私」はテロに遭遇する危険性はあ るが,最前線にはいない。当事者たちが生死を かけなければならない場に行かなければ,この 戦争を言葉で表現できないということに気づい たといえる。「私は妊娠していた」とは,機は 熟した,ということではないか。「私」は以下 のように決意する。
徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたて たい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわ ない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。
煽動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。
ただ見るだけだ。わなわなふるえ,眼を輝かせ,
犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ」
[開高 1968: 225]。
「私」は,少年たちが「冒険の世紀に棲んで いる」[開高
1968
:
227]という。ベトナム戦争 は,反共という大義のために戦うアメリカと南 ベトナム,民族自決,独立のために戦う北ベト ナムおよび解放戦線という構図がある。いずれ も大義や思想があり,ジャングルの少年たちに とっての戦争はこうした側面がある。「私」は 非当事者であり,大義や思想はなく,冒険です らない「見る」だけの戦争となる。取材のためにおとずれた「私」にとって,非 当事者であり,それゆえに大義も革命もなく,
冒険ですらないベトナム戦争を,「私」は「私 のための戦争」[開高
1968
:
227]としてとらえ ようとする。鷲田小彌太は,「「私のための戦争」とはこ の認識者の自己獲得の覚悟以外ではあるまい」
[鷲田
1984
:
85]としている。視姦する「私」には,「見たい」「私」しかおらず,覚悟する ところまでは行かない。ここで「私」は,「見 たい」ではなく徹底的に「見る」へと変化す る。そこには「犬のように死ぬ」かもしれない
「私」がある。「見ることはそのものになること だ」というときの「もの」とは,戦争という事 態の構成要素としての人,ものだろう。これら を視姦者の「見たい」のではなく「見る」方向 へと転じた。そして「見る」対象は,「犬のよ うに死ぬ」「私」自身にもむけられることにな る。公開処刑の目撃,老人との対比を通して自 身を「見て」いた「私」は,見ることでベトナ ム戦争をとらえなおす言葉を獲得しようとした といえる。
「私」は身近なものに最前線に赴くきっかけ を与えられ,革命や正義,「私」の国籍すら棚 上げにした状態で戦争を「見る」ことが可能な のかを試みようとしたのではないか。これが
「私のための戦争」という言葉の意味なのでは ないか。そして「私」は,政府軍および米兵に よる解放戦線への掃討作戦を取材する。
作戦当日に四方から襲う弾音を聞いた「私」
は,「来た。これだ。ついに来た」[開高
1968
:
240]と確信に似たものを感じる。銃撃が止ん だあと,脱出するが,すべての方向から銃弾が 飛んでくる状況において,「私」は泥水のなか を手で這ってすすみ逃げる。そして,「最後の 一滴が踵からかけあがって髪から揮発」[開高1968
:
256]する。持参していたバッグ(5)は,「そ れを捨てれば鎧が剝落するような気がしてなら ないばかりに,バグをつかんだり,握ったり,撫でたり」[開高
1968
:
256]してきたという。この最後の一滴が揮発した瞬間に「人を支配 するもっとも陰微で強力な,また広大な衝動,
最後の砦」[開高
1968
:
257]たる「自尊心」が 崩壊する。バッグを持っている間,「私」は「何 がしかの自身を保持しているかのように」[開 高1968
:
257]感じていたが,「それが砕けて溶 けてみると,一瞬の自由が閃き,和んだ。一瞬 に柔らかい波があらわれて私を温かく包み,ほ ぐしてくれた」[開高1968
