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孤独を超克する「信義」-『雨月物語』「菊花の約」小考

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Academic year: 2021

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(1)

孤独

克す

る「

信義

」―

『雨

月物

』「

花の

約」

小考

加藤

(国語科

『 雨 月 物 語 』 「 菊 花 の 約」 の 主 題 は 丈部 左門 と 赤 穴 宗 右 衛 門 の 「 信義 」に あ る が 、 そ れ と 冒 頭 末 尾 の 警 句 的 言 辞 と の 間 に 違 和が 生 じ て い る と さ れ て き た 。 本 論 で は 、 左 門や 宗 右 衛 門 たち の 、 貧 困 や 孤 独 か ら生きる証 し を求 め て すがっ た 「信 義 」 と、 身を 翻 し て 尼 子経 久 に 従 う 赤穴 丹治 をは じ め 多くの 者 た ち の 「軽 薄 」 との 対 比 が 本 話の 主 題 に 通 底 す るこ と を 確 認 し 、 同時 代に お け る読 み の 可 能 性 ま で を 論じ た 。

キー

上田 秋成 雨月 物語 菊花の約 軽薄 信義 貧交行 孤独

はじめ

上田 秋成 に よ る 「 菊花 の 約 」 は 、 『 雨 月 物 語 』 の なか で も と くに研 究 史 の 豊 か な蓄積 は あるものの 、 依然 とし て 主 題 レ ヴェ ルで も 定 ま っ た 解 釈 が 行 わ れ て い る と は 言 い 難 い 作 品 で あ る 。 本論 は、 そ の 「 菊 花 の 約」 の登場 人 物 の おか れ た 境遇 に 焦 点 を 当て るこ とに よって 、 従 来 の 解 釈 上 の違 和 を 解 消 す る こ と を 試 みた も の であ る。 は じ めに 、物語の梗概をやや詳 しく 記す こ と とす る 。 その 際 に、 本論 に取り あ げる際 の便宜 を 図 り 、 内容 を 五 つ の 意味 段 落 に分けた上 で 、そ れぞ れ の 冒 頭 に ア ルフ ァ ベ ット記号 を付 す 。 A 軽 薄 な 人 と交 際 し て は な ら な い 。 軽 薄な 人は 、 交 際 し や す くともま た簡単に別 れ て し ま う も の であ る。 B 播 磨 国 の 加古駅に支 部 左 門 という博士が いた。清貧をもっ ぱら と し 、書物の ほ か は 見 向きも し な い 。老 母 は 、糸紡ぎ を仕 事と し て 左門 の 学 問 へ の志 を 助 け て い た 。 妹 は、 同 じ 里 の 佐用 氏に 嫁 い で い た 。 佐 用 氏も 左 門 の 母 子 の 賢 い こ と を慕って いろ い ろ なものを 贈 っ て よ こ し た が 、左 門 は 、他人に世話 になるま い、 と敢 え て 受 け な か っ た 。 ある 日 、 左 門 が 同 じ里の何某 の もとを 訪 ね て 話を し て いた 時 、 隣の 部屋 か ら 苦し む 人 の声が 聞 こ え た。そ の 声の主で ある西国

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の武 士 は 、 そ の 夜 か ら 発 熱 し て 起 居 も ま まな ら な い 。 左門 は 気 の 毒に思 い、 周囲が 伝 染病 と恐れるの を 一笑 し、自ら煎じた薬 を与 え 、 兄弟の ご とくに 手 厚 い 看 護 を し た 。 その 武士は 、 左 門 の陰 徳 に 感 じ て自 分 の 素性 を以 下 の よ う に明 か す 。 も と は 出 雲 国松江の産 と なる 赤穴 宗右衛 門 、兵法家とし て 富 田 城 主 塩 冶 掃 部介に兵法を 説 い て い た が 、近 江 の 佐々 木氏 綱のも と へ密 使 に つ か われ て 、 佐々木の 館に留まって いるうち に 、 前の 城主 尼 子 経 久 が 山 中 党 を 騙 して 大 晦 日 の 夜 に 城 を 奪 取 して し ま い 、 掃 部 介 も 討ち 死に した。 出 雲は 佐々木の 領 国 で あ り、塩冶は 守 護 代 であ った の で 、 三 沢 、 三刀 屋 を 助 け て尼子 を 亡 ぼ すよ う氏 綱 に 進言し た が、 氏 綱 は愚 将 で あっ て 、 動 か な い ど こ ろか 、 逆 に 宗 右衛 門を 近江 に 留 め た 。 そ こ で 自 分 一 人 で 脱 出 し 、こ の 場 に 至 っ た 、 と 。左 門も 、も う 少 し留 まって 養 生す る よ う 諭 した と こ ろ、日 を 経る に つ れ て 平 癒 し て い っ た 。 左門 と 宗 右衛門 は お互 い の 学問 を披露し て意気投合し 、 つ い に 兄 弟 の 盟を結ん だ 。 宗右衛 門 が五歳長じ て いた の で 、兄 で あ る礼 儀を受 け 入れ て 、 左 門 の 母 に 挨 拶を 願い 出た。左 門の 孤 独 を心 配 す る 老 母 も 喜 び 、 宗 右 衛 門 も 、 立 派 な 男 は 義 理 を 重 ん じ 、 功名 富 貴 は 二 の 次 で あ る と 、老 母や 左 門 に 敬 わ れ て い る こ と に 感謝 し て 、 し ば ら く 逗 留 し た 。 夏の 初めご ろ 、 宗 右衛 門 は 出 雲 へ 出 立する こ と に なる 。左 門 が、戻る日時 を 問 う と 、重 陽 の 節句と答 え た 。そ こで 、左 門 は 菊花 に 薄 酒を 備 え て 待 つ こ と を 約 束 した 。 C 九月九日 、左 門 は 約束した通りの 支 度を し て 待っ た。そ の 日、 左門 も旅 ゆ く 人 々 の会 話 を 上 の 空 で 聞 き な が ら 待 ち 呆 け た が、 夜になるま で つい に姿 は 見 えない 。 あ きらめ て 家 内に入 ろ うとしたと こ ろ 、 ついに宗右 衛 門 が 現れた。歓 待 する左 門 に宗 右衛門 は 無言 で 応 じ て い た が、 つい に 宗 右衛門 は 自分 が こ の世 のも の で は な いこ と を 明か した 。 左門 が大 い に 驚 き そ の わ け を尋 ね る と 、 宗 右 衛門 は出 雲 の 情 勢を語る 。そ こで は 、 城下の 者 は 尼 子側につい て 塩冶 の恩 を顧 みるものはおらず、 従 弟 の 赤穴丹治を富田 城 に訪ねた と こ ろ、 尼子 経 久 は兵 士をよ く 率 い て い ると はい え、心 服 す る 家 来 はい ない 。 自 分 が 左 門 との 約 束 を 伝 えて 去ろ う と す る と 、 経久 は 丹 治に命じ て 自 分を幽閉し て 今日に至っ た 。そ こで 、魂千 里 を 行 くと の こ と を 思い出 し 、 自 刃 し て陰 風 に 乗 っ てや っ て きた 、 と 。 そ し て 涙 を流 し つ つ、よく老 母 につか えよ、と の 言 葉 を 残 し、 宗右 衛 門 は 消 え 去 っ て しまっ た 。 左 門 は 号 泣し、 老 母 が 気 づ いた 時は 酒肴 の中にうずもれ て 倒 れ て い た 。 左 門 は老母 に出 来 事 を 語 り 、 二 人 で泣 き明 か し た 。 D 翌日 、左 門 は 、自分は学 問 の 世 界 で 忠 義 の 評 判も 得ず 、孝 信をつくすこ とも せず 、無為 に 生きて き たが 、宗右 衛 門は 一 生 を 信 義 の た め に 尽 く し た 。 よって 、 私は せ め て 出 雲に 向 か って 骨を 葬 っ て 信 義 を 全 う し た い と 、 出 雲 行 き の 決 心 を 老 母 に 語 っ た。 そし て 、 佐用 氏 に 老 母 の介 抱を依頼し 、 出 雲 国 に 向か う途 中 、 夢に泣き明かし つ つ 十 日 で 富 田 城 に 到着した 。 左門 は、 先 ず 丹 治 を 訪 ね て 言 っ た 。 武 士 は富 貴盛 衰 の ど ち ら も 重 んじ ず 、 ただ 信義 を 大 事 と す る も の 。宗 右 衛 門が 守っ た 信 義に 報 い て 、 自分 は こ こに来た。 魏 の 公 叔座と 商 鞅の故 事 と を 比 べ て 、 丹治 と 宗 右 衛 門 の 場合は い かが か、と。する と丹治は

