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「半大統領制」の概念をめぐる混乱

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制﹂の概念をめぐる混乱

山 崎 博 久

じめに 一、 半 大 統 領制の構造 二、半大統領制概念の誕生と変容 三、国家元首の﹁公選﹂ 四、国家元首の﹁重要な権限﹂とは何か 五、定義の一改革論 むすびにかえて  概念の再検討 はじめに   二 〇 世 紀初期の西欧に登場した新しい政治制度は今やヨーロッパ大陸を越え、アジア・アフリカ・中南米にまで 広がり、さらに増加の一途をたどっている。しかし、制度の登場から約半世紀遅れて誕生した﹁半大統領制﹂とい う概念の方は、これまで様々な混乱と批判にみまわれてきた。一つの制度をめぐってこれほど多くの混乱を生み、 批判の対象となった概念は過去にほとんど例がないであろう。だが、議院内閣制・大統領制との比較政治制度研究 の た め には、この混乱から抜けだすことができる明確な概念を確立する必要がある。そのための準備作業として、 19

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) 本稿はこの概念がどのように誕生・成長・展開し、そしてどのような批判にさらされてきたのかを跡付け、さらに この概念の改革論をも紹介し、それらに評価を加えるものである。その意味で、本稿は総合的な﹁混合政体論﹂︵仮 称︶の序説でもある。 一、 半大統領制の構造  本題に入る前に、ここでまず半大統領制とはどのようなものなのか、その構造を議院内閣制および大統領制の場 合と対比して見ておこう。図1は議院内閣制、図2が大統領制、図3が半大統領制、それぞれの構造を図示したも の である。各タイプは大まかな最大公約数的な構造を掲げており、細部は省略してある。そうすることで各制度の 特 色 が 浮き彫りになるからである。  まず、議院内閣制︵厳密にいうと一元的議院内閣制︶の特徴は、  ①政府は首相・閣僚で構成され、内閣を形成し、議会の信任を存立要件としている。議会の信任を失った政府は辞     職しなければならないが、首相の方も議会を解散する権限を有する︵名目上、解散権は国家元首の権限︶。 ②国家元首は政治的な実権を有せず、形式的・儀礼的な地位にある。したがって国家元首は政府には含まれず、   ゴΦ且o︷σQo<m∋ヨΦo︷︵政府の長︶は首相であり、庁Φ①●o笥留巴Φ︵国家の長H国家元首︶とは明確に分離して   いる。政府の長である首相は議会から選出され、国家元首が形式的な任命行為を行なう。  ③国家元首の選任は公選ではなく、君主国の場合は世襲であり共和国の場合は一般には議会による選出である。共    和国の国家元首の名称は通常はO奉゜り己①三︵大統領︶である。  それに対し、大統領制の特徴は、 20

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) 21 解散

図1:議院内閣制

@一「任命

散 首相 議会 選出 信任 任免 選出  国民 閣僚 内閣 解散 法案 拒否  議会  選出   国民

図2:大統領制

   国家元首       任免          閣僚

図3:半大統領制

選出 国家元首 任命 散 選出 首相 議会 信任 任免 選出 国民 閣僚 選出 内閣 ①政府は大統領・閣僚で構成され、議会の信任には依存しない。  うも議会を解散させることはできない。 議 会 は 政府を辞職させる権限をもたず、政府のほ

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北陸法學第9巻第3 4号(2002)  ②国家元首は議院内閣制のような形式的・名目的存在ではなく政治的実権を有する。したがって、ゴΦao﹃°。︷巴Φ    は同時に古Φ①江o﹃σqo<①日目m三であり、これらは分離していない。首相職は存在せず、閣僚は国家元首によって     任 免される。  ③国家元首の選任は公選であり、名称は一般に肩①切この日︵大統領︶である。︵図2では省略したがアメリカ合衆    国の場合は大統領による閣僚任命の際、上院の承認を要する︶。   以 上 の伝統的類型に対し、図3からも分かるように、半大統領制の特徴は議院内閣制との類似性が非常に強いとうことである。この図はフランス第五共和制に沿ったものだが、半“大統領”制という名称にもかかわらず、構的には大統領制ではなく議院内閣制とほとんど同じである。これはある意味では当然のことで、図1で示した議 院内閣制は現代の一元的議院内閣制であり、半大統領制は構造的には古典的な二元的議院内閣制だからである。半 大 統 領 制と古典的な二元的議院内閣制との相違は、国家元首の選任が前者は公選であり、後者は世襲の君主である というだけにすぎない。それ以外は議院内閣制と構造的に同じである。したがってその特徴も、  ①政府は首相・閣僚で構成され、内閣を形成し、議会の信任を存立要件としている。議会の信任を失った政府は辞     職しなければならない。ところが、議会を解散する権限は首相ではなく国家元首が行使する例が多い。 ②国家元首には、憲法によっていくつかの実権︵図3では首相任命権と議会解散権∀が与えられており、形式的・    儀礼的な存在ではない。政府の長である首相は議会から選ばれるが、同時に国家元首も実質的な首相任命権をも   つのが一般的である。 ③国家元首の選任は公選であり、名称は一般的に買。°。己Φ目︵大統領︶である。  このように、半大統領制の構造は議院内閣制が柱であって、 ”大統領制的”な要素は選任が公選であることと国 家 元首が実権を有するという、その二点だけである。 22

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) 二、半大統領制概念の誕生と変容   ﹁半大統領制︵品σ。旨6。・①日一−宮瓜。・工。コ[芭ごという言葉を最初に用いたのは、政治制度の研究に携わる憲法・政治学 者ではなく、フランス人ジャーナリストであり又フランスの著名な新聞﹁ル・モンド︵富ミ§昏この創設者でもあ        ハユ  るユベール・ブーヴメリイ︵工呂。巨ロd。已く①と瓜蔓︶である。これは一九五九年一月八日、第五共和制発足時における ドゴール大統領に関する﹁ル・モンド﹂紙の記事の中で使われた。ただし、その意味するところは必ずしも明確で はなく、もちろん学問上のものでもなかった。  そのしばらく後の一九七〇年、フランスの憲法・政治学者のデュヴェルジェ︵プ︼①C﹁一〇〇 ︼︶已く20。。﹃︶は∼Sミミ合S 盲ミ尽§㎏災⇔ミ、ら§㎏ミミざ§災という憲法・政治制度論の概説書の中で初めて学問的な用語としてこの概念を使用し た。一九七四年には、せミ§ミ合合、合S∼膏息ミという書物でさらに詳しく扱われ、一九七八年には㌔合災§§∼なる 著作で本格的にこの概念と制度が検討され、一九八〇年には英語で世界に広くこの概念が紹介されるという経緯を 経ている。デュヴェルジェがいうように、﹁半大統領制﹂という概念は今やポルトガルやフィンランドなどでは広く 受け入れられ、英米国を中心にアングローーサクソン諸国でも使われているが、出生地のフランスではいまだに議論的になっている︵ちなみに、日本においてもこの概念の普及は今ひとつである︶。半大統領制という概念を採用す る者であっても、その定義はまちまちで、必ずしもデュヴェルジェと同じではない。 (1︶現在、半大統領制として知られる政治制度の特徴を本格的に論じた最初の学者であるデユヴェルジェが、自分の発案ではなく   =呂o昌o。o已く①−ζぴ⊇が最初であるとしている。Q ζ〇三8︼︶c<。﹁o。⇔で..夫ぴo。一∋o・。o邑6﹁似。。庄o葺一〇一・、.合ま○=≦o二︶芦飴∋巳o↓<<⇔。,ζひ旨  ︵畿。。し曽Oミ∼§gミ9ミ∼ミ合§ミ︵㊥監。・品§。・。。.⊂己く2。・[巨﹃霧△。即彗8︶w一〇8“唱゜8ピ 23

