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GBRC Vol.40 No 2 ちょっと前の話 2011年 次は2011年 3年半前の東日本大震災です 激震であっ からは多くの書物がどさっと落ちました しかし どな たにも幸いにして怪我はなく 居住者は整然と階段から たけれどもその地域が比較的限られていた阪神 淡路大 脱出され

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無被害ではないけれども、十分継続使用に耐えるものし た。このように構造物被害に顕著なコントラストが随所 に見られました。 図-1 阪神・淡路大震災における特徴的な被害 もう一つは鋼構造の被害であり、それまでは地震被害 とはほぼ無縁であったのに、兵庫県南部地震と、その1 年前の米国で勃発したノースリッジ地震の二つの地震に おいて、柱と梁の溶接接合部が少なからず破断してしま い、かなりクローズアップされました。 耐震工学は古来、地震被害に学ぶことから、その技術 を発展させてきた歴史があります。例えば、1964年の 新潟地震では液状化という問題がクローズアップされま したし、1968年の十勝沖地震では、いわゆる鉄筋コン クリート造のせん断破壊が大きな問題になりました。 1995年の兵庫県南部地震での最大の教訓は、耐震改修 であって、建設年代やさまざまな作り方に応じて、見た 目は同じでも、その耐震性たるや天と地ほど違うことが あからさまになりました。

はじめに

京都大学の中島でございます。これから1時間、「レ ジリエントな社会に向けて」と題してお話しいたします。 まず、最初に、少し自己紹介です。私は京都大学建築 学科を卒業しましたが、私の恩師は、故・若林實先生で す。たしか30年ほど前に、日本建築総合試験所の所長 をお務めであったかと思います。修士課程修了後、しば らく米国に行きまして、その後、建設省の建築研究所に 入所、さらにその後、神戸大学に移りました。そのとき の上司が、現在の日本建築総合試験所理事長の辻先生で す。ということで、私は二重にも三重にも日総試とご縁 があります。神戸大学に奉職した後、さらに京都大学の 防災研究所に移りまして、以来、そこで教員をしていま す。その間にしばらく、独立行政法人防災科学技術研究 所の兵庫耐震工学センターのセンター長を兼任しており ましたし、また最近は国が主宰する幾つかの研究プロ ジェクトにも関わっています。 そのような経歴を持つ私がお話しする本日の課題は次 の五つです。だいぶ前の話、ちょっと前の話、そして現 在の話です。さらに二つほど、私が最近手がけておりま すプロジェクトをご紹介したいと思います。

1. 

だいぶ前の話 -1994~1995年-

最初の話は、1995年の兵庫県南部地震です。まさに 構造被害が最も顕著であった大地震です。お亡くなりに なった方の95%が、建物の倒壊による圧死だというこ とで、人的被害に対する建築の責任は重いものです。ま た、物的被害の約70%も建築に関わっています。まさ に兵庫県南部地震は、さまざまな意味において建築構造 の性能が問われた地震でした。 そのとき見られた典型的な二つのケースは以下の通り です。一つは図-1に示すように、手前の建物の3階部分 が全く消失しているのに対して、奥の新しい建物の方は

レジリエントな社会に向けて

 - 防災・減災研究のこれから

京都大学防災研究所 教授 

中島 正愛

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からは多くの書物がどさっと落ちました。しかし、どな たにも幸いにして怪我はなく、居住者は整然と階段から 脱出されたということです。居住者から、「下を見ると、 駐車場の車が動いていた」と報告されています。逆に外 におられて歩道からこの建物を見上げられた方によれ ば、「本当にしなって真ん中からポッキンといくのでは ないか」と思ったほどの揺れであったとのことです。そ のような強烈な揺れにもかかわらず、この建物は部分的 な閉鎖はあったものの、問題なく継続使用に耐えていま す。このように、建築構造の耐震性において、20年前 に比べて顕著に進歩したことを示す事例もありました。 気になったのは、数百km離れた首都圏です。超高層 が林立する都心部では超高層建物が約1,500棟、免震建 物が約1,000棟建設されています。いわゆる長周期系の 建物が数多く存在します。それが、東日本大震災におい て、首都圏ではせいぜい震度5強ではあったのに、とて も長い時間揺れ続けました。都内に建つ超高層建物に設 置した加速度計による記録があります。1階と頂部の応 答記録があるのですが、経過時間を見ると、地震動その ものも長かったけれども、あと揺れも含めた建物の揺れ 自体がとても長かったことがわかっています。東日本大 震災では、震度5程度の揺れでしたから、特段支障はあ りませんでした。しかし、将来、南海トラフの巨大地震 がやってきて、その揺れがもっと強烈であれば何が起こ るだろうかは心配です。 さらに首都圏で何が起こったかと言うと、直後には大 きな混乱があって、帰宅難民が2万人以上、とんでもな い交通渋滞も起こりました。また、一時はスーパーから モノがなくなりました(図-3)。 図-3 東日本大震災における東京都内の状況 東日本大震災からの教訓はたくさんありますが、構造 という切り口から見たときにまず思うのは、「やはり自 然は、私たちがそうであってほしいと思うよりも時とし

