政 経 社 教 育 と 公 民 教 育
社会科教育研究室
``POlitical, Econmic, and
and ``Education fOr
Satoshi HOsOkawa
(―)は
じ め
に
「 政経社教育」 とい う名称 は,同
じ社会科 における歴史教育・ 地理教育 と比べ,いまだ一般 に馴 じ めない感 じを与え るのは,政
経 社教育の領域 が確立 されて,ま
だ 日の浅い為で もあ り,又
名称 その ものが生硬な表現である為で もあろ うが,政
経社会教育 は昭和50年 に突如 と して生れた ものではな くして,こ
れは遠 く戦前 の「法制 。経済」 (或は「 本邦法令」)「
公民科」を経て,戦
後 の「 一般 社会」の経過をたどった もので あ り,そ
の意味では,政
経社教育は戦前の公民教育 と,そ
の対象や 内容を共通 に している点 は少 くないのであるが,そ
れれ にもかかわ らず戦 前 の「 公民科」 。「公民 教 育」 の名称を さけ,あ
えて,か
か る不熟生硬 の表現を とったのは,政
経社教育が,戦
前 の「 公民 科」 の系譜をた どった もでのあ るにせ よ,決
して,
これ と同一系列 におか るべ きでない とい う強い 意識 と自覚 によるもの と思 われ る。すなわ ち,そ
れ は法律・ 政治・ 経済 な どの分野 を対象 とす るこ とにおいては同 じであ るが,そ
の取 り上 げ方,取
り扱 い方法,取
り上 げ る立場等 々は決 して同一 で はな く,戦
前 のそれ は,(*1)「上 か らの公民教育」 と して,
もっぱ ら「 臣民 の道」 を教示す ること が根本理念であ り,「
公民」 の形で天業翼讃のための忠良 な る臣民 の道を天降 り的 に規定教育す る とい ったよ うな極場 なナシ ョナ リズ ムを背景 とした性格のものであったのに対 して,戦
後 の政経社 教 育は,「
個人 の尊厳,基
本 的人権 の尊重を基盤 とす る新 しい民主的な社会 の形成 を,そ
の究極の 目標」 と し,そ
こに全 く対照的な方 向を打 ち出 している。か くして,戦
前 と戦後 の教育を画然 と区 別 し,戦
後新教 育を特徴的に位置づ けたのは,ほ
か な らぬ「 社会科教育」で あ り,
と りわけ,「
政 経社教育」であったのではなかろ うか。 しか るに,
さきに発表 された(オ2)教 育課程審議会の「 中学校教育課程の改善について」の答 申に 注(*1)特
に昭和12年以降の公民教育をさすが,そ
れ以前のものも文部省が公民科を設置した動機には政治 的政策的意図が強いのは問HHである。 注(*2)昭
和45年6月 る日,教
育課程審議会は「中学校教育課程の改善について」灘 尾 文 相 に答申してい る。 49 哲 細 Soci里l EducatiOn'' Citizcnship''細川哲 。政経社教育 と公民教育 よ ると
,中
学校教 育 のね らいは,「
小 学校教育 の基礎 の上 に立 って,…
…ヽ…・・人 格 の 完 成 をめざ し,民
主 的,平
和 的な国家および社会 の形成者 と して必要な資質を養 うもので ある。」(傍点筆者) と しなが ら,一
方,各
教科の具体的改善点の「社会科」の部では,
この中学校教育 の 目標 で ある「 国家,社
会 の形成者 と して の必要 な資質養成 」 と極 めて 関係 の深 い現行「 社会科」 の 中の「 政経社 的分 野」を「公民的分野」 と改め,義
務教育 の最終学年で ある中学第5学
年 において歴史 的分野 と 並行 して学習 させ ることに して いる。又「 中学校教育課程の改善」にさきだ って発表(辛3)され た文 部 省 の「 小学校学習指導要領案」の社会科の 目標 も「 民主的な国家,社
会 におけ る公民 的資 質 の基 礎 を養 う。」 (傍 点筆者)と
され,中
学校 におけ る「 政経社的分野」の「 公民 的分野」へ の改称十 従 って「 政経社教育」か ら「 公民教育」へ の改称―一 とあいまって,小
。中学校社会科 においては 今 迄 の政経社教育 に代 って,再
び「公民教育」の名称 が用 い られ ることになるよ うで ある。 しか し,「
公民教育」なる名称 が戦前 のそれ と同一であ ると して も,そ
の 目的,理
念 は 当然異質 で あ り,新
しい ものでなければな らない。勿論,戦
前 の公民教育 を,十
把一 か らげに否定 す る もの で はな く,そ
のす ぐれた点の有 った ことは認 め るにやぶ さかではないが,だ
か らとい って,戦
前 の 公 民教育 の理念を,そ
の まま戦後のそれに持 ち込む ことは許 されない。 政経社教育が確立 されて十数年,小
。中学校を通 じて最 も研究不毛 の分野 といわれなが ら,又
同 じ社会科 の中で,歴
史,地
理 に比べ凱場教師 に も敬遠 されなが ら,そ
れで もなお,戦
後新教育 の核 心 的なもの として幾 多の努力をつみ重ね,や
っとその地位を築 かん と して いる矢先,公
民教育 に取 って代 られ るのは,い
ささか残念ではあるが,政
経社教育その ものにも問題や欠陥の有 った ことは 否 めない事実で もある。 従 って,「
新 しい公 民教育」は,
この政経社教育の反省 の上 に立 ちつつ,又
戦前 の公民教 育 の轍 を踏 む ことな く,新
しい道を 自か ら切 り開いて行かなければな らない。 この新 しい公 民教育を確立す る上で最 も重要で且つ困難 な ことは,決
して時の権力や政治 に利用 され,影
響 され ない とい うことで ある。 この ことは,公
民教育が,現
実 の政 治的社会的諸現象を も 対 象 とす るもので あるが為 に,時
の政治や政策 の影響を受 けやす い教科 としての宿命的性格 を もっ て い るだけに,そ
の健全 な発展 の為 には,た
えず慎重 に配慮 されなければな らない ことで あ る。 しか るに,そ
のよ うな危惧は無 しとしないので あ り,新
指導要領や答 申でい うところの「 公民 的 資 質 」や「 わが国の公民 としての基礎 的教養」な るものを,時
の政府や政治が要請 し,そ
れ に都合 の良 い ものに解釈せ られ ると,政
治 は現在 の社会の秩序維持 を第一 の 目的 とす るだけに,い
きおい 「 現実肯定社会科」・ 「 現実適応社会 科」 と して の性格を強 くし社会 の矛盾 や問題 に 目を 向け,社
会 を よ りよ く改善 して行 こうとす るいわゆ る「 社会改良社会科」の性格を薄 くし,又
は失 うよ うな こ とがあれば,社
会科 と して は 自滅 に等 しい もの と云わな くて はな らない。 (※5)昭
和45年5月51日,文
部省は教育課程審議会の答中にもとずいて,昭
和46年度 より適用され る「小学 校学習指導要領案」を発表,つ
づいて45年7月11日には文部省告示第268号で正式に制定公布 した。 醐鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2号 か くして
,公
民教育が,そ
の 自律性を保持 し,「
