滋賀大学経済学部研究年報Vol.31996 一17一
ジョン・デューイのナショナリズム論
一盛民族社会と国民国家一
二 西 中 和
1 はじめに
現在の世界における民族問題ないし人種問題 の噴出はこれまで近代以降の社会において政治 の基本的な単位であり,また人々の基本的な帰属単位であるかに見えた国民国家(nation
state)のあり方の動揺を示しているように思 われる。それは旧ソ連や旧ユーゴスラヴィアに おいて見られるように血旧い殺鐵を伴って主権 国家の混乱,解体を引き起こしており,またア メリカやフランスを初めとしていわゆる先進諸 国においても,エスニシティを基礎にした「多 文化主義(multiculturallsm)」の思想と運動 の台頭が見られる。他方で,モノ・ヒト・情報 の国境を越える絶え間ない移動の増大によって, 外から国民国家の枠が揺るがされ,例えば,ヨー ロッパ連合(EU)に示されるように,それを 超える「地域統合」の試みも進行中である。あ るいはまた,日本における外国人労働者の増大 は従来の「単一民族社会jの神話を打破し,あ らためて少数民族問題を顕在化させることになっ たと言えよう。 これらのことは,いかなる国民国家であれ, 現実には多民族ないし多人種的構成であること を明らかにし,したがって,その統合をどのよ うに考えるのかが決定的に重要な問題となって いることを示している。換言すれば,国民国家 は一民族,一文化,一言語によって成立すると いうような,従来の国民統合の考え方がもはや 完全に破産していることを認めなければならな い,ということである。その意味で,現在,国 民国家なるものの問い直しという課題が提起さ れていると言ってよいであろう。 小稿は,このような問題状況を念頭におきな がら,アメリカの哲学者のジョン・デューイの ナショナリズム論を検討してみようとするもの である。1980年代後半から90年代初めにかけて のアメリカで,多文化主義をめぐる論議がいく のらか激しく展開された。アメリカでの多文化主 義は,特に,教育の場面での人種,エスニシティ, 宗教,性的指向,言語等の多様性の尊重を要求 する動きを示す概念として使われたが,より広 義には,教育に限定されることなく,多民族社 会における国民統合のあり方一般にかかわる概 念だと言ってよい。例えば,カナダやオースト ラリアでは,政府による国民統合政策の基礎に の ある考え方である。アメリカにおいても,それ をめぐる議論が多民族社会アメリカの国民統合 のあり方という観点から行われたことは,その 行き過ぎがアメリカの解体をもたらすというシュ のレージンガーの批判からも窺えるところである。 近年の多文化主義をめぐる論議がどのような 背景のもとで生じ,またどのような意味を持っ たのかといったことについては,別記で検討し てみる所存であるが,実は,アメリカにおける 国民統合のあり方をめぐる論議には歴史がある。 多民族社会として出発したアメリカにとっては, それが建国期から存在したことは当然のことと 言えるが,その論議の際だった高まりが見られ 1)初瀬,酒井。 2)Takaki,pp。117−120.育旨登路、辻内。 3)梶田 [1996], 関禿艮 [1996] 4)シュレージンガー,Jr.たのは,19世紀末から20世紀の初めにかけて, 特に,第一次大戦期の頃であった。この頃に, 国民統合のあり方として提起されたものに「文 化的多元論(cultural pluralis皿)」という考え 方があった。この文化的多元論と今日の多文化 主義の間には相違も含んで一定の系譜的な関連 があると言ってよい。そして,デューイは文化 的多元論者の中に含められて理解されるのが普 通である。しかし,文化的多元論者と呼ばれる 人たちの問でも,その主張内容には差異がみら れる。そこで,以下において,多民族社会にお ける国民統合という問題観点から,まず,民族 問題および人種問題についての彼の考え方を整 理し,次に,多文化主義の台頭という今日的状 況との関連で,彼の文化的多元論の考え方の意 義を検討してみることにしたい。
H 民族問題の一般的考察
1.民族とは何か 民族問題ないし人種問題について議論したデュー イの著作の数は多くはなく,それもほぼ第一次 ら 大戦期と1920年代にに出されている。ここでは まず,1917年の「民族の原理」という論文を主 たる素材として民族問題についての彼の考え方 を検討してみよう。 「民族(nationality)」という言葉は「意味 の奇妙な曖昧さ」を伴って使用されている,と デューイは言う。一方で,それは国民「国家」 (natlonal“state”)一あるいは民族「国家」一 といわれるものと密接に結びつけられている。 これは「それ自体の完全な独立を主張しそして 『主権』という形而上学的な観念と結びついた 領土国家」として比較的に近代になって発展し のたものである。したがって,この場合の民族と は米国,フランス,ドイツのような「国家の国 民(nation)」という言葉によって意味される ものと考えてよい。デューイは民族という言葉 のこの側面を「政治的民族(political nation− alities)」または「政治的ナショナリズム」と のも称している。 他方で,民族という言葉は別の意味も持って いる。それに満足のいく規定を与えることは困 難であるが,例えば第一次大戦期において,国 民国家を形成していなかったアイルランド人, ポーランド人,ボヘミア人,ユダヤ人のような 人々を指して使われるものであり,デューイは これを「文化的民族(cultural nationality)」 う と呼ぶ。今日一,よく使われるエスニシティ (ethnicity)という言葉は,民族のこの側面, つまり,既存の国民国家内での文化的民族のあ り方を指すものと考えてよいように思われる。 このように民族という言葉の意味が一義的でな いということが現実の民族をめぐる問題の複雑 さとその取り扱いの困難さを表していると言っ てよいであろう。以下デューイの議論を整理し てみるが,その際,叙述を簡単にするために, もともとの民族という言葉が持つ二つの意味の 中で,国民国家の意味を言い表す側面を単に国 家として,また文化的民族として言われている 側面を狭い意味での単に民族として表現するこ とにしたい。 まず,民族一遍述べたように文化的民族の側 面一とはいったい何であろうか。民族の存在を 人種によって基礎づける試みがなされてきたが, デューイによれば,それは採用できない,なぜ なら,現実には人種の混交が考えられるので, 「ひとつの人種およびひとつの血統からなる民 族という観念」は「生理学的事実」に合わない 5)ナショナリズムに対するデューイの関心が生涯 にわたるものであったことについては,Cu}tiが 概観している(pp.1103.1106)。 6) Dewey [1917], p.285. 7) lbid.,p.289. 8)Ibid.,p.286,文化的民族と政治的民族という言 い方はデューイの言い方はドイツの歴史家マイネッ ケ,F.の「文化国民」と「国家国民」の観念と類 似している。マイネッケ,pp,3−14.ジーン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一19一 の からである。 では,民族の特質を基礎づけるものは何であ るのか。それは「言語の共通性,文学の共通性, そして伝統の,歴史的追想の,共通の記憶の, 一定の統一と連続」である。だから,民族とは それらの「きわめて強力な紐帯や絆によってと もかくも独自に結合された人々の集団」として ユの 理解することができる。