:
257]。そしてバッ グを捨て,脱出する。バッグは,いうまでもないが「もの」であ る。少年時代の「私」はもの,手の労働によっ て自分に形を与えられた。ベトナム戦争取材時 も「もの」であるバッグで形を与えられていた が,脱出の最後の瞬間に自尊心はくずれる。銃 撃に遭遇した際に感じた「これだ」という確信
に似たものは,自らの命を奪われる可能性のあ る状況に直面し,くずれた。自尊心の意味する ものは,「私」の形であり,同時に自らの認識 の方法である言葉をもうしなった。
『輝ける闇』はここで終わる。國重裕は「私」
は「解体」した,としているが[國重
2013
:
133],「解体」の具体的な内容はこの作品では 描かれていない。3年後に「私」は『夏の闇』でふたたび登場する。
2-1 「女」の不幸と「私」
『輝ける闇』の「私」は,ベトナム戦争での 掃討作戦の従軍取材によって,自尊心が崩れ,
脱出する場面で物語が終わった。では『夏の 闇』における「私」はどのように描かれたか。
この作品の「私」は,戦争の取材をした経験 がある。ヨーロッパのとある都市に下宿してい て,そこに10年ぶりの再会となるヨーロッパの 大学で博士論文を執筆中の「女」がたずねる。
あるとき「女」は「私」に,「孤哀子」とい う言葉を知っているかと問う。彼女には父母は 既におらず,兄もいるが長い間会っていない。
二度と日本に帰らないと決意している彼女は,
「私」の眼には「精妙で強健」[開高
1972
:
24]で,「健康のほか,何の匂いもしない」ように 見える[開高
1972
:
24]。この「孤哀子」という言葉がきっかけで,
「私」は10年前の「女」との出会いについて回 想する。当時の彼女は,自分の不幸は口にせず に冗談をいうが,情事のとき「私」は彼女に不 幸を見る。「形をあたえまいとする必死の努力 はかろうじて成功したけれど,気配の氾濫はと どめようがなかった」[開高
1972
:
25]という。「女」は戦後の少女時代,「かつがつ日々をし
のいでいたのではなかったか」[開高
1972
:
59]と思うようになる。「女」の過去について想像 するとき,戦後間もない時代ではそうしないで 過せたか,とする,[開高
1972
:
59]「私」は,少年時代の自身の体験との共通点 を見出し,過去の「女」の「悲惨」を理解しよ うとした。しかし「女」はかつてのように不 幸ではなく,「私」には「大口をあけて水をご くごく飲むようにいまをむさぼろうと」[開高
1972
:
67]しているようにみえる。「私」は,「女 がこの部屋に家の匂いをつけ,主婦のそぶり になじむことを私は恐れている」[開高1972
:
71]。先掲論文で川西は,「私」が「本質的に家庭 という空間におさまらない人間」[川西
1993
:
254]であるとするが,「私」は,それまでの「女」との関係が変化していることを「見た」。
そして「私」は,かつてのようにはいかないと 気づき,不安をおぼえる。「女」の不幸を直視 しないでいた10年前の「私」は,「見たいもの」
しか見ていなかったといえる。
10年経過したあと,自らと共通する少年時代 の不遇を発見することで,「女」の不幸を理解 した。しかし「女」は二度と日本に戻らないと 決意して留学し,「私」は休暇中として学生街 ですごしている。
秋山駿は,『夏の闇』の「私」は,「現にいま,
何もしていない男」[秋山
1972
:
327]であると 指摘し,「社会も消え,家庭も消える。彼をし て人間らしい形を与えていたところの,生活そ のものが消えてしまう」。[秋山1972
:
373]と いう。旅をつづけ,一カ所にとどまることがな い「私」と,ドイツで生活の基盤を作ろうとし ている「女」とのちがいが,このとき「私」の前に姿を現した。それは同時に,「孤哀子」と いう言葉で自己を認識している「女」と,自己 の認識ができない「私」とのちがいでもある。
だが幸福な状態にあるようにみえる今の
