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原  著

日本助産学会誌 J. Jpn. Acad. Midwif., Vol. 21, No. 2, 58-70, 2007

人工栄養がなかった時代に子育てをした女性の

母乳哺育体験に関する研究

Experiences of breastfeeding for Japanese women

who raised children in a time

when breast milk substitutes were not readily available

板 谷 裕 美(Yumi ITAYA)

*1

北 川 眞理子(Mariko KITAGAWA)

*2 抄  録 目 的  人工乳がまだ手に入りにくい,昭和の戦後復興期時代に子育てをした女性の母乳哺育体験が,どのよ うなものであったのかについて明らかにし,記述すること。 対象と方法  第1子を1955年以前に出産し母乳哺育体験をもつ健康な高齢女性13名を対象に,自身の母乳哺育体験 に関する半構成的面接法を中心としたデータ収集を行った。インタビューは本人の許可を得て録音し, 逐語録作成後エスノグラフィーの手法を参考に質的帰納的に分析した。 結 果  13人の女性の母乳哺育体験に関する記述データから,4つのカテゴリー;【良好な乳汁分泌と身体性】, 【授乳継続への積極的思考と行動】,【他者による母乳哺育への心理社会的関与】,【母親としての肯定的 な自己概念の再形成】と,16のサブカテゴリー;〈良好な乳汁分泌状態の継続〉,〈自然な乳汁分泌促進に つながるライフスタイル〉,〈授乳継続と避妊効果〉,〈母乳哺育に関する知識や情報の入手〉,〈自律授乳 を当たり前とする授乳慣習〉,〈授乳がもたらす快感情の経験〉,〈離乳時期の延長〉,〈母乳哺育に対する ゆるぎない価値信念〉,〈自由な授乳を束縛される苦痛と苦悩〉,〈断乳の他者決定〉,〈実母による強力な 支援と信頼〉,〈産婆による差異ある授乳支援〉,〈母乳代替を通じた近隣社会の中での助け合い〉,〈母 乳哺育に受け継がれる経験知の伝承と遵守〉,〈母乳哺育スキルのスムーズな獲得と母乳育児への自信〉, 〈高い母親役割意識の形成発展〉が抽出された。 結 論  人工乳がまだ手に入りにくい戦後復興期時代に子育てをした女性は,自身の良好な乳汁分泌を自覚し, 他者による母乳哺育への心理社会的関与を受けつつ,授乳継続への積極的思考と行動をとっていた。そ して母乳哺育を通して母親としての肯定的な自己概念の再形成をしていた。当時の女性とその家族には, *1

岐阜大学医学部看護学科(Gifu University, Nursing Course, School of Medicine)

名古屋市立大学大学院看護学研究科博士後期課程(Nagoya City University, School of Nursing, Doctoral Course)

*2

名古屋市立大学看護学部(Nagoya City University, School of Nursing)

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子どもを育てるには母乳しかない という意思や信念が強く存在していたことが示唆された。 キーワード:高齢女性,母乳哺育体験,戦後復興期

Abstract Purpose

The purpose of this study was to explore and describe the experiences of women who breastfed their children in Japan’s postwar period when breast milk substitutes were not readily available.

Methods

The subjects of the study were 13 healthy elderly women who gave birth to their first child in 1955 or earlier, and who raised their infants on breast milk. Information on women's experiences breastfeeding their children were gathered mainly from semi-structured interviews. The interview data were recorded after obtaining the consent of the women. Afterwards, transcripts were prepared and a qualitative inductive analysis was performed with refer-ence to the methods of ethnography.

Results

Four categories such as: “good lactation and physicality”, “positive thought and behavior toward the continu-ation of breastfeeding”; “psychosocial involvement toward breastfeeding by others”; and “affirmative self-concept of themselves as mothers”, along with the following sixteen subcategories including as: [the continuation of good lactation]; [a lifestyle promoting natural lactation]; [nursing continuation and contraception effect]; [acquisition of knowledge and information about breastfeeding]; [nursing custom assuming autonomous feeding]; [experience of the pleasant feeling that nursing brings]; [extension of weaning time]; [firm convictions as to the value of breast-feeding]; [pain and distress from restricted free nursing]; [another person’s decision as to breast milk deprivation]; [strong support and trust of mother]; [nursing support that a midwife makes a difference]; [cooperation among community through back up of mother’s milk]; [guarding and passing on breastfeeding tradition and experience]; [smooth acquisition of breastfeeding skills and confidence in child care]; and [formation development of high ma-ternal role awareness]. These were extracted from the descriptive data on the breastfeeding of these 13 women. Conclusion

In Japan’s postwar reconstruction years breast milk substitutes were not readily available, and women who experienced breastfeeding at that time were self-aware with regard to good lactation; they inherited the psycho-social involvement toward breastfeeding by others; they had a positive attitude and behavior with regard to the continuation of breastfeeding; and may be assumed to have had an affirmative self-concept of themselves as moth-ers through the act of raising their children on breast milk. These women and their families were motivated by the belief that “there is only mother's milk to bring up my child”.

Key Words: elderly women, breastfeeding experiences, postwar period

Ⅰ.は じ め に

 わが国では今からおよそ30年前の1975(昭和50)年 に,WHOの決議を受けて母乳推進運動が始まった。 そして1990年代前半の「母乳育児成功のための10か条」 発表後には,数多くの研究によるエビデンスを基に, 「赤ちゃんに優しい病院運動:Baby Friendly Hospital

Initiative」も開始された。しかし2005(平成17)年にお けるわが国の母乳栄養率は,生後1ヶ月で44.2%,生 後3ヶ月で38.0%に低下し,逆に人工栄養率は生後1ヶ 月で5.1%,生後3ヶ月で21.0%へと上昇している。そ の前から,何十年にもわたって病院で行われてきた 標準的授乳指導の多くが,知らず知らずのうちに母 乳育児の障壁になっていると指摘され(マースデン, 1994/2002),産後の母乳分泌不足感などを理由に人工 乳を哺乳させることが,退院後の母乳栄養率低下に関 与しているという指摘(Hill, 1997)もある。  ところで現代のように人工乳という母乳代替品がな かった時代,多くの女性はどのように母乳哺育を体験 していたのだろうか。妊娠や出産にまつわる産育習俗 に関しての研究蓄積が多く認められる中(恩賜財団母 子愛育会,1975 ; 佐野,1981 ; 鎌田,1990),母乳哺育 に関する記述は,乳の代用食や母乳の出をよくする食 物,もらい乳や乳祈願についての記述にとどまってお り,母乳哺育を通して女性が受けたケアや,心身共に どのような体験をしてきたのかに関する内容はほとん ど見当たらない。山本(1983)は,母乳哺育そのもの

