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欲望のエネルギー論 : Molecular Socio-energetics of Desire - or ATP (その2)(野中大輔講師追悼号)

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欲望のエネルギー論

Molecular Socio口energetics of Desire― or ATP. (その 2) 里 4.欲 望 と集合 行動 貨幣 の “エ ネル ギー論 的"分 析 に入 る準備段 階 として, まず社会 学 で く集合 行 動 collective behavlor〉と呼 ばれて い る分 野 につ いて論 じておか なければ な らない。本節 での議論 は,こ の く集合行 動 〉を把握 したの ち,前 節 で論 じた く欲 望 〉 との関係 で これ を捉 え直す こ とに もっぱ ら費や され る。貨幣 の生成や 貨幣 と貨幣 との結合 に関す る考 察 は,本 節 での知 見 を踏 まえた上 で,次 節以降に行 われ る。 集合 行動齢 とは 一 一 ― R.E.パ ー クの原構 想 集合行 動論 は,理 論社 会 学 で伝 統 的 に一定の地位 を占めて きた主要 ジャンル の ひ とつ で,大 雑把 には 「組織化 されていない,流 動的 な集団現象」 と規定 さ れ て い る。 またペ リー とピュー は,「一 般 的 な合 意の得 られた,そ の研究領域 の範 囲 を明 らか に し うるよ うな定義 が ない」 と断 りなが ら も,「人間の集 団 に お け る比較 的組織化 されていない社会 的相 互作 用 のパ ター ン」 と規定 している。 大 筋 にお いて,群 集 の不可解 な行 動や大衆運動 な どが この分 野 に含 まれ る。 ところで,理 論社会 学 において く集合行 動論 〉 とい う分 野が開拓 され た際の 意 図 は, も ともと “組 織化 され ざる無秩 序 な群 集"と “組織化 され た秩序 的 な 16)塩 原勉 『組織 と運動 の理論』新 曜社,1981年 ,75ペー ジ。 17)J.B.ペ リー,M.D.ピ ュー 『集合行動論』東京創元社,1983年 ,13ペー ジ。 並 日 石

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野 中大輔講師追悼号 (第307号 ) 社会"と を架橋 すべ く,低 次 の未 熟 な社会 形態 として “組織化 され ざる秩序 。 パ タン"た る集合行動 を位 置づ け,こ れが組織化 ・制度化 され高次化 していっ た先 に社 会秩 序 を位 置づ け る, と い うこ とであ った よ うに思 われ る (次図式)。 群 集 EED 集 合行動 ⇒ 社 会秩序 そ して とりわけ,そ れは社会 の変動期 を分析す る概念用具 として希求 された のだった。変動期 には,一 般 にまず社会 内に未熟な 。組織化 され ざるパ タンを 生 じ, これが洗練 され制度化 されつつ安定 な社会秩序へ と定着 してい く一一― とい う現象が広 く観察 され るか らである。 とすれば集合行動論は,本 論考 との 関係 でいえば,欲 望 の未分化 な巨大集合 (ドゥルー ズ=ガ タ リの く無器官体〉) が く社会機械〉 =く 分子機械〉 を分化 ・形成す るに至 るまでの,未 熟な段階 を 分析す る概念装置 として位置づ け うる。 見方 を変 えれば,こ れは,秩 序以前の く自然状 態〉 (無方 向=群 集)か らい かに して く社会秩序〉 (一定方向)が 自生す るか, とい うハ イエ ク風の問いで あ り,社 会学で 「ホッブズの秩序問題」 と称 されて きた問題関心に近 い もので ある。個 人主義的アプ ローチでは通常,ゲ ーム理論的ダイア ド・モデルを用い, 合理的プ レイヤー間の協力解 の成立 を論ず ることによって秩序の成立 を説明 し よ うとす るところだが,筆 者は個人主義アプ ローチを避けるため,こ ういった ダイア ド・モデルに代 えて く集合行動論〉に着 目したいのである。 強調 してお きたいのは,集 合行動 を,社 会の一時的な 「特殊事例 ・事件」お よびその分析用具 とい うよ り,社会秩序の基層部 を支 える「普遍的 メカニズム」 と位 置づ けよう, とい うことである。社会学的 く集合行動論〉の創始者,シ カ ゴ学派の R,E.パ ー クに とって,社 会学 とはそ もそ も 「集合行動の科学」 (the science of collective behavlor)であった。そ して 「社会 は秩序維持 と調整の

メカエズム としての く社会統制〉 と社会形成 と変動のプロセス としての く集合 行動〉 とい う二面性 をもつ ものであ る, と彼 〔パー ク〕はいう」。 これは,パ ー クに とって集合行動 とは,社 会 を支える普遍的メカニズム として構想されて

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欲望 のエネルギー論

いたことを示 している。

自己組織性 としての集合行動輪

話 はやや脇道にそれ るか もしれないが,こ こで指摘 してお きたいことがある。 それは, “collective behavior"な い し“collective phenomena" と い う言葉 は,実 は,社 会学 と物理学 とい うまった く異なる分野でまった く別々に用いら れ, しか も互いにその存在 にす ら気づかずに来た, とい う事実である。 このこ とは,近 年 まで,両 者が単に単語 レベルの偶然の一致 と見 られていたことによ る。だが近年の学問的展開は,両 者が偶然の一致ではな く,集 合現象への本質 的な着眼の一致 を見せ ていたことを証明 しつつある。 こうなると,社 会学者 も 物理学の知見に無関心ではい られない。 物理学 でい う“collective behavlor"一一一やや古い語であるが一―一 とは, 物質 ・エネルギーが単独でな く集合 して存在す る場合 に,そ れ らが複雑 な相互 作用 を及ぼ しあつて単独状態 とは異 な る協 同的挙動 を示 す現象 (cooperat市e phenomena)を いいす ほぼ今 日の く自己組織化〉 とい う言葉 に当た る概 念 な のである。 この 自己組織化理論が,70年 代以降プ リゴジン学派 (散逸構造論) やハーケ ンら (シナ ジェティクス)の 努力によって,あ るいは80年代以降の非 線形科学 ・複雑性の科学の進展 によって,長 足の進歩 をとげていることは周知 であろう。 そ してこの理論的視座が社会学に採 り入れ られ始めているわけであ 1 9 ) る。 一方,社 会学プロパーでいう “collective behavior"とは,人 間の行動や欲 望 が単独 でな く集合 して存在す る場合 に,単 独状態 とは異なる特異な集合効果 を示す現象だ と捉 え うる。ペ リー とピューに よれば,「それは集団の中で起 こ るので集合的な ものである。 それは人々の間の社会的相互作用 を伴 っているの で,一 つの過程 である。 またそれは,他 の人々 とは無関係に行動す る個人につ 18)塩 原,前 掲書,77ペ ー ジ。 19)今 日高俊 『自已組織性』創文社,1986年 。 黒石晋 『システム社会学』ハーベ ス ト社,1991年 。

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1 5 4 野 中大輔講師追悼号 (第307号) いての心理 学的命題 では充分 に説明で きないので,創 発 的 な ものであ る」。 これ を見 る限 り,物 理的集合行動論 と社会学的なそれ とで基本的問題関心に 大差のないことが理解 され よう。今 日の 自然諸科学においては,“collective be‐ havlor"が 「自己組織理論」 として新展開 を見せ, しか もそれが社会学固有の 思考 とパ ラレルになっている。 この事実は注 目すべ きことである。相互に知見 を交換 しうる状況 なのだ。 集合行動 と社会秩序 そ して さらに, ここが重要 なのだが,今 日の理論生物学の視角 によると,生 物の秩序 は,こ の物質 ・エネルギーの 自己組織性が遺伝情報 を媒介 とした選択 /洵 汰 によって制御 された ものであるとい う。米 ・ニュー メキシヨ州のサ ンタ =フ ェ研究所 で 「複雑性」研究 を主導す る中心人物のひ とり,S.A.カ ウフマ ンは,主 著 『秩序の起源―一進 化 におけ る自己組織化 と選択一一』 (1993)に おいて,生 命の起源 と進化にある基本 メカニズム を く自己組織化〉 と く選択〉 であるとみな しているが,こ れは上記の見解 を端的に示す ものである。

ここで,す でに触れた,パ ークによる ① 集合行動 と ② 社会統制 と い

う社会メカニズムの三分法を再度想起しよう。そして今述べた生物学パラダイ

ムの立場からパー クの所説を見ると,非 常に新鮮なものに見えて くるのだ。そ れは,① 自己組織化 =集 合行動 と いうエネルギーの層序が基層部にあって, それに対 して ② 情報による御l御 と いう情報の層序が,上 からこれを調節す る, という現代の理論生物学の基本認識 と完全にパラレルになっているからで ある。 このような観″点に立つならば,集 合行動 と社会秩序 とを,次 のように区分定 義することが適切だろう。 20)ペ リー, ピュー,前 掲書,14ペ ー ジ。 21)S.A.Kauffman,7功 夕θtttれSゲ 0%彦/デS冴/‐θ智ク%後αttοtt α″冴Sタル●″ο%物 Eフθ励冴θ物, Oxford Univ,Press,1993.

