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宮座の社会人類学的調査?

著者

高橋 統一

著者別名

TAKAHASHI Toichi

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

1972

ページ

1-74

発行年

1972

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010323/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

メ〉 Ä

人類学

目 次 はじ め に :・ 一、 甲賀郡信楽町朝宮 の 宮 座:::::ji--::ji--ji--:ji--ニ -宮 座 の 組織と 構造:::-ji--::ji--::::-ji--ji---一一一 2 宮 座 の 儀礼(秋祭):・:ji--::1-ji--:::::::::::::一六 二 、 補遺 そ の 一 甲賀郡 信楽町 多 羅尾 の 宮 座儀 礼:ji--ji--:::ji--:・:::一九 ll九日 ま つ り ll 三、 補遺そ の 二 滋賀郡 志 賀町北小松 の 宮座 係争事件・ ... ・・・・・←一五 1 第 一審 に お け る 諸 問題 ::::::ji--::::::ji--・:::二六 控訴 審 に おけ る 諸 問題 :::::ji--::ji---ji---ji--3 一 2 lま め じ 本稿は、 先に東洋大学アジア ・アフリカ文化研究所「研究年報」の一九 宮座 の 社会人類学的 調査 E

的調査E

主主­ I可

七O年及び一九七一年度にお いて発表し た拙稿「宮座の社会人類学的調査 -」同じく「E」の後をうけ、 前二稿で至らざる部分を補うもの として、 本年度(一九七二) に調査研究した結果をまとめたものである。 私の宮座 の調査研究は、 同じく一九六九年「研究年報 」 所 収の 前二稿のまえに、 「滋賀県の 宮座 の現況ll社会人類学的予備調査」及び、「宮座制覚書」 (「 民族学からみた日本」河出書房新社刊、 一九七O、所収)があり、 この 前者は上掲の前二稿や本稿に先立つ予備調 査の報告で、後者はこ れら全部 にかかわる理論的枠組を論述したものである。 本稿を以 っ て、 数ヶ年にわたる宮座の調査研究はひとまず終了したわけ であるが、 全体を総括してま とめる作業がまだ残っており、 それはい ずれ 近く行う予定である。 なお、 本稿で取扱った三調査地の位置は二頁の地図 を参照していただきたい。 本年度の調査研究に際しては、 文部省科学研究費および東洋 大 学 ア ジ ア ・アフリカ文化研究所の研究費の交付を受けた。 ここに深甚な謝意を表 したいと思う。

(3)

宮座の社会人類学的調査E ま た、それぞれの調査地では 、少なからぬ方々の御親切なお力添えをい R-J-、R -。 中jふJ'hvφj いちいち御名前をあげなくて失礼であるが、心か ら御礼を申上 げる次第である。 一、 甲賀郡信楽町朝宮の宮座 旧朝宮村は行政的に上朝官、下朝宮及び宮尻の三大字からなっていたが が、 い ずれも信楽町の市街地(長 野) から西方、信楽川に沿った部落で、 長野から川下(琵琶湖方ー面) へ向って上朝宮まで約八粁、そこから下朝宮 まで二粁、更に宮尻まで二・五粁である。 の こ の 年 報 一昨年(一r九七O) の拙稿(前々稿) で報告した多羅尾は長野から南へ約八粁だが、多羅尾と 朝宮を直接つなぐ道はない。 そして多羅尾は、御斉峠を経て伊賀へ通ずる 要路として徳川期に代官所があったことで知られているが、 朝官は裏白峠 か ら京都の宇治や山城・奈良方面に通ずる道筋にあって、 早くから都の文 化の影響を受けたものと思われる。 現在も長野発の 国鉄パスは、朝宮経由 で奈良まで通じている。 信楽(長野) の焼物はすでに全国的に著名だが、 朝宮は茶の産地で遠く弘仁年間(九世紀初頭) に茶が作られたとされ、 し、 まもいわゆる宇治茶の一部と見なしうるほどの主な生業である。 三部落の うち官尻はいささか趣を異にするようで、宮尻の大宮神社にはそこだけの 官座があるが、上と 下の両朝官にはそれぞれ三所神社と八坂神社があって も、官座としては一つで、 八坂神社は一二所神社の御旅所といった格好にな っている。 (写真A1参照)大正十五年(一九二六) の甲賀郡士山には、 両朝宮の分離は元和年間二六一五J一一一一一)との伝承が述べられてい る が、定かな出血〈はなく、 こうしたことの詮索は余り意味がない。 いずれに しろ両朝宮の関係は密接で、 両部落聞の通婚なども、 ある程度あるよう だ。 通婚圏については何も調べてないが、 上・下朝宮から宮尻へ嫁へゆく のはかまわないが (しかし割に少いという)、官尻から嫁をとるの は、 何 か不幸がおこるのでよ くない、などと言うように、やは り 宮尻とは古くか ら関係が薄いとみてよいのだろう。 なお宮口尻は、中世に朝官から分れた野 尻と桶井が後に合併し、明治に至って宮尻と称するようになったのだと、 先の郡志に記されている。 ところで朝宮の官座は多羅一一后と同様に 、特 定の家筋のものだけが構成す るいわゆる株座ilこれに対し、 部落全一Pで座を 組織するのが村座lで あるが、多羅尾が左と右の二座からなるのに対し、座小屋の配置形式上は 左右対面ではあっても、 内容は七座で、 その組織形態はかなり複雑で あ

(4)

る 。 盛小屋 の 配 置や景 観 に つ い て は 、一 二年 前 の 滋 賀県 下 一 帯 の 広 域的予備 調査 の 折 に 興味を ひ か れ 、 そ の 極 く大要だ け を 写真資料と し て 紹介 し た が (一 九六九年 のこ の年 報拙稿 を参 照) 、 組織形態や詳 しい 内部構造 に関 して は 未 調査 であ った 。 本 年 (一九七 二 ) や っ と こ れ を あ る 程度 明 ら か に す る こ と ができた の で 、 今回ここ に報 告する わけ であ る。 以下 に 見る如く、 同 じ株座 と云 って も、 多羅尾 などとは多分 に趣を 異 に し 、 同じ湖南山間部 で 近隣

村落 で あ り

が ら 、 こうも 様相 が 違 う の は 何 に 因 る の か 、 や はり そ れ ぞ れ

土地柄、 環境 や文化 的 背景 ・条件が い ろ い ろ に作 用 した も の と考 えられる。 と にかく朝宮 の宮 座を考 察 して みよう 。

宮座の組織と構造

上朝宮の三所神社(一二照大 明神 とも言う)及 び下 朝宮 の八 坂神社(牛王 大明神 ) は祭記上は一つ で、 宮鹿組織も 祭儀も同一 で あ る。 宮座は大座 (ダイザ)・今座(イマザ) ・幣ノ座(へノザ、 もと は平 ノ座とも 書く)・ 親座(シンザも とは 新座とも 書く)・ 姫 座(ヒメザ)・孫 座(マゴザ)・出 ケ座(デガザ、 もとは出来座とも書く) の七 座で組 織 さ れ 、 各座 へ の 家 の 所属は特定 の家 筋 に 従 って き ま って いる。 正式座員は二戸 を代表するも の (家長H戸 主 ま たは長 男二名で都合 で一 時、 座を休 むこ とはある が、 座員 数(戸数)も 座によ って 概ねニ疋 で あ る。 一般 に座 員たる 資格(メンバー

シヅプ)

は長 男(跡取 り)が 廿五才 位 に な る と父から継受 さ れ るが、 こ の 場合、 長男は必ずしも 結婚 して い なくてもよい。 戦前は兵隊 へ 行 って (入 営 帰 っ て 暫

す れば

これ位 の年 令 に な り妻帯するから、 そ れ に見 合 って 家 督も譲 り 、 座 員資格も継受する と い う 具 合 に な って いた よう だliI 宮座の社会人類学的 調査 E 但し、 孫座だ け は や や 例外 で 、 父が六十 一 歳 (満 六十歳) に な る と 引退

て 長 男 に 引 継

れ は 後 述 の よう に 、 孫座 の座 員 ( 戸 )数 が他 に 較 べ

(1)

多いこと と関 連 がある。 こ の よう に、 は っ き り定年制 を設けて いる のは 孫 座 の み

か ら、 他 の 諸 座 に は 若干 の 高令者 も い る こ と は いる が 、 先 の 一 般 規 制

があ

る の

、 六 十歳 以上 の も の は 割 に 少 い 。 従 っ て 結 果的 に は 、 定 年 制を しか なくても、 座員 の年 令構成が高令者 に偏 る こ と はな い と 見 倣 し て よ い 。 こ の

と は 、 多 羅尾 に お い て宮座 の 実 体が 究極 的 に 長座 ( オ トナ ) 、 すな わ ち 最 年長者 を項点 とす る長老組織そ のも の で あ るこ と と 著 しく対 照 的であ る 。 だ か ら多 羅 尾 で は 、 年令 序列が極 め て 厳 し い が 、 こ こ で は 一 応 の 年令序列 はあ

て も 左程 や か ま し くな く、 オ ト ナ (長 老衆 へ の 呼称) と いう 一言葉も な い 。 各座 の 高 令者たちは単 にヨ コザ ( 横 座 )と 呼 ばれ 、 座 小 屋 で は上席 に着 座して、 あれこれ指示した り世話 をやいた りする 程度 で 、 特 に 儀礼的地位が高か った り、 権威があ った り する わ け ではな い 。 な お 、 座小屋 での席順は概ね年長順 であ るが、 これとて そう厳 しい も の で は な し、 いま述一べたよう に 、 朝宮 の官 座は年令階梯 と し て は甚 だ大ま かで緩やか で あ るが、 株座として の 組 織形 態 で みると、 特定 の家筋H株 の もつ意味は かな り重く、 む し ろ、 ここ にこ の宮 座 の 大き な特色がある と言えそ うだ 。 この こ と を 説 明するため に、 まず七つ の 各 座 の 現 在 の座 員名一覧表 (上 ・ 下 朝 宮 の 別及 び参 考ま で に各 人 の年 齢を 付 す、 四

J五

)

と株 別 の 各座 へ の所属如何 を み た 別表 (六頁 )を示して みよ う。

(5)