現状肯定社会科」に脱 しない為 にも,社
会科 に お ける正 しい公民教育を確立す る為 に も,「
新 しい公民教育」の明確 な る目標 と「 公民」の正 しい 意 義が打 ち立て られなければな らない。 又,公
民教育が,
政 治的思想的偏見や独断か ら保護せ ら れ,特
定 の価値観や イデオ ロギーに左右 されなし`為 には,特
に現場教 師の不断の研究を基盤 に した 確 固と した態度や慎重 な配慮が必要であ り,こ
れ な くしては,「 新 しい公民教育」の健全な発展 は得 られな い と思 うので あるが,
これ らの問題 の中,二,三
の点 について若千 の考察を加えてみたい。 (工)現
代思想 と政経社教育 の反省
政経社教育 は単 に社会的概念や機構 を教え るものではな くして,社
会 の実 態 に迫 り,具
体 的現 象 にふれて,そ
れ を整理,分
析,総
合す る ことを通 じて学習す る方式 を取 り,
しか も子供 自か らの身 近 かな経験 もま じえて,社
会認識を成立 させ,そ
こに社会的見方,考
え方を学び取 らせ るもので あ り,こ
の点 では,政
経社的分野 は,と
りわ け,生
きた現実社会 との関係 が極 めて大 きい分野 とい う ことが出来,更
に政経社教育が,現
実 の社会を,よ
りよ く進歩発展せ しめる資質を養成 しよ うとす る場合,現
実社会 との関係 は一層深 くな るのである。 しか るに,現
実社会 と強いかかわ りあいを持つ政経社教育が,
この現実社会の病的部門に対 して 有効 に対処 し得 ないとい う反省 に立つ時,
これの改訂 とい うことが,提
起 せ られ ることにな ると思 うので あ るが(キ4)この現実社会の病的欠陥部門 と しての現代思想の欠陥 と政経社教育 との関係 につ いて以下概観す ることにす る。 現代思 想 は現在,我
々が 目に見,肌
に感ず るものであるだけに一面 明瞭であるが如 く考 え られ る が,又
一 面,現
代 は刻 々と,しか も急激 に移 り変 りつつ あるもので あ り,思想 は人 間の内心 の問題 で あ るだ けに容易 にとらえ難 く,従
って現代思想な るもの も分 明でない点 もあ るのであるが,然
し現 代 の国民大衆 の心 を とらえ,そ
の精神生活,精
神作用 の ささえ とな り,相
当有力な支配力を以 って 国民多数 の精神生活を動か して いる現代思想 な るものは存在 してい るのであ る。 しか も思想問題 な る ものは,単
に思想問題 と して,孤
立 して存在す るものでは衣 くして,多
くの社会事象は,現
代思 想 の表象であ る場合が多 く,又
現在幾 多の社会問題(*5)は,現
代思 想 を背景 に 構成せ られて い るも ので あ るか ら,現
代思 想 が如 何なるものであるかは,あ
る程度 明瞭 に とらえ ることが出来 る。 ただ 現 代思 想 が必ず しも新思想 のみではな く,旧
時代 の思想 が粉飾せ られて顕現 している場合 もあ り, 注 (※4)今
回の文部省告示第%8号
による小学校学習指導要領の社会科の部において「公民的資質の基礎の 養成Jが
目標に取 り入れ られ,又 ,教
育課程審議会の「 中学校教育課程の改善」の答申の社会科の部で「政 ・ 経 。社的分野」が「公民的分野Jと改訂され ることの事 由の一つに, このような反省があるか, どうか, つまびらかでない。従 って以下は私な りの判断に基づ く改訂への理由づけの一つとして考えてみたものであ る。 (ただ改訂の理 由としては,このような現代思想 との対比における反省は一般には云われてないと考え る) 注 (※5)こ
こで云 う社会問題は労働問題,経
済問題,政
治問題,青
少年問題,婦
人間題,都
市問題,農
村F「B 題,教
育問題等 々を含んだ極めて広義のものである。 51細川哲・ 政経社教育 と公民教育 各 種 の思 想が混合せ られて
,
流動推移 していて,
思想 と していまだ形成 されていない もの もある が,こ
れ ら各種 の現代思想 の内,政
経社教育の学習の場 に持 ちこまれ,
しか も政経社教育 が,
これ ら現代思想の欠陥的部分 に有効 に対処 していないと思われ るもの と して,ま
ずデ モ ク ランー思想を 指 摘す ることが出来 る。 デ モ クラシー(Democracy)こ
そは,ま
さに現代 日本社会 の中心思想で あ中 り,社
会 のあ らゆ る 部 面 を支配 して い る思 想 と して,「
民主 々義」「 民主政」「 民主的」の言葉 は,政
府各政党をは じ め,あ
らゆる機関が これを旗 印 とし,戦
後誰 しも,
ことあ るごとに,
耳 に し,
日にす るもので あ り,と
うとうとして現代社会を風靡 してい るもので あるが,デ
モ クランーの定 義 については古来多 くの説 明があ り,明
らか に一定 した ものが無 く,ブ
ラウ ン(Brown)は
「 絶対 に異 った十 個 の理想 を抱 くところの,絶対 に異 った十人 の人 間 が,皆自分 は民主主義を欲 す る,
自分 の政策 は民主主義的 だ,と
云 うことが 出来 る。」 と述 べてい る し(J,G.Brown,Thc Mcaning of DemOcracy)ゥ
ェル ス (WCllS)の 如 きは,「
民 主主義 とい う言葉 は,何
ものを も意味す るか,又
は 何 ものを も意味 し な い。」 とさえ述べてい る。(H.G.Wclls,Democracy under Revision)我
が国では,
デ クモ ラ シーイま「 民主主義」,「
民主政」 と訳 されて い るのが一 般で あ り,「
政」 の場合 は政治の形態 に着 目 され,「
主義」 の場合 は,そ
の理念や原理 の面に着 目され るので あ るが,形
態 は理念 や思想 や原 理 と別個 に存在す るもので はな く,
為 に形態や制度や理念 や原理 や その達成 の為 の条件 が,
錯綜 し,同
時 に区別 な しに使用せ られ るところに,デ
モ クラシーの意味の混乱が生ず るので あるが,語
原 的 にはギ リシャ語 のD憲島3s(大
衆)と
K4互tos(支配)に
あ らわ され る如 く,政
治上 の主義 と云 う こ とが出来 る。 ただ今 日では,そ
の理念や思想が政治上 のみな らず,経
済 上,社
会上,教
育上,各
方 面 に使用 されているのは,デ
モ クラシーが単 に政治上 の必要か ら生 れた とい うよ りも,人
間性本 来 の 自覚か ら出発 した とい う強固な基盤 を有 している為 と思 われ る。 しこうして,デ
モ ク ラシーの中心思想 は 自由と平等で あ ることは,今
日誰 しも疑 い得 ない ところ で あるが,こ
の 自由 と平等 とい う二つの理念 は,本
来 む しろ相背反 す るものを含んでい るので,
自 由 と平等 を絶対的理念 として突 き合わせ るな ら到底調和 し得 ないもので あ り,従
って 自由 も平等 も 無 制限無条件 の絶対的の もので はな く,そ
こに内在的制限を持つ相対 的な もの として理解せ られな ければな らないのに,こ
