1.序 論
赤外分光法は,微視的環境に関する多くの分光学的 情報を提供する強力なツールとして知られており,分 子科学のみならず,有機化学や生物化学においても有 用であり,古くから広い分野にわたり利用されてきた[1]. 赤外スペクトルにおける置換基特有のバンド位置は, 置換基の有無の特定のみならず,局所的環境の変化を 鋭敏に反映し,特に有名な例として,OH 基の水素結 合形成に伴う低波数シフトやペプチドのα -helix 形成 によるアミド I(CO 伸縮振動)や アミド II(NH 変 角振動)モードの振動数シフト及びそれに伴うバンド 形状変化は,局所構造や配座構造に関する様々な情報 を与える[2].これらのバンドシフトは,複数の分子 AbstractWe have performed the IR spectral simulation of supersonic jet-cooled benzyl derivatives (BzX, C6H5-CH2-X;
X = Cl, OH) in the CH2 stretching vibrational region using harmonic and anharmonic vibrational analyses. The
fluorescence-detected IR spectroscopy combined with a supersonic jet method provided the sharp and simple spectral features without co-existence of several conformers and inhomogeneous broadening derived from a temperature effect, because the adiabatic expansion cooling resulted in subsequent isolation and trapping to a minimum of single conformation. However, the observed spectra in the CH2 stretching region of both molecules exhibited more than
four bands, which cannot be reproduced by the harmonic vibrational simulations of density functional theory (DFT) calculation showing only two bands of CH2 stretches. We considered that overtones or combinations other than the
fundamental appeared due to the anharmonic interaction.
In order to take account of these anharmonicity, the improved spectral simulation including anharmonic vibrational analysis was performed utilizing the SINDO program. In BzCl, the simulated ones showed the considerably good agreement and its dependence on functionals and basis sets was so small that this application was predicted to be sufficiently valid even in various general DFT levels. Among them, the most reproducible functional was a relatively early-developed B3LYP, which has better accuracy in the estimation of anharmonic potential than the more recently developed functionals including dispersion terms and long-range corrections. On the other hand, BzOH exhibited the disaccord simulation and its large dependence on calculation levels, suggesting that, for flexible molecules having shallow potential and strong anharmonic coupling with other low frequency modes such as BzOH, the spectral reproduction at any DFT calculation level was not sufficient because of very difficult estimation of the potential energy surface.
Key words: infrared spectrum, supersonic jet method, anharmonic vibrational analysis, quantum chemical
calculation
1)福岡大学理学部化学科,
Department of Chemistry, Faculty of Science, Fukuoka University, Fukuoka 814-0180, Japan Corresponding author: Y. Yamada, [email protected]
山田 勇治
1)・山口 修平
1)・酒井 みきな
1)・仁部 芳則
1)Yuji Y
amada1), Shuhei Y
amaguchi1), Mikina S
akai1), and Yoshinori N