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う な だ れて 、 言 葉 も な い 。宗 右 衛 門は塩 冶 との 旧 交 を 重 んじて 尼子に 仕 え な か っ た が 、 義 士 で あ っ た 。 一 方 、 丹 治 が 尼 子にこ びて 従 弟 を 苦 し め 、 横 死 を さ せ たこ とは 信 頼 に 値 しな い 。 尼 子 が強い て 留めたとし て も、旧交を 思 え ば 私 的 に公 叔 座 と 商 鞅 の ような 信 義 を 尽く す べ きなの に 、営利 に 走 っ て 武 士の 家風がな いならば、それは 尼子 の 家 風 同 然 で ある 。ならば、 宗 右 衛 門 は ど う して こ の 国 に 留 ま れ よ う か 。 私 は 、 信 義 を 通 して こ こ ま で や っ て き た 。 お ま えは 不 義 理 の 汚 名 をのこ せ 、 と 左 門 は 言 い、 丹 治 を 一 つ刀 に切 り伏 せた。そし て 郎党ど も が騒ぐ中足早 に 逃 げ出 し て 、 行 方知 ら ず と な っ た 。 尼 子 は そ の こと を 聞 き 、 信 義 の篤い こ とを 憐れ ん で 、 左 門 を 敢 え て追わ な か っ た。 E やは り、 軽薄 な人と 友 好を結ん で は ならな い 、とい う こ と なの だ 。

「軽

信義

前章梗 概 A 、 物 語 の 冒 頭は 以 下 のように 開始 され る 。 青々た る 春 の 柳 。 家 園 に種 る こ と な か れ 。 交 りは 軽薄の せい / \ み その うゆ まじ は けい はく 人と 結 ぶ こ と な か れ 。 楊柳 茂りやす く と も 。 秋 の 初 風 の 吹 やう り う しげ はつ か ぜ に耐 め や 。 軽 薄 の 人 は 交 りやす く し て 亦 速 なり 。 楊 柳 たへ けい はく まじ は すみ やか い く た び 春 に 染れ ど も 、軽 薄 の 人 は 絶て 訪 ふ日 なし。 そむ けい はく たえ とむ ら 「菊 花 の 約 」 物語 が 中 国白 話小 説 の 『 古 今小 説 』 「 范 巨 卿 鶏 黍 死 生 交 」 ( 以 降 、本 論 で は 「 死 生 交」と す る)の翻案 で ある こ と は周知 の 事実 であ るが、冒 頭 の 文 章 も「 死生 交」 の冒 頭 、 種 レ 樹莫 レ 種 二 垂楊 枝 一 、結 レ 交莫 レ 結 二 軽薄 児 一 。楊 枝 不 レ 耐 二 秋風 吹 一 、軽 薄易 レ 結還易 レ 離。 ( 注 )1 の忠実 な 翻訳とな って いるこ と は 明 ら か で あ る 。 「菊 花 の 約」 では、 こ の冒 頭と 同 内 容 の 文 章 が、 物 語 の結 尾 に て 「 咨軽 薄 の あゝ け い は く 人と交 は り は 結ぶべか らずと な ん」 と 繰 り返 されて い る こ と に むす よって 、 読 者 は 、 「 軽 薄 」 な 人 物 と の 交 流 を 戒 め る 教 訓 的 な 内 容を想像 しなが ら 読むこ と になるで あろ う 。 一方で 、 梗概B ~ Dか ら、 本話 の 主 題 は 丈部 左門 と 赤 穴 宗 右衛門 と の「 信 義 」 に ある こ と に異 論 の 余 地 は な い。 問 題 は 、 登 場 人物二 人 の 間 の 「 信 義」を 軸 に し た本 話と、冒頭末尾の 教 訓 的 言 辞 と の 間 の内 容的 な連 関 性 が曖 昧 で あるこ と に よ って 、様々な解釈の 余 地が 残 さ れて しまって いる 点に ある 。 ここで 、 本話 の主 題 に 関わ る先行論文 の 論点を、三浦 一 朗 の 整理(注 )によっ て 確 認し てお きた い 。 2 ① 本編 を丈 部左門と赤穴 宗 右 衛 門と が 信 義 を 貫く 美 談 とす る立 場 ② こ の 二人 を人 格 的 に 各 々 何 らか の欠陥 を 備え た 人 間と し て捉え 、 そ の 関係 も 批 判 的 に 描 か れ てい る と 見 る 立 場 ③ 二人 が信 義を 貫 い た の は 確 か だ が 、 そ れ はあ まり に 厳 格、 極端 な も ので あ っ て 読 者に 違 和 感 を 与 え る よ う に 描 か れ てい る と 捉 え 、作品 は 二人 の 信 義 を 相 対 化し てい る と 見 る立 場 流れ と し て は 、 松 田 修 (注 ) 、 木 越 治 ( 注 )の 各 論 を 画 3 4 期とし て 、②、③ の よ うに 、 二 人 の 間の純粋な「信 義 」 の 物語 を 批 判的 に 読 む と こ ろ から 出発 した 結 果 、 と く に 近年は 、 B~ Dの 登 場 人物にお け る 「 軽 薄 」 な 人 物探 しに 論点が定 められ て

