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地域主義の思想と地域分権 : 玉野井芳郎教授を中心に 利用統計を見る

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地域主義の思想と地域分権 : 玉野井芳郎教授を中

心に

著者名(日)

佐藤 俊一

雑誌名

東洋法学

55

1

ページ

25-62

発行年

2011-07

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000818/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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目次 はじめに 1 、玉野井芳郎教授の経歴~〈たまのい号〉の知性史 2 、狭義の経済学から広義の経済学へ~エコロジーとエントロピー 3 、生態系的な地域主義思想と地域分権~その意味・論理と問題点 むすびに はじめに   筆者は、研究者としての駆け出し期に地域主義の思想について考察した。にもかかわらず、本稿で改めて地域主 義 に つ い て 考 察 し よ う と す る の は、 そ れ が 必 ず し も 玉 野 井 芳 郎 教 授 (以 下、 諸 氏 の 敬 称 は 初 出 以 後、 略 さ せ て い た だ く) を 中 心 に し た も の で は な か っ た こ と に あ る。 し か も、 当 時、 筆 者 は 構 造 主 義 の 思 想 に、 と り わ け L・ ア ル チ ュ 《 論    説 》

地域主義の思想と地域分権

――

玉野井芳郎教授を中心に

――

 

  

 

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セールやN・プーランツァスの理論の理解と応用に取り組んでいたこともあって、現在読み直してみると冷や汗が でるほど難渋な叙述の論文となっ ( 1) た。そこで本稿は、改めて玉野井の著作・論 ( 2) 文を中心にすえて地域主義の思想を 考究し、若き日の愚稿の未消化点や欠落点などをカバーすることも狙いにしている。   しかしながら、その狙いは、全く付随的なものでしかない。本稿の主たる狙いは、次にある。筆者は、別稿で松 下 竜 一 氏 の「暗 闇 の 思 想」 と 井 手 敏 彦 氏 の「現 場 の 思 想」 を 考 察 し た。 松 下 は 豆 腐 屋 か ら ノ ン フ ィ ク シ ョ ン 作 家 へ、井手は市会議員から市長へとキャリアを異にするが、両者ともに公害反対の住民運動のリーダーとなり、後に 自然保護などの市民運動へ転じた。そうした中で、両者ともエコロジーの視点から近代工業文明、そして現代産業 社会の将来に強い危機感を抱き、自然と共生する生き方=生活、オルタナティブの道を希求することになっ ( 3) た。   かくして、本稿の狙いの第一は、玉野井の〈狭義の経済学〉から〈広義の経済学〉への転換とそれをベースにし た地域主義の思想が、松下や井手の実感的な危機感を理論的に明らかにし、彼らが希求した自然との共生やオルタ ナ テ ィ ブ 運 動 の 必 要 性 を 根 拠 づ け て い る こ と を 分 明 化 す る こ と に あ る。 ま さ に 玉 野 井 自 身 が、 一 九 六 〇 年 代 か ら 七〇年代にかけ全国で噴出した住民運動こそ、地域主義に対する大きな広がりと社会的支持をもたらしたとしなが ら、 次 の よ う に 述 べ る の で あ る。 「こ こ で 注 目 し て ほ し い の は、 地 域 主 義 が、 従 来 の 住 民 運 動 の 限 界、 ま た は 住 民 運動がいずれは避けて通ることのできないネックを乗りこえようとしていることである。というのは、地域主義の 主張は、ただ単に反対のための反対ではなく、反対とともに、もうひとつの道を新たに提示しようとしているから である。その点で……オルタナティブ運動、エコロジー運動、自主管理運動などとも無縁の思想潮流とはいえない と思う」 (著作集三―八七頁) と。   第 二 に、 第 一 の 狙 い を 分 明 化 す る こ と は、 〈狭 義 の 経 済 学〉 と 異 な り、 そ し て 地 域 主 義 の 思 想 と 論 理 を 基 礎 づ け

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る〈広義の経済学〉なるものを明らかにすることになる。だがまた、玉野井は〈地域分権〉と〈地方分権〉とは異 な る こ と を 再 三 強 調 す る。 そ れ ゆ え、 本 稿 の 第 二 の 狙 い と し て、 〈地 方 分 権〉 と は 異 な る、 地 域 主 義 の 思 想 に 基 づ く〈地域分権〉の意味を明らかにすることを加えたい。   第三に、玉野井は、前述で地域主義の思想が大きな広がりと社会的な支持をえるに至っているとみなしていた。 そ し て、 地 域 主 義 の 賛 同 者 で あ る 清 成 忠 男 教 授 は、 現 在、 玉 野 井 が 提 唱 し た 地 域 主 義 の 思 想 に つ い て は 理 論 的 に も、実践の手法にしても精緻化されなければならない課題が多いとしつつも、地域主義の思想は東京一極化や地球 規模の環境危機に対処するためにも、また持続可能な発展のための問題解決の鍵になりつつあると高く評価す ( 4) る。 しかし、筆者は、地域主義の思想が今日まで広く社会に受け入れられ、支持されているとはみなしえないと思う。 もし、かかる評価が妥当ならば、地域主義の思想には清成が言う理論的にも、実践の手法においても多くの課題や 問題点が残されてきたからではないか。かくして、本稿の第三の狙いは、地域主義の思想の課題や問題点などを明 らかにすることにある。 1 、玉野井芳郎教授の経歴~〈たまのい号〉の知性史   玉野井は、一九八五 (昭六〇) 年に亡くなったが、自ら書斎人であることを自認していた (著作集二―二一六頁) 。 そうした書斎人としての自らの学問的歩みを、玉野井は各駅停車のSLに乗り、途中下車する乗客や新たに乗り込 ん で き た 乗 客 と 会 話 し つ つ 終 点 ま で き た よ う な も の だ と 語 っ て い た と い う。 樺 山 紘 一 教 授 は、 玉 野 井 芳 郎 著 作 集 (全 四 巻) の 位 置 づ け を 踏 ま え て と 思 う の だ が、 か か る 玉 野 井 の 比 喩 を「知 性 史 と し て の『た ま の い 号』 」 と い う 解

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説 論 文 (著 作 集 一・ 樺 山) で、 玉 野 井 の 学 問 的 歩 み を 四 区 分 し て い る。 そ こ で ま ず、 樺 山 の 四 区 分 に よ り な が ら、 玉野井の略歴とあわせ知性史としての〈たまのい号〉の旅を簡単にみておくことにしよう。   玉 野 井 は、 一 九 一 八 (大 七) 年 に 山 口 県 柳 井 町 (現 柳 井 市) の 老 舗 ガ ラ ス 店 の 長 男 と し て 生 ま れ た。 小・ 中 学 校 の 卒 業 後、 山 口 高 等 商 学 校 に 入 学 し た。 同 校 で バ ル ト 神 学 を 修 め た 滝 沢 克 己 教 師 (後 に 九 州 大 学 教 授) と 出 会 い、 彼の薫陶を受けることによって学問の道を志すことになった。そこで、当時としては高等商学校からの進学を認め て い た 数 少 な い 帝 国 大 学 で あ る 東 北 帝 大 の 文 学 部 経 済 学 科 に 入 学 し、 宇 野 弘 蔵 教 授 に 経 済 学 原 論 を 学 ん だ。 そ し て、繰り上げ卒業した後の一九四二 (昭一七) 年に東北帝大法文学部の助手に就任した。   こ う し て 学 究 生 活 に 入 り、 一 九 四 四 (昭 一 九) 年 に 東 北 帝 大 講 師 に、 戦 後 の 一 九 四 八 (昭 二 三) 年 に は 東 北 大 学 助 教 授 に 就 任、 一 九 五 一 (昭 二 六) 年 に は 東 京 大 学 教 養 部 助 教 授 へ 転 任 し た。 樺 山 に よ れ ば、 一 九 五 八 (昭 三 三) 年にハーヴァード大学へ留学するまでの学究生活が第一期であるという。A・スミス、J・ミル、D・リカードウ ら古典派経済学についての文献学的研究からスタートし、次いでK・マルクスに関する本格的な読解研究へと進ん だ。こうした「経済学理論史についての長期間にわたる研究成果が、たまのい号の車輪の音につねにともなってい ることを、みのがしてはなるまい」 (著作集一・樺山―六頁) とされる。   第 二 期 は、 一 九 五 八 (昭 三 三) 年 か ら 一 年 半 に わ た っ た ハ ー ヴ ァ ー ド 大 学 へ の 留 学 か ら 一 九 六 〇 年 代 末 ま で と さ れ る。 〈た ま の い 号〉 は、 ハ ー ヴ ァ ー ド 大 学 へ の 留 学 に よ っ て マ ル ク ス 経 済 学 に く わ え 近 代 経 済 学 の 研 究 に も 着 手 した。その成果は、一九六七 (昭四二) 年に両者の架橋を目指す『マルクス経済学と近代経済学』 (東洋経済新報社) と し て 出 版 さ れ た。 そ れ は と も か く、 留 学 か ら の 帰 国 後、 一 九 六 〇 (昭 三 五) 年 に は 経 済 学 博 士 の 学 位 を 取 得 し、 東京大学教授へ昇格した。時代は高度経済成長期に突入し、官庁エコノミストと提携した近代経済学が隆盛をきわ

