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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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聖 書 ヨハネの黙示録 21:1~8 その1(第 31 講) 題 「新天新地に入れて頂けることが意味するもの」 (序)キリスト信仰の特徴は、待ち望む信仰 * 人間は希望を持って生きることが大事だと言います。それ は、言わば、目標なしに生きることは虚しくなるからです。 けれども、世における希望とはどのようなものか、希望と 言う言葉を辞書で引きますと、現在と将来に期待や見込み を立て、それをあてにする意味だと言います。それは、自 分の願いを目標に掲げ、それに向かって、その願いをかな えようと進むことを希望と考えています。それは、物質的 なものもあれば、精神的なものや地位、名誉などの社会的 なものもあるでしょう。 * 子供たちに、将来何になりたいですかと聞いたりするのは、 希望を持つことが大事だと言いたいためでしょう。老人に 何になりたいですかとは聞かないものです。聞くとするな らば、老後はどのように過ごしたいですかと言う、そんな できる範囲のささやかな希望になってしまいます。 * それでは、信仰者にとって希望とは何でしょうか。パウロ は、信仰者にとって大事なことは、いつまでも存続するも のであって、それは信仰と希望と愛だと言いました。(Ⅰコ リント 13:13)その結論は愛の大事さを語るためであり ましたが、信仰と希望の大事さは決して劣るものではあり ません。今日は希望について見ていきたいのです。 * それでは、信仰者にとって希望とはどのようなものを指し ているのでしょうか。ペテロは第 2 の手紙でこう言いまし た。「私たちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新 しい地とを待ち望んでいる」と。(3:13)信仰者にとっ

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ての希望とは、驚くべき最高の、神の約束が実現すること だと言い、それは、終わりの時に約束されている新しい天 と新しい地であって、それを、信仰者としてなくてはなら ない希望として抱き、それが実現することを待ち望むのが 信仰者だと言っています。 * ここに世の人が持つ希望と、信仰者が持つべき希望との間 に大きな違いがあることが分かります。世の人は、自分の 願いが希望の根拠ですが、信仰者は、神が約束された必ず 実現する、信仰者が今か今かと待ち望むべきもっとも祝さ れた、必ず受けることができるもののことだと言います。 しかし、うっかりすると、信仰者も、希望よりも、今苦し みから解放され、幸いな人生を送ることができたらいいと 考えてしまう人があります。こういう人の信仰は、ご利益 信仰であり、希望も愛もありません。 * なぜ希望を持つことが大事だと言うのでしょうか。キリス ト信仰の特徴は、待ち望む信仰だと言っても過言ではあり ません。それは神が真実で、実現されることしか語られな いお方であると信じていますから、神の約束のお言葉は、 信仰者にとって必ず実現すると信じることができる希望を 意味し、それを待ち望むように導かれているのです。 * それ故、希望のない信仰は、言うならば、調味料の入って いない料理のようなもので、食べられなくはありませんが、 あまりおいしくないものです。終わりの時に用意されてい る希望を持たない信仰者は、頼りない信仰でしかないでし ょう。その希望について明確に示している今日の箇所を見 ていくことにしましょう。 (1)神が新しい天と、新しい地とを創造される

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* ヨハネに示されている幻は、延々と続いた恐ろしい裁きの 光景が終り、悪と罪をもたらした張本人であったサタンも 滅ぼされ、後は、信仰者の希望の実現が控えているだけで ありました。ヨハネは、わくわくする思いで期待して見て いると、これまでの古い天と古い地は完全に崩れ去り、新 しい天と新しい地を見たと言います。ここから見て、ヨハ ネが立っているところは、天上であったと考えられます。 * この言葉は、古い天と地は、古い天が地球を取り巻く宇宙 空間の天体を指すと見た場合ですが、(Ⅱペテロ 3:10) それらは目に見えていたものであります。けれども、それ が太陽や月も含めすべてが滅びて、新しい天と地が一瞬に して現れるのですが、それは、目に見えるものではなく、 見えない神による、霊的な空間表現であることは言うまで もないことでしょう。どうして見える天と地と、見えない 天と地を同じ表現で呼び、混乱させているのでしょうか。 * もう一つの疑問が出てきます。それは、天と言うのが、単 に天体を指すのではなく、黙示録でも天が開かれたと言っ ているように、神のおられるところを指す表現でもあると するなら、古い天が滅びると言うのも理解しにくいことに なります。人間の罪の故に汚れた古い地(地上と地上に住 むものすべて)だけが滅びるのであれば、理解できます。 これがどういう意味なのか考えて見なければなりません。 * 神は、このことをすでにイザヤに示しておられます。65: 17 で、神が新しい天と、新しい地とを創造されることが 語られ、同じ 66:22 では、私が造ろうとしている新しい 天と、新しい地と言う表現で、最初の天と地を造られた時 のように、古い天と地の改訂版ではなく、全く異なった新 しい天と、新しい地とを創造されることが言われています。