官座の社会人類学的調査E β、J 座 日戸 (上朝官7 ・下朝宮4) 町歳 植田治 * 5戸 (現 在は上朝宮 の み ) 52 歳 植西重光 植 西 克衛 植 西 博 植 西 藤吉 横 西 勘 植 西 政義 植 西 寅太郎 小倉熊雄 小倉新蔵 小倉誠 小倉信 上朝官 // // // // // // 下朝宮 // // // 幣ノ座 37 植田圭介 39 上回忠三 52 杉本 正 一良 48 北 五夫 *座休中 のも のと して 上朝宮 76 57 平木 一郎 58 平尾省太郎 57 酒井作比良

ハリPO

酒井秋太郎 48 上朝宮 // // // // 下朝宮 // // 44 53 45 38 親 座 8戸 (下朝宮 の み ) 47 歳 大 座 日戸 (上朝宮6 ・下 朝宮 4 ) 勇 曽和安 久 曽和治夫 曽和太三夫 曽和文也 曽和 修 北田与三郎 村井 功 村井 弘宗 奥 西 伊久 夫 大西 庄八 上朝宮 // // // // // 下朝官 // // ノ/ 服部彦 30 歳 服 部 60 服部 義雄 48 服部秀 27 服 部 薫 46 61 服服 部 部 定 雄 清 45 服 部 邦 平 4戸 (下朝宮の み ) 44 歳 58 姫 座 40 服部 武白 46 服部忠夫 45 39 30 40 35 43 32 43 酒井清治 樋口光男 四 43 歳 53

(6)

孫 座 j同 竹 司 j同 光 j同 正己 洞 武 洞小 太郎 j向 武 和 j同 竹 男 i同 清和 杉本 周 二 杉 本 杉本未男 杉本良 治 出ヶ 座 1同 喜代嗣 i同 一ニ校雄 洞 菊治 洞 浅 雄 山本 と さ 山本順生 山本英 山本幸 山本善夫

戸 ( 上朝 宮 の み ) 35 歳 48 27 58 58 40 52 45 22 清 35 26 53 日戸 (上朝 宮 の み ) 76 歳 51 49 60 66 39 49 60 61 辻本正 明 辻本三 明 辻本昇平 辻本土口治 辻本清治 北田芳夫 北田仁 北田 長 三郎 北田重樹 北田喜久治 井田益雄 山本庄太郎 山 田 甚太郎 山 田 山 田 寅 雄 植田安正 宿谷啓治 宮座の社会人類学的調査直 さて 、 割引宮の戸数は、上朝宮一二八戸、下朝宮五 二戸 の計一八O戸だが小 40 歳 学校やその職員住宅・警官駐在所・郵便局・保育所・診療所など 官公衛を 39 除くと、 そ れ ぞれ 二コ三戸、 四七 戸 の 計 一七O 戸 で あ る 。こ のう ち官座 に 49 入 っ て い な い 座 外 の 家 が 上 朝 宮

六 六 戸 、

朝 宮 で 二 四 戸 の 計 九

O

戸 で

51 る 。 従 っ て両朝 宮と も過半数 が座外 で あ る 。 但 し 、 これ らは全部 が全 部、 38 座と全 く無関係 か と 言う と、 必ず し もそ うと は云 え な い 。十 分 に 調査 で き 40 た幣ノ座 の場 合、 座休 み が 上 朝 宮 に 一戸 、 下朝官 に三戸あ っ て 、 これ は別 57 表 で も 示 し て あ る が 、 も っ と詳 し く 調べ れば、 そ の 他の 諸座(殊 に 現 在、 23 座員 数が か な り 少く な っ て い る姫 座や親座 な ど) に も か か る座 休みが若 干 35 数あ ろうこ とが窺わ れ る か ら であ る。 祖父 の 代 に 都 合 で 座 休み に な った き 46 り、 その ま ま に な り 、 い ま で は座 へ の 帰 属意 識も 薄 ら いだり、 復帰 し に く 44 く な っ たり し て い る 例 な ど が あ る よう だ。 孫座 な ど で は 、 先述 した 如く 、 座員 (戸 ) 数 が多く て 、 こ れ以 上多 く ては座 小屋 に も 座 れ な い の で 、 復帰 を遠 慮 し てもら っ て い る 、 と い う よ うな声も 聞 か れ る 。 い ず れ に しろ、 座 ね歳 外 の 中 に は、 本来、 座筋 に あ り な が ら、 何 ら か の 理 由 で lii お そ ら く後述 78 の よ う に 、 当家 の 重 い経 済的負 担 な ど の た め にllj 永 い 問、 座休 み の ま ま 茂 26 に な っ て い る も の が 若干 数あ るこ とは確 か で あ る 。 こう したも の は 、 別表 70 で各 株 の座 外 と さ れ て い る も の に 含 ま れ て い る と 考 え ら れ る (そ の他の姓 51 の 中 に は 恐 ら く ほ と ん ど な い と 思わ れ る )。 36 と に か く 、 仮 に こ れ ら を 勘定 に入れたと し て も、 両朝宮 の何れもが、 そ の 約半 数が宮 座 に 加 っ て い な い の だ か ら、 こ の 朝宮 では、 名実 と も に「 株 座」 で あ る と 言 っ て よ か ろ う。 五

(7)

52 戸 下朝宮 128戸 上朝宮 計

官座の社会人類学的調査直

16 座外 所属の座 計 座外 所曽の座 5 4 十底

ハf十

1 大西 株 6 1 大座 り 曽和

伝小P斗舟AI

4 q

u

大座 2 村井 1 北田 1 。 大臣 1 奥西 10 4 6 5 北田 4 。 今座

ハリーi

、l|〉iliJ座

6 つ

服部 7 4 3 1 植田 1 。 姫座 1 酒井 1 。 幣座 1 上回 2 2 1

A宝円F山、llip--Jqo14

1ム

1i

1 20(23 ) * (その他の姓) 20 8 4 1河 5 百公衛 14 9 孫座 5 辻本 か く て 現在 、七 座 の 座員一 覧表及び別 表でみる如く 、上朝宮 五 六 名 (戸 )、 4 8 l

ハリ

ハリ

休座

、11111、ri--;JJ

座 座 幣 幣 平尾 計 下朝宮二 O 名 (戸 )、 計 七 六 名 (戸 ) が 官 座 の 組 織 メ ン バ ー と な っ て い る 。 小倉 服部

ところ

各 座 の

部 構成 を

してみ

る と 、 10 3 今座 座 座 幣 出 姫座 1 2 2 1 幣座

ワω1i

座 座 孫 出 い ずれも特 定 の 株 (家筋) 樋口 酒井 1 8

によって成立

って

いるが、

その成立ちの仕方にそれぞれ特徴があ

って

、そ

7 2 植西 植田 10 5 「 d l 4 杉本 杉本 北 j同 *辻本2, 稲葉, 奥田, 北, 小山, 西 つ

ムJ

1 孫座 1 井田 山, 比沢, 前田, 森上, 山村が各1 8 2 山座 6 山本 3 。 出座 3 山田 1 。 出産 宿谷 1 。 幣座(座休) 1 乎木

po co 、t'111111111、、ril--11lilj'口O口6

nd

つ】

56(57) 百十 * (その他の姓) 5 官公衛 *望月3 , 大槻, 奥山, 藤田, 水口, 山神が各2, 青木, 天川, 大谷, 小 川, 奥田, 北崎, 黒田, 小Ú-J,酒井,

ノ、 佐々木, 服部, 樋口, 宮部, 山上, 安田が各1

が 歴

にも

機 能的

にも

全体と

して

の 宮 座

組 織 構造 と 大 い に関 連 が あり そ う だ。 もちろん 今と な っ て は 、 七座成 立の 歴史的由 来や 各座の 祭儀 上の 役 割機能と か位 置づけ〔ス テ イ タ ス ) は 判 ら ぬ こ と が 多 い 。 し か し 、 若干の文書・記録資料や 口承及び現状の考察か ら、 ある程度の推測は可能

(8)

で あ る

そこ で各 座 につ い て 一 先 づ こ う し た 吟味 を し て みよ う 。 そ の 前 に 座 小 屋 の 配 置 及 び建 築様式 に つ い て 触れ て お くと、 座小 屋 は 本 殿 か らみて 左側 に 手 前から 今座 ・ 大座・幣 ノ 座 の 三つが 順に 並び、 これら は そ れ ぞ れ 別 棟 ( 一 戸建) で あ る 。 こ れ ら に 相対 し 拝股(舞台 ) を は さ ん で右 側に 手前から孫 座・ 親座 ・姫 座・出 ヶ座の 四つ が 順 に 並 び 、 こ れらは 外見上、 細長 い 一 棟 に なって い る 。 各小 屋 の 大きさ 、 出入口 の 様 式もそれ ぞ れ 少しず つ 異 る 。 (八頁の 座 小屋配 置図 参照 、 詳しくは 後述)こ れら の 配置 や 様式 の 違 いが 何 に 由来 し 、 何を 意 味 す る か は 、 も は や 判然 と し な い が 、 以下 に み る よ う に 、 他 の諸 事実 と 合 せ て 考察 す れ ば、 何程 か の 推測 も で き そう で

る 。 メ入7 座 こ の 座 は

朝 宮 の 植 西 株

7

戸と 下 朝 宮 の 小倉 株 4戸 の 計 日 戸 か ら なっ て い る 。 植 西株も小 倉 株 も 他 の 座 に は 全 く 入 っ て い な い か ら 、 甚 だ す っ きり し て お り 、 こ の 座 の 成立 ち も 単純 で あ る 。 た だ 小 倉株 は 座 外が な く 4戸が す べ て今座 の 座員 だが 、 植 西 株 に は 座 外が

3

戸 あ っ て 、 こ れ ら は 同 じ 植 西 で も 一 応 、 別 株 に な っ て い る 。 こ の 中 の 植西卯 一 郎家 が 実 は 植 西 株 の 総本 家 だ と い う 口 承 もあ り 、 も し そ う だ と すれば 、 何 か の 事 情 で 座 休 み か 座 外 れ と な り 、 座 株