の点 の理解がせ られないまま,デ
モ ク ラシーの中心思想で ある自由 と平等 が デ モ ク ラシーのいま一 つの思想で ある「 個人主義」 と合 して個人 の 自由,個
人 の平等 の強い要求 と して,社
会公共 の立場 を無視 して主張せ られ,
しか も,そ
の 自由は,
しば しば放縦 と混 同せ られ て,社
会や国家の立場 を忘 れて,無
反省 に 自己の欲求を充 さん とす る放縦 的 自由 と合 し,平
等 が機 会 の均等 よ りも,個
人 の実質的平等を主張 して,自
己の能力,経
験,体
位,努
力等 を無視 して,無
差 別 を性急 に要求す るが如 き思想的欠陥を露呈 していることは,現
代世想 の一面で あ る。 確 かに 自由平等 は今 日の社会生活をなす上 においては極 めて必要 な ことで,特
に我が国において は,戦
前 各種の封建的思想の前 に 自由平等が無惨 に踏みに じられていた ことを想 えば,そ
の重要性鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2号 は大 な るものがあるので あ り
,さ
れば こそ,戦
後 の政経社教育 において,
自由平等 を強調 したのは 故無 しと しないので あ るが,
自由が,恣
意 や,放
縦 や,我
侭勝手 にな らない為 に,権
利 の行使 が, 権 利 の濫用 にな らぬ為 に,平
等 が「無差別悪平等」 にな らぬ為 に,そ
こに社会公共 の立場か らの規 制 が必要 とな り,
しか もかか る社 会公共 の立場か らの 自律的人格が,進
んで共 同生活を形成 し,公
共 の義務 と責任を担 うよ うにな らなければ,社
会 国家 の発展 は期待 し得ず,民
主主 義その もの も破 壊 せ られ るとの認識 は,教
育 に対す る新 しい課題 と して提起せ られ,
これ らと最 も関係 の深 い政経 社 教育 において,「
公民的資質 」の強調 とな って あ らわれ,「
公民教育」へ の転換 の一事 由 とな る ので はあるまいか。 第二 に個人主義思想 と政経社教育 の関係を見 ると,個
人主 義 (IndiVidnalism)は 現代人 の生活を 最 も強 く支配 している現代思想 の一つ とい うことが出来 る,
しか も個人主 義は前述 のデ モク ラシー の思想的基盤で もあるだけに,広
く現代社会 の思想的基調をな してい るもので ある。 ま ことに 自己 の生活が何物 にも干渉せ られず,強
く自己を主 張せん とす るところに,近
代人 の特色 が あ り,
自我 の解放,個
性 の 自覚は実 に近代文 明,文
化 の原動力 で あ ったので あ り,近
代 の政 治経済社 会 は,す
べ てその基礎 の上 に 確立 発展 して来 たと云 って 過言ではないと思 うので あるが,
我 が国 は,
戦 前,国
家主義,軍
国主 義,全
体主 義 の名 の下 に,「
個人 の 自覚」に欠 けると ころが多 く,個
人 が全 体 の前 に葬 り去 られて,社
会 国家 の正 しい発展 を阻害 して来 た ことは,い
まだ我 々の記 憶 に新たな と ころで ある。 それだけに戦後「 他十人 の尊重Jが
,何
よ り重視 され,「
個 人 の基本 的人権」は新憲 法 (第41条)に
よ り永久不可侵 の権利(ヤ6)
と して保障せ られ,さ
らに,す
べ て国民 は個人 として 尊 重せ られ る。」 (第 15条)と
し,
しか も「 国民 の生命,
自由及 び幸福追求 に対 す る国民 の権利 につ い ては,立
法 その他 の国政 の上 で,最
大 の尊重 を必 要 とす る。」 (傍 点筆者)と
して,個
人主 義を高 らか に宣言 してい るので あるが,
この「 何人 の尊重 」は単 に個人 の為 のみ にあ るのではな くして, 「 イ固人 の尊重」が,ひ
いては国家社会 の進歩発展 につなが るとす るところにも 意 義 が 有 るので あ り,と
りわ け,正
しい民主 々義 の発達 のため には,ま
ず何 よ りも個人 の尊重 が確立 されなければな らない とす るものであ る。 しか もこの「個人 の尊重」は個人が全体 の一部 と しての地位 において, は じめてその価値 が認め られ るとい う超 個人主義的観念 (Uberindividualistischc ldeclgic)で はな くして,個
人 それ 自身 に価値 を認 め,個
人価値を一 切の国家社会生活 の基本 とす る趣 旨で あ り,い
わ ゆ る個人主義的国家観 (IndiVidualistische Staatsanfrassung)と こ立つ もので あ る。.
か くして戦後新教育,民
主教育 の核心 で あった ところの社会科教育,と
りわ け政経社教育 は「 個 人 の尊重」を教育 の中心 的柱 と し,小
。中学校 の学習指導要領 も,そ
の冒頭 において,「
自他 の人 格 の尊重が民主的社会 の基本 で あることを理解 させ」 (傍点筆者)と
し,個
人 の尊重 と個性 の重視 注 (※6)「
永久不可侵」と云うことについては問題があるが,す
なわち,公
共の福社の立場から制限がある のであるが,憲
法上は「侵すことの出来ない永久の権利」としているので,こうゆう云い方も可能である。細川哲・ 政経社教育 と公民教育 を強調 し
,教
育 の方式 も子供個 々人 を尊 重す るいわ ゆ る「 個性教育」が布及 したので あった。 しか しこの個人主義な るものは,
確 か に,
民主社 会 の思 想 的基盤 で あ り,近
代立憲政 治 の確立 も,近
代資本主義 も,又
近代法 の財政権尊重,
契 約 自由の原則 も個人主 義を出発点(準7)と
す る も ので あ り,そ
れ だ けに この思想が,近
代文 化 を建設 したその著大 な功績 は大 いに認め るもので あ る が,
この個人主 義が,他
人 の干渉 を斥 け,己
の好 む ところを行 い,欲
す るままに振舞 い,
自己の立 場 のみ尊 重 して,他
人 の立場 を無視す る利 己主義又 は我利主義 とは全 く異質 なもので あるにかかわ らず,
これ と相隣 りす る為 に,お
うお う,利
己主義 と混 同せ られ,あ
るいは利 己主義が個人主 義の 美名 にか くれて主張せ られ,ま
か り通 るとい うことが,現
代社 会 に決 して少 くないので あ る。 かか る個人主義 と利 己主義 との混同は,正
常 な民主 的社会 の進展 を阻害す るど ころか社会 その も のの混乱 と崩壊を まね くもので あ り,厳
に警戒を要す るところで あるが,こ
の混 同は,現
代社会 の 到 る所 に見 られ るので あ り,卑
近 な例で,
しか も現代政治の基本を構成す る一― 従 って現代 の経済 や社会 に大 きな影響 を与え る一一 国民 の選挙権 の行使 にこれを見 るな らば,本
年 (昭和45年)7月
の参議員選挙 に見 られ る如 く,そ
こには多 くの問題 を内包 してい ると考え られ るので ある。思 うに 選挙権 の行使 とい う政治的社会的国民的行動は,他