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この神の啓示が黙示録につながっており、これが黙示録の 幻の背景であることは言うまでもありません。 * ここから分かることは、罪と汚れに満ちた最初の世を完全 に消去され、新しいと言う言葉で、全く質の違った新たな 世界を創造されると強調しているのでしょう。そこには海 がないと言うことで、これはおそらく、不安定で、汚物を 吐き出すという(イザヤ 57:20)悪しきものの象徴のよ うに語られているところから考えると、それらが一切ない、 きよい世界を意味しているのでしょう。 * 全く異なった古い天と地と、新しい天と地をここに並べて 示しておられる意図は何でしょうか。これは、神の最初の 創造が、滅ぼすしかないものに堕落してしまい、もはや修 正、再生ではどうにもならないものとなってしまっている のをご存じですから、神の御心の中では、最初から第 2 の 創造が考えられていたのでしょう。 * しかも、第 2 の創造は、第 1 の創造のように、堕落する可 能性のあるものではなく、また、目に見える物質的なもの ではなく、完全な、目に見えないものであることを、並べ て示すことによって、その違いを明らかにするためだった と考えられます。その違いが、海はないと言う、この表現 の中に込められているのでしょう。 * この新しい天と、新しい地と言う表現をもって信仰者に語 りかけておられる希望とはどのようなものなのでしょうか。 それは、古い天と地の中でもがき苦しみ、罪と悪に憑りつ かれ、抜け出すことができない、そんな人間の内に染み込 んでいる古い人が、ここで完全に処分され、罪と悪が入り 込むことのない新しい天と地の中で、全く新しい人に造り 変えられた者たちとして招き入れて下さると言う朗報を明

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らかにすることにあったのでしょう。 (2)霊的空間に造られた新天新地と新しいエルサレム * 2 節にも理解しがたい点が幾つかあります。第 1 は、古い 天と地は、今の世界のことですから、その中心として、神 が臨在されるところをエルサレムに定められたことは分か ります。しかし、古い世界は焼却され、新しく創造された 天と地には、神を信じる者しか入られないところでありま すから、その中心として、神の臨在される新しいエルサレ ムを定められる必要があるのかと言う点です。 * 第 2 は、この新しいエルサレムが、キリスト教会の象徴だ と言う人があります。確かに新しいエルサレムが、夫であ るキリストのために着飾った花嫁のように用意を整えてい ると言い、9 節では、小羊の妻なる花嫁と言う表現で、キ リスト教会を指していると言えるのですが、この状態にお いて、キリスト教会だけの町を、天から下らせる必要性が あるとは到底考えられません。 * 第 3 は、新しい天と、新しい地とは一体のものと考えるべ きか、新しいエルサレムが天から下ってきたと言われてい るところから考えて見ると、新しい地は下にあって、そこ に新しいエルサレムが下りてきたと考えるべきか。 * 第 4 は、新しい地と、新しいエルサレムとの関連はどう考 えるべきでしょうか。新しいエルサレムに、神が共にいて 下さる幕屋があり、そこに神がいて下さると言う事実の故 に、もはや死も、悲しみも、叫びも、痛みもないと言う、 古い世において味わわなければならなかったものが、すべ て解消されると言っているのはどのような状態を指すのか。 信仰者である私たちを迎え入れて下さると言われている新

