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人間の自由はいかにして実現可能か?―シェリング芸術哲学から見たギリシア悲劇の示す第三の道 利用統計を見る

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人間の自由はいかにして実現可能か?―シェリング

芸術哲学から見たギリシア悲劇の示す第三の道

著者

八幡 さくら

雑誌名

国際哲学研究

7

ページ

13-16

発行年

2018-03

URL

http://doi.org/10.34428/00009786

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人間の自由はいかにして実現可能か?

―シェリング芸術哲学から見たギリシア悲劇の示す第三の道

八幡 さくら

0. はじめに―運命と人間の自由の問題

「運命は存在するのか?」という問いが、科学技術の進歩した現代を生きる我々の頭を擡げるこ とがある。同様の問いは近代のドイツ観念論においても重要な問題であった。ドイツ観念論の哲学 者シェリングは「運命 VS 自由」という図式を用いながら、「人間の自由がいかにして実現されるか?」 をギリシア悲劇の解決に見出している。

1. 近代ドイツ哲学における大問題―必然性と人間の自由

運命と自由の対立についてシェリングは『独断主義と批判主義に関する哲学的書簡』(1795 年) において議論している。この著作はキリスト教正統派神学(神の存在「超自然的事実」、「幸福は徳 の報い」)への批判を目的としたもので、当時神学生だったシェリングはそれを匿名で発表している。 当時スピノザ主義を指す独断主義とカント・フィヒテ哲学を指す批判主義とに対してどのような立 場を取るかが哲学に求められていた。独断主義の立場に立てば、神が唯一実体となり、哲学は絶対 的客観から出発する。そのため絶対的客観性における自我の自由が消滅する。それに対して、批判 主義の立場に立てば、主観の認識能力に限定され、哲学は絶対的自我から出発する。しかしどちら の立場に立っても、自然と自由の分離と体系の不在という問題は解消されない。シェリングによれ ば、「我々は決して自分自身の自我を捨て去ることはできない。その唯一の理由は、我々の本質であ る絶対的自由の内にある。この絶対的自由によって、我々の内なる自我..はもの..ではありえず、客観 的に規定できる事柄..ではありえない。」(SWI 320) またシェリングは、スピノザの『エチカ』第 5 部定理 42「幸福は徳の報いではなく徳それ自体で ある」を引きながら、幸福を徳の報いとする正統派神学への批判を行う。知的直観において成立す るものは、幸福すなわち徳そのものである。幸福状態である知的直観においてはあらゆる対立が消 滅し、道徳性と幸福との間の矛盾も解消される。人間の本質である絶対的自由という絶対的状態を 目指すことこそが道徳性であり、道徳性と幸福は同一である。ゆえに「絶対的自由.....がある...ところに 絶対的幸福.....がある...」(SWI 324)。 シェリングは自由と必然性という原理が絶対者の内で統合されていなければならないと考え、自 由を「絶対者が無制約的な自らの力に基づいて行為すること」、必然を「絶対者がまさにそれゆえに 自分の存在法則にのみ、つまり自分の本質の内的必然のみに従って行為すること」と定め、「絶対者 の内には、その行為とは独立に持つような法則はもはやない。絶対的自由と絶対的必然とは同一で ある」(SWI 330f.)と規定している。 この考えに基づき、シェリングは全哲学のあらゆる綜合の目標は絶対的同一性にあると理解する。 この「目標への接近..」の仕方の差異によって各々の哲学が異なる。シェリングによれば、独断主義 が「絶対的客観..の同一性を直接的...に.目指す」のに対し、批判主義は「主観..の絶対的同一性を直接的...

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に.目指す」(SWI 328)。しかし、両体系は知の対象すなわち客観としての絶対者に到達することが できないため、「絶対者を行為..の対象にすること、つまり絶対者を実現するための行為..を要求する....こ とだけ」が目指される(SWI 333)。シェリングは独断主義と批判主義を一つにする第三の道を選び 取る。 この第三の道をシェリングはギリシア悲劇に見出す。行為を通した絶対者の実現は、悲劇による 客観的世界の必然性と人間の自由の統一によって成し遂げられる。この必然性すなわち運命と自由 との矛盾は、悲劇の主人公である「死すべき人間」によってのみ耐えられる(SWI 336)。シェリン グはギリシア悲劇において「主人公を運命の優位と戦わせることによって、人間の自由に名誉を授 けた」と解し、そこに「人間的自由の承認」という、自由に関する「偉大な思想」を見出す(SWI 336f.)。