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め 始 め て い た。 し か し、 〈た ま の い 号〉 は、 比 較 経 済 体 制 論 に 問 題 関 心 を 拡 大 し、 資 本 主 義 体 制 の 諸 類 型 や 社 会 主 義 体 制 に つ い て の 考 究 を 深 め た。 そ の こ と は、 〈た ま の い 号〉 が 一 九 六 〇 年 代 に お け る「日 本 の 経 済 成 長 を 賛 美 す る の で は な く、 さ り と て 侮 蔑 す る の で も な く …… 経 済 体 制 論 の お よ び う る 範 囲 内 に、 問 題 を 収 容」 (著 作 集 一・ 樺 山 ―一〇頁) することを可能にした。   第三期は、高度経済成長のツケである環境問題、第一次石油危機後の資源問題に直面することになった一九七〇 年 代 に 入 る と 始 ま る。 〈た ま の い 号〉 は、 環 境・ 資 源 問 題 に〈狭 義 の 経 済 学〉 (マ ル ク ス 経 済 学、 近 代 経 済 学) の 限 界 を看取する。そこで〈たまのい号〉は、ドイツ経済学の歴史学派を研究対象とすることにより、国民経済とは水準 を 異 に し た 地 域 経 済 へ 着 目 す る こ と に な る。 そ れ は、 「ド イ ツ 経 済 学 の 伝 統 ― 空 間 と リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム」 (『思 想』 一 九 七 四 年 二 月 号 ― エ コ に 収 録) と い う 論 文 と し て 発 表 さ れ た。 こ う し て〈た ま の い 号〉 は、 地 域 主 義 (リ ー ジ ョ ナ リ ズ ム) の 思 想 を 提 唱 し、 非 市 場 社 会 (共 同 体) な ど に 問 題 関 心 を 広 げ る と と も に、 環 境 と し て の エ コ ロ ジ ー に ま で議論を波及させることになるのである。   最 後 の 第 四 期 は、 一 九 七 六 (昭 五 一) 年 に 増 田 四 郎、 古 島 敏 雄、 鶴 見 和 子、 河 野 健 二 の 四 教 授 と と も に 地 域 主 義 研 究 集 談 会 を 設 立 し た 以 降 で あ る。 〈た ま の い 号〉 は、 エ コ ロ ジ ー の み な ら ず エ ン ト ロ ピ ー、 ジ ェ ン ダ ー な ど を 主 題 化 す る こ と に な っ た。 こ う し て、 「一 般 的 に み て、 ひ と り の 社 会 科 学 者 が こ れ ほ ど 明 確 な 論 点 移 動 を 記 録 し た 例 は、 き わ め て す く な い」 (著 作 集 一・ 樺 山 ― 七 頁) と さ れ る。 も っ と も、 〈た ま の い 号〉 は、 一 九 七 八 (昭 五 三) 年 に 東 京 大 学 を 定 年 退 官 し て 沖 縄 国 際 大 学 へ 赴 任 し、 書 斎 を 出 て「不 慣 れ な、 苦 手 な 啓 蒙・ 実 践」 (著 作 集 三・ 座 談 会 ― 三 〇 二 頁) に も 着 手 す る こ と に な っ た。 こ の 沖 縄 生 活 七 年 の 間 に 沖 縄 地 域 主 義 集 談 会 を 設 立 し、 「し ま お こ し」 運 動 を 展 開 し た り、 「平 和 を つ く る 沖 縄 百 人 委 員 会」 の 代 表 世 話 人 に な っ た り、 一 九 八 五 (昭 六 〇) 年 に は 生 存 と 平

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和を根幹とする「沖縄自治憲章」をまとめた。しかし、同年四月に明治学院大学教授として本土に帰ったが、一〇 月に亡くなった。享年六七歳。   こ の 四 期 に わ た る〈た ま の い 号〉 の 知 性 史 を、 樺 山 は 次 の よ う に 総 括 し て い る。 「た ま の い 号 の 走 路 は い つ も、 時代のマジョリティとは交差しつつ分岐している。たまのい号の線路は、大動脈たる国道のわきを走る側線のよう であって、つねに時代の全体をみすえてきびしい批評をはなちつつも、時代と並行して走りつづける。そのような 微妙なコースどりが、あらためて明瞭にみえてくるようにおもえる。みずからの思考と感性の脈絡に忠実に従いな が ら、 だ が 時 代 と の 並 走 を 断 念 し な い 知 性、 そ の 強 靭 な 精 神 力 こ そ、 た ま の い 号 の 推 進 エ ン ジ ン で あ っ た」 (著 作 集一・樺山―一四頁) 。 2 、狭義の経済学から広義の経済学へ~エコロジーとエントロピー   一九七〇年代に入ると高度経済成長の暗面である公害・環境破壊の深刻化や第一次石油危機を契機にした資源・ エネルギー問題の噴出、スタグフレーションの進行などにより、経済学の危機が叫ばれることになった。それは、 経済学の二大潮流である近代経済学とマルクス経済学をともに襲っ ( 5) た。玉野井も、先進工業社会を襲った公害・環 境 破 壊 や 資 源・ エ ネ ル ギ ー 問 題 な ど を「社 会 的 症 候 群 ( social syndrome ) 」 と 捉 え、 そ れ は 社 会 科 学 の 根 本 的 な 問 い直しを迫るものであり、経済学においても〈狭義の経済学〉―商品経済や市場経済を対象とする学問―からのパ ラダイム転換が求められているとした (エコー序) 。   しかしながら、ここで経済学が学問としてどのような危機に直面したのかについて難解な理論に立ち入って検討

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するつもりはない。というのは、そもそも筆者は、そのための専門的な知識を有していないからである。そこで、 こ こ で は 玉 野 井 が 地 域 主 義 の 思 想 を 基 礎 づ け る〈広 義 の 経 済 学〉 の 提 唱 に 至 る 論 脈 を 追 い、 〈広 義 の 経 済 学〉 と は どのような経済学なのかを玉野井に語らしめることにとどめる。そして、その限りにおいて、松下竜一や井手敏彦 が 何 故 に 現 代 産 業 (工 業) 社 会 に 対 し て 危 機 感 を 抱 き、 自 然 と の 共 生 や オ ル タ ナ テ ィ ブ 運 動 を 希 求 す る こ と に な る のかを明らかにしたい。   さ て、 玉 野 井 は、 経 歴 で 触 れ た よ う に 経 済 学 理 論 史 の 研 究 家 と し て W・ ペ テ イ、 A・ ス ミ ス 以 来 の 古 典 派 経 済 学、 マ ル ク ス 経 済 学、 そ し て A・ マ ー シ ャ ル 以 後 の 近 代 (新 古 典 派) 経 済 学 の 考 究 に 取 り 組 ん で き た が、 そ の 結 果、それら三つの経済学は〈狭義の経済学〉と総括される。というのも、三つの経済学が理論的対象とする「経済 の世界は、用語こそ異なるけれども、市場を中心とした経済と、それと連動しながら発展してきた工業の世界」を 対 象 に し て い る か ら で あ る と い う (道 ― 一 〇 ~ 一 一 頁) 。 と は い え、 古 典 派 経 済 学、 近 代 (新 古 典 派) 経 済 学 と マ ル ク ス 経 済 学 の 間 に は 差 異 が な い わ け で は な い。 そ こ で ま ず、 玉 野 井 に 従 い な が ら、 両 者 の 差 異 に つ い て み て お こ う。   第 一 の 原 基 的 な 差 異 は、 「交 換 の ロ ジ ッ ク」 (著 作 集 一 ― 二 九 五 ~ 二 九 六 頁) に あ る。 A・ ス ミ ス に と っ て、 交 換 と は人間の性向・性癖で、共同体内の諸個人の〈利己心〉に刺激されて行われ、分業をもたらすと説明する。これに 対 し て、 K・ マ ル ク ス は か の『資 本 論』 に お い て、 「商 品 交 換 は、 共 同 体 の 終 わ る と こ ろ で、 共 同 体 が ほ か の 共 同 体・またはほかの共同体の成員と接触する点で、始まる。ところが、物がひとたび対外的共同生活において商品と なるや否や、それは反応的に、内部的共同生活においても商品となる」とす ( 6) る。この原基的な「交換のロジック」 の相異は、つぎの差異に連動する。