(

座 員 た る資 格 や 権利 ) を 失 っ た も の と 思 わ れ る 。 植 西 株 も 小 倉株も 株内で の 本分家意 識 や 関 係 は 極 め て 希薄だ が、 冠婚葬祭 や 日 常 のまとま り は割につよく、 この点は一般に他の座の諸株についても舌?える ょう だ。 例えば葬式 の 旗持ち(葬列で旗 を も っ重要 な役) とか 手伝や賄い なども株 内 で や っ て く れ 、 、 H株酒μ と称して 、 その酒代は全部、九株 内 で 平等 で 負担 す る と い う 。 現在 で も む か し

(

戦 前 )通 り に や っ て い る の は 、 宮座の社会人類学的調査E 後述の孫座の辻本株ぐ ら いの ようだが 、 戦時中、隣組単位でやっていたの が 、 戦後 ま た最 近 、 元 に も ど る 傾向 が 一般 に みら れ る と い う 。 い ず れ に し ろ 、 今 座 は 両 朝 官 か ら 各 一 株 、ず つ が 出 て 成立 っ て い る 。 な ぉ 、 上 朝宮 の植 西株 と 下 朝 官 の 小倉株が 何故結 び つ い た か 、 そ の 関 係 は 何 も 判 らな い が 、 あ る い は 今座 と い う 座 名が そ の 聞 の 何等 か の 事情 に か か わ り あ い が あ る の か も 知 れ な い 。 こ の 座 の 座小 屋 が 別 棟

(

一 戸

)

建 の 左 側 で 、 し か も そ の 一 番手 前 に あ る の は 、 今 座 の 格式 が 比較的高く 祭 儀 で の 役 割 も そ れ相 当 に 重 か っ た の で は な か ろ うか と 思わ れ る 。 し か し こう し た 点 は 、 他の 諸座 に 較 べ る と 、 そ の 性格 が 捉 え に く い こ と もあ っ て 軽卒 に 推測 で き な い 。 七 座 の 間 の 格式序列 の 違 い は 、 明治 四年

(

一 八七 一 ) の「産神 御 祭 例式 明細帳 」

ll

現存 す る 最 も 古 い も の ll に 記 さ れ て い る 天保十

年(一八四一二)以後の祭儀例式の細目をみても、 明確に推断できるものは 極 く 少く 、 私 が 実際観察 で き た 現行 の 秋 祭

(

後述

)

で も 、 こ の 点の 判断 に 役立 つ よ う な も のは 余 り み ら れ な か っ た か ら 、 今座 は も と より 、 他の 諸 座 に つ い て も 、 みだ り に 相 互 の 聞 の ス テ イ タ ス の 上 下を 云 々 す る の は 慎し む べ き だ ろ う 。 尤 も 祭 儀の 内容 や 本質 に 関 す る私 の 知 識が 足 り な い こ と も 一 つ の 要因 で は あ ろう が 、 こ れ ら の 点 は 後 で 総合的 に 考察 し て み た い 。 大 座 こ の 座 は 上 朝 宮 の 曽 和株

5

戸と 北田 株

1

戸及 び 下 朝宮 の 大西株

1

戸 ・ 村 井株 2戸・奥 西株1 戸からなっ て お り 、上 朝宮 が6戸、 下朝官が4 戸の 計 日戸 であ る 。 座名 や座 小 屋の 配置 ・ 大きさ 及 び文献記録や祭儀の 様子 か ら みて、 明ら かに宮座の中 心であ っ て 、 格式 は 最 高であ り 、 無 足 人の座であ ると伝え られて い る 。 昭 和 三 五 年三 九 六 O〉 の「信楽町史」には文政六 七

(9)

宮座の社会人類学的調査皿

年(一八二三)

の 「大 座 無 足

由緒 書

」に依

と し て 、 次 の記述 、

あ る 。 「近衛家 基が 永 仁元年 (一 二 九三一 年)二月十 六 日 信楽に引移 っ た 際に御供 を し て 罷越 し 御 奉公申上

た 三 十 人 の 人 々 の子孫 で 、 そ の

祖 に あ た る 者

は 、 十 人 宛、 杵 原郷三 ヶ 村 へ 配当 せ ら れ、 土地の 開発 に あ た り 、 多 大の 功績 を示 したの で杵 原郷侍官百姓と 名づけ られ れ、 永代無足人 と 御 意 を 承 っ た 。」 (町 史二三八J九 頁、 な お 杵 原郷 と は 長 野 から朝宮 あ た り 一帯 の こ と ) 私 は こ

由緒 書を 実 見

して

い が 、 要

る に 、 無 足

つま り 地 侍 と か郷 土 に 当 る 士 分格の農民の子孫 が こ の 大座 の 家筋日諸株 で あ る 、 と見 倣 し て よ い よう だ。 こ の こ と を 一面 で 裏書きす る文 書が 一万禄十一二年( 一七 O O) ・ 延享一万 年 ( 一七四四 ) ・ 天保四 年( 一八三三 ) ・ 弘化 二 年 ( 一八四五) に 、 そ れ ぞれ 時の 神道神 祇管領 長ト部 家から、 大座 に属する然る べ き者 に 下さ れた 、 コ 一所 大明神 (上 朝官 )祖 並び に牛玉大明神 (下 朝宮) の神 職裁 許 状 で あ る 。 その 該当者が 現在の諸株の 先 祖 で あ る こ と は 、 まぼ間違 い な ぃ。 (守真 A2 15参照) 元禄期の 喜 田 氏 は 現 存 し な い が、 こ れ は次の 延 享 期 で 北 田 氏 に 改 姓

か に 受

れ る 。

こ の 北 田氏が 現在 の北 田 株 ・北 田 与三郎家 なの だ ろ う 。 北 田株 は 大 座 に は こ の 家だ け で 、 他 に孫 座 に5戸及 び座 外に4 戸 あ る が 、 現在こ れ ら と 与 三郎 家と の つなが り は特 に

い 。 従 っ て 、

三郎 家 は こ れ らと は

格 の も の、

は 、 こ れ ら

代 表格な

し 総 本 家だ っ た の か も し れ

い 。 天 保 期

曽和 氏 は 現 在 の 曽 和 株 ・曽和治夫 家 の よう だ。 治夫氏の祖父治

衛 が 明治 大 正 期 に 永 く 神職 を 務 め た

とい

う か ら 、 一応

み て も よ か ろう。

しか

し 曽和 株5戸 の 聞 で の 本分家 関係は定かでな く、 その 意識 も あま り な い。 曽和株は座外が1戸 し かな く、 他の 諸座とは 無関係だか ら、 ほ と ん

部が

の 座 に ま と ま

て い る と 言 え る 。 弘化 期 の 大 西氏 は 現 在 の 大西株

大西 庄 八 家 で 、

この人

は 八 明治初 年ま で 神職 を 務 め た よう

。 大西株 は座 外 4 戸が あ っ て他 の 諸 座 と み

よ い か も し れ

。 は 無関係 だか ら 、 庄 八 家 は やは り

の 株 で の 代 表格な

し 総本 家

と 村井株2戸 (康 外2戸 )・ 奥西株1戸 (座 外な し) に は 、 神職裁 許 状 は な い が 、 そ れ 相 当 の 古く格 式高い 家筋だ とし てよかろ う か

て 、 大 座は 土 分 格 の 諸株 に よ

って

成立

て い る

中の

最高 の ステ ィタスで 、 宮座 の 中 心 で あ る と考 え ら れる 。 座小 屋の 位置も 正 に そ う で あ び写真 A6参照 ) り 、 そ

構 え も 規模 も

(柱組 な

ど)

、 鷹 揚 で あ る。 (配置図及 な お 、 つ い で だ が 、 長野

新宮神社 に も座小 屋 が 現存 し 、

ここ

に も 大 座 か つ ては大座 と い う のが

る。 こ こ の宮 座 組織 はも う 崩 れて し ま っ た が 、 -中座 ・小 座 の 三座があ っ て 、 座 小 屋 は 何 れ も 残

って

る。

BU

し て や は

札J Lll

(10)

り 大座がしっか り し た 規 模で大 きい 。 (写 真A 7参照) ここ の 大 座 の 成 立 由 来も、 前掲 の 「由 緒書」 に よ れ ば、 朝宮 の 大 座と 同じで、 さら に 小 座 が で き た の は 、 後 に 開発がす す ん で 家 数 が六十余 軒 に も な っ た の で 、 新 田 開発 に た ず さ わ っ た 日傭人 百 姓 た ち の た め に 、 小座議 中 を 定 め て や っ た の が起 り で あ る 、 と い う 。 (前掲 「信楽町史」 一三 九頁) 。 とこ ろで、 大座 の 座 員 (戸) 数 は 先述 の よ う に現在日戸 で あ るが、 天保 十三年 (一 八 四 二 ) 以降、 現在 ま で の 各 時期 の 記 録 を た ど っ て み る と 、 戸 数や各株 の 消 長が 窺 わ れ て興 味深 い 。 天保 から明治初期まで の 約 四十年間 は 十 五 、 六戸でず っと一 定 し て い るが、 明治十七年 (一八 八四) に な る と 十九 戸 に 増え、 それ が明治 二 十 年 代 に な る と 十 一、 二 戸 と ぐ っ と 減 っ て い る 。 一 時 増え た の は分家 創出 (特 に曲 目和株) に よ る の だ ろ う が、 逆 に 減 つ た の は 、 戸数 増 に よ る 当 家 の 経済的負担 が重 く な っ た ことが 一 因 で は な か ろ う か 。 明治十九年 (一 八 八 六 ) に 掛 銭 (積 立金) が倍 額 に な っ て い る の は 、物価高 に も よ ろ うが、 こ の こと を一面 で 裏 書き し て い よ う 。 こ の 掛 銭 は 座 小 屋 の 屋根替 (二 、 三 十 年毎) や修 繕費 の 基 金と なり、 そ の 他、 随時、 座中 の 費 用 に あ て 、 当 家 の 負 担軽減 に も 役立 て る た め 、 明治 以前 か ら 行わ れ て い る 制度 で あ る 。 そ し て 減 った 分 は 、 や は り 一時増え た曲目和株 の も の で あ る (主 に新 分家と み られ る数 戸 )。 曽和株以外 で は 、 こ の 増減 に 関 与 し て い る の は 、 特 に な さ そ う だ 。 明 治 一二、 四十年代 も戸 数 は 変 りな い が 、 た だ 明 治 四 十 二 年 (一九 O九) に 掛 銭 に三等 級を定 め 、 一等が 年額三 円 で 二名 (いずれ も曽和 株 )、 二 円 が四 名 、 一 等 一円が 六 名 で 、 当 家 は そ の 年 だ け 一等扱 い と さ れ て い る 。 こ の こ と は 、 各戸 の 経済状態 に 応 じ て 経 費を負担 す る わ け だ か ら 、 い わ ば 形式的 な悪平 等を避け る 意 味 で は公平 な