民族を作り上げるのは 人々が共通の伝統,知識や道徳の中で共に暮ら しているという「文化的事実」であって,「政 治的独立や政治的統一ないし主権」というよう なものではない。その意味で,民族はもともと 国家を持たずとも,文化的民族として,今日的 言い方をもってすれば,エスニシティとして, 存在すると考えられるのである。 国民国家は文化的民族が一定の領土と主権を 持って独立した政治的民族へと移行することに よって創出される。その際,国民国家といって も,それが単一の民族によって構成されるとは 限らない。実際には,国家の中核を占める多数 派の民族がいて,その周辺に,少数民族が存在 するというのが普通である。中核を占める民族 は国家と一体化しやすいだろうが,少数派の諸 民族はそうなりにくい。ここに民族問題が生じ るひとつの背景があるといえよう。国家が少数 派の諸民族をどう扱うか,それに対して諸民族 の側がどう対応するかで様々の問題が生じるの である。デューイによれば,このことは国家の 原理と民族の原理の相互関係の問題として考え られる。この点を次にみよう。 2.国家の原理と民族の原理 現実の諸国家においては,この二つの原理の 関係は驚くほどに様々である。デューイは第一 次大戦期のドイツ,イギリス,アメリカの例を りとりあげてそれぞれ次のように語っている。 ドイツ帝国では,「ナショナリズムが崇拝つ まり宗教である」と言われるほどまでに国家の 原理が伸張され,民族の原理を圧倒している事 態がみられる。「文化的民族の時代は過ぎ去っ た」と考えられ,したがって「民族の同質性」 が強調されている。具体的には,国家の中核で あるドイツ民族の優越と,他方でポーランド人 のような少数民族に対する抑圧およびそれへの 反発や抵抗が生じているのである。ここでは国 家の原理と民族の原理が衝突していると言える。 次に,イギリスはどうか。トルコの支配から のギリシャや他の諸民族の解放を支持したこと からみれば,イギリスでは民族の原理が尊重さ れているようにも見えた。しかし,大英帝国の 内実を見れば,そうとも言えない。すなわち, そこには「諸民族の最大の異質性」が存在して いるのであって,具体的には,例えば,国家の 原理とアイルランドの民族の原理の軋櫟が抱え こまれている。ここでもまた二つの原理の対立 と攻めぎあいがみられるというわけである。 ところが,デューイによれば,アメリカにな ると,状況が∼変ずる。つまり,国家の原理と 民族の原理は対立を見せていない,その結果, 出身地であるヨーロッパにおいては反目し対立 し合っている諸民族がアメリカでは礼譲と友好 をもって共存している,と言うのである。かか るデューイの見方がアメリカの現実をはたして 正確に捉えているのかどうかについて検討の余 地がある。例えば,彼の視線はもっぱらヨーロッ パ系移民に注がれ,先住民としてのインディア ンや奴隷として連れてこられた黒人のことは正 当に視野に入っていない,と思われるからであ ユ う る。だが,ここではその検討は控えて,二つの 原理の相互関係についてのドイツやイギリスと の類型的比較とアメリカの例外性の指摘に注目 したい。 9) Dewey [1917] ,p.285. 10) lbid.,p.286. 11) lbid.,p.287. 12)Glazer,p.130, Rose,p.193.なお、デューイ が黒人問題をまったく無視していたわけではなかっ たことについては、Dewθy[1909]。
なぜ,アメリカでは,国家の原理と民族の原 理の対立が見られないのか。デューイによれば, その理由は明確である。つまり,それは,アメ リカが,憲法上,「民族の原理が政治的支えを 持たない唯一の国民国家」である,言い換えれ ば,「市民権(citizθnship)と民族(nationality) が無関係である」,ということだからである。 これは,教会が国家から分離されるのと同じよ うに,言語や文化的伝統を持つ民族が国家ない ユむし政治から完全に分離されることを意味する。 逆に言えば,このことは,アメリカにおける国 民統合が民族的なものによってではなくて,市 民権というきわめてアソシエーショナルな原理 によって基礎づけられるのだということである。 アメリカでは,市民権を獲得することによって, 誰でもアメリカ人になれるというわけである。 ウァルツァー流に言えば,「政治が民族にした ユのがう」のではなくて,「民族が政治にしたがう」 ということであろう。それゆえ,アメリカでは, 民族的文化は「政治的というよりむしろ社会的 な関心,国家的というよりもむしろ人間的な関 心」になる。要するに,国家の原理は民族の原 理に干渉しない,したがって,国家に含まれる 「諸民族の権利」が保障され,「民族の文化的自 律」が可能となっているということである。こ れは,後述する文化的多元論の考え方である。 さて,ドイツ,イギリス,アメリカの各状況 の比較を述べた後で,デューイは民族問題への 対応の方向の一般的ないし原理的な考察を示し ている。そこで彼は二つのことをあげている。 まず第一の方向として,次のように述べる。 「ひとつの原理が明確なように思われる,一 すなわち,もし永続的な平和が存在すべきで あるならば,各民族の文化的な権利や特権の 承認,それ自体の言語やそれ自体の文学やそ れ自体の理想への権利,その道徳的精神的世 界観その完全な宗教的自由などの承認,そ 13) Dewey [1917] ,p.287, Dewey [1918] ,p.71. 14)Walzer[1980],p.782.783.今田。 して全体的な社会の統一の維持と矛盾しいよ うな政治的自治の承認が存在しなければなら ないということである」。 これは,言うまでもなく,国家の内部に存在す る諸民族に対してその権利と一定の自治を承認 することによって,国家の原理と民族の原理の 衝突を回避する形で,民族問題への対応を考え ようとするものである。デューイにとって,こ の方向は,アメリカにおける諸民族の共存のあ り方が示唆を与えてくれるものであった。した がって,彼はアメリカ国家が採用している「市 民権からの民族の完全な分離」と「連邦制」が, 世界平和の理念に貢献すべき「アメリカの二つ の偉大な積極的な達成」だと言うのである。こ の方向では,帝国内での少数民族の,政治的自 ユの治と連邦的再編が構想されるであろう。 次に第二の方向として,民族が「領土を与え られた政治的単位」になる,つまり国家として 独立する,という場合が考察される。第一次大 戦期には,民族自決の原則の下で,この動きは 大いに刺激されていた。しかし,デューイはこ の方向を無条件的に支持していたわけではなかっ た。「政治的側面では,人種的また文化的民族 の原理が将来の安定した政治的組織の基礎にな ユのりうるとは理解できない」からである。この理 由は国家や民族の境界を超えてすすむ経済の相 互依存の拡大による国家主権への制約という事 態の出現である。だから,国家の安定的な存立 は民族的基礎よりもむしろ経済的にいかに自立 しうる立場にあるかにかかっているということ になる。かかる観点からすれば,「現在の我々 の体制の下では,小さい経済の単位はお互いに 依存しあっているのであるから,それらにとっ て主権は実現見込みのないフィクションである」 と言わざるをえないであろう。 15) Dewey [1917] ,p.288. 16)Dewey[1918],p.71.第一次大戦前後の時期 の東欧における「連邦による多民族地域再編の試 み」について、有賀,pp.218.230. 17) Dewey [1917] ,p.289.
ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一21一 かくして,デューイの第二の方向の条件が次 のように提示される。 「もし世界の平和がもたらされるべきである とすれば,民族の文化的自律のための方策と ならんで,経済的相互依存のための方策が実 現されねばならない」。 すなわち,少数民族の政治的独立の権利が承認 されるとすれば,それは経済的な自立を支持す るような方策,例えば「原材料,食料,そして 世界の交易を担う陸路や海路へのアクセスのた めの方策」によって補完される必要があるとい うわけである。このような考え方は,第一次大 戦への参戦に際してアメリカのウィルソン大統 領によって出された「14力条」宣言における次 のような条文にも看て取ることができよう。 「第13条,ポーランド人のためには独立国家 が建設されねばならない。その国家には,明 らかにポーランド人が居住する地域が含まれ ねばならず,また,自由にして確実なる海へ の出口が保障されねばならない。その国家の 政治的経済的独立および領土保全は国際的協 ユ ラ 約によって保障されねばならない」。 以上の二つの方向をふまえて,デューイは民族 問題への対応策について次のように結論してい る。 「改善策は完全な主権の権利の主張を継続す ることによってではなくて,文化的な自立の 方策とともに自由な産業上のまた経済上の相 互依存のための組織的な方策において豪いだ されるであろう。我々が政治的ナショナリズ ムの原理にこれらの二つの原理を無視するこ とを許す限り,その限りで我々の国際関係は 不安定であるだろう」。 ここに示されているのは,民族問題における二 つの対応策のいずれが実現されるためにも,政 治的ナショナリズムの原理,つまり国家の原理 18) lbid.,p.290. 19)アメリカ学会,p.350. 20) Dewey [1917] ,p.290. が抑制されなければならないというデューイの 認識である。民族の原理の保障のためには国家 の原理の抑制が必要となるというわけである。 では,国家の原理とは何か,その揮制はどのよ うにして可能なのか。これが彼にとって重要な 問題となるはずであろう。この問題についての デューイの考え方は後に彼の政治的ナショナリ ズム論を検討する際に触れることにしたい。そ の前に,民族問題解決のひとつの理念として彼 が提示する匡1家における諸民族の文化的自律と 相互の平和的な共存とは一体いかなるありよう として考えられるのかということについて,デュー イの理解を見ておくことにしよう。換言すれば, それは多民族社会における国民統合のあり方と しての文化的多元論についての彼の考え方を検 討することである。 3.多民族社会と国民統合 周知のように,アメリカはヨーロッパからの 移住者達によって創出された国家であった。先 住民としてのインディアンはいたが,それはア メリカの国家形成にとって無関係であり,むし ろ当初は外国人の扱いを受けていた。したがっ て,建国の中核となるような土着の民族はいな かったのである。国家形成期のアメリカの民族 構成は多様であったが,その中で,イギリス= アングロ・サクソン系が多数派を占めていたと いう事実があった。その後,ヨーロッパ,特に 西欧や北欧からの移民(旧移民と呼ばれる)の 流入が続いたが,やがて19世紀後半から20世紀 初めにかけて,従来とは出身地域を異にする南 欧系や東欧系の移民(新移民と呼ばれる),お よび,アジア系の移民が増大することによって, アメリカ社会は世界の民族の縮図の観を呈する ようになった。かくして多民族社会アメリカの 国民統合をめぐる議論が展開されるようになっ たのである。そして,第一次世界大戦は,国際 的対立がアメリカ国内での民族間の亀裂をもた らすという事態を引き起こし,戦時下の緊張し た社会情勢のなかで新移民やアジア系の移民た
ちへの画一的同化の圧力が強まった。デューイ の考え方は,そのような圧力を排して,諸民族 の文化的自律と相互の共存のあり方を説くもの であった。 さて,アメリカにおける国民統合,換言すれ ば,諸民族の共存のあり方をめぐっては従来か ら三つのタイプの考え方があると理解されてき た。すなわち,「アングロ・コンフォーミティ 論 (Anglo−conformity)」,「増禍(ルッボ)論 (Melting−p・t)」,そして「文化的多元論(Cul− tural plurallsm)」であった。デューイはこれ らの説にコメントを付しながら自分の考え方を 提示している。以下において,それを手がかり にしながら彼の考え方の特徴を探っていくこと にしよう。 ①アングロ・コンフォーミティ論 この説は19世紀のアメリカで一一as有力であっ たが,その特徴は,移民が祖先から受け継いだ 文化を完全に放棄して,アングロ・サクソン系 という中核的集団の行動様式や価値を受け入れ ることを要求するということである。デューイ の理解もほぼこれと同じと言ってよく,次のよ うに語っている。 「たとえそれがアメリカに早く植民したとし ても,あるいは母国で有能であったことが明 らかだとしても,あるひとつの人種や文化が 他の人種や文化が順応(conform)すべきパ ターンを提:供すると考えることは,アメリカ のナショナリズムを裏切ることである」。 デューイはアングロ・コンフォーミテイ論がア メリカにおける国民統合の本来的あり方に反す るものだと言っているが,それはなぜであるの か。問題は,この説がヨーロッパ諸国において
と同様に,「同質的なもの(homogeneous
thing)」を基礎にして統合のあり方を考えよう としていることにある。したがって,異質的な 諸民族の文化の存在が認められず,故国から持 ち込んだ文化は捨て去るべきであるとする考え 方が生じるのである。デューイが考える統合の 本来的なあり方はそのようなものではない。そ れは諸民族の文化的自律を前提にした相互の共 存である。彼はこの点を次のように語っている。 「アメリカにおける統合(unity)は各人種 や民族が貢献すべく提供しうる最良のもの, 最も特徴的なものを引き出し,調和的な全体 の中へ編成することによって創出されるもの でなければならない」。 しかし,国民統合の基礎に同一性の原理を想定 する限り,それが異質なるものの排除を伴うこ とになるのは避け難いであろう。かくして,ア ングロ・コンフォーミティ論は,「移民のもた らす民族的伝統の価値を否定し,移民とその子 孫が故国の伝統を捨てて,主流をなすワスプ的 文化に同化すべしという主張に転化していき, 外国系のものを排撃しようとする運動を支えた」 うと指摘されるのである。②増画論