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  第 二 に、 商 品 交 換 が 共 同 体 (― 国 民 社 会) 内 部 に 浸 透 し、 全 般 化 す る こ と に な る と、 あ ら ゆ る 財・ サ ー ビ ス が 商 品という形態をとって市場で交換されることになる。資本主義経済体制の成立である。そうすると、スミスのよう な「交 換 の ロ ジ ッ ク」 ― そ れ は 既 に 成 立 し た 市 場 社 会 か ら 抽 象 さ れ た も の で あ る ― で は、 「市 場 や 商 品 交 換 を 通 し て形成されている経済秩序を、あたかも永遠の理想的な秩序だと暗黙にみなしているということです。いいかえる と …… そ れ ら の 秩 序 が、 一 つ の 歴 史 的 な、 相 対 的 な プ ロ セ ス で あ る と は と ら え て い な い の で す」 (著 作 集 一 ― 一 六 〇 頁) 。 さ ら に 言 え ば、 資 本 主 義 経 済 体 制 と い う「市 場 経 済 の 自 律 社 会 で は、 生 産 は 消 費 を 前 提 し、 消 費 も ま た 生 産 を 前 提 に す る。 経 済 事 象 は、 す べ て く り 返 す 物 と な っ て い る。 も っ ぱ ら 商 品 形 態 を と う し て の 可 逆 性 の 世 界 で あ る。市場経済に登場する人間は、つねに可逆的時間のなかでビジネスを処理するしくみとなっている。 …… (中略) ……〈狭 義 の 経 済 学〉 は、 商 品 経 済 ま た は 市 場 経 済 を 対 象 に す る こ と に よ っ て、 実 は 非 可 逆 的 時 間 を 捨 象 し て い る。だがこのことによって理論体系の完結性が保証されるものとなっている」 (著作集二―八一頁) のである。   し か し な が ら、 『資 本 論』 が 述 べ る よ う に、 共 同 体 の 終 わ る と こ ろ に 商 品 交 換 が 共 同 体 内 に 浸 透 し 始 め る と い う こ と は、 商 品 交 換 が 人 間 の 社 会 生 活 に と っ て 外 的 な も の で あ る こ と を 意 味 す る。 「つ ま り マ ル ク ス に よ る と、 商 品 交換のロジックは内部的原理ではなく、ひとつの〈間の論理〉であり、人間生活からすると〈外部的形式〉の論理 と い う こ と に な る」 (著 作 集 二 ― 七 五 頁) の で あ る。 そ し て、 宇 野 弘 蔵 教 授 は、 こ の〈外 部 形 式〉 が 内 部 化 し て 資 本 主義経済体制として成立するのは、本来、商品という形態にはなりにくい人間労働力が〈商品化〉することによっ てであると考える。ここから〈労働力商品化〉を原基としたいわば純粋資本主義のメカニズムの体系化を図る原理 論 と 資 本 主 義 の 歴 史 的 発 展 段 階 を 確 定 す る 段 階 論、 そ し て 現 状 分 析 と い う 独 得 な 宇 野 経 済 学 が 展 開 さ れ る の で あ 7) る。それはともかく、ここで重要なことは、宇野経済学―それによって原理化されたマルクス経済学―は、資本

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主義経済体制が人間の社会生活にとって外的であった商品が人間労働力をも包摂したところの「始めがあるととも に 終 わ り が あ る と い う 意 味 で の 特 殊 な 歴 史 社 会」 (著 作 集 一 ― 三 〇 一 ~ 三 〇 二 頁) で あ る こ と い う こ と を、 つ ま り 「け っ し て 永 遠 の 社 会 で は な い、 む し ろ 人 類 の 社 会 の 歴 史 の 一 階 梯 に あ ら わ れ た も の に す ぎ な い」 (著 作 集 一 ― 一六〇頁) ことを啓示していることである。   これは、宇野経済学によって原理的に明らかにされたマルクス経済学の優れた点であるといえる。しかし、それ では、本来、商品という形態をとりにくい、というよりも元来商品などではない人間労働力がなぜ商品という形態 を と る こ と に な っ た の か。 宇 野 経 済 学 の 原 理 論 で は、 そ れ を 論 理 的 に 説 明 で き な い の で あ る。 し か し、 マ ル ク ス は、 そ れ を 論 理 的 に で は な く 一 つ の 歴 史 的 事 実 と し て 説 明 す る。 そ れ が、 『資 本 論』 第 一 巻 第 七 篇 の「資 本 の 蓄 積 過程」における資本制的蓄積に先行する本源的蓄積過程であ ( 8) る。すなわち、イギリスでは一五世紀後半から一六世 紀 に か け て 貿 易 商 品 と し て の 羊 毛 へ の 需 要 が 高 ま る こ と に よ っ て 農 地 の 牧 場 化 と い う か の 囲 い 込 み 運 動 (エ ン ク ロ ジ ャ ー・ ム ー ブ メ ン ト) が 展 開 さ れ、 暴 力 的 に 大 量 の 農 民 が 耕 作 地 か ら 追 い 出 さ れ た の で あ る。 マ ル ク ス は、 こ の 本源的蓄積により「資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛孔から血と汚物を滴らしつつこの世の生まれ」たとした の だ が、 重 要 な こ と は 土 地 と い う 生 産 手 段 か ら 分 離 さ れ た 農 民 が 無 産 労 働 者 (プ ロ レ タ リ ア) 化 ― ま さ に〈労 働 力 商 品 化〉 ― す る 一 方、 農 民 が 追 い 出 さ れ た 土 地 が 私 有 化 さ れ、 転 売 や 賃 貸 と い う〈土 地 の 商 品 化〉 も み る こ と に なったことである (著作集一―一七一~一七二頁) 。   こ の よ う に し て 成 立 し た 資 本 主 義 経 済 体 制 に つ い て、 玉 野 井 は 次 の こ と を 強 調 す る。 そ れ は、 「工 業 を 農 業 か ら 分離し、分離された工業を基礎に、生産力の発展を達成し、その限りにおいて自己を主張するような市場経済の体 制を作り上げているという事実です。いうまでもなく工業化は、目的合理的な技術を土台に、自然から人間が自立

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す る こ と に よ っ て 達 成 さ れ」 (著 作 集 一 ― 一 九 四 頁) る こ と で あ る。 こ れ に 対 し て、 農 業 は 生 産 期 間 に 季 節 性 が あ り、合理的な農業労働力の需給調整の困難などに加え、地力の維持を前提条件にするゆえに、かかる農業の「生態 的 基 礎 と 資 本 主 義 的 市 場 の 合 理 性 と を 両 立 さ せ る こ と は、 ほ と ん ど 不 可 能 に 近 い」 と さ れ る の で あ る (著 作 集 一 ― 一 九 四 ~ 一 九 五 頁、 あ わ せ 著 作 集 四 ― 一 五 六 ~ 一 五 九 頁、 な お、 E・ ダ ヴ ッ ド を 援 用 し た 農 業 と 工 業 と の 本 質 的 な 差 異 に つ いては、著作集二―四二~四六頁を参照された ( 9) い) 。   以 上 を 裏 返 せ ば、 ス ミ ス 以 降 の リ カ ー ド ウ ら 古 典 派 経 済 学 も 近 代 (新 古 典 派) 経 済 学 も、 農 業 生 産 を 商 品 経 済 の 点では工業生産と同一レベルで捉える市場経済の世界を研究対象として理論化してきたということである。かかる 意 味 で、 と も に〈狭 義 の 経 済 学〉 な の で あ る。 こ れ に 対 し て、 確 か に マ ル ク ス は、 「労 働 は さ し あ た り、 人 間 と 自 然とのあいだの一過程、すなわちそれにおいて人間が、人間の自然との質料変換を自分じしんの行為によって媒介 し・規制し・統制する一過程」として、つまり労働過程を人間と自然との物質代謝の過程として捉え ( 10) た。しかしな が ら、 マ ル ク ス は、 次 の 理 由 か ら、 こ の 物 質 代 謝 の 過 程 を 自 然・ 生 態 系 の 基 礎 上 に 深 め る こ と を し な か っ た と い う。第一は、前述した資本主義経済体制が特殊な歴史的社会であることを明らかにするため、物質代謝が資本主義 経済体制のもとではすべて商品形態を通じて行われるメカニズムを解明することが経済学的な主題とされたからで ある。第二は、マルクスの時代には、生産=消費過程から生ずる排泄・廃棄物はすべて母なる大地という自然に還 元されるという生態系の循環システムを暗黙の前提にしていたことである (著作集二―九 ( 11) 頁) 。   かくして、近代=「新古典派経済学もマルクス経済学も、市場経済または商品経済の枠内において、恒常的な経 済 フ ロ ー が 生 産 さ れ 消 費 さ れ る 世 界、 す な わ ち 定 常 経 済 の 世 界 の“無 限 の” く り 返 し を 公 然 と 説 い て き た」 (著 作 集 二 ― 一 二 一 頁、 あ わ せ 一 三 三 ~ 一 三 四 頁) と 捉 え ら れ る。 つ ま り、 マ ル ク ス 経 済 学 も 依 然 と し て〈狭 義 の 経 済 学〉

