• 検索結果がありません。

旧約聖書における   くデボラの

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "旧約聖書における   くデボラの"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)旧約聖書における くデボラの 歌Vの. 植. 田. 重. 雄. しとげられた︒モiセ︑ヨシュアの時代には今まで分散していた各部族を結合させ︑相互に民族感情をも生み出し. とは別個︶は︑シナイの契約︑約束の地カナーンに進入することによつて︑イスラエルと呼ぶ信仰の共同体の統一がな. モーセとヨシュアによって︑エジプト︑メソポタミヤ︑パレスチナ周縁に散在していたヘブライ人︵先行文化の諾族. ︵. ︶. もつ意義について研究を試みたい︒. の敷である竈本稿はこの作品が歌われている時代の歴史的背景を考察するとともに︑この歌がヘブライ思想において. 古いとはいえない︒イスラエルの文献を潮つて︑もつとも古い歌といわれているのは︑士師記にのこつているデボラ. 旧約聖書の中のもっとも重要な資料としてモーセ五書があげられる︒しかし︑その成立はかならずしも歴史書より. 序. 究. た︒ノ・スラエルは︑グビデやソロモンの王制をとる以前︑つまりモiセ︑ヨシュア以後のカナーン定着の時代はどの. (983〕. 石 牙.

(2) ような政治機関をもって各部族が連繋したかといえぱ︑やはりモーセ・ヨシュアのあとを受けついで︑極度に宗教的. な性格を帯びたものであったらしい︒つまり︑各部族には共通の連繋意識が信仰のもとに存在していたが︑モーセの. ような強力た指導者がいたわけではなく︑部族ごとにそれぞれ定着し生活をしていたのである︒しかしなにか緊急な. 事態が生じたとき︑はっきりするといった共同体であった︒各部族がいつもその共同体の関係からカナiソの諾部族. と戦ったわけではなく︑それゆえ神政政治体であるより毛︑連合国家的性格をもっていたようである︒. 権威は二つの制度によって示される︒一つは世俗的なごく原始的なデモクラシーとでもいうべき長老制である︒こ. れはいかなる神殿︑宗教穣関にも所属しないもので︑かつ各部族の問題について会議をひらき討議を行った︒その長. をナーシー︵目置︶と呼ぶ︒モーセやヨシュアの時代に︑すでに部族内のデ﹂とを議するために︑長老が選ばれた︒テ﹂. こういった長老制. の長老制の構成と機能については︑現在の資料では詳しく実証できないが︑活動のあった証拠はたくさんあげること. ができる︒︵サムェル上︑四ノ八︑四ノ三〇以下︑サム下︑ニノ四−五︑五ノ一以下︑列王一ニノ一以下︶︒. とならんで︑士師︵餉忌εとよばれる英雄的な人物がイスラエルの緊急の事態が生じたとき︑たえず輩出した︒言葉. をかえていえば︑平時には長老制で行い︑非常事態には士師が選ぱれた︒この士師はあまりよい訳語とはいえない. が︑従来用いられているので︑適切塗言葉が見つかるまでこれを使うこととする︒いわばこの士師とよばれる人々 ナ. i. ピ. ー. は︑他の民族でいえば︑英雄にあたる︒その都度事態に対処し︑決定する使命を果した︒しかし︑それではこの性格. を充分に表わしているとはいえない︒どちらかといえば︑後の時代に輩出する璽言者︵星茎︶に近い精神を発揮し. た︒と同時に︑民族の危機を救う軍事的指導者であった︒カナーン諸族が早くから王制を確立していたが︑イスラエ. ルは全然別の遣をとおって王制をとってゆく︒その遇程にア﹂の士師記とよばれる文猷に︑それぞれ性格を異にし︑歴. 史的課題を異にしながら︑ノースラエルの運命をひらいてゆくすぐれた英雄群は︑董やかな物語りとして伝えられたの. (984).