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ずばりの過去は,伝承の世界においてより多く語られ ており,文字によって記録し,後世に残すにはあまり に当然すぎる事象だったのかもしれないと指摘してい る。  近年,「乳揉みさん」の活躍に着目して調査を始め た伊賀(2001)は,兵庫県でサービス提供者として母 乳哺育を支えた人達への聞き取り調査を実施し,1960 (昭和35)年頃までは,男性も含めた民間医療者や東 洋医療従事者の他,一部の産婆が「乳揉みさん」とし て活躍していたことを紹介している。しかしケアの受 け手である女性の声を反映した調査はなく,特に世界 的な人工乳販売戦略が起こる1960年代以前に子育て をした女性の母乳哺育体験については未知の部分が多 い。  本研究は昭和20∼30年代の人工乳が豊富に手に入 らなかった戦後復興期時代に,農村地域で母乳哺育を していた,現在70∼80歳代の女性を情報提供者とし て,民族学的手法を参考にデータ収集を行った。当時 の女性が母乳哺育を継続するために行っていたセルフ ケアや受けたサポートの他,母乳哺育にまつわる心身 の状態や,家族・社会とのつながりがどのようなもの であったのかについて調査し記述しておくことは,現 代女性の母乳哺育を推進する上で,われわれ助産師に とって有益な知識を与えてくれると思われる。

Ⅱ.方   法

1.対象  1955(昭和30)年以前に第1子の出産を終えているG 県在住の高齢女性で,言語によるコミュニケーション が図れ,研究承諾を得られた13名であった。 2.研究協力への依頼手順と倫理的配慮  情報提供者の選定には主にG県G市の農村地域にお いて果樹園経営を務め,地区内の自治会に詳しいゲー トキーパーの協力を得た。本研究の趣旨をゲートキー パーから協力者へ電話で伝えてもらい内諾を得た後, 研究者が再度口頭による説明と研究協力依頼を行い面 接の日程を調整した。面接場所は情報提供者の希望 に応じて設定し,面接当日には書面による説明を行っ たうえで,同意書への署名を情報提供者本人から得た。 その際匿名性の保持,不都合が生じた場合の中断によ る不利益は一切生じないこと,データの一切は本研究 以外に使用せず,収録物は全て研究終了時点で直ちに 消去することを保証した。なお,本研究は研究計画書 の段階で名古屋市立大学看護学部研究倫理審査委員会 において2005年7月20日に承認されたものである(ID 番号05006)。 3.データ収集方法  データ収集に際しては当時の文化的な習慣や規範, 慣習を理解し記述する民族学的手法を参考として,調 査地の人口動態や衛生統計,当時の時代背景などを記 した歴史的史料をもとに関連情報を収集した上で,時 代を追想しながら研究協力者との半構成的面接を実施 した。面接では当時の母乳哺育に関する体験談,授乳 や哺乳の状況,母乳哺育を継続するために行ったセル フケアや受けたケア,利用できたサポート,欲しかっ たサポートは何か,そして今振り返って母乳哺育が人 生に与えた影響は何かについて自由に語ってもらった。  面接形態は情報提供者の自宅や,農作業中の畑と いった生活の場での個別面接が中心となったが,情報 提供者同士が友人関係にある場合は,複数の情報提 供者が集まる場所でのグループ面接を実施した。また, 面接の場に情報提供者の夫が同席する場合もあったが, すべて本人の意思を優先し,自然な流れに沿って面接 を行い,研究者は徹底して聞き役に回ることに努めた。 面接内容は許可を得てICレコーダーに録音し,面接 終了後直ちに作成した逐語録を主な分析データとした。 4.データ収集期間  2005年7月25日∼2006年3月11日であった。 5.データ分析方法  当時の女性の母乳哺育体験について,集めたデータ を読み直し,意味の了解可能な最小単位の文節で取り 出した後,カテゴリーを打ち出して比較,対比した。 カテゴリー間の関係の探索とカテゴリー同士のグルー プ化のプロセスを経て,パターン類型を見出し記述し た。データとデータ分析の信頼性・妥当性を高めるた めに,質的研究に精通した指導者にスーパーバイズを 受けた。

Ⅲ.結   果

1.対象の背景  情報提供者の概要を表1に示す。平均年齢79.4 3.7 歳,出産回数は双子1組を含め,一人平均2.5 0.8回

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であり,ほとんどが実家で産婆による分娩介助を受け て自然出産していた。第1子出産時の年齢は平均23.9 3.1歳であり,死産を経験していた者はなかった。  授乳当時の家業は,G市内で文房具店を自営してい た一人を除き,全員が専業あるいは兼業農家であっ た。1子あたりの授乳期間は最短4,5ヶ月から最長4年, 平均1.8年 11ヶ月であった。 2.調査地の概要  G市の中心部から約7km北西に位置する,G市K地 区Hと呼ばれる農村地域を調査地とした。村の北西 には標高225mの山があり,その麓には富有柿を中心 とした果樹園と田畑が広がるのどかな田園地帯である。 平成17年10月1日現在の人口統計資料によると,当該 地区の人口は1072人,457世帯,高齢人口率20.41%で あった。 3.昭和20〜30年代当時の生活文化  岐阜県女性史『まん真ん中の女たち』(2000)による と,戦後の農村では,昭和21年から25年にかけての 農地改革により,小作農に代わって広範な自作農が増 加し,農村の民主化が実施された。また,昭和22年 の民法改正によって社会的には家制度が廃止され,婚 姻の自由や子どもたちの権利平等といった新しい家族 理念の啓蒙が進んだ。しかし農業生産や農家の生活様 式には,戦前からの戸主を家長とする生活慣行がその まま根付き,女性の生活に大きな変化をもたらすこと はなかったという。戦後ほっとする間もなく女性達は 食糧確保に奔走され,芋やカボチャのつる,たんぽぽ, ふき,野草や木の葉,木の芽などを何でも口にし,食 べることが生きることでもあったとされている。食糧 表1 情報提供者の背景 事 例 年齢 家業 出産年 出産時の年齢 出産場所 授乳期間 母乳分泌状況 代替乳の経験 乳房トラブル A 77 専業農家 S23 19 大学病院 2 年 良 好 ─ ─ S25 21 自  宅 2 年 良 好 ─ S27 23 〃 2 年 良 好 ─ B 79 兼業農家 S20 21 〃 1 年 良 好 ─ 「双子の時だけちょっと足らなん だぐらい」 S22 22 〃 1 年 良 好 ─ S24 24 〃 1 年 良 好 ─ S28 26 〃 不 明 時々不足 米汁・ヤギ乳 C 84 兼業農家 S22 26 〃 2 年 良 好 ─ ─ S25 29 〃 8ヶ月 良 好 ─ S26 30 〃 2 年 良 好 ─ D 80 専業農家 S23 23 〃 1 年 良 好 ─ 「次男の時には子どもの足が動か ず悩んだねぇ。それで乳が出んよ うになったのかも」 S26 26 〃 出 ず 分泌停止 米汁・ヤギ乳 S27 27 〃 2,3年 良 好 ─ S31 31 〃 3 年 良 好 ─ E 86 専業農家 S25S27 3133 〃 1 年1 年 まずまず良好まずまず良好 ─ ─ F 82 専業農家 S24S26 2628 〃 2 年4 年 良 好良 好 ─ ─ G 78 兼業農家 S25S28 2326 〃 2 年2 年 良 好良 好 ─ ─ H 73 専業農家 S29 21 〃 2 年 良 好 ─ 「第二子の時,虫歯治療中乳腺炎になってまって,乳が止まった」 S32 24 市立病院 4,5ヶ月 良 好 ヤギ乳・牛乳 J 84 専業農家 S22S26 2529 自宅 1 年1 年 良 好良 好 ─ ─ K 75 文房具店自営 S26S31 2025 2年以上2 年 良 好良 好 ─ L 77 専業農家 S28 24 〃 2,3年 良 好 ─ 「長女の時1回だけ勝手にミルクを飲まされて,乳腺炎になった」 S40 36 〃 2,3年 良 好 ─ M 80 専業農家 S26S29 2528 3 年3 年 良 好良 好 ─ N 77 専業農家 S30S35 2631 〃 3 年3 年 良 好良 好 ─ ─

