第
2
講 ニュートリノの性質
2.1
3種類のニュートリノ
電子 (e−)、ミューオン (µ−)、タウレプトン (τ−)の3種の荷電レプトンは、質量を除けば全く同じ性質を持って いる。種々の反応率なども質量値を置き換えるだけで正確に再現できる。この3つのレプトンを区別する性質は 全くない。にもかかわらず付随するニュートリノとともに固有の量子数 (レプトンの香りといい、(νe, e−)は e-数、 (νµ, µ−)は µ-数、(ντ,τ−)は、τ-数と名付ける) を持っており、互いに混じることはない (香りの保存)。弱い相互作 用には、左巻きの粒子がペア (2重項) で関与する。弱い力は、2種類の”弱 (電) 荷”により生じると言い換えても よい (SU(2) 対称性)。電磁相互作用の力の伝達子は一種類のフォトンのみであるのに反し、弱い相互作用では3種 の伝達粒子 (W+, Z0,W−)があるのはこの理由による。ただし、右巻きの粒子は弱荷を持たず弱い相互作用に関与 しない* 1) 。弱い相互作用の仕方により、レプトンを分類すると以下のようになる。 レプトン [ νe e− ] L [ νµ µ− ] L [ ντ τ− ] L , eR, µR,τR (2.1a) 同じ電荷を持つならば、電磁力の強さが物質の種類によらず全て同じであるのと同じように、弱い力の強さもま た物質の種類に依らず (普遍相互作用)、力の示す性質もよく似ている。実際、電磁力と弱い力は力の源の電(弱) 荷の数が違うだけで、共にゲージ理論という数学的な枠組みに従う* 2) 。2重項が、W ボソンを放出もしくは吸収 することによって弱い力を伝える時は、電荷が変わるので粒子種も変化する。しかし変わる相手は必ず2重項の パートナーである。Z ボソンの吸収放出の場合は、電荷はそのままであり変身はしない。 レプトン数保存則 クォークやレプトンはスピンが 1/2 のフェルミオンであり、粒子と反粒子で数の数え方が 違う。あらゆる反応で、クォーク数とレプトン数 (粒子数-反粒子数) は保存することが知られている。例えば次の ベータ崩壊とミューオン崩壊で眺めてみれば、香りも含めて全て保存していることが判ろう。 ベータ崩壊 d → u + e− + νe¯ クォーク数 1 1 0 0 レプトン数 0 0 1 − 1 ミューオン崩壊 µ− → e− + νe¯ + νµ レプトン数 1 1 − 1 1 µ数 1 0 0 1 e数 0 1 − 1 0 歴史的経緯 ニュートリノの種類は、歴史的には最初はベータ崩壊に関与するニュートリノのみが知られてい たが、ミューオン崩壊での電子スペクトルが連続分布することから、2個のニュートリノが放出されることが判 り、これが第2のニュートリノの存在を示唆するはじめの徴候であった。 µ−→ e−+ ¯νe+νµ (2.2) * 1) 中性のゲージボソンは、一部フォトンと混合しているので、右巻き成分にも結合する。 * 2) 強い相互作用は3種の色荷により生じ、SU(3) 対称性に従うゲージ理論である。ここで、もし二つのニュートリノが同種ならば、このニュートリノはミューオンにも電子にも結合するわけであるから、 図 2.1 の様な過程により、µ→ eγ崩壊反応が存在しなければならないが、この反応は現在に至るまで観測されていない。 図 2.1: µ→ eγ反応。ミューオン に結合するニュートリノと電子に 結合するニュートリノが同一粒子 であれば、この過程が存在する。 µ→ e +γ 分岐比 < 1.2× 10−11 (2.3) しかし、νe,νµであるならばこの過程は存在しないことが説明できる。こ の仮説は、πメソンからの崩壊ニュートリノを使って、物質と反応させ、電 子が生成されるか、ミューオンが生成されるかを見れば検証できる。πメソ ンは π+→ µ++νµ によりミューオンとニュートリノに崩壊するが (図 2.2(b))、このニュートリ ノは定義によりνµである。これがベータ崩壊からのニュートリノ (νe)(図 2.2(a)図では反電子ニュートリノ) と違うならば、電子ニュートリノは電子 のみを生成し、ミューニュートリノはミューオンのみを生成するはずである (図 2.2(c)(d))。実験的にまさにそうなっていることが、レーダーマン・シュ タインバーガー・シュワルツ等により 1962 年に確かめられた。 図 2.2: (a) ベータ崩壊、d クォークは原子核の中の中性子の中にいる。(b) パイオン崩壊。π+は u クォークと反 d クォークの複合体であり、合体して消えると共に仮想的に W+に変わり、さらに µ+νµの対に崩壊する。(c)(d)(e) はνe,νµ,ντを物質 (クォーク) と反応させたとき対応するレプトンを生成する。また生成レプトン種を見れば入射 ニュートリノの種類が判明する。 タウレプトンは、 e−+ e+→τ−+τ+ (2.4a) τ→ e + ¯νe+ντ µ + ¯νµ+ντ (2.4b) 反応で発見され、崩壊パターンがミューオンと全く同一であることから、第3番目のニュートリノντが確認さ