(3) である︒一言にしていえぱ︑モーセ以後︑サムェルに至るまで︑イスラェルの入々は︑神ヤーハウェがその使者. ︵冒巴阯算︶をつかわして各部族を支配していることを単純に強く信じていたし︑この神の使者は国家政治的指導者であ. り︑彼らは神の王国の代表者であり︑見えざる神の意志をこの世界に具体化した人々であった︒. もっとも重大な国家的計劃は︑霊の人︵神からすぐれた精神を受けた人︶の意志によって各部族は国家的中心の力. をっくって推進された︒︵むろん︑長老制が背後にあってこれを援助し︑支援したとおもわれる︶︒モーセやヨシュァの体験が. 教えるように︑共同体の危急にあたっては︑神に向って叫び救い主を求めた︒そして救い主としてデボラ︵宗ぎ邑一︶. やギデオンが活躍し︑勇敢なエフタの奮闘と︑その娘に起つた悲劇︑ナジリiト︵量芽ま︶としての勇者サムソンの. 登場など︑旧約聖書を多影なロマンスで織り改している︒彼らはいづれも聖たる霊を預って立ち上り︑各部族を連合 結東させ︑危急を救ったのである︒. この士師たちの活動は︑中央においてであるか︑地方の一地域であるかなどといった後世の差別で考えるようなも. のではなく︑その影響は全部族に及ぶものであった︒︵イスラエルの部族構或は後の時代より簡素であつたともいえるが︑一. カナーンの王シセラが圧迫を加えたのは︑イスラェル全体ではなく︑ゼブルンとナフタリの二部族を. 人の人闇の人格性が充分に発揮できるような考え方は現在に至つても失われていない︒現今のイスラエル共和国のキブーツがそれ. を示している︶︒. ︵イスラエルの各部族は︑城壁を築き︑都市をつくり貿易をいとなむ先進文化のカナiソ諸族と接触し︑バ. 目指したものであったが︑この出来事は︑民族全体に歴史的意味を与え︑デボラはくイスラエルの母Vと呼ばれるに 至った︒. レスチナに定住し︑積極的にその文化を摂取するとともに︑ヨシュア以後︑たえず小競り合いをしていたらしく︑部. 分的に敗退を喫し︑また奪還もしたらしい︒一進一退をつづけながら定着し︑確保し︑融和もしていたらしい︒この デボラを中心とする事件は︑無数生じた出来事の中で集約的意味をもっていた︒. (985).

(4) ︶. ︵. 二. デボラはラピドテの妻であり︑エフライムの高地︑ラマとベテルの闇の綜椙の木の下に坐っていた︒カナーソの壬. ﹁ナフタ. ヤビンはシセラを派遣して鉄の戦車九百靹をもってイスラエルに侵入し︑二十年間悩ました︒デボラのもとにイスラ. エルの人々は来て︑教えを乞うた︒ヂボラはアビノアムの子バラク︵げ巴岩︶をナフタリのケデシから招き︑. リの部族とゼブルンの部族は一万の軍を編成し︑タボルの山に布陣せよ︑シセラの軍勢をキシヨン川に引きよせ︑戦. い︑﹂︵士四ノ七︑八︶彼らを撃破しようとした︒バラクはデボラの命にしたがって軍をととのえ︑ヂボラとともにタポ. ルの山に布陣した︒他方シセラは全軍をキシヨン川に集結させた︒デボラはバラクに﹁いざ起て︒今目︑主はシセラ. をなんぢの手にわたし給う目たり︒主はなんぢに先立ち給うにあらずや﹂︵同四ノ一四︶︒バラクの指揮するナフタリ・. ゼブルンの軍は一せいにタボルの山をくだり︑激戦となった︒シセラの軍は敗れ︑イスラ︑エル軍はハロセテ.ゴイム まで遣撃した︒シセラは戦車を棄てて徒歩で逃走した︒. ﹁いざ入り給え︒主よ︑内へと入り給え︒恐るるに及ばず﹂といい︑毛. シセラはケニ人のヘベルの妻ヤエルの天幕に通りかかり休息を求めた︒ハゾルの壬ヤビフとケニ人のヘベルとは親 交 があった︒ヤエル は シ セ ラ を 快 く 出 迎 え ︑. 布をもって彼をおおうた︒シセラは喉の渇きを訴え︑水を求めた︒ヤエルは乳を開いて彼に与えた︒シセラは遭撃を. ﹁来り給え︑なんぢの求むる入を見. おそれ︑ヤェルに天幕の入口に立ち見張りを依頼する︒ヤェルはシセラの熟睡するのを見とどけて︑天幕のくぎと槌 をもって︑忍びより︑シセラのこめかみに釘を地にとどくまで刺し通した︒. パラクがシセラを遣って天幕を通りかかったとき︑ヤユルが出迎えていった︒. 給え﹂︵同四ノニニ︶︒バラクが天幕にはいってゆくと︑シセラはこめかみを打たれて死んでいた︒. (986〕.