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きて いる の だ が 、 煩 雑 に な る の で こ こで は そ の 経 緯 を 再説 しな い。 と ころが、 最 近 に なっ て 山 本 秀 樹 が 、近 年 の 主流 で あ った 左 門や 宗 右 衛 門 の 人 格 欠 陥説 に つ いて も か な り 手厳 し い 批 判 を加 え た 上 で 、 「 結局 われ わ れ はま ず 、 テ ク ス ト を 正 視 し、テ クス ト の 意図を汲もう と す る こ とから始めな ければな り ま せ ん (注 ) 」 と 述 べ た 。 そ こ で 、 本 論 で も 、 こ れ ま で の 先 行 論 の 論 点 5 は視 野に 入れつつも 、 出 来 るだ け初心 に 返 っ て テ クス トを正 視 しな が ら 論を 進 め て 行 き た い 。 そこで 、 あら た め て 「 軽 薄 」の 語 義 に着 目 す る 。 「軽薄 」 の 語義 に つ い て はすで に 飯 倉 洋 一 が 、 そ の 近 世 的 な 語義 を 「 誠実 さに か け る言葉だ け の 追従 、 表 面的な 媚 び諂 い と いう イ メ ー ジ 」 と捉え、それに 相応しい人物は 作 中に 見 出 し が たいとした(注 )が 、念 の た め『 大漢 和 辞 典 』 によ って その 語義 を確 認 し て 6 おく 。 ① うはべ だ け で まご ころが 少 な い こ と。軽佻 浮 薄。か る が る し く て ま こと が少 な い こと。 権 勢 利 益 の た め に 義理 を 欠 く 者 。 敦 厚 で は な い こ と 。 ② かろ ん じ う と んず る こ と 。 粗 末 に す るこ と 。 ③ かるく う す い 。 値 打 ち が 少 ない 。 な か で も 引 か れた 用 例 数よ り① が主 要 な 意 味 かと 思 わ れるが 、 そ の 用例 より杜甫の「 貧 交 行 」 ( 注 )に着 目 す る 。 7 翻 レ 手作 レ 雲覆 レ 手雨 (手を 翻 せ ば 雲と作 り 手 を 覆せ ば雨) 紛紛 軽薄 何須 レ 数(紛紛 たる 軽 薄 何ぞ数 ふ る を 須 ひ ん) 君不 レ 見管 鮑貧時交( 君 見ず や 管鮑 貧時 の 交 は り ) 此道 今人棄 如 レ 土( 此 の 道 今 人 棄 て て 土 の 如 し ) 前 半 二句の江戸期に お ける解 釈 は 、 服部 南 郭 『 唐 詩 選 国字解 』 巻二に「人 時 ノ軽ハヅミニ頼 ナ イト云 フハ掌 ヲ 忽チ カユ ル事ヲ 云」 ( 注 )と あ る ご と く 人 情の移 り やす さを 詠み 、後半 二 句 8 は それに対 し て 「 管鮑 貧時 交 」 の 世 界を 理想 とし て 引 き 合 いに 出しつつ、現代 の 人は そう した 友 情 を土に 棄 て るが ごとく 軽 ん じる こ と を 憂 いて い る 。そ の 「 管 鮑 貧時 交 」 は『 史記 』 「 管晏 列伝 第二 」 の 冒 頭 に見え る ものだが、以 下に南郭 の注を記 す。 古 ヘ 齊ノ 管 仲 ガ貧乏ナ時 鮑 叔 ト 云 フ 者ト言ヒ 合セテアキ ナ ヒ ヲ シ タ ガイ ツ マ デモ 鮑叔 ヲ ダ マシ テ我 バカリ 利 ヲト ツ タ サレ ド モ 鮑 叔 ハ 腹 ヲ 立 タ ズ ヲ 管 仲 ハ 貧乏 ヂ ヤ カ ラ ソ ノ ハ ヅ ノ 事 ト云テ中ヨ ク 交タ マタ ア ル ト キ 喧嘩 ヲ シ テタ ゝ カ レ テ 帰タ 人々 臆病 者 ト テ ソ シ リ シガ 鮑叔 ハ 管 仲ガ 老母ア ル ユ ヘ 尤ナル事トテマス々親 シミ タリ ソレ ユヘ 鮑叔 ガ 死 セ ン ト キ我ヲ 生 ミシ 者ハ父母我ヲ 知 タ ル者ハ 鮑 子ト 嘆 シ トナ リ ソ ノヤ ウ ナ 道 ハ 今 時 ノ 人 ハ 捨 キ ツ テ 土 ノ 如 ク ニ 思 フ テ ア ル 鮑叔の 人 物の優れ て い たと ころは 、 幼なじみ で あ り 自 分 が 才 能 を認めた人 物 が、 あま りの貧し さに 目 先 の利益にと ら わ れ なが ら 自 己 中 心 的 で よ こ し まな 行動に 出 て も 、 最 後ま で そ の 人 物を 認め 抜い たこ とで あ る 。 鮑 叔 は 、 最 後 ま で 幼 なじ み と の 「 信 義 」 を通 し た と も 言 え よ う 。 そ う で あ る なら ば 、 「 貧 行 交 」 詩 に お け る 「 軽 薄 」 語の 対義 は 「 管鮑 貧時 交 」 に 記 さ れ た鮑叔の 行動 に表れた 「 信 義 」 の 精 神であ る 。 井 上泰 至は 「 原 拠な らびに 「 菊 花の約 」 の「 軽薄」 は 、 「 誠 意 」即ち 「 信 義 」 の 有 無 が 顧 慮さ れて し か る べ き な の で あ る 。 」( 注 )と 指摘した が 、 人 が そ の 9