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しい世界のイメージがなかなか持てない部分がありますか ら、それを考えていくことにしましょう。 * 第 1 の疑問は、新しい天と地は創造されたと言い、もう一 方では新しいエルサレムが神から下りてきたと言う内容に、 整合性、一貫性が感じられないことにあります。第 1 の疑 問だけではなく、1~4 までの疑問はすべて一つの神の示 し方を受けとめることができるかどうかにかかっていると 言えるでしょう。全体として見ていくことにしましょう。 * 新しい天と地と言っても、人間はどうしても物質的、位置 的、状態的な受けとめ方をしようとする考え方からなかな か離れられないところに、この幻を受けとめる難しさの壁 があるのです。それは何かと言いますと、新しい天と地は 見えないものであり、古い天と地とは全く別の異空間と言 うか、見えない、形のないものであり、それを創造された と言われても、人間が感じ取ることも、理解することもで きないものです。 * 更に新しいエルサレムと言われても、エルサレムの町を思 い浮かべるように言われているのではなく、すべて比喩で あり、人間が聞きやすいようにと擬人法と比喩とを混ぜ込 んでおり、人間の知恵による理解力では全く歯が立たない のです。この比喩を通して言われていることは、神を中心 とし、神が共にいて下さり、神と完全に結び合わされた状 態にされていることを示すことにあったのです。 * 新しい天と地は創造されたと言い、もう一方の、新しいエ ルサレムは天から下りてきたと言っていますが、これは、 同じだと考えるべきでしょう。新しい天と地は、御国全体 を指し、新しいエルサレムは、そこに入れて頂いた者たち の霊的な状態を示すことに、この幻の意味があったのだと

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考えられるからです。すなわち、新しい天と地と、新しい エルサレムが同じ状態を示し、一方は人間が考えもできな い異空間を指し、新しいエルサレムと言うことによって、 そこに入れて頂いている者たちの霊的状態を示していると 考えるべきでしょう。 * この新天新地は、神が異空間にと言うよりもっと適切に言 うならば、霊的空間に造られ、それが、新しいエルサレム として天から下ったと言うのは、高低差を示しているので はなく、一番高い神の下から霊的空間の新天新地へ注がれ たと言う、霊的な状態を比喩的表現で示していると言えま す。ですから、新天新地も、新しいエルサレムも、御国に おけるキリスト教会そのものだと言えます。そこには、死 も、悲しみも、叫びも、痛みもない神の下だと言うのです。 (3)古いものが過ぎ去り、すべてが新たになる * こうして先のものがすでに過ぎ去ったと言う事実が、御国 に入れて頂いた信仰者にとってどんなにすごい事実である かを明らかにした上で、そこに、御座にいます神から明白 な言葉があったと言います。「見よ、私はすべてのものを新 たにする」と。更にこれらのことは信ずべき真理であるか ら、後世の人が知ることができるように書き記せ」と言わ れたのです。この後の語られた内容は、もう少し深く学び たいですから、次回に見ることにしましょう。 * すべてのものを新たにすると言う神の宣言は、古いものを もはや見ることがなくなり、罪のない新しい世界の出発だ と言われているのです。何一つ過去にこだわることなく、 時間に制約され、時間に追われ、時間の中で格闘し続ける 昔の生き方が終わり、時間を超越した新しい今を生きるこ

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とができることを、すべてのものを新たにすると言う言葉 で言い表しているのです。 * そればかりではなく、うそと偽りと欺瞞で塗り固められて いた古い人生はすべて終わり、全く新しい、義の住む世界 で、義の思いに溢れた新しい人生を生きることができるよ うに、すべてのものを新たにして下さったのです。そこに は政治もなく、経済もなく、駆け引きもなく、憎しみもな く、混乱もなく、4 節に記されていたように、死も、悲し みも、叫びも、痛みもない。それらのものはすべて過ぎ去 ったと言われているからです。 * 古い世界に生きている者は、古い生き方に染まっているの で、政治もなく、経済もなく、駆け引きもなく、憎しみも なく、混乱もなく、死も、悲しみも、叫びも、痛みもない と言う全く新しい世界の情景を理解することができず、果 たしてそんな生活はつまらないのではないかと考えたりす る人があります。肉の思いからしか見ることができない人 は、当然そのような思いになるでしょう。新しいこと、新 しい世界が分からないからです。 * まして、あのⅡペテロ書で言っていた、義の住む新しい天 と新しい地と言う世界など理解不可能です。もっと分かり やすく言うならば、キリストが罪をあがなって下さったと 言う福音を信じて、神が義と認められた者たちだけの世界 だと言っているのです。終わりの時が来たら、新しいから だが与えられ、救いが完成し、神の前に何の問題もない義 人とされた者たちだけがいる世界、それが新天新地だと言 っているのです。 * すべてが新しくなるから、喜ぶことも、楽しむことも、う れしいことも、幸いなことも、新しい世界でのものに変化