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欲望 の エ ネ ル ギー論

定義 :集合行動と社会秩序〕

集合行動 =情 報 によっていまだ制御 ・田整 され ぎる集団秩序 社会秩序 =情 報 によって制御 ・調整 された集団秩序 集合行動 とは,先 の定義では,「組織化 されていない,流 動的な集団現象」 と いうことであった。この 「組織化 されていない」 という条件 を,「情報によっ て制御 。調整されていない」 と明確化 したわけである。 こう位置づけることにより,塩 原勉の集合行動論,す なわち 「組織 と運動の 理論」は俄然,理 論社会学の一般的な下層部 として重要な意味を持ち,こ れに 対 して吉国民人の 「情報に制御 された自己組織的社会 システム論」が上層部 を なす, と考えることで互いに接続 しうる形 となる。そして両者の関係は次のよ うになる。

集合行動と社会秩序の関係〕

集合 行動 =エ ネル ギー論 の カテ ゴ リー 社会秩序 =エ ネルギ中輪 および情報論のカテ ゴリー もっとも,こ のような理論的定義はむしろたやすい。その定義に当てはまる 経験的社会事象を現実に指摘することの方が難 しいのである。そしてむろん, いかに難 しくとも,そ れがなされなければ経験科学 として成立すまい。これに ついては,以 下で,集 合行動 として くクレーズ〉 と くパニック〉の 2類 型のみ を現実に提案することとしたい。 なお拙稿では,こ こでいう集合行動 を く群集秩序〉 と呼び,〈群集秩序〉 と く社会秩序〉 という概念対を提起 している。 ともあれ,こ こで取 り上げるのは 前者 (集合行動論あるいは群集秩序)の 方である。 22)黒 石晋 「自巳組織理論 の現段 階」,吉 田民人 ・鈴木正仁編 『自己組織性 とはなにか』 ミ ネルヴ ァ書房,1995年 ,所 収。

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156 野 中大輔講師追悼号 (第307号) 集合 行動 の類型 さて,こ の よ うに考 え る とにわか に今 日的意義 を帯 び る集合行動論 であ るが, ここに分 類 され る社会 現象 には 多々 あ り,た とえば伝統 的 に もっ とも広 く受 け 入 れ られて い る N . ス メルサー の分 類 は,低 次 の集合行 動 か ら高次 の それへ 向 か って,次 の 5類 型 となってい る。

N.スメルサーの集合行動類型〕

①集合逃走,パ ニック (panic)

②願望表出行動,ク レーズ (craze)

①敵意表出行動 (hosjle Outburst)

④規範志向運動 (nOrm‐

o高ented movement)

①価値志向運動 (vttueoo高

ented movement)

わが国におけ る斯界の第一人者 ・塩原勉の類型 も,大 筋においてこの区分 を踏 襲 している。 そこでこれ らの意味す るところを,筆 者の解釈 を交えなが ら順 を 追 って簡単に見てお こう。 ①パ ニ ック (panic) スメルサー 自身によれば,パ ニ ックとは 「ヒステ リー的信念に もとづ く集合 的逃走」 (スメルサー前掲書,p.167)で ある。 例 :ラ ジオ ドラマ 「火星か らの優入」騒動。 1938年にアメ リカで放送 されたオー ソン ・ウェルズ演出のラジオ ドラマ 「火星 か らの侵入」は,宇 宙人の襲来 を生々 しい実況の形式で脚色 した番組だったが, これが本物のニュー ス と受け止め られ多 くの人々が避難す る騒動 を生 じた。集 合行動論 の研究史に名 を残す キャン トリルの報告 ・分析 で知 られ るこの事件で は,そ の過程 で人々に不可思議 な集団心理が多発 し,奇 怪な煙霧が近づ いて く 23)ニ ー ル ・ス メルサー 『集合行動 の理論』誠信書房,1973年 。

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欲望のエネルギー論 157

る類の幻党に囚われた者さえあったという。これについては,以 下② と同時に

論ずる。

② ク レーズ (craze) スメルサーによれば, これは 「積極的な願望充足の信念に もとづ く行為への 動員」 と規定 され る。塩原勉 は, この範鳴に相 当す るわが国の史実 として次の 事例 を挙げている : 例 :お かげ まい り 例 :え え じゃないか騒動 「社会 が閉塞状況にあ る時」 (塩原勉)に は,時 として不可思議 な信念 に皆 が願望 を託す奇妙 な集団行動が生 じることがある。 これが クレー ズであるが, それは後になってみればはなはだ滑稽 な ものであることが少 な くな く, またそ の滑稽 さゆえに しば しば世の果味 を引いて きた ものである。 ところで まず,塩 原が指摘す る社会の 〈閉塞状況〉 とはどういうことか。本 稿 の立場か ら筆者 な りに解釈す ると,そ れは集回の欲望が高 まっていなが ら, そのや り場が見出されていない状態,あ るいはや り場が基がれている状態であ る。 そ う考 えれば,こ のような とき,ふ としたきっかけ一―― システム論的に は 〈ゆ らぎ〉―一―か ら,欲 望が極端 な形で一点に集中 して発出 (爆発)す る のが クレー ズなのだ, と解釈 できる。 また,集 団がなぜ,か くも滑稽なことに, ろ くで もない ものに躍起 になるのか も解釈 できる。 それは欲望が もともと余計 な もの,過 剰 な もの を求め る未分化のエネルギーであるか らだ。それゆえにこ そ閉塞状況にあっては,欲 望 は,発 出で きさえすれば対象が何 で もよ くなって しまうのである。 この ような非 ・主体的な現象は,確 固たる主体が必要 な もの を求めて行為す る, と考 える,近 代的 ・個 人主義的な欲求の合理的行為理論で は到底考察 で きない範鳴 である。 上 に挙 げた事例 は,一 見,特 殊歴史的な事例 に見えるか もしれない。だが殊 24)ス メルサー,前 掲書,225ペ ー ジ。 25)塩 原勉,前 掲書,207ベ ー ジ。

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1 5 8 野 中大輔講師追悼号 ( 第3 0 7 号) 更 に滑稽 な事例 だけ を考 察 すべ き必然性 は ない一 一 一 それは とりわけ面 白いの だが一 一 一 の であ って,冷 静 に考 察 す れ ば この種 の状 況 は意外 に 多 く,塩 原 は, 経 済領 域 での投機 マ ニ ア (チュー リップ投機,南 海会社株 泡沫 な ど)も 本質的 に これ と同 じカテ ゴ リー に属 す る と言 う )。 この指摘 は,の ちに貨幣 の成立根 拠 を考 察す る上 で重要 であ る。 パニ ックとクレー ズは,い ずれ も,閉 塞的な状況 を打開 しようとす る努力や それ を支 える欲望が本来は個 人的な ものであるのに,そ れが集団 レベ ルで同時 展開す るこ とに よって循環反応 を生 じ。強化 されて(正フィー ドバ ック :付加), 行動 の集合的効果 を帰結 してい る点で大同小異の ものである。 た とえば我が国 のオイルショック時に出現 した有名 な 「トイレッ トペーパー買い溜め騒動」は, クレー ズ ともパニ ックとも解釈 で きる。 また クレー ズ (例 :投機マニア)が 転 じてパニ ック (例 :投機バ ブル,取 りつけ騒 ぎ)に なる, とい うケー スも知 ら れ るが,こ の場合両者は同一現象の裏表であると考 えられ, クレーズは 「積極 的 な正 の動員 =引 力」,パ ニ ックは 「積極 的な負の動員 =斥 力」 とみな しうる。

□ □

③敵意表出行動 (hOSjle Outburst)

危機状況の一定の条件の もとで,集 団の不満が明確 な注意焦点 をもち,共 同 目標 を形成す るとき,〈敵意表出行動〉と呼ばれ る破壊的な集合行動の噴出 (out‐ burst)が発生す るこ とが ある。革命時に よ く見 られ るケー スで, しば しばモ ッブ (mob)と 呼ばれ るもの (攻撃的な群集)は これに含 まれると考 えていい ヽだろう。以下モッブをも同義語 として扱 う。 例 :1989年12月,ル ーマニアでの反チ ヤウシエスク革命。 クレー ズは集合 的な 「願望 の動員」であ るのに対 し,モ ッブは集合的な 「敵意 の動員」である。 またパニ ックにおけ る逃避行動が,具 体的なスケープゴー ト 26)塩 原勉,前 掲書,207ペー ジ。 27)塩 原勉,前 掲書,207ペー ジ。 28)塩 原勉,同 上書,208ペー ジ。

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中ジ

ま で 、 午 前 十 時 開 始 。 と こ ろ が 、 市 の 担 当 職 員 が 八 時 半 に 行 っ た と き に は 、 す で に 三 百 人 近 い 人 た ち が 埋 ま っ て い た 七 万 個 の 球 根 を 勝 手 に 掘 っ て い る 最 中 だ っ た ▼ 用 意 し て い た 五 崎 牧 の 多