ibu1)Infrared Measurement and Anharmonic Vibrational Analysis of
Supersonic Jet-cooled Isolated Gas-phase Benzyl Derivatives
ジェット冷却された孤立気相ベンジル誘導体の赤外スペクトル測定と
非調和振動解析
(令和元年5月 31 日受理)
と振動配置間相互作用(VCI)法[9]を準位間のカッ プリングに適用した振動擬縮退摂動(VQDPT2)法を 実装する SINDO プログラムを近年発表した[10]. 我々は,この新たな SINDO プログラムを超音速 ジェット中に生成した極低温孤立気相分子の配座選択 した赤外スペクトルに適用して,その妥当性や計算コ ストを議論した.超音速ジェット法[11]により極低温 に冷却された分子は,そのほとんどがポテンシャルの 底の振動量子数 v = 0 の準位にトラップされ,摂動の ない尖鋭のバンドをもつ振動スペクトルの測定が可能 であるため,量子化学計算で得られる真空状態に近く, 実測と計算結果の比較がかなり容易であるという長 所を持つ.対象とした系は,Fermi 共鳴による複雑な 振動スペクトルを与えるベンジル誘導体(BzX, C6H5 -CH2-X; X = Cl, OH)の CH2伸縮振動とした.ベンジル 誘導体は比較的柔和な側鎖をもち,その配座に依存し て CH2振動はベンゼン環との超共役の大小が影響を 受ける.その結果,振動バンドシフトや非調和相互作 用に変化を及ぼすと予想される.その局所構造や安定 性は,上述の超共役などの分子内の軌道間相互作用 や分子内・分子間水素結合,分散相互作用などの周 囲の環境によって変化することも興味深い.BzOH は Fig. 1(a)に示すように二つの柔和な2面角に関して 配座異性体が存在し得る.一つはベンゼン環に対して 側鎖が揺れるθと OH 基のねじれφである.室温の溶 液中では熱エネルギーによってこれらの配座間の往き 来が可能だが,超音速ジェット中の極低温気相状態で は,Fig. 1(b)に投影図で示した gauche 体(θ = ~55 degree, φ = ~60 degree)のみが存在することが報告さ れている[13].O 原子回りの超共役による gauche 配座 の安定の他にベンゼン環のπ電子との間で OH- π水 素結合を形成することに起因すると説明される.同様 に BzCl はθ = 90 degree 垂直構造が安定に存在する. これらの分子に対して超音速ジェット法を適用し, 極低温孤立気相状態を生成した.レーザー誘起蛍光 (LIF)法により電子スペクトル,蛍光検出赤外(FDIR) 分光法により赤外スペクトルを測定し,得られた CH 伸縮振動領域のスペクトルに対して,量子化学計算を ベースとした調和振動解析および非調和振動解析の結 間の会合の直接的証拠を与え,かつ,その解析によっ て会合係数の見積もりのほかに,それぞれの分子の電 子構造の変化を可視化する一つのツールともなる. このように局所構造の情報を与える強力なツールで ある赤外分光法では,スペクトルの解釈に振動数解析 という理論的サポートを必要とする場合が多い.近年, 計算マシンのパフォーマンスの向上に伴い量子化学計 算が比較的大きな分子においても可能となり,赤外ス ペクトルと量子化学計算による振動数解析との組み合 わせを用いた水素結合構造や配座構造の決定,分子間 相互作用による電子構造への影響等の報告がなされて いる[3,4]. ほとんどの振動数解析では,振動自由度に対するポ テンシャルを式(1)に示すような調和振動子に近似 する. V(Q)=Σ12 kQi2 (1), ここで,k は力の定数,Qiは基準座標を示す.この 場合,振動シュレディンガー方程式は解析的に解くこ とができ,得られた振動数に経験的ファクター(Scaling Factor; SF)をかけて実測のバンド位置を再現する手 法がとられる.対して実際のポテンシャルは非調和性 を含み,高次項の存在のために解析的に解けず,圧倒 的に計算コストが増してしまう理由から,調和振動子 近似が採用されている.しかしながら,各振動モード は異なる力場を有するはずであり,単一の SF で補正 をかけることによってすべてのバンドに関する非調和 性に由来するバンド位置のずれを補正できないであろ う.また,バンド位置だけではなく,非調和性によっ て基本音(v = 0→1の遷移)以外の振動準位への赤 外吸収が許容となる現象も問題となる.最も有名な 例として,ベンゼンの CH 伸縮振動が挙げられる.本 来,”D6h” の高い対称性のためにモード 20 の1本の赤 外ピークのみが現れるはずだが,非調和相互作用に よって Fermi polyad structure と呼ばれる環骨格の低振 動数モードの結合音からなる3本のバンドが観測され る[5].このような Fermi 共鳴が存在する系に対して, 調和振動子近似は不十分であり,バンドの帰属を誤り, 構造や電子状態に関する情報をミスリードする可能性 がある. この問題解決のためには,多少の計算コストの犠牲 を払い正確に非調和な振動シュレディンガー方程式を 解く非調和振動解析が必須である.非調和振動解析用 のプログラムは,一般的な量子化学計算プログラムで ある Gaussian[6]や GAMESS[7]等にも用意されてい るが,そのほとんどが Barone[8]によるコード化され た2次の振動摂動(VPT2)法に基づいている.一方, Yagi らは非調和ポテンシャル計算の並列化や VPT2 法
Fig.1 (a) Two flexible dihedral angles of BzOH,
(b) Newman projection along CO axis of gauche conformer of BzOH.
管(Hamamatsu Photonics, R-928)で電流に変換され, プレアンプ(NF Electronic Instruments, BX-31A)で信 号を増幅し,Gated Boxcar (SRS, SR-250/280)によっ て積算を行った後,オシロスコープ(Tektronix, DPO 3014)及びデータロガー(Graphtec, DQ2000)によっ てスペクトル化を行った.