れた。ντ,νe(νµ)は、τ→ e(µ) +γがないことから、あるいは、νe(νµ)ビームでタウレプトンが作れないことか ら言える。香りの保存は標準理論では前提として組み入れられている。標準理論の範囲では香りの混合、例えば
µ→ eγ, τ→ µγや e + X→ µ +Y などの異種のレプトンを崩壊生成する過程は観測されていない。ただし、ニュー
ニュートリノは3種類だけか? 標準理論では、ニュートリノは3種類のみである。実験的には次のようにし て確かめられる。電子衝突型加速器で、ゲージボソン Z を作り、次いで崩壊する次の反応を起こす。 e−+ e+→ Z →
∑
i {(qi+ ¯qi) + (ℓ−i + ¯ℓ + i ) + (νi+ ¯νi)} (2.5) 終状態は、Z に結合する粒子対でかつ 2mi≤ mZを充たす全ての粒子種についての和である。従って、トップクォー ク対へは崩壊できない* 3) 。終状態のクォーク対は、ハドロンとして観測される。終状態のニュートリノは直接観 測にはかからない。 図 2.3: e−+ e+→ Z → ハドロンの全断面積。 Nν=3,4,5についての計算値と実験値を比較して いる。 しかし、全崩壊率には関与するので観測可能な過程、例えばハ ドロンへの崩壊率の全崩壊率の中に占める割合(分岐比) BR =Γ(Z→ ハドロン) Γ(Z→ all) (2.6) が変わる。e−と e+2体重心系での全エネルギー E(e−e+) = m z 領域でのハドロンの生成断面積は σ(e−e+→ hadrons) =σ(e−e+→ Z)BR(Z → hadrons) (2.7) であるので、ハドロン生成断面積は、ニュートリノの種類数に より断面積を変える。実験値はトップを除く5種類のクォーク と3種類の荷電レプトン、3種類のニュートリノに崩壊すると 仮定したときの計算にぴったり一致した (図 2.3)。 Nν= 2.994± 0.012 (2.8) mz/2を越える重いニュートリノが存在したとしても、この実験 では検知できないが、非常に軽い3種類のニュートリノがあっ て4番目から突然重くなりシナリオは考え難い。 宇宙論からの制約 宇宙論からニュートリノの種類の如何に関わらず、数に制約を付けることができる。ニュート リノは初期宇宙 (数秒から数分程度) のエネルギー密度に寄与し、余分なニュートリノの存在は宇宙の膨張速度に 影響し、ニュートリノ切り離し時の温度 TDを変え、中性子の存在比率を変えるので結果としてヘリウムの成分比 も変える。ここで問題にしているのは、宇宙のエネルギー密度に対する寄与のみであり、ニュートリノの性質 (左 巻き、Zに結合するなど) は問題にしないので、標準理論以外のニュートリノの存在を検証するのに向いている。 宇宙の中の軽元素存在率は、宇宙膨張速度の他にバリオン重量比ΩB(=ρB/ρc,ρc= 3H02/8πG)の関数であり、宇 宙の軽元素存在率、特に D/H 比はΩBに敏感である。図 2.4 左は、D/H 比の関数としてニュートリノ数に対する 制限の変化や感度を描いた図である。一方、WMAP による宇宙マイクロ波の温度ゆらぎの解析から、ΩBの値が より精密に決まり、Nνによる変化も調べられた。WMAP の温度ゆらぎパワースペクトルのニュートリノ数に対す る感度 (図 2.4 右) は、それほど良くないが、D/H = 2.6± 0.4, Y = 0.238 ± 0.005 に対する制限を組み合わせると、 Nν= 1.7−3.0 (2σ極限) が得られ、通常の3種以外の余分なニュートリノの入る余地はほとんどないことが示され た* 4) 。 * 3) mZ= 91GeV, mtop= 185GeVである。他は mu∼ 3MeV,ms∼ 6MeV,ms∼ 120MeV,mc∼ 1.3GeV,mb∼ 4.2GeV
レプトンは me∼ 0.51MeV,mµ= 105.7MeV, mτ∼ 1777MeV である。