”れ練

が 見 え る よ う だ 。 し か し 、 そ れ で は 、 私 自 身 が た ま た ま そ の 場 に 居 合 わ せ た ら 、 み ん な が ど っ と 颯 っ て い る の に ﹁ 開 始 時 間 ﹂ ま で 待 て た か ど う か 。 あ る い は ﹁ や め な さ い っ 。 時 間 を 守 り ま し ょ う ﹂ と 叫 べ た か ど う か ▼ た ぶ ん 、 そ う で は あ る ま い 。 こ う な れ ば ま ま よ 、 乗 り 遅 れ た ら ア ウ ト 、 と は か り 自 分 も 参 畑 し た 可 能 性 が 、 一 番 強 い よ う な 気 が す る 。 潮 が 急 速 に 流 れ 出 す と 、 そ の 勢 い に 一 人 抗 す る の は 相 当 に む す か し い 。 も し 止 め る こ と が で き た と す れ は 、 最 初 に ﹁ 時 間 前 だ が 、 調 り 始 め よ う ﹂ と 声 を 上 げ た 人 を ︵ そ う い う 人 が い た と し て ︶ 制 止 す る こ と だ ろ う か 。 そ れ も 、 か な り 勇 気 の い る こ と だ が ▼ 一 九 九 〇 年 に 大 阪 で 開 か れ た ﹁ 花 の 万 陣 ﹂ の 最 終 日 。 大 き な プ ラ ン タ ー に 植 え ら れ た 花 の 前 で 、 中 年 の 女 性 が 速 れ の 女 性 に 声 を か け た 。 ﹁ こ れ 、 将 っ て 帰 っ て も え え ん や ろ か ﹂ 。 ﹁ え え ん と ち ゃ う の ﹂ 。 近 く に い た 別 の 女 性 が ﹁ 持 っ て 帰 っ て も え え ね ん ﹂ と 務 け 、 花 を 一 本 抜 い た 。 た ち ま ち 周 り か ら 手 が 伸 び た 。 花 は す べ て 消 失 し た ▼ ほ か の 場 所 で も 同 じ よ う な 現 象 が 起 こ り 、 被 書 は 一 万 三 千 株 に 基 し た 。 軒 備 員 に よ れ は 、 ﹁ や め さ せ よ う と 二 、 三 人 に 声 を か け た 。 ば つ の 悪 そ う な 顔 だ っ た が 、 さ ほ ど 罪 の 意 識 が あ る よ う に は 見 え な か っ た ﹂ そ う だ ▼ ﹁ だ れ か が 花 を 取 る と 、 自 分 も 取 ら な け れ ば 換 を し た 気 が す る と い う 一 種 の 積 並 び 願 車 が 、 人 び と の 意 識 に あ っ た ﹂ と い う の が 社 会 学 者 の 解 腕 だ っ た け れ ど も 。 欲望 のエネル ギー論 〔朝 日新聞 「天声人語」1996.5.15.〕 *こ の事例はクレーズなのだろうか,そ れ ともパニックなのだろうか。 ともか く,い ったん 集団的な欲望が方向性 を持 って動 き出 して しまうと,こ れを事後的に静止させ るのは,こ と のほか困難であることを示す好例 といえよう。実は,社 会の秩序 も,こ のような欲望の流れ が描 き出す大規模なパタンにほかならない。そのパタンが秩序か破壊かは,そ れが社会通念 上,善 とされるか悪 とされるか,は たまた正か邪か,etc.…,と いう各種の主観的評価でしか ない。欲望のエネルギーそれ自体にとっては,そ れこそ“どうでもよい"こ となのである。 を見 出 した と き,敵 意 表 出行 動 に転 化 す る例 が少 なか らず報 告 され て い る。 さ らに, ク レー ズが具 体 的 な象 徴 (例 :権 力 )を 担 ぎ上 げ て い る とき,大 衆 が こ れ に失望 す れ ば モ ッブ に転 化 す る (例 :革 命 )こ と もあ り,集 団逃 走 を生 じる (例 :集 団亡 命 )こ と もあ る。 モ ッブ は,解 釈 に よ って は,不 満 の破 壊 的行 動 が願 望 され た ク レー ズ で あ る と も考 え られ る (これ は欲 望 の爆 発 が シス テム の 破 壊 を もた らす 事 例 を表 して い る)。 以上のように,① ②③は密接に追関 している。ただ,③ に固有なのは,明 確 な敵意の受け手 となる具体的な主体 (pll:ルイ16世)あ るいは象徴 (例 :バス チーユ監獄)の 存在することが必要 という点であ り (投機バブルと化 したチュ ー リップの球根に敵意を抱いても仕方ないのだ),そ れが結果 として集団に対 し象徴的情報 を発 している点である。これにより,す でに 「それを攻撃 し取 り 除け」 という原始的 くプログラム〉が発生 しているとみなすことができる。こ の意味で③は①や② よりもやや高次かつ特殊なものと解釈 しうる。 回

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野中大輔講師追悼号 (第307号 )

④規範志向運動 (nOrm‐

0高ented movement)

例 :幕末明治期における世直 しの運動。

①価値志向運動 (vttue‐

。高ented movement)

例 :パ リ ・コ ミュニヌの運動。 この両者は何か を志向す る集団行動 である点では同 じものである。 そ うした 上 で く規範志向運動〉 とは,既 存の価値の範囲内で,社 会の諸規範 を変革す る こ とによ り当該の価値実現 を目指す改革運動 であ り,一 方 〈価値志向運動〉は 既存の価値 その もの を疑問視 し変革 しようとす る運動 と規定 され,後 者の方が 高次の運動類型 と位 置づ け られ る。 しか し大筋において両者は大同小異であっ てその境界は不明瞭である。 ここで,何 が規範で何が価値か, とい う問題 はひ とまずお く。本稿の観″点か ら大切 なのは,④ も⑤ もいずれ も,不 安定な ものであれ,明 確 に情報 によつて 制御 ・調整 され,組 織イしされた 「集合行動」 だ,と い う点である。そ もそ も く運 動〉 とい う概 念は,何 らかのプ ログラムの実現 を目指す集団行動 を称 し用い ら れ るタームであろう。規範 とは社会的プ ログラムその ものである。 またパ リ ・ コ ミュー ヌの運動 も,無 産階級による社会の支配 とい う価値観 に則 ったプログ ラム を実践す るものであった。 したが ってこれ らは,さ きの定義 でいえば,集 合行動 ない し群集秩序 とい うよ りも,す でに く社会秩序〉 と呼ぶべ き条件 を備 えて い る。 □ 回 ク レーズ とパ ニ ック 本論考 は,ス メルサー類型の是非 を吟味す るこ とが 目的ではないので,そ れ ぞれ の類 型 に深 入 りは しない。 良 い ところは使 い,不 都合 の箇所 は捨 て るまで で あ る。 ここでは,集 合行動 の 中で も特 に重要かつ有用 な類型 として くクレー ズ〉 と くパ ニ ック〉 の 2者 のみ を挙 げ,以 下 の通 り定義 を与 えてお くこ とにす る。

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欲 望 の エ ネル ギー論

定義 : クレーズ〕

ク レーズ (craze)と は,個 人的願望が集団 レベルで循環反応 を起 こ し 集合 現象 と化 した もので,実 在概念 と しては く集合幻想 collecjve il‐ lusion〉,過 程 概 念 と して は く集合 願 望 collective aspiration〉で あ

る。

(例)17世 紀 オ ラ ンダ に おけ るチ ュー リップ投機熱。

定義 : パニック〕

パ ニ ック (panic)と は,個 人的不安が集団 レベルで循環反応 を起 こ し集合現象 と化 した もので,実 在概念 と しては く集合幻滅 collect市e disiltuslon〉,過 程概念 と しては く集合逃走 collective ttight)でぁ る。

(例)銀 行の取 りつけ騒ぎ/株の売り逃げ/パブル崩壊/ハイパーインフレ。 スメルサーの 5類 型の うち,上 記の 2つ が特に重要だという理由は,こ の 2 つが もっとも低次の (基礎的な)集 合行動であり,情 報によって制御 ・調整 さ れていない,純 粋類型だからである (スメルサー類型における残 りの 3者 は, 述べたように,多 かれ少なかれ情報による修飾 を受けていると考 えられる)。 そしてこの両者は,次 表に見るように対になるのである。両者はたとえばクレ ーズが転 じてパニックになる, という表裏の関係にある。極論 してしまえば, ここではクレーズのみを集合行動の基本類型 として採用 し,パ ニックをこの対 照 としてクレーズの解体過程 と捉え,そ の他の集合行動はすべてクレーズが情 報による操作の如何によって変形 ・修飾された亜種 と考えよう, と提案 してい るわけである。 なおここで,表 に採用 されている 〈過程 prOcess〉と く実在 reality〉とい う区分について,若 千 コメン トしておきたい。この概念対はむろんホワイ トヘ ッ ドに由来するものであるが,こ の 「実在」 を 「実体 (substance)」と混同 じ ないで頂 きたいのである。 ここでいう 「過程」 とは対象を純粋に時間の相で捉