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の領域にとどまっているというのである。かかる〈狭義の経済学〉は、さらに言えば「生産、消費、景気循環、失 業、恐慌、分配、福祉といった諸テーマを、どれもみな市場生産力のポジの面でとりあげてその解明をはかってき た に す ぎ な い。 『狭 義 の 経 済 学』 が 終 わ る と こ ろ で 立 ち 上 が る で あ ろ う『広 義 の 経 済 学』 は、 前 者 の 理 論 的 成 果 を 継 承 し な が ら、 し か も 新 た な〈狭 義 の 経 済 学 批 判〉 の 立 場 を 築 き あ げ る も の で な け れ ば な ら な い」 (道 ― 八 頁) と する。   そ れ で は、 〈広 義 の 経 済 学〉 と は ど の よ う な も の か。 そ の 一 面 は、 宇 野 経 済 学 と 経 済 人 類 学 者、 K・ ポ ラ ン ニ ー との対比によって示される。両者が類似する第一は、スミスとは逆に宇野経済学はマルクスと同様に共同体間の接 触に商品交換の、ポランニーは遠隔地取引にその発生を捉えていることである。第二は、資本主義経済体制が特殊 な歴史的社会であることを、宇野経済学は労働力が商品形態をとることにおいて捉えるが、ポランニーは労働と土 地 と 貨 幣 が 商 品 化 す る 点 に お い て 捉 え る こ と で あ る (著 作 集 一 ― 三 〇 五 ~ 三 〇 六 12) 頁) 。 し か し な が ら、 ポ ラ ン ニ ー が 非市場経済の存在を指摘しているのに対し、宇野経済学にはそれを捉えきれない〈狭義の経済学〉としての限界が あるとする。かくして、ポランニーが言うように、経済学においても「市場そのものをその一部として理解するこ と の で き る よ う な、 よ り 広 い フ レ ー ム・ オ ブ・ レ フ ァ レ ン ス を 発 展 さ せ ( 13) る」 必 要 が あ る と す る (著 作 集 一 ― 三 〇 九 ~三一〇頁) 。   〈広 義 の 経 済 学〉 が、 ポ ラ ン ニ ー の い う「よ り 広 い フ レ ー ム・ オ ブ・ レ フ ァ レ ン ス」 と し て「市 場 そ の も の を そ の 一 部」 と す る こ と は、 非 市 場 経 済 を も 対 象 に す る も の で あ る こ と を 意 味 す る。 こ う し て、 〈広 義 の 経 済 学〉 は、 「第 一 に …… い ま や 市 場 経 済 の ほ か に 非 市 場 経 済 ― 共 同 体 ― を も そ の 対 象 に 設 定 し な け れ ば な ら な く な っ て い る こ とを意味する。したがって第二に、共同体の地域の差異に照明があてられなければならない。ここでは、方法的に

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シ ス テ ム の 共 時 的 構 造 ( synchronie ) を 考 察 す る 接 近 法 が 示 唆 さ れ て い る と い え る の で あ る。 こ れ ま で の 経 済 学 で は …… 市 場 経 済 の 発 展 の 歴 史 が 段 階 的 に 説 明 さ れ た り …… し た。 つ ま り シ ス テ ム の 通 時 的 構 造 ( diachronie ) の 意 味 が 強 調 さ れ て き た」 (エ コ ー 一 六 九 頁、 あ わ せ 道 ― 六 ~ 七 頁) か ら で あ る。 か か る〈広 義 の 経 済 学〉 の 対 象 (非 市 場 経 済・ 共 同 体 ま で 射 程 に 入 れ る) と 方 法 (共 時 的 視 座) が、 地 域 主 義 の 思 想 と 論 理 の 根 本 的 な 基 礎 に な っ て い る の で ある。   だ が ま た、 〈広 義 の 経 済 学〉 は、 こ れ ま で の「非 生 命 系 の 経 済 学 か ら 生 命 系 の 経 済 学 へ」 転 回 し な け れ ば な ら な い と い う (道 ― 九 頁) 。 あ る い は、 「広 義 の 経 済 学 に は、 体 系 の 起 点 に 生 命 の 規 定 が お か れ な け れ ば な ら な い し、 ま た お く こ と が で き る」 (著 作 集 二 ― 一 三 六 頁) と い う。 さ ら に は、 〈広 義 の 経 済 学〉 の「理 論 的 世 界 像 は、 お そ ら く 地 動 説 の な か に 天 動 の 世 界 を 整 合 的 に 再 構 成 す る 体 系 で な け れ ば な ら な い で あ ろ う と 思 わ れ る。 開 か れ た『共 同 体』 の 経 済 学 の 構 築 へ の 道 で あ る」 (著 作 集 二 ― 九 五 頁) と す る。 以 上 の よ う な 言 説 は、 ど の よ う な 意 味 な の で あ ろ うか。   その意味を分明化するのが、エコロジーとエントロピーなのである。エコロジーという言葉については、その定 義 (意 味 内 容) は と も か く、 今 日、 一 般 の 人 び と も 眼 に し 耳 に し て い る と い え よ う が、 エ ン ト ロ ピ ー と い う 言 葉 に ついてはほとんど見聞したことがないと思う。エントロピーとは、物理学ないしは熱力学上の専門的な 学 テクニカル・ターム 術用語 で あ る。 そ れ を 最 初 に 経 済 学 に 導 入 し た の は、 か の「来 る べ き 宇 宙 船 地 球 号 の 経 済 学」 を 提 唱 し た 経 済 学 者 の K・ ボールディングである。しかし、玉野井がエントロピー概念の理解について大きな示唆を受けたとする理化学研究 所研究員の槌田敦氏によれば、ボールディングの使い方にはきわめて問題が多いとい ( 14) う。いうまでもなく、筆者は 物理学の専門的知識を有していなので、それを論評する能力はないが、ここでは槌田が玉野井への協力者なので彼

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の定常開放系理論をベースにすることにしたい。   さて、エントロピーとは、物体やエネルギーに付属する物理量のことで、ドイツの物理学者であるR・クラウジ ウスにより導入された。彼により定式化された熱力学の第一法則とは、世界のエネルギーは一定であるということ で、第二法則は、世界のエントロピーは最大値に向かうということである。この熱力学の第二法則は、熱は高温物 体から低温の物体へと流れ、決してその逆はないことからエントロピー増大の法則とも呼ばれている。増大の要因 は、 摩 擦 (抵 抗) と 拡 散 (崩 壊) な の だ が、 こ の 第 二 法 則 は「形 あ る も の、 必 ず 崩 れ る」 と い う 真 理 を 示 す も の だ という。しかし、こうした説明では、一般の人びとにとってなかなか馴染めないので、槌田は日常用語的にいえば エントロピーとは物体やエネルギーの移動に伴う「汚れ」と表現できるとい ( 15) う。玉野井は、そうした意味の熱力学 第二法則 (エントロピー増大の法則) を彼のいう非生命系と生命系の経済学へ投入するのである。   まず、非生命系の経済学とは〈狭義の経済学〉である。それは、市場と工業を対象に無限にくり返す生産と消費 の経済循環や再生産を説明してきた。しかしながら、先進工業国を襲った公害などの「社会的症候群」は、可逆的 な 生 産 工 程 の 背 後 に あ る 時 間 が 不 可 逆 的 に 一 方 的 に 流 れ て い る こ と に 伴 う 熱 力 学 第 二 法 則 (エ ン ト ロ ピ ー 増 大 の 法 則) が 作 動 し て い る こ と を 気 づ か せ た。 と い う の は、 同 じ 生 産 工 程 か ら ポ ジ の 生 産 物 の 他 に 廃 物、 廃 熱、 廃 水 と い うネガの生産物が産出されていることを顕在化したからである。だから、生産工程に原料が投入されることは、ポ ジの生産力をもたらすだけでなく、同時にそれがエントロピーの増大というネガの生産力へ変換されることを、槌 田 流 に い え ば 廃 物、 廃 熱、 廃 水 と い う「汚 れ」 を 増 大 さ せ る こ と で も あ る の で あ る (著 作 集 二 ― 一 三 三 ~ 一 三 六 頁、 二 〇 五 ~ 二 〇 七 頁) 。〈狭 義 の 経 済 学〉 は、 不 可 逆 的 な 時 間 の 流 れ に お け る エ ン ト ロ ピ ー の 増 大 と い う ネ ガ の 工 程 を 対 象 化 し て こ な か っ た が、 〈広 義 の 経 済 学〉 で は「生 産 論 は 同 時 に 崩 壊 論 と し て 説 明 さ れ ね ば な る ま い。 こ れ ま で

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の『狭義の経済学』におけるエネルギー中心の生産論は……エントロピー概念とのかかわりで、いまや新たな生産 力概念の―更新性資源―再定式化となってあらわれる」 (道―一〇頁) のであるとする。   次 に、 〈広 義 の 経 済 学〉 は 生 命 系 の 経 済 学 で あ る の だ が、 そ の 体 系 的 起 点 に は ま さ に 生 命 そ れ 自 体 が 規 定 さ れ な ければならないとしていた。そこで、生物体といえども熱力学の第二法則 (エントロピー増大の法則) を免れること が で き な い と し た 物 理 学 者 の E・ シ ュ レ デ ィ ン ガ ー が 援 用 さ れ る。 彼 は、 生 物 体 が 長 期 に わ た り 崩 壊 (死) を 免 れ て い る の は、 食 べ た り、 飲 ん だ り、 呼 吸 し た り、 (植 物 の 場 合 に は) 同 化 作 用 ― 物 質 代 謝 (メ タ ボ リ ズ ム) ― を す る こ と に よ っ て で あ る と す る。 し か し、 そ の 過 程 に お い て、 生 物 体 は た え ず エ ン ト ロ ピ ー を 増 大 さ せ る、 あ る い は 〈正 の エ ン ト ロ ピ ー〉 を つ く り 出 し て い る の で あ る。 そ こ で、 死 の 状 態 を 意 味 す る エ ン ト ロ ピ ー の 最 大 化 に 至 ら ぬ ようにする唯一の方法は、周囲の環境から〈負のエントロピー〉を絶えず取り入れることにある。別表現するなら ば、 生 物 体 は、 〈負 の エ ン ト ロ ピ ー〉 を 食 べ て 生 存 し て い る の で あ る と し た。 も っ と も、 〈負 の エ ン ト ロ ピ ー〉 論 は、物理学者の仲間から疑義や反駁を受けたため、後日、生物体は「物理的な生命の営みを行う限り絶えずつくり 出す余分なエントロピーを処分する」と訂正し ( 16) た。   玉 野 井 は、 当 初、 〈負 の エ ン ト ロ ピ ー〉 論 に 依 拠 し て い た が、 槌 田 の 批 判 も あ っ て「余 分 な エ ン ト ロ ピ ー を 処 分 す る」 と い う 廃 棄 説 と 槌 田 の 定 常 開 放 系 の 理 論 に 拠 る こ と に な っ た (著 作 集 二 ― 一 〇 七 ~ 一 〇 九 頁、 同・ 槌 田 ― 二 九 二 ~ 二 九 四 頁) 。 そ の 槌 田 に よ れ ば、 定 常 開 放 系 は 三 つ の 活 動 よ り な る と い う。 第 一 は、 物 理 的 価 値 を 消 費 す る 活動、第二に、発生したエントロピーを廃物・廃熱として廃棄する活動、第三に、低エントロピー資源を補充する 活動、である。かかる定常開放系においては、エントロピーを廃物・廃熱として捨てることの方が資源を補充する ことより重要になるのである。というのは、例えば動物は廃物・廃熱を捨てた結果、空腹になるから飲食するので