の社会的活動 に比べ相当に重要性 を有 す るもの で あ る。すなわ ち,正
しい選挙が行われ,正
しい人物が代表者 と して選 ばれれば,正
しい望 ま しい 政 治が行われ るとい う一連 の関連 に立つ ので あ り,
しか も現代政治 は,現
代社会生活 のあ らゆ る機 能 に関係 し,生
産,流
通,分
配 の経済面 にも,保
健衛生,保
安,教
育等 の社 会面 にも,又
文 化 の領 域 に も,有
形無形 に作用 し,社
会 のあ らゆ る機能 に対 して,政
治 の働 く部面が あるだけに,
この政 治 の基本 を決定 し,方
向ず ける,国
民 (個々人)の
選挙権 の行使 は,と
りわ け重要な もの と云 わな けれ ばな らな い。 しか もこの選挙権 の行使 は,
これの 自由,秘
密 が保 障 され るだ けに,個
人個人 の 日常 の,
ものの考 え方,思
想が大 き く関係す る。 しか るに この選挙権行使 に影響 を与え る思 想な る もの と して,個
人主 義な らぬ利 己主義が大 きな比重を 占めてい るのではなかろ うか,国
家,社
会, 政治 に対す る認識や判 断によることな く,多
分 に個人 の利害打算,利
己心 によ り選挙権 を行使す る とい う者が可成 り多いのではあるまいか,更
には選挙権行使 の重要性を認識す ることな く,た
だ こ れを行使 しさえすれば良 いとい う者や,あ
るいは全 く興味半分 に行使す る者 の多い現代社会 を見 る とき,そ
こに個人主義 の悪 しき面,利
己主 義 と混 同せ られた面 を見て取 ることが 出来 るので あ る。 勿論,私
的な立場か らのみでな く,国
家社会のことも考え,そ
の進歩発展をも考慮に入れて,各
候補者の政見 に耳を傾け,よ
り有能な人物を選んで,
これに一票を投ずる者 も少 くないであろ う。 しか し全 く個人の利害 という私的立場か らのみの投票 も決 して少 くないのであり,
この個人的私約 注 (※7)近
代法,特
に近代市民法は個人主義,個
人の権利本位に構成せ られ,そ
の原理も「私権享有の平等 性」「私有財産権の尊重」「個人意思 自治の原則」「 自己責任の原則」が中心となっていたのであるが, こ の個人主義は積極的文化国家の立場か らの要請により,社
会本位の法律思想である「信義誠実の原則」「公 共の福社の原則」「権利濫用禁上の原則」 憮 lilL失責任の原則」等により修正されつつある現状である。 54鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2 JIE
立 場か らのみの投票 の率が増大 すればす るほ ど
,我
が 国政治の根底 がゆ さぶ られ,国
家 の存立 その ものに も関係 して来 るのではなかろうか。ル ッソー(Rousscau)が
「 私利私益 のみ考 え る意思 を総 計 した ものは,よ
しそれが全員 の意思で あって も,公
共 利益へ の志 向によって成 り立つ一般意思 と は本質的 に別物で ある。」(RoussЭau,J.J。 ,COntral Social.1762。)と
云 って いるが,
全 くあ じわ うべ き言葉で ある。多数 の意思 が,よ
り高 次の一般意思 として,全
員 を拘束 し得 る根拠 は,公
けの 一 体的意思 が必要で あるのに,個
別 と分化 の対立 がある為 に,投
票 によ る意思 の統合 を図 るので あ り,そ
の場合,投
票 に参加 す る凡 ての個 々人 が,公
の一体 的意思 と共 同の利益を,そ
の必然の 目標 と して前提 とす ることによって成立す るもので あ り,ハ
ー ンシ ョー(HCamshaw)の
云 う如 く,「
投 票 が分 化 的個人 の立場でなされなが ら,
しか も個人的意見 を表 明す る私人 と してではな く,全
体 と しての社会 の一般意思 に関 して,
自己の印象 を記録す る公人 と して な され る。」(HCamshaw,F.
」.G,,DcmOcracy at the CrOssways.1919う か らこそ,初
めて多数意思 が,私
的意思 の集積 を超 え た共 同の意思 と して,全
員 を拘束 し得 るもの とな るので あ る。 しか るに現代の選挙 の投票な るもの に,
この「 公共利益へ の志 向」 とい う公共 的立場 が少 いので はなかろ うか,か
くては健全 な民主 々 義,民
主政治 の芽 がつみ取 られ ることにな るので あ り,
ここに個人主義思想の公的立場 よ りす る修 正原理が要請せ られ ることにな り,こ
れ は又,現
代教 育 の課題 と して提起せ られ,具
体 的 には政経 社 教育が「 個人 の尊重」「基本 的人権 の尊重」 とい うことを強調す るあま り,と
か く見す ごされが ちで あ った国民 と しての公 的義務 の再認識が要請せ られ ることにな り,
ここに又「 公民 と しての資 質 」が強調せ られ,公
民教 育へ と転換せ られ る事 由の一 つがあるのではなかろ うか。 民主政 が個人主義を基盤 としていることは,民
主 政 その ものの本質で あ り,又
民主政 の長所で も あ るが,
しか し凡 そ人 間の制度 に完全 とい うものは無 いので あ って,民
主政 とて も,そ
の理念 や原 貝J通 りに実際が運用せ られ るのではな く,実
際 は人 間 の弱 さや,不
完全 さや,複
雑 さか ら,不
能率 や混乱や無秩序 が発生支配 しやす く,特
に民主政 は現実 には,政
党政治を取 る為,そ
の対立 と闘争 の 中か らは,遠
心化的,分
解 化傾向が生 じるわ けで,
これ を阻止す る求心化的,統
合 的 な力(*3) と して,国
民 が,た
だ個人 の立場 を主張す るのみでな く,同
時 に常に問題 を公共 の立場 に立 って判 断 し,公
共 の利益 に反す るな ら,
自己の利益 も制限 し,公
共 の利益 の為 には進んで協力す るとい う が如 き公 的資質が要請せ られ るわけで,
これな くしては,民
主政 その ものの健全 な発達 は望 み得 な いわけで あ り,
この民主政 に内在す る基本的欠 陥を補正 す る為 にも又,「
公民 的資質」「 公民 と し て の基礎 的教養」の強調 として公民教育へ の転換が行 われ る一事 由があ るので はなか ろ うか。 現代思想 の主要な もの と して,第
二 に物質主 義,金
権主義,享
楽主義 を上 げ ることが 出来 る。 こ れ らの三 つ の主 義は,相
互 に関係 し合 い,強
調せ られ る傾 向を生む もので あ るが,い
ずれ も唯物 的 注 (※8)こ
の遠心化的,求
心化的の意味は国家秩序の統一 という観点に立 って,そ
れが解消,分
解の方向に 向うのを遠心化。国家秩序の統一がよりよくたもたれる方向に向うのを求心化といわれている。 矢部貞治著「政治学」P540
参 照細川哲・ 政経社教育 と公民教育 思 想を根底 とし
,現
代 の 目ざま しい科学技術 の進歩 (原子力,宇
宙 開発 を頂 点 とす る)に
拍車をか け られ て,益
々強 固に,