2.  ちょっと前の話 -2011年-

次は2011年、3年半前の東日本大震災です。激震であっ たけれどもその地域が比較的限られていた阪神・淡路大 震災に比べて、今度は400km×200kmという大きな破 壊が起こり、そしてそれが大津波を引き起こして、多数 の尊い命を奪いました。両方とも大震災ですが、その被 害の様相が顕著に違うことは、ご承知のとおりです。 ちなみに、1995年から2011年まで、ほとんど1年に一 つずつ、我が国のどこかで被害地震が起こっています。 さらに、南海トラフでは定期的に断層破壊が生じてい ることがわかっています。東海・東南海・南海地震の歴 史を見ると、あるときは単独で、ときには二つが連動し、 また三つが連動することもあります。いずれにしても、 その周期は100年から150年で、前回が1944年(東南海) と1946年(南海)です。今までのパターンからすると、 あまり遠くない時期に、3年前の東日本大震災よりもっ と大きな被害が起こりかねない国土に、私たちは生きて いるわけです。 阪神・淡路大震災では、構造の被害が、全被害の元凶 でした。一方、地震直後の仙台中心部の写真(図-2)を 見ると、それほど被害が大きいようには見えません。も ちろん市内では、2階建ての鉄筋コンクリート造建物の 1層がなくなったり、鉄筋コンクリート部材のせん断破 壊があったり、地すべりによる住宅の崩壊が見られまし た。また、建物は大きく揺れたので、家具什器を含めた 室内空間の被害もありました。 図-2 東日本大震災における仙台市内の被害 1998年に竣工した制振ダンパー付きの鉄骨鉄筋コン クリート造、高さ145m、31階、いわゆる超高層建物で、 震度7の激震地区に建つ建物の震災時様子を紹介しま す。当時その中に居住されていた方々や、そのときに外 を歩いておられこの建物を見上げておられた方々に対す るヒアリング結果によれば、まず震度7の揺れで、立っ てはいられなかったそうです。家具什器は散乱し、本棚

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うプロセスが研究の成就と実践への転化に欠かせません。 図-5 これからの防災・減災研究