図 2.4: 左図:ニュートリノ数を重水素成分比の関数として表す (G.Steigman; Neutrino06)。D/H と Y(He) の帯は観 測値の 2σ許容範囲を示す。右図:WMAP の背景輻射のパワースペクトルの Nνによる変化。最適値は Nν= 2.75
2.2
ニュートリノの検出
ニュートリノは、強い相互作用と電磁相互作用を持たない唯一の粒子である。弱い相互作用は文字通り物質と弱 くしか反応しないので、検出は困難を極め、予言 (1930) から 30 年近く経過して、ようやくライネス・コーワン らにより検出 (1956) されたのであった。今日、ニュートリノは加速器、原子炉で大量生産され、大気ニュートリ ノや太陽ニュートリノも日常的に観測されているが、ライネス・コーワンの方法は今日でも低エネルギー反電子 ニュートリノ検出に使われる方法であるので、詳しく解説しておこう。検出反応は ¯ νe+ p → (e++W−) + p → e++ n (2.9a) e++ e− → γ+γ n +Cd → Cd∗→ Cd + (3 ∼ 4) ×γ′s (2.9b) 原子炉で作られるニュートリノは正確には反電子ニュートリノであり、レプトン数保存、レプトンの香り保存則を 考慮すると、反ニュートリノが W−ゲージボソンを仮想的に放出して陽電子 e+となり、W−ボソンが陽子 p(実際 は u クォーク) に吸われて、中性子n (d クォーク) になる。陽電子は反電子であるから直ちに物質中の電子と対消 滅して、エネルギー和が 2meとなる2個のガンマ線を放出する。中性子は遅い速度で飛び出て、あちこちふらふ らしながら最後にはカドミウム原子核に吸収され、3-4 個のガンマ線を放出する。この間、10−4秒位の時間が経 過して∼ 1m ほども動く。γ線は物質中の電子を跳ね飛ばしたり (コンプトン散乱)、反跳電子が原子核近傍の強い 電場を通過すると制動放射をおこして、またさらに電子・陽電子対を生成するので、これらの電子が原子を励起 して放出する光をシンチレーションカウンターで検出する。反応時に陽電子が出す信号と中性子捕獲時の遅延同 時計数 (コインシデンス) が望む事象の信号となる。 実験は、米国南カロライナ州にあるサバンナ原子炉の近傍に、図 2.5 のような検出装置を置いた。検出装置は信号 の光を出す塩化カドミウムを含む水の層を液体シンチレーターではさみ、光電子増倍管でシンチレーション光を 検出する。原子炉の 1kW あたり 2× 1014個のニュートリノが放出されると計算され、実際に検出器を置いた場所 では 1013/sec/cm2のフラックスがあると推算された。これは太陽ニュートリノの約 100 倍の強度であるが、何分 にも反応頻度が小さく宇宙線による偽信号 (バックグラウンド) と区別を付けにくい。宇宙線バックグラウウンド は、今日の最新実験でも未だにつきまとうやっかいな問題である。この最初の実験では特に深刻であった。結局、 原子炉運転時とオフの値の差を取り、ようやく平均して 20 分に一回真の反応が起きていること確認した。図 2.5: 始めてのニュートリノ検出 Reines-Cowan(1954):原子炉からの反ニュートリノが、陽子と反応して陽電子 と中性子を作る。陽電子は物質中の電子と対消滅を起こし、2個のγ線を放出する。中性子はカドミウム (Cd) 原 子核に遅れて吸収され、X線を放出する。
2.3
ニュートリノの質量
2.3.1
ベータ崩壊による電子ニュートリノの質量測定
原子核ベータ崩壊を考える。これは原子核内のクォークが d(pd)→ u(pu) + e−(pe) +νe(pν) (2.10) のように変換する過程である。(·) の中は、各粒子の持つエネルギー・運動量を表す。行列要素は Hf i=< f| ZH
(x)d4x|i > = −G√β 2 Zd4xei(pe+pν)x< f|u(x)γµ(1−γ5)d(x)|i > [u(p
e)γµ(1−γ5)v(pν)] (2.11a) Gβ= GFcosθC (2.11b) と書ける。d、u クォークが自由粒子であれば < u| jµ(x)|d >∼ u(pu)γµ(1−γ5)d(pd)e−i(pd−pu)x (2.12) となり、空間積分は通常は運動量保存則を与える。しかし、実際は原子核の中にいる。原子核は非常に重いから、 始状態と終状態でエネルギー差 (=∆E)はあるものの、動かないと見て良い。低エネルギー極限では
u(pu)γµu(pd)→δµ 0, u(pu)γµγ5u(pd)→ (0,σσσ) (2.13a)
