三陸鉄道株式会社 運行本部長 1.会社概要 三陸沿岸では、過去に何度も大きな津波に 襲われているが、明治 29 年 6 月に発生した 「三陸大津波」でも 2 万人を超える犠牲者を 出している。当時、鉄道も道路も未整備で復 旧作業は大変困難な状況であった。そこで被 害を受けた地域の復旧には何としても鉄道が 必要であるとして、翌 7 月には当時の逓信大 臣に「三陸鉄道株式会社の創立申請趣意書」 が提出され「三陸鉄道」の名前が初めて登 場することになる。それから 88 年後の昭和 59 年 4 月 1 日、日本初の国鉄線からの転換 第三セクター鉄道として三陸鉄道開業となっ た。 本州最東端の宮古市に本社を置き、運行本 部と事業本部の2本部体制となっている。社 員数は 97 名 ( 平成 26 年 3 月 1 日現在 臨時 パート含む)。 路線は南リアス線 36.6 キロメートルと北 リアス線 71.0 キロメートルの2つで、営業 キロの合計は 107.6 キロメートル。風光明 媚かつ険しい地形のリアス式海岸を走ること からトンネル数は 62( 延長 61.4 ㎞ 57% )、 橋梁等は 196 となっている。駅数は 26 駅、 車両は16両が在籍している。
三陸鉄道全線復旧に向けて
金野 淳一
2.地震発生 3 年前の 3 月 11 日は 14:46 の地震発生と 同時に建物が大きく揺れ、事務所内のロッ カーなどが倒れないように支えながら揺れが 収まるのを待っていた。 (1)本社 14:49 に大津波警報発令されたのを受け、 15:04に災害対策本部を設置した。しかし間 もなく各地に津波が押し寄せ始めたため、社 員は事務所を離れ、高台や避難所等に避難し た。車両が内燃車であることを利用し18:00 に災害対策本部を宮古駅留置中の車内に移 動。機関を起動し電源、照明、暖房を確保した。 車内にはホワイトボードとノートを用意 し、状況を記録するとともに災害優先携帯電 話により各箇所への指示・連絡を行った。 (2)南リアス線 地震発生と同時に地震計が鳴動したため、 直ちに列車無線により走行中の列車に停止を 指示したが、地震や津波による停電等のた め列車との連絡が取れなくなってしまった。 15:40には指令所のある事務所に津波が押し 写真1 盛駅付近の被災状況寄せ約 1 m浸水したので、社員及び近くの一 般住民が2階に避難した。 この時、盛駅から釜石駅に向けて乗客2名 を乗せて走行中の列車は、指令からの無線連 絡により吉浜駅~唐丹駅間の鍬台トンネル内 に緊急停止した。 連絡が途絶えた運転士は、このままトンネ ル内にいては危険と判断し、余震が続く中、 乗客と共にトンネルを脱出した。脱出後は近 くの国道まで移動し、通りかかった乗用車に 便乗させていただいて乗客を市役所まで送り 届けることができた。運転士が事務所に戻っ たのは地震からおよそ5時間後の19時42分 だった。 トンネルの先にあった橋梁やその先の唐丹 駅は津波に襲われ流失してしまったので、あ と数分タイミングがずれて橋梁上に停車して いたら大惨事になるところであった。 (3)北リアス線 北リアス線では 14:48 に地震計が鳴動し たため、直ちに列車無線により走行中の各列 車に停止を指示した。しかし、指令所のある 事務所にも避難の指示が出たので、全員高台 に避難し列車との連絡が取れなくなった。 状況が落着いたのを確認して、18:30に事務 所に戻り自家発電機を稼働し電源を確保して 対策本部を設置した。 寄稿 地震発生時に久慈駅から宮古駅に向けて乗 客 15 名を乗せて走行中の列車は、白井海岸 駅~普代駅間で指令からの無線連絡により緊 急停止した。運転士は停止位置が海から離れ ていて標高も高いので津波の心配はないと判 断し、乗客に車内で待機していただくよう説 明した。お客様にはおよそ 5 時間にわたって 車内で待機していただいたが、内燃車である ことが幸いして照明、暖房が使用できたこと に加え、ジュースの自動販売機も設置してい たので、落ち着いた様子で救出を待っていた だくことができた。 消防に乗客の救済を依頼したが、全員を車 両から避難させることができたのは 19:30 であった。運転士が事務所に戻ることができ たのは翌日の8時であった。 写真2 甫嶺~三陸間の被災状況 写真3 島越駅の被災前と後 島越駅 被災前 被災後