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「誠 意 」 や「信 義 」 を 失 い やす い の は 、 『 大 漢 和 辞 典 』 が 「権 勢 利 益の ため に 」 と記 す ご と く 、 功 利に走 り が ち になっ た 時 で ある と言える 。以上 を 念頭におき 、 次章で は 登 場 人物の 人 物設 定を 論じ る 。

と宗

右衛

設定に

いて

梗概 B に お い て 、 丈部左門 は以下のよう に 記 さ れ る 。 播磨 の国加 古 の 駅 に丈部 左 門 と い う 博 士 あり 清 貧 を 憩 ひ うま や は せ べ もん は か せ せい ひ ん あま な て。 友 と する 書 の 外 は す べ て 調 度 の 絮 煩を 厭ふ 。 ふみ てう ど わつら は し き いと そう した左 門 の 性 情ゆ え 、 丈 部 の 家 計 は 老 母 が 支 え て いた 。ま た、 左 門 の 妹 は 土 地の 富 裕 な 佐 用 氏 に 嫁 いで いる が 、 その 佐 用 氏か ら の 援助 も 左 門 は 「 口 腹 の 為に人を 累 さん や 」 と 拒 否 し こう ふく わづ ら は てい る 。 左 門 は 、 ひと り 「 清 貧 」 を う た っ て 学 問 へ の 道 を 志 し てい た が 為 に 、 丈 部 の 家 を 支 え る 意 志 は 薄 弱 であ っ た 。 そ の 点 では 「 死 生交 」 に お い て 、 姓張、名 劭 、字 元伯 、是汝 州 南城人 氏 。 家 本 二 農業 一 、苦 志 二 読書 一 、 年 三 十 五 歳 、 不 二 曽婚 娶 一 。 其 老 母 年 近 二 六旬 一 、 並弟張 勤 努 二 力耕 種 一 、以供 二 二膳 一 。 と記 されるように 、張 劭 が 農業の家に生まれながらも学 問 を志 し、齢三十五に達 し て も嫁を 迎 えず 、 家 業も せず 、弟 の 張 勤 と 老母 がそれを 支え て い たと の設定 と 同様 で あ ると み て よい だろ う 。 ま た 、 そ う し た 左 門の 現 状 に つ いて 、 左 門の 老 母 は 常 に 彼 の「 孤 独 を 憂 」 い て い た。 左門 は 清 貧 で あ る が、 「孤 独 」 であ った の で あ る 。 と ころがあ る 日 、 偶 然 左門 が同 郷 の 「何某 が 許」 を 訪 ねたと なに がし もと き に 、流 行病 を 患 い旅宿 し て い た 赤 穴宗 右 衛 門を 知って 、 看病 する こ と になる 。 そ の 赤穴 宗右衛 門 の 人 物設定につい て は 、梗 概B に 記 した 通 り 、看病 の 末 に 病 状 の安 定 を 見 た とき宗 右 衛門 自身 が左門 に 語 っ た 内 容 に よ っ て 知 られ る。出 雲 国 に 向 か う途 中に発 病 した 宗右衛 門 を左 門 が 介抱する こ と になっ た のだが 、 その 際に 学問的 な 交 流 が 生 じ 、 二人は つ いに 「兄弟の 盟 」を ちか い 結ぶに至る 。 こ の ときの 宗 右 衛 門 は すで に父 母 に 死別 し、 出 雲 国で の 主 を 失 い 、 佐 々 木 氏 綱 に も 落 胆 し て 出 奔 し た た め 、 孤 独 な身の 上 で あ っ た と思われ る 。 や が て 、 「 兄 弟 の 盟」 を 結 んだ 二 人 が、左門 の 老 母 に 面 会 す る。 す る と 老 母 は 、 吾 子 不才 にて 。 学 ぶ 所 時に あはず 青 雲の便 り を 失 なふ 。 ね わが こ まな せい う ん うし がふ は捨 ずし て 伯 氏 た る 教 を 施 し給 へ あ に をしへ ほど こ と 、 左門 が「 不 才 」 で あ る た め にそ の 学 問 が 時代 に合 わ ず 、 立 身出 世 の 機 会 を 失 っ て い る こ と を訴え、 宗右衛門 に「伯氏た る 教 え 」 の 教 授 を 依 願 し た 。 そ れ に応 え て 宗 右 衛 門 が、 「 大 丈 夫 は義 を重 しと す 。 功名 富 貴 は い ふに足ず 」と述 べ て 、 立 身 出世 おも こう め い ふう き たら よりも信義を 重んじ る べきとの 「 教 え 」 を伝 授 す る運 び と な る 。 以上 の 状 況を踏まえつつ、 左 門 と宗 右衛 門 が 「 兄 弟 の 盟 」 を 結 ぶ ま で に至る 出 会い の高 揚感の淵源 を 辿る と、 お互 い の 孤 独 心 に 行 き あたるよ うに 思え てくる。 そ こ に左門 の 「知識人 の生 が強 いる 孤独 」 を 読 ん だの は 青 木 正 次 で ある が( 注 ) 、 宗 右 10 衛門 も、 森 山 重雄 が「 宙づ り の 状 態 」 ( 注 )と 言 う よう に 孤 11 独な 身 で あった。 だ か ら こ そ、 二人 の心 が学問 を 媒 介 と し て 「 ひ

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とつ とし て 相 ともに た が ふ 」 と こ ろ な く 一 致 し て 行く 。その 拠 り所 と な っ た の が 、 宗 右 衛 門の 「 信 義 」 の 「 教 え 」で あ る 。 し かし、そ の 背 景には 、 立 身 出世を望む ど ころ か、社会からも切 り離さ れ て 生 き る 糧 を 失 い かね な い 厳しい 状 況が あっ た 。 そ の 点は 、信 義 を 全 う せ ん と生きる二 人 の そ の 後 の 関 係 を 理解する 上 で 、 大 変重 要 で あると考 える。 更 に付 言する と 、 「 死生交 」 の張劭と 左門 の設 定は類 似 し て い る が、 范式と 宗 右衛 門 の 設 定 に は 看過 せ ざ る相 違 が あ る 。 そ れ は 「 死 生交 」 に 、 姓范 、名 式 、 字 巨 卿 、 年 四 十 歳 。 世 本 二 商賈 一 。幼 亡 二 父母 一 、有 二 妻小 一 。近 棄 二 商賈 一 、来 二 洛陽 一 応 レ 挙 と あ る ご とく 、 范 式が 妻 帯 者で ある 点で ある 。 「 死生 交 」 で の 范 式 は商売 を する者 で あ っ て 、 妻子 がい るた め に 学問 は不 如 意 であ ると され、 結 果と し て 、 そ の こ と が 范式 を 蘇 州山 陽 に 留 め さ せ る最 大 の 要因 になるの で あ るが 、 宗 右衛 門 の 設定にそうし た要素は見られな い。 次章に詳説するごと く 、 妻 子 を 有する范 式 と 、 孤 独 な 身の 宗 右 衛 門 との 設 定 の 相 違 は 、本 話の 主 題 を 捉 える 上 で 注 目 す べ き 要 素 で ある と、 筆 者 は 考 え て い る 。