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あって、空腹にならないようにするために飲食するのではないからであ ( 17) る。そして、槌田は生物体のみならず、地 球もボールディングがいう宇宙船地球号のような閉鎖系ではなく定常開放系であるとい ( 18) う。   さ て、 そ う し た 定 常 開 放 系 と し て の 三 つ の 生 物 個 体 群 (植 物 群、 動 物 群、 微 生 物 群) は、 周 知 の よ う に 食 物 連 鎖 で 結 び つ い て い る 生 態 系 (エ コ シ ス テ ム) を 構 成 し て い る。 そ こ で 玉 野 井 は、 太 陽 エ ネ ル ギ ー に よ っ て 無 機 物 質 を 有 機物質に変換する植物群を独立栄養群=「生産者」とし、他の生物体を栄養源として草食・肉食する動物群は従属 栄養群=「消費者」になり、動植物排泄物や屍体を分解して無機物質に還元する微生物群は従属栄養群=「消費・ 分解者」と規定する。そして、これら三つの生物個体群が行う物質代謝は、食物連鎖の経路を通じてエネルギーの 流れと物質の循環ないしリサイクルをつくり出しているとする (著作集二―三八~三九頁、主義―八三~八五頁) 。   地球大でいえば、それは、太陽エネルギーが生態系に入ってきて最終的には熱となって宇宙に放散していくエネ ル ギ ー の 流 れ と、 生 命 に 必 要 な 物 質 (化 学 的 分 子) が そ の シ ス テ ム 内 で く り 返 す 循 環 な い し リ サ イ ク ル で あ る。 そ こで、エネルギーは生態系においても二度と利用されることのない非可逆的な一方交通の流れを形成しているのに 対し、物質は生態系の内部で循環ないしリサイクルするという可逆的な流れとなる。そして、この両者を通じて生 命体を核とする生態系の再生産が維持されているのだが、三つの生物個体群は実はその過程でわずかなエネルギー の出し入れで増大するエントロピーを減少させているのである。これが、生態系におけるエネルギー変換に伴う物 質 代 謝 の 本 質 的 な 特 徴、 定 常 開 放 系 の 世 界 に 相 違 な い と 捉 え ら れ る (著 作 集 二 ― 一 六 頁) 。 か く し て、 「地 球 上 の 生 物 の 生 活 に 妥 当 す る 空 間 は、 朝、 東 か ら 太 陽 が 登 っ て 夕 に 西 に 没 す る 天 動 の 世 界 な の で あ る」 (著 作 集 二 ― 九 四 ~ 九五頁) 。以上からすると、次の三点が重要になろう。   第 一 に、 生 命 系 の 経 済 学 と し て の〈広 義 の 経 済 学〉 は、 「人 間 社 会 の 経 済 活 動 を、 エ ネ ル ギ ー 変 換・ 物 質 の 投 入

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と 加 工・ 最 終 消 費・ 廃 棄 物 処 理 と い う 諸 過 程 の 連 続 す る 循 環 シ ス テ ム と し て と ら え 直 そ う と す る」 も の だ が、 〈狭 義 の 経 済 学〉 に お け る「所 得 タ ー ム で の 生 産 と 消 費 は ま さ し く 物 質 代 謝 率」 と 表 現 さ れ る (著 作 集 二 ― 二 〇 頁) 。 あ るいはまた、物質の使用価値は実際に使ってみてはじめて使用価値があったことが分かるわけだから、使用価値と い う 概 念 は「使 用 価 値 ポ テ ン シ ャ ル」 に 焼 き 直 さ れ る (著 作 集 二 ― 一 〇 二 ~ 一 〇 六 頁、 二 一 八 頁) 。 こ れ ら は、 〈広 義 の 経 済 学〉 の 理 論 化・ 体 系 化 に 向 け て の 試 論 で あ る が、 し か し な が ら、 そ の 後、 さ ら な る 検 討 点 は 示 さ れ つ つ も (著 作 集 四 ― 二 〇 二 ~ 二 一 一 頁) 、 体 系 の 形 成 と 展 開 を み た わ け で は な い。 そ う だ と し て も、 如 上 の よ う な 試 論 が 経 済 〈学〉といえるのかどうか、専門的な論評能力を有していない筆者には分からない。   第 二 に、 〈広 義 の 経 済 学〉 が「生 産 力 の ポ ジ だ け で な く、 そ の ネ ガ も 表 出 さ せ る 理 論 的 視 点 に 立 つ と、 工 業 化 社 会 の 生 産 中 心 の 経 済 の 延 長 上 に は、 (エ ン ト ロ ピ ー の 増 大 に よ る) 拡 散 と 崩 壊 の 現 象 ― カ タ ス ト ロ ー フ ィ ー が 設 定 さ れ ざ る を え な く な る」 (著 作 集 二 ― 六 頁、 括 弧 内 は 筆 者 の 補 充。 あ わ せ 著 作 集 四 ― 一 六 二 頁) と す る。 ま た、 槌 田 も、 過 去 に お い て は、 「動 物 や 社 会 を 囲 ん で い る 環 境 が 大 き く、 ま た エ ン ト ロ ピ ー の 大 き い 汚 物 は 自 然 浄 化 さ れ て き た ……ところが、社会の規模が大きくなり、環境に匹敵するようになると、状況は変ってくる。環境は、消化不良を お こ し、 エ ン ト ロ ピ ー を 処 分 で き な く な る。 …… (中 略) …… 生 き て い る と い う こ と に と っ て も っ と も 大 切 な 定 常 性 を、 わ れ わ れ の 社 会 は 失 い つ つ あ ( 19) る」 と す る。 こ れ ら が、 松 下 や 井 手 の 現 代 産 業 (工 業) 文 明 に 対 す る 実 感 的 な 危機感の理論的根拠なのであり、危機は地球的規模で拡大・深化しているようにみえ ( 20) る。   し か し な が ら、 〈広 義 の 経 済 学〉 の 鍵 概 念 と な っ て い る エ ン ト ロ ピ ー 概 念 (著 作 集 四 ― 一 九 二 ~ 一 九 三 頁) に あ ま り 強 く 依 存 す る こ と は、 危 険 で あ る と も 指 摘 さ れ て い る。 と い う の は、 「エ ン ト ロ ピ ー 概 念 を 利 用 し た 社 会 的 考 察 は、比喩的には便利であるし、定性的に、大ざっぱな見通しをたてるためには有効である。だが、この概念のもっ

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ている限界、とりわけ社会的エントロピーと熱力学的エントロピーとのレベルのちがいを無視して議論することは 混乱をまねく以外の何物でもない。その際、議論を現実的にするためのチェックに欠かせないのはエネルギー論的 分 析 で あ る …… (中 略) …… エ ネ ル ギ ー 概 念 を つ か っ た エ ネ ル ギ ー 収 支 の 分 析 の 方 が 有 効 で あ り、 後 藤 は そ の 観 点 から非常に大きなアンチ・テーゼを出している。そこに提出されている数値的分析によって明らかなように、自然 の 生 態 系 だ け で は 人 間 は ほ と ん ど 食 べ て い け な い の で あ 21) る」 。 も っ と も、 以 下 で み る よ う に、 玉 野 井 は 人 間 は 自 然 の生態系に依存する第一次産業だけで生活していくべきであると主張しているわけではないのだが。   第三に、松下や井手は、人間と自然との共生やオルタナティブ運動を希求していた。そうした志向の基底的論理 は、玉野井において次のように表明される。マルクスが言うように商品交換による市場経済は共同体の終わるとこ ろ、他の共同体との接触点で生じ、内部に浸透し拡大・発展してきたが、それが内部の自然・生態系を破壊するよ う に な っ て い る の で、 「い ま こ こ で こ の 方 向 を 逆 に し て、 社 会 の 内 部 か ら 外 部 へ と、 し た が っ て 生 態 系 を 土 台 と す る自然と人間のための社会・経済システムをつくりあげることをめざすならば、それこそことばの正しい意味での 資本主義的市場経済の制御を求めての接近法、市場と連動する工業生産力の抑制を求めての接近法ということがで き る の で あ る ま い か。 こ れ は 共 同 体 を 内 部 か ら み る 視 座 の 設 定 に ほ か な ら な い」 (著 作 集 二 ― 一 五 頁) と す る。 こ れ は、後述するように地域主義の思想における「文化による文明の抑制」論として表明されるのである。そこで次章 で は、 そ の 意 味 と 論 理 や 問 題 点 な ど を 考 察 す る が、 現 代 の 産 業 (工 業) 文 明 と 自 然・ 生 態 系 と 折 り 合 い を つ け よ う とする環境経済論のアプローチには、玉野井のような物質代謝論的アプローチの他に環境資源アプローチ、外部不 経済アプローチ、社会的費用アプローチ、経済体制論アプローチなどがあることを指摘しておこ ( 22) う。