は防潮堤を乗り越え、遡上高 ( 津波が駆け上 がった高さ)は最高40mにも達していた。三 陸の沿岸には過去の津波を教訓に高さ 10 m 以上の防潮堤が備えられていたが、今回の津 波はそれらを簡単に乗り越え、多くの防潮堤 が破壊されてしまった。 この地震と津波による設備の被害は駅舎、 線路、橋梁、高架、築堤、信号設備など南リ アス線で 247 箇所、北リアス 線 で 70 箇 所 の 合 計 317 箇 所 にものぼった。盛駅にある車両 基地が浸水したため、リレー室 や検修設備等も使用不能となっ た。路線長が短いにもかかわら ず南リアス線の被害数が大きい のは、震源に近く揺れも大き かったことから、地震と津波の 両方による被害を受けたことに よるものである。この結果、三 陸鉄道では全区間で運転不能と なってしまった。 南リアス線盛駅構内に留置し ていた車両 3 両が床下まで浸水 し台車、機関、制御機器等が使 用できなくなり走行不能となっ た。 4.運転再開に向けて 地 震 発 生 か ら 2 日 後 の 3 月 13 日朝、津波警報から津波注 意報に変わったのを受けて、直 ちに北リアス線の線路状況を確 認した。 北リアス線では、島越駅付近 歩く以外に移動手段がない状況であった。そ の姿を見て、わずかな区間でも構わないから、 何とか 1 日でも早く列車を走らせられないか と社内で検討し、被害の少ない箇所から順次 運転再開することとして、点検と整備を行う ことを決定。運転再開の順番は北リアス線の 久慈駅~陸中野田駅間、次に宮古駅~田老駅 間、そして田老駅~小本駅間とした。 写真4 全線復旧スキーム H25.4.3運転再開
寄稿 運転再開決定の翌日、14 日朝から久慈駅 ~陸中野田駅間の線路点検を行い線路には異 常がないことを確認した。陸中野田駅の停電 によりCTCを使用することはできないが、 派遣駅長を配置することとして久慈駅~陸中 野田駅間の運転再開は3月16日と決定した。 引き続き宮古駅~小本駅間の線路点検を行っ たが、津波の被害を受けた線路や駅の地下道 はがれきで覆われ、歩く道のない地元の方た ちが線路上を歩いて移動している状況だっ た。このままでは復旧工事を行うことができ ず運転再開もままならないことから、沿線の 自治体に瓦礫の撤去と道路の確保をお願いし た。 外部の協力をいただきながら線路の復旧作 業を行い、宮古駅~田老駅間を 3 月 20 日、 引き続き田老駅~小本駅間を 3 月 29 日に運 転再開することを決めた。 5.復興支援列車運転 線路の点検開始と同時に列車の運転再開に 向けた検討を行った。地域の復興に少しでも 寄与したいとの思いから列車名を「復興支援 列車」とし、運賃は当面無料にすることとし た。 (1)久慈駅~陸中野田駅間 11.1㎞ 信号を使用できないため閉そく方式は指導 通信式とし、速度は 25km/h 以下とした。燃 料は地下タンクに残っているだけで補給の見 込みも立たないことから運転本数は 1 日 3 往 復とした。 3 月 15 日にはモーターカーにより線路状 況や無線等の確認を行い、その後確認列車を 運転し異常ないことを確認して 16 日初列車 からの運転再開を最終決定した。直ちに岩手 県や沿線市町村、マスコミほか関係箇所に運 転再開を連絡したところ、その早さに驚かれ るとともに大変喜んでいただいた。 そして迎えた3月16日。運転再開の一番列 車はお客様10名と報道関係者を乗せて8:00 に久慈駅を無事出発した。列車内はお客様た ちのホッとしたような笑顔であふれていた。 (2)宮古駅~田老駅 12.7km 引き続き宮古駅~田老駅間の運転再開に向 けた検討を行ったが、途中のケーブル切断に より指令との通信手段が無く、信号も使用で きない状況だった。幸い、この区間の沿線電 話は使用可能だったので指令と宮古派遣駅長 間の専用電話を指定し連絡を行うこととした。 要員的に各駅に駅長を配置する余裕がない ため宮古~一の渡~田老間の 2 閉そく区間を 併合して 1 閉そく区間とし、各駅の転てつ器 はキーボルト鎖錠とした。閉そく方式は指導 通信式、速度は 25km/h 以下、運転本数は 1 日3往復とした。 また、この区間には踏切が 1 箇所 ( 宮古駅 起点 0k246m) あるが使用できないため、踏 切監視員を配置することとした。 3 月 19 日には朝から関係者が集まり、机 上での打合せ後、実際の列車を想定した実地 訓練を行い本番に備えた。併せて電話の通話 試験と転てつ器の鎖錠を行った。すべての運 転準備が完了となったときには、すでにまわ りは真っ暗になっていた。 3 月 20 日 は 各 駅 及 び 踏 切 に 要 員 を 配 置 し、確認列車を運転し、異常ないことを確認。 写真5 復興支援列車
