印度學佛敎學硏究第66巻第1号 平成29年12月 (60) ― 433 ―
ダルマキールティの用いる共相の考察
秦 野 貴 生
1.はじめに
本稿ではダルマキールティ(Dharmakīrti, 法称,ca. 600–660)により『プラマーナ・ ヴァールティカ』(Pramāṇavārttika, 略号PV)第1章「自己のための推理」(svārthānumāna) に対する自注(Pramāṇavārttikasvavṛtti, 略号PVSV)での共相(sāmānyalakṣaṇa)の用例と,『プラマーナ・ヴァールティカ』第3章「知覚」(pratyakṣa)を中心とした,自注以外 での共相の用例を比較し,ダルマキールティにおける共相の使用を考察する. 2.
語句の使用頻度
ダルマキールティは,その著作中で共相という語をほとんど用いず,著作全体 でもその用例が現れるのは計10回のみにとどまる.このことから共相が特定の 文脈で使用されると考えられるが,一方で普遍(sāmānya)という語は非常に多く 用いられ,ダルマキールティが共相と普遍を明確に使い分けていることが想定さ れる.また,共相の10の用例のうち,『プラマーナ・ヴァールティカ』に関して は,PVSVにおいて3回用いられており,うち2例は第3章に現われている.その他の著作では『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』(Pramāṇaviniścaya, 略号PVin)で3 回,『ニヤーヤ・ビンドゥ』(Nyāyabindu, 略号NB)で2回用いられる1). 3.
PVSV
以外での共相の用例
まず『プラマーナ・ヴァールティカ』第3章での共相の用例を見ていきたい. ダルマキールティは第3章の冒頭の第1偈から第3偈において,認識対象である 自相・共相について簡潔にまとめており,両者を項目ごとに対比的に特徴付けて いる. PV 3.1: 〔認識〕手段は二種である.〔認識〕対象が二種であるから.〔認識対象は〕効果的 作用(arthakriyā)の能力があるかないかであるから〔二種である〕.〔眼病知に現れる2)〕(61) ダルマキールティの用いる共相の考察(秦 野) ― 432 ― 髪などは〔認識〕対象ではない.〔髪などは認識〕対象として認められないから. PV 3.2: また,〔認識対象は他と〕類似したものであるか,〔他と〕類似したものでないかゆ えに〔二種であり〕,語の対象であるか,対象でないかゆえに〔二種であり〕,〔対象〕以外 の諸原因がある場合に知が存在するかしないかゆえに〔二種である〕. PV 3.3: この〔二つの認識対象のうち〕効果的作用における能力をもつものが勝義有と〔言 われ〕,他の〔効果的作用における能力をもたない〕ものは世俗有と言われる.その二つの 〔認識対象はそれぞれ〕自相と共相である3). ダルマキールティは二つの認識対象である自相・共相を「ある性質を持つか, あるいは持たないか」という点から説明をしている.これら第1偈から第3偈の 内容をまとめると以下のようになる. 【自相】 【共相】 ・効果的作用における能力をもつ ・効果的作用における能力をもたない ・他と類似しない ・他と類似したものである ・語の対象ではない ・語の対象である ・対象以外の諸原因による知は ・対象以外の諸原因による知が 存在しない 存在する このような自相と共相の分類は第10偈まで続けられ,『プラマーナ・ヴァール ティカ』第3章では全10偈のうちの第3偈と第5偈4)のみで共相という語が用い られる.ここで自相は具体的に「効果的作用の能力を持つ対象」と述べられてい るのに対し,共相は,それら自相の規定が否定されたものとして抽象的な説明し か与えられていない.事情は『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』や『ニヤーヤ・ ビンドゥ』に言及される共相でも同様である5). 4.
PVSV
以外での共相の用例
次にPVSVでの共相の用例を見ていく.PVSVで共相という語は3回用いられ るが,ここではそれらの用例全てをあげていきたい.PVSV 35, 8–14: この,属性(dharma)と基体(dharmin)の言語表現(vyavahāra)は,互い に,同一である(tattva)とも,別異である(anyatva)とも言うことができないことが明ら かになる.実際,属性は,基体とは異なるものではない.なぜならば,他の対象を表示し ているものではないからである.また,〔属性は〕それ(=基体)と全く同じものというわ
けでもない.…一方,実在(vastu)である自相においては共相は〔自相と同一であるとも
(62) ダルマキールティの用いる共相の考察(秦 野) ― 431 ― PVSV 73, 5–9: 共相の現れをもつ知は,対象が近接したものでもなく,あるいは対象によっ て生じたものでもない,というこのことは〔以前に〕示された6).また〔第三章において も〕示すだろう7). PVSV 159, 27–160, 1: 一方,言語協約を行うものは,感官の対象である自相と,分別知上の 現れである共相を,世間の慣習に従って(yathā-vyavahāraṃ)世俗〔の観点〕で統合して, 言語協約を明らかにする. 分別知(vikalpa)は自相の知覚により蓄積された潜在印象(vāsanā)から生じ, その分別知における現れは効果的作用の能力(arthakriyāsāmarthya)をもたないもの である.そして,そのような効果的作用の能力をもたない現れを,「外界対象で ある」「自相である」と,効果的作用り能力のあるものとして捉える思い込み (adhyavasāya)によって言語活動は行われる8).PVSVでの用例において述べられ る共相は,この分別知において現れている形象のことを指しており,効果的作用 の能力をもたない現れである普遍的形象に他ならない.また,4.1.でまとめた 「効果的作用における能力をもたない」などの共相に関する性質の多くは,分別 知に現れる形象の性質として理解することができる.よって,共相は,PVSVに おいて分別知の中の形象として具体的に規定され,その後の第3章では,自相と の対比によってその性質が項目ごとに規定されたと考えられる. 5.