3
.計算手法
基本となる量子化学計算は既出の論文等[15]で詳し く述べられ,一方,SINDO については Yagi らの論文[16] に詳細があることから,以下に簡潔にまとめる.なお, すべての計算は,九州大学情報基盤センター研究用計 算機システム ITO サーバー上で行った. 3.1. 量子化学計算 全ての量子化学計算は Gaussian09 及び 16 プログラ ム[6]を利用し,様々な汎関数を含む密度汎関数(DFT) 法及び2次 Møller–Plesset 摂動(MP2)法[17]で構造 最適化,それに付随する調和振動解析を行った.DFT 計算に関して汎関数依存性を調べるために,最も有 名な Becke の3prameter 交換汎関数を内包する hybrid法である B3LYP[18]やその長距離補正した Handy ら
の CAM-B3LYP[19],Truhlar らの hybrid meta functional
で あ る m06-2x[20],Head-Gordon ら の 経 験 的 分 散 補 正項を含んだω B97x-D[20]の4つの汎関数で計算し た.同様に,基底関数依存性のために,Pople 型の 6-311++G(d,p), 6-311++G(3df,2pd) と Dunning[22] の correlation consistent 基底関数である cc-pVTZ 及び 分散関数を含んだ aug-cc-pVTZ を試行した.上述の調 和振動解析の際に使用する SF は,0.96263 (B3LYP), 0.95359 (CAM-B3LYP), 0.95314 (M06-2x), 0.95366 (ω B97x-D)を用いた.これらの値は,以前のベンジル メチルエーテルの CH2伸縮振動の計算スペクトルが 実測を再現するように選んだ値を今回も使用した. 3.2.SINDO プログラム SINDO の実行には大きく分けて3段階の過程が必要 である.一段階目では,ポテンシャルエネルギー曲面 (potential energy surface; PES)の4次のテーラー展開項 (VQFF(Q), Quartic Force Field)までを求める.この時,
式(2)のように Carter ら[23,24]により提案された n モー
ド結合表示(n-mode coupling representation : n MR)で 展開し,n 体項で打ち切る. 果とを比較し,SINDO プログラムの妥当性及び計算 レベル依存性について議論した.
2.実験手法
実験装置の詳細は我々の以前の論文等[14]で述べて いるので,以下に簡潔にまとめる. 2.1. 超音速ジェット法 試料蒸気を背圧約3atm の He 気体と共にオリフィ ス径 0.8 mm のパルスバルブ(Parker Hannifin, General valve, series 9)を通じ,真空チャンバー中に噴出し, ノズル出口から 15 mm 下流の位置でレーザー光を照 射した.この程度の距離では,断熱膨張による冷却 と He 気体との衝突が十分に起こり,ほぼ等しい並進 エネルギーを持ち分子間の再衝突が排除された極低温 孤立気相状態が達成される.真空チャンバーはロー タリーポンプ(Alcatel, T2033SD)で補助引きされた 油拡散ポンプ(ULVAC, ULK-06)により,ノズル未 動作時で 3.0 x 10-3 Pa に真空を保持した.ノズルの開 閉のパルス間隔は約 150 μs 程度でパルスドライバー (Parker Hannifin, IOTA ONE)で制御した.BzCl (Wako Pure Chemical Ind., Ltd, 99%) と BzOH (Nakarai Chemicals, Ltd., 99%)のサンプルは,再精製 を行わず使用し,サンプルホルダーは試料蒸気圧の向 上を狙い,ヒーターで約 320 K に加熱した. 2.2. 波長可変紫外及び赤外レーザー 波 長 可 変 紫 外 光 は,Nd:YAG レ ー ザ ー(Spectra Physics, INDI-40)の3倍波で励起された色素レーザー (Sirah, CSTR-G)の2倍波から得られた.この UV 光 は 800 mm の焦点を持つ石英レンズによって集光さ れ,真空チャンバー内の超音速ジェットに照射された. 波長可変赤外光は,Nd:YAG レーザー (Spectra Physics, GCR-130)の2倍波励起の色素レーザー(LAS, LDL-205)の出力と元のレーザーの基本波(1064 nm)との LiNbO3結晶内での混合差周波発生(Inrad, Autotracker
III)から得られた.FDIR 測定において,この IR パル スは焦点距離 250 mm の CaF2レンズで集光し,UV パ ルスに対向して入射した.両者のタイミングはデジタ ル遅延発生器(SRS, DG-535)で制御し,10 Hz で動 作し約 50 ns 前に IR が入射する設定にした. 2.3. 信号検出部 ジェット中の分子に UV 光を照射し,光吸収後の 輻射緩和の際に放出される蛍光をモニターしながら, 波長を掃引することで,S1-S0電子スペクトルに相当 する LIF スペクトルを測定した.蛍光は光電子増倍
ク対角化を行った.P 空間の構成配置は,ターゲット 配置(基本音)から振動量子数変化(λ ttʼ)が k 以下 となる VSCF 配置の集合の中から擬縮退しているもの を選択し(Ngen = 1),さらにそれと擬縮退する配置を それぞれ探索する.この操作を Ngen回繰り返す.ここ での k と Ngenはパラメータとして,計算マシンコスト と相談して決定する.スペクトルシミュレーションに おけるこれらのパラメータ依存性に関しては議論の余 地があるが,k = 4-6, Ngen = 2の結果を本論文では紹介 する.