宮座の社会人類学的調査E

処置で 、 年番 当 家制 にみ られる宮座 の 座 中で の 平等主義 に もそった改革だ と 言 え よう。 しか し、 こ の 等 級制 は そ う 永く 続 か ず、 大正中 期 に はもう行 わ れ て い な い 。 昭和 に 入 っ て か ら は 、 戸数 の 増 減 も 大 し て な く (十 二 、 三 戸に なったり八、 九戸 に 減 るこ と は あ っ た が) 現在 に 至 っ て い る 。 な お 現 在、 掛金 は 一 戸 二 百 円 で あ る 。 (以上 は 写真A 81お 参照) 最後 に大 座 に 関 し て 付 言 し て お き た いこと を一、 二 あ げ る と 、 一 つ は 大 座 で は上 朝官の 諸株と下朝 官 の そ れ と で は 、 下朝宮 の 方が幾分格が高 い と も言 わ れ 、 座小屋 で も上席 に着 座す る の が 慣わ し で あ るとさ れ て い る こと だ-l 座 小屋 の 正面を向く、 つ ま り 一美壁 を 背 に し て 境内中央 の 舞 台 (拝 殿) を 座 っ た ま ま 見れ る 位 置。 し か し 、 後述 の 私 が観察 した今年 の 秋 祭 の 直 会 で は 、 ど う も そ う はっき り し た よ う で は な か っ た 。 だ が、 これが か つ て は 確 実 に 守 ら れ て い た と す れ ば 、 か な り重要なこ と で 、 そ れ な り の根拠 もあ っ て の ことだ ろ う と 思 わ れ る。 一つ に は 、 こ の 地 の 地 頭、 山 口 藤 五 郎 が幕末 か ら 明治初 年 ま で 下 朝 官 の 陣 屋 に 住 ん で 、 両朝宮 の 産 土 神 で あ る三 所 大明神及び牛 王大 明神をも 管轄 し てい た ことも、 これ と 関 連 があり そ う で あ る 。 い ず れ に し ろ 、 こ の こと は 、 他 の 諸 座 の ス テ イ タ ス と も 関 わ る の で 、 後 に再び 触 れ て み た い 。 な お 、 舞台 で は 祭 儀が 行 わ れ 、 そ の 問、 各座小屋 で は 儀 礼 を 拝見 し な がら、 直会 (饗宴) を す る わ け で 、 古く は舞 台 で 能 な ど も演じ ら れ たこと で あ ろう。 従っ て 、 座小 屋 は 、 い わ ば 祭 儀 や 演能 などを 見物 す る 一種 の 桟 敷で あ る と 解 し て よ かろう。 私 は 今年 の 秋 祭 で 正 に そ う し た 光 景 に 援 し 、 そ の 雰 囲気を 身 を も っ て 実 感 し た 思 い で あ っ た (後 述) 。 もう一 つ は 、 こ の 座 の (特 に 高 い ス テ イ タ ス の た め に ) 座中 の 諸 株ど う 九

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宮座の社会人類学的調査E し の 結び つ き が (他 の 諸 座 に 較 べ ) 強 い の では な い かと み ら れ ること で あ る 。 例えば、 上 朝 宮 の 曽 和株 の 曽 和治夫 家 で は 先 々 代 と 先 代 が 二 代 つ づ け て 下 朝宮 の 大西株 と縁 組 み し 、深 い 姻 戚関係 に あ る!l 一種 の 同格婚CE,

間同B可)

か か る 関係 が 他 に も ど の 程 度あ る か 、 他 の 諾座 で は ど う かな 也、 ど 、 未調 査 な の で何と も 言 え な い が 、 座中 の ま と ま り が 通 婚 に よ っ て 強化 さ れ る こと は 十 分 に 考 え ら れ る こ と な の で 、 一応、 付言 し て おく。 これと 同様 なこと は 、 昨年 (一 九七一 ) の こ の 年 報 で 報 告 し た 湖西 の 今津町 ・ 深 清水 の 宮 座 に お け る 諸株 の 成 り 立 ち でも、 み ら れ た から、 こ こ で も 意 に と

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め て お き た い 。 な お 、 大座 の帳箱 には相当 数 の 古文書・記録 が あ る が 、 最 も古 い の が 先 掲 の 元 禄十三年 (一七 OO ) の 神 職裁 許状 で 、 他 に 延 宝五年 (一六 七七 ) と い う年号が 刻 ま れ た 木 製 の 刻印 が あ り 、 現在 も使用 さ れ て い る 。 (写真 Aμ 参照 ) 幣 ノ 座 こ の 座 は 現 在、 上朝宮 の 植 田 株 2 戸 ・ 上 田 株 1戸 ・ 杉本株 1戸 ・ 北 株1 戸 の 計 5戸 で 、 極 め て戸 数が少く、 し か も 上 朝 宮 の み で あ る 。 し か し 座 休 み が 、 上朝宮 の 平 木 株1戸 と 下 朝宮 の 酒 井株 2 戸 ・ 平屠株1戸 の 計4戸あ っ て 、 これ らを 含 め る と 上 下 両 朝官 が ま ざ っ た 9戸と な る 。 植 田 株 は 他 に 出ヶ座 に1 戸と 座外4戸 が あ るが、 出ヶ座 は後述す るよう に 、 か な り お そ く で き た 座 と み ら れ る か ら 、 や は り こ の 座 の 2 戸 が 古 い 家 柄とみ て よ か ろ ぅ。 上 回株 は他座 にも座外も な い 1戸き りだ か ら 、 株 に 価 せず、 姓 の オ ン か ら み て 、 本来 は 植 田 株 に 属 す る と み て よ い の か も 知 れ な い 。 杉本株 は他 に孫座 の 4戸と 座外5戸 が あ る が 、 孫座 は 出 ヶ 座 よ り は 古 い が 比 較的 お そ

で き た 座 と も み ら れ る の

(後 述)、 や は り こ の 座 の 1 戸 が 古 い 家柄と 。 み て よ い よ う だ。 北株 は他 に 座 外1 戸 で 株 と し て は 最 小 で あ る (他 に 下 朝 宮 に 北 姓が 1戸あ る) 。 座休 は 下朝宮 の酒井 株 2 戸 (他 に 座 外が 上朝 宮 に -一戸) -平尾1戸、 上朝宮 の 平!不 1戸 と 、 いずれも株と は 言 い 難 い 。 座休、 が 多 い の は 何 の た め か 、 い ず れ に し ろ 、 こ の 座 は よ く 判 ら な い が 、 小 さ な 株 の あ つ ま り で 、 し か も (現在 は )全体と し て も 小さい。 こ の こと は幣 ノ 座 が 、 座名 に窺 わ れ る よ う に 、 祭儀 で 御幣を奉 持 す る 役 柄 に あ るこ と と 何 か 関 連が あ り そ う に 思 え る 。 そ れ が こ の 座 の 成 立 の 由 来 と ど の よ う に 関 わ る の か 、 も と よ り 不明 で 、 何と も推 測 で き か ね るが、 他 の 諸 座 の 場 合と も関連 守つ け て お し は か る とすれば、 特定 の 幾 つ か の 小 さ な 諸株 (家筋) が 、 そ う した栄誉 を与 え ら れ た た う に 、 一応、 解釈 で き る 。 な お 、 座小屋 は こ の 座 は 入 口 が 裏手 で あ るli左側 の 三 座 は 今座 が横、 大座 が 表と一 一衰 の 両方 に あ る (配置図 参 照 )。 そ し て 正 面 の 敷 居と鴨 居 には 引戸を 立 て る 溝 が引 か れ て あ り、 鴨居 の 上 の 欄 間も木 組 み が 余 分 に 入 れ で あ っ て 、 丁寧 に つ く ら れ て あ る 。 この よ う な 作 り は 他 の 座 小屋 に は な く、 や は り 、 こ の 座 の 特 殊な役柄 を 反 映 し て い る も の と 察 せ ら れ る。 (写 真A回参照) 以 上 、 今座 ・大鹿 ・ 幣 ノ 座 の 左 側三座 は 、 い ず れ も 上 と 下の両朝 官 の 諸 株が ま ざ っ て い る が、 これ か ら 述 べ る右 側 四 座 は 舞 台 に 近 い中程 の 親 座 ・ 姫座が 下朝 宮 の み 、 両端 の 孫 座と 出 ヶ座が 上朝宮だ け の 諸 株 か ら で き て い る 。 そ し て座 小 屋 は 左 側 がそ れぞれ別 棟づ くり、 右側 は 各 座が構造的 に は 別個 で あ る も の の 、 屋根 は つ な が っ て い て 、 外見 的 に は 長 い一棟 にな っ て い る 。 これ は右 側が 四 座 で 敷 地に余 裕が な い か ら だ ろ う が 、 左 側 に 較 べ る と 何 か 手ぜまな 感じ が す る。 作り は中 程 の 親 座と姫座が 同 様 で 、 出 入 口 は 親座が表 と 裏 に、 姫座が表だ け、 そ し て 孫座と出ケ座 は前 者が去 と一 泉 に 、