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3 、生態系的な地域主義思想と地域分権~その意味・論理と問題点   玉野井が地域主義の思想を唱導する以前に、経済評論家の杉岡碩夫が地域主義を提唱してい ( 23) た。その契機は、戦 後におけるわが国の中央集権体制における画一的な中小企業の近代化政策に対する批判にあった。そして、地域主 義 と は、 「中 央 集 権 的 な 行 政 機 能 や 社 会・ 経 済・ 文 化 の 機 能 を 可 能 な 限 り 地 方 分 権 型 に 移 す こ と で あ り、 そ の 過 程 でわたしたちの生活をより自主性のある自由なものにしていこうという展望、つまり一種の“文化革命”の主張で あ 24) る」とした。さらに杉岡は、その後、玉野井も地域主義を提唱し、一九七六年には玉野井を中心に地域主義研究 集談会が結成されたりすると、多様な地域主義の思想と論理の最大公約数的な「問題意識は行きすぎた中央集権の 地方分権への移行の必要」性を主張することであるとし ( 25) た。   しかしながら、そもそも玉野井の地域主義の思想と論理の出自が杉岡のそれと異なるためといえるが、玉野井は 〈地 方〉 分 権 を 批 判 し、 後 述 す る よ う に あ く ま で〈地 域〉 分 権 を 主 張 す る の で あ る。 も っ と も、 地 域 主 義 研 究 集 談 会の世話人の一人であった増田四郎は、地域主義とは何かや、リージョナリズムの概念について一致がみられなく て非常に困ったとしながら、地域主義の狙いの一つは地方分権、そして中央と地方の守備範囲を明確にすることだ とす ( 26) る。これに対して玉野井が、地域主義の思想は実践的に「なによりもまず地域共同体の構築をめざすことを提 唱 す る」 (著 作 集 三 ― 一 一 頁) も の だ と す る 時、 増 田 の 地 域 主 義 の 発 想 は 後 衛 的 に な る。 と い う の も、 増 田 の 地 域 主 義の主張は、なによりも近代諸科学批判にあるからである。   増田の批判の第一は、近代経済学やマルクス経済学のよって立つ大前提への疑義であり、第二は、国家単位の歴 史学への疑問、第三に、両者と関連し、社会科学が具体的な課題の理解や解決に対応できなくなっているのではな

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い か と い う 危 機 意 識 で あ る。 だ か ら、 地 域 主 義 と は、 「地 域」 と か「下 か ら」 着 実 に 全 体 像 を つ く り あ げ る た め の 学問的拠点を見つけ出そうということなのであるとす ( 27) る。これに対して、玉野井がなによりも実践的に「地域共同 体の構築をめざすこと」を強調するのは、それが彼の地域主義思想の核心だからである。   そ の 玉 野 井 も、 前 述 し た よ う に 近 代 諸 科 学 を、 と り わ け〈狭 義 の 経 済 学〉 を 徹 底 的 に 批 判 し、 〈広 義 の 経 済 学〉 への転換を図らねばならないとしていた。そして、それには隣接の諸科学が、特に生態学、文化・経済人類学、歴 史学が寄与しているとする (道―一七頁) 。それは、こうである。   第 一 に、 生 態 学 は、 「生 命 系 を 中 核 と し て、 一 種 の 生 物 共 同 体 と し て の 生 態 系 = エ コ シ ス テ ム が 成 立」 (著 作 集 二 ― 九 二 頁) し て い る こ と を 明 ら か に し て く れ た。 か く し て〈広 義 の 経 済 学〉 は、 既 述 し た よ う に 生 態 系 を 基 礎 に す る「開かれた『共同体』の経済学」であるとか、自分は「リージョナリズムにエコロジカルな基礎において考えて い ま す」 (分 権 ― 一 〇 三 頁) と さ れ る。 第 二 に、 文 化・ 経 済 人 類 学 は、 通 時 態 に 対 す る 共 時 態 や 非 市 場 経 済 の 存 立 を 明 ら か に し て く れ た。 具 体 的 に は、 文 化 人 類 学 者 の レ ヴ ィ = ス ト ロ ー ス は、 未 開 (農 業) か ら 近 代 (工 業) へ と い う 不 可 逆 的 な 時 間 の 進 行 に そ っ て き た 社 会 (通 時 態) が 同 一 空 間 内 に 存 立 し う る こ と (共 時 態) を、 言 い 換 え れ ば 通時態と共時態が相補関係にあることを指摘してくれた。また、経済人類学者のK・ポランニーは、非市場経済の 存 在、 す な わ ち 諸 共 同 体 の 存 立 を 明 ら か に し て く れ た (道 ― 二 一 ~ 二 六 頁) 。 第 三 に、 歴 史 学 は、 お そ ら く ヨ ー ロ ッ パ 中 世 史 の 研 究 者 で あ る 増 田 の 指 28) 摘 を 媒 介 に M・ ウ エ ー バ ー が 析 出 し た 縦 の 支 配 (ヘ ル シ ャ フ ト) の 原 理 に 対 す る 横 の 団 結 (ゲ ノ ッ セ ン シ ャ フ ト) の 原 理 の 復 位 (著 作 集 四 ― 三 章) を、 そ れ を 中 世 史 研 究 者 の O・ ブ ル ン ナ ー に 従 え ば、 「権 力 状 況 と と も に 必 ず 法 観 念 や 道 徳 観 念 が あ ら か じ め 存 在 し て い る よ う な、 人 間 の 共 同 生 活 の 基 本 形 態 か ら 出発すべ ( 29) き」ではないかということを明らかにしてくれたことである。

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  こ う し て、 自 然・ 生 態 系 を ベ ー ス と す る 地 域 共 同 体 が 地 域 主 義 の 思 想 の コ ア に す え ら れ る。 そ し て、 そ も そ も 「生態系は、画一的なひとつのシステムではなしに、地域ごとのまとまり ( Lokalität ) を示す個別的多様性という特 色 を つ く り あ げ て い る」 (著 作 集 二 ― 二 三 頁) ゆ え に、 現 存 の 社 会 シ ス テ ム に 自 然・ 生 態 系 を 導 入 す る こ と は、 社 会 シ ス テ ム に 地 域 主 義 ( regionalism ) を 導 入 す る こ と に 等 し い の で あ る と さ れ る。 こ こ に 地 域 主 義 と は、 「一 定 地 域 の住民が風土的個性を背景に、その地域の共同体にたいして一体感をもち、みずからの政治的・行政的自律性と文 化 的 独 自 性 を 追 求 す る こ と」 だ と 定 義 さ れ、 「そ れ は も は や 論 理 的 構 築 と い う よ り も 実 践 的・ 歴 史 的 構 築 の 対 象 と い っ て よ い」 (著 作 集 二 ― 二 六 頁、 あ わ せ 著 作 集 三 ― 二 九 頁、 八 八 ~ 八 九 頁) と す る。 し か し、 そ の「実 践 的・ 歴 史 的 構築」よりも、まず「論理的構築」を考察してみよう。   地 域 主 義 は、 社 会 シ ス テ ム が 自 然・ 生 態 系 を ベ ー ス に し た 共 同 体 の 多 層 化 を 構 成 し て い る と 捉 え る (著 作 集 二 ― 二三~二六頁) 。第一に、人間と自然とのコミュニケーションを媒介として「はじめて人間と人間とのコミュニケー シ ョ ン、 相 互 依 存 性 が 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) と し て 凝 集 す る こ と に な る。 な ぜ な ら こ の コ ミ ュ ニ テ ィ を 統 合 す る 共有規範は、自然・生態系にもとづく個性的な生態域による生活環境を基盤として成りたつはずであり……自然景 観 は、 人 間 の 歴 史 的 営 為 が 加 わ っ た『文 化 空 間』 ( Kulturlandschaft ) の 域 に ま で 高 め ら れ る も の だ か ら で あ る」 。 もっとも、この共同体 (コミュニティ) も近隣地域からより広域の地域まで多層化すると捉えられる。したがって、 第 二 に、 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) の 多 層 性 は、 地 域 分 権 に か か わ る 政 治・ 行 政 シ ス テ ム の「下 か ら 上 へ」 の 多 層 性 ―ただ「問題点は、こうした多層性をどの程度まで自然・生態系の多層性と照応させて考えるか」にあるが―を現 し、 第 三 は、 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) の 文 化 的 独 自 性 に か か わ る 産 業 と 技 術 ― と い う の も 文 化 と い う 概 念 に は 産 業 と 技 術 も 含 ま れ る か ら (分 権 ― 六 〇 頁) ― の 在 り 方 も 多 層 性 と の か か わ り に お い て 捉 え ら れ な け れ ば な ら な い と す