である。また、電子とニュートリノの運動量は高々数 MeV/c でドブローイ波長は∼ 1/p ∼ 100 × 10−13m≫ 原子 核サイズ. 10−14mであるから、(pe+ pν)x≪ 1 であるので ei(pe+pν)x≃ 1 として高次の項を無視する。この条件で 許される遷移を許容遷移という。原子核の始状態と終状態ではさんだ期待値の部分を < 1τ+>= Z d3xΦf(x)1τ+Φi(x), <σσστ+>= Z d3xΦf(x)σσστ+Φi(x), (2.14) と書き、第1項をフェルミ遷移、第2項をガモフ・テラー遷移という。τ±は、n を p に変える演算子である。前 者は eνが角運動量ゼロ、後者は角運動量 1 を持ち去る場合で、そのときの原子核遷移は各々∆J = 0, ∆J = 0,±1 でパリティ変化無しと言うことになる。
崩壊率は遷移確率 Hf iを自乗してスピンについて始状態の平均、終状態の和を計算して得られる。結論として、 |Hf i|2部分は電子とニュートリノの運動量を含まず、静的近似で計算した原子核の遷移行列 (2.14) で表される。す なわち、電子とニュートリノのエネルギースペクトルは終状態の位相空間のみで決まる。電子のエネルギー以外 は観測しないとして積分してしまうと、崩壊率は、 dΓ= G 2 β 2π3|
M
| 2F(Z, E)p eEepνEνdEe (2.15a) pνEν= (E0− Ee) √(E0− Ee)2− m2ν, E0= M(Z, A)− M(Z + 1,A) − mν= Ee, max (2.15b)
|
M
|2=| < 1 > |2+|CGT|2| <σσσ>|2 (2.15c) F(Z, E)はクーロン波動関数による補正項で計算可能な量である。 K(E) = [ dΓ/dEe F(Z, E)peEe ]1/2 (2.16) と置くと、mν= 0であれば、K(E)∝E0−Eeと直線になるはずである。これをカーリー・プロットという (図 2.6)。 mν, 0 ならば、終端付近で直線性からのずれとして観測されるはずである。 図 2.6: トリチウムベータ崩壊のスペクトル (下図) と終端部のカーリープロット。mν, 0 ならば、終端点がずれて、 終端で垂直になる (上左)。しかし、実験誤差 (σ)を入れると上右図のような分布となる。 実験的考察 実際の実験データは、理論で予想される値に、実験機器の不完全さに伴う付加的な情報が加わるの で、理論と比較するときは不要な付加情報を解きほぐさねばならない。ベータ崩壊実験で考慮すべき主な付加情 報を三つほど挙げる。 (1)統計量:E0が小さいほど小さな mνの値が測定できるので、通常 E0の最も小さいトリチウム (3H, E0= 18KeV ) が選ばれる。質量値測定に有用な領域は、エネルギーが Ee= E0−∆∼ E0の区間であり、ここの事象の統計を上げ ることが望ましい。全体の位相空間に対する Ee> E0−∆空間の割合を求めてみると ε= RE0 E0−∆E2(E0− E)2dE RE0 0 E2(E0− E)2dE = 10 (∆ E0 )3 (2.17)∆= 1eV とすれば、ε∼ 2 × 10−13となる。mνの精度を上げるに従い急速に効率が落ちることが判る。 図 2.7: 応答関数とその振る舞いの分析 (2) 検出器の解像力は有限であり、エネルギー E’ を 持った電子のエネルギー観測値は、E’ の付近に分布す る。この分布関数を検出器の応答関数といい、例を図 2.7に示す。ROP(E)が、エネルギー E’ の電子の放出す る光量分布で通常正規分布をする。EL(E) は、ベータ電 子放出源の物質中でのエネルギー損失、BS(E) は放出源 支持構造からの後方散乱による。真のスペクトル分布を N(E′)とすれば実際に観測される電子のエネルギースペ クトルは、 N(E)obs= Z
N(E′)R(E, E′)dE′ (2.18) で与えられるので、真のスペクトルの形が崩れる (図 2.6 のカーリープロット図)。 (3) また、トリチウム原子は、電子と原子核のクーロン力による束縛状態であるが、ベータ崩壊電子放出前後で、 束縛状態が変わる。通常は終状態が基底状態におさまるが、中には励起状態に行くものもある。その場合余分の エネルギー∆Vが失われる。従って上のスペクトルは pνEν=
∑