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後者が横 口 で あ る。 座小屋 の 大 きさ ・ 規 模 に 変 差が あ る こ と は 図 に あ る通りだ が 、 必ず し も 座員 戸 (数) に 見 合 っ て い な い こ と は 、 これ ま で の 記 述 で も 判 るかと思う 。 こ れ は以下 の 右 側 諸 座 の 場 合 で も 、 同様 で あ る 。 (配置図 参照) こ れ らの こ とが 伺を 意 味す る か は 、 以下 の 叙 述で 随時、 考察 し て ゆ き た い 。 親 座 こ の 座 は 下 朝宮 の 服部株 8戸 だ け で 極 め て 単 一な株構成 だ が 、 同 じ 下 朝 宮 の 服部 株 は 次 の 姫 座 に も あ っ て 、 両者 は 別 株 に な っ て い る 。 数的 に は 後 者が 2戸 で 少 いが 、 他 に座外 の服部姓が6戸 あ る う ち の 何 戸 か は 、 本来、 姫座 に 属 す る の に 、 都合 で 、 永らく 座休 み に な っ た ま ま の よ う だ 。 こ の 点、 立 入 っ た 調 査 が で き て い な く確認 し て い な い が、 聴取し た諸般 の 事 情 か ら 察 す る に 、 そ う み て よ い と 思 わ れる。 親座 の 服 部 株 の う ち で は 、 彦一 家と邦平家 が両本 家 で 、 他 の 6 戸 は そ れ ぞれ の 分 家 の よ う で あ る 。 両本家 の 何 れ が 、 よ り 古 い 家 柄 か は 、 は っ き り し ない。 い ず れ に し ろ 、 本分家意 識 は 希 薄 で 、 日常 で も 上 下 的 な 関 係 は な い 。 な お 服 部 に は 、 いわゆ る 源 氏 服部と 伊賀 服部と が あ っ て 、 こ の 下 朝宮 の 服部は前者 の 系 統だ と 言 う。 上 朝宮 に は 、 廃外 に服 部1戸があ るが、 下朝 宮 か ら の 分 れ の よ う だ 。 要 す る に 、 こ の 親座 は服部株 一 つ で 、 よ く ま と ま っ て い て 、 し か も こ の 株 は 下 朝宮だ け だ か ら 、 こ の 座 が 成 立 の そ も そ も か ら今 日 に 至 る ま で 、 そ の 純 粋 さ を保持 し てい る と 言 っ て よ か ろ う。 そ し て 座 名 や 座 小屋 の 位 置 ・ 規模 か ら みて、 右側四座 の う ち で は 最 高 の ス テ イ タ ス に あ り 、 相 対的 に は 左側 の 大 座 に 比 し て よ い 位置 づ け を も っ と し て よ い の で は な か ろ う か 。 姫 座

官座。社会人類学的一調査証

こ の 産も 下朝 宮 の みで、 服部株 2戸 と酒井株 1戸 ・樋口抹1戸から なっ て い る 。 服部株 2 戸 は 上 述 し た よ う に 、 親座 の 服 部株と は別株 で異る家 筋 とされ て い る 。 こ の 2戸 の 聞 の 本 分家関係 は 、 は っ き り せ ず、 そ う し た 意 識 も な い よ う だ。 酒 井 は1 戸き り で 、 他 に 座休と し て 本 来 は 幣 ノ 座 に 属 す る 2戸 、がある、が、 こ の 2 戸 は 別 の 家 筋と みる方 が よ か ろ う か ら 、 結 局 こ の 座 の 酒 井 は 現 在、 株 と する に は価 し な い と 云 っ て よ い 。 。 な お 、 下朝 宮 に 度外 の 酒 井 は な く、 上朝 官 の 座 外 の 酒井1戸 は 、 ど っ ち か の 分 れだ ろう。 樋 口 も1戸だ け で 、 座外も上 朝宮 に1 戸あ る き り だ か ら 、 こ れ も株と は 言 一こ、 。

占ハふん1uv

いずれ に し ろ 、 こ の 姫 座 は現 在、 わ ず か に4 戸 で 七 座 中 の 最 小だ が、 株構 成 か ら し で も 淋 し い 。 但し、 詳 し い 調 査 を し て い な い が、 明治 大 正 期 に は 十 戸 ほ ど あ っ た と も 云 う 。 だ と すれば、 如何な る 事情 で 減 っ た の か 、 そ の 辺 り の こ と も 明 ら か に す べ きだが 、 座小 屋 の 規 模や座 名 か ら 推 し て 、 元来、 や は り 比較的 小さ な 座 で は な か っ た か と も 思 わ れる。 座名 の 由 来 は 、 先 の 親 座 や 後 述の孫 座と 何 ら か の 関 連 が あ る か に 察 せ ら れ る し 、 他 方、 祭儀 で の 役 柄が結 び つ い て い た の か も し れ な い 。 こ れ ら の 点 は 、 文書 記録や現行 の 祭 儀及び 口 承 上 、 推定 しうる だけ の 材 料 が な い 。 い ず れ に し ろ 、 もう少 し座員 戸数 が 多 か っ た 頃 は 、 お そ ら く前 述 の よ う に 、 現在 は 座 外 の 服部 6 戸 の う ち の 何 戸 か が 加 わ っ て い た よ う で あ る 。 な お 前 述 し た よ う に 、 親座と姫座 の 座 小 屋 は 形式 は 同 様 だ が 、 規模 は 大分違う (配置図及 び 写 真Am 参照 )。 孫 座 こ の 座 は上 朝宮 の 洞株8戸 ・ 北 田株 5戸 ・ 杉 本株4戸 ・ 辻本株 5 戸及び 井 田 株 1戸 の 計 お 戸 で 、 座員 (戸) 数で は 七 座 中 の 最 大 で ある。 次 に 述 べ

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宮座の社会人類学的調査E る 出 ケ座 と と も に 、 す べ て 上 朝宮 の み で 、 既述 の 親 座 ・姫座が と も に 下 朝 宮 だ け な の と 対照 的 で あ り 、 座 小屋 の 配 置 で も右側四座 の う ち孫 座 ・ 出 ヶ 座が 両端、 親座 ・ 姫 座が 中 程 に あ る こ と は 先 に触れ た。 洞株 は こ の 座 で は 戸数が 多 くて 比重 も お も い よ う だ が 、 他 に 出ヶ座 に4戸、 座外 に 8戸が あ っ て 、 こ の 株 自体 は 計 却戸 と 、 両朝宮 を 通 じ て 、 や は り 最 大 で あ る 。 し か し 、 こ の 座 の 8 戸と 出ヶ座の4 戸と は 別 株 で 、 ど うも出 ヶ 座 の 方 は こ こ か ら分出したよ う で あ る 。 北田 株 は 先 に 大 座 の と こ ろ で 触れ た よ う に 、 大 座 に 北 田1戸が あ り 、他 に座 外4 戸が あ る が 、 大座 の そ れ に は こ の 座 の 北 田 株と お の ず か ら 別種 の ス テ イ タ ス が あ る。 杉本株も こ の 座以 外 に 幣 ノ 座 に -戸、が あ り 、 座 外 に も 5戸 が あ る が 、 幣 ノ 座 の そ れ は 、 や は り 同 様 に 別 種 の 趣 が あ る 。 辻本 株 は こ の 座 の み で 、他 に 座外 の 9 戸が あ り 、座 外を も含 め たM戸 は数も多 い が 、 ま と ま りも よ い よ う で 、 そ れ が い まも H 株酒μ の 慣 行 を 守 っ て い る こ と な ど に み られ るこ と は 先 に も 述 べ た。 辻本 の 座 外 は 下 朝宮 に も 2 戸 あ る が 、 これ は 上 朝 官 の 分 れ で あ ろう。 も し か す る と 、 こ の 株 は 他 に 較 べ る と 割 に 新 ら し く 、 それだけ に か え っ て 結 合が つ よ い の か も 知 れ な い 。 井田株 は1戸き り で 、 他 に 座外も1戸 しかな い か ら 少 数 派 で 、 株 に は 価 し な い と み て よ か ろ う 。 結局 、 こ の 座 は 洞 ・ 北 田 ・ 杉 本 ・ 辻 本 の 四 株 か ら な る が 、 洞株 の ウ エ イ ト が 重 く、 座小屋で の 着 座や 祭儀参 与 の 割 り ふ り に そ れが 窺われ る 。 す な わち、 大座 の と こ ろ で も 触 れ た よ う に 、 座 小屋 で の 上 席 (舞台 に 対 面 す る 向き) は洞 株 の も の が 占 め る し 、 秋祭 の 奉 納相撲 (後述 ) に出 る 若 者 2 名 は 、 洞株 か ら1 名と他株 か ら1名 と 決 っ て い る こ と な どがそれ で あ る 。 これは洞株 の 戸 数が 相対 的 に 多 い こ と に よ っ た の だ ろ う が 、 単 に 数だけ の 問 題だ けだ っ た の か ど う か 、 いさ さ か 気 に な る 。 こ の こ と は 孫 座 の 成 立 の 由来、 そ し て 更 に 、 孫座 よ り 新 ら し く 、孫 座 か ら の 分 れ と み ら れ る 後 述 の 出 ヶ座 の 成 立 の 経 緯などと も関 連す る 問 題 の よ う に 思 わ れ る の だ が 、 当面 は こ れ ら を 推 論解 釈する材 料が 乏 し い 。 な ぉ、 座小 屋 で の 席 順 は 年 長順で、 高齢者が ヨ コ ザ (横座) と呼ば れ、 直会 を指図 し 世 話 を す る こ と は 先 に も 触れ た。 そ し て 当 家 は 、 当然なが ら、 座 小屋 で は 未席 で あ る が 、 祭儀執行中 は そ の 座 を 代 表 し て舞 台 に 上 っ て い た り 、 神前 (本 蹴) に列 席しな く て は な ら な い か ら 、 そ の 聞 の 座 小 屋 で の 座 衆へ の も て な し は 、 当家 の 家 人 (当人 の 家 族) が す る わ け で あ る 。 こ の 座 の 座 小屋 の形式 ・規 模 に つ いては先 に 触れ た通 り で あ る (配 置図及び 写真 AMm 参照)。 そ れ か ら孫座 は座 員 (戸) 数が多いの で 、 六十 歳定 年制 を し い て い る こ と は 先述 し た 。 出 ヶ 座 こ の 座 は洞 株4戸 ・ 山 本株 6戸 ・ 山 田株 3 戸 ・ 植田株1戸 ・ 宿 谷株1戸 の 計 日戸 で 、 す べ て 上 朝 官 で あ る 。 洞株 は 先 述 し た如く、 どうも 孫 座 か ら の 分 派 の よ う で 、 そ れ と は 別 株 で あ る 。 山本 株 は こ の 座 で は多数 派 で 、 他 の 座 に は な く 座 外 3 戸 もあ る が 、 孫座 に お け る 洞 株 の よ う に、 特 に 比 重が おも く は な い ようだ。 山田 株 は こ の 座 だけ で、 他座に も座外 も な い 。 植田 株 の 1戸 は 、 先 に み た幣 ノ 座 の 植 田 株 の 分 れ で は な い か と 思 わ れ る が 、 他 に座 外4戸が あ る 。 宿谷 は1戸だ け で 、 後述す る よ う に 、 山 本 株 に 含 め て よ い 移入 戸 で あ る 。 こ の 度 は座 名 か ら察 せ られ る よ う に 、 最も新らし い 座 の よ う だ が 、 当面 は 、 成立時 期 を 文 書記録や 口 承 上、 確定 す る だ け の資料 がな い。 お そ ら く、 徳川末 期に近 い 頃 の こ と で は な か っ た か と 思 わ れ る 。 (そ の よ う な 口 承 が あ る こ と を 耳 に し た ) 。 し か し先 掲 の 天保 十三年(