「女」について,「私」はあることに気づく。学 生街をはなれて「女」が住む町に行き,そこで 二人は生活するようになる。「女」は地下室の 物置にいって,自らの購入したものを部屋にひ ろげる。ひとつひとつのものをどうやって買っ たのかの説明をはじめる。「私」はそこで,
体のまわりのすべての事物について女は何の影 響もあたえることができないでいた。―中略―女 は室に棲んでいながら,棲んでいないようなもの なのである。[開高 1972: 72-73]
「なじみのものがきている。そこにきている。
何度襲われても慣れることのできないものが顔 をもたげかかっている」[開高
1972
:
73]とい う「私」は,ものを所有するのみで自身の体の 一部にできない「女」を「見る」。事物からの「剝離」を「女」に見た。
『輝ける闇』における「私」は銃撃に遭遇し た際に,自尊心の崩壊を経験している。先掲論 文において國重が指摘しているように,「私」
は崩壊した。前章でも「私」は,ものとしての バッグを捨て,脱出することしかできなかった 描写について触れたが,「私」はこのとき「も の」と「私」との剝離をも経験している。
「私」は「女」に,「あなたは自分しか愛して ないんだわ」,「自分すら愛してないのかもしれ ない」という。それを聞いて彼は「これまでな んとか見ずにすませてくれたものがまざまざと あらわれ」たとし,とらえどころのない当惑を 感じる。これまで「愛」を言われたときを回想
し,「痛切と朦朧を同時におぼえてしまってぼ んやり」[開高
1972
:
92]となる。「私」は10年前とちがい,「見る」ということ を徹底してしまう。その視線は「女」にも向け られる。「私」は,「女」がものを所有できても 自身の一部にすることができていない,「剝離」
している状態を「見る」。
また,「私」は,「愛」という言葉を言われて もぼんやりとするのみで,ものが自分の一部と なっていないだけではなく,事物の認識すらで きない。「私」は,自身と言葉との剝離すらこ こでおぼえているのだ。「女」の「見たくない もの」を「見て」しまった「私」はこのあと,
かつて戦争の取材でおとずれたベトナムにおけ る自らの記憶をたどる。
2-2 「女」から「私」へ
「私」はベトナムで,ある学校でのテロのあ とを目撃した二日後に阿片を試そうとした記憶 からたどりはじめる。事件のあと得た情報はか えって,目撃した瞬間の光景のもつ新鮮さを うしなわせてしまう。阿片を試しにいくのは,
「血は血,煙は煙だ,おれは血の記憶を煙で消 そうとしているのではないのだと弁解したい ため」[開高
1972
:
105]だという。しかしテロ の現場で目撃した「血」は,「平静でいられな い。何度見ても慣れることができない」[開高1972
:
106]ものとして残りつづけた。阿片を試しにいくとき「私」は既に,革命,
正義という言葉では,反芻しても朦朧となり,
戦争で流される「血」を説明しつくせないと感 じていた。
殺す覚悟か,殺される覚悟かがなければ血を高
声に批評する資格はないと私には思われた。― 中 略― 私にできることといえば,見ることだけで あった。[開高 1972: 106]
ここで,『輝ける闇』で表明された「見る」
という態度が繰り返されている。革命や正義と いう言葉で戦争や「血」を説明できなければ,
戦争と,それを表現する言葉が乖離していると いうことになる。言葉を使って説明できない
「私」は,戦争という出来事を捉えることがで きない。その後には混沌がまちかまえている。
『輝ける闇』の「視姦する私」は,「見たいも のを見ている」態度だったが,「私のための戦 争」となったとき,「見る」に変化した。10年 前の「私」は,「見たいもの」だけ見るのと同 様に,「したいことだけをする」ように「女」
の身体に溺れていた。しかし,10年後の「私」
は,「見たいもの」以外も目に入り,見ざるを 得ない状態にある。「私」は「見る」という態 度を自らに対しても徹底しようとする。