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野 中大輔講師追悼号 (第307号 ) ネドゥルーズ=ガ タリカざ考案 し浅田彰によつてポピユラーになった く逃走 fuite〉という概 念はこれであり, とりわけその集合的な現象である。 えた もの で,具 体 的 に は変化 や発 展 ・衰退の様相 を呈す るもの をい う。一方「実 在」 とは対象 を純粋 に無時 間的 に捉 えた もの で,あ る瞬 間の状 態 として表現 さ れ,物 理 的実体や具体 的経済財 のみ な らず観 念や意識 の 中での存在 であみゑゑ。 実際,ク レー ズの幻想 とはそ うい うもので,主 として観念の中に存在 し, 実体 を伴 っているとは限 らない。 集合行動 =欲 望の連鎖的爆発 以上の ように整理 した上 で,こ こではさらに踏み込んで次のことを確認 して お きたい。すなわち集合行動 は,そ れ 自体が く欲望)の 集団的爆発の現れであ り,く欲望〉の未分化 な (いまだ制度化 され ぎる,い まだ情報 によつて統制さ れ ぎる)集 合的表出形態であ る。 そ してそれはまた,欲 望 の個人的発出,す な わち個 人的 く行為〉 を超 えた存在論的実体,つ ま り社会的 く創発性〉 である。 こう考 えると, クレー ズ とは,欲 望 の爆発が集団的循環によってさらなる欲 望 の増進 をもた らす,欲 望 の攻撃行動 であ り,そ の集合的な帰結である。対す るパニ ックは,欲 望 の爆発が集団的循環の中でその減麦 あるいは消滅の危機か ら自らを守 るために逃避す る,欲 望の防衛行動 であ り,そ の集合的な帰結であ る。 システム論的に言えば,そ れ らは欲望の解放が 自己回帰的なフィー ドバ ヽノク

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欲望のエネルギー論 163 過 程 (自已触 媒 過 程 )を 形 成 した もの で あ って,そ れ が社 会 的 な違 鎖 反 応 を起 こ した もの,つ ま りま さ し く社 会 的 く爆発 〉 なの で あ る。 そ こでの諸 要 素 の運 関 は,ひ と りひ と りの行 動 が 次 の行 動 を誘 発 し,互 い が 互 い の 原 因 に な り結 果 とな る, と い う循 環 論 の 関係 に あ る。 集合行動 における個人的実体の欠如 と集合的原動力 クレー ズは欲望 に よる集合幻想 と,そ れへの さらなる願望,そ れによる欲望 の触発,… , とい う連鎖過程 であるか ら,そ こには個人合理的根拠の実体がな い。チュー リップ球根への投機 であって も,株 券への殺到であって も,あ るい はカ リスマヘ の帰依 であって も,そ こに本質的な違 いはないのである。 集合行動 に個 人合理的根拠の実体 が ない とい う事例 をひ とつ確認 してお こう。 例 として,農 産物 (たとえば大豆)の 先物取引に群 が って投機す る人々の クレ ー ズを考 えてみ る。 ここに,彼 らは大豆 とい う具体的な実体 を所望 しているの ではない。む しろ使用価値 としての大豆 などには興味がない一一一 どうでもよ い十 場 合がほ とん どであろ う。単に,未 分化 な抽象的欲望が幻想 (実在) と集団的循環 (過程)を 介 して欲望の増進 を欲望 しているのである。大豆は, たまたま好都合 だったために選ばれただけのことで,実 際には何 で もいいのだ。 そ して欲望が増進 しうるのは,欲 望 がバ ラバ ラ (等方的)で な く,あ る一定の 方 向 (異方的)を 向いて揃 った とき (cooperative behavior),集団 レベ ル に 非線型 (非加算)の シナ ジー効果が発生す るため,欲 望 は全体 として く十α〉 の欲望 を く付加〉す るこ とがで きるか らであ る。 こうなるとす でに,始 原的な 分子機械 ・欲望機械 の萌芽 であるといっていいだろう。 さきに,欲 望 は本来個 人に宿 る く属 人的な もの〉だ と述べ ておいた。 しか し ここに至 って,欲 望 は重大 な変更 を受け る。 それは もはや,集 団的効果によっ て く集合現象〉へ と転化す るのだ。集合 的な巨大欲望, ドゥルー ズ=ガ タ リの い う く無器官体〉の出現である。 そ して先に述べ たように,社 会的行為 は, も はや これ と独立に存在 しえず,こ こか ら く社会化〉によって形成 され るとい う 逆転十 マ ル クスが く疎外〉 と呼んだ現象十 が 生ず るのだ。 この時点で

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164 野 中大輔講師追悼号 (第307号) 我 々 は, 個 人的行為 の梯 子 を外 さねば な らない。 ここに至 って もはや,存 在論 的実体 は ミクロの個 人的イ子為 では な く,マ クロの集 団的創発性 とな る。 集合 行動 は短期的 とは限 らぬ さて,社 会 学者 の間 では, ク レー ズやパ ニ ック といった集合行動 は通常 「一 過 的」 「局 所 的」現象 と考 え られ,そ れ を定義 に含 め る論 者 さえあ る (多 くの クレー ズやパ ニ ックが一過 的 ・局所 的 であ る理 由につ いては別 の箇所 で再考 す る)。だが,そ の ように考 えねばな らぬ理 由はないし,ま た集合行動 を社会の 一般的な基層 メカニズム として位置づけるためにも,そ れではまずい。実際の ところ,こ れ までに “永続的なクレーズ"が 発見 ・指摘 されなかっただけなの か もしれないのである。 あるいは,ク レーズが永続化 した場合に,こ れをすで に制度化 された社会秩序 とみな し恣意的にラベルを貼 り換 えただけだったのか もしれ ないのであると したが って まず, クレーズやパニ ックが短期的 。一過的 である, とい う偏見は捨ててお く必要がある。 ク レーズのエネルギー輪的意義 クレー ズの社会的意義 を本稿 のエネルギー論的観″点か ら考察す るには,こ れ を内燃機関に例 えてみ るとよい。 もっ とも標準的なレシプ ロエ ンジンを考 えてみ よう。 そこでは,始 原的形態 の化学エネルギー (燃料)が 混合気 とい う形で密閉構造の気筒へ導かれ,次 い でこれが ピス トンの往復運動 によって圧縮 され る。 これ をクレーズに例 えるな ら,欲 望 のエネルギーが く閉基的状況〉に置かれチャー ジされ る過程 に相 当し よう。 エ ンジンの場合, この圧縮 された混合気にプラグが電気火花 を与えることで シ リンダー 内に爆発的燃焼 を起 こし,こ れが ピス トンの方向性 を持 ったマ クロ 運動 を生む。 この とき火花が燃焼の運鎖反応 を誘発す るのは明 らかなのだが, なぜ シ リンダー 内爆発がか くも均一 な燃焼になるのかは今 日もまだ良 く分かっ てはいない らしい。 ともあれ,こ うして発生 した力が クランクや シャフ トの組

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欲望のエネルギー論 165 合せ に よって変換 ・伝達 され,最 終用途 (移動 手段や 回転動 力)に 供 され るの で あ る。結果 として,燃 料 に含 まれ る無方 向の化 学 エネル ギーか ら,有 方 向の 機械 の組合 せ (シ リンダー・ ビス トン,ク ラ ンク,シ ャ フ ト,etc.)に よって 方 向性 を持つ マ ク ロの 力が取 りだ され た (キ ュー リーの法則)こ とに な る。 注意すべ きこ とは, こ の “機械 の組合せ"は ,エ ネル ギー の爆発 それ 自体 と は まった く関係 が ない 一 一一 エネル ギー の側 に とって与か り知 らぬ こ と一一 ― とい うことである。にもかかわらず,そ の如何によって作動効率 (燃費)は 大 き く異なって くる。 これは,機 械 の く設計〉 とい う情報論的カテゴ リーが密 接 に関わっているこ とを示 してい る。 以上 の一連の過程 は, クレーズにふ としたきっかけか ら火がつ き,欲 望の爆 発 を起 こす こ とに例 えられ る。 そ して欲望の クレー ズにおいて もまた,エ ンジ ンの場合 とまった く同様 に,発 生す る力が社会構造の如何 によって社会 を動か す力 とな るのだ。 クレー ズは まさ しく,無 方向性の ミクロ個人の欲望の流れが, 方向性 を持 ったマ クロの社会的流れへ と整流 され る契機 をなす ものである。 ク レー ズのダイナ ミズムによって, ミ クロ個人の く心的エネルギー psychic en‐ ergy〉がマ クロ社会 の く社会 的エネル ギー social energy〉へ と転化す るの である。 しか も,そ の際の社会構造の編制の如何 は,そ れが クレー ズの諸個人 に とって与か り知 らぬ ものであるに もかかわ らず (それは クレー ズの内的論理 ではない,外 的な論理 である),社 会 一経済的効率 に大差 を生 じるメカニズム とな りうる。社会構造の編制 は, クレーズのエネルギー論的カテゴ リーではな く,情 報論のカテゴ リーの問題 なのだ とい うことである。 集合行動の社会秩序 への転化一一一情 報 による社会統制の介入 ヒ トラーは どこかで「熱狂 した大衆だけが操縦可能である」と言っている(独・ ZDFの 映像資料 による)。この意味す るところは,「熱狂 した大衆」,す なわち クレー ズだけが,「操縦」,す なわち制御や調整の対象になる, とい うことであ る。 自我の確立 した近代的個 人がそれぞれに主体性 を持 って 自立 し,単 独 に, 個別バ ラバ ラに行動 しているような状況 (近代経済学の価格理論が想定 してい