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難のおり「嫁にやるなら大農家へ」といわれるほどで, 都市部の娘達は農家へ嫁ぎ親からは喜ばれたとも記さ れている。  昭和25年には県内に生活改良普及員が誕生し,翌 年には各町村に生活改善推進委員会が設置され,農山 村の生活改善に向けて衣生活や食生活,住宅環境など の生活指導が本格的に開始された。さらに昭和30年 頃には県内各地のほとんどで,生活改善懇談会や推進 クラブが設置され,冠婚葬祭の簡素化,台所改善,蚊 や蠅の駆除,水道の敷設,家計簿の記載などに取り組 まれた。しかし昭和35年の調査によれば,県下の農 家100戸当たりの耐久消費財(テレビ・電気洗濯機・ 家庭用電気井戸ポンプ・モーターバイク)の普及率は 2割に満たず,都市世帯と比べれば農家の近代化は遅 れていた。  昭和23年末のG市における助産婦数は292名,保健 婦68名,看護婦816名であり,昭和30年および35年 の就業助産婦数は,113名であった。昭和35年におけ るG市の助産婦のうち,83名が出張のみの就業者で, 7名が病産院や保健所への就業をしていた。助産所の 開設者は19名であった。 4.当時の女性の母乳哺育体験  インタビューは延べ15回,1回所要時間は最短33分 から最長116分,平均58分 23分であった。3名の同一 情報提供者が集まるグループと,1名の重要な情報提 供者には各2回インタビューを実施するとともに,最 終の分析結果について確認を得た。  逐語録は39字 54行(約2000字)合計53枚,約106,000 字となった。13名の女性の母乳哺育体験に関する記述 データから,4つの【カテゴリー】と16の〈サブカテゴ リー〉が抽出された。表2にカテゴリーとサブカテゴ リーおよびその根拠となる背景を示す。以下より情報 提供者の語りを引用しながら,抽出されたカテゴリー ごとに,各サブカテゴリーの詳細を記述していくこと とする。なお情報提供者の語りの部分は「斜体」で記し, 研究者が話の筋を変えないように意味の通じる言葉を 補った部分は( )内に追記した。 1 )【良好な乳汁分泌と身体性】  このカテゴリーには,〈良好な乳汁分泌状態の継続〉, 〈自然な乳汁分泌につながるライフスタイル〉,〈授乳 継続と避妊効果〉の3つのサブカテゴリーが含まれた。 (1)〈良好な乳汁分泌状態の継続〉  「出るの出るのお乳がね,ほんでもう腫れてちょび んちょびんして,タオルを二つに折って,それを三つ に折ってもまたしみてくるの。……[中略]。友達な んかみんなお乳で育ててるよ。私らの年齢ぐらいの 人やったらみんなお乳で育ててみえるねぇ。出なく て困った人は聞かんねぇ。」(A氏)や,「2時間おきに がーっと張って青筋が出てね。ほいでがーぶがぶと子 どもが飲むんやわ。」(B氏),「自給自足でお乳の出た 私らは幸せじゃった。」(D氏),「よう出たしトラブル もなくってありがたかった。」(K氏)という語りに代 表されるように,当時の女性の乳汁分泌状態は概ね良 好であり,「よく出た」という自覚や随喜が全ての女 性にみられた。  当時は哺乳量測定などの手段もなく,女性自身の身 体感覚から自分の母乳の「出が良い証し」を感じ取っ ており,特に「仕事してたら飲ませられんしねぇ,ジ ブジブ乳が出て,乳首のとこだけ着物が腐るんや。ほ んでうちらのとこの人らは皆,ここが穴あいとった。」 (F氏)や,「張りまして。ハンカチかタオル当てとく とねぇ,ビッタビタになってしまって,今度はそこが 乾くとパキパキになって自分のほうの皮膚が痛くなっ て。ブラジャーなんてなかったしねぇ。私は一代で着 物が済んでしまいました。」(L氏)というように良好な 乳汁分泌は,物のない時代の授乳女性の衣生活にも影 響を及ぼしていたことがわかった。「赤ちゃんがむせ るほど乳が出たし,飲んだらコテンと寝てありがた かった。」という女性も多く,特別な事情がない限り 当時の授乳女性の乳汁分泌状態は良好に継続していた ようである。 (2)〈自然な乳汁分泌促進につながるライフスタイル〉  「出す努力をしなくても,ようけ出てお乳は張っ た。田んぼにおるとひとりスーッと出よった。」(M氏), 「乳の出る出んは食生活しだいだと思う,油は使えな かったから煮物ばっかりでね。」(C氏),「やっぱし自 分達も動いてね。そりゃ今のような食事は(ないで)ね, 簡単なもんで野菜が主体でしたでねぇ。ほんでも,お 乳はおかげさんでよく出ました。」(J氏),「これをや るからお乳が出るとか,どうこう意識なしに毎日の仕 事にね,手も上げるわ,うつむきもするわ,何もかも してねぇ,それが(お乳には)よかったのかな。」(L氏) という語りから,女性達は当時のライフスタイルが, 乳汁分泌の促進に影響していることを示唆しているよ うであった。  当時の一般家庭にはガスコンロや洗濯機,水道と いったモノがなく,授乳中の女性は釣瓶を用いた井戸