(5) このようにして︑カナーン王ヤビソの圧追をしりぞけ︑その後イスラエルは四十年闇平和であったと伝えられる︒ このかがやかしい勝利の目︑デボラとバラクはつぎのように歌った︒. イスラエルの指導者は先頭に立ち︑ 民は喜び勇み進みいづ︒ 主を讃美せよ︒. もろもろの王よ聞け︑. 多くの君侯よ︑耳を傾けよ︒ われ主に向い歌わん︑. われイスラエルの神︑主を讃美せん︒ 主よ︑抵んぢがセイルを出︑. エドムの地より進み給いしとき︑ 地は震い︑天はしたたり︑ 雲は水をしたたらせぬ︒. もろもろの山は主のみ前に揺れ動き︑. シナイの主︑イスラエルの神︑主の前に揺れ動けり︒ アナテの子シヤムガルのとき︑ ヤエルのとき︑隊商絶え︑. (987).

(6) 旅人はわき路を通れり︒ イスラエルに農民絶え︑ かれら絶え果てしが︑. デボラよ︑ついになんぢは立ち上り︑ 立ちてイスラエルの母となれり︒ 人々が新しき神々を選びしとき︑ 戦いは門に及べり︒. イスラエル の 四 万 人 に ︑. 盾あるいは椿の見られしことありゃ︒ わが心は民の中より喜び勇み︑. 進み出でしイスラユルの指導者とと毛にあり︒ 主を讃美せよ︒. 赤き騒馬に乗る者よ︑. 厚き敷物に坐する者よ︑. 道を歩む者よ︑ともに歌え︒. 楽人の調べは水汲む女らに閨ゆ︒ かれら主の わ ざ を 唱 え ︑. イスラエル の 農 民 の 救 い を 唱 う ︒. (988〕.

(7) 7. その時︑主の民は門に下り行けり︒ 起きよ︑起きよ︑デボラ︑. 起きよ︑起きよ︑歌をうたえ︑. 立てよ︑バラク︑とりこを捕えよ︑ アビノアムの子よ︑. イスラエルはすぐれし者のごとく下り行き︑ 主の民は勇士のごとく下り行きたり︒ 彼らエフライムよりに谷下り行き︑. そのうしろにベニヤミンはその民とともにあり︒ マキルよりつかさは下り来︑. ゼブルンより指揮する者は下り来れり︒ イッサカルの君らはデポラとともにおり︑ イッサカルはバラクと同じく︑. 直ちにあとを遣いて谷に突進せり︒. されどルベンの部族は大いにためらいぬ︒ なにゆえ︑なんぢは柵のうちにとどまり︑ 羊の群に吹く笛を聞くや︒. ギレアデはヨルダンの彼方にとどまれり︒. (989).

(8) なにゆえ︑グンは舟のかたわらにとどまれるや︒ アセルは浜べに坐し︑. その波止場のかたわらにとどまりぬ︒ ゼブルンは死を恐れぬ民︑. 高地に住むナフタリも死を恐れぬ民なり︒. もろもろの王は来り戦う︒ この時︑カナーンの諸王は︑. メギドの水のほとりタアナクに戦えり︒ 彼らは一片の銀をも獲ざりき︒ もろもろの星は天より戦い︑. その軌道をはなれてシセラと戦う︒ キシヨンの川は彼らを押し流す︒ 激流の川︑キシ国ンの川︑. わが魂よ︑ 雄 々 し く 進 め ︒ その時︑軍 馬 は は せ 馳 け り ︑. 馬蹄は地を踏みとどろかす︒. (990).