2. 近代ドイツにおけるロマン主義の台頭

古典主義は 17 世紀仏で確立された思想的傾向であり、古代ギリシアの生の統一と調和を規範とす る。古典主義は理性を重視し、絶対的普遍美を目指す。この古典主義に対抗する形で登場してきた のがロマン主義である。18 世紀末から 19 世紀半ばにヨーロッパで興ったこの思想的・精神的傾向 は、古典主義が重視する秩序と論理に反対し、近代における個・自我の尊重、感性の解放を目指す。 ドイツにおいてはティークとヴァッケンローダー『芸術を愛する一修道僧の心情吐露』(1797 年)、 シュレーゲル兄弟『アテネウム』(1798-1800 年)などが初期の代表策として挙げられる。 しかし、ロマン主義の本質を定義することは非常に困難である。ロマン主義は中世賛美を行う一 方で、社会体制に反対する革新主義的側面を持つ。ロマン主義者達は主体の感性や心情といった内 面性、病的で異常なものに注目する。さらに、彼らは直観や自然体験、無限性、神秘思想、古代生 命、天才といった概念を彼らの根本思想に置いている。また、ロマン主義は古代 VS 近代という対 比構造にも関わっている。古代ギリシアが生の全体な統一性や神話的世界を表すのに対し、近代世 界は分裂しており、無限遡行的な自己反省の意識へと向かう。こうした複雑な側面を持つロマン主 義は、フィヒテ自我哲学やシェリング自然哲学との関連が指摘されている。

3. シェリング『芸術の哲学』における悲劇論

シェリングが芸術哲学を論じたのは 1800〜1807 年頃であるが、とくに講義『芸術の哲学』(1802-03、 1804-05 年)において芸術ジャンル論を詳論している。『芸術の哲学』はあらゆるものを絶対者とい う絶対的同一性の現れと考える同一哲学体系に即している。それゆえ、芸術哲学は趣味の理論では なく、「芸術という形式における全体の学」(SWV 368)とされる。 シェリングは同講義の芸術ジャンル論の中の悲劇論において悲劇を以下のように定義している。 「それゆえ悲劇..の本質的なものは、主体における自由と客観的なものとしての必然性との実際の争 いであり、その争いは一方または他方に屈することによって終わるのではなく、両者が勝利すると 同時に勝利されたものとして、完全な無差別において現れることによって終わるのである」(SWV 693)。ここで運命(必然性)と人間の自由とは対立から無差別へ向かう。自由と必然性の絶対的無 差別は人間本性において「象徴化」(SWV 690)される。「個」と結びつけられた人間本性が「人格」 (Personen)であり、人間本性の持つ自由が「心映え(Gesinnung)によって再び必然性を越え高ま ることができる」(SWV 691)。心映えとは、主人公の道徳的性格が持つ、勇気ある良い心の持ち様、 主体の道徳的行為を導く原理のことである。必然性と自由は、一方が他方を打ち負かすのではなく、 両者が互いに克服すると同時に克服される。つまり、必然性と自由が「同等存在」(Gleichsein)(SWV 690)となり、両者の「絶対的無差別」状態が実現される。そこではもはや必然性との抵抗が存在せ

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ず、「絶対的自由」(SWV 691)が現れる。 シェリングは悲劇の主人公をアリストテレスの『詩学』を引きながら次のように特徴づける。そ れは「必然性が悪.を定める場合」(SWV 694)であり、良い人でも悪い人でも非常に悪い人でもない 中間にある。「徳や正義によって優れているのでも、悪徳や犯罪によって不運に陥るのでもなく、過. ち.によって不運になる」(Ibid.)。悲劇の主人公の罪は「運命の意志と不可避な宿命」によって負わ されたものであり、「考えうる最高の不運」である(SWV 695)。悲劇の主人公は自己の没落によっ て逆説的な自由の勝利を手にする。ここには『哲学的書簡』と共通する主観的自我の棄却による人 間的自由の可能性が認められる。さらに、同一哲学的思想に基づく調和的・宥和的性格が加えられ、 闘争と没落による自由の承認が調和と宥和をもたらす根拠となっている。