i Pi(E0−∆Vi− Ee) √ (E0−∆Vi− Ee)2− m2ν) (2.19) と変更される。Piは励起状態 i に行く確率である。これは、カーリー・プロットスペクトラムの傾斜を減少させ、 終端で平坦にする効果を持つ。 東大核研の実験* 5) を、図 2.8 に示す。解析用に2重収束の磁石を使う磁石スペクトロメター例。右側の首の所に あるトリチウムアイソトープよりベータ崩壊で放出された電子が、円弧を描いて左側の口にある面に並べた比例 計数箱とシンチレーション・カウンターに捕らえられる。∆p/p = 0.02%(∆E = 8eV )を実現し、磁石の設定を固定 したまま、終端エネルギー E0付近で 1600eV の範囲の粒子を計測した。図の右側にカーリー・プロットを示すが、 mν= 0とする曲線に最も良く適合し、実験誤差を考慮して mν< 13eV と抑えられた。 KATRIN 最近は静電型スペクトロメターを使う実験が主流になりつつあるので、その代表例として、ドイツ・ カールスルーエで現在準備中の KATRIN 実験装置図を、図 2.9 に示す* 6) 。これまでに最良の結果を出したマイ ンツ実験* 7) トロイツク実験* 8) と基本的に同じ構造の装置で、感度は 10 倍以上、mν< 0.23eVを目指す。装置の動作原理 (MAC-EF=Magnetic Adiabatic Collimator with Electrostatic Field) を図 2.10 に示す。二組の超伝導
ソレノイドコイルにより両端で強い磁場 Bsと BD、中央では非常に弱い磁場 Bminを作る。また、円筒系の静電極 を周りに配置して、縦方向 (磁力線方向) に左半分は減速、右半分は加速するようにする。トリチウムアイソトープ は、左端の超伝導ソレノイド磁石の中にある。放出されたベータ崩壊の電子は磁場に捕捉され (捕捉立体角は 2π)、 縦運動量により右方へ移動し、横運動量により磁力線の周りをサイクロトロン運動をする。サイクロトロン運動 による横エネルギーは ET=−µ · B, µ = ET B =一定 (2.20) * 5) Phys. Lett. B187(1987)198-204 * 6) http://www-ik.fzk.de/ katrin/index.html * 7) Phys. Lett. B460 (1999) 219 * 8) Phys. Lett. B460 (1999)227-235
図 2.8: 左側に測定装置、右側にデータのカーリープロットを示す。データは mν= 0とする曲線に最も良く適合し、
mν< 13eV と抑えられた。
図 2.10: KATRIN の測定原理図。 で磁場と共に小さくなる。磁場はゆっくりと変化するので、サイクロトロン運動は断熱的に (粒子の角運動量=磁 気能率 µ が保存したまま) 変化し、横エネルギーが縦方向のエネルギーに変換される。従って、中央付近では (ET)min= µBmin (2.21) を除く全ての横エネルギーが、縦方向のエネルギーに転換されている。静電場で粒子をゆっくり減速させて、 E0> Ee> E0− (ET)minのみを、中央から右へ通過させる。生き延びた電子は、今度は加速されて右側のソレノイ ドコイルに到達し、計測される。従って通過した電子の持つエネルギー幅は ∆E∼ (ET)min= Ee× Bmin Bmax ∼ 18KeV ×3× 10−4T 6T ∼ 1eV (2.22) であり、これが質量測定精度の目安となる。狙う質量精度は mν< 0.23eVである。 図 2.10 に現在までのニュートリノ質量の世界における実験値を示す。現時点 (2006) での最良値は mν< 2.3eV で ある。
2.3.2
ミューニュートリノとタウニュートリノの質量
ミューニュートリノの質量 ミューニュートリノの質量は π+ (p)→ µ+(q) +νµ(k) (2.23) の反応において、エネルギー運動量が保存することを使うと、πの静止系において mπ= √ q2+ m2 µ+ √ k2+ m2 ν, k =|k| = | − q| = q (2.24a)図 2.11: これまでのベータ崩壊での質量測定の世界平均。最良値は mν< 2.3eV 90%CL から、パイオンとミューオンの質量が既知であれば、ミューオンの運動量 q を測定する事によって、ニュートリ ノの質量が求まる。 mπ= 139.56995± 0.00035MeV mµ= 105.658389± 0.000034MeV q = 29.79200± 0.00011MeV ⇒ m2 ν=−0.016 ± 0.023 (2.25a) mνµ < 0.17MeV (90%CL) (2.25b) が得られている* 9) 。 タウニュートリノの質量 e−e+反応でタウペアを作り、タウの多重πメソン+ニュートリノへの崩壊を使う。 e−+ e+→τ−+τ− (2.26a) τ±→π±+π++π−+ν τ (2.26b) m2ν= E(ν)2− p(ν)2= (mτ−