アメリカが様々な人種や民族が溶けて混じり あっている表裏のようだという考え方は古くか らあったが,この比喩が広く用いられるように なるのは,20世紀になってから,特に,イギリ ス系ユダヤ人作家イスラエル・ザングウイルの 戯曲『増禍』(1908年初演)が出てからと言われ ている。この説は「アングロ・サクソン民族と 他の移民集団が生物学的に溶け合い,それぞれ の文化を新しいアメリカ固有の文化へと融合す ユのる」というヴィジョンを描き出す。 デューイによれば,:珍鳥論は「アメリカにお ける,地理的,人種的,文化的なあらゆる要素 が同一のるつぼに入れられて,均質的で不変の 生成物へと変換されるべきであると主張する」 21) Gordon [1964] ,p.85. 22) Dewey [1916] ,p.204−205. 23) lbid. 24)野村,p.114. 25) Gordon [1964] ,p.85.ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和〉 一23一 考え方であり,「常に苦痛を与え」,「嫌悪をも よおす」ものだと言われる。なぜならば,それ は「アメリカの国民生活に差異をもたらすよう な文化的特質の多様化の要素を尊重」しないか の らである。要するに,アングロ・コンフォーミ ティ論と同じく増禍論もまた国民統合が「均質 的で不変の生成物」という同一性の原理に基づ いて考えられているというわけである。だとす れば,諸民族の文化的自律に基づく相互共存と いう統合の本来的あり方を否定するものと言わ ねばならないであろう。次のような指摘はデュー イの苦痛と嫌悪の理由をよく示しているように 思われる。 「ルッボ論は,新来者がアメリカに急速に同 化し,諸民族集団の諸特徴が急速に消滅する ことを期待するものでもあった。移民やその 子供たちに向かって,溶けろ,溶けうと迫る 理論にもなったのである」。 かくして,アングロ・コンフォーミティ論と堆 禍論はともに「移民集団の民族集団としてのア イデンティティの消滅」を含意し,諸民族の文 化的自律を否定するが故に,デューイはそれら を排したのである。
③文化的多元論
この説は,アングロ・コンフォーミティ論や 土甘禍論と異なって,諸民族の多様な文化や伝統 を尊重しようとするものであり,デューイの知 人である哲学者のホーレス・カレンがその代表 的な論者であると言われている。確かに,カレ ンの考え方は諸民族の文化的自律に基づく相互 共存というデューイの考えにきわめて近い。し かし,両者にはある点で決定的な違いが存在し ている。その点は別霜で検討することにするが, そのためにもここでまずカレンの考え方の要点 を紹介しておこう。 1915年にカレンは「デモクラシーと増禍」と 題する有名な論文を発表した。その中で彼は, デューイと同じように,アングロ・コンフオー ミティ論や増禍論を批判して文化的多元論の考 えを提示しているが,その根拠として彼はスイ スの事例を参照して次のように説いている。ス イスは,ドイツ,イタリア,フランスの三民族 によって構成されているにもかかわらず,「世 界でデモクラシーが最もうまくいき,個性を保 存し,奨励している」国家である。その理由と して,スイスでは,「人間性の不変のデータか らの一般化としての「自然的権利」が作用して いる」という事実があげられる。そしてその自 然的権利の基礎にあるのは,「入間の生におい て譲渡できないもの」,すなわち,「その固有な ポジティヴな特質一その心理的身体的遺産」だ というのである。カレンは更に次のように言う。 「人は・…・その祖父を変えることができな い。ユダヤ人やポーランド人やアングロ・サ クソン人が,ユダヤ人やポーランド人やアン グロ・サクソン人であることをやめるために は,生きていることをやめなければならない。 彼らにおいて譲渡することができず,またそ の実現のために「譲渡することのできない」 自由を必要とする個性(sθlfhood)は祖先 によって決定されている,そして彼らが追求 する幸福は祖先によって与えられたものの中 にその形式が含まれているのである」。 カレンが強調しているのは諸民族の個性は不変 であり,譲渡できないものだということである。 だから,その消滅を考えるアングロ・コンフォー ミティ論や増禍論は誤りだということになるわ けである。そして,カレンは有名なオーケスト ラの比喩を用いて文化的多元論の考え方を次の ように語っている。 「国家の共通語,その偉大な政治的伝統の言 語は,英語である,しかし,各民族はこの感 情的なおよび自発的な生活をそれ自体の言語 で,それ自体の避けがたい美的および知的な 26) Dewey [1917] ,p.289. 27)野村,p.115−116. 28) Kallen [1915] ,p.220.形式で表現する。国家の共同生活は政治的経 済的であり,各民族(natio)の独特の個性 の実現のための基礎や背景として役に立つ。 かくして, 「アメリカ文明」 は,ヨーロッ パの屑,汚れ,悲嘆が除去された形での 「ヨーロッパ文明」 の協力的調和の完成を意 味することになるであろう。一それは統一の 中の多様性,人類のオーケストラである。オー ケストラでは,あらゆるタイプの楽器がその 特質と形態に基づいたそれぞれの音色や調べ を持っているように,またあらゆる楽器には 交響曲全体のなかでそれにふさわしいテーマ とメロディがあるように,社会においては, 各エスニック集団が自然の楽器であり,その 精神と文化がそのテーマとメロディである, そしてそれらすべての協和音(harmony) と不協和音(dissonances and discords)が 文明の交響楽を作るのである」。 では,デューイの考え方はどうであろうか。彼 にとって,アメリカの国民統合は各民族が貢献 しうる最良のものを引き出し,調和的な全体の 中に編成することによって作り出されるもので あった。そして彼は各民族が「巨大な交響曲の ひとつの調べ(note)を提供する」と述べて, カレンの比喩を受け入れている。「変化は人生 の薬味であり,社会の諸制度の豊かさと魅力は 分散した諸単位の間での文化的多様性に依存し ている」。多様性は各自が単に並存していると いうだけではなくて,相互のやり取り(give and take)を通じての貢献(contribution)が なければならない。デューイはこのことを次の ように語っている。 「多くの種類の独立し活気に満ちた生活があ るところでは,文化の相互交換,やり取りの ために民族が提供される。もしこのことが集 団間のフレクシブルで容易なやり取りを妨げ ない形で行われるならば,それは各集団の文 化的創造性を刺激するであろう。かくして, 将来にわたって持続していくあらゆる国家に おいて,我々は他の民族や集団の福祉に危険 にならないようなところまではそれ自体の独 自の個性を陶冶する機会を各民族のために保 ヨリ 障しなければならない」。 以上に見てきたことから,民族の文化的自律に 基づく相互的共存というデューイ的な国民統合 の理念はカレンの文化的多元論の考え方と重な り合うことは明らかであろう。彼らは同一性の 原理に基づいた国民統合の考え方を否定し,民 族文化の多様な存在を前提にした統合を考えよ うとしたと言ってよい。しかし,カレンの考え 方にに対するデューイの支持は無条件的なもの ではなかった。そこに両者の違いが見いだされ るが,その違いの意味を探っていく時,デュー イ哲学の基本的な特徴が示されてくることにな ると思われる。この点については別霜であらた めて検討することにしたいが,ここではさしあ たってデューイがカレンのどこに違和感を持っ たのかを見ておこう。 デューイはカレンの論文が出て聞もなくの 1915年3月31日にカレンに送った手紙のなかで 次のように言っている。 「私はこの国がアメリカ的であることを見た いと思います,それはイギリス的な伝統が他 の伝統と並ぶ旋律にまで縮小することを意味 しています。・・…私はあなたのオーケスト うという考えにまったく同意いたしますが, しかしそれは交響曲をほんとうに実現すると いうことであって,多くのバラバラな楽器が 同時に演奏するということではないという条 件の下においてです。私は増塙の比喩を決し て好みません,しかし,お互いに アンダ ロ・サクソン的なものにではなくて 真に 同化し合うということはアメリカにとって不 可欠であるように思えます。各文化的集団が その独自の文学的また芸術的な伝統を維持す 29) lbid. 30) Dewey [1916] ,p.205. 31) Dewey [1917] ,p.289.
ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一25一 べきであるということは最も望ましいことだ と思いますが,しかし,それも各集団が他の 集団に対して貢献しうる多くのものを持って いるだろうということのためです。あなたの 考えの中にこのこと以上のことがあるとは思 えません,しかし,そこには地理的なまたは それ以外での分離という意味が含まれている ようにも見えます。疑いもなく存在している 分離という事態を認めなければならないとい うことは必要です,しかし,それは我々がそ のことに縛りつけられないようにするためな のです」。 この引用が示しているように,デューイはカレ ンの文化的多元論の主張の中に含まれていた 「不協和音」という比喩の意味の理解に関心を 持っていた。もしそれが分離の意味を含むもの として理解されるのであれば,彼はそれに反対 する。各文化が分離され,その過去に寄食し, そして自ら接触を絶ち,他の文化が提供してく れるものの受容を拒否するということは「危険 なこと」だからである。デューイはカレンの主 張にはそのようなことへの視点が弱いのではな いかと心配したのである。だとすれば,同じよ うに民族の文化の多様性を認めながらも,多様 性が孕む分離の方向への危険性についての関心 の違いが両者に見られると言ってよいでろう。 これはやがて,個性,つまり個のアイデンティ ティなるものについての考え方の違いと結びつ いてくると思われるが,その点については別辞 ヨ であらためて検討することにしたい。 以上において,諸民族の文化的自律に基づく 共存という形でのデューイ的な国民統合の理念 が文化的多元論の考え方を表現することが明ら かになったと思われる。それが持ちうる意義に ついても別稿で検討するつもりであるが,とり あえずここで指摘しておきたいことは,それは 国民国家の統合を民族ないしその文化の同質性 といった同一性の原理で基礎づけようとする従 来の常識的な考え方を解体する方向を含むもの であったということである。 ところで,カレンに代表される文化的多元論 に対しては,それが「政治的統一と文化的多様 性の間の究極的に望ましい関係についての十分 に満足のいく説明」を作り出していないという 指摘がなされている。つまり,文化的多元論の ヴィジョンを実現する過程についての理論的検: 討がほとんどなされていないと言うのである。 これはおそらく現実の社会過程における国家と 民族集団の関係を問うことになるであろう。ア メリカにおいては,国家ないし政治が民族と切 り離されていると言っても,多様性に基づく統 一という国民統合のヴィジョンの実現は具体的 な政策に媒介されざるをえなくなるからである。 デューイはこの点をどのように考えていたので あろうか。彼もそれをまとまった形で論じてい るとは言えない。しかし,彼はその国民統合の 理念が実現されるためには,政治的国家の原理 の抑制が必要であると考えていた。したがって, 民族問題への対応には国民国家のあり方自体の 再検討が要請されていたのである。更に,彼は アメリカにおける人種問題とそれへの対応につ いての一定の考察を試みている。そこで,次に, デューイのナショナリズム理解と人種問題につ いての考え方を検討しながら,彼の文化的多元 論の理念が国家ないし政治とふれあう局面を探っ てみることにしよう。 32)Eisele,p.151,Westbrook,pp.213−214から再引 用。 331y Dewey [1916] ,p.205. 34) Dewey [1940],pp.110−112, Kallen [1959], pp.313−314. Wissot,pp.192−195. Lissak, pp. 173−175. 35)関根[1996],p.41. 36) Walzer [1980] ,p,784.
皿 ナショナリズムと人種間題
1.ナショナリズムの意義 一般に,ナショナリズムは「あるネーション の統一,独立,発展を志向し押し進めるイデオ ロギーおよび運動」というような定義を与えら れるが,デューイもまたほぼ同様の理解を示し ている。つまり,独立の主権的な国民国家と結 合する民族のあり方を示すものとして,換言す れば,文化的民族が政治的民族へ移行し,国民 国家の形成,発展を遂げるプロセスとして理解 されるのである。ナショナリズムはその現実的 な効果として二つの側面を持っている。すなわ ち,良い面と悪い面の二つの意義を合わせ持っ ているのである。抑制されるべき国家の原理が ナショナリズムの否定的な側面にかかわってい ることは言うまでもない。 ナショナリズムの良い側面は「その起源」に かかわって次の三点で考えることができる。 第一に,ナショナリズムが「偏狭な地方主義 (parochialism)」を克服し,国民国家を創出す るという形で政治的な統治や統一の単位を拡大 したということである。デューイによれば,人々 が国家に関心を示すようになることは,教区や 村落共同体に縛りつけられることよりも「良い こと」であった。ナショナリズムは人,もの, 情報の流通圏を拡大したのである。 第二に,ナショナリズムはデモクラシーと結 びつくことによって,人々の政治への参加と公 共的精神を生みだした。ナショナリズムの形成 は「人格的な絶対主義や王朝支配」から国民国 家への民衆の忠誠対象の転位を伴っていた。そ れによって,「自分たち自身の国家の統治への 参加」と,全体ないし公共のものについての意 識を生み出したのである。「国家への精神(na一 もional spirit)が発展しないところでは,公共 的な精神(public spirit)も実際に存在しない」 というわけである。 第三に,ナショナリズムは「外からの帝国的 支配に対する抑圧された民族の反抗」として出 現した。それは外国のくびきから解放され,対 外的な独立を達成するというポジティヴな意味 を持っていたのである。デューイによれば,こ のことが「ナショナリズムを生み出す最も有力 な起動力のひとつ」なのであった。 デューイは以上に見たように,国内統一,民 主化,対外的独立の三点においてナショナリズ ムのポジティヴな意義を指摘するのであるが, 他方で,それはネガティヴな側面を伴っていた, と言う。つまり,ナショナリズムは外に対する 「攻撃的で,猜疑心に満ち,嫉妬深く,恐怖に 駆られ,鋭く敵対的な国家の精神」を生み出す というのである。しかも重要なことは,ナショ ナリズムが良い面を持っているが故に,その悪 い面をも生み出しうるのだということを,した がってそのポジがネガに移行する機制を十分に 理解することである。そして,彼は,「ナショ ナリズムは大衆の宗教に,おそらく現代の最も 有力な宗教になった」というヘイズ(Hayes, C) の指摘を受け入れて,ナショナリズムの持つ宗 教的な特徴の中に,その肯定面から否定面への 移行の秘密を探ろうとする。 ナショナリズムの肯定的側面に基づいて,多 くの市民にとって,国家は「積極的に価値ある もの」とみなされる。だから,「ナショナリズ ムは,性質において宗教的と言いうるほどに最 高の,疑問の余地のない忠誠感情として出発し, 生活全体に浸透する」。そして,制度的宗教が そうであるのと同じく,ナショナリズムも,単 に個人の感情にかかわるだけでなく,「組織さ れた行動様式と信条や観念の正当化の全体的体 系」を持つことになる。これらによって,「国 家的」と称されるあらゆる行為が批判や探求か ら守られる。例えば,「絶え間ない繰り返し, 異端者への侮辱や反対者への脅迫,忠実巌持 37)丸山,p.274. 38) Dewey [1927] ,p.152. 