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166 野 中大輔講師追悼号 (第307号) るような状況)で は,社 会には一貫 したマ クロの力は発生 しないのである (キ ュー リーの法則)。 この こ とは, ク レー ズ と社会機械の関係 を考察す る上 で示唆的である。 ヒ ト ラーはおそら く,こ の ことを本能的に察知 していた。戦間期の ドイツでは,社 会 の く閉塞的状況〉の中で,未 分化 な欲望のエネルギーがあ り余 る状態 とな り, その爆発が些細な情報の介入によ りたやす く制御 された (たやす く分化 した) のである。 い うまで もないが,ナ チズムにおいては,こ の情報介入がプロパガ ングにほかならなか った。ナチズムは,近 代の情報 メディア(ラジオ,映 画等) を使 って大衆の情報操作 を大々的に行 った,お そらく最初の事例 であったろ う。 ともあれマ クロの社会には,皮 肉に もヒ トラーのい う通 り,ま ず情報によっ て制御 されぬ秩序 (集合行動 =群 集秩序)と い う低次の レベルが社会の基層部 に普遍的に通底 してお り,こ れが欲望の爆発 を繰 り返 している。 そ して,そ れ を情報が制御す ることによって, ヨ リ高次の社会秩序の レベルが成立す る, と 考 えるこ とがで きるのである。 この意味で集合行動は,社 会の動 きを支 える, 持続的かつ普遍的 なメカニズムであ りうるのである。 繰 り返 し確認す ると,こ れはパー クによる 「集合行動 ―社会統制」 とい う社 会 の基本認識 と同一の考 え方である。 また,“エネルギーの爆発 とその調節", とい う本論考 のエネルギー論的視角 に関わる部分 で もある。 進化 す る秩序,進 化 しない秩序 上記の事実 を進化論的観点か ら補足 してお くなら,集 合行動の レベル (クレ ー ズ)は ,そ れだけでは,情 報によって制御 ・調整 されざる秩序であるから, それ 自体 が進化 ・発展す ることはない。進化す るのはつねに情報だか らである。 その結果,い つの時代 に も似通 ったクレー ズが存在す ることになる (これは歴 史的に も首肯 され る)。熱狂的 な宗教 セ ク トが人類史のあ らゆ る時代 に出没す 29)こ う述べたからといって,筆 者がナチズムに共感 を表明するものでないことはいうまで もない。単に,歴 史の実験事例 として,ナ チズムから学ぼ うとしているだけである。この ような筆者の姿勢は,社 会主義に対 しても,均 衡理論に対 しても,同 じである。

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欲望のエネルギー論 167 る所 以 であ る。 一 方,こ れに反 し進化 ・発展 す るのは,集 合行動の レベル (ク レーズ)が 情 報 に よ つて制御 され,こ れが選択 /洵 汰 され るに至 つた,よ り高次 の く社 会秩 序 〉 の レベル で あ り,そ れの みで あ る。 た とえば現代 の資本 主義 の社 会機械 は, 近代 に入 って初 め て発 明 され た,高 次 のユニー クな情報プ ログラムに よって制 御 ・調 整 され た クレー ズなのであ り,古 代 。中世 には決 して存在 しえなか った, 進化 を遂 げ た社 会秩 序 なの で あ る。 繰 り返 しに な るが,こ の こ とは,生 命体 の秩 序 が,情 報 に よって制御 され な い く自己組織化 〉 の レベ ル を遺伝 情報 が制御 ・調整す るこ とに よって成立す る, とい う理論生物学 の認識 とまった くパ ラレルであ る。 以前に,「社会学において集合行動論 とい う分野が開拓 された当初 の意図は, 組織化 され ぎる無秩序 な群集 と,組 織化 された秩序的な社会 とを架橋すべ く, 未熟な社会形態 として “組織化 され ざる秩序"た る集合行動 を位置づけようと い うことであった」 と述べておいたが,レヽまや,こ の意図は達成 された。 この, 情報 に よる制御 ・調整の層序 につ いては,別 の箇所 で改めて考察す ることとし, 以下 当面,集 合行動お よびその媒介分子の層序=エ ネルギー論の層序に限って 論ず るこ とにす る。 5.貨 幣 (1)一 ― ― ク レーズ と しての一一 一 集合行動 につ いて理解 がで きた ところで,い よいよ貨幣の構成論理 につ いて 論ず る段取 りである。 貨幣輪 を惹 き寄せて きた もの 貨幣の本質 。その根拠 については,古 来様々 な立場か ら厖大 な考察がなされ て きたが, どれ も決定版 と言える域 に達 していない。だか ら「貨幣 とは何か」 30)村 上泰亮は,そ の く反古典〉のマニフェス ト (第 1条 )の 中で,こ れに相 当す る 2つ の レベ ル を区分 していたこ とを付け加 えてお こう。村上泰亮他 rマニフェス ト新 しい経済学』 中央公論社,1994年 。

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1 6 8 野 中大輔講師追悼号 ( 第3 0 7 号) とい う問いは,今 なお 「経済学が背負わされた十年架」 と言 う者 さえある (安 冨 =葛 城)ほ どの難題 なのである。 もちろん貨幣論の考察史は,屍 ばか りを累積 して きた討死の歴史ではな く, 中にはマル クスの価値形態論や K。ポラニーの経済人類学 など,壮 大 で魅惑的 な業績 もある。だが ここでは,あ えて業績 とい うよ りも失敗 とみなされがちな 論考 に着 目したい。 それは,貨 幣の根拠 を辿 る議論が しば しば奇妙 な循環論ヘ と誘引されていた とい う事実 である。 た とえばメンガーは早い時期 にこれにつ いて書 き残 しているし,現 代アメ リカの代表的マネタ リス ト, ミル トン ・フ リ ー ドマンしか り,わ が国では吉沢英成や岩井克人が同 じ事柄 を再発見 している。 それは, メンガーの表現で言えば, 自分が特に必要 とす る財 と交換す る目的で,財 を市場に もち出す全ての個 人に とって, も し自分 の財の市場性が貧弱なため本来の 目的 を直接に達成 で きない場合,彼 の念頭に浮かぶ考 えは… ともか く自商品よ りも市場性の かな り高い商品 と交換す ることである。 もちろん彼はこれによって,彼 の 意図 していた…必要 な財の獲得 を今す ぐ直接に達成す るのではない。 それ で も彼は,こ の 目的に近づ くのである。彼は…市場性のあま りない自商品 を市場性によ り富んだ商品 と交換す ることによって,直 接的な交換による 獲得 に 自己を限定す るよ りも確実に, しか もよ り経済的に 自己最終 目的 を 達成す る見込 を得 る。…こうした経済的利害についての認識が進展す るに つれ,… どこの市場で も必ず…最 も市場性に富む商品が発見 され,… 自分 の市場性の劣 る交換財 とそれ とを交換す ることが経済的利害関心に適 うば か りか,実 際に も, 日常的に進んで受入れ ようとす る商品になった。 しか しそれが市場性に富む理由は,た だこれだけが残 りのあらゆる商品 と比較 して よ り販売可能性があ り, したがって通例 それだけが一般的に使用 され る交換手段 とな りうるか らなのである。 (『一般理論経済学』訳書下巻,み すず書房 pp。 388ff.)