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八 四 三 ) の 祭 儀例式 に は「出来 座」 の 名 が 出 て い る 。 各株 の 本分家関 係をみ て み る と (座員 一 覧 表、 参照) 、 洞株 4戸 の う ち で は 三 枝 雄家が 本 家 で 、 浅 雄 ・菊治 の 両 家 は そ の 先 代 で の 分 家、 喜代嗣家 は菊治家 の 先 代 の 妻 方姻族が あ る 事 情 で 継 いだ形 に な っ て い る、が、 先 の 両 分家 より古 い 本 家 か ら の 分 家 で あ る 。 山本株 7 戸 の う ち で は 、 幸 一 家 が 一 つ の 本家 で 、 庄太郎家 が そ の 一 番古 い 分家、

〉」大」

(亡 夫、 藤太 郎を受継 い だ 当 主 と し て 、 注 1 参照) 家は そ れ に 次 ぐ古 い 分 家、 善夫 家 は 先 代 の 分 家 で 新 ら しい。 なお宿谷 は 、 とさ の 妹 の 夫 で 移 入 戸 。 英 一 ・ 順 生 の 両 家と幸 一 本 家と の 関 係 は 不明。 山田株 3 戸 の う ち で は 、 甚太郎家が 本 家 で 、 茂家 は 先 代 の 分家、 寅雄家 は 茂 家 の 当 代 の 分家 であ る 。 植田株は現在 1戸だ け だが、 先代まで は も う 1 戸 あ っ て (い ま は 絶 家) こ の 両 家 の 本分家関 係 は 不 明 こ う し て み る と、 こ の 座 は 新ら し い だ け に 、 諸株 の 本分 家関係 は 比 較的 は っ き り し て は い る が 、 そ れ が 実 際に 意味を も つ よ う な 関 係 は 別 に な い 。 む し ろ注 目さ れ る の は 山 本 株 や 山 田株 の よ う に、 最近 の 分 家 や 近 縁 の姻族 (移 入戸 ) を も 座中 に積 極的 に迎 え 入 れ て い る こ と で 、 こ れ は新ら し い 座 と し て は 当 然 の こ と だ ろ う。 孫座 の よ う に 、 す で に 座員 (戸) 数が飽和状態にな っ て 、 やむなく座休 み の も の を そ の ま ま に し て あ る ||| 各株 の 座 外 に は か か る も の が 若 干 ある ょうだll の と 対照 的 で あ る 。 座員数 と し て は孫 座が 最 大 、 次が こ の 出 ヶ 度 で あ る が 、 後述 す る 秋祭 の 直 会 で は 、 何れ も女衆が か な り 来 て 賑やかで 活気が あり、 他 の 諸 座と は随分 ちが っ た 雰囲 気 で あ っ た 。 (写 真 A 幻 沼参照) 宮座の社会人類学的調査皿 以上、 七座 の株構 成 を 一 通り みた わけ だ が ま ず 指 摘 すべ き は 、 ど の 座 の ど の 株 に し て も 、 本分 家関係や そ の 意識が希 薄 で 、 い わ ゆ る同族的 なヒエ 一フ ル キ ー や 上 下 的 な 結 合 で は な く、 む し ろ 株 内 で の 平 等性 が つ よ く 、 こ れ は座 中 の 各株 の 間 で も そ う で あ る こ と だ 。 こ れ は 官座 の 構造理念 の 一 っ と 考 え ら れ る 対 内的平等 性 か ら し て も 当 然 で あ ろう。 次 に 、 各座 の ス テ ィ タ ス を 総合的 に考察し て み る と 、 大筋 と し て 次 の よ う な こ と が 推 測 で き そ う に 思 わ れ る 。 ー、 左 側 三座が右 側四座よ り も、 ス テ イ タ ス と し て は 一 、 よ り 高 い と み られ、 中 で も 大座が 最高 の ス テ イ タ ス を も ち 、 七座 の 中 心 で あ る 。 また 幣 ノ 座 は 祭儀上、 特別 な役 柄 に あ っ て 、 大座 に 次 ぐ も の と 解釈 で き そう で あ る 。 そ し て 今座 は 、 い わ ば こ れ ら の 前 座な い し露 払 い 、 あ る い は 蹴 り の よ う な 位 置に あ る よ う に思 わ れ る 。 2 、 右側四座 の う ち で は親 座が 最も 高 い ス テ イ タ ス で 、 相対 的 に は 左 側 の 大座 に 対 比 で き る 位 置 に あ る 。 姫座が こ れ に 次 ぎ、 更 に 孫座 (あ るい は そ の 逆 ) 、 そ し て 最 後が最も 新ら し い 出ヶ 座と い う 具 合 に な る よ う だ 。 3 、 左 側三座 がす べ て 両 朝宮 の 混 合 で あ る の に 対 し 、 右側四 座 は 中 央部 の 二 座 (親座 と姫 座) が 下 朝 宮 の み 、 両端 の 二 座 (孫座 と 出 ヶ座) が上 朝 宮 の み で あ る こ と は 、 少く と も 二 つ の 問 題 を 含 ん で い る よ う に 思 わ れ る 。 一 つ は 、 大座 に お い て 、 下朝宮 の 諸 株が よ り 高く 位置づけされ る こ と と 考 え 合 わ せ 、 親座 と姫 座 (特 に 前者) は 、 大座 に 準 ず る ス テ イ タ ス を も っ と 解 釈す る こ と が で き る か も し れ ぬ こ と 。 も う 一 つ は 、 お そ ら く徳 川末期 頃 か ら 、 上朝宮 の 戸 数が増え (分 家創 出及び移入者 の 定 着永住) 、 これが孫 座 の 膨 脹、 やが て 出 ヶ座 の 分 出 を も たらす結 果 に な っ た らし い

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宮座 の社 会人類学的調査阻 こと で あ る。 そして、 下朝宮 は 元 来、 土地 の 余裕がな い が、 上朝宮 に は 相当 の余 地があっ たこと、 が、 これと結 びつ い て い る と み て よ か ろう。 かし、 こう した結果も 、 一 応 の落着きを み た あ と は、 官座 へ の 加 入 は お のすか ら制 限され、 今日み る 如 き明瞭な「 株座」 の 様 相 を (再び?) 名 実と もに示 す に 至 った の で はなかろうか。 出ヶ座 は 別 と し て 、 右 の 諸 点が各 座 の成立事情 、 諸株 を めぐ る組 織化 の 経緯 に ど う 関わ るか、 そこ ま で は こ の 推測 の 範 囲外 で 、 と て も 無理 で あ る 。 い ず れ に し ろ、 六 座 であっ た買 は、 左右 の バ ラ ン ス が もう少 し よ く と れ て い た の で はなかろうか。 こ の 左右(双分制な い し 双分的組 し かし 、 織) と い うこと も、 祭儀 上 及び宮座組織 の 構 造上、 必 然 的なことな のかど うか、 よ く 考えて みる必要 があ るであろ う。 こ の こと は官座 一 般 に も つ な が る こと だが 、 こ こ で は 単 に 問 題 の 指 摘 に と ど め て おこう。 とこ ろ で 、 宮座の組織 と構造 に閲し、 最後 に当家 制 につ い て 述 べな く て はな らない。 朝宮 の 三 所 神社 に は 現 在、 専属 神職 はなく祭 犠 に は 信 楽町牧

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の 日 雲 神社 宮司 の 野口 重定 氏が兼務 の 宮 可とな っ て い る 。 従っ て 、 他 の 多 く の 宮座 で よ く みられ る年番 (輪番) 神主 の 制 度 は なく、 当屋 は 七 座 の そ れぞ れ に お い て 、 年番 の 賄 役 (直会 の 世 話役 ) 及び各座代表 の 神事参与者 と し て の 義 務と 権 利(名誉) をもつ わけ であ る 。 といっ て も 、 日常、 何か に つ け て 社 務 所 に つ め 、 神社 の 管 理運営に あ た る 者 は 必 要 だから、 宮守と 称 し て かか る 役 割を お い て い る (現 在は洞宇平 治氏・・・ ・: 孫座 々 員を三 年前 に 引 退 し臼歳 、 注3参照)。 こ の 他 に 、 氏 子 総代があって、 何か につ け て 宮 守 や 部 落役員 (区 長 や 評議員 ) と も相 談 の 上 、 神社や祭 儀 の 運 営 に 当 っ てい る (現在 の 植 西 重 光氏 ・ 日才・今座所属、 はも う二十 数年も 総 代を つ 四 と め て い る )。 し 当家 は 云 、う ま で もなく それぞれ の 座 中を年 番 で 巡 る か ら 、 そ の 順番 が何 に よ っ て 決 め ら れるか が問題 になる。 各座を見 渡 し た と こ ろ、 これ に 確 た る一 定 の 方 式が あ る と は 思 われ ず、 それぞれ の 座 に 古来 一定 の 順 が あっ て 、 それ に 従 っ て 巡 る の だ とさ れ て い る 。 お そ ら く 、 ずっ と昔 の あ る 時 期 に、 年令順 と い う よう なき ま り があ っ た の かも知 れな い が 、 そう し た伝承 も特 にな く、 記録文書から何らか の き ま りを推定す ること も困 難 で あ る 。 こ の 点 は も っと立 入った 分析が し た い とこ ろだが 、 当面 は ま だ 手だ てが っ かない 1ll 例え ば親座 では、 座員 一覧表 の 列 記順が当 家 順 で も あ る の だ が、 それが 何 に よ る の か 、そ の 由 来、 が何だっ た の か は 、 誰も知ら ぬ し 口 承も な い 。 な お、 当家 の 順 番 に あ た り なが ら、 葬式 など の 不 幸や 経済 的 不 都合 など の た め 一 年ずれ、 そ の ま ま 順 位が固 定 し て し ま う よ う なこ と もあっ た ろうから 、 こう し たこと の 深 い 詮 索 は あ まり意味がない の か も 知れな い 。 拘-、、戸 -、