39) lbid.,p.153. Dewey [1819w1920] ,p.158ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一27一 者への賛美,教育やプロパガンダ」などによっ て,人々は防御のためのスローガン的言葉を吹 き込まれ,思考を麻痺させられる。これは「理 性の完全な放棄」を意味し,その結果,「偏向, 偏見,盲目的なルーティン的な習慣の支配」が 出現する。しかもこの支配はナショナリズムの 肯定的側面から由来する「理想主義的な基準や 高貴な感情の装いのもとで」行われる。ナショ ナリズムの悪い面がよい面から現れるとはこう いうことなのであった。このようなナショナリ ズムのアンビヴァレントな性格とそれを支える 精神的機制に注意を促した上で,更に,デュー イはその四つの要素を検討する。 ヰの まず,愛国心について。この言葉も相反する 二つの意味を持って使用される。ポジティヴな 面では,「狭く,利己的な関心に対立するもの としての公共的精神」を意味している。換言す れば,「自分が属する共同社会の善なるものに 対する強烈な忠誠心」と言ってよい。しかし, 先に見たナショナリズムの精神構造の歪みによっ て,愛国心における公共的精神の特徴は「あら ゆる他の国家に対する狭量な無視」へと変質す る。その時,愛国心は「自己の本質的な優i秀性 なるものへの忌まわしいほどの確信」へと堕落 してしまう。他の国家は,それが他者だという 事実だけで猜疑の的となり,現実のではないに せよ,潜在的な敵となるのである。堕落した愛 国心が帯びる「あらゆる排他性はその領域を超 えるすべてのものへの潜在的な侮蔑である」。 しかも,この排他性は,外国自体にだけでなく, 自国の制度に対してわずかでも批判的な態度を を示そうとする自国に住む外国人にも向けられ る。デューイによれば,本来,公共的精神とし てあるはずの愛国心がこのように歪められ,悪 用される責任はナショナリズムにあるのであり, それが非難されるべき第一のことである。抑制 されるべき国家の原理の現れがまずここに見い だされると言えよう。 ラ 次に,国家的名誉について。デューイはこれ と次の国家的利益の検討を通じて国家の擬制性 を暴露しようとする。ナショナリズムの精神構 造を支配する思慮分別のない情動の特徴はもの ごとをまとめて大づかみにすることによって 「熱情の中でしか存在しない統一体」を作り出 すことである。国家とはそのたぐいのものであっ て,デューイによれば,「抽象物(abstraction)」 であり,「擬制(fiction)」である。ただし,一 定の領土において人々が共有する伝統や物の見 方を持つ持続的な歴史的共同体という意味でな ら,国家は実在すると言える。しかし,大多数 の人々が無条件の忠誠を捧げるというような国 家なるものは「神話」であり,「情動や幻想」 の中でしか存在しない。国家的名誉の観念もそ のようなものである。個人なら,侮辱された場 合,自分の名誉にかかわっている,と感じるこ とがあるであろう。しかし,国家的名誉なるも のは,「民族的領土国家を人格に祭り上げ,死 と破壊を犠牲にしてまでも守り,復讐すべき敏 感で短気な名誉をそれに持たせる」という非合 理的な精神の働きに基づいており,アニミズム と同じ性質のものだ,とデューイは言う。にも かかわらず,かかるフィクションとしての国家 的名誉を守るという理由で諸国家は戦争を行う こともあるのである。 更に,国家的利益について。市民が流行病や 不必要な伝染病から保護されるべきこと,また 合理的な程度の経済的安楽や自立を享受するこ と,そして,犯罪や外国の侵略から防衛される こと,などは国家的利益になると言ってよい。 しかし,ナショナリズムはそれらとは異なる 「純粋に擬制的な国家的利益の観念」を作り出 した。例えば,外国(それも大国ではなくて, 植民地ないし半植民地国)にある自国の私的な 市民と企業の財産上の権利や利益を必要であれ ば国家の軍隊を使ってまで保護すべき国家的利 40) lbid.,p.154. 41) lbid.,p.155. 42) lbid.
益としてみなすということである。だからまた, かかる国家的利益なるものの確保という目的で, 国家は戦争を行うこともあるわけである。 が 最後に,国家主権について。「ナショナリズ ムの極致が国家主権の観念である」とデューイ は言う。この観念こそは国家の原理を最もよく 体現するというわけである。歴史的にみれば, 主権とは絶対君主の持つ「最高権力」を意味し, したがって,「もともと厳密には個人的なある いは王朝的なもの」であった。ところが,近代 の領土国家の興隆にともなって,「主権の観念 や属性が支配者から国家と呼ばれる政治的に組 織化された集合体に移転された」。その過程で, 「絶対的で責任を問われることのない個人の権 力」としてあった主権の観念とそれに伏在して いたあらゆる害悪もまた受け継がれ,その新し い形を帯びるることになったのである。 国家主権の教義は,「政治的国家による法的 あるいは道義的責任の拒否」,あるいは,「他国 との関係で欲することをいつでもなしうる政治 的国家の無制限で疑うべからざる権利の直接的 な主張」を意味する。だから,この教義が世界 の諸国家に適用されれば,その論理的帰結とし て国際的無秩序が生じる,とデューイは言う。 まさに,「力が権利を作る」という状況である。 というのも,諸国家は,国家主権の観念に基づ いて,国家間に生じた重大な紛争の最終的裁決 をもたらす手段として戦争に訴えることができ るからである。その際,国家的名誉や国家的利 益といった擬制的な観念が動員され,愛国心と の同一化を通じて戦争の賛美が行われるように なる。 このようにしてあらゆる国家は国家主権の観 念を発展させ,それに基づいて行動しようとす るのである。もちろん国家なるものが自ら行動 するわけではない。「外交官や政治家集団」が 国家をそのように動かしている。だから,デュー イは,国家主権の発現としての国家の行動を抑 制するために,「国家主権が何を必要とするの かについての判定者」として「国家を構成する 市民たち」の役割を強調するのである。ここに, 国家を指導者と一般市民とに論理的に解体する ことによって,国家の擬i制性の克服を一般市民 の側に期待しようとするデューイのひとつの立 場が窺われるように思われる。 デューイによれば,国民国家は愛国主義,国 家的名誉,国家的利益,国家主権という四つの 礎石の上に構築される。つまり,それらは国家 の原理の四つの要素だと言ってもよいであろう。 その結果,この国民国家という「ビルディング の窓は天国の光に閉ざされている,そこに住ん でいるのは恐怖,嫉妬,疑惑である,そしてその 表玄関から戦争が規則的に出現する」,とデュー ゆイは言う。これがナショナリズムをネガティヴ な側面からみた場合の帰結である。それは民族 問題への対応のために抑制されるべきだと彼が 考えた国家の原理の現れにほかならなかったの である。では,それを抑制するために,デュー イはどのようなことを考えるのであろうか。彼 は様々な側面でそれを考えていると思われるが, ここでは大きく言って次の二点を指摘しておき たい。 一つは,国民国家の持つ擬制的性格の暴露と その解体の方向である。これは,国民国家が一 文化,一言語,一民族によって成立するべきで あるとするような同一性の原理に基づく国民統 合のあり方を考える従来の立場への批判として 現れる。彼の文化的多元論はそのことを意味し うていたと理解できるであろう。あるいはまた, 国家を指導者と一般市民とにわけて考えるとい う視点も国家的名誉や国家的利益といった観念 のフィクション性を批判する手がかりとなるで あろう。 二つ目は,国民国家の本質的属性とみなされ る国家主権の解体の方向である。具体的には, 第一次大戦期の経験一アメリカの参戦への支持 43) lbid., p. 156. 44) lbid.,p.i57.
ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一29一 とパリ講和会議への幻滅一をふまえて行われた 1920年代以降の戦争違法化の思想と運動への取 うり組みとして示されるものである。デューイの 戦争違法化の思想は国家主権の基本的内容と目 される戦争を行う権利を国家に放棄させること によって国家主権を解体する方向を含むと言っ てよい。 これらについての立ち入った検討は後に行う ことにし,次に,アメリカにおけるナショナリ ズムの特徴についてのデューイの考え方を簡単 に見ておくことにしよう。 2、アメリカ・ナショナリズムの特徴 デューイの文化的多元論は諸民族の文化的自 立と共存という形でのアメリカにおける国民統 合のあり方を考えるものであった。かかる考え 方の背景となったのは,アメリカにおけるナショ ナリズムについての次のような認識であった。 「アメリカの国民はそれ自体複合的で,混合 的である。厳密に言えば,多人種的(inter− racial)であり,多民族的(inter−nationa1) である。それは異なる言語を話し,多様な伝 統を受け継ぎ,異なる生活の理想をはぐくむ 多数の人々から成っている。この事実こそ他 の国民のそれとは異なるものとしての我々の ナショナリズムにとって基本的なものであ るの る」。 アメリカの歴史を少しでも振り返ってみれば, 45)Feinberg(p.495)はアングロ・コンフォーミ ティ論に,Gordon[1964]は増感論にデューイ を引きつけて理解している(p.140)が,筆者は それらを採らない。また,Itzkoffは,文化的多 元論の失敗がデューイ哲学における「統一と多元 主義という相反する観念への潜在的なアンビヴァ レンス」にあると述べているが(pp.59−63),私 見によれば,そのような理解はtransactlonalと いうデューイの基本的な方法の意義を看過してい ることの現れであるように思われる。この点につ いては別の機会に検討する所存である。 46)Curti,pp.1118.1119.ノ」・西[1983],小西[1986] 47) Dewey [1916] ,p.204. 国内における諸民族のすべてが,文化的多元論 が考えるように,相互に平等で正当な扱いを受 けるということではなかったことは明らかであ る。先に見た国民統合についてのアングロ・コ ンフォーミティ論の主張はそのことを示してい る。とすれば,上の引用が示すデューイの認識 は,アメリカ社会における文化的多元論のヴィ ジョンの実現を語るものではなくて,例えば, ゴードンの言う「構造的多元主義」の存在を把 握するものと言わねばならないであろう。 ゴードンによれば,構造的多元主義は宗教的 集団,人種的また準人種的諸集団,そして民族 諸集団といった「部分的諸社会(subsocieties) が構造的に分離した形で維持」されているとい うアメリカ社会の現実の事態を指し,それゆえ に,文化的多元論よりも「アメリカの状況に対 するより正確な言葉」であり,また罫アメリカ 社会のエスニックな構成を理解するための主要 な鍵」だとされる。彼は,構造的多元主義と文 化的多元論を区別した上で,そこから生じてく る重要な理論的問題として次のことを指摘して いる。つまり,「分離的な部分的諸社会の存在 が様々のエスニックな背景を持つ諸国人間の一 次的集団関係を最小に維持しようとしていると ころで,どのようにしたらエスニックな偏見や 差別が除去され,減らされることができるか」 が という問題である。これは,換言すれば,ウァ ルツァーが文化的多元論に投げかけたた理論的 課題,すなわち,「いかにして異なる諸集団が 単一の政治秩序において結合されるのか」とい ラ う問題に通じている。要するに,デューイが認 識する多民族的または多人種的構成というアメ リカ社会の現実をふまえて,いかにして文化的 多元論の描くような国民統合の理想を実現する のかということである。この問題を考える時, デューイは当然に人種的偏見や差別,あるいは 移民排斥といったアメリカ社会のなかで実際に 48) Gordon [1964] ,pp.158p159. 49) Walzer,p.784.
生じてきた問題群に直面したはずである。デュー イはそれらをどのように捉えようとしたのであ ろうか。 先にもふれたように,アメリカ建国以降の移 民の流入は19世紀の前半と後半以降ではその内 容が異なってきたと言われている。つまり,19 世紀前半は旧移民と呼ばれる西および北ヨーロッ パからの移民が多かったのに対して,19世紀後 半から20世紀初めにかけては,新移民と呼ばれ る南および東ヨーロッパからの移民とアジアか らの移民が増えたのである。このような状況の 変化を背景にして,デューイは,19世紀末から 20世紀初めにかけて,アメリカにおけるナショ ナリズムのあり方に変化が生じ,第一次大戦は それを象徴したと言う。第一次大戦以前におい て,アメリカはヨーロッパ諸国のようにナショ ナリズムの排他的・敵対的性格を示すことが少 なかった。その理由として,彼はヨーロッパか らのアメリカの地理的隔離とアメリカにおける 自然的フロンティアの存在という二つの条件を 指摘する。 まず,アメリカがヨーロッパから地理的に隔 離されていたことはヨーロッパ世界での列強諸 国間の対立的関係にアメリカが巻き込まれずに すんだ要因となり,したがってナショナリズム の排他的な側面の発現を免れてきたということ である。次に,広大なフロンティアとしての自 然=土地の存在は移民たちに対する「平等な機 会」を与えることを可能にした。そこでは, 「機会」をめぐる「人間相互間の闘い」よりも むしろ「自然に対する共同の闘い」こそが特徴 的な「社会的情景」であり,それ故に「相互尊 重,人間的な寛容と好意の諸徳」が培われた。 かくして,文化的多元論が想定する諸民族の共 存が実現される一定の条件があったと見られる わけである。 しかし,19世紀末から20世紀初めにかけて, そのような条件が消滅したのであり,第一次大 50) Dewey [1916] , pp.203, 206−207. 戦がそのことを示した,とデューイは言う。す なわち,「戦争の影響は地理的孤立の時代が終 わったこと,そしてまた,我々が諸階層,諸地 域をこえて国全体のための統合された社会的感 覚と政策を欠如していることを我々に意識させ たのである」。大戦への参戦をめぐる国内世論 の亀裂はこのことを反映するものであった。ア メリカにおけるナショナリズム,国民統合が危 機に直面したのであり,国内において,人種差 別,移民排斥の動きが高まってきた。1924年に は,恒久的な移民法が成立し,ヨーロッパ系移 民特に東欧と南欧からの移民は大幅に制限され, アジアからの移民は全面的に禁止されるに至っ た。アメリカ社会の現実の動きはデューイの文 化的多元論の理想から大きく離れて行ったので ある。彼はかかる状況の中で,1922年に「人種 的偏見と摩擦」という論文を発表している。こ れはアジア系移民の禁止の問題を念頭にして書 かれたもののようであるが,以下において,そ こでの議論を紹介しながら,人種欄題について の彼の考え方を検討してみよう。 3.人種問題へのデューイの考え方 ①見慣れぬものへの本能的嫌悪や恐怖による 偏見の発生52) 科学的にみれば,人種の観念はほぼフィクショ ンと言ってよい。なぜなら,「今日世界で有力 なあらゆる民族がたいへん混血している」から である。しかしながら,現実の現象のある全体 を示すものとしては,それは「実践的なリアリ ティ」を持っている,とデューイは言う。人種 的偏見は「根深くまた広くはびこった社会的病 弊」である。だから,それを無くそうとして, その道徳的罪悪性を非難し,人々を説得しよう としても大して役には立たない。問題はそれを 生み出す原因を除去しうるかどうかにかかって いる。しかし,それの原因を発見することすら 51) lbid. 52) Dewey [1922] , pp.243−246.