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の水汲みや,洗濯板でのオムツ・衣類の洗濯といっ た家事労働をすべて手作業でこなしていた。また決 して栄養が豊富だとはいえない戦後の食糧事情の中 で,「ご飯にヒエを混ぜると乳がよく出るとかね,鯉 炊いたりアマゴや鮎を炭焼きで食べたり,ヘソ団子(米 の粉で作った団子)の味噌汁を食べさせてもろたりし た。」(B氏)と話し,手に入れば鯉汁や餅を意識的に摂 取するなどして,食にまつわる伝承文化を実行してい たことも語られた。大豆で作った自家製の味噌や,米, 野菜,果物,魚といった食品から構成される伝統的和 食を摂取していたことも語りの中から明らかとなった。 (3)〈授乳継続と避妊効果〉  今回の調査では,授乳期間中の夫婦生活の実態に ついて情報を得ていないが,お乳をやめると子がで 表2 母乳哺育体験カテゴリー カテゴリー サブカテゴリー 根拠となる背景 良好な乳汁 分泌と身体 性 良好な乳汁分泌状態の継 続 「よく出た」という自覚と随喜/身体感覚から量り知る「出が良い証し」/空腹を満たし満足に眠る子どもの反応で知る分泌の良さ/衣生活への影響と工夫 自然な乳汁分泌促進につ ながるライフスタイル 農作業や家事労働による自然な乳房マッサージ/菜食中心の低脂肪な食生活/下着による締め付けのない衣生活/食にまつわる伝承文化の実行 授乳継続と避妊効果 授乳がバースコントロールの一つの手段であるという経験知/およそ2∼3年おきの出産間隔 授乳継続へ の積極的思 考と行動 母親哺育に関する知識や 情報の入手 幼少時から授乳光景を見て育った経験/代替乳作りの手間と苦労の見聞/周囲の女 性の活発な乳汁分泌/初乳の重要性や母乳の免疫性,無菌性に対する知識/乳汁分 泌と吸啜刺激の関係に対する理解 自律授乳を当たり前とす る授乳慣習 仕事と育児に乖離のない授乳環境/他に委ねる手段の乏しい哺乳環境/泣けば与え るという自然な哺乳欲求への応答/公衆の面前でも当たり前に吸わせられた授乳文 化/授乳の簡便性の知覚 授乳がもたらす快感情の 経験 心身ともに満たされた快い幸福感や快楽感/拘束から解かれ労働休止の時間となっ た授乳時間の安らぎ/自分の成分をとって育つ児への喜びや期待/子どもとの親密 な一体感と愛情による楽しみ 離乳時期の延長 とめどなく飲ませていたいという母親の思い/断乳に対する母親の消極的姿勢/離乳食に関する知識の欠如/おやつ代わりに乳を吸う子の存在/食べるものに乏しい 大家族の食糧事情 母乳哺育に対するゆるぎ ない価値信念 お乳だけは何が何でも与えたいと子を思う親の気持/ボディイメージの変化には無 頓着だった女性/貧しい食糧事情の中での経済的負担軽減に寄与する意思/母乳は 子どもが丈夫に育つという強い信念 他者による 母乳哺育へ の心理社会 的関与 自由な授乳を束縛される 苦痛と苦悩 家や百姓優先の忙しい日常/厳酷な舅姑の支配下にある弱い嫁の立場/我慢辛抱忍 耐が当たり前とされた良い嫁像への縛り/多くは期待できない夫の育児協力/我慢 の末の乳腺炎による身体的苦痛 断乳の他者決定 次子妊娠回避に対する周囲の圧力/労働力を期待する他者からの断乳指令を受け入れる母親/母親による意思決定は受容されにくい時代背景/子どもから自然に卒乳 するのを待った母親 実母による強力な支援と 信頼 知識やケアの提供者となった実母の存在/教え,ケアしてくれたという実母への信 頼感/気を使わず気楽に甘えられる実母との関係/出産時にもかかわりの深かった 実母 産婆による差異ある授乳 支援 乳管開通や乳揉みを受けた女性は少数/乳揉みの指導を受けてセルフケアしていた 女性/農村部での産後1週間以上の継続ケアは皆無/授乳ケアより優先された児の 沐浴/初乳や栄養の重要性は指導あり 母乳代替を通じた近隣社 会の中での助け合い 自己決定可能なもらい乳やもらわれ乳/代替え乳やもらい乳による助け合いは,家 制度を超えて女性同士が協力しあえた出来事/他者にも躊躇うことなく喜んで与え られた母乳 母親として の肯定的な 自己概念の 再形成 母乳哺育に受け継がれる 経験知の伝承と遵守 産育習俗の伝承/伝承を迷うことなく信じ受け入れる女性たちの純粋な精神性/母乳を粗末に扱わない信条/次世代へも伝承され続ける母親の利点や授乳の意味 母乳哺育スキルのスムー ズな獲得と母乳育児への 自信 豊富な代理経験の存在/専門家のサポートは皆無/母乳を諦めない信念と根気よい 努力/自然に逆らわない母乳哺育の遂行完了に伴う達成感/五感を使って母親を識 別する子どもの能力に気付く母親 高い母親役割意識の形成 発展 自分が子どもから頼りにされているという自覚/子どもを育てるのは当たり前の女 の役目という認識/子どもを育てているんだという自負心/子どもの成長発達や幸 せを無条件に願う心

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きたという話から,授乳中も夫婦生活は禁止されて いなかったことが推察された。「私はみんな二つ違い。 二歳まで飲ませて二歳になると(子が)出来て[笑い]。 あれねぇ見事ねぇ,お乳飲ませている人は乳が出なく なると子ができるんやて。」(A氏)や,「メンスがない 間は次の妊娠をしないし,乳も1年くらい続いたね。」 (B氏)という女性もおり,その当時は経験上そうで あったことを不思議に思いながら,自分の身体で授乳 継続による避妊効果を実感している様子であった。実 際には情報提供者のほとんどが,およそ2,3年の間隔 で次子を出産していたが,「あと(次の子)が出来るこ ともやかましくいうたぁ。」(F氏)や「私の姑さんは長 いこと飲ませな,すぐあと出来るで『飲ませよ』って 言われた。」(D氏)という語りから,嫁が授乳継続に よって妊娠を回避することが望まれていたという当時 の実態も明らかとなった。 2 )【授乳継続への積極的思考と行動】  このカテゴリーには,〈母乳哺育に関する知識や情 報の入手〉,〈自律授乳を当たり前とする授乳慣習〉, 〈授乳がもたらす快感情の経験〉,〈離乳時期の延長〉, 〈母乳哺育に対するゆるぎない価値信念〉の5つのサブ カテゴリーが含まれた。 (1)〈母乳哺育に関する知識や情報の入手〉  幼少時から授乳光景を見て育った経験や,周囲の女 性の良好な乳汁分泌を見聞きしていた経験は,「吸わ せれば母乳はいくらでも出る。」,「お乳は飲ませない と出なくなる。」という女性達の理解や認識につながっ ており,吸啜刺激と乳汁分泌の関係についても理解さ れていたことがわかった。また,「母乳の方が免疫も あるもんで,小さいうちは風邪も引かんでねぇ。」(G 氏)という語りや,「3人目は8月に生まれとるで暑い もんでぇ,母乳だけでねぇ。半年は(乳が)ないと他 の食べもんは腸が悪なったりするし,何でも親からも ろたもんはええでちゅうてね,私がいろんなものを食 べたの。初乳も飲ませたりしてねぇ。」(B氏)という 語りから,母乳の免疫性や無菌性の他,初乳の重要性 に対する知識も得ていたことがわかった。 (2)〈自律授乳を当たり前とする授乳慣習〉  「泣けば与えたくらいのもんでねぇ。(乳が)足りと るも足りとらんも,お腹ふくれりゃ寝てまう。お腹ふ くれたら寝るで,泣けばまたやるし。」(M氏),「その 頃はねぇ,ミルクなかったでしょう。だからどうして もねぇ,いくらでも吸わせるの。今みたいに時間おき になってなかったでね。」(E氏)という語りから,児が 泣けば好きなだけ吸わせるという自然な哺乳欲求への 応答や,自律授乳が当たり前に定着していた実態がき かれた。  「昔やで農繁期やと,大おばあさんに子守しに来て もらって,ほんでおんぶしたり乳母車へ入れたりして, 田植えのときなんか私のおるとこまで来てもらったの。 私が乳やりに帰ってたら仕事にならんでね。飲ませに 連れてきてもらって,とにかく2歳になるまではおっ ぱい。飲ませんと張ってくるし,私の身がもたんもん で。」(A氏)というように,仕事と育児に乖離のない授 乳環境のもと,他に委ねる手段の乏しい哺乳環境でも あったことから,子守役の助けを借りて,なるべく子 どもの哺乳欲求に合わせた自律授乳を慣行していたこ とがわかった。また「どこででもねぇ,男の人があっ てもなんともなかったねぇ。恥ずかしいなんてことは なかったねぇ,子ども育ててるんやでねぇ。」(M氏) と言い公衆の面前でも憚ることなく自由に授乳が行わ れていた光景が聞かれた。 (3)〈授乳がもたらす快感情の経験〉  授乳をしている間の気持ちについて,「私しかこの 子はあかんのやとかねぇ,この子らは乳を飲んで,私 の体の成分をとってかしこなってくれるんやろかなぁ と思て,ほっぺたをこうしてねぇ,にこーっと笑うと さぁ,可愛いいてねぇ。だんだんと色んな仕草が分かっ てくるもんで,楽しみと連れになるのよ。」(B氏),「可 愛かったねぇ。じーっとこうやってねぇ。顔,親の顔 ばっか見て飲んどるでしょう。その時の顔っていった ら,ほんとにこんな子が私から産まれたのかと思うと 嬉しかったねぇ。」(D氏)と,しみじみ語る女性の表 情からは,心身ともに満たされた快い幸福感や快楽感 を窺い知ることができた。また農作業の拘束から解か れ労働休止の時間となった授乳が,子どもとの親密な 一体感や愛着をもたらし,女性達に貴重な安らぎを与 えていたことも想像された。 (4)〈離乳時期の延長〉  離乳や断乳について女性達は次のように述べた。 「何にもしない。いつの間にか。遅くまでやりました んでっしょ。ほんな1年や1年半でないでね。お乳飲 みにこれば抱っこしておやつ代わりに乳飲ませるだ けのことで,3歳くらいまでは飲ませたんじゃないか ね。」(N氏),「ここ(乳首)にからし塗ったり赤チンキ 塗ったりしたら飲まんようになったけどね,なんか 可愛そうな気がして飲めるだけ飲ましてましたけど。 だぁれも(子どもに)やめろとは言わんけどね,大き