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欲望 の エ ネ ル ギー 論

という事態であるし,フ リー ドマンは

商品やサービスの交換という個人的な取引の際に,な ぜ個人はこの紙切れ

〔ドル札〕を受け取るのだろうか。/簡 潔にして正しい答え。それは,人 々

赤之れを桔角じセふ乞赤ら柏人も皇け入九と,でぁる。うまり,すべての

人が この緑がか った紙 はイ面値があると信 じているか ら価値があ り, こ の紙 は価値があることを経験的に知 っているか ら, 誰 もが価値があると信 じて い るのだ。 と言 い, ま た岩井 克人の表現 に よれば, (『貨幣の悪戯』p.27) 貨幣が貨幣 として流通 しているのは,そ れが貨幣 として流通 しているか ら で しかない。…。この ような無限の循環論法によって支 えられている貨幣 と は,そ れゆえ,そ の存在のためにはなん らの実体的根拠 も必要 としていな ぃ。 (『 貨幣論』p.97) とい う事態である。 とりわけ岩井は,こ の考察において,半 ば開 き直って貨幣 の実体 としての “根拠のなさ"を 強調 しているわけであ るも 貨幣が貨幣 であ るのは,そ れが貨幣だか らである一十一 メンガーやフ リー ド マ ン,岩 井 らが到達 したこの トー トロジー を く貨幣の循環論〉 と呼んでお くこ とに しよう。 本稿 では,彼 らの結論 を支持 し,さ らに推 し進めて,こ の循環論 こそが貨幣 の積極的根拠 なのだ と論 じてゆ く。

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170 野 中大輔講師追悼号 (第307号) 循 環 輪 は なぜ い け な いの か ? まず,循 環論 を恐れず,正 面切 って次のように言ってみよう :皆が賞幣 とし て用 いれば (そ して現 に用 い るか ら),そ れは貨幣になるのであり,皆 がそれ を信 じ帰依 すれば (そ して現 に帰依 するか ら),そ れは賛幣になる。 この集団 で支 え合 う循環輪が貨幣の根拠である, と。 この循環論 それ 自体 には,実 の ところ,お そらく何の疑問 もないのではある まいか。 まった くその通 りなのであるか ら。そ うす ると問題はむ しろ, トー ト ロジー とい う論法が論理的に失敗 とみなされ,合 理的な く基礎づけ Begrund_ ung〉 を目指す論者たちか ら忌避 されてきた とぃ う過去の知的伝統の方にある と考 えられ る。かか る “古典的合理主義1と い うべ き近代理性 を前提に し,そ の枠 内で無理に論理構築 しようとあが くのではな く,発 想 を転換 し,逆 に古典 的近代理性の方 をいったん 白紙に戻 そうとい うわけだ。そう考 えると,貨 幣の 論理 の場合,循 環論が欠陥 どころかそれ 自体 に積極的な意義があることを示せ ば よいことになる。 この発想転換の鍵は,け だ し,個 人合理的な論理 と集合的な論理 とのギャッ プに隠 されている。古典的近代理性は,個 人合理的な部分論理 を積み重ねるこ

とによって,集 団的な全体論理を導出しようとし,か つ,因 EED果

の整然とした

一方向の論理的流れによって対象を捉えることに腐心してきた。っまり,全 体

論理は部分論理の一方的因果へと分解 されねばならないとされた。このような

線形的な思考」にまず疑間符をつけようというわけだ。そのために,出 発点

として個人個人を見るのではなく,最 初から集団を対象にしよう。

集合的な論理 貨幣の本質が 「集団で支え合 うトー トロジー」でぁることのひとつの証拠 と して,近 代特有の 「主体的個人が」ではなく,「皆が」という匿名的集団が主 語になる点が挙げられる。このことがまず,貨 幣は本質的に集合的な現象だと いうことを示唆 している。 それゆえ,岩 井克人がいうょうに,「貨幣 とは,… 共同体的な存在である。

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欲望のエネルギー論 171 貨幣が貨幣 として使 われ るのは,モ ノとしての貨幣の生産にひ とび との 〔個 人 主体的な〕労働が投入 されたか らで もなければ,モ ノとしての貨幣にたい して ひ とび とが 〔個 人〕主体的な欲望 をいだいているか らで もない」 (『貨幣論』p. 202)。 つ ま り貨幣が貨幣 である個人主義的な根拠 など存在せず,貨 幣 を個人合理的 ・個人主体的に基礎づ けることはできない。 したがって,こ れを考察するには 方法論的個 人主義 を破棄 しなければな らないのである。 まず この認識 を徹底 し ておこう。 そ う認識すれば,け だ し,マ ル クス派の労働価値説 も,新 古典派が 想定す る個人主体的な効用 も,個 人合理的な思考か ら脱却で きず, ミクロの実 体的根拠 を求めた″点で同罪だったことが分かって くる。彼 らは近代の “主体的 個人"か ら 「梯子 を外す」 ことがで きなかったのだ。 さて,こ う考 えて くれば,貨 幣は,個 人 レベルではな く集団 レベルに固有の く超論理的〉な一十一個 人 レベルでは真で も偽 で もない一――現象だ, とい う こ とをひ とまず受け入れ ることができるだろ う。 貨幣のク レーズ 貨幣 とは,当 該の集団が貨幣 と認め,信 じ帰依 しているところの実体 ならざ るもの=幻 想であ り,そ れ以外の ところに合理的な根拠はない。 それは,幻 想 を共有す る人だけに見 える,当 該社会 で もっ とも有名 な “ブラン ド"な のであ る。貨幣はか ように く滑稽 な もの〉である。 ここで,貨 幣 の この性質が,前 節 で吟味 した集合現象,す なわ ち 〈クレー ズ〉に よ く合致す ることに注意 しよう。 クレー ズに対 してスメルサーが与 えた 定義 は 「積極的な願望充足の信念に もとづ く行為への動員」 とい う形態 をとる 集合行動 だった。 また筆者は前節 で,こ れに 「個 人的願望が集団 レベルで循環 反応 を起 こし集合現象 と化 した もの」 とい う定義 を与 えておいた。実際,筆 者 は,貨 幣 とは,そ れ 自体,ク レーズなのであ り,人 々の集合的な願望が集団内 で動員 され,集 団内の循環輪法 によって強化 ・増幅 され,結 像 した幻影なのだ,

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172 野 中大輔講師追悼号 (第307号) と主 張 した い の で あ る。 さらにいえば, これ も前節で言及 したように,塩 原勉 は,経 済領域におけ る 「投機マニア」 をクレー ズの一種 と指摘 していたが,貨 幣はまさに,そ れ 自身 へ の理不尽 な 「投機マニア」なのである。財や不動産への投機マニアの場合, 人々の集団が躍起 になって貨幣 をつ ぎこむのだが,貨 幣への投機マニアの場合 に人々の集団がつ ぎこむのは何か ?一 一― もちろん,そ れは 〈欲望〉である。 この ように貨幣が集団の クレー ズだ とすれば,そ れ を個 人合理的に基礎づける こ とはで きないの も合点がい くとい うものだ。 それは個人的現象ではな く集団 レベ ルの超論理的現象 (創発性)で あったか らだ。 もっ とも,言 わず もがなではあるが,貨 幣はむろん単 なるクレー ズではない。 この こ とをも同時に肝に命 じておこう。 クレー ズの集合行動は貨幣の必要条件 にす ぎない。 このことは,逆 命題一一―すなわち 「クレー ズは貨幣である」 と い う命題が成 り立たないことか らも明白であろ う。つ まり貨幣は, クレー ズで はあるのだが, また特殊 なクレー ズであ り,単 なるクレー ズ以上の何 ものかで あ る。結論 を先取 りしていえば,そ れは 「クレー ズの欲望 の爆発が,社 会的情 報 に よって特別 な形に調節 された もの」 であ り,そ れが長 い年 月をかけて洗練 されて きた,社 会的進化の産物 である。 だが それは ともか くとして,こ こでは,貨 幣がその基層部において クレーズ であるとい う認識が まず重要 である。つ ま りここでの眼 目は,貨 幣が クレー ズ であること,そ して貨幣が全社会的な現象であること,こ の両者 を確認す るこ とに よって,同 時に, ク レー ズは一過的 ・局所的な欲望 の爆発 とは限 らず,む しろ普遍的な社会秩序の形成要 因にな りうることを確認で きたことなのである。 この意味で貨幣 はおそ らく,社 会的に もっ とも大 きく, もっとも持続的なクレ ー ズのひ とつである。 ハイパーインフレとい う事態 さて,貨 幣が 〈集合願望〉 の裏返 しである 〈集合逃走〉 であるということが確かめられれば,容 易に,そ を,貨 幣に関 しても適用 ・考察できる。