27 日までに津波による被害を受けた田老駅 付近の修復工事を完了、28 日には確認列車 を運転することで、小本駅までの運転再開目 標を3月29日とした。 閉そく区間併合はさらに延長して宮古駅~ 小本駅間を1閉そく区間とした。 線路上や駅の階段にあった瓦礫の撤去及び 線路の修復作業が予定通り進み、29 日の初 列車から宮古駅~小本駅間の運転を行うこと ができた。 (4)車両の陸送 宮古駅~小本駅間の運転は、地震の際に宮 古駅に停車中で被災を免れた車両を使用して いたため1両での運転しかできない状況であっ た。しかし被災された方たちがたくさん利用 していただいたことに加え、運転区間の延長 や学校の始業により利用客が増加し、たいへ ん混雑するようになった。また、車両の検査 の際には列車を運休しなければならなかった。 そこで混雑の解消を図るとともに、検査の 際の予備車両を確保するため、久慈にある車 両2両を宮古方に移送することとした。 しかし、久慈の車両基地は、被災によりレー ルが途切れ陸の孤島となっていたため、車両 車両をトレーラーに積み込んだ。移動は道路 の通行量が少なくなる深夜に行った。 4 日間かけて載線し、車両整備を行って運 用開始に備えた。こうして 6 月から朝の通学 列車を 2 両編成として、お客様にご利用いた だくことができるようになった。 6.全線復旧に向けて (1)一次復旧 自力で一部区間は復旧させたものの、その 他の甚大な被害を受けたヶ所は自社での復旧 が困難であった。復旧には100億円以上の費 用が必要と見込まれていたため、なんとして も国や岩手県からの支援が必要だったので、 沿線市町村と共に復旧に向けての支援を要請 した。その結果平成 23 年秋には三陸鉄道の 復旧工事を行うことになり、平成23年11月 3 日に復旧工事安全祈願並びに起工式を行っ た。早速津波により大きな被害を受けた野田 玉川駅~陸中野田駅間を中心に工事に着手 し、盛り土区間の法面をコンクリートで固め るなど構造物を強化させることが出来た。平 成 24 年 4 月 1 日には田野畑駅~陸中野田駅 間の運転を再開することができた。 写真6 宮古駅付近車両運搬作業 写真7 北リアス線田野畑~陸中野田駅間出発式
沿線各駅には運転再開を待ちわびた人たち が大勢集まり、列車に向かって手を振ったり イベントを行なったりとたいへんな賑わいと なった。 (2)二次復旧 南リアス線は震災から 2 年間、全線で運転 できない状況であったが、平成 25 年 4 月 3 日に盛駅~吉浜駅間の工事を終え、運転を再 開することができた。盛り土区間の工事では 南リアス線でも法面をコンクリートで固める 工法を採用している。 南リアス線では震災から 2 年間列車が動い ていなかったこともあり、運転再開日には沿 線は北リアス線以上の盛り上がりであった。 (3)全線復旧 被害の大きかった北リアス線の小本駅~ 田野畑駅間並びに南リアス線の吉浜駅~釜 石駅間については、工事の規模も大きく復 旧までに長い時間を必要とした。高架だった 箇所を築堤に変更したり、流された橋梁を架 け替えたりしている。 3 年という時間を必要としたが、現在は復 旧工事のしゅん工検査や新車両の入線準備、 乗務員の訓練運転など、平成 26 年 4 月に 控えた全線での運転再開に向けた最終段階 に入っている。幸い社員に人的被害はなく、 写真8 島越付近の復旧状況 無事に運転再開を迎えるために全社員一丸 となって取組んでいるところである。 7.おわりに 震災後、多くの方々から様々なご支援、応 援をいただき心より感謝しております。「1日 も早く復旧して列車を走らせてほしい」との 皆様の声に後押しされて、全線復旧すること ができました。クウェート国からの支援によ り、昨年は 3 両、今年は 5 両(内 1 両はお座 敷車両、1 両はレトロ調車両)新車両を導入 することもできました。この文章を皆さんが 読まれる頃には震災前と同じように、列車が 走っているはずです。 今後も地元の皆様のために安全に列車を運 行するとともに、様々なイベントを開催して、 たくさんのお客様にお楽しみいただきたいと 計画しています。もちろん「あまちゃん」に も登場したお座敷車両を使用して、夏には「お 座敷列車」、冬には「こたつ列車」を運転す る予定です。ぜひ新生三陸鉄道にご乗車いた だき、三陸の旅をお楽しみくださるよう、社 員一同心よりお待ちいたしております。 写真9 新車両36-700型 寄稿