十年間旅をつづけた「私」は,この「見たく ない」ものともいえる剝離の瞬間から「追いつ 追われつして逃げまどい― 中略― ひとたまり もなく降服して」[開高
1972
:
109]いたようだ と考える。そして今の「私」の逃げこむ場所は,白昼ではなく,夜であり,そこでは安堵をおぼ えることができる。「私」にとって安堵できる 場は,たとえば下記のようなものである。
酔った男,酔った女,酔えない男,酔えない女,
荒廃した少女,無気力な若者,吐瀉物の泡と汁,
競馬場のような紙屑などにみたされた古鉄の箱の 蒼白い荒寥は,むしろ,私にふさわしいものと思 える。[開高 1972: 112]
対照的に,「私」が「女」とともに暮らす部
屋は,明るい階段のある入口があり,前面と右 側面が巨大なガラスの壁にかこまれ,外には 暗い湖と深い森がある(6)。清潔で,近代文明の
「明」の側面が「女」のいる場にはあり,「私」
の場はその裏側,混濁,混沌としたイメージ,
つまり「暗」あるいは「闇」が対比される。
しかし今を謳歌している「女」自身にも,
「暗」あるいは「闇」があることが分かってく る。あるとき「女」の部屋に彼女の所属する大 学の教授が訪ねてきたが,「私」は教授には会 うことはなかった。これがきっかけになったの か,日本と日本人について罵る。「女」は日本 に返らないと決意している「孤哀子」であるが,
「私」は,「女」が日本と日本人を憎むことにす がって生きてきたのではないかと思うように なる。それは「憎悪という情熱」[開高
1972
:
127]であり,それから醒めるとべつの情熱が 必要になると「私」は考える。しかし「私」は そうした情熱がないというと,「女」もないと こたえる。「女」は日本を憎むことで大学生となり,博 士号を取得しようとしている。憎しみは彼女の 原動力となっていた。憎しみの対象である日本 にたいして復仇を果たしたということは,目的 が完了したということを意味する。ゆえに憎し みがなくなると,目的となるものはなく,彼 女が熱中できるものが何もなくなる。対する
「私」も,夢中になれるものや情熱がない状態 でいる。剝離の状態にある「私」が,「女」は 自身の情熱の根拠をくつがえす。
先掲論文において秋山は,「私」を「現にい ま,何もしていない男」[秋山
1972
:
327]で あると指摘する。戦争を取材していた当時の「私」は,戦争を「見る」他にすることができ
なかった。しかし今の「私」は,戦争を「見る」
のではなく,過去において「見た」ことのある 戦争について回想するほか何もできない。
西尾幹二は「私」と「女」は「自分の内面が 空っぽになっていることに気がついている抽象 的な存在」[西尾
2014
:
52]であるとする。前 節でみた「女」の剝離とあいまって,やがて「女」の闇が顕著に現われるようになると,熱 中できるものが何もなく,「見たいもの」では なく「見たくないもの」でも見ざるをえない闇 を持つ「女」と「私」がふたたび交差する。
情熱があるかを「女」に聞いた「私」は,
「自身にたずねることを女にたずねてしまった」
[開高
1972
:
428]という。「私」は「女」を介 して自身を知ることにもなった。そして他者で ある「女」を介して「私」にきっかけが与えら れる。2-3 「東と西」,そしてベトナム 『輝ける闇』において「私」に行動のきっか けを与えたのはチャンの入営,軍医のパーシー といった他者におこった出来事であった。『夏 の闇』では「女」がベトナムの記事を読み上げ ることだった。
「私」は記事を配信した通信社の支局をたず ね,得た情報のなかで「私」が知っているベト ナムの町の名に出会うと,その町の光景が彼の 頭の中にあらわれる。「私は私だけの国の光景 を眺めている」[開高
1972
:
181]が,他方で「あ りありと照射される」[開高1972
:
181]ように 感じられるという。「私」が「女」にベトナムの話をしたあと,
「女」は「私」の変化を指摘する。「またあそこ へいくつもりね」[開高