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欲 望 の エ ネ ル ギー 論 1 7 3 貨幣が実体的根拠のない幻想である以上,こ れが何 らかのきっかけで く集合 幻減〉に転ずる可能性 を完全には払拭 しきれないだろう。それは,貨 幣がヒ ト の欲望 を触発 しな くなった時, もはや ヒトがそこへ欲望 を託すことができな く なった時であ り,欲 望のエネルギーが備給されな くなった時である。そうなれ ば,欲 望が欲望 を支えることで成立 している貨幣の循環は停止 し,貨 幣の秩序 は雲散霧消 してしまう。人類史上,時 として生ずる くハイパーインフレ〉 とい う事態がそれである。 ハイパーインフレとは,物 イ面の傾向的上昇 をいう通常のインフレとはまった く別の現象で,貨 幣への く集合幻減〉 という事態であ り,貨 幣からの く集合逃 走〉 という集合行動の現れである。岩井克人によれば,ハ イパーインフレとは 「貨幣が貨幣であることの根拠そのものが疑間に付 され,そ の結果 として貨幣 の媒介によって維持 されている商品世界そのものが解体 してしまうという事態 にほかならない」 (岩井,前 掲書 p。178)。だから 「ひとび とがいっせいに貨幣 から遁走 してい くハイパー ・インフレーションの行 く木では,貨 幣 を貨幣 とし て受け取って くれるひとはだれ もいな くなり,そ こから遁走すべ きはずの貨幣 共同体そのものが消滅 してしまうのである」(同書,p.207)。 だがそれにしても,経 験的に言 うと,ハ イパーインフレという事態は人類史 上にさほど多く見受けられない。 しか も,第 一次大戦後の ドイツ,あ るいは第 二次大戦後のハンガ リーなどのケースを見ると,ハ イパーインフレのさ中にあ っても,人 々は札束を運搬 し貨幣を用いようとしたのである。これはなぜだろ うか。 ひとつには,貨 幣はあまりにも他愛ないものであるゆえに,敵 意の対象にす らな りえない, という点が挙げられよう。人々は,貨 幣からひどい仕打ちを受 けても, これを敵視 し排斥することができないのだ。先に,い かに投機ブーム がバブル と化 して痛い目に逢ってもチュー リップの球根に敵意を抱 くことはで 31)こ れを敢えて実行 した歴史的実験 として,カ ンボジアのポル=ポ トが,貨 幣経済を人為 的に廃止 しようとした試みが挙げ られる。結果は悲惨なものであったが,社 会科学者はこ の事例から多 くを学ぶことができるはずである。

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野 中大輔講師追悼号 (第307号 ) ◎ハイパーインフレと通常のインフレは全く違う現象である。 きない と述べ たが, まさに同 じことが貨幣に対 して もいえるわけである。 貨幣への欲望 エネルギーの備給 だが,た だそれだけが理 由ではあるまい。ハ イパー インフレが少 ない とい う こ とは,逆 に貨幣の クレー ズが非常に長続 きす る, とい うことを再確認すべ き 事実 で もあ る。実 際, 〈貨幣〉 と通常の集合行動論 でい う 〈クレー ズ〉 との大 きな違 いは, クレー ズが通常短期的な現象 とされているのに,貨 幣の クレーズ にあっては,一 般 にこの く集合幻想〉が非常に長続 きし, 定 常化 している点に ある。 これはなぜ だろ うか。 そ もそ もまず,通 常の クレー ズはなぜ一過的 。短期的なのか。 それは,多 く の場合,欲 望エネルギーの備給が長続 きしないか らである。讐えていえば,通 常 の クレー ズは くつむ じ風〉の ような一過性エネルギーの局所的な渦なのだ,

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欲望 のエネルギー論 と言ったら外れていまい。このような一過性のエネルギーによる秩序では, 物や社会の定常的な秩序が生 じえないことはいうまでもない。 貨幣 も,エ ネルギーの備給が一時的だった り,あ るいは低 い水準であれば, 本来,不 安定 な ものである。岩井克人の言 うように, 貨幣が貨幣 であるためには,そ れは人間による日々の売 り買いによって, たえず貨幣 として確認 され,た えず貨幣 として更新 されていかねばならな い。貨幣は 日々貨幣にならなければならないのである。 (『貨幣論』p.146) 貨幣 は,た えずそれ と確認 されなければ維持 されないわけである。それは,欲 望が欲望 を支 えるべ く,絶 えず欲望のエネルギー を一定水準以上に注入 し ・支 えていかねば維持 されない,不 安定 な存在 であることを示 している。 とい うことは逆に,貨 幣の クレー ズは,集 団 レベルの欲望エネルギーが高 ま って,あ る一定の社会的問水準 を超 えたところで初めて定常的 (stajonary) に存在する, とい うことで もある。 また,こ の闘水準 よ りも高いエネルギー領 域 では,貨 幣の存在す る方が消滅 す るよりも安定 なのである。そ して近代 。現 代 は,そ のような時代 なのである。 しか も貨幣は,そ れ 自身の中に,エ ネルギーが供給 されつづ け る仕組み をも っている。貨幣は,貨 幣 自身によって欲望のエネルギーが触発 され (自己触媒 され),再 生産 され るこ とに よって,欲 望 が供給 され続け るようになっている か らだ。 そ してなおかつ,ア グ リエ ッタとオルレアンが指摘 したように,欲 望 の触発 ・再生産が暴発 しないよう巧みに緩和 ・減速 され,調 節 されている。 貨幣 は,集 団が共通に抱 く理不尽 な幻想であ り,ま さしくクレー ズである。 それ 自体 に実体イ面値が まった くないに もかかわ らず,多 くの人が 一一一社会 の成員ほ とん ど全員が一―一 躍 起 になって欲 しが るとい う滑稽 な対象。 これ こそが貨幣 であ り,こ の事実が貨幣の “クレー ズ性"を端的に表わ している。 ︲ 7 5   生

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176 野 中大輔講師追悼号 (第307号) そ して貨幣の クレー ズは,ひ とび との欲望が不断に備給 され ることによって定 常化 した構造 なのである。 ここまで くれば,な ぜ,貨 幣 において循環論が本質 をなすのか も見 えて くる。 なぜ循環論でなければならないか 本節 で,わ れわれはまず 「循環論 は論理的に失敗 であ り,そ れゆえに忌避 さ れねばな らない」 とい う近代の古典的論理 をいったん白紙に戻す ことか ら出発 した。 ここで言っているのは “論証の中に循環論が含 まれて もよい"と い う論 理的譲歩ではない。「循環論 であって もよい」のではな く,「循環論 でなければ ならない」 とい うところにまで踏み込んで,循 環論その ものに積極的な意義 を 見出 さなければな らない とい うこ とである。 そこで,次 にわれわれは 「個 人合 理的論理」 を破棄 し 「集団の論理」に着 日したわけである。 そ して,集 団によるクレー ズの メカニズムを理解 したわれわれは,今 や,次 の ように主張で きるだろ う。貨幣 は,〈欲望〉のエネルギーが どん どん備給 さ れ続け るところにのみ成立 し,か つ,本 来発散性の ものである 〈欲望〉が く貨 幣の循環論〉の回路 を ぐる ぐる回ることで発散せ ず集合的に維持 され,高 エネ ルギー状態 を保つ ことによって成立す る, と。 しか もその欲望の備給は,貨 幣 が 自己回帰す ることによってさらなる欲望 を触発す る,欲 望の 〈付加〉一一一 正のフィー ドバ ックーーーの メカニズム, 自己触媒のメカニズムによって支 え られてい るのだ, と。貨幣の根拠 は,か か る集団 メカニズムにこそあ る。く循 環〉 は,論 理的に欠陥であるどころか,集 合 レベルで見れば,新 たな可能性 を もた らす救 いのメカニズムなのであ る。 この循環が停止すれば,集 合的欲望 は 散逸 し維持 されないだろう。欲望 は個 人 レベ ルでは快楽 として昇率 しやすい も のだか らである。 あるいは,欲 望が回路の中に閉 じ込め られチャー ジされて, この く閉塞的状 況〉の中で連鎖的 ・円環的に爆発 しているのだ, と言って もよい。同 じことで あ る。つ ま り欲望 はこの回路 内でイ国人的には発散 され (爆発 し)て いて,社 会 の側が これ を受け止め回転 させ ることでエネルギーが動的にス トックされてい

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欲 望 の エ ネ ル ギー論 1 7 7 るのだ と言 うべ きか もしれない。だか らこそ,循 環が賞幣の本質をなすのだ。 こう考 えるなら,貨 幣はこの集合的循環 回路に封 じ込め られた欲望のエネル ギー を取 り出すための,社 会的な く約 束証書〉である, と見 ることも可能であ る。つ ま り貨幣は欲望エネルギーの転化 した形態である。そ してまた,貨 幣 を 持 った人は, したが って,必 然的にその貨幣の循環す る共同体のメンバー シッ プ を受け入れたことにな り,社 会の側 も当該個人 をメンバー として承認 したこ とになるのである。 この意味で貨幣は当該共同体 の会員証である。 だか ら,貨 幣は,当 該社会の会員のみによって運営 され る,閉 鎖的なもので ある。 この閉鎖性 もまた,論 理の運鎖が循環によって閉 じられ ることで初めて 形成 され る。 そ して貨幣 は,そ の閉鎖的 メンバー シップによって 自己と他者 と を区別 し,他 者 を排除す る仕組み を持つのだ。 これが 「経済主権」 とい う現象 にほか ならない。か ように,貨 幣が 「貨幣的 自己」 を形成す る根拠 もまた,循 環論にあるのである。 線型 =単 純論理 と循環 =複 雑論理 循環論 を忌避す る近代論理 は,因 →果が一方向的に,直 線的 (リエア)に 続 く組合 わせ しか認めない,単 純 な く線形思考〉 である。 この思考の もとでは, 部分 (個人の論理)を 組み合 わせ ることによって全体 (貨幣の論理)を 構築 で きると信 じられている。 そ して,近 代理性 は,そ のように構築 された論理だけ を受け入れ,そ れ以外の論理 を排斥 して きたのである。 これに対 し, ここで問題 に して きたのは,因 …果の相互作用 を持 ち,要 素に 還元 されない,非 ・線形的な く複雑思考〉 (E.モラン)で ある。そ してこの観 点か らいえば, 自己回帰的 (リフレクシヴ)な 循環論 こそが,そ してそれだけ が,創 造的である。 ミュンヒハ ウゼンの トリレンマ 最後 に,古 典 的合理性 を批判す る,現 代 の議論の一端 を見てお くことに しよ う。 そのため に,『歴史主義の貧 困』等の著作 で知 られ るカール ・ポパー らの