4.結果
4.1. 量子化学計算による構造最適化 実験結果を述べる前に,今回対象とした分子の構 造最適化の結果を述べる.BzCl は全ての計算レベ ルにおいて,図 1 のθ = 90 degree の垂直構造のみが minimum として得られた.一方,BzOH には2種類の 構造異性体が安定構造として計算された.一つは過去 に報告された gauche 体であり,全ての計算レベルに おいて最安定構造であり,それより約 1.0 kcal/mol 程 不安定な構造として trans 体が得られた.両者の最適 化構造における2面角と相対エネルギーの計算結果 を Table1 にまとめた.相対エネルギーに関して M06-2x の結果が基底関数に大きく依存し,他のレベルに 比べて小さな ΔE を出す傾向がある.かつ,θの値が ~33 degree と小さく,マイクロ波の実験結果[25]であ るθ = ~55 degree とかなり異なる値を与える.M06-2x VQFF =Σ i cii Qi2 +Σi ciii Qi3 +Σi ciiii Qi4 (1MR)+Σij cij Qi Qj +Σi ciij Qi2 Qj +Σi ciijj Qi2 Qj2 +Σi ciiij Qi3 Qj
(2MR)
+Σijk cijk Qi Qj Qk +Σijkk cijkk Qi Qj Qk2 (3MR)
+Σijkl cijkl Qi Qj Qk Ql (4MR). (2) 第一項のみに近似したものが式(1)の調和振動子 近似である.本研究では,対象分子のサイズから3体 項までに制限した.QFF を求めるには,Gaussian で構 造最適化した構造を基準座標に沿って前後に動かし, その1点計算の調和振動解析によって Hessian 行列を 求め,式(2)中の係数 cijklが得られる. 次のステップでは,得られた VQFF(Q)を含む振 動シュレディンガー方程式を自己無撞着場(VSCF) で解き,零点振動が最小になるように振動波動関数 の改良を行う.この際,低振動モードの存在による VSCF の収束を阻害する場合があり,そのような振動 モードはこれ以降除外して計算を進める.本研究では -CH2-X の側鎖がベンゼン環に対して揺れるモードを 除外した. 最後に,赤外スペクトルの simulation を行うが,吸 収強度の出力には1次元の基準座標についてのみ Grid で PES を計算し,双極子のデータから求める.本報 告では,最適化構造から 3N-6 次元に前後方向5点ず つ動かし,エネルギー一点計算を行い,PES を得た. この双極子のデータと VQFF(Q)を基に VQDPT2 法 を行う.相互作用の大きい縮退した準位間(P 空間) は VCI で,弱い準位間(Q 空間)は VPT2 法でブロッ
Page 6
Table 1. Dihedral angles of side chain (
θ
) and OH torsion (
φ
) of the optimized geometries and relative energies
(
∆
E) to global minimum in kcal/mol calculated with various functionals and basis sets.
gauche
trans
functional
basis set
∆
E
θ
φ
∆
E
θ
φ
B3LYP
6-311++G(d,p)
0.0
50.3
55.8
0.93
21.1
169.7
6-311++G(3df,2pd)
0.0
54.1
54.3
0.82
9.1
176.3
cc-pVTZ
0.0
36.6
58.2
0.90
0.0
180.0
aug-cc-pVTZ
0.0
55.7
54.6
0.81
12.7
175.8
cam-B3LYP
6-311++G(d,p)
0.0
43.1
57.3
0.74
13.1
171.9
6-311++G(3df,2pd)
0.0
43.3
56.6
0.63
0.1
179.9
cc-pVTZ
0.0
32.5
59.2
0.78
0.0
180.0
aug-cc-pVTZ
0.0
44.9
56.5
0.62
0.0
180.0
M06-2X
6-311++G(d,p)
0.0
35.4
55.9
0.86
8.6
174.3
6-311++G(3df,2pd)
0.0
33.4
55.8
0.55
4.1
177.1
cc-pVTZ
0.0
33.4
55.8
0.71
0.3
179.3
aug-cc-pVTZ
0.0
33.9
55.6
0.49
0.0
180.0
ωB97x-D
6-311++G(d,p)
0.0
44.7
55.3
1.05
12.0
171.6
6-311++G(3df,2pd)
0.0
45.9
54.2
0.94
7.9
177.5
cc-pVTZ
0.0
30.1
58.5
1.14
8.5
176.3
aug-cc-pVTZ
0.0
46.0
54.5
0.96
8.5
177.6
= 4-6, N
gen= 2 の結果を本論文では紹介する.
4. 結果
4.1. 量子化学計算による構造最適化
実験結果を述べる前に,今回対象とした
分子の構造最適化の結果を述べる.