1972
:
192]「いきいきしてたわ」[開高
1972
:
192]といわれる。「女」は「私」に,よその国の戦争は忘れるようにい う。そして,「あなた一人がヤキモキしたって,
要は歴史の消耗品よ。」[開高
1972
:
198]とい う。「女」は一方的とも思えるような口調で,「私」
を「空虚な冒険家」[開高
1972
:
203]だといい,空虚を埋めるために「何でもするし,どこへで もいく。あなたは観念をいじってるだけじゃす まされない」[開高
1972
:
203]と責め立てる。「女」は,「私」に関して二つを的確に指摘し ている。ひとつは「私」が行動をしても,大き な歴史の流れの中では「消耗品」でしかないと いう点だ。大きな単位の歴史の中で,小さな存 在としての「私」の行動は砂粒でしかないかも しれない。だが「私」は空虚な冒険であっても 行動する。「私」は小さな単位のひとびとが巻 き込まれる戦争を体験し,「私のための戦争」
であると宣言しているからだ。
第二点は「私」は観念だけでは充足すること がないという点だ。「私」は学生街で下宿して いる際も,「女」の住む街にいる際も,常に過 去を回想するのみであった。小田実は,「彼の
「見る」は「する」と切り離されてはいない。
いやおうなしに二つはつながっていて,それゆ えに,彼はしんどい。」[小田
1972
:
246]と指 摘する。「私」は,観念を「いじる」だけでは 理解できない問題について,行動しようとす る。戦争の現場を「見る」ことと,それを言葉 に「する」ことがつながってしまうのが「私」である。
「見た」ものを「私」自身のものにし,言葉 に「する」,つまり自らの視点で,自らの言葉 でとらえ現実を認識しようとするのが「私」と
いう人物なのであろう。
『輝ける闇』における「私」は,「私のための 戦争」としたが,記事を見た「私」の頭にあ らわれた光景は,「私だけの国の光景」[開高
1972
:
181]となっている。「私」が見たものが その国のイメージであり,それによって「私」が「見る」または「見た」ことによって「私」
の世界が形成される。これは,客観的な世界で はなく,「私」による主観的な世界だろう。そ れは個人的な,小さな単位の物語が展開される 舞台となる。世界を形成するひとつの単位とし て「私の」ベトナムをとらえようとした,とい える。
「私」の立場は,「東と西」(7)の話のときにも あらわれる。「私」がいるのは壁の東側でも 西側でもなく,「しいていえば壁の上」[開高
1972
:
204]というものだった。東でも西でも,「見る」ことができる方向を見るのが「私」で あり,両方に生きるひとびとの現実があるなら ば,中央に位置しないと見られないのだ,とい うことだ。「私」にとっては,「眼のふれるもの,
ことごとく本質」[開高
1972
:
500]であり,東 と西,あるいは南と北というように,相反する 立場のものが対立している場には,実際に行っ てみなければ本質は分からない,ということに なろうか。「見る」ことに関して,「私」は「自身におび え,ひしがれていて,何かを構築するよりは捨 てることで自身に憑かれている。」[開高
1972
:
207]という。だが,もし形が存在しないので あれば「見る」ではなく「見ていない」あるい は「見ない」になる。「見る」主体である「私」が存在すれば,彼の意識の中であれ,取材の後 に発表する文章であれ,形が与えられることに
なる。先に小田の指摘を見たが,「私」の行動 とは主観的に状況を「見る」こと,それによっ て「私」の言葉を生み出すことだったのではな いか。
ベトナムに再び行くという「私」にとっての 行動のきっかけを与えたのは「女」の読み上げ たベトナムの記事であった,「私」は自らの足 で情報を収集した。何もしない男が動きはじめ たのは,「私」以外の他者によるものであった。
「かくされていた主題がふいに出現したよ うに感じたのではなかっただろうか。」[開高