3.  現在の話

3. 1  京都大学防災研究所

次に、私の現在所属しております京都大学の防災研究 所をご紹介します。 1950年のジェーン台風を契機に、1951年に創立、3年 ほど前に60周年を迎えました。日本建築総合試験所よ りはやや古い組織です。現在は京都大学宇治キャンパス を本拠とし、常勤教員100名強から構成されています。 京都大学防災研究所は、下記をキャッチフレーズにし ています(図-6)。一つは「総合防災」です。地震、火山、 津波、洪水、高潮、台風、地すべり、液状化等あらゆる 自然災害を対象とします。次に、「学際融合」と称して、 先ほど説明したコンポーネントである理学、そして工学 も建築や土木、情報学、社会科学の研究者、他の大学機 関から比べればかなり多様な人材を有しており、所属す る研究者は、「災害の学理」、「被害抑止」、「被害の最小 化」のいずれか(もしくは複数)を研究基盤としていま す。さらに、京都大学の伝統である「フィールドワーク」 です。あちこちのフィールドへ出ていって研究を極めよ うという主旨のもと、私たちも全国各地に観測施設を所 有して、フィールドワークに励んでいます。また、振動 台や風洞など、もちろん旧国研系の研究機関に行けば もっと大きなものがありますが、大学にすれば比較的大 きな「大型施設」(実験装置)を持っています。防災や 減災は、我が国固有の問題では決してないので、世界各 地の研究者や留学生が集うコスモポリタンな研究の展開 を指向しています(「グローバリゼーション」)。最後に、 全国規模での防災研究拠点として、他の大学へのサービ スや共同研究にも携わっています(「全国共同利用拠 点」)。 てずっと厳しい」という事実です。私たちの想定は、対 費用効果を考えた上での値であり、それを超える事態は、 その頻度は極めて少ないとは言え必ず起こるのであれ ば、そのときにはもはや無傷ではいられません。 そこで、最近よく使われるようになった「レジリエン ス(レジリエンシー)」という言葉が登場します。これを どう訳すかについては諸説ありますが、私は回復力や復 元力という言葉を使っています。レジリエンスとは、傷 を受けてもいち早くもとに戻る力です。ある性能があっ て、何かが起こるとそれがドスンと落ち、それを戻すま でには、かなりの時間がかかってしまいます。図-4の赤 線が現在だとすれば、レジリエンス社会では、まず傷そ のものを浅くします。そうすれば当然回復も早くなりま す。場合によっては、傷はある程度深くても素早く回復 するようにします。つまり、時間的なロスをできるだけ なくすことも、レジリエンスの考え方に沿うものです。 図-4 レジリエンスの考え方 レジリエンスの観点から、これからの防災・減災研究 を考えるときには、三つの研究コンポーネントに留意し なければなりません(図-5)。一つは、災害事象の真相 を知るための「災害の学理」をきわめる研究です。次に 災害への備えとしての「被害抑止」を図る研究も必要で す。しかし、完全に災害を抑止できないときには、「被 害の最小化」をめざす研究も必要になってきます。この 三つが柱となって、防災・減災研究は動いていかなけれ ばなりません。もちろんオーバーラップはあるものの、 「災害の学理」は主として理学系が、「被害抑止」は主と して工学系が、それぞれ関与しています。一方「被害の 最小化」については、さまざまな専門分野が参画してい ますが、特に社会科学系の研究者の関与が特徴的です。 さらに防災・減災は、実践科学の最たるものですから、 その受け手である国民、地域の住民、行政といった人た ちとの協働が不可欠です。研究者と受け手が連携して、 「やってみてフィードバックして、それを繰り返す」とい

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図-6 京都大学防災研究所の特徴 さてこの三つの研究コンポーネントにおいて、誰が上 流かを考えてみましょう。普通に考えると、まずは「災 害の学理」をきわめる研究(理学)が上流にあって、例 えば地震ですと、地震がどんなふうに発生しそして揺れ るかをきわめる研究があって、次にそれを受けて、それ にも負けないような構造物、建物をしっかりと作るには どうすればよいかという「被害抑止」の研究(工学)が 続きます。そうは言いながら、低頻度ではあるがとんで もない災害が勃発し社会が無傷では済まなくなったとき には、どうやって災害の即時対応を果たして「被害の最 小化」をめざすかという研究(社会科学)が一番下流に 位置するという構図です。私も20年ほど前に京都大学 の防災研究所に赴任した当時は、そのように考えていま したが、実はそれは違うことがわかってきました。何が わかったかというと、結局、誰が最も経験豊富なのかと いうことです。巨大災害時の対応として「被害の最小化」 をめざす努力は、生活そのものですから、人類が始まっ て以来ずっとみんな頑張ってやってきています。それに 対して、災害への備えとしての「被害抑止」を図るいろ いろな努力、いわゆる工学(工芸、技術)に属する開発 は、やはり生活の後に続くものです。自然科学を駆使し て災害事象の真相を知るための「災害の学理」をきわめ る研究(理学)は、前二者に比べればごく最近の研究で す。このように、人間の営みや経験の豊富さという視点 からは、一番上流が生活(社会科学)、中流が工学で、 そして一番下流が自然科学(理学)ということで、先ほ どとは真逆となります。 例えば、科学と技術の二つをとっても、実際の工学の 実践、モノづくりは往々にして、その時点での理学・工 学的知見をはるかにしのいでいます。世界で一番大きな 構造物はピラミッドです。ただピラミッドは昨日できた ものではなくて、はるか紀元前です。高さ300mの美し いエッフェル塔は、コンピューターの粋を尽くして設計 したかというと、もちろんそうではありません。 以上、理学、工学、社会科学を専門とする研究者が、 同じ場所で切磋琢磨しながら研究を進めていかないと、 防災や減災の研究は成就しないだろうというのが、この 20年間で得た私の教訓です。再度、上流・下流の議論 に立ち戻ると、例えば地震学から得られる情報は、防災 にとって非常に貴重で有益です。しかし、地震学が始ま る前から、先人は地震に対峙してきました。さらに、建 設工学が花開く前から、先人たちは耐震にも向き合って きました。理学や工学の発展は、私たちが健やかに生き ていくために大いに役に立つことには疑いはないもの の、私たちの幸せが理学や工学の発展だけに依存してい るわけではありません。「防災・減災の主役は社会と人 間であることを再度認識して、理学や工学は肩肘を張り 過ぎずに、そして押しつけがまし過ぎずに、自らが産み 出す知見が防災・減災に役立つと信じて、社会に謙虚に メッセージを発信しなくてはいけない」と、20年間ほ どこの世界に身をおいて確信した次第です。