∑
i E(πi))2− (∑
i p(πi))2, E(πi) = √ p(πi)2+ m2 π (2.26c) から計算する。上のエネルギー運動量はタウの重心系での測定量である。タウニュートリノの質量精度は、タウ 自身の質量精度に依存する。 mτ= 1777+0.30−0.27MeV ⇒ mντ< 18.2MeV (95%CL) (2.27) 宇宙論から∑
i mνi . 0.3 − 1eV (2.28) * 9) K.AssamaganPhys. Rev. D53(1996) 6065この値は、宇宙の背景輻射や銀河団の質量ゆらぎパワースペクトルなどから推定される、宇宙全体の質量密度に 占めるニュートリノ質量密度の相対比Ων< 0.015 (95%CL)から、計算したものである。Ωνは、もしニュートリ ノが質量を持てば、それによって影響を受ける宇宙の密度ゆらぎ予想と観測データを比較して得られる。後述す 図 2.12: (左) 宇宙の大規模構造からニュートリノ質量が推察できる。(右) 宇宙データから制限される3種のニュー トリノ質量和を、最も軽いニュートリノ質量 (m) の関数として描く。m が小さい場合の質量和はそれぞれの線の 間に入る。黒と赤の二本の線はそれぞれ逆、正常階層における質量予想の上下限に対応し、水平帯が観測データ の上限値を示す。 るニュートリノ振動データにより ∆m2 23=|m23− m22| ≃ 2.6 × 10−3 大気ニュートリノ (2.29a) ∆m2 12= m22− m21≃ 8 × 10−5 太陽ニュートリノ (2.29b) と判っているが、大気ニュートリノ振動についての質量自乗差 m2 23の符号が判らないので、m1< m2< m3(normal
hierarchy)と、m3< m1< m2(Inverted hierarchy)の二つのケースが考えられる。m が大きければ、3種のニュート
リノの質量が大きくて差が小さく (縮退)、∆m2i j≃ Max{mi−2,m2j} であれば、m が小さくなるにつれてレベルが分 岐する。 宇宙論の議論は種々の仮定が入るので確実ではないが、それを考慮しても全種のニュートリノ質量和が数 eV を越 えることはないと考えられている。従って、ミューニュートリノやタウニュートリノの実験室での測定精度は非 常に悪いが、全てのニュートリノの質量和は 1eV 程度を越えることはないというのが、ほぼ定説である。3種の ニュートリノが縮退せず、階層構造がはっきりしていて、m1<< m2<< m3であれば、 mν3≃ 0.05eV, mν2≃ 0.01eV (2.30) となる。現在進行中の電子ニュートリノのや2重ベータ崩壊での予想到達質量上限値は、これより一桁位悪いが、 将来的にはこの値を超えることが目標となる。
2.4
ニュートリノのヘリシティ
弱い相互作用、特に荷電カレント反応は左巻き粒子にのみ作用する。その事実を顕著に示す例としてπメソン崩 壊を考察する。 π+→ µ++νµ, π+→ e++ν e (2.31) 電荷の保存とレプトン数保存より、電荷が正のπメソンからはニュートリノ、電荷が負のπメソンからは反ニュー トリノが生成される。崩壊粒子はカイラリティ負の固有状態である。ニュートリノは質量がゼロであるから、純 粋なヘリシティ負状態、反ニュートリノは純粋なヘリシティ正状態で放出される。πメソンのスピンはゼロである から、πメソンの静止系では、運動量と角運動量保存則により µ+(e+)のヘリシティは負でなければならない (図 2.13参照)。カイラリティが負の µ+(e+)の持つ負ヘリシティ成分は、1−v ∼ m2/p2程度である。したがって、π 図 2.13:πメソンの2体崩壊。角運動量保存則と左巻き成分のみが反応に関与する事実により、 µ+のヘリシティ は負でなければならない。 メソンの µ と電子への相対分岐比は質量の自乗に比例する。より詳しい計算によれば、 Γ(π→ µ +ν) ∝ m2µ(m 2 π− m2µ)2 m5π (2.32) であるので Γ(π→ e +ν) Γ(π→ µ +ν)= m2e(m2π− m2e)2 m2 µ(m2π− m2µ)2 = 1.284× 10−4 (2.33) 放射補正値をも考慮すると理論値は 1.233× 10−4となり、実験値 1.218± 0.014 × 10−4と良く合う。