1972
:
206]とし,「待ちつづけていたものがと つぜん形になったように感じたのではなかった か。」[開高1972
:
206]とさえ言う。『輝ける闇』における「私」が最前線に赴く決意したのも,
身近なひとびとを「見る」ことによって得られ た結果であったのと同様にである。
『夏の闇』の最後は下記のようなものだ。
“東”も,“西”も,けじめがつかなくなった。“あ ちら”も,“こちら”も,わからなくなった。走っ ているのか,止まっているのかも,わからなくなっ た。
明日の朝,十時だ。[開高 1972: 226]
「私」の視点によってふたたびベトナムを「見 ようとする」ところで物語は終わる。「私」は わからなくなっても「見ようとする」。理解で きないものを,空虚な結果となっても,「見た くないもの」をも「見る」,という姿勢が貫か れる。そして,他者を媒介として,事物を発見 し,発見した自己を言語化するという過程が描 かれているのである。
『輝ける闇』における「視姦者」の視点では,
「見たい」の段階にあり,現地での体験から「非
当事者」としての自身を痛感した「私」は,「私 のための戦争」としてベトナムをとらえ,「見 る」,あるいは「見たくないものも見る」とい う経過をたどる。
しかし襲撃をうけて崩れた「私」は『夏の闇』
の大部分において,事実を認識することすらで きない,過去に「見た」ものを回想するだけの 存在でしかなかった。だが「女」によって主題 があたえられ,そしてふたたび「見る」ことに よって事実の認識,「私」にとっての「する」
こと,つまり「言葉で書く」ことを回復しよう としたのである。
「私」がベトナム「見る」ことで,「見た」も のを自身の言葉でとらえなおそうとする過程が 描かれる。見ることから言語化の過程がはじま り,それが「私」の「すること」,つまり言葉 による現実のとらえなおしにつながるのだ。
おわりに
1960年代にベトナム戦争に反対した知識人の 中には,日米安全保障条約を背景として,日本 がこの戦争に積極的に関与したとするひとびと も少なからずいた(8)。また,ベトナム戦争終結 後もこの点について指摘されている(9)。吉見俊 哉は,鶴見良行の発言を考察しつつ,「まさし く戦争は,日本を不可欠の関与者とし,「日米 を基軸とするアジアの基本的政治構造」のなか で生じている。」[吉見
2007
:
225]としている。だが,本稿で取り上げた二作品の「私」には 日本人とベトナム戦争という観点が少なく,徹 底して非当事者であるように描かれている。特 に『輝ける闇』の終盤における脱走の場面など は,政府軍,米兵,「私」が,当事者であるか 非当事者であるかが問題にならないかのよう
に,先を争って逃げる。また,『夏の闇』にお ける「日本人の戦争であってほしかった」[開 高
1972
:
]という「私」の告白は,日本人とい う観点が,「女」の日本にたいする罵倒まで意 識的に描かれなかったのを考慮すると,どこか 浮いた表現でもある。ベトナム戦争に対しては,抗議活動,企業へ の不買運動,開高も1967年頃まで参加した「ベ トナムに平和を!市民連合」を代表とする市民 運動等,様々な反戦運動がなされた。日本人と しての立場や視点というものを感じさせずに描 かれた「私」は,醒めた視点を持っている。「見 る」ことによって主観的な世界ができ,その中 で生きている姿を描いただけだった,ともいえ るかもしれない。
「私」はベトナムの問題を認識することはで きるが,それは「私」の実体験に基づく「私」
の認識となる。実体験のないものには分からな いとして自らを他者と異質な存在と規定してし まうと,他者との連帯はできないだろう。ま た,実体験ないと現実がとらえられないという 姿勢は,創造力によって現実をとらえ,行動に うつそうとする者にとっては消極的な人物と映 るだろう。「私」は反時代的であったともいえ る。