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) 今 に いたってもこの概念が様々な批判にさらされているのは、それが多くの混乱をもたらしたからである。とくに 問題なのは、半大統領制の定義そのものをめぐる混乱があり、そのためにどの国が半大統領制を採用しているかに つ いて、数多くの不一致が生じていることである。混乱を招いた責任の一端はデュヴェルジェ自身にもある。なぜ なら、彼は幾つかの著作を通して半大統領制の定義を微妙に変えてきたからである。さらには、この概念を使用す る他の研究者においても定義がつねに厳密というわけではなく、また用い方に一貫性を欠いたことなどにもよる。  デュヴェルジェが一九七〇年の﹃き匂ミミ⇔§吻Vミぶ§匂災心﹁。∼、6§句ミミ↑§ミ☆第十一版でこの概念を最初に使用し たとき、半大統領制を次の三つの要素をもつ制度と定義していた。すなわち、半大統領制とは﹁国家元首が国民に よる直接選挙で選出され、通常の議院内閣制の国家元首を上回る権限をもつという事実によって特徴づけられる。 しかしながら、政府はさらに首相および大臣で構成される内閣からなり、これは議会における投票によって辞職さ       ザ せられることがある﹂。そして、この制度に属する国としては、フランス第五共和国の他にオーストリアとフィンラ        バヨヘ ンドの計三力国が挙げられているだけで、翌年の第十二版においてアイルランドが付け加えられた。しかし、この最初の定義と例示された諸国がすでに問題をはらんでいた。第一の問題は、明らかにこの定義に当はまらない国、つまりフィンランドを彼が挙げていることである。なぜなら、この当時フィンランドの国家元首       るり の 選出は﹁国民による直接選挙﹂ではなく、実際には選挙人団による間接選挙制であったからである。大統領の選       ハら  出が直接選挙制に移行するのは、ずっと後の一九八八年になってからである。もう一つの問題は、アイルランドの 大統領が﹁通常の議院内閣制の国家元首を上回る権限をもつ﹂といえるかどうかであろう。首相の同意を要せずに アイルランドの大統領が行使できる権限は四つあるが、そのうち重要な権限と呼べるものはわずか二つ、すなわち 首 相 による議会解散権の行使の要請を拒否すること︵アイルランド憲法十三条二項二号︶と、憲法上疑義のある法 案 の審査を最高裁判所に請求すること︵同二六条一項︶くらいである。他の半大統領制諸国の国家元首が実権とし 24

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) て有する首相の任命権や議会の解散権はアイルランドの大統領にはない。しかも、首相による解散権の行使の要請 を大統領が拒否した例は一度もなく、単に﹁紙の上の権限﹂になっているのが実態である。

ところがその数年後、版を重ねる﹃さ句ミミ∼§句、o∼ミ§ら災合o昏9さらミミざ§、∼﹄では定義が一貫していたが、別の 著作﹃9ミqさ亀、ヘミ、、母ミ守、∼。亀Xさ亀﹄︵一九七四年︶でデュヴェルジェは半大統領制について、前とは異なった定義を展 開する。そこでは、大統領は公選であること、議会の信任に基づいてのみ存立できる首相と大臣が存在すること、 大統領は議会を解散できること、という三つの要素を備えたものが半大統領制であるとし起。明らかに変更点は二 点あり、一つは国民による国家元首の選出について直接選挙制に言及していないこと、もう一点は国家元首の権限 を﹁通常の議院内閣制の国家元首を上回る権限﹂ではなく、﹁議会解散権をもつ﹂ことに限定したことである。この 定 義 の変更にともない、半大統領制に該当する諸国のリストにも変更が加えられた。新たにアイスランドが加わっ       ア  たが、アイルランドについてはこの類型に当てはまるかどうか疑問を呈している。国家元首の直接選挙制の要件を はずしたことによってフィンランドに関する問題はなくなったが、任意の議会解散権をもたないアイルランドの国 (2︶三餌c﹃一。⇔。c<⑦﹃・、nこミ⇔、ミ。さ匂・◇、§冒、・ミミ、・§ミミ§ミ三:°︵㊥9即‖°・⊂己・。呂・§・。市§°°こ②司。も゜Nべや゜ (3︶忌口=§oc<Φ﹃・・。﹃ぎ駒、ミ§こ。ミ言§ミ。∼§§ミ§ミ=e・丙§合量⑱きミミ§二N°攣︵㊥昌“㊥蓼9ご巳く°﹁句巨﹁°°り゜°  ﹁﹁呂8︶二〇ごも゜S⇔° (4︶ただし、彼は別の個所でフィンランドの大統領の選出が間接選挙であることに言及している。しかしそうであるなら、定義にお  いて﹁直接﹂という言葉は不適切であろう。 (5︶ これは改正年度で、実施されたのは一九九四年の大統領選挙が最初である。 (6︶家きユ。竺︶⊂<2σ。鼻官ミ§ミ6ミミ合§、∼ヘミξ︵㊥呂゜・︰刃。σ臼冨ま昌C㊨三∨よも゜一NN (7︶e°息Sも二呈゜ 25

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) 家元首が問題になるのは当然であろう。  しかし、翌年の十四版の﹃忌隔ミS§こもミぶ§㎏ミ§∼、8SミミS§亀㌔Se﹄⑯ミさ書セξミこ。ミXQ§と二九七五年︶は、あいかわらず当初からの定義が掲げられており、定義そのものには何ら変更は見られない。その一方で、半 大統領制の該当国には変更が見られ、アイスランド︵および歴史的事例としてワイマール・ドイツ︶が加えられた が、アイルランドについては﹁共和国大統領の選任は公選であるが、半大統領制とは呼べない。というのは、大統        ヨ  領は政府の意向に沿って行動することしかできず、決定権をもたないからである﹂として、類型からはずされてい る。ブインランドについては、大統領の選出が国民の直接選挙ではなく三〇〇人の選挙人団による間接選挙である          と断っている。だが、定義には厳密に合致しないにもかかわらず半大統領制の中に含めた理由については明確に述 べられていない。   以 上 のような紆余曲折を経て、一九七八年出版の著作闘品災9㌔旦で、彼は最終的に自分なりの解答を見出す に いたる。この書は半大統領制そのものを正面から扱い、それまでの迷いに終止符を打ち、現在まで続いている彼 自身の半大統領制の定義に関する最終バージョンを提示したものである。そこでは、①国家元首は公選である、② 国家元首は固有の権限をもつ、③首相によって導かれる政府は代議士たちによって倒され得る、という簡潔な定義       へリレ がなされている。それまでの定義と異なる点は、国家元首が“国民による直接選挙”で選出されるのではなく、﹁公 選﹂であると変更したことにある。それに基づいて、半大統領制に属するとされる国々は、アイスランド、アイル ランド、オーストリア、ブインランド、フランス、ワイマール・ドイツのほかに一九七六年に新体制でスタートし た ば かりのポルトガルを含め、計七力国が挙げられている。︵アイルランドが復活したことと、新しくポルトガルが 入っている︶。また、大統領の権限について憲法上の比較検討が行われ、運用上では権限を行使しなくなっているた め に、議院内閣制の国家元首と同様の名目的・儀礼的な国家元首になっているケース︵アイスランド、アイルラン 26

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎)       ロ  ド、オーストリア︶をもあわせて論じている。そして、この類型がー議院内閣制や大統領制の類型と同様にー あくまでも憲法上の規定に基づくものであり、実際の運用に基づくものではないことを彼は主張する。

それから2年後の一九八〇年、デュヴェルジェは﹁新しい政治制度モデル 半大統領制︵。・o邑己器。・己。三一巴 σ。 。 < ①﹁コ日。旦﹂と題する英語論文でこの概念を広く世界に問う。その中で彼は﹃肉6S6へ⇔ミ㌔⇔∼﹄で打ち出した定義を再 説し、半大統領制とは憲法上、  1.共和国大統領が公選により選出される  2,共和国大統領は﹁重要な権限三巨。。8。。己Φ冨臣Φ廿o≦o﹃。・ごをもつ