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なってくると自然にね。」(M氏),「何ヶ月でどうのっ ていうんやなしにぃ,遅くまで飲ませればいいんや て。おっぱいに胡椒なんかつけてねぇ,そんなにせん でもそのうちに笑われたりなんかしてると,独りでに 吸わんようになるでね。下の子が産まれると,『赤ちゃ んのやつやでもうあかんよ。』って言うと納得しよっ たもんねぇ。姉妹大勢やでそういうことは,自然と上 の者達が言うようになるでしょ。」(H氏)というよう に,どちらかといえば強固な断乳行為は行われておら ず,子ども側の心理的成長過程を見守りながら離乳し ていた様子が語られた。また,そこには いつまでも とめどなくお乳を飲ませていたい という母親の思い や,断乳に対する消極的な姿勢があったことも読み取 れた。さらに当時は,離乳食というものに関する知識 や概念がなく,子どもが食に興味を持ち始めた時点で, そろそろと母乳以外の物を食べさせていたという事実 も明らかとなった。 (5)〈母乳哺育に対するゆるぎない価値信念〉  ほとんどの女性が,「母乳で育った子は丈夫で健 康。」,「情が深いのか親を大事にしてくれる優しい子 に育った。」,「お乳は楽だし手間いらず。」など,母乳 哺育に対する自分なりの思いを語った。そして母乳哺 育に対するゆるぎない価値観を孫の世代へも伝承し, 女性にしか出来ない授乳行為をポジティブに女性の性 役割として受け止めていた。「ミルクなんて豊富に出 回ってないし,大体ミルク買えるようなお金なかった で,『乳飲ませなあかん,乳飲ませなあかん。』て,親 に言われとったですね。」(H氏)というように,何が 何でもお乳だけは与えたいという母親としての思いは 強く,貧しい食糧事情の中,家計への経済的な負担軽 減に寄与する意思も強かったことが語られた。「母乳 の方がお湯も沸かさんでいいし,栄養的にはちゃんと いいやろう。あんな重宝なもんないですよ,旅行先に も何にも持って行かんでいいしねぇ。乳が垂れるとか, 恥ずかしいなんて,子ども育てるうちはどうのこうの なんてあらへん,私は母乳党ですねぇ。」(H氏)とい う語りから,女性達が授乳によるボディイメージの変 化には無頓着だったこともわかった。 3 )【他者による母乳哺育への心理社会的関与】  このカテゴリーには〈自由な授乳を束縛される苦痛 と苦悩〉,〈断乳の他者決定〉,〈実母による強力な支援 と信頼〉,〈産婆による差異ある授乳支援〉,〈母乳代替 を通じた近隣社会の中での助け合い〉の5つのサブカ テゴリーが含まれた。 (1)〈自由な授乳を束縛される苦痛と苦悩〉  子どもの哺乳欲求に応じて自由に授乳をしていた とはいえ,農家に嫁いでいた女性達は,産後1ヶ月経 つか経たないかのうちに百姓へ出る者が多く,家や 百姓優先の忙しい日常を送っていた。そのため,朝の 授乳を終わらせたら,昼まで一度も授乳できないとい う女性もいた。産後であろうと大きな労働力として期 待されていた女性は,母である前に嫁としての責務を 果たさなければならず,人知れぬ苦難を感じていたこ とが語られた。「乳なんて十分飲ましてれぇへんだも ん。仕事が忙しいし機械仕事やないで,主人が出てい くとついてかんならん。今は何でも機械やけど,昔は 何でも道具持ってかんならん。いつまでも子ども抱か えて飲ましとれぇへん。ほんで泣くのをピッチーンと 離してねぇ,畑へ行きよったで,もうねぇ(子どもは) ずーっと泣きよったんやで。ほと,おばあちゃんがお んだり抱いたりして連れて見えよった。」(D氏),「辛 かったのは好きな時にあげられなかったこと。ただ仕 事の都合でね,自分が悪くてどうのこうのやなしに, 時間的にくくられるとね,なかなかやれなかった。昔 のお姑さんはきつかったで,自分は大勢産みなさった んやけども,なかなか嫁にはそういう理解がなかって, 『お乳飲ませに行ってこい』っていうのは,なかなか やっぱりねぇ……[中略],(家に)置いてもらわんな らんっていう気が自分にもあったのかしらんがねぇ。 『あぁ乳張って痛い!』って言ったって,『乳飲まして こい』とも何とも(姑さんは)言いなさらんでねぇ。」(L 氏),「日曜日は朝早よ起きな,『いつまで寝とる!』っ て言ってお義父さんが怒られるでねぇ。義兄夫婦の子 どもまで守りさせられてね。なかなかお乳を飲ませる ということはねぇ,家におっては自由が利かない。畑 へ行ったほうがええ。子どもを乳母車に乗せてね。だ から雨の降る日は嫌でした。……[中略]。お乳は畑行 く方が,自由がきいて良かったんです。泣き声がした ら寄っていってすぐ抱っこしてね。」(N氏)。  以上のように,当時家父長制が根強く残っていた家 庭では,嫁に優しい言葉をかけてくれる舅や姑は少な く,夫でさえ厳しい父の言うなりだったという。厳酷 な舅姑の支配下にある弱い嫁の立場も容易に想像でき 「もう少しゆっくり飲ませたかった。」という女性の言 葉からは,授乳でさえなかなか自由にできず,子育て よりも仕事が優先されていた背景が垣間見られた。さ らに「姑に仕える嫁の乳腺炎,あれはかわいそうだっ た。」(C氏)という言葉からは,飲ませたくても飲ま