3. 2  E-ディフェンス

次に、しばらくの間センター長という職におりました E-ディフェンスがどのような施設かをご紹介します。 平面形状は20m×15m、三次元で振動させることがで きる今までになかった規模の震動台(振動台)で、独立 行政法人防災科学技術研究所が保有している施設です。 この施設は一般に「E-ディフェンス」と呼ばれていま す。約700トンもある震動台のまわりにアクチュエー ターが設置されていて、1995年の兵庫県南部地震で記 録された最強の地震動、例えば鷹取の地震動、をそのま ま再現することができる装置です。 この施設の計画時に、なぜこのような施設を作るのかと いう二つの議論がありました。一つは、構造物の崩壊の限 界を特定すべきだということです。崩壊の限界の特定とは、 自重を支えられなく状態の確認や、崩壊に対する余裕度を 定量的に確認することです。これまでに経験のない巨大地 震がくることが想定され、そのときには建物が無被害であ ることはありえません。どの程度の損傷になるかを把握し ようとすれば、余裕度を定量的に知ることが必要になりま す。そのためには、逆に、完全に崩壊するまでの現象を再 現しないといけないというわけです。 もう一つは、耐震性の向上のためには、免震であると か制振等のさまざまな新技術が必要ですが、これら技術 がもつ性能を実大規模で検証しておかないと、実践には 使いにくいという現実です。そのためには、観測や実験 結果等、構造物に対する実情報が欠かせません。しかし、 完全崩壊や実大規模での性能検証にかかわる情報がとて も少ない現状がありました。その解決のためには、実建

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物にセンサー等を付けて大地震がくるのを待つという方 法もありますが、いつデータが得られるかわからないこ とに頼るわけにもいかないので、実験室で人工的に実情 報を得る手段として、E-ディフェンスが作られました。 次に、なぜ上記のような課題を解決するために実大規 模でなければならないのかを、寸法の問題、時間(加力 速度)の問題、不静定性の問題、解析方法の問題、とい う視点から説明してみます。 まず、なぜ実大規模かというと、詳細を縮小すること は非常に難しいからです。例えば、鉄骨の柱と梁の接合 を取り上げてみますと、実構造物では溶接で製作される ことが多いです。実際の接合部であれば、ある程度の変 形になると、溶接接合部で破断することになります。そ れを、10分の1ぐらいの縮小試験体を作って同様の実験 を行いました。ただし、縮小試験体では2mmぐらいの 鋼材の厚みしかないので、溶接しようとすればその瞬間 に焼けただれて切れてしまいます。そこでこの縮小試験 体には溶接接合ではなく嵌合接合を採用しました。しか し、そうすると図-7に示すように接合部で破断すること がありませんでした。それは、溶接接合であると起こる 破壊が、接合方法を変えたのでうまく再現できていない からです。つまり、縮小試験体による場合、往々にして 詳細部分が再現できず、一方で破壊が詳細部分により引 き起こされるので、実験を行う場合の試験体規模は極め て重要です。 図-7 実大規模の実験の必要性(1) 次に、加力速度の問題ですが、静的(準静的)な加力 ではどのような問題が起こるかを解説します。先ほどと 同じ柱と梁の接合部に関する実大実験を、静的加力によ るものと実地震動と同じような加力速度(動的加力)に よるものの二つを行いました。加力時間でいうと、静的 加力は約4時間かかったのに対して、動的加力は約30秒 で終わりました。実験前は、動的加力の方が接合部に厳 しい応力が作用して早く破断するのではないかと考えた のですが、実際は、動的加力による試験体の塑性変形能 力(粘り強さ)が増大しました。その理由は、試験体(鋼 材)の温度でした。一般に、構造物に塑性変形が生じる とエネルギーが消費されますが、この多くが熱エネル ギーに変換されます。動的試験では発生した熱が大気中 に伝播する時間もないので試験体の温度が上がります。 鋼材の性質として温度が高いほど粘り強さは増大するの で、加力速度により試験体の鋼材の性質が変化すること で、接合部がもつ変形能力に違いが出てきます。 次に、柱、梁等を単体として実験を行う場合と、構造 システム(骨組)で実験を行う場合ではどこが違うのか、 いわゆる不静定性(不静定次数)の問題です。図-8は、 実大規模の鉄骨建物試験体に対する加力実験における柱 梁接合部の写真と、試験体の荷重-変形関係です。実験 の途中で梁端部の溶接接合部が破断しました。柱と梁の 接合部だけの実験を行っていたとすれば、破断によって 耐力は尽きて実験は終了ですが、実構造物では不静定性 があるので、破断直後は荷重が低下するものの、載荷を 継続すると耐力は再び増大しました。この例からもわか るように、部材一本の破壊と、建物全体の破壊とは異な り、実構造物の崩壊を把握するうえでは、不静定性の問 題も無視しえません。 図-8 実大規模の実験の必要性(2) もう一つ、数値解析、いわゆるコンピューターによる シミュレーションの問題です。最近の解析モデルでは、 塑性ヒンジの劣化を含めた詳細な解析が可能になってい ます。これらの解析モデルによれば、先ほどの実験結果 をある変形までは精度よく追跡できることが確認できて います。しかし、試験体の崩壊領域の変形までを考える と、柱梁接合部の溶接部に破断が生じたりして、耐力が 劣化していきます。しかし、最新の解析方法であっても、 この耐力劣化を精度よく追跡することは容易ではありま