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178 野 中大輔講師追悼号 (第307号) く批 判 的合理 主義 〉 の思潮 の 中に ヒン トを探 ってみ よ う。 この ス クー ルに属 す る ドイツの哲学者ハ ンス ・アルバー トは, もの ご との根 源 的 な く基礎づ け Bes grundung〉 を求 め る 〈古典 的合 理 主義〉 は,必 ず次 の 3つ の 困難 に逢 着 す る と言 ってい る。

①無限遡及。

②演縛における循環論法。

③特定の一時点での作業中断。

そ してこの 3者 は,そ れぞれ根源的基礎づ けに失敗 しているか ら,古 典的合理 主義に とってはいずれ も受け入れ難い。一一― アルバー トは,こ の三者択一 を くミュンヒハ ウゼ ンの トリレンマ〉 と呼び,こ れゆえに古典的合理性の追求は 破綻す ると主張す る。 なるほ ど,古 典的合理主義の観点か らすれば,こ れはいずれ も受け入れ られ ない。だが,本 論考 で採用 した集合的な思考法は,む しろ逆にこの くミュンヒ ハ ウゼ ンの トリレンマ〉 を逆手に取 り,そ の上に成 り立っているのである。 た とえば欲望 は,ひ とたび偶然に知 った もの を,ま す ます知 ろうとす る,付 加 の営み (正フィー ドバ ヽノク)で あつた。 また,貨 幣は論理の循環によって結 像 した虚像 であった。そ して重要 なのは,そ れ らが起源において“何 で もよい" (偶然)と い うこ とである。 この こ とは,大 気 中に雨雲が生 じる際のメカニズムに例 えられる。過飽和状 態の空気 は,大 気中に漂 う細かい塵 を核 に して水滴 を生 じる。いったん水滴が 生 じればそこへ どん どん水蒸気が付力口す ることによって雨雲 を成長す るのだが, 肝心の 「塵」の有無は,雲 の生成論理 とはまった く関係がないのである。 この とき,雨 雲の形成 を雲の論理 によって合理的に基礎づけ ようとすれば,

①雨粒はより小さい雨粒から生まれる,… etc.…という無限遡及か,

②雨粒が成長しうる条件は,雨 粒がすでに成長しているということである,

という循環論法,あ るいは

32)ハ ンス ・アルバー ト 『批判的理性論考』御茶 の水書房,17-22ペ ー ジ。

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欲 望 の エ ネ ル ギー論 1 7 9 ③雨粒が成立す るためには どこかで核 が必要 であるが,こ の核の存在は雨粒 の論理 では説明で きない, と して作業 を中断す る, とい う三者択一 しかないのである。 しか し,こ の三者は,わ れわれにはいずれ も受け入れ られ るものである。古典的合理主義 を自紙撤 回 したか らである。 この論理形成の骨子は,ひ とえに,偶 然 (ゆらぎ)を 発端 (核)と し,そ れ が循環論 によって強化 され (成長す)る , とい う一連の認識にある。われわれ が,欲 望や クレー ズ,貨 幣に関 してや って きたことは,ま さしくこの認識だっ たのである。だか ら,循 環論や偶然性による論点先取は,論 理の欠陥 どころか 論理形成の必須条件 である。 そ してこの認識論は,プ リゴジンやハーケンらの 自己組織 システム論 と同一 線上 にある,とい うことを再度指摘 しておこう。「ゆ らぎを核 とした秩序形成」 とい うパ ラダイムは, まさに,近 代理性 を超克す る視角 を与 えているのである。 貨幣は欲望のエネルギー媒体 本節での議論 をまとめ ると,こ うなるだろう。前節で, クレー ズは 〈欲望〉 の集団的かつ超論理的な表出形態の一種 であ り,欲 望エネルギーの爆発である, と述べておいた。次いで本節では,貨 幣は,こ の くクレーズ〉の集合願望が一 点に集 中 して結像 した集合幻想 (虚像)で あることを見た。貨幣は,集 合的欲 望の爆発 を受け止め,集 合的欲望 によって欲望 を託 された,欲 望の社会的なエ ネル ギー媒体であ る。 それゆえ貨幣は欲望が集合的に転化 した形態なのである。 そ して今や,貨 幣は,集 団の循環 メカニズムの中にス トックされた集合的欲 望 の権利証書であ り,会 員証で もある。 これ を提示す ることによ り,社 会 はい つ で も欲望 のエネルギー を会員に与 えるのだ。だか らこそ貨幣は,欲 望社会の 会員証 である, と表現 されたのである。 本節の結 び として,人 々に よる貨幣への く欲望 のつ ぎこみ〉,あ るいは (同 じこ とだが)貨 幣による人々の く欲望 の受 け止め〉 とは どうい うことなのか, 補足確 認 してお こ う。 ある人が 「貨幣 を得 る」 とい うことは一―一贋金づ くりや窃盗犯 で もない限

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180 野 中大輔講師追悼号 (第307号) リー 十 そ の人が社 会 あ るいは社 会 の成員 に対 し何 らか の寄 与 を行 って (それ は財 の移 転 で もい い し,労 働 サー ビスの提供 で もいい),そ の見返 りに社会 か ら認 め られ た “証 書"を 得 るこ とであ る。 だが次のような対照例 を考えてみよう。社会への寄与には,無 償のボランテ ィアもあ りうる, と。ある人が社会へ何 らかの財 ・サービスを提供 し,そ の証 として感謝状 を得たとする。この感謝状は,社 会によって認定され,そ れ自体 に使用価値がないという点では,一 見,貨 幣 と変わるところがない。では逆に, 貨幣 とは一体何なのだろうか。 まず,貨 幣は,非 =属 人的かつ一般的な欲望の対象だということである。「非 =属 人的」とは,「いま私のものであっても次の瞬間に他人のものになりうる」 ということであり,そ れを他人も望んでいる, ということである。また 「一般 的」 とは集合行動の結果 として 「皆が欲 しがる」 ということである。そしてこ のことが,貨 幣の貨幣たるゆえんなのである。これに対 し感謝状は,完 全に「私 の もの」になってしまう (属人化)こ とによって,一 般的な欲望の対象ではな いのである (一部の人の名誉欲の対象にはな りうるが)。つ まり感謝状は集合 行動の所産ではな く,単 独個人 としても意味を持つ ものである。 しか し貨幣の 場合,皆 が欲 しがるのでなければ意味がないのである。ここに,貨 幣の “クレ 33)こ の こ とは,ル ネ ・ジラールに よる欲望理論,つ ま り 〈模倣〉 に よる欲望 の理解 と結果 的には符合 す る。本稿 で筆者 は,フ ロイ トの く心的エネルギー〉か ら出発 し,こ れが く社 会 的エ ネル ギー〉へ転化 す る機序 を見て きたわけだが,フ ロイ ト理論 とジラー ル理論 との 関連 につ いては佐 々木孝次 『エデ ィプス ・コンプ レクスか ら模倣の欲望へ』情況出版,19 96,特 に第 2部 を参照。 ところで ジラールの欲望論 は,確 かに きわめて有益 で示唆に富む ものではあ るのだが,本 稿 の視 点か らす る と残念 なこ とに,フ ロイ トの欲望論 の よ うなエ ネル ギー論 にな らない。模倣 は,エ ネル ギー論 とい うよ り情報論 のカテゴ リーに属す る現 象 であ るためであ る。本稿 において ジラール理論 を正面か ら扱 っていないのはこのことに よる。 さらにいえば,言 語 の習得過程 を理論化す る立場 として,古 典 的 な く模倣 説〉に対 しチ ョムスキー流の く生得 説〉が異議 を唱 えてい るのだ とすれば,本 稿 の立場 は 〈模倣説〉 ではな く く生得 説〉の側 にあ る。後者 は,あ る種 の特定の言語 を獲得す る能力が人間に も ともと遺伝的に備 わっていることを主張す るものだが,こ の「能力」を く心的エネルギー〉 に置 き換 えれば よいのである。つ ま り人間は,あ る種 の特定の行為 をなす未分化 な力 をも ともと備 えてい る。 これが本稿 でい う く心的エネル ギー〉 なのであ る。

参照

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