しか も広 く,現
代社会 をおおいつつ あ る思想 とい うことが出来 る。誠に科 学技術 の進歩 は,我
々の生 活の向上 に著大 の貢献をな し,
ここ十数年 の科学技術 の発達 による社会 生活 の進歩発展 は著 しい ものが ある。 しか しこの進歩発展 が,
たえず人間 の幸福 を招来 している と,い
い切れない面が あるのではなか ろ うか,人
間 の幸福 とはいろいるの定義があるに して も,所
詮 人 間 自身 の問題で あ り,そ
れ には物質外界 の他 に,人
間 の精神や心 が強 く関係す るか らで ある。 現在 は,あ
たか も,科
学技術 機械 が人 間を徐 々に駆逐 し始 め,や
がで人間が機械 に使用せ られ るが 如 き観 を呈 し,人
間はその人間性 を喪失 し,巨
大 な科学機械 的機構 の一部 と化 し,そ
れ は又人 回の 都市集 中の現象 と共 に,都
市 メ カニズ ムの渦 の中に巻 き込 まれて,人
間疎外 と して,人
間価値 の喪 失 が起 きているのではあるまいか,そ
して,そ
れ は,か
って,
ヒッ トラーが云 った如 く「 人間は自 然 の一片 にす ぎない。」 ことにな り,人
間が技術機械 の一部 と化 し,又
は これ に駆逐せ られ るが如 き ことになる可能性 があ るのではなか ろ うか,そ
して いつ の 日か,発
展 が悲惨 に,進
歩 が破壊 に突 如 転 じないとい う保障は,今
日の ところ全 く無 いので ある。 (例えば原水爆 の使用 の如 き,又
この 物質主義 は,金
権主 義,享
楽 主 義 とも容易 に結合 して,青
少年非行 問題 の大 きな思想的背景 をな し てい るのではなかろ うか。 か く考 えると,科
学技術 の発達 に裏づ け られ た物質主義が人間生活 の向上 に多 くFD貢献 を した こ とは大 いに認 め るものではあ るが,一
面前述 の如 き欠陥部分 を補正す る為 には,ま
ず人 間が人 間性 を取 りもどす ことが必要で あ る。オ イケ ン (Euckcn)(キ9)が
云 った如 く「 人 間の真 の立場 は,
自 然 にあ らず,神
にあ らず,
この両者を摂取 したるところの人格 にある。」のであって,人
間精神 の 確 立 が,物
質主義 の病 的部分 に対置 されなけれ ばな らない。 これ は又新 しい教育 の課題 と して要請 せ られ,今
迄 の政経社教 育 に人 間精神 の復活を盛 り込 む もの と しての公民教育へ の改訂の一事 由と もな るのではなかろ うか。 第 四 と して,一
種 の危険性(半10)を
感 じなが ら,平
和主 義 と政経社教育 の関係 を見 ると,平
和主 義 は戦後,我
が国民 の心を強 くと らえ,「
平 和 の希求」は国民誰 しも願 うところ と して,強
固な国 民 的思想を形成 しているので ある,誠
に戦前 の 日本は世界 の中で も極端 な軍 国主義,国
家主義 の国 で あ り,そ
の結果 は膨大 な人的物的犠牲 損失 の上 に無条件 降伏 とい う惨 たんたる敗戦を迎えたとあ っては,
しか も原爆 の洗礼 を世界で最初 に受 けた国民 としては,平
和 を願 い,戦
争 を に くむ心 は, 国民誰 しも強 く,又
どの国民 よ り強いのは当然 の ことと云わな くてはな らない。又我が国の終戦に 当 り連合 国の示 したポツダ ム宣言では,
日本 の軍国主義の永久除去 (六 項),戦
争遂行能力 の破壊 (七項),
軍 隊の完全 武装解除 (九 項)を
要求 してお り,
日本 は これを承 諾降伏 したので あるか 注 (※9)Waltcr Euckenド
ィッ経済学者 1927年 以来フライブルグ大学教授西 ドイツ経済学界を5分する 一方の代表者 注 (※lo)い ささか暴論にな りはしないかとの危惧を持ちなが ら,あ
えて論ずることにした。 56鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2号 ら
,国
際 的要求か らも当然,我
が国は平和主義 に徹すべ き ことにな る。 この 日本 国民 の戦争 の惨禍 と罪悪 を深 く自覚 し,他
国 に先 ん じて,平
和主義 の理想を実践せん とす る積極 的熱意 と,ポ
ツダム 宣言 による国際的要求 とは,我
が国新憲法の平和主義 の原側 と して,我
が国憲法 の基本原理を構成 す ることにな ったので あ る。すなわ ち,平
和主 義は新憲法の前文全体 にわた って示 されてい るとこ ろで,前
文 の第一項 の中では「 日本 国民は……政府 の行為 によって再 び戦争の惨禍が起 ることのな い よ うにす ることを決意 し」 と して,戦
争 を放棄 す る意志 を表 明 し,第
二 項 では,「
恒 久 の平 和 を念願 し,人
間相互 の関係 を支配す る崇高 な理想を深 く自覚す るので あって,平
和 を愛す る諸国民 の公正 と信義に信頼 して,わ
れ らの安全 と生存を保持 しよ うと決意 したJと
して,戦
3放
棄 の動機 と,戦
争放棄 したあとの 日本 の安全 と独立 の維持方法を述べ,更
にすすんで「 平 和を維持 し……よ うと努 めている国際社会 において名誉 あ る地位 を 占めたい」 と して,積
極 的 に世界 に先 がけて,平
和愛好 国の先頭 に立 って,国
際平 和 の大 道 を進んで行 こうとす る固い決意を述べ更 に「 全世界 の国 民 が ひ と しく,…
…平和 の うちに生存す る権利を有す ることを確認す る」 とし,最
後 の第二項 にお いて「 いづれの国家 も,
自国の ことのみ専念 して,他
国を無 視 してはな らない」 と して偏狭 な国家 主 義を否定 して,国
際協 調主 義 を宣言 し,
この平 和主義,国
際協調主 義 の原則 は,具
体 的 には憲法 の第九条 の規定 として徹底せ る戦3放
棄,軍
備 の廃止 と して,世
界 的特色(*1⇒ を持 った内容 とし て発現 してい るのである。 か くして,
この平 和主 義,国
際協調主 義は,戦
後,社
会科,特
に政経社教育 の大 きな柱 とな り, どの教科書 もこれを取 り上 げ,且
強調す ることにな ったので あ り,
これ は又,当
然 の ことで,平
和 主 義その ものは崇高 な思想であ り,
これを強調 して,強
調 しす ぎるとい うことは無 い と云 って も過 言 で はな いので ある。 ただ,問
題 は平 和主 義 と国家 との関係である。戦後,平
和主 義が強調せ られ るあま り,
しか もこ れ が戦後国民の思想を大 き く支 配 している個人主義 と結合す るが為 に,い
きおい国家意識の喪失, 国家 の忘却 とな って現われ る傾 向があ るのではなかろ うか。か くして「 国家意識」,「愛 国心 」(学り な るものは,戦
後 日本 の教 育界,特
に教育 の現場 において,平
和主 義 に反 し,国
家主 義,軍
国主 義 の道 をた どるもの と して,敬
遠 されつづ けたのではあるまいか。 これは,戦
前我 が国で あ らゆ る方面 にわたって,「
愛 国心 」が,力