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せられず我慢の末に乳腺炎を起こしてしまった女性の, 身体的苦痛や精神的苦悩が想像できた。乳房トラブル を起こしても簡単には医者へかかれなかった現状があ り,当時の女性には「我慢,辛抱,忍耐が当たり前」 とされた良い嫁像への縛りも存在していたことが語り の中から明らかになった。 (2)〈断乳の他者決定〉  ほとんどの女性が断乳や離乳の時期を決めずに,児 が自然に離れていくまで数年間母乳を吸わせていた。 しかし一方で「そろそろやめさせないかん。」,「いつ まで吸わせとる!」と周囲から言われ,仕方なくから しや赤チンキを乳房に塗って児に哺乳をやめさせよう とした女性もいた。「恥ずかしい話やけどもぉ,まぁ 田舎で百姓やってるもんで,お百姓やらんならんのに, そんな二つになるまで子供を膝において乳飲ませてる ことは,仕事ができいひんて私らは言われたでね。親 ならいつまででも飲ませたいわけやが,そういう自由 もきかなかった。」(A氏)と断乳を余儀なくされた体験 が語られた。家庭の中で労働力として期待された女性 は,早く子どもから手を離し働かざるを得ない状況で, 離乳時期を決めるにも家族からの圧力が介在しており, 本人の自由な意思決定が尊重されない時代背景が母乳 哺育に影響していたことも明らかとなった。 (3)〈実母による強力な支援と信頼〉  当時授乳女性達の心強いサポート提供者となったの は,在所(実家)の母親であった。「なかなかねぇ,最 初は子どものほうもうまいこと(乳首を)口にしませ んのでねぇ,やっぱちょっと難儀しましてねぇ。母 親が傍で教えてくれてやりましたんですけど。1ヶ月 くらい里におりましたかしらねぇ。はじめのうちに 1週間かそこらはお産婆さんが通って下さったけど ねぇ。それからはねぇ,まぁ実家の母が風呂(沐浴) も入れてくれましたで。……[中略]『こうしてやらな あかん。』って実家の母がね。(私がやり方を)知らん もんで,右のお乳やるのでもね,こっちゃむきに抱い て左の乳飲ます時は『こうやって抱くように。』と子ど もの向きを替えて飲ませなあかんて,そやって母が言 いよりましたもんでね。やっぱし実家の母ですし,自 分も気が楽ですし一生懸命教えてくれましたでねぇ。」 (J氏)といい教えケアしてくれた頼れる実母の存在に, 大きな信頼を寄せていたことが読み取れた。  「私はお昼にお産して産まれたで,晩御飯食べてか らかな,母にちょっと温めてもらってね,『いっぺん やってみ』ってことで。初めのうちは怖かったです。 抱くのがやっとでしょう。全部母が『こうしてああし て』って,始めからよく吸いましたね。だんだん慣れ てね……[中略]「熱いがねっ!」っていうぐらい熱い タオルで母が乳を拭いてくれました。『もう乳首も出 たで飲むやろう』って言って(母が)やってくれただ けで。下の児の時は病院やったけど看護婦さんがお乳 拭いたり温めたりしてくれたけど,マッサージなんか は受けなかったです。」(L氏)というように特に初産の 場合,実母が産後すぐ傍で児の抱き方や授乳のコツな どを教えており,乳房マッサージまで実母に施しても らったという女性もいた。 (4)〈産婆によって差異ある授乳支援〉  産婆による乳房ケアや授乳指導は「ほとんどなかっ た」と半数以上の女性が話した。「初のお乳はあくる日 ぐらいやったかしらねぇ。それこそ乳首も出とらな んで,つるつるやったでくわえにくかったやろうけ ど,こうやって出すようにしては与えて。そのうち ぼつ(乳首)が出てきて。さぁて何日かかったのやら ……。そうやねぇ2,3日は吸い付くのに苦労したんや ろうけどねぇ。(産婆さんのお手伝いは?)いいえいい えないです。初めてやで,それが当たり前のようなこ とでねー。これが当たり前と思って,人に聞いたわけ やないし。実家の母に聞いてねぇ。」(M氏)という女 性もいれば,「初めの時は産婆さんがちょっとタオル で揉んでくれてね,ちゅーっと搾ってくれて。いーた かったね。まぁほんとに『やめてっ!』ちゅうくらい ちぎれたみたいな痛さ。乳が出んとね,この道を通さ なあかんでちゅうて。 それを飲ませんといかんでちゅ うて,初めてのお乳やでね。」(B氏)と話し,産婆の 乳房ケアを受けた女性もいた。いずれにしても産婆に よる授乳ケアの内容は,乳首をマッサージしたり,栄 養のあるものを摂取するよう話すという程度であり, 現代の助産師のように妊娠中から産後の断(卒)乳ま でをトータルにケアしてもらえる存在ではなかったよ うである。「産婆さんは産後1週間だけで縁切りみたい なものだった。」(J氏)という女性もいる一方で,「2年 くらいは産婆さんが子どもの様子をのぞいてくれた。」 (K氏)という女性もおり,担当の産婆によって産後の かかわりの程度は様々であったことが語られた。 (5)〈母乳代替を通じた近隣社会の中での助け合い〉  「田んぼの方へ仕事に行ったってねぇ,暑いとか寒 いとかって話はしますけど,そんなゆっくり立ち話す るなんてことは全然あらしません。」(J氏)という語り から,当時は子育て中の女性もみな仕事で忙しく働い