おわりに
共相の用例に関し,PVSVでは分別知において現れる普遍的な形象として説か れており,この普遍的な形象を外界対象,自相と思い込み,言語活動は行われ る.このようなPVSVの用例に対し,PVSV以外では,共相は自相との比較区別 により項目ごとの分類で言及され,その具体的な内容については触れられていな い.しかし,その共相についての項目の多くは,分別知において現れる形象に該 当するものであると考えられる.1)Cf. Ono, Oda, and Takashima(1996, 1077–1079),Sakai and Takashima(2015, 458).
2)戸崎(1979, 58). 3)PV 3.1–3に対する訳は戸崎(1979, 58–61),桂(2004, 220–225)も参照されたい. 4)PV 3.5の訳については戸崎(1979, 62)を参照. 5)PVin 3. 133, 8, 137, 2–3とNB 1. 16, 3. 136においてそれぞれ共相は用いられている. 6)以前に示されたという箇所は,シャーキャブッディによって2箇所(PVSV 51, 8–9, PVSV 54, 14–15)あげられている(Cf. PVṬ 174b5–6). 7)シャーキャブッディは「無分別知であることを論証する箇所」と述べているが(Cf.
(63) ダルマキールティの用いる共相の考察(秦 野) ― 430 ― PVṬ 174b6),現在のところ特定はできていない. 8)Cf. PVSV 42, 18–20: 「そこ(分別知)に,その対象形象が,外界のものであるかのよう に,〔一群のものに対し〕一つのものであるかのように,効果をなさないものであるが, それ(効果)をなすものであるかのように現れる.言語表現するものたちは,そのよう に〔外界のもの,一つのもの,効果をなすものであるかのように〕思い込み,活動する からである.そのような〔思い込みが無〕ければ活動はありえないからである.」 adhyavasāyaの位置づけについては福田(1985),秦野(2016)も参照のこと. 〈略号表〉
NB Nyāyabindu of Dharmakīrti. Paṇḍiṭa Durveka Miśra s Dharmottarapradīpa: Being a Sub-Commentary on Dharmottara s Nyāyabinduṭīkā, a Sub-Commentary on Dharmakīrti s Nyāya-bindu. Ed. D. Malvania. Patna, 1955.
PV3 Pramāṇavārttika, chapter 3 of Dharmakīrti. See戸崎(1979).
PVin3 Pramāṇaviniścaya, chapter 3 of Dharmakīrti. Dharmakīrti s Pramāṇaviniścaya, Chapter 3.
Ed. Pascale Hugon and Toru Tomabechi. Beijing: China Tibetology Publishing House; Vien-na: Austrian Academy of Sciences Press, 2011.
PVṬ Pramāṇavārttikaṭīkā (thad ma rnam grel gyi grel bshad)of Śākyabuddhi. Tr. rma dge ba i bo gros. Derge ed. Tohoku no. 4220. Tshad ma je 1b1–328a7, nye 1b1–282a7.
PVSV Pramāṇavārttikasvavṛtti of Dharmakīrti. Pramāṇavārttikam of Dharmakīrti: The First Chap-ter with the Autocommentary. Ed. Raniero Gnoli. Roma: Istituto Italiano per il Medio ed
Es-tremo Oriente, 1960. 〈参考文献〉 桂紹隆 2004 「ダルマキールティの認識手段二種論・マノーラタナンディンの解説」『御子 上恵生教授頌寿記念論集 インド哲学佛教思想論集』永田文昌堂,219–243. 戸崎宏正 1979 『仏教認識論の研究』上巻,大東出版社. 秦野貴生 2016 「 プラマーナ・ヴァールティカ 自注におけるadhyavāsayaの位置づけ」 『印度学仏教学研究』65(1): 122–125. 福田洋一 1999 「ダルマキルールティにおけるadhyavasāyaについて」『印度学仏教学研究』 47(2): 91–96.
Ono, Motoi, Jun ichi Oda, and Jun Takashima. 1996. KWIC Index to the Sanskrit Texts Dharmakīrti. Tokyo: Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa.
Sakai, Masamichi and Jun Takashima. 2015. Keyword in Context Index to Dharmakīrti s
Pramāṇaviniścaya. Tokyo: Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa. 〈キーワード〉 共相,普遍,『プラマーナ・ヴァールティカ』