説強調せ られ,教
育界 におい て も,そ
の指導上の大 きな思想的基盤 をな していただけに,そ
の反動 と して戦後「 愛 国心」な る言 注 (※11)外国憲法の事例 として,国
家の政策遂行上,国
際紛争解決の手段 としての戦争―侵略違法の戦争を 放棄 したものは,ブ
ラジル憲法,スペイン憲法,フイ リッピン憲法,仏
憲法等があるが,我
が国ほど徹底 し たものでなく,そ
の点世界的特色を持 ったものと云 うことが出来る。 注 (※12)さ きに発表せ られた文部省の「小学校学習指導要領」の社会科の部では「国家に対する正 しい愛惜 を育てる」 とし,「
中学校の教育課程の改善について」も「国家に対する理解 と愛情を深め……・」 として, 小 。中学校いずれも「国家愛」を取 り上げているが,「
愛国心」の語は用いていない。 これも戦前の「愛国 心」 と混同されるのを警戒 した為であろうか。細川 哲 。政経社教育 と公民教育 葉 は一種 のタブー と して
,人
々の日か らも,意
識 か らも遠 のいたので はあるまいか。 しか し,「
平 和主 義」,「
国際協調主義」 と,「
愛 国心」や「 国家意識」 とが二律背反で あるとす る発想 は,今
日修正 さるべ き段階 に来 ているのではあるまいか。 す なわ ち,現
在 の歴史段階では,い
まだ個人 が直接 に世界人類 に結 びつ くとい う段階 は成立 して い ないのであ り,個
人 は政治的団体 としては,地
方 自治体 に属 し,つ
いで国家民族 を媒介 と して世 界 人類 に結 びつ いて い るのである。 しか るに戦後,個
人主義 によ り個人 は尊重せ られ,又
デ モ クラ ンー による民主政は,地
方 自治の尊重 とな って,
自分 の町,
自分 の市,
自分 の県 の ことに対 し,あ
る一種 の関心や愛情 を,よ
り多 く持つよ うにな り,平
和主 義 によ り,世
界人類 に対 し理解 や関心 も 深 くな って来 て,個
人,
地方 自治,
世 界人類 の事 は戦前 よ り比較 にな らぬ程,多
くの関心 や意識 が,は
らわれ るよ うにな って来ているにかかわ らず,こ
と国家 の ことにな ると,前
三者 に比 べ,戦
後 は,そ
の関心意識が極 めて底 くな っている現状で あ る。 これは,戦
前,個
人 も地方 自治体 も世界人類 も,す
べて国家主義 の犠牲の下 に葬 り去 られ た こと 寿こ対す る戦後国民 の無意識 の反働であ り,警
戒 で あ ったので あろ うが,理
論 と しては,個
人 を尊重 し,そ
の個人 の属す る地方 自治体を尊重 し,最
終 的 に個人 が所属す る世界人類 に意をは らい,
これ を尊重す る者 が,
ど う して,そ
の中間で ある国家民族 を尊重 しない ことにな るのか,地
方 自治を と な え,平
和主 義を呼 びなが ら,国
家 の ことにな ると急 に態度 が変 るのは,一
貫性 が無 い ことにな る の ではあるまいか。 しか も,正
しい意 味の個人主義や,デ
モ クラシーは,
自己個人 を尊重 す ると同時 に,他
人 や周 囲 の人 々の立場 も尊重す るとい うことであ り,正
しい民主疎は,国
民 が 自己の立場か らのみで な く, 同時 に問題 を公共 の立場 に立 って判 断す る ことを前提 に,
成 り立 ち得 るので あ るか ら,
そ こに公 益,公
共性 が問題 にな り,
この公益,公
共性 に対 す る関心 は,換
言すれ ば,公
共心で あ り,
この公 共 心 が国家 に適用せ られれば「愛国心」 とな るので は るまいか。 もっとも「 愛国心」の「 愛 」な る 概 念 を厳密 に検 討すれ ば,そ
こに,い
ささか問題 も生れ るが公共心 の拡大 と して の「 愛 国心」 と理 揮 す るな らば,「
愛 国心」 は個人主 義 とも民主主義 とも矛盾 しない ことにな り,
自己の国家 や民族 を 思 わぬ者 に,世
界人類 の公共利益 は図 り得 ないのであ るか ら,「
愛 国心」 は平和主 義 とも矛盾 な く,成
立 し得 るので ある。ただ この愛国心が,
自国が他EElに優越す るもの と した り,他
国を無 視 し て 自国のみを愛す るとい うよ うな,「
利 己主 義 的愛 国心 」「 排他的愛 国心」で あってはな ららいの で あ り,又
あ くまで も正 しい意味の個人主義や民主主義を出発点 とすべ きもので ある。 このよ うな前提 に立つ限 り,「
愛 国心 」が「 国家主義」や「 軍 国主義」 と結 びつ くことは無 く, 平和主義 とも矛盾 しないのであるか ら,平
和主義 の思想 によ り,
これが,な
お ざ りにせ らるべ きで な い ことにな るので ある。 しか るに戦後,平
和主義 が,憲
法 の大原則 と して,又
国民 の中核 的思想 と して,政
経社教育 の中鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2号 に も大 いに取 り入れ られ たのであったが,「 国家意識」や「 愛 国心」の問題 は
,ほ
とん ど影 を ひそめ て しま ったのであ る。 しか し,国
家意識や愛 国心 が,平
和主義 と相反 し,矛
盾す るものでない とい う理解 に立つ とき,
又 これ らが,
正 しい民主政 の発達 に寄与す るものであるとす る観点 に立 つ と き,今
一度見なお され る段階 に来 ているのではないか とい う認識 は,戦
後 の政経社教育が,そ
の反 勃 と して,
とか くその取扱 いを敬遠 して来 た「 国家意識」,「
愛 国心」の問題 を,あ
らためて検 討 し,取
り上 ぐべ き ことが要請せ られ,
これ は又戦後 の政経社教育 か ら,新
しい公民教育へ の改訂 の 一 事 由とな るので はあ るまいか。 以上,戦
後,政
経社教育 が,現
在我が国を支配 してい る思想 の病的欠陥部分 と思われ るものに対 し,有
効 に作用 して いない と考え られ る点 を指摘 し,政
経社教育か ら公民教育へ の改訂の理 由ず け の一つ に してみたので あるが(*1の これ らの理 由ず けが,妥当な もので あるか どうかは,尚
検 討 を要 す ると して も,若
し以上 の理 由ず けに立 って公民教育へ の改訂 の方 向を観察す る時,そ
こには,政
経教育以上 に,公
民教育が,公
民的態度,感
情,判
断,意
識,意
志等 まで も要請す ることにな る。 この ことは政経社教育 における以上 に公民教育 の 政治か らの 自律性 が 確保 され ることが 必要であ り,又
政経社教育 と同 じ く,現
場教 師の思想 的偏見 や独断か らの保護が重要であるが,
これ らの間 題 につ いて次 に項を改 めて検 討を加 えてみたい。 (三)政
経 社 教 育 と 政 治
政経社教育が,真
にその教育効果を上 げ るためには,一
― これ は「 新 しい公民教育」 につ いて も 同 じで あ り,あ
る意味で は政経社教育以上 に一一 時 の政府や政治に不 当に干渉利用 され るよ うな こ とが有 ってはな らない。 これは,か