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ていたことがわかった。しかし授乳中の女性は,人か ら頼まれると躊躇うことなく自分の意思で,母乳をよ その子にも与えた様子であった。もらわれ乳を経験し たことのある女性は,「お母さんが赤ちゃん産んだ後 病気しなさったとかで,『もらえんか?』って言って そのうちのおばあさんがみえたことあるよ。4日か5日 くらいみえたかしらね。1日1回くらいやったけど,そ りゃもう喜んでもらえたよ。家の子飲ませんように我 慢させといて(乳を)あげたことある。今の時代では そんなこと嫌やろうし,今ならミルクでも何でもある けど,その頃のおばあさんは苦労しなさったんやろう ね。」(M氏)と語った。もらい乳やもらわれ乳は,女 性の自己決定が可能な行為であり,女性同士が家制度 を超えて助け合える出来事だったのである。 4 )【母親としての肯定的な自己概念の再形成】  このカテゴリーには,〈母乳哺育に受け継がれる経 験知の伝承と遵守〉,〈母乳哺育スキルのスムーズな獲 得と母乳育児への自信〉,〈高い母親役割意識の形成発 展〉の3つのサブカテゴリーが含まれた。 (1)〈母乳哺育に受け継がれる経験知の伝承と遵守〉  現代のように母親教室や両親学級といった保健指導 がなかった時代でも,「母乳哺育の仕方が分からなっ た」という話は聞かれず,初乳の重要性や母乳の免疫 性などに対する知識も,母親や知人から入手されて いた。また,乳が足らない時の代替乳の作り方や,残 乳処理の仕方に至るまで,豊富な母乳哺育文化が伝承 され遵守されていた。「聞いてはいるよ。たとえ半年 でも,たとえ一口でも吸わしたほうがいいって昔から。 母乳の子は丈夫い子やとは聞いていたね。……[中略] 搾ったお乳は蟻が吸うと出なくなるとか言われて南天 の木の下へ捨てました。」(A氏),「昔はお乳がよく出 る人は,搾ったお乳を南天の木の下に預けるって話が あった。普通の木だと,欲しい時に返してもらわな あかんでって,南天は 難が取れる って言って。」(D 氏),「確かにねイチジクの木は枝から白い汁が出るか ら,実家の母から『そういうところへ捨てないかん』 と言われました。その頃水道なんかあらへんでね。」(J 氏)という語りからは,母乳を粗末に扱わない女性の 行動や,子育てに関する様々な言いつけを迷うことな く受け入れる女性達の純粋な精神性が読み取れた。ま た,搾った残乳を家の土間などに捨てると,そこに蟻 が寄ってきて子どもを刺すという経験から,当時の女 性は木の根元に残乳を捨てていたという話も聞かれた。 (2)〈母乳哺育スキルのスムーズな獲得と母乳育児へ の自信〉  女性達は専門家が過剰に介入しなくとも授乳開始当 初から,実母のサポートや豊富な代理経験をもとに, 授乳に関する具体的スキルを経験しながら身につけ高 めていた。たとえ吸啜困難があっても母乳をあきらめ ない信念をもち,根気強い努力を続けていた。そして, 母乳を十分に与えて子どもを育てた女性達は,我が子 のことを「優しく真面目に育ってくれた気がする。」と 口々に話し,丈夫で朗らかで親思いであるとも認識し ていた。「子どもは育てたのではなく育ってくれた。」 という言葉とともに,母乳哺育の遂行完了に伴う達成 感や,母乳育児への自信というものも語っていた。「私 はミルクの経験はないし,流動食(米のとぎ汁による 代替乳)の経験もないし,おっぱいで育てたっていう 自信は持ってるね。」(A氏)や,「親の情が深いかしら ん,やっぱり手にかけたほどね,子どもがそれだけ親 を大事にせないかんなと思ってくれるのかなと思う わ。」(B氏)というように,母乳哺育による親子の情 の深さや自信について誇らしげに語られた。 (3)〈高い母親役割意識の形成発展〉  「授乳中自分が他事を考えていると,子どもが乳首 を吸ってくれなかった。」(N氏)というエピソードや, 「自分の乳の匂いをわかっているのか,人のお乳は飲 まなかった。」(B氏)というエピソードを語った女性 は,授乳によって自分と我が子が強く結ばれているこ とを実感し,自分の赤ん坊がいろんなことを分かって いる価値ある存在だと考えていた。母乳を飲ませてい る間,「自分が頼りにされてるな。」とか「私しかこの 子はあかんのや。」と感じていたと話す女性達は,授 乳によって子どもとの間の親密な絆を強め,さらに母 親としての役割意識を高めていた。また「昔は男の人 は外の仕事をせんならんでって言ってね,育児は女の 仕事と思い込んでるから,男の人にやってもらいたい とも思わなかったね。そりゃ助かるならいいなぁとは 思うけどねぇ。」(M氏)。と述べ,子どもを育てるの は女性として当たり前の役目という認識を強く持って いた。

Ⅳ.考   察

1.当時の授乳女性の乳汁分泌と身体性  13名の女性達は,〈自然な乳汁分泌促進につながる ライフスタイル〉の中で,〈良好な乳汁分泌状態の継

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続〉を自覚しながら,女性の生物学的特性である〈授 乳継続と避妊効果〉を経験知として体得していた。  哺乳動物にとって母乳が出ないということは,その 子の死を意味するが(入来, 2000),食糧事情の乏しい 当時の子育て女性にとっても,母乳が出ないことは子 どもの健全な成長を妨げ,時に死さえ意味したと考え られる。しかし当時の女性は特別な事情がない限り, 良好な乳汁分泌状態が継続し1年以上の授乳継続も普 通に行われていた。日常の家事労働が現代のように機 械化されておらず,乳房基底部を刺激するような労作 や,ブラジャーなどによる締め付けのない衣生活が, 自然と乳房基底部の血液循環を良くし,乳汁分泌の促 進につながっていたのではないかと推察される。また, 穀物を中心とした糖分・脂肪分の少ない伝統的和食は, 現代の標準型食事に比べ有意に母親の血清脂質を低下 させる(藤野, 2000)という報告から,当時の女性の食 生活が乳腺を詰まらせにくい乳質を作り出し,良好な 乳汁分泌を促進させていたことも示唆される。  さらに女性達の積極的な授乳継続は,身体への二次 的効果として避妊効果を期待できる受胎調節にも繋 がっていたと考えられる。授乳女性の排卵までの平均 日数は約190日とされており,人工栄養のみの女性の 70∼75日と比べ,2倍以上長いといわれているが(根 岸,山田, 1999),このような科学的知識を得る以前に, 女性達が授乳を自然なバースコントロール手段として 利用していた事実(Judith, 1990/1997)は驚きでもある。 当時の女性にとって授乳が子どもの命をつなぎ,妊娠 を回避するという意味をあわせ持っていたことは意義 深い。 2.授乳継続への積極的思考と行動をもたらしたもの  特別な事情が無い限り良好な乳汁分泌が得られた女 性達は,実母や子育て経験者から〈母乳哺育に関する 知識や情報を入手〉し,〈自律授乳を当たり前とする 授乳慣習〉を積極的に行っていた。 このままとめど なくお乳を飲ませていたい という母親としての思い は,〈離乳時期の延長〉という形で,長期間わが子の 哺乳欲求に応えることに繋がっており,女性達は〈授 乳がもたらす快感情〉にも十分満たされていたと考え られる。母乳哺育によって児との愛着形成を獲得した 女性達は,〈母乳哺育に対するゆるぎない価値信念〉 を高めもち,次世代へもその価値を伝承する行動を とっていた。  戦後,家父長制の残る厳しい暮しの中で子どもを産 み育てる女性が,一人前の母親として認められるには, 母乳でわが子を育てることも重要な条件だったと思わ れる。栄養法に選択の余地はなく,周囲の女性も当り 前に母乳で育てた時代だったからこそ 吸わせれば母 乳はいくらでも出る という経験に裏打ちされた信念 を持ち,誰もが子どもの健康を願いながら積極的に授 乳を継続させていたのだと考える。今回の調査で女性 達は一様に,母乳哺育を 当たり前のようなこと と 捉えており,「赤ちゃんに乳やるぐらいのことは4つ か5つ目。」とも話していた。おそらく授乳は当時の女 性にとって,家事労働から解放され貴重な休息時間を 与えてくれる,究極のリラクゼーション体験だったと 考えられ,母乳に対する不全感や周囲の反応との不一 致感(嶋岡&岸田, 2005)などに戸惑うことも少なかっ たのだと推察される。  公衆の面前で憚ることなく乳房をあらわに授乳する 光景は,1960年以降の高度経済成長期を境に急速に失 われていったとされているが(天野, 2003),当時の女 性は「子どもを育てているのだから……」という母親 としての自負心が強く,仕事と育児に乖離のない子育 て環境といったものが,社会全体として女性達を授乳 継続への積極的思考と行動に向かわせたのではないか と考えられる。母乳哺育が妊娠出産から続く素朴で自 然なプロセスとして日常に息づき,女性の母性的側面 と母性に対する誇り(野本, 2006)を培ってきた,当時 の子育てのあり方や女性の力強い精神性に学ぶべき点 は多い。 3.母乳哺育をとりまく人々と授乳女性へのかかわり  出産後の女性達は,〈実母による強力な支援と信頼〉 や〈産婆によって差異ある授乳支援〉を得ながら,母 乳哺育を確立していった。しかし,百姓優先の忙しく 厳しい暮らしの中で〈自由な授乳を束縛される苦痛や 苦悩〉を体験し,〈断乳の他者決定〉を余儀なくされる こともあった。そのような中,必要時には〈母乳代替 を通じた近隣社会の中での助け合い〉が,女性同士の 間で躊躇うことなく行われていた。  小木曽ら(2003)によると,昭和20∼30年頃の産 婆による乳房の手当ては,特に何式ということはな く,産後1週間の訪問時に毎日行った人,頼まれた時 のみ行った人,自然にまかせていた人など様々な対応 であったとされ,今回の女性達の語りと同様の傾向で あった。当時の母乳哺育は,ほとんど産婆の継続した ケア介入なしにすすめられており,多くの授乳女性に