中J中/

やや 例外的な の は 孫 座 で 、 ここ で は 座員 (戸) 数が多 くて当 家 の 賄費 (経済的 負担) がかさみ、 か つ て はH 当家 は一 代一度だ が屋根 の 棟 が おち る μ と 言 われ た程 で あ り 、 他方、 定年 制 が座員 (家 に あ っ て は 当 主) の 交 代も 積極的 に は かつ て い る こと も か ら ん で 、 事情が少 し複雑 の よ う だ 。 例えば 、 (以下 の 説 明に関 し、 先掲 の 座員一覧表 を参 照) 、 今 年 の 当 家 を つ と め た 杉本 周 二 (沼歳) (日歳) は 二 十数年 前 に一度 当 家 を し の 父 敏 たことがあ り 、 こ ん ど は ま た当 家が巡 っ て き た の で 、 こ の 際 、 当 家は息 子 の 周 二 にや ら せ る こ と に し た 。 しかし、 敏一自 身 は ま だ 印歳 の 引 退 に は 間 があ る の で 、 当 然 、 座 員 た る 資格 が あ り座 に も出 れ る と い うわけである 。

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他 方 、 来年の当家 受 け を し た洞章(

歳 ) は!il当家 の 受 渡 し 、 「当渡 し」 は秋祭 に行う (後述) |!洞三武 (印歳) の 養 子 で 、 今年、 養子 入 し た ば か り な の だ が 、 養父 の 引 退が 間近 な の で 、 座入 り す る 必要が あ り 、 養子 入 の 披 露も かね て当 受け し た 、 と い う わ け で あ る 。 も し こ の 場 合、 引退 ま で に養子 入がなければ、 そ の 家 は 一 時座休 と な り 、 養子を迎え て か ら そ の 年 に入 座 し 、 入座に際 しては、 や は り当受け す る の が 慣例 で あ る 。 な お 、 当家 の 費 用 (賄費) は座に よ っ て戸数が 違 う し 、 派手にす る か 地 味に す る か で も違 うが 、 戸数が 少く て も 一 通 り の こ と は し な く て は な ら ぬ の で 、 や は り か な り の 出 費に な る 。 これ に つ い て は 、 あ ま り 詳 し い 調 査 は し て い な い が 、 今年 の 秋 祭 の 場合、 戸数 が 最 少 の 姫 座 で さ え 二 、 三 万 円、 最大 の 孫 座 で は少な め に み て 概 算 五 、 六 万 円以 上 は か か っ た で あ ろ う、 と い う 話 で あ っ た 。 姫座 の よ うに 4戸き り で 当 家が4 年 毎 だか ら 、 「う ち の 座 は オ リ ン ピ ッ グ 並 み だ 」 と冗 談 に云う 位 ひ ん ぱ ん で は 、 な る べ く質 素に し た い と こ ろ だ が 、 他面、 そ う 淋 し く な っ て も困 る の で 、 座員 以外 で も 親 戚などを で き るだけ招 い て 多少 は賑や か に し た い か ら 、 や は り そ れ 相 当に か か る よ うだ。 逆に 孫 座 の よ う に多人数 で は 、 どう節約 し て も 一 定 額 は か か る し 、 ど う せ 一 代 に 一 度 なら 、 で き る なら盛大 に や ろ う と い う こ と にも な っ て 、 や は り か な り の出費にな る と い う わけだ。 実 は 、 こ の 辺 りに 当家 制 の 一 種 の 妙 味、 つ ま り長 い 目 で み た 「公平 な平 等性」 あ る い はM ・ D ­

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サ I リ ン ズ の い う H 普遍的互酬性 μ の 一 面が あ る わ け な の だ ろう。 な お 、 朝宮 の 当 家 は そ の 年 の 秋 祭 り (十月 八 日 ) と 翌 年 の 春 祭 り ( 一一 一月 一 日 ) の 二 回、 当家づと め を し な く て は な ら な い 。 秋祭 の 方 は マ ツ リ と よ び、 春祭をオ コ ナ イと一 去 っ て 、 前者 は 三 所 神 社 の 神 前 で 催 され る収 獲感謝 宮座の社会人類学的調査E

祭であり、

後者は仙禅寺の境内で行われる予祝祈年祭である。

仙禅寺は上

朝宮 の 信 楽川 の 支 流、 桜川に沿 っ て 観 音谷 に入 り数百 米 の 南 岩 屋と い う 処 にあ る 無 住 の 堂 で 、 渓流 の 巨 岩 の 上に 建 て られ、 岩谷観 音 と も よ ば れ る (写真Amm 参照) 本尊は十 一 面 観世 音 で 由 緒 あ る も の の よ う で あ り 、 堂宇 も古く八世 紀 の 創 立とされ、 山城国鷲峰山 寺 の 別 院と い う 。 巨岩 の 壁 面に は建 長元 年二三 四九) の銘 があ る 観音像 も 刻 ま れ て い る か ら 、 何れに し

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て も 古代 の 巨 岩崇 拝と仏教信仰が融 合 し た も の で あ ろ う。 こ の 仙 禅 寺 で 春 の オ コ ナ イ が 行 わ れ 、 そ れ が 三 所神社 の 秋 の マ ツ リ と 一 対 にな っ て い る こ と は 、 神仏習 合 の 一形 態 で あ っ て 、 同様な 例 は 他 の 各地に も み ら れ る か ら 別に 珍 ら し い こ と で は な い 。 そ し て、 仙禅 寺 で 春 の オ コ ナイが なされ る に し て も、 別に 仏教 的行事が 特に く み こ ま れ て い る わ け で は な く、

ニミ七EJJJJ

T」廿与

宮 の 誓 光寺 (浄土宗) の 住 職が 祭儀 に立 合うにす ぎ な い || 注 3 で 触 れ た 三 所 神社専 属 の 山崎宮 司が お っ た 頃 は 、 山崎 氏 と 寺 の 住 職が 一 年 交代 で 祭 儀に たづ さわ っ た の だ と い う こ と で あ る 。 い ず れ に し ろ、 こ う し た 神 仏習 合 の 形 態が 、 宮座 の組織や機 能と 如何に かかわ っ て い る か と い う こ と は 、 それ自 体 一 つ の 問 題でもあ る が 、 他 の 拙 稿 で も 多 少論 じ た の で 、 こ こ で は

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深 入 り し な い で お く 。 も う 一 つ 、 当家制 に関 連 し て 付 言 す べ き こ とに 秋祭 で の 大 餅当番が あ る る 。 大餅 と は 六 升 分 の 一一一 ツ重ね の 大きな 丸 型 の 餅 で 、 神前 へ の 御 供 の 最 も 重要 な も の だ が 、 こ れ を つ い て お 供え す る 大 役が 七座 の 廻 り も ち で あ っ て 、 こ の 当 番の座 で は 、 そ の 年 の 当 家 が こ の 役 を つ と め る こ と にな る 。 従 っ て 、 当家 にな っ た う えに、 更に 大餅当番に な る こ と は大 へ ん 名誉 で お め で た い わけ で あ り 、 今年 は た ま た ま 大 座 の 北田与三 郎氏がそ う で あ っ た 。 一 五

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宮座の社会人類学的調査E

こ の こ と に つ い て 、 詳 し く は 次 の 秋 祭 の 祭儀 の 考 察 で も 触 れ る が 、 大餅 当番 の 七 座 の 順 番は、 今 座 ・ 大 座 ・ 幣 ノ 座・親座 ・ 姫 座 ・ 孫 座 ・ 出 ヶ 座 の 順 で あ る。 これ は、 先 に 七座 の 間 の ス テ イ タ ス を 総 合的 に考 察 し た 折 の 1 と 2 で 述 べ たこ とと 、 偶 然か も し れ ぬ が符 合す る。 し か し 、 こ の 当番 順 は 循環周期 で あ っ て 、 どこ か ら 始 っ てど こ で 終 ると い う こと でもな か ろ う か ら、 こ れ と ス テ イ タ ス の 序 列とを結び つ け る の は 、 いさ さ か お か し く もあ る 。 む し ろ、 大餅役 を七 座 の 当番制に し て い る と い う 点に、 当家制その も の に つ な が る平等 性理 念、 つま り は 宮座の 基本 的構造の 一 つ の 現れ がみら れ る 、 と理解 し て お く べ き で あ ろ う。 2

官座の儀礼(秋祭)