3.大統領のほかに首相および大臣が存在し、彼らは内閣を構成し、内閣は議会が反対の意思を表明しない限り存       続することができる        らロ  という三つの要素が結合している制度であると定義する。この定義は以後変わることなく、最近の著書の中でも一       ほ  貫して用いられている。半大統領制を採用する諸国としては、﹃寮ぎ6§≒Sで言及された六力国︵ワイマール・ド (8︶ζ四c﹃冨oロ<・﹃。。。・・ぎミミ§ミ∼、§§ミ§§・、ミ、§ミ=°言さ§量⇔§傷ミミ⇔§云゜合︵㊥四曇勺蓼゜°・ご己く°邑声一﹁°°‘色⑦  ﹁﹁呂oe﹂8いも゜N⇔ひ゜ (9︶ 曾゜息Sも﹄O司−。。° (10︶家①巨80=<。﹁。・。﹁盲さ・。§§︵㊥呂。・︰≧σ日≦。匡︶二薯゜。も゜一∨° (H︶○“ミも﹄Nも℃ω〒Uひ゜ (旦ζ①=ユ。。。已く⑦﹃・・。芦ジz6毛。三。釦凄.’§ζ昼・切菖−写竃。・量。。・。目・・戸.、忠§§s§§ミ、。§§S§s°・二。°・ρ唱゜まひ゜ (13︶家①c﹁一6。O已く①﹁oq。□e夢㎏、∼ミ、、。ミ遇斥言ぷミ句巴。ぴ臼︵勺呂。・︰厚o。・。・2ご忌く。a巨﹁9﹂。即呂8y一▽ゆひも゜UO一゜ただし、国家元首の権  限に関しては英語版の.ゴ已一︷。。。コ。。己6﹁①宮。噂。≦①亘.ではなく、ぜ8<9コ▽﹁o唱9コo冨●言..︵重要な固有の権限︶というフランス語にな   っ て いるが、意味内容に大差は無い。 27

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) イツは過去の例として除かれている︶が同じように挙げられている。しかし、デュヴェルジェの視野は西欧デモク ラシー諸国に限られているためか、すでに一九七八年に成立し、彼自身の半大統領制の定義に完全に当てはまるス リランカについては一言も触れられていない。その点では網羅的でないといえよう。ただし、後に一九八九年以降 の東欧・旧ソビエト連邦共和国の体制転換の実態を踏まえ、﹁半大統領制はいくつかのラテンアメリカ、アジア、アリカ諸国、および多様な形態の下に東欧諸国に、とりわけポーランドやルーマニア、そして旧ソビエト連邦構成         ハはへ 国などにも見られる﹂と述べて、西欧以外の地域にも視野を広げてはいる。  これ以後︵正確には八〇年以降︶、半大統領制に関する彼の定義も、それに基づく該当諸国も一貫して変わらず、        ハほソ 半大統領制を扱った︵現時点では︶最後の論考においてもそれを確認することができる。しかし、この概念が広ま るとともに、他の︵フランス人以外も含めて︶研究者が採用する..。・。∋苫﹁。。。§呂巴。。百⇔o日。、の意味する制度が必ずしも デ ュヴェルジェと同じものにはならなかった。その結果、半大統領制に該当する国として他の学者が挙げる例も異 なることが生じるようになる。  一九八七年に英米で出版された﹃政治制度事典︵§、﹄∼災㌔oミ曽Q亀§Rミ⇔ミさ、ミヘミき句ミミ∼§句︶﹄では、﹁。。。目, 買①。。庄①呂巴。。望。。9日﹂のタイトルが独立の見出し項目として載るが、ここでは定義と半大統領制諸国のリストが共にデ       おヘ ユヴェルジェと同じである。そして、これが大統領制と議院内閣制の統合形態︵。。苫日。。。芭のように見えるがそうでなく、状況によって大統領制的な運用︵フランスやフィンランドの例︶になり、あるいは議院内閣制的な運用       ハけザ ( イスランド、アイルランド、オーストリアの例︶になったりする、と指摘している。

が、九〇年代に入るとデュヴェルジェとは異なる定義を下す者や、﹁半大統領制﹂ではなく、異なる用語をあて る者がでてくる。シュガートとカレイ︵家①巳儒≦。。°切言鮪胃昌△甘言ζσ○隅。∨︶は後者の代表である。彼らはデュヴェ ル ジ ェが一九八〇年の英語論文で示した半大統領制を特徴づける三要件11.大統領が国民によって選ばれるこ 28

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と、2.大統領は﹁重要な権限︵08。・匡①目巨o唱o≦①旦﹂をもつこと、3.さらに議会の信任に依存する首相と内閣が 存在し、これらは執行府の役割を果たすことーをそっくりそのまま採用する。しかし、彼らはそれを﹁半大統領       ドゆ  制﹂とは呼ばず﹁首相ー大統領制︵苫6巨①﹃−噌。・・己。忌巴一゜。日︶﹂という奇妙な命名をするのである。のみならず、それ と似た次のような特徴、すなわち  ー.大統領が国民によって選ばれる2、大統領は首相・大臣の任免権をもつ3.内閣は議会の信任に依存する  4.大統領は議会の解散権と立法権のいずれかまたは両方をもつ        ヘロ  ような、もう一つの制度を﹁大統領−議院内閣制︵噌⑦。。己9↓も旦●日9一恥蔓ごと、さらに奇妙な名をつけて区別する。 しかし、2.と4.は大統領の﹁重要な権限﹂を具体化したものにすぎなく、これもデュヴェルジェの定義する半 「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) (14︶=知巨。ユ︶已くqoq6で..㌘oq目。。・。∋苫勢亘己一。丁..合自9三。二︶旨昌。冨一く<。°・=∩自︵合゜・シ9ミ§9ぎひ§匂ミミ∼§ミ、︵㊥呂゜・毫§°・°°・  己巳くoa9﹃9エ⇔即呂わo︶二⇔⇔NマOO一゜ (15︶ζ從巨。竺︶・<鶴oq①﹁∵.↑0呂8零。冨・・﹃曾昌=。醇ぎ゜・°..さミ息膓三ρや。。°一〇⇔ひも唱﹂O刈二8° (16︶<。日8㏄。。・江芦。ロ..。・。邑−宮2ユ・・量毫一①目..言ぎヨ8こ。。°qo彗。﹃①エス還代駒§ぎ亀ミ穿⇔ひ§ミ§ミ、・∼ミ§∼ぎミミ§㎏、︵O×穿合ロ。㏄゜・=  ロ。訂。冥£o一F連゜一⇔。。∨も℃°ま一ード (17︶§°ミも・い2°また、半大統領制は多党制下や政治的細分化の状況にあるデモクラシー国家に最も適合するように思われるとの   コメントも附されている︵P切ΦN︶。 (18︶§穿2。,・。。巨σ・呂呂三。言家n§∨㌔・豊合き§へ﹄旨§9昌9書ミミ§ミO・句曹§亀団、ミ。§∼身§ミ2︵9昌え゜・。6昌o己。・・  C己くo旦蔓コ。°。°・︶曽一〇〇Nも゜8° (19︶ e°災トも゜這゜ 29

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) 大統領制に含まれることは明らかである。ところが彼らは、次の理由から半大統領制という名称を採用しないので ある。それは、.、。。。目も目。・己①忌巴。・∨。。一①日..の..。・。∋︹。。という言葉が  彼らの受ける印象では  大統領制から議院内閣 制にまで伸びる連続体の中間に位置するという意味をおびるので不適当だからということである。しかし、..。。。巨.ぽ 連続体を前提にする概念ではないし、もちろんデュヴェルジェも、半大統領制が大統領制と議院内閣制の連続体の 中間に位置する制度であると言っているわけではない。この点はレイプハルト︵﹀目且忘嘗胃︶が﹁フランスの半大 統領制は議院内閣制と大統領制との統合︵ジンテーゼ︶を意味するわけではないし、また両者の間の多少なりとも 中間に位置する範疇であるわけでもない。それは、むしろ議院内閣制的な局面と大統領制的な局面とが交互に現れ るもので、どの局面が現れるかは大統領の党派が議会の多数を占めているかどうかに依存する﹂と正しく指摘して い麺・  しばしば誤解されるが、半大統領制が議院内閣制と大統領制との混合であるといっても、あるときは議院内閣制       へのザ に、別のときは大統領制になるわけではない。制度そのものは不変であって、変わるのは実際の運用である。﹁議院 内閣制的な局面﹂というのは、政局の主導権が議会多数派を支持基盤とする首相・内閣に移り、大統領は影が薄く なる状況である。一方、﹁大統領制的な局面﹂とは、大統領が政局を主導し、首相・内閣は大統領の意思のもとに行 動するだけの存在でしかない状況をいう。また、大統領が憲法上の実権を行使しなくなっている場合であれば、や はり首相・内閣の主導する政治となり、必ずしも内閣が議会の多数派の支持を得ていないケース、つまり少数政権 の 場合もありえる。そして、この場合も議院内閣制的な運用になる、ということである。   半 大 統 領制を別様に定義したのはオニール︵㊥①ヨo匠O.之⑦≡︶である。彼はこの概念を執行部の構造に着目して使 用し、半大統領制とはニー︶執行権が政府の長︵冨呂o﹃o。o<。∋ヨ。己︶としての首相と国家元首︵#。包鳥。。巨。︶とし       バカリ て の 大 統 領とに分かれていること、︵2︶実質的な執行権は大統領に存すること﹂としている。したがって、彼によ 30

