<新刊紹介>田中きく代・中井義明・朝治啓三・高橋 秀寿(編著)『境界域からみる西洋世界―文化的ボ ーダーランドとマージナリティ』ミネルヴァ書房 2012年3月刊316頁3,800円
著者 波部 雄一郎
雑誌名 関学西洋史論集
号 36
ページ 73‑76
発行年 2013‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10236/12807
本書は、「境界」という概念に焦点を当て、古典古代から近現代にいたる幅広い時間 枠を扱っている。まず、本書が規定する境界域について、序章「文化的ボーダーラン ドとマージナリティ」をもとに述べておきたい。それによると、境界域とは、紛争や 対立が生じる線としてあらわれる一方、融和や調停、交流が生じうる空間でもある。
特に後者を強調した場合、境界域は、「文化的境界域」あるいは「文化的ボーダーラン ド」と定義され、異文化の接触の場ではなく、新たな文化を形成する場でもある。文 化的境界域は複層的で多様な特徴を持ち、国家や時代区分の枠組みを超えていると定 義される。
その上で、本書は、境界域を集団間の関係に基づき、以下の三点に類型化している。
第一の類型は、特定の集団の周縁部で、外部との境をなす「辺境としての境界域」で ある。「辺境としての境界域」は、中央に対して周辺に位置し、具体的には海や森が想 定される。同時にリミナリティとして独自の社会が存在し、中央や外界からの力に よって変化しうるものである。第二に類型化されるのは、「内なる辺境としての境界 域」であり、集団の内部における特定の空間や外的集団を指す。ただし、この中には、
社会的なマージナリティも含まれ、必ずしも「内なる辺境」は境界の内部に位置する ものとは限らない。第三の類型である「境界都市」は、国家、集団の間に位置する境 界であり、移民など、異なる諸要素の交差が顕著に生じる都市がそれに該当する。
以上のように、序章において境界域の定義と、その分類が明確に示された後、四部 構成でそれぞれの問題について考察される。以下、簡略に紹介する。
第Ⅰ部「辺境としての境界域」では、第一の類型を踏まえ、境界域として三つの港 湾都市について論じられる。第一章、阿河雄二郎氏「海軍工廠都市ロシュフォールの
新刊紹介
田中きく代・中井義明・朝治啓三・高橋秀寿(編著)
『境界域からみる西洋世界
文化的ボーダーランドとマージナリティ』
ミネルヴァ書房 2012年3月刊 316頁 3,800円
波 部 雄一郎
誕生―近世フランス海軍成立史のひとこま―」では、伝統的な海港でもなく、その立 地条件が海軍工廠には適していないにもかかわらず、ルイ14世の時代に、ロシュフォー ルがコルベールによって海軍工廠の建設地として選定される経緯について、フランス 海軍の状況と関連づけられて論じられる。第二章、金澤周作氏「英国コーンウォール における海難の近代史―ジョン・ブレイ翁の『回想録』(一八三二年)を読む―」では、
ジョン・ブレイの『海難回想録』にみられる海難の当事者などを取りあげ、海難から 境界域を読み解こうとする。辺境であったコーンウォールが、海難の現場となること で、独自の小世界を形成したと指摘される。第三章、横山良氏「サンフランシスコの ヴィジランティズム―「共和国ごっこ」の劇場?―」は、1850年代のサンフランシスコ におけるヴィジランティズム(自警活動)を取り上げる。ヴィジランテ(自警団)は、
警察からは独立する集団として組織されたが、次第に政治的集団に変化する経緯が明 らかにされ、彼らの活動がアイルランド系移民に対する行動であったと論じる。
第Ⅱ部「内なる辺境としての境界域」では、第二の類型に対応した内なる辺境につ いて考察されている。第四章、飯田収治氏「ドイツ第二帝政下のポーゼン―境界域に おける諸民族の相克と共生―」では、第二帝政期のポーゼン州を事例に、ドイツ系住 民とポーランド系住民の動向が考察され、政府によるゲルマン化政策推進が住民の大 部分を占めるポーランド系住民の民族意識を喚起し、ドイツ商店のボイコットなどの 対立や紛争へと展開したと論じる。しかし、ポーゼンを民族対立の場として捉えるだ けではなく、境界域におけるドイツ系住民の複雑な状況も指摘している。第五章、赤 阪俊一氏「中世末期ロンドンの娼婦たち―ロンドン郊外サザクの娼館条例を読む―」
では、テムズ川対岸部(サザク)に生活を制限された娼婦たちの実態が論じられる。
中世末期のロンドンでは、娼婦はいくつかの差別を受けていたものの、市当局や教会 によって保護されていた。つまり、当局は娼婦たちを保護し、サザクという限定され た場での営業を認めたのは、「清らかな社会」としてシティの秩序を維持するための必 要措置であったとする。第六章、山上浩嗣氏「一七世紀パリにおける宗教と政治―ジャ ンセニスムとパスカル―」は、パリを王権と教会の境界と規定し、フランス王権が教 会に対してガリカニスムを志向し、国家主義的な影響を及ぼしていく経緯を明らかに する。フランス王権は、プロテスタント勢力と同盟し、対外的に影響力を拡大する一 方、国内の支配を強化するためには、カトリック教会とも協調してきた。こうした、