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せん。 このように、寸法が大きいか小さいか、加力が速いか ゆっくりか、部材実験か骨組実験か、そして数値解析が もつ能力、といったものを考えたときに、縮小試験体で はなく実大試験体で、部材単体でなく構造システムで、 静的(準静的)ではなく動的に、ある程度の非線形領域 ではなく破壊領域まで実験することに、大きな意味があ ると考えられます。 E-ディフェンスは、2005年に開設以来、今まで40件 を超える実大規模の実験を実施しました。 事例を二つ紹介します。一つ目は、E-ディフェンス 最初の実験であった木造補強の実験です。当時、築後 30年、明石市に実際に建っていた木造住宅を二軒提供 いただいて、現場で四つ割りにしてE-ディフェンスに 運んだ後、再度組み立て直しました。そしてこの二棟を 横に並べて、JMA神戸の地震波を入力として実験しま した(図-9)。これは東京大学の坂本功先生にご主導い ただいた実験です。左右の試験体はほとんど同じですが、 唯一の違いは、左側は120万円相当の補強を行い、右側 は無補強です。補強した方は倒壊を免れた結果となり、 耐震補強の有用性が実証されました。 図-9 E-ディフェンスの震動実験事例 二つ目は、超高層建物の上部がどのように揺れるのか を確認した実験で、東日本大震災の前に実施しました。 超高層建物に長周期地震動が作用した場合、建物上部は 相当な揺れになる可能性があることを踏まえた実験でし たが、東日本大震災に東京で起こった揺れよりも、もっ と大きな揺れを想定しました。超高層建物の上部だけを 取り出して、周期等を調整する積層ゴムを下部に設置し て、全体の固有周期としては2.5秒~ 3秒程度となるよ うに試験体を設計しました(図-10)。 図-10 鉄骨造高層建物の震動実験(1) 図-11 鉄骨造高層建物の震動実験(2) 実験では、長周期振動特有の、比較的ゆっくりではあ るものの繰り返して揺れが生じる現象を再現できまし た。また、オフィス空間を模したところを実験時にクロー ズアップ撮影しました。オフィス内の家具什器が揺れに より危険な状態になっています。なかでも、足元にキャ スターがついたコピー機という重量物が縦横無尽に移動 し、このオフィス空間はグシャグシャになってしまいま した(図-11)。この事例からも、構造体そのものの耐震 補強だけでなく、家具の固定という補強の必要性は明ら かです。

4.   都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化

(文部科学省プロジェクト)

最近私が手がけているプロジェクトをご紹介します。 一つは、文部科学省の科学振興費による「都市の脆弱性 が引き起こす激甚災害の軽減化」プロジェクトです。こ れは東日本大震災に啓発されたプロジェクトで、平成 24年から28年の5年間で事業が展開されています。首都 直下地震を対象とした以前にあったプロジェクトの成果 を踏まえ、かつ東北地方太平洋沖地震を教訓として、切 迫性が増してきた首都直下地震や東海・東南海・南海地