BzCl
は全ての計算レベルにおいて,図
1 の
=
90 degree の垂直構造のみが minimum とし
て得られた.一方,
BzOH には 2 種類の構
造異性体が安定構造として計算された.一
つは過去に報告された
gauche 体であり,全
ての計算レベルにおいて最安定構造であり,
それより約
1.0 kcal/mol 程不安定な構造と
して
trans 体が得られた.両者の最適化構
造における
2 面角と相対エネルギーの計算
結果を
Table1 にまとめた.相対エネルギー
に関して
M06-2x の結果が基底関数に大き
く依存し,他のレベルに比べて小さな
E
を 出 す 傾 向 が あ る . か つ ,
の 値 が
~33
degree と小さく,マイクロ波の実験結果
[25]である
= ~55 degree とかなり異なる値を
与える.
M06-2x functional は水素結合より
も分散力を大きく見積もる傾向があり,そ
の結果として分子内
OH-水素結合を小さ
く見積もったためであると予想される.ま
た,分散関数が含まれていない
cc-pVTZ 基
底関数においても
の値が小さく,このよ
うな柔和な分子の配座計算には不向きな基
底関数であることが分かった.
最後に,今回求められた
trans 体(平面
trans)の他の異性体として期待された
=
~90 degree の垂直構造は安定に存在せず,
そのような構造から最適化を行った場合,
全ての計算レベルにおいて,平面
trans 構
造に緩和,または,計算途中で鞍点に収束
した.
4.2. BzCl と BzOH の電子スペクトル
Fig. 2 に BzCl (a)と BzOH (b)の LIF スペク
トルの結果を示す.
BzCl は低い蛍光量子効
率
[26]のために
S/N 比は悪いが,37124 cm
-1の
origin バンド及び+542 cm
-1の位置に振電
バ ン ド
6b
10が 観 測 さ れ た . こ の 結 果 は
Matsumoto らによる質量選別共鳴多光子イ
オン化スペクトルとほぼ同様であった
[27].
一方,
BzOH では,Miller ら
[28]が報告した
振動数とほぼ同じ位置に比較的弱い
origin
バンドが現れ,対して
+532 cm
-1の
6b
10のバ
ンド強度はかなり大きい.これらは,一置
換ベンゼン誘導体に特有の振電相互作用に
よる
intensity borrowing と説明される
[29].次
の節で述べるように,電子スペクトルに現
れているバンドに
UV 波長を固定し,その
蛍光強度をモニターしながら赤外光を波長
掃引した結果,すべてのバンドに対して同
じ
FDIR スペクトルが観測されたことから,
この
LIF スペクトルを与える分子種は 1 種
類のみで,異性体が存在しないことがわか
った.特に,
BzOH の可能な配座異性体で
ある
trans 体は観測されないことが明らか
Table 1. Dihedral angles of side chain (θ) and OH torsion (φ) of the optimized geometries and relative energies (ΔE) of BzOH to global
クトルが観測された.このことから,LIF スペクトル を与える分子種は1種類のみで,異性体が存在しない ことがわかった.特に,BzOH の可能な配座異性体で ある trans 体は観測されないことが明らかとなった. 次節に述べる FDIR スペクトルは,それぞれ分子にお ける最も強い電子遷移を検出しながら赤外測定を行っ た結果である. 4.3.FDIR スペクトル及び調和振動解析 Fig. 3 に BzCl の FDIR 法により得られた実測の赤外 スペクトル(a)と各 functional による調和振動解析 のシミュレーション結果(b)を示す.基底関数は全 て 6-311++G(d,p)で統一した.スティックは,赤外 遷移の振動数位置とその吸収強度を示す.BzCl には 5つのベンゼン環の CH 基と2つのメチレン基由来の CH 基があるため,合計7つの CH 伸縮振動基本音が 現れると予想される.計算結果における低波数側の2 つのバンド(2970, 3030 cm-1)はメチレン基の対称及 び反対称 CH2伸縮振動に対応し,残り5つはベンゼ ン環の5つの基準振動であった.これらの振動数とそ の強度は,計算レベルにそれほど依存せず,似たよう な様相を示す.しかしながら,実測のスペクトルでは, 2900 cm-1のかなり低い領域に弱いバンドが観測され, さらに計算結果にはない領域である 3009 cm-1にも バンドが現れている.また,3040 cm-1付近の多数の バンドが重なった幅広いバンドは,計算結果の 3060 cm-1付近の強いバンドだけでは再現が出来ていない.