王権と宗教との葛藤を象徴するものが、ジャンセニスムへの弾圧である。しかし、王 権の現実的な路線に対しては批判もあり、パスカルによる聖俗それぞれの「秩序」に 基づく政治観もその一端であるとされる。
第Ⅲ部「文明・帝国・民族の交差点としての境界都市」は、国家間や異なった文明
の境界に位置する「都市」について論じられる。第七章、中井義明氏「東西世界のは ざまとしてのミレトス―ある境界都市の歴史―」は、エーゲ海とオリエントの結節点 としてミレトスを論じる。ミレトスは、前古典期にはリュディア王国やペルシア帝国 の支配を受けるものの、ローマ帝国の時代まで繁栄した。その要因として、マイアン ドロス川の土砂体積による市域の拡大により水上交通だけでなく、陸上交通の中継地 となったこと、鉱物資源が欠如したため、その入手のために海上交易を活発に行った こと、マイアンドロス川の水上交通によってアナトリア内陸部との交易が盛んになっ たことが挙げられる。ミレトスの持つ地理的な条件だけでなく、人的交流に伴う開放 性も、その繁栄の一因であったことが指摘される。第八章、朝治啓三氏「中世英仏関 係にみる境界都市ボルドー―ワインと平和―」は、ボルドーをプランタジネット家と カペー家の対立から理解する試みである。本章では、12世紀以降のプランタジネット 家による大陸支配の状況について述べられた後、プランタジネット家とカペー家の支 配形態の違いが考察される。支配される側は支配形態によるメリットを重視したた め、都市などは政治動向により帰属が変化する可能性を論じる。辺境都市ボルドーは その典型的な事例であり、一国完結史観では理解できない辺境都市の特質を明らかに する。第九章、藤井和夫氏「クラクフにおける民族の再生と新興市民層の形成―境界 都市のダイナミズムと近代―」は、18世紀以降のポーランド分割によるクラクフの動 向に焦点が当てられている。オーストリアに統合されたクラクフは、工業化の進展か ら疎外されたため、ギルドなど保守的な社会階層が根強く残っていた。また、1870年 代からのポーランド化によって、文化的に発展し、知的労働者などの新しい市民層や、
技術者が育成されたことが論じられている。
第Ⅳ部「表象される境界域」は、都市とその住民がどのように表現されたかという 問題が考察されている。第十章、高橋秀寿氏「冷戦の境界ベルリンの空間形成―国民 をつくる空間―」は、第二次世界大戦後の東西ベルリンの都市計画について論じられ る。東ベルリンがコスモポリタニズムを否定すべく、ゲルマニズム的古典様式にもと づいて都市の復興を図ったのに対し、西ベルリンはハンザ地区プロジェクトや1956年 の国際建築博覧会で表現されたように、モダニズム建築によって多様性や国際性を強 調した。同時に西ベルリンでは、復興の理念として「都市ラントシャフト」理念が確 立され、自然の要素が取り入れられることによって、空間が流動化された。第十一章、
関隆志氏「アテナイ市民の自覚と美術表現―民主政成立期における陶工の意識変化―」
は、紀元前6世紀末のキュリックス杯の図像表現について論じられる。この時期の図 像表現には、陶工自身が描かれる図像が確認されるが、このような傾向は、僭主政か ら民主政への転換と軌を一にしており、民主政の進展による個人の解放の表れである
とされる。第十二章、加藤哲弘氏「一七世紀アムステルダムにおける古代の再生―レ ンブラントによる市庁舎壁画構想をめぐって―」では、17世紀に古代の歴史や神話を 描いた視覚文化の、国家形成における役割が考察される。本章では、17世紀のオラン ダの特殊性が語られた上で、アムステルダム市庁舎の壁画を依頼されたレンブラント の案が、なぜ拒否されたかが明らかにされる。第十三章、田中きく代氏「エリー運河 全通祭と一九世紀の政治文化―アメリカ民主主義の進展とパレード―」は、1825年の エリー運河の開通式典で催されたパレードを通して、住民が合衆国の公民としての意 識を高めたことを明らかにしている。このパレードは、「二つの海の結婚式」という儀 式によって示されるように、東部と西部を結合する表象であった。また、パレードに は様々な階層の人びとが、それぞれの記章や衣装を身にまとって参加したり、女性た ちや少年たちの参加も確認されるなど、エリートと民衆や、多様な人びとをつなぐ共 通体験であったとする。
以上、各章を概観してきたが、それぞれが個別に魅力あるテーマとしてだけではな く、多様な「境界域」の姿を明快に示そうとしているのが強く印象に残った。それだ けに、境界域や文化的ボーダーランドの今後の可能性の大きさも感じさせるものであ る。本書序章での問題提起にもあるように、グローバル化が進み、世界各地で紛争が 生じている21世紀の状況は、対立や格差といった境界を生み出しており、私たちに重 くのしかかった問題である。しかし、交流や接触によって、新たな文化が形成されて いく場として境界を理解することは、現在の世界情勢を考える上で、貴重なヒントと なるのではないだろうか。