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れ ば国民の直接選挙で選出される大統領が存在しても、それが弱い権限しかもたないアイスランド、アイルランド、 オーストリアは半大統領制に属さず、逆に議会による選出であっても強い権限を持つ大統領が存在するアルバニア       ハお  や (当時の︶チェコスロバキアはそれに属することになる。だが、後の二国は国家元首が何らかの実権を行使し得 る二元的議院内閣制に通常は分類されるものである。後年の別の論考でも彼は同様な定義を繰り返しているが、彼 の 意味する”半大統領制”とは議会の信任に依存する内閣と﹁強い大統領﹂とが存在する制度のことであり、大統       り 領 が 公 選 か 否 か には関係がない。 「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) (20︶≧⑦且忘菩①芸..宣δ合合8°。.日﹀﹁。且忘喜呂︵。Oシ、ミ∼ざミミ亀蔓く§5、§ミ・ミ∼ミOミ爲§ミミ、︵Z。≦く。汗O×δaご己<。﹃°・ξ   勺﹁。。。。。︶°一⇔ONも゜。。°同様の内容は繰り返して言われており、後年においても﹁デュヴェルジェの半大統領制という概念は複数の相をも   つものであって、大統領制と議院内閣制との中間に位置することを要求するものではない﹂と彼は述べて、︵シュガートとカレイ   を含む︶多くの誤解を正している。○︹﹀♂a[⊂嘗。只..↓ユ070⇔o日∨9望⇔庁08∋S.。忠§s§e只§ミミ、o、ミらミ㍗㎏Qさ叉ω一二〇⇔S⑰  口ひ゜ (21︶ このような誤解が生じた原因の一つはデュヴェルジェ自身にもあるといえる。彼は著作の中で、半大統領制は二部分は大統領   制で一部分は議院内閣制である﹂という不用意な表現をしている。ζ①弓8。O已く6品。戸卜Oeさ已ミミ∼§㎏合ざ噺ヨミ♪一No毯ス︵勺呂。・︰   写o。。。。o。。ご己くo﹁。・﹂↓巴﹁・切匹o¶﹃呂oo︶°一⇔O一も“一〇⇔° (22︶5日臭○。ZQ≡・..㊥﹁。邑。呂巴勺。5ニコ勺。。,〒9∋目5巨曽δで。︰↓=。=旨加呂呂9=‘。日9∋唱碧。9。勺。﹁°・唱。合くP.、Sミさミミeミ§§嚢   ㎏ミミgO︵ωy一②Oωも﹂⇔司゜ (23︶チェコスロバキアはその後一九九三年にチェコとスロバキアに分裂し、両国とも議院内閣制を採用した。だがスロバキアは一九   九九年、大統領を国民の直接選挙による選出とする憲法改正を行い、これにより︵デュヴェルジェの定義する︶半大統領制の仲間  入りをすることになった。 (24︶勺◎三呉OZ竺[..=5。。曽∨ら〇三8=﹁昌。。三8①邑。×。。三ぞ。8。コ5︰≡6σ巴昌。。。二日。Q∋①ロ§δ。。﹃8ξる、.ヨヵ趨↓①§︵oe“   、o§oミ§§、乏、、o乏合ミ靭︵9日σ己oQo∩ω日σユOoqoご巳くo邑マ写霧,‘︶.⑦②S唱゜巳∨° 31

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北陸法學第9巻第3 4号(2002)  リンス︵﹄已餌目﹄°︼﹁一白N︶は、半大統領制を﹁大統領が議会によって指名されるのではなく、国民の直接または間接選        ハお  挙で選出され、首相は議会の信任を要する﹂制度と定義する。これは、国家元首としての大統領が議会︵二院制の 場 合は両院の合同会議が普通︶による選出である議院内閣制の場合と区別し、さらに国家元首の権限に言及しない       パザ ことによって﹁重要な権限﹂の曖昧さを避けている点で明確な定義と評価できよう。また、国家元首が国民の間接 選挙による選出も含むことを明記することで、﹁公選﹂の漠然とした定義よりも優れており、ブインランドの大統領 の 選出に関する問題を解決している。しかし、リンスが挙げる該当国は網羅的ではなく、せいぜいブインランド、 フランス、ポルトガルだけを列挙しているに過ぎない。   サ ルトーリ︵Oδ<§巳。力呂o旦の定義は詳細を極めており、半大統領制を次のように定める。   (i︶国家元首︵大統領︶は固定した任期で国民の1直接または間接−投票によって選出される。   (‥11︶国家元首は首相とともに執行権を分け持ち、このことにより二元的権力構造をなす。この権力構造は以下の       三 つ の 基 準 で 定 義される。   (…m︶大統領は議会から独立しているが、大統領単独であるいは直接に統治することはできない。それゆえ、大統       領 の 意 思は彼の政府を通じて実現される。   (V︶それに対し、首相とその内閣は大統領からは独立であるが議会には依存する。内閣は議会の信任または不信       任 の 下 にあり、議会の多数派の支持を必要とする。   (v︶半大統領制が二元的権力構造であることによって、執行部の中で大統領と首相との間で異なった均衡が生じ      得るし、大統領あるいは首相のほうに権力の優勢が移動することも起こり得る。それは、執行部における大統       へれね       領 および首相それぞれの固有の権限が決して失われないで持続するという条件の下で起こり得ることである﹂。後の︵v︶は要件というよりも、この制度に顕著にあらわれる現象の記述であるが、オリジナルのデュヴェルジ 32

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) エ の 定 義をパラフレーズしたようなものである。しかし、この定義によれば大統領が積極的に独自の意志を表明し ない国々は半大統領制とはいえなくなり、事実、サルトーリは対象国として西欧ではフィンランド、フランスだけ にしか明確に言及していない。

「 半 大 統 領制﹂というタームを用いず、﹁大統領制﹂の概念を拡大して適用する例もある。イースター︵06﹃巴江家・ 団ロ。。⇔6.︶はある論文の冒頭で、﹁脱共産主義の体制転換をなした国々のうち、なぜ、新しく独立した旧ソ連邦構成国の 多くは大統領制︵で﹁。。。己o白亘①=。。旦を選択し、東ヨーロッパ諸国のほとんどは議院内閣制を選択したのか﹂と述べ、        ロ シア、ウズベキスタンなどの政治制度を大統領制とみなしている。彼が﹁大統領制﹂に分類した国は、旧ソ連邦 構 成国では全十五力国のうちエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国およびモルドバの計四力国を除く十 一力国であり、東欧諸国ではクロアチア、ルーマニアのニカ国である。ただし、それ以外はすべて議院内閣制に分 類されているかというと、そうではない。なぜなら、どちらにも属さないものとして彼は混合タイプ︵自×。eを設 けているからである。しかし、混合タイプに入れられている国はリトアニア、ポーランド、モルドバ、モンゴルの (25︶﹄=醇目一・=治N・.、㊥﹃。・乃己。コc餌一。﹃β=§。旦3︼︶§。。§S︼︶。㊦・・言§汀①︼︶一ぽ﹁98∨..日ぎこ゜==N呂全﹀言﹁°<書゜N=。冨︵o巨゜り゜︶“§代  ぱ∼∼ミ、恥叉、、、﹄ミ、ミ∼⇔;、§§09ミδミミ恕ξ災、∼§︵ロコ①三8﹃。﹂g5=。甚霧ご弓。﹁°・旨即2︶w一ゆo︿もぶ゜。° (26︶ただし、リンスは㊤。§壱﹃。。・己。白=陣ご百8ヨと同義で‘,。∋首①ユ一①日。邑①蔓⑭百一6∋という概念も使用しているが、両者の違いは明確に説明   されていない。代替可能な用語だという認識であろう。O﹁、ミ合 (27︶9。<旬ココ;葺。見9§、⇔ミミsh。ミ∼、ミS§、謬ぎ爲きや吉さQミ這∼さS℃9ミ舞ミ§ミ・㎏§へOミ8ミ晦ふ邑6ら︵Z2ぎ汗Z2   ㎡o﹃×⊂己く6旦マ写①゜・°・︶二⇔⇔S唱二]一㎏゜ (28︶06﹃餌江≦団知・。[6ご.喝﹃。合﹃⑦臣。。∂﹃甲。・自a6ロ匡ぎモ塗8目≡9︷カ。σ。目。9藷竺;巨冨おap庁⇔Z︼°。㊨..きミミミ6二▽︵﹄ξ3︶二②。メ  三。。ぶ゜ 33