約束の

宗右衛門 の 病 も 平 癒 し 、 「 雲 州 の 動 静 を 見 ん た め 」 宗 右衛門 や う す は再び 、「 菽 水の 奴 に 御 恩 を か へ し た て ま つ る 」 た め に 、「 重 陽 しゆ く す い つぶ ね め ぐ み こゝ ぬ か の佳 節 」 に戻 る こ と を 約 束 し 、 出 雲 に 出 立 し た 。「 菽 水の 奴 に 」 か せつ は、 「 極 め て 貧 し い な が ら も お 仕 え し て 」 と の 意 味 で あ り ( 注 ) 、 この 二 人 の 再 開 は 、立身 出 世 を 成 し 遂げることや経 済的 12 な安定 を 度 外 視 し て 、 義 理 を 通 すこ と に 主 眼 があっ た こ と は 言 うま で も な い 。 そ れ に して も 、 「 兄 弟 の 盟 」 に 反 して ま で 宗右 衛 門 は 出 雲にて 何 を 見 よう と し たの だろ う か 。 近江の 佐 々 木 氏 綱に、旧 主の 敵 で ある尼子経 久 を 滅 ぼ す こ と を 進 言し て 適 わ な かっ たこ とを宗 右 衛 門 自 身 が 述 べ た こ と から 推測 す る と 、 旧主 の敵 を自 らと ろうと企 て て の 視 察 で あ っ た こ とは想 像 でき る が、 ど こ ま で の 覚 悟 が この 時点 での 宗 右 衛門 にあ ったのか は 不 明で あ る 。 さて 、約 束の 「重 陽 の 佳 節 」を 迎え た 。 左 門 は 、 「 囊 をか た ふくろ ぶ け て 」 酒 、 食 の 用意 を し て い る 。 待 ち わ び る 左 門の 目に 入 っ て く るものは 、山陽 道 をせわ し く 行 き 交 う 人 々 の 光 景 だが 、そ れさ え も 目に 入ら な い 様 子 。 そ う し た 左 門 の 目 に 映 っ たは ずの 、 山陽 道を往来する人々 の 情 景描 写 は 、 再 会を 心 待 ち に する左 門 の心 情 を 記 す 場 面 と し て は 些 か 唐 突 な 印 象 を ぬ ぐ え な い 。 往 来 す る 人 々 の 発 言は 、 そ の 内 の 一 人の 「此 度の 商 物 に よ き 徳 とる たび あき も の べき祥 に な ん 」に象徴さ れ る よ うに 、経済 活 動 を 行う 者た ち の さが 損 得 勘定が主な話題と なっ て い る。 例えば、そ のう ちの 「 五 十 いそ ぢ あまり の 武 士 」 の 発 言 は 次 の通り で あ る 。 もの ゝ べ 日和は か ばか り よ かりし も のを。明 石より 船 も と め な ば 。 に わ この 朝 び ら き に 牛 窓 の 門 の 泊り は 追 べ き 。 若 き 男 は劫 物 うし まど と とま おふ をの こ けく 怯 して 。 銭 お ほ く 費 やす こ と よ をび へ つい こ の 武 士 は、 天候 を見誤 っ て 船 繰り 計 画 を誤 っ て し ま った若い 男に対 し て 、 無駄 銭 を 弄した 事 へ 苦 言を呈し て い るのだが 、そ れら の 通 行人 は 、 い ず れも本話 の物 語 に 直接 関与 し て い る わ け で は ない。高 田衛 ら は こ の 場面に つ い て 、 「 左門 の 心 情 を 、 街

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道の情景 に よ っ て 、 逆 説 的 に書 いた と言 えるか も しれない 」( 注 )とし て 、左 門 の 心情と の 関連を 読 み取 ろう とし て い る 。 ま 13 た 、 鵜 月 洋 ら は 、 こ こ に 「 い わ ば『 間 』 とも 『遊 び 』 とも いう べ き テ ク ニック」 ( 注 ) が見 ら れ ると 説 い た。 し か し 、 い ず れ 14 も物語展開 と の 積極的な関 連 を 説 明 し てはい な い。 左門 は 宗 右 衛門 を 待 ち わ び る あ ま り 放 心 状 態 に あ っ た の であ るか ら、 むし ろ目 に 映 ら な か っ た の は 当 然 で あ る と も 言 え る 。 だ が 、 道 行 く 者 た ちの会 話 がそ れぞ れの経 済 活 動 に関 する話題 であ る こ と に 注 意 す れ ば 、 それが 耳に 入らな い ような 左 門 の 経済 活動への 無 関心 は、 物 語 冒 頭 か ら 一貫 し て い た 。 そ れど ころ か 、 た だ でさ え無関 心 で あ っ た 経済活動に 対 し て 、 宗 右 衛 門と の 出 会いを切 っ掛 けに し て 、 よ り盲目的に 「 信 義 」 に 拘 泥 し て しま う 左 門 ( あ るい は 二 人) の 状 況 を も、 この 場 面 が 暗 に示 し て い る の で はな いだ ろ う か 。 この よ う に、 宗右衛門 と の 約束 を盲目 的 に信 じ て 待つ こ と 、 更に は 後 述 す る よ う に 、友 の 死 を 知 って 咄 嗟 に 出 雲 に 向 か う 行 動な ど か らは 、左 門 の 直情径 行 が読 み 取 れるの だ が 、 そ も そ も 左門 や 宗 右衛門 は 、 世 を 渡 る上 で必 要 な 経 済 活 動 へ コ ミッ ト す る環 境 を 自 ら 絶って し ま っ て い たの で あ る か ら 、 お 互 いの 「 信 義 」 にすがっ て 生 きる道 し か残 さ れ て い な か っ た ので ある 。そ し て 、まさにそう した彼らの境 遇 こ そ 、 本話の読 者 が 違和感を 覚え る 点 な の では ないだろう か 。 と こ ろで 、左 門と 別れ て 出 雲 に 到着 した 宗右 衛 門 が 、 富田城 にお い て 尼子経 久 、 お よび 従 弟 の 赤 穴 丹 治に 幽閉された 事 情 は 梗概Cに記したと お り で あ る 。 そ こ にお け る 、左 門と の再会 の 約束 を破 る 事 情 が 「 死 生交」のそ れと 乖離 し て い る こ と は前 章 結 尾 で 指 摘し た通り で あ る が 、 「 死 生交 」 で は、 范式 自 ら が そ の事 情を 以 下 の よ う に 説 明 さ れ て い る 。 自 下 与 二 兄弟 一 相別 之 後 上 、回 レ 家為 二 妻子 口 腹 之 累 一 、溺 二 身 商賈中 一 、塵世滾 滾、歳 月 匆 匆 、不 レ 覚又 是一 年 。 向 日 鶏 黍之 約 、 非 レ 不 レ 掛 レ 心、 近被 二 蠅利 一 所 レ 牽、忘 二 其日 期 一 。 そこ で は 、妻 子を 養う た め に 商 売の 瑣事 に 気 を と ら れ て い る 内 に、 気 が つ く と 約 束 の 期 日 を忘 れ て し ま っ て い て 、「 此 心 如 レ 酔」 状 態 となったと 説 明 さ れ て い る 。 つ まり 、 范 式 は家族 を養 うた めの 生 活 に 翻 弄 さ れ て 約 束 を 失 念 し て い たの で あ っ た 。 一 方 で 、 宗右衛 門 の 状 況 は 、 「 狐疑 の 心 」 の 多い人格への 不信か ら 、 「 腹 こ ぎ ふく 心爪 牙 」 、即ち 心 から 慕 う 家 来 ども が い な い 経 久 の 許 から 「 永 しん さ う が く居 り て 益 な 」 し と 見 限 っ て 出 国を決 心 し た 時に 、 「 賢弟 が 菊 を やう 花の 約 あ る 事をか た り て 去ん と す れ ば 。 経 久怨 め る 色あ り て 」 ちぎ り さら うら 丹治を遣っ て 幽閉 したと語られ て い る 。 宗右衛 門 は 、 信頼 する に足 り な い経 久の有様をそ の 目 で確 認し、そ こで 旧 主 の 敵 を討 つわ けで もな く 、 出 国 の決 断を す る の で ある 。 「 死生 交」の范 式と 違っ て 、 孤 独 な 宗 右 衛 門 が 出 雲 に留 ま る 必 然 性 は 何 も 残 さ れて いな かっ た 。