柴田翔は,『輝ける闇』について「「私」とい う人物の目を通じて,そしてひいては作者自体 の目を通じて,そういう人物の内部に風景とい う形で現われる世界の鼓動みたいなものを定着 させようとしている。」[柴田
1979
:
546]と指 摘する。「非当事者」でありながら問題の最前 線に向かう「私」のありようは,結果としては 他の「非当事者」たちの姿勢とは異なる特異な 体験を経ることとなった。先掲論文において小田実は,「私」の態度を「ヤジ馬」[小田
1972
:
247]だとするが,第一章で考察したように視 姦者の持つ「見たい」という視点から,「見え るものを見る」,あるいは「見たくないものも 見る」という視点に転じたことは指摘できるだ ろう。杵渕博樹は,『輝ける闇』の「私」は,「そこ に苦痛が伴ったとしても,それは「当事者」た ちの苦痛とはなんの関係もない。彼の論理に従 えば,〈他者〉である以上,本質的共感は不可 能だからだ。」[杵渕
2012
:
104]とする。当事者であれば,日々の悲惨や残酷を,自ら 思考し,乗り越えなければ生きられないだろ う。加えて混沌はそのままではなく,整理され なければかれらは生きてはいけない。しかし非 当事者の「私」は,混沌を混沌のまま提示する 立場を採ることによって,ベトナム戦争の複雑 さを問うているのである。
〔投稿受理日2015. 5. 24/掲載決定日2015. 6. 4〕
注
⑴ 作品の本文は,いずれも新潮社刊の『輝ける闇』
(1968),『夏の闇』(1972)による。なお,本稿で 考察した両作品の引用箇所には,今日において差 別的ともいえる表現があるが,刊行当時の資料か らの引用であること,作家にはそのような意図が ないことから,あえて表記を変えずに引用したこ とをご海容いただきたい。
⑵ 開高健の年譜については和泉書院刊の浦西和彦
『開高健書誌』(1990)を参照した。
⑶ 開高 1968,227頁
⑷ 開高 1968,90頁
⑸ 作品の本文引用箇所以外は「バグ」を「バッグ」
に統一する。
⑹ 開高 1972,53頁
⑺ 「市のマークは黒熊だが」[開高 1971: 160]と いう表現からベルリンであると思われる。西尾幹 二は「明らかにベルリンも出てくる」[西尾 2014:
50]としている。
⑻ たとえば,鶴見良行(2002)「私の関心 1 ベ 平連について」『ベ平連 鶴見良行著作 2』みす ず書房,61頁など。
⑼ たとえば,吉澤南(1999)『ベトナム戦争:民衆 にとっての戦場』,吉川弘文館など。
参考文献
秋山駿(1972)「開高健著『夏の闇』“愛”を奪った 時代への告発の書」『潮』157号,潮出版社,372- 374
浦西和彦(1990)『開高健書誌』和泉書院
小田実(1972)「「見る」ことと「する」こと」『群像』
第27巻4号,講談社,234-249 開高健(1968)『輝ける闇』新潮社 開高健(1972)『夏の闇』新潮社
川西政明(1993)「滅形について」『群像』第48巻7号,
講談社,232-255頁
杵渕博樹(2012)「ジャーナリストの戦場と「女」――
ニコラス・ボルン『捏造』と開高健『輝ける闇』『夏 の闇』」『比較文学年誌』第48号,98-114
國重裕(2013)「『ベトナム戦記』,『渚から来るもの』
『輝ける闇』―― ルポルタージュからフィクション へ――」『龍谷紀要』第34巻2号,119-136 島田昭男(1977)「開高健著「輝ける闇」」『國文學・
解釈と鑑賞』學燈社,116-118頁
柴田翔(1979)開高健・柴田翔・真続伸彦・高橋和 巳「輝ける闇」『高橋和巳全集 第19巻』,河出書 房新社,539-554
西尾幹二(2014)「日常の抽象性――開高健『夏の闇』
をめぐって」『西尾幹二全集 第九巻 文学評論』
国書刊行会,46-54(初出は1972年『文學界』第26 巻6号,276-281)
丸谷才一(1968)「深い感銘を呼ぶ戦争小説」『サン デー毎日』第47巻22号,毎日新聞社,62-63 吉見俊哉(2007)『親米と反米― 戦後日本の政治的
無意識』岩波新書