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北陸法學第9巻第3 4号(2002}        ハ   計四ヶ国にすぎない。だが問題なのは、大統領制および議院内閣制とはどのような制度を指すのか、また両制度がどこまで混合すると . . 巨×①●。.になるのかについて、イースターは明確な定義をせずに議論を進めていることである。そのため、たとえば なぜクロアチアが大統領制でポーランドが混合タイプなのか、多くの人にとって承服できないであろうと思われる 点 がある。というのも、クロアチアには議会の信任を存立の要件とする首相・内閣が存在し、一方ポーランドも同        れシ じでありながら、大統領の憲法上の権限はクロアチアより強力だからである。この点は大いなる疑問符がつけられ よう。  半大統領制という名称を使用するとしても、他の用語と代替可能だとするものもいる。ステパンとスレイマン (≧含o●。力締苫昌呂全団N日Z°。力三6ぎp旦は..。。o巨−噌o。・置。o戸巨。。という用語を認めながら、しかし..。・o巨も碧富日o巳3。。という        言 葉も同じ意味で使っている。リンスも同様に..。・o日苫﹁。・・己6忌巴o﹁。。o日﹂も邑冨目o忌3.どいう表題のもとに、これらを          お  同義として扱っている。この..。。。巨己邑富日窪富頃苫σ。一∋①..を邦訳するなら﹁半議院内閣制﹂となるが、デュヴェルジェ によれば、..。。。日苫﹁Φ。・昏呂巴、ど..。。6∋﹂も匂品①日。三①ロ.どの区別は大統領制と議院内閣制との違いに対応しているのであ る。大統領制では大統領選挙と議会選挙との二つの民主的正統性があるのに対し、議院内閣制では議会選挙の一つ だけである。半大統領制には大統領選挙と議会選挙という二つの民主的正統性がある以上、半議院内閣制ではなく        ロおソ 半 「大統領﹂制と呼ぶほうが適切だという。実は後に、この﹁半議院内閣制﹂という概念をデュヴェルジェも使用 することになる。しかし、それはイスラエルで一時期︵一九九六年i二〇〇一年まで︶の間実施された首相公選の        あ  議 院内閣制を指す意味で使っており、彼らとはまったく異なる。だが、そうだとすると、首相公選の議院内閣制に 34 (29︶昏゜息ジ三8

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) (30︶国☆。。§の論文発刊の時期からして、ポーランドについては現行の↓九九七年憲法ではなく↓九九二年憲法に基づいた評価である    と思われる。その憲法によるポーランドの大統領の権限とクロアチアの場合とでは、明らかにポーランドの方が広範で強力な権限     が 与えられている︵ポーランドの現行憲法であっても同じことが言える︶。首相または大臣の副署を要しない大統領独自の権限は 二二種類もあり、体制転換した東欧諸国の大統領の中では相当の量である。しかも量だけではなく、質的にも重要な権限が憲法に    ちりばめられている。そのいくつかを列挙するなら、下院の解散権︵一九九二年ポーランド憲法↓=条四項、六二条︶、レファレ     ン ダ ム の 付 託 権 (同一九条二項︶、法案提出権︵同一五条↓項︶、法案拒否権︵同↓八条三項。この権限を有する大統領は他の東    欧.旧ソ連邦構成国にはほとんど見られない︶、憲法院に法令審査を請求する権限︵同一八条四項︶、首相の﹁指名﹂および大臣の   ﹁任命﹂権︵同五七一六〇条︶、閣議の招集権︵同三八条二項︶、などである。一方、クロアチアの大統領が首相や大臣の副署を要     せ ず に行使できる権限は首相の任免権︵クロアチア憲法九八条一項。ただし下院の承認が必要︶、緊急命令制定権︵同一〇一条︶、    閣議の招集権︵同一〇二条︶、などに限られている。議会の解散権や法案提出権および拒否権などは認められていない。議会解散    は首相の権限である︵同一〇四条一・二項︶。 (31︶≧津9。り吟唱呂昌全団N日之。。已一〇日声P.。↓庁o市﹃自。プコ穿声名旨膏︰﹀ζo工江合ニヨ召ヨるコ⑦90コo°・05曽ロ邑ロ且o。﹃邑︼途.。日工﹄°百汀言ず︹    芦C≧字oOg。8言o︵合ψし㌔ミ∼、∼舞閲災合巨§へO§災ミ蔓㌔60ミミ言、∼斥賜、§∼、靭︵coo巳●o﹁6巳﹃≦o。。言o宅即2。・y一⇔Oいも゜冶↑ただし、ス    テパン自身は後に..。・6旦も声﹁言ヨ6芸閂父..なる言葉を使わなくなったようである。むしろ。・。邑⇒・。・己。忌芭訪∋ではなく。・・旨菅。。・己・呂釦言ヨ   という用語を使用し︵器目﹂のあとにハイフンがつかないが、同じ内容︶、半大統領制を三つのサブ類型11一大統領が議会で多数   を占める︵連立︶政党のリーダーである場合、2一大統領派ではなく首相派が議会で多数を占める場合、3︰大統領派も首相派も   議会で多数を占めない場合ーに分ける。≧守o匹し力8苫戸﹄ミSさ゜。ひ。§ミミ∼斥さ、ミ6負︵Z。≦く。芽︰O×ま己ごコ︷<。﹁。‘﹂マ軍9・−︶礼8一も﹂ひ゜ (32︶9こF巨゜..㊥§幕コ匡。;国ユロヨ⇔旨蔓O。∋。§n∨08⑩#忌畏。二︶ぼ。器言亀..ぎ﹄5こ゜↑巨§O>﹃ξ。<㏄﹃N。°訂︵9°・°︶途忍代  隷∼ミミミ、ミ乏合ミミO、ミ災ミQ㍉∩◎ミぎ日ミ、、ミ竜災ミD︵co①三日o﹁o︰甘#房=oでζ自⊂己︿o易一せ写o勿゜・∵一⇔Oふも﹀°。°さらに、ご8﹂°亡コN“   . . 宣8自⇔ま口。り。∋。↓ぎ已。・ゴ㌃。∋㊥﹁。。・幕呂①言日日勺gヤひ。ヨヨg巨曽﹁。勺ρ..ヨズ遷↓§。・︵。Oシ、。乏ひ§ミ§這さ旦合ミ㎏︵6昌σま。。Ω   n●ヨひ﹁己oQo⊂己くo邑マ勺﹁o。・。。︶∨一⇔8も゜三ふ一P5° (33︶ζ聾呂80乞藷・﹁︵。e’e;合ミニ§∼寸S﹂痔さミ恒︵勺呂。・迫﹁。。・。・09一く6﹁°・巨§○。市﹁§。∪°一⇔。。ひ担゜。° (34︶忌国旨80ロ<。﹁。Q①﹁°..[2ζ8§宮。。・﹁。言σ=8一コ。。・°、.さミミヌコC∨。。二⇔②ひも゜=∨. 35