次に,Fig. 4 に BzOH の実測の FDIR スペクトル(a) と各 functional による調和振動解析のシミュレーショ ン結果(b)を示す.BzOH も同様に7つの CH 伸縮 振動バンドが現れると予想され,2880 cm-1の CH 2対 称伸縮振動と 2950 cm-1 付近の反対称伸縮振動,3000-3100 cm-1領域の5つのベンゼン環 CH 伸縮モードが functional は水素結合よりも分散力を大きく見積もる 傾向があり,その結果として分子内 OH- π水素結合 を小さく見積もったためであると予想される.また, 分散関数が含まれていない cc-pVTZ 基底関数におい てもθの値が小さく,このような柔和な分子の配座計 算には不向きな基底関数であることが分かった. 最後に,今回求められた trans 体(平面 trans)の他 の異性体として期待されたθ = ~90 degree の垂直構造 は安定に存在せず,そのような構造から最適化を行っ た場合,全ての計算レベルにおいて,平面 trans 構造 に緩和,または,計算途中で鞍点に収束した. 4.2.BzCl と BzOH の電子スペクトル
Fig. 2 に BzCl (a)と BzOH (b)の LIF スペクトル
の結果を示す.BzCl は低い蛍光量子効率[26]のために S/N 比は悪いが,37124 cm-1の origin バンド及び +542 cm-1の位置に振電バンド 6b1 0が観測された.この結果 は Matsumoto らによる質量選別共鳴多光子イオン化 スペクトルとほぼ同様であった[27].一方,BzOH で は,Miller ら[28]が報告した振動数とほぼ同じ位置に 比較的弱い origin バンドが現れ,対して +532 cm-1の 6b1 0のバンド強度はかなり大きい.これらは,一置換 ベンゼン誘導体に特有の振電相互作用による intensity borrowing と説明される[29].次の節で述べるように, 電子スペクトルに現れているバンドに UV 波長を固定 し,その蛍光強度をモニターしながら赤外光を波長掃 引した結果,すべてのバンドに対して同じ FDIR スペ
fig.2 LIF spectra of (a) BzCl and (b) BzOH. The inserted values
in the figure indicate each origin band position and the shift of vibronic band relative to the origin band.
fig.3 (a) FDIR spectrum of BzOH and (b) IR spectral simulation
with harmonic vibrational analysis using various functionals with the basis set of 6-311++G(d,p).
次に他の非調和振動解析法と比較のために,Fig. 5(d)に BzCl の Gaussian 09 プログラムに実装され ている非調和振動解析(VPT2 法)によるシミュレー ション結果を示す.Gaussian においては,k や Ngenと いったパラメータは無く,計算手法を VPT2 以外に するかどうか程度であり,今回はデフォルトで行っ た.振動数とその強度はスティックの位置と高さで示 され,3000 cm-1付近に基本音に由来するバンドが集 中している結果が得られた.その他の領域の弱いバン ドは第1倍音(vi” = 2)がわずかであり,他方,2つ のモードが一量子ずつ励起した準位{(1+1ʼ)結合音 ; i.e. (vi”, vj”) = (1, 1)}がほとんどを占める.SINDO に比べるとかなり実測値から外れた結果を示してお り,Gaussian 09 での出力が基本音,第1倍音,そし て(1 + 1ʼ)結合音のみの k = 3, Ngen = 1 に相当する狭 いカップリング空間に限って計算している弊害と考え られる.また,Gaussian 09 では,VSCF による振動波 動関数の改良のステップが省略されている点,さら に VPT2 法だけではエネルギー縮退した準位間の計算 は,そのエネルギー分裂を過大評価する点[16]などか ら,これらの違いがあり,一般的なプログラムの非調 和振動解析は不十分であることが分かった. 全ての計算結果において,同様の吸収強度で現れてい る.その中で M06-2x の計算結果が他より高波数側に 現れているのは,先述した最適化構造の違いに素因す ると考えられる.一方,実測の赤外スペクトルでは, 2885 cm-1の強いバンドは計算結果とよく一致する が,2920-2960 cm-1にわたり3本のバンドが観測され, CH2反対称伸縮振動の1本のみに対応しない.このよ うに,両分子とも CH 伸縮振動領域において単純な調 和振動子近似による基本音のみでのシミュレーショで は不十分であることが明らかになった. 4.4.SINDO による非調和振動解析 非調和振動解析によるスペクトルシミュレーション 結果を Fig. 5 に示す.比較のため,Fig. 3(a)の BzCl の FDIR スペクトルも載せる.シミュレーションでは,
P 空間作成のためのパラメータを k = 4, Ngen = 2 と規定
したが,この値を変化させても結果は大きく変わらな いことを確認した.Fig. 5(b)は functional を B3LYP に固定し,基底関数依存性を調べ,一方,(c)では基 底関数を 6-311++G(d,p)に固定して様々な functional で試した結果である.まず,B3LYP/6-311++G(d,p) レ ベ ル は 2860 cm-1に 小 さ な バ ン ド を 示 し, か つ, 2976 cm-1の強いバンド,3008 cm-1の調和振動子近似 ではまったく現れなかったバンド,そして,3035 cm-1 の肩があるバンドの形状も非常によく実測を再現して いる.また,他の基底関数を用いた場合でも大きな変 化がなく,相似性は十分であることが分かった.ただ し,汎関数を変えた場合には,最も主要な二つのバン ドである 2960, 3042 cm-1に対応する2本のバンドが汎 関数に依存して,シフトまたは分裂する結果が得られ, 2000 年代以降に開発された比較的新しい functional の 方が非調和振動解析には不向きであることが示唆され た.