(9) 主のみ使は云う﹁メロズをのろえ︑ 激しくその民をのろえ︑ 彼らは来て主を助けず︑ 主を助けて勇士を攻めざればなり﹂︒. ケニ人ヘベルの妻ヤエルは 天幕に住む女のうちのいとも恵まれし者なり︒ シセラが水を求むるに︑ヤエルは乳を与う︒ 尊き鉢に凝乳を盛りてささぐ︒ ヤエルは 釘 に 手 を か け ︑ 石に重き槌をとり︑. シセラを打ち︑その頭を砕き︑. 粉々にして︑そのこめかみを打ち貫けり︒ シセラはヤエルの足もとにかがみ︑倒れ伏し︑ その足もとにかがみ倒れ︑. そのかがみし所に倒れて死す︒. シセラの母は窓よりながめ︑. ノg9ユ「.

(10) 10. 格子窓より叫びて云う︑ ﹁いかなれば彼の車の来るやおそき︑. いかなればその車の歩みのはかどらざるや﹂ その侍女の賢き者は答え︑. 母みづからも答えて云う︒ ﹁彼らは獲物を得て︑. それを分け い る に あ ら ず や ︒. 人毎に一入︑二人の女を頒け取り シセラの獲物は色染めの夜︑. 縫い取りの色染めの衣の獲物ならん︒. 縫い取りの 色 染 め の 衣 を 二 つ 獲物としてその頸にまとわん﹂︒. 主よ︑なんぢの敵はみなかくのごとく滅ぶ︑. されどなんぢを愛する者は 太陽の勢い の 昇 る が ご と し ︒. (992一.

(11) u. 以上︑士師記にもとづいてデボラの歌を略述したが︑この出来事の歴史的叙述の本文は︑ほとんど歌とかげはなれ. ていないことが明かである︒じつはこの歌を位置づけることは︑相当多くの困難な間題を包含しているのである︒そ. の点について︑一九六〇年︑イスラエルにおける旧約学者の共同研空グルーブによる論争が発表された内容をみても 明か で あ る ︒ ︒. ハイームニフビソ︵Oぎ旨昌家事εの発表によるく文化的記録としてのヂボラの歌V︵忘昌邑彗︶を中心にして︑. デイスカッシヨンが行われた︒その概要をかいつまんでのべると︑ラビン教授の意見によれば︑この︿デボラの歌V. の中から︑ごく僅かな歴史的結論を得ることはできるとはお毛われるが︑大体において歴吏資料として敢扱うことは. できない︒同時に純粋な文学的作品として敢扱うこともできない︒彼の主眼とするところは︑この文学的作晶断片の. 表現形式と︑この作品が創られた目的との間の結合の研究である︒これは専間語で八生活の座﹀︵ooぎ一冒−らご彗︶と. いう︒っまりのこされた文学資料をもつて︑逆にこれを生みだしたその当蒔の社会生活を想定することである︒. まづ第一にこの歌は︑表現が理解に苦しむ点があり︑句の意味が不明な個所があり︑全体的に見て︑註解︑解釈が. 諸学者の閻で︑一致していない︒オールブラト教授︵≧事釘軍︶によれば︑この詩はミリアムの歌やその他全体にヘ. ︵もつとも︑このことが明かになれぱ︑デボラの歌は最初の詩とはいいがたくなるかもしれない︶︒. ブライ詩の初期の詩と︑同じ言語で書かれていると証明しており︑創世記その他の教典と同じ言語で書かれたと見て 差支えない︒. さて︑つぎに間題の中心になる毛のは︑カストウ︵O萎鼻o︶教授の見解である︒その主張する点は︑士師記などの. 文献が︑ヘブライの初期の拝事詩をもとにして史書的に書き改めたものであり︑デボラの歌その他の古い詩は︑オリ. (993). (三 ).