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) も首相選挙と議会選挙との二つの民主的正統性があるから、前の論拠と矛盾してしまっている。これは混乱に輪を かけるものであろう。同じく半大統領制という用語を認めながら、それを大統領制の一類型として新たな分類を行うケースも出てきた。 たとえば、レーンとエルッソン︵﹄①亨国﹃完↑pコmo⊃ロω<①コ︷①国﹁切切o旦は大統領制︵℃8ψり己ゆ葺一〇一房∋︶を   (1︶純大統領制︵OξΦ肩Φ゜り己Φコ匡①=ψり日︶   (2︶半大統領制︵°りΦヨ一も﹁Φ゜り己①コごo=の日︶   (3︶ 弱大統領制︵≦①o×月Φg。己Φコ巳o=°力日︶          ハおザ という三類型に分ける。﹁純大統領制﹂がアメリカ合衆国の大統領制を指すのは明白だが、この三つの制度について は漠然としたイメージは湧くものの、厳密な定義が行われているわけではない。それゆえ、たとえば﹁半大統領制﹂ と﹁弱大統領制﹂とはどこがどう違うのか明らかではなく、したがってどの国のどの時期の制度がそれぞれのタイ プに含まれるのかも不明である。  ところで、現行のフランス第五共和制が半大統領制の典型として紹介されることが多いが、当のフランス人研究 者 のあいだではこの用語に批判的な傾向が強い。デュヴェルジェが皮肉をこめていっているように﹁半大統領制はまだにフランスの法学者達からボイコットされている。彼らは議院内閣制と大統領制という二匹の神聖な牛だけ       ぷ  を崇拝しつづけている﹂。もちろん、この用語に肯定的なものもいないことはないが、独自の定義を与えたり、ある いは別の命名をしたりする例もある。ジャノー︵od窪o↓二。芦ロ8=︶はフランス人学者にしては珍しく、半大統領制という統治形態の名称を認めている。 しかし、それは大統領制・議院内閣制とならぶ第三の形態としてではない。彼は現代国家の統治機構の三類型を掲 げているが、﹁諸権力の孤立﹂形態として大統領制、﹁諸権力の協力﹂形態として議院内閣制、﹁諸権力の混合﹂形態 36

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「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) として委員会制︵品oq目⑦O.菖§巨∩巾︶という分類をする。そして、大統領制のサブ類型として、さらに﹁正統的大統 領制︵aσqぎ。㌢。。・昏呂巴①三庁旦暑⇔︶﹂、﹁大統領中心制︵唱瓜。・己。目旨書日①ご、﹁半大統領制︵禄σq旨o。・。。。目己款㊤庄。昌書互﹂ という三つの類型化を行う。すなわち、彼によれば半大統領制は大統領制とは別の︵そしてそれと同ランクの︶制 度 類 型 で はなく、大統領制の中に含まれるが、アメリカ合衆国の﹁正統的大統領制﹂とは異なる形態なのである (ちなみに、﹁大統領中心制︵唱ば。。己6目旨雰日。ごとはアフリカ、中南米諸国に多く見られる制度で、大統領に権限が 集中した大統領制の一形態を指し、フランス憲法学・政治学では伝統的な用語である︶。議院内閣制の下位類型とし ては、二元的議院内閣制と一元的議院内閣制という伝統的二分類がなされているが、国家元首・政府・議会との三       ハげ  者関係において、半大統領制が構造的には二元的議院内閣制と同じであるという指摘はない。半大統領制が大統領制とは同格ではなく、それより下の﹁正統的大統領制﹂と同ランクの異なる形態と彼が捉え るのは、彼自身の定義によるものである。大統領制とは﹁諸権力︵立法権と行政権︶が厳格に分離され、それらが 衝 突する際は、経験的に妥協を見出すよう諸権力に任されている形態である﹂と簡潔に定義されている︵しかし、 この定義に従うなら、必ずしも権力が厳格に分離されていないフランス第五共和制をサブタイプとして含めること はできないはずであるが︶。そして﹁正統的大統領制﹂とはアメリカ合衆国がモデルであるとし、三つの要素がそれ を特徴づけるとする。第一は国民による国家元首の選出、第二に閣僚の議会に対する政治責任の欠如、第三は議会 (35︶討〒団葵Cコ;a。りく彗吟。団自o=途§、寒ミS句ミミ§ミ、o∼∼、S㌔さ■き§へ;ミOミ8ミ㎏、︵[o昆8るo邑90q巴b8ρ三一。。° (36︶家①三80c<o﹁σ。o﹁°..切百8日o唱⑱゜。己o呂o︼o二∨°・昂ヨ①烏・o目−肩瓜゜・E⑦ロ[匡゜、.合田゜・﹂①芦−↑o巳゜。。。o邑昌⑱らこe、、“乏合ミ恥§専§9災☆§白☆亨  §営︵田ユ倫。昂8田o巨8︶°一②。。︹毛゜ωミ, (37︶ロ。90↓こ98。き三ミごoSミミ§ミ言こSミミ§こo∼ミミC。。o痒︵喝呂切︰O襲=oN︶二〇⇔=唱゜=司ム]U° 37

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) に 対する解散権の欠如である。ジャノーはこの中で、第二の要素、すなわち閣僚が議会に対して責任を負わないこ        ザ とがこの制度の最も基本的な特徴であるとする。その結果、議会に対する内閣の責任制度が存在する半大統領制が、 この正統的大統領制とは異なるタイプになる。  ジャノーによると、国家元首の公選制と大臣責任制の結合したものが半大統領制であり、しかもこれは大統領制変形形態三瓜∂§呂oコ︶ではなく、むしろ議院内閣制との異種交配︵○邑。。①ヨ。旦であることを強調する。そして、史的起源としてはデュヴェルジェと同様に第一次大戦後のブインランドニ九一九年︶、ワイマール・ドイツニ 九一九年ー一九三三年︶が最初であり、その後オーストリア︵一九二九年︶、アイルランドニ九三七年︶、アイス ランド︵一九四四年︶と続き、第二次大戦後はフランスニ九六二年︶、ポルトガル︵一九七六年︶と、西欧諸国の 例だけを挙げている点も同じである。しかも、彼は半大統領制を三つのサブ類型に分類する。第一に﹁議会優位の 制度︵品σq目。呼合日日§8廿邑。∋⑦コ邑﹃。ご、第二に﹁大統領制の間欠する制度︵敏σ。旨6竺コ9日旨oコ8唱﹁∩。。昏呂Φ=。こそ して﹁大統領の主導する制度︵艮o。日。∩まo・瓜日o忌。唱品。・己o呂①=・ごである。第一のタイプに属するのはアイルランド、 アイスランド、オーストリアであり、第二のタイプはブインランドのケッコネン︵ご︸o×⑦葵o宕旦大統領時代二 九 五 六 年∼一九八一年︶とポルトガルのいくつかの期間が該当し、第三のタイプは﹁保革共存︵8ぎ●冨吟δ口ご時代         を除いたフランスであるとする。  ﹁半大統領制﹂ではなく別の︵しかもより奇妙な︶名称を与える者もおり、カドゥー︵9旦2ひ且o臣︶はフランス 第五共和制やフィンランドを議院内閣制と大統領制の両方の変形形態であるとして﹁半議院内閣・半大統領制 (。。 ①巨も旦oヨo目巨﹃o。・①ヨ一己﹃ひ。。己o呂①一ごという名前で呼んでいる。また﹁ハイブリッド制︵品oqぎoξσSoごでもある        ゆ  というが、いずれの用語にも明確な定義はなされていない。  半大統領制という用語を採用せず、既存の類型用語を変形して使用し、しかも第五共和制の運用時期によって異 38

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f半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) なる名称を与えている場合もある。ルクレルク︵Ωきロ。ピ。⊆窪。εは、一九五八年から一九八六年までは”特殊な大 統 領制︵日σ。ぎo苫。。・己①コ=巳。。唱8田£器︶”であり、保革共存︵。oコ書旨江o昌︶時代︵一九八六∼八八年︶は一元的議院内          閣制だとする。しかし、そもそも制度類型は憲法上の構造に基づく概念であると考えるなら、運用実態を含めてし まっている点で他の大統領制や議院内閣制の類型概念と整合性がとれていないように思われる。

国家元首.内閣.議会の三者関係においては、国家元首が公選であるという点を除けば半大統領制は一九世紀の 西 欧 に 顕 著 だ った形態、つまり二元的議院内閣制と同じであるが、第五共和制をそのようにとらえる見方は早くか ら存在し︵オルレアン的議院内閣制という言葉がよく使われる︶、現在でもアルダン︵㊥巨壱甘﹀﹁旨ロOなどは二元的       れザ 議 院内閣制と規定する。﹁議院内閣制なのか?﹂という項目を設け、ジャッケ︵﹄Qき㊥碧二R工忌︶はフランス第五共 和制1とくに一九六二年の大統領直接選挙制の導入以降ーの性格をめぐる論争が憲法学界で沸騰し、﹁半大統領 制﹂などの新しい範疇を設ける例や、既存の制度類型では分類不能との告白の例などを紹介してい麺。憲法改正に 関する諮問委員会の﹁われわれの憲法は議論の余地なく議院内閣制を導入したものである。しかし、いくつかの特 (38︶ §°亀で署゜=。。己 (39︶ 曾゜亀で苫﹂ぱ﹂Nい゜ (40︶9曵。胡︹飴全。己ぷo、。ミ§、☆ミ§、、・こミミ§ζ。ミ∼⇔ミ的慰ミミミミ・合・ぎミミ§ζ。ミ曾・こ。ひ牛゜︵㊥覧”百毛゜・こ。°。°。も∨  N一ひーN一∨° (41︶Ω旬=○㊦[6江。﹃。エもミミ§鍋ミミ§ミ㌃こミ∼ミ§こ。、§ミ争≡C身︵㊥呂゜・︰↑﹂§︶°一8②も言三−NoN (42︶勺才ξ唱。≧合白丁言ミミ§こ。∼ミ吉鵬朱Oミご§㎏ミミ§ミこN。ぴ全こ︵㊥呂゜・FOb﹂︶礼08も勺﹄ω∨−°。° (43︸﹄。①昌㊥①==①。oロ瓜も、。ミ§句ミミ合§災6こミ、ミ∼§こ。、§ミ㎏、舎瓜o°.︵㊥呂倫・6①=。N︶礼08も]∨9 39