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震に対して、都市災害を可能な限り軽減するための研究 開発を実施します。そこでは、理学のコンポーネント、 工学のコンポーネント、社会科学のコンポーネントの三 つが連携して当該プロジェクトを進行させています(図 -12)。 図-12 不可欠な三つの柱(理学、工学、社会科学) まず、理学のコンポーネントでは、被害予測シミュレー ション手法の高度化を図るために、首都圏にMeSO-net と称する稠密かつ高性能な観測網を整備し、そこからの 観測結果をもとに、首都圏の地下構造をできるだけ詳し く知って、予測の精度を上げるための研究を行っていま す。一方、社会科学のコンポーネントでは、スマートフォ ンやカーナビを利用した被災者の円滑な避難や帰宅を支 援するシステムや、住民一人一人にとって最適な防災リ テラシーの向上など、災害対応力の増強方策に関する研 究を行っています。そして、工学のコンポーネントでは、 振動台実験などをもとにして、建物の崩壊余裕度を検証 したり、地震直後の建物の安全性を迅速かつ正確に評価 するためのモニタリングシステムを構築する研究が行わ れています。 理学のコンポーネントは東京大学地震研究所の平田直 先生がリーダー、社会科学のコンポーネントはもともと 心理学の研究者である京都大学防災研究所の林春男先生 がリーダーです。工学のコンポーネントは、私がリーダー を務めています。この三人が頻繁に会うことによって、 理学、社会科学、工学をどう結びつけるかを考えつつ行 動しています。ばらばらにやっては意味がありませんの で、例えば地震動の特性を理学コンポーネントと共有し たり、私たちが産み出す崩壊事象に関わるデータを社会 科学コンポーネントに提供したりして、互いが有機的連 携を果たさねばならないプロジェクト構成となっていま す。これに限らず、最近の大型プロジェクトでは他分野 との連携がますます重要になってきています。 私がリーダーを務めます工学のコンポーネントにつき ましては、東日本大震災からの耐震工学にとっての二つ の教訓、一つは、先ほど説明しましたE-ディフェンス がもつ意義の繰り返しになりますが、想定を超える地震 に対する対応、もう一つは、事業や生活の継続と速やか な回復を強く意識しています(図-13)。 図-13 耐震工学におけるこれからの研究課題 これらの教訓を、工学の具体的な研究課題に落とし込 んでみると、一つは、高層ビル等都市の基盤をなす施設 が完全に崩壊するまでの余裕度の定量化です。 さらに、これらの施設の地震直後の健全度を即時に評 価して、損傷を同定する仕組みをつくることです。これ らを研究の具体的テーマとして、私たちは平成24年以 降、このプロジェクトに取り組んでいます。 普段は弾性で無傷であるけれども、大きな地震のときに は少しぐらいは弾性限を超えることを、私たちは建物に許 容しています。それ以上大きな地震がきた場合には崩壊す ることもありますが、設計地震力と崩壊時地震力による変 形の差(比)を崩壊余裕度と定義しています(図-14)。 この崩壊余裕度を精度よく定量化する技術を開発すること で、過去に経験のない巨大地震がきたときにも、従来より 自信をもって建物の性能を評価できるようになると考えて います。 図-14 建物の崩壊余裕度