っての公民教育 が,「
国体 の本 義」,「
皇 国の道」にの っと つ た教学思想 の線 に沿 い,民
主主義政治の行動原理 とは全 く違 った「 民 くさ」 としての聖業翼讃 の道 が,国
家 (政府)の
要請 によ リー方的に行 われ,公
民教育 としての本来 の姿が失なわれた経験 を持 つ だけに,充
分 注意 しな けれ ばな らない ことで あ り,
しか も社会科,
とりわけ政経社 的分野 は他教 科 (国語,数
学,理
科,芸
術,外
国語等)に
比較 し,政
治 との関係 が深 く,
この ことは特 に必要 な ことと思 われ るので,
この点 を先ず検討 してみ る ことにす る。 中学校社会科 の学習が地理的分野,歴史的分野,政
経社 的分野 に三分せ られてい るのが,今 日の形 態で あ るが,政
治 に関す る学習が,最
も大 きな比重 を占め るのが,政
経社 的分野 の学習であ る。勿 ′ 論地理 的分野や歴史的分野 の学習において,人々の生活様式や産業,交通 な どの さまざまな人 間活動 が学習 の内容 と して取 り上 げ られ,政治的な資料 が広 く取扱 われ ることは,政治学習の性格 があ るの で あるが,政治 その もの と して学習の対象 とな り,しか も現実 の我が国の政治が,その対象 と して ,学 注(*15)勿
論改訂の理由は他にも有るのであり,む
しろ,そ
の方が改訂の理由として一 般 に 云 われ るもの で,以
上の現代思想上の理由は一般に云われぬ特殊な立場か らのものと考える。 59細川 哲・ 政経社教育 と公民教育 習 の中によ り多 く入 って来 るのは
,政
経社 的分野の学習であろ う。我 々の生活 における経済 的側面 といい社 会的側面 とい って も,そ
れ らは究極的には政治的側面 に逮元 し得 るもので,そ
れ は,現
実 の経済現象や,社
会現象 が,政
治 と密接な関係 を持 ってい るためで あ り,経
済 的事実 や,社
会的事 実 が,我
々の生活 につなが りを持 って来 るのは,常
に政治を媒介 と してで あ り,政
治 の あ り方 によ って,我
々の経済生活,社
会 生活 も変 って来 るので ある。か く考 えて来 ると,政
経社 的分野 の学習 は,政
治学習 と しての,従
って又,政
治教育 としての性格を強 く持つ ことにな るので あるが,
この ことは,学
習形 態,教
育方法 か らも,ま
す ます,そ
の性格 を強 くす るもので ある。 す なわ ち,現
代 は,す
ぐれて政 治的時代で あると云われ る。 それ には,い
ろい ろの意味が有 るに して も,我
々の生活が政治 と密接 な関係 を持 っているとい うことである。特 に現代 は19世 紀的 自由 権 的国家原理 に立 つ ので はな く,国
家 (政 治)が
積極 的 に個 人 の生活 に干渉 して,人
間 らしい生活 を保障 しよ うとす る社会権的国家原理(※14J に立 っている為に,現
代 は政 治 とい うものの働 きによ って,個
人 の生活維持 の基盤 を確立 しよ うとい う考え方が強いか ら,政
治 の関与す る分野 は極 めて 広 く,政
治は,社
会生活 のあ らゆ る機能 に関 して存在 しているとい うことが出来 る。 しか も政経社教 育 は,
この現実 の社会 一― あ らゆる面で政治的機能 が存在 してい る一― が,直
接 学 習 の対象 とな るのであ る。す なわ ち,
政経社教育が単 な る知識教育 に終 るものではな く,
政 治 的,経
済 的,社
会的事象 の学 習を通 じて,息
考力,判
断力 を も養成 す る教育 であ り,そ
の思考力, 判 断力 は,現
実 の具体的現象 にふれて,子
供 の身近かな経験 もま じえて,養
成せ られ る学習形態 が 取 られ る為 に,
しか も現実の具体 的諸現象 は政治 と密接な関係 が有 る為 に,政
経社教育は政治 と深 い関係 を持つ ことにな るのであ る。 この ことは,政
経社教育が,現
在及 び将来 の我が国政治の変革発展 に大 いに貢献す るものである とす る基本的性格を持つ ものであ る。 ま ことに現代の民主主 義社会は,国
民 のすべてに高 い政 治的 能力 を要求 している。 そ うい うものを国民一人一人が持 たなければ,
この社会が 自由 と平等 と友愛 を実現 しつつ,国
民 を幸福 に してゆ くことは出来 ないのである。要す るに,国
民一人一人 が教養 の 高 い,正
しい判 断力 を持 った政治的国民 とな らなければ,「 人民 の政治」 (POpular covcrnment) は決 して「 善い政治」(COOd COVernmcnt)に
はな らないので ある。 専 制政治,
独裁政治 におい て は,政
治権力 を行使す る一部 の特権者が優れて居 れば,権
力 の対象 に過 ぎない一般 国民 は,そ
れ ほ ど高 い教養が無 くて も政治は一応 は運用せ られ る。 しか し,民
主 政では,一
般 国民 が主権者 と し て,主
体 的 に政 治 に参与 し,そ
の多数 の意志で事を行 うもで あるか ら,国
民一人 一人 の政 治的教養 が 直 ちに政治の優劣 とな って現われ るのである。か くして,政
経社教 育 が正 しく,効
果 的に行われ るか否か とい うことは,民
主政社会 においては,将
来 の政 治 の方 向を決定す る非 常 に大 きな要素 と と(※14)適当な名称で無いきらいが有 るが,各
種の生存権,生
活権の保障,教
育権,勤
労の権利労rJl三権の 保障等,又
生活保護法,伝
染病予防法,国
民健康保険法,災
害救助法,児
童福社法等々の如 く,国
家が積極 的に国民の生活に干渉 し,これを保護保障 しようとしているのはその一例である。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第 2号 な るといわな くてはな らない。 か くの如 く
,民
主主 義の政治は,国
民一人一人 の政治的教養,政
治 的能力 を,あ
くまで基盤 と し て成 り立 っているのであ り,
この政治的教養,能
力 の養成 は政経社教育 の関与す ると ころが,極
め て大 きいのであるが,
この政治的教養能力 は,単
に政治的知識を持 ってい るとい うだけでな く,
自 分 が,当
面 してい る社会 の問題 を 自分で判断 し,そ
こに如何 な る政治が行われ なければな らぬかを 判 断 してい く能力であ り,そ
れ は主 体的 自主 的判 断であ り,そ
の為 には,単
な る知職 を持 っている だ けではな く,物
の見方,考
え方 を心得ていることが大切である。如何 に知識を持 ち,い
か に経験 を持 とうとも,
自分 で当面 した問題 について,
自分 で判断 し得 ないでは,何
に もな らない。亥J々あ らわれ変化す る現実具体 の問題 に対す る判断は,知
識 の外 に,
ど うして も物 の見方,考
え方 を身 に つ けて,