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するので、古い世界での感覚では分からないものです。そ して、このことが信ずべき真理であると後世に書き残すよ うにヨハネに命じられたのです。 (結び)信仰者にとって希望がイメージされているか * 信仰者は何を望みとして生きているべきかと言うことにつ いて見てきました。しかし、今、肉の世界に住んでいるの で、多くの信仰者も、肉の思いに妨げられて、正しい霊的 イメージを持つことができていないので、ただこのことを、 なくてはならない大事な希望として抱いていないのではな いか。ただ御国に入れて頂けると言う、かすかな希望で済 ませてしまってはいないか問われています。 * もちろん、それが悪いと言っているのではありません。御 国に入れて頂くことは希望となりますが、もっと明確な希 望を持つように示されているのが、黙示録が記された目的 であると言えます。それでは、今日の箇所からどのような 明確な希望をイメージすることができるのでしょうか。 * 今日は、その前半を学んだだけであり、9 節からは新しい エルサレムについての詳細が更に記されており、それを学 ばない限り正確とは言えませんが、今日の箇所の前半にお いて示されているものを正しくイメージできるなら、最も 重要な大枠を理解した、素晴らしい、期待が持てる、信仰 者として持つべき希望を抱いていると言っていいでしょう。 * それは、古いものはすべて過ぎ去って、すべてが新しくな ると言われたことを、イメージを描く前提にする必要があ ります。新天新地では、古い世界の考え方は全く通用せず、 古い世界での生き方、求めていたものはすべてなくなり、 これまでとは全く異なった新しい霊的世界に突入すると言

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います。そこは、救いが完成した者たちだけの世界であり、 神に義とされた者たちだけが住み、罪と悪が入り込むこと のない、これまで生きてきた世界からするなら、全く異質 の世界であり、驚くべき世界だと言います。 * それでは、古い世界とどう違うのでしょうか。霊的に言え ば、そこは新しいエルサレムとなり、そこを神の幕屋とし て、一人一人に神が共にいて下さり、その住民は神の民、 神の子としてどこまでも愛して下さり、その住民の歩みす べてに全責任を持って下さり、幼子を見守る母親のように、 目を留めておられると言う霊的な光景が記されています。 * 政治、経済、社会生活、仕事、趣味、娯楽、料理、飲食、 音楽、家、車、服装、おしゃれ、スポーツ、健康、等々、 それはすべて人との比較の中で、人の目を気にし、見栄、 ごまかし、きれいごと、欲などがうごめいており、誰ひと りそこから逃れることができないものでした。しかし、新 天新地では、それらがすべてなくなり、神との関係におい て同等であり、比較する者はなく、神が共にいて下さると 言う事実の故に、人目を気にする必要がなく、神だけを見 上げて、喜びと感謝にあふれるようにされるのです。 * そして最も理解しているべきことは、私たち人間において も、古いものは過ぎ去ってすべてが新しくなると言う、世 にいた時と全く異なった完成された人間となると言う点で す。それでは以前の私ではなくなるのか、そうではありま せん。以前の私のまま、私と言う自覚を持ったまま霊が 100%解放され、完成され、肉が入り込んでいたからだが なくなって新しいものが与えられ、肉が染み込んでいた心 が、新しい心になって、もはや肉の思い、罪と悪が入り込 まない、肉欲から解放された者にされると言うことです。

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* それが、人の目から涙を全くぬぐい取って下さると言うこ とです。これは、涙することがない状態にしようと働いて 下さると言うことではなく、涙することがない人間に、根 底から造り変えて下さると言っているのです。死もなく、 悲しみも、叫びも、痛みもないと言う表現で、外側からで はなく、内側から人間性をすべて造り変えて、恐れも、不 安も、不信も、疑いも、惑いも持たない人間となり、混乱 のない、本物の喜びと内なる力を感じ取る者とされると言 っているのです。人間はもはや自分を見て嘆く部分は全く なくなり、落ち込む必要はなくなるのです。 * 何と言う希望、何という変化でしょうか。この世の感覚を 持ち続けることなく、この世の不満、不足、不純な思いは すべて消去されると言う、古いものは過ぎ去って、すべて が新しくされると言う、神による最高難度のみわざが、新 天新地において実現されると言うのです。信仰者が持つべ き希望は、この世の延長線上の、よりよい希望と言うよう なものではなく、全く次元を超えた、人間を完成され、真 の喜びと平安を味わえる者にすると言う希望なのです。

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