(12) 12. ジナルな形体を保存している残余の断片の一つではないかということである︒したがってデポラの歌は■野事詩であ り︑ヘブライの初期の民族的拝事詩全体に光明を投ずるものであろうと︒. ︿デボラの歌Vの歌は三部から構成されている︒五ノニのくさて︑デボラとバラクはつぎのように歌ったVという 言葉にはじまって︑五ノ一八までを勝利の歌とする︒. つぎに五ノ一九から三〇までを戦闘の拝事詩とする︒しかしこれをよく検討すると︑戦闘後の状況をのべたもので. はたく︑戦闘に出発する前の状況の叙述であり︑デボラが登場する以前の出来事である︒民族の危急のために︑戦い. に召集をする声にたいする各部族の反応を表わしている︒︿バラクよ立てよ︑とりこを捕えよV︵シリャ語ではくなん. じの掩うべきものを掩えんVの意味であるとシリヤ語聖書学者が語る︶︒それゆえ︑まだ戦闘の開始を示していない︒この歌. の表現様式は↓9庄o穿o旦印︵城壁からの物見︶といわるべきもので︑イーリアス第三歌で︑トロヤ軍が︑ギリシヤの. 軍鉛の到着を城壁から展望するところがある︒ゴルドン︵o・声Ωo呈2︶の﹁ホメロスと聖書﹂の申で︑︿イーリアス. 拝事詩の目的は︑英雄アキレスの怒りを叙述するだけでなく︑ギリシヤ軍の船の配置の状況や︑英雄︑勇士の名を列. 挙して︑この詩をきく者に喜びを与える点にあるVという説を援用し︑このくデボラの歌Vの重要塗言葉として︑ アーム ︿民は喜び勇みて身を挺しぬVとか︑︿戦いの召に応じたりVとか︑である︒︿主の民V︵︒§︶は聖書では軍勢を意. 味する場合が多いが︑テ﹂の歌においてはむろんその意味である︒こテ﹂に十二回もでてくる︵厚o屋姜昌︶は選ばれたる 兵士ではないかと︒. この拝事詩の申で主張していることは︑イスラニルの民が民族共同体の敵にたいし︑おもに連合団結し︑戦意を鼓. 舞すべきこと︑この戦いの召集に応じた部族の賞揚と︑これを拒んだり︑俊巡する部族にたいする懲罰と報復が含ま れている︒. (994).

(13) 帽. 五ノ一九以下からは︑カナーンのシセラの軍が敗退し︑シセラは死んで︑その母親が待つ状況を歌う︒しかしこの. 詩はこれで終っているのではなく︑士師記の作者が︑この詩の引用を途中で中止したにすぎない︒それゆえ︑われわ. れが所有している作晶は︑老大な説話的叙事ではなく︑拝情的叙述の部分のみである︒この部分のみが詩としてのこ. ったのである︒これはシセラとイスラエルの戦いについて士師記が四章全体を歌に先行する部分と︑ここを同じ長さ で︑同じ出来事を散文でくり返えし叙述しているのを見ても明かである︒. このデボラの歌は︑はじめ粘土板に書かれていたものであり︑のちに文書に書き改められたものであろう︒この秤. 事詩がつくられた当時︑この戦いの経過と内容は︑多くの人々にとってみな自明の出来事であったがゆえに︑詳しく. 出来事を叙述する必要はなかったし︑ただイスラエルの人々の⊥⊥気を昂揚するための秤借的叙述のみをのこしたので あろう︒. 五章全体は勝利を喜ぶデボラ自身の歌であり︑戦いののちに直ちにデボラが歌ったものと考えられる︒︵ある註解者 は︑この歌の申には女性的な性格をも抽出できるとのべている者もいる︶︒. ラビソ教授は︑この作品を三つの部分に分けたのち︑最後の勝利を喜ぶデボラ自身の歌を除いた前の二つの歌は︑. 大きな拝事詩の一部であり︑他の部分を散文化して︑これのみがのこされたのではないかという見解をとる︒むろ. ん︑この詩が当時の戦場で創られたと見ることはできまい︒他の諸民族の拝事詩も︑その出来事があって︑長い時闇. ののちにときには数百年を経過して書かれることが多い︒もしカストウののべるごとく︑デボラの歌が︑ヘブライ人. の民族拝事詩の一部をなしているとすれば︑出エジブト記の物語も︑エジプト脱出後百年のちに書かれたものにちが. いない︒あえて推測すれぱ︑ペリシテ人がイスラヱルを圧迫した蒔期であろう︒部族の団結の不足と戦闘の武器の欠 乏がいちぢるしくこの歌の特質をなしている︒. (995).