fig.5 (a) FDIR spectrum of BzCl (identical with Fig. 3(a)), (b) IR
spectral simulation with SINDO using B3LYP functional with various basis sets, and using (c) various functionals with the basis set of 6-311++G(d,p). SINDO was carried out by setting the parameters k = 4 and Ngen = 2. (d) IR spectral simulation with anharmonic vibrational analysis implemented in Gaussian 09 program.
fig.4 (a) FDIR spectrum of BzCl and (b) IR spectral simulation
with harmonic vibrational analysis using various functionals with the basis set of 6-311++G(d,p).
の Medvedev らの Science での報告[31]では 2000 年代 前半に開発された functional が最も電子密度を正しく 再現し,それ以降の最新の functional はエネルギーの 最小化にのみ注意をはらい,密度汎関数の「正しい 電子密度がエネルギーに対する厳密の functional であ る」という本義から外れているとの意見を述べてい る.すなわち,我々の結果は,B3LYP 等の traditional functional への回帰というこれらの意見に新たな実験 的な証拠を与える可能性を有している. 次に,BzCl と BzOH との間のスペクトルシミュレー ション結果の違いについて考察する.上記の結果よ り,非調和性に由来する複雑なスペクトルの再現が SINDO プログラムによって可能となったにも関わら ず,BzOH への適用は不十分であり,一方,非常に類 似した BzCl 分子においては実験結果を非常によく再 現していることが分かった.この両者における異なる 状況を与える原因を側鎖のベンゼン環平面に対する2 面角に対するポテンシャル曲線を基に議論する.この 理由は,ベンゼン環のπ軌道と隣接した CH2基は超 共役[32]により相互作用する.この相互作用は,π→ σ *CHまたはπ * ←σCHの電子移動を誘起し,CH 結 合の弱化を起こす.超共役が軌道間の重なり(正確に は Fock 行列の非対角項 ij[33])に依存するため,2 面角の変化は CH 結合強度に大きな影響を与え,その 影響はすなわち2面角の振動モードと CH 伸縮振動と の非調和カップリングの形で振動スペクトルに現れて 来るであろう. Fig. 7 に BzCl と BzOH の側鎖2面角(θ)を横軸 にとったポテンシャルエネルギー曲線を示す.BzCl においては,90 degree の位置に minimum が存在し, そのエネルギー障壁は約 730 cm-1とかなり高く,比較 的剛直なポテンシャルである.なお,Sadova らのマ BzCl において非常に良い再現性を示す SINDO の結 果が得られた一方で,BzOH におけるシミュレーショ ン結果は実測と全く異なり,かつ著しい functional 及び 基底関数依存性を示す(Fig. 6).2920-2960 cm-1にわた る3本に分裂した CH2反対称伸縮振動は,ω B97x-D で現れる程度で,他のどのレベルにおいても再現出来 ていない.すなわち,非調和振動解析においてもその 精度は分子に依存し,さらに比較的再現が良い系にお いては,ある程度の精度を有する汎関数・基底関数の 違いはそのシミュレーションの結果に大きく反映しな いことが分かった.
5.考察
我々の BzCl に対する SINDO プログラムでのスペ クトルシミュレーションの functional 依存性の結果か ら,比較的新しい functional の方が非調和振動解析 には不向きであることが示唆された.この traditional functional の代表である B3LYP の優位性は,以前か ら言及されてきた.例えば,Barone[30]は VPT2 法 による非調和振動解析においても B3LYP が比較的 良い結果を示すことを報告していた.さらに,最近fig.6 (a) FDIR spectrum of BzOH (identical with Fig. 4(a)), (b) IR
spectral simulation with SINDO using B3LYP functional with various basis sets, and using (c) various functionals with the basis set of 6-311++G(d,p). SINDO was carried out by setting the parameters k = 6 and Ngen = 2.
fig.7 Calculated potential energy curves of BzCl (filled circle)
and BzOH (open circle) in cm-1 as a function of the torsional dihedral angle of side chain relative to benzene plane. This calculation was performed by energy-optimizing the molecular geometry parameters other than the fixed dihedral angle.