宮座 の 儀礼と し て 主 要 な も の は 、 コ 一 月 一 日に岩 谷観音 堂 で 執 行さ れる 春 祭 ( オ コ ナ イ) と十月 八 日 に三 所神社で 催され る秋祭 ( マ ツリ) の 二 つ で あ る 。 ず っと 昔 は 旧 麿 で そ れ ぞれ 二 月 一 日 と 九月 五 日 に 行 わ れ た が 、 新暦 にな っ て か ら は 三月 一 日 と 十月五 日になり、 その後、 マ ツ リ の 方 は さら に 現行 の 十 月 八 日 に な っ た 。 オ コ ナ イは 現 地 で の 参 与観察 が し て な いが 、 ツ リ に つ い て は 本年 、 拝見 の 機 会が あ っ た ので、 そ の 概要を 記述 以 下 し 、 若 干 の 考 察を試みてみ た い 。 (写真A 却j臼 を参 照) マ ツ リ は 十 月八 日だが 、 その前日、 七日の夜 に宵宮 (前夜祭) が 行 われ れ、 各座 の 当 家 は これ に 参 加 し な く て は ならぬ し 、 ま た 当 家 は 五、 六 月 か ら、 供物や直会 の た め の 賄方 と し て 、 一 切 の 諸 準備 を 始 めなく て は な ら な ぃ 。 だ か ら当 家 に と っ て は 大 変 で 、 殊 に 前 述 の 大 餅当 番 に 当 っ た座 の 当 家 は、 お め で た く 名 誉 で あ る と 共 に責 任も重 い 。 大餅 を つ く に は 当 番 直 の 座 一六 中、 特 に ヨ コ ザ と よ ば れ る長 老 たちが 当 家 に寄 っ て 、 賑や か 且 、 厳 粛にこ の 行 事 を や っ たが、 い ま は幾 分略式 に な っ て い る よ う だ 。 大餅 は最も重要 な神 撲 で あ っ て、 米六升 分の餅を下段 の 直 径 一 尺と した三 重 丸型 の も の で あ る。 (写真 A m参照) 今年 (一 九七 二 ) の 大 餅当番 座 は大 座だ か ら 、 大 座 の 当 家 で あ る 北 田与 三郎 家が これ を つ き あげ たわけ である。 こ の 他 に 餅 で は 、 約 一 尺四方 の 板 重 餅 お よ び小判 餅と 称する小 さな 丸型 の 餅 が あ る 。 また御 飯 で は 、 山型 の オ ム ス ピ の よ う な 御 供物が 、 四角 の 向 木 盆 に の せ て 神髄 と され る。 (写 真A 乱参 照) こ れ と は 別 に 、 新米五合 を小 型 の 俵 状 に 包 ん だ も の を 、 御幣 に く く り つ け て 神 韻と す る が 、 幣 ノ 座 だけ は特に御幣は作 らず、 別に で き て い る 大 き な布 製 の 御 幣 に 、 同様 な米援 の ミ ニ ア チ ュ ア を 括 り つ け る 慣わ し で あ る 。 (写真Aお 参照) な お 、 こ の 朝 宮 の マ ツリ は 、 俗にH牛努 ま つ り μ と か H 甘酒まつ り H と も 云 わ れるが、 茄 で た牛 芳 に す りつぶした青 大豆 を ま ぜ たも の (ク ル ミ 牛努 と 称 す る ) マツ リ の 御 馳走 と も と甘 酒が 神鍵 とさ れ、 され て い る 。 (写真 Aお ・持参照) 各座 の 当 番 は こ れら の 神 撲 の 御 供物 や " 座中 の 直 会 に供す る巻 、ず し など 各種 の 御 馳走 を 準備 し 、 必要に応じ て酒 肴 や引出物を仕出 し屋 に 注文した り し て な く て は な ら ぬ か ら 、 相 当 の 出 費で ある と と も に 、 な か な か 忙しい 。 か よ う に 当 家 は そ の 年 の 各 座 の 賄 方 ・ 世一 話役 で あ る が 、 同時 に各 座を代表 し て 直 接、 神事儀 礼に参 加 し な く て は な ら ぬ か ら 、 そ の お っ と め の 責 任も 重 い わ け だ 。 さ て 、 十月 五、 六 日 頃 か ら マ ツリ の 諸 準備 にかか っ た 当家 は 、 マ ツ リ前… の 七 日 に は 座 小屋 を掃 除 し 、 傷 ん だ個 所があれば予め 修理 し て お か な けれ

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(写真 Aお参照) 七日には早 朝 か ら社務所 に宮 守 、 氏子総

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代、 部落役 員などが 寄合 っ て 、 あれ こ れ 相談 しなが らマ ツ リ の 公式 な諸準 備 に と り かかり、 マツ リ の 雰 囲気、 が少 し ず つ 出 て く る が 、 午後 に な っ て 倉 から 御神輿が 引出 さ れ 、 一 先 ず舞台 の 上 に安置 さ れ る と 、 境内 に 人 々 が こ もご も や っ て き て 、 賑わ い を み せ て く る 。 (写真A 部参照) 他方、 亙子と し て 舞を奉 納す る 少 女が 宮守 の 洞 宇平治氏 指 導 の 下 に 、 舞 の 予 習 の 仕 上げ に 余 念 が な い 。 (写真幻参照) そして、 兼務 官司 で あ る牧部落、 日雲神 社神 織 の 野 口 氏 が や っ て き て 、 諸事 万 端 と と の う と 、 あ と はタ 閣を待 っ て 宵宮祭 の 儀 が とり行 われ る こ と に な る わけだ。 こ れ に は 、 一 般 の 座 員 は 参 加せず、 各座 の 当家及 び氏子 総代 と 部 落役員 (上 朝宮 の 区 長・会計・評議 員など) が列 席し 、 宮守 は 祭 儀 の 執 行 で 野 口 宮 司 の 補 助役 と な る 。 本 肢 の あ る 内 庭 で 行 な われ る 厳 粛な儀 礼 で 、 時間 的 に は 割 に 短 い 。 これが す む と 参 会者 一 同 は 社務 所 に ひ き 下 っ て 神 酒 を頂 載し、 ひ き つ づ き 直会 (酒宴) に 入 り、 談笑 の う ち に宵 宮 の 行 事 が と ど こ お り なく終 了す る 。 (写真 Aお J却 参照) さ て マツ リ 当 日 の 八 日 は 早朝、 諸準 備 を と と の え た 各 座 の 当 家が 神韻 ・ 御供 を神前 に 持 参 し 、 そ れ ら は 一 日寸舞 台 の 上 に 予 め し つ ら え ら れ た 棚 に き ち ん と 供 え ら れ る 。 (写真A 4参照) そ し て 各 座小 屋 に は 当家 の 家族 に よ っ て席呉座が 敷 か れ 、 食卓 や膳が 並 べ られ、 お 酒 や ら御 馳 走 や ら が 運 び こ ま れ て 、 直会 の 準 備 が と と の え ら れ る 。 (写真A 必参照) む か し は 、 お 酒 の 澗 を す る 湯を わ か す の に炉を使 っ た が 、 今 は 簡便 な熱 器具が あ る の で、 炉 は 使 わ れ て い な い 。 (前掲 の 座小屋配置図、 参照) こ れ ら 一一表方 の 世 話 、 給 仕 役 は 、 お そ ら く か つ て は 座 中 の 年 少者が 主 に や っ た の で は な か ろ う か と 思 わ れ る が 、 い ま は 当家 の 家 族 や 座 中 の 女 衆が出向 い て 、 か な り賑 官座 の 社会 人類学的 調査 E やか に や っ て お り 、 こ と に 座員(戸数) の 多 い座 では そう である。 (写真 A 幻 -m 参照) 昼頃まで に 、 こ の よ う な 準 備が大 体と と の う と 二息 入 れ 、 昼すぎ 午後 二 時 頃 か ら 、 ま ず 舞台 (拝殿) の 上 で 神 事が とり行われ る 。 こ れ は 神 主 (宮司 ) の 祝 詞奉 上 、 亙子舞 奉納など よ り な る 一 連 の 儀礼だ が 、 舞台 の 上 に は 、 各座を代 表 す る 当 家 た ち 、 氏子総 代 や 部落役員 など、 前夜 の 宵 宮 に 参 列し た 人 々 が す べ て 上 っ て 、 こ の 儀 式 に 直 接、 参与 す る 。 (写真 A G 参照) こ の 間、 各座 小屋 で は 、 こ の 儀 式 を 見 物 し な が ら直 会が 催さ れ、 和気 あ い あ い の う ち に 杯が く み 交され、 ま こ と に 楽 し い マツ リ の 気分 が 次 第 に 高 ま っ て く る 。 だ が 、 座員 の 多 い 孫 座 や 出ヶ座 な ど と 、 少 い 幣 ノ 座 や 姫座な ど で は 、 そ の 雰 囲気 も お の ず か ら 趣 が 違 っ て く る の は 止 む を得 な い よ う だ。 (写真 A uuj 必 参照) 舞台 の 上 で の 神 事儀礼が 一 通り 済む と、 舞台 (拝殿) と 本 殿 の 聞 の 仮 設 の 渡 り廊 下 の 上 に 、 神事参 列者が並 ん で 、 手送 り で舞台上 の 御幣・神韻・御 供が 本 殿 の 神 前 に 移 さ れ 、 あ ら た め て 奉 置さ れ る 。 (写真A 幻 ・ 必 参照、 円引 の 下 部 の 仮設 渡り 廊下 に 注意) そ し て 神主が祝 詞奉 上 、 舞台 の 上 で 参 列者が 順 に玉 串を奉 献 し 、 納 め の 儀 式 を と り行 っ て 、 神事儀 礼 は ひ と まず 終了 す る 。 (写真A 0 ・印 参照) 厳粛な神 事儀礼が 進行中、 上 述 の よ う に 各 座小屋 は直会が盛 に な さ れ て おり、 参道 に は 一 、 二 の 出 庖 や 屋 台 も 出 て 、 子供 た ち で 賑 わ っ て い る が (写 真 A 日 参 昭川 )、 堅苦 し い 儀 礼が すむ と 一 層 、 気分 が リ ラ ッ ク ス し て く る 。 そ 多少、 し て 、 餅撤き と奉納相 撲が 行われる。 餅撒 き と い う の は 、 各座 の 当家が 予 め準備 し 神韻とし て供 え た 小 判 餅 (及びそれ に な ぞ ら え ら れ た 紙片) を 各陵中 の 人 人が本殿 を巡 りなが ら撒く も の で 、 幼 い 子 供 た ちが これを拾 っ て 、 め で た し と す る 行 事 で あ る 。 (写真A 臼参照) 七

参照

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