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北陸法學第9巻第3 4号(2002)       べ 徴、とりわけ︵国家元首の︶選出様式は大統領制を想起させる⋮﹂という一九九三年二月十五日の報告もあわせて 紹介し、公式見解でも何制なのか不確かだということを訴える。しかし、政府の対議会責任が存在する以上、大統 領 が国民の直接選挙で選出されても、この制度の議院内閣制としての性格は変わらないとして、彼も第五共和制を        パ  二 元的議院内閣制と規定する。   やはり議院内閣制と把握しつつも、そのサブ類型を通常の一元的・二元的という分類ではなく、それとは別にオ リジナルの類型を設定し、新しい名称を与えるケースもある。コーエンデット︵ζ呂。−﹀目。Oo冨昆旦は議院内閣制   へ       を..﹁。⑯目⑦唱旦①日9巨目ヨoコo目宮㊤。巳⇔己﹁.と..款oq目。喝邑oヨ。2芦o宮﹃⑦ロ﹃合。三豊﹃とに分ける︵これは強いて邦訳するな ら﹁単代表的議院内閣制﹂と﹁両代表的議院内閣制﹂とでもなるだろうか︶。前者は一元的議院内閣制、後者は二元 的議院内閣制に対応しているように見えるが、厳密には違っており、日oコ08耳合。昌き﹃とは国民による選出が単一の ルート、つまり議会選挙しか存在しない制度であり、いわゆる通常の議院内閣制のことである。●﹂﹃。層瓜。。。o冨法どは議 会と国家元首の両方が国民による選出である制度であり、半大統領制のことである。したがって、二元的議院内閣 制であっても国家元首が公選でない場合はこれに該当しない。そして後者に属する国としてデュヴェルジェと同じ ように一九一九年のブインランド、ワイマール・ドイツを起源に今日までの西欧諸国を挙げている。しかし定義で はデュヴェルジェとは異なり、①国家元首の公選、②政府は議会に責任を負う制度であるとし、国家元首の権限に は言及しない点が彼女の特徴である。デュヴェルジェのいう半大統領制とほぼ同じであるが、この名称は問題があ るとして使用しない。その理由は、議院内閣制と大統領制とを分けるもっとも大きな特徴は政府の対議会責任であ り、これが存在しないのが大統領制であるにもかかわらず、半”大統領制”と大統領制の名称が使われているから      ヘロリ であるという。  ﹁混合制︵﹃台ぎ。日[×一。ごという名称を採用する例もいくつかある。しかし、これは議院内閣制および大統領制と 40

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      パパ  並 ぶ制度類型としてではなく、分類不能の派生系あるいは雑種として扱われているケースがほとんどである。   パクテ︵㊥冨胃。㊥①。8Cは半大統領制という名称を拒否し、議院内閣制と大統領制の他に﹁混合制︵款σq巨。日ぎ①ご       へゆザ と﹁マージナル制︵﹁品一∋①日曽σ。日巴ごという類型を設定する。マージナル制とはスイスの議会統治制のことだが、 半大統領制は混合制に該当する。そして、混合制は議院内閣制の要素と大統領制の要素が結びついたものであると 定 義し、フランスをはじめ、オーストリア、フィンランド、アイルランド、アイスランド、ポルトガルなどの西欧国のほかにロシアや中.東欧の幾つかの国が該当するとしている。だが、混合制は一貫して機能するには問題が        ロ  ある制度であるとして、半大統領制には批判的である。   シ ャ ントブー︵ロロ。日①aひ言三6σ〇三︶も伝統的二類型だけしか認めず、議院内閣制の国家元首を公選にしたタイプ       パ   を﹁混合制︵品σq喜o邑蓉oごという名で呼ぶが、あくまでも議院内閣制の一タイプとしてとらえる。該当国はワイマ 「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) (44︶ §;∼、’も二∨タ (45︶ 8S言も廿゜一∨やい゜ (46︶ζ呂。︾昌。百o庁。え⇔でO§ご§句ミミ合§合︵勺豊゜・︰家o旦。琴o°・9ロ︶る8⇔廿NU己゜ (47︶ §°ミ゜もN巴゜ (48︶ たとえば、6=旦o。。Ooσσo。。07・討。エ=o。。︼]oca8㌔$〒宅目o㊥oロ=o﹁﹂o曽〒Ω巨Oo㌘8TO、ミ、へ§㎏ミミ∼§ミ言こSミミ∼§㎏、oミぶ§Sふ⑦合こ   (芦。・︰守o=o忌○巴ふO⇔一゜唱゜い。。O° (49︶里8。㊥餌。冥ぎミミ、§閲、。ミ貢舞ミミひ§㎏ミミ§ミ、二㊤&色こ︵田ユ。・”ζぽ。ミ﹀§き△9=已る80も﹂い一゜ (50︶ 曾゜亀、:唱﹂いNム゜ (51︶ロ。。日pa9。三〇●。巨もミ、ら§句ミミ。き災ミ己§QVミ鳶ミo二↓。合︵勺簿ユ゜・︰﹀ヨ彗α◎。音∨N80ロロタ 41

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北陸法學第9巻第3 4号(2002) ール・ドイツをはじめデュヴェルジェの列挙した例と同じであり、さらに東欧のいくつかの諸国に言及するが﹁デ       へほザ モクラシーの見習期間にある国に最もよく適合するようだ﹂と、この制度自体に対する評価が低い。ファヴォルー (↑o巳。。諄くo器巴︶編纂のテキストでも伝統的二類型だけであるが、議院内閣制のサブ類型として一元的議院内閣制・ 二 元的議院内閣制の他に﹁”合理化された”議院内閣制︵唱邑6日ゆ巨艮。・∋。 ︽﹃①ロ9①言ぴ︾ごという項目があり、現行        ハおザ の フランスが一例として挙げられている。ただし、この概念は一般には内閣と議会との関係において使われる事が 多く、このテキストでも国家元首も含むトータルとしてのフランス第五共和制が何なのかは明らかにされていない。   デ ュ アメル︵Ω融忌巽O已9日。ごも半大統領制という用語は問題があるとして拒否し、現行のフランスに対しては        あザ 「大統領中心制︵゜・盲⑱目喝§置。忌巴︷ω︹。︶﹂と命名する。彼によれば、国家元首が公選だからといって大統領が積極的 に 統治の主体として振舞うことにはならず、したがってすべての国が同じ様相を呈するわけではないとする。彼は 実際の運用が異なる制度に同一のタームを使用することに懐疑的である。  そのほか、現行のフランスの体制に対する当のフランス人学者による諸命名を列挙するなら、﹁大統領中心制 ( 唱§§ロ⇔巨冨∋。︶﹂、 ﹁大統領制的議院内閣制︵で閂冨日①旦呂。・目喝日。・宣。目再芭ご、﹁ネオ議院内閣制︵忌o己邑①日6皇呂。・日6こ などといったものが並ぶ。   新しい名称に批判的なものも多い。ヴデル︵08︼σ⇔9<oO9は、デュヴェルジェが半大統領制という概念を導入す るや否や、さっそくこれに批判を加えた憲法学者の一人である。彼は﹁半大統領制というものが仮にフランスに存 在し得るとしても、それは実際には議院内閣制と大統領制とのジンテーゼ︵統合︶などではなく、むしろ大統領制 的な局面と議院内閣制的な局面との交代であり、それらはまったく別物である。⋮半大統領制とは、せいぜい⋮こ       へめこ       ハエ  うした局面に対して与えることができる便利な名前にすぎない﹂という。前半部分は誤解にもとつく批判であるが (なぜなら、デュヴェルジェも同様にジンテーゼなどではなく議院内閣制的な運用と大統領制的な運用が現れると言 42