と結論される. 二つの2面角に関してカップリングが大きい場合, Fig. 7 のような1次元ポテンシャル曲線の表記は十 分ではなく,より多次元での解析が必要だと考えら れ,少なくともφに関する2次元のポテンシャル曲面 (PES)で議論しなければならない.そこで,二つの2 面角(θ , φ)を固定しながら,他の構造パラメータ をエネルギー最適化して得られた2次元 PES を Fig. 8 に等高線図として示す.この時,これまで使用してき た DFT 計算の B3LYP functional の結果(a)とエネル ギーの見積もりに関して精度が高いことで知られて いる分子軌道法の一つである MP2 法(b)の結果を並 べて載せた.図中の点破線は minimum の位置を示し, それぞれ,(θ , φ) = (50.3, 55.8)と(52.8, 58.3)に 対応する.両者の値からも,計算レベルの違いがわず かな平衡構造の違いを生じ,さらに振動ポテンシャル に異なる影響を与えることが容易に想像つく.なお, マイクロ波の研究[30]からθ = 55 degree と得られてお り,B3LYP の値は,実測から大きくずれ,DFT 計算 による最適化構造の不十分さがはっきりと見られる. 加えて,(~130, ~55)周辺にも二つ目の minimum が 見られ,その間の最小エネルギー経路は太い破曲線で 示されている.この経路に従ってエネルギーをプロッ トすることで Fig. 7 の1次元ポテンシャルエネルギー 曲線が得られる.この破曲線が示すように,非常に複 雑な経路であり,θ , φに関する2面角の基準座標が イクロ波の研究[25]から障壁が 740 cm-1と報告され, かなり計算値に近いことがわかる.他方,BzOH にお いて 0, 180 degree における障壁は 340 cm-1と半分程度 に低く,かつ minimum が +55, -55 degree の2か所に 存在する double minimum なポテンシャルを示す.過 去の Im ら[34]の実測におけるエネルギー障壁の高さ は 140 cm-1と見積もられていたが,彼らの見積もりに は single minimum のポテンシャルを仮定して実験結果 を解釈しようとしたため,過小評価された結果を与え ている.上述したように,BzOH は gauche 配座の OH 基が OH- π水素結合を形成し,double minimum のポ テンシャルを与える.この minimum 間の障壁が Im ら
の求めた値に対応し,我々の計算結果である 152 cm-1
とも合致する.
このように,BzOH にはθに関して double minimum が存在し,かつ,そのθの変化に対応して OH 基の ねじれ2面角も同様に変化し,鏡像関係でいること が予想される.すなわち,θ = +55 degree であれば, φ = +60 degree 程度の gauche 体,対してθ = 180 – 55 = +125 degree であれば,φ = -60 degree 程度の anti-gauche 配座をとる.すなわち,BzOH における非調和 振動解析の不十分さは,このような浅くかつ他の振動 座標とのカップリングが大きいことに起因すると考え られる.加えて,SINDO プログラムの欠陥ではなく, このような複雑なポテンシャルの正確な見積もりが今 回試行した DFT 計算レベルの精度では至らなかった
fig.8 Calculated two-dimensional potential energy contours of BzOH in cm-1 as functions of the torsional dihedral angle of side chain relative
to benzene plane and the OH torsional dihedral angle by using (a) the DFT calculation with B3LYP functional and (b) the MP2 molecular orbital method with the basis sets of 6-311++G(d,p). The inserted broken curves indicate minimum energy paths between two equivalent minima which provide the identical potential curve to Fig. 7. The dotted-broken lines were inserted to denote the position of minimum.
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6.結論
比較的単純なベンジル誘導体であるベンジルクロラ イド(BzCl),及びベンジルアルコール(BzOH)の 極低温孤立気相状態の赤外スペクトルの測定を行っ た.得られた CH 伸縮振動領域のスペクトルには,調 和振動子近似では観測されない基本音以外のバンドが 観測された.特にメチレン基の CH2伸縮振動バンド に関する DFT 計算結果では,functional には依存せず, ほとんど同じ強度比を持つ2本のバンドを予想した が,実測のスペクトルでは3本以上のバンドが確認さ れた.従って,基本音以外の倍音または結合音が非調 和相互作用によって現れたと結論した. さ ら に, こ れ ら の 非 調 和 性 を 考 慮 す る た め に, SINDO プログラムを用いた非調和振動解析によるス ペクトルシミュレーションを行った.BzCl において は実測を良く再現し,かつ,様々な計算レベルで試し た結果において,その依存性はそれほど大きくはなく, 一般的な DFT 計算でも非調和振動解析は十分な精度 で行えることが分かった.その中でも最も再現性がよ い functional は比較的古く開発された B3LYP であり, より最近開発された分散力や長距離補正項を含むもの よりも非調和ポテンシャルの見積もりにおいて良い精 度を有することが分かった.一方で,BzOH のような 緩く他の低振動モードとカップルしている分子におい ては,そのポテンシャルの計算が非常に困難であるた めに,どの DFT 計算レベルにおいてもスペクトルの 再現は十分ではなかった.参考文献
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