左門

の決断

行動

約束の 日 、 左 門の 目 前 に現れた宗右 衛 門 の 霊 の 述 懐 を 受 け て 、 自死の 行 為 を 宗右 衛 門 の 「 信 義 」 の 証しと理解 し た左 門 は 、 出 雲行 を 即 断 し て 老 母 に 決心 を伝 え る 。

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吾 幼 な き より 身 を 翰 墨 に托 ると い へ ど も 。 国 に忠 義 の 聞 え をさ かんぼ く よす なく 。 家 に 孝 信 を つ く す こ と あ た は ず 。 徒 に天 地 の あ ひ いた づら だ に 生る ゝ の み。 兄長 赤 穴 は 一 生 を 信義の為 に終る。小弟 うま この か み あ か な をは けふ よ り 出 雲 に 下 り 。 せめ て は 骨を蔵 め て信を 全 うせん 。 ほね をさ しん まつ た 学問 でも う だ つ が 上 が ら ず 、 家 でも 老母 に尽 くし き れ ず、 中途 半端な自分の存在の ふ が い なさを吐露し、そ の鬱とした 思 いを 振 り 払うよ う に し て 、 宗右衛 門 への「信」 を「骨を蔵 め」 る こ とに よって ま っ と うす る こ とを 宣言 したので ある 。そう し て 老 母の 心 配 を 余 所 に 、 道 中 は 「 飢 て 食 を思 は ず 。寒 きに 衣 を 忘 うえ しよ く れて 。ま どろ め ば 夢に も 哭 あ か し つ ゝ 」 、 「 信 」 の 一 語 を 胸 に し なき て 無 我夢 中 に 出 雲 国 に 向 か う 左 門 の 行 動 は 、 強い衝 動 に駆り 立 てら れたが ゆ え の こと で あ る と 思 わ れる。 とも あ れ 、 一 目散 に 出 雲 国 に到着 し た左門は ま ず 従 弟 の 赤 穴 丹治 を訪ね て 伝え たその 言 葉は 、 「 士た る 者 は 富 貴 消 息 の 事と し ふ う き せ う そ く もに 論 ず べか らず只 信 義 を も て 重 し と す 。 」 と 、 かつ て 宗 右 衛 門 が 老 母 に初会したと きに述べた「伯氏た る 教え」 の 引き 写 し あ に であ った 。 さ ら に 左門 は、 そ の 考 え に基 づ い て、 商 鞅 菽 座 の 例 を 挙 げ、 尼 子 経 久 に媚 び仕 え て 、 挙 げ句 に 宗 右衛門 を 幽 閉 し た 不義 な る 丹 治 を 難 詰 す る 。 そ う し た 左 門 の 言 葉 の 主 意 は 以 下 の 発言 に 集 約 さ れて い よ う 。 経久 強 て とゞめ 給 ふとも 。 旧 し き交は り を 思 は ゞ 。 私 に しひ ひさ まじ ひそか 商 鞅叔 座 が 信 をつくす べ き に 。 只営 利 に のみ走り て 士 家 しや う を う し ゆ く ざ まこ と えい り はし し か の風 な き は 。 即 尼子 の 家 風 な る べ し 。 ふう すな はち か ふう しか し 、 左門 が丹 治を 難 詰 するそ の 要 点 は、 もとは旧 主塩 冶 の 恩を省 み ずに自ら の 「 営 利 」 を 優先し て 尼子 経 久 に翻 っ て 仕え た こ とにあるので あって 、 宗 右 衛 門 を 幽 閉 し た事 実には 具 体 的 に 触 れ て いな い。つま り、左 門 の 考 える 丹治の罪は 、 あくまで 、 、、、、、 も丹治 が 信 義 よ り も 自 らの保 身 を 重 ん じ た こ と に あ る 。 そ し て 、 そ の 罪は 、 伯 氏 宗 右衛 門か ら授けら れ た 考えに真 っ 向 か ら 反 す るもの で あ り 、そ う し た丹治の 行動によ っ て 、結 果的に宗右衛 門 は 幽 閉 され る こ と に な っ た の であ る。 そ れ だけ でも、 左 門 に とって 丹治は 、宗右 衛 門 の 命に引き 替えるの に十分な 存在 であ った と 言 え ま いか 。 一方で 、 功 名 富 貴 や 営 利 を 重 ん じるこ と は 、 一 般 的 に 言っ て 不 自 然 な こ と ではない 。 そ うし な く ては、 人 は生 き る 糧 を 得 ら れないから で ある 。 そ う で あるな ら ば、 「死 生 交 」 に お け る 、 妻子と の日常 生 活 の 瑣 事 に 紛 れ て 約束 の日を忘 れ て し ま った 范 式の 行動も 、 赤穴丹治が 旧 主の 敵 で あるにも 関 わ らず 尼 子 経久 の 元 に い た こ と や 、丹治の 導き で 一 時 で も 経 久の 許 で 過ごし た 宗右衛 門 の 行 動さ えも 、多 くの読 者 に と っ て はむ し ろ 違和感の 、 、 、、、、 、、 、 無い と こ ろ で あ っ た か も 知 れ な い 。