(14) 以. サムエルルニニノ一九には︑イスラエルにフイリシテ人が剣と稔をつくらせなかったという記録がある︵武器と匁る. 農具をもおそれて︑鍛工をなきしめなかった︶︒デボラの歌の中にはイスラエルの民の闘には︑楯も槍も見られなかったと. ある︒もしこの論証が正しいとすれば︑この歌はカナーン諸族の圧迫に団結を強め︑デ﹂れに反撃を加えて︑一挙に王. 制を確立しようと立ち上ったサウルの時代の前後の作品と推測できる︒しかし︑︑ミリアムの紅海の歌︵出工一五︶にも. く主の聖所V︑︿そのあとを嗣ぐ者の山Vなどの言葉があり︑サウルの時代︑ノースラエルの部族の人口が調密とな. り︑ここでいうく山Vはパレスチナの丘陵地帯を指すものらしい︒それゆえ︑作晶成立においては時代誤差があるこ. とは止むを得ない︒いかに考古学的考証が正確であっても︑ドイツ人の古典研究とアメリカ入のそれとはおのづから. 異った性格を帯びてゆくものである︒デボラの歌の場合に毛時代誤差がある︒たとえば︑シセラにヤエルがささげた. 貴きく杯Vは︑ずっと後の時代から使用するようになった器物であるし︑シセラの帰還を待つ彼の母がのぞく椿子窓. は︑ヘブライにおいてやはり後代の建築に見られるものである︒ア﹂ういった例がある反面︑四童全体は歴吏的価値が あると見る︒. こういったいくつかの見解にたいし︑反論があり︑たとえばグリニッツ︵−奉Oユ婁︑︶は︑︿デボラの歌Vはエジプ. トのメルネブタハ王の時代の詩に類似していることを示唆し︑前揚の﹃庁彗竃薫畠はく開放都市Vと訳すことができ. るし︑意味が変ってくるであろうとのべ︑またディヴェール︵﹄.冒く︑・︶は︑二三節のくなんじメロズを呪えVをどのよ. うに解釈するかが間題であるとのべる︒メローズはこの戦いに参加しなかったがゆえに︑まさに呪いと処罰に価いす. るものであった︒その意味では︑この出来事の起ったのち︑百年を経過して書かれたものとは断定できない︒つまり. ア﹂ういった部族違合に背くような一部族の行為は︑当蒔の歴史において最大の関心事であったとおもわれる︒またダ. ンの部族が商部に屠を占め︑アセルの部族は海沿いに定住していたと考えられる叙述が︑この歌に見られるが︑これ. (996).

(15) 15. は明かに士師時代の部族の居住位置であって︑サウルの蒔代ではあり得ない︒. さらに︑旧約文猷における拝事詩の間題について︑カストウが出エジブト記から拝事詩を再現しょうとしている. が︑ヘブライにおいては真の意味の督事詩は存在しない︒ただ個々の歴史的出来事に関して歌われた掃情詩があり︑. それを宗教的た歴史解釈の中に摂敢したのである︒たとえぱ︑詩篇七八︑一〇五篇などがそれであり︑︿デボラの. 歌Vも︑過去の出来事の栄光化というよりは︑戦う軍勢を鼓舞激励するためのものであり︑それゆえ秤事詩の一部の. 断片と考えるよりも︑掃情詩そのものであると見る方が妥当であろうと︒以上︑最近におけるくデボラの歌Vをめぐ. っての諸見解の概要を略述してみたが︑一致点にはなかなか到達しがたいようである︒. ヘブライのもっとも古い歌といわれるこのくデボラの歌Vを︑拝事詩の一部分と見るか︑拝情詩そのものと見るか. によって意見が分れるところであるが︑文学様式にこだわることなくわたしは純粋に掃情詩と考えたい竈西欧の文学. 者や学者は︑秤事詩︑拝情詩のことがらに捉われすぎる︒どちらかにあてはめようとするところから︑闇題が複雑に. わたしが問題にしたい点は︑これが文学であるよりもまず︑デボラが︑女預言者として各部族に呼びかけ︑部族連. なっている︒とくに旧約文猷の場合こういった様式にこだわる必要はなさそうである︒. 合をなさしめる主なる神ヤーハヴェの信仰を戦闘をとおして熱烈に喚起したということである︒旧約聖書の中では︑. 女性も歴史的出来事に関与している場合が多い︒たとえば︑出エジプト記には︑遣撃するエジプト軍が逆流する海水. に溺れる奇跡を歌った有名なモーセの紅海の歌があるが︑これに和してアロンの姉︑女婁言者︑︑︑リアム︵≦︑一蟷目一︶が. タンバリンを手に取り︑他の女たちもこれに含せて踊り︑歓呼して歌ったというつぎのような断片がのこっている︒. (997). 四) (.