4. 悲劇的崇高―『オイディプス王』の分析から

それでは具体的にどのような悲劇作品・場面を指すのか?シェリングは近代悲劇ではなく、ギリ シア悲劇を理想的悲劇として取り上げる。悲劇詩人としてはアイスキュロス、ソフォクレス、エウ リピデス、作品としては『オイディプス王』『コロノスのオイディプス』『縛られたプロメテウス』 『エウメニデス』『アンティゴネー』等を挙げる。とくにシェリングはプロメテウスを「悲劇の真の 原像」とみなし、ソフォクレス『オイディプス王』(前 427 年頃)に人間の自由の表現を見出す。オ イディプスのあらゆる行為は、自らの意志を超えた運命に駆り立てられた、神託の完遂のための必 然的行為である。しかし、劇の最後のオイディプスの嘆きに表現されているように、オイディプス が自分の目を屠る場面にのみ彼が選択した行為が示されている。そこでは「単なる特殊性としての 自由」ではなく、必然性を同等にまで、「自己自身を普遍性にまで高めた」自由(SWV 697)が表さ れており、魂を苦しみから解き放つ「最高の受苦の無さ」(SWV 698)へと繋がる。この状態におい てはじめて運命と意志が等しく釣り合う。 ここに至って、悲劇の主人公は「絶対的偉大さすなわち崇高な心映えの象徴」(Ibid.)となる。元々 罪なき「無垢な者」が運命ゆえに不可避的な罪を負うことこそ「最高の不運」(SWV 699)である。 不可避的罪に対する罰の自発的受け入れは、「悲劇における崇高なもの.....」(Ibid.)であり、この悲劇 における崇高が心映えの崇高であり、「真なる悲劇的崇高」(SWV 467)と呼ばれる。悲劇の主人公 は、不運との戦いによって人格の勇気が試され、この戦いに「物理的には勝利しないが、だからと いって道徳的に敗北するわけでもない」場合、主人公はあらゆる受苦を超える倫理的に崇高な人格、 「無限なるものの象徴」として現れる(Ibid.)。悲劇の主人公に無限の道徳性が一体化して存在する ゆえ、悲劇の主人公は崇高な心映えの象徴となる。ここに行為を通した人間の自由の獲得が実現さ れる。

5. おわりに―近代的視点からの古代ギリシア悲劇解釈

シェリングは、ギリシア悲劇『オイディプス王』を必然性と自由の絶対的無差別を表現する理想 的な悲劇と理解している。なぜなら、そこには自発的な罰の受け入れによる逆説的な人間的自由の 承認が見出されるからである。このようなシェリングのオイディプス解釈は、必然性と自由との対 立と人間的自由の実現を目指す、近代哲学的な視点から古代ギリシア悲劇を解釈したものであると 言える。

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参考文献

シェリングの引用は K・F・A・シェリング編纂の『全集』(SW)の巻数と頁数を記す。

Schelling, F. W. J., Philosophische Briefe über Dogmatismus und Kriticismus (1795), in: Historisch-kritische

Ausgabe; im Auftrag der Schelling-Kommission der Bayerischen Akademie der Wissenschaften ; hrsg. von Buchner, H., et al., Reihe I, Werk 3, Stuttgart: Frommann-Holzboog, 1982.

Schelling, F. W. J., Briefe Wechsel 1786-1799, in: Historisch-kritische Ausgabe; im Auftrag der

Schelling-Kommission der Bayerischen Akademie der Wissenschaften ; hrsg. von Möller, I., et al., Reihe III, Werke 1, Frommann- Holzboog: Stuttgart, 2001.

Schelling, F. W. J., Philosophie der Kunst, in: Schelling, Ausgewählte Schriften Bd. 2, Frankfurt am Main: Suhrkamp, 2003 (c1985)

Aristotle, Aristotelis de arte poetica liber, edit. Kassel, R., Oxford Classical Texts, Oxford University Press, 1965. Sophocles, Oedipus Tyrannus, edit. Jebb, R. C., Bristol: Bristol Classical Press, 1981(c1885)

Courtine, J. F., Tragödie und Erhabenheit: Die spekulative Interpretation des „König Ödipus“ an der Schwelle des deutschen Idealismus, in: Die Realität des Wissens und das wirkliche Dasein: Erkenntnisbegründung und Philosophie des Tragischen beim frühen Schelling, hrsg. von Jantzen, J., Schellingiana Bd.10, Stuttgart : Frommann-Holzboog , 1998

Hay, K., Die Notwendigkeit des Scheiterns, Freiburg/München: Verlag Karl Alber, 2012. Szondi, P., Versuch über das Tragische, (1978) in: Schriften, Bd.1, Berlin: Suhrkamp, 2011.

松山壽一『悲劇の哲学―シェリング芸術哲学の光芒―』叢書シェリング入門 6、萌書房、2014 年 八幡さくら『シェリング芸術哲学における構想力』晃洋書房、2017 年

参照

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