おわ

さて 、 丈 部左 門と赤穴 宗右衛 門 の 人 物設定 を 軸 に 据え てこ こ まで 「 菊 花の 約 」 を読 み 解 い て き た 結 果 、 よ う や く 最 初の 問 題 に戻 る 段 階 に 至 っ た 。 そ れ は 、 冒 頭 と 結 尾 に 記 さ れた 、「 軽 薄 」 な人と 交 流を結ん ではなら ない、と の言 説と 物語展開 と の 具体 的な 関 連 性の 問 題 で あ る。 第二章 で 述べた ご と く 、 「 軽 薄 」 の 語が 「権 勢 利 益 の た め に

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義 理 を欠 く者」 と の 意 味 を 含 む の で あれ ば 、 こ こ に言 う 「 軽薄 」 な 人 物は 、左 門目 線 で 見た場合 は 、 旧 主 塩冶 の恩 を顧みず 翻 っ 、 、、、、、、、、 て 尼 子経 久に仕えた赤穴丹治の ような 人 物を比定する 以外 に考 え ら れ な い 。 もし 宗 右 衛門 も丹 治同 様 の 人 物 であった ならば 、 左門 の前 に は 姿 を 現 さ な か った であ ろう。 し か し 、 宗 右衛 門 は 、 第 四 章 で 述べたごと く 経 久 の城下に「永く居 るに益な し」と考 えて 左 門 との 約 束 を 伝 えて 出 国 を 試 み た 。 つ ま り 、宗 右 衛 門 の 心は 、 「 営 利 」を 優 先 して 経久に 従 った 丹治 を は じめ城下の 家 臣ら の 「 軽 薄 」 ぶ り に 靡 い て し ま う ほ ど 弱 い も の で は な か っ た ので ある 。それ ほ ど、左 門 と宗 右 衛 門 は 、 信 義 を 重 ん じる 信念 に よ っ て 固く 結ばれ て いた。 そ う し た 二 人 の 絆は 田中則 雄 が指 摘 す る よ うな 「非功利 的な 心 的 結合 」 ( 注 )で あ り 、丹 治や 15 家臣 た ち の、 あ る 意味 功 利 的なつ な がり こそ 「軽 薄」 の語 で形 容 し 得 る も の であ った 。 さ ら に は、 こ の 二人 の 絆 は、 木 越 治 が 指摘 するよ う に、二人 が「自らに課せられた 『 信 義 』 を果た す ことより 他 に 自 己 の生 存の 場 所 を見出 し え な い 者 」 ( 注 )で 16 あっ たが 故 の も の で あ っ た 。 だ が 、二 人の 関係 が そ の様な絆で 結 ばれる た めに は 、 そ れ な り の 必 然 性があっ たので あ る 。 それは 、 それ ぞれの 生 活 力 の 欠 如 で ある 。ある い は 、 経済生活への 無関 心 で ある 。 二 人 の 境遇 は、 学問以 外 に身 を 立 てる術 を 知 ら ぬ が ゆえに、 先行 き の 見 え な い 状 況 にあ る点 で 共 通し て い た。よ っ て 、 と く に左 門 に と っ ては、 宗 右衛門 か ら の 「 教 え」 は、母 が 述べた 如 くうだつ が 上 がら ずに見 失 い つ つ あ った 自ら の生 き る 道を、 唯 一 照 ら す 光 明 のご と く に映 った のでは な か っ たか 。 そ れ だ け に 、 そ れ を 断 た れた 時の左 門 の恨 みは、丹 治 を 衝 動 的 に 斬 り 捨 て ねば ならぬ 程 深い も の で あ ったこ と は 想 像 に 難 く な い 。 とこ ろ で 、第 四章 で は 、 経 済 活 動 を す る 通 行 人 の 描 写 の 意 味 につい て 言及し た 。 秋 成の時代 は、 武 士 で あ っ て も経 済活 動 に 無関 心 で いられな い 時 代 で あっ た。 む し ろ それが 、下級 武 士 た る も のの 生きる す べ で あっ たと 言えよ う ( 注 ) 。 し か し 、 そ 17 うし た 時 代 の 変化 の流 れ の 中 で 、 家 の存 続 を も 顧 み ず 清 貧 に 生 き ん と す る 左 門 や 、 「 信義 」に 固 執 し て 、主 たる も の へ の 庇 護 の元 に 入 らず 浪人の 身 を 通 さ ん と す る宗右 衛 門 の 生き 様は 、多 、 くの読 者 の 目 には時 代 錯 誤 に 映 っ た ので はな いだろ う か。そう 、 、、、、、、、 で あ るなら、冒 頭 及び結 尾 の 「 教訓」 は 文字 通り の「教訓」 に はな り得 ず 、 木 越 治 が 言 う ごとく 「 無 意 味化 」 ( 注 )す る 。 18 それ どこ ろ か 、 こ の 兄 弟 の 物 語 は 、 「信 義 」 を 主 題 と した 結果 とし て 、 か え っ て シニカルな物語と し て 読まれる 余地 が生ず る と言 えよ う 。 なお 、 最 近 で は 、 結尾の 「 兄弟信 義 の篤きをあはれみ 。左 門 しん ぎ あつ が跡 をも強 て 逐せ 」 な か っ た経 久や 、物語に 付 さ れた本 文 と 関 しひ おは 連し ない 挿 絵 に 着 目 し た飯 倉 洋 一 は 、 そ の 後 の「 咨軽 薄 の 人 と あゝ け い は く 交 は りは 結ぶべか らずと な ん」 の「と な ん」 の主語を経 久 とし むす て 、 そ こ に経 久 の 信 義 へ の 気づ きと 改 心 を 読 ん だ ( 注 ) 。 さ 19 らには 、 その 経 久 の唯 一の 「腹 心爪牙」 の 家 臣 で あっ た 山 中党 の山 中鹿之助 も『 陰徳太平記』巻五 六 に 記 さ れる事 か ら、 この 物語 が 「 『 陰 徳 太 平 記 』 の 異 伝 あ る い は 外伝 とい う 体 裁」 を と っ て いた ことを井 上 泰至が 指摘し て い る (注 ) 。 そ う し た 解 20 釈の 妥当 性に つ い て 本 論 で 論じる準 備は な い が 、 こ の 物語 を 、