(16) 蝸. 主にむかいて歌え︑. 彼は輝やかしくも勝ち給えり︒ 彼は馬と乗り手を海に投げ入れ給いぬ︵出工一五ノニ一︶. むしろモーセの長い歌よりも︑その場の即座の感動を表わすにふきわしいとおもわれる︒ミリアムの歌はデボラと. 同じように索朴で単純︑しかも力強い︒拝事詩や拝事詩の一部分と見ようとするために︑その出来事より百年後とい. ︵おもろ草紙のノ回やユタを想起せよ︶活字. った年月を考えるのである︒拝僑詩の極端な例は即興的である︒歌う一つの形式さえ定まっていれば︑つぎからつぎ へと湧くがごとく︑あるいは麗りながら言葉をついて歌うものである︒. にして読む詩や︑何度頭をひねっても意味の解しがたい詩が横行する現今︑多くの文学研究家も蹟いてしまうが︑そ. ういった歌上手ともいうべきひとは︑ほんのこの闇まで目本のどこの村や町にもいて︑盆の踊りや察礼で活躍し︑人. 々を感心させたり喜ばせたりしたものである︒それはとにかくとして︑世俗的な意味でなく︑純粋に宗教的た歌をそ. の場の感動を即座に詠ずる女性群はヘブライに相当存在していた︒ずっと後の時代︑穏音書ルカ伝の中に︑マリヤが 受胎告知をうけたときの主の讃美の歌も︑こういった伝統の精神のあらわれである︒. ヘブライの宗教の形式にあたって︑ミリアムとか︑デボラのような女預言者の活動を従来あまりに無撹しすぎたと. おもう︒他の白然宗教︑多神教の宗教形態をとった場合女性が神に斉く権威をもち︑それが巫女とか︑頚言者とか︑. 神の意志を告知する権能を示している︒︿ヂボラの歌Vにあるように︑バラクに命ずるヂポラの威厳のある命令︑. それはただちに歌となって調された︒こうしたバラクが従った行為の申には︑神の意志に促され︑その言葉を語る女. 預言者にたいする部族の人々の態度によって︑すでに精神的な厳粛な権威が認められていた一証拠である︒むろん︑デ. (998〕.