終状態の差は µ と電子の質量差しかなく、ナイーブに考えれば、位相体積の大きい eνの方が崩壊率も大きいと推測されるが、 弱い相互作用が左巻き粒子にのみ作用するために、このような大きな差が出る* 10) 。 ニュートリノヘリシティの測定 歴史的にはベータ崩壊のニュートリノ、すなわちνeのヘリシティが最初に測ら れたが、ここではνµが左巻きであることを示した実験を紹介する。 図 2.14: 左図:クーロン散乱は非対称を生じないが、磁気散乱はミューオンのスピンの向きにより散乱される方向 が異なる。右図:ミューオンがπの重心系で生成されたときの縦方向スピンは、実験室系では横方向スピンとなる。 πメソン崩壊反応でミューオンのヘリシティが測れれば、ニュートリノのヘリシティが判る。ミューオンのスピン の向きは、原子核に当てて電磁気散乱 (モット散乱) をさせれば、散乱分布に左右非対称が出るので測定できる。 * 10)弱い相互作用が右巻き粒子にのみ作用しても同じ効果となるが、次に述べるように、ミューオンの偏極を調べて左巻きと判る。モット散乱には電気散乱 (クーロン散乱) と磁気散乱があり、クーロン散乱は電荷による散乱で左右対称である。一 方、磁気散乱では左右非対称が生じる。その理由は、ミューオンの静止系では、近づいてくる原子核が電流として 見えるから、ミューオンのスピンは、コンパスが触れるのと同じく回転力を受け、磁場勾配があれば力を受ける。 電流が左側にある場合引力とすれば、右側にある場合は逆の斥力になる。結果的にどちらの場合も右側に散乱さ れることになるので、非対称が生じるのである (図 2.14 左)。 ただし、磁気相互作用は磁場のスピン方向成分により生じるので (H =−µµµ · H)、スピンの向きは電流に、言い変 えればミューオンの運動量方向に垂直な成分のみが関与する。π崩壊で生成されるミューオンはヘリシティ固有 状態であるからスピンは縦成分のみである。πを飛ばして前方かつ有限角を持つて崩壊するミューオンを拾えば、 スピンは回転して (と言うよりはスピンが変わらず運動量方向がずれる (図 2.14 右))、横スピン成分を持つように なる。実験装置を図 2.15 に示す。左方から運動量エネルギー 43MeV の負パイオンが入り、崩壊して生成された 図 2.15: 実験配置図。ミューオンはカウンター #1, カウンター #2 の穴、カウンター #3(鉛シートの直前) を通り抜 け、鉛で散乱されてカウンター #4 に捕らえられる。さらに #4 で崩壊電子の遅延信号を捕らえてミューオンであ ることを確認する。#3 と #4 の相対配置で右方向もしくは左方向散乱の区別をする (Phys.Rev.Lett.7(1961)23)。 負ミューオンが前方円形状にならべた 10 個の鉛シートのどれか (例えば3番) に当たり、後方大角度散乱をして、 鉛のシートに垂直に配置したカウンター (4) で止められる。ミューオンは、ビーム線と鉛 3 の作る平面内に、かつ ビーム軸にはほぼ垂直方向に偏極している。右側の鉛シートからは右方散乱、左側の鉛シートからは左方散乱と なる。止まったミューオンはさらに崩壊して電子を放出するので、遅延信号が存在すればミューオンと同定でき る。この設定が円対称に 10 組配置してある。 計算によれば、左右の非対称度は横偏極度を Pyとして A =L− R L + R=±0.09, f or Py=∓1 (2.34) 実測では、A =−0.09 ± 0.031 を得て Py= 0.9、すなわち、µ−がほぼ 100% 正のヘリシティを持つこと、従って反 ミューニュートリノが、右巻きであることが実証された。
2.5
二重ベータ崩壊
レプトン数非保存のテスト ニュートリノがマヨラナ粒子であれば* 11) 、レプトン数は保存しない。レプトン数 非保存を検証する実験で重要なのは2重ベータ崩壊である。2重ベータ崩壊とは、原子核が電子を2個放出して 原子番号が2大きい原子核に変わる反応で、2νモードと 0νモードの2種類がある (図 2.16(a),(b))。 * 11)粒子と反粒子の区別がないフェルミオンのこと。電荷を持てば、必ず反粒子が存在するので可能性はニュートリノのみである。2νモード : (Z)→ (Z + 2) + 2e−+ 2 ¯νe (2.35a) 0νモード : (Z)→ (Z + 2) + 2e− (2.35b) 2νモードは、通常のベータ崩壊が核内で2重に起きるもので、弱い相互作用の高次効果として当然期待されるも 図 2.16:2重ベータ崩壊の三つの過程:(a)2νモード、(b)0νモード、(3) マヨロン放出モード のである。