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あえ て 「 兄弟信 義 の篤き 」 に 同 情した 経 久 の 描 写 で 結 ん だ 秋 成 の 意 図を 推測 するに 、 首肯 し得る読み で はある 。 しかし、その ように 解 した と し て も 、 こ の 「 菊花の 約 」物語の主 題 が 、 左 門 と 宗 右衛 門 の 「信 義 」 にある こ と は 揺 る がない。 そ の 「信 義」 が 生 じ た 背景に は 、二 人の 孤独 と 困 窮の 実 情 が あ り、 そう した 状況 にお い て 、「 軽薄 」 に 陥 る 多 く の 人 々を 余所 に 、 二人 は 「 信 義 」 をつらぬき 通 した。 む し ろ それが当 代 に 稀 となっ て しま っ た人の精 神 性 を 表 現した も ので あっ たならば、それに気 づ いた の が 仮に経 久 で あ っ たと 解し たとし て も、 同 時 に結 尾 の 「と な ん」 が秋成の嘆息 で も あるように 聞 こ え て し まうのは筆者 の 僻 耳で あろう か 。 注 以 下 「 死 生交」 の引用 は 、 『 上 田 秋 成 研究 事典 』 ( 笠間書 1 院 二〇一 六 )所収 の 、丸井貴史 に よ る 校訂本 文 を 用 いる 。 注 「信義 の 行方 ―「 菊 花 の約 」 論 ― 」 「文化 」 七 三 号 二 2 〇一 〇・三 注 「 「 菊 花 の 約 」 の 論 ― 雨 月 物 語 の 再 評 価 ( 2 ) ― 」 『 松 田 3 修著 作 集 』第 八 巻 右文 書 院 二〇 〇三 所収 注 「 「 菊花の 約 」私案 」『 秋 成 論 』ぺ りかん社 一九九五 4 所収 注 「 『 雨 月 物 語 』 「 菊 花 の 約 」 解 釈 の 諸 問 題 ― テ ク ス ト の 解 5 釈 行 為 分 析・ テクス ト 解釈生成学を 目 指 し て ― 」 「 高知 大国文 」 四 三 号 二〇 一 二 ・一 二 十二 頁 注 「 『 菊 花 の 約 』 の 読 解 ― < 近世 的 な 読 み > の試 み ― 」『 テ ク 6 ス ト の読解 と 伝 承 』大阪大 学 大 学院 文 学 研究科広 域 文 化表 現 論 講 座 二〇 〇 六 十三頁 注 本文及び書 き 下 し 文 は 新 釈 漢 文 体 系 『唐 詩 選 』 ( 明 治 書 7 院 一九 六四 )に よ る 。 注 本 文 は「 早稲田 大学古 典 籍総合 デ ータ ベ ー ス 」 ( 請 求記 8 号イ 一七 ―二 〇 一 四 ) 所収 の天 明 二 年 版 に よ っ た 。 注 「 「 軽 薄 の人」 は 読者 なり ―菊 花 の 約」 を 読 む ― 」『 雨 月 9 物語 論』 笠間 書 院 一九 九九 所収 注 『雨 月物 語』上 、 講 談 社 学 術 文 庫 一九八一 九五 頁 10 注 『幻 妖 の 文 学 上田秋成 』三 一書房 一九 八 二 二五頁 11 注 『雨 月物 語 癇癖 談』 新潮社 一九七 九 三四 頁 12 注 『雨 月物 語』 筑 摩 書 房 一九 九七 九五 頁 13 注 『雨 月物語 評 釈 』 角 川 書店 一九 六 九 一四 五頁 14 注 「庭 鐘 か ら 秋 成 へ ―「信 義 」 の 主 題 の展 開 ― 」 『 読 本 研 15 究』第五 輯 上 套 渓水 社 一九 九 一 ・ 九 注 「 「 菊 花 の 約 」 私 案 」 『 秋 成 論 』 ぺ り か ん 社 一九九五 16 所収 注 武家の 経 済 生 活の 実態 に つ い て は 磯 田 道 史『 武士の 家 計 17 簿』 ( 新 潮 新 書 二〇〇三) 等 に詳し い 。 ま た、丸 山 真 男は『日本 政 治 思想史研究 』 ( 東京大学 出 版 会 一九 五 二) に て 、 徂 徠 が 着目 し た 武 家 の困窮 の 淵 源 につい て 論じて い る 。 ま た 、秋成 よ り や や 後 の 文 化 十 三年の 奥 書 が あ る 『世 事見聞 録 』 ( 岩 波書店 一九九四 ) 「 武 士 の 事 」 に は 武 家た ちの 経 済 的 、 精神的 な 凋落ぶり が詳

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細に 描 か れ て い る 。 そ の う ちの 一 部 を 以 下に 引 用 する 。 一 体 、当 世賄賂のこ と 流 行 し て 、重 役なるものの 目 鑑と て 、 人を挙 用 いた すにも正真の 目鑑 を 用 ひず、 主人 のため よ り も 我 が 心 に 叶ひた る 人 物 を 依 怙 贔 屓 す る なり。 ( 中 略 )また 重 役 な る も の、 当世 は多 く軽 薄 なるもの 故 、 廉 直 な るを遠ざ け、追 従 なるを 近 付 くる振 合 ひ に て 、 善 人 を見捨 て 悪 人 をのみ 挙 げ用ふ る( 五九頁 ) 注 注 前掲書 三三 九頁 18 15 注 『上 田 秋 成 絆と し て の文 学』 大 阪 大 学 出 版 会 二〇一 19 二 二一 一 頁 注 『近世 刊 行 軍 書 論 』笠 間書院 二〇一 四 二六 六 頁 20 [付 記] 「菊 花 の 約」 本 文 の引 用 は す べ て 『 上 田 秋 成 全 集 』 第七 巻(中央 公論 社 一九九〇 )に よっ た。ただ し、 清濁 を 私 的 に 改 め た 個 所 が ある 。

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