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図-15 建物のモニタリング もう一つは、最近かなり浸透してきた「モニタリング」 という言葉に代表される健全度の即時検知です(図-  15)。地震が起こってかなり揺れたときに、東日本大震 災でもそうでしたが、多くの方が建物の外へ逃げられた わけです。しかし、地震が終わった後、「入ってよいも のか、入らない方がよいのか、誰も教えてくれないから 困った」という事態が少なからず見られました。東日本 大震災時の東京はそれほど大きな揺れではなかったの で、もちろん大丈夫だったのですが、将来それを相当超 すような大きな揺れを受けたときにはどうでしょうか。 「無傷です、何にも心配しなくてよいです」、「少しぐら いは被害があるけれども、まだまだ逃げる必要はありま せん」、もしくは、「余震が来たときには危ないので退避 してください」といったメッセージを即座に発信するこ とがとても重要です。チェックしますから「一日待って ください」と言うわけにいきません。なんとしても即座 に発信しなければならないのです。それを確実にする技 術は、ぜひとも開発しなくてはいけないと考えています。 このプロジェクトでは、研究本部を京都大学防災研究 所においていますが、大手の建設会社の技術研究所の 方々にもこのプロジェクトを分担していただいて、事業 を展開しています。 図-16は研究の一覧表です。平成24年、25年を経過し て、現在は平成26年の途中に位置しており、あと2年余 りです。具体的な研究の一つは余裕度の定量化というこ とで、鉄骨造高層建物の余裕度や鉄筋コンクリート造建 物の余裕度を検討します。もう一つは、モニタリングと 健全度判定です。目に見える部分(上部構造)、目に見 えない部分(地下構造、地盤)、そして最終的には連成 系に至るまで、つまり下から上までに多数のセンサーを 付けることによって、その健全度の状態、損傷の状態を 即時に知る仕組みを構築したいと考えています。もう一 つ、ここにはMeSO-netによる地震観測というコンポー ネントがあります。これは先ほど紹介し理学のグループ が首都圏に展開しているMeSO-netという高性能の地震 観測網を利用して、その直上にある建物にも地震計を設 置することから、地盤から上部構造までをアレー観測し、 それによって、いわゆる「地盤-基礎-上部構造連成系」 の問題に挑戦しようと考えているわけです。ここでは連 成系評価法の高度化をめざすと同時に、先ほどの健全度 モニタリングというコンポーネントも併せ持っていま す。 図-16 研究一覧表 ここでは、鉄骨造高層建物の余裕度評価のために、昨 年プロジェクトで実施した震動台実験の結果を紹介しま す。1980年から1990年代に標準的であった設計法を用 いた20階の建物をプロトタイプにして、それをE-ディ フェンスの容量に適合するように、3分の1ぐらいに縮 小しました。先ほどの説明では「縮小試験体はよくない」 と、「だからこそE-ディフェンスだ」と言いながら、 3分の1はよいのかという議論はありますが、E-ディ フェンス建屋の天井高が27mしかなく、実大では苦し かったので、鉄骨造建物として許容できる縮小率の限界 を採用しました。試験体は、ユニット1、ユニット2、 ユニット3を同時に隣り合わせで施工して、三つの構成 ユニットを大きな震動台実験室の中に持ち込んで、あと はクレーンで下から上に載せて組み上げました(図-  17)。 現実に記録された強震動を使うことの意義は非常に高 いのですが、残念ながら、この試験体を大きく揺さぶる ほどの強震動記録はありません。そこで南海トラフ三連 動を想定した、いわゆる模擬地震動を作ることにしまし た。いろいろな破壊シナリオを考えて、平均レベルとし て約110kine、最大レベルとして180kine程度の速度応答 スペクトルになる地震動としました。試験体は一つしか ないので、小さい入力レベルから始めて、中ぐらい、大

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きい入力レベルへと順次加振を続け、最後はとにかく壊 れるまで実験を繰り返しました。計14回の加振を行いま したが、梁端部の溶接接合部あたりから次第に亀裂・破 断 が 進 行 し、 最 後 は 平 均 レ ベ ル の 約4倍 の 地 震 動 (420kine)によって、試験体はガクンと防護フレームに 寄りかかる状態となり実験を終了しました(図-18)。モ ニタリングに関わる実証実験も、この試験体を使って実 施することとし、さまざまなセンサーを試験体に取り付 けていました。計測結果を用いたシステム同定も含めな がら、どれぐらい変形してどこが壊れたのかを見極める データ整理と技術開発に努めているところです。 図-17 鉄骨造高層建物の崩壊実験(試験体製作) 図-18 鉄骨造高層建物の崩壊実験(崩壊後の状況)

5.  レジリエントな防災・減災機能の強化(内

閣府プロジェクト(SIP))

私が関与している一番最近のプロジェクトをご紹介し ます。内閣府の総合科学技術・イノベーション会議が主 宰するもので、この会議の司令塔機能を強化するという 目的のために、「戦略的イノベーション創造プログラム: 略称SIP」と、「革新的研究開発推進プログラム:略称 ImPACT」という二つのプロジェクトが今年度から始 まっています。ここでは、SIPについて紹介します。 SIPでは全部で10課題が選ばれており、課題ごとにそ れぞれ1人、政策参与(プログラムディレクター)が任 命されています。私は「レジリエントな防災・減災機能 の強化」という課題のプログラムディレクターを今年度 から担当しています。 この課題で取り組む内容ですが、その研究の背景は、 私が今日の講演で触れてきた内容と同じです。我が国は 自然災害多発国ですから、「災害から国をいかに守るか」 に尽きます。無傷ではいられないことも起こるわけです から、「レジリエンス、いち早い回復」、が焦眉の課題と なります。予測というコンポーネント、予防というコン ポーネント、それからいざというときの対応というコン ポーネント、この三つが防災・減災の鍵となることを踏 まえて、この研究開発を推進します(図-19)。さらに、 それをばらばらに行うのではなくて、災害情報を共有す るネットワークを作ることで協働する仕組みにしまし た。地震や豪雨のような災害情報は、予測情報としてこ の情報ネットワークの中に入れ込まれます。またこの ネットワークデータを利用することによって、国、自治 体、企業、個人等、さまざまなセクターが大災害対応に 勤しむことができるようにします。 図-19 SIPにおける研究目標 もう少し具体的(図-20)には、予測としては津波、 豪雨、竜巻を考えることにしました。地震に限っていま せん。予防では、特に液状化を取り上げました。対応は 最も多くの課題から構成されていますが、一つは情報共 有システムを作って、それをさまざまな災害対応機関が 利活用できるようにすることです。もう一つは、リアル タイムで各種災害情報を収集して、被害を即座に推定・ 提供するシステムを構築することです。また、災害直後 の劣悪な環境下でも、情報を配信できる技術についても 検討します。さらに、これら被害推定システムやその情