自分 で処 理 して いか な くて はな らぬ。 そ うい う能力 を も子供 につ け させ るのが,政
治的教 養能力 を与え る教育で ある。つ ま り現実 の問題 を考え るとい う社会 的現実 的認識や,具
体 的事実 に 基ず く判断を尊重す ること,そ
して,そ
れが,適
切正 当に判断 し得 ること,そ
うい うことが大 切で あ り,
この点 は知識的構造 を主 とした教育 と異 な る教育 を必要 とす るのであ る。 しか し,
この ことが,す
なわ ち,政
経社会教育 が,現
実 の政治 と密接 な関係 を有 し,将
来 の政治 に大 きな影響 を与え るものであ り,又政経社教育 に,ある一種 の物 の見方,考
え方 を背景 に して,思
考力,判
断力 を養成す るもので あ るとす ることが,ひ
いては政治が政経社教育 に可成 り関与 し干渉 して来 る理 由ともな るのであ る。 (か っての公民教育の如 く)こ
の ことにつ いて次 に検 討を加えて み たい。 教育 は現実 の社会を微 妙 に反 映す るものであ り,
とりわけ,政
経社教育 は,現
実 の政 治的経済 的 社 会 的諸現象を もその学習 の対象 とす るだけに,現
実社会の,従
って政治か らの影響 は,ま
ぬがれ が たい ものが ある。 それは一定範 囲 までは現実的問題 と して認容 し得 ると して も,政
泊的社 会的要 請 が,特
定 の政治的思想的性格 や特定 の価値観,イ
デ オ ロギ ーを政経社教育 の中に持 ち込 まれ る場 合,政
経社教育 の個有 の領域が侵害せ られ,そ
の 自律性 が失 なわれ ることにな るのは,充
分 警戒 さ れ なければな らない ことである。 元来,教
育 が政治 と密接 な関係 を持つ ことは,政
経社教育 に限 った ことではない。すなわ ち,我
が 国の教育は,国
家 の手厚 い保護 の下 に発達 して来 た もので,明
治維新以来,近
代資本主 義,産
業 制度 の発展 は,国
民を して職業教育,産
業教育 を必要 な らしめ,加
えて,ナ
シ ョナ リズムによる近 代 国家 と しての発展 は,民
族 意識,国
家意識 の面 か らも教育 の振興が要請せ られ,
これ らが,国
家 の教育 とい う形 を とって,非
常 に急速 に普 及 して い った もので あ る。特 に近代 国家 の仲間入 りをす る為 に も,政
府 は教育 に関 して非 常 に熱心で あ り,政
府 自か ら教育 に対す る責任をおい,卒
先 して 教育 の普及 に努力 し,法
令 によ って,中
央政府 か ら統一 的に教育方針を指導 したので ある。 その こ との是非 は別 と して,我
が国における近代教育が,政
府 の手で推進せ られた ことは注 目せ られなけ れ ばな らない。 これは教育 の普及 とい う面や,特
定 の イデオ ロギ ー,国
家意識 の養成 とい う面 にお細川 哲・ 政経社教育 と公民教育 いては
,効
果 は大 で あ ったのであ るが,そ
れ と同時 に,教
育 に対す る政府 の権力 とい うものを非常 に強大 な らしめる結果 とな り,国
家や政府が,教
育 の外面 的諸条件(半15)の
みな らず,内
面 的な も のまで干渉 し支配す る ことにな ったのであ り,特
に戦前 の公民教育 が政治や政策の具 とせ られた観 もあ ったのは,教
育本来 の立場 か らは誠 に遺憾 と考 え るもので あ る。 戦後,我
が国の教育 は急速 に民主化せ られ,教
育基本法 も,「
教 育 は,不
当な支配 に服す ること な く……」 (傍 点筆者)と
宣言 して,教
育 の 自律性 を認め,又
「 普 遍的に して,
しか も個性 ゆたか な文化 の倉」造 をめずす教育」(傍 点筆者)と して,教
育 の特定 の政治的 イデオ ロギ ーか らの独立 を要 請 して い るので あ る。戦前 国家や政 治の政策の具 とせ られた公民科 の系統 に立つ戦後 の政経社教育 において も,ま
ず この政経社教育の 自立性,政
治か らの独立 が何 よ りも必要で あ ったので あ り,公
民科 の名称を廃 したの も,そ
の理 由と考 え られ るのであ る。か くして,戦
後最初 の学習指導要領 で は,社
会科教育 の 自主性を大 いに尊重 した もので あ り,重
松鷹泰委員を中心 とす る学習指導要領 の 作成 委員会は,「
社 会科 の本質は,問
題解 決 の過程 を通 じて学習 させ るところにあ り,そ
の問題 は 固定 して いないのだか ら,教
師 の独創 的活動 に期待す ることがで きる。学習指導要領 は,そ
れ に ヒ ン トを与え るもので あ って,そ
れ を拘束す るものでない」 (傍 点筆者)と
し,又
「 学習指導 計画 は 各教 師がたて るものであ り,そ
れは地域 と子供 の実体 に即 し得 るものであ る」 との学習指導要領 作 成 の方針 と,そ
の性格を説 明 してい るが(半16)こ
れ は社会科教育の 自律性,現
場 教 師の主 体性 を充 分尊 重 した もので あ った とい うことが 出来 る。 しか し現場 の受入れ体制が必ず しも良好で なか った ので,
自主性 がむ しろ,あ
だにな って現場 に混乱を起す等 の こともあって,そ
の後,学
習指導要領 は,徐
々に指導方 向の固定 した もの とな り,そ
の基準性 も強化せ られて来 たので あ る。 しか もその 基準 性 の強化は,
昭和51年
の「 任命制教委制度」の成立,
任命制教委制度下 の「 勤務評定制度」 の確立,「
教科書検定制 の強化」 と関連 して進 め られ,
ここに国家,政
治 が教育 に関与,干
渉す る 比重が増 して来 てい るのである。勿論,国
家 が教育 に対 して,一
定範 囲の責任を持 ち,国
民 に義務 と して教育 を課す る限 り,国
家 は教 育 の外部 的諸条件 を確保改 善す る為 に各種 の努力 をは らうこと は必要な ことであ り,又
教育 に一一 特 に下級 の学校(半17)に
なればな るほど―一 一定 の基 準性が必 要で あ ることも否定す るもので はない。 あ る論者 は,
この基準性 は「教育 の 自由」の侵害 で あ り, 憲法で保障す る「 学問の 自由」 (akademischc Frcihcit)に も反す るものであるとす る。 しか し学 問 の 自由(*18)は
,決
して教育,教
授 の 自由を合む ものでな く,そ
れは,学
問研 究 の 自由の ことで 注 (※15)外部的諸条件 とは,教
育の施設,設
備,教
員定数等の主 として教育上の財政,行
政面を意味する。 注 (※16)尾崎席四郎,藤
本光,大
森昭夫編著「学習内容の順序 と資料の活用」葵書房 P44参 照 註 (※17)言葉は適切でないが,大
学に対 して,高
,中 ,小
学校ほど下級 とした。注
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縁鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第10巻 第2号 あ り