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る。そこで、この三点をさらに詳しく考察してみよう。   ま ず、 自 然・ 生 態 系 を べ ー ス に す る 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) の 多 層 性 で あ る が、 玉 野 井 が 援 用 す る 名 古 屋 大 学 教 授 の 島 津 康 男 は 次 の よ う に 述 べ る。 「食 料 生 産 を 含 め て、 生 態 シ ス テ ム に は 水 系 を 単 位 に し た サ イ ズ が 基 本 に な る。そして最大で、気候区のサイズまでの多重細胞が必要である。気候区は日本列島をだいたい十に分ける。…… (中 略) …… 昔 の 区 画 名 で い え ば 郡 単 位 で 生 態 シ ス テ ム を 閉 じ、 県 単 位 で 生 活 シ ス テ ム を 閉 じ、 気 候 区 単 位 で 生 産 シ ス テ ム を 閉 じ る。 こ れ に よ っ て 箱 庭 型 に な る が、 日 本 列 島 の 風 土 に は こ れ が 最 適 な の で あ ( 30) る」 。 し か し な が ら、 こ れ に よ っ て も 各 層 ご と の 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) が ど の よ う な 意 味 で の 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) な の か、 ま た 各 層 ごとの共同体 (コミュニティ) の基礎となる自然・生態系はどのような自然・生態系なのかは判明せず、この後も、 生態学者などの協力をえてそれらが明らかにされることはなかった。   だが、玉野井にとって、それは、以下の文脈からすると主要な関心事でなかったのかもしれない。地域主義にお ける〈地域〉とは、原理的に大気系と水系と土壌生態系より構成される「空間的地域性と時間的季節性によって特 徴づけられる生活と生産の“場所”と考えられなければならない。それは人間の新たなコミュニティであり、 開か 0 0 れた 0 0 地域共同体である」 (著作集三―七八頁) 。増田は、それを「エコロジカル・ユニット」と名付けている (分権― 一〇七頁) 。そうした「エコロジカル・ユニット」としての地域共同体 (コミュニティ) の規模 (広がり) について、 玉野井は「小さければ小さいほどよいという命題が妥当するであろう。その意味で、またわが国の場合は、市町村 レヴェルの社会的基層が重要である」 (主義―五五頁、あわせ一三一 ( 31) 頁) とする。   か か る 規 模 の 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) は、 後 に「生 活 の 小 宇 宙」 (著 作 集 三 ― 一 一 一 頁) と か「等 身 大 の 生 活 空 間」 と 称 さ れ る。 そ し て、 そ れ を あ え て 基 層 的 な 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) と 称 す る の は、 「た と え ば 日 本 の ム

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ラ が 示 す よ う に、 そ の コ ミ ュ ニ テ ィ の な か に は 非 市 場 的 な 領 域」 (著 作 集 三 ― 九 一 頁) ― ポ ラ ン ニ ー が 言 う と こ ろ の 交 換 以 外 の 互 酬 や 再 分 ( 32) 配 ― が 必 ず 含 ま れ て い る か ら で あ る と い う。 と 同 時 に、 そ う し た 基 層 的 な 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) が、 言 い か え れ ば「地 域 等 身 大 の 生 活 空 間、 な る も の は ど こ に あ る の か と い う 点 に つ い て、 市 町 村 レ ベ ル に、 と は い っ て も 行 政 村 と ム ラ (自 然 村) を 区 別 し た 沖 縄 な ん か で い う ム ラ や 字 あざ の レ ベ ル に 存 立 す る」 (著 作 集 四 ― 二 一 八 頁、 括 弧 内 は 筆 者) と い う。 以 上 か ら 自 明 な よ う に、 基 層 的 な 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) と し て は、 伝 統的な農山漁村集落が想起されているといえる。   ところが、そうした基層的な地域共同体 (コミュニティ) の規模 (広がり) を経験的に把握したり、具体的に画定 し た り す る こ と は で き な い の で あ る。 だ か ら、 「仮 に 地 域 の 自 律 性・ 独 自 性 に 地 域 的 個 性 が 発 揮 さ れ た 場 合 で も、 それが生態系にもとづく地域的個性を基盤にしていることは全く保障されな ( 33) い」とする批判に対して、玉野井は地 域 主 義 は「単 に 法 則 的 な 理 論 に 立 脚 す る 主 張 で は な く、 normative な 理 論 を 骨 格 と す る も の で あ る」 ゆ え、 「な る べ く 自 然 の ま と ま り の 基 礎 上 に 地 域 社 会 を 構 築 し て ゆ く と い う 息 の 長 い 社 会 的 実 験」 な の だ と す る の で あ る (主 義 ― 一 八 一 ~ 一 八 二 頁) 。 こ の 点 に 関 し て、 地 域 主 義 研 究 集 談 会 の 世 話 人 で あ っ た 鶴 見 和 子 は、 地 域 の 定 義 と 対 象 の 調 査分析による記述要件という点から、玉野井の地域主義理論は社会科学としての記述要件を完備していないが、し か し 既 存 の パ ラ ダ イ ム に 衝 撃 を 与 え る「原 型 理 論 ( proto-theory ) 」 で あ る と い え る と し た (著 作 集 三・ 鶴 見 ― 二 六 三 ~二六五頁) 。だとすれば、地域主義は理論的イデオロギーであるといえよう。   いずれにしろ、地域主義が社会科学的には記述的理論ではなく規範的理論であるゆえに、ベースとなる基層的な 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) は ま さ に「実 践 的・ 歴 史 的 構 築 の 対 象」 で あ る と さ れ る わ け で あ る。 と す れ ば、 そ こ に 当 然、 ど の よ う に し て 構 築 す る の か と い う 問 題 が 浮 上 す る。 そ れ は、 非 生 命 系 の 産 業 (工 業) に 対 し て 生 命 系 の

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産業を現在の「産業構造の根底に復位させる」ことによって、言いかえれば「言葉の本来の意味での第一次産業、 す な わ ち 農 業、 林 業、 牧 畜、 そ う い う も の を ワ ン セ ッ ト に し て そ れ を 各 地 域 に 育 て て い く」 こ と に よ る (分 権 ― 七 五 頁) 。 あ る い は、 市 場 経 済 か ら 見 れ ば 非 近 代 的 な 遅 れ た 生 業 (経 営 と 家 計 が 未 分 離 な 自 営 業) を 見 直 し、 重 視 し て い く こ と に よ っ て で あ る (分 権 ― Ⅲ・ 二) 。 こ の こ と は、 E・ F・ シ ュ マ ッ ハ ー が 現 代 の 巨 大 技 術 に 代 る も の と し て 提 言 し た「中 間 技 ( 34) 術」 あ る い は「適 正 技 術」 「地 縁 技 術」 の 開 発・ 発 展 に な る。 そ し て、 さ ら に シ ュ マ ッ ハ ー に 言わしめれば、かかる「開発努力の大部分は大都市を迂回し、農村や中小都市地域での『農・工構造』の創設に直 結させることが必要であ ( 35) る」という。玉野井に言わしめれば、それは、従来の農村の都市化とか田園都市化とは逆 に、 「大 都 市 を バ イ パ ス し て、 農 村 や 中 小 都 市 地 域 か ら、 い の ち を 守 る た め の 新 た な 道 を つ け る …… 言 う な れ ば “農村化”いや“地域化”を展開する社会運動」 (著作集四―二〇〇頁) であるという。   し か し な が ら、 第 一 次 産 業 の 育 成 を 通 じ て 基 層 的 な 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) の 構 築 を 図 る と い う こ と に な れ ば、 地 域 主 義 は 戦 前 の 農 本 主 義 思 想 (イ デ オ ロ ギ ー) の 再 興 で は な い か と い う 批 判 が 生 じ 36) る の は、 い わ ば 当 然 と い え る。 玉 野 井 は、 伝 統 的 な 村 落 共 同 体 を 一 義 的 に 否 定 す る も の で は な い (分 権 ― 一 五 七 ~ 一 六 三、 一 九 一 ~ 一 九 二 頁、 主 義 ― 二 七 二 ~ 二 七 四 頁) が、 地 域 主 義 は 田 中 角 栄 流 の 地 元 (利 益 誘 導) 主 義 で も な け れ ば、 戦 前 の 農 本 主 義 の 復 活 を 図 る も の で は な い と い う。 と い う の も、 彼 が 提 唱 す る 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) は、 自 然・ 生 態 系 を ベ ー スとするゆえに個性的であるだけでなく、既述で強調していたように「開かれた共同体」だからである。そこで、 〈開かれた〉ということの意味は、 「上からの決定をうけいれるというより、下から上への情報の流れをつくりだし てゆく、そればかりか地域と地域との横の流れを広くつくりだすことをも意味する」 (著作集三―一一頁) 。しかし、 こ れ も 地 域 主 義 が 規 範 的 理 論 で あ る こ と か ら し て、 地 域 共 同 体 (コ ミ ュ ニ テ ィ) は か か る 意 味 で〈開 か れ た も の で