(17) ポラの場合︑一部族にまづ働きかげたのであって︑全イスラエルではなかったかもしれぬ︑しかし︑預言は夢を語. り︑占いを行ったり︑狂燥的な璽言をする勝手なものではなく︑人間を超えた存在者であり︑しかも人闇にその崇高. な意志を示す神の意志を聞き︑これを人々に伝えることにある︒このことは︑純粋な精神状態にならなければ不可龍. であり︑私利︑私慾にとらわれていては︑出来事の全体の意味を把握することはできない︒ツセラの侵入はカナーン. 対イスラエルにとって︑辺境の紛争にすぎなかったし︑ナフタリ・ゼブルンニ部族の直接デ﹂うむる戦いであった︒し. かし︑この場合︑全体の結合の力によって侵入を阻止しなけれぱ︑大事となる危急の出来事であった︒妥協や降服で. はたく︑民族の運命を謄けての戦いであった︒デボラはそれをはっきり見通した︒若いバラクを総指揮者として全部. 族が迎え撃ち︑各部族の連合が部署と配置を定め︑シセラの軍をキシヨソの谷に囲み︑これを敗北させたのである︒. このくデボラの歌Vは︑百年といわぬまでも︑長い年月を経ての作品であるかもしれぬが︑歌のもつ即時的なたまな. ましさを伝えるのは︑この事態のもたらした感動と永続化にある︒とくに︑シセラがヤエルのために暗殺され︑シセ. ラの母が待ち佗びるさまを歌った個所︵三部︶は︑復警をなし遂げた凱歌とと毛に︑女性の勝利の執念の強さを感ぜし. ︵デポラの歌った. める︒このカナ⁝ンとの激突の出来事は︑全イスラエルに平常忘れかけた連合の意識を強度に喚起せしめ︑この事態. の重大きを省みて︑イスラエルの民にのちに至るにしたがいデポラの存在の意味が増していつた︒. ヘブライの共同体の存亡を膳けた出来. 事は︑一女預言者によって克服されたのである︒そしてこれらの歌は︑すでに指適されているごとく三つの部分より. ︵前述の老古学的考証にト︷る時代誤差は︑かならずしも後代の様式にとらわれ. 成り︑この三つの部分の成立はかならずしも同時ではなかったかもしれぬが︑とにかく︑拝潜詩としてイスラエルの 人々の間に王朝期になって歌われたのである︒. る必要はない︒なぜならば︑こういつた考証は今後の発掘発見によつてくつがえされること︑もあり得る坦ただ拝憶詩は︑口誘されるか. (999). 詩旬が部分的にのこっているとおもわれるがそれはみじかいものであろう︶︒. H.

(18) ぎり二言葉や句庁﹂若干の時代的な好尚に適応のために歌い換えられることはあり得ることは︑ヘプライはかぎったことではないであ. ろう︶︒推定としてであるが︑わたしは︑旧約文献の伝承は︑こういった女預言者の力によって保存されてきたものが. 多い︒旧約文猷は︑多くの拝情詩︑戦いの歌︑愛の歌︑自然の讃歌︑神の讃歌などが︑存在していたが︑それらは経. 典として成立するまで︑おそらく粘土板に誌され︑レヴイ族︵女性を含めて︶が俣存したであろうし︑また︑口諦で語. なぜか︒それは精神的態度として一つの問題にならないことはない︒もう一つ︑それは︑民族の連合の上に︑. り伝えたであろうが︑それらはついに拝事詩とはならなかった︵ここで無論ギリシヤやゲルマソのそれを想起する必要はな. い︶︒. 神との契約があり︑神が人闇の出来事の中に︑デポラという存在をとおして︑働きかけてきたと考える態度である︒. ヘブライ人にとって︑宗教は現実からはなれた瞑想や神人の合一の神秘体験ではなかった︒デポラは神がイスラエル. とカナーンに働きかける意志をそのまま歌った︒それは生々しい怒りと危機にたいする叫びとともに︑勝利への冷静. な見通し︑復讐への強い喜びとが偽わらず歌っている︒しかも行動として歌っているのである︒すなわち︑ここにヘ. プライ入の宗教の他と異る素地を見出し得ると信ずる︒しかし︑この作晶はけっしてデボ.フの作ったものではなく︑. デボラのような女預言者の集団がこのような出来事に近い事件に際会したときに︑あるいはこの出来事を記念して歌. ったものであろう︒こういった問題の論証や︑その他の事柄については別の機会ト﹂ゆずりたい︒︵未完︶. (1000).

(19)

参照

関連したドキュメント

私たちは上記のようなニーズを受け、平成 23 年に京都で摂食障害者を支援する NPO 団 体「 SEED

私たちは上記のようなニーズを受け、平成 23 年に京都で摂食障害者を支援する任意団 体「 SEED

平成 29 年度は久しぶりに多くの理事に新しく着任してい ただきました。新しい理事体制になり、当団体も中間支援団

基本目標2 一人ひとりがいきいきと活動する にぎわいのあるまちづくり 基本目標3 安全で快適なうるおいのあるまちづくり..

とりひとりと同じように。 いま とお むかし みなみ うみ おお りくち いこうずい き ふか うみ そこ

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場