ジョン・デューイのナショナリズム論一多民族社会と国民国家一 (小西 中和) 一31一 きわめて困難な仕事である。そこで,デューイ は人種的偏見という現象をできるだけ客観的に 研究し,その主要な要素のいくつかを取り出そ うと努めている。 人種的偏見を理解しようとすれば,我々はま ず偏見という一般的事実の特徴に注意しなけれ ばならない。主知主義的な心理学では,偏見を 「ある種の判断,つまり,欠陥のある,性急な 判断」として説明することがあるがそれは間違 いである。偏見はたとえ部分的であれ判断など と言えるものではまったくない。偏見とは本能 や習慣の無意識的な作用に媒介されて,判断に 影響を与え,それを歪める「自然的な嫌悪の情」 である。 このような観点から人種的偏見を見れば,そ こに「新奇なまたは普通でないものへの人間の 本能的な嫌悪」が潜んでいることに気づくであ ろう。したがって,デューイは「見知らぬ人, 外国人,異邦人,部外者というような言葉は地 理的な書葉であるよりもむしろ心理的なもので ある」と言う。だからまた,「新来者が慣れず, なじめないのは,地理的な居住にだけではなく て,我々自身の思考,感覚,会話,観察,期待 の方法に対してだ」ということになる。こうし て,「見慣れぬものへの反感(おそらく動物の 生命体の自己防衛の傾向にその起源がある)が 今人種的偏見という形をとっている事柄の本源 的基礎である」と指摘されるのである。アメリ カにおける新たな移民に対する国民の態度には そのような現象がみられると,デューイは言う。 まず,アイルランドからの移民がより以前にア メリカにやってきていた人々からの反感の対象 になった。やがて,彼らがアメリカ社会に定着 し,相応の地位を確立するにつれて反感の対象 ではなくなった。それに代わって,その後に渡 来してきた東欧系や南欧系の新移民たちが,そ してアジアからの移民たちが「疑惑と恐怖」の 目でみられるようになったのである。そして際 だっているのは,「新渡来者に最も積極的に反 発するのが以前に敵対的感情の対象となった集 団だ」ということである。例えば,デューイに よれば,中国人移民の迫害の先頭に立ったのは アイルランド系アメリカ人なのであった。 言語,衣装,作法,習慣といった事柄におけ る見慣れぬものへの偏見はそれ自体だけでは通 常は徐々に消えてゆく可能性がある。人々がそ ういうものに慣れてゆけば,それはもはや見慣 れぬものではなくなるからである。したがって, 見慣れぬものへの反感が人種的偏見の基礎にあ るのは確かであるが,それが固定化され,更に 人種的な差別へと転化するには他の要因が作用 している,と考えられる。次に見る身体的特徴 や文化的差異がそれである。 ② 身体的特徴や文化的差異による偏見の固定 化 頑固な身体的特徴は徐々に消えるといったも のではなく,したがって,見慣れぬものである という事実を強め続ける。例えば,ユダヤ人に 特有の顔立ち,アフリカ系黒人やアジア系の人々 の皮膚の色といった身体上の事実はさもなけれ ば消えてゆく偏見が存続する中核的基礎として 作用するのである。その作用のあり方は次のよ うに捉えられる。人は通常他の人に不愉快な経 験を持つとしても,それを一般化したり拡張し たりしない。しかし,あるユダヤ人の個人に不 愉快な経験を持った場合,人はそれを個別的な ものにとどめようとしない。そこにはその経験 をその人に独自の特質一顔立ちなど一に結び つけるという無意識の傾向がある。この特質は ユダヤ人という種に共通であるから,不愉快さ の特質がその種にまで拡張され,一般化される。 かくして,あらゆるユダヤ人に対する偏見が形 成されるというわけである。このような捉え方 は些細な事柄一偶然的で非合理的な要因 を重要視しすぎているように思われるかもしれ ないが,「人間は本来的にあるいは基本的に非 合理的な生き物であり,一般化は何よりも無意 53) lbid.,pp.246−247.
識的で非合理的な事柄である」ことが想起され なければならない,とデューイは言う。皮膚の 色や顔立ちのごとき身体上の差異が大きな影響 力を振るうのもそのためなのである。 次に,文化的差異の内容としてデューイが示 すのは宗教や言語上の事柄である。これは身体 的差異に比べれば,「一定の知的な契機」を含 む要因である,と彼は言う。宗教的な信条と特 に儀礼や儀式における差異が身体上の著しい差 異と結びつく時,見慣れぬものや異なるものへ のもともとの偏見が強められ,固定化されるの である。宗教的差異は政治的な要因と結びつき やすいという特徴を持っている。 ③政治的要因による差別と摩擦への転化 一般に人種的と呼ばれていることは実際には 大体ナショナリスティックなことである。しか も19世紀以降ナショナリズムはもっぱら政治的 な事実として出現しているから,人種問題には 政治的要因の力が混じりあっている。デューイ によれば,それは二つの形をとって作用してい る。まず第一に,政治的支配という事実が優位 と劣位の観念を生み出し,そのことによって 「人種的偏見を人種的差別へと変化させる」。 次に二つ目の作用としては,「支配的政治集 団に対する支配の心理的影響」として「傲岸や 侮蔑」の態度が刺激される。その結果,「例え ば,黒人は,奴隷の状態にあることを自ら認め ているがゆえに本来的に隷従的な人々であるに 違いない,といった感情」が生じてくる。つま り,それが政治的に劣位な立場にあるがゆえに, もともと劣等なのだと思ってしまう,というの である。この意味では,「人種的偏見の現象の 多くは種としての女性に対する偏見とパラレル だ」と,デューイは言う。そして,政治的優位 者の侮蔑的態度は「おそらく従属的な人々がそ の政治的地位の示すほどにはほんとうは劣等で はないのではないかという不安な無意識の感情 によって普通は更に複雑にされている」。人種 的摩擦を激しくするのは「この潜在的恐怖」な のである。 こうして,政治的要因が「慣れないものへの 反感を明確な人種的摩擦へと転換する主たる責 任を負うもの」であることが明らかだと,デュー イは言う。更に,各国におけるナショナリズム が相互の対立にまで激しくなることによって, 事態が複雑にされる。すなわち,国家間の対立 が国内の人種間関係に反映して摩擦を激化させ るのである。日本移民排斥の動きにみられる反 日感情の背後には日米両国家間の関係の悪化が あったのであり,したがって,政治的ナショナ リズムの動向は「摩擦の新たな原因」を作り出 すことになるのである。 ④経済的要因による摩擦の激化 入種的摩擦における経済的要因はいくらか合 理的な契機を持っている,とデューイは言う。 他の本能的な要因と比べて「思考や計算の大き な契機」が含まれているという意味においてで ある。現代の移民は他国への移住によって生活 条件を向上させようという経済的理由に基づい ている。このことは移住国における労働者との 経済的競争をもたらし,彼らの反移民感情を増 大させることになる。この感情が政治的要因と 結びついて,移民制限を求める運動が生じてく るが,その運動の強さを支えているのは経済的 要因である。要するに,「皮膚の色,宗教,慣 習や作法,政治的忠誠などの差異に経済的な対 立の要因が付け加えられるとき,人種的摩擦は 先鋭化する」というわけである。そしてまた, このようにして生み出される摩擦が政治的目的 のために利用される。国内での選挙用に,ある いは国家間の軍事,外交上の取引材料として人 種的摩擦の問題が操作され,利用されることが 生じるのである。 以上見てきたように,人種問題は性格を異に 54) lbid., pp.248−249. 55) lbid., pp.250.