0νモードは反応の前後でレプトン数が2変化していて、レプトン数保存則が破れて始めて起きる反応、 すなわちニュートリノがマヨラナでないと起こらない反応である。弱い相互作用はカイラリティを保存するので、 図 2.16(b) のヴァーテックス (1) に注目すると、電子とペアで生成されるニュートリノはνLの反粒子、マヨラナで あれば右巻き粒子 (νc)Rでなければならず、ヴァーテックス (2) のニュートリノは左巻き状態でなければならない。 質量がゼロの場合は、角運動量保存則によりこの過程は起こらない。この過程が起きるためには、ニュートリノ がマヨラナでありかつ質量を持つ(この場合は、異なるヘリシティ状態が (mν/me)2程度存在する) か、もしくは 弱い相互作用が標準理論と違って、右巻き粒子に作用する成分もあるとしなければならない。 図 2.17: 左図:2重ベータ崩壊おける電子のスペクトル。(a)2νモード、(b)0νモード、(c) マヨロン放出モード。中 図:ゲルマニウム検出器によるベータ活性のアイソトープスペクトル。種々のピークの鋭い山は検出器のエネル ギー分解能を示している。測定時間 1.29kg y. 右図:2重ベータ崩壊が検出されるはずのエネルギー領域のデータ。 点線は 90%CL で除外できる信号の大きさを示す。 実験的には、0νモードと 2νモードは、2個の電子のエネルギー和が一定の値をとるか、連続値をとるかで区 別できる (図 2.17 左図)。2重ベータ崩壊は 1018∼ 1024年もしくはそれ以上の崩壊寿命を持ち、自然環境による 背景雑音 (宇宙線や測定器を構成する物質内に含まれるアイソトープ) の影響の除去が困難な実験である。ゲルマ ニウムはそれ自身が精密なエネルギー検出器であるので、100% の立体角検出効率を持つ。ゲルマニウム検出器の
エネルギー情報のみを使った実験例を図 2.17(中・右図) に示す。0νモードの崩壊電子は、互いに 180 °方向に放 出されるので、背景雑音を減らすためには軌跡をも検出するのが望ましい。その例として現在進行中の最新式の NEMO3検出器* 12) を図 2.18、2.19 に示す。 図 2.18: NEMO3検出器: 左側にモジュールを取り出して構造を示す。外壁側の青い物体がエネルギーを測るカ ロリメター、空間がガイガーカウンターの感度領域で中央にベータ放出源を膜状に全体としては円筒形に張り巡ら す。ββアイソトープ 10kg、円筒表面積 20m2×(40−60)mg/cm2、軌跡検出器体積 10 角形ドリフトセル数 (6180)、 ガイガーモードで動作、σi= 0.5mm,σz= 1cm,カロリメター:1940 枚のプラスティックシンチレーター、光セン サー PM., FW HM(1MeV )∼ 11−14.5%、磁場 (30G) +鉄シールド (20cm)+中性子シールド (30cm H2O)。崩壊寿命/ ニュートリノ質量感度:τ∼ 1024y/m ν∼ 0.1eV 2νモードは観測されていて* 13) 100Mo→100Ru + 2e− + 2 ¯νe τ1/2= 7.1± 0.4 × 1018年 (2.36a) 76Ge→76Se + 2e− + 2 ¯νe τ1/2= 1.5± 0.1 × 1021年 (2.36b) 等を与えるが、0νモードはまだ観測されていない。現在最良の上限値はゲルマニウム (Ge) から得られていて τ0ν> 1.9× 1025年 (2.37) この値をニュートリノ質量の上限値に換算するには、原子核行列の知識が必要であるが、一桁くらいの不定性を 伴う。種々の計算を総合して、マヨラナニュートリノの質量の上限値は mν< 1eV (2.38) となる。 * 12)http://nemo.in2p3.fr/
図 2.19: 左図: NEMO3検出器の検出可能な崩壊モード、右図:2νモード崩壊電子の検出事象例。中央の円弧状 の源から内外に放出された電子の軌跡とエネルギー量が赤色の長方形で示されている。これは 2νモードの電子で あるが、0νモードの電子であれば、角度 180 で正反対方向に、かつ両者のエネルギー和が一定となる。 なお、ニュートリノ混合が存在するときは、2重ベータ崩壊から得られるマヨラナ質量は、3種のニュートリノ 質量固有状態の質量 mjの重ね合わせとなり、 < mν>=