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っ て いるからである︶、類型概念として採用することにはあまり学問上の有用性を認めていない。ラヴロフ︵O∋一日08﹃σQ窪e≦03も半大統領制という名前に言及しながらも、この概念には批判的である。デュ ヴェルジェの説を紹介しつつ、しかしヴデルの批判を引用してさらに彼自身の考えで補強する。彼は﹁混合制 (a。q旨①a苔︶﹂という概念そのものに疑問符をつける。なぜなら、憲法体制および政治制度における類型は、﹁理想 型 (∋昆小︼9一念碧×ごに他ならず、それは現実を記述するのが目的ではなく、単にカテゴリーを確立するのが目的で あるからである。そのカテゴリーによって、現実を観察する者は座標軸を手に入れることができる。その座標軸は 発 見的機能をもつのであり、記述的機能をもつわけではない。実際、 “純粋な”議院内閣制や大統領制が存在する        げザ ことは無く、多くの場合は何かが混ざっているのだという。 「半大統領制」の概念をめぐる混乱(山崎) (52︶e°合゜も゜N]い゜ただし、彼がエストニアもその例にあげているのは何かの勘違いであろう。エストニアは伝統的な議院内閣制そ  のものであり、国家元首は公選ではない。 (53︸市髪22“勺琴民穴O巴夕声声畠艮エ百ぎ<o呂呂冶︼oき−↑o巳゜・室窃ρ□9δ㊥宣。・日旬旨曽>a蒜声2メ゜Oξ。り8ぼo見O旦二§Sミ合§鼻ω⑦合二   (邑ω︰9=旦る8ρ睾ω司O−ω。。ρ (54︶○=≦20cぎ邑巾丁↑OO、ミ災、ミ∼、ピ念⇔ミ登ミ乏ミ、♪○辻丙§隻、夕︵認ユ。・︰乙力①三プ声⇔⇔ω;]い。。°ここで彼が使用している。・吉∂ヨ   勺﹁塗合・吟巨邑・は、普通の大統領制のことを指すようにみえるが、そうではなく、大統領制には彼は款σq目。文瓜。・己。呂。一という用語を  あてている。 (55︶ 08お6ン・<合or..o力さ書⑳゜。08唱曽雪書㌢“.。富ミ§魯二⇔−NO款≦90一②司。。° (56︶同様の批判はコナク︵○含曽亀∩。冨。︶も行なっており、半大統領制は大統領制か議院内閣制かいずれかのように機能するという。   百[O警碧αOoo①P..[o℃﹁合庄oコ旨雰∋P.、包芦゜・○=≦自︼︶︸恥ヨ江9ぺく9三瓜コ∨︵瓜合゜︶°OSS§ミさ9≧ミミ∼§ミ、︵勺監。。︰即霧ω窪ご忌くo旦︷巴﹁⑦・。   0 6宮彗8︶二②8も゜。。一∨ (57︶Oaぼ08﹁。q。°・冨く8ヌ富災・Σへ・§㎏ミミ。§込合合芯㌔魯ミ喜♪]①江“︵勺註。・﹄四=。Ny⑦ゆoも゜▽O司゜ 43

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北陸法學第9巻第3 4号(2002)   最新のフランスの政治学・憲法学に関するテキストにおいても、半大統領制という概念が全く無視されている例       ハおザ が後を絶たない。  このように、この概念の広範な伝播とともに様々な混乱と分裂が起こり、それは世界の政治学・憲法学者の間で 今でも続いている状況である。﹁半大統領制﹂という言葉に多くの異なった定義が存在し、そのために何を半大統領 制と呼ぶべき政治制度なのか、ほとんど統一がとれていない。したがって、これに属するとされる対象国も論者に よってばらばらである。あるいは、このタイプに﹁半大統領制﹂ではなく別な名称を与えることにより、同じ対象 国でも論者によって制度の呼称がまちまちである。あるいはまた、単に”混合”または“ハイブリッド”であると して、新たな制度類型とは認めない立場もある。さらには、伝統的な議院内閣制・大統領制という古典的な類型か ら一歩も離れず、無理やり︵のように思われる︶どちらかの類型に入れてしまう例も少なくない。それゆえ、現行 の フランスの政治制度を議院内閣制または大統領制のどちらかに位置づけるのだが︵その傾向が強いのはフランス外の欧米諸国の研究者ではなく、むしろフランス人研究者に多くみられる︶、その位置づけが人によって違うとい う事実そのものが、この制度が伝統的類型の箱へ簡単に押し込められないことを証明しているといえよう。  しかしながら、そのような分裂を引き起こした原因の一つは前述したようにデュヴェルジェの採用した定義にも あることは否定できない。問題点は二つあり、一つは国家元首の﹁公選﹂の表現であり、もう一つは国家元首の 「 重 要な権限︵⇔旨080°・試o日宮o℃o宅o旦﹂とは何かである。 44 三、国家元首の﹁公選﹂ まず問題なのは、半大統領制に関するデュヴェルジェの最終バージョンの定義にある大統領の﹁公選﹂の意味に

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「半大統領制1の概念をめぐる混乱(山崎) つ い て である。原文をそのまま引用すると..仔o買⑦。・置o旦o﹃日6﹃呂ロO琴富巳o。8エぶ旨ぞ①﹃。・巴。。=津①oqo°。。である。この 、 . きぎ﹃。・巴。・已穿欄。、ぽ日本語では﹁普通選挙︵制ごと訳されるが、これが国民の直接選挙なのか間接選挙なのか必ず しも明らかではない。この表現を彼が採用したのは、最初の定義で使用した﹁直接選挙﹂という表現であると当時 の ブ インランドが当てはまらないからであろう。その意味で意図的に両方を含むような広い概念を採用したもので あることは前述した経緯から理解できる。しかし、多くの者にとってはロ己く2。・巴。・己日①σqQとは国民による直接選挙の 意味であると理解するのが自然である。したがって、間接選挙で大統領が選出される︵その当時の︶フィンランド が 該当国に含められているのは定義に反していると受け取られることになる。   ス テ パ ンとスカッチ︵≧守⇔O切冨唱昌き○Ω目身g。書6εはその点を取り上げ、﹁一九二五年から八八年まではフイン        めザ ランドの大統領は直接選挙ではなく間接選挙で選出された﹂と注意をうながすような内容のことを書いている。シ        バ   ユ ガートとカレイも同様に、議会による選出とさほど違わない間接選挙であることを強調している。しかし、これ らの指摘は次の二点で的外れであろう。まず、デュヴェルジェは間接選挙も含まれる趣旨でロ巳く6房巴。・已∋諾oの語を 使用しているのであり、直接選挙であると限定しているわけではない。もう一点は、彼自身が他の個所で繰り返し (58︶たとえば、出己σQ已9勺。昌。︼=°b、ミ、e曇、∼、ミ合§ミ、冷瓜○こ︵¶8.。。⋮O①=oN︶◇N8一では、半大統領制という言葉は目次にも索引にも見当た  らない。制度類型としては伝統的な議院内閣制・大統領制の二分類であり、彼はフランス第五共和制を議院内閣制であるとみなし  ている︵⑰三べ︶。 (59︶ ≧守9。○δ頂芦ロ己○コ身。り寄o亡..∩8。・馨呂8巴即釦日o£o﹁呑o且︼︶o日8旦8百8°・o宕呂8⋮㊥旦富§6ロ§°。∋︿o﹁.‘5写9己o呂pま日w、.ミミミ  、込ミo°ま︵09シ一②◎Uも゜い゜ (60︶ 家昌7⑦乏。力゜シ◎言加呂呂色︼o=コζ゜nぼoざ、さ亀合ミ㎏亀ミへ﹀旨、ミミ合㍗e曇た㍉ミ∼§ミO、乏゜⇔さ§へ両、災Sミ、導§ミa︵6◎ヨぴユム⑯o︰O⇔日σユOσQ6  ご己く6﹁°・一ロ即9。。︶二8Nも゜N一]° 45

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