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報配信システムができた段階において、それらをどう やって使うかを、特に地域防災という視点で考え実践へ の速やかな転化を図る取り組みも含んでいます。 図-20 SIPにおける研究計画 SIPには、「府省連携」という枕詞があって、それを 実行する必要があります。各種災害に対して本来連携を しなければならない複数の府省があるわけですが、私が 担当しますSIPにおいても、相当数の府省がこのプロ ジェクトに参画されています。 SIPにおけるもう一つの枕言葉が「出口戦略」です。 研究のための研究であってはならないということです。 5年間のプロジェクトですが、3年が終わったときに、 目に見える成果を出すようにとの指示を受けています。 私たちが指向する成果の具体例としては、例えば津波の 予測では、数分後には津波の遡上状況を、海岸で何メー トルではなくて、どこがどれぐらい浸水するかを、予測 する技術の試作品をつくります。豪雨では、豪雨による 浸水を1時間前に予測する技術を試作します。また、被 害推定システムでは、地震発生後約30秒で、250メート ルメッシュ程度の精度で地区の被害推定ができるように します。出口戦略という言葉が使われるのですが、とに かく短い期間のなかで、目に見える成果を出す必要があ るのが、このプロジェクトの厳しいところです。研究と は言いながら、「今から研究を始めます」ではお話しに ならず、十分に蓄積があって、もう少し頑張れば実用化 への道が拓ける課題を選んで、そして府省連携という傘 の下で動かすことによって実用化を加速する、これが SIPの特徴です。

まとめ

幾度も紹介しましたが、これからの防災・減災研究開 発では、理学、工学、社会科学、という異なるジャンル が混然一体となりながら、技術開発や政策展開が図られ ることになります。 一昔前は、「災害の学理」をきわめる研究(理学)や「被 害抑止」の研究(工学)の比重が大きくて、対応として の「被害の最小化」をめざす研究(社会科学)は、物的 資源、人的資源においても相対的に小さいものでした。 ところが、現在では、社会科学系への期待がますます大 きくなってきています。理学や工学が小さくなったわけ ではありませんが、社会科学系へのニーズの高まりは顕 著です。私自身は工学に属していますが、従来の工学研 究開発にじっといるだけでは余り展開力がなく、巨大災 害への対応というコンポーネントにも、工学系がもっと 積極的に関与すべきであると考えます。さらに対応コン ポーネントへのニーズは顕著に高まりつつある一方で、 それに応える人的資源は一朝一夕に養成できません。そ れを考えれば、工学を基盤にする私たちが、対応に乗り 込んで活動する余地と機運は十分にあると思います。 日本建築総合試験所の伝統や諸事業を見るとき、人や生 活という視点から防災・減災を見る姿勢は十八番であろう と思います。また、これはSIPでも考えているところです が、ICT(Information and Communication Technology) という技術の防災・減災促進への利用です。この技術は近 年急速に進展していますから、それを上手に使うことに よって、対応に関する研究開発や実践への展開は大いに加 速すると信じています。 最後になりましたが、日本建築総合試験所創立50周 年をお祝い申し上げ、そして日本建築総合試験所が時代 のニーズを的確につかむことによって、我が国の建築技 術の発展に一層の貢献を果たされることを祈念して、私 の話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうござい ました。

謝辞

本稿で記した多くの内容は、多くの方々と共同で取り 組んだ、あるいは取り組みつつあるものです。とりわけ、 独立行政法人防災科学技術研究所兵庫耐震工学センター (梶原浩一センター長)の皆様、「都市の脆弱性が引き起 こす激甚災害の軽減化」プロジェクトに参画いただいて いる皆様、そして「戦略的イノベーション創造プログラ ム(SIP):レジリエントな防災・減災機能の強化」に 参画いただいている皆様には、心から感謝申し上げる次 第です。 注:図は講演時のスライドより抽出

参照

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