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とって必要だったのは,特別なことをしなくても自然 に母乳哺育を続けるための情報や励ましだったのでは ないかと思われる。出産後すぐに始まる母乳哺育を 娘の側で支えた実母達は,ドゥーラ(ダナ・ラファエ ル, 1973/1977)としての役割を果たす強力な支援者で あったといえる。特に初産の授乳女性にとって,気兼 ねなく相談に乗ってもらえる実母の存在は心強く,実 母もまた娘の順調な乳汁分泌を祈り, この先なんと か自分の力でやっていこう とする,本人の適応力や セルフケア能力を高めさせていたのではないかと推察 される。里帰りから帰った後の母乳哺育は,女性達に 抑圧を強いることもあったが,逆にそのことが同じ苦 痛や苦難を背負う女性同士の助け合いを生み,豊かな 授乳文化を残していたとも考えられる。  橋本(2006)は,出産の近代化以降医療職以外の人 たちの知識の多くが無価値化し,その結果として近代 子育て支援ネットワークの中に,実母や経験者達が含 まれなくなったと指摘している。しかし当時の状況で 女性達が,当たり前のように母乳哺育を完遂していた ことを考えると,むしろ現代の医療職の知識や過剰な 介入といったものが,女性のセルフケア能力を弱め, 授乳や育児に対する混乱や不安感を招いているのでは ないかと感じさせられる。母乳哺育を通して体験する 女性としての喜びや楽しみ,それとともに存在する痛 みや苦しみの感情を共有し,女性とともに歩むことの できる支援者がいつの時代にも求められており,今こ そ時代や社会の変化に応じた家族の支援役割やケア介 入のあり方について,目をむけ考えるべきだと思われ る。 4.母乳哺育を通じた母親としての肯定的な自己概念 の再形成  情報提供者たちは,〈母乳哺育に受け継がれる経験 知の伝承と遵守〉というプロセスを通じて,〈母乳哺 育スキルのスムーズな獲得と母乳育児への自信〉を高 め,〈高い母親役割意識の形成発展〉をもたらしていた。  当時の女性は「ただお乳をやるだけのこと」と,母 乳哺育を簡単に捉えているように思えるが,わが子が 満足するまで十分に母乳哺育を継続できたことへの 自信や満足感は,母子の関係の適応度を高め(Rubin, 1984/1997),さらなる母親役割意識の発展につながっ ていたと考えられる(Reece, 1992)。ガブリエル・パー マー(1998/1991)は,母乳哺育が普通に行われている 国では,どの女性も母乳哺育ができたら4 4 4 4と望んでいる よりも,できる4 4 4と知っていることが,彼女たちの母乳 哺育を成功させるのに大きな効果を与えているに違い ないと述べている。また,小林(2006)は,産後「できる」 と思える子育て体験のある母親は,子どもとの愛着形 成があり,母親役割や母親としての自己同一性が獲得 される状態にあると示唆している。食糧事情に乏しい 当時の生活の中にあっても,母乳が豊富に分泌し,わ が子が喜んで吸いつき飲んでくれる,目と目を合わせ てにっこり微笑んでくれる,病気にも罹らず順調に成 長してくれるという母乳哺育にまつわる小さな現象の 一つ一つが,母子の成長というプロセスの中で,母親 に大きな自信をもたらしていたものと推察される。  母乳を十分に与え,楽な気持ちで母乳哺育をしてき た女性達は,子どもが真面目で健康に育ち,朗らかで 親思いであると認識していた。Winnicott(1957/1885) は, 赤ん坊の世話をする目的は,ただ単に健康を築 くことに限られているのではなく,長期的な結果とし て,その個人の性格や人格に深みや価値が増していく ような体験ができるように諸条件を供給することをも 含む と述べている。母乳哺育による心豊かな体験が, 母と子,相互の人格の成長に与えた影響は大きいと考 えられ,現在まで脈々と続く母子愛を育んだ当時の子 育て女性の母乳哺育体験は,母親としての肯定的な自 己概念を再形成させた,意味のあるものだったと考え る。

Ⅴ.結   論

 戦後まだ人工乳が豊富になかった時代に母乳哺育を 体験した女性は,自身の良好な乳汁分泌と身体性を自 覚し,他者による母乳哺育への心理社会的関与を受け つつ,授乳継続への積極的思考と行動をとっていた。 そして母乳哺育の遂行を通じた母親としての肯定的な 自己概念を再形成していた。  当時の女性とその家族には, 子どもを育てるには 母乳しかない という意思や信念が強く存在しており, 特別な事情がない限り1年以上の授乳継続も当たり前 になされていた。母乳哺育のプロセスを通して豊富な 代理経験や実母からの言語的説得を受けた女性達は, 母乳哺育が完遂できたことによる自信を強め,母親と しての自己効力感も高めていたことが推察された。 謝 辞  本研究に快くご協力いただいた情報提供者,ならび

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にゲートキーパーの皆様方に深く感謝いたします。 文 献 天野正子,桜井厚(2003).「モノと女」の戦後史 身体性・ 家庭性・社会性を軸に,63,東京:平凡社. 小木曽みよ子,鈴木和代,高橋里亥他(2003).愛知助産 の歩み─先輩をたずねて─,45,愛知:小木曽助産学 研究所. ダナ・ラファエル(1973)/小林登訳(1977).母乳哺育, 16-20,東京:文化出版局. 藤野武彦,千々岩智香子,中村眞理子他(2000).母親の 食事と母乳・血液成分への影響,ペリネイタルケア, 13(12), 121-126. ガブリエル・パーマー(1988)/浜谷喜美子他(1991).母 乳の政治経済学,49,東京:技術と人間. 岐阜県女性史編集委員会(2000).まん真ん中の女たち, 267-268,岐阜県. 橋本美幸,江守陽子(2006).医療人類学的アプローチに よる伝統的子育て支援ネットワークと近代的子育て支 援ネットワークの比較研究,母性衛生, 47(1), 125-133. Hill, P, Humenick, S. et al. (1997). Effects of parity and

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参照

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