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なければならない〉ということなのであろう。   さ ら に、 前 述 し た と こ ろ で あ る が、 地 域 主 義 は 規 範 的 理 論 と し て「文 化 に よ る 文 明 の 抑 制」 を 狙 う。 と い う の も、文明は科学技術の発展にともない普遍的に進展し、快適で利便な生活空間を拡大する。したがって、文明は画 一的で無性格である。しかし、その内部に自己の拡大を抑制する要素を持っていないのである。これに対して、農 耕から派生した文化は、すぐれて地域的なものであり、個性的で非画一的である。かくして、文明の暴走がカタス ト ロ フ ィ ー に 至 る こ と を 抑 制 す る に は、 地 域 文 化 の (再) 構 築 を 図 ら ね ば な ら な い と い う わ け で あ る (著 作 集 三 ― 一 五 二 ~ 一 五 三 頁、 主 義 ― 一 二 〇 ~ 一 二 二 頁) 。 そ れ を ス ロ ー ガ ン 的 に 言 え ば、 現 代 の 産 業 (工 業) 文 明 の 破 局 (カ タ ス ト ロ フ ィ ー) を 回 避 す る た め に、 第 一 次 産 業 や 中 間 技 術 を ベ ー ス に し た 生 産 と 生 活 が 形 成 す る 地 域 文 化 に よ っ て 現代文明の暴走にブレーキをかけようである。   だ が、 破 局 (カ タ ス ト ロ フ ィ ー) の 回 避 に は、 あ た か も 江 戸 時 代 に 回 帰 し な け れ ば な ら な い か の よ う な、 槌 田 の 極 論 も あ る こ と を 記 し て お こ う。 彼 に よ れ ば、 地 域 社 会 の 規 模 (広 が り) は 自 然・ 生 態 的 な 生 物 サ イ ク ル の 大 き さ が限度となる。そして、そこでは食料の自給―農業の分業は完全に否定される―と適正技術に基づく工業によって 新 し い 文 化 が 創 成 さ れ る。 そ う し た 地 域 社 会 の 建 設 に と っ て、 最 大 の 問 題 は 都 市 で あ る が、 自 分 と 自 分 の 子 孫 に とって都市が安住の地ではないと悟った人から徐々に都市を離れ、食料自給の生活に入っていく他ないというので あ 37) る。   さて、最後に、地域主義の思想における自治観と地域分権などについて考察してみよう。玉野井らは、一九七六 年に東京で地域主義研究集談会を結成し、続いて大会を京都、熊本、青森、長野で開催するが、一九七八年には首 都圏地方自治研究会 (東京都、 埼玉県、 神奈川県、 横浜市、 川崎市で構成) において神奈川県知事の長洲一二らが 「地

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方の時代」を提唱し ( 38) た。それは、マスコミにも取り上げられ注目されることになった。長洲の企図は、玉野井らの 地 域 主 義 的 発 想 と 重 層 す る と い え る の だ が、 玉 野 井 は「地 方 の 時 代」 や「地 方 分 権」 に 違 和 感 を 呈 し、 「諸 地 域 の 時代」と「地域分権」に固執し、それを強調する。それはこうである。   そもそも〈 地 ち 方 ほう 〉という言葉は、地形や農業、民衆の生活の在り方などを示す〈 地 じ 方 かた 〉という言葉から生まれた も の で あ る。 そ う し た〈 地 じ 方 かた 〉 が、 明 治 以 降 の 中 央 集 権 体 制 の 確 立 過 程 に お い て 行 政 用 語 化 さ れ、 支 配 す る〈中 央〉に対して従属する〈 地 ち 方 ほう 〉という図式に転化され、今日まで存続せしめられてきたのである。しかしながら、 〈 地 ち 方 ほう 〉 は 本 来、 〈中 央〉 と 同 一 平 面 上 の 単 数 の 地 域 で は な く、 歴 史 と 伝 統 を 誇 る 複 数 の 個 性 的 な 諸 地 域 か ら 成 り 立っているのである。だから、従来の〈中央〉 〈地方〉という図式を乗りこえようとする地域主義においては、 「地 方 の 時 代」 で は な く「諸 地 域 の 時 代」 と し な け れ ば な ら な い と い う の で あ る (著 作 集 三 ― 七 ~ 八、 八 三 ~ 八 四、 一 一 三 ~ 一 一 四 頁、 主 義 ― 一 二 七 頁) 。 こ う し て み る と、 地 域 主 義 の 思 想 は、 新 渡 戸 稲 造 が 提 唱 し た 地 じ 方 かた 学 がく ( 39) を 復 興 さ せ る モ メントを有しているといえそうである。   そ れ は と も か く、 通 常、 「地 方 分 権」 と は、 事 務 権 限 や 税 財 源 を 中 央 (国) か ら 地 方 (都 道 府 県・ 市 町 村) へ 移 譲 す る こ と や、 今 次、 一 九 九 五 年 か ら の 世 紀 末 の 分 権 改 革 の よ う に 機 関 委 任 事 務 制 (首 長 を 国 の 地 方 行 政 機 関 と し 国 政 事 務 を 執 行 管 理 さ せ る 方 式) や 必 置 規 制 (法 令 に よ り 施 設 や 特 別 の 資 格・ 職 名 の 職 員 な ど の 設 置 を 義 務 づ け る 方 式) の 廃 止・ 緩 和 の よ う に、 中 央 (国) に よ る 地 方 へ の 関 与・ 規 制 の 廃 止・ 緩 和 を 意 味 す る。 玉 野 井 も、 国 が 機 関 委 任 事 務 や補助金などにより自治体を縛りつけてきたことを指摘し (分権―二五~二六頁) 、「市町村を中心にした小自治制」 へ 地 方 自 治 制 度 を 大 胆 に 改 革 す る 必 要 が あ る と す る (著 作 集 三 ― 六 九 ~ 七 〇 頁) 。 だ と す れ ば、 あ え て「地 域 分 権」 を 主 張 す る 必 要 は な い と い え る。 に も か か わ ら ず、 「地 域 分 権」 は「地 方 分 権」 と 異 な る と し、 そ れ は「い た ず ら

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に中央に楯ついたり反対したりするというのではない。地方から欠落した地域的個性を再生させ、伝統と文化の地 域 差 に 満 ち た 多 様 性 の 中 に 新 た な 国 民 的 統 一 を 求 め る」 (著 作 集 三 ― 二 七 頁、 あ わ せ 八 六 頁) こ と で あ る と す る。 き わめて抽象的な定義である。この含意を知るには、玉野井が問題視する憲法第八章の地方自治に関する議論に立ち 入らなければならない。   玉野井は、憲法第九二条の地方自治の本旨規 ( 40) 定の意味とされてきた団体自治と住民自治を問題視する。そして、 一方で、 「『団体』は住民不在の『役所』ではないはずである。私の言う『地域分権』は、たんに『団体自治』とい う 概 念 の 政 治 的 原 理 と し て の『地 方 分 権』 な ど と は 大 き く 異 な る も の な の で あ る」 と し、 他 方 で、 「『地 方 自 治 団 体』を『上から』でなく『下から』とらえ直すことは……いわゆる歴史実態的な接近法を重視することにほかなら な い」 と す る (著 作 集 三 ― 九 八 頁) 。 と い う こ と は、 「地 域 分 権」 は、 後 者 の 地 方 自 治 団 体 に 対 す る「下 か ら」 の、 「歴 史 実 態 的 な 接 近 法」 か ら 主 張 さ れ る も の だ と い う こ と で あ る。 言 い か え る と、 地 方 自 治 団 体 の 自 治 権 (統 治 権) に対する理解ないしは根拠づけが、 「地方分権」と異なるというのである。   自 治 権 (統 治 権) の 理 論 的 根 拠 に つ い て は、 周 知 の よ う に 近 代 国 家 に お い て は 唯 一 絶 対 不 可 分 の 国 家 主 権 の 一 部 移譲によるという伝来説と、基本的人権のように自治団体それ自体が本来有する前国家的な権利とする固有権説が あ り、 戦 後 は、 憲 法 が 自 治 団 体 の 自 治 権 を 保 障 し て い る と い う 制 度 的 保 障 説 (憲 法 伝 来 説) が 提 唱 さ れ、 定 説 化 し てき ( 41) た。こうした状況に対して、玉野井の「歴史実態的な接近法」は、ヨーロッパ中世史の文脈から、国家と個人 の 間 に は 様 々 な 中 間 構 造 が 存 在 し、 そ れ が 分 権 制 を つ く り 上 げ て い た こ と を 重 視 す る (分 権 ― 七 二 ~ 七 三 頁) 。 か く し て、 「『下 か ら』 の 視 座 に 立 つ 規 範 的 理 論 と し て の 地 域 主 義 は、 『制 度 的 保 障 説』 と『固 有 説』 の な か に 流 れ る 顕 著 な 傾 向 ― 地 方 自 治 制 度 を 何 か 歴 史 的 伝 統 に お い て と ら え る ― に 注 目」 (著 作 集 三 ― 九 九 頁、 あ わ せ 著 作 集 四 ― 七 七 ~

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